はてなキーワード: 公平性とは
中学でメンタル壊して10年引きこもった俺が何とか必死に生きようと頑張って病院行ったり仕事してみたり頼れる制度ないか探してみた結果がこれ。
生きる気力が削がれてしまう。そもそも金無さ過ぎて生きていけないんだけど。
まあ制度の公平性や福祉としての在り方を考えれば理解はできなくないけど、それでもいくつか不条理を感じたのでいくつかまとめてみる。
障害年金は基礎と厚生に分かれるが、どちらに該当するかは初診時にどちらに加入していたかで決まる。
厚生年金に加入していなければ基礎になるわけだが、当然20歳未満や学生のうちに発症すれば問答無用で基礎となる。
で、ここからが問題だが厚生には1~3級があるが基礎には1級と2級しかない。
ざっくり1級はほぼ寝たきり、2級はサポートなしでは日常生活が送れない、3級はサポートなしでは労働ができない程度の障害者が認定されるらしいが
基礎には2級までしかないので、障害を押してでも頑張って働く人間は「労働ができる」ために年金が支給されないのだ。
当然、働いて十分な賃金をもらえていればそれで問題はないのだが、障害を抱える人間にとってそれは至難の業だ。
厚生であれば3級で月5万円ほど貰いながら時短で働くなど選択肢があるだろうが、もらえなければフルで働くしかない。
結果無理がたたって休職や退職になり生活が苦しくなり、療養期間中も金銭面の心配で心が休まらず、そして金のためにと無理して就職してまた潰れる。俺みたいに。
たまたま若いうちに障害となって長く苦しんできた人間が不利になる制度ではないかと思う。
上記と一部被るが、障害基礎年金は「労働ができない人間」が貰えるものだ。
一方、失業手当は「労働する意欲と能力がある人間」が求職中に貰えるものである。
疾病や障害が原因で退職した者は失業保険を申請する際、支給条件の緩和と引き換えに労働に問題がないことを証明する主治医の意見書の提出が求められる。
当然この2つの条件は矛盾するので、両方を受け取ることは不可能だ。
ここまでは実に合理的な話だと思う。
そして障害年金は申請まで1~2か月、審査が終わるまで3か月、支給決定から支給まで1か月半ほど、合わせて長いと半年以上かかり尚且つ支給されるかは不明瞭だ。
しかしながら支給も早く確実性の高い失業保険をもらってしまえば年金が貰えないのである。
無収入の時間を耐え、わずかな希望を年金にかけていた人間が不支給の通知書を見た時の落胆はそれはもう堪えるものである。
年金申請の手順はまず初診日を確定させ、これまでの年金の未納がないか調べ、診断書をもらい、添付書類を集め、申立書と申請書を書き提出し、
年金機構から問い合わせがあれば対応し、その末審査されるものだ。
正直煩雑で辛かった。
そもそも働けず日常生活もままならないから年金を申請しているのになぜ仕事よりも大変な作業をしなければならないのか。
俺はなんとかできたからまあいいものの、おそらくこの作業ができなくて申請にすら至ってない人が相当数いると思う。
まあ社労士に依頼すれば個々の労力はほとんどいらないわけだが、さんざん言っている通り金がない。
成功報酬は支給される年金から出せるとしても、そもそも着手金の数万すら捻出できないのである。
つらい。あまりにつらい。
ここまで書き連ねて思ったが、この制度は重度の障害があり自分の代わりに動いてもらる支援員やサポートできる人間、後見人などがいる人たちのためのものではないだろうか。
つまり俺のようになんとか短期間なら働くことができなくもなくて、煩雑な申請作業もできなくはない人間は端から対象外なのではないかという気がしてくる。
そう考えるとなるほどどうして、このプロセスは審査前に非該当の人間を振るい落とす「一次審査」として機能しているのではないか。
だったら俺みたいな疾患の人間は対象にしなければいいと思うが。
寛解したと思ったら10年以上前の古傷のせいで念願の仕事に就いたのに辞めざるを得ない状況に追い込まれ、何とか希望を見出して頑張った結果がこれ。
繊細さんの行動原理を読んで、とある職場の同僚についての理解が少しできた。
とあるトラブルで話し合いの際、他のチームメンバーの見解に対し「自分はそう思わない、私はこう思う。逆の立場になって考えてみたら同じように思うのか」と言っていた。
チームメンバーとは入社歴も待遇も同じで、立場による差はない。
自身が相手の見解に同意しないのは自由であるが、自身の主張は相手に理解を求める。
事あるごとに傷付き、すごく辛くて、もう嫌なのだと言う。
なぜなのかと思ったが、“自身は弱者である”という認識が強いのだと考えると、腑に落ちたところがあった。
>配慮されることは特別扱いなのではなく、生存のための大前提なのだ。
>だから常に配慮されている「べき」で、それが無いということは加害されているのと同義である。
彼女にとって、何もしないということは加害と一緒なのだ。とんでもないな。
>生存のための武器として、態度や間接的な言葉で他人をコントロールする術に長けている。
>罪の意識も無ければ、相手の自由を奪っているということに気付くこともない。
彼女は「自分は人より出来る」「人の相談を受け、感謝されている」というような話を自ら伝えてくる。
事実、話しの中で矛盾が大いにあるが、彼女はおしゃべりで弁が立つ方だと思う。
その思考が平等な観点なら良いのだが、突き詰めると自身の主張を通すことが主題であったりする。
共同業務の中で効率的なやり方を提案した際、彼女のポリシーとは違ったようで、威圧的な言動で提案内容を詰めて来た。
別に提案しただけなので、彼女のやりたいようにして良いと思い身を引いたが、「私に理解できるように説明して、言ってくれれば良い」と大声で返してきた。
