はてなキーワード: 2000年代とは
経済が悪化している原因を単純に財務省の責任に帰する考え方は、極めて荒唐無稽な陰謀論であり、実際の経済状況を正確に反映していない。
このような単純化された見方は、複雑な経済システムの実態を無視しており、学術的にも実証的にも全く支持されない。
財政政策の理論的枠組みと実証分析を考察すると、財政政策の有効性は限定的であることが明らかである。
新古典派総合の視点からは、IS-LMモデルにおいて財政政策の有効性はLM曲線の傾きに依存し、リカードの等価定理は財政政策の有効性に疑問を投げかけている。
新ケインズ派モデルでも、動学的確率的一般均衡(DSGE)モデルにより短期的な財政政策の有効性が説明されるものの、その効果は限定的である。
日本における実証研究では、構造VAR分析や DSGEモデルによる分析により、2000年代以降の政府支出乗数から政策の効果が極めて限られていることが示されている。
財政政策の制約と有効性を考えると、財政の持続可能性に関する懸念から財務省の政策選択肢は著しく制限されている。
動学的効率性条件や債務残高対GDP比の安定化条件を考慮すると、日本の財政状況は極めて厳しい状況にある。
さらに、構造的問題と財政政策の限界を考えると、生産性の停滞や人口動態の変化など、財政政策では直接対応できない構造的要因が経済停滞の主因となっていることは明白である。
全要素生産性(TFP)成長率や労働生産性の低迷、人口オーナスの進行、社会保障費の増大などは、財務省の政策だけでは解決できない根本的な問題である。
したがって、経済停滞を単純に財務省の責任とする見方は、学術的にも実証的にも全く根拠がない荒唐無稽な陰謀論であると断言できる。
このような単純化された見方は、複雑な経済システムの実態を無視しており、建設的な議論や効果的な政策立案を妨げる有害な考え方である。
経済停滞の解決には、財政政策の枠を超えた包括的なアプローチが必要である。
生産性向上のための規制改革、人的資本投資の促進、イノベーション政策の強化、そして持続可能な社会保障制度の構築など、多面的な取り組みが求められる。
当たり前だけど全て主観です。
戦後から現代に至る女性向けのハイファッションのベースを作ったと言っても過言ではないと思う。
ココ・シャネル以降、ハイファッションが多様化しドレス服に限らない仕事や遊びにも使える自由でモダンな服が広がっていった。
彼女がいなかったらモードの世界も欧州に閉じたローカルで予定調和な文化に留まっていたかもしれない。
シャネルのショーウィンドウ見るたびに思うけど分かりやすい流行を取り入れようとしない。
一見するとコンサバに見えるんだけど一方でちゃんと新しさを感じる。
ハイファッションというか上流階級のファッション。ドレスの再定義をした人かな。
実際現役時代の写真を見ると素材使いと仕立てのバランスがめちゃくちゃいい。男目線でもドレスの膨らみと丈のバランスとか神がかったセンスだと思う。
と思ったがサンローランがデザインしてた時代かもしれん。古すぎてよく分からん。
のちにエディ・スリマンのディオール・オムで再ブレイクしたのはもう別物と思ったほうがいい。
あれは元のクリスチャン・ディオールとはほとんど連続するものがない。
80年代から90年代にいたるモード不毛の時代に数々のレガシーブランドを若返らせることに成功したらしいがあんまり知らない。
初代デザイナー引退後にブランドを畳まず再構築するために外部からデザイナーを雇うことは今では当たり前だがこの人がそのテンプレートを作ったんだと思う。
彼がいなかったら業界全体がオワコンになり昨今のラグジュアリーブランド全盛時代(最近中国の不況でまた陰ってきてるみたいけど)はなかったかもしれない。
素っ気ない服でも素材や仕立てによってラグジュアリー足りうることを示した。
「アンコン(ストラクテッド)ジャケット」といって肩パッドが入ってないジャケットを作ったのもこの人。
一度ジャケットを試着したことがあるが軽くて仕立てがきれいで買おうかと思ったけど想像の2倍近い値段で諦めた。
ボロファッション、左右非対称、切り替え、脱色、縮絨、製品染め、ジェンダーレスなどあらゆる手法を使って既存のファッションを脱構築してきた。
パリコレデビューから40年以上経つのに未だ健在。コムデギャルソンのフォロワーも出身デザイナーも多い。
一時期ハマったがジェンダーレス風味が強くなってきて手を出さなくなった。
ハイファッション史上ということでアントワープ勢から一人は選ばないといけないんだけど自分はマルタン・マルジェラでもラフ・シモンズでもなくドリス・ヴァン・ノッテン。
革新性という意味では他の5人と比べると穏やかで分かりにくいが、彼も伝統服やワークウェアの様式を持ち込んでハイファッションとして昇華するという重要な役割を担ってきた。
少しひねりがあるがいわゆる「着れる服」でハイファッションのリアルクローズ化を進めた。
グッチの起用で大ブレイク。80年代完全に死んでいたグッチを蘇らせた。
本人の見た目通り男性向けにはマッチョな服、女性向けにはセクシーな服で現在のジェンダーレスな世界とは一線を画すが、ハイファッションらしく仕立てがよく品が漂うのはやはりセンスの賜物だろうと思う。
日本人の平板な体型には最も似合わないであろうデカいピークトラペルのジャケットには憧れた。
あのラペル見ただけでトム・フォードって分かる。
ハイファッション史上というとちょっと役不足な感もあるが、2000年代のタイトファッションの潮流を作った人で当時抜群の人気を誇ったので挙げざるを得ないか。
オーバーサイズ全盛の今では信じられないが、当時スキニーじゃないジーンズなんてアメカジ好きなコンサバおじさん以外は見かけなかった。
それくらい人気が高くハイファッション内外への影響力が絶大で、セレクトショップオリジナルでコピー商品をよく見かけた。
ディオール評でも触れたがブランド再構築というよりブランドクラッシャーだと思う。
今はセリーヌでフィービー・ファイロ後の後始末をやってて残念な感じ。
ここ10年のモードとストリートファッションのクロスオーバーはキム・ジョーンズがきっかけだったと思う。
単にストリートの形式を流し込むだけのパイプ役に留まらず、非常に有能なデザイナーでもあり固有の世界観とセンスを持っている。
ブランドイメージを壊さないギリギリのところで着地させるセンスはとても現代的でブランドからも使い勝手が良いのだと思う。
マーク・ジェイコブスと似てる。というかルイ・ヴィトンがそういうデザイナーをうまく見つけてるのかな。
今はディオールをリブランディング中でちょっと落ち着いてしまった印象。
もう1人誰だろう?
