はてなキーワード: 感受性とは
付き合って半年になる彼女がいるのだが、とにかくつまらない人間だと思うことが多くなってきた。
これといった趣味がなく、旅行やカフェ巡りを趣味とは言っているが、有名な観光地やインスタで有名なカフェに行くだけで、自分から何かを探したりするわけではない。
どこかで見たような写真を撮ってインスタに投稿して終わり。会う時に見せてくる写真も、見たことのあるような景色の劣化コピーでしかなく、心にもない「すごいね」という言葉を口にする度に、嘘をついている罪悪感が小さく自分を刺してくる感覚がある。
また、何もない休日はネトフリやYouTubeを観て過ごしているのだが、観るのはランキング上位の作品や有名なYouTuberの動画ばかりであり、これまた面白くない。
動画について尋ねても大した感想は出てこないし、話も膨らまない。
総じて主体性がなく、ただ薦められたものを薦められたとおりに消費するだけの人間なんだなと思い至った。
自分から旅行先や見る映画を選んでいる訳ではないからか、結果として感情もそこまで動いていないようだし、ただただ多数派のテンプレをなぞっているだけの人生を歩んでいるように見えて、本当に何が楽しいのかがわからない。
日常の会話も消費したコンテンツに対する言及ばかりで、それを受けてどう感じたのか、どこが良かったのかと言うことを訊いても「面白かった」「綺麗だった」程度の小学生並みの感想しか出てこない。
そのような人生を歩んできたからか、人間としても薄く、半年くらい一緒にいるだけでもう底が知れてしまったように思ってしまう。
感受性の薄さも相まって、出会ってからの半年での上積みもなく、無為な会話を重ねているだけにしか思えない。
一方で気遣いができて優しい人ではあり、日常生活でもしっかりした部分が見えるため、つまらない人間である以外は良い人なんだと思う。
結婚も意識する年になってきたのだが、この人と一緒になって面白くない人生を歩み続けるのは苦痛だろうなと思う一方で、彼女以上に優しくてしっかりした人間に出会えるような気もしておらず、どうするべきか悩んでいる。
同じ話なんだよな
子どもや犬猫に注意をするときは、必ずその場で注意するでしょ?
しばらく経って怒ったら、子どもや犬猫はなんのことで怒られているか、『???』ってなる
今、目の前で起きている事と過去のことは別のことだから、結びつけてはいけません
咄嗟に言いたいことが出てこないとかじゃないんだわ
どうしてもすぐに言葉が出なければ、それこそ子どもや犬猫を叱るみたいに、『コラ!』でも『ダメ!』いいよ
焦らずゆっくり、伝えたいことが言葉に出来るまで、相手に待ってもらいましょう
もしくは、別途時間を設け、◯◯日の△△頃にこの件で話し合いたいと伝えましょう
伝えたいことは事前にメモなどにまとめておくといいでしょう
元増田(https://anond.hatelabo.jp/20230910214945#)もなんだけど、
嫌なことは嫌って言わないとダメだし、それを聞き入れてくれない人と一緒にいちゃダメなんですわ
「今楽しんでるんだから、こんな時に言わないでくれる?」とはっきり言うべき
↓
↓
それは辛い
なんかうちと似てるな
「落ち着いて話して」「ケンカじゃなくて話し合いがしたい」とか言うと余計に怒る
誰もその話してないのよな。けど、こだわりがあるみたいだから言及すると、
怒りが最高のエンタメ化してる現代らしいので、快楽・報酬と言えばそうかも知れません
少なくとも、目的は達成できてるわけだし、何度も繰り返してるわけだし(通常したくないことならしない)
まさにどうしようもなく感受性の低い奴向けのたとえでは?
下記はカリフォルニア大学のビアンカ・アセベド博士の研究紹介動画と書籍と記事(Pod cast)、
HSP brain studies
https://www.youtube.com/watch?v=qep36Vy_0pE
> Did you know that the brain of a highly sensitive person (HSP) works differently?
