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2017-08-18

中学時代の友人と会った

今誰がどこに勤めてて、誰と結婚して、子供幼稚園で一緒で的な話

それはそれで懐かしい気持ちになるんだけど、なんかもういいやって気持ちになった

噂話の域を出ない

例えば市役所に勤めたんだったら、そこでどんな仕事してて、それが地域にどういう影響を与えるとか

幼稚園の話だったら、今の幼稚園はこんな仕組みになってて、時代を感じるとか

その話を第三者にしてもそれなりに興味を持つ話になってない

AとBが結婚しました、以上オワリ、ってAやBを知らない人にはなんの興味もない

こうやって縁が切れていくんだろうが、まあいいや

2017-08-17

偏食について

自分は偏食が激しい。

詳しくは書かないが一般的料理によく使われるような食材でも食べられないものが多い。

「食べられない」というのは飲み込もうとするとえずく、最悪後で吐いてしまレベルの「食べられない」だ。

特にアレルギー等といった診断は受けていないが、幼少期からずっとそう。

よく子供好き嫌いは親の躾けが悪いという意見も聞くが、

別段甘やかされたとも厳しくされたとも思っていない。

母親料理が好きだったので食卓に並ぶ食材レパートリー豊富だったし、

基本的料理を残すのはやはりNGだったので嫌いな食材があっても頑張って食べていた。

ただ、母親の方も嫌々食べているのを見るのは辛かったらしく、

中学に上がる頃には自分の分の食事から特定食材だけ予め抜かれるようになった。

この時点で頑張って苦手なものを食べ続けることを辞めなければ、

今では好き嫌いのない立派な大人になれていたのだろうか。

ちなみに離乳食の段階で色々なものを食べさせるのが重要という説もあるが

現在苦手な食材離乳食でもよく食べさせられていたらしい。

そういうわけで、どうも理由が分からないまま

結構な偏食家として大人になってしまった。

料理を残したり、選り好みすることが人を不快にさせるのは

理解しているので、極力他人との食事は避けているし、

苦手な食べ物を人に教えることはあまりしない。

ある時は「頑張って克服しよう」と言われ、

どうにか数ヶ月ほど食べ続けたこともあったが、全く克服出来なかったので諦めた。


色々と思い悩んでいたんだけど、最近になって、食事好き嫌いってそこまで悪いことなんだろうか?と思う。

よく偏食の人間に対する意見として「わがまま」というのがある。

食事にありつけるのは有り難いことであるという前提がまずあって、

それを蔑ろにしているから「わがまま」なんだろう。

自分も流石に飢餓状態であれば目の前にあるのが苦手な食材であっても迷わず齧りつくと思う。

こういう都合の良さが「わがまま」なんだろうということは、理解できる。

要するに、食物に対する不誠実さ。感謝の足りなさ。

その前提を理解した上で、これは現代社会に対して、

食べ物がいつでも手に入る恵まれ環境で育った生っちょろい贅沢な若者意見だけど、

味覚って、視力とか、嗅覚とか、聴力に並ぶほど千差万別もので、

しか眼鏡みたいに矯正する術がほとんどない。

目が悪くても、耳が悪くても「親の教育が悪い」という人は偏食に比べたらあまりいないだろう。

(たまにいるんだろうけど)

味覚に関することだけ、家庭環境否定人格否定が当たり前になってくるの、結構辛いと思う。

好き嫌いのない人が羨ましい。


余談だけど、偏食の人間が疎まれ理由として、

人が美味しいと思っているものに対して平気で

「それ嫌い」「よく食べられるね」という言葉を投げつける人が

結構いるっていうのもあると思う。

自分たちの首を絞めているから、やめような!!

臆病な祖母

ここ数日、祖父母の戦争体験を語るエントリが多くあったので私も思い出した。

こわがりな祖母が聞かせてくれた沖縄戦の話

祖母沖縄県中部農村に生まれた。物心つく頃には労働力として畑にかり出され、毎日サトウキビの世話をさせられたらしい。

毎日畑と学校と家の往復で忙しかったけれど、それなりに楽しい幼少期を過ごしたそうだ。

だが中学入学したあたりでそれまでの環境が一変した。

突然学校ウチナーグチ沖縄方言)を話すことを全面的禁止されたのだ。ウチナーグチ本土人間からすれば全く何を言ってるのか分からない未知の言語であるため、

こんなもの日本語と認めるわけにはいかん、正しい日本語を身につけさせお国に尽くす青少年を育成せよとのお達しが来たのだ。

日常会話の全てをウチナーグチに頼ってきた当時の子供たちはかなり戸惑ったそうだ。ウチナーグチポロっと出ただけで教師に襟首を掴まれ

ほかの生徒たちが見守る中で厳しい体罰を食らわされた。三度の飯よりお友達とのおしゃべりが大好きだった祖母もこれには相当参ったらしい。

祖母は本人曰く「とてもこわがりな性格」で、痛い思いをしておまけにみんなの前で恥をかかされることが本当に恐ろしかったんだそうだ。(ほとんど毎晩うっかり方言を喋ってしまいみんなの前で叩かれる悪夢にうなされるレベルで)

そんなこわがりな祖母一生懸命練った苦肉の策が「学校では必要最低限の返事しかしない」というもので、なんと「ハイ」「イイエ」「ドウモアリガトウ」の三語だけでどうにか一年乗り切ったというから驚いた。

しかしそんなしみったれ学校生活も長くは続かなかった。ついに米軍沖縄本島上陸する。

祖母家族とともに近所のお墓(沖縄のお墓はむちゃくちゃデカい。納骨のスペースが6畳くらいある)に逃げ込み、息をつめながら爆撃が早く止むようひたすら祈ったそうだ。

毎日「悪いようにはしない、県民大人しく投降せよ」という米兵のつたない日本語が遠くから聞こえてきたが、それだけはすまいというのが狭い墓で身を寄せ合う家族の総意だった。

米兵捕虜になれば男子死ぬまで肉体を酷使され、女子は野獣のごとき米兵に陵辱され、妊婦は腹を八つ裂きにされて殺されるという噂が流れていたかである

現在であれば噂の発生源を辿って真相を確かめ手段いくらでもあるが、当時は噂の真偽を確かめる術がなかったため、「米軍に捕まったら死ぬより恐ろしい目に遭う」という噂は共通認識となって島中に広がった。

毎日から何千発もの爆弾を投下し、無抵抗な島民を次々に殺戮する米兵の姿は噂の信憑性を補うのに十分だったことだろう。

ガマ(洞窟)や墓には日本兵も隠れていた。

米兵はまず、人が潜んでそうな場所を見つけると、外から拡声器を使って投降を呼びかける。

しばらく待っても返事がない場合手榴弾を投げるか、火炎放射器を使って中を丸焼きにする。わざわざ日本兵が潜伏しているかもしれない場所に入って危険をおかす必要はないというわけだ。

この方法で多くのガマに逃れた民間人が殺された。「こわがり」な祖母は、この火炎放射器がとにかく、とにかく恐ろしかったらしい。狭く蒸し暑い空間家族ごと炙り焼きにされる恐怖というのは、想像を絶する。

