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はてなキーワード: 自身とは

2024-11-02

anond:20241102120622

よくあることだが、本人は自分がどのレスしてるかわかってるでしょ

からそいつ自身」に向けて話しかけてるんだよ

匿名の場だからってウソデタラメばら撒いていいんだ、自演してもバレないしって思う卑しい人間もいるだろうが、

そういうバカしかいないわけでもない

まあ、まともな対話能力がないやつは追い詰められると「顔真っ赤 ぷぷぷ」ぐらいしか言えなくなるので、

そうなったら諦めて切り上げるけどね

気持ちとか感情は、ちょっとならエンタメ要素あるけど

だいたいのシチュエーションで多すぎてうるさい

気持ち感情排出する仕組みを自身のために整備したい

たぶん身体動かして声出せばいいと思うんだよ

動画見て歌って踊ればたぶんどうでも良くなる

それってナインちゃんへの差別だよな

https://x.com/W0uJSIHL3XNPCVG/status/1852370769088823663

これを差別としたら今までもこれからも「ナインだよ」のパロディやった奴は全員差別してることになるから、一番困るのはナインちゃんでしょ

ナインだよ」のモノマネ差別だったら、バズらせてるナインちゃん自身差別を煽ってることになる

そのへんまで全部含めて批判しないと整合性がないよね

国民民主党が頑張っても無駄

現役世代負担増を平和的に解決するには維新が躍進しなければならなかった。

国民民主党も現役世代手取りを増やすと言っているが、あれはお金を持ってくる方法を変えるだけで社会保障費の増加に対しては何も手当をしないので結局現役世代負担は増え続ける。

維新議席を減らしたこと社会保障費の増加は避けられなくなった。

しかも今回は東京を中心に維新に対する選挙妨害暴力も含めた加害があった。

その結果がこれなので”加害にも効果がある””自分たち意見を押し通したい時は言論投票平和的に決めるよりも加害が効果である”と証明されてしまった。

そして維新社会保障費に触れて被害を受け、議席を減らしたことで他の党も維新自身も今後社会保障に触れられなくなる。


高齢者の人数 → 増加

高齢者一人あたりにかけるお金 → 増加

③現役世代の人数 → 減少

3つの要因から現役世代一人あたりの負担は今後も増え続ける。

今回②を抑えることに失敗した。

③は現役世代手取り高齢者に奪われていることで改善できないし、できたとしても時間がかかる。

増える社会保障費は消費増税するか、現役世代負担しなければならない。

物価不動産税金も社保も株価もなんでも安くて、更に経済成長していて資産形成をしやすかった時代に生きていた高齢者は、なぜ自分自分の老後を何とかしなかったんだろう。

なぜ見知らぬ高齢者生活のために、やりたいことを我慢して生活を切り詰めて、強制的給料を奪われないといけないんだろう。

高齢者はこれだけ奪っていてもまだ足りないと思っている。

高齢者の贅沢を止められない。

手取りは減る。

こんな状態高齢者に対していつまで「いつまでも元気でいてね」と言える?

一人いなくなればその分負担が減るのに。

この人たちがいなくなれば、生活が楽になるのに。

音楽ゲーム史上最も重要な「20,november10

現在も隆盛を極めるリズムゲームルーツ…のひとつであるビートマニア

(もちろん、1年先にリリースされたパラッパラッパーの方が「すべての音楽ゲームルーツ」だが、

 「上から降ってくるオブジェクトに合わせてボタンを押す」フォーマットを完成させたという意味では直接のルーツにあたる)

その第1作に、最高難度を誇るいわゆる「ボス曲」として収録されて人気を博した20,november

ただ闇雲に難しいわけではなく、「曲を覚えて、メロディリズム理解し、練習を重ねれば攻略できる」という絶妙な難度で音楽ゲームの楽しさを世に知らしめた点でもその功績は大きい。

(ちなみに、曲名の「11月20日」は作曲者DJナグレオ こと 南雲玲生誕生日である

ビートマニア象徴ともいえる存在で、数多くのバージョン違いも作られた。

エントリではそれを紹介する。

(収録されたゲームCDによって曲名アーティスト名ともに表記ゆれが多い(カンマの後のスペースの有無、大文字/小文字など)が、基本的にそのバージョンの初出での表記にしている)



20,november (single mix) / DJ nagureo

https://www.youtube.com/watch?v=RMNtlYObHCw

初代 beatmania (1997) 収録の 元祖 20,november

……なのだが、「20,novem v er」と盛大に誤字をやらかしている(もちろんその後のバージョンでは修正されている)。

ジャンルは「HOUSE」。曲名ではなく、こちらで覚えている人も多いかもしれない。

20,november (radio edit) / DJ nagureo

https://www.youtube.com/watch?v=4XX2BdNtJyU

同じく初代 beatmania 収録。single mix とは曲構成が異なる。

2人プレイ、もしくはダブルプレイ(左右の鍵盤とターンテーブルを1人で操作するモード)だとこちらのバージョンになる。

20,november (nagureo kidding style) / DJ nagureo

https://www.youtube.com/watch?v=YR3oKco-Xp8

3作目「beatmania 3rdMIX」(1998) で追加された、いわゆるアナザー譜面オブジェクトの配置を変えて高難度化したバージョン)。縦連がいやらしい。

初出の 3rdMIX ではゲーム内に「nagureo kidding style」の表記はなく、後のバージョンで追加された。

20,November (substream ANOTHER) / dj nagureo

https://www.youtube.com/watch?v=v0N_fHRgdJM

同じくアナザー譜面。鍵盤の数が 5つから 7つに増えた姉妹作、 beatmania IIDX の 1.5作目「beatmania IIDX substream」(1999) で登場。

substream と「beatmania IIDX 2nd style」(1999) の 2バージョンしか収録されておらず、家庭用への移植版でも遊べないレア譜面

20,November (completeMIX 2 ANOTHER) / n.a.r.d.

https://www.youtube.com/watch?v=Qmu7nL3pH6g

こちらもアナザー譜面。第7作「beatmania completeMIX 2」(2000) で追加。

completeMIX 2 を含む一部のバージョンと 一部の CD では、アーティスト名義が「n.a.r.d.」や「N.A.R.D.」になっている。

20,november (hard mix) / DJ nagureo

https://www.youtube.com/watch?v=pEFg3EMWAFU

第4作「beatmania completeMIX」(1999) に収録されたリミックスバージョン

音響を効かせた、よりフロア向けのサウンドになっている。

それに伴ってジャンルオリジナル版の「HOUSEから「HARD HOUSE」に変更。

オリジナル20,november のロング版は存在しないが、この hard mix のロング版は beatmania 4thMIXサントラに収録されている。

20,NOVEMBER (FINAL EDIT) / Remixed by TATSUYA NISHIWAKI (Original Music by n.a.r.d.)

https://www.youtube.com/watch?v=lPOU2pmzvnY

第9作※「beatmania CORE REMIX」(2000) に収録された、西脇辰弥によるリミックスバージョン

ボーカル新録され、オリジナル版よりも生っぽい音作りになっている。

(※「beatmania featuring DREAMS COME TRUE」(2000) は番外作として、ナンバリングに含めなかった場合

20,NOVEMBER (D.D.R. version) / N.M.R feat. DJ nagureo

https://www.youtube.com/watch?v=QJd9NbQrVv4

DanceDanceRevolution 2ndMIX」(1999) に収録されたリミックスバージョン

2ndMIX では STEP BATTLE という特殊モード専用の曲だったが、3rdMIX 以降では通常のモードで遊べるようになった。

ミキサーNAOKI こと 前田尚紀オリジナルにあったボーカルは使われておらず、FINAL EDIT とは対照的シンセが強調されている。

ちなみに DDR にはオリジナルの方の 20,november移植されている。

BEMANI HIT TRACKS / K.M.D.J. team featuring Seigo “M” Takei

https://www.youtube.com/watch?v=QLlHi1uioBk

PS版「beatmania APPEND GOTTAMIX」(1999) に収録。

人気の 4曲をメドレーにしたトラック20,november はそのトリを飾っている。

他の 3曲は e-motion (RAVE)、LOVE SO GROOVY (SOUL)、La Bossanova de Fabienne (BOSSA GROOVE)。

