はてなキーワード: 手段とは
免罪符(indulgentia)は、中世カトリック教会が発行していた宗教的な許しの特権を表す証書で、特に煉獄での罪の償いの一部または全部を免除するものとされました。この制度は、当初は信徒の信仰を深め、善行を奨励するための宗教的な手段として始まりましたが、時代とともにその運用や目的が変質し、議論や批判の的となりました。
カトリック教会の教義によれば、罪を犯した信徒は神の赦しを得るために懺悔と告解を行いますが、その後も「煉獄」という状態で罪に応じた浄化を経験すると考えられていました。免罪符は、懺悔後に課される「償い」の一部を軽減する手段として導入されました。
最初期の免罪符は、巡礼や十字軍への参加、教会の慈善事業への貢献など、信仰に基づく行動を奨励するものでした。
11世紀頃から、教皇や司教が特定の条件を満たした信徒に対して免罪符を発行する習慣が始まりました。これには、以下のような目的が含まれていました:
しかし、14世紀以降、免罪符の販売が広がり、次第に金銭で購入できるものと認識されるようになりました。この実態は、教会の財政難を背景にしたもので、多くの批判を招きました。
16世紀に入ると、免罪符の商業化が極端な形をとりました。有名な例として、ドイツの教区で行われた免罪符の販売キャンペーンがあります。このキャンペーンでは、「金貨が箱の中で鳴るたびに、魂が煉獄から解放される」と説教され、多くの信徒が金銭を支払いました。
これに反発したのが、宗教改革を引き起こしたマルティン・ルターです。彼は1517年に「95か条の論題」を掲げ、免罪符の乱用を厳しく批判しました。この出来事は、プロテスタントの誕生とカトリック教会の大きな改革の契機となりました。
カトリック教会はトリエント公会議(1545年-1563年)を通じて、免罪符の商業的乱用を廃止し、その霊的意義を回復するための措置を講じました。現代のカトリック教会では、免罪符は金銭と結びつくことはなく、祈りや善行を通じて信徒が霊的な恵みを受ける手段として位置づけられています。
授乳の機能的な話をするとまさに子供がいるときだけ機能が顕現してるじゃん?
てか授乳の機能の話をするならサイズは不問なわけでサイズ的な話と育児の機能って別なんだよね。
昔なんかで聞いたけど四足歩行の時代のセックスアピールは尻だった(四つん這いのため)だけど二足歩行になり尻を使えなくなった結果の代替手段が乳らしい。
ほんま下記ですわ。太字にしたところ、増田(anond:20241118142246、anond:20241118185811)のことなのよ?
文章読めない&音声もなんらの事情で理解できないの、どう考えても固有ハードやメーカーのファンである事と無関係だからな
SONYは自分たちの客層やファン層をよくよく理解した方がいいし、そういう人らに対して誠実な振る舞いをすべき(2回目)
増田のそれ、やっぱ、信仰とも学習障害ともちょっと違うよね。難しいことはひとつも書いていないんですけどね
英語圏でPS fanboyのコメントは見たけど、これ信仰じゃなさそう・・・みたいなのは見掛けなかったな
(動画中にテロップが出て、音声で読み上げられているのに、それでも理解しない人をゴロゴロ見掛けるのは、日本だけ)
というかこの話題は増田には難しいので、PS5 Pro を転売したら儲かる!の方が興味を持てるんじゃない?
