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はてなキーワード: 公平性とは

2021-05-18

体重箱の隅をつつく奴のせい

新型コロナワクチン接種もさ、政府優先順位と余った時の優先順位ちゃんと示せばいいのに現場任せ。

でもやらない理由もわかる。野党とかの重箱の隅つつく奴らのせい。「○○の時はどうするんですか?」って奴。

システム開発とかでもよくある。疑問として提示するのはとても良いし、専門分野からの指摘は時に大きな不具合発見する手立てにもなる。でも、そんなのはほんの一握り。

大半は気にしなくてもいいレベル些細な内容を指摘してご満悦した上で、それがハッキリしないと決して先に進ませないようにする。大概無能クズ。でも決済権とか持ってるバブルの粗大ごみ

まずは医療従事者、次に老人、余ったら公務員、それでも余ったら老人以外。優先すべきは公平性よりワクチンの期限。

ほんと数%レベルイレギュラーとか現状気にしても仕方ないでしょ。それこそワクチン副反応死ぬ確率気にするレベル。だから与党支持率が下がっても野党支持率も上がらないし、ゆたぽん父親税金無駄使いしようとするんだよ。これじゃ誰も選挙行かないよね。

2021-05-17

ウマ娘のタウラス杯、とにかくマッチング改善すれば良イベント

[タウラス杯の良い点]

・3キャラだけ選べばよいので、チームレースだと選択しにくいキャラ採用できる

例)ダート採用になりがちなオグリキャップや短距離マイル採用傾向の多いマルゼンスキーなど

特にマルゼン姉さんを東京2400用で育ててみ?スパート開始の最終コーナーから驚く程加速して、逃げ最強クラス可能性を秘めてることを再認識させられた。

・チームレースとは違う育成が求められる

チムレで上を目指さないとあまり関係ないが、チームレース的に強いウマと対人で強いウマは微妙に違う

チムレはスコアこそが重要であり、最終的には高評価コスパの良いスキルが多い・負けない構成。といった評価軸になるが、

ウラス杯では1位のみが重要指標コースも固定されるので、左回りや春ウマ娘といったステータス補正スキルが輝いたり、

評価コスパが悪いから、という理由スルーされている固有スキル継承スキルが実は強いなど見直しがあった。

なぜなら速度制限がないスパートで発動するスキルばかりで、勝つためには有効ものが多くあるからだ。

ゴルシやタイシンで強いと思った人はシンボリの固有スキルをつけている人が多い。最終直線開始で確実に加速できたら強いんだな。


後はデバフも大きく話題に。ネイチャのスタミナデバフに対抗して、金回復複数搭載するメタがあったりウララ戦法(デマ)まで。

対人戦らしい情報戦のさまが面白かった。


レースを見る

育成もチームレースも皆スキップばかりしてる頃だと思うけど、報酬がかかったレースではスキップしないで見てしまう。

やはりレース自体を見ることはウマ娘で一番面白コンテンツからユーザーレースを見るコンテンツ重要だと思う。



[タウラス杯の悪い点]