このまま墓にずっと身を潜めていてはいずれ火炎放射器で焼き殺される。かと言って捕まれ死ぬより恐ろしい目に遭う。自決が一番マシな選択に思えた。

米兵が墓の前まで来たら自決しよう」家族は話し合って決めた。

何日か経ってとうとう米兵が墓の付近うろつきはじめた。

ここから驚愕の展開なのだが、なんと祖母は「おーい!」と叫んで外の米兵に助けを求めたそうである

死ぬ覚悟はとうに出来てたはずなのに、なんであの場で声を上げたのか自分でも皆目分からないけれど、強いて言うなら「土壇場で死ぬのが怖くなった」らしい。

もうほとんど無意識だったに違いない。頭が真っ白になって、気付いたら家族と一緒に米軍バンに乗せられていたらしい。

祖母が声を上げたおかげで結果的家族自決を免れたわけで、収容所でしばらく荷物運びやら農作業やらやってるうちに気づいたらなんか終戦を迎えていたらしいのだ。

このへんは祖母も笑い話として語っていた。「私がこわがりだったお陰であんたたちがここにいるんだ」とコロコロ可笑しそうに笑っていた。

私も家族と大爆笑したものだが、歳をとるにつれ、祖母は本当にこわがりだったのかと疑問に思うようになった。

真っ暗な墓の中で凄絶な選択を迫られて、それでも尚土壇場で生にしがみつくことが出来るだろうか。

祖母が亡くなって10年余。この時期になると、毎年こわがりな祖母勇気を思う。

2017-08-16

なんだかんだで中学高校生活って

毎日毎日女子と同じ空間で過ごし、自分の席の近いところには必ず女子がおり、女子の会話する声が聞こえ、女子の姿を見ることができ、特別な事をしなくても女子と触れ合える機会が存在していた貴重な時間だったんだなぁ、と大人になって改めて気づいた。

というのも自分は今20代田舎の小さい中小企業に勤めているのだが、同僚はいないし、周りの従業員もみんな40代〜60代のおばさん、おじさんばっかりなので、もうめっきり同年代女の子と触れ合うどころか会う機会もなくなってしまった。

もう自分若い女の子出会う機会がある場所ってのは、コンビニ仕事で付き合いのある人に連れてってもらうキャバクラぐらいになってしまった。

から、今中・高校生の子たちは是非ともその貴重な時間を大切にして欲しいと思う。

でないと、仕事場所次第では、本当に女の子と会う機会なんてなくなってしまうし、大人になったら選ばれた人ぐらいしかいつでもどこでも女子と会えることなんてそうそう無いと思っといた方が、青春という貴重な時間大事にできると思うわ。

https://anond.hatelabo.jp/20170816193514

自信ないのはみんな一緒だけど

自信を持てって言われるのはあなたは出来るんだから自信持てばやれるよってことだと思う

本気で自信を持てって言われるようになったのは中学までの尺度ではなく学歴などの社会尺度に乗ったタイミングかと思うけど

もっとからだったんじゃないか

自分もこの前言われたわ

少し脳みそ休めてリラックスしたいけど

他人プライベートに土足で上がり込んだりこっそり覗いたり監視するのは楽しくもなければ知らない方がいい事が殆どでお互い気分害すし面倒くさいってのが中学の頃に分かったので自分はやらないが他人がしてるの気づくと不信感や不安支配欲に駆られてるのかなと思うし知らなくていい事知って嫌な気分になってもお前の勝手だし他人に態度であたったりとやかく言うのは品性が足りてないだけだからなと思う

そういえば中学高校くらいまでは戦争の夢をよく見たんだけど、大学はいった後からはとんとみなくなった

見てた夢はいつも決まって、疎開先の山奥でひもじかったり苦労する夢だった

自分子供だったからってのもあるんだろうけど

2017-08-15

https://anond.hatelabo.jp/20170815074955

あーなんか「セックスを推奨してるように読める」だけじゃなくて全体的に話が印象ありきになってるな

こちらがそちらが一番聞きたい部分にちゃんと答えられていなかった、ってのは認めるけど

そちらの

現状の教育が過剰に忌避してるとは思えない。

あんたが具体的にあげた項目は性行為作法以外全部現行の教育現場でやってるって言ってるじゃん。んでそれは流行りの同意プロセスと似たような話だと思うんだけど、コミュ力ありきで察しろみたいな記事しかないけど教育現場でどう教えるつもりなのかが俺はしりたい。

実践的な性教育って教育範疇超えちゃうよね。

このへんの発言も単なる主観の域を出てないよね。少なくとも「実践的な性教育教育範疇を超える」という増田理屈自分にはピンとこない。このまま話し合っても平行線になるし、自分意見の論拠となるデータをちゃんと提示しあって「なにを拠り所にしてそう考えるか・そう主張するのか」を踏まえ直すべきでは?

まずこちから先に提示するけど

自分意見形成過程で見聞きした情報、ないし見聞きした情報と同種の内容が掲載されているサイト。とくに「現状の性教育が不十分である」とする論拠、それから後で書く増田の「実践的な性教育セックス講習ではない」の根拠ととなっているのは1と5。

1ははてブでもホッテントリに上がるくらいブクマがついていたからもしかすると増田も読んだかもしれないけれど、この記事の中に「1990年代は熱心だった日本性教育」という項目があり、次のように書いている。

1990年代は熱心だった日本性教育

 実は、日本学校教育現場でも性教育に熱心だった時期はあった。「性教育元年」と言われた1992年からの約10年間がそれだ。1980年代エイズパニックきっかけとして、「エイズ感染予防のためにも性教育必要」と言われるようになり、学習指導要領改訂。「理科」や新たに始まった「保健」を通じて小学校段階から「性」を本格的に教えるようになった。

 流れが変わったのは、2000年に入ってからだと言われる。

きっかけは、厚生労働省所管の財団法人母子生協会が中学3年生向けに作成した冊子「思春期のためのラブ・アンド・ボディBOOK」の回収騒動だ。冊子にはコンドームの装着方法ピルの紹介などもあり、2002年頃、国会で「中学生の性行動をあおっている」といった激しい批判を受けた。冊子は結局、全面回収されてしまう。

 この当時、国会地方議会マスコミを主舞台として「過激性教育学校でまん延している」「教室性交渉方法を教えていいのか」といった批判が激しくなり、「性教育元年」と呼ばれた動きは教室から姿を消した。

 ここを読めば、現在性教育についての内容が行政の取り組みの段階から過去教育と比べて後退的であるということが分かる。また3の記事でも00年代初頭の性教育へのバッシングについての言及があり、ここでも同様の見方を取ることが出来る。

 「性教育の不十分さ」の可能性については増田自分とそれほど意見が違っていないようだから、ここはそのまま承服してくれるだろうと思う。

 次に5について。これは日本オランダアメリカタイといった実践教育を行っている国との教育内容の比較で、この中からオランダアメリカの部分を引用する。

オランダでは~(中略)~思春期を迎える前の時期から性は食事睡眠と同じように日常生活の一部であり、ごく自然で当たり前のことだと教えられます小学校によっては高学年でバナナを使って実際に避妊具を被せる実習を行うこともあるようです。

~(略)~

このように、オランダ若者は性に関する十分な知識を身につけているため、10代の出産率と中絶率が世界の中でも極めて低くなっています

アメリカでは大きく3つのパターンにわかます

○「総合性教育セクシュアリティ教育)」…性を生物学心理学社会学など多角的にとらえて1人の責任ある人間としていかに行動するかを教え、避妊妊娠中絶同性愛否定しません。

○「禁欲教育」…結婚まで性交せずに禁欲生活を送ることがいか重要かを教える教育です。

○「総合性教育禁欲教育プラスしたもの」はどちらか一方に比重が置かれる場合があります

(強調部分はいずれも元サイト準拠)

これ以外のタイでも、これらと同様に単に性機能避妊方法と言ったごく狭い範囲に教えるのではなく、対人関係人権視点と言った多角的目線で“性”を捉えることを重視している、といったような記述が成されている。

 それで、この1と5を踏まえて言えるのは、まず日本性教育世界はもちろんのこと“過去日本にさえ”遅れているということ。また、これだけ行き遅れている状態性教育についてのカリキュラムを多少なり進展させたところで、それが踏み込みすぎになることはあり得ない、とも言える。

 また、コンドーム仮想利用まで教育にとり入れることを容認しているオランダ出産率、中絶率の低さから言っても「踏み込んだ性教育が、乱れた性風紀を生み出すことと直結することはない」というのも明らか。これで自分

