はてなキーワード: 視点とは
これを書いている増田はいわゆる文系の究をしていて、論文を書くために大量の文書記録を書いて集めてとっておく必要があるので、メモアプリの勧め合いを興味深く読んだ。
読むうちに、ちょっと自分のニーズとは違うかな、自分にとって重要な視点が欠けているなと思ったので、書いておく。
まず自分の場合は、Zoteroで文献情報は管理し、メモはWordファイル(docx)に書きなぐり、すべてOneDriveと外付けのハードドライブ、USBメモリに置いてある。それだけだ。Obsidianを含めていろいろなアプリを試しても、結局この原始的な方法に戻ってきてしまう。
その理由は、
1. Word形式のファイルはたぶん50年後も開くことができる
3. 雑に使える
文書記録があとで参照できることは、研究をしているとめちゃくちゃ大事だ。文書記録から引用の出典にさかのぼって、自分が剽窃をしていないことをいつなんどきでも証明できなくてはいけないからだ。
記録に使っている文書が特定のハードウェアとソフトウェアに紐付けられていて、それらの保守ができなくなり、ファイルが開けなくなると、詰む。
たとえMicrosoftという会社がこの世から消えても、Word形式のファイルは基本的にXMLファイルにすぎないので、いろいろなアプリから開けるし、たぶん50年後もそうである確率が高いと思った。
今あるサービスがこれからもある保証はない。Google Keepだろうと、OneNoteだろうと、iOSのメモだろうと、サ終で終わりだ。ファイルがエクスポートできるかどうかとこれは別の話だ。
他人の都合(サ終)で引っ越すのは面倒くさい。
今無料のものがこれからも無料である保証はない。カネをよこせ(有料化)、もっとカネをよこせ(値上げ)とせまってくる、よくわからない他人の相手はしたくない。
だから特定のアプリやプラットフォームに依存しない文書記録のとり方にしている。利用環境によってLibreOfficeやMicrosoft 365でWordファイルを編集しているが、どれかが使えなくなったらまた別のアプリでやるだけだ。
Markdownは便利なこともあるけれど、あまり直感的だと思わない。
もっと素早く、でも細かいコントロールを効かせて、文字の大きさや色や背景色を変えて、画像のリンク挿入とかを考えずにそのままベタベタ貼りたい。ふせんとか図形も入れたい。
プレーンテキストに近いファイル形式では、このニーズを満たせなかった。
そんなことはしなくても、過去に書いたものを探したいと思ったら、OSのファイルエクスプローラーでWordファイルを突っ込んであるフォルダ内を検索すれば、だいたいなんとかなると気づいた。
あと、Word形式で文書を持っておけば、文献管理アプリ(zotero/mendeley)からWord/LibreOffice/Google Docs経由で文献へのcitationが一発で入れられることも地味に大きいかもしれない。メモアプリだと無理なので。
女性の地位の向上を主張しているけれど、何故女性の地位を向上させる必要があるのかについて論理的に説明できている人が居ないなとは思う。
機会損失を解消することにより労働生産性を高めることができるとか、人民の反乱のリスクを減らすことができるとかだと俺は思うんだけど、そういった視点から議論している人が殆ど居ないのが不思議で仕方がない。
おれがガンダムシリーズみたの高校生からだから小学生視点だとどうなるかは分からんなぁ。
しかし「かっこよく見える」から「戦争を賛美」まで飛躍するのはおかしくないか?
その理屈だとルパン三世は「犯罪を奨励」アンパンマンや仮面ライダーは「暴力賛美」になっちゃうし、戦う系のフィクションは全部そういう感じの難癖付けれちゃうじゃん。
https://anond.hatelabo.jp/20230609152944
バレバレなのに自覚がなくて下品な愉悦でニタついてるマヌケなおばさんのためにどれぐらいバレバレなのか解説してあげるエントリです
■こんなところでしか書けないんだけど
キッショ
また友人のほうが旦那よりも収入があるんだけど、旦那が聞く限りアダルトチルドレンぽくて何度も友人と揉めてるし(離婚してないからいいところもたくさんあるんだろうとは思うけど)、
キッショ
大変だなあって思ってたんだけどなんか知らない間に二人目を作ってて、ものすごくびっくりしたっていうかなんというか、子供が大好きという理由だけでは到底納得できないんだけど
キッッッショ!!!!!
そんなもん身体障害の子供を将来面倒見させるために決まっとるやん
そしてお前も絶対それわかっとるやん
「給与高い友人(ほんとに友人か?)が自分より給与低い旦那捕まえてシンショー産んで愚痴だらけトラブルだらけなのに2人目産んではるわーなんでだかわからんわー(ニチャチャチャチャチャ)」
てやってるだけやん。
それで言質とられないようにばれないようにやってるつもりなわけ?
