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はてなキーワード: 現代思想とは

2024-11-12

個人ブログ西洋アートの名門すみすこーるどかれっじ?って大学ワークショップから火がつき

一躍現代思想の大きなムーブメントになった新しい実在論ってなんだったの?

計算によって人間認識外に到達できるとかいう話だけど

ほんとなの?釣りだとしたら一体誰が何のために、、、

2024-10-08

anond:20241008031656

昭和脳の低脳オスどもにまともな人権現代思想理解できる知性なんかないから女叩きしてただけでw

バカ巣窟ミソジニーで知能が低いか差別くらいしか娯楽がないだけwwww

女叩きに知能が低い以外の理由があるわけないだろwwww

2024-08-05

anond:20240804174456

現代思想研究者で、ちょっとキャッチコピー能力のある人

浅田彰なんかと同じで、一時期もてはやされるが、特に思想史上の重要著作などは成さな

よくも悪くも「人の善意人類進歩を無邪気に信じる」という点で非常にリベラル

現状のSNS惨状は、普通思想家ならゼロ年代想像して警告も発せられただろうが(まぁ思想家の警告では止まらなかっただろうが)

無邪気な東浩紀は心底「人類の新しいコミュニケーションの形」と信じていたようだ

この期に及んで恥ずかしさのあまり自決しないどころか、まだ何らかの発信を続けているという点では、面の皮の厚さは人類の中でもトップレベルかもしれない

2024-08-04

東浩紀

東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀特別存在であった。これは今の若い人には分からいであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からいかである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別にインターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀堀江貴文ホリエモン)、西村博之ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのであるファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。

私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたもの網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信ほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレ古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。

1 批評空間

東浩紀は71年5月9日まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介時代区分だと、虚構時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。

東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親金沢出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼新左翼左翼よりバカ!」【真実幻想と】)。

東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。

筑駒筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブ高井麻巳子福井県実家訪問したことであろうか。秋元康結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代うる星やつらファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。

もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。

東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月であるソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫ノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。

東は、教養課程では、佐藤誠三郎ゼミ所属していた。佐藤村上泰亮公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文グロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤ゼミ所属していたこから学部時代に読んだのだろう。

東は94年3月東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業し、同4月東京大学大学総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文バフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである私たち世代は三読くらいしたものである博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。

郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッター清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。

東の若いころの友達阿部和重がいる。阿部ゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイ寄稿している。川上早稲田文学市川真人によって見出されたらしく、市川渡辺直己の直弟子である市川鼎談現代日本批評」にも参加している。

東は、翻訳家小鷹信光の娘で、作家ほしおさなえ1964年まれ)と結婚した。7歳年上である不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー東浩紀批評家が中小企業経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。

そして娘の汐音ちゃん生まれる。汐音ちゃん2005年6月6日まれであるウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれ時間まで書かれている。名前クラナドの「汐」と胎児聴診器心音ちゃんから取ったらしい。ツイッターアイコンに汐音ちゃん写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。

96年、コロンビア大学大学入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試残酷なのは、それが受験生合格不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生家族に対し「おまえの未来合格不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。

2 ゼロ年代

東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である

東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だからサブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。

「いま批評場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。

動ポモ10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモフェミニストには評判が悪いようである北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモ英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客哲学」が3つと動ポモが圧倒的である2024年8月3日閲覧)。動ポモ海外論文でもよく引用されているらしい。

次の主著であるゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。

この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラ告発されたこともあるが、不発に終わったようである結婚して子供もできて幸せらしい。

その頃は2ちゃんねるネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃん俎上に載せている。北田は「広告都市東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーション接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析古典ではある。

東は宮台真司大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本ジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。

宮台や大澤や北田はいずれもルーマンであるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者馬場靖雄2021年逝去)は批評空間に連載されていた頃から存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文正義門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマン社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。

佐々木敦ニッポン思想」(2009年)によると、ゼロ年代思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義日本現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダンとは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。

佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代思想土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。

北田によると、東の「情報技術公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。

佐々木ニッポン思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝ストリート思想」が出ている。文化左翼歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代佐々木命名から勢いが増していき、今や大学メディア大企業裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会包摂」(2021年教育Permalink | 記事への反応(13) | 17:44

2024-07-05

百年の孤独関係なくただ逆張りがしたい奴に薦める海外文学5冊+α

https://anond.hatelabo.jp/20240703191053

https://anond.hatelabo.jp/20240704181200

岡田知子&調邦行 訳「現代カンボジア短編集2」(カンボジア)

早速だが大同生命がやってる“アジア現代文芸”シリーズマジですげえよ。インドネシアとかスリランカラオスイランみたいな東南アジアから南アジアくらいまでの、日本じゃ見過ごされがちな国の文学しか訳してねえんだからしか電子書籍として無料で読めるしな (https://www.daido-life-fd.or.jp/business/publication/ebook) この「現代カンボジア短編集2」なんかクメール・ルージュ以前から90年代まれまで、ガチ現代作家短編しか入ってねえ。マジでこんなん読んだことねえわ。将来、浪漫主義とかフランス現代思想とかじゃなくて「アジア現代文芸に影響を受けました!」って新世代の小説家、現れねえかなあ。

キンキントゥー/斎藤紋子「短編集 買い物かご」(ミャンマー)

同じく大同生命の“アジア現代文芸”シリーズからなんやが、今も大変な状況にあるミャンマー文学もこのシリーズでは10冊くらい読める。特にオムニバス短編集がかなり出てて「ミャンマー現代女性短編集」やら「二十一世紀ミャンマー作品集」やらオススメなんだけども、より読みやすくかつ俺が一番最初に読んだって意味思い入れあるこの「買い物かご」薦めたいね市場って空間と買い物って行為を通じて、ミャンマーに生きる市井の人々の息遣いを知れるんだ。ニュース報道見ると同時に、こういう文学を読むのも重要やね。

カルロスフランス/富田広樹「僕の目で君自身を見ることができたなら」(チリ)