2000年代は、2chを筆頭に「どんなにネットで騒いでもリアルとは何の関係もない」「所詮ここはごく少数のクズの吹き溜まりだ」という自覚があったよな。
それは陰口化・アングラ化へと繋がっていったので必ずしも良いことばかりではなかったが、一方で「こんなん便所の落書きやしいちいち真に受けてられへん」と変な書き込みをスルーできる理由にもなっていた。
ところがネット人口が増加したことでそれが成り立たなくなってきた。
インターネットはリアルに近づき、リアルと同様の感覚でネットを利用する人が増えた。
おまえがSNSで目にしたムカつく書き込みは、渋谷のスクランブル交差点を練り歩くデモ隊ではなく、片田舎のおっさんがポツリと漏らした独り言にすぎないんだぞ?
そんなんにいちいち引っかかってストレスを募らせてどうするんだ?
パソコンを閉じて家の外に出てみろよ。
誰もそんな話をしてない。
誰もそんなことで騒いでない。
闇バイトに関する組織化やその頻度について、確かに最近注目されるようになっていますが、闇バイト自体は特に新しい現象ではありません。
2000年代にはすでによくわからない情報商材に関わるテレアポバイトなど、類似のものが存在していました。
その時代から悪用される労働形態や、裏で利益を得る手法は存在し、現代においてはデジタル技術の発展によってその手法が高度化したに過ぎません。
根本的な構造は大きく変わらず、これまでも反社会的組織からの影響を受けていたのは明らかです。
したがって、多様な背景があるように見えるものの、結局は一つの大きな流れの中にあるのです。
多様性なんてクソだ、そんなもん捨てちまえ。
2000年代は一方的な陰口として女叩きできたのに、2010年代半ば以降はスマホのせいで女が大量流入してきて陰口が女に見つかって、口汚く叩き返されるようになって嫌だというお気持ちにしか見えないんだよな…
マスメディアが男叩きをしているから、2000年代の匿名のインターネットは女叩きまみれであったらしい
ならSNSの男叩きも、性風俗店で働いている発達障害や知的グレーゾーンの女性が、能力的に昼職でやっていけないことによる経済的不安定さと、弱者男性の相手という生理的にきつい仕事で狂ってしまって、
音楽生成サービスの「SUNO」、無料で試せるからちょっと色々とテストしてみたんだけど、感動したんだが。
自分の好きなジャンルが結構狭いところで、ダンスミュージックだけどクラブ寄りではなくリスニング寄り、ホットではなくクール、マキシマムでなくミニマルみたいな。
ミニマルテクノからエレクトロニカ、IDMみたいな、2000年代に隆盛してその後は霧散気味な辺りなんだけど、こういう狭いサウンドもけっこういい感じに生成してくれる。
最近はドンピシャな供給が少なくて色んなジャンルを聴いていたけど、そうか、供給が無いなら自分で生み出すしかないのかもな…。
はてなには氷河期世代が非常に多いからバブル世代当事者的なエピソード(特に女性によるもの)って出てこない印象がある。
母の話によると赤文字系がピンクハウスを馬鹿にするようなノリはあったみたい。
(上位赤文字はピンクハウスの存在が視界に入ってない。下位赤文字がピンクハウスを目の敵にする)
ピンクハウスは装飾的で手入れが必要な高級ブランド服なんだけど、
・髪の手入れなしノーセット(ボサボサの、腰まであるようなロングヘア)
・ノーメイク、ボサ眉
ピンクハウスの広告モデルは瘦せていてメイクもしっかりしているのに、実際に着ている人が太っていてノーメイクで髪がボサボサだと「広告とのギャップが凄まじい」ということで嘲笑されていたのかもしれない。
赤文字系ではメイクとヘアスタイルが非常に重要な要素として度々特集されていたのに、ピンクハウス族はフル無視していて全く文化が違った。
ピンクハウス族は「洋服から降りた人」ではなく、服には執着していたからなんともいえない人たちだった。
それから時間が経って、原宿にロリータファッションの人たちがいた時期。2000年代かな。
ロリータ服のモデルや下妻物語の深キョンに寄せようと髪、メイク、体型管理を徹底、非現実的世界観を追求している完璧派と、
・体型管理をしない(ピンクハウス族の露骨な肥満よりはましで、体脂肪率が高そうなインドア特有のゆるんだ体型で必ず足が太い程度)
・髪の手入れなしノーセット(ボサボサではあるけど、ロングヘアは腰までクラスではなく肩下くらい)
・ノーメイク、ボサ眉
こういう子たちが3~4人で原宿に来て、お互いを可愛い可愛いと褒めあったりしていた。
完璧派のロリータ族に「デブロリ」とか言われていた。「デブに着られるなんて可愛いお洋服が可哀想、可愛いお洋服をデザインした人が可哀想」などのイタコ芸もしっかり観測できた。
デブロリ、芋ロリの系譜がノーメイクアクシーズ同人女としてネットで叩かれるようになったのを記憶してる。
Twitterの流行とも一致するかな、「ノーメイクアクシーズ族あるあるイラスト」みたいなものがバズるようになった。
ピンクハウスより、デブロリより、クセが強い要素はかなり薄まったけど、それでもやっぱ芋として叩かれてたな。
同人イベントで芋同士可愛いと褒めあう駄サイクルは相変わらずやってたのかなと思う。
2020年代の装飾的ファッションは、ノーメイクアクシーズを叩くバズイラスト等の流れもあって芋がかなり消えたように思う。
装飾的で女性的モチーフをガン盛りした服装ジャンルについては、
・ぴえん系
・ホス狂系
など、髪・メイク・体型が管理されている人が目立つようになった。
以前のピンクハウス→デブロリ→ノーメイクアクシーズのような「アンバランス層」の行き先は、
・鑑賞者への転向:容姿に全体的にコストをかけない選択をしてバランスを調整、美術展などで見られる
結論としては装飾的な服と手つかずのその他というバランスが極端に悪い層は現在では減少傾向にあり(原因はTwitterの揶揄イラスト)、
特にノーメイクアクシーズ以降、そうした層は姿を消しつつあるんじゃないかと思う。
全女性がバブルの赤文字系や完璧派ロリータみたいに全部に気合を入れるなんてことは不可能なので、
高コストでバランスを取る派と、低コストでバランスを取る派に分かれ、その間はグラデーションになっているのでは。
あと男性のオタクの状況になってくると、バランスの問題どころではないんだよね。
基本的な衛生管理の問題(洗っていないギトギト髪、衣服の臭い)、あとは撮り鉄の迷惑行為とか、他害について言われるようになってきてレイヤーが下がる。
2010年代に「木こり」と揶揄された男子大学生の量産型ファッション、2020年代にコムドットのコピペみたいな若い男性が増えたことなど、
しかし撮り鉄やカードショップ激臭オタクみたいな話題のほうが、どうもネット上では人気を獲得しやすいように思う。
量産型ファッションの男性はTikTokやインスタなど視覚優位SNSにいて、はてなにいる人には存在が見えていないんじゃないかと思う。
多分、量産型男子のファッションブランド具体例とか出しても誰も分からないだろうね。
「成人の初デートでサイゼはちょっと…」で炎上したり、激臭オタクを嫌がるのも「いじめ」扱いするくらい男性はハードルが低くてこう、驚く。
文字系のインターネットに居ついている男性の多くは、服・髪・体型のすべての水準が最底辺のレベルでバランスが保たれており、それを「資本主義への勝利」と認識しているのだろうなと思う。
