はてなキーワード: 想像とは
感謝できないヤツは恵まれていても恵まれていなくても感謝出来ないが
感謝できるヤツだって自分が経験したところまでしか想像は及ばないぞ。そんなに人間はお利口じゃない
外資IT屋さんと搾取系のメガベンチャー(海外法人作って海外でやらせる系)とタンカー周りのお仕事してたから
異性愛によって複数の子供が生まれると兄弟(女性も含む。『はらから』)同士で1/4しか遺伝子のかぶりがない。
つまり4/3は他人でしかもわがままな子供だ。(異母兄弟・異父兄弟だと1/8のカブりしかない)
ほぼ他人のわがままな子供同士で育つと、自分はきょうだいにくらべてこういう個性を持っているとか、きょうだいにはこういうケアをしてあげないと勝手に死ぬとかいうことが無理なく刷り込まれる。いやきょうだい喧嘩など無理もかなりあるけれども。だいたい姿を見せないときは悪いたくらみがあるときとか、全力の泣きわめきも30分待てば疲れて寝るとかを体感で学ぶ。
これが定型発達の基礎だ。
一人っ子や一卵性双子のみだとこれは起こり得ないので、発達が不定型になりがちだ。
おなじくらいの知性でわがままで泣きわめくのがいたとしても親以上の年代(認知症や人格障害など)である場合は
子供にとって何を要求しているのかが理解し得ない。「ふられた大人を慰める」など子供にとっては高度すぎる(最近のロリペドフィクションの一部はここを嘘をつきがちで軽率で嫌い。キャラであっても子供に大人対応・神対応をおしつけるな)。
また、他人より凹んだ能力が多くあって不定形な子供も一人っ子の場合、親が「子供だからこれくらいできないのは当たり前」とおもって完璧にカバーしてしまう。
カバーされたまま育ち切ってしまうと、偏食だったり、寝坊がちだったり、忘れ物しがちだったり、子供同士の付き合いが下手だったり、えこひいきされた軽く怒ろうというモードを入手できずいちいち憤死しそうになる、という困った子状態が大人まで続く。
ちなみに兄弟がいると忘れ物は親にもとどけてもらえずにいちゃんねえちゃんにクラスルームにとどけられたあげく、へえ弟ちゃんあの子と仲いいのぉとか余計な詮索をされて地獄だから死活問題である。寝坊、偏食はおいしいご飯をつくってもらえなくなる。親の愛情は分割されてあたりまえなのでどうやって親の機嫌をとるかもそこそこ覚える。
保育園にいけばだいぶ同級生づきあいがカバーされるとおもうかもしれないけれども、それも大人対子供の1対1が多数あるだけで子供同士はわりと隔離しておいたほうが楽なのでそうなってしまっている。そこでも兄弟がいる子といない子ではだいぶ違う。
24時間365日一緒にいて、一緒にお年玉をもらうようなきょうだい付き合いではないし、喧嘩はかならず保育士が止めるので定型にはならん。
まあ、不定形のうち早くから診断名がついていた自閉症については脳内の神経にかんする遺伝子の発現不全が最近発見されてたんだけどね!(完全にうまれつき)
センサーとCPUの配線が狂ったコンピューターは自壊する、としか言えない。
定型のヒトにとっての快適や健康が、すべて不快と感じるようつくられた人造モンスターあるいはアンドロイドがいたと想像すれば
正しく重症自閉症患者やその家族の悲哀が理解できるにちがいない。
栄養のあるものには匂いがあれば食べない。噛むこともできない(歯ごたえが嫌い)。
たまになにかのきっかけで脳内にものすごくイヤな音がこびりつく。それをまぎらわせるため自分が大きな声で叫び続ける。
女性の方に質問なんですが、目の前に札束や大金を積まれたら本当に自分の旦那や彼氏、自分のパートナーを平気で裏切る(切り捨てる、浮気等)んでしょうか?釣りでも冷やかしでもなく真面目な疑問でここずっと自分の中でモヤモヤしていて、男も裏切るだろとかそう言うのは要らないので本当に裏切るか裏切らないかだけ答えて下さい。
まあ個人的には99%以上の女性が裏切ると思いますが男だけであーだこーだと想像しても結局それは男性の意見でしかないので女性の生の意見が聞きたいです返答お願いします。
もうどうでもいいや、って気持ちが芽生え始めていることが少し怖い。
もっと直接的に今現在の年寄りを助けてる介護職やら運送やら何やらの仕事の人達が
ボロボロになってるのにお前らのガキを最優先しろって言うせいでろくに休めないで病んで自殺したり
退職して残ってる人間の仕事がキツくなってまた病んでとか想像できねえのかよ
金金金ってよ、紙幣が直接年寄りを助けるとでも思ってんのかよ。
豚の生姜焼き!