お前こそ頭に障害あるやん。
給与高い友人(とは思えないんだが)がいろいろ苦労してるのをSNSで監視しながら愉悦しとるだけやん
でもその性根はもう直らないのだろうから
生意気に食い下がらないでこれぐらい素直に聞けこのウンコ人間が
私の想像力が足りないのだろうか
この文章は24卒の文学部に所属している私が書いたもので、同じ文学部の人たちや学部を悩んでいる高校生、その親御さんとかに向けて書いているつもりです。キャッチーなタイトルにはなっていますが私は文学部が好きだしここで勉強できて良かったなと思っています。主に文学部での大学生活と就職活動について正直に書いていきます。進路選びの参考にしてください。構成を決めず、思ったことの羅列なので読みにくかもしれません、すみません。読んでいるうちに私の所属にピンとくる方がいるかもしれません。その時はおすすめの東京のご飯を教えてください。
24卒私文。都内近郊生まれ都内近郊育ち、中高一貫からMARCHへ。やや厳格な家庭だが進路や普段の学習・成績ついて厳しくは言ってこない環境で育つ。
サークルなし、体育会なし、大学に友達(と呼べる関係の人)マジでゼロ、長期インターンなし、普通のバイトと特殊なバイト
一言でいうと文学部はおすすめしません。やめておきましょう。なぜなら文学部の授業で聞くことは基本的にやる気があれば調べたり本を読んだりすることでみにつけることができるからです。特に国文系や史学系は新しい事実が追加されることがあまりなく、すでに体系化されたものをその科目のオタクの先生が楽しい感じでおしゃべりしてくれるだけだからです。要するにうんちくマンにはなれますがご飯を食べていくための能力は授業だけでは身につかないかなと通って思いました。いつか忘れましたが阪大の文学部(?)の卒業式で部長っぽい人が言っていた「文学部の学びは金にならないけど人生の節目節目で生きてくる」(意訳、ググって読んでください。これを読んでいる人には刺さると思います)の通りだなと思います。うんちく(笑)がたくさんあるに越したことはありません。けれど考えてみてください。あなたが面接官だとして、マーケティングを学んできて神話や文学の知識にも明るい商学部の人とレポートの文字数を稼ぐのが異様に得意で国生み神話を事細かに話せる文学部ではどちらの方が欲しいですか?(泣)私はこのことに大学4年の春に気づきました。「イザナミとイザナギが空からぐちゃぐちゃにかき回したらできた島が淡路島なんですよ〜!」っていう知識が会社で顧客の獲得に大きく貢献するでしょうか(涙)。あなたの文学部での研究が面接官にまったく刺さらなかったらどうでしょうか(涙)。私は広告に関する卒論を書いていますがマーケ的な視点ではなくシンプルに趣味で調べましたみたいな内容なので全然ウケないです!
なので今進路に迷っている高校生はよっぽどの確固たる動機がない限りは文学部を選ばない方がいいと思います。理由は①やる気さえあれば本やネットで十分に学習できる、②会社で直接役に立てる知識が身につきにくいからです。数学ができるなら商学部や経済学部、そうじゃなくても文学部以外だったら基本的に会社の仕事に直結できるようなスキルが身につきやすいのではないでしょうか、知らんけど。たとえば法学部とかだったら薬の会社の法務職とか、マーケ勉強してたらマーケターの採用もあるので学びと結びつけやすそうだなと就活して思いました。
では私には確固たる動機があったのでしょうか。ありました。高校生時代のある経験から「広告をつくりたい」という強い思いができたこと、その経験から文学部で勉強するという動機がうまれ進学を決意したのです。今思うと大学入学時にすでになんとなく行きたい業界(広告)が決まっていて、かつ広告に関係することで卒業論文を書こうと決めていたのでなんとか納得のできる就活ができたのかな、と思います。結果として行きたい業界で満足できる会社の内定をいただけました。ふわふわした感じで「歴史が得意だから」「源氏物語が好きだから」「神話をもっと詳しく知りたい」みたいな趣味ベースで行ったら苦労すると思います。その好きや趣味の先に「こういう仕事、業界で働きたいから文学部で〇〇を勉強するんだ」というビジョンがない限りは文学部は選ばない方がいいと思います、マジで。文学部で就活に成功するのは基本スポ薦でゴリゴリ体育会ウェイか授業最低限で長期インターンハマり奴か公務員になろうという意思を持って1年から公務員就職に関する勉強や情報収集をしている奴です。何も考えずに大手受けても普通に落ちます(笑)パンフレットに載っている大手や勝者で活躍している先輩の紹介はマジのマジで一握りです。各大学が出している学部別の「就職先企業データ」をみましょう。何も考えず王手を受けるのはMARCHの文学部では心もとなさすぎます。運動部全国大会系ガクチカ、長期インターンガクチカなどが作れない(作る気ない)けど文学部で趣味の延長線上みたいなことがしたいならとにかく上位の文学部に入りましょう。
