はてなキーワード: データとは
1870年の平民名字許可令によって、誰でも名字を使って良くなった。これまでは平民は名字を使ってはだめだった。
1871年の戸籍法によって名字の登録が推進された。姓尸不称令によって名前は名字と名前になった
1875年の苗字必称義務令によって、名字を持つことが義務になった
1876年の戸籍法では夫婦別姓だった。そもそも慣習としては夫婦別姓だった。
夫婦別姓、と言うと少しニュアンスが違うけど、日本に於いては「親の姓を男女問わずに継いでいく」が基本だった。ただ、庶民には姓なんかないので、この辺は宙ぶらりん感がある
「戸主及ビ家族ハ其家ノ氏ヲ称スル、妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル」
というように書かれているので、結婚したら妻(女性)は夫の家に入るので、名字は夫の名字になるというようになった。
夫婦同性、と言うよりは、嫁自動的に夫姓になる制度と言っても良い。
そういえば婿養子ってなんだよと思ってこっちも調べた所、男性が親と養子縁組を結んで、その家の娘と結婚する、と言うクソめんどくさい手順によっているようだ。
ここまで見てみれば(と言ってもほうぼうで見かけた情報ではあるが)、夫婦同性というのは明治時代に導入された制度だが、「平民も名字を名乗っていい、いや、名乗れ」からの流れの中で「結婚したらどうすんの?」という感じで「夫婦別姓でいいんじゃね?このほうが自然だし」からの「いややっぱ旦那の姓をなのれ」に変わってきたという結構不自然な家庭を経ている。これを伝統と言って良いのであれば、国家が国民に強制してきたことが伝統になってしまう。
テクニカルに夫婦別姓を考えると、データ管理の点でのコストがあるというのはある。
DBなんかで詳しい人は「姓」にその戸籍の参加者を紐付ける形で管理していたが、この「姓」が家庭の単位を表さなくなったときにどうやって国民の戸籍情報を管理するのかという問題がある。いつ生まれて、どういうふうに転居し、誰と結婚して、子供が生まれて、離婚して、死別して、みたいなすべての履歴データを新形式にコンバートせよという難題だ。明治時代とかの手書きの戸籍謄本は電子化したうえで、ID割り振りという苦行が待っているだろう。待っていないかもしれないがこの辺は考え方次第かもしれない。
戸籍謄本は直系尊属はいくらでもさかのぼって取得して良いというものがある。これは、自分の親、親の親、親の親の・・・というようにさかのぼって戸籍が取得できる制度になるのだが、仮に「姓」で戸籍情報を管理する場合、別の情報で戸籍管理をする必要が出てくる。過去の人にもさかのぼって。
もしこういうプロジェクトを立ち上げた場合にやりたい人っているだろうか、いやいるまい。
夫婦別姓をシステムとして導入するには以下のステップがいるだろう。
何よりもきつそうなのは、戸籍データが各自体で各々管理されている(総務省が何かしらの方法で一括管理しているかもだけど)ので、この辺のすべてのデータを統合する必要がある。しかもやっている間も粛々と人々は結婚し、生まれ、離婚し、死に、転出し、転入する。
そういうわけなので、なにかウルトラCを考えないと、システム側からの夫婦別姓はかなりの困難を伴うだろう。
もしこの辺がきちんとシステム化された場合、例えば遺産相続で非相続者が登場するすべての戸籍謄本を集めなくてはならない(法的に他に相続権者がいないかを証明する必要があるので)というクッソだるいイベントがあるんだが、これを非相続者のIDで申請したら一気に全部取得できるとかそういうのはできるかもしれない。
夫婦別姓なんか「もともと何の問題もないので好きにしてください」位自由にできる。
氏名変更だってそんなに難しくない(しょっちゅう変えるとシステム的に良くてもみんな混乱するので何かしら規制は入るだろうが。)
名字って実質的に戸籍の名前とみなしても問題ないわけだけど、現行の戸籍制度を維持したまま夫婦別姓を容認すると、夫婦同姓の組と夫婦別姓の組が同じ戸籍制度の下で混在して、行政サービスの効率が非常に悪くなってしまうことが考えられるわけだよね。だから、選択的夫婦別姓を容認するためには、行政サービスの質を維持するためにマイナンバーによる一元管理を進める必要があるわけじゃん。それは、戸籍という「家」単位での管理からマイナンバーによる「個人」単位での管理という側面からも、合理的だと思う。
だけど、いざマイナンバーを普及させようとすると、リベラルの人たちはこれに反対するわけじゃん。(リレーショナルデータベースとかやったことある人ならインデックス付けて情報を管理するのがデータ構造の側面からも効率が良いってことは分かると思うけど。それはまあ置いといて。)だから、彼らは現行の戸籍制度を維持したまま、夫婦別姓だけは容認するという、ものすごく非効率的で非合理的なことを主張しているわけなのよ。
これは選択的夫婦別姓を実現する気がないと捉えられても仕方がないと思う。夫婦別姓を実現するためには、「家」単位ではなく「個人」単位で情報を管理する方法に変更していかなくてはいけない。そのためにはマイナンバーは絶対に必要。どうか夫婦別姓を「なんとなく男女平等で良さそうだから賛成」ではなく、確実に実現させるためにはマイナンバーが必要で、マイナンバーが全国的に普及して初めて選択的夫婦別姓という新たな選択肢が選択可能となることを念頭に置いていただきたい。
