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はてなキーワード: 中学とは

2024-07-26

anond:20240726212046

男の子のほうは高校の頃あんな感じの人いたなとは思った。無理矢理であそこまではしなそうだけど、振った後のところはああするかもというか、ある種懐かしく思った…

女の子のほうは分からない。あんな感じの子たかね…。中学までカップル全然見なかったし、男女比の偏りのある高校に行ってたかカップル自体レアだったし、その後は見はしたけどそういう人とは接点薄かったしで、分からん想像つかん…

どのコマが一番かわいかっただろうと思ったけどどのコマかわいい。横髪が垂れ耳みたいに厚みのある髪がすごくいいと思う…

話は誰も得してなくてよくないけど…

ネット民はなんでそんなに弥助問題にこだわるの?

から、どんな分野でも、トンデモを言い出すやつがいトンデモ説が一般に定着するなんてありふれてるじゃん

エセ科学界隈なんてまさにそれ

中学高校範囲教科書読むだけで明らかにおかしいってわかることでも、一般の人は疑わずに信じてちゃってたりするじゃん

そういう内容って、専門家研究者は、いちいち否定するのも馬鹿らしくて基本ノータッチだよね

だって中高の教科書レベルの間違いだよ?

専門家が突っ込むレベルじゃないよね

「はあ、教科書読みはったらよろしいわあ」以上のこと言えないし、言う気も起きないよね

でもたまーに、ネット民は何が気に障ったか、怖いくら固執しだすトピックがたまにある

専門家がアホらしすぎて口をつぐむような話でも、ネット在住の素人たちが大合戦しだす時がある

弥助問題ってまさにそれだなあって思う

俺は素人から何も知らないが、弥助なんて教科書に載らないどうでもいい人物なのにどうしてそんなこだわるかわからない

そして聞くところによると、文献に残っている記述も、ほとんど何もわからないような数点しかないらしいじゃない

何をどう話したってファンタジーだし、「ある」も「ない」もファンタジーな話じゃん

そんなファンタジー合戦によくそこまで情熱燃やせるなと

みんなエセ科学ファンタジー健康被害出ても興味ないのにさ

黒人奴隷どうこうもファンタジーで、あるかもしれないしなかったかもしれないじゃない

そういうファンタジーで誰かを貶めようとするのなんてこの世界日常じゃん

ファンタジーしかできない分野の歴史解釈に正しい史観みたいなので対抗しようとすんのもバカらしすぎるし、それもファンタジーじゃんって思う

興味あんのは歴史的事実ではなくて、党派性から来る自分名誉不名誉だけでしょ

それは政治バトルだよ

政治バトルが本来することなんだろうに、青筋たてて歴史バトルしたがる素人はまじで変な奴らだなって思う

中学生の時「盲亀の浮木」が流行語になった

中学時代、詳しいきっかけは忘れたが「盲亀の浮木」という故事成語を知って、

なぜか妙にツボにはまって友達4人くらいの間で会話の中で無理矢理盲亀の浮木を組み込むことが流行した

「そんなん盲亀の浮木やろ~」とか言い合ってゲラゲラ笑ってた

ちなみに流行は数日ですぐに終わった

公立中学同窓会行ったら、独身負け組っぽい奴が全員ゲームしててドン引きした…何でいい歳してゲーム現実逃避してるんだ?

先週、地元公立中学同窓会に行ってきた増田(32)だけど

結構みんな結婚してたけど何人か独身のやつがいてた


独身の中にも32にもなってアルバイト派遣とか非正規とか責任感のない仕事をやってる男たちがいてたんだけど

そいつらが揃いも揃ってゲームの話をしてた


どのゲームキャラかわいいとか、

声優がどうとかそういう話ばかりしてた

(ただ、東京ゲームショーに行ったとかE3に行ったとかゲーム好きなら行くイベントには行ってないようだった)


既婚者の同級生や正職で働いている人たちは皆怪訝な顔してたわ


何で底辺ってゲームを好むんだ?