セックスという行為存在自体肯定的に捉えつつ、それはそれとしてセックスする前に必要不可欠な知識はしっかり頭に入れてからやってね」

が単にセックスを推奨するものではない、ということを理解してもらえると思う。

 そして最後増田の言う性教育には限界がある、という主張に対する反論として、先に引用したアメリカ性教育についての文章(抜粋なのでできれば元サイト文章も)を読んで欲しい。

 アメリカ場合特殊で、「同性愛避妊中絶」といった部分までひろく教えるところ、現状遅れているとされる日本さえ先進的に見えるくらいにガッチガチの「反中主義禁欲主義」を掲げるところと、州によって性教育カリキュラムに天と地ほどの差がある。つまりこれは性教育過程で教えるべき知識・教えるべきでない知識」「性教育限界がどこにあるのか」というのは、単に教育者側・行政者側の主観によってしか取り決められていないってこと。

 ともすれば、性教育限界説なんていうのは単なるまやかしで、本当に拠るべきは「性教育限界がどこにあるのか」なんていう主観いくらでも変わるものではなく、「実施した性教育が、実社会にどのような結果をもたらしたか」のはず。そしてその「踏み込んだ性教育実施した結果」は、オランダのそれを見れば分かるように、充分に好意的に捉えていいものになってる。

 はじめの増田記事自分含めたくさんのブクマが集まったのもこの増田のはじめに書いたように

実践的な内容に踏み込めば踏み込むほど、教育とはかけ離れていく

教育とかけ離れれば、それはもうセックス講習

っていう、主観しかない「実践的な性教育セックス講習と同義」「実践的な内容に踏み込む教育とは違うものになる」という理屈立てをさも自明の理であるかのように書いたからなんだよね。

で、自分含めみんなその理屈立てがそもそもおかしいことに気づききれないまま

コンドームを使いましょう

避妊薬を使いましょう

くらいまでならまだ教育範疇だけど

どちらもない時はシックスナインしましょうなんて言いだしたらもう教育はいえない

の部分に突っ込んで、「オーラセックス知識必要」「オーラセックスの話になる意味がわからない」といったように、概ね「踏み込んだ性教育をするべき」という意見にまとまっているはずなのに、各発言にばらつきが出てしまったわけだ。

それで、この辺の話を踏まえたうえで改めてトラバ言及するけど

元増田でも言ってるんだけど

実践的な性教育って教育範疇超えちゃうよね。じゃあ、結局性教育ってどうすればいいんよ

ってのが俺の趣旨なんだけど、言いたいことだけ言ってる感すごくない?

 まず自分質問をする前に、増田自分でさんざん挙げている「教育範疇」というものについて定義する必要がある。明確な定義けがなされなければ増田意見は単なる主観の域を出ないし、主観ありきの出発点で話を始めている以上、そのレールに乗ったまま自分が何か意見を挙げても増田が「それは教育範疇じゃない」と言えばそういうことになってしまう。これはこれまでのトラバ増田が「どう読んでもお前の意見セックスを推奨しているとしか読めない」と主張した、またそう主張し続けることができたことから言っても明らかだ。

 しかしながらそこで「教育範疇とは何か」を定義づけするにしても、先に挙げたアメリカオランダといった他国性教育の例を見れば明白なように、教育者行政者側の視点いくらでも変わり得る「教育範疇」に絶対的基準などないし、もし絶対的基準というものがあるのだとすれば、その基準にもとづいて性教育カリキュラムを制定すればいいわけで、増田の「性教育には限界がある」という主張は成立しなくなる。

 ただ、こう書いて「煙に巻いただけで、さんざん自分質問したことには答えてくれていない」と言われるのは嫌だから元増田

コンドームを使いましょう

避妊薬を使いましょう

くらいまでならまだ教育範疇だけど

どちらもない時はシックスナインしましょうなんて言いだしたらもう教育はいえない

 ここの部分を例に挙げて自分意見を述べておく。

 自分主観と、これまでに引用した記事の知見に拠るなら、妊娠リスク回避しつつ性的快感を互いに感じ合うというのは未成年に依らず性的機能を保持しているあらゆる男女で行われていることだし、別に自分オーラセックス存在を例示するのは何も問題があるとも思わないし、自分はそれが「教育ではない」とは思わない。

 ただ、オーラセックスでも性病感染リスクはあるわけで、「そうするようにしましょう」とまで言うべきだとも思わない。原則として「妊娠したくない(させたくない)、妊娠しても出産できない状況下では、妊娠リスクを伴う性交渉は最大限避けるように努めるべきだ」としつつ、避妊手段や口淫などの性器同士を直接触れ合わせずに性的快感を感じ合う手段を例示する(実際にそういった手段を行うかの判断は生徒側に任せる)のが理想的だと考える。

 どうだろう、増田意見に沿うかはさておいて、ひとまず確かな一意見提示として読んでもらえたなら幸いだけど。

2017-08-16 14:29追記: 全体的にタイプミス意見として明瞭でない部分があったので、論旨は維持しつつ一部文章を手直しした。なんか返信もらえなかったけど、それはそれとしてひとまず読んでくれたのならよかった。

インターネットエモ文

初めてインターネットに触れたのは小3の時でした。地元児童館インターネットに繋がって自由に使えるパソコンがあり、年上の人たちからフラッシュを教えてもらって見ていました。らさいととか。当時はGBA全盛期でプロアクションリプレイとか流行ってたし面白い環境だったと思う。今思えばあのころからそういう系(プログラミングとか)に全振りしておけばよかったと思う。

中学に上がって引っ越しをして、ハンゲームニコ動字幕.inメイプルとかに嵌り始める。ハンゲではメルアド変更でアバター抜かれる詐欺(?)にも会ったし、メイプルでは・・・お察しください。悪い経験ではなかった。いい経験ではないけど。

当時2ちゃんねる存在は知っていたけど検索してもNHK教育についてしか出てこなかった。それに関してはラッキーだった。知ってたら絶対中卒ヒキニート一直線になってた。今もその方向に行きそうなのは変わらないのがなんともいえない。

中高一貫だったのでオタクもいっぱいいたし、当時はニコ動の勢いがすごかったのもあってオタク文化的なものは楽しめた。けどラノベだけは今も無理。文体が無理。

中高の間ではツイッター自分の中では大きかった。マイナー音楽が好きで、当時自分の周りにそういったもの好きな人間がいなかったので、遠い土地のそういった人たちを知れたり、音楽を通じたサブカル文化ちょっとかじることができた。それもあって今自分オタクでもなければサブカルでもない、ド級陰キャみたいな感じである。○○大の闇みたいな存在です。友達学内はいない(何故か彼女はいます

ツイッター恩恵がもう一つある。当時自分が大好きだったバンド地元拠点活動していて、バンドメンバーの方とツイッターを通じて会うことができた。(自分は男で、バンドメンバーの方も男です 念のため)そのバンドライブを初めて見た時に次いで、今のところ自分人生ハイライトです。いわゆる地方文化を作ろうとしている人たちで、もし30になってまともに生活できてたら自分も参加したいと思う。地元はいいぞ。

んな感じでインターネットを使ってきたわけです。そんな中で今のインターネッに思う事を一つだけ。憎悪が多すぎる。そういう意味ツイッターの一部は最悪。雑多な中にあるわくわく感がすべて失せてしまった。

ニコニコ見てみてください。BB合作を作る人々はもうどこかへ行ってしまった。

社会法律利益構造インターネットフィットさせることを覚えて、それをそっくりそのまま受け入れさせることで時間金銭を得ようとする仕組みが多すぎる。アフィ、NAVERまとめユーチューバーひろゆきの「うそを~」は本当に同意するしかないなと。ひろゆき信者無能感がすごい(自分無能であることはここでは棚に上げさせてください)から正直あまり同意はしたくないが金言だと思う。今やその嘘を見破るための真実さえわからないんだけど。

