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2021-04-08

俺にとっての「謎で包むことによって人を楽しませる作品」というのは、

エヴァではなく、浦沢直樹作品でもなく、ながいけん作品だ。


神聖モテモテ王国もそうだし、第三世界の長井もそうだ。(特に長井)


しかに、作品が謎で包まれている状態を楽しむ人が少なくなってきている…のかは知らない。

長井は結局打ち切られたし。

でも、作品に謎をちりばめて提示することによって人を楽しませるという点で、第三世界の長井はより多くの人を惹きつけることができるポテンシャルを持つ漫画だった…はずだと思う。多分。

刊行ペースがあと二倍くらいあればよかったのに。

2021-04-01

版権管理者なので二次創作について書く

某Vの炎上の件で二次創作についての勘違い散見され版権管理者としてはまた面倒な流れになったら嫌なので書く。

まず著作権侵害親告罪なので版権者が親告しない限り罪にならない。

そのため二次創作は法的グレーとよく言われている。

ウチを基準に話すが、二次創作公式利益を損害するようなことをしなければわざわざ訴えることはしない。

ガイドラインとして二次創作基準を公開しているところも多々あるが、「個別判断するが通報してきた奴に結果の報告はしない」というどうにでも動けるような一文を添えておくことが多い。

個別判断と言うのはエロ過ぎるとか公式を貶めているとかの表現問題ではなく「公式発行物と間違われる」とか「公式引用を越えた転載をしている」というのを問題としている(ウチでは)

たまにそういうものを見かけてもまずは直接警告するだけで大事にはしないし、幸い警告して対応しない相手に当たったことはない(ちなみに転載しか警告したことがない)

警告に該当する物を具体的にガイドラインに書かないのは今後方針を変えるときに動きやすいようにするためだ。

インターネット二次創作載せるの禁止という一文があっても実際に取り締まってないのなら、何か問題があったときにウチは無関係であるという宣言程度に受け取ってもらって構わない。

本音を言うと通報者のほうに苛立ちが募ることが多い。二次創作があることなんて知ってるに決まってるだろ。バカにしてんのか。

「これを問題にしなければ貴殿会社おかしい」という脅迫かよ?な内容の長文メールと一緒にURL同人誌が送られてくることが多い。

判断するのはこちらなのに偉そうに指示してくるお前は何様なんだ。

二次創作でなくて刊行物の丸ごと転載海賊版通報ならありがたいと思うが、二次創作通報者は総じて偉そうに「これを野放しにしている御社は恥ずべきだ」とか言ってくるから本当にうざい。

いちいち二次創作を取り締まってもデメリットしかいから野放しにしてんだ察せよ。

別の話

書籍を丸ごと転載され警告して消してもらったことがあったのだが、転載した側が「版権者に叱られた申し訳ございませんわたくしが悪うございました」と大々的に言いやがったせいで憤慨した信者ファンネルで何故か版権者のこちら側がメール爆撃や電話攻撃を受けることがあった。

信者たちは「あの人の丸ごと転載には助かっていた宣伝にもなるんだから許すべき原稿データ無償提供するべきお前らは守銭奴のクソけしからん」と口をそろえて言ってくる。

なんでやねん。ウチは著作者利益を守る立場にあるから丸ごと転載なんて認められるわけがないやろがい!買えや!!

追記

言いたかったのは二次創作の白黒はこっちが都合悪くなったら黒と判断するから外野は偉そうに通報して版権側に指図するなということ。

クレーマー対応人員リソース食われるのが嫌だって話で通報法律違反じゃないしとかいう話はして無い。

あと男オタクがどうとか女オタクがどうとか隠れてるからとかオープンからとかはこちらとしては割とどうでもいいわ。

ある程度オープンにしてもらったほうが宣伝になるケースも無いわけではないし正しいか正しくないかなんて判断基準こちら側にしかない上に、こちら側にしてもやってみたあとの結果論しかない。

デメリットが上回ったら問題にするだけだが、二次創作の内容の責任こちらには無いから万が一どこかで大問題になったらこちらは知らなかったです顔して問題ですねえ…とか言うだけだ。

なので外野のくせに非常識だの常識だの言い争ってるのは二次創作通報してくる奴なみのアホ。

2021-03-30

BLはいから隠れるのが正しいという風潮になったのだろう……

90年代出版された男性向け投稿写真エロ雑誌編集後記的な所に内容をある程度ぼかした感じで「やおい」と言う言葉を直接使って言及されていたのを見た覚えがある(そういうジャンルのことを知らなかったのでなんでこの人は矢追純一名前を出して変な事言ってるんだろうと思っていたけど)。

 

地元図書館に行けばノンケの若侍が義兄にレイプされてから好きな女性がいるにもかかわらず色んな男に想われたり手を出されたりしながら悲劇的な結末を迎える時代小説や不幸にも女顔だったためやたら男にちょっかい出されてきた少年暴走族の男に手籠めにされた挙句少年院に入れられるもそこで運命的な男と出会青春小説八岐大蛇であった織田信長森蘭丸セックスする怪奇小説がなんの区別もなく本棚に並んでいた。

 

ネットが普及する以前に専門誌が刊行されていたような一大勢力を築いたジャンルに何故隠れるのが当り前みたいな風潮が蔓延してしまったのだろうか?

2021-03-28

「東アジア反日武装戦線」の初心と過ち

韓国発の映画『狼をさがして』は何を描いているか

太田昌国 評論家編集者

 韓国発のドキュメンタリー映画『狼をさがして』が間もなく日本で公開される。金美禮(キム・ミレ)監督2020年作品で、原題は『東アジア反日武装戦線』という。映画が描くのは、1974年から75年にかけての出来事――「東アジア反日武装戦線」(以後、「反日」と略す)を名乗る人びとが「連続企業爆破」を行ったこと――とその背景である

歴史像と世界像が一新されてゆく時代のただ中で

 描かれる時代は、アジア太平洋戦争日本帝国敗戦してから30年近く経った時期に当たる。活動を担ったのは、敗戦から3~5年経った頃に生を享けた、当時は20代半ばの若者たちだった。いわゆる「団塊の世代」に属する。その彼ら/かの女らは、敗戦以前に日本がなした植民地支配および侵略戦争責任を問うた。同時に、戦後過程はすでに30年近い長さに及んでいるにもかかわらず、日本がその過去清算することもないままに、改めて他民族に対する加害国と化している現実に警告を発した。手段として使ったのは爆弾だった。

 その標的はまず、戦前絶対無謬の存在として日本帝国を率い、戦後は「平和」の象徴となった昭和天皇に向けられた。だが、「お召列車」の爆破計画が実現できなくなった後は、戦前戦後を貫いて繁栄する大企業に的を絞った。

 戦後日本象徴する言葉は、長いこと、「平和民主主義」だった。それは新憲法を貫く精神でもあると多くの人びとが考えていた。

 天皇戦争責任が問われることも裁かれることもなく始まった戦後は、「一億総無責任体制」となった。この体制の下では、日清戦争以降、断続的にではあっても半世紀もの間(1894年1945年アジア太平洋地域戦争を続けた近代日本実像を覆い隠し、この戦争全体像を、最後わずか3年半の「日米戦争」に凝縮して象徴させることが可能だった。広島長崎の「悲劇」を前面に押し出し米軍占領下の沖縄辺境ゆえに無視して、日本全体があたか戦争の「被害国」であるかのようにふるまった。「反戦平和勢力」の大勢も、そのことに疑いを持たなかった。

 1960年安保闘争の時にも、1965年日韓条約反対闘争の時にも、戦前日本帝国がなした対外政策と関連づけて現在分析する言動ほとんど見当たらなかった。すなわち、日本社会総体として、近代日本が持つ「植民地帝国」としての過去をすっぽり忘れ果てていたと言える。

 1960年代後半、この社会思想状況はゆっくりとではあっても変化し始める。日本は、高度経済成長過程で目に見える形での貧困は消え失せ、急速に豊かになった。この経済成長最初の基盤となったのは、1950~53年の朝鮮戦争による「特需景気」だとする捉え方が常識となりつつあった。

 時代はあたか米国ベトナム侵略戦争の渦中で、沖縄を軸に多数の米軍基地があり、インドシナ半島輸送される米軍物資調達地でもある日本は、再度の「特需景気」に沸いていた。近くに住むアジア民衆が苦しんでいる戦争によって自分たちの国が総体として豊かになっていく――この際立った対照性が、とりわけ若い人びとの胸に突き刺さるようになった。

 加えて、米国でのベトナム反戦運動は、黒人先住民族インディアン)の権利回復の動きと連動していた。植民地主義支配人類史に残した禍根――それが世界じゅうで噴出する民族問題の原因だとする意識が、高まっていった。

 「東アジア反日武装戦線」に所属した若い人びとは、それまでの歴史像と世界像が一新されゆくこのような時代のただ中にいた。彼ら/かの女らは、日本近代史と現在が孕む問題群に、「民族植民地問題」の観点から気づいたという意味では先駆的な人びとだった。

「重大な過ち」の根拠を探り続けた歩み

 「反日」はこうして獲得した新たな認識を、すぐ実践に移そうとした。当時刊行された「反日」の冊子『腹腹時計から鮮明に読み取れるのは、次の立場だ。「そこにある悪を撃て! 悪に加担している自らの加害性を撃て! やるかやらないか、それだけが問題だ」。政治性も展望も欠いた、自他に対する倫理的な突き付けが、行動の指針だった。「反日」が行った、1974年8月30日東京丸の内三菱重工ビル爆破は、8名の死者と385名の重軽傷者を生み出す惨事となった。

 「反日」にはひとを殺傷する意図はなかった。事前に電話をかけて、直ちに現場を離れるよう警告した。だがそれは間に合わなかった。しかも、なぜか「反日」は三菱爆破の結果を正当化し、死者は「無関係一般市民」ではなく「植民地人民の血で肥え太る植民者だ」と断言した声明文を公表した。映画の前半部で、この声明文がナレーション流れる

 多くの人びとはそこで「引く」だろう。半世紀前の当時もそうだった。それゆえに、彼ら/かの女らは、日本では「テロリスト」や「血も涙もない爆弾魔」の一言で片づけられてきた。

 その責任の一端が、「反日」そのもの言動にあったことは否定し得ないだろう。だが、実はそこにどのような内面の思いが秘められていたのかということは、路傍の小石のように無視されてきた。そんな渦中にあって、獄中の彼ら/彼女らは初心を語ると同時に、自らが犯してしまった重大な過ちの根拠を探り続けた。獄外には、その試行錯誤を〈批判的に〉支え続ける多様な人びとの存在があった。映画『狼をさがして』は、これらの獄中・獄外の人びとの歩みを74分間の時間幅の中に刻みつけている。