マッチング、組み分けが悪い

ともかく、不満もってる人が一番多く思う点だろう。

オープンリーグ評価点的には無課金の人でも育成に工夫できる余地のあるラインではあったのだが、

決勝リーグ報酬関係か、評価点のシステム悪用して調整のできる強いユーザーが入り込んでしまう結果になってしまった。

評価値と強さが乖離してるのも課題か。


グレートリーグ基本的課金戦士の戦いの場に巻き込まれる仕組みなのが非常に良くない。

多くの無課金ユーザーが程よく戦える場が全く無かったね。

無課金層はB+~Aに届くかどうかが精いっぱいのラインなのだから、その中で競争できる仕組みが必要だった。

運よく同格以下のマッチにならないと勝負世界に立てないのは厳しすぎる。

A+とB+がマッチするのはひどすぎる。ゲームにならんやろ。

500万人?が参加するゲームのレート調整はもっと頑張って欲しい。

ただし、単純な評価マッチングをすると捨てウラ戦術オープンリーグの二の舞になるので、慎重な実装必要だ。


調子運ゲーであること

調子上下があること自体はいい。だが公平性がないのはダメだ。

同格の相手調子格差がついたら敗北率が高くなりすぎる。

チーム1と2の調子の合計値は一緒にするべきだった。

好調+絶不調+普通 = 好調+不調+普通など

ただでさえマッチング運ゲーを通らないと戦いにすらならないのに、その後調子祈りゲーはキツイ

この後には賢さ依存スキル発動運ゲーも待ってるよ☆

ワクチン接種の大規模会場ニュースを見てこの国は本当に終わったなと実感した

大規模会場の予約は自治体とは別

これこそが二重行政弊害

国と地方自治体でどっちが責任を取れば効率的かを考えればいいだけなのに

お互いが責任を取りたくないからこういう中途半端なことが起きる

連携しようとするからコストがかかるんであって国がやるならやる、自治体がやるならやるで任せればいい

二重予約を防ぐ仕組みが「お願い」

つくづく日本性善説で成り立ってる

なので正直者が馬鹿を見る

防ぐ仕組みを考えればいいだけなのに「お願い」で終わらせる

単に後から調査して二重予約が判明したら取り消すとか言っておけばよくない?

実際には調査なんかしなくても十分に防げる

そもそも予約制

既に予約がパンクしまくってて事前に日時を決める方が効率的だといろんな自治体実証してくれたにもかかわらず

一度決めたことを途中で絶対に変えない悪い癖がまた出てる

日付決めて連絡すればいいだけだろうに 辞退する人は連絡しろ

当日来なくて余ったワクチンは近くの若者に打っとけ

戦略目標理解しない戦術

そもそもワクチン戦略的な目標理解してない人多すぎる

とにかく早く接種率を上げることが必要とされているのに

公平性優先して時間かけてやってどうすんの

仮にワクチン効果が1年しかもたないとか判明したら日本世界お荷物になりますよ?

医療従事者と公務員にさっさと打ってクラスター起こしやす施設からさっさと打てよ

会場設営して公平にスタート、ってお手々繋いで仲良くゴールかよ ゆとりか アホか

2021-05-16

anond:20210516164227

なんで大企業労組が、下請け賃金向上を助ける必要があるんだ。正社員プレミア化は問題だが、それを解決するのは労組じゃなくて政治政策だろ。

BIは、いまよりも年金健康保険がフェアにして、公平性の元に過剰な医療措置を留めることにある。もちろん、それはBIじゃなくても実現可能だが、命の選択がどうとか論理的課題議論が止まる。

BIが提供するのは、フェアネス福祉。高額医療制度??未成年と直近半年で働いたことがらあるやつに限定しろ

anond:20210516073342

解雇が強く規制され、高齢従業員を雇い続けている日本会社は、公平性に欠ける給与の分配を続けて競争力落とし、そのシワ寄せが若者に来てた結果が非正規雇用だよ。BIがあれば、解雇規制撤廃または緩和出来る。

anond:20210516071032

BIは大衆迎合ではないだろう。最も公平性所得再分配がBI。コロナで分かっただろ?泣く子は飴を多く貰える

2021-05-13

この流れを見て、感想をどうぞ。

雰囲気で壮大な目標を掲げてみる。

菅首相「7月末目標」に躍起 「総力戦」の高齢者ワクチン接種(時事通信) - Yahoo!ニュース

厚労省をうまく動かせないので、なぜか総務省活用し、自治体から反発を受ける。

武田総務相から「7月末に高齢者ワクチン接種終了命令」全国の知事、首長が怒り心頭【メール入手】  (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

目標達成が難しそうだと聞き、焦る。

1日100万回接種、掲げたが 焦る首相、再三の電話 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル

目標未達の見込みの市町村を脅す。

【独自】「ワクチン足りず、医療従事者用を回せ」国が高齢者接種の7月末完了で“脅し” 自治体が反発〈dot.〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース

河野大臣効率性より平等性の方を重んじる自治体が多かったのは誤算だった」

ワクチン予約の混乱「僕の失敗です」 河野大臣が陳謝 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル

加藤官房長官ワクチン接種の公平性は非常に大事だ」

町長ら先駆け接種「公平性に反するなら遺憾」 官房長官が言及(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

知事自治体は皆ご機嫌をとってサバを読んでいるだけ。」

ワクチン高齢者接種「さば読みいっぱい」 秋田知事、7月末まで85%に:時事ドットコム

8「え、そんなに遅れる所あるの!」

「え、そんなに遅れる所あるの!」首相、接種の遅れに [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル


・・・私の感想は、月並みですが「コントみたい」でした。

2021-05-10

anond:20210509075626

こんばんは弱者男性です。

それは大変つらい思いをしましたね。客観性公平性について他人からいろいろ言われるかもしれませんが増田が感じたこ自体真実として受け止めます

増田が出した内心の結論や今後の人生選択についても尊重します。それは他人からどうこう言うものでもないですし。

元の記事を読んで想像できなかったんですが、増田が指摘している「理解のある彼くん」を盾に精神障害持ち女性攻撃していた自称弱者男性ツイッターユーザーだったんですね。その部分で自分認識齟齬があったみたいです。

自分は、この手の話題ツイッターは見ていないので気づいていませんでした。ツイッターであれば攻撃者が普段どのような属性自称しているのかを追うことができますしね。

ところで、なぜ弱者男性の主張がブログなどではなく、はてな匿名ダイアリーに書かれるかわかりますか?まわりに弱者男性だと知られると、余計立場が悪くなり男性から女性からも激しく非難されるからです。相手不快感を与える外見や言動改善しようとしない努力不足だとか、抜け出すための努力をしない怠惰だとか、いつもネット女性攻撃しているというような(自分にとっては)身に覚えのない非難です。男にとって自分の弱さを表明することはとても恐ろしいことです。普通は餌食にされるだけでまったくメリットないですからね。

から弱者男性日常でもネットでもよっぽどのことがない限り助けの声を上げることができず、それゆえ善良な弱者男性はなかなか目につきません。

自分からすると、ツイッターブクマのようなハンドルネームとはいえ過去発言と結びつくようなメディア差別被差別について発言できるような人は、ある種の強者に見えてしまます。ここは増田と感じ方が違いそうなので同意してくれなくていいです。

もしよければ増田の言う精神障害持ち女性攻撃する自称弱者男性ツイートURLを教えてください。今からでもツイッターアカウントを作って否定批判しに行きます

嘘だと思いますか?ここ数日のはてな匿名ダイアリーで目についた女性に対する酷い発言にはすべて批判トラバを書き続けてきました。探してみてください。

2021-04-10

システムエンジニア評価について

5月から自分所属する情報システム課

IT事業部直下組織改編されることになった。

最終評価者はこのIT事業部部長になるわけなのだ

この部長システムプログラミングに関して"素人"であり

評価公平性が保たれるか大変懸念している。

システムエンジニアの評価というものアサインされる案件の「難易度」が

重要ファクターになってくる。

(「売上」は案件ガチャで決まる為、重要ファクターとなりにくい)

しかIT事業部部長にその「難易度」を理解することは不可能である

難易度」の高い案件をこなしても報われにくい風潮が課内にできることは

優秀なシステムエンジニアの不満は溜まる一方となることは明白だ。

システムエンジニアの評価システムエンジニアもしくはシステムエンジニア経験者が

実施すべきで"素人"による好き嫌いの好みによる評価では優秀な人材を逃すことになり

会社の損失となっていく。

2021-04-08

喫煙所会議ママ友情報網も、あれはあれで政治力として評価すべきところはあるよな

自分にないからって「イレギュラーなやり方だ」とか「公平性がない」とか

嫉妬をそれっぽい言葉で誤魔化して攻撃するけど。

2021-04-06

ポケモンGo規約ブラック校則と同じでは?

ポケゴーをしているとわかりますが、最近のポケゴーはとにかくイベントを連発して忙しい。毎日のようになにかあるし、だいたいどのイベントも重複している。今はレジェンドシーズンボル・トル・ランの三種が霊獣フォルムで出現しているし、メガミミロップもでるしサカキとも戦わないといけない。GBLトレードも日々のタスクも盛りだくさん。やることあるのに重要ポケモン捕まえるにはかなり苦労しないといけない。

それにポケストを撮影しろだとか申請しろだとか、どうでもいいことまで要求してくる。また、フレンド登録枠なるものが増えたが、そんなものより純粋ポケモンを沢山沸かせて欲しいし、イベントごとのバグマジでなんとかしてください。