ただネットのデータじゃなくて悪いんだけど女子高校生のほうが自尊感情は低い(自己肯定感が低い)んだよね・・・amazon.co.jp/日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか~児童精神科医の現場報告~-光文社https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AE%E8%87%AA%E5%B0%8A%E6%84%9F%E6%83%85%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E4%BD%8E%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B%EF%BD%9E%E5%85%90%E7%AB%A5%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%A7%91%E5%8C%BB%E3%81%AE%E7%8F%BE%E5%A0%B4%E5%A0%B1%E5%91%8A%EF%BD%9E-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%8F%A4%E8%8D%98-%E7%B4%94%E4%B8%80-ebook/dp/B00GU4RAEY/ref=sr_1_3?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E8%87%AA%E5%B0%8A%E6%84%9F%E6%83%85&qid=1614185365&sr=8-3
https://data.oecd.org/healthstat/suicide-rates.htm OECDのデータだと日本の自殺者数7位男だけだと9位女性だけだと3位になってるね。
個人的な感情で人種差別と書いてしまったが、マレーシア政府からするとマレー人優遇政策らしい。が、正直人種差別だとしか思えないのでタイトルではそう書いた。
マレーシアは多民族国家である。2018年のデータでは、マレー系69%、中華系23%、インド系7%という人口構成比となっている。
中華系マレーシア人は19世紀ごろに中国南部から渡ってきて定住している人たちや、植民地時代に労働者としてヨーロッパ諸国に連れてこられた人たちの子孫である。
今回は主にマレー系マレー人と中華系マレー人の断絶について語っていく。
あくまで全体的な傾向だが、マレー系の人は良くも悪くもおおらかである。細かいことは気にせず、10時に始まる授業が始まるのは11時だったり、12時だったり、15時だったりした。基本約束は守らず、お店の人はずっとスマホを見ていたように思う。
一方中華系の人は、勤勉な人たちが多かった。何事にも一生懸命、留学したり、インターンをしたり、積極的な人が多かった。
全く違う性質を持つ2つの民族間の断絶は大きかったと思う。仲が悪いわけではないが、少なくとも私が住んでいたクラスの席は人種ごとに分かれ、ランチも、ショッピングも、人種が交わったグループで行われることはなかった。日本人の私は、マレー系の人からは「中華系の人たちは働きすぎて余裕がない。あんな働いてどうするんだろう」と、中華系からは「マレー系の人たちはあんなに怠惰でひどい」とよく言われていた。
こうしたことから生まれるのは経済的格差である。マレーシアは資本主義をとっているので、勤勉に働く人がお金を得られる。つまり、多くの経験をつみ、起業したり大企業で働く人の多くは中華系である。こうしたことで、経済を回すのは中華系の人々で、マレー系の人々は農業などの一次産業に従事するという構図が出来上がった。
ここに待ったをかけたのがマレー系の人々で、マレー系の人々を優遇することで、マレー系の地位を守ろうとした。そのための政策が1971年にうまれたブミプトラ政策である。
教育は、日本で言えば高校入試において男女別に枠を設けているのと同じようなものだ。こうした場合、性別ごとの最低合格点が異なることで不公平が生じることがある。マレーシアの国立大学では人種ごとの合格枠の比がその人口比とかけ離れているため、優秀な中華系が大学に落ち、マレー系ばかりが合格するということが多発した。
就職は、中華系の人には職業選択の自由が保障されていないということだ。中華系の人は、公務員にはまずなれない。もしなれても昇給などで不当な扱いを受ける。私の友人の中華系マレーシア人も、子供の頃から警察官に憧れていたが、途中で自分はなれないことを知って、その時はとても悲しかったと言っていた。
減税はそのまま、マレー系の人たちは車や家に関する税がかなり優遇されている。低金利ローンや住宅購入時の割引などもある。また、会社もマレー系の人が経営している場合はかなり税金の優遇措置がある。(中華系の人は、無能はマレー系を人形としてトップとしておけばいい、なんてジョークをよく言っていた。)
国際的な批判(マレーシアは人種差別撤廃条約を批准していない)や、中華系(や、とばっちりで差別されているインド系)の人たちの反発があり、ブミプトラ政策の緩和を推進する動きもある。
しかし、マレーシアは民主主義国家であり、マレー系の人口は全体の69%であることから、ブミプトラ政策の緩和という政策は話題になっては消えるということを繰り返してきた。
最近では2019年に選挙の結果首相となった93歳のマハティール氏の支持率は当初79%であったが、ブミプトラ政策を見直す姿勢を明らかにしてから、下院議員や州議会議員の補選で与党は3連敗し、支持率も39%まで低下し、デモも多発した。
もともとマハティール氏は昔も首相であったが、その際もブミプトラ政策の見直しをしようとして野党に転落した。
こうした背景もあり、実際ブミプトラ政策の撤廃は難しく、もし撤廃される日が来るとしてもそれはかなり先のことだろう。
マレーシアのことだから差別的だと思ってしまうが、他の国から来た何世とか言われる人たちが日本の富のほとんどを持っていて、政治的主導権も持ってたら、多分私もそれを良しとは心から思えないから。
お前の中では精々十数人が「いっぱい」なのか?