これはアレや、男と男のチンコ比べ本や。そしてその男と男ってのがドイツ人画家のヨハン・モーリッツ・ルゲンダスとイギリス人生物学者チャールズ・ダーウィンで、それだけでもスゲーのに、そのチンコ比べでチリ大地震まで起こるから超壮大や。体長の何倍もデカペニスを持つっていうフジツボまで出てきて、近年稀に見るほどのチンコ本だよ、コイツは。正直ミソジニーキツくてそういう意味じゃアカンけども、流麗華麗な文体で男たちのチンコ比べが描かれる様は一読の価値ありや。読んでどんな思いを抱いても責任は持たんけどな。

ジェス・ウォルター/上岡伸雄「ザ・ゼロ」(アメリカ)

この人はどっちか言うと、サスペンス小説方向性で受容されてるんだが、俺はこの本を“ドン・デリーロが書かなかった最良のドン・デリーロ作品”みたいに思ってる。テロリズムパラノイア不条理……訳者上岡伸雄、実際デリーロ訳者だしね。デリーロの「墜ちてゆく男」とエイミー・ウォルドマンの「サブミッション」と、この「ザ・ゼロ」で上岡9.11三部作や。中でも娯楽作に舵切ってるからこれがいっちゃん読みやすい、分厚いのにリーダビティ満載や。だが「美しき廃墟」以降、ウォルター作品が訳されてねえ。

レーナ・クルーン/末延弘子「スフィンクスか、ロボットか」(フィンランド)

レーナ・クルーンの本はね、読んでると涙ちょちょぎれちまうのよ、これが。この子供たちに向けて書かれた本なんかは少年少女の瑞々しい姿を描いていて微笑ましい一方で、俺ら大人が読むと、こう大人になるってこと、成熟するってことで失われる何かについて思いを馳せざるを得なくなってさ、それで俺、涙ちょちょぎれるんや。3つの短めな中篇が入ってるんだが、中でも表題作の「スフィンクスか、ロボットか」が一番いい。ラスト、マジ残酷すぎやろ。読んで言葉失っちゃったよ。

にしても児童文学ってのは扱いがムズいよ。児童文学ってのは何よりも子供たちに真摯に向きあうからこそ生まれる素晴らしい存在だが、その児童文学って括りが大人にとって読むに値しないように思わせる。かといって、例外的大人がその素晴らしさを語る際に「これは児童文学以上に“文学”だ!」とか言いそうになるが、こりゃ結局児童文学を下位のカテゴリーに入れてるからこその物言いだよな。児童文学出版に関わる全ての人々、そして何よりも子供たちに礼を欠く態度や。俺はこういうのに陥らんように、児童文学オススメしていきたいよな。

http://iuraichiro.com/perkthim.htm

あとイスマイル・カダレ、とうとう死んじまってこれまた泣けたよ。そんな今だからこそぜひともアルバニア文学翻訳者の井浦伊知郎のサイトを見てくれ。カダレの自伝小説「石の町の記録」や代表作「大いなる孤独の冬」の翻訳がこっから読める。他にもカダレに並ぶ大小説家ドリテロアゴリの「裸の騎士」とかアルバニア文学の名著がめちゃ置いてある。マジで信じられねえよ、これは。

2024-05-12

やめろーッ!! 現代思想はお前の満たされない心を慰撫するための道具じゃねーッ!!! 俺と現代思想バトルで勝負!!!

2024-03-18

Xのプロフィールにこんな感じで主張が並んでる人ってだいたい察してしま

男。反自公維、反カルト。あらゆる性差別反対、反買春反原発辺野古移設反対、消費税反対。性暴力さない。hide尊敬好きな物英語独語ロックジャズ将棋登山映画マンガゲームなど。探究哲学現代思想歴史政治セクシュアリティジェンダー記号

2024-03-07

世襲

とある公共性の高い事業管理を担うとこである会合

そこんとこのリーダーさんは昔ながらの西欧は進んでる日本は見習わなければの方で非現実的テーマ理念として語られる

出席してる他のかたがたはめんどくさそうに黙ってスルーする

そんなトコに居合わせ続けて10年超

最近、その黙ってスルーする側の社長ズの息子たちがオンラインアピールしてるのを立て続けに見た

お一人はなんか哲学的テーマをぶち上げて某ネットでバズりがち現代思想家と対談しておられた

お一人はなんかフワッとした会社理念でもらった政府助成金やら自治体予算やらいっぱい駆使してやってる商売がだいぶこう、アレで、

特定されるの嫌なので詳細は書きにくいのだが、地元生活環境を守りたい方々からすごい批判されておられた

で、お二人のやってるのが、同じ業界なので言ってることはどうしても近いのだが、内容的には対立してそう、そしてどっちもキモイ

あー、セシュウズー、おれのニアミスしそうなとこでキモイことしてんじゃねー

10年かけて余計な事言わずやり過ごすスキルを入手したつもりであったが

やっぱキモイものキモイのでここに愚痴りにくるのだった

2024-01-26

anond:20240126183251

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

 〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法である。これは、山口和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。

 私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法からの流れの中で位置づけるべきだと考える。

 同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊合憲化(57)、③日本経済的地位に見合った国際貢献必要性、④国連軍国連警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリスト武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から護憲立場から改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである

 同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲である。同提言軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから北朝鮮中国軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラル過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである

 佐藤が語る、愛国心必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである佐藤饒舌から私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。

 馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事平和維持活動において殉死殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊追悼施設必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。

 ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツ独自イラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたかである。翻って日本場合多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国国際社会理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。

 元国連職員吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍軍事活動積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである

 なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実国際政治の中で、山川ソ連侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。

10.おわりに

 これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮アルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略植民地支配反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的保障する国家先進国主導の戦争積極的に参加し、南北格差固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である

 大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派大国路線に対抗して、日本経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪補償必要とした路線が、東アジア諸国民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合破綻といった状況に規定された、リベラル左派危機意識から生じている。九〇年代東アジア諸国民衆から謝罪補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本私たちが、進んで過ちを正しみずから正義回復する、即ち日本利益のために」(69)(傍点ママ歴史清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争植民地支配可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立リベラル左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である改憲後、蛹は蛾となる。

 ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル左派意図的計画したものと捉えているわけではない。むしろ無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力からあいもつあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治立場から期待されている人物統合象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴人物の未分性という日本政治特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディア追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリスト発言力を確保しようとする学者、無様な醜態晒す本質的には落ち目思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからあいもつれあって」、集団転向は進行している。