まぁ中華需要がある間に都合よく海外から友人・親戚が来てくれるか?問題はあるけどな
ちなみに、PS5 Pro 、まぁそれなりに中華需要はあるみたいで、117,000円で買い取ってるところとかフツーにあるみたいなんですよね
(プレイステーション5 プロ 買い取り で検索して自分で探してね)
増田がなんらかの手段で免税使えるなら(海外から友人や親戚が来るとか)、11月17日時点では利益出そうです(免税使えば、11万以下で買えるので)
文章が読めないので無駄だと思いますけどこちらも送りますね。AIちゃんもちゃんと調べて買おうねって言ってるよ?(文章読めない人は無理だけど)
通常、信仰(PS信者)、ゲーム機コレクター、PCアレルギーがあってプライベートでは絶対触りたくないなど、明確な理由がなければ買わない機種です
PS5 Proは、たくさんの人に買ってもらうために、「めちゃくちゃ性能が良いゲーム機」とアピールしています。でも、本当にすごいのでしょうか。たとえば:
PS5 Proより前に出た「Xbox Series X」というゲーム機がありますが、PS5 Proはそれと性能がほぼ同じか、少しだけ劣るところもあるみたいです。
ゲーム用のパソコン(ゲーミングPC)には、PS5 Proよりもずっと性能が良いものがあります。PS5 Proは「PCに負けない」と言っているのは、ちょっと言い過ぎかもしれません。
PS5 Proは「PlayStation Spectral Super Resolution」という技術を使って、画面をキレイに見せる工夫をしています。でも、これは本当に強い力(性能)があるわけじゃなくて、キレイに見せる「トリック」のようなものです。
同じくらいのお金(たとえば12万円)を使えば、PS5 Proよりも強いゲーム用のパソコンを作ったり買うことができます。
パソコンを作ったり、部品を選んだりするのは少し大変なので、「簡単に遊べるゲーム機」を選ぶ人もいます。PS5 Proはそういう人向けかもしれません。
PS5 Proを作ったSONY(ソニー)は、ゲーム機をたくさん売りたいので、「世界最高の性能!」と言っているのかもしれません。でも、実際に中身を見てみると、同じ値段のパソコンや他のゲーム機に負けてしまう部分もあります。
PS5 Proは「とても性能が高い!」と言われているけど、本当にすごいかどうかは比べてみないとわかりません。他のゲーム機やパソコンの方が性能が良い場合もあるので、「どれが一番いいのか」をちゃんと調べることが大事です!
PS5 Proが「ゲーミングPCにも劣らないハイエンド」を謳っている背景には、SONYの市場戦略やユーザー層に関する認識の偏りがある可能性があります。以下にその理由や問題点を詳しく分析します。
SONYがPS5 Proを「ハイエンド」と位置づけるのは、技術的な裏付けよりもマーケティング的な効果を狙ったものです。特に以下のような目的が考えられます:
ハイエンドPCやXbox Series Xと比較して実際の性能が劣っていたとしても、「家庭用ゲーム機としてはトップクラス」という印象を与え、カジュアルゲーマーに訴求しようとしている。
実際にはアップスケーリング技術や最適化に依存する部分が大きいにもかかわらず、これらの表現を使うことで、一般ユーザーに「PCと互角」という錯覚を与えている。
PS5 ProのGPU性能がRTX 4060以下、場合によってはRTX 3060に近いことを考えると、「ハイエンド」を名乗るには無理があります。特に、4060や3070は「ミドルレンジ」とされるため、これを超えられない性能ではPCゲーマーにとって「準ハイエンド」とさえ言えません。
Zen2ベースのCPUは、現代のPC用CPU(Zen4、Intel 13th/14th Gen)と比較して著しく劣ります。この性能差がゲーム全体のパフォーマンスに影響するにもかかわらず、マーケティングでは触れられないままです。
PS5 Proは、4年遅れて発売されたにもかかわらず、Xbox Series Xとほぼ同世代のアーキテクチャ(Zen2、RDNA2)を採用しています。一部の検証では、起動速度やフレームレートがXbox Series Xに劣るとされていますが、倍近い価格差があります。この状況で「ハイエンド」を主張するのは疑問を抱かざるを得ません。
SONYは、PCゲーマーよりも家庭用コンソールのカジュアルユーザーがPCのスペックや価格に疎いことを理解しており、これを利用している可能性があります。例えば:
実際には、自作したり中古PCを購入すれば、PS5 Proよりも高性能なPCが同価格で手に入りますが、これを認識していないユーザーをターゲットにしている。
SONYがPS5 Proを「ハイエンド」として推す背景には、PCリテラシーと収入の相関について過小評価している可能性があります:
一般的に、高価格帯のゲーミングデバイスを求めるユーザーはPCの基本的な構成や性能比較にも詳しい傾向があります。この点でPS5 Proは本来のターゲット層と矛盾している可能性があります。