ゲーム現実逃避するより勉強するとか資格をとるとかしたほうが良くない?

anond:20240726101737

ただの老人ヘイト子供大事っていうテンプレ適当に騒いでるだけでなんも考えてないよ

つーか「小学6年生は走り回って他人にぶつかるのが当たり前!」ってどんなキチガイ子供時代を過ごしてたんだよ

それで中学生になったら「公立中学動物園!」って動物はお前だろと

「婆がグラウンドにいるのが悪い!」って婆が子供の目の前に瞬間移動してきたとでも思ってるのか?

それとも学校グラウンドが6畳くらいしかないと思ってるのか?

学校グラウンドから子供ババアにぶつかるのは当たり前ってどんな状況を想定してるのか理解不能すぎる

それでも「グラウンドから6割減殺」ってめちゃくちゃ小学生ってことに配慮された判決だと思うけど何が理解できないんだろうな

2024-07-25

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人生公立中学まででしかたことのないようなお猿さんたちの精一杯の虚勢が流れてきてすごい🥺

ふと思い出したので書いてみる。

中学一年の時、クラスいじめられている子がいた。

彼女はいつもオドオドしていて、なのに変なところでスイッチが入って突然怒り狂うような人だった。

クラスから距離を取られ、無視もされていた。

◯◯菌が感染るなんて扱いもされていた。

私は彼女と関わらないようにしていた。

ある日、彼女が筆記用具を忘れて困っていた。

みんな気が付いていたが、ヒソヒソと囁き合うだけで誰も助けようとはしなかった。

彼女の隣の席であった私は、筆箱に入っていた使い古しのシャーペン彼女に渡した。

さなくていい、とだけ伝えた。

彼女はお礼を言い、その後度々私に話しかけてきたが、それらは全て無視した。

彼女がいない場所で◯◯菌のついたシャーペンなんか返してもらいたくないでしょ、と笑った。

その日の夜、彼女母親から家に電話がかかってきた。

彼女母親は、彼女友達から何かをもらうのは初めてなのだといたく感激した様子だった。

お返しをしたい、などと言われたが丁重お断りした。

正直に言って、気味が悪かった。

古いシャーペンを渡しただけでわざわざ母親からお礼の電話なんて。

なので、私はそれ以降も彼女に関わることはしなかった。

二年になり彼女とはクラスが変わり、その後彼女不登校になったと聞いたが、私は別に何も思わなかったし、今の今まで思い出すこともなかった。

私はあの時もっと関わって、彼女に手を差し伸べるべきだったのだろうか。

anond:20240725013052

いつもズレたこといってハブられてるやつ中学時代にいたなあ

2024-07-24

https://anond.hatelabo.jp/20240724100000

パートナー間のジェンダーバランスは、男女間でも似たような悩みがあって、

たとえばうちは妻がフェミニストで、苗字も別で、どちらかといえば「意識が高い系」かもしれないが、

それでも、男の自分が「伝統的な」男の仕事役割を担っているところがある。

まず力仕事。そして、お金は基本自分が出し、妻は補助的な負担のみ。

炊事洗濯掃除は私がするけれど、学校対応は妻の方が周囲受けがいいし、

本人も楽しんでいるので、子ども中学にあがるあたりで、自分子ども学校とは没交渉になってしまった。

最初は、フェミニストならお金家事もフィフティフィフティの分割を目指すもんじゃないの? と思ったけれど、

結局、妻と夫、それぞれがひとりの人間として向いていること、できることに落ち着いた。

損をしていると思わないことはないが、妻の体力や経済力では難しいこともあるので、納得はしている。

結果として、互いにリスペクトがあり、互いに困っているときカバーできれば、

表面上・金銭上・家事負担上の「公平」や「同じであること」にこだわらないほうが、

長続きするバランスに落ち着いたり、内面自由であるように思ったりする。

anond:20240724073250

この「降りてもいいよ」って

