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はてなキーワード: 2000年代とは

2017-06-14

エロゲ流行ったのは2000年代前半のアニメが停滞期だったから説

90年代末。

アニメドラゴンボールが終了。セーラームーンも終了。ガンダムはXで休止。勇者シリーズも終了した。

神坂一あかほりさとるアニメからはほぼ撤退した。

エヴァのあと、次なる大ヒットを出せないまま、平日夕方アニメ枠は縮小していく。

ビバップウテナlainなどは現在でもカルト的な人気を誇るが、決してエヴァに並ぶヒットとは言えないだろう。

またアニメ原作供給源たる漫画業界でも、週刊少年ジャンプが暗黒期を迎えていたのがこの時期だった。

2000年代前半。

夕方から深夜への移行期ということが大きいのだろう、オタクあいだで話題になった作品が圧倒的に少ない。

ONE PIECENARUTOBLEACHの新ジャンプ御三家を除けば、あとはガンダムSEED攻殻機動隊SACくらいではないか

ハルヒらきすたけいおんギアスマクロスF禁書目録化物語……

2000年代アニメと言われて思い出すような作品ほとんどが後半のものである

この1990年代から2000年代前半という時期は、まさにエロゲ全盛期に当てはまる。

雫が96年、ToHeartが97年、 ONEが98年、Kanonが99年。

そしてデータによれば、2004年ごろからエロゲ市場は縮小の一途だという。

このエロゲの衰退はラノベに取って代わられたからだという意見も聞くが、

ラノベの本格的な流行は20006年の涼宮ハルヒの憂鬱のヒットまで待たねばならない。

一方で、深夜アニメの放映本数が急激に伸びはじめたのは、まさに2004年ごろなのである

http://www.videor.co.jp/casestudies/research/tv/2013/images/04_2_2.png

やはりアニメオタクコンテンツ王者である

エヴァによって目覚めたオタクたちが、アニメの停滞から一時的エロゲ雪崩れ込んだが、

やがてアニメは復活し、それに伴ってオタクたちもアニメに帰還した――

という仮説を立てたので誰か検証してください。

2017-06-04

右傾化の息の根を止めるなら鉄道趣味秋葉系弾圧せよ

2011年アニメ魔法少女まどか☆マギカ」に次のような描写がある。

敵の魔女攻撃を受けた魔法少女は死後に魔女となって復活した。魔女魔法少女を襲う敵だ。そこで魔法少女はその魔女を殺しにかかる。では魔法少女の亡霊は…?

そして、このような亡くなった魔法少女魔女化を引き起こしているのが宇宙人仕業だとわかり、魔法少女魔女になった魔法少女のためにも宇宙人を殺すことを決意する。

各地でサブカルチャー方面から右傾化が起きている。今までの所謂ネット原住民空間における安倍旋風問題に加えて今度は何故かサブカルという本来無関係なはずの方面から右傾化が始まり、今までサブカルチャー依存していた左派が動揺している。

そして最近調査では、ネット原住民空間特に2ちゃんねるでは左傾化が始まっており、鉄道趣味秋葉系がメインの右派人材供給源と化しているという報告がある。ネット右翼保守シンパはそれに気づいていない。2000年代とは右派供給源が変わっていることは明白だ。

さらに隠れ右派跋扈している可能性は、いまや日本鉄道趣味秋葉系界隈であればどこでも可能性がある。積極的右派活動はしないまでも、ひとつ間違えば左派でいうアニメオタクの例のように先鋭戦力化することもありうるのだ。

そこで「魔法少女まどか☆マギカ」の様相を呈する。

右派右翼跋扈するネット原住民攻撃するのなら、宇宙人魔女化した魔法少女魔法少女殺害したように、なぜ鉄道趣味秋葉系弾圧しないのか?

タイトルやこの文章はもちろん逆説的な意味である鉄道趣味秋葉系弾圧しても、ごく一部のウヨネトウヨを倒すだけで、ほとんどの被害者一般人ノンポリ左翼になってしまうからである

この冷静な判断がどうして日本左翼界隈ではできないのかを問いたいと思う。

魔法少女まどか☆マギカ」では疑心暗鬼かられた人間が、ついには仲間まで信用できなくなり、無実の人間同士が殺し合い、強い魔法能力を身につけた魔女も敵として魔法少女殺害される。そしてついには仲間の崩壊を招いた。

これと似た状況になりつつある。2011年人間の心の醜さを描いたアニメ魔法少女まどか☆マギカ」は見事である

はじめから望んで犯罪組織に入る人がいないように、人間ウヨネトウヨとして生まれるのではない。どこかで憎しみや愚かさを抱いた時、ウヨネトウヨになるのだ。ウヨネトウヨを倒して気勢を上げれば、その肉親は憎しみから娯楽や文化を殺すことを誓う。この連鎖はおそらくとどまることを知らないだろう。教育界隈や、警察界隈の腐敗がゆとりさとり世代暴力団暴走族という妖怪のような集団を生んだように、右派狩りさらなる過激右派を生むと思われる。

ひょっとしたら魔法実在していて、この動きをほくそ笑んでいるのかも知れない。

2017-06-02

日本社会を一発で改善する有効

痴漢を一発でなくす方法

世界で最も痴漢問題が激しく、陰湿化する国は日本なのである。おなじ満員電車の国のアメリカ韓国中国には痴漢はない。なぜ先進国で唯一日本だけこの問題があるかと言うと、それはおそらく「責任主体明確化することを渋る」からではないか痴漢戦犯第一加害者だが、加害男は、ただ好き勝手やってれば自分処分されることをわかっているため、他人責任を負わせるのである鉄道趣味などを煽り傍観者共犯者じわじわと作る。そうすることで、自分ひとりが糾弾されたりすることから逃れられるのだ。もし仮に利用者のうち80%くらいが加害者傍観者含む)となれば、その常態企業は「問題がある」と認めることはできない。なぜなら利用者加害者家族含む)から「うちの人生がどうなってもいいのか!」と糾弾さらされることになるからで、行政からも圧がかかる。

もし仮に、その鉄道都市のすべての鉄道路線のうちにたった1路線がそういった常態だったとしても、それでも1路線危険地帯一色に染まるともなれば由々しき事態なので、当然新聞沙汰になるし、運営も、場合によっては行政の面々なども処分をされかねなくなる。かくして隠ぺいや黙殺が起きるのだ。隠ぺいや黙殺すればするほど痴漢じわじわ鉄道路線全体に広まる。そしてそれがどの鉄道でも当たり前になり、どの交通機関でも当たり前に、どの都市も平均的な風景になったのが今の日本だ。東ドイツと同じなのである宗主国の顔色を窺った東ドイツ政府が、無責任国民ハラスメントするような構造と一緒だ。

痴漢問題は、加害者が少人数(できれば一人)の時点で発見し、その利用者定期券没収などの制裁を科すことができればいい。もしそれが食い止められずに全体に広まれば、運営の首を飛ばす仕組みを作れば、運営会社もっと積極的にマトモにこの手の問題と向き合うようになる。なぜこれができないのか。本当に日本公共交通ダメだ。

裏社会過激派左翼をなくす方法

韓国中国過激派左翼暴力団がない理由を考えたのだが、おそらく「公的勢力権限」が徹底されているからだと思う。2000年代以降の韓国中国風景は、さまざまな公共団体への相談窓口が用意されており、裏社会につながる利権パイプが発生しないようになっている。これは最近欧米でも普通のものだ。ようするに公共サービスが徹底していて、社会の裏側に必然的に手出ししないように済むわけで、住民安心して問題点解決できる。サービス効率や質もよい。日本場合公的機関権限がいい加減だから下の人間(昔は裏社会で今は過激派左翼)が利権を作る原因になるんじゃないか