本当にそうなの?
にじさんじに所属するVtuberより登録者数の多い個人勢とかいっぱいいるよ
Vtuber系で度々問題が起きるのは、金儲けしか考えていない運営と注目を浴びて調子に乗りすぎたアホチューバーのせいだと感じる。
まずクソ運営は、自分らの儲けを減らしたくがないためにとにかく経費を減らそうとする。例えばイメージイラストみたいな感じの作品を絵師や漫画家に依頼するが、最初に提示した依頼料ではなく、あれこれ理由をつけて依頼料を減らしてくる。
散々描かせたあとにだ。
依頼の時はニコニコヘコヘコと頼み込んでおいて、出来上がった途端にいちゃもんをつけ始める。だからトラブルが尽きない。
描く前ならまだしも、描いた後にやるから論外。
描いたものを渡さなければ良いと考える人もいるだろうが、すでにデータを渡してしまっているので遅い。
いくら依頼のやりとりを記録していても、クソ運営は頭がとてつもなく悪いので、訴えられても負ける気がしないと思い込んでいるせいか強気な姿勢を崩さない。
運営自体の精神年齢が極端に低いので、悪い事をしているという認識がない。人として終わっている。
次にVtuber。
もともと子供のまま図体だけ無駄に成長している中のバカはモラルもマナーも何一つ学んでないために小学生だってわかるような事すら理解できないまま注目を浴びる喜びを知ってしまい、クソな事を当たり前のように配信で喋ってしまう。
ろくすっぽ常識を学んでないのにネット環境を与えると問題にしかならないという典型的な例である。
この問題で何が一番いかんかというと、その辺の姿をさらけ出している迷惑YouTuberと違って、3次元キャラの皮を被っているので素顔を見せずにやらかすという事。
バカに半匿名の場を与えるのは本当に愚かな行為で、そのバカのやる事を楽しんだりスパチャで貢ぐ阿呆は死んでも治らないだろうのは間違いないだろう。
これらが揃っているから、起こさないで良い炎上が起こる。そしてあいつらはバカなので何故炎上したかも理解できていないし、自分が悪い事に気づかない。
何か炎上でもしようものならば、適当にVtuberの契約を切れば良いし、Vtuber自身も適当に精神的問題がどうのこうのと理由をつけて、一時雲隠れするだけで反省なんぞ、どこにもしていないで厚顔無恥で戻ってくる。
ローベール・フォーリソンという、リビジョニストでおそらくは最も有名と言っていいフランス人がいた。いた、というのはこのコメント時点の3年前に89歳で亡くなったからである。
フォーリソン氏は、1970年前後くらいからホロコーストに疑問を持ち始めたらしい。そして、1974年ごろにイスラエルにあるホロコースト記念館(ヤド・ヴァシェムと呼ぶ)に長大な長さのホロコーストについての疑問をまとめた書簡を送った(無視されたようであるが、当たり前だと思うw)
フォーリソンがホロコーストに疑問に思ったのは、ざっくり言うと、世間で言われている内容が変だからだ。
例えば、テレビか何かだと思うが、ガス室と呼ばれた部屋に、窓ガラスがあったんだと。どんな映像か知らんけど、とにかくそんな画像か映像かを見たんだと。
そんなもんがガス室なら、ガラス割って逃げればいーじゃねーかと。
多分だけど、テレビか何かが間違って伝えたんだと思う、実際に戦後に残っているガス室とされる部屋にはそんな箇所はないからだ(あるにはあるがそれはまた別の話だからしない)。
で、そうしたいろんな疑問があるとフォーリソンは認識し、ついにあのアウシュヴィッツへ赴く。
そして、今現在もある有名なアウシュヴィッツのガス室に、アウシュヴィッツ博物館の案内係と一緒に赴く。
ここで重要なのは、フォーリソンはもはや既にガス室など信じてはいないのである。ヤド・ヴァシェムに大量の書簡を送りつけるほどガチである。
つまり彼は、シャーロック・ホームズの気分だったのである。どっかにアラはないかという視線しか彼にはない。
そして、ついに発見する。そのガス室の隣の部屋にある、いわゆる遺体の火葬炉の、遺体を入れる口元に、指で触れると煤がない……と。
先に答えを言っておくと、その火葬炉は、戦後に再現されたものだ。戦時中1944年中頃に、ガス室と火葬炉のあるクレマトリウムごと防空壕に作り替えてあったので、ポーランドが博物館にするために、もう一度ガス室に見えるように再現工事をしたのである(おいそこ!、戦後の捏造だとかゆーなw)。
その時に、撤去してあった火葬炉を元の姿に見えるように再現したのである。だから一部部品がなかったりする。
そしてフォーリソンは「やっぱりか!」という心境になったのか、一緒にいた案内係に向かってこう言った。
「ここは当時のままなのですか?」
すると案内係は
「はいそうです、当時のままです」
と答えた。
するとフォーリソン
(明らかに嘘を付いている、これはこのガス室を捏造したことを隠蔽しているに違いない!)