過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない

 画面には登場しない「主人公」のひとりは、「反日」狼部隊大道将司である。彼は2017年5月、長らく患っていた多発性骨髄腫で獄死したが、死刑が確定してのち、彼はふとした契機で俳句に親しむようになった。生前4冊の句集にまとめられたその作品は、人間関係自然とのふれあいも極端に狭められた3畳間ほどの独房にあっても、人間はどれほどの想像力をもって、ひとが生きる広大な世界を、時間的にも空間的にも謳うことができるものかを証していて、胸を打つ。それは、ひとを殺めたという「加害の記憶悔悟」を謳う句において、とりわけ際立つ。

 映画でも紹介される「危めたる吾が背に掛かる痛みかな」もそうだが、他にも「死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ」「春雷に死者たちの声重なれり」「死は罪の償ひなるや金亀子」「ゆく秋の死者に請はれぬ許しかな」「いなびかりせんなき悔いのまた溢る」「加害せる吾花冷えなかにあり」「秋風の立ち悔恨の溢れけり」などの秀句がある。

 「反日」のメンバーの初心と、結果としての重大な過ちを冷静に振り返るこの映画制作したのは、韓国映画監督キム・ミレとその協力者たちである。ふとした機会に「反日」の思想と行動を知ったキム・ミレ監督がこの映画制作したのは、「人間に対する愛情、その人間を信じること」からだったという(「『狼をさがして』――金美禮監督に訊く」、東アジア反日武装戦線に対する死刑・重刑攻撃とたたか支援連絡会議=編『支援ニュース』420号、2021年3月6日)。社会正義のために、加害国=日本搾取され殺された東アジア民衆の恨みと怒りを胸に行動した結果、数多くの人びとを死傷させてしまった、つまり自らが加害者になったという事実に向き合ってきた「反日メンバーに対する思いを、かの女はそう語る。

 だが、その裏面には、次の思いもある。彼らは「長い期間にわたって、自らのために犠牲になった人々の死に向き合って生きねばなりませんでした。苦痛だったかもしれませんが、幸いにも『加害事実』に向き合う時間を持つことができたのです。8名の死と負傷者たち。それがこの作品制作過程の間じゅう私の背にのしかかってきました。しかし、彼らと出会うことができて本当に良かったと思います。この作品は、私に多くのことを質問するようにしてくれたからです。どう生きれば良いのか、今も考えています。」(キム・ミレ「プロダクション・ノ-ト」、『狼をさがして』劇場パンフレット所収)。

 74~75年当時の「東アジア反日武装戦線」のメンバーからすれば、韓国の人びととの共同作業は「見果てぬ夢」だった。日本自分たち戦後の「平和民主主義」を謳歌している彼方で、韓国および北の共和国の人びとは、日本植民地支配を一因とする南北分断と内戦、その後の独裁政権の下で呻吟していたからだ。

 そんな時代が40年近く続いた後で、少なくとも韓国では大きな体制変革が起こった。表現言論の自由を獲得した韓国新世代のなかから、こんな映画をつくる人びとが現われた。キム・ミレ監督は、この映画日韓関係の構図の中で見られたり語られたりすることを望まないと語る。過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない。日本韓国も、どの国でも同じことだ、と(前出『支援ニュース』および2021年3月18日付「東京新聞」)。

脈打つフェミニズム視線

 最後に、もうひとつ、肝心なことに触れたい。この映画を際立たせているのは、女性存在だと思われる。

 刑期を終えたふたりの女性が、生き生きとしたその素顔を見せながら、獄の外から窓辺に寄ってきた猫との交友を楽し気に回想したり、かつて自分たち闘争に大きく欠けていたものを率直に語ったりする。前者の年老いて元気な母親は、娘が獄に囚われてから、娘と自分たちを気遣う若い友だちがたくさんできたと笑顔で語る。二人は自宅の庭を眺めながら、「アリラン」を歌ったりもする。

 キム・ミレ監督らが撮影する現場に付き添う姿が随所に見える女性も、長年「反日」の救援活動を担ってきた。撮影すべき風景、会うべきひとについて、的確な助言がなされただろう。

 死刑囚の獄中書簡集を読んで、あん事件引き起こしたひとが自分と変わらぬ、どこにでもいるふつう青年だと知って、縁組をして義妹となったひとの語り口もごく自然だ。女たちの運動を経てきたと語るかの女の言葉を聞いていると、獄中の死刑である義兄とは、媚びへつらいのない、上下関係でもない、水平的なものだったろうと想像できる。

 そして、もちろん、韓国人のキム・ミレ監督女性だ。弱い立場にある労働者現実を描いてきたかの女は、男性の姿ばかりが目立ち、男性優位の価値観が貫いている韓国労働運動の在り方に疑問を持ち、スーパーで働く非正規女性労働者が大量解雇に抗議してストライキでたたかう姿を『外泊』(2009年)で描いた。日本でも自主上映されたこ作品に脈打っていたフェミニズム視線が、『狼をさがして』でも息づいていることを、観る私たちは感じ取るだろう。

2021-03-26

仮説:定義あいまいだと発展性がなくなる

まだ、例がそこまで集まっていないが、二つ手に入れたので記入

オープンワールド

ゲームブック

  

ゲームブックは昔隆盛したが衰退している。

オープンワールド現在盛り上がっているが、将来下火になるだろうという自分予測

  

この二つの定義曖昧さについて

  

オープンワールド(https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89)

 ・オープンワールドとはレベルデザインの話である

  ・レベルデザインレベルとは、空間のこと

いわゆるステージ制のような一方通行あるいは限定的な経路や、ゲームプレイが中断されるロード画面を繰り返し挟んだ構成などから成るのではなく、シームレス自由な移動や行動が可能単一の広い空間が中心のレベルデザインや、それを採用しているゲームのことをオープンワールドと呼ぶ。有名な例を挙げると、GTAシリーズTESシリーズなどをイメージすると分かりやすいだろう。

つまるところ、オープンワールドという概念呼び方GTA3以降に定着したもの(先のシェンムーは「FREE」というジャンルを称していた)ではあるが、それと同様のレベルデザインは古くから様々なゲームタイトルで用いられており、概念が定着した現在では過去ゲーム作品レベルデザインを指して呼ぶことも一般的である。ただし、過去ゲーム作品は当時オープンワールドと名乗っていた(意識して製作された)わけではなく、あくまプレイヤー側の解釈なので若干曖昧な部分も含まれている。

こうした理由からオープンワールドという概念は厳密には2D/3Dを問わないものであり、3Dで構築されたワールド限定されているわけではないが、3Dオープンワールドの普及とともに広まった概念であり、その定義において3D限定して考える者も少なからずおり、2Dも含める者との間で解釈に違いが生じていることもある。(後述)

ゲームブック(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF)

本文は数十から数百個のパラグラフ段落)に分けられており、各パラグラフには順に番号が付いている。読者はそれらのパラグラフを頭から順番に読むのではなく、パラグラフの末尾で指定された番号のパラグラフを次に読む。パラグラフ番号の代わりにページ数をそのまま利用し、1ページを1パラグラフとして扱うゲームブックもある。いずれも次に読むべきパラグラフは1つに限らず、多くは複数の行き先が存在する。それらはプレイヤーによる任意選択ができたり、後述するランダム要素によって決められたり、以前に行った選択や判定の結果が影響して決まる。このような方法によって、多様に変化するストーリーを実現している。

と、あるが

一方、当時の日本任天堂ファミリーコンピュータファミコン)をはじめとする家庭用ゲーム機が爆発的に普及していった時期であり、そのため日本ではコンピューターゲームベースとしたゲームブックが多数発行された。特に双葉社の「ファミコン冒険ゲームブック」はコンピューターゲーム主体とした低年齢向けのゲームブックを多数だしており、最終的に130以上のタイトル刊行された[1]。他にはケイブンシャからアドベンチャーヒーローブックス」シリーズ刊行されるなど、数多くのゲームブックが発売されている。中には全て漫画で描かれた作品存在した。ゲームメーカー自らが制作する例もありコナミから双葉社意識した装丁で、自社ブランドの『コナミワイワイワールド』、『メタルギア』や『魂斗羅』、『ドラゴンスクロール』などが発売されている。エニックス(現スクウェア・エニックスからも「エニックスオリジナルゲームブック」として、同社が発売したコンピュータRPGの人気作ドラゴンクエストシリーズゲームブックドラゴンクエストの項参照)などのゲームブック化作品が発行されている。 「所さんのまもるもせめるも」は所ジョージ自身が書いた。

さら

派生的な形態

本の形式ではないためゲームブックとは異なるが電話使用したテレホンアドベンチャーと呼ばれる作品存在する。これは決められた電話番号にかけると音声ドラマが流れ、選択肢番号の代わりに電話番号が示される形式であった。正しい選択肢を選ぶと少ない電話代で最後にまで辿り着くことができ、そこでのメッセージを送ると抽籤で賞品が当たるようになっていた。『地層階級王国』や『次元からくり漂流記』『魔界横断ドラゴンラリー』など双葉社作品があった。

後にCDが普及すると各トラック選択肢番号になっている作品存在する。選択肢の代わりに指示されたトラック選択すると音声ドラマ流れるという形式であるゲームブック原作からは『地層階級王国』と『次元からくり漂流記』の二作品CDゲーム化されている。

コンピュータゲームの一ジャンルであるサウンドノベル(またはビジュアルノベル)は、ゲームブックの影響を受けたものであり、画像音楽による演出ゲームブックでは難しいマルチストーリーエンディングを盛り込んだものとなっている。[2]

ここで、私がよいと思う定義の発展性をみよう

ローグライク

・ローグライト(新しい方)

ローグライク(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0)

ベルリン解釈(Berlin Interpretation)

International Roguelike Development Conference 2008」において議論された、ローグライクの持つ要素[2]。 厳密な定義ではなく、いくつかの要素を無視しても構わない。

価値の高い要素(high value factor

ランダム環境生成 ― マップ構造アイテム配置がランダムで、リプレイ性が高い。

恒久的な死 ― 一度死んでしまえば最初からやり直しになる。ランダム環境生成と合わさることでゲーム面白くなる。

ターン制 ― 一つのコマンドが一つの動作対応する。じっくりと考えながらプレイできる。

グリッドベース ― ゲーム世界タイル(マス目)で構成されている。

ンモーダル ― 移動も戦闘も一つの画面で完結しており、画面変遷を伴わない。AngbandやCrawlの「店」等、しばしば無視される。

複雑さ ― 豊富アイテムモンスターが用意されており、ゲームの解法が一つではない

リソース管理 ― 限られたリソース(食料やポーション)を管理し、その用途を考える。

ハックアンドスラッシュ ― 多くのモンスターを次々に倒していく。

探索と発見 ― マップを慎重に調査し、未知のアイテム使用法を発見する。

価値の低い要素(low value factor

1人のプレイヤーキャラクター ― プレイヤーは1人のキャラクターのみを操作し、そのキャラクターの死をもってゲームオーバーとなる。

プレイヤーに似たモンスター ― プレイヤーとモンスターに同じルール適用する。モンスターアイテムや装備を持ち、魔法を使う。

戦術的な挑戦 ― ゲーム難易度が高く、何度もプレイすることで戦術を学び、プレイヤー自身が成長していく。

ASCII表示 ― ASCII文字によるタイル表示。

ダンジョン ― 部屋と通路構成されたダンジョンを含む。

数値 ― ヒットポイント等の数値が明示されている。

・ローグライト(https://minorgame.syowp.com/archives/roguelike-roguelite.html)