 ところで、佐藤は、「仮に日本国家国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家同胞日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまたからには、自国国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間異端者扱いするのが目に見えている。

 この佐藤発言は、安倍晋三首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族配慮するという意図からだろうが、アメリカ一丸となって事件対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである国益からむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)

 文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ総連弾圧をめぐる日本言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したこと物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本リベラル左派安倍政権ときに敗北したのである

 〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである侵略植民地支配過去清算在日朝鮮人人権擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア世界平和にとって大きな災厄である(73)。

改憲戦争国家体制拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア知識人等を徹底的に批判すべきである

(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。

(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。

(3)ただし、編集者佐藤右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。

(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。

(5)インターネットサイトフジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37

2023-08-29

こんな社会福祉学部は嫌だ (元社会福祉学部名前がついていた学部の選び方)

2000年ごろ雨後の筍のように生まれた「社会福祉学部」を持つ大学(すでに学部から社会福祉を消した大学も多い)から脱出した教員たちの証言を集めてみました! 特定されないよう適宜改変しています

・学園の理念に「優しい」「明るい」「素直」「従順」が入っている。

学長による入学式祝辞が「全員に挨拶をしよう」

福祉専門職必要ものとして「思いやり」「やさしさ」を謳う。

入学式理事長学長が「父兄」と呼びかける。

教職員から学生から自殺者も有罪者もだしている。

学生相談室の設置案に「教員自分仕事押し付けるつもりか」と理事却下

社会福祉国家試験に準じただけの最低限のカリキュラム

心理学経営学の授業が大量にある一方、社会学系の授業がほとんどない。

・1年次から国家試験対策合格率は高め。

国家試験受験勉強のため、卒論選択科目となっているおり、ほとんどの学生が書かない。

人権労働差別エスニシティジェンダーなどのテーマの授業が皆無。

・専攻に関係なく、宗教家から宗教学教職免許を持っているか教育実習、子持ちだからから家族支援論という謎基準事務が授業担当教員を決める。

・「経済学」と「政治学」、「心理学」と「社会学」、「日本史」と「宗教学」など、異なる分野の科目を一人の教員が教えている。

図書館ではなく図書室。

雑誌コーナーに『世界』『思想』『現代思想』がなく、『正論』『WILL』『HANADA』がある。

全国紙が揃わず新聞データベースもない。

・蔵書は、試験参考書中心。

岩波新書新潮新書という謎チョイスで新書を揃えている。

障害学生はできる限り受け入れないよう画策。

多目的トイレ掃除道具入れになっている。

バリアフリー設備が後付け。

エレベーター車椅子1台分のスペースしかなく介助者が入れない。

・最終学歴学士卒の教員が多い。

施設経営者、あるいはその縁故者がゴロゴロいる。

2000年代には研究禁止の御達しがなされていたため、開学の際にいた研究志向教員が他出、残ったのは病人か「けんきゅうってなに?食べられる?」という人ばかり。

研究してる人には散々辞められているからか、募集停止からヘッド(?)ハンティングしてくる。

研究や本に対して敵対心を示す人が多い(例えば、授業公開に行ったら、教員が「著作権料で食ってる人」というのをdisっていたのを聞いた、とか)

理事が「公募では人物がわからないので絶対しない」と宣言している割に、直接、大学履歴書を送りつけて採用された人が多数いる。

学長は外から連れてくるお飾り。

学部長が社会福祉学者ではなく学園縁故者。

入試問題現代国語を併設高の教員外注しているらしいのだが、常に昭和文章

入試問題一問一答クイズのよう。

入試問題作成者が各科目に1人で、担当者が逃げ出す。

・併設校に試験問題作成を外注している(もちろん内緒)。

卒業式理事が「ジェンダーフリーが家族を滅ぼす」とか「人間にはそれぞれ分というものがある」とかネトウヨっぽい言葉を熱弁。

・式典では日の丸君が代はもちろんのこと、日の丸敬礼させられる。

東日本大地震地震兵器論者、中国脅威論、Qアノン信者など、教員陰謀論蔓延

学生シバキ主義発破をかける維新信者教員がいる。

アメリカ中絶禁止について薄ら笑いで歓迎する教員がいる。

北欧高齢者安楽死をしているから「寝たきり老人」がいないと講義解説する教員がいる。

少子化女性高学歴化が原因と講義している教員がいる。

家業保育士を雇っていることから保育士給料が高すぎると言及する教員がいる。

血縁関係教員事務員がたくさんいる。

事務女性が若く、皆美人(併設短大卒業時に声をかけ採用している)。

卒業パーティ男性理事たちが女子学生を膝の上に座らせている。

・有志で実施した教職員対象ハラスメント実態調査が握りつぶされた。

ハラスメント委員会相談握りつぶす御用委員会

・朝礼がある。

・オプキャン入試で土曜の時間外手当をつけないために週休1日制。

裁量労働制だがタイムカードがある。

部活担当で年間労働時間推定4000時間越えの教員(!)がいる。

部活顧問全国大会へのバス運転まで全部やらされており椎間板ヘルニア発症した。

・引っ張ってきた部活顧問(授業担当なしで教授)が体罰を多用し、退学、休学が相次ぐ。

福祉時代だ!」と言われて福祉マインドもないのに儲かるから学部を作って、梯子を外されたんだな。

(追記)ちなみに私(旧帝大博士号持ち)の場合就任当時は真面目で伸び代がある学生に恵まれており、そこには不服はなかったことは付け加えておく。

2023-06-09

共産党投票してた(してる)理由

先日、ガチの下からの抗議に排除・除名・シャットアウトで絶賛迷走中な共産党中枢なわけだけど、

個人としては昭和のままな共産党価値見出してたのよね

 

まり、本気で共産革命なんかやる気のない、なあなあな空気に染まってる現状維持派なのが良かった

党を憂う、あの赤旗の偏った内容を本気で信じて実行しちゃう真面目な抗議者は、

共産党に票を入れる身としてはありがたくないなあと思ってたり

 

個人的にね、自民への批判票の受け皿が欲しいが、

企業との汚職関係ズブズブな面で自民の後釜になりそうなとこや、

官僚組織破壊しすぎて組織機能しなくなりかねないとこを避けつつ、

まあ批判票になるよなってとこを探すと共産党だったんだよね…

 

ああ、コラボで公金チューチューとか言ってる現実認識能力ゼロな人の理屈は当然無視よ?