> The results of fMRI brain studies conducted by Dr. Elaine Aron, Dr. Art Aron, Dr. Bianca Acevedo and their colleagues are quite fascinating.
エレイン・アロン博士、アート・アロン博士、ビアンカ・アセベド博士らが行ったfMRIによる脳の研究結果は、かなり魅力的です。
[Amazon] The Highly Sensitive Brain: Research, Assessment, and Treatment of Sensory Processing Sensitivity 1st Edition
https://www.amazon.com/Highly-Sensitive-Brain-Assessment-Sensitivity/dp/0128182512
> The Highly Sensitive Brain is the first handbook to cover the science, measurement, and clinical discussion of sensory processing sensitivity (SPS),
> a trait associated with enhanced responsivity, awareness, depth-of-processing and attunement to the environment and other individuals.
> Grounded in theoretical models of high sensitivity, this volume discusses the assessment of SPS in children and adults,
> as well as its health and social outcomes.
> This edition also synthesizes up-to-date research on the biological mechanisms associated with high sensitivity,
> such as its neural and genetic basis. It also discusses clinical issues related to SPS and seemingly-related disorders such as misophonia,
> a hyper-sensitivity to specific sounds. In addition, to practical assessment of SPS embedded throughout this volume is discussion of the biological basis of SPS,
> exploring why this trait exists and persists in humans and other species.
>
>The Highly Sensitive Brain is a useful handbook and may be of special interest to clinicians, physicians, health-care workers, educators, and researchers.
『高感度脳』は、感覚処理感度(SPS)の科学、測定、臨床的考察を網羅した初めてのハンドブックです。この巻では、高感度の理論モデルに基づいて、子どもと成人のSPSの評価、健康と社会的転帰について論じています。また、高感受性の神経基盤や遺伝的基盤など、高感受性に関連する生物学的メカニズムに関する最新の研究をまとめています。また、SPSの臨床的な問題点や、特定の音に過敏に反応するミソフォニアなど、一見関連していると思われる疾患についても解説しています。さらに、この巻全体に組み込まれたSPSの実用的な評価に加えて、SPSの生物学的基盤についての議論があり、なぜこの形質がヒトや他の種に存在し、持続するのかを探っています。
臨床医、医師、医療従事者、教育者、研究者にとって有益なハンドブックです。