そんな自分は複アカをしている。昔は単なる興味本位だったけど、他の人が忙しかったりするときは共有しているし、引退した人のを受け継いでもいる。何よりレイドを効率的にこなさないといけないときには複アカが何より重要だ。ガチの人たちの殆どは複アカや共有をつかっているし、そういう人たちのグループはやはり強くて効率的だ。なにかにつけてお世話になっている。位置偽装も1、2度はしている。


昔と比べ、ポケゴーはとにかく忙しくて生活の合間にちびちびするゲームではなくなってしまいました。ガチになろうとすれば複アカは避けられず、オートキャッチを使わなければ歩きスマホでむしろ危険なくらいだ。だけどこれらって規約違反らしいんだ。昔いたグループではそういうことをいうと注意する人がいた。一度だけ複アカを嫌う人と複垢している人たちでバトルがあったけど、あんなの不毛だよな。だってポケゴーを初期からしている人なら位置偽装も複アカ普通行為だと思うんだもの。今より忙しくなくてポケモンも少なく、バトルリーグや交換もなかった時期ですら、複アカボットは当たり前だった。そうした方が楽しいから。このゲームは対戦が主じゃなくて、あくまでも自分コレクションをするゲーム。いわば歩くことを担保にしたガチャゲー。けれどポケストは偏っているし、いつでも集められるとは限らない。だからみんな位置偽装や複アカをするのは当然だった。

かに対戦を推している今の環境だと複アカは良くない傾向かもしれない。だけどこう忙しいゲームになるとそんなこと言ってられないんだよ。


そう思っていると最近ブラック校則」が話題に登っていた。真面目な話、ポケゴーの規約ってブラック校則だなと。なぜなら複アカや共有・位置偽装に関して、なぜそれらが定められているのか一切開示されていない。「現実世界を~」とあるけど、現実世界を複アカで歩くと悪い理由はなんにも書かれていない。位置偽装に至っては、公式位置偽装ツール販売しているんだから草も生えない。

アカ批判する人も「規約に書かれているから」以上のことを言わない。理由を聞いてもシドロモドロで意味がないとわかっている。

Nianticはなぜに複アカや共有や位置偽装禁止しているんだろうか。

追記

あほか、と言われたら確かにあほではある。実際に違反をしているのだから規約だって何らかの理由があってのことだろうし思想歴史を学べば理解できるのかもしれない。だけど実際問題、ポケGOをしていてもその精神性とか理念とかはあまり感じない。複アカが駄目というのは、校則で言うところのスカートの丈は何センチ等の服装規定に近いと思う。あるいは就活での黒髪リクルートスーツに近い文化

それが意味あるならいいけど、そう思わないので破っても構わないんじゃないでしょうか?

それより、そういう規約を注意することがナンセンスかと。だってアカしろ位置偽装しろ、誰にも迷惑かけないんだから。対戦要素においては自粛すればいいだけですし、ジムの蹴り出しは複アカ以前のシステムの欠陥。気をつければ別になんてことなものを、わざわざ注意するところにブラック校則的な要素がある気がします。

追記2】

ガチ勢の成れの果て。沼に入り込むと視野が狭くなって客観性が失われる典型ですね/ダメ理由は「公平性」。ブラック校則と全く別の話で、それを公認したら全てが成り立たなくなる本質的な話。

ジム蹴り出しにしろ、対戦関連にしろ複垢の方が不当に有利になっては困るんだよ、運営はそれで金儲けてる。パチンコで2台打ちダメとか腕相撲で両手使うなってのと同じレベルの話だ。2台持つ代わりに課金しろ


みなさんこういうのですが、有利不利を決定づけるのはゲーム性そのもの位置偽装はある程度の知識技術依存チートという認識は強いけど、複アカ程度で揺らぐならおかしいですよね。

本家ポケモンだって1人1ソフトなんて縛りをしたら売れなくなる。

そもそもブラック校則は「校則の成り立ちや存在意義不透明であり、現実にそぐわない」もの意味すると思います。はっきりいえば今のポケGOは複アカが基本です。少なくともガチでやってる人でそうじゃない人はまずいない。今の世の中で、黒髪ではないことがいけないことという認識はありませんよね。子供でも染めているのですから

黒髪じゃないといやという人は存在するけど、他人の髪にまで文句付ける必要性を感じない。学校という閉鎖的な環境であっても、平等精神からか髪染めを辞めさせたりするのはナンセンスだと思いませんか?複アカも一緒です。

過度に平等・公平な精神を保とうとして、意味の無い規約で縛る理由がありません。もしも縛りたいのであればシステム的にそうできないようにしないと。でもいくつもアカウント作れていくつも端末持てるようにしているのなら、最初から守られせる気持ちがないってことでしょ?

