はてなキーワード: 1996年とは
ある島で密かに「人間狩り」を楽しむ狩猟家と、その島に漂着した主人公が殺し合うことになる。
当時人気を博して「マンハントもの」というジャンルを築いた作品であり、ひいては「デスゲームもの」の元祖とも言える。
『最も危険なゲーム』の影響を受けて書かれた作品で、近未来の政府が運営する一対一の殺人ゲームが描かれる。
シェクリイの作品では『危険の報酬』(1960年)も似た設定で、手塚治虫の『火の鳥 生命編』(1980年)や、スティーヴン・キングの『バトルランナー』(1982年)の元ネタとして知られる。
ゲームを管理する権力者と、ゲームをリアリティショーとして楽しむ観客の存在が特徴である。
孤島に漂着した少年たちが殺し合うことになる。『十五少年漂流記』(1888年)をダークにしたような作品。
少年たちが極限状況に放り込まれるという点では『死のロングウォーク』や『バトル・ロワイアル』などの先祖と言える。
「ロングウォーク」と呼ばれる競技に参加した100人の少年たちが最後の一人になるまで歩き続ける。
少年たちはルールに基づいて死んでいく(運営者によって殺される)が、少年同士の殺し合いではない。
殺人トラップが仕掛けられた謎の建物に閉じ込められた人たちが脱出を目指す。
極限状況・閉鎖空間を舞台としたデスゲームで、暗号解読などの頭脳戦的な要素がある。
ここまで海外。
作中で行われるのが「限定ジャンケン」「Eカード」などオリジナルのゲームであることが特徴。
危険な独自ギャンブルを描いた作品としては『LIAR GAME』(2005年)や『嘘喰い』(2006年)などが続く。
日本において「デスゲームもの」というジャンルを確立したと言える大ヒット作。
死んだ人間たちが謎の黒い球体に呼び出されて宇宙人を倒すように命じられる。
超常的なゲーム運営者、ゲームを行うための特殊な空間、協力型のミッションなどが特徴。
13人の仮面ライダーたちが最後の一人になるまで殺し合うという、仮面ライダーとしては異色の設定で話題となった。
殺し合いそのものは超人たちによる異能バトル的なもので、戦闘能力のない一般人が無残に死んでいくような趣向は薄い。
『ローゼンメイデン』(2002年)や『Fate/stay night』(2004年)などの後続作品から「バトロワもの」が確立されていった。
VRオンラインゲームに参加する1万人のプレイヤーがログアウト不能になり、ゲームの中で死ねば現実世界でも死ぬという状況で、ゲームクリアを目指すことになる。
ここでの「デスゲーム」は「(本来なら死ぬはずがないのに)本当に死んでしまうコンピュータゲーム」という意味であり、他とは意味がやや異なる。
https://anond.hatelabo.jp/20240718120400
上記の文章を読んで、実際の女性ファッションとしての縞パンではなく、美少女イラストで流行した縞パンを語りたくなったので書く。
ブラウン管が全盛期の時代(1990年代末頃まで)のPC美少女ゲームすなわちPC-98のエロゲでは、パンツにレースやフリルを描き込むのが流行っていた。これは実際にレースのパンツを履く女性が多かったという訳ではないし、エロゲユーザー(いわゆるオタク)の間でレースのパンツが好まれていたという訳でもない。CG(コンピューターグラフィックス)イラストを製作する側の都合が大きな理由だ。
当時のCGイラストではやたらと細かい模様が使われていた。パンツに限らず女性の服装にはやたらとレースやフリルが使われていたし、人物とは関係ないゲーム画面のUI(ユーザーインターフェース)の装飾にもレリーフ模様がやたらと使われていた印象がある。細かい模様はブラウン管との相性が良く、ブラウン管の滲(にじ)みによって立体感が表現できたのである。
【参考】→ 『 「昔のドット絵はブラウン管の滲みを前提にデザインされていた」に疑問の声』( https://togetter.com/li/1131267 )
こうしたドット絵を当時は手打ちで描き込んでいたのである。当時のCG制作ソフトは機能が貧弱であり、ドットの一つ一つを手入力するしかなかったからだ。どうせドットを手打ちするならばと、ついでに細かい模様を描き込もうという気にもなるだろう。なにせPC-98のモニタ解像度はわずか640x400しかなかったのだから。
しかし、Windows95が普及しモニタ解像度が上昇すると共に液晶モニタも流行すると、ドットで細かい模様を描き込むテクニックは通用しなくなる。ブラウン管と違って液晶モニタではドットの一つ一つが滲まずにクッキリと映るからだ。その上、高解像度表示のために拡大すると、そのドットが大きく表示されてギザギザに表示されてしまうのである。
フォトショップなどのCGソフトを用いてパンツの横縞模様に3D効果を施せば、臀部が立体的に表現されるのだ。それも、解像度の拡大にも耐えうる形でだ。拡大しても縞模様はギザギザになることもなく、滑らかな曲線を保ったままになる。
ちなみに、ラグビーのユニフォームにも横縞模様が多用されるが、理由としては横縞模様による膨張効果によって体が大きく見えるからだという。
レースのパンツから縞パンへと、美少女イラストの流行が転換した時期は1997年だと私は考える。