「ハウスの教父」と呼ばれるFrankie Knucklesによる「Your Love」は、ハウスミュージックの基礎を築いた代表作の1つです。この曲は、シカゴのレジェンダリーなクラブ「The Warehouse」で生まれたサウンドを体現しています。滑らかなシンセサイザーとベースライン、Jamie Principleのセクシーなボーカルが特徴的で、今日でも高い評価を受けています。Knucklesは、ディスコとエレクトロニックミュージックの要素を巧みに融合し、新しいダンスミュージックの形を作り出しました。「Your Love」は、その後のハウスミュージックの発展に大きな影響を与え、多くのリミックスやサンプリングの対象となりました。この曲は、ハウスミュージックの持つ感情的な深さと踊りやすさを完璧にバランスさせ、ジャンルの定義的な作品となっています。
Marshall Jeffersonの「Move Your Body」は、「The House Music Anthem」というサブタイトルが示すように、ハウスミュージックの精神を体現した楽曲です。シカゴのハウスシーンで生まれたこの曲は、ピアノハウスの先駆けとして知られています。キャッチーなピアノリフと反復的なリズム、そして「Gotta have house music all night long」という歌詞は、ハウスカルチャーの本質を表現しています。Jeffersonは、この曲でハウスミュージックにメロディックな要素を導入し、ジャンルの音楽的可能性を広げました。また、歌詞がハウスミュージック自体について言及している点も革新的で、自己言及的なトラックの長い伝統の先駆けとなりました。「Move Your Body」は、ダンスフロアを熱狂させる力と音楽的洗練さを兼ね備え、今日でも多くのDJやプロデューサーに影響を与え続けています。
Larry Heardが Mr. Fingers名義でリリースした「Can You Feel It」は、ディープハウスの原型を作り上げた楽曲として高く評価されています。シンプルながら洗練された制作は、当時としては革新的でした。ローランドのシンセサイザーとドラムマシンのみを使用し、1テイクで録音されたという事実は、ハウスミュージックの本質を体現しています。深みのあるベースライン、エモーショナルなシンセパッド、そして微妙に変化するリズムパターンが、聴く者を瞑想的な状態へと導きます。この曲は、ハウスミュージックに精神性と深みをもたらし、単なるダンスミュージックを超えた芸術形態としての可能性を示しました。後のディープハウスやテックハウスの発展に大きな影響を与え、今日でも多くのプロデューサーやDJに尊敬され、頻繁にプレイされています。
A Guy Called Gerald(本名:Gerald Simpson)による「Voodoo Ray」は、イギリスのアシッドハウスシーンを代表する楽曲です。マンチェスターで生まれたこの曲は、独特のサウンドと反復的なリズムで、後のレイブカルチャーに大きな影響を与えました。Roland TB-303ベースラインシンセサイザーの特徴的な音色と、サンプリングされた「Voodoo Ray」というフレーズが印象的です。この曲は、アメリカのハウスサウンドをイギリス独自の感性で解釈し、新しい方向性を示しました。「Voodoo Ray」は、クラブシーンだけでなく、イギリスのポップチャートでも成功を収め、ハウスミュージックの大衆化に貢献しました。また、この曲の成功は、後のUKガレージやドラムンベースなど、イギリスの電子音楽シーンの発展にも大きな影響を与えました。
Masters At Work(Kenny "Dope" GonzalezとLittle Louie Vegaのデュオ)による「To Be In Love」は、ニューヨークのガレージハウスシーンを代表する楽曲です。India Arieのソウルフルなボーカルとラテンの要素を巧みに融合させ、ハウスミュージックに新たな深みと洗練さをもたらしました。この曲は、ディスコとハウスの伝統を受け継ぎながら、90年代後半の音楽性を反映しています。リズミカルなパーカッション、温かみのあるベースライン、そして感情豊かなボーカルが絶妙にバランスを取り、ダンスフロアを魅了します。Masters At Workは、この曲でハウスミュージックにおけるソングライティングの重要性を示し、単なるビートトラックを超えた音楽的深さを追求しました。「To Be In Love」は、今日でもハウスクラシックとして高く評価され、多くのDJやプロデューサーに影響を与え続けています。
Fatboy Slim(本名:Norman Cook)の「Right Here, Right Now」は、ビッグビートとハウスの融合を象徴する楽曲です。90年代後半のクラブシーンを席巻したこの曲は、サンプリングとブレイクビートを巧みに使用し、エネルギッシュでキャッチーなサウンドを生み出しました。特徴的なギターリフと「Right here, right now」というボーカルサンプルは、瞬く間に人々の記憶に刻まれました。Fatboy Slimは、この曲でダンスミュージックとロックの要素を融合させ、より広い観客層にアピールすることに成功しました。ミュージックビデオも話題を呼び、MTVの頻繁な放送により、ハウスミュージックの大衆化に大きく貢献しました。「Right Here, Right Now」は、エレクトロニックダンスミュージックがメインストリームに進出する上で重要な役割を果たし、2000年代以降のEDMブームの先駆けとなりました。
Stardustの「Music Sounds Better With You」は、フレンチハウスの黄金期を象徴する楽曲です。Thomas BangalterとAlan Braxeによって制作されたこの曲は、Chaka Khanの「Fate」からサンプリングしたギターリフを中心に構築されています。フィルターハウスの代表作として、ディスコサンプリングを効果的に使用し、90年代後半のハウスミュージックの方向性を示しました。反復的なリズムと中毒性のあるフックは、ダンスフロアを熱狂させる力を持っています。この曲の成功は、フランスのエレクトロニックミュージックシーンを世界的に注目させる契機となり、後のDaft PunkやJusticeなどのアーティストの活躍につながりました。「Music Sounds Better With You」は、ハウスミュージックの商業的成功と芸術的価値の両立を示し、今日でも多くのリミックスやカバーの対象となっています。
Eric Prydzの「Call On Me」は、2000年代に入ってからのハウスミュージックの商業的成功と大衆への浸透を象徴する作品です。Steve Winwoodの「Valerie」をサンプリングし、キャッチーなリミックスに仕上げたこの曲は、クラブシーンだけでなく、メインストリームのポップチャートでも大きな成功を収めました。特に、セクシーなミュージックビデオが話題を呼び、ハウスミュージックの新たな側面を示しました。Prydzは、この曲でクラシックロックとモダンハウスの融合を実現し、幅広い年齢層にアピールすることに成功しました。「Call On Me」は、ハウスミュージックがポップミュージックの主流となる過程で重要な役割を果たし、後のEDMブームの先駆けとなりました。また、この曲の成功は、サンプリングとリミックスの可能性を再認識させ、多くのプロデューサーに影響を与えました。