そんなものをなぜ規約に明記する必要があるのか。百歩譲って書いてあっても、それを周りが咎めたり注意する理由不明です。



位置情報ゲームで複アカが駄目な理由がどこにもない



みなさん「位置ゲーで複アカは駄目だろう」といいますね。ではなぜ駄目なのか、はっきり言える人っていますか?例えばテクテクライフ(https://www.tekutekulife.com/terms)では規約に複アカ特に明記されていない。つまり位置ゲーでは複アカアカン」という話は成立しない。ポケGOに対戦要素があるからといっても、実際にはジム自体をしない人もいるくらいだから、対戦より歩いてポケモンゲットするゲームという認識の方がより強いわけです。コレクションゲーで複アカをどうして規制する必要がある?単にGPSキャラを動かすだけしか他のガチャゲーと違わない。

それともポケGOには位置ゲーとして何か知られていない要素が存在する?

正直、このあたりをいうと罵倒をする人はいても理由を言える人はいないんですよ。ゲームとしての公平性とか運営が儲からないとか、そういうのは聞き飽きた。「位置ゲーで複アカは駄目でしょう。公平性を欠く」という理由を持っている人がいたら教えて欲しい

今ある多くのコメントは「校則を守らないと不平等になるだろ」「おまえが守らないと運営が大変なんだよ」くらいしか言ってない。それは染めている人を黒髪にしようとしたり、下着を取り替えさせようとするのに近い。黒髪じゃないと駄目な理由くらい言って欲しい。

追記3】

アカが基本は言い過ぎですね。確かにサイレントマジョリティはそういう不正をしない人です。王道規約に沿って遊ぶことでしょう。

ただし、デファクトスタンダードは既に複アカ位置偽装です。そうしないと駄目な環境というのが正しい。王道と基本が一致していないのは残念ではあります

2021-03-14

つか何の公平性もないどこにでもありふれてるカスみたいな人間が世の中の事件言及したとして、それにどんな良い作用があるって言いたいんだろうな。

全部百害あって一利なしだろ。とっとと全員くたばれ大便未満。

2021-02-27

anond:20210227073344

今の司法公平性はない。金や上手い話で無罪も楽勝だろ。公平性を失った奴らが人を裁くってのがおかしな話

2021-02-24

福岡教育大学の初等の副免について

ここでは、福岡教育大学初等教育教員養成課程(幼児教育選修は除く。以下、初等とします)の副免について、書いていきます

==== =====

福岡教育大学の初等は、小学校教員養成に重点を置いています

初等では、原則として、中学高校教員養成はしていませんので、注意をしてください。

普通の国立大学の教員養成大学では、初等でも中・高の免許を取れるはずですし、初等から中・高の先生になることは、よくある光景です。

しかし、福岡教育大学の初等は小学校教員のみの養成に特化している、ちょっと特殊大学です。

数年前の初等専修制では、普通の国立大学の教員養成大学と同じでしたが、改組により、初等は小学校教員養成のみとなりました。これは、寺尾学長独断による改革の結果です。現在飯田学長も、その方針を堅持しています