文化としてのインターネットはもはや残りカスしかないのではと思うこともある。淫夢とか完全なネタ切れでしょ。多分もうこのレベルの大きなインターネットミームは生まれないと予想していますユーザー側の社会的な余裕もないし、社会的な断絶が起きすぎている。

ギークハウス関連とかは恐らくインターネットという文脈根本にない。フランス哲学者サロンとか昭和文化人交流とかああいう奴を現代に引っ張ってきたときインターネット属性としてあるだけだという印象。

もはや凡人にはインターネット現実社会における不満からユーザー搾取する事がメインになっていると思う。実は前からそうだったのかもしれない。いろいろ見るようになって初めて気づいたのかもしれない。分断を超えてコミュニケーションが取れるいくつかサービスを除いて。

いい加減インターネット卒業しなきゃ でも今更抜け方がわからないよ 人生の半分以上ここで過ごしてと人生観を身につけてしまったので。 

https://anond.hatelabo.jp/20170815001048

太字を何度読んでみてもそれを実践しようとしたら推奨してるイメージしかかばないけどねw言うが易しで理想論だけ言うから具体的にどう教えるのか全くイメージできないんだよ。あんたが自分の子供に性教育する時に具体的に何をどう伝えるつもりでいるの?

肉体的には性交渉に関わる知識は既に知っておかなければいけない段階にある

なんの異論もない。だからどう教えるのかって話を元増田からしてる

現状のように「判断力もおぼつかない」と言って性的意識の芽生えや性的知識習得を過剰に忌避する

現状の教育が過剰に忌避してるとは思えない。俺も行為のもの忌避してない。元増田ではオーラセックスリスク回避する可能性まで示唆してる。

少なくとも生殖のしくみやエイズとかの性感染症については小学校で習ってたし中学では避妊についても教わった。高校では専門の時間まであった。あくま形式的な内容で実践性が乏しく実際にリスクに直面した時に対処できてたかは謎だからそれでいいのとは思うけど。

性に関する知識学校教育課程に盛り込むことの難しさは理解するけど、だから現状の教育課程に甘んじることを許していい、という話にはならないでしょ

そう俺も思うんだけど、あんたが具体的にあげた項目は性行為作法以外全部現行の教育現場でやってるって言ってるじゃん。んでそれは流行りの同意プロセスと似たような話だと思うんだけど、コミュ力ありきで察しろみたいな記事しかないけど教育現場でどう教えるつもりなのかが俺はしりたい。

元増田でも言ってるんだけど

実践的な性教育って教育範疇超えちゃうよね。じゃあ、結局性教育ってどうすればいいんよ

ってのが俺の趣旨なんだけど、言いたいことだけ言ってる感すごくない?

キドキッ☆サマーバレンタイン

元ネタ:https://twitter.com/yfqi6/status/897092270888894464

ただ、彼にチョコレートを贈りたかった。たったそれだけなのに。

☆☆☆

私、#NAME1#!普通中学2年生!

カレシは居ない…けど、少し前にテレビ中継で見た王子様に一目惚れ、なーんてね☆

180cmもある高い身長彫刻のように彫りの深い顔はまるでそう、ダヴィデ像のよう。テニスなんか全くわからないけど、一目見た瞬間「神様だ」って思ったの。そして、私の運命の人だ、とも。

そんな彼が練習試合でウチの中学と戦うらしい、とウワサを耳にした時はそりゃあ胸が高鳴った。心臓が飛び出ちゃうんじゃないかってくらい←

世間的には試合当日はバレンタインデー千葉に住んでいる彼が私の中学に来るなんて、運命だ、って思った。

そうだ。チョコレートを渡さなきゃ。

でもね、私、彼の好みも知らないの。ねえ、甘いのが好き?それとも甘いものは苦手?高いのと安いのはどっちが好きかしら?手作りはヒク?かな。。。

考えあぐねて1週間。気づいたら私の部屋はチョコレートの箱だらけになっていた。

#NAME1#「ひぃふぅみぃ…いちまんっ!?

流石にびっくり!まさか1万個もチョコレートを用意してただなんて!

いくら天根くんでもドン引きする、かな?

でも、この中から1つだけ選ぶなんて到底無理だった。

ええい、なるようになれよ!全部渡しちゃえ!

これが、私の気持ちですーーー!

????「そうはさせないわよ!!!

#NAME1#「何よアンタ、わたし今急いでるの」

女子生徒1「その袋は何?」

#NAME1#「なんでもいいじゃない。どいてよ」

女子生徒2「言えないの?怪しいわね?寄越しなさい!」

ドン!!!強く押されて体がよろけた拍子にチョコレートが入った袋を奪われる。だ、だめよそれは!

女子生徒3「チョコレート?貢物ね?ってあーー!跡部様宛じゃないじゃない!」

女子生徒1「ちょっと!どうして氷帝なのにどこぞの馬の骨チョコレートを送ってるわけ!?

女子生徒2「私たち氷帝学園校則バレンタインには跡部様にチョコレートをお贈りするって決まってるのよ!」

女子生徒3「そうよそうよ!勝つの氷帝跡部様!ダビデだかザビエルだか知らないけど全国チョコレート選手権で勝つのは常に跡部様なんだから!」

#NAME1#「あ、跡部様って誰よ!?それにバレンタインデー好きな人チョコレートを贈る日よ!私は、」

私は、 天根くんに想いを伝えるのーーー!!

???「あーーん?面白いオンナじゃねぇか」

「「「そ、その声は!!!」」」

#NAME1#「何よあんた、ちょっとそこ邪魔から退いてくれる?」

女子生徒1「跡部様になんてことを!」

女子生徒2「失礼な奴め!」

女子生徒3「跡部様の代わりにこうしてやるッ!」

#NAME1#「きゃあ!?

跡部「やめな!」

女子生徒1「あ、跡部様......」

女子生徒2「どうしてそんな奴を構うの.....」

跡部「俺に靡かねえなんて面白いじゃねーの。お前、俺の女になれ」

騒然とするギャラリー。きょろきょろと戸惑っていると、どこからか現れた執事のような人たちに取り囲まれる。

#NAME1#「えっ、ちょ、私今から天根くんにチョコを」

跡部「その10000個のチョコレート、俺に寄越しな」

パチン、と指を弾くと私の持っていた箱はいつの間にか樺地かいうやつの手に渡っていた。

取り返そうと暴れると護衛みたいな奴に取り押さえられる。

私、どうなっちゃうのーーー!?


***

10年くらい前の夢小説を目指しました。

書いたはいいがどうすることも出来ないので供養。

テニプリは4mmくらいわかる。

跡部様はこんなこと言わない。

https://anond.hatelabo.jp/20170814224442

セックスを誘う時はこうするんだよ。性行為に至るまでにはちゃんと作法があるんだよ。もし、避妊に失敗したらピルを服用するんだよ。じゃあ、ルールを守って気持ちよくセックスしてね!」これのどこが推奨してないの?

あのさあ、元のブコメでもトラバでも

id:inherentvice ルールだけしっかり教えて「ルール厳守の上で気持ちよくセックスしてね」でいいじゃん。性機能の仕組み、性病リスク性的指向性交渉に至るまでの作法避妊方法とかの知識性的嗜好プレイに依らず必要なわけで

セックスという行為存在自体肯定的に捉えつつ、それはそれとしてセックスする前に必要不可欠な知識はしっかり頭に入れてからやってね」とするべき、というのが自分の考え

って書いてるんだけど。引用を使わずに「じゃあ、ルールを守って気持ちよくセックスしてね!」なんて改変して推奨だと読めるようなニュアンスをわざわざ付与してるのはそっちだよね?