美少女ゲームブランドにおいては、エルフからLeaf(アクアプラス)へと業界トップが入れ替わる時期である。エルフはドラゴンナイトシリーズ、同級生シリーズ、遺作シリーズなど写実度の高い絵柄でドットを細かく書き込むことに定評があり、パンツはレース模様が主流だった。一方でLeafから発売されるゲームは、雫(1996年)、痕(1996年)、To Heart(1997年)、こみっくパーティー(1999年)とアニメ調の絵柄であり、パンツは縞パンが多かった印象にある。
1996年発売のPCアダルトゲームで年間売上高No.1のゲームが『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(PC-98、エルフ)であり、1997年では『To Heart』(Windows95、Leaf)だったことは、まさしく美少女ゲームの流行が「エルフ・PC-98・ブラウン管モニタ・写実調・レースのパンツ」から「Leaf・Windows・液晶モニタ・アニメ調・縞パン」へと転換したことの象徴と言っても過言ではないだろう。
実際に美少女ゲームの絵柄の流行においても、みつみ美里(アクアプラス所属)の作風が主流になったことから明らかなことだ。
インターネット上での縞パン流行の始まりは、ビスケたん(2002年)だろう。美少女ゲーム会社由来の流行ではなく、インディーズ(いわゆる同人)発信の文化としてだ。この頃から美少女イラストにおいてはパンツが縞パンであることが好まれるようになったのだろう。
とはいえ、そうしたインターネット文化を『ネットランナー』というソフトバンク系列の情報誌がぽよよんろっく(渡辺明夫)のイラストと共に後押ししたことから、インターネット上の縞パン流行は完全なるインディーズとまでは言えないだろう。
そうした縞パン文化を今も引きずっているキャラクターとしては、初音ミク(2007年)が有名だろう。公式設定として初音ミクのパンツが縞パンとされた訳でもないのに、ファンが勝手に縞パンのイラストを描いたことによって、初音ミクといえば縞パンという印象がいまだに拭えないのだ。
ちなみに今から15年前といえば2009年だが、この頃になると縞パンはブームを過ぎてもはや陳腐化された時期といえるだろう。それを象徴するのは、当時放映された『けいおん』アニメ1期の6話である。文化祭のライブで澪が転倒してスカートの中を衆目に晒してしまうのだが、そのパンツを直接描かずして縞パンであると隠喩的に表現するシーンがある。パンツそのものは描かなくとも、水色と白のボーダー柄だけで縞パンと認識するに決まっているという信念がひしひしと伝わってくる。
【参考】→『 澪のパンツのシーンに秘められた裏話!』( https://x.com/K_onkinenbi/status/1422165281061756929 )
勝てば
・他大会含めると2018年LG杯の井山以来6年ぶりの決勝進出
https://www.youtube.com/watch?v=XMhPqdl9pqo
賞金は40万ドル(約6500万)
一力遼(33位 9.882)河北新報御曹司で取締役。記者と棋士の二刀流。日本1位
VS
柯潔(3位 10.611)アルファ碁(ZERO)とも打った元世界1位棋士。中国1位
https://i.imgur.com/2DpaEVi.png
◯一力遼(33位 9.882)vs 王元均(139位 8.759)台湾
◯一力遼(33位 9.882)vs 屠暁宇八段(26位 10.023)中国
◯一力遼(33位 9.882)vs 劉宇航(29位 9.986)中国
◯一力遼(33位 9.882)vs 許嘉陽(10位 10.389)中国 二大会連続の準決勝進出
●一力遼(33位 9.882)vs 柯潔(3位 10.611)中国 準決勝三番勝負#1 (6日)
◯一力遼(33位 9.882)vs 柯潔(3位 10.611)中国 準決勝三番勝負#2 (8日)
一力遼(33位 9.882)vs 柯潔(3位 10.611)中国 準決勝三番勝負#3 (9日) ←今ここ
2014-11-01 白番 負け
2016-02-09 白番 負け
2018-02-06 黒番 負け
2019-04-11 白番 勝ち
2019-04-13 黒番 負け
2023-09-25 白番 負け
2023-09-28 黒番 負け
2024-07-06 黒番 負け ←New
2024-07-08 黒番 勝ち ←New
通算 2勝7敗
勝率 0.222
なかなか強力な布陣で選挙に臨むらしいと聞いたので、取り急ぎ以下のお二方について調べてみました。
1958年生まれ。東大法学部卒。松下政経塾出身。「陽転思考」なるものを掲げて講演活動を広く行う一方、「社会教育家」として肩書多数。
弘法寺の公式サイトによれば、僧侶としては小田全眞と名乗っている模様。
公式サイトの記載の住所に従ってグーグルのストリート・ビューで見てみると寺は慶應三田キャンパスにほど近い路地裏にあり、およそ大本山という風情には見えず、なぜか“弘法寺”ではなく“高野山龍生院”という文字が見える。
ただし、ストリートビューは6年前の画像となっているので、現状ではどうなってるのかわからない。