これは彼女とまだ知り合って間もなかった時であったので、私は萎縮してしまった。
結局私の提案は無かったことにして、彼女をリーダーに作業を終えたが、彼女は嫌な思いをしたようだった。
彼女は人一倍できると豪語しており、私はまだ経験が浅かったので彼女を立てたのだが、どうするのが円滑であったのか分からなかった。何気なく提案してしまった自身の言動を後悔した。
私自身、彼女に聞かれたことを教えたり、教える際も私も横で実践しながら親身にしていたのだが、こういった積み重ねというか、彼女は持ちつもたれつの考えが無いように思えた。
罪の意識も相手の自由を奪っていることも気付かないという認識ならば、理解できる。
>我々はもうすでに、あの人が恐ろしくなっている。
>コミュニティに繊細さんが入ってきたとき、自分が善人でいたいなら、そのコミュニティのことは諦めろ。
私は現在もう彼女に完全に嫌われているので詰んだのだが、職場の同僚であるため、完全に関係を断てない。
過去チームメンバー間でトラブルがあり、その際に上司は彼女の特性について認識している。
一度お互いが円滑に仕事をするため、上司含む同僚全員と話しをする場を設けようとしたが、彼女は固辞した。するならば私抜きでと。
そのため、彼女の気持ちが落ち着くまで一旦話し合いの場は延期になったが、その場がいつになるのかは未定である。
彼女と一緒に居ると大変ストレスを感じる。彼女も居心地は良くないと思うのだが、仕事を辞めたくはないらしい。この職場はもう終わりだ。
消費者集合:N = {1, 2, ..., n}
消費ベクトル:各消費者 i の消費ベクトルを X_i ∈ X_i ⊆ ℝ^(k_i) とする。
個人効用は自分の消費 X_i と政府支出の使用用途 G に依存する。
税収:T ∈ ℝ_+
国債発行額:B ∈ ℝ_+
政府支出の配分:G = (G_1, G_2, ..., G_m) ∈ G ⊆ ℝ_+^m
政策空間:P = { (T, B, G) ∈ ℝ_+ × ℝ_+ × G }
予算制約:
Σ_(j=1)^m G_j = T + B
可処分所得:消費者 i の可処分所得 Y_i は、所得税 t_i によって決まる。
Y_i = Y_i^0 - t_i
T = Σ_(i=1)^n t_i
p_i · X_i ≤ Y_i
目的:政府は社会的厚生 W を最大化するために、以下の政策変数を決定する。
国債発行額 B
政府支出の配分 G = (G_1, G_2, ..., G_m)
制約:
消費者の最適化:政府の政策 (t_i, G) を所与として、各消費者 i は効用を最大化する。
最大化 U_i(X_i, G)
X_i ∈ X_i
制約条件:p_i · X_i ≤ Y_i
結果:各消費者の最適な消費選択 X_i*(G) が決定される。
W(U_1, U_2, ..., U_n) は個々の効用を社会的厚生に集約する。
合成関数:
W(U_1(X_1*(G)), ..., U_n(X_n*(G)))
最大化 W(U_1(X_1*(G)), ..., U_n(X_n*(G)))
{ t_i }, B, G
制約条件:
Σ_(j=1)^m G_j = Σ_(i=1)^n t_i + B
t_i ≥ 0 ∀i, B ≥ 0, G_j ≥ 0 ∀j
X_i*(G) = arg max { U_i(X_i, G) | p_i · X_i ≤ Y_i } ∀i
X_i ∈ X_i
政府の役割:公共財の配分 G と税制 { t_i } を決定する。
消費者の反応:消費者は政府の決定を受けて、最適な消費 X_i*(G) を選択する。
(b) 力学系の特徴
スタックルベルクゲーム:政府(リーダー)と消費者(フォロワー)の間の戦略的相互作用。
最適反応関数:消費者の最適な消費行動は政府の政策に依存する。
(c) 一階条件の導出
L = W(U_1(X_1*), ..., U_n(X_n*)) - λ ( Σ_(j=1)^m G_j - Σ_(i=1)^n t_i - B ) - Σ_(i=1)^n μ_i (p_i · X_i* - Y_i)
微分:政策変数 t_i, B, G_j に関する一階条件を計算する。
チェーンルール:消費者の最適反応 X_i* が G に依存するため、微分時に考慮する。
(a) 公共財の種類
公共財ベクトル:G = (G_1, G_2, ..., G_m)
例えば、教育 G_edu、医療 G_health、インフラ G_infra など。
U_i(X_i, G) = U_i(X_i, G_1, G_2, ..., G_m)
各公共財 G_j が個人効用にどのように影響するかをモデル化。
将来への影響:国債発行は将来の税負担に影響するため、長期的な視点が必要。
制約:債務の持続可能性に関する制約をモデルに組み込むことも可能。
(c) 公共財の最適配分
優先順位の決定:社会的厚生を最大化するための公共財への投資配分。
政府の決定問題:消費者の反応を予測しつつ、最適な { t_i }, B, G を決定。
情報の非対称性:消費者の選好や行動に関する情報を完全に知っていると仮定。
消費者の行動:政府の政策を所与として、効用最大化問題を解く。
結果のフィードバック:消費者の選択が社会的厚生に影響し、それが政府の次の政策決定に反映される可能性。
(a) モデルの意義
包括的な政策分析:政府の税制、国債発行、公共財の使用用途を統合的にモデル化。
最適な税制と支出配分:社会的厚生を最大化するための政策設計の指針。
一般性の確保:特定の経済状況やパラメータに依存しないモデル。
政府は、税制 { t_i }、国債発行額 B、そして公共財の配分 G を戦略的に決定することで、消費者の効用 U_i を最大化し、社会的厚生 W を高めることができる。