公金でのサービス恩恵にあずかってるという意味では多かれ少なかれでいえば日本国民全員、自分の払った税金よりずっと公金チューチューさせてもらってるし?

俺らそんなまじめに自分の収支を報告してるわけもないし、あんなもんは程度問題から

程度が酷いかちょっと体制を整えろ(そのための補助金も増やすから)、ならわかるが、チューチューはねえよな

 

バカへの愚痴はさておき

だいたい、共産党若い人の感覚現代価値観にアップデートしようってなると、とたんに水着コンテスト中止になるわけですよ

赤旗SDGs大好きだし、コラムに連れてくる現代思想家やコメンテーターは割とミーハー面子で浅いゲーム批判掲載されたりするし、

あれを真面目に読んで「こういうのを実現しなければ」と思う人より、なあなあの現状維持派のままでいて欲しかったなあ…

 

いつもそんな感じで共産党関係の支持をしてるブコメマン愚痴でした

2023-01-10

anond:20230110135557

おお、君、ちゃん面白いやん。

 

かにフェミニズムって一回流行っただけあって、一見すると君の言うように正しく見える。

 

じゃあ、現代思想目線からどこで間違いって話になるかというと、これは概念無限拡張する思想なんだよな。

20世紀リベラルは常にそういうことをやってきた。

黒人白人と同じ人間だし、女性男性と同じく選挙権を持つ市民だし、男女以外にLGBT普通に性の分類にするし、犬や猫やイルカクジラ人間と同じで殺されるべきではないし、外国人にも参政権はあるし、家事労働賃金労働と同じく労働だし、銃を撃たなくても戦争だし、日本人ドイツ人は生まれときから戦争反省するし、レイプしなくても性犯罪だし、相手が嫌がったらハラスメント

最初のうちは、もちろん良かったんだけど、後半になればなるほど無茶苦茶になる。これには歯止めってもんがない。

弱者男性権力者、まではお前は認めるかもしれんが(俺は既におかしいと言ったが)、じゃあ次は生まれたばかりの女の子男の子では男のほうがより権力者、とかいう話にもなるかもしれんし、実際しているバカは居る。

 

リベラリズムには、概念拡張することに妥当性があるかとか、効果が大きいかとか、そういう発想が無いんだな。

「今ある権力制限すれば、今権力が無いところが良くなるやろ」ぐらいの考えで

実際に良くなるかどうかは考えない。

弱者男性権力制限するより、イケメン権力制限したほうが、たぶん性犯罪減るやん?

しろ弱者男性は抑圧されてより憎しみを増している。お前のように。

それでいいんですか? よくない。

なぜ良くないことをするんですか? 概念を無制限拡張することが正しいとしてきたからだと俺は思う。

 

から歯止めのない拡張はやめて、もっと直截な現実を見るべきなんだよ。

お前は女を殴ってないから、殴れたとしても権力者じゃない。

お前に圧をかける女がいれば、それが権力者だ。

現実は複雑だから、女はとか男はとか、グループ分けした抽象的な概念はできなくなる。そうすべきなんだと思う。現実から遊離した思想はやめて、ケースバイケースをもっと重視すべきだ。

2022-12-11

anond:20221211130053

男はちっちゃい頃から老人に至るまで鈍感になる訓練を積んできてるから、その成果が出てるんだわ。

上半身裸になっても恥ずかしがるもんじゃないし、ちょっとやそっと怪我しても大騒ぎするもんじゃないし、仕切りのない小便器で隣にちんちん見られながらおしっこしても平気であるべきだし、男は一人で行動しても怯える必要はないし、肉体労働をするべきだし、危険職業になるべきだし、他人に警戒されてもしかたないし、同情は買いづらいし、などの扱いによって鈍感になる訓練を積んでいる。

リベラル」とか「フェミニスト」とかの人らはこれを悪しき性役割だの抑圧だのと批判するけど、それは繊細さん(海外風に言えばFragileSnowFlake、雪の結晶のように脆い精神)を増やして不幸をもたらす考え方だ。


男だけが粗末な扱いをされるのは、確かに男性差別だ。だが、鈍感さ・タフさを身に着ける良い訓練でもある。

から、女も幼少時からある程度粗末に扱うことで差別ではなくし、かつ女も鈍感力を鍛えるべきなんだよね。

これに「はあ?」って言いたくなる人もいるだろうが、女にも鈍感さが必要な好例として、先月話題になった女湯窃盗ニュースがある。

https://www.fnn.jp/articles/-/437217

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20221110/k00/00m/040/171000c

男湯の脱衣場は七割に監視カメラがあるが、女湯は監視カメラがつけられないので、窃盗ターゲットになるって話。

だって脱衣場にカメラがあるのは嫌だよ?

でも幼少期からの鈍感訓練のおかげで我慢できる。そして窃盗被害にあうよりは脱衣場に監視カメラがある方がずっといい。

俺は強さや男らしさから落ちこぼれ人間だが、それでも多少のタフさが身についていることについてはプラス評価せざるを得ない。

しかし、今のヘンテコな正しさは、まるで弱いことが良いことかのように扱って、弱さや繊細さからくる問題は見ないふりだ。

男性が受ける差別とは、警戒されることと、信頼という名目で粗末に扱われることです」のブコメhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220908185524)も、男性差別にならないように男を粗末に扱うのはやめようってのが当然のように並んでる。

なんでだよ。性差別をなくすんだったら、男だけじゃなく女も雑に扱うことで、タフさや鈍感さを身に着けましょう、共感性は弱めましょう、って考えた方がいいだろ。


鈍感訓練がいい効果を発揮する例は、他にも沢山ある。

キャンプなど野外レクリエーション経験のある奴ならよく知ってるだろうが、トイレの回転が速い(最悪トイレがなくてもいい)とか、川で転んで服が濡れた時に脱いで乾かしやすいとかも、男の鈍感訓練が成果を出してるところだよな。

それから、「男なら虫は平気で退治できるでしょというのは性差別です、男の子だって虫を怖がっていいんです」みたいなのがポリコレ的に正しいとされるけど、そんじゃあ現実問題として家や職場に発生した虫を誰が退治するんだって話だよ。

虫を怖がる弱さは尊重してあげましょうって社会だと、虫が出た時にたまたま平気な奴がいてくれる確率がどんどん下がってくぞ。

「男だけが虫は平気であるべきというのは性差別です、男も女も虫くらい潰せるべきと考えて、性別わず虫が苦手な子供にも幼少期から慣れさせていきましょう」の方が適応力のある生きやす人間が増えるだろうが。

殺虫剤屋さんにテクノロジーで頑張ってもらうからいいのか? いつどこで虫が出ても大丈夫なようにスマホに殺虫機能もつけてもらうか?