有名なSFゲームFTL: Faster Than Light』。ランダム生成された星系マップを進んでいき、そのさきざきでランダムイベントが起こります

ローグライクといわれてるゲームニャ。

まり厳密にはローグライクではないけど、「死んだら終わり」「ランダムマップ」という『ローグ』の要素があるものです。

ゲーム評論家のTotalBiscuit(John Peter Bain)氏は、それらを「ローグライトRogue-lite)」という概念位置付けました。

トルネコの大冒険』と『FTL』が違うように、『ローグ』を知ってる世代からすれば『ローグ』と『FTL』は違うのです。

ガン・ブラッド・デイズ

読了積読消化中

ジオペFのあとがきでちらっと触れられてた別世界線の記者イーヴァ・クロダの話はこれっぽい

詳しくは調べてないがソシャゲノベライズっぽい

刊行時期的にマジオペのほうがあとなのでこっちが初出っぽいが、何人か見覚えのある名前もちらほら

内容自体俺たちの戦いはこれからだエンドで不完全燃焼、、、、うーん

2021-03-25

anond:20210325140808

じゃあ専属契約結んでないようだし、他の書き込み見ると他社から刊行予定あるみたいだし、兼業らしいし、出版確定していない作品を10万文字単行本何冊分だこれ)を書くのは状況的に難しいということを素直に編集相談するしかないんじゃないかな。

 

ここに書き込んでしまった時点で関係者には誰か分かってしまうわけだけどもそれでも最後の所は誠実に行くしか無いと思う。

anond:20210325144544

出版エージェントは駄目だと思う

わいも本一冊分の原稿を闇に葬られそうになったことがあって揉めて

エージェント相談しようとしたんだが

契約とかの話をする前に

「これから刊行予定の本があればその内容を細かく教えて。刊行半年後ならもうプロットあるでしょ? メールで送って。今すぐ」

とか全然関係ない(揉めた相手じゃない出版社)会社刊行予定を根掘り葉掘り聞かれて

契約してからなら話すけど今は話せない」って言ったら

「じゃあ何も言えることないです」

電話を叩き切られた

anond:20210325135615

記事書いた増田です。

他社での受賞・声掛けから刊行予定があるので、投稿サイトココナラにまで手が回らないのが現状。

対価をいただけるのならそれでも書ききるけど……。

もしサイト投稿するなら没になった案とかを好き勝手に書きたい。楽しそう。

2021-03-22

映画秘宝の件での私見

最初から編集部とやらが問題解決できるとは微塵も思ってないのだが、何故か編集部とやらが対応する体の文書を出した時点で終わってた。

編集部解決に向けて動くのなら、そもそも解決するまで雑誌刊行するのか否かが肝にもなるが、解決してないけど雑誌刊行続けた。

漏れて来る内情は、内ゲバ状態で、頑張ったんだけどなんら進展してませーん。

町山智浩は外向けは当事者ではないふりをして、裏では正論断じて、俺の通りに動けと指示してただけ。挙句、切られた。

雑誌フリー編集者ときが、なぜクレーム処置ちゃんとできると錯覚した?

2021-03-19

雑誌映画秘宝』の記憶(15)

今回も引き続き、雑誌映画秘宝』の中に蔓延っていた「ボンクラと云う『甘え』」について考えてみます。このような風潮が同誌の内部に醸成された一因として、町山智浩高橋ヨシキらが「恵まれ境遇に生まれ育った/生きている」ことの影響を考えてみる必要が有ると思います

と言うのも、恵まれ境遇で生まれ育った/生きている人間にとっては「生きるか死ぬか」と云う状況や「生き延びる為には泥水をも啜る」と云う覚悟は、所詮他人事」であり、だからこそ彼らは身勝手なまでに好き放題できたのです。

これまでの投稿で私は「雑誌映画秘宝』内部では一部の人間により業務の『私物化』が起きていたのではないか」と云う仮説を述べました。そして、この仮説に符合するような動きが『映画秘宝』最新号に見られました。

それは、同誌にアニメ作品特集記事掲載されたことです。この動きは「高橋ヨシキらが居なくなった『途端に』」と言えます。そこに私は「新体制となった『映画秘宝編集部から、読者を始めとする外部の人間に向けてのメッセージ」が込められていると考えています

そのメッセージとは何でしょうか?

私はそれを「これまでの『映画秘宝』では高橋ヨシキら『切り株作品好きの派閥』の一存で、アニメ作品などの特定ジャンルに関しては肯定的に取り上げないように抑圧されていたが、これからの本誌は変に気兼ねすること無く幅広いジャンルにも目を向けるように努めて変革する」と解釈しています

仮にこの解釈が正しいならば、映画を紹介・批評するメディアとして実に「まっとうな態度」と言えるでしょう。

投稿(13)でも述べましたが、雑誌映画秘宝』が生き延びるには、読者層を拡大することが避けて通れない課題でした。仮にアニメ作品を取り上げても、それが正しい戦略か否か、直ぐに読者層の拡大と獲得に繋がるのか否かは未知数です。しかし少なくとも、従来の『映画秘宝』が好んだ、自分たちと異なる趣味や嗜好を排斥するような閉鎖的で排他的な態度を、反省して改めていくという「ポジティブ可能性」を感じさせるものであることは確かです。

路線模索して読者層の拡大を図り、それにより雑誌の生き残りに努める姿勢を打ち出した新体制映画秘宝』の姿は、過去の同誌を主導していた『切り株派』よりもよっぽど「生きることに真剣かつ必死である」ように私には見えます。謂わば「生きる為の切実さ」を感じます

これとは対照的に「読者の拡大なんぞ知ったことか!」「アニメが好きな奴らに読んで欲しくなんざ無えよ!」と云う強気な態度を取り続けてきたのが、高橋ヨシキら『切り株派』に主導権を握られていた従来の『映画秘宝』でした。

おそらく、彼らにとっては「『たかが』雑誌の生き残りの為に、女やアニメ好きに媚びる必要は無えよ!『そんな』事をするぐらいなら潰れた/死んだ方がマシだ!」と思えたのではないでしょうか。

この「思えた」「できた」と云うのが重要な点で、これは「そうすることが『できる』と云う『可能』」を表す物言いです。こんなことを「思える」上に「実行できる」のは、それをできる「余裕」が有るからです。

人は「食べるための苦労」をせずに済む「恵まれ境遇」なればこそ、「生き残る為に泥水を啜るなんて、みっともない真似するか!」と云う態度も取れるのです。

町山智浩高橋ヨシキ早稲田大学出身であることは、ファンウォッチャーにはよく知られた話です。入学金や授業料が高額な有名私立大学に通うことが可能であった、こんな「お坊ちゃんたち」に、生きる為に泥水をも啜るような覚悟が生まれるでしょうか?もちろん「否」です。

そうです。彼らの本質は、何処かの首相の息子と同じく「お気楽身分のお坊ちゃんたち」なのです。

ちなみに高橋ヨシキは、英語フランス語ペラペラらしいですね。これは素直に凄いと思いますよ。しかし、そんな彼が非・都市部居住者や非・富裕層をあからさまに侮蔑する姿を見る度に、私は赤塚不二夫漫画登場人物であるイヤミ連想しつつ「やっぱり外国語能力人間性の間には関係が無いんだなあ」と再確認する次第です。

柳下毅一郎東大出身者ですが、柳下ファンウォッチャーからは「翻訳・文筆の仕事だけで食えているのか?」「食う心配をしなくて良いぐらいに実家が太いんじゃないの?」と言われている様子です。少なくとも「爪に火をともして暮らしている」とか「糊口をしのいでいる」といったイメージは抱かれていない様子です。まあ、浮世離れした人間でなければ、海外シリアル・キラー事情に詳しい特殊翻訳家稼業とか無理でしょう。

てらさわホークは…私はよく知りません。

恫喝DM事件以降に露呈した『映画秘宝』内部の対立於いて高橋ヨシキの側に立つ『切り株派』ライター人脈を見ると「普段会社員をやってます」的な人間が目立ちます。これは「食い扶持に悩まなくて済むから映画秘宝』の売り上げも気にせずに済む」と云う条件にも当て嵌まるように思えます

もっとも、この人たちの場合自分で働いて身を立てているのですから、決して「お気楽身分のお坊ちゃん」ではありません。少なくとも、奥様の稼ぎに助けられつつTwitter芸人としての活動に日夜勤しんでいる、何処かの誰かさんとは雲泥の違いです。

しかし、切り株派の「お気楽身分」とは、結局のところ「他人負担押し付ける」ことで成り立っていたに過ぎません。彼らが好き勝手にしていた分の尻拭いを負担していたのが、他ならぬ洋泉社です。洋泉社としては雑誌刊行を「商売」として成立させたかったのに、それを雑誌の作り手たち自身が「私物化」することで台無しにしていたのです。そう考えれば、休刊から復活を遂げた『映画秘宝』が、町山智浩らの古巣である宝島社に拾われなかったのも容易に理解できるでしょう。

泥水を啜る覚悟も持たず、負担他人押し付ける。このような姿勢については、まだまだ話を展開できそうですが、また長くなりました。

今回は一先ずここまでにします。アーメン

2021-03-18

雑誌映画秘宝』の記憶(13)

前々回の投稿(11)で言及した『映画秘宝』内部で起きていた「業務の『私物化』」について、引き続き今回も述べようと思います

ムック形式が好評だったこともあり、90年代の終わりに雑誌化・大型化を見事に果たした『映画秘宝』は、傍目には順風満帆に見えました。しかし、初期の同誌を読んでいた方々ならばご存知のとおり、若者購読者を想定した誌面作りとはお世辞にも言えませんでした。初期の『映画秘宝』がそのターゲットにしていた購読者とは「子供時代70年代映画館テレビで観た映画についての記憶を、編集者ライター陣と共有する大人」だった訳ですが、当時そんな条件を満たしていた人たちは、私も含めて既に「立派なオジサン・オバサン、若しくはその仲間入りも間近な人たち」でした。そのままで購読者高齢化によって、ジリ貧に追い込まれるであろうことは明らかでした。

