はてなキーワード: 後継者とは
信康殺害が信長の命令だったという説はだいぶ疑問視されてるよね。
いまは家康と信康の対立が原因だったというほうが定説なんじゃないかな。
北条の場合、「完全に織田の臣下になっていた」というほどではないと思うけど、
力関係では織田がだいぶ上の同盟関係であったことは間違いないよね。
(織田・徳川の同盟もいつから対等じゃなくなったかは議論のあるところだと思うけど)
本能寺の変のときに滝川一益を襲撃しちゃったからそこでご破産だよね。
そもそも「織田家に臣従していたら豊臣にも臣従したはず」理論がおかしくない?
秀吉が織田家の後継を自認したことと、織田家に臣従していた大名がそれを認めるかどうかは別の話だよね?
その理屈が通るなら勝家も家康もおとなしく秀吉に従ってたことになるじゃん。
本能寺の変の時点で伊豆・相模・武蔵・下総くらいまでじゃない?
そこから織田がほぼ独力で武田を滅ぼしちゃって北条は何のおこぼれも貰えず、
「我が呼び声に応えよ獣」
「我が命にしたがえ機械」
「我が胸で眠れ亡霊」
「我が森に集え狼」
「我が塔に来たれ後継者」
「我が遺志を伝えよ魔王」
「我が聖都を濡らせ血涙」
「我が神に弓ひけ背約者(上)」
「我が神に弓ひけ背約者(下)」
「我が夢に沈め楽園(上)」
「我が夢に沈め楽園(下)」
「我が心求めよ悪魔」
「我が絶望つつめ緑」
「我が戦場に踊れ来訪者」
「我が庭に響け銃声」
「我が館にさまよえ虚像」
「我が聖域に開け扉(上)」
「我が聖域に開け扉(下)」
上記を正しい順番に並べよ。
わかんねーよ。
これに限らず、シリーズ物で続き物なのにナンバリングなしのサブタイトルありの作品結構あるんだよ。
あれは基本1巻完結だからまだマシだけど、
たまに過去の人物との絡みがあったりするからやっぱり順番に読みたい。
いやwww裏の発行日見ればええやろwwwwって言う人いると思うんだけど、
仮に発行日順に買ったとするじゃん。2020年4月、7月、11月、2021年5月みたいな感じでさ。
でも、これ揃ってるかはわかんねーんだよ。
実は2020年9月にもう一冊発行されてる可能性だってあるわけだけど、それはわかんねーんだよ。
続きものなら続きもので、何巻目かわかるようにナンバリング振っとけよ。
最悪タイトルには入れなくていいけど表紙背表紙どっかに書いとけ。
頼むよ。シバくぞ。
追記:
yosshi-k 背表紙にある整理番号でわかる。著者頭文字のひらがな-刊行会社内のひらがな内の著者の順番-著者の刊行順の番号になってる/参照) http://pro.bookoffonline.co.jp/book-enjoy/reading-skills/20160610-bunkobon-seiribangou.html
では問題です。
魔術士オーフェンはぐれ旅 我が塔に来たれ後継者 整理番号40-8
正解は第6巻。
整理番号40-1がデビュー作でオーフェンとは全く関係ない話。
整理番号40-7は魔術士オーフェン無頼編という短編集の第1巻。
整理番号40-6まで持っていて、次の巻を買おうと思って
整理番号40-8だけが書店にあった場合、次に買うのはこれでいいのか
それとも整理番号40-7を探すべきなのか、わかんないだろ。
しかも同時並行で全く関係ないシリーズとか書き下ろしとかを書いてる作家だと
発行番号はどんどん入り組んでいくんよね。
高齢化だしデパートと戦う競争力は無い。何よりも変わりたいと思わないし、保守性、地域性が重要。利益よりもコミュニティと道楽で店を続ける。
優れているのは外灯がついている安全性くらいだが、アクセスが良いわけでもない。持ち家商いは物価も安く観光客にはお手頃だが、如何せん変わらないから飽きる。情緒を味わいにたまに遊びに行くなら構わないけどさしてやることもない。
するとどうだ。別に競争する必要は無いし古き良き伝統を守るとか言い出す。だが、競争は望まなくてもさせられるし、古いだけの場所に後継者は集まらず伝統は生まれない。最後には役目を終えたとかなんとか理由をつけ、シャッターを閉め年金で暮せば逃げ切り完了。その場所は死ぬまで棺となる。
こうやって商店街から若者は消えたように、日本の若者は魅力ある国へ出ていく。国単位では実感しづらい問題でも、身近ですでに起きているんだって。
208年、曹操が南征を開始すると、荊州の劉表は死去した。荊州では劉表の後継者争いが起こっており、長男の劉琦を支持する側と、次男の劉琮を支持する側に分かれていが、優勢であった劉琮が荊州牧に就いた。荊州では曹操軍が到来したと知ると、劉琮は王粲の勧めもあり曹操に帰順した。曹操は新野の劉備を攻めようとした。しかし、劉備軍はいち早く撤退したので曹操は軽騎をもって追撃し、当陽県の長坂でこれを大いに撃破した。だが、劉備軍の被害はいたって少なく、彼らは江東の孫権と同盟して曹操軍と対峙するに至った。周瑜は部将黄蓋の進言を採用して、佯降を偽装して接近に成功した黄蓋が、曹操軍の船団に火を放つと忽ち燃え広がり。曹操軍を火計で破った(赤壁の戦い)。周瑜が劉備と再度合流して追走すると、曹操は曹仁と徐晃を江陵の守備に、楽進を襄陽の守備に残し、自らは北方へ撤退した(「呉主伝」)。
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208年、 Cao Cao が南征を開始すると、 Jingzhou の Liu Biao は死去した。 Jingzhou では Liu Biao の後継者争いが起こっており、長男の Liu Qi を支持する側と、次男の Liu Cong を支持する側に分かれていが、優勢であった Liu Cong が Jingzhou 牧に就いた。 Jingzhou では Cao Cao 軍が到来したと知ると、 Liu Cong は Wang Can の勧めもあり Cao Cao に帰順した。 Cao Cao は Xinye の Liu Bei を攻めようとした。しかし、 Liu Bei 軍はいち早く撤退したので Cao Cao は軽騎をもって追撃し、 Dangyang 県の Changban でこれを大いに撃破した。だが、 Liu Bei 軍の被害はいたって少なく、彼らは Jiangdong の Sun Quan と同盟して Cao Cao 軍と対峙するに至った。 Zhou Yu は部将 Huang Gai の進言を採用して、佯降を偽装して接近に成功した Huang Gai が、 Cao Cao 軍の船団に火を放つと忽ち燃え広がり。 Cao Cao 軍を火計で破った( Battle of Red Cliffs )。 Zhou Yu が Liu Bei と再度合流して追走すると、 Cao Cao は Cao Ren と Xu Huang を Jiangling の守備に、 Yue Jin を Xiangyang の守備に残し、自らは北方へ撤退した(「 Biography of the Lord of Wu 」)。
目が泳ぐ。覚えられる気がしない