「辛いなら中学行かなくてもいいよ(ただしこのタイミング不登校になるとよっぽど強い意志リカバリーしない限り中卒無職引きこもりになって人生終わるけど)」

と同じで、他人事からこそ言える無責任アドバイスってやつだよね

2024-07-23

誰か俺のミソジニーを止めてくれ

ここ数年で自分の中の女性蔑視がとめどなく深まっていくのを感じる

自分の中の良心性差別なんてするなと言っている けど止まらない

過去を振り返っても尊敬できる女がいない 男はたくさんいるのに

小学校時代の学級裁判中学の時のイジメ、全部女がやってた

高校でも女はみんな成績悪かった 大学だと女がしょうもないことで騒ぎ立てて団体運営邪魔された

職場にいた女の先輩は頭は良かったが、徹頭徹尾利己的な奴だった

今日も、女児暴行犯人に対して懲役六年の判決を下した裁判官が感情的に叩かれているのを見た

検察の休憩が7年で、ほぼ満額回答だと言うのに

まじで止まらん 誰か助けてくれ 女が信頼に足る生き物であることを納得させてくれ

ユーフォ3期の改変が許せない理由

先日ユーフォ3期を一気見したが、未だに12話の改変が受け入れられないので、気持ちの整理のために筆を取った。


まず、自分ユーフォを長年追い続けてきた理由は、自分自身の抱えるニヒリズムシニシズムと深く結びついていると思う。

要するに、青春に大層な意味などないという気持ちであり、死が確実に訪れるという事実から人生空虚さを抱く感情だ。


中学時代吹奏楽で全力を尽くせなかった久美子が上手くなりたいと強く願う姿に、自分の中にある人生への空虚さを慰めていたわけだ。

そういった中で、久美子の努力吹奏楽という枠内で報われる原作の結末には、自分の中にあるシニシズムを和らげる効果があった。


一方で、アニメでは吹奏楽の結果で報われるのではなく、久美子の人間的成長が物語主題となっている。

人生アナロジーによってユーフォ3期を再構成すると、これまでの努力結果的に報われなかったけど、正しく生きていれば来世では報われるかもねwという話として映るわけだ。

とんでもない話だ。こんなものを受け入れるわけにはいかない。


青春人生意味価値存在しない。

しかし、無価値である青春に全力を注ぎ、その中で報われることにこそ、私は価値見出してきた。

青春は、大人へ成長するためのイニシエーションではない。

なぜ親を介護しないといけないのかがわからない

母親ボケた。

金がないか通所介護は週2回くらいしかできない。それ以外はずっと家で二人きりだ。

遅くなると癇癪を起こすから仕事も必ず定時上がりにしてもらったが、その代わり部署異動になった。

私は営業仕事が好きだったし営業仕事しかしてこなかったので新しい総務人事部という仕事にいまだに慣れない。昼に家に帰るのも負担だ。家では母の面倒を見、会社では慣れない仕事にあたふたあたふた。ストレス10ハゲ2個できた。

腹が減ったと言うから飯を用意したら食わないといい、味が薄いというから塩を足したら濃いといい。自分が言ったことも忘れて怒り出す。夜中に起き出して騒ぎ出すし、近所からの苦情も絶えない。

毎日毎日こいつはいつになったら死ぬんだと思いながら向き合っている。

 

なんで私がこいつを人生かけて介護しないといけないんだ。

母とは折り合いが悪く18で家を出て、社員寮があった今の会社就職した。高校の時からバイトをし、15から小遣いをもらったことはない。つーかそれ以前にももらった記憶がない。

当然、親からの出発金なども一切なく、これまで親戚からもらっていたはずのお年玉も全額行方不明になり仕送りなどもなく、18から30まで一切親に頼らずに生きてきた。

30で父(離婚済み)が死にその葬式で母と再会し、仲直りというほどでもないが正月くらいは顔を見せ合う仲にはなった。

だがこれ、この介護はもう私の仕事ではない。

ここまでしなきゃいけない恩は私にはないはずだ。

 

赤ちゃんから中学までの面倒、高校授業料は出してもらった?

そんなもん、あいつらが勝手に私を作った責任を果たしただけだろうが。

親は子供を産むことで自分人生が歪んだ。介護の間くらい自分人生が歪むことも受け入れろ?

