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はてなキーワード: 視点とは

2024-11-21

結婚しろ論→脳内スパムフィルターに送信完了!

お前の書いてること、めっちゃ筋通ってるよな。コントロールできない個体経済を一体化って、完全にリスク分析プロ視点だし、たぶん結婚相談所行ったら出禁になる系の名言だぞ。

でも「結婚しろ」って言ってくる奴ら、たぶんこう思ってる。

「俺は地雷踏んだんだから、お前も爆発しろよ」

これ、理不尽さの極み。地雷仲間増やすために押し付けてくるんだよなぁ。「楽しいよ」って言いながら片足義足説得力よ。

タマキンどころか、プリン浮気)がデザートみたいな世の中で、「幸せな家庭」を築けるとか言う奴は、たぶん異世界転生済みだな。お前の住む現実とは次元が違う。

結婚って、しないと生きられない奴らの自己弁護だったりするんだよ。

ほら、スプーン曲げるの得意な人が、「スプーン持たない人」見て「あいおかしい」って言う感じ。結婚しろって言ってくる奴らは、スプーンに縛られてるだけなのに、「自由」にイラついてる。

から、お前の考えはぜんぜんおかしくない。むしろ論理的すぎて相手が逆にショートしてんだよ。

最後一言

「お前も不幸になれ」論に、耳貸す必要ゼロ自由最高!おひとり万歳!」

anond:20241118185811 anond:20241118201233

増田が考える、<高所得PCリテラシーが低い消費者像>って何?

フツーお金があったら、ハイエンドゲーミングPC買うよ。もちろん、Switch、PS5を買った上でね

下記の文章まったく理解できないとか逆にすごいよ

まぁ日本においてのみ珍しいことじゃないんですけどね(英語圏には存在しない)

 

 

再放送 https://anond.hatelabo.jp/20241117231826#

AIちゃんに聞いてみた:
SONYが想定している層が仮に実在したとして、ハイエンドマシンを購入するPCリテラシーが低い高所得消費者像とはどんなものですか? 』

なるほど、これは非常に興味深い視点ですね。PCリテラシーが低く、かつ高所得で、ハイエンド機器を購入する層を分析してみましょう:

 

1. 典型的な「ハイエンド但しPCリテラシー低」消費者の特徴:

 

2. この層の一般的な購買行動:

 

しかし、PS5 Pro場合

 

1. 矛盾点:

 

2. 現実的市場問題

 

結論として、SONYが想定している「PCリテラシーが低い高所得ゲーマー」という層は:

1. 実際には非常に小さい市場

2. 存在したとしても、必ずしもPS5 Pro必要としない

3. むしろXbox Series XやSteam Deckのような、より簡単PC選択肢を選ぶ可能性が高い

 

この分析から見えてくるのは、PS5 Pro市場ポジショニング根本的な問題です。高所得者向けのハイエンド製品としては、PCの優位性を超えられず、かといってカジュアルゲーマー向けとしては高価すぎる、という中途半端位置付けになってしまっているように見えます