Disclosureの「Latch」は、2010年代のUKガレージとハウスの融合を象徴する楽曲です。若手デュオのDisclosureと、当時無名だったSam Smithのコラボレーションによるこの曲は、ハウスミュージックとポップの架け橋となりました。洗練されたプロダクションと感情的なボーカルの組み合わせは、クラブシーンだけでなく、ラジオやストリーミングプラットフォームでも大きな成功を収めました。「Latch」は、ディープハウスの要素を取り入れながら、キャッチーなポップメロディを融合させ、新しい世代のリスナーにハウスミュージックを紹介する役割を果たしました。この曲の成功は、エレクトロニックダンスミュージックがメインストリームポップに与える影響力を示し、2010年代以降のダンスポップの方向性を形作る上で重要な役割を果たしました。
Yellow Magic Orchestraの「Firecracker」は、厳密にはハウス以前の楽曲ですが、電子音楽の先駆けとして後のハウスミュージックに多大な影響を与えました。坂本龍一、高橋幸宏、細野晴臣によって構成されたYMOは、この曲でシンセサイザーとリズムマシンを革新的に使用し、未来的なサウンドスケープを創造しました。特に、ローランドのシンセサイザーとドラムマシンの使用は、後のハウスプロデューサーたちに大きなインスピレーションを与えました。アジアの音楽要素とエレクトロニックサウンドの融合は、グローバルな音楽シーンに新たな可能性を示し、テクノやハウスの発展に寄与しました。「Firecracker」は、その独特なリズムパターンとメロディラインで、特にアシッドハウスの発展に影響を与えたとされています。
日本野球界の黎明期から現代に至るまで、各年代で活躍し、日本プロ野球の発展に貢献した引退選手10人をバランスよく選出しました。
1. 沢村栄治 (Eiji Sawamura) - 1930年代
• 理由: 日本プロ野球の草創期における伝説的な投手。1934年の日米野球では、メジャーリーグのオールスター選手を相手に三振を奪う大活躍を見せました。彼の名を冠した「沢村賞」は、日本球界の最高の先発投手に贈られる名誉ある賞として知られています。
2. 藤村富美男 (Fumio Fujimura) - 1940〜50年代
• 理由: 「初代ミスタータイガース」として親しまれ、強力なバッティングと圧倒的なリーダーシップで阪神タイガースを牽引。1949年には打率.362で首位打者を獲得し、後進のプレーヤーに大きな影響を与えました。
3. 金田正一 (Masaichi Kaneda) - 1950〜60年代
• 理由: プロ野球史上唯一の400勝投手として日本球界に大きな足跡を残した左腕投手。力強い投球と独特の投球スタイルでファンを魅了し、投手の存在価値を改めて示しました。
4. 長嶋茂雄 (Shigeo Nagashima) - 1958年デビュー、1960〜70年代
• 理由: 日本の「ミスター・プロ野球」として巨人の中心選手として活躍。長嶋のカリスマ性とプレーは球界全体に影響を与え、彼の存在が日本野球界の人気を底上げしました。監督としても巨人軍を率い、数々のタイトルを獲得しました。
5. 王貞治 (Sadaharu Oh) - 1960〜70年代
• 理由: 通算868本塁打という世界記録を持つ、野球界の不動の存在。王の卓越したバッティング技術と勝負強さは日本野球の象徴であり、引退後も監督や野球指導者として多くの後進を育てました。
6. 張本勲 (Isao Harimoto) - 1960〜80年代
• 理由: 日本プロ野球史上最多の3085安打を記録し、巧みな打撃技術で歴代最高のバッターの一人とされます。その記録は多くの選手にとって「打撃の到達点」として目標となり続けています。
7. 山本浩二 (Koji Yamamoto) - 1970〜80年代
• 理由: 広島カープの中心選手として、通算536本塁打を記録し「ミスター赤ヘル」として親しまれました。日本代表監督としても指導力を発揮し、国際舞台での日本野球の強化にも貢献しました。
8. 江川卓 (Suguru Egawa) - 1980年代
• 理由: 「怪物」と称される実力で、特に三振を奪う圧倒的なピッチングでファンを魅了しました。巨人軍のエースとして活躍し、彼のピッチングは多くの日本人投手の手本となりました。
• 理由: 日本プロ野球からMLBへ直接進出し、新しい道を切り開いたパイオニア。トルネード投法で大リーグでも成功を収め、その後の日本人選手のメジャーリーグ挑戦を後押ししました。
10. イチロー (Ichiro Suzuki) - 2000年代
• 理由: 日米で計4367安打を記録し、MLBでの成功と日本プロ野球での実績の両方を持つ数少ない選手。彼のストイックなプレースタイルと実力は、野球界に新たなスタンダードをもたらしました。
各時代を通じて、日本プロ野球の発展に貢献したこれらの選手は、それぞれの時代のファンに愛され、日本野球の歴史に深く刻まれています。また、彼らの活躍は次世代のプレーヤーたちに多大な影響を与え、日本球界を現在の地位に導く力となりました。
本当のオールタイムは選べなかったため平成に絞って俺もやる。テレビドラマは消えものでアーカイブされにくいジャンルで、時代をここ35年に絞ってみても網羅できないという問題はある。そのため、俺の観ていない重要作の話をどんどんしてほしい。1脚本家1作品に絞った。俺はテレビドラマは脚本家のものだと思っている。
トレンディドラマの代表作の1つにして、トレンディドラマの終末期の傑作。フジ「月9」枠の代表作でもある。「東京では誰もがラブストーリーの主人公になる」をキャッチコピーに掲げ、等身大の若者たちの姿を描き出した。2010年以降の坂元裕二の影響なども考えランクイン。
こちらもトレンディドラマの終末期の傑作であり、お世辞にも男前とは言えない武田鉄矢の叫びは、"トレンディ"の終わりを印象付けた。TBS『高校教師』でも、好きな野島作品に入れ替えてもらって構わない。90年代には確かに野島伸司の時代があった。
田村正和亡き今も、再放送され、パロディされ、やたら話題になる三谷幸喜のコメディ。ホームドラマや恋愛ドラマなど、会話による人間関係の機微などを守備範囲にしていたテレビドラマが、ストーリーのダイナミズムによる面白さにシフトしていったのは、アメリカのコメディから影響を受けた三谷幸喜の功績がある。個人的には『王様のレストラン』のほうが好み。
他のタイトルに合わせて脚本家をクレジットしたが、今作を選出したのは何といっても堤幸彦の出世作ということにすぎる。『ケイゾク』『池袋ウエストゲートパーク』につながる斬新な演出は一時代を築いた。「土曜グランド劇場」に旧ジャニーズの若手が主演していくのもこの頃からで、後の『透明人間』『ごくせん』『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』などにつながっていく。