中学高校先生になりたい人は、中等教育教員養成課程(以下、中等とします)に進学してください。

なお、初等に進学した後に、中等に転課程すること(課程を移籍すること)は、制度上はそういうことは可能とされていますが、基本的にはおこなえません。

どこの大学でも、転課程はきわめて難しいと考えてください。


初等の学生は、小学校教員教育職員免許の取得を前提にしています

初等で得られる免許小学校一種)は、主免(しゅめん)といいます

主免とは、卒業時に主として取得する免許(必ず取得できる免許)のことです。

したがって、初等の学生小学校一種が主免になります

中等の場合、主免は、中学校・高等学校一種免となります


この主免以外に、他の授業を履修することにより、与えられる免許を、副免(ふくめん)といいます

まりオプションとして取得できるものが、副免です。

初等の学生は、幼稚園一種・二種)、中学校(一種・二種)、高校一種)が副免になります


話はそれますが、教員免許の種類について、わかっていない人が多いので、簡単説明します。

教員免許の「一種」「二種」は、取得単位数の違いによって区別されています

二種は短期大学卒業程度の取得単位一種四年制大学卒業の取得単位になります。大多数の先生が持っているのが、一種になります

ちなみに、高校免許には二種は存在しません。したがって、二種の場合は、高校先生にはなれません。

高校先生になりたい人は、一種を取る必要があります

また、県や市の教員採用試験では、取得した免許の種類によって採用差別されません。中学二種の免許で、県や市の中学校に採用されている人もいます

ただし、二種の場合は、一種を取得するための努力義務付けられています。そのため、教育委員会の研修や講習に参加しなければいけなかったり、給料に差がついたりします。


話をもとに戻します。

福岡教育大学の初等では、中学高校免許、つまり副免は、取ることが難しいです。

なぜなら、小学校先生養成に重点を置いている課程が、初等だからです。


「初等に入ったけれど、中学高校免許も取って、中学高校)の先生になりたい」

という人は、残念ですが、それは諦めて、小学校先生になられることに専念してください。


福岡教育大学の初等は、小学校教員になる教育に重点を置いています

初等では、中学高校)の教員になる教育は、標準的提供していません。

中学高校先生になりたいのなら、中等に入るべきでした。

「それでも!どうしても!」というなら、中退して中等の試験を受けるか、他大学に入り直す(転学・編入する)か、一旦卒業した上で、働きながら通信制大学放送大学など)で不足分の免許必要単位を修得する、ということしかありません。


福岡教育大学公式ホームページに「福岡教育大学で取得できる教員免許状について」(https://www.fukuoka-edu.ac.jp/files/bgeditor/other/H28menkyo.pdf)との文章が公開されています

これによると、初等では、小学校一種は主免です。

幼稚園中学高校免許は、

卒業要件を満たし、さらに所定の単位を修得することで取得も可能となる免許状(副免)」、「副免のうち、人数制限や修得する単位が多い等の理由により、特に取得が困難な免許状」とされています

この文言をよく理解してください。

「取得も可能」=努力すれば取れるかもしれません、「特に取得が困難」=取るのはとても難しいです、ということです。

初等で副免を取ろう、という人は、かなりの努力を要すること、楽には取得できないことを、よく理解してください。安易に手を出すとヤケドをします。

よく聞くのが、副免の取得に熱心なあまり、主免の単位を落としまくって、副免は取れるけど、主免が取れず、留年する、という話です。


初等の学生が、副免で取得する講義などは、原則として中等の学生に向けて提供されている講義に、初等の学生が「参加させてもらう」ものです。

もし、その講義や演習などが、人数を制限する場合や受講制限がある場合は、中等の学生が優先されます

中等の学生に向けての授業なのですから、そこに「参加させてもらう」初等の学生立場が弱くなることは、おわかりいただけるでしょう。


初等の学生が、副免を取得したい場合は、まずは担任先生相談してください。

といっても、担任先生も、副免のことがよくわかっていない先生もいます

学生支援課の「学生なんでも相談窓口」(https://www.fukuoka-edu.ac.jp/data_ex/pdf1421305397_0.pdf)に相談することが、てっとりばやいです。

副免を取得したい学生は、希望する科目の「教科基礎学力テスト」を受験し、A・B・Cの判定のうち、B判定以上を取る必要があります

C判定(不合格)では、副免の授業の履修は認められません。

なお、この教科基礎学力テストは、不合格のC判定であっても、来年度も希望すれば受験できます

もし不合格であれば、それを謙虚に受け止めて、勉強し直して、再受験をするか、もしくは副免は諦めるか、という二つの選択肢になります


例年、教科基礎学力テストは5~6月に実施されます。2020年はコロナ禍のため、8月に実施されました。

日時や、テスト範囲などは、大学内の掲示板掲示されます

教科基礎学力テストの結果は、遅くても夏休み中には告知されます

B判定以上の学生は、後期から副免の授業の履修が可能になります

そのため、前期の期間か、夏休み期間にテスト実施され、結果も後期の授業が始まる前にはなされるはずです。


教科基礎学力テスト過去問は公開されていません。

テストでは、解答用紙とともに、問題用紙も回収されますから受験したことのある先輩に過去問を見せてもらうこともできません。

問題用紙の回収は、過去問を見ることができた人間が有利になる/見ることができなかった人間が不利になることを防ぐ、公平性を確保するためです。


出題範囲難易度は、教科によって変わります

高校入試の問題がそのまま出た、センター試験共通テスト)のレベルだった、国立大学二次試験レベルだった、など、さまざまな噂がありますが、出題範囲は示されるので、その範囲内の勉強をよくしておく必要があります