MCは、発売当時「HEY! HEY! HEY!」でおなじみ……だった 武居 “M” 征吾。

20,november (n.a.r.b mix) / metaphone twin dub unit

ttps://www.youtube.com/watch?v=K8wpyrpi3jc

このバージョンのみ、ゲームに収録されたものではなく、CDのために作られたリミックス

5鍵ビートマニア最後ベストアルバムbeatmania THE BEST PROMINENT」(2003) に収録。

……なのだが、原曲面影ほとんどない。果たしてこれを 20,november と呼んでもいいのか…?

ミキサー名でググってもほとんど情報がない。一説には、ナグレオ自身が手掛けたとも言われているが…



いかがでしたか

非公式リミックスはおそらく無数にあるんだろうけど、今回は公式縛りにした。

10個で足りないくらバージョン違いが多いかと思ってたらそこまででもなくて、ぶっちゃけアナザー譜面で数を埋めたのは否定できない…

もっと足りなかったら、ビーマニポケット音源 (ttps://www.youtube.com/watch?v=51BPfKfzpAw?t=250 ) とか、

いちおう非公式だけど半公式…?みたいな Hommarju Remix ( ttps://www.youtube.com/watch?v=oCSO1iZg98I ) とか、

曲名が似てるだけで全然別の曲の「19,November」( ttps://www.youtube.com/watch?v=XhPq3NOYRnw ) でお茶を濁そうかとも考えてたけど、それはせずに済んだぜ。

2024-11-01

親に他責してたら余計に苦しかたから辞めた。

新卒挫折して休職中、全部自分のせいにしたら頭がおかしくなりそうだったから、毎日8時間他責をしていた。

小さい頃に虐待を受けて、義務教育不登校で、なんとか資格をとって社会に出ても、求められる仕事はできなかった。

人一倍早く出勤した、残業した、家でも勉強をした、でもその場でパニックになり水の泡。

最初は親切にしてくれていた同僚からも、あの人は障害者じゃないかと噂をされた。

噂が広まってから問題なく出来ていた業務も疑いの目で見られ始め、見張られていると感じて緊張でさらミスが増えた。

人のミスなすりつけられた事もあった。

こんな育ちで障害かもしれない自分が何を言っても信用がないだろうと自分が一番分かっていたので、何も言えずただ謝り、次からはこうこうして気をつけます…!と反省までした。

大人なのに、ありがとうとごめんなさいくらしか出来る事がない。

努力しても要領の悪さと一度抱かれた不信感は埋められず、周りに迷惑をかけてしまった。

一年半で辞めた。

仕事を辞めてから、鬱と発達障害の診断を受けた。

障害の事を調べる内に、自分虐待して出て行った母親発達障害だったんじゃないかと疑った。(あらゆる特徴が一致していた為)

その時に、堰き止めていた思いが一気に崩れた。

小学生の時からずっと言い聞かせていた。

だって1人の人間で、子どもの物じゃない。

母親自身も両親に虐待を受けていたから、繰り返してしまっても仕方ない。

人より出来る事が少ないのも全部自分のせいだ。

親の事は関係ない、自分がとにかく頑張れば、普通人生になるはずだーーーと思って

信じて生きてきたのに。


今まで困ってきた事は全部親のせいだったのか。

まれた時から頭が変だったんだ、だから頑張っても上手くいかなかったんだ…今からどうやっても、障害だったら治らないじゃん…

普通の人になるのって無理なんだwww

絶望



産むな!!!

学もない貧乏が、被虐待児が、障害者が、責任とれない奴が、産むなよ。

中出しセックスして、結婚出産自分が何者かになるための道具にして。

子ども障害なすりつけて、虐待連鎖自己肯定感までめちゃくちゃにして。

まともに1人育てられないのに兄弟がいないと将来可哀想〜!って偽善兄弟ポンポン産んで結局逃げて。

自分人生を彩るために産んだり、病気障害可能性を深く考えずに産む人間が全員、気持ち悪くなった。

出産エゴしか思えなくなった。

だんだん自分の事を飛び越えて、虐待ヤングケアラー問題遺伝する病気障害兄弟児の苦悩、いじめ貧困戦争性犯罪がある世界に産む人間達、ニュースSNS話題を見るたびに心がぐちゃぐちゃに掻き乱されて全て許せなくなった。


どんどん自他の境界がなくなって、もう人間自体が居なきゃいいとすら思った。もっと少子化になって滅亡したらいい。優生保護法が続いていれば自分は生まれずに済んだのかもしれない。安楽死制度が出来て辛い人がどんどんいなくなったらいい。

死のうとしても直前で怖くて死ねなくて、失敗して余計に苦しむのも怖かった。

こっちは産んでくれと頼んでない、親が勝手に産んだのに、自分本能的な死の恐怖に打ち勝たないと死ねない。

産みたい人が産む自由尊重され賞賛され、自殺非難される、楽に死ぬ手段もない。

怒りの行き場がなくSNS毒親を叩き、レスバに時間をついやした、同じ思想の人からいいねをされて一瞬スッキリした。

自分の主張は正しいと思って、スッキリしたはずなのに、それを繰り返すたびにさら自分存在気持ち悪くなって自分以外も全員気持ち悪くなって、苦しくて苦しくてたまらなかった。

それでも街中で知らない人とちょっと話したりお礼を言い合ったり、そんな事が不思議とうれしかった。 

バイトして仕事覚えようと悩んでいる方がまだましだし、たまに感謝されたら普通にうれしかった。

(まぁスキルなしの障害者でも出来る仕事ってなったら毎日ゲロとかマナーおかし人糞掃除するしかなくて、よく変な人にも話しかけられてキツくてやめてしまったけど。そんな仕事に同性の若者1人もいないし、たしかにもし健常者だったらこ仕事しないわ!ガハハ!ってまた落ち込んだ)


脱線したけど、結局あんなに社会が許せなかったのに実際に顔が見える人と会った時には、今生きてるみんなが幸せだったらいいなと思ってしまった。

親子を見ても文句を言いたくはならず、障害者ホームレスの様な社会貢献度が低そうな人を見ても、この人も死にたいだろうなーと勝手に決めつけたり、その人を産んだ人を責め立てようとは思えなかった、もし目の前で死のうとしてる人がいたら普通心配になるとも思う。

結局は他人が許せないんじゃなくて、自分自分存在を許せなくて苦しかった。

人に傷つけられても、相手がそうした背景を思うと文句を言えない、その人なりにそうした理由があったと思うと責められない。

からしばらくして親に会った時も、何も怒れなかったよ。

絶対さないし、心を傷つけてやる!と思っていたのに、泣いて謝られてたら不思議笑って許してしまった。

母親が受けた虐待を話されても、ただひたすら酷いね、辛かったねと聴いていた。

こっちの方が泣きたかったけど。

でも自分自身存在を許したいから、形だけでも親を許す事にした。許さずに傷付ける事を言っても、またスッキリするのは一瞬だろう。

自分が追い詰められて苦しかったのに人を追い詰めるなんて、もっと自分が嫌いになりそうだった。

思えば親にも社会にも認められなかったけど、優しい人だとか真面目だとか褒められた事だけはあった。それがあったからこそ、人に優しく真面目に頑張れば大丈夫!と根拠のない希望を持てていたんだと思う。  