これは社会イメージアップもつながり、問題などを一番小さな次元で食い止めることができる。日本のような公的機関蔑視される環境だと、公共責任あいまいになり、過激派利権問題JKビジネスのようにとりかえしのつかない規模になってしまう。いま、世界に名だたるオタクの街が潰れかかっているのはまさにそれが原因ではないか。よくいえば都市国家イメージアップになり、人民利益モチベーションのアップにつながる。これは本当に良いと思うので、日本採用してほしい。欧米だけではなくアジアでこういうシステムをやらないのは日本だけだよ。

日本人民度ダメになる理由もこれ

日本民度がいまダメになっている理由もこれで説明がつく。なぜ1940年代日本や今で言えば韓国の過ちと同じことを繰り返そうとしているのかというと「忖度」してしまうから。これはネトウヨ高齢者も考えるべきことだ。君たちの大嫌いな「だらしない日本人の態度」の原因は、特定人間責任にできないことにある。

アメリカ人であれ中国人であれ、世界のどの超人職人個人単位での評価が当たり前である

韓国超人紹介を見ると、必ず名前の紹介がある。日本みたいに民族のもの評価になることはない。これは米国でも欧州でも当たり前だ。

日本でこのような考え方が徹底されるようになったのは2010年代以降である。それまで、あたか日本社会自体がすごいという拡張表現することしかないし、インタビューさえ氏名不在の場合が多い。誰が取材したのか、誰が伝えているのかがさっぱりわからない報道が目立つ。

結果的に、無関係のない人達が矢面に立たされてしまい、特定世代がひっくるめて糾弾されることになるのではないか。あれだって世代における共通点があったとしても、悪いのは顔の見えない、名前も出て来ない者である

2000年代2ちゃんねるがひどいとか言われてた割に

終わりごろはミクシィニュースのほうがひどかったですし

結局徒党形成されるとどんどん視野が狭くなってアホになるという話かもしれませんね

2017-06-01

http://anond.hatelabo.jp/20170601145935

アニメ化に限っては、スレイヤーズのあと沈静、シャナハルヒあたりで爆発的に増加、という流れで、そのあいフルメタマリみてが散発的に人気になったくらいで、ブギポは谷間の時期だよ。

ラノベ業界の内側にかぎっていえば、ブギポファンタジーから現代ものへの転換期において確かに重要作品だけど。

スレイヤーズと同種の作品としては、当時で言えばゴクドーくんやフォーチュンがあったし、そのあとも伝説の勇者の伝説とか、まったく後継が出てないわけではないよ。

ただラノベ自体ファンタジー一辺倒ではなくなり、むしろ反動2000年代にはファンタジーが少なくなってしまったりしたけど。

2017-05-29

ちょっと思うところあって個人の目から見た腐女子ルールの移り変わりとそこにいた私の変化について書いてく。諸説あるから私の渡り歩いてきたコミュニティはこんな感じだったという話で

2000年前後

ヤフー検索個人サイトとかゴロゴロ出てきてた時代最初はそんなに検索避けうんたらガーガーうるさくなかった気がするけど、だんだん検索避けマナーって話になっていったような。

ちなみにこの頃は家にインターネットなんてなかったので学校PCとかで同人サイトあさってた。多分言うところで言えば殺されると思う。でもそこに別に特に疑問は思ってなかった。たぶん最初BLがなくNL中心に、年齢制限のない可愛らしいファンアートを漁ってたというのもある。

(このへんの二次創作ユーザーにおけるNLから問題ないという高慢な考え方は今思うとどうなんって思うけど)

それに先生と仲良くなって放課後とかに許可もらって本当に「遊ばせて」もらってた(授業中に変なサイトいってたわけじゃない)から別に趣味でネサフして何が悪いのって思ってた。

今思うと先生同人サイトネサフさせてもらえるまで仲良しになってたコミュ力すげぇな当時の私、って思う。今同じこと絶対できない。

2000年代前半

うっかりBLに染まってしまった。そしてBLサイトを漁るようになった。そのあたりから検索避けマナーだと「みんながいいだした」。見るサイトマナーサイトバナーを見るようになった。無断リンク禁止という言葉を見るようになった。とても素直で純粋だった(今は見る影もない)当時の私は素直にそういうものなんだと思い、検索避けマナーだし無断リンクはとても悪い事なんだと考えるようになった。

BLは隠れないといけないんだ!作者の目に触れてはいけないんだ!!って思ってたし、検索避けしてないサイトをなんて非常識なんだろう!って思ってた。インターネット原則とかそういうものは全く知らなかったしハイパーリンクのなんたるかなんて存じ上げませんでした。

2000年代中盤

ある一つのサイト出会う。知ってる人もいると思う。「ガラマニ」さんである

そこで受けた衝撃はもう本当にものすごかった。こんな世界があるのか、こんな考え方があるのかと正に雷に打たれたような衝撃と言っても過言ではなかった。

確かに言われてみればその通り、と思わされることはいくつもあった。

そこからそもそも検索避けって何だろうとあっちこっち調べて回って、検索避けというものに対してとても色々な考え方があるんだ、とようやく知る事ができた。

恥ずかしい、隠れたい、という気持ちはとても分かるけど、だからっていたずらにマナーマナーだと隠れるだけじゃなくて、何のために隠れるのか、原作者の方にお目こぼしを貰って二次創作を楽しむ立場人間として何をするといいのか、色々と考えるようになった。

けどやっぱり世の中の流れは検索避けマナー無断リンク禁止に傾いていた、と思う。

2000年代後半

オンラインブックマーク禁止とかそういう話が出てきた。この頃はもうそれがインターネットという広い世界からしてみればおかしな話だと分かっていた。

無断リンク禁止がとても我侭な発言だと理解していた。けれど他に都合のいい場所なんてないこともとてもよく分かっていた。

現実ではこんなに仲間と繋がることなんてできない。ネット世界くらいでしか趣味について話せない。今ネットを経たれてしまったら精神的に死んでしまうかもしれない、というくらい、ネットコミュニティに異存していた。

からこそおかしなことはおかしなことである上で、それでも他に代替手段のないこの世界でどうやったら折りあいをつけていけるのかいつも考えていた。

からネット上のルール理解した上で、検索避けであったりを使いながら、禁止ではなくて誠心誠意お願いをしながら、どうにかこうにかそれなりにBLを楽しんでいた。

この頃は検索避けしすぎるのどうなの、と言い出す腐女子は増えだしていた。検索避けは必ずしもマナーではないという考え方は、だんだんと珍しいものではなくなっていった。

2010年前後

Pixivが有名になった頃。検索避け的にどうなの、という話はあったけど結局のところ今ではこの通り、超大型サービスになっている。

そう、当時Pixivは私の周囲の検索避け好きな人達にとっては敵だった。あんBLが誰にでも見られてしまうようなもの、というくらいの扱いだった。

でも結局個人サイトはどんどんなくなって、二次創作が見たければPixivに行け、という時代になった。結局なんだかんだ言って「たくさんの人と触れ合える」ことは魅力だったんだろう。

けれどやっぱり隠れたい、マナーが、と言う人はいて、Pixiv内にどんどん腐女子独自ルールが作られていった、みたいだ。というのも、私はそのころPixivはやっていなかった。