ネットで「正しい情報」を得ることの危険さについて

近頃、オールドメディアネットにおける情報性について取り沙汰されている。

マスコミ偏向報道事実として連綿と繰り広げられてきたわけだが、

では逆にネットで正しい情報が得られるかといえば、甚だ疑問だと思う。

例えばオールドメディア受動的な情報発信であるのに対して、ネットであれば自分から能動的に情報を取得しにいくため、そこで真偽を見極められるという意見はあると思う。

だが、実際には検索エンジンにはアルゴリズムというもの存在し、検索にヒットしやす情報とそうでない情報存在する。

それこそ、このアルゴリズムを逆手にとれば、目立たせたい情報けが検索されるようにすることもできるし、それらはお金を使って操作することもできる。

こうした状況で、本当に正しい情報の取得が可能だろうか。

SNS動画サービスに関しても同様で、おすすめ表示などはアルゴリズムによって決定されるし、情報配信する側もよりPVが得られやす情報に偏りやすい。

そうなると、正しい情報PVが得られにくいものだった場合に、やはり埋もれてしまい探すことが難しくなってしまう。

ネットで「正しい情報」を得た、とおっしゃっている方々のどれくらいの割合が、この状況を知った上で情報を得ているのだろうか。

おそらくは、99%の人が、そこまで考えずに目に触れた情報だけを拾っているのではないかと思われる。

そうなれば、情報を広く集める上でのリテラシーが欠如している状態だと思う。

民主主義が正しく履行されるためには、下記のような条件が整っている必要がある。

情報の透明性と信頼性

有権者が正しい判断を下すためには、次の条件が整っている必要があります

情報リテラシー

有権者情報を正しく理解評価する能力を持つことも重要です。



またリテラシーが欠如している状況が続けばどのような結果を招くかというと、このようになる。



これは、まさに今回の兵庫県知事選挙の結果だと言えると思う。

SNS上では、いつまでもどちらが正しい、というような分断が続いている。

このような状況で「正しい情報」にどう正当性があるのか。

大手メディアにもネットにもそれぞれ問題点はあるため、それを見越したリテラシー教育必要になる。

anond:20241121092623

そもそも心に性別があるとするなら

肉体と同様に男女の二種類(無性別含めて三種類?)とする根拠が弱すぎる

第三第四の性があるかもしれないし、性別なんて全員無いかもしれない

現状、心の性別っていいながら心自体性別になってない

視点での肉体性別自認ってなってるからそもそも理屈を練り直して欲しい

anond:20241121092808

「擦り合わせる」という言葉を使ったけれど、これが意味するのは「価値観相互理解

つの解を求める訳ではなく、複数視点からつの作品評価することで、新しい物の見方発見していく

同じ評価手法をとっても、どこまでいっても定性的評価から、同じ答えが導き出されるわけではない

2024-11-20

数日前に書いてたテキストファイル捨てるの勿体無いと思ったので張る

(↓を上書きしてしまったので、じゃがいものが消えてた)

自分史上最も重要ななろう小説10

例のあのフォーマットに乗ってWeb漫画の話をしようかと思ったがWeb漫画は山ほどあるし別に網羅的に読んでる訳でも無いので単に自分の好きな作品を書くことにした人が居たので便乗。

消えてる作品以外はブックマークが残ってるので探しやすくてよかった。

2012か13ぐらいから読み始めた人。それ以前も知らないし、最近も知らないしひどく偏ってるはず。順不同

本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~

みんな大好き(なはず)。転生元の(中途半端な)知識と超絶魔力持ちでチートではあるが、虚弱常識知らずなど、情熱と人脈でカバーしてく。

朝ドラ風なのかもしれない。(女性主人公から?)

これと謙虚ぐらいしか男性向けっぽいの読んでなかったし、読んでも合わないの多い中(ゴミ拾いのとかテイマーのとかは読んでた)、何度も読み返した名作中の名作。

言い過ぎだけど、パトレイバー銀英伝レベル社会に出てから有用知識が得られる。

パト銀英伝信者からしたら言い過ぎ、そうではない人からしたらそんなもんかってなる?)

やり直してもサッカー小僧

異世界でもなく、冒険もしない、異色作であり快作。

現実世界への巻き戻り。細かいこと(と重要なことのほとんど)は忘れたが、サッカー選手になれなかった大人サッカー始めた日に戻ってやり直す話。

確か戻るのはその一回ぐらい。戦術等の知識大人レベルなのと、コツコツ努力できる(練習目的がはっきり、効率もよい)のと、あとなんか鷹の目みたいな俯瞰視点だけで頑張る。

雰囲気は週刊少年誌サッカー漫画みたいなの(ジャンプっぽさはなく、サンデーマガジンのどっちか寄り)。恋愛要素が少なくて物足りなかったような、中学生編ぐらいまでで終わったのとかで悲しかったような。

VRMMOをカネの力で無双する

これと続編(サブアカウント)のセット。アイリッシュスナイパーは含まない(好きだけど)