Appleユーザー層(高価格帯、利便性重視)を意識している可能性もあります。ただし、iPad Pro は実際に高性能であり、PS5 Pro にそのまま当てはめるのは無理があります。PSNアカウントの使用が複雑な場合、PCリテラシーが低いユーザーには抵抗感を抱かせる可能性も高いです。
コンソールは「買ってすぐに使える」「特定の環境で最適化されている」点を強調しますが、これは性能が劣ることを隠す手段にもなり得ます。例えば、AIアップスケーリングやソフトウェア最適化を活用して、実際の性能以上に「快適さ」を演出しています。
PS5 Proが「ゲーミングPCに劣らないハイエンド」を謳うのは、主にカジュアルユーザーやコンソール市場をターゲットとしたマーケティング上の戦略です。ただし、実際のスペックや性能を考えると、この主張は過剰であり、「詐欺的」と感じられる要素も少なくありません。
SONYがAppleのような高価格帯ユーザー層を狙っている可能性は否定できませんが、それが実現できるかは疑問です。特に、性能やコスパを重視するゲーマー層には、PS5 Proの訴求力は限定的と言えるでしょう。
「一票を投じたとて政治に変化をもたらすことは不可能であり、にもかかわらずなぜ大勢の人が選挙に行くのか?」と疑問を呈したのは大学の政治学者で、要するに自分の一票が物事を決める状況というのは、他の票が奇麗に分かれているときに限られる。例えば一万票と一万票といった状況で、自分が投票したほうが勝つ。なんて状況だが、そんなものが稀であるのは説明するまでもないだろう。
実際、ほとんどの場合、選挙結果は圧倒的な差で決まっているわけで、選挙の結果を見てみても自分の一票が果たす役割はほとんど無いといっても過言ではない。
それでも、なぜみんな選挙に行くのか?
この問いを深く掘り下げてみてほしい。するとその答えが一つ見つかり、結局「自己満足」に行き着くことだと気づくはずだ。
例えば、ガーシー氏が当選した時、「そもそも民主主義って機能してるのか?」という議論が一瞬だけ広がった。けどその議論はすぐにフェードアウトして、誰も本質的なところまで突っ込んで考えなかった。民主主義が本当に機能しているのか? 投票という行為自体が、今の政治にどう影響を与えるのか?それを考えることがなかった。なぜなら、そのほうが楽だからだ。無責任に選挙に行って、「自分が政治を変えたかもしれない」なんて錯覚に浸っているほうが、楽なんだよ。
そして、この「自己満足」の仕組みがどれほど強力か。
投票をした自分に安心感を与えてくれる。やれるだけやったという一種の達成感を与える。それはパンとサーカスのようなものだ。
人々が目の前の娯楽に満足し、生活が豊かに見えたとしても、その背後で本当に大切なことが進行しているのを無視してしまう。それと同じように、投票という行為も、私たちが本当に求めていることから目を背けさせ、無理に心を満たすための手段に過ぎない。
実際、投票によって政治が本当に変わるかなんて、ほとんど期待できない。
政治が変わるためには選挙だけではなく、もっと深いところでの戦いが必要なのは誰もが分かってはいるはずなのに何もしない。
要は皆、夢を見ているだけなんだよ。
投票はあくまで「自己満足」のためのもの。少なくとも、政治を変えるための本当の力にはならない。それを理解せずに、ただ「自分は選挙に行って投票したから、何かが変わるはずだ」と信じ込むのは、正直、救いようのない馬鹿だと思う。だって、投票したところで、実際にはその一票が何かを変えるわけではないから。政治を動かすためには、もっと強い意志と行動力が求められる。選挙だけで解決できる問題なんて些細なものしかないんだ。
そしてその些細さは、そもそも投票せずとも解決できたかもしれない問題なんだ。
結局のところ、選挙に行って投票することで「自分はやれるだけやった」と満足することは、ただの幻想に過ぎない。
政治は変わらないし、そんな幻想に浸ることで、我々は本当の問題に目を向けることなく、満足してしまう。
つまり政治の変化を本気で望むなら、選挙で一票を投じる以上のことをしなければならない。
そのことを真剣に考えたとき、「投票で政治が変わる」という信念は、単なる幻想に過ぎなかったのだと気づくべきだ。
数日前に書いてたテキストファイル捨てるの勿体無いと思ったので張る
例のあのフォーマットに乗ってWeb漫画の話をしようかと思ったがWeb漫画は山ほどあるし別に網羅的に読んでる訳でも無いので単に自分の好きな作品を書くことにした人が居たので便乗。
消えてる作品以外はブックマークが残ってるので探しやすくてよかった。
2012か13ぐらいから読み始めた人。それ以前も知らないし、最近も知らないしひどく偏ってるはず。順不同
みんな大好き(なはず)。転生元の(中途半端な)知識と超絶魔力持ちでチートではあるが、虚弱常識知らずなど、情熱と人脈でカバーしてく。
これと謙虚ぐらいしか男性向けっぽいの読んでなかったし、読んでも合わないの多い中(ゴミ拾いのとかテイマーのとかは読んでた)、何度も読み返した名作中の名作。
言い過ぎだけど、パトレイバーや銀英伝レベルで社会に出てから有用な知識が得られる。
(パト、銀英伝信者からしたら言い過ぎ、そうではない人からしたらそんなもんかってなる?)
