はてなキーワード: 富豪とは
仮に今後性同一性障害が器質的な病気だったと判明しても、気分障害的なやつだとしても
これでいいじゃんか
もちろんどんな病気の方も差別されることなく人生を謳歌できるような世の中であってほしい
でもできることできないことはあるじゃん、病気持ってたら多少の不便はあるよ
足がなかったら走れないだろ、でもかわりに車椅子自転車とかでランナーたちをぶち抜くことはできる
エレベーターの無い店の料理を食えないかもしれない、でも他の美味しい店を探せばいいじゃん
こんなの病気に限らないよな
例えば足の大きい女性は有名メーカーの可愛いスニーカーが履けないかもしれない
富豪でもなきゃメーカーに特注サイズ作らせることはできないけど、大きいサイズを作ってくれるメーカーは探せばあるし
メンズを履いても合わせる服やら小物やらでみんな工夫しておしゃれしてるわけじゃん
それはもうしゃーないじゃん
なるほど……
さっき私が言ったのは要するに「辛いのはお互い様だよね」ってことだと思うんだけど、「お互い様だよね」って、持つものから持たざるものへ言う言葉じゃないと思うのよね。
増田の例を借りれば「富豪」から「貧困の人」に対して「お互い辛いよね」って言うと、見下してんの?って話になるというか、何を分かって言ってるの?ってなると思うのね。
そこで、私は「男であること」「女であること」を総じて見た場合に、富豪と貧困のような、数値で測れる明らかな大小・高低の差はなく、どちらかが「持つもの」「持たざるもの」という立場の差はない、平等なものであると思ったので、「お互い様だよね」という言葉を使ったし、「お互い様だから、相手の立場や境遇に思いやりのない、相手を傷つけるような言葉はやめませんか」と言う提案をしたわけです。
わたしは生きてきて自分が女だから得したなと思うことも、女だから損をしてるなと思うこともあるから、男性も同じようにそう言った場面があるだろうと思って、そういう損得はある程度男女間でプラマイゼロになってるんじゃないかと思っているので、「お互い様」と言った、ということですね。
だけれども、ある特定の場面や物事において、世間一般的に「男だから損をした」「女だから得をする」あるいはその逆となるケースも事実としてあるわけですよね。
『会う段階に至ってたらもうそれ選ぶの女側でしょw』
にあるように、恋愛の、専ら入口である出会いの場面において女性が優位であると増田が感じていて、かつ、その特定の場面についての女性の優位性にフォーカスを置いて話していたのなら、わたしの「お互い様」という論理や言葉は受け入れられないだろうし、不快な思いにさせたと思うので、謝ります。ごめんなさい。
ちなみに、私はそういう場面でも、女性が優位ということはないと思っていますし、もし増田の言う通りその恋愛の入口部分に女性優位な場面があったとしても、たとえば同じ恋愛という場面の中でも、性交渉を含む男女関係に段階が進んだ場合の性交渉におけるリスクのみにフォーカスすれば女性の方にリスクが多く生じやすく「女性の方が劣勢の立場におかれる」という場面があると思うので、やっぱら総じて見たら「お互い様」なんじゃないかなと思うのです。
そういういろいろな社会生活の中での役割や立ち位置を含め全体として、男女ではそれぞれ別の、あるいは同じ生きづらさを抱えていると思うので、「女だからいい」「男だからいい」という言葉選びは安易だし、人を傷つけることがあるのではないかと思って言いました。
高身長という性的魅力を備えた男性によるスマートなエスコート(恋愛スキル)を求めるなら、自分が稼いで食わせたるわくらいの甲斐性見せないとヤリモク男・結婚詐欺男にひっかかるだけだし、
生活力(=一定以上の年収、経済力)を求めるなら、経済力を持ってるのに理由があって結婚できない(=性的魅力がない、恋愛スキルがない)男でなけりゃ高い金払って婚活サービスなんて使わない。