と確実な疑念を持つようになる。
だって、ガス室への疑問を持つのは構わないが、火葬場は別である。そこは間違いなく元々火葬場であり、ガス室とされているところは、最初は死体置き場だったからである。
図面もちゃんと残っているしガス室とは書いてないが死体置き場ときっちっと書かれていて、実際その図面をフォーリソンはその後すぐ入手しているのである。
実際、著名リビジョニストの全員だと思うが、誰一人、そこがが火葬場だったことに異議を唱えた人はいないはずである。
火葬炉の燃焼能力に疑問を持つのは否定派の定番だが、存在自体を疑った人は誰もいないであろう。
だからちょっと考えるだけで、煤の疑問は「再現されたからだ」とわかったはずである。あるいは疑問の根拠になってなかったのだ。
そして、それとは別に、フォーリソンはアウシュヴィッツ収容所の敷地内に、例の、否定派には有名なアウシュヴィッツのプールを発見する。
ところが、フォーリソンはそんな感じで「隠蔽」を疑っているものだから、案内係がプールに案内しないのはおかしい!とまた疑う。
(どうして絶滅収容所であるはずのアウシュヴィッツ収容所に娯楽用のプールがあるのだ? そして案内係はプールに案内しない・・・怪しい、隠す気だな?)と。
プールは1944年半ば頃設置の防火用であり、親衛隊がどう言うわけか飛び込み台まで設置させて娯楽用としても使えるようにしたのだが、そこはアウシュヴィッツ基幹収容所であり、絶滅現場のビルケナウではないし、虐殺なら1941年から始まっている(絶滅は1942年春である)。
ていうか、プールがあったからって何なんだ? プールがあったら残虐なことしてはいけないとでも言うのか?
この発想がのちに、劇場があるとか(敷地外に、元々ポーランド軍兵舎だった時代からあるのだが)、図書館だとか、そんな話につながっていく。
しかしだ、ガス室を始めとする歴史的存在である収容所を案内するのに、どうしてプールまで案内する必要があるのだ?
それじゃ、案内に関係のないボイラー室とかゴミ置き場とか全部案内しろとでも言うのか?
そんなことしたら、何日あっても案内が終わらないぞ。
さらに、細かい事実はあんまり知らないんだけど、フォーリソンはテレビか何かでおおっぴらにホロコーストへの疑問を公言するようになったものだから、とうとう逮捕されてしまう(民事かもしれないがその場合は読み替えて欲しい)。そして、上で述べたクレマトリウム1の捏造疑惑の話が裁判で出たのだが、検察側は戦後の再現である事実を証明するために、ある証人を出廷させる。ポーランド人でその再現工事に関わった人物である。証人は、工事内容を語り、煙突を再現したことや、ガスを落とすための天井の穴を再び開けたことなどを証言した。元々あった穴をコンクリで埋めてあっただけだから、簡単に開けることができた、と証言した。ところがフォーリソン、再現工事をした動かぬ証拠となる証言者に、疑惑を抱く。
(おかしい。私が疑っただけで、こんなにタイミング良く証人が出てくるとかあり得ない!)
と。いやいや待て。フォーリソンがそう主張するから検察が探してきたんだろ!