したがって、雑誌映画秘宝』が将来的にもビジネス継続して生き延びるためには、長期的な戦略として「より広範で多様な読者層を開拓すること。それも、特に若者層』と『女性層』を購読者として積極的に取り込むこと」を選択するべきでした。しかし、こんな事を今さら書いても、後の祭りです。

承知のとおり、それとは正反対戦略を『映画秘宝』は選択しました。いや、何らかの戦略選択したと言うよりも、むしろ「長期的な戦略など、当時の『映画秘宝編集者ライター陣は露ほども真剣に考えてはいなかった」と言う方が正確かもしれません。

覚えている方もいるかもしれませんが、高橋ヨシキが『映画秘宝』の表紙デザインとして、邦画から引用した「裸の女性が荒縄で緊縛されて馬に跨がる残酷エロ画像」をコラージュして仕上げたことがありました。この表紙について、町山智浩は「この表紙じゃあ女性が手に取り辛い(=買い辛い)」とボヤいていました(※注)。雑誌の「顔」である表紙がこんな状態だったぐらいですから高橋ヨシキの頭に「女性購読者を獲得すること」など微塵も無かったことは明らかです。

既に述べたとおり『映画秘宝』は「女子供から映画を取り戻せ!」をスローガンにしていた訳ですから、むしろいか女性が手に取り辛い(=買い辛い)デザインにするか」について考えた上で、高橋ヨシキ意図的かつ積極的に「女性が嫌がりそうなデザイン」に仕上げたのだと考えるのが妥当です。きっと、このような表紙を作っていた時の高橋ヨシキは「オレたち男だけの輪を乱すような奴(=女性)は、お呼びでないから帰った!帰った!」「この表紙デザインを見たら、きっと町山さんも喜ぶだろうなあ!」と云う気持ちを込めていたことでしょう。(※注:ところで、町山智浩も本気でボヤいていたのではないのだろうと私は思いますが、そう思う理由については別のところで述べます。)

近年は真魚八重子などの女性執筆者が『映画秘宝』に登場する機会が増えてはいましたが、それで町山智浩高橋ヨシキの芸風が改まったようにはとても見えず、むしろ却って「これでもオーケーなんだ!こんな芸風でも女は許容してくれるんだ!」と彼らの勘違い助長したと云う可能性すら有ると私には思えます。仮にそうだったとしたら、真魚八重子の頑張りが報われていなかったことになって、非常に気の毒な話ですが。

また、これも既に過去投稿でも述べたことですが、比較的早い段階から映画秘宝』は、ごく少数の寄稿者(例:山本弘)を除けば「アニメファン蔑視・敵視・嘲笑する」と云う態度を明確に打ち出していました。この「アニメ叩き」の姿勢は同誌において長く一貫していたと言ってもよく、恫喝DM事件が発覚する直前にも「『鬼滅の刃』は絶対に観ない!」と、訊かれもしないのに自分たちの方からアピールに励んでいました。

もちろん、思想信条自由に照らして考えれば、編集者ライター個々人が「何か」を嫌うこと自体は許されるべきです。だから対象が「萌えアニメファン」だろうと「女性」だろうと何であろうと、高橋ヨシキらが個人的に何かを嫌うことは自由範疇あると言えるでしょう。極端な話、内心だけに留めて現実世界で実行に移しさえしないのであれば、性的マイノリティ/人種民族etc.に対するネガティブ気持ちを持っていても許されるでしょう。

しかし、その上で問いますが、当時の編集者ライター陣がわざわざ誌面を使ってまで「女嫌い」や「萌えアニメ嫌い」を盛んにアピールしたり、ゲイを繰り返し「ホモ」呼ばわりして嘲笑し続けて、雑誌映画秘宝』を売ると云うビジネス全体にとって、何か良い成果を招いたでしょうか?結果的には、女性萌えアニメファン性的マイノリティはもちろんのこと、それらに該当しない人たちにすらも「何だか映画秘宝』は排他的雰囲気があって嫌だなあ。近づくのは止めておこうか」と思われ、遠ざけられただけに終わったように私には見えます

そうして「未来購読者」に成っていたかもしれない人たちも見す見す逃してしまって、長期的に見れば大きな損をしたのではないですか?もしも、編集者ライター陣の個人的な好みに拘ったことによって、ビジネス未来が失われたのだとしたならば、それについての責任を彼らはどう取るつもりなのでしょうか?

当時の『映画秘宝』の萌えアニメ叩きムーブに関しては、こんな出来事もありました。ある時、俳優加藤雅也に対するインタビューを行った際、わざわざ「最近若い奴らは、萌えアニメなんかにウツツを抜かしているんですよ!」と御注進に及んだのです。もちろん、そのインタビュー記事の中では、それに対する加藤雅也の「『萌え』ねえ…」というリアクション言葉を「例の見慣れた太いゴシック文字」で強調することも忘れませんでした。つまり当時の『映画秘宝』は「あの加藤雅也サンも、萌えアニメなんか好きな奴のことは見下して馬鹿にしているんだゾ!読者の皆も後に続け!」と、虎の威を借る狐のスタイル萌えアニメファン嘲笑することに勤しんでいたのでした。それにしても、何の脈絡も無く突然「萌えアニメが云々」とか言い出したので、インタビューを受けていた加藤雅也も反応に困ったのではないでしょうか。加藤雅也についての面白い/興味深い話を読みたい読者の立場からすれば「何でインタビュアーがいきなり『オレは萌えアニメが嫌いだ!』と自己主張を始めるんだよ。お前は主役じゃねえだろ。お前の自己満足にスペースを割くぐらいなら、もっと加藤雅也言葉を載せろよ」と云う感想を抱くしかありませんでした。きっと、このインタビュアー脳裏には、読者の存在及び読者のニーズなどは思い浮かびもしなかったことでしょう。

上で述べたような行動に熱中していた『映画秘宝編集者ライターたちは、ただ単純に「『自分たち欲求』が充たされて気持ちが良かった」のだろうと思います。もちろん自分欲求を充たしたいと思うことは人間として当然ですし、仕事を通じて欲求を充たすことが出来れば、こんなに幸せなこともないでしょう。しかし、それをするならば良識と限度が必要不可欠です。わざわざ無駄に敵を増やし、未来購読者を失ってまで「自分たち欲求を充たすこと」を優先したことは、仕事(ビジネス)として必要なこと、正しいことですか?

ひょっとしたら「眼の前の『利益』を捨ててまで『信念』(=嫌いな奴らを大っぴらに嘲笑すること)を貫くことが出来るから、オレたち(=『映画秘宝』)はスゴいんだ!」と、『映画秘宝切り株派は自分達に酔っていたのかも知れません。しかし、それは別にスゴいことではありません。

洋泉社としては、雑誌映画秘宝』の刊行を「遊び」や「無償ボランティア」として、ではなく「まっとうなビジネス業務」として行っていた訳です。それには先ず雑誌が売れること、それも短期的にだけではなく長期的に売れることが先決であり、その為には更に、購読者を増やすことが何よりも重要でした。したがって、これらの重要事項こそが『映画秘宝製作チームに対して洋泉社が何よりも先に求めたことだったはずです。「何よりも先に」です。

それなのに、購読者を増やさず、と言うよりも増やす為の努力を端から放棄して、逆に無駄に敵を増やすことにだけはキッチリ勤しんでいた訳ですから洋泉社にとって『映画秘宝』の編集者ライター陣は、さぞかし頭痛の種というか獅子身中の虫というか、実に困った存在だったと推察されます

こういった「まっとうなビジネスであれば求められて当然の事柄」には応えようとせず、何よりも先ず「自分たち欲求を充たすこと」を優先して仕事に臨む、これこそが私の言う「業務の『私物化』」なのです。

この文章を読んでいる方は、試しに想像してみて下さい。もしも貴方が何処かの会社などに勤務していて、社員一丸で協力して赤字解消や顧客開拓などに努めねばならない時に、赤字を垂れ流したり顧客どころか敵を増やす行動にばかり勤しむ同僚が社内にいたとしたら、しかも、それに勤しむ理由が「自分気持ちいから」とか「これをやると○○センパイが喜ぶから」とかだったら「テメエの『趣味』の為に業務を『私物化』するんじゃねえよ!」と言いたくはなりませんか?単に「職業人」としてだけではなく「社会人」としても失格でしょう。

このように『映画秘宝』の行動は、とても「長期的な利益を考えている」とは思えないようなものばかりでした。岩田和明による恫喝DM事件を見れば分かりますが、ごく最近の『映画秘宝』内部でも「長期的な利益を考えず、自分気持ち良くなることを優先する」と云う風潮が継続していたことは明らかです。更に、岩田和明が退職するからと云う理由だけで、のんさんの連載を打ち切って雑誌の「売り」を無くすように仕向けたことも、これまた雑誌全体のことを考えない「自己中心的な行動」でしょう。

仕事に関して「長期的な利益」について考えると云うことは「自分よりも若い世代に残す未来」について考えること、つまり責任感の伴う態度」です。これに対して「業務の『私物化』」とは、仕事に臨むに当たって「今」の「自分」のことしか考えないこと、つまり無責任な態度」です。

映画秘宝』は、彼らが「精神年齢の幼稚な奴ら」と見なして嘲笑していたアニメオタクや「馬鹿宣伝に騙されて底抜け大作を観に行く奴ら」と侮蔑していた女性と、彼ら自身とを勝手に比べて「自分たち(=『映画秘宝』の編集者ライター)はアイツらと違って『大人の男』なんだ!」と周りに向けて盛んにアピールし続けてきました。しかし、果たして彼ら自身は本当に「大人」と呼ばれるに値する人間だったでしょうか?

雑誌未来」よりも「自分たち欲求」を優先し続けてきたことを、中心メンバーによる「業務の『私物化』」と呼ばずして何と呼べば良いのでしょうか?「身体大人頭脳はコドモの幼稚な遊び」でしょうか?