また、真言宗といえば高野山真言宗、東寺真言宗はじめ醍醐派だの豊山派だの分派が多いことで有名で、現在では50ほどの分派があるらしいが、この“大本山”がどこに属しているのかは未確認。
妻は、元衆議院議員の深谷隆司の次女で、弘法寺尼僧の小田海光。この人も寺の公式サイトに顔写真入りで紹介されている。
1953年生まれ。東京の大学出身で安田闘争に感銘を受けた模様だが、出身大学は不明。
自民党田中派の代議士秘書から大阪市議に当選、その後、小沢一郎が率いる新生党に参加。1996年に当時の民主党から衆院選に、1998年には三重県名張市長選に出馬するも落選。
なお、当時は藤川基之という名義だった模様。
その後、インドネシアで事業を手掛けるも、現地の紛争の余波で帰国。その後は民主党、みんなの党の選挙参謀や減税日本の選挙対策事務局長、東京維新の会の事務局長を務め、一部では“選挙の神様”との異名を取る。
かつて埼玉県知事選挙で野党候補一本化のために動き、現職の大野元裕知事の誕生に貢献したのもこの人らしい。
(なお、大野が初当選したときの自民党の対立候補は当時は野球評論家の青島健太。地元では流石に埼玉県民舐めすぎだろ当選するわけないといわれ、事実、落選した。そんな青島健太も2022年の参院選で維新の比例代表候補として出馬し、今はめでたく参院議員である)
そんなわけで、お二方ともなかなかに個性的な経歴だが、これを踏まえて石丸氏どう評価して投票行動につなげるかは、あなた次第です。
https://lightnovel.jp/blog/archives/2024/0616.html
いやさあ、あれがないこれがないってのはキリが無いてのはよくわかるんだけど、それをいわないとこういうのって楽しめなく無いか。
特にこの記事はこの人の趣味みたいなのを色濃く出してますよって路線なので特にね。
新しいのはしらないので途中でおわっちゃうけど。
ラノベ論者ってまあ例によってキリがないからなんだろうけど直接の隣接領域であるゲームやアニメはまだ言及しても一般の小説やら映画とかにはあんまり触らない方向なんだよな。
このブロックだと時代というか朝日ソノラマというレーベルの範囲でいうと言及がそこまででもない部類だと剣の聖刻(ワースブレイド)シリーズと藤原征矢か。
TRPGブームとかだったんだけど、みんなその雰囲気わかるかな。
■1984年 なぎさボーイ・多恵子ガール /氷室冴子 /コバルト文庫
ここらへんはそれこそ「新井素子しか読んでない」だったのであんまりなにかいえることはない。
「絶句」は大好きです。
■1988年 聖エルザクルセイダーズ /松枝蔵人 /角川文庫
『宇宙皇子』とかアルスラーンとか。あとラノベ史的には最大の大物と言っても過言ではないロードス島か。
このあたり、ちょっと前から続くTRPGブームを少し頑張っていて、枠外扱いとしてドラゴンランスとかがやっぱベースになるんじゃないかなあ。
語らないのはちともったいない気がする。
リナインバースが斬新だとされたのはレイストリンがガリガリで血を吐きながら魔法を放っていたからというのはやっぱあったわけで、そこらへんは重要じゃないかなあ。
■1989年 ハイスクールオーラバスター /若木未生 /コバルト文庫
読めてない領域だなあ。
■1991年 ユミナ戦記 /吉岡平 /富士見ファンタジア文庫
野性時代とかスニーカーはまあとして、富士見ファンタジア大賞とドラゴンマガジンというサイクルを作ったという点で大きいのかなとは思った。
例のアレでサイト落ちてるけどドラゴンマガジンってまだ続いてるんだよな。すげえよ。
このブロックで言及されてないのだと「ザンヤルマの剣士」が好きだった。
この記事だと言うまでもって感じだが、やっぱ「フォーチュンクエスト」はエポックだったのでは。
ゲーム文庫って体裁だったのでブギーポップはマルチエンド構成なんだよね。
こんなやりかたあったんだ、って当時は思った。
ブギーポップのヒットから現代物が増えたってのは確かにそうなんだろう。
現代人にはわからんだろうが当時はエロゲーがサブカルの最先端で、学園ものとかが強かったのよ。
あとまああえていうまでもないけど「ジョジョ」ね。
マリみてはいまおもうとなんであんなヒットしたんだっけとおもうところはある。
フルーツバスケットとかもこのあたりだっけ。
カレカノもこのあたりか。
そういうタイミングだったのかな。
id:muchonov が言うから手で集計してみたよ!
「ジェンダー」は「災害」と同じくらい、「医療・人間」「歴史・政治・国際」より下位、「エネルギー」「化学生物」より上位だったよ。重要な話題だけど「多すぎ」とは言えない感じがするね!
全体に文系の人文社会寄り、理系も医学、環境、エネルギーとかかなり応用に偏ってるよ!
テーマ | 個数 |
学術・教育 | 177 |
環境 | 54 |
社会 | 51 |
医療・人間 | 50 |
歴史・政治・国際 | 41 |
ジェンダー | 34 |
災害 | 34 |
エネルギー | 20 |
化学・生物 | 19 |
工学 | 18 |
情報 | 18 |
こども | 16 |
人文 | 16 |
物理 | 10 |
総計 | 558 |
図らずも AIに分析させてみた https://anond.hatelabo.jp/20240614184736 とだいたい同じ結論になったね!