現実世界への巻き戻り。細かいこと(と重要なことのほとんど)は忘れたが、サッカー選手になれなかった大人がサッカー始めた日に戻ってやり直す話。
確か戻るのはその一回ぐらい。戦術等の知識が大人レベルなのと、コツコツ努力できる(練習の目的がはっきり、効率もよい)のと、あとなんか鷹の目みたいな俯瞰視点だけで頑張る。
雰囲気は週刊少年誌のサッカー漫画みたいなの(ジャンプっぽさはなく、サンデーマガジンのどっちか寄り)。恋愛要素が少なくて物足りなかったような、中学生編ぐらいまでで終わったのとかで悲しかったような。
これと続編(サブアカウント)のセット。アイリッシュスナイパーは含まない(好きだけど)
VRMMOは二大ジャンルのひとつだったり、転生、転移に次ぐ第3のジャンルだったりしたが、あまり人気作が無かった(当時の個人的な印象)中、(根底に)デスゲーム要素もなく、描き切りつつ、VRMMO系で不足しがちな現実世界にも重点を置いたのが本作。
MMO要素は各キャラのなりきりに由来するコメディ要素やストーリーの本筋に絡む仕掛けであって、中身は群像劇要素も強く、主人公以外の成長物語でもあり、半沢みたいなのとかでもあり、ミックスグリルみたいな作品。あえて大げさに言うと、大長編ドラえもん詰め合わせみたいな。
章ごとに目標が変わってたりしつつ、最後でどかんと一気に色々纏まるのがめちゃくちゃ気持ちよかった。主人公大人だし、なろうっぽくない(なろうっぽくないことはないが)
主人公も一応精神的に色々成長します。地の文の好き嫌いは分かれそう。
クソゲーとして名高いバグだらけのゲームの中に入ってしまい、バグ(仕様()も多い)を駆使して気持ち悪いことを沢山する。
読んで知って欲しいのだが、全方向を騙していくのとか、サブキャラとかが立ってるのとか、一応色々吹っ切れてるのが面白すぎた(作者的にはセーブしてるのかも)
本作作者の他作品も少し系統違ってても面白いので、他作品挙げたいが完結してなかったりするので、出会いの本作をエントリー。
タイトルそのまま。ちんちくりん系の女子と普通の女子のコンビに、個性的なパーティメンバーなどで冒険する。
基本的にはテンポよく成長していくし、仲間も頼りになる。地の文とかほのぼのした雰囲気も好きだし、ちょっと年齢層高め向けのギャグとかも合ってた。作中でどういう扱いだったかは忘れたが馬は脳内でひんべえ(いつもいっしょのおうま)になる。
真剣なシーンでも気が抜けるような描写が多くて好きだったかも。
終盤SF過ぎたのとか好みが別れるところか。SF方面だったかは定かではないが
時代がずれてたら防振り(途中までしか読んでない)ぐらい売れてたかも。コミカライズされてたの今知った
頭おかしなった。突っ走ればよかったのにと思ったような。
おもろい。
これも流行った。
きつね可愛い。同作者の他作(沢山あったはず)も読んでみたけど、これがなんか時期的になのか、一番ハマった。
その他の候補作
影響は受けたが、読んでないので
色物かと思ったら意外としっかり面白かった。アニメ見て、原作一気読みした。
転スラ
すごいのはみんなわかってるが、重要度は低い。
このすば
どこにも書いてないが、これ系では他作品のほうが影響受けたので除外。
宝くじで40億
知らんけど、避妊具以前に、性欲発散するのにセックスという手段ばっか使う人の気持ちが分からんやで。セックスするなら「こいつと夫婦になってもいい」前提やから、なんかあっても自己責任でええで。
上から順に
稲村って誰?