[foreverbreak] Highly Sensitive People How to Tell If You’re an HSP + Shedding Light on This Misunderstood Trait
非常に敏感な人々 あなたがHSPであるかどうかを見分ける方法+この誤解されている特性に光を当てる
https://foreverbreak.com/podcast/s1/e5/
まぁ、アセベト博士でなくてもいいけど(TEDとかにもあるよ)
ってなってるね
チョコザップ笑う
あー。ジム通うとか優雅な暮らしがしてー。昔は通ってたなあ。長く生きてると人生が悪くなってくのって人として間違った生き方なんだろうなー
まあ一般的に見て老いってのは良くはないもんだけどね。頭も体も衰えるから出来ることが少なくなっていったり熱意が枯渇したりするもんだし
そんな状態だから人生が暗転していくという側面はあるだろうけども
それにしたって、普通の人間ならば金銭的には豊かになるしメンタルは穏やかになって若い頃の煩わしいことどもから開放されるとかあるもんだけど
真逆だなー
仕事に喘いで碌な稼ぎも貯蓄も無くて親は老いてくしメンタルは腐ってるし周りは煩わしさしかねえ
愉しいことを求める気力も無い。ひたすら休むことしか考えない
生きてて楽しいとか全く無いね。でも鬱になるほど自分を追い詰めたりしないから死ぬことも無いね。粛々と総てをやり過ごしながら生きてるだけ
嗤うわ
ヴェルタースオリジナルのCMで英国好々爺はそう言って市販品のキャンディーを孫に渡していた。
このCMに直接感化されたというわけじゃないが、俺はどこかで「こんな凄い商品を与えられる俺はきっと凄い奴なんだ」と感じて生きていた。
ゼルダ・マリオ・ハーゲンダッツ・ドラゴンボール、一般家庭の特に感受性が豊かでもないガキであっても親に強請れば特別な商品に囲まれて過ごすことが出来た。
俺はその環境の中で「俺もきっとこの商品に見合う凄いやつなんだろうな。センスの無いやつならこの凄さがわからないはずだから」と調子に乗っていた。
違った。
全然違った。
センスがあるとかないとかではなく、そもそも商品として売られているものを消費するのに特別もクソもないのだ。
世界一売れているゲームを遊んだからって、ソイツがこの世界で一握りの天才なんてことはなく、むしろこの世界でも屈指の凡人なのだ。
逆に超マイナーなものに触れていたら凄いかと言えば、それも全く関係ない。
消費行為は単に消費するだけであり、誰でも出来るので、何を消費したかはその人間の能力を何も証明しないのである。
俺はこれを本当に勘違いしてたんだよ。
「俺はガンダム全作品見てるからさ、宇宙のことにめっちゃ詳しいし、戦争や政治も分かっちゃうんだぜ?」みたいに勘違いしていた時期がマジであった。
実際には世界情勢のことも機会の仕組みも大学レベルの物理学も全然分からんただのアホなんだが、それでも「まだ知識が足りてないだけで、本質はすでに捉えてるから」と頭の足りないことを心の奥底で本気で信じてた。
市販品のヴェルタースオリジナルを親から買い与えられただけなのに、自分がヴェルタースオリジナルの創業者一族の一人であると勘違いするようなレベルの勘違いをしてた。
この歪みに薄々気づいていたのはかなり前からだけど、完全に毒を抜ききるのにだいぶ時間がかかったよ。
薄々気づいてからも「まだ消費が足りないのか?じゃあ今度はMSVを勉強しよう!そうすれば今度こそ凄い人間になれるのでは?」みたいな勘違いはどこかで残っていたからな。
アイドルやガチャにハマっちゃう人ってきっとこの勘違いをより深刻にズットズット続けてるんだろうな。
「凄いことをする人達の近くで消費活動をしたり、キラキラしたものを集めまくれば、自分も同じような特別ななにかになれる!」といつまでも思い込んでるんだよ。
スーパーヒーローの変身グッズを親から買ってもらってヒーローに近づけたと思い込んだその気持のままで、今度はもっと高い変身グッズを買えばいつか本物のヒーローになって皆から尊敬されるぞって勘違いしてるようなもんだよ。
買い支えることは出来る。
でもそれは腐葉土の下で腐り果てながら大樹を支えているだけで、木そのものにそこに咲いた花や実になることは出来ないんだよ。
勘違いしてしまうと頭がおかしくなって浦和レッズサポーターみたいになってしまう。
俺もそうなる危険性があったんだな。
分不相応な夢を見ながら、その夢に向かってするべき努力を見誤って消費活動ばかりしていた人生の後遺症がまだ人生に深く残ってる。