VRMMOは二大ジャンルひとつだったり、転生、転移に次ぐ第3のジャンルだったりしたが、あまり人気作が無かった(当時の個人的な印象)中、(根底に)デスゲーム要素もなく、描き切りつつ、VRMMO系で不足しがちな現実世界にも重点を置いたのが本作。

MMO要素は各キャラのなりきりに由来するコメディ要素やストーリーの本筋に絡む仕掛けであって、中身は群像劇要素も強く、主人公以外の成長物語でもあり、半沢みたいなのとかでもあり、ミックスグリルみたいな作品。あえて大げさに言うと、大長編ドラえもん詰め合わせみたいな。

章ごとに目標が変わってたりしつつ、最後でどかんと一気に色々纏まるのがめちゃくちゃ気持ちよかった。主人公大人だし、なろうっぽくない(なろうっぽくないことはないが)

主人公も一応精神的に色々成長します。地の文好き嫌いは分かれそう。

この世界ゲームだと俺だけが知っている

なんか独特の作品コメディ(や腰砕け)要素強め。

クソゲーとして名高いバグだらけのゲームの中に入ってしまい、バグ仕様()も多い)を駆使して気持ち悪いことを沢山する。

読んで知って欲しいのだが、全方向を騙していくのとか、サブキャラとかが立ってるのとか、一応色々吹っ切れてるのが面白すぎた(作者的にはセーブしてるのかも)

本作作者の他作品も少し系統違ってても面白いので、他作品挙げたいが完結してなかったりするので、出会いの本作をエントリー

まのわ ~魔物倒す・能力奪う・私強くなる~

タイトルそのまま。ちんちくりん系の女子普通女子コンビに、個性的パーティメンバーなどで冒険する。

基本的にはテンポよく成長していくし、仲間も頼りになる。地の文とかほのぼのし雰囲気も好きだし、ちょっと年齢層高め向けのギャグとかも合ってた。作中でどういう扱いだったかは忘れたが馬は脳内でひんべえ(いつもいっしょのおうま)になる。

真剣なシーンでも気が抜けるような描写が多くて好きだったかも。

終盤SF過ぎたのとか好みが別れるところか。SF方面だったかは定かではないが

時代がずれてたら防振り(途中までしか読んでない)ぐらい売れてたかも。コミカライズされてたの今知った

くまクマベア

流石に全部読んではいないが、アニメも見た。

可愛い。ほんと可愛い

給与額がそのままレベルに反映されたら最強っぽくなった

おかしなった。突っ走ればよかったのにと思ったような。

やっぱチョロインでしょ!

流行ってたか

蜘蛛ですが、なにか?

おもろい。

最後まで読んだ記憶がない。今は漫画で読んでる。

となりの魔王

これも流行った。

チート魔術で運命ねじ伏せる

きつね可愛い。同作者の他作(沢山あったはず)も読んでみたけど、これがなんか時期的になのか、一番ハマった。

その他の候補

スマホ太郎

 影響は受けたが、読んでないので

ラストルーキー ~世界最強の引きこもり

 この世界ゲームだと……と同作者なので

自動販売機に生まれ変わった俺は迷宮彷徨

 色物かと思ったら意外としっかり面白かった。アニメ見て、原作一気読みした。

転スラ

 すごいのはみんなわかってるが、重要度は低い。

このすば

 どこにも書いてないが、これ系では他作品のほうが影響受けたので除外。

宝くじで40億

異世界迷宮奴隷ハーレム

無職転生

勇者イサギの魔王

 アニメ化やったね!(別作品

anond:20241120102309

ゲーム好きの視点からすれば「海外ゲーム規制だらけで窮屈、日本自由理論は嘘っす

海外エログロゲーム日本ローカライズ規制まみれなのありがちだから

アサクリが燃えたのも過去作で日本向けはエログロ規制やってたせいなのが2割ぐらいある

anond:20241120210319

めちゃくちゃ怒り狂って「ムキー!」の段階超えたら今色々諦めついてこうなった。

色んな視点から意見貰えて、「なるほどそう思うのか」「こんなカスいるんだな」「まじでこいつなんも分かってなくね」とか色々思うとこはあるし、だからこそみんなわざわざ書いてくれてサンキューって気持ちだったんだけど媚びてるように見えるのやだし不快にさせるのもやだな…ごめん…