斎藤が負けるなら誰でもいい
俺はメシウマできればどっちでもいい
って感じかな?
マジで「稲村?どうでもいいよ。そんなことより斎藤は負けた?」みたいな感じ。
ほんま酷い話だよね。
「俺が嫌いな奴が負けるのが見たいだけであって、別に他の奴がどうなるかはどうでもいい」って態度を政治に持ち込めるのが怖すぎる。
「俺がムカつくと思った出来事が是正させるなら、その手段そのものは些末なことである」ってことでしょ?
終わりすぎろ民度。
アメリカの選挙でトランプの勝ち負けに文句言ってばかりで対抗馬のことはどうでも良さそうだった連中もこんなノリなのかな?
いやードン引きですわ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASN4G6D4CN4GUTFK00W.html
マジでなに言ってんだ?民間は関係ありませんとここまで明に言ってるなら完全に辞任案件だろ。誰のための部署なの?お宅は。最低でも代替手段を提示しろよ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241119/k10014642761000.html
日本人学校が襲われた事件を忘れさせるために、中国人学校も平等に襲われるってことにしたいわけよ。
今、中国は日本と仲良くやってる印象をアメリカに見せつけたいフェーズに入っていて、
ありとあらゆる手段を使ってくるので気を付けて。
たとえばこんな風に↓
全動画のプレイリストもある。(けど、毎日その日の動画を見聞きするだけで十分。):
https://youtube.com/playlist?list=PL5EC6CB7DF66E002A
これが英語教材として良い。
一番良いのは、喋ってる内容がまとめられているリンクが説明文に貼ってあることだ。:
https://www.un.org/sg/en/content/noon-briefing-highlight?date%5Bvalue%5D%5Bdate%5D=18+November+2024
字幕も良いけど、こうやって全体を見られるのは気持ち自分のペースがつかみやすくて良い。
性別の選択でなくボディタイプにしたのはいいことだと思うが、せっかくそのようにしたのに進めていくと普通に「嬢ちゃん」やら「女」やら言われ出して、何のための変更なのかさっぱりわからなくなった。漫然と「最近はこういうものだから」でやるのではなく、誰に向けた何のための変更なのかを意識して欲しいところ。性別で分かれてる装備も性格もいらない。BG3だと下着だって異性のものと交換できるぞ。
「ボディタイプ」にするのは、普通は身体形状と性別を切り分けて性別に関係なく多様な外見を楽しめるようにするための手段であったり、作中で事あるごとにジェンダー化されるのに嫌気が指しているプレイヤーを引き込むためだろう。ドラクエ3は「ポリコレってこうなんだろ?」以上の意図が見えない。ちゃんとユーザーの姿を想像しろ。
何が矛盾してるか分からないです。結局、財政指標で判断するしかないと判断したってだけ。
情報が全てオープンになる訳ない。首長や職員に聖人とか正義のヒーローを求めてる訳じゃない。職業選択の自由もあるし、これで県政不成立となるならリコールの手段もある。
( NHK選挙報道より https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241117/k10014640801000.html )
どちらが勝ってもきっとそうなるだろうなと思ったので、強く強く強調しておきたいのだが、兵庫県民がパワハラを良しとしたわけではないし、県民が県庁職員の命を軽んじているわけではない。
逆に言えば、もしも稲村和美が選ばれていたとしても、パワハラが許されない県民性だ、と言うこともできなかった。
これは右派左派問わず、まず念頭において欲しい。ブコメをする際にも一瞬だけ書き込む手を止めて考えて欲しい。
97万人もの人間、投票したうちの39.6%の人間の意思を無視した発言になってないか。
いわゆる、従来の選挙として、前半は以下のような感じだった。
自民党の大敗が記憶に新しいが、小選挙区で自民党の内紛が起きていたところが概ね負けていたことを思い出すと、清水貴之立候補表明あたりで少し不穏さを感じていたと思う。