自分の中で唯一認められた長所を捨ててまで親や他人を責めても、考え方を変えさせるなんて出来やしない。誰に理解されたって苦しさは消えないし、自分が生まれなかった世界線になんて行けない。

どうせ死ぬ勇気もないなら、せめて人に好かれる行動だけとってた方がお得だと決めた。

たとえ社会に不必要でも、そのマイナスを優しいとか良い人だとかで0.1でも誤魔化せるならそうするしかない。捻くれ障害者なのに最低限のマナー愛嬌まで捨てたら最悪のまま終わりだ。

自分の為に生きれなくても、現実にいる目の前の人に喜ばれる事があるならやっていこう。

弱者立場や優しさを都合良く搾取されるかもしれないけど、単に褒められたら気持ちがいいから、人生気持ち悪くならないで済むわ。

シンプルに目の前の人にありがたがられたいよねー!生きる意味あるじゃんって一瞬錯覚できるから偽善最高ー!

 

他責を辞めようという内容では無いです。

自分を守る手段他責なら構わない思います

自分も苦しかった時はそうしないと生きれなかった。今も気にしない様にした気でいても、具合が悪い時は心の中で他責に逆戻りしているから。人はそう簡単に変わらない。

※産み育てる事に様々な懸念責任が伴うという意見を訴える事は意味ある事なので、正しく反出生を訴えている方の非難ではありません。

自分ライン超えをして自他がめちゃくちゃになりそうだったから考えるのを辞めただけ。

最近女が泣いてると、まずその女自身瑕疵を疑うようになった

まあ女がネットで大量に虚言吐き過ぎたね、残当

依頼を受けたことを後悔した話

からの依頼を受けて細々と仕事させてもらっている。

とある依頼を受けた。

個人的にも興味のある事だったので応援もしたくて、

依頼主と何度も話し合いを重ね、

ペン通りの修正も何度か重ね、

GOを頂けたので頑張って作品を仕上げた。

希望納期よりもかなり早く納品した。

後日、依頼に関係ある企画の予告が出た。

依頼時に言われていた企画開始時期と近かったのもあり、改めて具体的な作品公開日を聞いた。

返事は「もういつでも公開していいです」だった。

釈然としないまま自身作品SNS投稿した。

依頼主本人では無いのでデカデカサンプルの文字が載った状態投稿した。

依頼主はその投稿自身SNSで広めただけで、依頼主自身投稿は無かった。

まりサンプルの載ったものしか世に出なかった。

最初に言われていた企画に使われないのは別にいい。

使わないとしても、きちんと別の何かに使って、作品を日の目を浴びさせて欲しかった。

依頼料は頂いているし、実績として公開はさせてもらってるので、どんな使い方をされても契約違反では無い。

文句は言えない。

ももうその人の依頼は受けないと思う。

海に眠るダイヤモンド1話考察

日曜劇場「海に眠るダイヤモンド1話を見た時点での考察

2話以降も書けたら書きたい。

まず、1話を見た多くの視聴者が抱いた疑問は「いづみ=誰?」

というものだと思われる。

初見では「いづみ=リナ」では無いかと思っただろう。

だがわたしは「いづみ=朝子」では無いかと思っている。

これには幾つか理由がある。

まず、いづみは玲央の店の原価率を調べるシーンが出てくる。

これはおそらく飲食店経営した経験がある人にしか出来ない発想だろう。

朝子は端島で「銀座食堂」の看板娘をしていたため、おそらく飲食店経営ノウハウが多かれ少なかれあるのだろうと思われる。

次に、朝子は鉄平片思いしていたが、おそらく最後まで鉄平とは結ばれる事は無かっただろうと予測している。

鉄平はリナの事をこの先想って行くシーンが描かれるのではないかと予想している。

鉄平と結ばれなかった朝子は端島の閉鎖と共にかその前に、

どこか割と金持ちの相手見合い結婚でもさせられるのでは無いかと考えている。

もしくは、鉄平とリナが結婚したことによって鉄平を忘れるため、

何れにせよ本作にまだ登場していない、それほど重要ではない男性人物結婚するのではと思われる。

完全なる妄想になってしまうが、その金持ち旦那に心から愛情を抱けなかった朝子は、

子供達を育てながら何かしらの事業、おそらく飲食関連の事業を立ち上げるのではないかと読んでいる。

その事業成功し、現在地位があり、おそらく旦那とは死別たか何かで現在は独り身、という状況ではないのだろうか。

そして、その飲食事業の関連かなにかで、玲央の働くホストクラブを突き止め、

鉄平そっくりの玲央に声をかけた・・・のでは無いかと思われる。

いづみは玲央を長崎に連れて行き、ちゃんぽんを食べるのだが、ここにヒントが1つ隠されている。

そう、ちゃんぽんの器に書かれた「銀座食堂」の文字だ。

おそらく朝子は飲食事業の出発点として長崎本土銀座食堂を出店し、今は別の人物経営しているのではなかろうか。

しか銀座食堂の味は端島創業時の味を受け継いでいるため、

うまいうまい」とちゃんぽんを食べる玲央の横でいづみは「普通よ、普通」と言っていたのでは無いか

もし、朝子=いづみでなければ、いづみも玲央と一緒に「美味しいわね〜」などという感想を語るはずである

さて、では鉄平と玲央の関係はどうであろう。

おそらく鉄平とリナの孫にあたる人物が玲央ではないか、と予想している。

ただし、リナと結婚し子を授かった鉄平炭鉱事故で死んでしまうのでは無いかと予想している。

独り残されたリナは幼子を抱え、端島を出たのでは無いかと思われる。

そう、冒頭の海で赤子を抱いたリナが夜小舟で独り島を出るシーンだ。

リナの子供はその後家庭を築き、そこで生まれたのが玲央、つまり鉄平の孫だ。

鉄平の血を引く玲央に端島歴史を伝えたい、もしくは何かしらの理由でいづみ自身財産鉄平の孫に渡すため、

いづみは玲央に「結婚」を持ちかけたのではなかろうか。

さて、最後に大きな疑問が残る。

鉄平の兄進平の存在とリナの関係だ。

2話の予告最後の嵐のシーンで、暗くてはっきりとは確認できなかったが、

進平とリナと思わしき人物が見つめ合うシーンが映っている。

配役的にも、斎藤工という大御所を単なる主人公の兄という脇役だけに留めておく訳がない。

いづみが語り出した「あれは何角関係だったかしら・・・」という「X角関係」の中におそらく進平が絡んでくると思われる。

だとしたら、リナが結ばれた相手鉄平なのか進平なのか、謎である

以上、稚拙考察ではあるがどこかに書き残して置きたいと思い書いてみた。

11月3日日曜日夜9時〜が大変楽しみである

そして、個人的端島へただならぬ思いを抱えている筆者としてはおそらく一生涯忘れられないドラマとなるだろう。

まだ「海に眠るダイヤモンド」未視聴の方は是非Tverかなにかで見て欲しいと思う。

端島のことを、軍艦島のことを、我々は後世に語り継がないとならないのである

キャリアパスなんてクソくらえ。押し付けられた生存を捨てろ、今すぐ

と、こう書くと過激に聞こえるかもしれませんが、今の私は、確信を持ってこれを言えるようになりました。昔の私は、まるで迷路の中でキャリアパスというゴールを探し求める鼠のように、必死に進むことしかできなかったんです。