教員志望は学芸大学とか早稲田の教育とかとりあえず知名度とか偏差値の高いところに行くべきだと思います。理由は周りの(っていっても友達がいないので雰囲気でだが)教職履修者は大体途中で履修をやめているからです。文学部というのはおそらくどこの大学も専攻がわかれていて、国文とか史学とか色々あってそれらの必修をなんとなくとっていれば教員免許に必要な選択単位が自動で取れるのですが教職のための科目を取らなければいけません。教職科目は履修人数が多くてテストありきで(レポートや出席点がない)落とす可能性があったり、土曜だとか平日の遅い時間か1限に授業が入っていて「とりあえずとっとくか〜」のノリでとった人は大体やめます。教職は保険代とかであまり課金せずに取れる資格課程なので辞めるのもハードルが低いのでしょうね。教職履修者で残るのはマジの教員志望と親が教員でとりあえず受け続けている真面目なやつくらいです。なので「1年の時は教員になろうと思っていたけれど3年になってやっぱ一般企業にしよ」とか言う人も多いと思います。なので高偏差値の教育学部に行っておけば教員という道をやめても就活市場で戦える可能性が高くなるのではないかと思いました。
ここまでできれば文学部はやめとけの路線で行きましたが、文学部でできること(いいところ)をいくつか挙げておきます。
文学部は経済や法と違って知識の定着を問う試験はあまりありません。(もちろん試験ある科目も一定数ある)基本的に14回分の授業を通して考えたことやそこから発展して自分で決めたテーマに沿ってレポート(最低2000字くらい)を書くことのほうが多いです。文学部はどちらかというと知識や体系を詰め込むところではなく「ここまで色々話してきたけどじゃあ貴方はどう思うの?」と問われることが多いところなのかなと思います。文学部に入学するということは基本的に中高時代に作文などで苦労したことが少ない人が多いと思うので元からある程度の作文スキルがあるでしょうがそれがより強くなります。難解な表現やカタカナ語を駆使して中身がないのに文字数のある文章を書けるようになったり、参考文献を読む機会が多いので要約する力や全然関係ない学部の他校の友達のレポート代筆ができるようになります。多分3年生くらいになると最低2000文字のレポートを課されても「ツイート15個分カァ」くらいになると思います。授業の感想を毎週数百文字で求められる授業も多いので文字数を稼ぐ文章力や考えを整理する力、あとはブラインドタッチができるようになります。(逆にこの力を4年かけて400万で欲しいですか?笑)
②ずっと日本史とか世界史の教科書の端っこのコラムみたいな話が聞ける。
文字の通りです。その分野のオタクの先生がコラムみたいな話を100分盛りだくさんで話してくれます。考えてもみてください、文系(人文社会学)で院行くだけでもかなりのキテレツなのにそこから大学教員で研究者になるってよっぽどの厄介オタクですよね。先生に質問とかすると基本ニコニコされるし気に入られます。中高の頃先生と仲良くなるのが得意だった人(仲良くなりやすい人)は中高の延長線上みたいな授業になるのではないでしょうか。
③一般教養科目がめちゃくちゃある。
どこの大学の文学部でも大体当てはまると思います。専攻や専門以外の文学部の授業がたくさん取れます。国文系でも哲学や歴史、心理、宗教など幅広く授業をとることができるので(めちゃくちゃ偏見だけど)楽単度合いで選ぶよりも内容で取りやすい、しかも大体が出席とレポートで簡単に単位が取れるのでおすすめです。あそ文学部の所以ではないでしょうか。
パッと思いついたのはこれくらいです。基本的に高校時代までの趣味嗜好がそのまま勉強になるみたいな感じなので授業そのものは満足できると思います。
就活について
就活は広告、テレビ、出版、映像などクリエイティブ系を見てました。また好きな商品やサービスを宣伝するのも楽しそうだという思いからメーカーもいくつか受けました。メーカーは全て「ES落ち」でした(笑)。保険などの無形商材と不動産と金融、コンサルなどは「私如きが人様の人生に口出しできない」という思いとウェイ系が多そうということで受けませんでした。文学部は大学によっては教員・公務員志望がほとんどで大3の夏になってもサマーインターンの話が全く出ないみたいなこともザラなので仲間が欲しいとかなら他のコミュニティに入るか文学部はやめましょう。就活を始めたのは大学3年生の春で、といっても春は片っ端から興味のある会社のマイページを作って本格的にやっていたのはサマーインターンの応募からでした。ちなみによくtwitterとかでみるサマーインターン経由の優遇・内定を勝ち取れるのはごくごく一部です。期待するのはやめましょう。また、twitterでゴリゴリサマーインターンを勝ち取った報告をする人がいますが病む必要はありません。意識が高いからtwitterをしているのです。いい結果の時しか呟かないでしょうし、心配する必要はありません。夏インターンに参加できたのはテレビ局(単日開催→上級参加)と誰でも参加できるキモいベンチャーのふたつだけでした。キー局と電博、読広、D2C、NTTとかの大手をミーハーで出してました。インターン参加しなくても本選考が始まると説明会や座談会がたくさん組まれるので大丈夫ではあると思います。20社参加した!とかいうのもあまり気にしないようにしましょう。