SDGsを気にすることが善だとしている一方で、虫を叩ける鈍感さを鍛えるのは悪だから資源を消費して殺虫剤を作るのが善だってのも、現代社会おかしさだよなぁ。

もちろんこの虫退治の話は、3K仕事ストレスや傷を我慢してくれる鈍感でタフな奴らのおかげで社会は回ってるってことと繋げられる。


そして男オタク検索避け必要としないのも、鈍感訓練の成果だよ。

男は幼少期から鈍感訓練をしてるから内向的で「男らしく」ないと揶揄されるオタク達ですら地雷を踏んでも我慢できるやつが多くて、検索避けだの村ルールだの注意書きだのは定着しない。

どうしてもムカついた時は、直接批判して叩き合う。

ジャンルだと、マナー啓蒙だのルール決めだのを勝手にしようとする風紀委員みたいなツイートをした繊細さんに、なぜか「そうだそうだ」「知りませんでした気をつけます」みたいに賛同する人が多いが、男ジャンルに発生した繊細さんはたいてい変な奴扱いされて終わりよ。

(ただし、百合好き男オタクとか、女性上位好きのM男は、比較的繊細さんが多いので学級会になる率が少し高い。百合に男を出すな議論や、おねショタショタに逆転させるな議論がそうである

だがその繊細さんたちのジャンルでも、M男向け創作では「逆転なし」タグなどのという、魅力アピールになるポジティブ表記が使われつつあるのはなかなか効率的だと思う。

検索避けとか注意書きとか村ルールといったネガティブ表記は、こういうのを不快に思う人がいるか気遣いしましょうという空気マナーで縛ることで不快回避しようという対策だが、息苦しさが漂い、しかもそのルールについて無視or無知人間がいると破綻する。

一方で「逆転なし」タグをつけるというのは、創作者のアピールポイントとしての積極的情報発信により、消費者積極的検索できてお互いに快楽を追及できる前向きさがあり、かつ無知人間がいても破綻しづらいよい方法だ。

もっとも、この手のタグが普及しすぎて20個も30個もつけたくなったらどうするんだという問題は、長すぎ注意書きと共通だが。

ジャンルpixiv小説で主に使われている「♡喘ぎ」タグも似た感じに評価しているが、こちらはまだ苦手を避けるための配慮という空気もそこそこ支配的なようでもあり、もっとアピールポイントとして自信を持ってもいいのにと思う……まあこれは余計なお世話か)


とにかく、男は鈍感になる訓練を幼少期から積んでるおかげで、耐えられる鈍感さが身につき、他者感情移入しすぎる共感性は小さくなり、傷は増えるが気楽で自由だし、本人にとっても社会にとっても様々な利便性がある。

ホルモンが違うから仕方ないって考え方は、このポストでは採用しない。採用していいんだったら、有害な男らしさも女らしさも有益な男らしさも女らしさも性ホルモンから仕方ないで終わらせるけどな。

マジな話、女も男も同様に、鈍感になる訓練を幼少期から積んだ方がいい。

そうすれば男性差別じゃなくなるし、女は強さを手に入れられて女性差別も起きづらくなるし、女湯窃盗を減らすための監視カメラも設置できるし、トイレもさっさと終わるし、息苦しく迂遠な学級会も減ってわかりやすい叩き合いがメインになる。

男の自殺率の高さや平均寿命の短さも改善するんじゃないか

女がタフで鈍感訓練をしないシワ寄せとして男が責任孤独を負って死に追い込まれているわけで、女も鈍感になって一緒に負担を負えばきっと今より状況はマシになる。

結局この世界ってのは、現時点の文明レベルでは、不快作品は作られるし、雨は降るし風は吹くし災害は起きるし、犯罪者は出るし、荷物は重いし、全ての人間苦痛を無くすだけの資源はないし、人が死ぬことは防げないわけじゃん。

鈍感になる訓練は辛いからやめましょうと唱えたって、世界過酷さをなくしたことにはならないんだわ。消火訓練を止めれ火事をなくしたことになるか、ならないだろ。

二十代や三十代になって、世界には消せない過酷さがあって繊細さが自分の足を引っ張ってると気づいても、育て直したり保護してくれる人は少ないんだよ。

理解のある彼くんとか、優しい家父長さんとかを見つけられて、かつそいつらに庇護される生き方をヨシとできるなら別だけどな。

そうじゃない俺ら(性別わず)は、繊細でかわいこぶって他人は愛してくれねえし守ってもくれねえんだから、せめて鈍感でタフでなきゃやってけねえよ。

100年前に比べれば解決された問題は色々あるが、それでもまだまだ世界過酷だ。

それにも関わらず、弱さを尊重しようという無責任に甘い道徳が正しいとされ、現実過酷なままなのに男女ともに繊細さが増し、男オタクにも不毛な学級会が増え、自由をもたらすはずのインターネット被害者度合いとかわいそうランキングを競い合っている。

そしてこういう話って、「じゃあ戸塚ヨットスクールとか軍隊教育がいいのか」みたいな反論が来やすいんだけど、そんな極論はむなしい。極論が好きなら、命には必ず苦痛が発生するから存在しない方がいいとかまでいって反出生主義でもやっててくれ。

マッチョイズムの支配を脱しようとするあまり、強さを疎んじて弱さを貴ぶのは愚かなことだ。

苦痛不快無視する訓練を積んでタフになろうや。


増田が繊細さんじゃん、みたいな指摘

あっ………たりまえだろ! インドアインターネットオタクはてなで長文書いてておねショタ趣味があるんだぞ? ついでに性別違和持ちでメンヘラで元フェミニスト現代思想の影響を受けて男らしさからドロップアウトした繊細な男だから不条理を黙って我慢できずこうやって文句を言っている。

2022-07-21

anond:20220720124155

現代思想入門とかの哲学系だけど、盛り上がらないのでダメ流行りでも見とけ。

2022-07-07

なりたい自分になる権利とは

「いい年こいたオッサン自分のことを若くてイケてる若手ポストモダン研究者だと思い込んでいる感じが滲み出る現代思想界隈」

vs

「いい歳こいたオッサン自分のことを若くて可愛い美少女だと思い込んでいる感じが滲み出るメタバース界隈」

ファイッ!