思い通りにならなかった「理想キャリア

大学生の頃、未来は明るく見えていました。周りが言う「立派なキャリア」「安定した生活」が手に入れば、幸せがやってくると信じていたのです。でも、社会に出た瞬間、私はその幻想いか儚いものかを痛感しました。理想現実ギャップに苦しみ、職場の過剰な期待と要求に押し潰されそうになり、次第に自分自分じゃなくなっていくのがわかりました。そこから鬱病が始まったんです。

この病気は私の世界を変えました。生きている実感がなくなり、ただ「何とか耐えている」だけの毎日が続きました。生きることが苦しくて、死をちらつかせることさえあったのです。通院を続け、薬を飲み、無気力な日々に追い打ちをかけるように、社会は「キャリアを築け」「もっと努力しろ」「もっと頑張れ」と命じてきます。それに従わなければ、何も価値がない、存在する意味がないとさえ思わされていたのです。

社会価値観に気付いた「違和感

けれども、どこかで「違和感」に気づき始めました。なぜ、誰もが同じゴールを目指して、同じように苦しんでいるのか。私たちの生きる意味価値が、どうして収入地位で決まるのか。この疑問は頭から離れず、心の中で次第に大きくなりました。

仏教に興味を持つようになったのもこの頃です。仏教では、「今の自分が本当の自分ではない」と教えてくれます私たちが抱える苦しみの多くが、社会や周囲から押し付けられた「こうあるべきだ」という幻想から来ているというのです。目から鱗でした。

特に無常」と「無我」という考え方に救われた気がしました。すべては移ろいゆくものであり、私たち自身もまた、固定された存在ではない。自分が「成功しなければならない」「立派なキャリアを積まなければならない」という固定観念から少しずつ解放されるようになったんです。

そして、Memento Mori

私がたどり着いたのは「メメント・モリMemento Mori)」、つまり「死を忘れるな」という言葉です。人生はいつか終わるものであり、私たちはその終わりを見据えて、今この瞬間をどう生きるかを考えるべきだという視点です。

多くの人は「キャリア」や「将来の安定」に執着し、必死未来を確保しようとしています。でも、「今この瞬間」が本当に大切だと気づいた私は、そこに人生意味があるように感じ始めたのです。死ぬことを恐れず、むしろ「いつでも終わらせることができる」覚悟を持つことで、私の中で生きることへのプレッシャーが軽くなりました。

「今すぐ死んだって構わない」というのは、決して自暴自棄気持ちではありません。むしろ、今ここにいる自分自由にし、どんな時でも自然体で生きる覚悟を持てたという意味です。

社会とどう関わるべきか

こうした考えに至った今、私は社会と一線を引きながら、自分に正直でいることができています。もちろん、社会の一員として働かなければ生活はできませんが、だからといって自分をすべて犠牲にする必要もないのです。「無理にキャリアを追わなくてもいい」「成果を出さなくてもいい」と言い聞かせ、自分らしい生き方を探すことで、自然と心の負担が軽くなりました。

いわゆる「普通労働者である私が、キャリアを追うことをやめて、ただ「ここにある今」を大事にして生きる。それは社会から見れば「やる気がない」ように見えるかもしれませんが、実はその方が、私にとって本当の意味で生きることなのです。

最後に:キャリアパスなんてクソくらえ

こうして振り返ってみると、鬱病と向き合い、苦しみ抜いた時期があったからこそ、今の私がいるのだと思います。「キャリアパスなんてクソくらえ」と言い切れるようになったのは、社会他人価値観に自分を縛られず、自分にとっての「意味」を探す勇気を持てたからです。

もしも、今を生きることに苦しんでいる人がいるなら、少しでも「メメント・モリ」を思い出してほしいと思います未来ばかりを追わず、今の自分に正直でいること。いつかすべてが終わることを忘れず、押し付けられた生存の重荷を少しでも降ろせるように、生きていくのも一つの選択です。

選択肢に生きる

こんにちは、私は20代内向的男性です。ゲームは私にとって単なる娯楽以上の存在で、もはや人生のものといっても過言ではありません。でも、その向き合い方は少し変わっているかもしれません。多くのゲーマー自由世界探検できるサンドボックスゲームに夢中になっているのを横目に、僕はどちらかというと「ナラティブがあるゲーム」が好きなんです。計画を立てて構築するサンドボックスの魅力にはどこか馴染めなくて、自分の中のストーリーを築くようなゲームの方に心が引かれるんですよね。

「今」を生きるゲームプレイ

僕は、未来計画を立てるのがあまり得意じゃない。というか、そもそもきじゃない。スケジュールを組んだり、長期目標に向けてコツコツ積み上げたりするのは、むしろ苦痛なんです。そんな僕にとってゲームも、プレイ計画を立てるようなものではなく、目の前の「選択肢」をひとつひとつ選んで反応する場。その結果、物語がどう展開するのかを見るのが面白いんです。

サンドボックス自由度は確かにすごいんですが、「自由」というよりも、無限選択肢に放り出される感じがするんですよね。どうしても「さて、何をすべきか…」と途方に暮れることが多い。『マインクラフト』も好きなんですけど、無限可能性を前にすると何をやるか迷いっぱなしで、いつの間にか放り出してしまうんです。

一方で、ナラティブが中心に据えられたゲーム、たとえば『The Elder Scrolls V: Skyrim』や『バイオハザードシリーズには、いつもワクワクさせられます。これらのゲーム選択肢連続で、与えられるストーリーの中に自分なりの足跡を残せる。計画を立てる必要もなく、ただ目の前のシーンやイベントに集中して、その瞬間の選択を楽しめるんです。

『TESV: Skyrim』──選択とともに歩む

Skyrim』は僕にとって「選択の宝庫」で、何をするかがハッキリしているので安心します。ゲーム内で自由に動ける一方で、明確な目的が常にある。例えば、メインクエストでドラゴンと戦うか、あるいはサイドクエスト吸血鬼ハンターとして冒険するか。その都度、今自分が「これをやる」と決めればいいだけだから、迷わずに済むんです。

ゲーム内での選択が直接的にストーリーに反映され、結果として自分なりの体験が作られていく。この「反応」の積み重ねこそが僕にとってのナラティブであり、最終的には一つの壮大なストーリーが生まれているんです。なんというか、まるで僕自身がこの世界に一つの役割を持った存在なんだという錯覚を与えてくれるような気さえします。

バイオハザード』と恐怖の選択肢

バイオハザードシリーズもまた、目の前の出来事に反応し続けるゲームです。ゾンビが迫り来る中、わずかな弾薬でどれを倒し、どれを無視して進むか、サバイバルのもの選択連続。この極限状態では、計画的に準備する余裕もなく、その瞬間その瞬間の判断が求められます。目の前の敵にどう立ち向かうか、選択を誤れば命取りになる。そのリアルな緊張感がたまらないんです。

また、『バイオハザード』では自分受動的な存在であることも忘れがたい要素です。閉ざされた場所や限られたアイテムでどう生き延びるか、計画的に「攻略」するよりも、即時の判断と限られたリソースで切り抜けていく。この制約こそが、僕にとっての楽しさの根源にあります

サンドボックスへの苦手意識と7DTDの体験

とはいえ、まったくサンドボックスが嫌いというわけではありません。『7 Days to Die』というゲームも好きで時々プレイするんですが、これもまた計画を立てて生き延びるという点で、僕にとっては少し苦手な部分もあります特にこのゲームは、サンドボックスでありながらサバイバル要素も強い。そのため、ある程度は目の前のことに反応する形でプレイできるんですが、進めていくうちにどうしても「拠点の強化計画を立てなきゃ…」という義務感にかられてしまうんです。