このモデルでは、政府の政策決定と消費者の消費行動という2つのステップの力学系を考慮し、公共財の使用用途も組み込んでいる。
首都圏だと生活保護世帯や借金を踏み倒したことのある人、ホームレス、自己破産者など生活困窮者は保証会社の審査に通らないことが多いし、原則としてアパートを借りることができないし、住宅扶助の範囲内で出してるアパートがまずないです。
一応郊外だと、住宅扶助の範囲内であるにはあるけど、保証会社が必須で、一口IHか二口ガスコンロ設置可能、3点ユニットバス、プロパンガスという普通の人が選ばないような物件ぐらいしか勤務先は紹介できないです。
地域によっては生活困窮者の仲介が非常に面倒ですし、心がマジで折れます。
ただ、生活困窮者みたいな保証会社の審査が通らない人でも一応手はあります。
勤務先の社長の知り合いの大屋さんは生活保護がOKなので、大家さんに情報を伝えて、入れてもらうという手があります。
ほかの地域ではどうか知らないけど、首都圏だと、障害があったり、ほかの物件がなく、ドヤに入れてもあまり意味がないケースの場合、風呂が共同のアパートに入れるという手も使えることがあります。
管理物件で風呂なしの共同アパートみたいなのはあり、ここに生活保護の方を入れたことは何度かあります。
ただ、金銭管理ができないなどの事情がない限り、福祉事務所は代理納付をしてくれず、滞納リスクはそれなりにありますし、ガラス1枚を壊して逮捕され、拘留され、生活保護が停止になったケースもあるにはあります。
ある生活保護世帯が部屋をゴミだらけにし、ゴミ捨てと掃除で1か月ぐらいかかったことあります。
(業者に頼むと早いのですが、それだと二桁万円はいくので、1か月間遊ばせたほうが安いのです)
もう一つの手はNPOや一般社団法人の紹介で入れてもらうという手があります。
この手の物件の作り方は大体は以下の通りで
1.不動産屋が競売でアパートを買う
郊外かつ3点ユニットバス、プロパンガスガスの物件は非常に人気がなく、家賃2万円で契約が取れないことが多々あります。このケースだとアパートを購入する際に借りたお金を返せず、競売に出されることがあります。
競売なので、ハザードリスクもなく、土地の形が正方形や長方形に近く、きれいに分割でき、退去費用を払ってもなお、ペイする物件は建売業者が買いますが、そうでない物件は建売業者すら手を出しません。
例えば、アパートは原則として家賃収入÷利回りでで値段を出すので、家賃2万円、利回り10%、10部屋のアパートだとおおむね1440万円で買うことができます。
(土地の形状やハザードリスクによっては公示価格×土地面積×形状やハザードリスク補正で値段を計算し、うまいこと混ぜ合わせるので、さらに安くなることがあります)
2.一般社団法人やNPOを設立する
不動産屋がそのまま生活困窮者を入れてもいいのですが、生活困窮者は精神疾患を持っていたり、高齢者だったり、ホームレスかつ境界知能を持っていたり、と相応の知識が必要になることが多いです。
さすがに不動産屋には手が余るので、お医者さんや精神保健福祉士、無料低額宿泊所の管理に必要な資格を持ってる人を雇い入れ、法人名義で寮とアパートを借り上げる。
寮に生活困窮者を住まわせ、しかるべきタイミング――金銭管理ができるかとか知能、預貯金、収入の有無の凹凸に関して確認し、問題ないようであれば、アパートを紹介します。
(場合によってはアパートにそのまま住まわせることもあります)
3.生活保護の申請をする
2の段階で要件を満たしていることが多いので、申請は通ることが多いです。
申請が通ったら、住宅扶助費が4万円支給されるので、一部屋につき2万円の利益を得ることができます。
4.不動産屋がポータルサイトで売却をする
1のようなアパートです家賃4万円だと4800万円が売値になります。仕入れ値は1440万円なので、粗利益は3360万円+仲介手数料になります。
仲介手数料は3360万円ですと、106万円ぐらいになり、トータルの粗利益は3466万円ぐらいになります。
もちろん、リフォーム費用や広告費、競売で仕入れた費用(登録免許税や金利とか)などが別途かかり、入居がうまくいかないケースだと炊き出しをしたり、ほかの業者に広告費を払って、入居者を集めないといけないです
なので、粗利益3466万円がまるまる残るわけではありません。
住む家が見つかり、ホームレス状態からは脱することができます。
ただ、買主目線だと、リスクは高く、最低でもレントロールを見せてもらってください。レントロールに書かれている家賃が住宅扶助と同じ金額であれば、生活保護世帯が入ってるので警戒したほうがいいです。
また、この家賃が住宅扶助費よりも下回っている場合も注意したほうがいいです。
大家さんが適当に値付けをし、自力で治せるなら、時間との兼ね合いになりますが、まずくはないですが、家賃が低いということは低所得者層がそれなりに入り込んでおり、かなえ先生が言うように自分で自分のケツを吹く必要があります。
誰も助けてはくれません。(要配慮者住宅の要件を満たしているなら、補助はありますが…)
なので、アパートを買う前にアパートの周囲と歩き、近所の不動産屋の相場家賃を見ておいたほうがいいです。
ハザードマップポータルサイトやグーグルマップである程度はわかりますが、坂の感覚や匂いなどは実際に歩いてみたほうが手っ取り早いです。
なお、住宅扶助費に関してですが、コラボなどいくつかの団体がやらかしてくれたので、流れが変わる可能性があります。
住宅扶助費がある日突然下がる可能性があるということだけは覚えておいてほしいです。
賃のように明確な基準によって設定されるべきも
要である.
要である.