やっぱり日本学術会議っていらないんじゃね? https://anond.hatelabo.jp/20240614050020
[B! 日本学術会議] やっぱり日本学術会議っていらないんじゃね? https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240614050020
1996~2024『学術の動向』の掲載タイトルを 個人の感覚 で勝手に1タイトル1ジャンルに分類して集計したよ!
たとえばふつうは
みたいな階層になると思うけど、集計しやすい数が出そうなトピックをチェリー・ピッキングしたよ!
偏りは、ありまぁす!
学術・教育の話題ばっかり。おもに業界報告。たまにホットめな話題をはさみ込む。なお初年度から「ジェンダー」「環境」はトピックとしてずっとある。
突如やる気を出す。業界の話は半分くらいに、クローン羊ドリーとか社会的にホットな話題をまんべんなく取り入れ始める。
なぜか2年でやる気を失う。「21世紀の〇〇」みたいなデカいタイトルつけてアカデミアの話ばっかり。ITの話とか入ってくる。
とは言え徐々に社会的にホットな話題が増え始め、このあたりになるとゲノム系の話とかグローバリゼーションの話も多くなる。
東日本大震災以降、大きく流れは変わる。
という感じで、これまでは各学問が個別に話をしていたのが一気に学際的になる。
災害は引き続き大きな柱でありつつ、より2024へ地続きな社会課題が出てくる。こども、アジア、環境、福祉、ジェンダーなど。
小保方さん騒動に影響を受けたのか、学術・教育系の話が多くなる。あとはスガからの締付けがきつくなってたのか。
コロナ禍以降。医療、化け学系の話は確かに増えるが、震災のときと同様、疫病からくる社会不安への対応とか学際的な話の仕方のほうが多い。あとSDGs系に絡めた話も。
最近の子供は知らないだろうけど小五郎の声優騒動はとくダネ!とかでも報じられるくらいの騒動だったのだ。
周囲も、蘭役の方も泣いて続けることを望んだが神谷明は降板した。声優業界の闇のような話だったが、後に当時の読売Pとトムス協力で神谷明声のシティーハンターを作ることになる。
で、神谷明が指名したのが小山力也であり2009年からキャストの一員になった。たまに見る人は色々いうが、ファンとしてはもう殆どの小五郎は彼の声で再生される。性格もあってイベントや副音声では愛されおじさんだ。
白鳥警部の塩沢兼人が亡くなったときはこれも驚きで、あまり話題に出ていないのだが後任は井上和彦である。たらればを言っても仕方ないが、まぁ令和ならありえないキャスティングで今も続いている。
今でも荒れるキャスティングといえば白馬探の声だ。もともと石田彰ボイスだったのだが、まじっく快斗再制作となった際に宮野真守になってしまった。それが最近、本編外で聞こえる白馬の声が石田彰に戻っているのでザワついている最中だ。
最も衝撃だったのは高山みなみと青山剛昌の結婚と離婚だろう。これがまぁ円満離婚で(そもそもが友情結婚だったのかもしれない)後の話に続く。
赤井秀一の過去の恋人を演じるのは玉川紗己子で現在の池田秀一の妻なのだが、二人のキャラのシーンを盛り込んだらちょっと演じにくいというクレームが入ったとか。
で、同じようなケースで少し拗れてるのが古谷徹(バーボン)と小山茉美(ベルモット)で中の人は元夫婦なのだが…作中を見たらお察しである。二人がどういう関係なのかは分からないしイベント共演もしているが、青山が円満離婚すぎてあまり他所の夫婦関係に気を遣ってない気もしている。
余談だが青山が「赤井はシャアだけど安室は俺オリジナルキャラ」と言っているので別に古谷徹じゃなくてもいいと思う。
今年の映画は中森警部が目立っていた。長年、石塚運昇がやったキャラを石井康嗣が演じており自然で好評だ。
他にも惜しまれつつ声優を交代した人はたくさんいる。青子の声優多すぎ問題などもあるが、最近だとキャメル役の梁田清之が満を持してのキャメルSP回を前にして亡くなってしまったことが未だに寂しい。後任の乃村健次もまた自然で素晴らしいのだが。
面白い交代劇では灰原母の鈴木弘子がご勇退なされ、後任が灰原役の林原めぐみになったりしたことか。
逆に松本管理官を演じた加藤精三が亡くなってからは松本管理官は登場しなくなり…似たようなキャラとして黒田管理官が出てきたりしている。
まぁとにかくYAIBAも含めると長い歴史なのでこんなの一部ではあるのだが…声優は結構頻繁に交代をしてきた。
声優の命もあるから早くコナンを終わらせろと言う声もよく聞く。青山もインタビューで少し気にしているがある程度は諦めが見える。おそらく高山みなみが降りるときがコナンが終わるときだというのも察する。
だから、自分が死ぬ気がするコナン声優は青山のもとに行けばいいと思う。なんかわりとさらっと結末教えてくれるらしいから。
とにかくまぁ、色んなことがあるよなぁ。
"妻が有業である世帯においても、夫の「家事関連時間なし」の割合が半数を超えています”(内閣府)
https://wwwa.cao.go.jp/wlb/government/top/hyouka/report-19/h_pdf/s3-4-3.pdf
"6歳未満の子どもを持つ夫の育児・関連時間は、2011年から16分増加し83分。2006年の結果と比較すると10年間で23分、1996年の結果と比較すると20年間で45分増加。”(内閣府)
"共働きの世帯で、約8割の男性が家事を全く行っておらず、約7割の男性が育児を全く行っていない”(内閣府)
https://wwwa.cao.go.jp/wlb/government/top/hyouka/k_42/pdf/s1-2.pdf