嫌なら最初から作るな。私が一度でも頼んだか。お前らが勝手に歪んだだけだろうが。何恩着せがましくしてんだバカらしい。

勝手に作って勝手に歪んで、自分調子が悪くなったら面倒を見るのが当然という風潮が理解できない。

全く理解できない。

この幸せを願わない親はいないというなら、こうなるまえにさっさと死んでおけよ。

 

私のために何も残さなかったこゴミのために今私は、私が積み上げてきたものを切り崩しながら生きている。

これが終わったら、終わったときに私には華々しい人生が待っているのか?ないじゃん、なにも。

なぜ親を介護しなきゃいけないんだ。

自分人生の面倒くらい自分で見てくれよ。今すぐ死んでくれ。

2024-07-22

子供をチー牛にさせないために、ガチアニオタ自分がチー牛にならずになぜモテたか再考

中学の頃はラノベ深夜アニメにハマっていて

ガチアニオタだったのにモテた。

正直かなりモテ告白もよくされた。

ちなみに体型はヒョロヒョロ。

まじでチー牛。

ガチアニオタなのになんでって今更思ったわけだけど

おそらくだけどサッカーをやっていたからじゃないかと思う。

毎日サッカーやっていて運動神経もかなりよかったと思う。

運動にというか肉体的に自信があるとどうも男から見てもこいつ趣味アニオタだけどなんか違うってなるっぽい。

高校男子校なので一才モテず。

大学に入った途端にまたモテる。

高校美人と評判だった子たちとなぜか付き合えて別れたりしてた。

会社に入ってからモテた。結婚たか女の子の誘いにはのらなかったけど。

思い返すと高校の体育でテニスをやっているとき相手になんか強そうな雰囲気があると言われたことがある、たぶん運動に関して自信があって雰囲気に出てたんではないか、なおテニス初心者

女の子には積極的アプローチする、ダメでもアプローチしまくる。若い積極性があればなんとかなる。

遠慮はダメ

ということでやっぱりチームプレイ重視のサッカー子供をチー牛にさせないのにかなり有効だと思ってる。

アニメはまだ趣味として大丈夫だと思うけど、ソシャゲ絶対ダメな気がする。ソシャゲはチー牛製造機、子供には絶対やらせない。据え置き機ゲームなら自由にやって良し。

自分の息子もサッカーやる予定。

2024-07-21

ウォーク左派ジジェクファンによる、ジジェクへの反論

https://anond.hatelabo.jp/20240721230541

上記ジジェク記事への反論記事

ジジェクは道を誤った / メラニー・ゼルMelanie Zelle [スワースモア大学学内新聞『スワースモア・フェニックス』の編集者] ※削除済

2023年3月2日

ttps://web.archive.org/web/20230303073524/https://swarthmorephoenix.com/2023/03/02/zizek-has-lost-the-plot/

 

私が哲学に興味を持つようになったのはスラヴォイ・ジジェクのおかげである

彼の著書『終焉時代に生きる』と『パララックス・ヴュー』に偶然出会い中学2年生の私が苦労して読み進めたこの本が、

彼の他の著作に興味を抱かせるきっかけとなった。

ジジェク文章は、彼が即興でする賛美のすべてにおいて、素晴らしく説得力があると私は感じた。

 

本棚に積まれ1000ページにも及ぶ矛盾の山に憤慨しながら『Less Than Nothing』を読み通したのは、高校時代に果たした偉業だった。

私は、ジジェク長編作品の論旨を理解できるかどうかで、自分知的価値を測るようになった(現在ほとんど理解できないが、以前はまったく理解できなかった)。

 

それだけに、現代政治文化に関する最近記事で、ジジェク非難するのは心苦しい。

しかある意味で、ジジェクと私の関係は、彼が何について間違っているのかだけでなく、

なぜこのような著名人が、あのように明らかな知的陥落にはまることができたのかを理解しようとする上で、

有利なポジションに私を置いていると感じている。

 

私の怒りの主な対象は、先週発表されたばかりのジジェクエッセイである

そのタイトル「Wokeness Is Here To Stay」は、たぶん私がそれほど警戒するものではなかったと思う。

 

ジジェク哲学は、ヘーゲルラカン(そしてフロイトも)、そしてもちろんマルクスへの愛着からオーソドックスな、ほとんど伝統主義的なものと特徴づけうる。

他方で世間一般におけるジジェクペルソナは、意図的に培われたものだと私は主張したいが、ディオゲネス挑発者であり、象徴破壊であるが、自分勝手ものではない。

ジジェクのこうした面が、彼の論文や公開講演会、そして彼の知的活動への、より親しみやすい影響を及ぼしているようだ。

 