[B! 表現] ほとんどの人は、そもそも表現者になりたいとは思ってないのでは - ふろむだ@分裂勘違い君劇場
100文字に押し込めてしまったときに溢れだす部分が少しでも正確に伝わらなくなることに耐えられないから。
いいバトルだな。
俺も混ぜろよ。
タイトルと少しの間だけ矛盾することを許されるなら、多分俺は「(凄い)表現者になりたい」んだと思う。
でもそれは俺が望んでいることを実現するための手段として手っ取り早く一石三鳥出来るのが「(凄く売れっ子な)表現者になる」だからというだけだ。
まず、俺は大金が欲しい。
仕事辞めて好きなことだけして生きたい。
美味しいものを食べたいってほどじゃないけど、ふとトンカツを食べようとした時に余計なものがチラついてチリチリしたくない1ミクロンだって。
勉強したくなったときに専門書の値段を見てビビるような人生をやめて、一流の家庭教師を当たり前みたいに雇ってみたい。
とにかく金があればなんとかなる。
次に叶うならば神になりてえ。
神っていうのは人間を辞めて神話のそんざいになりたいとかじゃなくて、「ジャンルの神」ぐらいの立ち位置だ。
その界隈にいる人類の中で最上クラスの完成度で指先から直接発射するように出力したいものを飛び出させたいんだ。
はじめに言葉ありき、ヒカリアレのたった一言で宇宙を包む無数の光子が概念として生まれだしたと聖書は語るけど、これに近いナニカになりたい。
俺が「こういうの欲しい」と思ったら、次に意識が戻ってきた時にはそれが目の前にあって欲しい。
俺が選んだいくつかの限定的なジャンルだけでいいから、そのジャンルの全能になって脳が欲しいと思った物が現実にこの手の中に生み出せる存在になりたい。
俺は神になりてえ。
ただ単に、俺が思ったらそれが実現させてえ。
俺は人付き合いが苦手だ。
職場で人とすれ違うのさえ嫌で必要以上に距離を離して壁に身体を擦り付けるようにあるいては「当てつけか!」と怒られてばかりのダンゴムシだ。
理解したいという気持ちはこの世界に無数に散らばった創作物から作者の言いたかったこと探ししていれば何とかかんとか満たしていける。
でも理解されたさを満たすには誰かに自分をさらけ出さなきゃ駄目だ。
誰かの理解されたさと理解したさ、人に理解してもらえる人間であることの確認と、人を理解できる感受性の再確認、そのためのイニシエーション。だろ?
俺はそれを直接自分の体を人前に晒さないで少しでも済ませたいんだ。
だから創作物に自分ヲタクしてボトルメールを流す見てーな気持ちでこの世界に投げ込んで返事を待つんだ。
アマチュア無線が一時期あんなに流行った理由なんて結局コレだよ!
帰ってくる返事がカーテンの揺らぎだって俺が「届いたんだ!」」と思えればそれでいいんだけど、でもできれば「これはカーテンの揺らぎじゃない!本当に届いたんだ!」したいんだ。
そのためにはとにかくランダムアクセスの絶対数を絶対的に増やし続ける以外の近道はないだろ?
そうした欲望を叶えてくれる手段として「超有名な表現者になる」ってのは全く持って理想的ではある。
「表現者」そのものはともかく一握りの「有名な表現者」になれたら、きっと金と知名度が手に入る。
出張先の土産でとりあえずモンド・セレクションを受賞した中から選ぼうとするように、噂が噂を読んで、顧客が顧客を増やしてファンが生まれて、金が俺の懐に次々入ってくる。
そして俺は、仕事を通して金と存在意義を目指す必要がなくなったことを感じて、自由を手にするんだ!
あとはもう自分次第だろ?
手にした自由の大きさに振り回されて、何者でもなかったという自覚だけが自分のたった一つの武器だったんじゃないかって毎日後悔してるような人生が待ってる可能性だってあるけどさ。
もしかしたら俺は手にした自由をちゃんと強くなるために使って、強くなって、強くなって、強くなって、ある日ふと神に辿り着いてたって気づくかも知れないだろ?
神になる近道なんて時間と自信なんだよ結局は。
表現者として生きることが出来れば、表現し続けるために生きることが出来るだろ?
な?
誰だよこのさも「超バズってて大金持ちになってフォロー10人なのにフォロワー100万人のアカウントがないと表現者じゃないですよ」みたいな意味分からね―言葉の定義を始めた日本語下手くそ侍はよぉ!!!!
まあええわ。
でもそもそもさ、俺は「表現者になりたい」が目的じゃないんだよ。
俺の目的は最初に言ったように「大金」「神になること」「無数の消費者」でしかないんだ。
じゃあ、俺はどっちなんだろうな。
「表現者になりたい」でいいのか?