「テレビドラマ」というフォーマットを映画館に拡張した功罪ある作品。テレビドラマのメディアミックスの先駆けといえ、映画館はこれ以降テレビ局製作の作品であふれることとなった。『踊る大捜査線 THE MOVIE』は未だに実写の日本映画の歴代興行収入1位に燦然と輝いている。今秋新作が公開された。
21世紀最初の朝ドラ。シリーズ化され、現在も再放送されている。『ちゅらさん』が描いた疑似家族によるホームドラマはその後も『すいか』『11人もいる!』『逃げ恥』『カルテット』と平成ドラマの1つのパターンとなった。岡田惠和の功績は膨大な作品数の作品を書いていることで、彼がいなければこの時代のテレビドラマシーンは空洞化していたかもしれない。
クドカンは物語自体の面白さに注目されがちだが、彼の功績は、若者たちがダラダラ話すという「日常ドラマ」を描いて見せたことにある。彼の脚本は、小ネタやギャグがストーリーに連結してゆく。木更津という周縁の田舎の共同体の風景がドラマになるということは革命的出来事だった。大きな物語を失った後のゼロ年代的転換。
遊川が成し得た功績は『女王の教室』の真夜(天海祐希)のような強い、誇張されたキャラクターによるドラマを成立させたこと。それは後の『家政婦のミタ』の大ヒットにもつながった。彼の過剰な演出は賛否が分かれるが、常に時代と向きあい続けるための一つの方法論なのかもしれない。
2000年代後半に停滞していた朝ドラの復権は間違いなくこのドラマからで、この作品がなければ『あまちゃん』ブームもその後の『ごちそうさん』や『あさが来た』『ひよっこ』などの良作、令和の『カムカムエブリバディ』のヒットも存在していなかったと過言しておきたい。そういう意味でハッシュタグなどでのTwitterなどの賑わいにも一役買っている。朝ドラの復権は同時にその後のNHKドラマの復権を意味していた。
TBSドラマの復権ということでいうと後述の『JIN-仁-』を挙げてもよいのだが、その後池井戸潤ドラマの隆盛という意味でも半沢直樹を。いうまでもなく『VIVANT』へと繋がる日曜劇場の系譜である。主演の堺雅人は『リーガル・ハイ』や『真田丸』という傑作でも存在感を示した。
本当は問答無用に最重要作として今作を挙げたかったのだけど、視聴率や知名度を考えて日和ってしまった。今作は『ちゅらさん』で描かれた疑似家族によるドラマ、『木更津キャッツアイ』で書かれた日常のやり取りのドラマを深化させた。そこに大島弓子的ファンタジーをブレンドさせ、ドラマが物語る対象を変えてしまった傑作。
90年代と10年代の坂元裕二を別人とするなら10選にねじ込んでしまいたい。10年代の坂元裕二作品は、テレビドラマが扱えるダイアローグのレベルを一段上へと引き上げた。10話における瑛太と風間俊介の会話は他に代わるもののない名シーンだと思う。現在のドラマシーンは、坂元裕二のフォロワーで溢れている。
これだけトレンディドラマの話をしているのに、鎌田敏夫の名を漏らしてしまい、それは平成以前になってしまうので、それ以降から一作挙げるなら『29歳のクリスマス』を強く推したい。元祖『9ボーダー』。取り巻く環境は変わっても、年齢を巡る憂いは不変のものなんだと。
坂元裕二と並び、この時代の天才をもう1人挙げるなら、野沢尚を挙げてしまおう。野沢の深いキャラクター造形はその後の作品に影響を与えた。彼が存在し続けたら、この選も変わっていただろう。またキムタクドラマも1本を挙げていないというのも偏っている。それだけこの時代の彼の存在は異常だったのだ。挙げるならこの作品を挙げたい。
あるいは今作か。トレンディドラマと2000年代の間には間違いなく北川悦吏子の時代があった。北川悦吏子は近作が色々言われることもあるが、それは(例えばミスチルがそうであるように)強烈に時代と寝た人物にだけ得られる特権だ。そのため、俺は何があっても今後北川悦吏子を擁護し続けていきたいと思う。
この10選からは確実に存在していた深夜ドラマの文脈がごっそりと抜け落ちている。『孤独のグルメ』や『おっさんずラブ』に繋がっていくような深夜ドラマの系譜。『時効警察』はシティーボーイズの放送作家三木聡の最高傑作である。近年では主演だったオダギリジョーが謎の力でそのパロディをNHKドラマ⇒映画化までさせているが、盛大にスベっている。
一部では「朝ドラ史上最高傑作」の呼び声もある今作。戦争もの・女の一代記としての朝ドラ。岸和田の街に生まれ、生きて、老いて、死んでいく強いヒロイン。渡辺あやは強烈な作家性を朝ドラにおいて発揮させ、それはこれ以降の朝ドラの指針が転換される契機にもなったのかもしれない。(だからこそ『純と愛』などが生まれてしまったとも言える)
坂元裕二、岡田惠和、宮藤官九郎、遊川和彦、木皿泉、渡辺あやらの作品を挙げておいて、森下佳子の名前を出さないわけにはいかない。構成力という点で彼女の右に出る者はいないのではないだろうか。森下佳子の手にかかれば、物語における伏線は人生の因果に映り、プロットは運命へと変貌する。TBSドラマの復権のきっかけとしても、今作を挙げておきたい。
野木亜紀子を10選から漏らしてしまったのは痛恨の極みであるが、令和の選が今後もし出来るなら1番に入る人であるのでご容赦いただきたい。社会的テーマをポップにテレビドラマの次元で取り扱い、ヒットさせてしまったのは見事。野木亜紀子はもともと原作ものの実写化の手腕に定評があったが、『アンナチュラル』『MIU』とオリジナル作品もヒットさせている。
・承認欲求満たされてないのをサブカルで満たしてそうな黒い服を着た冴えない10代の若者がたくさん来てた
でもちょいちょい酒飲んでる勢もいて顔が幼い20〜30代前半もいる感じ?ってなった
いややっぱ若い人多いわ
もしくは顔が幼い人 うぬも!
若いんじゃなくて幼いの方な
・近い印象のウェブのクソ野郎とファン層同じかなと思ってたけどウェブのクソ野郎の方がファン層の年齢が少し上、10代からアラサー+たまに40代以上?って感じだけどひがしやしきは学生さんっぽい10代〜大学生?の割合がかなり多い印象
・音圧?大きい音でビリビリするのいい〜
ビリビリが強すぎて音が大きい時机の上に置かれた物体がビリビリする現象が自分の気管〜肺にかけても起きててオモロかった ドゥンの音の時、肺がビリビリしすぎて息が吸えない・息を吐くしかできないの、文字通り「音に圧倒的」されてて気持ちええ〜 一瞬左の鼓膜が逝った
・こういう系のアーティストのファンあるある 自分のことオモロイって思って喋るオタク(時代が合ってなかったらオタクになってなかったタイプ)の話ってキッツいわ
・会場が近隣住民迷惑回避のため5分より前には集合しないでね!なんだがファンは会場の10〜15分前には周囲をワサワサ移動してて(建物の前に溜まってはないそれとなくウロウロしてる)してて「こいつも…?ひがしやしきか…?こいつもか…?」って1人人狼してた
・近くにいた女子達が「某アイドル界隈のライブに行ってみたいが怖い、なぜならファンの顔面偏差値が高そうだから(自分よりかわいいファンが多いのが怖いって意味)」と話してて「ほう、そういう価値観の世界もあるのか!」ってなったその世界観で生きてる若い女子、どういうメンタルでひがしやしき聴いとるんや…
・ひがしやしき、お顔はイメージしてた感じや
・圧倒的予習不足…!