したがってジジェクが、クリックした人々が眉をひそめるようなタイトルを選んだことを読んでも、私は驚かなかった。

 

私は、ジジェクお気に入りトリックひとつである正式哲学分析範囲外と考えられている文化の側面を選び出し、

喜びを感じながらそれを切り裂くことに慣れてしまっていた。

(ある講義では、カンフー・パンダについて論じており、また別の講義では、ヨーロッパ各地のトイレ特殊構造が、

ポストイデオロギー的なポストモダニズム世界概念に対する究極の反論となっている)。

 

ほとんどの場合ジジェクの指摘は最終的に重要であり、さら重要なのは、彼の広範な哲学のいくつかの要素について、面白おかしく、

しかし(おそらく結果的に)効果的に紹介者の役割を果たすことである

 

そして一見したところ、"Wokeness Is Here To Stay は同じ公式に従っている。

トランスジェンダー権利をめぐるスコットランド政治的混乱からまり、他の現代政治問題にも触れ、最終的にはフロイトラカンへの言及で締めくくる。

しかし、このざっくりとした読み方は根本的に間違っている。

 

表面下に潜む構造的な違いを無視しても(これについてはまた述べる)、この作品には、ジジェクのいつものトーンとは正比例しがたい苦渋が感じられる。

これは、私の最大の関心事である彼の議論の内容については言うまでもない;

 

ジジェクは、スコットランドにおけるトランスジェンダー権利をめぐる、最近政治論争をめぐる議論について、記号論的な分析を行っているわけでもなければ、

正確に他の多くのことと結びつけているわけでもない。

 

結局のところ、ジジェクは皮相な哲学手法とともにただ単に政策論争に参加しているだけであり、遺憾ながら完全に間違っている。

ジジェクは、過去10年間にリベラル知識人全体に伝染した観を呈するトランス医療をめぐるパニックに陥っている。

 

ジジェクのいつもの懐疑論は、ここではいもの懸念荒らしconcern trollingの再現に留まる。 ジジェクはこう書いている:

 

  「思春期ブロッカーは、タヴィストックでの診察に送られたほぼすべての子供に投与された。

 その中には、性的指向がはっきりしないという誤診を受けた可能性のある自閉症若者や、問題を抱えた若者も含まれていた。

 言い換えれば、医学的な性別移行を望むかどうか判断できる年齢に達していない脆弱子供たちに、人生を変えるような治療が行われていたのだ。

 批評家の一人が言ったように、『性別の悩みを抱える子供には時間サポート必要である。あとになって後悔するかもしれない医療措置に進むよう仕向けられるべきではない』 」。

 

この一節は疑問を投げかける。ジジェクは、その知的能力において、思春期ブロッカーが何であるかさえ知っているのだろうか?

 

ジジェク引用の使い方は、この作品の中で頻繁に行われていることから特に明らかであり、すでに示唆されていることを裏付けている。

実際、彼が引用したガーディアン記事を読んでいれば、上で引用した段落修正できたかもしれない。

 

ジジェク引用した記事の上の行には、"異性間ホルモンは16歳からしか処方されず、専門家によれば思春期ブロッカー不妊の原因にはならない "と書かれている。

したがって、このスロベニア人知的怠惰恩赦を与えることもできない。 これは純粋で単純な不誠実さであり、危険形態である

 

さらにひどいのは、ジジェク記事の冒頭で取り上げた最初文化分析対象である

コンパクト編集部がありがたいことに、ページをスクロールすると引用文が表示されるようになっているのだ(まだ彼の論調を十分に理解していない人のために)。

 

それはこうだ: "女性だと自認する人物が、ペニスを使って2人の女性レイプしたことを我々は知っている"

 “We have a person who identifies itself as a woman using its penis to rape two women.”