一応、アウシュヴィッツ博物館は戦後からずっとあるので、戦後に行われた工事関係の残っている資料でも漁れば、業者くらい簡単に見つかってもおかしくない。博物館だって積極的に協力するっつーの。
一事が万事この調子で、フォーリソンの信念が逮捕・有罪判決如きで覆ることはあり得ず、有名なホロコースト否定論裁判であるカナダのツンデル裁判にもほとんど裏の支配者(ほとんど表に出てるけどなw)として様々なアイデアや指示を与え、あの有名なロイヒター報告の最初の提案者にもなっているくらいである。彼には有名な決まり文句が二つある、その一つが、、
である。だからロイヒター報告の調査をやらせたのだ。彼らはこれが世界初のアウシュヴィッツガス室への法医学調査だと思っていたらしいが、実はそうではない。アウシュヴィッツ解放後にポーランドの地元、クラクフ法医学研究所がすでに調査をやって、青酸成分をすでに検出していたのであるが、その信憑性はともかくとして、二番目である。そしてロイヒター報告後に、同じ機関であるクラクフ法医学研究所が、再び詳細な調査(ロイヒターより遥かに精度が高い)を行なって、やはり青酸成分をきっちり検出している。
だが、このロイヒターとクラクフの矛盾を、フォーリソンは一方的にクラクフは正しくないとして無根拠に否定する。フォーリソンに言わせれば、陰謀当局がロイヒター報告に震え上がって、慌てて否定する調査報告を出したに違いない、となるのである。
こんな感じでどんどんフォーリソンは自身の信念をがっちり固めていったのである。こうなるともはや何を言っても聞かない。フォーリソンの決め台詞はこうである。
「私に一つでも証拠を! 一つでも証拠さえあればホロコーストがあったと認める!」
―あるわけない。だって、それはフォーリソンだけが納得する証拠だからであり、具体的にどんな証拠なのか絶対に言わないからだ。その上、どんなに確実な証拠を示したところで、フォーリソンの前では陰謀にされてしまうのだからwww。アメリカの有名な疑似科学批判者であるマイケル・シャーマーがフォーリソンに「具体的にどんな証拠が欲しいのですか?」と聞いても、答えは返ってこなかったそうな。なお、このセリフを真似しているのが西岡である。
ともかく、フォーリソンに反論なんかすると、それは全部、いわゆるユダヤ人の陰謀工作なのである。今でも例えばJアノンとかがそんな感じだと思う。ともかく、ホロコーストやガス室に対して、様々な証拠で確実性が高められたとしても、それはフォーリソンにとっては全く逆の効果を示し、「おかしい……そんな都合よく、後から後から証拠が出てくるのはあまりにも不自然である」にされてしまう。
フォーリソンが如何にガス室虐殺を認めなかったかということを示す興味深いエピソードがある。
フォーリソンほどではないにせよ、同様にホロコーストに懐疑的であったプレサックと言う薬剤師がいた。フォーリソンは確かにホロコーストについて博学なので、ホロコーストをモチーフにした小説を書く計画を持っていたプレサックは、フォーリソンに近づき、一時期一緒に共同研究ぽいことをやっていた。ある時、ナッツバイラー収容所のガス室の証拠とされていた資料を一緒に調べていたら、プレサックはフォーリソンがおかしいことに気づく。ある資料にどう考えてもガス室による殺害としか考えられないデータが記載されていたにも関わらず、「いやそれはたまたま書き間違えたのであろう」と、全くの無根拠で否定してしまったらしい。そしてそれがきっかけで、超優秀だったプレサックはフォーリソンと袂を分ち、自分で徹底的な資料調査(それまで一級の学者ですらそこまで調査したことのないレベルである)を行い、アウシュヴィッツのガス室で虐殺が行われたことを証明する、界隈では有名な『アウシュヴィッツ ガス室の操作と技術』を出版するのだった。これについてフォーリソンはどう思っていたかは知らないが、プレサックに修正主義者から足を洗わせたのは間違いなくフォーリソンの責任である。
ともかく、フォーリソンはガチでホロコースト否定教の教祖(始祖ではないが)になってしまったのである。ホロコーストが実際にはなかったと固く信じて疑わなかった稀有な人だろう。
リビジョニストでホロコーストがほんとになかったと心の底から思っていたのはフォーリソンだけだと思うよ。
あんな、キチガイじみた発想ができるのはフォーリソンを除いていないと思う。
他のリビジョニストはもっと論理的に話を進めるけど、フォーリソンはレベルがまるで違う。
悪意は全くなく、本気で信じてたわけだから。
現代のいわゆる一般的な市民否定派さんたちはある意味可哀想だと思う。だって、プールとか音楽隊とかの疑問を持ち出した始まりはこのフォーリソンだよ?