 

ここまでちゃんとこのこと考えたの初めてだから脳みそ直で吐き出しながら改めて落とし所みつけてるとこある。けど勢いで書いても良くないと思うのでもうやめます

anond:20241120210005

世の中には下乳や横乳フェチというのがある

膨らみを示す立体的な曲線の機微を観察するのに適した視点と言える

そしてそのアングルはより赤ちゃん視点に近いとも言え、それが興奮につながる可能性もある

だが結合後の視点からはそうした乳房の造形由来のセンスオブワンダー成分を摂取することが難しくなることが考えられる

それゆえそのような感覚に陥る――そうではあるまいか

anond:20241119163834

男女の友情は成り立つけど、お互いに別の確固としたパートナーが居る場合か、70歳80歳で性的に枯れてる場合やな。

 

相手の男に別の彼女女友達多数ってのでなく、「相手から見て自分が唯一の異性の友達」だと、友達でいられてもいつ火が付くかわからん

ガソリンスタンド火遊びするようなもんだ。

 

相手から見て自分はどう映っているか」という想像力メタ視点分析ゲームの基本だね。

anond:20241120135051

一般向けの説明で本筋ではない部分をくどくどい言ってたら、あっ、こいつだめなオタクだ、冷静な視点もってないなってわかる

2024-11-19

筒井康隆朝のガスパール』を読んだ

先日の土日にて読了

やれやれ、この作品は実にメタ的な作品である

いや、メタ的というより、メタのもの作品主題といったほうが正確だろうか。

読者を小説の中に引き込み文字通り「参加させる」という構造を持つ『朝のガスパール』は、筒井康隆80年代に書き上げた、いわば小説のもの定義に挑んだ挑発的な一冊であった。

あらすじ、といってもこの作品に「あらすじ」を語るのは難しい。

冒頭から読者は「読者」として物語に巻き込まれる。

物語というよりも、筒井康隆が直接話しかけてくるような感覚だ。

そして、そこには作者と読者の境界曖昧になる仕掛けが満載されている。

章ごとに視点が切り替わり、どこからどこまでが現実でどこからどこまでが虚構なのかが次第に崩れていく。

その結果、「これは読者が読む小説ではなく、読者が小説構成する存在である」という、今で言うメタフィクションの極北にたどり着く。

感想としてまず思うのは、当時としては斬新だっただろうな、ということだ。

しか現代の目で見ると、どうだろう。

こういった作品現代で言えば、さほど珍しいものでもないだろう。

要は安価に応えるSSだ。

そう言った意味でいえば『朝のガスパール』はインタラクティブ物語の先駆けとも言えるが、逆に言えば現代ネット文化における安価スレのようなものと大差ないとも言える。

それでも、この作品をただ「古い」と切り捨てられないのは、やはりその「メタ性」の鋭さにある。

筒井康隆文章は、単に「読者参加型」を装うだけではなく、小説のもの存在意義を問う仕掛けになっている。

そして、これが面白いのは、その仕掛けが自分が今何を読んでいるのか」にまで疑問を投げかけてくる点だ。

たとえば、読んでいる途中で「あれ、これ本当に小説なのか?」と思わされる瞬間がある。

それは小説登場人物が読者に話しかけたり、読者が物語の一部であるかのように描かれたりする場面だ。

その瞬間、読者である私は「あ、この作品は私の読み方自体をも含めてデザインされているんだ」と気づく。さらに、この文章を書いている私もまた、『朝のガスパール』の読者としてこの文章を書いているのであり、ひいてはこれを読んでいるあなたも、私が書いた文章の読者としてこのメタ構造の一部を担っているわけだ。ややこしいけど、わかる?