その頃はまだ時間も元気もあったので、サイトという自分の城を更新していたし、活動主体文章だったから。

それにやっぱり、まだBLが大多数に晒されるのは怖かった、というのもある。あんなところに行っては誰に見られるか分かったもんじゃない、とビクビクしていた。

検索避け独自ルールはそれでも根強く残っていたけど、もうなんだか最初の主張から比べるとなぜ検索避けするのかの大義名文すらどこかに行ってしまっていたように思えた。

このころの検索避けは、単に自衛手段だった。

・それ以降~最近

SNSだの何だの発展が早過ぎてむしろ流れをはっきりと思い出せない。

Twitter最初周りでは「オタクの集まりでどんなヘンタイ発言も許容してくれる」みたいな扱いだったのに今やマナーがどうだとかやっぱり腐女子ルールができた。

腐は鍵垢に篭れとさんざん言われたし、オープンBLの話をするとマナー違反だと言われた。

時代が「二次創作って黙認だよね」とか「公式二次創作OK作品も増えてきたよね」って中でそれでもBLはなんだかケガレみたいに扱われているところがある。

サイトはどんどん閉鎖していき、結果二次創作サイト向けのマナーも語られることはなくなっていった。

かわりにツイッターでのマナーピクシブでのマナーが語られるようになった。でもマナーは結局のところわたしたちのかんがえたさいきょうのマナーしかなかった。

結局のところ「検索避け」は今でも少しずつ変化しながらマナーとして語り継がれている。

2017-05-28

鉄道趣味叩きは「児童ポルノ潰し」の要領で応用せよ

http://anond.hatelabo.jp/20170528071247

我欲自慰公共露出する目的活動は、どれほど過激な行動がなくとも、たとえば公共交通内ではなく、もしマイカーオートバイで似たようなことをしたとしても、少年少女退行から大人に戻れない。そもそも正常な趣味じゃない。その前提で大人鉄道趣味を叩くべきだ。

熱心な鉄道好きの一人である高山何某が悪いのは、自らの振る舞いを卑怯少年少女退行と思っていないことにある。「大人がグレる時代から」と、あまりにも情けないほど卑屈すぎる詭弁を撒き散らしているのだ。

そもそも存在自体社会にとって許されるものではないのが児童ポルノ鉄道趣味なのである。で、当事者自分のことを世間の人たちは目を背けたがるような存在と見なしていることを分かった上で、「ワル」な自分に酔いしてている。これも一緒だ。しかし、社会姿勢があまりに違いすぎる。

鉄道趣味大衆化による弊害2000年代後半の所謂罵声大会を起点に一機に広まっている。狼藉2012年から目立つようになり、更に元締めすら酷くなったのは2013年からで、度々炎上しているのに、社会鉄道趣味公共ビジネス現実批判しようとしたのは1つもないように思う。これはあまりにも公正とはいえない。

非常に不思議なのである児童ポルノなら1999年法規制される前には、すでにその固有名詞存在し、社会問題として認知され、有罪沙汰もあったことは渋谷系文化の記録でもわかるのだが、なぜ鉄道趣味はそうできないのだろう。

鉄道趣味類似している問題は、児童ポルノである児童ポルノは、1990年代から発生した社会問題であるが、これは「表現の自由」と言えるものだろうか?少年少女の性消費で我欲を満たしたいという若気の至りの裏には、住民治安被害少年少女搾取などの不安がある。

性消費感覚鉄道趣味に明け暮れる高山何某は、鉄道趣味の中でもハイレベル存在なのである。つまり、退行を拗らせたこいつらをつまみだして、大人に更生させる回路を作れば、幼児退行はこの国から消えるんじゃないだろうか。

2017-05-23

ネット右翼に活気があった時代を生きていた人が羨ましい

私の政治運動デビュー2009年4月4日ネトウヨ旋風の時代だ。ちなみに生まれ1985年2月27日

当時の愛読本小林よしのり漫画だった(今は左翼転向してしまった)。

そういう生い立ちがあるので社会人2年目くらいの頃からネット右翼について興味があって、ネトウヨについてよく調べていた。

私の世代は、2ちゃんねらーサブカルからって特別ネトウヨに詳しい人なんて居なかった。ネトウヨについて調べていたのなんて私くらいだ。別に右翼思想に興味があるわけではない。参加者やそのバイブルについて興味があるのだ。

こう言うと不謹慎かもしれないが、ネット右翼ロマンを感じてしまう。2ちゃんねるとある板の不気味な感じとか、デモ行進をそこらじゅうで起こしていたこととか、右派なのに左翼スタイルで行動していたこととか、不気味な出版物原稿料印税を稼いでいたこととか、薄暗くて、どことなく惹かれるところがある。ほかの人がカルト宗教とか左翼過激派とかヤンキー暴走族に惹かれるのと似たようなもので、私はネット右翼ロマンを感じる。

しかし、残念なのはあの時代をもう経験できないことだ。

ネット右翼系の出版物がそこらじゅうにあっていつでも新品を買えた時代桜井誠掲示板で討論していた時代大学2ちゃんねるなどでネット右翼オルグしていた時代ニコニコ動画愛国動画が乱舞していた時代日本人胡散臭い過激思想を大真面目に信仰していた時代。あの歪んだ2000年代を、私はもう経験することが出来ない。1日でいいからあの時代の空気経験してみたかった。

あの時代経験したあなた達が羨ましい。

2017-05-11

なんだかんだ言って進撃の巨人おもろいわ

漫画アニメも。

どうやって話を盛り上げるかちゃんと考えられてる。

アニメクリフハンガーとか基本をきっちり抑えててエンタメとして考えりゃ一流の仕事だ。


英語圏で受けるためにはやっぱこの辺押さえておかないと駄目だな。

Youtube違法なReaction動画が山ほどあってワロタよ。

いかにもなオタク系だけじゃなくて夫婦で見たりグループで見てるようなパリピみたいなやつらまで見てるし。


話のテーマもfakenewsが流行ってる今の時代完全に一致しとる。

主人公達が情報翻弄される様とか偏りすぎたイデオロギーが何を引き起こすのかとかネトウヨ全盛時代に影響受けたと公言するだけあってよくできてる。

一歩引いて作ってるから極端な左翼右翼じゃなくてファクトを重視しろみたいな部分も見えるし。

やっぱ2000年代ネトウヨ(alt-right)流行英語圏より早かったのかもしれん。

まぁ作者と同世代から強く感じるのかもしれないけど。

それだけに2期が13話しかないのが惜しい。

遅くとも来年位までには続きやらないと今の世代への共感性の部分の賞味期限が切れるかもしれん。

円盤は売れなさそうだけど、配信権だけで多分元は取っただろうし続きは出来るはずだからやって欲しいなぁ。

2017-05-10

bonchacchangaこそネット原住民でgreatchina2こそネットヤンキーである

http://anond.hatelabo.jp/20170508230629

bonchacchangaがネット原住民である傍証



greatchina2がネットヤンキーである傍証



そして彼らがネット界隈で嫌われている最大の要因は、「左翼を名乗りながら天皇制に全く反対していない」ということである

もはや天皇制廃止世論が出てきている中、その声から目を背けることはもはや彼が右派工作員であると疑われて致し方ないものである

彼らはもはや貧民社会と都会人リベラルの風上にも置けない人間。それがネット原住民のbonchacchangaであり、成り上がり趣味反動分子・不良臭の三拍子揃ったgreatchina2である

2017-05-02

http://anond.hatelabo.jp/20170502103518

音楽しろアニメしろ電子配信とか定額サービスとかが増えたおかげで、2000年代よりは違法なのも減ったと思うんだけどね。

2017-05-01

ちょんの間」と化したJリーグ

近年のJリーグは2つの意味で「ちょんの間」と化した。

まず、朝鮮系選手の増加。総数では増えたり減ったりだが、近年急増しているポジションがある。ゴールキーパーだ。

J1では18チーム中5チームの正GK韓国人プロ野球に例えたら、12球団中4球団の正キャッチャー韓国人のようなもの

昔はプロ野球朝鮮系メッカだった。最多安打の人も始めとし、記録を持つ選手朝鮮系が多かった。一昔前の阪神は、スタメンの半分が朝鮮系だった。しかし今は朝鮮系選手ほとんどいなくなり、代わりに朝鮮系Jリーガーが増えた。

もう1つは、暴力ファンプロ野球からJリーグへの移転

昔のプロ野球は毎年のようにスタジアム暴力事件が起きていたが、2000年代に入って各球団暴力ファン応援団暴力団追放を強く図った。応援団を認可制にし、一度でも問題を起こしたらその応援団解散構成員原則永久入場禁止問題行動につながらないよう、持ち物制限も厳しくした。その結果、スタジアムボールパーク化にほぼ全球団成功し、土日のスタジアムはどこもほぼ満員。スタジアムにはオッサンだけではない、子供女性の姿が目立つ。

ではその「暴力ファン応援団暴力団」は何処に行ったのか?