知る人ぞ知るYoutubeの例の動画にもある、プールの話。あれはフォーリソンが始まりなんだ。
ローベール・フォーリソンという、リビジョニストでおそらくは最も有名と言っていいフランス人がいた。いた、というのはこのコメント時点の3年前に89歳で亡くなったからである。
フォーリソン氏は、1970年前後くらいからホロコーストに疑問を持ち始めたらしい。そして、1974年ごろにイスラエルにあるホロコースト記念館(ヤド・ヴァシェムと呼ぶ)に長大な長さのホロコーストについての疑問をまとめた書簡を送った(無視されたようであるが、当たり前だと思うw)
フォーリソンがホロコーストに疑問に思ったのは、ざっくり言うと、世間で言われている内容が変だからだ。
例えば、テレビか何かだと思うが、ガス室と呼ばれた部屋に、窓ガラスがあったんだと。どんな映像か知らんけど、とにかくそんな画像か映像かを見たんだと。
そんなもんがガス室なら、ガラス割って逃げればいーじゃねーかと。
多分だけど、テレビか何かが間違って伝えたんだと思う、実際に戦後に残っているガス室とされる部屋にはそんな箇所はないからだ(あるにはあるがそれはまた別の話だからしない)。
で、そうしたいろんな疑問があるとフォーリソンは認識し、ついにあのアウシュヴィッツへ赴く。
そして、今現在もある有名なアウシュヴィッツのガス室に、アウシュヴィッツ博物館の案内係と一緒に赴く。
ここで重要なのは、フォーリソンはもはや既にガス室など信じてはいないのである。ヤド・ヴァシェムに大量の書簡を送りつけるほどガチである。
つまり彼は、シャーロック・ホームズの気分だったのである。どっかにアラはないかという視線しか彼にはない。
そして、ついに発見する。そのガス室の隣の部屋にある、いわゆる遺体の火葬炉の、遺体を入れる口元に、指で触れると煤がない……と。
先に答えを言っておくと、その火葬炉は、戦後に再現されたものだ。戦時中1944年中頃に、ガス室と火葬炉のあるクレマトリウムごと防空壕に作り替えてあったので、ポーランドが博物館にするために、もう一度ガス室に見えるように再現工事をしたのである(おいそこ!、戦後の捏造だとかゆーなw)。
その時に、撤去してあった火葬炉を元の姿に見えるように再現したのである。だから一部部品がなかったりする。
そしてフォーリソンは「やっぱりか!」という心境になったのか、一緒にいた案内係に向かってこう言った。
「ここは当時のままなのですか?」
すると案内係は
「はいそうです、当時のままです」
と答えた。
するとフォーリソン
(明らかに嘘を付いている、これはこのガス室を捏造したことを隠蔽しているに違いない!)
と確実な疑念を持つようになる。
だって、ガス室への疑問を持つのは構わないが、火葬場は別である。そこは間違いなく元々火葬場であり、ガス室とされているところは、最初は死体置き場だったからである。
図面もちゃんと残っているしガス室とは書いてないが死体置き場ときっちっと書かれていて、実際その図面をフォーリソンはその後すぐ入手しているのである。
実際、著名リビジョニストの全員だと思うが、誰一人、そこがが火葬場だったことに異議を唱えた人はいないはずである。
火葬炉の燃焼能力に疑問を持つのは否定派の定番だが、存在自体を疑った人は誰もいないであろう。
だからちょっと考えるだけで、煤の疑問は「再現されたからだ」とわかったはずである。あるいは疑問の根拠になってなかったのだ。
そして、それとは別に、フォーリソンはアウシュヴィッツ収容所の敷地内に、例の、否定派には有名なアウシュヴィッツのプールを発見する。
ところが、フォーリソンはそんな感じで「隠蔽」を疑っているものだから、案内係がプールに案内しないのはおかしい!とまた疑う。
(どうして絶滅収容所であるはずのアウシュヴィッツ収容所に娯楽用のプールがあるのだ? そして案内係はプールに案内しない・・・怪しい、隠す気だな?)と。
プールは1944年半ば頃設置の防火用であり、親衛隊がどう言うわけか飛び込み台まで設置させて娯楽用としても使えるようにしたのだが、そこはアウシュヴィッツ基幹収容所であり、絶滅現場のビルケナウではないし、虐殺なら1941年から始まっている(絶滅は1942年春である)。
ていうか、プールがあったからって何なんだ? プールがあったら残虐なことしてはいけないとでも言うのか?
この発想がのちに、劇場があるとか(敷地外に、元々ポーランド軍兵舎だった時代からあるのだが)、図書館だとか、そんな話につながっていく。
しかしだ、ガス室を始めとする歴史的存在である収容所を案内するのに、どうしてプールまで案内する必要があるのだ?
それじゃ、案内に関係のないボイラー室とかゴミ置き場とか全部案内しろとでも言うのか?
そんなことしたら、何日あっても案内が終わらないぞ。
さらに、細かい事実はあんまり知らないんだけど、フォーリソンはテレビか何かでおおっぴらにホロコーストへの疑問を公言するようになったものだから、とうとう逮捕されてしまう(民事かもしれないがその場合は読み替えて欲しい)。そして、上で述べたクレマトリウム1の捏造疑惑の話が裁判で出たのだが、検察側は戦後の再現である事実を証明するために、ある証人を出廷させる。ポーランド人でその再現工事に関わった人物である。証人は、工事内容を語り、煙突を再現したことや、ガスを落とすための天井の穴を再び開けたことなどを証言した。元々あった穴をコンクリで埋めてあっただけだから、簡単に開けることができた、と証言した。ところがフォーリソン、再現工事をした動かぬ証拠となる証言者に、疑惑を抱く。
(おかしい。私が疑っただけで、こんなにタイミング良く証人が出てくるとかあり得ない!)