この矛盾が、僕にとってのゲーム体験の興味深いポイントでもありますサンドボックスの中でも「サバイバル」という強い目的があれば楽しめるけれど、その自由さに飲み込まれると一気に迷子になる。目の前のタスクをこなしていくスタイル自分には合っているんだと、7DTDを通じて改めて感じました。

自分プレイスタイルから得た考察

こうして振り返ってみると、僕のプレイスタイルは「選択肢を選び続ける」ことに楽しみを見出していることがわかります人生もまた、選択肢連続です。その瞬間瞬間で選んだものが積み重なって、一つの物語形成されていく。ゲームでの体験はその縮図であり、まるで自分が選ぶことでその世界に何らかの「意味」を与えられるような気がしてくるんです。

逆に、計画を立てて一つの目標に向かって進むスタイルは、どうも性に合いません。それよりも、眼の前の選択に集中し、リアルタイムで物語を作り上げていく。このスタイルが、自分にとっての「生きる」ということなのかもしれません。

ゲームの中で過ごす時間が、僕の人生観を映し出している──そんな風に思える今日この頃です。

PIZZICATO FIVE史上最も重要な「東京は夜の七時」10

TM NETWORK史上最も重要Get Wild 10

https://anond.hatelabo.jp/20241028143457

ブコメ

「全部同じじゃないですか!?」「ちがいますよーっ」「これだからしろうとはダメだ!もっとよく見ろ!」

といういつものジャーゴンがついていたので、えっ、Get Wildときで聞き分けが出来ないの?じゃあ、こっちだとどうなんだろ、とおもって書いてみたGetWild増田です。

Pizzicato Fiveは本格的にファンになったのは95年ごろだけど、それ以前も周りの友人にファンがいたり、学校帰りに当時のHMVに通っていた渋谷系世代なので基本的な流れはだいたい抑えられているはず。

 

こちらも選考基準独断偏見だが、TMと違ってPizzicatoは再結成をしていないので、歴史的には解散以降の方が長くなるので、Pizzicato Fiveとしての音源フォローできるだけしておく。

Get Wildと違って1枚にまとまった作品集はないけど、検索すればそれなりに出てくると思うので、必要に応じて聞き比べを。

 

もちろん元ネタこち

https://anond.hatelabo.jp/20241012181121

 

東京は夜の七時 (1993年

オリジナルバージョンはもともとフジテレビ系で始まった「ウゴウゴルーガ2号」のオープニングテーマとして作られた。曲名矢野顕子から引用小西康陽曰く「放送が7時からからこのタイトル引用した」とのこと。オリジナルバージョンは実は小西ではなく福富幸宏編曲によるハウスミュージックとはいえ、この時期のPizzicatoの諸作はマニュピレーターとして小西氏をサポートしていた福富氏なので、他の曲とがらっとバージョンが違うわけでもない。イントロピアノグリッサンドのようなアルペジオや「A New Stereophonic Sound Spectacular」というサンプリングなど後々の小西氏のシグネチャーサウンドがちりばめられている。個人的にはこのバージョンのサビに使われるシンセの「テッテッテッテテーテ」という音が好きなのだが、意外と他のバージョンでは使われていない。

 

東京は夜の七時(talking toolbox mix)(1993年

シングルカップリングバージョン。音が当時のニューヨークハウスっぽい。もともとそれなりに長い原曲だがこれはさらに長く8分ほどある。1ループフレーズを繰り返してボーカルだけ残すこのパターンはいかにも当時の向こうのR&B曲のハウスミックスって感じでかっこいい。フィンガースナップの音とか時代だなあと思う。途中からオルガンアドリブが入って自我が芽生えたみたいな感じなのもよい。一番DJ向きなバージョンDJミックスCDなどにはこれが入ってることがわりとある

 

東京は夜の七時(readymade mfsb mix)(1994年

ウゴウゴルーガピチカート・ファイヴ」が初出のリミックスバージョンmfsbというリミックス名がわかる通り、原曲ニューヨークハウスフィリーソウル風にアレンジ。一番生音っぽいバージョンなのとブラスストリングスの入り方など非常に華やかなバージョンなのでこれが一番好きな人が多いと思う。「デデッデデッ」というストリングスアタックが非常に気持ちよく、後々のカバーでも割と参照されている。原曲にもあったピアノグリッサンド風のアルペジオや「A New Stereophonic~」のサンプリングなども効果的に使われていてこっちが原曲だと思ってる人も多そうなくらいによい。一番人気のあるベスト盤Pizzicato Five JPNにもこのバージョンが収録されている。

 

東京は夜の七時(one year after)(1994年

実はこの前後で、Pizzicato Fiveは長年共にした高浪が離脱し、小西と野宮の二人になる。それを反映したアルバムOverdozeは結構シリアストーンであり、そこに収録された東京は夜の七時もその不安感を反映した10分超えのニューバージョンとなった。福富アレンジをしてるのは同じだが、なんかサウンドの取り方が日本90年代ハウスっぽくなってる。いや日本の曲なんだが。そしてここまで書いてこなかったが東京は夜の七時は華やかな曲調のわりに歌詞はかなり冷たい都会の不安感を表したような曲なのだが、それがさらクローズアップされたような歌詞に変更されている。正直、この曲名メロディにこんな不安定な歌詞ありかよと思わせる。今だったら大森靖子が書きそうな歌詞

 

東京は夜の七時 (the ast episode)(2001年

2001年解散時にでたベスト盤 Pizzicato Five R.I.Pに収録されたニューミックスリミックス小西が当時使ってたDJよしお名義でリミックスしている。変則的ブレイクビーツを使って不安感のあるシンセパッドを使ってたり、当時を思い返すと、小西さん完全に解散したくてたまらなかったんだろうなと思わされるリミックス。途中途中で時報の声が入ったり不穏すぎる。なんか全体的にせわしない。

 

東京は夜の七時(the first cut) / 野本かりあ2006年

ここから解散後のカバーなど。小西氏がreadymade international運営に本格化していく中で、新たなミューズとなったのが野本かりあ、というか外部目線的には、小西は本当は野宮を首にして第4代目ボーカリストとして野本を起用したかったんだけど、Pizzicatoのパブリックイメージが野宮になっていたのでレーベルなどから拒否されたんじゃないかと思えてならない。これも世相に合わせて歌詞を変えている。アレンジは前のバージョンからかなりアップテンポの4つうちになってる。このバージョンのマニュピレーターは吉田哲人。野本はもともとテクノ好きだったらしく、その意思を汲んだのかけっこうハードテクノっぽいリズム。ちなみに故KAGAMIリミックスもある。この辺の東京テクノ人脈とreadymade周辺はもっと接近した方がよかったと後から思う。

 

東京は夜の七時(盆踊りversion) / 野宮真貴2016年

ソロ活動が割と自身渋谷系パブリックイメージ再生状態になっていたようにはたから見えていた野宮が「東京は夜の七時の盆踊りバージョンを出す」というニュースを聞いたときの、往年のファンの複雑な心境を想像してほしい。というかその企画小西はよく許可したなと思った人が大多数だろう。俺も思った。もともと、ケイタマルヤマの「おしゃれ盆踊り」という企画のために作られて、そこで披露されたらしい。いちおう振り付けもある。狂気か。Get Wildですら盆踊りはないぞ。まあそういったこともあるので、僕は全く聞く気が起きてなかったのだが、今回の記事のためにはじめて聞いてみるとこれはこれでよいのではという複雑な心境になる。というかアレンジが良く出来すぎている。なんだこれ、モダン盆踊りの傑作かもしれない。しつこく入る「いよーっ」という掛け声が今の時代だとすゑひろがりず想像させすぎて勘弁してほしいが。