されるべきものではないことは言うまでもない
なお、かなえ先生がライブ配信でいっていたようにDIYでリフォーム費用を抑えるという手もありますが、ペンキを塗るのは結構面倒ですし、壁紙もうまくやらないと穴が開くことがありますし、斜めに貼ってしまうこともあります。
工事業者に頼むと高いですが、なるべくなら、業者に頼んだほうがいいです。
あと、プロパンガススキームと言って、プロパンガス屋に設備の設置をただで依頼して、入居者にガス料金+設備の設置費用などをふたんする方法が流行ってますが、都市ガスエリアだと埋めるのが非常に難しくなります。
また、お客さんが部屋を借りるときに重要事項説明書でここら辺を説明しないといけない方向性に傾きつつあるので、プロパンガススキームはやらないほうがいいと思います。
ちょっと前、所属していた趣味のコミュニティがとある前菜さんが加入したことでゆっくりと活動にブレーキが掛かり、ついに事実上の解散状態になった。
その顛末については本人に伝わると良くないので書かない。
そういう内容を期待しているひとはこれ以上読む必要はない。
ただ前菜さんを間近で目撃して、なんとか活動を盛り返せないかと色々努力してコミュニケーションをとってみた(無駄だったけど…)経験から、前菜さんの行動原理が何となく分かってきたので書いておこうと思う。
行動原理は単純で「前菜さんは常に満腹の危機を感じている人間である」ということ。
この前提が分かっていれば、いろいろな行動に説明が付く。
満腹の危険に瀕した人間、例えばビュッフェで遭難した人間が仲間の皿を食べる、あるいは奪って食べることは罪ではあるが理解はできると思う。
満腹の危機を感じている人間が、公平性や遵法性をいったん棚上げして利己的に行動することはごく自然なことだ。
前菜でない人間は満腹の危機を感じていないので、他人の行動にどの程度干渉するかは多少の個人差はあってもある種のフェアネスに基づいて判断している。
多少自分が不快であっても、客観的に見て相手の行動に自分が干渉するのは不適切であると判断すれば、その不快は受け入れる。
しかし前菜さんとは常に口元にフォークを突きつけられて生活している人間なので、その不快を少しでも受け入れればそれは即ち満腹を意味する。
そのため公平性を踏み越えてでも自分の不快を排除しようとする。というか、そうせざるを得ない。
最初、まだ行動原理を理解していなかったころは前菜さんのことを大食いな人間だと思っていた。
でもどうやらそうではなく、満腹との距離が近いひとなんだということが分かった。
また、前菜さんは自らが食べ残しであるという強い信念を持っている。
当然だ。常にフォークを口元に突き付けられているのだから、主観的には、それはそれは圧倒的な食べ残しだろう。
大した上下関係もない緩いグルメコミュニティの中であっても、その意識は変わらない。
圧倒的食べ残しなのだから、調理されなければ生きてはいけない。
調理されることは特別扱いなのではなく、生存のための大前提なのだ。
だから常に調理されている「べき」で、それが無いということは放置されているのと同義である。
この意識にも最初は戸惑った。何しろ向こうはメインディッシュでもなければこちらもシェフでやってる訳ではないのに、当然のように特別扱いを要求されるのだ。
そして前菜さんは生存のための武器として、盛り付けや間接的な香りで他人をコントロールする術に長けている。
その技術は彼、彼女が唯一持ちうる武器であり、命綱であり、消化をするようにほとんど無意識に使っている手足でもある。
前菜さんのコミュニケーションは常に前提として「食べ残しの自分」が置かれており、そのため、相対した人間を自由自在に大食漢に変えることが出来る。
そして何より厄介なことに、このような行動に「相手を太らせよう」だとか「自分がメインディッシュに立とう」という意識は、一切無い。
上記で説明した通り、これらの行動は生存のための命綱に過ぎないので、罪の意識も無ければ、相手の食欲を奪っているということに気付くこともない。
前菜さんからしたら自分が食べ残しであり、相手が大食漢であることは決定事項であり、覆ることのない真実なのだ。
例え、客観的に見て言いがかりだとしても、目の前の人間から大食漢扱いされて平気な人間はあまりいない。
まして、そんな思いをしてまでグルメコミュニティを維持しようと思う人もいない。
前菜さんを除いてこっそり再結成すればいいと思われるかもしれないが、万が一そのことが相手に知られたらと思うと、胃が重い。
我々はもうすでに、あの人が食欲をそそるようになっている。
ちょっと前、所属していた趣味のコミュニティがとある繊細さんが加入したことでゆっくりと活動にブレーキが掛かり、ついに事実上の解散状態になった。
その顛末については本人に伝わると良くないので書かない。
そういう内容を期待しているひとはこれ以上読む必要はない。
ただ繊細さんを間近で目撃して、なんとか活動を盛り返せないかと色々努力してコミュニケーションをとってみた(無駄だったけど…)経験から、繊細さんの行動原理が何となく分かってきたので書いておこうと思う。
行動原理は単純で「繊細さんは常に命の危機を感じている人間である」ということ。
この前提が分かっていれば、いろいろな行動に説明が付く。
命の危険に瀕した人間、例えば船で遭難した人間が仲間の死体を食べる、あるいは殺して食べることは罪ではあるが理解はできると思う。
命の危機を感じている人間が、公平性や遵法性をいったん棚上げして利己的に行動することはごく自然なことだ。
繊細でない人間は命の危機を感じていないので、他人の行動にどの程度干渉するかは多少の個人差はあってもある種のフェアネスに基づいて判断している。
多少自分が不快であっても、客観的に見て相手の行動に自分が干渉するのは不適切であると判断すれば、その不快は受け入れる。
しかし繊細さんとは常に喉元にナイフを突きつけられて生活している人間なので、その不快を少しでも受け入れればそれは即ち死を意味する。