私が就活を終えたのは6月に入ってからでした。ありがちな秋〜冬の大手に落ちまくってバリ病んでいたところ、たまたま行きたい度が高かった会社の選考がとんとん拍子で進んで内定をいただくことができました。大手だけ見るのはマジで精神を病みます。行きたい業界の大手と業界10位以内くらいまでの会社をとりあえず出して、あとは駒を増やすために逆オファーサイト(オファーボックス、ABABA、ネオキャリアなどなど)を登録するといいと思います。逆オファーは有名な(かつブラックである)飲食チェーンとレバや某ハウスみたいなウェイベンチャーと零細意識他界ベンチャーしかないので、逆オファーサービスメインでの就活はやめましょう。
あとは話せる人がいるって大切だなと思いました。学校の環境が就活モード低そうであれば夏秋冬のインターンに参加して居合わせた学生とインスタなり交換して情報交換できるようにしましょう。私は大学での友達がマジのガチのゼロでしたが夏インターンで出会った子と励ましあったり情報共有をしたりしていてメンタルが保てました。有名かつ人気の企業のインターンに「選抜」されているということはそれだけである程度優秀なのでぜひそこの繋がりも意識してみてください。大学が違う方が僻んだり妬んだりしないのでなるべく違う環境で生きている子の方が精神が安定するしモチベも保ちやすいです。
ESや面接のガクチカは特殊なバイトをしていたことと特殊なゼミに入っていたこと、地元でのボランティアでの活動を出す会社によって分けていました。これらの活動をしていたのはサークルなどに入っていなかったのでガクチカ代わりになると思ってやっていました。ゼミの方は結構ウケて、特殊なバイトの方は広告・エンタメ系ではウケました。結果として行く会社に内定をいただけたのは特殊なバイトを面白がってくれたからだと思っています。文学部の人は学部に華がないので大学+自分にしかできないような経験が必要じゃないかなと思います。商とか経はよくゼミ大会とかゼミでコンペに出すこともあるのでゼミがガクチカになりうると思いますが自分の趣味を発展させただけの文学部でのゼミの活動は「で、なんか役に立った?(笑)」になってしまいがちです。クリエイティブ系を目指すのであれば変なバイト、特殊なバイトをしましょう。特殊なバイトというのはタピオカ屋やスタバ、高級焼肉などある程度のハードルが必要な飲食もいいですがライター、特殊清掃、ラブホ、街ゆく人の数数えるなど人とのコミュニケーションや人間観察ができる、価値観に影響しそうな仕事を選ぶといいと思います。私は上に書いたようなバイトを経験しました。話すと結構興味を持ってもらえました。SNS運用インターンもいいですが、特殊な経験をうまく話したり表現することができると食いついてくれる(おもしれ〜女・男認定される)のではないかと思います。
ガクチカについては「これまでの学生時代」や「いつでもいい」などがない限りは基本大学での活動にしていました。高校時代のを話すときは文化祭でのリーダー経験でした。ガクチカを「作る」のはお勧めしません。せめて経験を「盛る」くらいにしておきましょう。周りの話や感覚としては「サークル活動」は弱いです。圧倒的に「体育会」が強くて次点で「長期インターン」です。行きたい業界に関連した会社のインターンがおすすめです。おそらくその長期インターンはベンチャーが多いと思いますが間違えてもそのベンチャーに魅せられて就職したりベンチャーで就職するのはやめましょう。
個人的ヤバい(ヤバそう)会社の見分け方は①20代で人事、②HPや会社説明文をみて一発で何をしている会社かわからない(成長・やりがい・仲間みたいな単語で内容が薄い)のは要注意です。特に①で外したことはないです。(D◯M、〇―〇〇〇〇〇、すか〇〇―◯など飲食全般)ベンチャーはベンチャーでも出資元が老舗企業だったりキャリアのある中途が多い人は結構印象よかったです。(タクシー配車アプリの会社とか)
最後に
ここまで読んでいただきありがとうございました。文学部の受験を考えていた方は考え直してくれたでしょうか。推薦で文学部を考えている人も私の文学部での生活をぜひ参考にして自分でもイメージしてみてください。教員や公務員志望の方は文学部でいいと思います。結局文学部だけに限らずどこでも大学では「自分の意思」が非常に大切です。周りに合わせていたら詰みます。一緒に行動している友人が就活を始めるのが4年の4月だったらあなたもそうしますか?面白くなさそうだけど友達がとるからその授業をとりますか?ぜひ自分の意思で行動してみてくださいね。
文学部に行きたいと思っている後輩へ
考え直してみましょう。〇〇について詳しく知りたいな〜くらいの動機だけじゃないですか?大学の文学部ではその〇〇を知った上で何か新しい視点をみつけなければいけません。自称進に通うあなた、先生に穴場学部として文学部を勧められていませんか?早慶くらいならまあいいかもしれませんがMARCH以下ならやめておきましょう。MARCHで文学部に滑り入るくらいなら勉強して文学部以外に入れる成績に持っていくかランクを落として法学部に入ったほうが就活楽そうに思います。(個人の感想)旧帝以上なら学歴に箔がつくと思うので文学部でもいいと思い Permalink | 記事への反応(27) | 15:34
自分が他人を代表できると思ってる時点で、自他境界が壊れてるのはあなただ。
勝手に苦手を決めつけた上で恥ずかしげも無くそれを見せ付ける、露出狂のごとき邪悪さ。
モラルが苦手な人が、他人の立場で物事を考えろ? 笑ってしまうよ鏡見ろ。
ひょっとして、わざと痛々しい道化を演じて笑いを取ってるのか?