 

東京は夜の七時〜リオは朝の七時〜 / 浮雲2016年

2016年のリオパラリンピック閉会式披露され、ぼんやり見ていた渋谷系好き中高年の度肝を抜いたカバーバージョン椎名林檎歌詞を大きく書き換え、編曲も行い歌は浮雲こと長岡亮介歌詞の変更は小西と何度もやり取りしたと言われてる(含みを持たせる言い方)。東京プレゼンテーション的な曲調になっていてかなり感動をさそう内容のプレゼンテーションだった。五輪関係権利が色々がんじがらめらしく正式音源リリースはない。東京は夜の七時という曲をJ-POP史上にリプレゼンテーションする作品となったという点で、この曲のファン的には感謝したい。

 

東京は夜の七時 feat. Night Tempo / 野宮真貴2021年

小西2018年に久々に野宮とコラボした少林兄弟バージョンを入れようかと思ったが、個人的な好みでこちらを。韓国人シティポッププロデューサーNight Tempoを起用したバージョンPizzicato Fiveオリジナルバージョンをしっかりと参照したバージョンで正直複雑な心境になるくらいによい。ほとんどのカバーリミックスmfsbを参照していると思われるのに対し、原曲を参照しているというのが興味深い。Night Tempo言動シティポップをめぐるあれこれもあって、あまりよく思わない人が一定数いる(かつ、おそらく旧来のPizzicato ファンにはそういう人が多そうだが、この90年代ハウスな音は原曲への深い理解があると脱帽せざるを得ない。全東京は夜の七時の中ではトップ3に入るくらい好き。

 

東京は夜の七時 / 小西康陽プレイボーイズ (2019年

順序は前後するがなんとなくこれが最後がおさまりが良さそうなので。「井上順プレイボーイ講座12章」に収録されたジャズインストゥルメンタルバージョン。もともと「「円楽プレイボーイ講座12章 / 前田憲男プレイボーイズ」」というアルバムがあり、それの現代版として作られたアルバム井上順ナレーションが乗ってる。(いちおうナレーション無し版もある)軽音楽的なジャズインストクリーントーンのギターの音が良い。そして気づいた人も少ないかもしれないが東京オリンピックの閉会式で使われている。つまり浮雲版と対になってる作品である

 

ということで、また書いてみました。

ほんとはあと数曲(特にカバー曲でヴァニビとかを)入れたかったのですが、泣く泣く断念。

個人的には東京は夜の七時はPizzicato Fiveの曲では好きな曲としては6位くらいなので、そこまで思い入れはないです。

anond:20241101093610

ぶっちゃけそこは法制度の部分とちゃうからなあ

逆に言えば「どうして妻の姓or別姓にするのかと親戚が突っ込んできてウザい」みたいなのはあくまで親戚自身問題であって

法律が変わったところで、そいつらが直ちにおとなしくなってくれるわけでもない

anond:20241101092015

この意見は、日本の「他人の家庭に干渉やす社会性」と「選択夫婦別姓」についての懸念を述べていますが、いくつかの矛盾検証必要な点も見られます。以下、主な問題点矛盾検討します。

 

1. 他人の家庭に干渉する日本文化的傾向

日本社会には、個人選択「家族」や「社会価値観」に沿うべきとされる面があり、特に家庭の在り方や家族構成に関して干渉される傾向があります。これは、文化的に「集団主義」が重視される日本でしばしば見られる傾向であり、家族観や生活習慣が多様化する現代においても、偏見価値観押し付けが残っています

ただし、他国の同姓や別姓に関する取り組みについて「問題がない」と断言するのは一面的です。例えば、アメリカヨーロッパでは選択肢の多様性一般化している一方で、夫婦間や社会的な固定観念が依然として影響するケースもあります。また、多くの国で夫婦の姓に関する制度の在り方や価値観が異なるため、単純に「日本特有問題」と断じるのは、国際的実態と必ずしも一致しない可能性があります

 

2. 別姓選択が「古い価値観」と見なされる可能

「別姓と同姓が拮抗したときに、同姓を選ぶ人が古い価値観象徴になる」との懸念も述べられていますが、これは将来の社会価値観がどのように変わるかに依存する面が大きいです。現在日本では同姓が主流であり、同姓家庭への偏見がすぐに生じるとは考えにくいですが、もし別姓が主流となった場合、同姓が「古い」と見なされる可能性もないわけではありません。ただし、選択夫婦別姓の推進者は「多様な選択肢の尊重」を求めているため、両者の価値観平等を目指すことが理想とされています

 

3. 子供の姓をどうするか

子供が好きな方を選べばよい」という意見に対し、確かに問題は残ります子供の姓は出生時に一つを選択する必要があり、両親間で合意に至らない場合紛争が生じる可能性もあります。ただし、これについては、両親が事前に合意するか、社会的な合意形成が進むことで解決が試みられている国もあります日本でも、子供の姓の扱いをどのように法的に定めるかについての議論が進んでおり、選択肢の一部として姓の選択権や変更の自由度を高める方法検討される可能性があります

 

4. 「ひとりぼっちの姓」への感情的懸念

別姓を選んだ場合家族内で「異なる姓」による疎外感を覚える可能性については個々人の感じ方に依存しますが、確かに一般的な懸念点です。しかし、別姓を選ぶ家庭で育った子供や親自身が「姓」よりも「家族としての絆」を重視するという社会的変化が起こる可能性もあります。別姓家庭が増加した場合、姓の一致や不一致が家庭内連帯感に影響するかどうかについても、今後の研究社会的な意識の変化によって見解が変わるかもしれません。

 

まとめ

この意見は、選択夫婦別姓における課題日本社会の現状に対する懸念を含んでいますが、同時に「選択肢の多様化」による社会価値観の柔軟性も考慮すべきです。社会において、選択肢の増加が「個々の価値観尊重」に繋がることを目指しつつ、制度の整備と偏見の緩和に向けた教育議論が進められることが重要です。

何でみんなそんなに金無いの?

両親や祖父母から生前贈与とかないの?うちは非課税内でチョコチョコもらってて(毎年もらえてるわけではないので言うほど金持ちじゃないと思う)、それをNISAに突っ込んで適当に転がしてるから、老後資金とか困んないんだよな。

 

世代って働けば働いただけ儲かるバブル時代をくぐり抜けてきてるわけで、当たり前に会社員やってればそれなり蓄えてると思うんだよ。ボーナスも多かっただろうし消費税も無かった。預金したら勝手に金増えてたらしいし。

俺の親は自営業だったかボーナスとかはなかったけど、祖父母からマイホーム課税贈与使って家建ててた(俺の実家である)。その家はもう賃貸にしちゃってるけどね。後述の祖父母から家賃運用分を同じように生前贈与されてて、その金で賃貸向けマンションをあらかじめ買ってあったから、定年を超えた今はそっちのペントハウスに住んでマイペース仕事してる。

 

祖父母世代なんかもっとでしょ。戦後のあれこれで家なんか建て放題、今みたいにウサギ小屋みたいなマンションを億で買うこと想像してたやついないだろうな。俺の祖父母会社員やってから自営になって、若い頃に汗流して働きまくって、自分の家と賃貸アパート駐車場をいくつか建てて外に貸してる。