高橋ヨシキら「切り株派」が居なくなった2号目にあたる『映画秘宝』に、アニメ作品の特集記事掲載されることが予告されました。この「居なくなった途端に」と言っても良い動きを見るに、おそらく「切り株派」が彼らの一存で他の派閥編集者ライターに対して「『映画秘宝』でアニメ作品を扱うなよ!」と有形無形の圧力を掛けていたことは、想像に難くありません。そのような圧力存在したとしたら、一部の人間の一存で企業努力可能性を封じられていたことになるのですから、これもまた「業務の『私物化』」です。

「今」の「自分(たち)」のことしか考えない「無責任な体質」なのだから、年下の女性に対して恫喝DM攻撃を行ったり、自分たちよりも年下のフリー女性編集者に対してパワハラを行ったりするのも、何ら不思議ではありません。告発を受けるまで、何一つ疑問に思わなかったのは「本当」でしょう。何しろ彼らの頭に有るのは「自分(たち)のこと」だけなのですから

奈良さんがパワハラ告発した後に柳下毅一郎が出した、あの謝罪文としての体を成していない文を読んだ時も「ヨシキくんが報われて欲しい」とか、被害者を置き去りにしたことを書いていて「本当にどこまでも『自分(たち)のこと』だけに終始するんだな」と私は思いました。東大を出たぐらいだから間違いなく柳下毅一郎は頭が良いはずなのに、被害者を含めた「他者存在」に対して満足に想像力を働かせることも出来ず、謝罪文一つまともに書けないとは流石に想像できませんでした。子供か。

映画秘宝』の中心メンバーとも呼んでもいい人間たちが「業務の『私物化』」をし続けても恥じなかったのは、彼らの根底に有る「ボンクラと云う『甘え』」の精神だと私は思います

しかし、長くなったので、一先ず今回はここまでにします。

同棲相手同棲以前から私物勝手メルカリで売っていた

追記

予想以上に読まれているようで驚いていますありがとうございます

頂いたブコメトラバはあとでゆっくり読ませていただきますが、

私の書き方が悪かったようで一部誤読されて居られる方がいらっしゃるようなので補足させていただきますと、

私=男、同棲相手=女 です。

追記2※

起きたらますますまれていて驚きました。みなさまありがとうございます

昨日は増田で吐き出したからか、早い時間眠ることが出来ました。

これだけでも書いて良かったと思います

はてなは私を人間と認めてくれず、毎回の如くはてラボ人間性センターに飛ばされるのはストレスですが……)

いただいたご意見、ご提案ありがとうございます

多くて個別にお返しするのは難しいですがいくつかお返しします。

増田が引っ越せ

については、もともと追い出した後に自分も引っ越す予定でした。

ただ、今の物件原状回復等を考えた際に追い出してからの方が効率が良いと考えたのと、

私が引っ越しても相手居座り続けた場合にどういう扱いになるかわからなかったというのがあります

この物件は借りた当初から2人で暮らしておりましたが、契約時は入居人数を1人で契約しており、

それがバレた際のペナルティのようなものがどうなるのか想定出来ていません。

そこらへん併せて弁護士相談してみろっていうのはそうかもしれないです。ちょっと調べてみます

お金に関しても、同世代よりは稼いでいるとも思いますが、使う金額も多く、お恥ずかしながら多くあるわけではありません。

カードローンとかで借りることも考えてはいます。少し我慢すれば一気に返せるとは思うので。

また、物件最近オンライン内見出来ることは知ってますが、

自分の目できちんと内見して決めておきたいというのがあり、(正確に言うと壁を叩いておきたい)

その場合は長時間家を空けることになるので不安というのもあります

一応自分の部屋に工事無しで鍵をつけられるのを取り付けて鍵をかけられるようにはしたので、

部屋に入られる心配は余り無いと思ってはいますが、

共用部や2人の物置部屋として使っていた部屋の物等は現在でもかなり不安です。

来月中とか遅すぎる

これはその通りかと思います

まり会話をしたくないのですが、今月中に出ていくよう言いたいと思います

死ぬ死ぬ詐欺みたいなことをされるので、強く出れなかった部分もありますが、

私に迷惑をかけないなら死ぬも生きるも好きにしろ論法で行きたいと思います

相手の親に連絡して~~

相手の親との面識はありませんし、仮にあったとしても恐らくこの選択肢はありません。

というのも、相手父親には暴力振るわれて嫌と思ってるみたいですが、

母親にはべったりでよく2人で食事したり遠出したりしており、

今回の件も母親相談しているようです。

一昨日位の夜に夕食と酒を買いに行って、帰ってきてから洗面所で手を洗っていた際に相手から声をかけてきたのですが、

その際に言われたことは「私の母親がここに住むので名義変更みたいなこと出来ないか」です。

一切無視していましたが、親を含めてやばすぎるだろ…と思いました。

ですが、相手がどこまでをどのように親に伝えたのかは不明です。

しかしあのべったり具合を見ると、「メルカリで売ってるのバレちゃって出て行けって言われちゃった」的な感じで

説明してて、その上で「母親がここに住むから名義変更」とか言ってきてたとしてもなんら私の中に違和感はない程度には信用できないです。

なぜ最初に気づいた時点で縁切りしなかったのか

本文に書いたように、

・以前から私の推しのグッズをメルカリやグッズショップ安価で売っているのを見つけては購入して私に(タダで)くれていた

・私の推しを売るようなことはしていなかった

引っ越し時の箱にそのまま入れて眠らせていたようなグッズ類であることが多かったため、眠らせておくよりは…という意識もあった

というのもありますが、

家事等を率先してやってくれていて、かなり任せていた部分があった

・なんだかんだで一緒の生活は楽しかった

というのもあります

すごく怒っている気持ちは当然あるのですが、

では一緒に住んでいた期間はどうだったのか?と問われると間違いなくそれは楽しかったと言えるのです。

多分、恋人とか同棲とかそういうのを抜きにして、

「たまに一緒に出掛けるオタク友達」くらいの関係性だったらすごく良かったんじゃないかと思っています

追記2終わり※

ーーー

ちょっと精神状態よろしくないので変な文章が見られるかもしれません。

また、増田に書くのも初めてで、長文自体まり書く機会が無いため、乱文乱筆になるかもしれませんがお許しください。

心のやり場をどうすればいいのかアドバイスいただけないでしょうか。

お互いある程度好きなコンテンツが被るオタク同士だったので2年以上前同棲を始めました。

同棲相手メルカリヘビーユーザーで、売り・買い共に相当数行っているということは以前より知っていました。

ある時、ふとしたことから私の同棲前に集めたグッズがメルカリに出品されていることに気づきました。

ただ、私はこの時は特に相手咎めるようなことはしませんでした。

その理由として、以下のような理由がありました。

・以前から私の推しのグッズをメルカリやグッズショップ安価で売っているのを見つけては購入して私に(タダで)くれていた

・私の推しを売るようなことはしていなかった

引っ越し時の箱にそのまま入れて眠らせていたようなグッズ類であることが多かったため、眠らせておくよりは…という意識もあった

とはいえ、そのまま野放しというのもどうなのか…という意識もあったため、たまに思い出したかのように、

「私の私物メルカリ勝手に売ってるっしょ?」的なことを言うようにしていました。

それ以降売るのをやめるならやめるでそれで良し、「実は売ってました、ごめんなさい。」と言ってくるならそれはそれでよし、と思っていましたが、

「そんなことしてない」と言うだけで、特に辞める気配はありませんでした。

私も四六時中その相手メルカリページを見るようなことはしておらず、思い出したらチラ見するくらいのものでした。

ある時、とある物が無くなっていることに気づきました。

それはゲームセンターとある音楽ゲーム一定プレイすることでランダムで一つもらえる缶バッジで、

私の推しキャラを手に入れたくて3つ入手したものなのですが、推しが出なかったため自室の机の袖によけておいたものです。

同棲相手が私の推し缶バッジをどこからか入手してきて私にくれたので、その時に以前とった3枚は…と思い出して探したのです。

かに机の袖によけていたはずなのに、無くなっている…と気づいてすぐに、同棲相手に「ここに置いてあった缶バッジ知らない?」と声をかけたのですが、

「知らない」という言葉が返ってくるだけで、私も「どこか別のとこからフッと出てくるかも」という感じでその場は流したのですが、

ふと、「もしかしてメルカリに出品されているのでは?」と思いメルカリを見に行くと、案の定出品されていました。

「知らないって言ってたのに…」とかなりイラついて不機嫌にはなったのですが、

その時は出品者ページを余り詳しくは見ていませんでした。

が、その翌日再び見に行くと出品されていた缶バッジが消えており、過去のSOLDの物が目に入ってしまいました。

それはとある雑誌付録として付いているグッズ類で、私の推しではなかったもの推しと同じユニットメンバーのグッズです。

そして、それは頂き物でした。

頂いたのはもう5~6年程前のことで、当時関わっていたプロジェクトを離れることになった際の送別会の際に頂いたものです。

私はそのプロジェクトにいわゆる特定派遣で関わっていたのですが、その中の一部分野に詳しくなり過ぎた結果、私専任のようになってしまった分野の業務がありました。

ある時、「案件も増えつつあるのに一人しか出来ないようではまずい、チームを作ってチームで対応出来るようにしよう」という話が出て、私がそのチームのリーダーになり、同時に私の下につけられた人が居ました。