実際怖いなとは思うことはある地元民です。自転車も車も運転します。
あの記事( https://roadbike-navi.xyz/archives/40429/ と https://roadbike-navi.xyz/archives/38623/ )は駐車している車のドア開けと直前横断だけにフォーカスしてたけど、3者の視点それぞれで見て困ることがあるなと思っています。ブクマでもすでに言及されていて重複するけど、改めて書いてみます。
駐車している車に乗っている人からすると、歩道側が危険であるという認識は薄くなります。車道(ドライバー)側の扉を開ける時は注意するけど、歩道側はドアを固定物にぶつけないように注意するくらいで、あまり確認せずに開けるんじゃないでしょうか。さらに、後部座席から歩道側に降りる人は、子供も含めて運転しない方も多いはずで、猶更そちらに意識が向きません。当然、歩道側から車に向かうときも同様で、車道横断ほど注意を払わないはずです。ドアを開け放す以外にも、積み込みのためにレーンに立ったり荷物を置いたり、植栽の切れ目に移動するためにレーン内を後方確認せず歩く人もいます。
走行している車からすると、死角が増えます。駐車している車と歩道の間を、ある程度速度を持ったものが走ってくることを想定しない人も多いはず。大きい交差点なら視界が開けることである程度軽減されるものの、脇道への進入時は、歩道より一歩手前で確認する必要があります(イメージ: https://goo.gl/maps/ECFMNGUb3e31CPfr6 )。 正規の駐車枠はそれを意識してか、交差点より手前の設置にとどめているものの、その先に枠外駐車があると死角が強化されます。私有地への入口だとそこまで猶予が設けられていないケース https://goo.gl/maps/VRcCqmZy5BmZtDcS9 があったり 、安全を意図してか駐車枠が設定されていない地点にて地元町内会がレーン外駐車を呼びかける例 https://goo.gl/maps/rnxYjsQCHM6V4fzYA もあったりします。
自転車側から見ると、走行中に右前後方の視野が制限される、右方向への移動(回避行動)が制限されるということが他とは異なります。低速なら大丈夫という声が散見されますが、電動アシストのママチャリで 15km/h で走行してたら、突然のドア開けや横断への対処には急ブレーキしてもギリギリ。夜や雨だとさらに厳しい。また右後方から接近する車・前方から右折しようとしている車が見えないことがあるのはなかなか怖いです。安全に走るなら、前2項の心理を想定して警戒走行し、レーンをふさぐ駐車がある場合は車線に出るか歩道に上がるか総合的に判断することが求められることになります。
何度か通行し、このあたりの特徴と対策を把握できていると、より安全には走れると思います。逃げられるなら避難先としての歩道も比較的広いですし。通勤に使っている方のインプレがさほど悪くないこともそのあたりが理由ではないでしょうか。ただ、各利用者が傾向を把握できないうちは、ヒヤリハットや事故は起きる気がします。他の設置例と比べて、事例が多いか少ないか、事故が起きた際の深刻度がどうか、などについてはわかりません。
「自転車レーン」というものが場所ごとに異なるので、設置個所ごとに異なる対応を求められるのも悩ましいです。ここ以外のパターンを覚えているものからいくつか例示。
https://goo.gl/maps/cxq1SXkFVieCmpqZ6
https://goo.gl/maps/WZjUtdsbD1wN3smz5
https://goo.gl/maps/SDZu8pxvcXV6RJi48
https://goo.gl/maps/ouMPEo1fpnduVDWX9
自転車での通り方が初見殺しである例は、自転車レーン、または都内に限った話ではなく、数多くあります。
二重左折レーンが設置されている場合の安全な直進方法がわからないことが多いとか。安全に右折するなら下車して歩道橋を渡らないとダメだけど、車道から歩道に上がれない構造になっているとか。
以前、自分の働いている業界のネタを増田に書いたら、1000ブックマークを超える反響があった。
何年か前に半導体業界に興味を持ってる友人と個人的にやり取りをしていたら、業界ネタを意外に面白がってもらえたので興味本位で増田に書いてみたのがきっかけだ。
https://anond.hatelabo.jp/20200813115920
ブコメやTwitterで言及している人の反応が気になって、ちょいちょい増田で業界ネタを書くようになった。
反応を読んでると、この人は本職の人だなとか、知ったかぶりしてるだけだなとか、そんな視点があったのかとか、いろいろ発見があって中毒的なハマり方をして、気づけば第2弾、第3弾と投稿した。
https://anond.hatelabo.jp/20200813164528