恋愛スキルがあって高年収お男は婚活サービスなんて使わずとっくにいい女と結婚しとる。(元増田は希少な例外)
若くて美人か、資産数億あるような大金持ちの富豪女ならそんな男と結婚できるだろうけど、自分だって婚活サービス使わないと男見つけられない立場でしかないのに
そこを理解できず(身の程を知らず)、年収も身長もあって当然、コミュ力があってキモくなくて当然、そのうえで恋愛スキルがあって私をスマートに楽しませて当然、ていう高望み女が多すぎるんだよね。
矢島 楫子(やじま かじこ、1833年6月11日〈天保4年4月24日〉 - 1925年〈大正14年〉6月16日)は、日本の女子教育者、社会事業家。
肥後国上益城郡津森村杉堂(現・熊本県上益城郡益城町)の惣庄屋矢島忠左衛門直明・母鶴の1男7女の6女(末子)に生まれ、かつと命名された。極端な男性社会にあって度重なる女児の誕生は歓迎されず、名付け親は10歳違いの姉である三女・順子であった。順子(竹崎順子)は、横井小楠の高弟である竹崎茶堂と結婚し、熊本女学校校長となった教育者である。また、順子のすぐ下の姉・久子(徳富久子)も同じく横井小楠の高弟である徳富一敬と結婚し、湯浅初子・徳富蘇峰・徳冨蘆花の兄弟を生んでいる。蘇峰は明治、大正、昭和にかけての大論客、蘆花は明治、大正の文豪である。また、かつのすぐ上の姉つせ子(横井つせ子)は横井小楠の後妻となった。この姉妹4人は「肥後の猛婦」、「四賢婦人」と呼ばれた。
かつは学校などない当時、一通りの教育を母から厳しく身につけさせられるが、もとより勝気で秘めたる情熱の持ち主だったかつは、やがて母亡きあとは母に替わって兄・直方のために尽くす。その兄も妹のために良縁を求め、かつ25歳の時、初婚にはもはや遅いとして既に2男1女を儲けていた富豪林七郎(1828年生) を家柄・人物ともに相応と認め、後妻として嫁がせる。林は武家出身で、横井小楠の弟子であった。後年楫子自身の口からも「この人は気品の高い、竹を割ったような人でした」と語らせるが、家族への乱暴など夫の酒乱の悪癖にかつは極度の疲労と衰弱で半盲状態に陥り、かつ自身も三人の子まで儲けながら、このうえは身の破滅と思い、末子達子を連れ家出する。迎えに来た使いの者に見事に結い上げていた黒髪を根元からプッツリ切って紙に包み、無言の離縁を言い渡したのである。明治元年(1868年)、これを転機に新しい一歩を踏み出す「新生元年」ともなった。
妹たちの間を転々とする間、兄・直方が病に倒れ、達子を置いて上京を決意する。長崎発東京行き蒸気船に乗り込み、船上にて自ら「楫子」と改名する。兄は大参事(副知事)兼務の左院議員で、神田の800坪の屋敷に書生、手伝いらはもとより千円という借金を抱えていた。楫子はその放漫財政を正し、3年で借金を片付けると、生来の向学心から教員伝習所に通うこととなる。明治6年学制が施行され全国に小学校が設置、訓導試験に合格した楫子は芝の桜川小学校(現・港区立御成門小学校)に採用される。当時教員初任給3円のところ、楫子は5円という破格の待遇であった。
このころ長姉・藤島もと子が息子二人と、直方の妻・糸子も子供をつれて上京、兄宅は一気に賑やかになった。しかしそうした喧騒の中、楫子は妻子持ちの書生との間に女児を宿す。堕胎や父親に渡すべきだと諭す姉の言を受け入れず、楫子は妙子(鵜飼猛の妻、湯浅清子の母)と名付け、練馬の農家に預けて独り下宿生活に戻る。そんな折届いた兄からの手紙で、熊本に残してきた長子・治定がキリスト教徒になったのを知り愕然とする。熊本洋学校生徒35名による花岡山キリスト教奉教同盟事件である。治定だけでなく甥の横井時雄、徳富蘇峰、徳冨蘆花も参加している。やがて熊本洋学校は廃校になり、彼らの一部は、新島襄の同志社に入学し、熊本バンドと呼ばれることとなるが、この熊本バンドは札幌バンド、横浜バンドと並び日本におけるキリスト教の三大源流と言われている。教え子の居宅で父親の酒害を目撃し、寂しさでタバコを覚えた楫子だったが、悩める楫子にとってもキリスト教はわが子の信じる宗教であり、遠い異国の宗教ではなくなった。