2021-09-14

なんでエンジニア政治ばかり気にするようになったか

エンジニアなので、現代思想政治を学んだという人は少数派だろう。

一番の興味のある事柄技術周りのような気はするのだが、Twitterなどを見ていると政治事柄つぶやくのに時間を費やしている人が多いように見える。


エンジニア技術で何か解決するんじゃないのか。

2021-08-13

Automatons Hacking Guideというブログを覚えているか

ホームレス死ね発言メンタリストDAIGOって奴が絶賛炎上中だが、意識高い系不労所得民なんて生き方してる奴のテンプレみたいなもんだ。

10年前にその一歩先のホームレス殺人を唱導して名を馳せたAutomatons Hacking Guideというはてな日記があった。

ブロガーは「華殉」というビジュアル系っぽい名前を付けた自称東大卒国内一流会社勤務で大学院に通う20代後半という設定の男性平成初期のトレンディドラマの設定みたいな生活をする人がこの世には居るんだね。

「Automatons Hacking」のAutomatonはオートマタとも言い自動人形のこと。原爆コンピュータの父、ノイマン提唱したセル・オートマトンという概念があり、これはそのままライフゲームアルゴリズムなのだが、フランス現代思想流行するとこれら情報科学概念を借用してこねくり回す議論流行した。

その過程個人特定アルゴリズムを持って社会的活動をする自動人形と扱う社会学手法などが出来た。この辺まではAI自動学習ベースでもある。

するとこれが人文系逆輸入されて罵倒や見下しに使われるようになる。自分で考え経験してアップデートし続ける人生を送る人間じゃなくて、与えられたアルゴリズム社会的入力引数付き関数)を与えると安定した反応を出す人形として扱う。それは群衆アナロジーでもある。群衆に属さず上から俯瞰する観察者が自分だ。だから「俺は他の大衆とは違う」と思いたい意識高い系若者はこのソーカルコケにされたポモの概念無断借用的な考えに靡きやすい。

ビジュアル系みたいな名前トレンディドラマみたいな生活を送る華殉は人文家ポモの薫陶を受けている事が判るね。

ハッキングコンピュータハッキングの事だからこのオートマタ普段の処理とは違う入力を直接与えて愉快犯的に恐慌状態にしたり自分の思うままに操縦する事を表す。

おや?メンタリストっていうのに似ているね。やってる事も知的スノッブの基礎もフォロワーを釣ったり釣られたりする部分も。

 

オートマタハッカーを名乗る華殉だったがかなり誠実な性格だった。自意識に。

実存の強さ、自意識の高さ故に「群衆俯瞰者」に惹かれるのであるから自意識に誠実なのはありがちだ。

 

例えば

批判されてメタから見ている姿勢は崩さないが相当数のレスをする。

・「安全地帯から言うだけで実際には殺せないだろう」と挑発され熱くなり「自分は実際ホームレスを殺す」と言ってしまう。

ブログ副題に「〇〇劇場」と書いていたのだが、ホームレス殺人エントリなどで風呂無駄氏にはっきりと拒絶を受け、直後に外してしまう。

Twitterで「痛い」ツイートをした直後に「ちんこまんこちんこまんこ」というツイートを十数回して流す。

 

そういえばメンタリスト君も動画炎上コメントを数百個削除しているようだ。コメントが数百になると閲覧も大変なのに熱心だよね。

 

華殉はそもそも最初googleの開発がどうとかアップル製品哲学がどうとか、ニーチェ超人がどうとか、今では意識高い系テンプレみたいな事ばかり書いていた。でもPVが伸びなかった。そこに「ホームレス人権なんて行使される事も無い状態だろ」佐川ニキ「ホームレス人権無いとかいい年してバカじゃねーの」という誤解みたいな論争があり、そこにホームレス殺人エントリ割り込みPVを浚ったのであった。

 

こんな華殉だったが最後はギーグ精神論的なものシフトしてフェードアウトしていった。ホームレス殺人偽善批判などの挑発エントリから手を引いた理由増田が見たところ以下による

 

挑発エントリへの反応に対して実存開陳し過ぎた。

 

善への挑発をしたらはてなリベラルが直情的にひどいと吹き上がる反応をする事を期待していたがネットには宮勤め以外の人間も居り特に不良の経験を持つ人間喧嘩慣れしている。更にポモ以前の思想素養がある人間は同系の人間実存をむき出しにして効果的に怒らせ誘導する術を持つ。これらによって「劇場」が状況劇場になってしまい、実存開陳しすぎ、刺さり過ぎた。思想系の人間実存の剥き方を知っているのは自分がその動機実存カバー)で思想なんてものに惹かれているから。

 

自分への賛同者に底辺テンプレネトウヨみたいなのが多かった。

 

ニーチェ援用したりしてるのにルサンチマンで歪んで挑発されると安定した出力する連中に擦り寄られたら立場が無い。というかなまじっか思想なんてやってるので羞恥心で「あ゛あ゛あ゛ー」となる。同意されて懸命に距離を取りたがる姿は侘び寂びが漂っていた。でもこれは華殉も悪くて過去エントリTwitterではテンプレ的なデマや「自分税金外国人生活保護に吸われて」みたいなテンプレを良く書いていた。そもそもそれってニーチェルサンチマンのものじゃね?

 

子供主体にとって世界暴力であり規範強制してくる装置だ。特に若者」になり大学や院に進むと知で征服した自分世界と隷従を求められる外の世界格差は大きくなる。オートマトンハッキングメンタリストの行動が似ているのは共にこの需要相手にするものからだ。

 

今回のメンタリスト炎上を見てデジタルタトゥーを持つ華殉はどうしているのだろうか?

「あ゛あ゛あ゛ー」となっているかしら?とニヤニヤしてしまう。

2021-06-06

女性はなぜ男社会進出しようとするんだろうか?