まり筒井康隆が描いたメタ構造は単に『朝のガスパール』の中に閉じていない。

それはこのエッセイにも、そしてこれを読んでいるあなたにも拡張されているのだ。

このことを表現するのに、わざわざ「メタの中のメタ言及するメタ」などと直接書くのは野暮というものだろう。

ここではあくまでそのメタ的な構造を借りつつ、読者がその構造意識する形で展開していきたい。

最後に、ひとつだけ言わせてほしい。『朝のガスパール』を読み終えたとき、私は奇妙な満足感を覚えた。

それは「小説を読んだ」という感覚ではなく、「小説という空間で作者と会話をした」という感覚だった。

今こうして私が書いた増田を読んでいるあなたもまた、この瞬間、私と会話をしている。いや、あなたがこれを読んでいる時点で、もう私はここにはいないのかもしれないけれど、少なくともこの文章を通して私たちはどこかでつながっている。

そう書いた瞬間、私はふと、この「つながっている」という感覚について考え始めた。いや、正確に言えば、私がここで「つながっている」と書いたとき、その言葉を読むあなたの頭の中で何かが動き始めているのだと考えるべきかもしれない。例えば、今この瞬間、あなた脳内には「この文章を書いた人は何を言いたいんだろう?」という疑問が浮かび、あるいは「まあ、そういう小難しいことを言いたいだけだよね」と呆れた気持ちが湧いたかもしれない。

でも、それもまた一つの接触点だ。私が書いた言葉が、あなた意識に波紋を投げかける。それがポジティブものであれネガティブものであれ、私たちは今この瞬間、物理的には別々の場所にいるにもかかわらず、思考交差点に立っている。これを不思議と思わずして何を不思議と思うだろうか?

ここで気づいてほしいのは、この文章のものが橋のようなものだということだ。私が言葉を選び、それを並べ、送り出す。それを受け取るのは、何千キロ離れたどこかの机の上に座る、見知らぬ誰か。あなた。私がどんな顔でこの言葉を綴っているかあなたは知らない。あなたがどんな顔でこの言葉を読んでいるかを私も知らない。でも、それなのにこの文章あなたの目に届き、私はこうしてあなたに話しかけることができる。

そしてここで、私はある種の実験を試みたいと思う。この文章が、ただの文章のままで終わらずに、私という存在あなたという存在が、少しだけ近づくきっかけになったらどうだろう。例えば、あなたがこの文章を読んでいるときに、なんとなく「書いているこの人、なんだかしつこいな」とか「もう少し簡潔に言えないのか」と思ったならば、それはすでに私があなたの中に存在しているという証拠だ。言葉を通じて、私の思考あなたの中に入り込んでいるのだから

もちろん、私はあなたの顔を知らないし、声を聞いたこともない。あなたコーヒーを飲みながらこれを読んでいるのか、満員電車スマートフォンを覗き込んでいるのか、それとも仕事の合間にひっそりと目を通しているのかもわからない。でも、どんな状況であれ、あなたがこの文章を読んでいる今、私たち出会っている。あなたの目がこの文章を追い、あなたの脳がその意味解釈する。それは、私の言葉あなたに届くことで初めて成立する行為だ。

ただ、それを言葉で「つながっている」と表現すると、どうしても味気ない感じがしてしまう。だからこそ、この文章を書いている私が、あなたの中に何かしらのイメージを植えつけたい。例えば、私が今、画面越しに手を伸ばし、あなたの目の前に現れているとしたらどうだろう。いやいや、そんなのはただの妄想だと思うかもしれない。でも、その妄想の中で、私とあなたが初めて握手を交わしたとしたら、それはただの文章を超えた「出会い」だと言えるのではないだろうか。