とりあえずは、高校での履修内容の範囲内で出題されるはずですから大学受験勉強と同じような勉強しておけば良いでしょう。


この教科基礎学力テストを課す目的は、中学高校)の基礎学力を備えているかをチェックするものです。

この基礎学力がなければ、副免の授業に出ても、単位の修得は難しいです。

教員から見れば、基礎学力のない初等の人間が、中等の授業に出てくると、レベルが保てず授業に支障をきたします。

いくらやる気があったとしても、身につけておくべき基礎的な知識がないと、授業で先生の言っていることが理解できませんし、単位の修得は難しいです。

やる気のある無能な人は、周りに迷惑をかけるだけです。そういう人が、中学高校の教壇に立つことが許されるはずがありません。

中学高校教員にとって、何よりも求められるものは、学力です。


「やる気はあるが、学力の低い学生に、再教育をしてくれ」「大学は、意欲のある学生に学び直しの機会を提供すべきだ」と主張する人がいます

しかし、高等教育機関である大学では、「中学高校の復習をしましょうね」という「復習の時間」はありません。

高等教育機関である以上、そのような「学び直し」の授業で単位を出すことは、制度的にも許されていません。

福岡教育大学Fランク大学ではありません。

そもそも、そんなに「やる気」があるのならば、学力が低いはずはありません。

そんなに「学び直し」をしたいのであれば、自分で好きなだけ勉強すべきです。

それでも学力が低いままならば、予備校などに通うしかありません。

高等教育機関である大学に「学び直しの機会」を要求することは筋違いです。


福岡教育大学の初等の学生の特徴でもありますが、文系偏重しており、理系の分野は不得意のようです。

教科基礎学力テストでも、その傾向は明らかで、英語国語社会受験者数は例年、とても多いです。

受験者数が多いことは、ライバルが多いということになります。したがって、C判定をもらう学生は多くなります

各教科ともに、合格者を百人単位で出すことはありません。

というのも、中等の学生向けの授業は、少人数を想定したものが多いため、そこに初等の人間が大挙して押し寄せると、中等の学生への教育の質が保証できなくなってしまう、との理由もあります

たくさん受け入れてあげたいのはやまやまだが、合格者はなるべく少ないに越したことはない、と大学側は考えているようです。

中等の授業では、学力の低い人に、中高に遡って教え直してくれることもありません。初等の学生からといって、評価の水準を下げることはできません。

先にも述べましたが、副免の授業は、中等の学生向けに設けられたものが多いので、そもそも初等の学生が授業に来ることを想定していません。

中等の授業で、初等の学生が多くなってしまうと、中等の学生学習の機会を奪ってしまうことになります

このようなことから合格者は、受験者の10%ほどの合格率が多く、教科によって50%あたりのものもあるようです。

おおよそですが、教科基礎学力テストで7割あたりがボーダーラインで、8割以上取れていれば、ほぼ安心していられる、と言われていますが、これも受験者数や教科によりばらつきはあるようです。場合によっては8割以上の得点であっても、不合格ということはありうるでしょう。


狙い目の教科があります

理系の科目です。数学理科そもそも受験者数が少ないようですし、その割に合格率は高めのようです。

かにも、美術や保健体育、技術や家庭なども、合格率が高いようです。

中学高校教員になって、運動部顧問をしたい」という人は、保健体育を選ぶべきでしょう。


小学校にも「教科担任制」が22年から導入されます。既に北九州市では教科担任制が導入されています

小学校の教科担任制とは、小学校でも、高学年からは専門教科の先生が、その教科については教える、という制度のことです。

中学校の教科を思い出してください。中学校では、既に教科担任制ですよね。

中学校のように、小学校でも、高学年からは、教科の専門の先生がいて、その教科を教えるのです。

導入される科目は、算数理科英語、です。

これらの科目の中学高校の副免を持っていると、その教科の専門に強い先生として、小学校の中で教えることができるようになるでしょう。

経費節減のため、公立でも小学校中学校を一貫にしているところが多くなっています(小中一貫)。そういうところは、小学校先生でありながら、中学免許を持っている先生採用したいはずです。