Jリーグスタジアムゴール裏である

ある首都圏クラブの事例を書く。

2000年代前半、そのクラブは全盛期と言って良いほどの成績を挙げ、観客動員も増加中だった。しかしまホームスタジアムには余裕があった。そこで野球スタジアムから追い出され、行き所を探していた彼らは、その首都圏クラブに目を付けた。彼らは牽引力だけはあるので、ゴール裏の統制をとれるようになるまでは時間がかからなかった。ここまでなら良かったが、そのうち彼らは意にそぐわない既存サポーター一般客の「追い出し」にかかった。アウェイ試合を「テレビしか見てないやつはホームスタジアムにも来るな」と言い出すようになったり、試合後に度々暴力事件を起こしたり、スタジアムに物を投げるようになったり、その暴挙枚挙に暇がなくなってしまった。なおその時の中心人物は度重なる暴力事件で何度も無期限入場禁止(たいてい、1年経たずに解除)処分を食らった後、スタジアムの一線から退き、政治活動をするようになる。

2000年代以前は、Jリーグサポーター問題行動は数が限られていた。鹿島の「インファイト」くらいのものであった。しかし、2000年代以降は、日本中インファイトと同等の問題サポーターグループができてしまった。J3はまだその様子はないが、J1とJ2はどこも似たようなものであるJ2でも最近徳島サポーターやらかしたが、一昨年は北九州が「ぶちくらせ問題」を出してしまったし、去年はジェフ千葉サポーター暴動事件を起こしている。つまり毎年事件が起きている。

それと同時に、プロ野球におけるファン応援団暴力事件が激減したのとは対照的である。「お弁当ビールを飲みながらゆっくり観戦できる環境」は、今のプロ野球には12か所もあるが、Jリーグにはほとんどない。

これは、昔の違法風俗街だった「ちょんの間」が、2000年代に入ってから相次ぎ摘発され、別の場所に住処を求めている様相とそっくりである

もはや、今のJリーグは「ちょんの間」とそっくりだと言って良い。「ちょんの間」がある繁華街エリアと同様に、今のJリーグは少人数でふらっと行ける環境ではなくなっている。Jリーグも何らかの本格的な対処必要だが、何を恐れているのか本格対処に動く気配は見られない。現在Jリーグは、毎年女性比率の減少と、サポーターの平均年齢上昇が続いているが、その傾向は今後も続くだろう。

2017-04-26

mixi自身の衰退とともに潰した文化

それは、マイナー趣味コミュニティだ。

mixi自身の衰退とともにこれらを潰してしまった罪は非常に重いと思う。

私は2000年代前半からあるマイナーアーティストファンサイト運営していた。

今の若い人には「ファンサイト」という言葉すら通じないかもしれないが

当時は有名なアーティストなら最低10個くらいはファンが作る応援ウェブサイトがあり

掲示板を中心に他のファンと延々と語っていたものだった。

有名なアーティストは後から参入しても人が集まる余地がなかったので

私はまだファンサイトが全く無かったある新人アーティストファンサイトを作り、

決して多くないファンとの交流を楽しんでいた。

その2年後くらいにmixiの大ブームが起きた。

自分比較的早くmixi登録をすることができたので、

そのアーティストコミュニティをすぐに作って管理人となり

ブームの間は多くの人との交流を楽しんでいた。

自分ファンサイトには人が来なくなったが、

mixi上で盛り上がっていたのであまり気にしていなかった。

そしてその2年後くらいにmixiはあっという間に廃れた。

そのアーティストコミュニティ書き込みも激減し、

他のファンと語り合うこともできなくなった。

じゃあ、自分ファンサイトに人が戻って来たのか。

答えは否。何も変わらなかった。

あれだけいたmixiメンバーはどこにいったのだろう。

mixiの衰退から10年経つが、結局分からないままだ。

twitterFacebookといったSNSでも多少ファンは見かけるが

mixi最盛期の盛り上がりからすると程遠い状況だ。

結局はmixi自身の衰退とともに

ファンコミュニティを潰してしまったと思っている。

自分場合マイナーアーティストだが、

音楽に関わらずマイナー趣味でこのようなケースは多いのではないだろうか。

ここ十年で公務員に起こってること

国家公務員です。中央省庁じゃなくて、末端の末端のようなところだと考えてください。

三十代男性係長級です。出世欲はありません。

特に中枢に関わってるわけではないですが、ここ十年ほどの職場の状況についてつらつらと書きます

民間との比較というわけではなく、単に公務員駄文だと思ってください。

節電がきつい

廊下の電灯がすべてつくことはこのオフィスにきてから一度もありません。節電のために電球が間引かれていて、常に廊下は薄暗いです。また、夏は死ぬほど暑くて冬は死ぬほど寒いです。夏は冷房がついてるのにそれでは足りずに扇風機を回してうちわを煽ぎ、冬は暖房が弱いのでダウンジャケットを着て仕事をしている人もいます特に女性職員はきつそうです。

・人が足りない

年々、職員数は減っています外注非常勤を駆使してワープアを量産していますが、それでも人数は足りません。残業時間は増えるばかりですが、残業代予算で決まっているので上限は決まっています残業代の支払いを正すべき官公庁サービス残業が横行しているというイギリス人が好きそうな設定になっております。その上で震災対応給料10%近く2年間減らされました。元に戻るときには「公務員給料を急に上げた!」と報道されました。

数字重要

とにかく数字を出させるようになりました。基本的公的機関非営利ですので、仕事件数が増えること=仕事がうまくいっている、ではありません。たとえば犯罪件数などを考えてみてください。むしろ、減ったほうが社会的にはうまくいっているという場合もあります。それでも上司数字が減っていると理由を求めます。そこで各部署の担当者もっともらしい理由でっち上げなければなりません。また、それらの数字をまとめる作業が月末、四半期末、年度末にあり、その作業にけっこうな手間がかかっていて、そのために残業します。その残業代には前述のとおり上限があります

評価

何年か前から各々の仕事目標を立てるようになっています。ただ、自由裁量がある程度利く場合ならともかく、毎日徹底したルーティンをやるだけの仕事もあるのです。もちろん、それは重要仕事で、それがないと周りません。ただ、その人達になんの目標を立てろと?たとえて言えば、毎日溜まる土砂を他に運ぶような仕事なのです。その仕事担当してる人は「年間土砂を何トン動かす」という目標を立てていましたが、思ったほど土砂が溜まらずに、目標は未達成となりました。もちろん、土砂が溜まらないことは社会的にはよいことです。

・綱紀粛正

2000年代初頭からマスコミによる強烈な公務員バッシングにより、上層部は異常なまでにマスコミ沙汰を怖がるようになりました。当然だと思いますニュースで取り上げられればそれがどんな些細なことでも偉い人たちで会議が開かれ、対策が打たれます。時給に換算したらえらく高い会議ですね。長い会議の後にほとんど無意味対策メールで流れ、その間に上の決定を待つ下の通常業務は滞っていきます世間的にいわゆる、無駄、ってやつですね。