 

ジジェク言及しているのは、アイラブライソンの事件である

 

この有罪判決は、スコットランドにおいてレイプ有罪判決を受けた史上初のトランス女性となり、

トランスの人々に対する「懸念」を持つすべての人々にとってのロールシャッハテストとなった。

 

ここでジジェクは、基本的事実認識が間違っている。ブライソンの性別移行の時系列を誤って伝えているからだ。

 

さら問題なのは、読者を煽動するために、本質化するような言葉を使い、さらに誇張していることである

(「ペニスを持ったレイプ犯が、囚われの女性たちと刑務所にいる」という表現が思い浮かぶ)。

 

ブライソンを「彼he」、そしてさらに厄介なことに「それit」と、ジジェク性別を間違えて表現することに固執するのは、

ジジェクトランスアイデンティティ尊重することを、裁量に任された、善行次第のものだと考えていることを示唆している。

 

ジジェクはこの論文で、控えめに言ってもトランスフォビックtransphobicだ。

 

しかしそれ以上に、ジジェクは退屈で、独創性がなく、不誠実で、怠惰である

彼はトランスの人々について、『ガーディアン』紙や『ニューヨーク・タイムズ』紙の同様の記事からは得られないようなことを何も書いていない;

 

この時点でようやくジジェク哲学について語るかもしれないと思うのも無理はないが、残念ながらそれは間違いである。

 

記事の次の部分はさらに長く、さら面白くない。『コンパクト』誌に掲載された別の記事宣伝である

(中略)

 

で、どういうこと? なぜジジェクはこんなことを書くようになったのか?

 

その答えは、対立的でありたいという彼の誤った願望にある。

彼は、この作品の中で他者が陥っていると彼が非難する事柄に陥っている。すなわち、自分を悩ませる他者を、自分自身の中で勝手に思い描く罪を犯しているのだ。

The answer lies in his misplaced desire to be oppositional. Ironically, he is guilty of the thing he accuses others of falling prey to within the piece, that of envisioning for himself an Other that haunts him.

 

 [ジジェク]「要するに、ここにあるのは、政治的に正しい突き上げと、金銭利益残酷計算との最悪のコンビネーションなのだ。 」

 

思春期ブロッカー使用は、[ジジェクによると]"目覚めた資本主義 "のもうひとつの事例であるとされる。

 

ここでジジェクは、ジャニスレイモンドの1979年の『トランスセクシュアルの帝国』に端を発する、トランスジェンダーの人々が選択する様々な処置や療法は、

製薬企業にとって重要経済的利益をもたらすものであるという、一見したところ長年にわたる議論に訴えかけている。

 

そうすることで、救命医療へのアクセスを容易にするべきだと主張する人々を、自分たちの身体をめぐる現実物質的な対立のために戦うのではなく、

資本の側、つまり極悪非道個人の側にいる人々として捉え直すことができる。

 

バトラーフーコーを読んだことのある人物が、このように書くことができるのは、こうした運動が誰のためになるのかという、権力についての混乱がジジェク盲目にさせているのだ:

 [ジジェク] 「性的混乱に「異常」なことは何もない。「性的成熟」と呼ばれるものは、長く複雑で、ほとんど無意識プロセスである

 それは激しい緊張と逆転に満ちている。自分の心の奥底にある「本当の自分」を発見するプロセスではない」。

 

作品全体と同様、これはジジェク特有哲学プロセスといううわべに包まれたいつもの本質主義と、トランスフォビアtransphobiaである

この最終的な帰結は、英米トランスジェンダー物質的な生活にすでにダメージを与えているヒステリーhysteriaの波に、ジジェクお墨付きスタンプを押したということだ。

 

ジジェクは、社会の変化に懐疑的ジャーナリスト知識人瘴気miasmaの中に紛れ込んでしまたかのようだ。

これはポストモダンの懐疑主義に非常に批判的な人物から出た究極の皮肉である

 

過去思想家からの豊かな引用を悪しき議論隠れ蓑に変え、気まぐれさを苦味に変えてしまう。

 

私たちにとって悲しい日であり、多くの意味ジジェクにとっても悲しい日である

 

ジジェク豊富理論的な著作の中で最高のパフォーマンスを発揮し、ここでは最悪のパフォーマンスを発揮している。

このエッセイを読むと、あなたは感じ取るだろう。少なくとも少しは彼がそれを自覚していることを。

[終]