明治11年(1878年)、楫子は後半生に多大な影響を受ける米国の宣教師で教育者のマリア・ツルー夫人と運命的に出会う。明治7年(1874年)にB六番女学校として設立された築地居留地にある新栄女学校の教師に請われ、住み慣れた下宿を引き払い、同女学校寄宿舎舎監室に移る。
自ら吸いかけのタバコによるぼや騒ぎを起こして禁煙を決意、翌12年(1879年)築地新栄教会でディビッド・タムソンから洗礼を受ける。ほぼ同時期に、三人の姉である徳富久子、横井つせ子、竹崎順子も洗礼を受けている。当時17歳のキリスト教徒であった甥の徳富蘇峰は、純粋がゆえに楫子の洗礼に際して、「過去の過ち(1.幼いわが子を置いて家を出たこと 2.妻子ある人の子を産んだこと)」を告白すべきでないかとの手紙を送っている。しかし、楫子は幼い妙子のことを考え、死ぬまで「過去の過ち」を公表することはなかった。
明治14年(1881年)夏、櫻井女学校の校主(現在の校長と理事長を兼ねた職)代理に就任。楫子は校則を作らず、「あなたがたは聖書を持っています。だから自分で自分を治めなさい」と生徒たちを諭したという。
明治23年(1890年)、櫻井女学校と新栄女学校は合併して女子学院となり、初代院長に推される。
明治29年(1896年)、恩師のツルー夫人が55歳で客死。楫子64歳であった。
一方、恵まれなかった結婚生活や小学校教師時代に抱いた心の疑問から、楫子は「一夫一婦制の建白」、「海外醜業婦取締に関する建白」を政府に提出、国会開設と共に二大請願運動として継続する。
楫子の情熱は日本に止まらず日本国外にも向かい、明治39年(1906年)、74歳にして渡米、ルーズベルト大統領と会見。激務のため白内障を患う。大正9年(1920年)には欧米の旅に出掛け、翌10年(1921年)には満州に、同年から11年(1922年)にかけては三度渡米、このとき楫子89歳であった。教職は大正3年(1914年)、女子学院院長を後裔に譲り、齢81で名誉院長として退いた。その後は禁酒運動、公娼制度廃止運動等に尽力するも、大正もその幕切れを迎えんとする大正14年(1925年)6月半ば、楫子は眠るように大往生を遂げた。明治、大正といういまだ婦人が一個の人間として尊重されることのなかった時代に、楫子は婦人福祉のためにその一生を捧げたのであった。
富豪でプライベートジェットでも無い限り、数千万も現金持って移動しようとしたらフツーに税関に止められますわ
藤圭子さんに米国差し押さえの現金返還
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20090128-454821.html
歌手宇多田ヒカルの母、藤圭子さんの元所属事務所「ユースリー・ミュージック」は28日、藤さんが06年、米ニューヨークのケネディ国際空港で米国側に差し押さえられた現金約42万ドル(2022年だと約5,437万)について、米国側が藤さんに全額返還することで両者が合意したと発表した。
米空港当局は06年3月、同空港からラスベガス行きの航空機に搭乗しようとしていた藤さんの手荷物からプラスチックの袋に入った多額の現金を発見。麻薬探知犬が反応したため差し押さえた。藤さん側は「薬物取引など違法行為に関連したものではない」と主張し、返還を求めていた。
事務所は「米側は差し押さえを根拠付ける証拠を出せなかった。両者の合意に基づき27日、ニューヨークの連邦地裁で返還を命じる決定が出た」と説明している。
なので国内で使うしか無い、だからFXとかオンラインカジノとか反社とか選択肢めっちゃ少なくなる