そのため公平性を踏み越えてでも自分の不快を排除しようとする。というか、そうせざるを得ない。
最初、まだ行動原理を理解していなかったころは繊細さんのことを傲慢な人間だと思っていた。
でもどうやらそうではなく、死との距離が近いひとなんだということが分かった。
また、繊細さんは自らが弱者であるという強い信念を持っている。
当然だ。常にナイフを喉元に突き付けられているのだから、主観的には、それはそれは圧倒的な弱者だろう。
大した上下関係もない緩い趣味のコミュニティの中であっても、その意識は変わらない。
配慮されることは特別扱いなのではなく、生存のための大前提なのだ。
だから常に配慮されている「べき」で、それが無いということは加害されているのと同義である。
この意識にも最初は戸惑った。何しろ向こうはお客さんでもなければこちらも仕事でやってる訳ではないのに、当然のように特別扱いを要求されるのだ。
そして繊細さんは生存のための武器として、態度や間接的な言葉で他人をコントロールする術に長けている。
その技術は彼、彼女が唯一持ちうる武器であり、命綱であり、呼吸をするようにほとんど無意識に使っている手足でもある。
繊細さんのコミュニケーションは常に前提として「被害者たる自分」が置かれており、そのため、相対した人間を自由自在に加害者に変えることが出来る。
そして何より厄介なことに、このような行動に「相手を陥れよう」だとか「自分が優位に立とう」という意識は、一切無い。
上記で説明した通り、これらの行動は生存のための命綱に過ぎないので、罪の意識も無ければ、相手の自由を奪っているということに気付くこともない。
繊細さんからしたら自分が被害者であり、相手が加害者であることは決定事項であり、覆ることのない真実なのだ。
例え、客観的に見て言いがかりだとしても、目の前の人間から加害者扱いされて平気な人間はあまりいない。
まして、そんな思いをしてまで趣味のコミュニティを維持しようと思う人もいない。
繊細さんを除いてこっそり再結成すればいいと思われるかもしれないが、万が一そのことが相手に知られたらと思うと、気が重い。
我々はもうすでに、あの人が恐ろしくなっている。
暇空茜
@himasoraakane
https://pbs.twimg.com/media/GXA8rUzaEAASJMO.png
だって俺が信じてる、パヨクに俺と同じくらい攻撃されてる杉田水脈さんが支持してる
チャイナリスクが高まってて韓国と急遽仲良くなったり機密事項を立憲とかに見せたら流石に立憲も賛成した、みたいな時世なのに表現規制だから高市さんはとか言ってるやつ頭沸いてるかスパイだろ
この日本という国の危機でありチャイナリスクもあるときに何言ってんだ?
https://pbs.twimg.com/media/GXBL_6VbwAEI-Ac,jpg
アホかお前
他は💩だろ
表現規制の主張だけで日本の未来をきめる総理を選ぶ気になるの?どんな教育受けてきたのきみ
※暇空のファンが好き嫌いcomの堀口英利ページで暇空に向かって語りかけ、暇空がそのコメントをスクショして反応するのが恒例となっている
本日、みんな党政調会議に自民党の高市早苗議員が来られました。児童ポルノ規制法案提出についてのみんなの党への説明です。本法案が議員立法だとしても自民党政調の高市会長自らが直接やって来るのは異例中の異例です。しかしながら、この法案は児童ポルノを厳しく取り締まるという目的の他に、非実在、つまりアニメなどの表現規制にもつながる可能性がある問題のある法案です。
1 政府は、児童ポルノに類する漫画等(漫画、アニメ、CG、擬似児童ポルノ等をいう。)と児童の権利を侵害する行為との関連性に関する調査研究を推進するとともに、インターネットによる児童ポルノに係る情報の閲覧の制限に関する技術の開発の促進について十分な配慮をするものとすること。(附則第二条第一項関係)
2 児童ポルノに類する漫画等の規制及びインターネットによる児童ポルノに係る情報の閲覧の制限については、この法律の施行後三年を目途として、1の調査研究及び技術の開発の状況等を勘案しつつ検討が加えられ、その結果に基づいて必要な措置が講ぜられるものとすること。(附則第二条第二項関係)
高市早苗総務大臣は,2 月 8 日の衆議院予算委員会で,野党議員の「憲法 9 条改正に反対する内容を相当の時間にわたって放送した場合,電波停止になる可能性があるか」との質問に対し,「放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返し,行政指導しても全く改善されない場合,それに対して何の対応もしないと約束するわけにいかない」と述べ
何故か頭の悪いソニー信者は相変わらず奴隷を続けるようだが、ちょっとソニーを支えるには貧乏すぎる。
8年以上、150億円以上かけたソニーに肝いりタイトル、コンコードがわずか2週間で返金の大爆死をしたことは有名だが、
次は、もっとDEIゴリゴリのゲームが出る。アサクリの元プロデューサーが立ち上げたスタジオをソニーは既に買収していて、
そのゲームスタジオを見ると「私達は、ゲームを通して、多様性、公平性を学び、広げていきます」とか掲げてる。
別に悪いことはいってないよ。でもまぁ、文章で説明すんのも難しいけど、Xの投稿がね、コンコードの開発陣以上に香ばしいっていうが狂気をはらんでるんよ。
もちろん、コンコードを買わなかった層は、このゲームを買わないだろうに、ソニーは「社内で好評で引き続き支援してゆきます」と発表し大炎上
アサクリでもアジア人ヘイトが露骨な事がバレて、そこへPS5値上げでソニー主導の日本人バッシングが起きてフランスオリンピックは、特に日本人をヘイトする外国人youtuberが増えて
スパインでは今でも「卑怯者の日本人」と柔道の件でボロクソに日本人がバカにされまくってて、120万人以上の登録者を抱える黒人女性が「日本に行って女性を妊娠させると1000万もらえるわよ」と
PS5の値上げは当然だろ!