進む話も進まなくなるからやめて欲しいんだけど

それじゃあ話戻すけど

あくま判断力もおぼつかないし責任のとれない子供が性行為することを前提にしたときに、どういうスタンス教育すべきか

教育する相手はまだ責任の取れない子供である、という見方には概ね同意するけど、現在社会体型(およそ大体の人間は18歳まで学校組織のもとで働かず学業に専念するという状態)によらず、基本的中学高校(14-18歳)の過程でほぼすべての男女が自身性的機能性的欲求性交渉への興味が芽生え、実際に受精可能になるまで身体成熟するわけで、肉体的には性交渉に関わる知識は既に知っておかなければいけない段階にあるよね

それなら現状のように「判断力もおぼつかない」と言って性的意識の芽生えや性的知識習得を過剰に忌避するより、むしろそれらについての自覚を促す(受精可能なまでに身体成熟していると同時に、今の自分環境下では性交渉受精に至ったとしても子供を産むのは容易ではない、という危うい状態にあると知らせる)のが妥当では?

性に関する知識学校教育課程に盛り込むことの難しさは理解するけど、だから現状の教育課程に甘んじることを許していい、という話にはならないでしょ

2017-08-14

親に結婚させられた

21歳の時、つまり大学在学中のときに親に結婚しろ命令された。

もちろん嫌だったけど小学校から中学高校大学と進路先まで親に決められてきたし、反発しても仕方ない家族だということはわかっていた。

中学生ときは親に支配に反発して家を飛び出したりもしたけど、その度に自分で道を決めるのは無理なんだって思い知ってきた。

もう小さな発心けが心残りだったけど、ほとんど不自由なく幸せ毎日を過ごせてきた。つまり慣れた。ずっと親に決められたことに反発心を持ちながらも慣れることで適応してきたように思う。

親に大学を決められた時は何も思わなかった。それこそ小学生最初の頃からそこに行くと決められていたし、それが自分目標だと思っていたから。

それでも大学生になって一人暮らしを始めると楽しかった。もう8時までに寝なくてもいいし、門限も守らなくていい、開放されたんだって思った。

だけど、その日母親から電話が来た。着信拒否は許されない。出ると自分結婚すること、相手に会うことなどをいつものように伝えてきた。

相手は26歳の男性。色々な職業をしていて、性格おっちょこちょいだけど人をいたわる心をもっている人。ただ残念なのは身長が私より低いことぐらいかな。

そして結婚した。一回デートした後に数週間も経たずに。大学にはそのまま行かせてもらえた。

それでもやっぱり小さな親への反発心のせいでどうしても相手を受けれられずにいた。例えばすることを求めてくる時にどうしようもなく気持ち悪くなったりした。そういうときはやめてくれる人で良かった。

でも次第に慣れた。親に進路を決められたときのように、慣れた。

から今となっては彼を拒絶する気も全く無くなった。愛はないけれど、慣れはあった。

これを書いたのは今日妊娠二ヶ月目であることが分かったから。

これもすぐに慣れると思う。

気持ち悪かったらごめんなさい。

昔見たアニメ

中学1年の時に見た怖いアニメが思い出せない。

深夜にやっていた外国アニメ

唯一覚えているシーンが、

海の底に沈んでいる缶詰のラベルに絵が描いてあって、

その絵の中にまた絵が描いてあって……という感じで主人公(確かウサギっぽいやつ)が段々バグっていく。

なんだったんだろうな。あれ。

ちょいスカ同窓会

小学校の頃、虐められてた人いますか?

私はクラス替えの後、4人1組の班でたまたま自分だけ違うクラス出身だったことがきっかけで、20年近く経っても消えないくらいの傷を顔と手にこさえられました。

授業中、コンパスの先で膝を刺された時なんて、「痛い」と声を上げれば担任から「授業中だ!うるさいから静かにしろ!」と怒鳴られたり(担任はいじめがあることを知っていた)、見兼ねた母が何度も担任の元へ訴えに言っても、「お母さんが何度も学校へ来るから、その姿を見ていじめっ子たちが面白がって、なおさら〇〇がいじめられるんですよ」と担任に追い返されたりと、まあとにかく担任からして最悪な環境

救いだったのは、3人のいじめっ子以外、ほとんどのクラスメイト無視などもせず自分普通に付き合ってくれていたこと。リーダー格のいじめっ子は、時折いじめ対象を変えるんですけど、その度に自分が助けに入ってさらに虐められるというカオスな状況(笑)

当時の自分はダサダサで、虐めやす雰囲気を醸し出していた気はします。オタク気質だし、まあイケイケないじめっ子たちからしたら、いいカモだったんでしょうね。時折3人組に混ざって他の不良たちも加わる始末でしたし。勿論、どんな時だった、当時の担任はとりあえず見て見ぬ振りでした。あの担任、あれ以来会ってないけど、まだ担任やってるのかな。それとも余生を楽しく過ごしているのだろうか。

大人になった今、虐められていた時期を思い返してみて、最も腹の立つ存在はこの担任ですね。いじめっ子にも腹は立つけど、やっぱり担任やらいじめっ子の親やら、取り巻く大人たちにも責任はあると思うんですよ、いじめって。

そんなイジメクラス替えと共に収束したのですが、自分地元中学には行きませんでした。

十数年ぶりの同窓会のお知らせが来たのは、最高の友達にも恵まれて、中学高校大学死ぬほど楽しい学生ライフを送っていた時。

中学からつるんでいる友達の中に、モデル並みに美人&美意識高い人情に厚い友達(いやもうこの子女子から男子からも本当にモテまくっていて、羨ましすぎな子です)がいるんですけど、その子指導のお陰で、人に会うときだけは自分もダサダサからは抜け出して、ある程度見られる顔にはなったわけです。

相変わらず中身はオタクですけれども(笑)、その子指導の元、髪からからとりあえずチェックしてもらって同窓会へ出かけたら、あら不思議

いじめっ子だった人たちを筆頭に、「前から可愛いと思ってたんだよね」と寄ってくる男子たち。

男子女子も、地元中学に進んだ子達は大抵皆一様にダサくなってて、ちょっとびっくりしました。

これが我が地元クオリティなのか…

そもそも自分を虐めてたこと覚えてないなこいつら、と呆れ果ててたものの、ほんのちょっぴりスカッしました。友よありがとう

今は、私のオタク気質すら愛してくれる、世間で言われているイケメンではないけれど、笑うとめっちゃくちゃ笑顔可愛い彼と婚約中です。

人生何があるか、どうなるかなんて、分からないものですね。

小学校の前を久しぶりに通りかかって、ふと思い出したので。

長文すみません

おわり

2017-08-13

極右ファシスト安倍自民党青山繁晴さんが森友学園・籠池氏らを強烈に推薦していた事が判明。ところがその後、森友学園問題が発覚すると「森・・・・・なんだっけ?」

極右ファシスト安倍自民党青山繁晴さんが森友学園・籠池氏らを強烈に推薦していた事が判明。

青山繁晴おすすめ学校について質問され、「中学高校大学はないんですけどね・・・」などとした後

「毎朝教育勅語を熱唱する塚本幼稚園を推薦します!何より塚本幼稚園園長(籠池)がんばってくださいね!みなさん塚本幼稚園子供を通わせてはどうでしょうか!」と回答。

自民党公式TWITTER動画)あるいは虎ノ門ニュースによるものと思われる。

ところがその後、森友学園問題が発覚すると「森・・・・・なんだっけ?」

泣くということ

まとめる気もなく思考の跡を自分がクソな人間であることを暴露しつつ。

幼稚園年中の時に

「嘘泣きするな」と先生に叱られた。

私(もしかしたら他の子も)はクソ野郎だったので、

泣くことで相手を謝らせ自分正当化(もしくは無害化)するという手段に出ることがあり、それを叱られた。

泣くことで相手を謝らせる作戦祖母の怒りを避けるために編み出した方法である

実に小賢しい。実にズルい。

祖母は怒った結果私達が泣き出している時に誰か人が来ると世間体からか私達に非があっても態度を豹変させて私達に謝った)