とまあ他にもありますがこのへんで。そりゃ唐突首になることはないし、給料が遅配されることもありません。そのへんは恵まれてるところです。ただ、キツイのは全く意味のない仕事の量が飛躍的に増えてるということです。そして、その仕事のために本業をどんどん疎かにしなければならないということです。おそらく地方公務員もっとひどい。民間でも同様のことが起こっていると思いますさらもっとひどい)。自分自分の首を締めてるのに、生産性なんて上がるわけないですよね、という話でした。

オタク表現規制

 オタク自由放任主義右翼親和性が高く、いろいろと口うるさい左翼とは親和性が悪い。

 左翼は、その攻撃性でオタクを敵に回した自らの愚かさを悔いるべきと言う言説を最近良く見かける。

 その言説について思うところを描いていく。

 左翼による攻撃があった事は事実である

 ヘイトスピーチ所謂言葉狩り」については、間違いなく左翼と呼ばれる人たちが中心になっている。これらについては、人権の基本である他人人権侵害しない」という原則問題でもあるが、チャタレイ裁判に関する憲法学界隈から反論(1)や、大日本帝国時代児童文学新聞規制言論統制のものに変化していった前例が示すように、原則否定するべき物ではない。

 また、宇宙の戦士に対して、ファシズム的と言う評価(2)や、さらば宇宙戦艦ヤマトラストシーンに対しては、それぞれ「軍国主義的」について言及があったことは確からしい(3)。

 漫画関係表現規制で真っ先にやり玉に挙げられる「悪書追放運動」では「軍国主義への回帰」と言う表現が使われてきた(4)。

 これらの理由からオタク左翼的言説を嫌うことには一定理由があることがわかる。

 その上で、右翼放任主義という主張は疑わしい。

 チャタレイ婦人事件からずっと、右翼はむしろ表現規制側に回っていた。猥褻物公序良俗使用した最高裁判決に対しては、保守派批判する側の法律学者の方からこそ強力な批判が行われていたことを思えば、左翼表現の自由不寛容と言うのは、この手の表現の自由に関連する議論の実状からかけ離れているように思える。

 悪書追放運動以来漫画規制では政府与党応援してきた。悪書追放運動主体の一つである主婦層の応援をしていたのは、逆コースまっさかりだった当時の政権与党である

 所謂「左」が表に出ていたのは事実だが、思いっきり「右」がそれに乗っかっていることもまた事実なのだ

 84年の衆議院予算委員会で、マンガ規制するための法律の導入を求めたのは自民党の政調副会長だった三塚博氏だし、中曽根総理もそれに大いに賛同していた。

 漫画関係でも、保守派麻生議員とかは、漫画規制積極的な人だし、東京都でのマンガ規制が著しく深刻化したのは石原慎太郎都知事だった期間だ(5)。

 漫画に対して公序良俗に関するとして出版禁止のための法整備を実際に行ったのは自民党だ(6)。

 つーか、なぜかよく言われる「左翼の側が、オタク趣味ポルノ呼ばわりして規制している」と言う言説とは裏腹に、実際にオタク趣味ポルノ扱いして規制しようとしているのは保守政権側のほうが明らかに多い。ってか、実際何度か規制に踏み切っている。

 ついでに、戦前でも児童文学表現に著しい規制が付けられていた。

 表現規制問題を見ていると右も左もオタクとは親和性が悪そう。

 それどころか、この10年の間は、マンガ表現規制保守の側から行われている。

 だと言うのに、どう言うわけか保守層放任主義と誤解している意見が不自然なほど目立つ。

 幾度か、マンガ規制法制化がされるときに反対に回ってきた共産党立場がない。いや、共産党もちょくちょくマンガ規制するよう求めてはいたか濡れ衣ではないのだが(7)、法制化を阻止するために動いた(8)という一点においては、力が及んでいたかはさておき、むしろ表現の自由については無理解というわけではない。

 にもかかわらず、左翼教条的で何でも規制する頭の固い連中で、保守派は様々な価値観を認めてくれる懐の深い存在という、表現規制法制化の歴史を紐解くと真逆しか思えない、訳の分からない言説が結構広まっている。

 ……本当に、どう言うことなの?

 理由を考えてみると、実際の活動兎に角左翼系の攻撃の方がオタクの方に印象に残りやすかったのが問題なのではないだろうか。悪書追放運動発言や、ウルトラセブン12話、ジャングル黒べぇの封印や、さらば宇宙戦艦ヤマト宇宙の戦士への批判小説批評批判自体はまっとうな活動なのだけど)等、人気作品への影響が大きいこと為、実際の活動量以上に目に付く機会が多かった。

 特にウルトラセブンの「第12話は欠番とする」と言う趣旨文言は、兎に角目立つ。簡単に閲覧可能な人気シリーズに、「抗議による封印」の痕跡がポツンと残されているのは、イヤでも目立つ。

 また、政府肝いり団体でも、悪書追放運動の折りは基本的に「左翼」に同調する言動をとっていた。

 恐らく、「左翼」の認識が悪くなったのは、ここら編が原因だろう。

 で、そこから反対の陣営自分たちに寛容と勘違いした。

 その上で、90年代後半から2000年代初頭の「サヨク人権を御旗に自由侵害しようとしている連中」とか言う、自由主義史観発のいい加減な認識が、雑な認識化学反応を起こして、いい加減な認識を加速させたと言うのが実状ではないだろうか。

 00年代前半から10年、警察保守政権の側からによる表現規制が著しく深刻化していた時期に、そちら側からの影響が殆ど省みられていない現状を鑑みるに、自由主義史観発と言うか、小林よしのり発の「人権を美旗に世界の均質を試みている」と言う趣旨認識の影響は少なくない気がする。

 余談だが、戦前表現規制に対する反省と言うことで使われた「言葉表現問題ではなく、実際に差別をなくすことこそが重要だ」と言う考えが、この保守派への契合に対する触媒になっている節があるのは中々興味深い。

 左翼表現規制……所謂言葉狩りにも一片の理がある。

 実質的に、差別助長していたり、差別に根ざしている表現を使い続けることによる、現状の肯定差別の強化自体問題にされてしかるべきだ。

 キチガイと言う言葉が使われなくなったために、統合失調症の人の気持ちが幾分か楽になったと言う証言もある。言葉を狩っただけで問題解決されるわけではないが、差別に使われるメインウェポンを使用禁止にすること事態を無価値と断定することも、非常に問題がある考えのように思える。

 一方で、一片の理が合っても問題があるのは事実。だからこそ、チャタレイ裁判以降、多くの憲法学者表現規制のもの問題にしてきたし、前例がある以上、この手の批判積極的に行われてよい。

 兎に角、「表現規制する要理も、現状の改善の方が重要」と言う言説が「表現問題ではないのだから、どんな差別的表現を使い続けたってかまわない」と言う理屈正当化に使われ、惹いては、差別語を平然と使い続ける側の心強い理論武装になってしまっているのではないか

 いい加減話を終わらせるために、まとめに入る。

 「どんな表現にも寛容な保守と、教条的表現規制を押し進めようとする左翼」と言う、表現規制歴史に多少なりとも興味が有れば噴飯もの理屈ネットの世まかり押し通ってしまうのは

60年代悪書追補運動の折りに、法制化を進める活動家よりも、直接行動を行う「左翼」側の活動の方が目立った

・「セブン12話」や「宇宙の戦士批判など、容易な「左翼の抗議による作品封印」の戦果に容易にアクセス可能

00年代前半、個人サイト全盛期に自由主義史観初の雑な政治認識流行した

・「表現だけではなく、現状を変える事こそ重要」と言う、それ自体はまっとうな言説の悪用

 と言った要素が、悪魔融合を果たした結果ではないだろうか。

(1)浦辺法穂「全訂 憲法学教室」161~163ページ、岡田信弘「憲法エチュード86~91ページ

(2)ロバート・A・ハインライン宇宙の戦士」483~484ページ

(3)牧村康正・山田哲久「「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展狂気」第4章栄光は我にあり、広がりゆく波紋、第10段落