っていってたアホどもは責任取れ
トランスジェンダリズムが女性の人権を侵害する可能性についての議論は、さまざまな視点から展開されています。
一般の女性は、トランス女性(生物学的には男性であり、性自認が女性の人)の女性専用スペースへのアクセスが、シェルター、トイレ、更衣室などの安全性やプライバシーを脅かす可能性があると懸念しています。特に暴力や虐待を経験した女性が、男性が含まれる可能性のある空間を避けたいと考えることが多いため、この問題は重要です。
トランス女性が女性のスポーツ競技に参加することで、生物学的な男性の特性(筋力や体格など)が不公平なアドバンテージをもたらす可能性があるとされています。このため、多くの人々は、女性のスポーツの公平性が損なわれることを懸念しています。
法律や政策が、性自認に基づいて「女性」としての権利を拡張することで、生物学的な女性が特定の権利を失う可能性があると指摘されています。例えば、トランス女性が女性専用の奨学金や支援プログラムを利用することで、限られたリソースが不足する可能性があります。
4. フェミニズムとトランスジェンダリズムの衝突
ラディカル・フェミニストは、トランスジェンダリズムが性別の概念を希薄化し、女性の解放運動を妨げると考えています。彼女たちは、女性として生まれ育った経験を共有することが、女性の権利擁護において重要であると考えています。
トランスジェンダリズムが女性の人権を侵害する可能性についての議論は、さまざまな視点から展開されています。
一般の女性は、トランス女性(生物学的には男性であり、性自認が女性の人)の女性専用スペースへのアクセスが、シェルター、トイレ、更衣室などの安全性やプライバシーを脅かす可能性があると懸念しています。特に暴力や虐待を経験した女性が、男性が含まれる可能性のある空間を避けたいと考えることが多いため、この問題は重要です。
トランス女性が女性のスポーツ競技に参加することで、生物学的な男性の特性(筋力や体格など)が不公平なアドバンテージをもたらす可能性があるとされています。このため、多くの人々は、女性のスポーツの公平性が損なわれることを懸念しています。
法律や政策が、性自認に基づいて「女性」としての権利を拡張することで、生物学的な女性が特定の権利を失う可能性があると指摘されています。例えば、トランス女性が女性専用の奨学金や支援プログラムを利用することで、限られたリソースが不足する可能性があります。
4. フェミニズムとトランスジェンダリズムの衝突
ラディカル・フェミニストは、トランスジェンダリズムが性別の概念を希薄化し、女性の解放運動を妨げると考えています。彼女たちは、女性として生まれ育った経験を共有することが、女性の権利擁護において重要であると考えています。
長寿命化・物価上昇による支払額の増加で公的年金制度が破綻しそうです。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-09-05/SJB981T1UM0W00
なので女性のみ掛け金を値上げして、適正な負担を負っていただきます。
男女の平均余命に差があり(男性が81.09歳、女性が87.14歳)、つまり女性のほうが6年長く受給してより多くの年金を受け取っているという状況が続いているのです。
受給開始年齢は65歳なので男性は平均16.09年、女性は平均22.14年受給しており、比率にすると女性は男性の約1.4倍、137%受給しているのです。
(今後受給開始年齢はどんどん引き上げられていく見込みですが、男女平均寿命はたいして変わらないでしょうから、この男女受給比率格差は広がる一方となります)
この受けられる利益に差がある状況で男女の負担が同額なのは、性差別ということです。
なので男女平等のため、受給額の多い性別には相応の値上げをします。
はてブのフェミニストの皆様はつい先日に、「女性のほうが食べる量が少ないのは確かだ。なのに食べ放題の料金が男女同額なのは女性への差別だ。だから牛角が女性のみ割引するのは男性差別ではない」という理屈をおっしゃっておられましたので、
(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/98bef4ac5cfa1fd333f80732f501971ec83e850e
当然、この値上げにも不満を述べず賛成していただけることでしょう。
なんせ、「女性は小食」という根拠のない個人の所感に対して、「女性は長寿命」というのは公的な統計で証明されており(根拠はより明確)、
「一企業のサービス提供」という利用しない自由がある料金に対し、公的年金は法律で加入が義務となっていて「利用しない自由」がない強制制度で、
民間企業の方針に対して、公的年金というより平等性・公平性が求められる内容なので、より差別は許されない制度。
「享受する量が男女で異なるのに、負担が男女同額なのは差別」 という理屈をおっしゃっておられたのですから、それは年金制度にもあてはめて、
もちろん男女平等のために女性のみ保険料値上げすべきですよね。
まさか、「男に有利で女に不利なら許さない! だが女に有利で男に不利なら問題ない。」
フェミニストの要求て、単なる男性への甘え、自己中、我儘だった?いやまさかそんなはずは…そんな態度はあまりにも男女平等や公平性に反する…あり得ない…
Q.
食べ放題の料金を男女で区別することの是非についての議論は、スポーツを男女別にする議論に通じるように思います。
など。
A.