先生の教えは人の顔を見て泣くなということを意味していると私は解釈した。



中学の時、自分は最悪な人間だったので、

部活引退解放からひとりだけヘラヘラしてて、友達に怒られたのだが(当たり前だ)、

その時言われた

「なんで泣かないの?みんな泣いてるよ!」

というセリフがとても頭の中に残っていて、その時、失礼なことしたなと思うと同時に、

この友達はみんなが泣いてるから泣くの?って思った。

(私のことがムカついていたから泣いた可能性もあるなと今は思うんだけど)

個人的部活強制加入と辞めるの不可で継続強制はやめた方がいいと思う。

下関国際野球部ブコメにもあったけど「逃げた」という表現もやめた方がいいと思う。


十二国記の風の万里黎明の空というファンタジー小説の上巻300ページ目に、

「人の泣くのにはふたつあるんだなって。自分がかわいそうで泣くのと、もうただ悲しいのと。自分がかわいそうで泣くのは子どもの涙だよな。だれかなんとかしてくれって、涙だからな。…(後略)」

っていう厄災孤児セリフがあって、結構影響受けた。

ただ悲しくて泣いたエピソード(人々がいた風景がなくなってしまった)で戦災孤児が言ったセリフ

子どもの涙も流すとも言ってる。

対比で描かれている人物自分がかわいそうで泣いていた見た目は16実際は100歳くらいの女の子で、

100年近く抑圧から抜け出せなかった抜け出そうとしなかった子で、自分を慰める涙ばかり流してた。

他の人も同じくらいもしくはそれよりつらい人死んで泣けない人がいるのにずっと泣いてるのはカッコ悪いよっていう話。

※ちなみに彼女主人公ではないけど彼女合わせて3人の女の子が成長する物語

居たい環境地位からのズレと自己憐憫の話。


ラジオで某ミュージシャンが泣いたことがあって、作るのつらくてつらくてしょうがない、しかも結果出ないって言う。

(あれを聞くと頑張ってほしいけどつらいならやめたいなら無理強いさせたくないと思ってしまうのだが)




泣くのって他人から見た美醜が結構関わる行為で、

泣くのはダサい汚いズルいカッコ悪い男らしくない恥ずかしいっていう言説と美しいって言説がある。

他人が泣くのは、腹立たしいこともあり、美しく感じることもある。

他人存在意識して泣くとかそういうんじゃないただ感情に任せた涙が甲子園にはあるけど(他人は確実に存在していて消費してるけど)、

そういうのって世の中どのくらいあるのかっていうことと、

他人存在意識して(共感を求めて)泣いたとしても、

理解共感できる涙と共感出来ないダサい涙があって、

少なくとも子供の涙(自分を慰めるための涙)とただ悲しくて泣く涙というような、

カテゴリー分けするのは単純には無理だし、

美醜を感じることはあれど、それも立ち位置や前提となる状況についての知識によって異なるため、

共感文脈だなと思うように今なったとこ。

甲子園も美しいけどかわいそうで間違ってるから改善すべきという人もいるし(子ども意思目標大人子どもに負うべき責任バランス


とりあえず、常に他人の目を気にしてカッコ悪くないように泣く泣かないを決めている(他人の目を見て感情を圧し殺す)と、

病気になるからやめた方がいいと思う。

助け(共感)が欲しいときに泣けないと死ぬ

自己憐憫も時には必要だ。

社会簡単には泣くことを許さないけど、泣いて反応が帰ってくるまでは、社会が何が恥ずかしいことだとしていて、何が恥ずかしくないとしているかからないし。

※ちなみに海外では結婚式で泣く日本の男は面白いBSのCOOLJAPANでやってた。海外大変。メンタル病む。

生きているということは他人から観測されることなので他者存在からは縛られる。


泣く泣かないに関わらずダサいはいる。

ということはダサいは泣く泣かないによらないのか。

泣くのはダサいかっこいいの最終段階のダメ押しか。ダサいかっこいいは過程

これだな。


そして泣くことを恥ずかしいことだと考えたことすらない人は、わりといい人生送ってる気がする。

目標地位を達成するためには泣きたくなること=恥をかくことは何度もあるはずだから

失敗して泣くのが恥ずかしいがために目標に挑戦しない頑張らない人なんてざらにいると思うんだけど、もったいない

から、恥という概念に関連する行為範囲が狭い人は自由だ。

以上まとまりなく。


追記

小説は毒にも薬にもなります

社会不安障害になりそうな文章だな。

はてなーは知らない偏差値36の世界

ブックマーカー正論でも食ってろ

https://anond.hatelabo.jp/20170813100423

高校3年間で中学までに習う内容をもう一度で勉強してるなんてはてなー想像できないでしょ?

1年目の授業は小学校高学年の内容。

英語アルファベット書きからスタート

こんな内容でも理解できなくて授業を放棄するのが最底辺校実態

下関国際の監督文武両道があり得ないと言わずうちの学校勉強する意味がないと本音を言えばいいのに。

藤沢数希とはなんだったのか

あほんとうに俺はあの一時期藤沢カズが好きだったんだなあって思って

この季節のたびに思うわ

十年前まだオタクがきもがられててそれゆえになによりもエモかった日々

二次惑星委員会めっちゃ嵌まって繰り返し読んでは馬鹿にし

すげー面白いのにちゆ12才をめちゃくちゃキモオタ馬鹿にしたりしてな

ハルヒに嵌まって本気で長門が好きでクラナドあいつなんだっけ?銀髪あいつに本気で恋して

京アニは凄いのにそれを認めないマスゴミ日本は駄目だと思って

ひぐらしだって大好きだけどでも2chの風潮でミステリーじゃないと馬鹿にしなくちゃ行けない感じで

なんか右巻き気味で憲法改正とか叫んで

二十歳が人生ピークだから22で死ぬって思ってて今もだらだら生きてるけど

大学受験だって第一志望に落ちてようやく東大ってすげーんだなって思って

地頭推理力私立のつもりで浪人したのに早慶落ちですよ?

大学いったらMAD作ってニコニコで人気者になるって思ったけど今やMAD?ですよ

でも大学にいったらコンパ三昧で巨乳彼女できたし当時は貧乳教徒()だけど

青春を思い出すと本当に涙が出てくる

ビリヤード大学で嵌まってあれだけやりたがったてた麻雀あんまできなくて

サークルの先輩がプラテネスコードギアス谷口信者()で芝居がかっててキモくて

夏は相変わらず暑くて

夏は相変わらず暑くて

どんなに惨めで思ったとおりに出来なくても人生だし青春は輝いているんだなって

当時は中学挫折した野球甲子園に本気で後悔と憧れを持っていて

当時は青春至上主義だったから辛くて高校受験しそうなぐらい

でも本当に楽しかったわ高校部活

大学アニ研入れずに格闘技始めたけど空手部よかった

それに高校まで野球しかしらなかったけど大学でほんとは興味あったサッカーファンになった

卒業旅行でWカップ見にいったんだよなあアレ最高

大学時代は遊んでばかりいたけど生涯の友達ができて

いや思い返すとセックスバイトアニメばかり…でもなかったか

研究ゼミもしたい勉強は本当に楽しかった

就職活動ぶっちゃけ上手く行きすぎていいおもいでしかなかった

連日合コンがあったしはっちゃけてまあやりまくったし

大学先生には励まされましたねえ先生

就職できた会社はいいひとばかりで俺は出会いには恵まれているわ

お盆休みなので彼女実家挨拶に行ってます

これから人生最大の見せ場として…結婚挨拶しま

彼女巨乳だけど綺麗だなあ()