それとも「表現者になりたい」ではないのか?
は?
知ってるけど夢は見てもいいだろ?
ウンコが体内から体外へ出されると、くさいと嫌われるなら、そもそもウンコを作っている人間が嫌われることになってしまいませんか?
ウンコに対する感情や忌避の理由は文化や社会的な背景によって異なることがありますが、一般的に人々がウンコを不快に感じる理由はいくつかあります。
ウンコは体内の廃棄物であり、細菌やウイルスなどの病原体を含む可能性があります。
そのため、適切な処理や衛生対策を行わない限り、ウンコに接触することで感染リスクがあるとされています。
ウンコは特有の臭いを持つため、その臭いが不快に感じられることがあります。
臭いに対する感受性は個人差がありますが、一般的にはその臭いが他人の周囲に広がることは嫌なこととされています。
さまざまな文化や社会において、ウンコに関する慣習やタブーが存在することがあります。
これらの慣習やタブーは、歴史的な経緯や宗教的な信念に基づくこともあります。
多くの文化や社会において、清潔さや衛生に対する価値観が重要視されています。
不衛生な物質や状況は、これらの価値観に反すると考えられることがあります。
人々がウンコを忌避することは、その生物学的な起源や社会的・文化的な背景に由来するものです。
自身の体内でのウンコの生成は生理的なプロセスである一方で、他人に迷惑をかけることなく、適切な方法で衛生を保つことが大切です。
例えば、ロシアによるウクライナへの侵略でも「21本の薔薇」とか、虐殺とか、ウクライナ人児童の連れ去りとか、ほとんどの人が悲惨の極みだと感じていると増田は思うけど。
と主催している人たちですら
と言っているのであって、ウクライナでの戦争が悲惨なものだという点では、親ウクライナ派と認識を共有していると思うけど。
と言っている人がいるの?
それとも
と言っている人がいるの?
やれ改憲だ自衛隊の国軍化だと言う右派の人間たちですら、彼らの戦略とか兵站とかシビリアンコントロールの教養が貧弱とはいえ、戦争が悲惨なものであるという点まで否定している人間はいないと思うんだけど。
何処で、誰が
と内心では考えていると示唆するような、具体的な行動をしたの?
もしも、ウクライナ戦争の報道を見ても悲惨さを読み取れないのならば、それは
若干のネタバレありです
この映画は様々な考察がされてる、別に他人の考察を否定する気は全くない。
その上で考察をさせてもらう。
この映画は情報過多の社会で自分の芯を持てぬ若者へ継承を鳴らす映画だ。
ここ数年でインターネットやAI発展し「ググれば答えが出る」状態が普通になっている。机に30分向かうのではなくスマホで3分で済む。
そんな若者へ向けて、エンタメ製作者は「わかんなかった」と言われないように一生懸命、説明セリフを入れわかりやすくテロップを入れる。
昔は盗んだバイクで走り出してたのに、今ではうっせえわ!と他人のせいにして荒れ狂っている。
すぐ答えが出る時代だからこそ、その答えをすぐに信じるのが今の若者だとおもう。そしてその結果自分の理想とかけ離れてたら「わかんねぇ!うっせえわ!」と思っている
バイクで走り出したいという自分の欲望を大切にできていない。マナーだから守るのではない、自分が大切したいものをマナーにする必要がある。マナーってなんだそれ!って声を荒げちゃいけない。
なので、この映画のレビューは「わからない⭐️1」みたいなものばっかりだ。若者と冒頭で書いたけど本当は違う
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ。他人の考察を読んでわかった気になっちゃダメだろう
映画の話に戻るけど、戦後の日本の文化と海外の文化が入り混じり、住むところも母も変わりいろんな選択肢がある主人公は自分の人間らしい悪意と向き合いながら自分が決めた道をしっかり進む。
その行為や行動原理が正解かどうかは関係ない。あの子があの子として進む道が尊い
まぁ答えはぱやおのみぞ知るんだけど