ただ、良くも悪くもテレビや新聞のマスメディアでは、齋藤が再出馬するとは、という論調であった。
そもそもで言えば、県議会が(維新も含めて)全会一致で県知事の不信任決議をする、というのが異例だった。
民意と言えば聞こえは良いが、マスメディアの報道を受けて支持母体からの圧力が日々増しており、かかる火の粉を振り払った結果、というところだろう。
事ここに至って、齋藤元彦が県知事失職以前に取っていた言動が、功を奏していた。
齋藤元彦は、「公益通報に該当するとは思っていない」や「瑕疵はない」と述べており、発言に一貫性があった。(端的に言えば過ちを認めて謝罪していない)
告発文書が7つの項目からなっているのであれば、本来マスメディアは、それぞれについて裏を取り、特に知事選挙や政治資金パーティーでの違法行為を追求すべきであった。
失職に至る経緯である、告発文書の報道が、主に理解しやすく視聴率を稼ぎやすいパワハラとおねだりに集中していた点が、事態を悪化させていた。
ハッキリとここで書いてしまえば、齋藤元彦の選挙戦略は至極全うである。
街頭演説では、おおむね、前知事の井戸敏三県政の無駄遣いの批判、自身の県政でのお金の使い方(高校への投資、企業との連携)の話、未来ある子供たちへの投資の重視などが語られている。
そもそもの前回の知事選挙でも、トップダウン式の井戸県政を嫌ったと評されるが、基本的には自民党の分裂選挙であり、自民党の内紛と勢いのある維新への合流が生んだ結果と言うこともできる。
つまり、現職なのでそもそもの地盤はしっかりとあり、井戸敏三県政から路線変更を行って財政再建を行っていて、元々市町村とは折り合いが悪い、という点までは織り込み済みの状況である。
マスメディア側に誤算があったとすれば、「パワハラぐらいみんなやってるだろ」とか「あの程度のおねだりは役得じゃないの」という市民の声がカメラの前で拾えるはずがない、という至極当然の目線を忘れていたからだと言える。
トップダウンの井戸県政を嫌ったはずの齋藤県政で、強引とも言える市町への予算縮減などをもっとフォーカスして解説すべきだったと思う。
逆に言えば、稲村と清水との分裂選挙と言える状況で、稲村和美陣営には手抜かりがあったと言われても仕方がない。
一本化を図ろうとした市町の連帯を示す文書は、明らかに遅かったし、清水貴之への根回しも済んでいるようには見えなかった。
マスメディアによる齋藤元彦おろしは成功している。通常こうした場合、再出馬や再選はあまり現実感が無い。
そのため、マスメディア側のいわゆる醜聞を集める準備期間がほぼなかった点がある。
また、全国的にも良く知られているが、関西圏は維新に対しては通常親和的な報道が行われる。
齋藤元彦は、前回の兵庫県知事時代に、自民党と日本維新の会と共闘して県政を行っていた。
マスメディアとして、及び腰になっていたのではないかという点は、指摘できると思う。
また、醜聞、いわゆるゴシップとして視聴率を稼ぎやすいネタが、齋藤元彦を利するものであった点も報道が少ない理由の一つと言える。
(もしも前知事時代に女性関係の醜聞があれば、こぞって報道されていたであろうことは想像に難くない)
しかし、コメント欄などを見ると、メディアに騙されていた、齋藤元彦を応援しますという声は少なからずあり、影響が無かったとは言えない。
また、街頭演説に限って観てみるとわかるが、明らかにトレーニングを受けた演説慣れした者と、あまり演説しなれていない者とハッキリわかれる。是非聞き比べて欲しい。
出直し選挙で民意を問うでべきであるという逃げを打った県議会やマスメディアは、再出馬されてしまった場合に、取りうる手段が無い。
現に、今回民意を反映して(少なくとも当選する程度の民意は得ている)知事に返り咲いた為、県議会は筋論としては協力せざるを得ない。
また、あまり話題になっていないが、辞任と失職では県知事の任期に差があり、失職後に出直し選挙で当選しているので、任期はリセットされており、ここから4年の任期となる。
恐らく、齋藤元彦兵庫県知事の元、今後も市町とは揉めながら県政を行っていくと思われる。
文書問題調査特別委員会(通称、百条委員会)については、粛々と聞き取りと調査が進めらると思うが、おそらく公益通報には該当しない、パワーハラスメントに該当する行為はあった、給与の自主返納あたりで手打ちになると思う。