なんか涙でてきた

人生は辛いかもしれないけど頑張って欲しい

友達が死んだ

まだ19歳。病死中学クラスが分かれて教室が1Fと3Fで分かれて部活も別で、塾に通いだしたせいで学校であった時に話すだけになって、高校は別の学校だったかほとんど疎遠と言えるくらいになって、入院したという話を同じ高校に行った友人から聞いて、一緒に見舞いに行って、それからすぐだった。

人生6ありゃ9もあるさ」というセリフの書かれたペンケースを持ってて、ユーモアがあって、オカルトの話に詳しい子だった。

の子の家の仏間がいつもオレンジの薄明かりで子供心にめちゃくちゃ怖くて、遊び部屋が仏間の上の部屋だったもんだからTVゲームしながらいつもビビってた。その部屋の、うっかり下に仏壇があるあたりを歩いてしまって、仏壇を踏んで霊的なものと通じてしまたから祟られると私たちが怖がっていると、その子は「目を閉じて三回取り消しっていうと許してくれるよ」と言って、みんなで必死で取り消し取り消し取り消しと呪文を唱えた。今思えば仏壇はご先祖なのだから失礼でこそあれ怖がる必要はないのだが、当時はとにかく死者というものがこわかった。

形見分けに、ぬいぐるみをもらった。私は中学からまり遊ばなくなってしまっていたので、もらっていいのか戸惑ったが、その子のお母さんが「◯◯だと思って」と渡してくれた。

そのお母さんが出棺のとき、悲痛な声で友達名前を呼び続けて棺をおいかけて、そのお母さんを取り押さえる親族の方が、顔をぎゅっとしているのがたまたま見えて、それが本当に辛かった。

帰り道、友達と、やはり「取り消し」の呪文の話になった。万能の呪文だったので友人もやはり覚えていた。私は20になっても頭のどこかで幽霊を怖がっていて、夜の自宅マンションの長い廊下ながすごく怖くて(夜の病院のような雰囲気なので)、よく呪文に助けられていた。とりあえず恐怖を感じる気持ち区切りをつけられるので。友人とはそのまま駅で分かれて、電車に乗りながら、目を閉じて、「取り消し」と三回心の中でつぶやいた。普通にさよならを言うより、こう言った方があの子らしいなと思った。人生6ありゃ、9もあるよね。

2017-08-12

Aセクシャルの人に10年間片思いした話。  

相手迷惑ををかけたくないので身バレ防止にいろいろフェイクは入れるけれど、出来事体験に関してはなるべく正直に気持ちを書こうと思う。


 私はいま25歳だ。地方田舎で育った。相手幼稚園からの幼馴染だった。漫画みたいな幼馴染じゃないけれど、地元友達で、幼稚園小学校中学校と一緒だったし、小学生ときにはよく一緒に公園とかで鬼ごっこかくれんぼをした。中学に入ってからは、もともとお互いに漫画アニメが好きで、本の貸し借りをしてライトノベル時雨沢恵一の「アリソン」とか「涼宮ハルヒ」とか)というものを私が教えてもらったりもして、まだそういうオタ趣味学校でおおっぴらにできない時代だったのもあって、よく話すようになった。それで、なんでか覚えてないけれど、気になりだして、気が付いたら好きになってた。中3の時にはがんばって同じく一緒に好きだったバンプライブに誘って一緒に初ライブに行ったりもした。相手は異性の友達はどちらかといえば苦手そうにしていたけれど、その中でいちばん仲のいい異性になることができた。

 中学卒業したら高校別になることはわかっていたから、とにかく気持ちを伝えたくて彼の受験が終わったタイミング告白した。どうなるかも深く考えないまま、共通友達うまいこと呼び出してもらって、小さいこからよく遊んだ公園気持ちを伝えた。ずいぶん長い沈黙があって、そのあとの断りのセリフは「ごめん、恋とか愛とかがよくわからない。人をうまく信頼できないんだ。増田がきらいとかじゃないんだけれど、そういうことがどうしてもできない」というものだった。彼は少し泣いていた。話そうか迷って、きちんと誠実に断るために探してくれた言葉だと、今ならわかる。その誠実さがすごく尊いもののように見えて、おおげさに言うならすごくきれいに思えて、区切りをつけるとかは吹き飛んで、余計に好きになってしまっていた。そのカミングアウトの内容そのものに惹かれてしまった部分もやはりあったと思う(今考えると業が深い……)。

「でも、そんな風に想ってくれる人がいると思うと、なんだかうれしい」という言葉本心からのものか、それとも彼のやさしさだったのかは、いまだにわからない。

 けれど、当時の私の思考回路はひどく短絡的で、「だったら、彼に信頼してもらえるようになればいいんだ」というものだった。そういうわけで、違う高校に進学したわけだけれど、中学時代グループの集まりを定期的に企画したり、高校部活人間関係の悩みとかの相談積極的に乗ったり、ガラケーメールぽちぽち打ったりした。今考えても涙ぐましいし、ムダに行動力ありすぎた。相手性格を考えるとちょっとやりすぎな面もあったけれど、そんな重いエゴまで含めて本気の恋だった。彼のことを考えない日は嘘偽りなく一日だってなかった。それが空回りしている自覚もあったし、全然そういう目で見てくれている様子がないこともわかっていたけれど、思い続ければいつかは、なんて甘い幻想も同時に持っていた。

 結局、高校3年の終わりに中学時代地元グループ卒業旅行に行って(もちろん企画からすべて私が幹事をした)、そこでまた告白したけれど、まったく同じ断り方をされて撃沈した。今度こそもうダメだなって思って、おしまいハグをしたらちょっとびっくりされたけれど、手を背中に回してポンポン、と叩きながら「ごめんね」と言ってくれた。 今にして思い出すと、これはすごく、彼にとってきつかったかもしれない。

 大学は私が都会の大学に行ったので、地元グループとも帰省したときくらいしか会わなくなった。大学では初めての恋人ができたり、他にも普通大学生らしいことをいろいろ経験したし、様々な恋愛関係する感情を味わった。彼のことはあきらめて気持ち封印してはいたけれど、それでも常にずっと心の中では彼のことをいちばんのところに置いていた。このころになると、ずっと片思いをしているということが完璧に美化されていた。

 そうして、アセクシャルAセクシャル)という言葉を初めて知ったのも大学時代だった。知った時、真っ先に彼のことを思い浮かべた。

 大学卒業して、Uターンで地元に帰ってきた。久しぶりに地元特に仲のいい何人かと再び会うようになった。ある時、彼の親友的な人と話していたら「増田さん、中高のとき彼のこと好きだったでしょ」と真正から指摘されて、封印していた気持ちが解けてしまった。4年間蓋をしていたものが、びっくりするくらいあふれてきた。その親友が「だんだん結婚とかも皆考え始めるような歳になっているのに、そういう話題が彼にあまりにもないか増田さんをあてがってやろうかと思って」と言うのでこれに甘えて利用して、彼と遊んだデートしたりした。お互いにいろいろ話すけれど、でもやっぱりこれまでと同じく恋愛的な意味での全然手ごたえは何もなかった。それと並行して。やはりAセクの件があったので、その親友に彼はAセクなのではないか相談した。親友氏にも思うところはあったようで、何度かそれについて議論もした。

 複数回デートらしきものをして、どちらにせよこの恋はだめだと思い知らされたので、結局過去と同じように自分気持ち区切りをつけるために告白をした。Aセクの件もあったから、一応相手負担にならないようにというつもりで、その当時でできる限りの気遣い自分の率直な気持ちとを文章化して手紙として渡した。後で読んでと言ったのに彼はその場できちんと読んでくれた。そして返事の代わりに、件の親友名前を出して「こないだ、Aセクシャルっていうのを教えてもらって、自分でもいろいろ調べて読んでるうちに、読めば読むほど『そうだ、これだったんだ』とわかって涙が出てきた。他人を愛することができない自分は、どこか明らかにおかしい、欠けた人間だって思っていたから、すごく安心したんだ」と教えてくれた。