家賃運用していたぶんで、祖父母たち自身生活も賄えてるから年金なすぎとか怒ってるのも見たこと無い。旅行とかのアウトドア趣味が多くてよく外に出るおかげか健康も維持できてるから医療費もあまりかかってない様子。

 

バブル高度経済成長期であれば楽に稼げるとは言わないけど、頑張り時に頑張らなかったやつが、いっちょまえに家族だけは設けてる=貧乏な子孫が増えてる、みたいなのがいまいちよくわからん

今の自分はとにかく税金税金税金!って感じで所得税ありえない金額になってるから、もはや親や祖父母からは同情されてる。そろそろ贈与分で一つくらい固定資産を手に入れたいんだけど時期を見計らってる…

 

 自分の勤務先の親世代上司も大体似た感じで、いい時代に家建てておいてよかった〜親に感謝だわ〜なんて話してる。学生時代同級生もっと金持ちもいるくらい(海外リゾート貸ししてたり、都心ビル持ってたり)。だからみんなそういうもんだと思ってた。

 

で、親も祖父母も金無いやつはどんな暮らしなん?どういう生まれ家業は何をしてる人?一家全員博徒とかなの?嫌味とかじゃなくてマジで分かんないから誰か実態を教えてくれないかな…理解したくても周りにサンプルがいない…

2024-10-31

トランスジェンダリズムに対する強い疑念

https://x.com/oldwave/status/1851907856171508170

僕も原書房の「トランスジェンダー問題」を読みまして、トランスジェンダー側の主張を検討しました。

僕は、以下の問題があると感じています

1. 真正のトランンスジェンダーと、トランスジェンダー詐称しているだけのヘンタイ区別する方法がない。

2. トランスジェンダー性犯罪と隣接している者が多い。(これは前述書でも述べられているし、トランスジェンダー自身がみとめている。)

3. トランスジェンダリズムはラディカルに資本主義社会自由主義社会改革することを求めている。(漸進的に問題是正していく立場をとらない。)

4. トランスジェンダリズムは真の目的隠蔽し、自分たちの望み、自分たちの苦しみをストレート表現することを避けている。

僕は、反トランスジェンダー立場にはっきりと立つだけの確信がない。確信はないが、トランスジェンダリズムに対して強い疑念を抱いている。

anond:20241031213805

あなた元増田か、わかりませんけど、論点をずらしてばかりで

自身の主張が全くされてないのを自覚してください

話があんまり繋がってないの分かる?

↑なにが繋がっておらずか説明して、

質問した内容に答えましょう。

anond:20241031203036

まさかとは思いますが、この「弱者男性」とは、あなた想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。

もしそうだとすれば、あなた自身統合失調症であることにほぼ間違いないと思います

anond:20241031182759

ここまで生きてきた数十年間そんな相手出会えてないなら今後出会えることもないから気にするだけ無駄なんじゃないか

それは君自身問題だよ

anond:20241031165055

お前自身がヤリモクでしか女見てないって気づけよ

SNSの膣アイコンがつらい

自撮りアイコンにするな

膣人は自身存在が膣であり魚臭い猥褻物であるという自覚を持って欲しい

F井電機の思い出

昔の職場が派手に爆発四散したので思い出を語ってみる。

とっくの昔に退職たから、今回の件の内部事情全然知らない。

期待して開いた人はごめんね。


大学の推薦で選考受けた。

写真やってたかカメラ関係メーカーに行きたかった。

一次面接で志望理由説明したら「うちカメラやってないけど?」

募 集 要 項 に 書 い て あ っ た ん で す け ど ?


調べてみたら2ちゃんねるブラック企業リストにも載ってた。

大学の推薦で受けてるから無碍に扱う事も出来ず、真面目に選考受けつつも落ちる事を祈っていた。

無 事 採 用 。


リーマンショックの影響が色濃い時代だったので、内定出ただけマシかって事で入社

本社入社式と新人研修だけ受けて、そこから中国工場に3か月間放り込まれる。


F井電機は「FPS」と言われる生産方式採用していて、カンバン方式カイゼンによる効率化が特徴。

要は昔えらい人たちがトヨタ工場研修を受けて「すげぇ!」ってなったトヨタ生産方式(TPS)をまんまなぞってるだけ。

FPS無限改善」とか言ってたけど「無限ではねぇだろ」といつも思ってた。

このFPSを学ぶために新人中国工場ライン工として送り込まれる。


工場広東省のド田舎にあるので娯楽はなく、自動的工場の寮に缶詰状態になる。

休みの日はたまに先輩が深圳に連れてってくれたりはあったけど、基本的工場周辺の飲食店スーパーに行くぐらいしか出来なかった。

工場で一緒に働くのは更にド田舎から出稼ぎに来てる兄ちゃんちゃんで、自分中国語話せなかったけどメモ帳漢字筆談で割となんとかコミュニケーションできてた。

無愛想な人もいたけど、フレンドリーな人も多くて異文化交流が楽しかった思い出がある。

ただ、自分たちがその辺の工員の10倍の給料を貰ってる事だけは絶対黙っとけと言われてたので、交流しながらずっと心にわだかまりがあった。


肝心の研修の方は、まぁキツいながらも面白かったかな。

ただ、それ以上の学びはそんなになく「こんなに金と時間かけてやるほどの研修か?」と思った。

研修の終わりに配属希望を聞かれたので、ライン担当していた製品部署希望した。(当然カメラじゃない)