当時25くらいの私よりも恐らく年齢は10ほどは上で、私が高卒なのに対しその人は大卒、私が特定派遣なのに対してプロパー社員でした。

プロジェクトの参画時期とその分野の業務知識くらいしか当時私が勝っているようなものはありませんでした。

にもかかわらず、その人は私をリーダーとしてきちんと立ててくれ、ミスを指摘しても素直に謝ってくれる人でした。

チームリーダー的なことをするの自体が初めてだった私に対してさっとフォローしてくれるようなこともあり、

年齢や学歴やその他諸々が自分より下な私に対して内心で思うところは多々有ったのではないかと思うのですが、

少なくとも私には一切その素振りを見せたことが無い人でした。

豪快に話して豪快に笑うような人で、私は彼を気のいい兄ちゃんのように思い、そして尊敬していました。

そしてその人の前職は上記の「とある雑誌」を刊行している会社でした。

私は別にオタクであることを大っぴらに話はしないものの隠してもいなかったので、彼と雑談している際に前職の事を聞いてすごく驚き、色々聞いた覚えがあるのですが、

その際に「付録の余りとか貰えたりするぞ!」と言っておりすごく羨ましがったことがありました。

彼はその時の会話を覚えており、私がプロジェクトを離れる際に前職の友人に声をかけ、余りの付録を貰ってきてそれを私にくれたのでした。

お酒の席だったこともあり、

めっちゃ嬉しいけどこの中に推し居ないですwwwwwwww」

「じゃあ交換にでも使えwwwwwwww」

的な会話をしたのですが、結局その当時は交換は見つからず、そのままにしていました。

彼とはプロジェクトを離れた後も頻繁ではないですが、ちらほらやり取りがあり、また呑みにも行ったりしていたのですが、

私がプロジェクトを離れて約2年後くらいに交通事故で亡くなりました。

その話をプロジェクトの別の知り合い経由でしばらく経った頃くらいに聞いて、すごく悲しかったのですがその際に

「あの貰ったグッズもう交換に出せないな」と思ったことをよく覚えています

そしてそのグッズがメルカリに出品され、そしてSOLDになっていました。

私はすごく怒り、そして怒鳴り、その場で別れる旨と、家から今月とは言わないから来月中には出ていけということを伝えました。

その際に「メルカリに出品しているのに気づいてないと本気で思ってたのか?」ということを言い、相手は「もうしません」を繰り返していたのですが、

私の気持ちは完全に冷めており、関係を元通りにするのは絶対に無理と思っています

結局、来月中には出ていかせることにし、今現在は同じ家内に居てもほぼ会話をしない状態になっています

同棲相手厚顔無恥にもまるで何事も無かったかのように声をかけてくるのですが、一切無視しています

ただ、私の気持ちというのはこの同棲相手勝手に出品したことへの怒りは勿論あるのですが、

・なぜメルカリ私物が売られていることに気づいた時点で縁を切っておかなかったのか

とか、

・どうしてもっと頻繁にチェックして売られる前に気づけなかったのか

とか、

・どうして他のグッズと一緒の場所に保管して同棲相手に見えるようにしてしまったのか

等、後悔も多々湧いてきてこの気持ちをどうしていいのかわからなくなっています

私のこの気持ちをどこにぶつければ良いのかわからなくなってずっとぐるぐるしています

同棲相手が悪い。というのはあるのですが、上記のように後悔もあり、気持ちの全てをぶつけていいとは思えていないし、

恐らくその踏みとどまりは正しいことだと思うのです。

そのうち時が経てば風化するのではとも思っているのですが、現状は同棲相手存在を知覚する度に憤懣遣る方無いのです。

恐らく彼が生きていたのなら「あの貰ったグッズ、同棲相手メルカリ勝手に売られちゃいましたwwwwwwwwすみませんwwwwww」的な話を呑みの席でして、

彼も恐らく爆笑しながら「嘘だろwwwwwwwww」的な事を言い、根掘り葉掘りあったことを聞いてきて、すごく楽しい時間があったのだろうなと思うのです。

そして、なんだかんだでこのグッズが売られた件は許せていたのでは無いかと思うのです。

しかし、彼は居ないのでそうはなりません。

この気持ちをどうすればいいのかわからないのです。

まり頻繁にお酒を飲む方ではないのですが、最近はずっと夜になるとスーパーお酒を買ってきて飲んでいます

そして、大喜利ギャグアニメを見ながら笑っているのですが、布団に入ると眠れず朝5時頃みたいな状況です。

私の方が先に出ていけば……と思われるかもしれませんが、

部屋の名義も私で私一人のみ住んでいることになっており、家賃の支払いも全て私、インターネット電気水道ガスの名義も費用も全て私。

家具家電もほぼ私の物という状況で、そもそも収入

年代の平均年収よりも割と高い金額を頂いている正社員の私と、

週1~2レベルバイトするフリーターというありさまで、私の方が先に出ていくというのがかなり難しい状況です。

また、この件があってからはいつ私の物が盗られるかという不安もあり、ホテル等に一時的に出ていくというのもしたくありません。(現在コロナの影響でフルリモート勤務になってはいます仕事もあり、朝10時くらいから働いています

どなたか、この現状で、なにか心を落ち着かせる良い方法を教えていただけないでしょうか。

長文乱文失礼しました。ここまで読んでくださった方いらっしゃいましたらありがとうございました。

2021-02-25

腐女子自分からすると「腐女子は隠れていた」って主張謎すぎるんだけど

なぜなら私自子供の頃に一般書店の全年齢区分で陳列されていた全く隠れてない非公式二次創作BLアンソロジーのおかげで腐女子になったか

今となってはそういった本も少なくなった印象だけど、当時は、様々な作家を集めた性描写もある非公式二次創作アンソロジー本、同人作家が今までに出した二次創作同人誌をまとめた作品集、定期的に刊行される雑誌、どれもオタクショップではない一般書店に売られていたよね。

子供の時分にこういうのに触れたのは私に限った話でもなく、ネットを見れば上記の本を意識せず読んで腐女子になったって話はそこそこありふれた話だし、それとは別に「当時子供で何も知らずに書店で購入してショック/不快な思いをした」という書込みも珍しくないぐらいに見たことがある。

オリジナルBLもここ数年でようやく一部作品18禁販売し始めたけど、長年性描写ガッツリ作品が全年齢で書店に並んできたし今でも並んでるよね

こういった事を考えると「腐女子が隠れていた」なんてのはお世辞にも言えないと思うんだけど

しろ子供への距離という点だと隠れていなかったってのが事実なんじゃないの?

2021-02-22

anond:20210222145319

有ったねジャイキリ

チャンピオンで昔やってた『ORANGE』(オレンジ)もぜひ読んでみて。

JFL→J2昇格の愛媛のことがサポーター周り含め面白く書いてある。




能田達規によるサッカー漫画。『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)にて、2001年48号から2004年6号まで連載された。単行本は全13巻が秋田書店から刊行されている。

松山ケンイチの“嫁呼び”に女性視聴者が怒り「この発言はマズい」

https://news.nicovideo.jp/watch/nw8975090?news_ref=50_50

言葉狩りがすぎる

まず漢字の「嫁」と和語の「よめ」は分けて考えるべきで、「よめ」は「良い女(め)」という意味から

夫が妻を「よめ」と呼ぶのは少なくとも平安時代からあった

そのとき漢字表記は「婦」だが、「よめ」には息子の妻という意味と夫の妻という2つの意味がある(倭名類聚鈔より)

明治刊行通俗古事記神代巻では、イザナギイザナミのことを「愛(うつく)しい我が汝妹(よめ)の命(みこと)」という文章があり、明治でも夫の妻を「よめ」と呼んでいた

常用漢字では「よめ」を表す漢字は「嫁」しかなく家にいる女という構成をしているために意味がそちらだけに引っ張られているが、日本語和語)においては、「よめ」は夫の妻であることは大昔から連綿と続いている

関西だけで残ったのか分からんが、関西発祥というわけではない

ことさら「よめ」呼ばわりを悪と決めつける理由はない

2021-02-20

シャニマスお気持ちnote読んだ

一言で表すなら、「くそ、しょーもない」

 

そもそもプロデューサー(アイドルマスターの支持者、プレイヤー総称)がアイドルキャラクターに対して抱いているイメージって、二次創作に近いものがある。

 

仮に「夜もダンス練習をする頑張り屋さん!」という描写があったとしたも、自分はその世界にいるわけではないので、実際はプロデューサーの前でそう見えるような演技をしているのかもしれないし、非効率練習無駄作業をしているのかもしれない。

その事実否定することは、誰にもできない。そんなことあるはずないと、鼻息を荒くすることしかできない。

 

プロデューサーは、自分にとって都合のいいところを都合よく解釈して、「○○ちゃんは、素直に甘えられないだけで実は優しい子」「○○ちゃんは、サボり魔に見えるけど、実は事務所一の熱い子」みたいな偶像を作り出して崇める生き物なのだ

 

これが二次創作的でなくて、なんだというんだ。

 

今回取り沙汰された腹黒キャラにたいしても、「あなたプロデュースするアイドルは、腹黒なんですね。」「同じシナリオですが、何故かうちのアイドルは腹黒じゃないんです。」で終わればいいじゃないか

 

他のプロデューサーがどう言ってるかに対して文句を言うのは、同人誌を読んで「○○ちゃんは、プロデューサーのお○んこだけが大好きなんだ!他の男のおち○こを咥えて喜ぶなんて、○○ちゃん本質を捉えていない!」と叫んでいるのと同じだ。

刊行物に書かれたことや編集部に怒るのも、それはお門違いだ。そのキャラクターを「腹黒オタサーの姫」と描写したのは、あくまプロデューサー意見であり、編集部がそれに何かを感じだんだろう。

(もっとまともな文がなかったのか、とは思うが、総投票数から察するに、誌面に載せるに値するまともな回答がなかったのだろう。)

プロデューサー個人意見に対しての文句は、編集部ではなくプロデューサーにしたらいい。

できるもんならな。

 

2021-02-19

雑誌バックナンバー読み放題のサブスク欲しい

きょうの料理とか暮らしの手帖とかdanchuとかのバックナンバー読みまくりたい。刊行されてからの全部そろってたらひとつ雑誌で月額1000円出しても全然かまわない。

バックナンバー読み放題はマンガ雑誌には以外と向いてなさそうだと思う。読みきりが多めの雑誌とかだと良さそう。創刊から文藝春秋ぜんぶとかもすごそう。

ムックとかも含めれば別冊宝島読み放題があれば最高。一生暇潰しには困らなさそう。増田はどんな雑誌が?

2021-02-13

[]渡辺慎一「侵略ニャッ」完結

地球侵略しにきた猫星人(ただのしゃべる猫。ただしハイテクマシンを持ってる)の話

地味にスキだったけど終わっちゃった

まあ隔週刊行雑誌で1年ちょい連載できたんだからいいほうか

後半はずっと掲載順も最後の方だったしなあ

猫星人(しゃべる猫)が地球おもしろおかしく過ごすってだけでレギュラーになれそうだったのに

悪徳会社をこらしめるとか猫轢いた人間洗脳とか猫カフェを作るとか多頭飼い崩壊を救うとか変に社会派?っぽい方にいっちゃったのがなあ

イカ娘と似てるんだから侵略っていいつつのほほんまったり日常系でよかったのに

ねこかってるだけあって猫の絵はうまい

2021-02-07

勝手に削除から考える文芸時評論理

 『文學界2021年3月号の新人小説月評に関して、評者の荒木優太氏が「末尾が勝手に削除された」とTwitterに訂正願いを投稿、ほどなくして『文學界公式アカウント反論ツイートをした。

 のちに荒木氏は『マガジン航』で「削除から考える文芸時評倫理」と題する文章を発表し、背景を説明した。

https://magazine-k.jp/2021/02/06/ethics-in-literary-criticism/

 まず騒動時系列を把握しよう。

 最初荒木氏の①【訂正のお願い】ツイート2月5日19時半前、②『文學界』の反論ツイートは同日9時過ぎ、その後30分と間をおかず、荒木氏は「とりあえず」との留保付きで③追加説明ツイートを行なっている。

 ④『マガジン航』への掲載は翌日である

 では「削除」に至った経緯について、両者の主張を見てみよう。と言っても、経緯の主張については対立するところはない。

 1. 問題の3行を含む原稿を『文學界』が受け取る。

 2. 『文學界』が「批評としてあまり乱暴すぎるのでもう少し丁寧に書くか、それでなければ削除してほしい旨申し入れ」る。

 3. 荒木氏が「では、末尾に『全体的におもしろくなかったです。』と付け加えてください」と伝える。

 4. 『文學界』が「改稿していただけないのであればその3行は削除します」と申し入れる。

 5. 荒木氏が「『お好きになさるとよいでしょう』、ただし『その事実SNS等で吹聴する』」と返答する。

 6. 削除された状態刊行される。

 7. 「勝手に削除された」と荒木氏がTwitterで吹聴する。

 以上である

 さて、ここからが本題である。『文學界』のツイートは一貫して、「勝手に削除された」という「認識」をめぐるものである

 先ほどの経緯を「削除」の一点に絞って書き直してみよう。

 1. (略)

 2. 『文學界』が「削除してほしい」旨申し入れる。

 3. (略)

 4. 『文學界』が「削除します」と申し入れる。

 5. 荒木氏が「お好きになさるとよいでしょう」と返答する。

 6. 「削除された」状態刊行される。

 7. (略)

 『文學界』の立場としては、まず削除してほしいと提案し、聞き入れられない(どころか批評たりえない(と彼らが判断する)改稿を提示された)ので削除を宣言し、荒木氏が認めたので実際に削除した=「勝手に削除したわけではない」、ということになる。すなわちここでの「勝手に削除する」は、A「著者に一切の了解を得ることなく不掲載とする」ことを指す。

 荒木氏の立場としては、編集部意向で、B「最終的な確認なく削除された」=「勝手に削除された」ということになる。

 つまり問題はこういうことだ。

 「勝手に削除してもよいという合意」の上で削除が行われた場合、それは「勝手に削除された」と表現できるのか?