https://anond.hatelabo.jp/20201219004424
何回か投稿したら新鮮味が無くなってきたのか、そこそこ気合入れて書いたのに全然反響のない記事もあった。
https://anond.hatelabo.jp/20210311005848
■ 政府の成長戦略会議で半導体が取り上げられたようだがダメダメな件
https://anond.hatelabo.jp/20210414092457
みんな飽きてきたんだろうなと思ってたのだが、最近の半導体業界の変化が激しくなってきたので情勢をアップデートしたくなった。
https://anond.hatelabo.jp/20230602020358
久しぶりに気合を入れて書いたら1000ブクマ越えの反響で、いろんな反応が読めて面白かったんだけど、今回はいつもと雰囲気が変わった感を感じた。
なんていうのかな、半導体産業の注目度が一般層に広がった感がある。昔はうんちく披露だったり、マウントだったり、業界への知的好奇心的から来る人が大半だった気がするのだけど、普通っぽい人がニュースでよくやってるから気になってブクマ的な流れで、見に来る層が以前と違うというか。
あとは投資ネタというか、半導体業界にお金のにおいを感じている人もチラホラ出てきたようにも思う。最近よく聞くようになった言葉で、『半導体人材』なる言葉あるよね?(昔はこんな言い回しせずに単に半導体技術者としか言ってなかったような)
なんていうか『プログラミングスクールでIT人材育成』的な言葉の響きを感じて、このまま数年間半導体ブームが続いたら、半導体スクールみたいなの作られそうだよなとか思ってしまった。
まあ、何を教育するんだろうというのはあるけども。
大変な状況だと伺いますが、無理に自己のキャリアプランを決定しようとすると、逆にストレスを感じることがあります。どうすれば良いか、具体的な提案をする前に、まずは心の状態から考えてみたいと思います。
鬱気味とお感じの場合、まずは心の健康を優先してください。社内カウンセラーや外部の専門家、信頼できる友人や家族などと話すことで、現状のストレスを少しでも軽減できることがあります。その上で、少しずつ自分のキャリアについて考えていくことが大切です。
その上で、キャリアプランについて具体的に考えるためには、以下のような視点が役立つかもしれません:
現在の業務について:現在の仕事の中で、何が得意で、何が好きなのか、逆に苦手で嫌いなものは何か、考えてみてください。これは、あなたが自分の能力をどう評価しているか、そして何を楽しむかについてのヒントを与えてくれます。
将来の業務について:必ずしも具体的な目標を設定する必要はありませんが、将来、どのような業務を行いたいと思いますか? これは、仕事に対する希望や志向を示しています。
キャリアの可能性:キャリアの幅は広く、自分が適性を持っていると感じる分野へ進むことも可能です。また、業務の中で新たな興味を持ったこと、学びたいことなども含めて考えてみてください。
ライフワークバランス:仕事だけでなく、プライベートの時間や趣味、家庭とのバランスも考慮に入れると良いでしょう。自分のライフスタイルに合わせたキャリアプランを考えることができます。
上記のような視点を持つことで、あなた自身のキャリアについて少し考えやすくなるかもしれません。
また、会社のアンケートの回答として「現状の業務に集中したい」や「自己の健康管理を優先したい」などの意見も有効です。その意見が受け入れられる企業文化がある場合、あなたの現状を理解し、サポートするための取り組みを考えてくれるかもしれません。
忘れないでください、キャリアプランはあくまであなた自身のためのもので、自分が心地良く働き続けるための道筋です。他人と比較するのではなく、自分自身の幸福と健康を優先して考えてみてください。
小さい集合住宅がアパートで 大きいのがマンションって認識の人が多いし自分もそうだけど
もしマスディアとかで「マンションで○○」みたいな見出しで書かれた記事があって
載ってるマンションの実物写真が想像より小さくて「アパートっていったほうがよくね?」と思っても
そうはいっても大衆は「小さい集合住宅=アパート 大きい集合住宅=マンション」って認識なんだから
定義上は間違っていなくても納得しにくいし それがノイズに感じる人って多いと思うんだよね
情報をしっかり伝えたいなら そういうところがノイズになってる時点で言葉選びに失敗している
「大衆に向けて情報を発信する(マスメディア)ならば“定義上は間違っていなくても 特定の言葉にあるであろう含意”を考慮する」
でもどの作品でも共感できるわけじゃなく、共感できる、もしくはそれに憧れる、というところからその作品が好きになる。