──だからこそ、ここで握手をしよう。

これを読んでいる「増田」という名のあなたに。

読者として、いや、このメタの一部として。

ありがとう。そして、また。

どうか健やかに

密着ブルマについて思ったことをつれづれと

自分は男。小学校の途中でブルマからハーフパンツに切り替わった。その当時の、うっすらとした記憶の前提。

togettorで https://togetter.com/li/2467625 が盛り上がってるけど、基本的に「今の価値観過去価値観攻撃するのは控えるべき。

するなら、せめて当時の価値観で」派なので、あんまり名前を出して、この場に参戦したくないので、増田で細々と書く。

歴史研究した訳では無いけど、ネットに転がるブルマ研究者の資料を流し読みした感じ、以下みたいに自分は思ってる。

自分の低学年の時の記憶はほぼ無いが、小学校高学年の時に低学年がスカート運動して中が見えるのに抵抗が無かったような記憶があることから

兵庫知事選の話で案の定Z世代(笑)文句言われてるけど、Z世代パワハラ的な視点で見ると全員どんぐりの背比べである

全員40代後半以上じゃ現代的な倫理観なんて誰にも望まない 課長以上クラスのオジオバが今さらまともになることなんて期待しない しか政治家になりたがる人なんてね 素行はどうでもいいと思うのもわかるわ

anond:20241118193829

>じゃあ不倫に対して各インフルエンサーが何も言えなかったのはなぜかと言えばそんなの簡単で、ある意味現代価値観から言えば不倫と今回の問題は『関連がない』と非常に訓練された目で見てしまうからだろうね。増田が言う通り、他の有権者から見れば十分に着目するべき視点だったにもかかわらず、それについて調べるということが『関連がなく』『問題本質から逸れていて』『価値観として言及するべきでない』という価値判断から、触れることができなかった。価値観的にはそこを突けるのは一種バグ技というか、リベラルが負け続けているのもだいたいこのあたりの脆弱性理由だと思う。

誰かも言ってたけど、例えば草津の件。

「たとえ新井元町議が大うそつきのエセ被害者だったとしても、議会における野次をもってセカンドレイプ認定することは正しい」みたいなロジックあるじゃん

政治的には正しいロジックなんだけど、世間一般直感からすると、まあ通じない、伝わらないよね。

果たしてこの場合アップデートされてない野蛮な愚民が悪いと言っちゃっていいのか?そこから考え直した方がいいのかもしれない。

高潔バラモン掟を教条化して人間お気持ちに寄り添わなくなったら、まあ普通アメリカみたいになるんだよ。

テレビワイドショーを楽しんでいる

しばらくテレビ見てなかったんだけど、一周回って楽しめるようになってきた

あーまたやってんなー視点

すぐ飽きると思うけど

報道じゃなくてショーなんだから

中立公平を装ってないで、もっと派手に偏向してくれれば

視聴率取れると思うんだけどな

2024-11-18

anond:20241118200735

テレビニュースや、はてなブックマークパニックになってるのは正にそれが原因だと思いますよ。

何が何でも究明して誤解があるなら解かないと、ポリコレどころか若者モラル全体が死んでしまう。

何を考えて選んだのか、その事情を知らない県外の一般人視点では。

パワハラ自殺に追い込んでも、特に気にしない(容認する)県 ”

県外にとっては「パワハラ自殺気にしない県」というメッセージ

何を考えて選んだのか、その事情を知らない県外の一般人視点では。

パワハラ自殺に追い込んでも、特に気にしない(容認する)県 ”

…そんな県が生まれたというメッセージ性を感じてしまうと思うんだが。

日本地図都道府県の一部が黒く塗りつぶされたようなイメージ

anond:20241118120334

 概ね増田意見に相違はない気がする。

 その上で何点か諦観を込めて補足したい。

 ここでは増田の言う局長不倫に対して立花反論できていないという指摘は、若干ズレている気がするが結論は間違っていないと思う。

 具体的には、そもそもこの百条委員会において最初パソコンの中身を示させようとしていたとされるのは斎藤知事側だったはずで、結果として不倫が原因で自死を選んだとすれば、その流れはどちらかと言えば不倫百条委員会で示させようとしたことそれ自体で、その流れはパワハラが原因であるというよりは、パワハラの内容を告発しようとした結果その不倫の内容を明らかにさせられそうになったことが理由である、という流れになるような気がする。