鮭の塩焼き!
アホでもどんな料理かわかるわ
スパゲッティ・アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノさん「ほう?」
Aglio(ニンニク)
olio(油)
peperoncino(チリペッパー)
女って細かいことにうるさくていやだ
男女差別とかじゃなくてほんとに女は細かい人が多いから警戒する
それじゃあまりにも天才しかできないだろうということでニーモニックというのを持ったアセンブリ言語ができた
多分当時の人の中にあった議論は、こんなの1と0の羅列に名前つけただけだろ、なんかいいことあんの?という人たちと、まさにブレークスルーだ世界が変わるとエキサイトした人たちだろう。
色々あったが、人にも読めるソースをアセンブリ言語に変換してくれるCが出来た。
多分このときも単なるアセンブリのスーパーセットだろ?なんか意味あんのか?っていう人たちと、やばいレベルでプログラミング書きやすくなったとエキサイトする人たちに分かれたことだろう。
このときも、構造化プログラミングに毛が生えた程度のもんだろ?何が嬉しいんだ?という人と、オブジェクト指向なら何でもできる!とエキサイトした人たちで溢れかえったことだろう。
Java以降のIT界隈ではもはやオブジェクト指向抜きには語ることはできなくなった。
何が何でも継承でカプセル化でポリモーフィズムだとオレオレフレームワークが雨後の筍のごとに開発され結局Strutsに一網打尽にされた。
その後RoRによるCoCによってXMLなんかいらねーわとなったがアノテーションを使う方に進んでいった。
もはやこの時点で継承だのポリモーフィズムだのはそれほど重要なものではなくなったと言ってもよく、このあたりからEoDだとか、再利用性、メンテナンスのしやすさに主軸は移っていったと感じている。
人月の神話の時代から語られた銀の弾丸はないというたった一つの真理は忘れ去られオブジェクト指向ならなんとかなる、オブジェクト指向だという人々もまたこのときに誕生している。DI?ファクトリとリフレクションでなんとでもなることでしょ?何が嬉しいの?と。
その後関数型プログラミングが誕生する。
これを見た人々の中には、関数型プログラミングなんかJavaよりもそけつこうにしたていどのものだろ?小さいクラス作ればJavaでもできることをなんでわざわざ関数型プログラミングに移行しなくてはならんのだときっとそうなったることだろう。
マシン語からアセンブリ、CからOOPとトレンドが移り変わる中で起きているのは、技術革新であり、もうこのままじゃきついからこっちにしようというムーブメントであり、それに乗る人、抗う人というのは必ず現れる。
抗う人の中には、新しい技術に対するモチベーションは失われているがポジションを失うのだけはごめんたといういわゆる老害と呼ばれる人たちや、本気でシフトする意味がわからないくらいに思考が固まった人、はたまたこの技術なら全て解決できるのだから他のものはいらないという信仰を持った人などがいるし、乗る人もこの対極にいるのだろう。
多分20年後には関数型プログラミングとは違うなにかが天才たちの中から爆誕し、同じような議論が起きることは想像に難くない。
しかし人類はどうすれば簡単に1と0をコンピュータに保存できるのかということをひたすらに追い求めているのだから不思議なものだ。
たしかに極端な話1と0だけ打ち込めれば同じことはできるかもしれないが、その難易度は遥かに高くなっているし、現実的には不可能だろう。
企業がシステムにせいぜい20台程度のホストを導入するようなものだった。
今は百や千のオーダーでは聞かない仮想ホストにDockerコンテナが複数動きこれらが協調しなくてはならない、もしくは各自独立で動いても問題が起きてはいけないので、ここには関数型のデザインが合うと思うし、一方でデータにアクセスするところではトランザクションに強いJavaというように適材適所住み分ける必要がある時代になった。