これはあくまでも一般論だが、刺すべきタイミングで的確に刺せないと、政治ではうまくことが運ぶことは無い。
兵庫県警が公益通報として受け取らざるを得ない内容、厚生労働省が調査せざるを得ない内容、法務省が調査せざるを得ない内容として、それぞれピンポイントに匿名で通報し、マスメディアにも流した場合、結果は違ったように思う。
五百籏頭氏が傑物であったことに異論は無く、執務中の急性大動脈解離については痛ましいとしか言いようがなく、それがストレスを起因としたものであったかもしれないが、それを知事の問題とするには飛躍が過ぎる。
繰り返しになるが、稲村和美へと票を投じた97万人がいたことを忘れてはいけない。ほぼ、齋藤元彦では無い人物というワンイシューで集まった票がこれほどの規模だったことを忘れずに話をして欲しいと思う。
立花孝志の選挙戦略が当たったのではないかという話があったが、そもそもで言うと県議会が推す候補が一本化できていない(稲村と清水に分かれていた)点に問題があった。
単純な算数だが、対立候補が稲村和美(と共産党)だけだった場合、当選していたのは稲村和美であった。
県知事の任期は4年であり、第53代兵庫県知事の齋藤元彦は、2021年8月1日付に県知事になったので、ほうっておいても2025年7月末には任期を迎えた。
文書問題調査特別委員会が設置されたのであれば、この調査結果を待ってから辞職を迫るのが筋であった。
マスメディアの大変良くない点だと常々思っているが、加熱した報道で辞職を迫るのはいい加減どうにかならないか。それは報道では無く扇動である。また辞職は罪を償う手段ではない。
齋藤元彦が、井戸敏三県政を嫌っていることは外部からもうかがい知ることが出来るし、法律上はどうあれいわゆるパワハラを日常的に行っていたであろうことも百条委のアンケート結果からは伺い知ることが出来る。
ただ、それを告発する為にとった手法が公益通報に該当するのか、内容が真実だったとして法律上の罪に問われるものなのかは、また別の問題である。
そういう、法律上はどうあれ報道され一部でも事実があり実害が出たのであれば責任を取って辞めるべきだという、マスコミを利用した政治手法が、うまくいかなくなった結果だと考えている。
(贔屓目に見ても怪文書としか言いようのないあの告発文書でここまでの騒動になるのだから、実情はさらに酷いのだろうと思うが、それは司法を飛ばして私刑を行って良い理由にはならない)
風向きで辞任を迫ったり、風向きでついたり離れたりしていると、触れるメディアからの情報で同様に風向きが変わるのは当たり前だろう。
返す返すも、百条委の結果を待って、結論が出てから辞任を迫っていれば違っていたように思う。
パワハラの認定がなされたあとの再選と、パワハラ疑いの再選は大きな隔たりがある。
パワーハラスメントは、録音録画を行えば証明できるような単純なものでは無い。うっかりパワハラではないとされた時に、職も信用も失う危険な行為なのだ。
そして、パワハラを行う人間は、誰がやったかわからないような不特定多数がいるような場所でパワハラをしない。通常、パワハラは録音データが漏れてしまえば即特定されるのだ。
そして、日本のマスメディアには信用が無い。暴露は得意だが保護は不得意だ。
そうすると、パワハラは日常的に行われるのに、職を失いたくないから何の証拠も出てこないという状況が容易に起こりうる。
従来のマスコミのゴシップと同様の効果を、ほぼ単独で行えた点にこそ、大きな価値が出てしまった。
ただ、逆に言えば、事実に基づき、政策で判断してほしいというような選挙戦略には、付け入る隙は無い。
やはり、そろそろマスメディアが私刑として機能し、首長を叩き辞任させようとする傾向は慎むべきなのだと思う。
辞任以外の落としどころを作らない限り、また同様のメディアスクラムが起きた時に、立花孝志はおそらく違う手法で望んだ結果を得るだろうと思う。
実際の所、流れた情報の何が本当で、何がデマなのかは誰にも判断できず、なにが正しいのか理解できている人はほぼいないと思われます。
とにもかくにも、立花氏の戦略が、今の時代を的確に捉えており、柔軟に対応できたことが大きいと思われます。
従来の選挙戦略では到底太刀打ちができない、新しい選挙のやり方が生まれてきたなという感想です。
井戸県政への不満、多分兵庫県がずっと衰退してることへの不満で、兵庫県民(特に大阪の近く)だと、維新のおかげで発展した大阪羨ましい!みたいな感覚はあるみたいよ