「アルバム刊行記念ライブだしアルバムの曲+既存曲数曲くらいやろ」と思ってたら2/3弱 半分は確実にアルバム以外の曲だったから「アルバム以外の曲もちゃんと聴いとけばよかった〜」ってなったけどひがしやしきの曲は刺さるものは死ぬほど刺さるが刺さらないものは本当によくあるJPOP聴いてる時並に心が凪だからライブのためとはいえ刺さらない曲を無理して聴く必要は無いか…
己の感性でひがしやしきを楽しむ上限までは楽しめたということに…
・偉そうなこというとりますけど「委託の復讐」の数曲が「おっっっ その方向で進化なさるか!!!最高でござるよ!!!!」過ぎて新曲配信来たらSpotifyで聴く勢からライブ参加に切り替えるくらい良かった 良さに屈した
・理解らせ橋とせんせーにいのられたい〜と同人誌を買いに、ほんまに好き
歌詞も曲調?も良すぎ
この3曲はライブでも特に盛り上がってた印象(好きすぎて正確に判断出来てない可能性あるが…)
いやでも確実に一番盛り上がってたのはスピっちゃうスピっちゃうスピっちゃうスピっちゃう!のとこ いいよね…いい…
・ひがしやしきの2000年代初頭のオタクがマイノリティで迫害されてた・後ろめたいものだった時代背景の歌ほんま好き
特に「ブックカバーかけてたラノベの表紙を剥かれて笑い者〜今はもっと多くの人に〜」「同人誌〜コツコツ積み上げる幸せのトータル」のところ、己の「人生」と勝手に重ねて感動してる
・あと「ChromeIEFirefox血管みたいに繋がってる」も大好きなので歌って頂きほんまありがてえ…
ちょっと会場の空気が「知らん曲やな…」みたいな雰囲気になってたけどひがしやしき君を初めて知って好きになった曲やしワイはかなり好きやで!!!
・一部の曲で背景のアニメ切り取り映像が5,6回ループして次のアニメ切り取り動画に移り変わるの、謎の趣があったな…
・ライブでヒューとかトークに大袈裟な笑い声出す人、若い頃は「おチョケ野郎がしゃしゃりやがってよォ…」と思っていたが歳をとり「うんうん、コミュニケーションの最大公約数をやってライブを盛り上げてくれる人、いい人、やね…!」って見れるようになり成長を感じる
・ライブの後のDJさんが流してくれる曲も目茶苦茶カッコよかったやで!もうちょい長く留まってプレイリスト作りたかった
・整理券番号、150以内だったんだが
俺はライブポケットで解禁前待機+チケ販売開始直後にチケ予約したはずなのに…なのに…
・ひがしやしきとDJの人のもにょもにょした絡み、オモコロ好きなタイプの女が喜ぶやつだ!
というか隣のお姉さんがちょいちょい「え、かわいい〜」って言っていたため…
しかし辿々しくも一生懸命応答してくれる感、Good印象ですた 何だかんだ皆から好かれるタイプの人だ…
・最後の曲がヤングマガジンなのも目茶苦茶よかった 感動系でラストでもイイネ!だけどこのアーティストはこのイメージだよな!ってなった
・男も女もみんなひがしやしき君の後方彼氏解り顔してる…
・ひがしやしき、きっとこれからもっと大きい箱でやる更なる人気者になると思うので今のうちに生のライブ見れてよかった〜!
潔すぎてすき
・ギ、ギター、お出来になるんですね…!作詞とラップ専門と勝手に思い込んでました…!汗(謎のハラハラ感)ってなったけど普通に上手だったし「楽しいが幸せになればいいのにな」は心の受け身を取っていない方面から刺さった
・次は椎名林檎だぜ!
楽しみだぜ!
流行っているのでそのうち誰か書くだろと思っていたけど、誰も書かないので書く
定義は「芳文社の萌え4コマ漫画誌『まんがタイムきらら』とその系列誌(キャラット・MAX・ミラク・フォワード・COMIC FUZ)」
4コマではないフォワードとCOMIC FUZもここでは便宜上含む。
https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
芳文社萌え4コマの大看板で元祖とも言える存在。日常系4コマという一大ジャンルの開拓者だが、アニメの蒼樹うめ✗新房昭之✗シャフトという組合せは後に「魔法少女まどか☆マギカ」を生み出しており、実はアニメ史的にも重要な作品
なお2024年10月現在未完結。このリストに出てくる後発作品のほうが先に完結を迎えている。ゆのと宮古の卒業はいつになるのか。
涼宮ハルヒ・らき☆すたに続く京アニブームで一躍有名になった作品で山田尚子の出世作。また、近年の大ガールズバンド時代の前史、あるいは「おっさんの趣味を女子高生にやらせる系」のさきがけとも言える作品。
2018年より事実上の後継作品「けいおん!Shuffle」が連載中。
まんがタイムきらら系としては異色のシュールギャグ漫画。キャラ4コマ中心のきらら系としてはやはり異色の登場人物2〜3人で構成される世界観。
アニメ化で円盤が記録的爆死で話題になったり、出演声優が麻薬で逮捕されたりとその不遇さもネタにされつつカルト的に愛される作品。
「女子高生が教室や部室、自宅に集まってしょうもない会話をしている」「男性が一切登場しない」「ゆるいボケにゆるいツッコミ」という、きらら系の様式の完成形。
こちらもゆゆ式と同じく「女子高生のゆるい会話と日常」というきらら系の王道。アニメのEDは中塚武が担当していてやたら洒落ていた。
こちらも「女子高生のゆるい会話と日常」主体だが、世界設定が「登場人物が日本人だが街並みが欧州の古い街」という独特の世界観。
主人公たちが別々の学校で別々の学年で別々の店でバイトしているというのも、ゆゆ式・きんモザと一線を画すところ。どちらかというとARIAとかに近い世界観。
現在絶賛終盤展開中。
主人公たちは社会人(途中で成人して飲酒するようになる)でデスマーチ的ハードワークや仕事での挫折、昇進と後輩の入社、プロジェクトの危機とその克服などきらら系としては相当異色。「社畜おっさんの日常を可愛い女の子にやらせる」系とも言える。きらら版SHIROBAKO 。
「おっさんの趣味を女子高生にやらせる系」の完成形。フォワード掲載の非4コマストーリ漫画。アウトドアブーム・キャンプブームの火付け役とも言われている。きらら系としては初の実写ドラマ化。
原作者のあfろはゆるキャン△以前はシュールレアリズム的作風で、この作品が転換点とも言える。原作・アニメ・ドラマのいずれもロケハンと背景作画に莫大なコストを掛けている。
主人公の魔族の末裔と魔法少女が手を組み街の平和を守るという話。ギャグの走り方はいかにもきらら系4コマっぽいが、バックグラウンドは結構暗くて、まどか☆マギカからバイオレンスを抜いてギャグを注入したような世界である。