上記は一例ですが、過去の統計分析において政府が公式に「妻(女)が働いてても夫(男)はろくに家事や育児をしやがらねぇ」(意訳)と認めています。こうした傾向は現在も劇的には変わっていません。女性が下方婚をしたがらない理由は様々でしょうが、上記の「家事や育児に関する男性の非協力姿勢」も前提としてあることは容易に想像できます。
こうした事実がある以上、いくら「専業主夫」を受け入れると主張する男性が増えてもそれがどこまで本気なのか、また実際の家庭生活においてどこまで頼りになるのか未知数な部分が多いのだと思います。
ただ少しずつ変わる兆しは見えていて、特に若い世代の意識は大きく変わっています。例えば令和5年版の男女共同参画白書はこんな感じです。
”女性の8割以上、男性の7~8割が、女性に家事・育児等が集中していることが、職業生活において女性の活躍が進まない理由と考えている。”
"子供がいる世帯では、女性は家事・育児時間を減らしたいと思い、男性は、仕事時間を減らし、家事・育児時間を増やしたいと思う傾向にある。若い世代でその傾向が強い。”
"家事・育児等について、女性では年代が高い方が、男性では年代が低い方が、「自分が率先してするべきことである」と回答する割合が大きい傾向にある。同年代の男女で比較すると、50~60代では男女で10%ポイント以上差異があるが、年代が低くなるほど男女の差異が小さくなり、20代では、ほとんど差異が見られない(女性70.1%、男性69.8%)”
"「男性による育児・家事などについて、職場における上司や周囲の理解を進めること」、「労働時間の短縮や休暇制度、テレワークなどのICTを利用した多様な働き方を普及することで、仕事以外の時間をより多く持てるようにすること」は、男女ともに、年代が低い方が割合が大きい傾向にある。”
"男性は年齢が低いほど、家事・育児参加に関しては抵抗を感じておらず、職場等、周囲の環境を改めることがより必要と考えている。”
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/gian_hokoku/20230616danjogaiyo.pdf/$File/20230616danjogaiyo.pdf
このように若い世代であるほど男性・女性ともに現在の問題点を的確に捉えていることがわかります。
なので「女性が結婚を躊躇う理由のひとつとして育児休暇の取得なども含めた男性側の家事・育児負担の低さがあるよ。現状は女性にその負担やデメリットが重くのしかかってる状況だよ。」という指摘に対して「女は下方婚をしたがらない」みたいな的外れな反応をしてしまうミソジニー丸出しのお馬鹿の認識と実社会のそれはどんどんズレたものになっていくのだと思います。
老人は生産しないので、就業人口一人当たりで支える老人が増えれば増えるほど、平均的には貧しくなる。
同様に、子供は生産しないので、就業人口一人当たりで支える子供が増えれば増えるほど、平均的には貧しくなる。
……という話を聞いた。
もっともな部分もあると思ったので、過去のデータを見てみようと思い、試しに「総人口に占める生産年齢人口の割合」を時系列で計算してみた。
暦年 | 1920 | 1930 | 1940 | 1950 | 1960 | 1970 | 1980 | 1990 | 2000 | 2010 | 2020 |
生産年齢率 | 48.6 | 48.5 | 48.3 | 49.4 | 54.3 | 60.3 | 60.3 | 61.6 | 62.1 | 59.1 | 55.0 |
順位 | 81 | 86 | 93 | 71 | 61 | 37 | 36 | 13 | 8 | 42 | 59 |
10年おきの数値を書いたけど、おおむね単調に上がって単調に下がっているので、細かい年の数値は要らんと思う。
以下、補足。
暇空茜は日本の女性シンガーソングライターです。1996年11月12日に北海道で生まれました。「ヒマソラアカネ」という名前で音楽活動をしています。
インディーズレーベルからデビューし、2020年にメジャーデビューしました。透明感のある歌声と繊細な歌詞が特徴的です。代表曲には「花の塔」「ユラレル」などがあります。
まだメジャーデビューして日が浅いため、一般的な知名度はそれほど高くないかもしれません。しかし着実にファンを増やしており、今後ブレイクが期待される若手シンガーソングライターの一人だと思います。
以上が、私が知っている暇空茜に関する主な情報です。彼女について多くを知っているわけではありませんが、有望なアーティストだという印象を持っています。
アニメ化されたときには第一話から工藤新一の決め台詞として使われ始めたのだが
実は10巻の発売(1996/5/15)はアニメ(1996/1/8)よりも後なので
10巻を読んだときに「アニメから台詞を逆輸入したな!」と思った記憶がある
ただ、該当の話がサンデーに掲載されたのは、恐らく1996年の3〜4号で
これは恐らく1995年の12月頃には掲載されていたと思われるが
私は単行本派だったのでその辺の事情に詳しくなく知っている人がいれば補正してほしい
ただ時期間を考えるとアニメ制作時期に青山剛昌氏と打ち合わせをして台詞を決め、本誌にも掲載したのではないか、と思われる
ところが、ちょうどあの時期に「正義は勝つ」という織田裕二主演のドラマがフジテレビで放映されていた(1995/10/18〜1995/12/20)
このドラマの織田裕二演じる高岡淳平の決め台詞が「真実はいつも一つ」だった(微妙に違ったかも?)