答えはだいたいわかってるんだけどね。

それは核家族化によってそれまで維持できていた家事育児集団での分担共有コミュニティ、いわば女社会崩壊たかだ。

考古学の成果でも原始的人間社会は「狩りや戦争を分担共有遂行するコミュニティである社会」と、「家事育児を分担共有遂行するコミュニティである社会」があって、それら2つの社会が支え合って人間社会を維持していたことは明白だ。
明白な理由として共同炊事場跡や貝塚存在がそれを裏付けており、何なら現代でも伝統を維持する一部の民族には共同炊事場文化が残っていたりするし、例えば日本家事に関わる慣用句として井戸端会議などを挙げればイメージされるのは女性同士のコミュニティだろう。

しか人間社会は誤った舵取りをしてしまい、経済発展のために核家族化を加速させたことにより女社会崩壊を招いてしまった。

もちろんこの考え方は現代人間社会ジェンダーロールの強制などの問題を孕むものだけど、別にこれは身体としての男性が男社会女性が女社会表現しているわけでなく、理解やす言葉として選択しているだけなので、そこにツッコミを入れられても困る。
この辺りへツッコミを入れる際は戦争家事などの要素を含めて誰もが理解やす代替する言葉を明示すること。

社会は狩りや戦争を担うものというステレオタイプに囚われるのが良くないみたいな考え方もあるだろう。
すばらしく高度に発展した人権思想アナタは持っているので高度な人権思想理解できるアナタ天才的な頭脳を持って、それを原始人に説明してきてくれ。
社会は前述した通り原始古代人間社会役割ベースにあることを前提に選んでいる言葉であり、男社会は狩りや戦争を担うものというステレオタイプが良い悪いとかそういう部分の議論は別の議題の時にやってくれ。

現代では女性同士による家事育児を分担共有遂行するコミュニティとしての女社会ほとんど崩壊してしまった。
一度に大量のメシを加工して集団提供することをしないし、上の世代に孫を預けることもしなくなってきている。
このような状況で女性ワンオペ家事育児を回しているのだから大変なのも当然だ。そもそもワンオペで回せるように人間社会構造が古来からどうやらできていないようなのだから

女性は女社会崩壊したけれども、人間コミュニティへ属さなければ生きていけない動物なので残ったコミュニティである社会進出せざる得なくなった。
しかし男社会そもそも家事育児を想定していなく、更には多くの女性を狩りや戦争へ参加させることも想定していなかったので女性にとってみれば生活しづらいコミュニティだ。
そこで生まれたのがフェミニズムなのだろうと思う。

まりフェミニズム論はそもそも女性でいながら男社会での平等公正さを求める主張であって、例えば女性生活やすい女社会を再構築するみたいな主張じゃないわけだ。
男性という衣食住の心身健康品質管理を怠ることがなければ進んで危険環境へ飛び込んできて富を得てきてくれる存在を維持するための女社会は求めていなく、男社会という危険環境へ飛び込むことが推奨される社会女性活躍できるようにしようという主張なわけだ。

俺も現代思想へ染まった人間なので女は後ろに控えていろなんて言うつもりはない。
どうぞ俺の代わりに前線で戦ってくれ。それだけ俺に弾丸が当たる確率が減るしな。

2021-04-28

異様に内容が濃い雑誌

ユリイカとか現代思想とか、異様に内容が濃い

そこら辺にある活字単行本以上に内容濃くないか!?って常々思う

でもそこが好き

2021-02-22

必読書コピペマジレスしてみる・哲学

日本文学編→anond:20210222080124

追補編→anond:20210218080224

プラトン饗宴

おっさん飲み会真実愛について延々語るだけなので、哲学書の入門編にいいんじゃないかな。楽しそうにしてるおっさんはいいぞ。

アリストテレス詩学

どうしてフィクションで人は感動するかについて述べた本の走りで、後半は散逸しているんだけど、カタルシスについてはなるほどなあ、とは思った。作家になりたいんだったら普通にハリウッドの三幕構成の本を買ったほうがいいかもしれないが、この読書リストを読んでいる人は実用的な知識よりも読んでいて楽しいかどうかを求めている気もする。

アウグスティヌス告白

読もうと思ったまま長い時間が過ぎてしまった本で、まだ読めてない。アウグスティヌス若いころややりたい放題やっていた時期のことも書いてあるらしいので、宗教書として以外にも楽しめるんじゃないだろうか。

マキァベッリ『君主論

塩野七海エッセイですごく推していたから読んでみたけれども、普通に面白い。例えば、中途半端に生かしておくと復讐されるから、いっそとどめを刺しておけ、みたいなことが書いてあって、優しいと人から言われてしま自分には大いに刺激になった。ところで「孫子」もそうだが、戦争政治学について書かれた本はたいてい「そもそも戦争は大悪手で、戦争になる時点で何かやらかしてる」という趣旨言葉があり、全くその通りだと思う。

モア『ユートピア

未読なんだけど、結婚とはある種の契約なんだから、まず処女童貞がお互いに裸を見せ合ってからだ、みたいなディストピア的な描写もあるらしく、ディストピア文学好きの人は楽しめるんじゃないかな。あとは非モテ界隈の人とか。実際、完全な平等社会を目指そうとするとどっかしら歪みが出るもので、それについて考えるのにも使えそう。

デカルト方法序説

自然科学的な考え方、ロジカルシンキングマニュアル。長くないのですぐ読める。得るものがあるかどうかはわからないけど、逆に普段している論理的思考そもそも存在しない時代があったことは、実感しておくと歴史を学ぶ上で面白いかも。

カント純粋理性批判

平凡社の上巻を読んで挫折純粋な理性っていうけれども、ヒトの心にはデフォルト時間とか空間とかの枠組み、基本的概念が組み込まれているよね? 的な話をやたら細かく述べていく内容だったように記憶している。長いので三行でまとめたくなる。

この本に限らず、いくつかの哲学書は「この本さえあればあらゆる哲学的論争をおしまいにできる」「この本からあらゆる結論が導き出せる」的なスタンスで書かれたものが多い印象。