おっしゃる通り、食べ放題の料金の議論と、スポーツを男女別に分ける議論には共通点があります。どちらも「性別による区分け」の正当性や、公平性に関する問題を含んでおり、以下のような論点が考えられます。
確かに、男女間には統計的な違いがあり(例えば、平均的に男性の方が筋肉量が多い、女性の方が体脂肪率が高いなど)、これがスポーツの競技成績や食べる量に影響を与えることが多いです。しかし、個人差も非常に大きいため、すべての男性が女性よりも強い、またはすべての男性が女性よりも多く食べるというわけではありません。このため、性別だけで判断することが不公平だと考える人もいます。
スポーツ競技の性別区分には、歴史的・文化的な背景がありますが、近年では性自認やジェンダーの多様性が認識されるようになり、単純に「男性」と「女性」で区分けすることの限界が議論されています。例えば、トランスジェンダーのアスリートや、性別ではなく体質的・生理的要因による区分けの方がより公平ではないかという意見も出てきています。
一部の専門家や活動家は、性別ではなく、直接的に競技パフォーマンスに影響を与える要素(例:筋肉量、ホルモンレベル、身体能力テストの結果など)で分けるべきだと提案しています。これにより、個々の選手の能力に基づいて競技が行われ、より公平な競争環境が作られると主張されています。
ただし、このアプローチにも課題があります。たとえば、筋肉量やホルモンレベルの測定が技術的に困難だったり、プライバシーの問題があったりすること、また基準がどのように設定されるべきかという点で意見が分かれることもあります。
男女別の競技や料金設定には、それぞれに長い歴史と背景があります。しかし、近年の多様性に対する理解の進展と、より公平でインクルーシブな環境を求める動きにより、従来の区分け方法が再検討されています。
スポーツでは、男女の身体的な違いを考慮して競技の公平性を保つために、男女別のカテゴリーが設けられてきました。このような区分けは、特にトップレベルの競技において、身体的な利点や不利を最小限に抑えるための方法です。
現在、ジェンダーの多様性を尊重する必要性が高まっており、「性別」で一律に分ける方法には限界があると考えられています。そのため、性別以外の基準を用いた区分けや、性別に基づかない新しいカテゴリーの提案が検討され始めています。
性別による区分けが不公平だと感じる人々の声を反映するために、より多様な基準やアプローチが求められています。スポーツや料金設定においても、性別に限らず、個人の特性に基づいてより公平な方法を模索することが必要だと言えるでしょう。
私は女子枠の設置には反対している。
女子枠を設置するなんて、女性の学力が低いとみなしている、屈辱的なものなのではないかと思う。本当にやめてほしい。フェミニストと名乗りながら、馬鹿馬鹿しい理由をつけて女子枠を正当化しないでほしい。一緒にされたくない。(勿論、論理的に女子枠について議論されているフェミニストの方もいます)
私は女子枠がなかった3年前にとある大学の工学部電気系の学科に入学した。
男女比は9.5:0.5ほどで、女子の少なさ故に交友関係の面ではかなり苦労したし、常に孤独感があった。サンプルが少ないため、それが偶然なのかは分からないが、元から少なかった女子のうち半分はいなくなった。正直女子がもう少し多い建築系、化学系に進めば良かったと後悔したことは二度や三度ではない。
けれど、それは女子枠を設置する理由にはならないと考えている。そんな孤独感という感情ごときが枠を奪って、奪われた人の人生を変えていけない。
女子枠の導入として期待される効果に「学生の多様性の促進や学部の活性化」、「優秀な女子学生の獲得」、「学部におけるジェンダーバランスの促進」がある。
多様性っていうのは学力の多様性という意味も含んでるんですかね……。多様な学力の女子が入ることの大学へのメリットが分からない。
むしろ優秀な女子学生は、女子枠で入る女子と一緒にされたくないから避けると思う。私も今、女子枠と数年しか入学年度が変わらないため、一緒にされるのではないかと危惧している。
ジェンダーバランスとは「男女の賃金格差、昇進格差をなくし、男女の採用の公平性を取ること」のようだが、ここでは単に男女比のこととして捉える。女子枠を設置してまでして優秀でない女子を増やして喜ぶのなんて、その入学できた女子くらいなのでは?
この文章が論理的に正しくないことも分かっています、時代的に女子枠を設置することが"正しい"ということも。けれど、フェミニスト全員が下駄を履かせてもらって入学することを良しとしていると思われたくなかったのでこの文章を書きました。
「誰かを犠牲にするなら補償を与える」という考え方は、経済学における補償原則と呼ばれるものです。これは、ある政策や制度によって一部の人々が損害を被る場合、その人々に対して何らかの形で補償を行うべきという考え方です。
「パレート改善」は、ある経済状態から別の経済状態に移行する際、少なくとも一人の人の効用が増加し、誰の効用も減少しないような状態を指します。つまり、誰かを犠牲にすることなく、全員がより良くできるような改善を目指す考え方です。
経済学は、このような複雑な問題に対して、様々な分析手法やモデルを提供することで、より良い社会の実現に貢献することを目指しています。
経済学は、単に物事を数値で表す学問ではなく、より良い社会を築くための指針となる学問です。
「誰かを犠牲にするなら補償を与える」という考え方は、経済学の根底にある重要な概念の一つであり、この考え方を踏まえて、より公正かつ効率的な社会の実現を目指していくことが重要です。
1種目についてのジャンルわけとかで人数が異なるでしょ
その意図が「同一成績分け」じゃなくて「同一前提分け」になってるってだけの話よ
10人出れる枠もあれば数人の枠もある それを「この競技は実数として何人だが」とか持ってくるのは意味がないと思うよ
そして分け方が「どういう理論で成り立つか」ってオリンピック競技者選定理論、なんてもので各競技の基準とか人数とか決めてるわけじゃなくて
あくまでスポーツをする前提で、できるだけ公平になるようにとする基準が「基準に沿った各国からの選出」になってるってだけの話
「柔道で無敗のクラス、10戦5勝のクラス、1勝9敗のクラス」と実力で分けたら、平等になるか?とか
「100メートル10秒で走れるクラス」に8秒の選手は出れないし10秒以上の選手しかいないチームは出場できない?とか
そういう事だよ これがなにかの理論に沿ってるわけでも一貫した哲理があるわけでもない
同じ競技をするのに何が「不平等感につながるか」を最低限排除するという事で決めるのがスポーツだねって事だよ
男女で分けてる話は「文面上同じ記事内に書かれているけど、出場枠の制限について男女の分け方が起因している」と結びついてないよ
「100メートル10秒の選手で競技する」となると男女の意味はないけど、逆に「100メートルのタイムを競う」で選手を募るなら男女わけは基準のひとつになるでしょ
前提としてもちろん「何秒台で走れる帯域」というのが性別に起因する可能性はあるけど、足の遅い男性と足の速い女性を混在させる場合に「完全にトップスコアを全人類上でだせる競技」でない場合だと
その混在理由、混在させてともに走ってスコアを出して、その1種目の中で順位を決めて賞を与える意味って「何々なのに足が遅い」というなんの基準もその意味も情報としても価値もないものになるよね
「体形が同じで同じスペックが出せるはずなのに、遅いやつは何なんだ」という事に、理由というか続ける言葉を人がつくるとしたらそこにあるのは差別的な何かになるでしょう
ただ早い人類を探すイベントなのだったら、100メートルを7秒台で走る義足の選手が出てもおかしくないでしょう 筋肉を特殊な方法で育てた人が出たりとか
そういうのを排除する意味は、人間のパフォーマンス選定会じゃないからって事 スポーツ競技者が成果を見せ合うお祭りなの
スポーツの公平性ってそういうことだって話だよ 研究室のパフォーマンスデータを一般人に見せるイベントみたいなものじゃない
たまに横断的に金をとる選手がいたりするけどそれはスポーツの祭りで平等性よりも「トップスコア」を狙ったスポーツマンシップから外れた基準だろうと思われても仕方がない
でも基準がいまのところそこはできるからしてるってところはあるだろうし、みんながお祭りとして楽しむためによりよくしていくならば、出場を限らせる条件をうまく言語化できるならばルールにしていくべき所だと思う
新体操だってベストなスコアが出せる人間がいたとしても「喫煙をしていた」とかで落ちる可能性があるんだよ
スコアと喫煙は関係ないよね だから出場するべきではあると思うけど選出条件から漏れたからトップスコアでも代表選手になれないって事があったりするわけ
ほかの身体スコアがトップだとしても薬物は違反だとか、他の倫理規定とかに違反していたら脱落とかある
競技者が競技として、そのスポーツの人口を増やす原因となってほしい成果のひとつをみんなに見てもらうためのお祭りがオリンピックなんだよ
増田、そもそも公平性とはなんなのか、スポーツにどう関わるかについて興味深い議論をしていますね。それを考えると、映画「ミリオンダラー・ベイビー」を思い出させます。この映画を知っていますか?