私にはそれを受け入れるしかなかったし、何よりも泣きそうな顔だけど解放されたみたいなすっきりした様子の彼を見てうれしかったのも事実だった。

 私と親友氏とで「一応、Aセクであるとすぐに決めつけすぎないほうがいい」と伝えておいたものの、十中八九彼はそうなのだと思うし、少なくとも今現在彼の自覚Aセクということになっている。


 ここからあとは、私一人の話。

 私にとって、彼はまさに青春のものだった。そう思い込んで美化してきたところや、一途な自分片思いに酔っていたところ、そのエゴに時折死ぬほど自己嫌悪したところ、醜いとこや酸っぱいところも、些細なことでめちゃくちゃ幸せな瞬間も、ぜんぶぜんぶひっくるめて、いま大人になった私を作っている大切なものだ。詳しくは書かないけれど、彼を好きにならなければ私の人生はぜんぜんつまらない方に変わっていたはずだと思う。たとえ片思いでも、幸せだったし、幸せをくれたと思う。恋愛ってそういうところがあると、私は思う。

 ただ、そんな恋愛を、彼はしない。そういう感覚を彼はおそらく持たない。今後一切、恋愛から何かを得ることはない。

 このことを、私はどのように整理したらいいのだろうか。

 恋愛はすばらしい。いろんなドラマ物語においても恋愛至上主義圧倒的多数な世の中で、人々はそんなフィクションを見て、やはり恋愛はすばらしいものだと思う。誰しもが人に恋をして人を愛するのだと信じ込む。そう刷り込まれた?私の観念はとても硬い。

 では、他人を愛さない人は、すばらしいものが欠けているのだろうか。人生のなにかしらを失っているのだろうか。彼はおかしいのだろうか。

 断じて違うと、私は確信している。でも、それは私の中の固定観念矛盾している気がする。

 私にとって恋愛のない人生は、ずいぶんパサパサとした無味乾燥もののように思えてしまう。彼がAセクである自覚を得た日以来、失恋による大きな胸の空洞がつらいし、今まできれいに思えたものがきれいに思えなかったりする(感覚がにぶっている感じがする)。彼を好きだったとき世界の見え方はとても色鮮やかだったのに。

 気が付いたら私は25歳で、中学卒業してから10年が経とうとしていて、10年前のあのころキラキラした感覚がいろんな意味で信じられなくなってきている。恋愛しか得られない感覚があると信じているくせに、彼のことがあって今の世の中における恋愛絶対性について疑ってもいる。人間幸せの形ってもっともっと多様だと思いたいのに、自分経験がその価値観に異を唱えてくる。

 こんなことを考えていると、結局彼と私とではとんでもない隔たりがあったのかなとか考えてしまって、今でも少し凹む。



 自分の中でもいまだに結論がでていないせいで最後何を言いたかたかよくわからなくなってしまった。こんな深夜に書きなぐった読みづらい長文を読んでくださって、ありがとうございます。なんでもいいのでみなさんの意見を聞いてみたいです。ちなみに私がちょっとヤバいのは承知です。

極右ファシスト安倍自民党青山繁晴さんが森友学園・籠池氏らを強烈に推薦していた事が判明  その後、森友学園問題が発覚すると「森・・・・・なんだっけ?」

極右ファシスト安倍自民党青山繁晴さんが森友学園・籠池氏らを強烈に推薦していた事が判明。

青山繁晴おすすめ学校について質問され、「中学高校大学はないんですけどね・・・」などとした後

「毎朝教育勅語を熱唱する塚本幼稚園を推薦します!何より塚本幼稚園園長(籠池)がんばってくださいね!みなさん塚本幼稚園子供を通わせてはどうでしょうか!」と回答。

自民党公式TWITTER動画)あるいは虎ノ門ニュースによるものと思われる。

ところがその後、森友学園問題が発覚すると「森・・・・・なんだっけ?」

結婚式を挙げる恐怖

結婚式をしたら、自分の交友の幅を思い知ってしまう気がして怖い。

私にはそう思うことが結構ある。

結婚式を挙げる恐怖ってやつ。

まだ予定はないけど、友達結婚式に立ち会ってはそう思う。

私は友達全然いないわけではないし、

周りの子からも交友関係は広い方だと思われている。

中学高校バイト(複数)、職場仲間、ネットで繋がった友達など、私生活でよく遊ぶような仲の良い人はたくさんいる。

敵を作らない性格だとは思っているし、そう努力している。悪く言うと八方美人だけど。

から地元に帰るとき自分から言わなくても声がかかるし、誘われるから休暇の予定もほぼ埋まる。

から見ても交友関係には何にも問題ないと思われているだろう。

でも、自分なんかの挙式に、友達は誰も来ないのではないかと非常に不安になるときがある。

これは広く浅くの友達関係を築いた罰なのだろうか。声をかけても10人もあつまらないのでは、と思ってしまう。

友達結婚式二次会にもよく出ているけど、人数の相場として、式・披露宴特に仲良い友達7人程度、二次会は二人の友人合わせて50〜70人くらい集まっている印象がある。

友達には、結婚式にもよく呼んでもらえるので、今までで8人くらいの式に参列した。呼んでくれてすごく嬉しいと思いながらも、都合いいからかな?と思うこともある(あんまり仲良くした覚えのない子の場合など)。

呼んでいるんだから、その子達は私の式に呼ばれてもおかしくないと思ってくれてはいそうだけど‥

でもやっぱりみんな来ないかもしれない。来てくれるかもしれないけど、行きたい!という気持ちがある人は一人もいない気がする。

みんなどうして結婚式するんだろう。

私は、結婚式ある意味交友関係の広さがさらけ出てしまもの、という印象があるんだけど、そうじゃないのかな?

みんなが自分ドレスを見たいとも思えないし、結婚式って自分に自信がある人がするのかな?

でも、自信がある人がこの世にあんなにたくさんいるようにも思えなくて。

このままの思考だと、私は結婚式しないんだろうな、と思う‥(いっぱいお祝儀払ってきたけど…

こういうことを悩むこと自体特殊なんだろうか。

極右ファシスト安倍自民党青山繁晴さんが森友学園・籠池氏らを強烈に推薦していた事が判明。森友学園問題が発覚すると「森・・・・・なんだっけ?」

極右ファシスト安倍自民党青山繁晴さんが森友学園・籠池氏らを強烈に推薦していた事が判明。

青山繁晴おすすめ学校について質問され、「中学高校大学はないんですけどね・・・」などとした後

「毎朝教育勅語を熱唱する塚本幼稚園を推薦します!何より塚本幼稚園園長(籠池)がんばってくださいね!みなさん塚本幼稚園子供を通わせてはどうでしょうか!」と回答。

自民党公式TWITTER動画)あるいは虎ノ門ニュースによるものと思われる。

ところがその後、森友学園問題が発覚すると「森・・・・・なんだっけ?」

https://anond.hatelabo.jp/20170812050815

そもそもが「可愛い子ってのは少数派」ってのがあるだけかも。

テレビとかグラビアとかAVってのは可愛い子だけをよりすぐってるが、

現実あんなのは中学高校を思い出せばクラスの上位3,4人。

中学高校ぐらいのクラスの女で可愛い子がどれだけいたか思い出したらいい。

あと、女は男以上に警戒心が高いから、非モテの男が集まって警戒してゴニョゴニョしてるのと同じように非モテの女が警戒して集まってゴニョゴニョしてるように思える。

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