当然Javaだけでもできるし、関数型たけでもてきるかもしれないが、こういう形の議論をする人はその技術が目的になっている。
継承やポリモーフィズムをする以上はスーパークラスのライブラリもなくてはならないが、それも億劫になっているのかもしれない。
今後関数型プログラミングがあらゆるものを席巻する時代になるかもしれない、OOPがそうであったように。
それとも人々はもうそういう不毛なことはしないのかもしれない。もはやそういう時代は過去のものになったと考えたほうが良いだろう。
関数型プログラミングの理解よりも、オブジェクト指向の習得よりも、目的を達成する最小のコードをエレガントに書くといういわゆる画力が何よりも先に求められる時代に入ったのではないだろうか。
それじゃあまりにも天才しかできないだろうということでニーモニックというのを持ったアセンブリ言語ができた
多分当時の人の中にあった議論は、こんなの1と0の羅列に名前つけただけだろ、なんかいいことあんの?という人たちと、まさにブレークスルーだ世界が変わるとエキサイトした人たちだろう。
色々あったが、人にも読めるソースをアセンブリ言語に変換してくれるCが出来た。
多分このときも単なるアセンブリのスーパーセットだろ?なんか意味あんのか?っていう人たちと、やばいレベルでプログラミング書きやすくなったとエキサイトする人たちに分かれたことだろう。
このときも、構造化プログラミングに毛が生えた程度のもんだろ?何が嬉しいんだ?という人と、オブジェクト指向なら何でもできる!とエキサイトした人たちで溢れかえったことだろう。
Java以降のIT界隈ではもはやオブジェクト指向抜きには語ることはできなくなった。
何が何でも継承でカプセル化でポリモーフィズムだとオレオレフレームワークが雨後の筍のごとに開発され結局Strutsに一網打尽にされた。
その後RoRによるCoCによってXMLなんかいらねーわとなったがアノテーションを使う方に進んでいった。
もはやこの時点で継承だのポリモーフィズムだのはそれほど重要なものではなくなったと言ってもよく、このあたりからEoDだとか、再利用性、メンテナンスのしやすさに主軸は移っていったと感じている。
人月の神話の時代から語られた銀の弾丸はないというたった一つの真理は忘れ去られオブジェクト指向ならなんとかなる、オブジェクト指向だという人々もまたこのときに誕生している。DI?ファクトリとリフレクションでなんとでもなることでしょ?何が嬉しいの?と。
その後関数型プログラミングが誕生する。
これを見た人々の中には、関数型プログラミングなんかJavaよりもそけつこうにしたていどのものだろ?小さいクラス作ればJavaでもできることをなんでわざわざ関数型プログラミングに移行しなくてはならんのだときっとそうなったることだろう。
マシン語からアセンブリ、CからOOPとトレンドが移り変わる中で起きているのは、技術革新であり、もうこのままじゃきついからこっちにしようというムーブメントであり、それに乗る人、抗う人というのは必ず現れる。
抗う人の中には、新しい技術に対するモチベーションは失われているがポジションを失うのだけはごめんたといういわゆる老害と呼ばれる人たちや、本気でシフトする意味がわからないくらいに思考が固まった人、はたまたこの技術なら全て解決できるのだから他のものはいらないという信仰を持った人などがいるし、乗る人もこの対極にいるのだろう。
多分20年後には関数型プログラミングとは違うなにかが天才たちの中から爆誕し、同じような議論が起きることは想像に難くない。