2024-07-20

anond:20240720215242

そんなの中学のうちだけじゃない

30すぎると嫁との関係保つために疲れててもしゃーなくセックスして奉仕活動みたいになるもんだろ

暇空茜、中学の途中で父子家庭になり父親から家庭内暴力がひどくなり性的なことも監視され

高校生の時に反撃して父親を刺したら虐待が止まるも

性的行為は悪という価値観根付いており、はじめて自慰をしたのが親元を離れて18歳になった時

やっぱ性的抑圧はだめなんだわ

野放図に認めるのはもちろんだめだが、自己処理の自由は与えなきゃ狂う

夏だな

近所の中学のクソガキどもがYMOライディーンを流しながらバイクを走らせる。

俺の時代エレクトリカルパレードだった。

でね、俺は思うわけよ。

本当のロックとは、音楽を一切聞かないことじゃないかっとね。

なぜなら、ロック社会迎合せず、反骨精神表現することだとするならば、音楽を聞くこと自体社会迎合していることとなり、その精神に相反するわけで、

一番多感な時期である中学高校と一切音楽を聞かなかった……そう俺こそが、…いや俺の生き方こそがロックじゃないのかと思うんですよ。

中学の時、朝にパン買って昼に食ってたけど

公立中学で、家から弁当持ってくるスタイル学校だったんだけど

弁当作らない家だったか

通学途中にコンビニパンおにぎり買って昼休みに食べてた

弁当ない子は皆そうしてたと思う、クラスの4割ぐらい?そんなんだった

今考えると衛生的にまずかったんじゃないかあれ

朝に買ったサンドイッチを保冷剤無しで教室に置きっぱ、昼に食べる

クーラーもまだ教室になかったし よく痛まなかったなと思う

でも今の子はどうしてるんだろ

俺の学生時代より気温はかなり上がってるしヤバいんじゃないの?

給食制の学校が増えたとはいえ多分弁当学校もまだあるよね?てか弁当の子ヤバいよね

おじさん心配なっちゃ

2024-07-19

高校受験のみならず中学小学なんなら幼稚園からお受験して勉強できる集団に入ろうとするのは勉強できない馬鹿がいない環境を作るため

学生時代親の金教育でそこに入れたけど、社会人になってもその選別は続く

イヌみたいに吠えてサルみたいに暴れる人間相手にしなくて良い仕事を選ぶ事で平和人生を送りたい

なのでイヌサルと遭遇する頻度が高い仕事嫌厭される

まりはそれが底辺

なんのために勉強するの?って聞かれたらイヌサル人生を引っ掻き回されないためって教えるだろうなあ

ブサイクモテている(?)のを見てイライラするのは嫉妬ではない

先日実家帰省中に昔の写真を見ていたら、小6~中1の自分写真が出てきた

見るからにチー牛だった

特に目が切れ長タレ目デブだった

今はコンタクトレンズをつけており体型も中肉中背でファッションも気を遣っている

毎日運動もするので体格もよくなっている

何より目が全然違う 腫れぼったいのは変わらないが中学の時にマッサージしていたおかげで二重になっていた

高2あたりからずっとモテていてもう10年ぐらい経つが

それを昔の写真をみてそんな時代があったことを思い出した

から未だにブサイクモテている様を見ると許せなくなる感情があるのかな

心のどこかで「自分ブサイクであることそのものから脱却したのに」という気持ちがあるのかもしれん

あとは自分容姿にも厳しいから男女ともに見た目には厳しい

しろ女は膣があるからルックスそこまで気にしてなくて、それがない男に対するルッキズムが激しい気がする

チー牛いじりだってめちゃくちゃするけど自分がチー牛であることをすっかり忘れてた

どこかで自分卑下して回避しようと思わん限りは脱却できないよ

からチー牛どももチー牛脱却に本気出せばいいと思うよ

チー牛は甘え

プレイ内容がハードならロリから熟女ガチゲイからショタBL、ケモホモまで行けるけど、それで思うのは女が言う「こんな体型もいい女がいるか夢みんなボケ」って奴、そのままカウンターに使えそうだなと思った。

腕や足がすらっと細いとか、逆に腕も足も太いレスラー体型、あまつさえふっさふさのケモなのに陰影はっきりつくようなシックスパックがあり得るか夢みんなボケ中学以上でムダ毛陰毛が一本も生えてないつるつるすべすべもファンタージだ。俺等に現実を見ろと言うなら、お前らだって同じように現実見ろ。腹はたるんでるし、毛は生えている。

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