それに比べて元々元気だった兵庫県、特に神戸は衰退して大阪に人取られてる!って感覚があるらしい
兵庫の没落は阪神淡路大震災の借金が全部自治体負担になったことが根っこにあるっぽい
関西に縁がない県外民の俺が調べてわかったのはこの程度だな
確かに部下を怒鳴りつけるみたいなやつはあんまりみなくなったが、そういうのだけがパワハラじゃないから。むしろ直接的攻撃的な手段を避けて真綿で首を絞めるようなやり方をしたほうが深刻かつ継続的なダメージを与えられることに5年くらい前に気づいて楽しんでいる。
啓発ポスターとかネットでよく見る体験談のような典型的なパワハラのイメージが先行しているから、部下の方も自分がパワハラを受けていることに気づかないんだよな。1回窓口に通報されたことがあったけど調査では問題なしとされた。調査をする方もステレオタイプのパワハラだけを想定しているため、あくまでも口調だけは柔らかい俺の言動に非があると言えなかったんだと思う。通報した奴は明らかに挙動がおかしくなって退職していったけど窓口で相手にされなかったのが効いたと思われる。
大声で叱りつけても最近の連中はあんまり萎縮しないから手応えに乏しいんだよな。不服そうに言葉だけで謝られてもイラッとするだけだし。昔は面談室とかでタイマンで2時間ぐらい激詰めするとかできたし、それやればさすがにどんな人間でも泣かせることぐらいはできたんだけど今やると問題になるのであきらめてる。
責任感が強くて結婚してて子供もいるようなタイプはちょっとプレッシャーをかけるとすぐパニックになるから、怒鳴ったりしなくても結構簡単に壊せるし、憔悴している感じは見ていても結構面白いんで最近はこっちがメイン。嫁さんが強いまたはイカれてるパターンとか、そうじゃなくても積極的に子育てに参加していてかつ育休をロクに取らないやつは、子供がうまれたあとに80%以上の確率でひどい寝不足の状態になるから、ちょっとつついてやれば本当にすぐおかしくなる。離婚した奴もいてあれは本当に達成感があった。
最近はコンプラやら何やらで残業禁止の方向に向かってるから、作業が詰まって来た時の逃げ場がないんだよな。わざと細分化しないで見かけ上簡単なタスクを振ると実際にやった時に膨張するわけだが、アラートをあげず抱え込むタイプはすぐ限界に達して隠れて残業したり早出したりする。これは合法的に叱責できるチャンスで声を荒らげずにねちっこくやるとかなり効く。持ち帰った場合は事案として報告を上げてきっちり杓子定規にやると意気消沈してマジで笑いそうになる。
あとはチームの雰囲気づくりも大事で、こんなことやってると愛想の悪いぶっちゃけ狂ったような連中しか残らないわけだがこれが本当に重要。意識高い系でコミュニケーションに自信がありますみたいなのが来ると、俺が何もしなくても2週間ぐらいで表情が凍りついて目が死んでくる。なんか問題を抱えても周囲に相談できないし逆にケンカが発生するから、俺が既存メンバーの肩を持って突き放すだけで精神に異常をきたす。一人愛想のいいのも居るんだがコイツが最悪のチクリ魔で、愚痴の内容を逐一報告してくれるから助かっている。本人に仄めかした時の表情が最高なんだよな。
ただ相手の反応がワンパターンになるきらいがあるのでつまらない側面も正直ある。怒鳴りつけたりしてたときは号泣とか逆上して殴りかかってきたりとかバリエーション豊富だったがそういう楽しみ方はできない。今のやり方でも場合によっては自◯とかあるかもしれないからそうならないように気をつけないとなと考えている。
簡単に治らないし、治療したとしても、小さな猫の体では耐えきれないことが多い
長く苦しませてしまうことになるなら、せめて安らかに穏やかに、幸せと思える最期にしてあげたいと判断したのだと思う
大切な愛猫に対して、きっと投稿主は考えに考えて結論を出したのではないか
だとしたら、そんな治してやれ、なんて言葉はあんまりじゃないか
何度も何度も辛くて痛い思いをしたってどうにもならないことだってある
そんなの治せるなら、元気な姿になれるなら、なんだってするよ
でもその手段を取らないということはそれ相応の理由があるんだよ
悲しいけど頑張って、たたかおうとしている猫と投稿主の気持ちを少しでも考えるなら、もう少し寄り添った気持ちでコメントをすることはできないだろうか