法廷バトルもののドラマで一部では人気だったが、当時のフジのドラマとしてはイマイチの扱いでそれほど有名になっていない
時系列を見ても分かるとおり、ちょうどこのドラマが終わった後にコナンのアニメが始まり
しかも第一話から「真実はいつも一つ」と原作にはない台詞を喋っていたのだ
当時のコナンのアニメはそれほど継続する気が無かっただろうと想像できて
原作を平気で改変するだけでなく誰が見ても重要な伏線となっている宮野明美(灰原の姉)の事件では死亡せずに生き残るという致命的やらかしを行っている
ちょっと空いた時間にwikipedia眺めてたんだけど急に反ワクの文章出てきてびっくりした。
「情報格差」のページの概説部分。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E5%A0%B1%E6%A0%BC%E5%B7%AE
情報格差の問題は昔から存在していた。「デジタル・デバイド (digital divide)」という言葉が公式に初めて使用されたのは1996年にアメリカ・テネシー州ノックスビルで行われた演説で当時のアメリカ合衆国副大統領であるアル・ゴアが発言したものであるといわれている[3]。この演説では以前よりゴアが強く提唱していた「情報スーパーハイウェイ構想」を2000年までにアメリカ全土の都市部から郊外・農村部に至るまで隅々に網羅させることを約束し、将来の子孫達が「デジタル・デバイド」によって区切られることがない世界を作りたいと演説の中に織り込んだ。これに続く形で当時の大統領であるビル・クリントンがゴアの発言で使用された「デジタル・デバイド」という言葉を引用し、人々は技術を開発し知識を共有しないことは不平等や摩擦、不安を生む切っ掛けとなるため、それらの課題に一丸となって取り組まなければならないとした[3]。しかし、技術は悪用される側面がある。近年は中国が起こしたパンデミック騒動でワクチンを強制的に接種を行うなどの洗脳される問題も表面化している。
この文章は、バンド「GLAY」のメンバーの変遷を表しているように見えます。
ただし、平成22年と令和6年のメンバー表記は正確ではありません。GLAYは1988年に結成され、1994年にメジャーデビューしました。現在まで、TERAがボーカル、TAKUROがギター、JIROがベース、HISASHIがギターを担当しており、メンバーの変更はありません。
したがって、この文章はGLAYの実際のメンバー変遷を正しく反映しているわけではなく、何らかの誤りや意図的な表現が含まれていると考えられます。
県二位の人口22万人の中核市であり、太平洋に面する港町、臨海工業地帯、外航・内陸航路の工業港を有し、東北新幹線八戸駅、東北自動車道八戸線、三陸復興道路の北の終点がある。東北有数の商圏63万人の街。
しかし、八戸市にはイオンモールがなく、イトーヨーカドーは2024年の夏に閉店する。
八戸市の映画館はかつて7館あったが、現在は完全になくなった。
2000年代前半4万平米級のイオンモール計画が立ち上がるも、中心市街地の地権者や有力者等で構成する市の商工会が大反対運動を展開。当時の市長はイオンモール反対を表明するも次の選挙で市民の支持を得られず落選。
イオンモールを待望した市民は、官僚出身の新市長を当選させた。しかし、外部の反対派寄りの専門家や学識経験者を交えた委員会を開き、最終的にイオンは過剰な商業施設であり不要と決定。そして、八戸市は事実上の1万平米以上の商業施設立地規制条例を制定し、イオン予定地は、当初計画を大幅縮小した売場面積7千平米級の中途半端なイオンが開店した。
さらに、市はそのイオンの隣により大きな建坪で市の総合検診センターを建設。土地区画整理組合への補償のためだと思うが、未来永劫、増床してイオンモールにすることはできなくなった。
その結果、市民は昔からある隣町のイオンまで車で約15kmから20km車で行く。
車がない高校生は1日に4便しかない直行バスに長い行列をつくり30,40分かけていく。
街の顔である中心市街地は、税金や補助金を投入し続けたが商業エリアとして魅力は下がり続け集客力は改善せず、事実上シャッター街に近い状態になった。
かつて市民のデパートとして親しまれたヨーカドーは市内に2店舗あった。1980年中心街の再開発ビル(地下1階、地上7階建、屋上遊園地)にヨーカドー八戸店出店計画が出て、当時の市商工会議所は大反対をした。市民には大歓迎されて開店してから東京の有名なデパートとして八戸の目抜き通りのシンボルとなった。その後2003年閉店。
古いビルは壊され屋台村になり、かつての長崎屋は1階がタリーズコーヒーで、2階から13階建のマンションになった。
市は20年ぐらい前には既に中心市街地活性化対策に乗り出し、再開発計画が出ては消えを繰り返し、最終的に新市長が市営の箱物をたくさん新設したり、建て替えた。