 一見して難問だが、前件と後件の「勝手に削除」は、指しうる範囲が異なる。Aの意味は「合意」とそもそも相容れないため、前件ではBのみを指しうる。一方で後件は問いの形式なのでAとB両方指しうる。しか命題「〜場合、それは『勝手に削除された』」が真となるのは両件ともBを指す場合のみである

 では荒木氏のツイート時系列に話を戻すと、最初の「勝手に削除された」という荒木氏の言葉は、ここでは後件に相当する。しかし前件はそもそも提示されていないために、AとB、どちらを意味するとも解釈できる状態である。それに対して『文學界』の経緯説明は前件を説明するものであり、ここでようやくBの意味での解釈のみが妥当であることがわかるようになる。

 言い直すと、A「著者に一切の了解を得ることなく不掲載とされた」と荒木氏が主張しているように読めるため、そこに出てくる表現勝手に削除された」は、B「最終的な確認なく削除された」のみを指しうるのだと、『文學界』は反論したのである

 これを踏まえると、「Bでしか解釈できないはずの表現を、Aとも解釈できる状態で公にした」荒木氏側には、『文學界から反論されるだけの落ち度があると言えるだろう。

 荒木氏を擁護しうるとしたら、以下の主張が妥当である場合だ。

 「物理的に手出しできない」という不均衡な関係ゆえに形式同意せざるを得なかっただけで、本来的には一切了解していない、すなわち前件自体が間違っているのだから、Aと解釈すべきである、という主張である。なるほど、物理的に手を出せないのは明らかにである。だが、「ならば同意せざるを得ない」と即座に結論づけられるのか。これは言わば「抗拒不能」を争うもので、論理から法の領域に踏み込んでしまうだろう。

 ここで可能性として生まれるのは、「6. 『削除されなかった』状態刊行された」パターンである。ではなぜそうならなかったのか。『文學界』側が「論理的に適当でないのだから削除するほかないではないですか」という論理的な抗拒不能に陥っていた場合である

 本論では『文學界』側にこの主張が成り立つかを『マガジン航』に掲載された「削除から考える文芸時評倫理から考えてみよう。

 荒木氏は「削除されなかった」場合作家が反応を示した場合を想定して、こう書いている。

そもそも作家から「反応」があったからといって、なんだというのか。怒りたければ怒ればいいし、月評に不満なSF作家樋口恭介がしたとおりウェブ反論文を書いてもいい。場合によっては私はそれで反省するだろうし、或いはやはり自分の正しさを確認するだけに終わるかもしれないが、その過程のなかで新たに発見できるものもあるだろう。

 ちょうど1年前の『文學界新人小説月評に対し、作家樋口恭介氏が反論した例(https://note.com/kyosukehiguchi/n/n54a493f4d4f4)を挙げ、自身の評言に対しても同様に振る舞えばよいではないかと述べている。

 樋口氏の件では反論に遭った両評者とも、作品内容にある程度触れ、自らの解釈をある程度開陳した上で否定的評価を下している。よって樋口氏は両者の解釈そもそも成り立たないことを説得的に示し、古谷から不適切であったと謝罪撤回を得ることに成功している。非常に健全批評的やりとりだった。

 ところが荒木氏の問題の3行には解釈がない。解釈提示されていないのであれば、樋口氏のように「それは誤読だ」と反論することもできないだろう。荒木氏自らが提示たこの事例との比較から、「反論余地を与えない表現批評たりえない、単なる悪口である」という論理が――「論理的に適当でないのだから削除するほかないではないですか」――容易に導かれる。

 荒木氏は「文学作品は作者による産物であると同時に、読者がもつ解釈格子次第でいかようにも姿を変えるものだ」とも述べている。なるほど、その解釈格子を通して得られた感動は「読者が固有の仕方で編み出した創造物」であるという論も含めて同意する。ところが荒木氏は続けて、「読者に伝えたいのは、私のもっているつまらなさや無感動も、いくぶんか自己責任もつところの私自身にとっての大切な創造であるということだ」と述べる。結論はこうだ。

私の最大の、というより唯一の武器は、面白いものには面白いといい、つまらないものにはつまらない、という、正直であることのほかない。

 荒木氏の論理では創造なのは「(無)感動」である解釈のものはそれを生み出すためのフィルターである。そして荒木氏が月評に書こうとしたのは「全体的におもしろくなかったです。」の一言、すなわち「感動」である

 だが、樋口氏の事例との比較で明らかなように、批評文に求められるのは、評者の感動=感想などではなく、それを生み出すにいたったフィルターであるところの解釈である解釈には確かに属人的な部分もあるが、ある程度規範的な部分もあり、さもなくば書き手自身から反論も成り立たず、「過剰解釈」が氾濫する。なるべくそ規範的な解釈をもって評価を下すのが評者の使命であろう。評者個人の正直な感想など、正直言って全く興味がない。文芸誌を買ってまで読書感想文を読みたくなどない。

 月評の制限字数わずであるため十分に論が展開できないというのならば理解できる。ところが『マガジン航』には多少なり岸作の解釈が載るのかと思えば、ここでもやはり「簡単な紹介と個人的所感」にとどまる。「個人的所感」などどうでもよい。

 解釈ができないのであれば、あるいはするまでもないと思ったのであれば、端的に書かなければよいだけの話であり、結果として「勝手に削除された」のは理の当然であろう。

 ある意味当事者となった川上未映子氏はこうツイートしている。

 テキスト論理もなく書かれた感想に怒りで反応する皮相な「緊張感」だけが漂う場を、批評とは呼ぶまい。

追記2021年2月8日

 反応をいただいたのでいくらか補います

 まず公平性を期すためあえて本論執筆者自身の考えを明確にすれば、「『文學界編集部の削除対応は、抗議ツイートまで含めて手続き問題はないが、合理的ではなかった」というものです。

 仮に削除せずに全文ママ掲載し、岸・川上両氏から編集部に対して抗議が来た場合、やりとりの履歴はあるのですから「改稿あるいは削除を提案したが聞き入れられなかった」と説明すればよいでしょう。改稿・削除を要求した理由が両氏への忖度だけなのであれば――「裏工作して保身に走る編集者」なのであれば、交渉をした時点ですでに保身は成立すると言えます

 あるいはもし仮に改稿・削除提案荒木自身の体面を守るためというお節介だったとしても、誌面から削除したところで荒木自身SNSで当該の評言を公開することは避けられないわけです。

 それでもなお最終的に削除の決断をした。非合理的でしょう。「批評を載せるのだ」という編集部としての決意表明のようなものを感じます(これは解釈を経て創造した感想です)。

 無論、コメントでいただいたように、「そもそも読者は批評を求めていない(批評を求めていない読者もいる)」可能性はあります。誌面にどのようなものを載せるか決めるのはまさしく編集作業なので、この場合問題は「作者が作りたいものと受容者が求めているものが違う」ことです。

 ただし荒木自身批評を書こうとしているので(「「批評言葉」かどうかを編集部判断するのがお門違いであり」と主張している以上)、問題の3行を読んで「読者は批評を求めていないのだから問題ない」として荒木氏を擁護しようとすると、逆に氏を裏切ることになります

 よって、時評の存在意義や読者の需要コメントでいただいたように「別の話」なわけですが、それはそれで議論されるべき問題なので取り上げました。

 最後に、本論文末の「緊張感」は、わざと誤読のように用いていますコメントでおっしゃる通り、「テキストへの真摯さ」が本来の緊張感ですが、テキスト論理がないので当然この本来の緊張感も不在です。それとは別の、感情的応酬という緊張感しかないのだ、と表現するために括弧付きで「緊張感」としました。最後までお読みくださりありがとうございます

2021-01-26

劇団雌猫が嫌い

劇団雌猫が嫌い。

最初に知ったのは「悪友」っていうコミケで売られた同人誌

TwitterRTが回ってきて、「浪費」っていうテーマ面白そうだと思って通販で買った。

読んだら面白かった。

私もオタクで、そしてめちゃくちゃ浪費している。

読んでて、わかる!!という事ばかりだった。

面白かった!とツイートもした。

「悪友」はその後も別のテーマ刊行されて、なんとなく買って面白く読んでいた。

劇団雌猫の活動時系列はよく把握してないし、最近は知らないけど、「悪友」がいつの間にかすごく話題になってて、同人誌だったのが商業出版されて、その本が売れて、イベントとかもやって、漫画化もして、ドラマ化もしたのは知ってる。