最後送別会では白酒をアホほど飲まされ、みんなで寮のロビーで死んでた。掃除のおばちゃんごめん。


で、本社に戻って配属先発表。

全く別製品部署に配属が決定。

流石に3か月も工場にいるとその製品について詳しくなるわけで、それを活かす部署に配属されるのかと思いきや、全く別の部署

いよいよ何のための研修だったのかわからなくなる。


部署に配属されて、先輩のもとOJTで色々と学んでいった。

人に関しては良い人が多かったかなーと思う。

ただ、雑談で話す内容が基本「社内の噂話」「ゴルフ」「女」「酒」ばっかりで、全然水が合わなかった。

技術職ってもっとオタクがいるのかと思いきやめっちゃ体育会系

そういう意味では情に厚く面倒見のいい人が多かったかもしれない。

飲み会の後に興味ないおっパブに呼び出された挙句自分の分自腹で払わされたのは未だに納得してないけどな。


仕事の方は流石にアレコレと具体的には書けないけど、とにかく会社ケチだった。

年間休日数は業界内でぶっちぎりの最下位祝日のある週は土曜出勤ってパターン

出勤日数多いか給料いかっていうと全くそんなことなはい

しか残業代はフルで出てた。定時は22時みたいな感じだったけど満額支給だった。謎。


仕事で使う文房具や工具類は買って貰えないので基本自腹。

外注するような部品は流石に経費申請するけど、ホームセンターで買えるような材料は自腹。

外注先への見積もり依頼も基本的相見積もりを取って、必ず価格交渉するようにと厳命されていた。

地元のおじいちゃんがやってるような町工場に毎回価格交渉するのが本当に嫌だった。

良い仕事してくれる相手を買い叩こうとする会社が嫌いだった。

挙句、値段だけみて中国の激安工場発注して、とんでもない品質で上がって来た部品社員が手作業リワークすんの。バカかと。


そういえば、全国にある某施設に収めた製品不具合があるのが分かって、暇そうな社員集めて全国修理行脚するなんてイベントがあった。

北海道沖縄案件に誰が行くかでザワザワしてた気がする。

自分青森担当になって、往復の飛行機ホテル2泊の事前申請?をしたんだけども、

「往路は丸一日かけて青森まで新幹線で行ってください」「復路はホテルに泊まら夜行列車で帰ってきてそのまま出社して下さい」って言われた。

行きはバカみたいに時間かけて行くくせに、帰りそんな急いでホテル代までケチ必要あるんか???(帰着日に急ぎの案件があるわけでもない

ちなみにその夜行列車普通に遅延したので、出社したのは朝の予定が昼過ぎ。なんなんだよ。

出張の時はどれだけ時間かけてもいいから1円でも安い交通手段を探せってのがルールになってて、人件費って知っとる????って感じだった。本当にアホ。

自分が辞める直前の頃は業績も悪くて出張行くのは管理職以上ばっかりで

その管理職自身役員が納得するような安い飛行機めっちゃ時間使って探すような状況だった。あのさぁ人件費って(ry


まぁ、こんな感じで人にもモノにも金払い悪いし、本当にセンスないなって思った。


あと、おじいちゃん会長自分会社を好きすぎ。

会長が本書く度に社内で配ってた。誰も興味ないのに。

「業績悪いかボーナス減らすね」って言いながら自分の功績をまとめたWebサイトとか社史とか作ってた。マジそういうとこやぞ。

社長から会長になっても、新社長の影が超薄い。裏で牛耳ってるのは結局会長

社内行事があっても「会長は、会長でないと対応できない案件のため欠席です」ばっかり。

波乱万丈なAV機器業界で90歳のおじいちゃんが舵取りしてて生き残れるわけないじゃん。


辞める決意をした一番の理由やりがいの無さだったかな。

自分設計したもの工場で量産されて市場に出ていくのは確かにおもろいよ。

でも、

自分日本設計して、

行った事もない中国工場で量産されて、

アメリカのどこぞのウォルマートで売られて、

全然知らん人達が手に取っていく

って一見すると技術者として幸せなようで、全くやりがいがなかった。

自分仕事がどこにどう繋がってるのか、自分の目や肌で感じる事が自分の中では大切な事なんだなって気付いた。

から辞めた。


会社ものづくりしても何も面白くねぇわ!!!ってなって、今は全く別の業界で生きてる。

辞める時は上司が「そんなんで世間通用するとは思えない」って言ってたけど、普通に年収増えてるしノー残業だよ。

一緒に仕事してた人たちはどうしてるだろうなぁ。無事に逃げられてたらいいけど。

追記

嘘松認定されてて草

まぁ話半分で読んでくれたらいいよ。

編集画面開いたついでに小ネタ書いとくわ

まんが道」のテラさんは正しかった

アイドル界の混沌も描いた『推しの子』が、本来対象じゃない低い年齢層の子供にも受容されてて関係者が焦るみたいなニュースがだいぶ前にあったけど、

自分の子時代も含めてだが、この約四十年以上も、『推しの子』どころではない、本来子供に見せるべきではないコンテンツ子供向けと強弁して売り付けるような商売が横行し続けているとしか思えない。

親の本棚からとか、河川敷に落ちてるエロ本から見ちゃったとかそういう次元ではなく、最初から子供向けとして、人間性健全な発達や安心を拒むコンテンツが溢れている。

単なる暴力セックスの話では収まらなくなってきている。最近少女漫画ではメンタルヘルスが病んでいる状態をむしろ美化しているのが常態化している。学歴差別格差ギャグのように描く作品もあり、それを小学生女児がこれから自分が過ごす社会の有様として受け止めながら読む、そんな光景すらある。

自分の話をすると、小さい頃から色々な漫画に触れられる環境にいた。親はむしろ漫画を気にせずどんどん読ませてくれる側だった。

だが、何というか、しっくりくるコンテンツが無かった。平成中〜後期の現行コンテンツより、帰省先の母の実家に捨てられずに残っていた昔の漫画の方が、地に足についている気がしていた。

大学で「こども文化論」みたいな科目を取った時、子供向けコンテンツの変遷を調べる機会があった。月並み結論からいうと、70年代を境目に、子供へのアプローチが大きく変わっている。子供は育てるべきものではなく、子供もそこで消費者すり替えられていた。そしてそれは子供自身が望んだことではなく、明らかに大人商売のために作られたものだ。

もちろん昔から赤本漫画など色々な問題があったが、それはしっかりと不健全もの理解されていた背景があり、それに対して「健全」さがしっかりと対抗できていた。今は、少年漫画少女漫画も、その槍玉に挙げられていた赤本(技巧やページ数の限界で抑えられていた)より数十倍も酷い内容を、美麗な外見でやっている。

ここで、『まんが道』(とその続編)に出てくる、テラさん実在した漫画家・寺田ヒロオ)の話を思い出す。彼が何をしたかは、検索すればサジェスト経由ですぐわかるだろう。「闇」扱いされてるが。

自分の連載と同じ漫画雑誌で連載されていた他作者の漫画「恐怖魔人ゾンビラス」(漫画内の仮称で、実際は楳図かずお永井豪漫画か?)に対して、編集長に「子供に悪い影響を与える、連載をやめろ」と異議を直談判し、それが受け容れられないと自らの連載を切ったエピソードなどだ。

漫画的脚色はあるが、テラさんの行動は様々な方面から史実と言える。子供のための「健全漫画コンテンツ」を求めたテラさんの行動は、漫画内の描写はもとより、ネット上でも「時代変化を理解しなかった頑固な人間」「遺物」みたいな扱いを受けている。

しかし私は、テラさん立場の方がずっと正しく、明らかに子供に対して誠実だったと、60年も後から思わされている。

ただ付け加えると、テラさんは、大人向けとはっきりわかる形で描いたアダルト作風漫画までは否定していない。テラさんが心を割って話せる存在任侠アダルト漫画家の棚下照生だったように。

子供に、身の回りの有様を伝えるときに、まともな人間なら、「人間関係は全て打算で、あらゆるもの欲望で出来ており、全てが醜い」と伝える人はいないだろう。社会にそう言う側面があっても、そこだけを切り取って子供に植え付けるのはまともな行いではない。

テラさん当時の、技巧的に発展途上の漫画劇画ですら、子供たちの世界を暗く後ろめたいものにしていたが、当時はまだ最低限の良心タイトルで煽る形で分かりやすくしていたのかもしれない。だが現代ではそれは一見からない形で(ギャグロマンスなどの体裁を取り)提供されるようにすらなっている。

はっきり書けば、思春期より前の子供には、ごく単純な、心理描写が少ない、身近な人間関係を描いた作品以外、適していないと思われる。

近所で野球をするだけ。親の手伝いをするだけ。学校で仲間と学び合うだけ。動物と戯れるだけ。「それだけ」の漫画で充分だった。

それをしなくなったのは、そして子供向けではないコンテンツ子供蔓延したのは、子供事情や「時代要請」「技術の発展」なんてものではない(子供が「ハレンチ学園」や「トイレット博士」を望んだのではない)。大人商売の都合なのだ

子供漫画社会の両輪で我々以上にますます病む前に。今一度、テラさんの突きつけた建前を、考え直す必要があると思う。

anond:20241031131829

国民民主党玉木雄一郎代表が、29日に出演した民放番組で、

自身石破茂首相立憲民主党野田佳彦代表が引っ張り合っているイラストを指し、

「男同士が引っ張っているのは嫌。気持ち悪い」という趣旨発言をした。

X(ツイッター)上では「同性愛嫌悪ではないか」などと波紋が広がっている。

物流倉庫なんかにロボットを導入する仕事をやっているので現場のオバハン達から割と冷ややかな対応をされることが多い

仕事を奪われることに同情はするけどさ、パートでのピッキング作業しか勤まる仕事がないのはあんたら自身責任なんだから八つ当たりせんといてほしいわね

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