僕はどの作品を見ても共感できるなあと感じる。もちろんすべての作品とはいわないけど、ほかの人よりも比較的共感しているほうだと自分では思っている。なんとなくそう感じているだけで、実際のところはわからないけどね。
まず共感ってなんだろう。
頑張っているシーンや感動するシーンを見たとき、心の奥底からふつふつと湧いてくる。目の前で焚き火をしたとき顔や首や胸元に感じる熱風みたいにじーんとくる。自分だったらしないことでも、登場人物がなにを見てどう考えるのかを知っていくと、その登場人物を理解できることがあって(理解したっていうのは言い過ぎかな?なんとなくわかる、みたいな)、そいういときはその行動に納得できる。僕の中の共感は、こんな感じで捉えてる。
泣かせにきていると作者の意図を感じたとき、そんなことあるわけないじゃんとチグハグなとき、自分はそうは思わないしなんでそう思ったのか理解できないと感じたとき、こういうことを感じたときに共感できないと思う。
ざっくりまとめると、共感しているときはスーッと作品を受け入れられるときで、共感できないときはその流れを止まってしまったときなんだろう。ほかにも理由は全然あると思うけど、僕のなかでは共感できるできないの判断に大きく関わっている部分なので、まあこんな感じでまとめることにした。
ここでちょっと自分の話をするんだけど、僕は人の話を聞いたときに、いい話でも悪い話でも「へえ、そうなんだ」という感想をもつことが多い。別に興味がないというわけじゃなくて、言葉の意味どおりそうなんだって思っているんだ。そう考えるんだな、そう思ったんだねなるほどと、その言動や感情に興味を持っているんだと思う。
人が変なことをしたとき、それがやばいかったときは「引く、、」っていう言うよね。引いたと思う感情は僕もわかる。けどそれと同時にへえ〜っても思う。だから僕の中では最終的にそれは引いたじゃなくてへえという印象になる。
あとは、表の顔とか裏の顔とか、これも言いたいことはわかるけど、だからなんだ?という感想を抱いてる。だって人って多面的だもん。上司か部下かでも違うし、家族か、恋人か、ネット上の友達なのかとかでも変わる。人によって持っている価値観が違うから、同じ人でも、その人を捉える人によってもその人の印象は変わるし。そもそも相手がどんな人かわかるわけなくない?
んでこの僕の性質?をふまえると、今まで自分が思っていた”共感できる”には2種類あることに気づいた。体の奥底から感情が湧いてくるような共感と、そのシーンをそのまま受け入れられるという共感、この2つがあるということだ。
共感してるつもりになっていた訳なんだけど、そのシーンをそのまま受け入れられるというのは「共感」というのか?もしかして「理解」って言葉のほうが正しいのかな。
こういうこと言っていると、共感しなくてもいいんだよ、と言ってくれる人がいるんじゃないかと思ったんだけどそれは大丈夫。単純に自分のなかの共感ってなんだろうというのを掘り下げてみてるだけで、共感できないのはダメだとか、そういうことはべつに思ってないよ。
ここまで書いていて感じたことがでてきた。書いてみる。
捉える人によって見え方は違ってくる。いまこの文章を書いている僕は僕一人だけだ。でもこれはほんとにそうかな?と。ちょっと前に登場人物を理解するって話をした。その登場人物がなにを見てどう感じたのか、それらを追っていくことでその人を理解できる(ときがある)という話だ。
このとき、僕にその登場人物が憑依しているということになる。すると捉える人は、いま文章を書いている僕じゃなくて、登場人物が憑依した僕、なのではないだろうか。
つまりどちらも僕で、僕の中に2人いるという感じ。ということは、2人の人格を持っている”僕”の視点だと「共感」になる。”いま文章を書いている僕”の視点だと「理解」ってことになるね。
上の方で「自分が思っていた”共感できる”には2種類あることに気づいた」と言った。このときは共感していると思っているけど、その中には、共感じゃなくて「理解」も含まてれているんじゃないかって。けどそこから掘り下げてみたところ、その「理解」も視点によって「共感」とも「理解」とも言えるんだろうなってことがわかった。
ってことでこれで終わりです。ここまで読んでくれてありがとう。
AならばB(犬ならば動物)が成り立つとしても、
BならばA(動物ならば犬)は成り立たない。
先に謝っておくと、実のところこの説明で十分なんだよね。
ごめんね。
ただ、人によっては納得するのが難しい説明だなと思うので、まずはそこの視点について書くね。
AやBに現実の条件を当て込むとミスリードをすることがあるってことなんだよね。
この仮定のみに固執してしまうと、何度説明してもAは真と言えるのだから答えはYesになってしまうんだよね。
考え方としては
・「AならばB」、BのときAが真になるケース
・「AならばB」、BのときAが偽になるケース
真になる場合もあるし、偽になる場合もあるなら、Aが真であるとは言えないよね。
どうかな??