(4)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」100~102ページ

(5)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」177~180、196ページ

(6)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」143~144ページ

(7)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」139ページ

(8)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」129~130、143~144ページ

2017-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20170419130208

増田の半径数mの話を基準にされてもなあ

統計的には夫婦の年齢差は年々縮まっていて、女性が年上のケースも増えてるけど

勿論5年前から急増なんて話ではなくもっとから、長い時間をかけての話だ

ちょっとぐぐったがhttp://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2454.htmlなんてのがあったな

変化が大きかった時期を見てみると、妻年上は1985年までは1012%だったのが、2005年にかけて一気に20数%と2倍にまで拡大しており、

1980年代後半からバブル崩壊失われた10年を挟んで2000年代の前半までの20年間の変化が大きかったということが分かる。

だそうで

2017-04-16

相次ぐ鉄道死亡事故テロ エコ運動公共交通利用運動は都会人を殺害していた。

1990年代2000年代地球温暖化防止運動として公共交通の利用を呼びかけた。→満員の公共交通を狙ったテロ頻発。多くの方が車内や駅で亡くなった。当時、バスや車やオートバイ公害の原因としてと嫌われていたという。

世界共通迷惑施設 2000年代最大の汚点 失敗史

2017-04-13

http://anond.hatelabo.jp/20170413003157

日本がっていうか、ヨーロッパアメリカ含めて、

2000年代以降の音楽シーンで大きなトレンドの動きってそもそもないように感じるがどうなん?

60's/70's/80's/90'sそれぞれの年代に生まれたサウンドに対して、ゼロ年代以降って何かあったっけ?っていう。

大きかった出来事といえば、音楽流通面が変わったことと、

コンピュータで録る・作るやり方が主流になってことによって、全体が

洗練されたというかキレイになったというだけで、音楽のもの

ほとんど変化がないというか、過去の焼き直しが続いてるだけな気がするが。

から何かを時代遅れっていうほど、時代象徴するトレンド自体がないような。

2017-04-09

みんな気づいてくれ、ネットカウンターカルチャーから

 世間話をしよう。

 今日では、男性嫌悪なおばちゃんが何かと槍玉に挙げられる。こんなの↓(見なくてよい)

https://twitter.com/kobayashigiriko/status/826378866646081537

これは「女性嫌悪ネットにもいっぱいあるから、男が嫌いにもなる」と読める。なるほどワシも男じゃ。正直、スマンカッタ

しかネット上の伝統的な女性嫌悪は弁護することもできる。

ちょっと昔の、2000年代的なネットの負の側面は加藤智大象徴されると思われる。(※加藤智大2008年秋葉原通り魔事件犯人。この事件加藤17人を負傷させ、うち7名が死亡した)

彼の名言(?)とされるもの

最初からなにもしない奴なんていない

結果が出ないからなにもしなくなる

負け組は生まれながらにして負け組なのです

まずそれに気付きましょう

そして受け入れましょう

お前らには当たり前のように彼女いるからわからないだろうね

顔だよ顔

全て顔

とにかく顔

顔、顔、顔、顔、顔

……00年代ネットでは「非リア(友達が一人もいない人々)」がまだ目立っていて「リア充(話し相手が一人はいる恵まれたヤツラ)」への、どす黒い感情が渦巻いていた(※アンサイクロペディアの該当ページぐらいにしか名残がないけど本来、非リアは完全に孤立した人間の意)

ちょっと昔のネットの中には、こんなへんないきものが、どうもいたらしいのです。ブサイクで、ハゲで、チビで、デブで、ガリガリで、友達が一人もいなくて、家族からも疎まれている。おっさん? おっさんかも。

まり、みんな非リアのことを忘れちまったのです。

どうしてネット女性が「マンコ」「ま〜ん(笑)」と呼ばれたか友達が一人もいない男にとって、女性は全く接点がなくて人間ではなかった。人間以上のもの人間未満のもの幸福社会や抑圧や差別象徴だった。

ちょっと前までネット女性蔑視弱者の声だった。素直な感情だった。

今となってはネット人口が急増したことも気づかない。「リア充爆発しろ」「他人の不幸でメシがうまい」は死語で、非リアの原義も忘れ去られた。普通の人がネットをするようになった。

そうすると素直な感情論でおばちゃんが「女性蔑視はひどい! 男性嫌悪にもなるわ」と言う。男性保育士にザワザワして少年漫画にザワザワして巨乳とか童顔のオタクアートにザワザワしたりする。

言わせてくれ。2ちゃんねるが始まってから我々は全く進歩していない!

男性嫌悪女性嫌悪否定されるものじゃない。どれも弱者の声、どれも素直な感情かもしれない。

でもこれ、結局はカウンターカルチャーですよね? 正義ではないよね?

別に男女の話だけじゃなく。政治にしても。北方領土どうにもならないから反露親米になったり沖縄基地どうにもならないか反米親中親韓になったり。左翼にしても右翼にしても。ただの反発なのではなかろうか?

ネットやってると「四月入社の新社員アドバイス」とかいう、どうでもいい内容がアクセス数を稼ぐわけですよ。あたか会社絶対悪みたいな。みんなはヒラ社員から長時間労働ヤバいとか会社はキツいしか感想がないんだろうけど、経営陣もツラいからね? アレな社員いるからね?

育児話題になったら親を叩いとけば無難みたいな。毒親とか言ってる割にみんなみんな毒子じゃろ。きいつけや。「育児は大変」と「子供は最高」は両立できるんやで。子供テストで0点取ってきた時の正解なんてないからの。


最初の三行だけ読んで脊髄反射レスくれるんだろうなって分かってます。つまりそれなんだよ、ネット性格ってさ。

(※ネトウヨ2ちゃんねる発祥とか、アメリカトランプフランスルペンネット的な風潮から誕生したんではなかろうかとかは、あまりにも安直なのでカットしました)

(※昔のネットには負の側面ばかりじゃなくてアスキーアートのような、創造的な、人生楽しくなかろうがどんちゃん騒ぎで祭りじゃワショーイ的なムーブメントがあった。ヌクモリティガイドラインを読め。ネット出身漫画家作品死ぬほどアニメ化されてんだろ! ネットが好きだ! 俺の想いよネットへ届け!! ハルギニアネットへ届け)

2017-03-31

菊池誠どうしてこうなった

菊池誠という人がいて、一時はてな論壇においてそれなりの存在感を放っていた。

現在では一山いくらネトウヨおじさん程度にしか認識していない人もいる。もはや過去の人であると断ずる向きもあるだろう。

しかしながら、彼について再考することで、論壇で今も跋扈する科学非科学という対立軸を新たに捉え直す機会を持てる気がする。

というわけで彼の言説とその評価の変遷を追っていきたい。

菊池誠とは何をしていた人なのか。

2000年代後半。ニセ科学批判という社会運動が産声を上げた。

これは、自然科学に関する嘘をエビデンス棍棒で殴打するというシンプルかつ大変に社会的意義のある運動で、その倫理的な正しさからはてな市井で好評を博した。

この運動には様々な人が加わり、皆それぞれの専門分野に関する多種多様な嘘デタラメを殴り倒していた。

また専門分野のない人は、非専門分野に関する言説の妥当性をいか評価すべきかということについて学んでいった。

よくわからんという人はid:NATROM先生がたくさんいたと考えてください。

当時その運動の中心にいたのが菊池誠である

ニセ科学ニセ科学批判

ニセ科学とはなにか。誰が、なぜ吹聴するのか。このあたりは先人の素晴らしいテキストが山程あるのでそちらを参照するのがよい。私も一応書く。

ニセ科学とは自然科学に関する嘘である

ニセ科学批判対象となったニセ科学は多岐にわたる。多岐にわたるがざっくり2つに分ける。

証明されていないことを証明されたと言うか、証明されたことを証明されていないと言うか、である

科学的知見というものは往々にしてひっくり返るので、この宇宙を縛る法則から演繹していった時に実はニセ科学が正しかったということは有り得る話である

しかしながら個人霊感で獲得した宇宙の真理よりも、定められた手続きを踏んで得られた結論宇宙的には間違っていたとしても)の方を評価するというのがニセ科学批判スタンスだ。