と。いやいや待て。フォーリソンがそう主張するから検察が探してきたんだろ!
一応、アウシュヴィッツ博物館は戦後からずっとあるので、戦後に行われた工事関係の残っている資料でも漁れば、業者くらい簡単に見つかってもおかしくない。博物館だって積極的に協力するっつーの。
一事が万事この調子で、フォーリソンの信念が逮捕・有罪判決如きで覆ることはあり得ず、有名なホロコースト否定論裁判であるカナダのツンデル裁判にもほとんど裏の支配者(ほとんど表に出てるけどなw)として様々なアイデアや指示を与え、あの有名なロイヒター報告の最初の提案者にもなっているくらいである。彼には有名な決まり文句が二つある、その一つが、、
である。だからロイヒター報告の調査をやらせたのだ。彼らはこれが世界初のアウシュヴィッツガス室への法医学調査だと思っていたらしいが、実はそうではない。アウシュヴィッツ解放後にポーランドの地元、クラクフ法医学研究所がすでに調査をやって、青酸成分をすでに検出していたのであるが、その信憑性はともかくとして、二番目である。そしてロイヒター報告後に、同じ機関であるクラクフ法医学研究所が、再び詳細な調査(ロイヒターより遥かに精度が高い)を行なって、やはり青酸成分をきっちり検出している。
だが、このロイヒターとクラクフの矛盾を、フォーリソンは一方的にクラクフは正しくないとして無根拠に否定する。フォーリソンに言わせれば、陰謀当局がロイヒター報告に震え上がって、慌てて否定する調査報告を出したに違いない、となるのである。
こんな感じでどんどんフォーリソンは自身の信念をがっちり固めていったのである。こうなるともはや何を言っても聞かない。フォーリソンの決め台詞はこうである。
「私に一つでも証拠を! 一つでも証拠さえあればホロコーストがあったと認める!」
―あるわけない。だって、それはフォーリソンだけが納得する証拠だからであり、具体的にどんな証拠なのか絶対に言わないからだ。その上、どんなに確実な証拠を示したところで、フォーリソンの前では陰謀にされてしまうのだからwww。アメリカの有名な疑似科学批判者であるマイケル・シャーマーがフォーリソンに「具体的にどんな証拠が欲しいのですか?」と聞いても、答えは返ってこなかったそうな。なお、このセリフを真似しているのが西岡である。
ともかく、フォーリソンに反論なんかすると、それは全部、いわゆるユダヤ人の陰謀工作なのである。今でも例えばJアノンとかがそんな感じだと思う。ともかく、ホロコーストやガス室に対して、様々な証拠で確実性が高められたとしても、それはフォーリソンにとっては全く逆の効果を示し、「おかしい……そんな都合よく、後から後から証拠が出てくるのはあまりにも不自然である」にされてしまう。
フォーリソンが如何にガス室虐殺を認めなかったかということを示す興味深いエピソードがある。
フォーリソンほどではないにせよ、同様にホロコーストに懐疑的であったプレサックと言う薬剤師がいた。フォーリソンは確かにホロコーストについて博学なので、ホロコーストをモチーフにした小説を書く計画を持っていたプレサックは、フォーリソンに近づき、一時期一緒に共同研究ぽいことをやっていた。ある時、ナッツバイラー収容所のガス室の証拠とされていた資料を一緒に調べていたら、プレサックはフォーリソンがおかしいことに気づく。ある資料にどう考えてもガス室による殺害としか考えられないデータが記載されていたにも関わらず、「いやそれはたまたま書き間違えたのであろう」と、全くの無根拠で否定してしまったらしい。そしてそれがきっかけで、超優秀だったプレサックはフォーリソンと袂を分ち、自分で徹底的な資料調査(それまで一級の学者ですらそこまで調査したことのないレベルである)を行い、アウシュヴィッツのガス室で虐殺が行われたことを証明する、界隈では有名な『アウシュヴィッツ ガス室の操作と技術』を出版するのだった。これについてフォーリソンはどう思っていたかは知らないが、プレサックに修正主義者から足を洗わせたのは間違いなくフォーリソンの責任である。
ともかく、フォーリソンはガチでホロコースト否定教の教祖(始祖ではないが)になってしまったのである。ホロコーストが実際にはなかったと固く信じて疑わなかった稀有な人だろう。
リビジョニストでホロコーストがほんとになかったと心の底から思っていたのはフォーリソンだけだと思うよ。
あんな、キチガイじみた発想ができるのはフォーリソンを除いていないと思う。
他のリビジョニストはもっと論理的に話を進めるけど、フォーリソンはレベルがまるで違う。
悪意は全くなく、本気で信じてたわけだから。
現代のいわゆる一般的な市民否定派さんたちはある意味可哀想だと思う。だって、プールとか音楽隊とかの疑問を持ち出した始まりはこのフォーリソンだよ?