しかし人類はどうすれば簡単に1と0をコンピュータに保存できるのかということをひたすらに追い求めているのだから不思議なものだ。
たしかに極端な話1と0だけ打ち込めれば同じことはできるかもしれないが、その難易度は遥かに高くなっているし、現実的には不可能だろう。
企業がシステムにせいぜい20台程度のホストを導入するようなものだった。
今は百や千のオーダーでは聞かない仮想ホストにDockerコンテナが複数動きこれらが協調しなくてはならない、もしくは各自独立で動いても問題が起きてはいけないので、ここには関数型のデザインが合うと思うし、一方でデータにアクセスするところではトランザクションに強いJavaというように適材適所住み分ける必要がある時代になった。
当然Javaだけでもできるし、関数型たけでもてきるかもしれないが、こういう形の議論をする人はその技術が目的になっている。
継承やポリモーフィズムをする以上はスーパークラスのライブラリもなくてはならないが、それも億劫になっているのかもしれない。
今後関数型プログラミングがあらゆるものを席巻する時代になるかもしれない、OOPがそうであったように。
それとも人々はもうそういう不毛なことはしないのかもしれない。もはやそういう時代は過去のものになったと考えたほうが良いだろう。
関数型プログラミングの理解よりも、オブジェクト指向の習得よりも、目的を達成する最小のコードをエレガントに書くといういわゆる画力が何よりも先に求められる時代に入ったのではないだろうか。
座右の銘は「人畜無害」。褒められもせず、苦にもされない人生だと思う。
生まれは地方の小さな町だけど、高校は県内の公立トップ校に進み、大学も東大京大とはいかなかったが東京の上位私大に潜り込んだ。
就職も志望していた大手企業に入って、マイナーな職種のため大出世こそ望めないものの食うに困らない賃金を得ている。自分の部署の中ではまあまあ重宝がられてるとも思う。
年齢=彼女いない歴の童貞・非モテだけど、男女問わず飲みに行ったり遊びに行ったりしてくれる友達はいる。
趣味といえるほどめちゃくちゃに凝ってるわけではないけど、旅行も好きだし展覧会や観劇に出かけたりもする。運動はそんなに好きではないけど、太りすぎも痩せすぎもせず、まあまあ健康だ。
両親も健在で実家は地元に残った兄が継いでいるし、家族仲も大してよくはないけど致命的に悪いわけでもない。いまはコロナ禍もあって景気は悪いらしいけど、少なくとも外の学校に行かせてもらえるくらいには経済的に恵まれていた。幸いなことに両親とも毒親ではなかったと思う。
東京生まれ東京育ち、親が大企業勤めや官僚とかで自分も東大や海外有名校を出たというような偏差値70超えの人生ではないけれど、経済的に困窮したり家庭が破綻してたり、ものすごいハンディキャップを背負ったりしているというわけではない。
それでもときどき、生来のものぐさな性格からか「生きるのめんどくさいなあ」と思う。将来に対するただぼんやりした不安というのも多少はあると思うけど、そういうのも含めて「なんかめんどくさい」のだ。
よくも悪くも自分の能力はわかっているし、自分の性格もよく理解しているから今後も突飛なことはしないだろうなと思う。結局のところ、生まれて飯を食ってクソして死んでいくだけなのかと思ったりもする。
とはいえ自殺する気も今のところない。安楽死は悪くないなとたまに思ってしまうけど、死後というものが(観念的なものとして)どういうものか想像できないだけに積極的に選ぶような勇気はない。
特定の宗教を厚く信仰していて死後の世界を信じられていたら(宗教における自殺の是非はともかくとして)もう少し楽だったのかもとも思う。しかし今さらになって急に何かを信奉するのは難しい。
自分のことはよくわかっているので、何かアドバイスが欲しいわけでもない。たいていのことは「自分でもわかってはいるんだよね。でもそうするのは難しい」って思ってしまうのだ。