私も途中までは追ってた。オタクの女の事が書かれていて、わかる!!と思いながら読んでた。

いつから「嫌い」になったのかよくわからない。

モヤモヤしたものはずっと感じてた。

私は劇団雌猫が嫌いなんだなってはっきり自覚したのは、「一生楽しく浪費するためのお金の話」って本を読んだ時だと思う。

「一生楽しく浪費するためのお金の話」はオタク活動で浪費しつつ将来のためにお金も貯めましょうみたいな本。

知らねーよと思った。

お金貯めてる余裕なんかない。お金貯めてたらオタク活動できない。お金貯められるようならオタクなんてやってない。

浪費がテーマの本出してたくせに、何手の平返してんの?と思った。

劇団雌猫のアンチスレみたいなのがあって、そこを見るようになった。

他にも色々見る内に、劇団雌猫の人達はみんな高学歴で派手な職業お金持ちで恵まれた人なんだって知った。

それを知って、劇団雌猫がもっと嫌いになった。

私は学歴なんかない。

家が貧乏大学に行けなかったし、頭も良くないか奨学金借りて大学行こうとかい気持ちもなかった。

田舎高卒で小さい会社就職して、誰でもできるような仕事やってる。

それでもオタクをやるのは楽しくて、イベントのある時は東京遠征して、Twitterでできたオタク友達とも楽しくやってた。

でも劇団雌猫の人達を見てたら、自分がすごくみすぼらしく思えた。自分って底辺なんだなって思った。

劇団雌猫の本を絶賛する人達も嫌いになった。

私は高卒だし、投資できるような頭も余裕もないし、デパコスなんか買えないし、ギリギリ生活しながらオタクやってる。

劇団雌猫の本を絶賛する人達は皆高学歴投資ができる余裕があってデパコスも買えるんだろうな。

生きる世界が違う。

同じ女のオタクなのに。

私の手取りは16万だ。恥ずかしいから年齢は言えない。

好きな漫画を買って、同人誌を買って、アニメDVDを買って、安い服とプチプラコスメ買ってたら貯金なんかできない。

貯金するにはオタクやめるしかない。

からはいつも早く結婚しろって言われてる。

このまま生きていったら、別に好きでもない人と結婚してこの田舎専業主婦になるか、最近流行の子供部屋おばさんとして一生を終えるんだろう。貯金全然してないし、家は貧乏から、将来はもしかしたら生活保護になるかもしれない。

どのコースでも劇団雌猫の人達と、劇団雌猫を絶賛する人達と比べたら底辺人生だ。

高校の時に必死勉強して奨学金貰って、劇団雌猫の人達卒業したような大学に行けばよかったの?

そうしたら私も「一生楽しく浪費するために投資する!」とか言えたの?

デパコスも買えてブランド物の服も買えたの?

結局、最初に買った「浪費」の同人誌も「私達、こんなに浪費しててヤバイでしょ(笑)」みたいなものだったんだな。カッコ笑いがついてるの。「こんなに浪費しててヤバイけど一流大学出てるし仕事も充実してるし同人誌商業化して大ヒットしたし漫画化もドラマ化もしたし、すごいでしょ」って言い換えろ。

私みたいな学歴もなくて貧乏でつまんない仕事してて将来もないオタク存在しないのと同じなんだろうな。

オタクするのは楽しい、でも何で生きてるのかわからない。

劇団雌猫が本当に嫌い。

2021-01-24

恋愛感情がわからない

半年前に処女を捨てる機会があった。

職場の先輩と二人で飲みに行って、終電が無くなって、先輩の家で飲み直すことになった。

今まで誰とも付き合ったことがなかったし、キスしたことも、もちろんその先も経験がなかった。

いつかは経験するだろうと思っていたそれの時が来たんだな〜と他人事みたいに思った。

先輩と喋るのは楽しかったし、趣味も合ったし、だからその日は割と飲んでいた。3軒ハシゴした。

私は酔うと楽しくなっちゃっていろいろどうでも良くなっちゃタイプなので、

仕事で関わる人と体の関係を持った後のいろいろとかは特に気にしてなかった。その時が楽しかったので。

先輩の家に着いて、おすすめウイスキーとかをご馳走になってるうちに、隣に座ってきたり、手を握られたりして、だんだん酔いが覚めた。

距離が近くてドキドキとかもないし、手を握られて緊張とか嬉しいとかもなかった。

どう振る舞うのが正解なんだろうな〜って考えてた。

先輩のことは好意的に思ってたけど、その感情は男女問わず友人に対して持ってる感情と一緒だなってその時気付いた。

私は今日先輩と飲んでて超楽しかったけど、先輩的には今のこれがメインだったのかな〜って思ってちょっと残念な気持ちになったりした。

先輩はもう完全にそういうモードに入ってたのでされるがままおとなしくしてた。

私は恋愛経験がほぼ無くて、いつまで処女でいるのかを悩んだりもしてたので、丁度いい機会だからこのまま捨ててしまおう〜とかも思った。

体の関係を持ったら好きになっちゃタイプが身近な友達にいたので、私もそれかもしれないから成り行きに任せようみたいな気持ちにもなった。

でもいよいよのときになって全然入らなくて、力抜いてって言われたけどどう力を抜いたらそこの力が抜けるのかが全然からなかった。

こちらとあちらのサイズ感が全然違くて、これどうやっても入らなくない???とか考えてた。

先輩が何回かトライしてたけどやっぱり入らなくて、痛いですって伝えたら止めてくれた。

結局そのまま抱き着かれて眠った。そうやって寝るのは悪くないなって思った。

次の日の朝、会話もそこそこに家に帰ったけど、なんというか感情の整理がつかなくて

とても仕事をする頭になれなくて2日くらい仕事を休んだ。

あのまま私が痛みに我慢してれば丸く収まったかなとか、

そもそも大人がサシ飲みして「この後俺の家くる?」「行きます~!」ってなったらそれはOK意思表示になるのかなとか、

もしそうなら先輩に恥をかかせたことになるのかなとか、

先輩と飲むのは楽しかたから、2軒目で切り上げて帰ってたらまた飲みに行けたかなとか、

そもそも飲んでて楽しかったのは私だけだったのかなとか、

今は幸い一緒のプロジェクト無いけど、次顔合わせるときどんな顔すればいいかなとか、

そんなことを考えながら過ごしてた。2か月くらい。

結構引きずってた。

3か月目くらいからはすごい推せる映画出会ってそれに夢中だったからあまり先輩のことは考えなくなってた。




昨日、久々の休みだったので手の込んだ料理を作って一人で飲んでた。

なにを飲んだか覚えてないけど家で一人だからべろべろになってしまって記憶曖昧で、

確か先述の推せる映画登場人物の一人がアセクシュアルなんじゃないか、みたいなツイートを見かけたんだと思う。

いたことはあったけど意味はわかってなかった。

それについて検索したら診断のページが出てきて、軽い気持ちでやったけど、まあ自分普通異性愛者だと思ってた。

私には同性愛者の友達がいて、理解してるよみたいな態度で見守ってたけど、

それに対して自分のことは「普通の」異性愛者だと思ってるあたりお前はなんにもわかってねえよと今は思います

シスジェンダー

心と体の性が一緒

・アロマンティック

恋愛感情を持っていない

アセクシュアル

性的欲求がない

・ノンバイナリ

自分のふるまいに性別のこだわりがない

診断結果を見たときに、自分の中にあったいろんな経験とか情報とかが正しくあるべき場所しまわれたな、みたいな感覚があった。

今まで二十数年生きてきてこんなに納得したことはないなって思った。

私の恋愛経験がないことに関して、友達に「いつかいい人が現れるよ~」って言われることが多かった。

これはアロマンティック・アセクシュアルあるあるワードらしい。

でもまあこれはネットの診断であって、そのうち恋愛感情を抱くこともあるでしょうって思ったけど、

これはアロマンティック・アセクシュアルの人が良く思うことらしい。

あることの証明はできるけど、ないことの証明はできないってこういうことかって初めて身をもって知った。

気持ちのやり場がなくてアセクシュアルについて(多分)国内で唯一刊行されてる書籍ポチりました。

同級生の恋バナが全然理解できなかったり、

ドラマ映画に出てくる「こんなに好きなのに・・・!」的セリフにピンと来なかったり、

全部自分経験不足故と思っていたけど、そもそもそういうの持ってなかったんだな。

LGBTの人はパトーナーが出来たりとかで周囲の人にカミングアウト必要が出てくる場合もあるけど、

ロマンティック・アセクシュアル別に何も言わなくても死ぬまでやり過ごせるかもしれないなって思ったら、

私は家族・友人等誰にも言わないかもな、と思ったりもした。

もしも今後パートナーが出来て、相手カミングアウトしても、「それって俺に対してってだけでは?」となるのでは?

というか私が相手立場だったらそう思う。

友達に言っても、「それって彼氏ができなさ過ぎての勘違いとか思い過ごしでは?」って言われそう。

私もそう思う。

両親に言って「そんな冷たい/寂しい人間に育ったなんて」なんて言わせてしまったら居たたまれない。

どれもネガティブわたし妄想です。

子供が欲しいってずっと思ってたけど、彼氏が欲しいとか旦那が欲しいとか思ったことなかったかも、そういえば。

本が届いて読んだら、やっぱり別に私は異性愛者で勘違いだったかもとか思うかもしれない。

けど、誰にも恋愛感情を抱かないとか性的衝動がないとか二十数年の実績が物語ってますよとも思う。

先輩とは、なんか、私が自分のことを把握していなかった故の事故みたいなものだったんだなって思った。申し訳ない。

先輩は会社の別の拠点人間だけど、前はちょくちょくわたしがいる拠点に来て仕事してた。

最近見ないけど、来なくても仕事できるように調整してるのか、来てるけど私が気づいてないだけなのか・・・

どっちにしろ気まずいんだろうな。飲み仲間として好きです。

ビール飲んでいろいろぐるぐる考えてたら書き出してしまった。

絶妙タイミング必要情報にぶち当たるあたり、やっぱりこの世は予定調和で出来てるんだなと確信しなおしました。

結局処女は捨てれてないな。

今まで一人での趣味時間謳歌してきたし、友達とも楽しくやれて来たので、今までと何も変わらないじゃんとは思います

半年から始まったこもやもやがひと段落した気分です。

行き場がないので増田に流します。

自分に対しては酒を控えろとは思います

2021-01-21

シェルブリッド 幾原邦彦

今だに続刊が出ないものかと待ち望んでいる小説

SFロボットもので異星人による遺伝子改良で大型の宇宙船のようにつくりかえられた人間や、

通常の人間より遥かに優秀な人類種となったジーメジャー支配する世界に、

普通人間ジーマイナー少年立身を夢見て悪戦苦闘するジョブナイル小説

2巻だけ刊行されてるんだけど、ムチャクチャいいところで終わってるんだよ。

続き読みたい。

永野護によるデザインが素晴らしい。

異世界勇士 高千穂遙

日本ファンタジー小説元祖とも言われる小説

日本ファンタジー元祖にしてハイファンタジーではなくて、異世界ものというのが面白い

現代日本から召喚されたものの、役に立たない勇者だと悪口を言われたりするが、

異世界の中に遺跡として残っていた科学文明機械をあやつりだすことでリスペクトされたりする。

最後ものすごく切ない。

シュナの旅 宮崎駿

もののけ姫の原型とも言われる漫画絵本

裏表紙小麦の穂が描かれているんだけど、

その小麦の絵をトレースして美術の授業の課題として提出したら、

メチャクチャ上手く描けているなと美術教師に絶賛された。

すぐトレースとバレたが。

やっぱり宮崎駿って絵がうまいんだなあと感心したのを覚えている。

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