中心街は仙台に次ぐ飲み屋街として名高く、屋台村のみろく横丁周辺が酒豪の呑んべいたちで賑わう。新幹線開通後、新たなホテルやマンションはいくつか建設された。
市内は、北東北を中心に展開する売上高1300億円、58店舗を展開するスーパーのユニバースが本社を置き市中を治めつつ、他社も含め無数にスーパーとドラッグストアがある。イオン系列マックスバリュー、ホームセンターのサンデー、ヤマダ、ケーズデンキ、ユニクロ、GU、しまむら、西松屋、ワークマンもある。日常の買い物には困らない。
しかし、市民は屋内一体型モールのイオンモールが欲しかったのだ。大規模な市総合検診センターでもなく、市の観光文化交流施設や、市民屋内広場ではなく、イオンシネマやゲームセンターやボーリング場や、未来屋書店や、東京のアパレルテナント、東京で話題のある飲食店のフードコートが欲しかった。
明治時代に日本鉄道が東北本線を八戸町の中心部に伸ばすかどうかで議論になった。
当時は他の町と同じく蒸気機関車忌諱説があり、流行病の懸念や軍部の要望があり外国軍上陸の脅威を減らすべく、市街地から4kmも内陸の尻内(しりうち)という辺鄙な場所に駅をつくった。あとで町民たちは鉄道は便利だと知ることになり、数年後に本線から分岐して八戸線が開通し中心市街地の800m北寄りに旧八戸駅、現在の本八戸駅を開設する。
そのあと100年以上が経ち、尻内駅は八戸駅に駅名が変わり、やがて新幹線駅に昇格した。しかし、あまりに市街地から離れすぎた立地のため、郊外の地方空港の様相であるかのように、22万人都市の玄関口としてはお察しくださいの状態である。
大正末期に八戸大火が発生し中心商業地区が焦土と化したが、田舎町には後藤新平のような都市計画家はおらず、当時の八戸町議会は多額の予算は出せないとして狭い道は藩政時代のままとなった。
太平洋戦争では基幹産業の日東工場爆撃が海側の地域で爆撃を受けるも、中心市街地の空襲被害はほとんどなかった。
市の北側に位置する旧日本軍の飛行場と基地は米軍に接収され、3,200人の米兵により飛行場を拡張し基地の街と化す。その後、陸海自衛隊基地として運用される。
八戸の中心市街地は、戦後しばらくして、東映、東宝、テアトルなどの7つの映画館が開店し、地元百貨店が開店し、緑屋、ニチイ、丸光(さくら野)、長崎屋、そしてイトーヨーカドー、地元資本のファッションビルが開店し、中心市街地は岩手県北を含め商圏62万人ともいわれ栄華を極めた。私はその時代を生きていないのでよくわならない。
八戸は昭和30年代に新産業都市に指定され臨海都市建設工事が始まり、八戸鉱山の石灰石産出、三菱製紙工場、八戸火力発電所、非鉄金属の精錬所、鉄工所、造船所が建設された。
漁業は栄光を極め、八戸港の水揚げ量・金額が日本一を記録し、第一・第二・第三魚市場は全国の漁船が集まったという。浜の景気は大変良く、飲み屋街や風俗街も発展した。北海道室蘭・苫小牧港へのフェリー航路が開設され北への玄関口となった。中心市街地を迂回する国道45号バイパスが整備され、市道の4車線の環状道路が次々と開通し、田畑の区画整理が次々と進み新興戸建住宅地や住宅団地は郊外に市街地は拡大し、市営バスは路線網を拡大し小中高校は増設を続けた。
一方で、青森寄りの天間林村(現七戸町)の上北鉱山は銅が枯渇のため閉山。また、八戸から60キロ北の六ヶ所村では新全国総合開発計画による巨大石油化学コンビナートや製鉄所を中心とした、1万7000ha開発計画は発表されたが、二度のオイルショックで完全に頓挫した。石油備蓄基地のみがつくられ、のちの日本原燃による核燃料サイクル施設建設を待つことになる。
青森県議会は東北新幹線建設に際し、八戸経由か弘前経由か決められずに結局盛岡駅止まりのまま以後八戸延伸まで20年待ちとなる。あの頃、早く決めていればとおもうと悔やまれる。
1991年に長崎屋が郊外に移転。屋内遊園地つきのラピア長崎屋が開店
1994年 年末に三陸はるか沖地震(震度6)が発生、旧市庁舎、旧市民病院に大きな被害、中心市街地のビルが倒壊し死者発生、道路の崩落、水道管破裂など多数被害
1995年 隣町にイオンモール下田が開店(現在は売場拡張し53,277平米)県南地域では最大の売り場面積を持ち、当時は大観覧車があり田んぼと山がよく見えた。
1997年 中心市街地の市民病院が郊外に移転し、いよいよ中心市街地の危機が地元紙で叫ばれるようになる
1999年 八戸臨海部の神戸製鋼の敷地にピアドゥ(売場面積25,400平米)が開店。核テナントはイトーヨーカドー、ホームセンター、のちにヤマダ電機、スーパー銭湯開店
2002年 東北新幹線八戸駅開業。北の玄関口として栄華を極める
2003年イトーヨーカドー八戸店が閉店、跡地に地元出資チーノオープン。市民映画館が開店
2009年 臨海部の八戸魚連跡地、ピアドゥの隣接地にシンフォニープラザ(現在の売場面積17,000平米)が開店
2000年前半イオンモール八戸田向店40,000平米級の建設計画が持ち上がる