何かわかりやすい解決策が見つかるでもなく、これからも淡々と生きていくんだと思う。
自分でも贅沢な自慢話だと思うけど、なんとなくよく眠れず、ぼんやりと考え事をしていたアラサーのたわごとだと思って聞き流してほしい。
地方の農業衰退って結局嫁が来ないから(嫁が地獄見るから)だけど、農業が嫌いで女が嫁がないんじゃなくて、女が嫁ぐという観念が嫌いで「農家の嫁」が避けられてるだけだからね
農業大学とか獣医学部生化学系って優秀な女性多いし、女性だけの街というコンセプトなら農業志望する女性も結構いる気がする
住むまでは行かなくても協力してくれる人は多いんじゃないかな。
性差別的っていうか、自治区みたいなもんでしょ。問題ないよ。世の中結構そういうのいっぱいあるからね。フリーセックス教団とか幸福会ヤマギシ会とかあるくらいだし。オウム真理教もサティアンで信者同士で暮らしてたわけだし
警備は厳重にした方がいいだろうね。女子大に不審者が大量出没するように、不審者だらけになるのは想像に難くない。ここは監視カメラ、アルソックなり、警察なり、外部サービスを男込みでバリバリに活用していいと思う。
近所の山間でとても良い感じの、しかし変わったハイキングコースを見つけた。
一般車両侵入禁止なのに何故か道は広くて、コース中に大きな駐車場がある。そこには周辺のマップ看板が置いてあった。
見ると、駐車場が完備されてて子供が遊べそうな広場とか水遊び場とかが他にある事がわかる。
しかし実際は各所ロープや柵で閉鎖されてて、使えなくなっている。そもそも現在は車はここに入ってこれない。
周りを見るとこうなった理由はわかる。
異様な数の火気厳禁の看板、不法投棄の山、落書き、破壊された設備の数々。
かつては賑わっていたであろうこの場所を台無しにしたくそ野郎がいたのだ。
閉鎖されたのは10年20年も前だろうが、このあたりの治安はさほど変わってないのだろう。公園にゴミはすぐに散乱するし、木製ベンチはすぐに炎上する。
かつての姿を想像するといてもたってもいられず、ダメ元で行政にはこの場所を復活してほしい、警備もしっかりな、と意見書を出しておいた。
元増田のことを、前に「悪事をはたらく人間が悪いのではなく、悪事に駆り立てた状況が悪い」って感じの思想について語っていた増田と同一人物だとみなして、以下を記す。
私がこれらの増田から感じとったのは、元増田はおそらく"日常的に被害者意識を感じる環境にいる"ということ。
社畜なのか、家庭内不和なのか、恋人友人が居ないのか、同人活動による承認欲求を満足に満たせていないのか…具体的にどんな環境なのかは不明だが、所属している社会環境に不満があるんだろうなと感じた。
特に"自分の思想が正当に評価されていない"という不満を強く感じる。
>> 見つけてほしくて書いてるわけじゃなくて <<
元増田はこう書いてるけど、"誰かに聞いてもらえないと消化できない感情"てのはあると思うから、それを発散したくて増田に書いているんじゃないか? message in a bottleみたいな感覚で。
でもな、増田は小瓶の中の便箋じゃないんだよ。書いた文章は即座に全世界に晒されるだけじゃなく、自動的にタグが挿入され他の増田に紐付けされる。
増田は"見つけてもらいやすい"ブログサービスなんだよ。元増田もご存知だろ?
>> 特定の個人に否定的なこというと火矢が飛んでくるって相当グロいよね <<
なぁ、元増田よ冷静になってくれ。
"否定的なことをいう"っていうのは、"火矢を飛ばす"のと何が違うんだ? どちらも同じ意味なんじゃないのか?
"火矢が飛んでくるグロさ"を元増田が知っているのなら、"否定的なことをいう" "否定的なことをいわれる"のも、どういうことなのか知っているんじゃないのか?