先日2.5次元舞台化が発表される。危機管理フォームはどうすんだろか。
「大ガールズバンド時代」の一作品。けいおんが「90年代J-POP(ラルクGLAY)の薄めの引用」、「陽キャコミュ強だけど楽器初心者の主人公」、「学校の軽音部で特にプロは目指していない」のに対して、ぼざろは「2000年代初頭の邦ロック(ロキノン系)の強めの引用」、「陰キャコミュ障だけど有名配信者の主人公」、「ライブハウスで活動するインディーズバンド」と真逆の設定。大ガールズバンド時代はそういう空気である(ガルクラとかMyGoもその傾向だし)。
この表を見ると、出生数、合計特殊出生率ともに目に見えて減っているのは1966年の丙午なので、迷信が当時の人々の選択与えた影響が大きい事が分かる。
出生数、合計特殊出生率の推移
https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-07.html
あと、全体的な出生率は割と急に減っているのが1950年代全体と、
のが1970年代前半の終わり頃(第二次ベビーブームの終わり)なんだけど、
わざわざ1989年で1.57ショックとか書かれているのに違和感ある。
1989年頃ってそれ以前から続く微減の途中経過にすぎず、そこだけ特筆するようなものではないのでは。
1960年代には微増しているから、単純に女性の進学率や社会進出で下がった!ってものでもないように思うね。
2000年代半ばからも微増しているけれど、多分バブル世代の駆け込み出産じゃないか?2010年に40歳の女性は1970年のバブル世代生まれなので。
それと、2019年でデータが途切れているからよく分からんけれど、2019年でもガクッと落ちてるように見える。2019年に40歳の女性は1979年生まれの氷河期世代だから、氷河期の効果が出始めるのがこの辺って事なのでは?
「少女漫画」というジャンルの話ではなく、誌名の「少女コミック」である
現在は「Sho-Comi」と名を改めているので、少女コミック時代に絞る
2000年代には「過激な少女漫画」の代表的存在となりネット上では「性コミ」の蔑称で呼ばれ、一部地域で有害図書指定、議員やネットやPTAからの抗議を経て名を変えた
少女漫画といえば月刊誌が多いが、少コミは週刊時代も長く、隔週に落ち着き、Sho-Comiも隔週
黎明期には男性作家もちらほらおり、掲載誌を彷徨う漫画『サイボーグ009』が掲載されたこともある
ギムナジウムを舞台に、自殺した少年トーマを巡り犠牲と信仰について描く文学的な作品。
やや難しい内容のため連載時は人気がなく打ち切りスレスレだったが、今では少女漫画界を代表する名作の一つとして語られている。
日本でギムナジウムもの描いてる人は大体萩尾望都を通ってるだろう。
時を経てから読んだ者にはピンとこないが、実は少女誌連載作品である。
特に少女向け用に作風を変えた感じはないが、女子小学生が主人公(一応)なのは著者なりに少女を意識したのかもしれない。
美への執着と母娘の確執は女性向け作品で繰り返し描かれるテーマだ。
人種差別、同性愛、父子相姦、児童への性暴力などのシリアスな描写が少女漫画界に大きな衝撃を与えた。
当時は朝チュン程度でも過激扱いだったため、連載を編集に反対されたという。
他作品をまず成功させ発言力を得てからようやく連載を許され、連載開始まで6年かかった。
凄惨な展開の数々は少女たちにトラウマを与え、二次創作で幸せにする的な発想のフォロワー作品も生まれた。
スポ根枠である同著者の『真コール!』の方と迷うところだが、実写化しているこちらで。
5人のシスコンなイケメン兄貴に溺愛されつつも同級生男子とラブコメするイケメンパラダイスな作品で、この手の作品でありがちな「実は兄たちとは血縁がない」展開が発生しなかったところが評価できる。
少女漫画界全体としては、外国が舞台で白人への憧憬→現代日本の学園もの、と定番が移り変わったが、本作は中華風の異世界がメイン舞台である。
現代日本から転移した少女が神獣を召喚して国を救う巫女となり、召喚に必要な七人の戦士たちを集めるため国中を冒険するというファンタジーで、「少女には受けないのでは」と編集が渋ったりもしたが、ヒット作となった。
少女の手足が棒のように華奢に描かれる作品が多い中で、むちむちとしてエロティックで、アニメは大きなお兄さんからも人気が出た。
「非処女になったら巫女の資格を失う」ため敵のイケメンがレイプしようと狙ってくるなど、未遂で終わるがエロ描写が多かった。
古代ヒッタイト帝国(現トルコ)に生贄として召喚された現代日本の少女が、武人・政治家としての才覚を発揮し皇帝と共にオリエントの覇権を掴むに至る大河ロマン。
史実エピソードを拾い上げながらニッチなロケーションを描き勉強にもなる作品だが、この時期には性コミ化が進んでおり、むやみなセックスシーンも多い。男が意味もなく全裸になるのは女性向け故か。
現代でリア充だった主人公は、元の世界に帰ることを渇望し、だがヒッタイトにも大切な人ができてしまい、どうすべきか葛藤する。最近の異世界ものではこの手の葛藤は珍しいぐらいだ。
物語の中に性的展開もある前述の作品群と違い、エロこそが主題の作品であり性コミの代表的存在。
惜しげもなく少女の乳首が出てきて俺様イケメンとのエッチな展開が多発、また敵イケメンに愛のないガチの強姦をされる展開もあった。
物議を醸す問題作だがヒット作でもあり、エロは著者は嫌々だったが編集主導とのことで、少コミは急激に性コミ化が進んでいく。現代人が読むとそこまでエロくもないが…。
アニメ版では一切エロがなく、主人公も存在せずイケメンたちが切磋琢磨しながらバンドに励む作品になっている。
宮坂香帆『「彼」first love』(2002-2004)
性コミ化が進んでいく中で、「一見地味女子だが眼鏡を外すと美少女」という古典的設定ながらピュアラブを貫きヒット作となった。
斬新な設定や凝ったストーリーなわけではないのだが、堅実・丁寧に描写を積み重ね、少女漫画らしい少女漫画である。
庶民JKが上級国民生徒の世話係になりセクハラも甘受させられる話で、エロシーンのために物語が捻り出されるようなエロエロ作品。
相手役が合意なく下半身まさぐってきたりだいぶカスで、逆らうと退学なので主人公は逆らえない。上級国民による性的搾取を許すな!