キルケゴール死に至る病

エヴァヲタなら読まなきゃという謎の義務から読んだ本。要は、どうすれば自分を信じることができるか、について語った本であったような気がする。自分は救われないだろうという絶望から、それでも神を信じるという境地に至るまでの道筋を延々と語ったようなものだった、はず。

自分特定信仰を持たないが、どうせ自分なんてと己を見捨てた境地から、まあ自分自分だよね、的な気分に至った経験がある人が読むと楽しめるだろう。

ニーチェ道徳の系譜

善悪の彼岸」と「ツァラトゥストラはかく語りき」なら読んだ覚えが。自分カトリック中高一貫校出身であったせいかキリスト教思想にある欠点を指摘したこの本を面白く読んだ。キリスト教になじみがなくても、たとえば来世があると考えることで現在を生きることがおろそかになるといった指摘は、興味深く読めるんじゃないだろうか。あとは、増田で定期的に出てくるルサンチマンがどうこうとかいう話が好きな人にもおすすめマッチョぶってるところはあるが。

フロイト快感原則彼岸

新潮文庫の「夢判断」「精神分析入門」「トーテムとタブー」「一神教起源」なら読んだ。フロイト自身はヒトの心を脳から探りたかったらしいのだけれど、当時はMRIやら何やらはまだないので対話式の治療法を導入したらしい。

彼の理論は今となってはツッコミどころがたくさんあるのだろうけれど、クラインだとかビオンかについて触れるなら頭に入れておきたいし、心理学特にパーソナリティ障害について読むなら知っておきたい。自分フロイトアドラーよりもユング派だが。

ラカンについては新書を読んだがさすがについて行けなかった。

ブルトンシュルレアリスム宣言

ラブストーリーの「ナジャ」だけ読んだ。謎めいた女のあるある的な話だ。

ウィトゲンシュタイン哲学探求』

論理哲学論考」だけなら読んだ。これもカントみたいに「俺が哲学のくだらない争い全部終わらせてやる」的な立場で書かれている。定理がずらずら並んでいるだけで、余計な表現がなく、簡素

ただ、言語限界について今の人が持っている感覚ってのは大体この時代の人が言っていたことだった気がするし、そういう意味では面白いんじゃないかな。この辺は数学ともかかわっていて、ペアノとかゲーデルとかヒルベルトとかその辺興味があったらいかがでしょう。

ちなみにウィトゲンシュタインポパーとの議論でキレて火かき棒を振り回したヤバいやつだというのは哲学界隈では有名らしい。

レヴィ=ストロース野生の思考

シン・ウルトラマン予告編でちらっと映っていたので読んだらいいかもしれない。

この本そのものは未読で「悲しき熱帯」ともう一冊なんか専門書を読んだことは覚えている。面白かったエピソードの一つは、ある民族身分入れ墨にするんだけど、入れ墨のない人間白人たち)を見て面食らう。要するに身分証明書を持ってないようなものから

定期的に異民族と共に暮らすドキュメンタリーが読みたくなる性分なのだが、それはたぶん、自分のやり方や考え方が絶対じゃないってことをよく教えてくれるからで、これも本を読む効用の一つだろう。趣味なので効用なんて本当はどうでもいいが。

サイードオリエンタリズム

面白い。僕自身スタンスとしては、日本人海外で誤解されていることを批判するんだったら、自分外国に対する偏見無知を減らそうと努力するのが筋だと思っていて、それの理論的な補強をしてくれた本。身近に外国人の多い環境ではないが、すぐに役に立たないからと言って読まないというのはなんか違うんじゃなかろうか。自分イスラーム世界インドについて、どれほどわかっているのだろう?

上田秋成『胆大小心録』

雨月物語しか読んだことがない。「雨月物語はいいぞ。

九鬼周造『「いき」の構造

どっからがいきでどっからが野暮なのか、直方体を使った図があった気がするが忘れた。

柳田國男『木綿以前の事』

遠野物語しか読んだことがないし、それも「マヨヒガ」のことしか覚えていない。

おまけ:いしいひさいち現代思想遭難者たち

自分現代思想に出てくる名前がわからなすぎて最初に読んだ本の一つ。四コマ漫画だがかなり本質をとらえており、いしいひさいち本業は何だったのかよくわからなくなる。素直に笑っておきましょう。勉強ってのは楽しみながらするもんだ。

おまけ2:ローラン・ビネ「言語の第七の機能

上のリストでは省略した20世紀哲学者が実名で登場するミステリなんだけど、フーコーサウナ美青年イチャイチャしたり、七十年代音楽を聞きながら薬をキメたりしているので、現代思想だのポストモダンだのをかじったことがあるならおすすめ。著者がやりたかったのは、たぶん上の世代の脱神話化というか、強すぎる影響の破壊なんだろうけれども、ここも素直に笑っておくのがいい。


以上。

2021-01-30

anond:20210130183106

なんでかというと上座部の方が今となっては教理があるから

大乗仏教って何をやるんですかっていうと、お葬式やって、ふにゃふにゃしたお説教して、いい加減なもんでしょ。

言うほど大乗仏教って教理いか

いやたしか日本仏教がふにゃふにゃなのは同意なんだが、大乗仏教歴史ざっと見ると、龍樹とか世親とかのビッグネームがいるじゃん

こいつらが説いた理屈はかなり強度がありそうに思えるから、潜在能力としてはなかなかしっかりした教理がありそうに思える

ポストモダンというのは基本的に「色即是空」としか言っていない。

仏教はそこから空即是色」としてこの世界を引き受けようとするところがある。

ポストモダン的に言うと、すべてのものには本質根拠意味なんかなくて、単に名前をつけられた存在にすぎない。

から脱構築して宙吊り状態で生きろと。

でも仏教は、であるが故にこの世の中をどういうふうに引き受けるのか、この現世の中で意味ある生を生きていくのか、その精神をもう一度問う。

そこがポストモダンを乗り越える一つの入り口になるんじゃないかと思ったんです。

https://technique.hateblo.jp/entry/20110602

あとついでにこの記事示唆的なんだけど

大乗仏教はプレモダンのように思えて、実はポストモダンを超克し得る可能性があるらしいんだわ

色即是空空即是色つってるからここで言及されてる「仏教」は大乗仏教のことだわな)

こんな感じで、上座部現代思想として捉えたとき、どういう視点提供できるのかについてわりと気になってるんで、詳しい人いたら教えて欲しい

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