元増田は、自分の発言は誰にも届いていないと認識しているのかもしれないが、インターネット上に載せる以上、誰かに見られていると思わないといけないんだ。
そして、元増田の発言を見た人がどんなことを感じるのか、それを想像して言葉を選ばないといけないんだよ。
元増田は同人作家らしいから、"見た人がどんなことを感じるのか想像すること"には慣れてるはずだろ?
絵が上手い人たちは、自分が描きたいものを表現するために練習を重ねているが、"描きたいもの"というのは"見た人が◯◯だと感じるもの"と究極的には同じだと思うんだ。
自分の表現に対して、他人がどう感じるのか。これはトライアンドエラーで学んでいくしかないと思う。
元増田は「自分に悪意はない」と認識しているが、今回は元増田の表現から悪意を感じる人が出てしまった。元増田はびっくりしたんじゃないか? 曲解されたと感じたんじゃないか?
ここで"人によって感じ方は違う"と投げ出してはいけないんだよ。少なくとも、法治国家に所属しているうちは、そのコミュニティーで通じる表現法則を身につけておく必要があるんだ。じゃないと誤解ばかりされて、誰もハッピーになれない。
とてもしんどいことだが、トライアンドエラーを重ねて、自分の思想を他人に正確に伝える力を身につけなきゃいけない。
そのためには、様々なバックグラウンドを持った人々と、なるべくたくさん交流した方がいい。
悪気はなかったのに他人を傷つけてしまったことなんて、誰にだって経験はあるんだ。そのことに気付いていない人もいるだろうけどね。
ただ、悪気はなかったとしても、傷ついた人のその傷は消えてしまうことはないんだ。どうにかして癒す必要があるんだよ。悪気はなかったのならさ、傷ついた人にも寄り添えるんじゃないか?
いや、悪意なく傷つけてしまった相手に寄り添おうとする姿勢こそが、悪意のなかったことを一番証明するのだと思う。
元増田は、きっと正義感が強く、弱い者に寄り添おうとする優しさも持っていて、それゆえに日常的に所属環境への理不尽さに疲弊していたんじゃないかと思う。だから、どうか自暴自棄にならず、理想の自分になることを諦めないでくれ。
表現を磨くのはトライアンドエラーの繰り返しなんだ。きっと明日の元増田は、今日の元増田よりももっと表現力を身につけた元増田になれるはずだから。
がんばれ!
女の性欲が薄いのは、日本では男が身勝手なホモソーシャル的なAVやエロ漫画によるクソ文化を発展させてきたので常に女は男に鑑賞され女にとって性が嬉しいものになることが全く想像できないから
気持ち悪い男のオモチャにされるなり支配欲や男の女を好きにして狂わせたい欲にひたすら当てはまるように強いられるようなミソジニー極まるしんどいものが増えすぎているから
自分が週5で妻と同じメニューの弁当を一年間同じ時間までに作るまでは文句言えないかな
そもそも人によって快適な動作線とか快適な作業ペースとか宗教とか考え方とか何を快適と感じるかとか様々なので 共同生活なら当然かなと思う
夫婦の問題というより、自分と異なる他者との共同生活の経験が少ない 日本が単一文化圏の感覚 自分の家だけの感覚で育ってしまうので ダイバーシティ理解が足りない
個人的にはガチャガチャ音立てずに静かに皿洗いくらいなら早朝起きる前だとしてもやってもらえたら喜ぶんじゃないか?それで起きても不快にはならないのではないか?と想像する
うるさいと言われたら改めれば良いだけ
というか事前に聞けば良いだけ
何時くらいまでにお皿洗いが終わってたらいい?起こしちゃうのが心配なんだけど と
日本人はとかく話さないのを美徳と思っているのか話し合うのに不快にならないかなどといちいち感情を気にする。相手が感情をコントロールできない前提に立つのだ。(成人なのに。カルトか)それで揉めてるんだから物理的に意味不明だよ
https://anond.hatelabo.jp/20220520125046
すべての軸が恋愛にしかない、三角関数どころか小学校の算数レベルの計算すらできないから損得勘定とかバランスとかの話しても無駄