前作『レンアイ至上主義』と合わせ性コミの代表的存在の一人である著者だが、後の作品は清純化が進んでいる。
青木琴美『僕の初恋をキミに捧ぐ』(2005-2008)
青木琴美は『僕は妹に恋をする』ではエロエロだったが、本作では一転して「難病を抱えながらも純愛」というピュアラブストーリーを描いた。
邦画でよくありそうな題材なだけに映画化、ドラマ化を果たした。
エロエロからピュアラブへの回帰を果たした本作が、少女コミックとSho-Comiをまたぐ連載となったのは象徴的だった。
他
これらはメディアミックスもしているが、渡瀬悠宇作品ではやはり『ふしぎ遊戯』が飛び抜けているだろう。
・闇のパープル・アイ
闇のパープルアイはドラマ化やOVA化しているので、そういう意味では天河より上と思う人もいるかもしれない。
少年漫画や青年漫画のイメージの強い著者が、特にガラッと少女向けに変えることなく「掲載誌が少女漫画誌なだけ」というのは『洗礼』があるのでこっちはいいかな?
以前なら「誰か早く近代麻雀で書くんだ!」とか言ったりもしたのだろうが、
今年は麻雀漫画の歴史を総括する名著「麻雀漫画50年史」が発行されており、そこに全てが詰まっている。
しかし、500ページ超という大ボリュームとは言え定価2640円の本を誰もが気軽に読めているわけでもないだろうから、
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近代麻雀初期の重要作品は、明らかにこれ。なぜそんなにヒットしたのかは現代の感覚で判断するのは難しいが、大ヒットしたのはまぎれもない事実。経営危機に陥っていた竹書房が、本作の単行本をいきなり30万部刷るという大博打に出て勝利したことで、以降に続く全ての近代麻雀作品を時空を超越して救ったという逸話も持つ。
これは満場一致になると信じている。『麻雀漫画50年史』においても麻雀漫画史で最も重要な漫画家として紹介されている片山まさゆきの近代麻雀デビュー作。泥臭い麻雀劇画の世界のイメージを一気に明るくポップなものに変えて、麻雀漫画というジャンル全体の流れをも変えた。『ノーマーク爆牌党』などなど他にも入れたい作品が多々あるが、ここが原点ではあるし、一人一作ということで。
この時代の作品になるとリアルタイムで読んでいたわけではないので歴史的評価を語る形になるのだが、まだ麻雀漫画というジャンルが下に見られていた80年代前半に、マイナージャンルでもしっかりと個性と実力を発揮して、後によりメジャーなジャンルで大ヒット作を作るための第一歩にするという、福本伸行・西原理恵子・せきやてつじ・本そういち(須本壮一)などの、近年にも通じる流れはこの作品から始まった気がする。
★3/4(ほんまりう)
麻雀漫画という題材に真摯に向き合い、当時の新しい戦術を積極的に作品に取り入れたり、麻雀は4人でやるゲームであることを活かした「立体的な闘牌」を意識して、それを実現するため「闘牌原作」というシステムを確立したことが本作を最も重要と位置づけるべき点だろう。『麻雀漫画50年史』曰く、「麻雀に詳しい作家は、このシステムが確立していなくとも傑作を書いただろう。だが、そんな作家がそう多くいるわけではない以上、彼らのみで誌面を埋めることは不可能だ。闘牌原作システムが確立していなければ、誌面全体のレベルが史実よりも下がり、また『哭きの竜』のような「麻雀に詳しくない漫画家の手による傑作」は生まれなかっただろうと思われる。そういった意味では、片山作品をも凌ぎ、本作こそが80年代麻雀漫画で最も重要な作品であるのかもしれない」。
前述の通り、闘牌原作システムによって麻雀に詳しくない漫画家の手による傑作。「あンた背中が煤けてるぜ」という現代でもなお受け継がれる決めゼリフを生み出し、麻雀漫画というジャンル全体のイメージの何割かを本作が数十年に渡って背負い続けることとなる。
★mahjongまんが王(喜国雅彦)
筆者の年代的に本作のパロディはあまりハマってはおらず、個人的に大好きなのは『3年B組一八先生』の方なのだが、あの「有名作を麻雀漫画として堂々とパロディする」という手法の原点は明確にここであり、より重要度の高い作品として本作を選びたい。
言わずとしれた超超超有名作。ブレイクしたのは『天 天和通りの快男児』だが、連載期間の長さ=世間への影響力の大きさや、世界観やキャラクターを共有した「スピンオフ」という手法が麻雀漫画というジャンルとビッタリ合ったことで後世に与えた影響はあまりにも大きいだろうということでこちらで。
麻雀というゲームをハックした「全自動卓天和」という技術を巡る駆け引きを行う、今なお残る名作。運だの流れだのとは別なルートで麻雀の「答え」を見つけ出したことで、わずか全2巻にして、麻雀というゲームを題材にした作品の1つの到達点へと辿り着いた作品と言えるであろう。
★兎-野性の闘牌-(伊藤誠)
高校生代打ち集団ZOOの個性豊かなキャラクター作りやシュッとした絵柄、そしてキャラクター固有の能力を活かしたいわゆる「能力麻雀」というジャンルは、90年代から00年代にかけて福本作品と並ぶほどの人気を博していた。本作で広まった能力麻雀というジャンルが後に他誌で生まれる「咲-Saki-」にも大きな影響を与えていたであろうことは想像に難くなく、「咲-Saki-」シリーズの超絶大ヒットによって、麻雀漫画とはそういうものだと思われるくらいにはジャンルを超えて広く飛び出すこととなる。
御無礼。「無敵の主人公」「高レート麻雀」などの麻雀漫画らしい要素を、高い技術で異様に読みやすいオムニバス形式にしたことで、25年以上ずっと新鮮な気持ちで生み出し続けているバケモノ作品。
<次点>
・あぶれもん(来賀友志+嶺岸信明) 人によっては、こっちを10選にいれる人も多いとは思う。筆頭候補。
・まあじゃんほうろうき(西原理恵子) 人生切り売り形の麻雀漫画は全て本作の影響下にあると言ってもいいのかもしれない。
・ショーイチ(神田たけ志) 桜井章一は麻雀史上最も重要な人物10選には入るのだろうが。
・ムダヅモ無き改革(大和田秀樹) おそらく00年代以降で最大のヒット作だが、作者の個性と麻雀漫画というジャンルが噛み合った「だけ」であるのもまた事実か。
最近の作品が無い(それどころか2000年代開始作品ですら無い)のは寂しいが、最近の近代麻雀作品が「史上最も重要」と謳えるかと言うと難しい。