ニセ科学主体も様々である

営利企業大学教授特定肩書のない個人的ブログ政党や国そのものである場合もある。

彼らは何故嘘をつくのか。その動機を大きく4つに分ける。経済的利益金銭)・社会的利益名誉)・思想利益党派性)・倫理的利益善意の施し)である

どのニセ科学もこのいずれか、もしくはそれらの組み合わせから生み出されていると分類できるだろう。

例えば近藤誠武田邦彦動機は金と売名だし、安倍晋三下村博文共和党言動党派性の発露であり、有象無象ブログ代替医療他人の癌を根治しようと試みるのは無知に基づく善意による。

ニセ科学批判はこれらの動機や背景を問わずに殴りつける。

ニセ科学批判党派性から最も遠いところにいるとは菊池誠言葉であるが、定義上これは正しい。

また、個々人のレベルで見ればその批判対象選択において党派性が働くこともあるだろうが、運動総体として捉えればそれは働かない。

組織を持たない草の根運動であるため、一貫した思想により運動員を抑えつけるということが原理的に不可能からである

運動自体に対して外部から党派性を見出す人は多々いるが、それは往々にして自身党派性を表明しているに過ぎない。

例えばid:finalventにはニセ科学批判左翼的活動に見えるそうだし、反原発派の中の放射能デマを吹聴するクラスタから当局におもねった保守的運動である批判されている。

ニセ科学は大きくデマという概念内包される。デマの分野を自然科学に絞り、真実性の判定に科学手続きの有無を利用している場合それをニセ科学呼称すると言い換えても良い。

ここからニセ科学批判方法論を他分野のデマの払拭に利用できるのではないかと考えられる。特に人文科学系や社会科学系等の他分野の学問においてはその応用が容易いだろう。

例えば歴史学における歴史修正主義である

ニセ科学人文科学社会科学系のデマとは地続きの問題であり、ニセ科学批判ニセ科学だけを取り扱うのは、単にそれが自らの領分からというだけである

ニセ科学批判参加者自然科学系以外の言説に対して取るべき態度は、専門分野外の自然科学系の言説に対して取るべき態度と同一でなければならない。

そうでない時、その価値判断には先の4つの動機のいずれかが作用しているのである

「えー、じゃあさじゃあさ、なんで菊池さんはネトウヨおじさんなんて扱いを受けるの?だってさ、人が科学事実を前にした時にどういう要因が認知を歪ませるのか、またその考え方は自然科学分野以外でも応用できるってことを誰よりも分かってるはずでしょ?ネトウヨなんてポジショントークが凝り固まって人型を成しているような存在じゃん。おっかしーぜ、それ。一個人党派性から逃れることは出来ないにしても、自覚を持っていてその都度自己補正に努めればそこまで極端なことにはならないでしょ。オレ、納得できないなー」

そうだね、たかし君。じゃあ次の章では菊池誠の言説とその捉えられ方の変遷を時系列に沿って見ていこうか。それから菊池誠言動が本当にいわゆるネトウヨ的な物なのかということもちゃんと検証してみよう。

kikulogとtwitterから見た菊池誠

さて、ここから菊池誠とその周囲の言説を掘り返し、断片的な事実を拾い上げ、時系列を整理し、推論を検証し、STS辺りも総括し、ニセ科学批判史とも絡め、最初テーマに関して結論を出さなければならない。

でもなんか今週入ってから超体調悪くて、鼻は詰まったり止めどなく流れたり、体はとにかく熱っぽくて横になっているのも辛い。

よく考えたら私は菊池誠親族でも知人でも生徒でも何でもないわけで、果たして病体にムチを打ってまでこの駄文執筆に労力を割くべきなのだろうか?ここは潔く挫折する。

でもこのテーマ自体は割と意義があると思うので誰か調べてまとめて書いといて欲しい、個人的にはid:ublftboさんが適任かなと思う。でも多分やらないだろう。面倒くさいし。

(4/2追記)

どうやらこの記事の続きは執筆されないことが確定したため、以下に執筆時の構想諸々を記しあとがきに代えるものとする。

・7年ぶりくらいに菊池先生名前を目にしたら、なんか凄い扱いになっていたので驚いて、矢も盾もたまらなかった。

菊池誠に対する周囲の評価の変化点は2つくらいありそうだと思ってる。震災それから1年以上後。

2009年から現在に至るまで菊池誠ネトウヨおじさんではない。ただ看過できない発言は多々あるし、愛想を尽かす人もいるだろう。これは年を追う毎に悪化しているように見える。今の立ち位置id:hazumaちょっと似てる。

2009年頃と現在で、周囲から投擲される評価は明らかに変質しているわけだけど、それは菊池誠と周囲のどちらかあるいはその両方が変わった/変わっていない結果なのかという大枠の問いがあって、これは菊池誠が変わったというよりは、周囲に今までいなかった(少なかった)人種が現れたからだと思う。

・逆に言うと震災以前にもある種の題材を絡めてその手の人種と邂逅する機会があったら、今よりもっと早くこうなっていたと思う。今の状況はなるべくしてなったと言える。

どうしてこうなったかは意思疎通が上手く行かなかったから。上手く行かない原因は個人でなく構造求めないと仕方ない。専門家と非専門家の間にはクッションが必要になると思うんだけど、IKEAが布にガラス片を詰め込んでこれはクッションですと言い張ったり、あるいはクッションそのものを用意しなかったりするから専門家自身が夜なべしてクッションを作らないといけない。彼らは裁縫専門家ではないので、その出来は個々人の技術によって大きくムラが出る。ところでIKEASTSである

STSとは、何の生産性もなく相対主義ぶって科学者を腐してあてこすりで飯を食ってる人間の屑が集う旗印である、というのがこれまでなんとなく聞いていた印象なんだけど、いくらなんでもそんなものが何十年も学問として存続するわきゃないと思う。思うので、この際ちゃんと調べて、その社会的役割と意義と実際のところを自分の中で明らかにしておきたかった。震災時に(震災時でなくとも)彼らが求められる役割を十分に果たした結果がこれなのか、あるいは十分に果たせなかった結果がこれなのか。またそれはなぜなのか。

・つまり不幸な例であるところの菊池先生の件を足がかりにして、自然科学分野における専門家と非専門家とのディスコミ問題をアレできるんじゃないかと思ったというところが発端です。

ブクマニセ科学批判ってもっとからあったでしょと言う指摘があったんだけど、前出の"ニセ科学批判史とも絡め"というところで今現在ニセ科学批判とされる運動の形はいつごろ成立したのかも調べておきたかった。書籍で探すと、訳語としてニセ科学を当てはめてる物は結構からあるんだけどこれは定義が今と違っていて、今使われている意味でのニセ科学という用語webだと2004年が初出だと思う。ニセ科学批判についてはgoogle先生になんとなく尋ねるレベルでは天羽さんとかid:kamezoさんの2005年位のログしか出てこない。水伝での田崎さんと天羽さんは運動の拡大に大きく貢献したよねとか海外情勢(主に米キリスト教福音派系の)はid:Kumicitさんの忘却からの帰還が強かったとか、ニセ科学批判史は最終的に年表にしたかった。

以上が主観的になんとなく思いついた推論なので、これらを補強あるいは反証する材料を沢山探して、結果何かがまとまる予定だったのだということを言い残したかっただけの年度末だった。