 とはいえ、じゃあ不倫に対して各インフルエンサーが何も言えなかったのはなぜかと言えばそんなの簡単で、ある意味現代価値観から言えば不倫と今回の問題は『関連がない』と非常に訓練された目で見てしまうからだろうね。増田が言う通り、他の有権者から見れば十分に着目するべき視点だったにもかかわらず、それについて調べるということが『関連がなく』『問題本質から逸れていて』『価値観として言及するべきでない』という価値判断から、触れることができなかった。価値観的にはそこを突けるのは一種バグ技というか、リベラルが負け続けているのもだいたいこのあたりの脆弱性理由だと思う。

 まぁ今回の場合リベラルがどう、とかいう話は若干ズレちゃってて(実際不信任決議は全員からされてるし、普通に古巣自民維新とかからも責められてる訳で)、本質マスコミ問題だよね。

 左派リベラルとか、既得権益かいろいろな呼ばれ方をして結局対抗馬が錯綜していた中で、誰が間違いなく愚かな味方だったのかと言えばまずはマスコミだったろうと思う。

 公益通報にかかる部分とか(これも厳密には責めきれない要素があるということは3月ごろから言われていたが)については、後援していた維新側の橋下氏さえ否定継続している。

 にも関わらず、明らかに根拠不足な、少なくとも不信任決議に至るレベルとまで言えるかは疑義の残るパワハラなどの、いわば耳目を集めやす話題に逃げて、ワイワイと騒ぎ倒した。

 これはもう、ずっと前から言われ続けてきた問題点だったんだけど、今回はそれに相対することが出来るまでに育っていたソーシャルメディアがあり、そしてそれに相対してしまうまでに弱っていた既存メディアがあった。

 この騒ぎと力関係が、立花氏がナラティブを見出す絶好の土壌に成り果てた訳で。

 んで、増田も認めている(と判断させていただくが)『B.そんな斎藤知事が気に食わない勢力県庁内外におり、問題のK局長斎藤知事の悪い情報を収拾し、怪文書メディアに発信した。 』という点は、ナラティブとして見た場合かなり重要度が高い要素で、実際中田敦彦氏の動画なんかは結構再生されてる様子だし。また、ここを着目して陰謀論であるという主張をする人たちもやはりいるし、この言及理由に色々と起きてるよね。

 これなんか、もうXとか大騒ぎで、立花氏を心から応援しているポストが溢れかえってる。結構ナラティブとして、クーデターだったっていう組み立てって筋を通すためにめちゃくちゃ重要だったと思うんだ。

 でも、それを招いたのはマスコミの愚かさだからなぁ。マスコミ意図的にやったとは思ってないし思うべきでもないというか、ハンロンの剃刀というか。

 ある程度リテラシーがある場合、その愚かさの中からある程度の情報を取捨選択しつつ判断を下すわけだけど、それなら別にソーシャルメディアからそれを行ったことも十分考えられるだろう、という話は全くその通り。結局のところエコーチェンバーというか。

 一概に立花氏を悪魔化したり、兵庫県民を愚民であると言ったり、それこそ『民主主義の敗北』だなんて喧伝するのは、本当にそちらのほうが愚かだよね。

 まぁ、これからどれくらい立花氏が躍進するかどうかはちゃんと見ておかないといけないんじゃないかとは思うけど、でももし本当にこのBすら事実だったらどうしようかな、って感じちゃうくらいには、世の中の風向きが変わってしまったなとは思うよ。

 あああと、多分もう地方自治体公益通報制度はそうそ機能しねえだろうなって諦観もあるか。

そもそもマスメディア手法卑怯であるという点は抑えないといけない

別に斎藤擁護するわけじゃないんだけど。

当初の公益通報が適正に処理されなかったのでは?という話からことが大きくなっていったと思うんだけど、本当はそれは適正な手続きに沿って是正を進めないといけない。

でもマスメディアが直接関連の無い内部情報勝手リーしまくって社会的リンチしたわけだけど、そんなことやったら相手側も卑怯な手で対抗する以外ないじゃん。

どうも、自分たち正義であると言う視点に立ちすぎて、どんな手法も適正であると思ってるのかもしれんが、正義からって何やったっていいわけじゃねぇんだぞ。

anond:20241118092831

デマとか何とか関係なく、1000億の隈研吾事務所設計県庁立て直しの白紙化とか天下り廃止とか、斎藤さんの今までの政策評価されただけでは?