クリント・イーストウッドが監督し、ヒラリー・スワンクが主演するこの映画は、ボクシングを題材にした感動的なドラマです。ヒラリー・スワンクが演じる主人公は、ボクシングジムのオーナーであるイーストウッドのもとで訓練を受け、厳しい現実の中で勝利を目指します。
「ボクシングは出会った運命を変えるものであり、そこには勝利だけでなく、深い友情や愛も詰まっている」といえるような映画です。競技の中で個々の背景や状況がどう影響するか、そしてそれにどのように対処するかが描かれています。
逆なんだよ
公平性っていうのは
100メートルを10秒で走れる人をあつめて 100メートル走を行う
じゃないんだよ
100メートルを走ることが出来る人をあつめて そのタイムを競うんだよ
それで差が出るよね
その差が「優劣」でもなく「貧富」でもないのがスポーツの公平性なんだよ
足が遅い国は教育や食事とか経済なんかにおいて水準を上げる援助や協力が必要であるなんて答えを出さない
じゃあ男女でもだれでも出たいと思った人間が出ればいいじゃんって思うよね
そうだよ
別に足があろうがなかろうが走れようと走れまいと関係なく出たらいいんだよ
でも出場の人数に制限があるわけ
開催国だって競技人口を全部受け入れる広さもないし、移動とか考えてというか常識的に考えて一競技一人に絞るのが妥当でしょ
トップのスコアを出す人間なのかどういう条件を満たしたのかとか、いろいろ選定の基準があるわけ
その中に男女って区分けもあるってだけの話
そこの国の「人種」がどういう形であるかを決めたり「同程度」の能力がそれぞれの「人種」で「どういう階級と並ぶか」みたいなモロに差別な事を言わないわけ
そういう人種を「国の代表」としているから、たとえば100メートルを8秒で走れる「人種」とそうでない「人種」で並べたとしたら努力とかスポーツマンシップとか関係なく「人種の交配」以外に競技の見出せる意義がなくなっちゃうでしょ
発想は公平性から来てると思うし差別の意図はないと思うけど、それを利用して感情が偏る結果に差別があるのよ
1ドルが145円とかみたいな「1対1」の交換比率に差がある、平等で公平な基準に差がでるという事は「平等に考えて差があるから」」という基準を生むわけ
そうなると全然関係ない要素にも平等と公平性で出した結果が利用できるよねって言い出す「差別」が生まれるわけよ
同じ体格で100メートルのタイムが2秒もちがう、となると「同じ体形の人間に課す料金、手続き、対応」なんかについても「スポーツで結果がでてる差があるから」という理由で基準が生まれかねないわけ
人種で「同じに見えても違うから」という理由、その同じ見た目という基準を持つ事自体が「人の差を見た目で判断している」という差別の一歩なのよ
体格が同じに見えるからという理由で階級を分けてる格闘スポーツがあるでしょ
あれは身体能力の他に「技の差」が、平等性を欠くことを意図的に差別化することで回避してるのよ
「平等性」を取り入れて「条件による代表制」ではなく「同じ体形の人間」だけで運動能力競技をすると「根源的な種の差」で勝つ人が出てくるわけ
「技で複数の階級制覇」する人と同じ意味の人が、最近話題のトランスジェンダー競技者と同じ差が出てくるのよ
勝ったとか負けたとか順位があるから、優劣を競ってるように見えるんだろうけど
スポーツマンシップってのはそういう結果が出るものだとしても「優劣」ではないんだわ
体形が違うからとか構造が完全に違うからとかいう理由で「相手の代表に選んできた相手」との結果がすべてで
人種とか体形とかそういうものの差でどうのこうのってのはあっちゃいけないわけよ
トランスジェンダーか構造的な差がもともとあったとして棄権した選手が、そういう感覚でスポーツマンシップを損ねた態度をした件があったけど
「そういうものじゃない」って態度をあとで謝罪して理解した旨を示したでしょ そういう事よ
相手がどんなモンスターだとしても代表選手として選んできてIOCが認めたんだから、IOCの提供する競技の場ではスポーツをして結果を出すべきだったって話
選定基準とかそういうルールみたいなものは外野が騒いで、ルールの在り方とかを第三者的に監視してよりよいものにしてくべき所
選手はできるだけスポーツとして純粋に結果が出せる環境に、代表として名乗りを上げれる状態にしてほしいと願って日々鍛錬をするだけ