日本映画界の大御所・原田眞人監督、パワハラ告発に反論「事実無根の誹謗中傷」
文=Business Journal編集部
ニュースサイトで読む: https://biz-journal.jp/2022/04/post_288951.html
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>一連の告発について当サイトが原田氏に見解を問い合わせたところ、次のような回答を得た。
~(略)~
>ちょい役でも大切にすることから、私の作品に参加したいという無名の役者が多いことに繋がっています。
参加したいのは大作映画だからであって、原田組だからというわけではないかもしれませんが、原田氏はそう思うことはないでしょうね。
この作品には参加したいけど、原田組ならやめとくか…と思う役者の方が多いか少ないかはわかりません。
>彼女のセリフは数シーン程度の短いものだったので、あとで吹き替えればいいのですが、本人のために、なんとか演じ切ってもらいたかったため、ぎりぎりまでねばっているうちに泣き出したのです。私は、多数の俳優・女優と撮影をしてきた経験から、彼女の涙は悔し涙だと理解しています。いずれにせよ、彼女のセリフは別の女優に吹き替えてもらっています。
人の心は複雑なので、自分の不甲斐なさへの悔し涙かもしれません。悔しさ100%というのは原田氏にとっては都合の良い解釈ではあります。「悔しさからだと思う。私の行動は適切だった」ということも可能ですし、「悔しさからだと思うが、私のやり方にも反省すべき点があったかもしれない」と主張することも可能でした。
>現場を離脱するスタッフが出ることはありますが、大抵が本人の事情です。私に怒鳴られたからやめた、というスタッフがいたという記憶はありません。
会社をやめるとき、理由を説明する言葉は100%真実でしょうか?
上司がパワハラ野郎だから辞めよう、と思うとき、正直に申し出る人はどれだけいるでしょうか?
家族が病気になったので…とか、カドを立てない理由を選んで辞める人の方が多いのではないでしょうか?
子育てが大変で…と言って辞める人も、本当は給与含む職場環境が良ければ辞めないのではないでしょうか?
「私に怒鳴られたからやめた、というスタッフがいたという記憶はありませんが、もしかしたらそういうこともあったかもしれません」と言ってもよかった。
>スタッフの大多数は、原田組の現場は愉しい、と言ってくれます。
△残っているスタッフの大多数は、原田組の現場は愉しい、と言ってくれます。
愉しいと思える人だけが残った生存バイアスだったらまだ良い方ですが、おべんちゃら、生存戦略かもしれませんね。
パワハラ野郎の下で働いていて、辞めて次に同等以上の職場に移れるあてもない時に、”原田組の現場はクソみたいだ”、と言うのは自分の首を絞めるだけですからね。
「スタッフの大多数は、原田組の現場は愉しい、と言ってくれますが、つらくて辞めた人もいたかもしれません。改善できる点があるか、考えてみます」と言うこともできましたが、そうではなかった。
映画『ジャンゴ 繫がれざる者』で、奴隷を支配する富豪白人キャンディ(ディカプリオ)の側用人として奴隷を手ひどく扱うスティーブン(サミュエルジャクソン)が黒人だったように、原田組に「適応」した人が「愉しい」と思っていたの可能性もあります。増田の想像力が過剰なのかもしれませんが。
増田にわかりやすいようにQuoteすれば「封建社会の完成形は少数のサディストと多数のマゾヒストによって構成されるの」ですね。
上記3点、要するに原田氏は「私は悪くない」という被害者意識は強く、「私が悪かったかもしれない」という自省の意識には乏しいのですね。
ニュースサイトで読む: https://biz-journal.jp/2022/04/post_288951_3.html