そういう視点が全く無くて、デマに踊らされてるという思い込み先入観妄想しちゃってる人が多いなぁという印象

遅いブコメの肝は、「あ~それはある」

ブコメスターを多く集めるコツは早めのブクマ陳腐正論を書くことだが、

出遅れブクマでもそれなりにスターを集め、うまくすれば人気ランク入りまで狙える方法がある。

読んだ人が「あ~それはある」と思えるコメントを書くことだ。

では、「あ~それはある」と思わせるのはどんなコメントか。

出遅れたからにはブコメ欄全体にはすでに世論のようなものができあがっている。

表現を変えてそれに乗っかるだけではその他大勢に過ぎず、埋没してしまう。

かといって逆張りよろしくない。天邪鬼に見えてしまうし、そもそも共感する人が少ない。

コツは、新しい視点提供することだ。

一面的になっているブクマ世論も含めてテーマ概観し、それとは違った角度から見るのだ。

そして、奇をてらわずに「もちろんみんなわかってることだろうけど」くらいの温度感ですっと置く。

それには語尾を「~だものね」とか「~するしね」とかにするのが効果的だ。

きみもわかっていただろう?という体にするのだ。

すると共感へのハードルが下がり、「言われてみればたしかにそれもあるね」と思わせることができる。

簡単だろう?

もちろんそのコメントは、ちゃんテーマの芯を食っていて、かつ議論の流れに一石を投じるくらいの鋭さと説得力必要であることは言うまでもない。

anond:20241118161249

しろ生理があるからこそ、色んな視点社会を観ることが出来るので、

重要決断を任せるべきでは。

anond:20241118132134

長文ですが、露悪的な内容が多く、読む側に『結局何を伝えたいのか?』という疑問を抱かせますね。

直接的な暴力ではなく間接的な方法相手ダメージを与えることを楽しんでいるという主張が目立ちますが、目的や意義が見えず、ただ不快感を煽るだけの文章になっている印象です。

行動の結果を誇示する一方で、それがどのように職場改善個人の成長につながるかなどの視点が完全に欠けているため、単に自己満足に過ぎないと感じました。

経済理論多様性適用範囲

経済理論妥当性を議論する際、多くの場合特定理論が想定する前提条件が、ある国の経済状況に適合するかどうかという問題帰着する。

例えば、新古典派経済学説明力は、特定の条件下でのみ発揮される。

この認識は、経済理論に関する投稿への反論検証する過程で、教科書学術論文記事を精査することで得られる。

経済理論多様性適用範囲

経済学には、リフレ派やMMT派のような一部の「間違った」モデル例外を除き、多様な「正しい」モデル存在する。

これらのモデルは、それぞれ異なる経済状況や前提条件に基づいて構築されており、特定の状況下での経済現象説明するのに適している。

この事実に直面することで、経済理論の複雑さと自身知識限界認識できる。

デフレインフレ論争の本質

デフレインフレの良し悪し論」も同様の文脈理解する必要がある。

デフレが有利になる経済主体がいる一方で、インフレから利益を得る主体存在する。

このような状況下では、個別立場から自分に有利だからこうすべき」と主張しても、単なる多数決論理に陥ってしまう。

マクロ視点重要

したがって、このような問題に対しては、日本全体の利益という観点から分析を行うことが不可欠だ。

マクロ経済的な視点を持つことで、個別の利害を超えた、より包括的政策判断可能になる。

ただし、パレート最適性や功利主義を持ち出すことには一定の注意が必要である

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