2017-03-23

今のネット社会を予見できた人っているのだろうか

自分1990年代後半に生まれて、初のネットデビュー2000年代後半が終わる時期だった

SOTECパソコンIEで見るわけである

ネット大衆化してから弄っている自分ですら今のインターネット社会は予見できなかった。

ここまでインターネットというものが激変するとは思えなかった。

はっきり言って今のインターネット社会ディストピアだろう。

スマホを見て、金を資本家に貢ぎ、まとめサイトやらで洗脳されて戦前回帰するのだ。

また、監視社会になっている。

道具であるが、ここまでひどくさせることを担ってしまっているのは否定できないのではないか

果たして、今現在ネット社会を予見できた人間はいるのだろうか。

まぁ、そんなものよりも自分はどうすればいいのかを教えて欲しい。

追記

ネットでは今日も何故か自分たち権利否定する人間を熱烈に支持する人たちがうじゃうじゃいる。

いろいろ思うが、どんなに酷い世の中になろうとしても慶応大学にご進学された顔がかわいいマナカちゃんはうまくやるのだろう。

共謀罪やらで表現の自由が失われようとも白くて大きな尻で海外やらに逃げて幸せになるのだろう。

ネットなんかよりも見てくれの良い肉体や慶応という権威などといったリアルは遥かに強力だ。

自分はといえば免疫抑制剤を服用しているがために整形すら出来ないにきび痕だらけの顔をして、ネットで「左寄り」の意見を発信するだけだ。

そして時折、肉屋を支持する豚に腹をたてる。

ネット環境なんかどうでもいい。見てくれの良い肉体が欲しい。

住み辛くなる日本

政治経済の現状関係なく、日本2000年代以降、まともな人間が住み辛い国づくりをしたために、少子化に加えて人口流出問題になっている。科学研究の失速が最もわかりやすい例だが、それにしてもこれについて言及する人間日本はいない。

私に云わせれば、なぜここまで酷くなる前に誰も気づかないのか?とも思うのだが。

2017-03-22

日本ポスト主義化と経済成長のまいた種

20世紀公共交通一強の時代が長く続いた。交通手段公共交通こそが超大国だった。世界から評価される、エコ経済的バリアフリー…多くのヒト・モノ・カネが鉄道界隈に集まり鉄道を中心に都会が動いていた。この流れからの大転換が日本人ポスト主義化だろう。

新自由主義を掛け声に、公共交通破壊蔓延する。貧民の末裔権力を手にした公共交通はあまりにも汚物象徴になってしまいそうだ。その一方で、自動車バスオートバイの躍進はそれを象徴としていて、過去には暴走族があったが日本人努力によって脱却している。

都会の宝、交通象徴という特性をより伸ばしていくことで発展を続け、世界中の人に優れた都市交通の手本を示し続けた日本だが、逆に言えば、その普遍的テーゼを失ってしまえば価値は大きく低下することになる。鉄道だけとっても他の国の方が優秀そうで、利益公益バランスが取れているように見えるのが、事実だ。

今はまさに分岐点を通過した直後だが、今後はさらに鮮明になりそうな気がする。日本私鉄がそのまままるごと公営化されたりとか、自転車であふれている都会の繁華街などが、いつの間にかバスオートバイに変わったりとか。日本の古きよき光景も変わることになる。

2010年代以降のメインカルチャーがまるで低迷する一方、今日繁栄する文化には共通点がある。どれも経済成長期に台頭した文化だということだ。自動車オートバイだけではない。たとえばオタク文化なんかまさにそうだろうし、特に漫画アニメが目覚ましい発展を遂げた。

最近息を吹き返した据え置き機ゲームも、ソシャゲと言われているオンラインゲーム台頭前は主流だったし、日本大衆ゲーム文化京都花札屋が原点にある。素晴らしいゲーム一見価値があるので、中古ショップオンラインで買って一度遊ぶといいよ。

急激な経済発展を遂げている商業出版界隈だって高度経済成長多様化した。太田出版と言えばサブカルチャーイメージで、過去には完全自殺マニュアルの苦い歴史があり、元少年Aの出版を引き入れたと言われてはいる。しかし、それを除けば普通サブカルチャー本ばかりだ。

すべては「高度経済成長のまいた種」である日本の文化自体がそう。たまたま20世紀には、メインカルチャーが一強構造だったが、21世紀にはそれがサブに、下層に、未知の領域にすら分散しているということ。これをどう付き合うか、私たちも考える必要がある。

同人誌販売オートバイを利用する若者は今では当たり前だという。いずれも昔は有り得なかったものだ。今でこそ中高生でもできるような商業デビューアプリ作成も昔なら不良文化(私の父が高校時代小説出版で当時のお金で何十万円数百万円かもらって停学になりかけたことがある。)で、そのイメージを払拭したのが1980年代2000年代若者たち。これが今の現実の礎を築いたんだろう。

2017-03-20

最近の若者をみて思うこと

昔の道路写真警察資料を見ると、気付くことがある。免許を持つ若者が少ないということだ。徒歩が多くいたほか、自転車を使う人がかなりいたし、駐車場駐輪場コンパクトだ。今の日本のように、公共交通マイカーオートバイかの構造はない。寛容性があるから選択肢も多かったのだ。

また、今では考えられない程に車やバイクを持つ若者も多かったが、たとえばそれで通学する者はいなかった。もし今のような非寛容主義論理昭和に当てはめれば、都市部の一部を除いて学校駐輪場学生の乗り物ばかりになっていなければおかしい。しかし当時の若者空気を読むことの前に普遍的価値があることをわかっていた。

今の自転車乗りが四六時中ずっと子供貧乏人だらけで、理由が「持つものにふさわしくないから」というのは、そもそも気がくるっている。若者向け二輪車の数が減ってるにもかかわらずユーザー数が2012年以降突然増えたのも、今時の風潮の影響だからだろうが、そもそもその前に普遍的倫理常識文化価値に立ち返るべきだ。

たとえば1990年代2000年代がそうであったように、バイク所持そのものを止めさせるのもいい。道路交通の数を減らし、当然公共交通への負担は増えるわけだが、今はバスがあるので誰も困らない。

そして、大人交通も、例えば自転車制限されても誰も困らない。どうせ今の大人は貧しい人や自転車すきでもない限り自転車ロードバイクなんてみっともないから乗らないんだし。自転車は全部若者に渡したほうがいいし、実際アジア自転車乗りの大人は一部地域を除いて少ない。欧米は危ういけど。

平民ないし持つ層も、公共交通の混雑や車内での外国語の多さに辟易する暇があったら、そんな風習を改め、自転車オートバイマイカーで移動した方がいい。

鉄道交通業界商売根性の件のようなことがあるくらいなら、鉄道既得権を守ることは無謀で限界なので諦めるべきで、公共性ありきに回帰することでゆるやかに最適化していくほうがいい。そうして他の公共交通などでカバーしつつインフラへの負荷を緩やかに減らそうよ。

2011年原発業界と同時に鉄道公共交通ビジネスは突然死した。福島原発地震津波や爆発で死んだら、日本各地の原発が止まり原発だけでなく、鉄道みたいな電気依存する交通インフラバブルも一端全て終わった。2012年に「所謂暴走族がほぼ撲滅状態になった」という建前の元にバイク3ない運動事実上死んだ。いまはJR九州のあの列車成功バブルが復活し、一部の原発運転再開したが、多分この状況も決して安泰ではないだろうと思う。

今度、突然死が起きるとしたら、それだけの話ではなく、社会が、文化が、そしてそれらすべてを束ねる現代文明が倒れるリスクがある。というか、日本右派立憲君主制度が倒れれば連鎖的にその庇護にある日本の伝統社会が一気に終わる。これは本当に怖いことなので、「終活」と「進化」を始めてほしい。

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