当時建設中の4車線の県道八戸環状線沿い一帯の田んぼを区画整理し、中心街から八戸市民病院が移転した付近に立地計画。
市民の多くは歓喜に沸いたと思う。わざわざ隣町のイオン下田まで行く必要がなくなるからだ。
しかし、中心市街地の商業者を中心とした商工会が猛烈に反対し、当時の市長も大反対。
地元新聞の投書には、商店街関係者と思しき女性が「イオンが来たら中心街がシャッター商店街になってしまう。そんなところで祭り(八戸三社大祭という由緒ある山車の祭り)は見たくない!」などと書いていた記憶。
ほかに、市民病院の近くが週末渋滞して救急車が到着できなくなるから反対との投書もあった。
その後、市長は1期で落選し、新市長が当選し立地規制条例を制定
2012年 郊外にイオン田向ショッピングセンター開設(7000平米級)
新市長は、空洞化した市街地を再建すべく、市営の箱を次々と建設。
2011年 市営のポータルミュージアムはっちが開設、中心市街地にタリーズコーヒが初出店
2016年 ガーデンテラスが竣工し市営の八戸ブックセンターが開設、Yahoo八戸センターが同ビルに拠点開設
2019年 国際大会用の屋内スピードスケートリンクが開館(中心市街地から徒歩圏の運動公園に建設)
2020年 元長崎屋跡地にDEVELD八日町が竣工 13階建で2階以上はマンション
2023年 イトーヨーカドー八戸店跡地のはっちが閉店。解体されマンションになる予定
2023年 八戸港の水揚げ量が昭和19年レベルに激減(戦後最悪水準、金額ベースで最盛期の10%の漁獲高)
2025年 青森銀行とみちのく銀行が合併し青森みちのく銀行設立予定
東日本大震災のあと、国の復興予算で約10年で三陸復興道路が完成し、県道の環状道路は大半が開通した。市内のロードサイドにはセブンイレブンも、タリーズも、コメダ珈琲も、スタバもできた。新しいスーパーやホームセンターがあちこちにできた。
中心市街地は市営の観光施設や屋内広場、箱物と、市営書店ができて大変モダンな空間になった。
地元商工会議所は、中心市街地活性化のために、巨大イオンモール進出を阻止に成功し、街中に新たな商業施設として、ローソンとファミマが合計6店舗できた。モスとドトールしかなかった街中にタリーズができた。
しかし、市経済の低迷も相まって中心街へ商業施設誘導を果たせず、三春屋とチーノは閉店し、今やさくらの百貨店が残るのみである。かつての商業ビルはマンションへ建て替えが進む。
商業地としてのポテンシャルが低下してマンションになるのであれば、郊外に予定通り40,000平米のイオンモールを建設してもよかってのではないか。
結果、GMSは衰退し臨海部のヨーカドー八戸沼館店は閉店。後継テナントは未定で、市民は1991年開店の江陽のラピア長崎屋と、臨海部のシンフォニープラザ、2012年開店のイオン田向(リテール)のみになる。
よく巨大郊外型モールが撤退したあと社会問題になるため開発抑制が必要だという。都市計画的には正しいが、近隣県を含め広域自治体レベルで規制誘導しない限り、一自治体が規制をかけても無意味だった。
結局、市民は1995年以降、隣町のイオンモール下田まで行き、買い物客が流出し続けた。
中心市街地の地権者はコンビニ6店やマンション1棟やホテル2棟をオープンさせたが、新たに集客力のある商業施設を建てたては言えず、中心市街地の魅力向上のため、市営の文化的施設の建設に資金が投入され続けている。
2050年までに、八戸市の人口は社会保障人口問題研究所の推定で14万人台になるとしている(最盛期より10万人減少する)
人口減少社会は、かつての拡大した市街化区域を減らし、都市軸の再形成、まちなか居住、コンパクトシティの形成、魅力ある歩いて暮らせるまちづくりをするなど、さまざまなメニューがあるものの、あまりにも中心市街地再興への道のりが長すぎる。その過渡期に過ごす市民は、これからもイオンモール下田に通うことにになる。
せめて20年前に八戸市や市商工会議所は、イオンモール立地に反対しなければ、あの長い行列をつくりバスを待つ市内の高校生たちは、自転車でいける距離でイオンモールに遊びに行けただろう。
のれん坊
『のれん坊』(のれんぼう)は、2005年に関西テレビ(カンテレ)で放送された連続テレビドラマである。主演は広末涼子と西田敏行。阪神・淡路大震災から10年経った2005年に、その震災を題材に製作された作品だ。全10話。
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災とその後の生活を描いた家族ドラマ。被災地の町で営々と暮らす一家の姿を通して、震災による苦難と人々の絆、そして立ち直っていく強さを綴っている。
第1話 - 1995年1月17日未明、兵庫県南部を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生する。
第10話 - 1年後の1996年1月、内海家は仮設住宅から新居へ移り、新生活が始まる。
受賞