知る人ぞ知るYoutubeの例の動画にもある、プールの話。あれはフォーリソンが始まりなんだ。
文科省が制定する高等学校の国語科のカリキュラムについて話してるんだよね。
学習者の多くが意義を見出せていない(※)のは、カリキュラムに問題があるからじゃないかな。
高校は義務教育ではないけれど、主に税金で成り立つ教育機関だよ。日本人の9割以上が高校に行くでしょ。納税者たる国民、高校のカリキュラムに疑問を持って然るべきじゃないかな。
ホロコースト否定派(具体的には誰か知らんけど)のストローマン論法における、否定派のデマ仮説です。
否定派でない割とよく知っている人たち、特に真面目な研究者でそんなことを言っている人はいません。
ユダヤ人虐殺数推計計算には、二つの方法があり、一つは人口差を求めることです。しかし、これには大きな問題があります。ヨーロッパにおける戦後ユダヤ人人口は、戦後ですので落ち着いてますから、国勢調査も割ときちんとできたでしょうし、ある程度の精度は期待できるでしょう。
しかし戦前は違います。ホロコーストは起きていない時期であるし、ユダヤ人の移住や亡命等もあるでしょうし、ナチスドイツはユダヤ人を大量移送していますし、精度がどうしても落ちます。同じ時期のユダヤ人人口を一斉にまとめて知ることは不可能です。
それよると、概ね550万人のユダヤ人が、移住や亡命などを除いて、消えています。
もう一つの方法である、虐殺された人数を積み上げていく方向があります。
ナチスドイツがほとんどまともな記録を残しておらず、資料がほとんど存在しないので、個別の事例でそれぞれの事案に応じた推計計算が必要になってきます。
例えば、アウシュヴィッツでの虐殺数の推計は、ユダヤ人移送数を元にした計算を行います。
どうして移送人数がわかるかと言うと、鉄道会社への支払いがあるので、ユダヤ人の数を数えた記録が、それを数えたであろう途中の駅に残っているからです。
しかしこれ以上は私にも説明できません。めちゃくちゃややこしいからです。移送した全員が殺されたわけではなく、強制労働に回された人たちもいるし、他の収容所から逆にアウシュヴィッツに移送されてきたり、逆にアウシュヴィッツから出て行ったり、強制労働中に餓死や病死で無くなったりしているので、ややこしいこと極まりない。
おそらく、現在のアウシュヴィッツでの虐殺数推計値も、推計作業を始めてから数ヶ月あるいは数年かかっていると思われます。
何れにせよアウシュヴィッツが現在ユダヤ人のみで110万人①です。
比較的簡単に推計ができるのは、アウシュヴィッツ以外の絶滅収容所だと思われます。
ヘウムノ、ソビボル、ベウジェツ、トレブリンカの四箇所は、移送したユダヤ人をほとんど皆殺しにしているので、そこからどこかへ移送されたユダヤ人はほとんどおらず、生存者も少ないので、移送数からそのまま虐殺数が推計できると思われます。これに、同じ地区にあるマイダネク強制&絶滅収容所分(ユダヤ人のみだと5〜8万人程度)を追加すると考えて、これらは大雑把に200万人②と計算されます。
(この推計に便利なことに、当時の統計官によるコルヘア報告というものがあり、この値はイギリス軍が暗号解読でキャチしたいわゆるへフレ電報で裏付けられており、これを基礎にして推計する事ができます。)
他にも絶滅収容所でない強制収容所や、あるいはゲットー、あるいはまた終戦前の収容所からの移送時における死者(死の行進)などもあります。
これらがおそらく150万人③程度でしょう。これらについては流石に細か過ぎて、どうやって推計したのかについては私には説明は無理です。
それにさらに、アインザッツグルッペンに関連したソ連東欧地域での現地虐殺が加わります。これもそこそこは記録が残ってますが、残っていないものも多く、どうしても大雑把な推計値になります。これがおそらく150万人④程度です。
するとトータルで、①110 + ②200 + ③150 + ④150 = 610万人となりますが、大雑把な見積もり数に過ぎないので、おおよそ600万人と言う値になります。
近年の歴史家も、600万人を主張している人が多いようです。
他の日記の文章の一部を使って、関連してそうな単語を含むツリーにレスしているな?
俺の書いた文章が全然関係ない文脈でついて別のところにレスされていたから気づいたわ。