だから何ってことでもないんだけど、同じ体験している人が周りにいないので誰かいないかな。
30過ぎたおじさんだけど、高校生ぐらいの頃から「夢の中で起きる夢」あるいは「夢の中で寝ている夢」をよく見る。
例えばベッドで眠りに着いたとする。すると朝になってそこから起きるという「夢」を見る。
夢が始まった直後、夢の中の自分はそれが夢だと気付かずに1階のリビングに降りていくんだけど、気がつくとまたベッドに戻っている。そこからまた起きて、リビングに降りていって……を繰り返す。
しばらくすると「これ、夢じゃん」と夢の中で気づく。が、そこから抜け出すのが大変。夢の中なのに、むしろ夢の中だからなのか、とにかく眠気がすごい。
夢の中の自分はその眠気に打ち勝ってベッドから起き上がったのに「それは実は夢でした」状態、そしてまたベッドに戻っている。絶望。
フェイク(夢の中)の眠気を打ち破って、本当の(現実世界でまだ寝ている自分)の眠気を打ち破らないと起きることができない。
さらに例えば会社。会社の自席で昼休みに軽く眠った時。あるいは(はるか昔の)高校時代。テストが早く終わり、暇なので居眠りを始めた時。そこでもこれが発生する。
ただ家とは大きく違う点がある。それは「自分が眠ったままお昼休みやテストの時間が終わった夢」つまり「夢の中で寝ている夢」になる。
自分は席でまだ寝ている、しかし周りは昼休みが終わり仕事を始める。あるいはテスト終了の鐘が鳴りクラスメートが騒ぎ始める。
一方で夢の中の自分はまだ寝ているから、周りに「こいつまだ寝てるぞ」と笑われる。
この時の夢の中の視点(映像)は大きく2種類。1つは寝ている視点、つまり目の前は真っ暗で周りの音だけ聞こえている。2つ目は夢の中の自分は眠っているのに、なぜか目を開いている時と同じ主観的な映像。
特に前者は周りの音しかないので、夢なのか現実なのか判別しにくい。
何回も繰り返しこんな夢を見るので「またこのパターンか!」と夢の中で気づいて一生懸命起きようとするのだが、なかなか目を覚さない。現実世界でも本当に昼休みが終わってしまうのではないか、と心配になってくるが、実際にそうなったことは無くて、何だかんだで時間前に起きることはできる。
ってことが良くあるんだけど、分かってくれる人いるかな?
俺もスクールカースト低めだったので、声をかけて見たら今は某不動産会社に勤めていてそこそこの給料をもらっていると話してくれた。
話は変わって、当時から陽キャグループだったやつはもちろん今も陽キャ。
同窓会では、昔陽キャだったやつが今は落ちぶれて、陰キャだったやつがエリートになり女からモテる見たいな神話があるが、現実はそんなことはなく陽キャは普通に勉強もできるのでいい会社に行っていい給料をもらってた。
例の彼は他のやつにもさっきみたく給料を自慢するのかなと思ったが、隅っこで一人で飲んでいた。会話をしてもたまに先生が話しかける程度。
ジャニーズ所属タレントのイメージはマイナスに転じた。今まで俺の視点では、彼らは「何かテレビでよく見るチャラチャラした若者(自分より歳上もなんかそんな感じ)」で、プラスマイナスゼロなイメージだった。
しかし、ジャニーズ性的虐待問題に焦点が当たってからは「性被害を受けても笑顔でテレビに出なくてはいけない可哀想な若者」だったり「同年代や後輩の性被害を見て見ぬフリしてきた人」であり、要はマイナスイメージがついた。彼らが悪いのでは無い。彼らを通して見える加害の構造がグロテスク過ぎる。
最近の消化活動でそのイメージが覆ったかというと、そんなことはない。東山さんや桜井さんのメッセージは一見正当に見えつつ、自分たちが加害者側でもあり得るという視点が抜けている。早めに発言できているというのは、それだけ権威・権力、加害者側に近いからだろう。今まで「ジャニーさん、ありがとう!」と笑顔で言ってきた(言わざるを得なかった)ポジションは変わっているだろうか?誰か、より立場の弱い人間に対する牽制になっていないだろうか。組織の調査を信じることは、組織に加担することにならないか。黒いイメージは変わらない。ジャニーズを抜けた人たちでさえ、ほとんど発言が無い。
彼らには「忘れられる」という恩赦が無い。一般人は事件の後、大抵は忘れられる。周りの人も「そっとしておこう」という対応ができる。ジャニーズはメディアの全面に出てくる。忘れ去られることを拒み、見て見ぬフリを求めてくる。残念ながらそれはできない。どうやら被害者の数が多すぎ、悲惨すぎ、社会問題に直結し過ぎている。
紅白歌合戦を見るとき、ジャニーズのグループが歌い踊っていたら、どうしても「可哀想」「笑顔だけど過去には…」「被害者の人生の上に彼らがいるんだよな」「何食わぬ顔で踊ってていいのか?」色んな感情が、反応があることが予期できる。リビングの家族の間に、一瞬の躊躇いや目配らせが発生する。
ジャニーズ所属メンバーは自省し、同時に怒り、倫理的・論理的な正論の元、復讐劇を演じるしか無いのではないか。復讐の相手はかつて自分たちを守らなかった大人たち、見て見ぬフリをし続けた会社組織、かつ自分たちを育て売り出した相手。愛憎の中で堂々と発言し、正しい法的手段で倒す。そういうプロセスでしか美しい物語は回復しないのではないか。