採用する側も、算数理科英語の教科に強い先生は欲しいところです。

したがって、狙い目の科目は、算数理科英語になります

しかし、英語は、例年、副免の希望者がとても多いので、英語の力がよほどないといけません。

ちなみに、英語で求められる学力は、英検二級レベルと考えられます英検二級は、高校卒業程度のレベルと言われているからです。

そう考えると、数学理科は、狙い目の科目になります


福岡教育大学の初等の学生で、副免を取りたい、という学生が多く、また副免に関して、学内外で、根拠のないデマが流れたりしたので、このような文章を書いてみました。


初等で副免をとる学生は、小学校先生だけではなく、中学高校先生としても通用する、確かな学力を身につける必要があります

そのために、よく勉強をしてください。

しっかり勉強をし、学力を高めることが、あなたから教わる児童生徒のためになります

anond:20210223122626

企業から公務員転職した俺が、元増田と他の参加者の違いが生まれる背景を頼まれてもないのに説明します。

まず結論から言うと、根本的に事業構造が違うから違うのだということで、優秀かどうかなんてのは微塵も関係ないのです。

企業は、基本的事業をやってなんらかの形で収入を得ます

それに対してお役所は、先に収入(税収)があって、それを配分して事業をやります

この違いから、双方一番重要なところが異なってきます

企業において一番大切なのは、もちろん収入と直結する事業アウトプットですが、お役所では、何に税金を使うのかという配分の部分が一番重要なのです。

役所では、事業実施の前年度にはその事業予算化をしておく必要があります

予算計上されていない事業実施できません。

また、予算額を超えて事業をすることも、予算要求時と大きく異なる内容で実施することもできません。予算を大きく余らせてしまっても良い顔されません。

このため、予算要求時には、事業計画を概ね固めてしまい、ちゃんとした算出根拠を持っておく必要があります

また、予算を配分してもらうまでにはいくつかハードルがあり、上司財政部局首長議会と、順番に説明して承認してもらわなければなりません。

事業実施できるかどうかわからないこの段階で、かなり正確な見積りと、必要性、公益性、実現可能性の全てをクリアして説明できることが求められるのです。

民間だと、とりあえず走り出してから考えたり修正したりしながら、最終的にアウトプットちゃんとできればOKなところがあるので、一番最初に机の上で完璧企画を考えるなんてのはただの時間無駄しかないですが、お役所はそうではないのです。

元増田はそれが染み付いているから、初期段階から色んなアラが目につくのだと思われます普段から彼女上司に言われてるような事なんでしょう。

でも、最終的なアウトプットまで至る場合は、おそらく初期の企画とは全く異なるものになって、一応形になってるはずです。もちろん、アウトプットまで至らないことも多いですが、そういうもんです。

元増田からすると、雑な企画で走り出すことはまるで理解できないだろうし、逆に、走りながら考えるのに慣れている人からすると、最初からそんなに考えてたら何もできないと感じるだろうと思います

これは、良いとか悪いとか優秀とかそうでないとかではなく、構造の違いです。

民間企業役所と同じやり方をすると、一つの失敗も許されなくなって新規事業なんて何もできなくなるし、お役所民間企業スピードでやると公平性公益性を損ないクレームだらけになるでしょう。

就職活動でたくさんお祈りされると自尊心がズタズタにされてしまうのはわかるんですが、優秀かどうかとか民間企業落ちたとか、そういう瑣末なことに囚われないで、違いを理解してそれぞれの役割を全うすることを心がけたほうが良いと思います

最後蛇足ですが、お役所仕事について、役所に入って感じたことを。

役所仕事ダメになりがちなのは予算を取るところが山場であって、肝心な事業実施時には適切に予算を消化することが目的化してしまっていることが往々にしてあるからじゃないかと感じました。

予算がついてから突然担当にさせられることもよくあるし、予算中途半端な額に減らされてまともに事業ができないのにやらないといけないこともあるので、本来目的とかどこかに消えてしまうことも少なくないです。

補助金がつくから、国がやれっていうから、的な理由予算を付けられてそもそも何のためにやるのかもよくわからないままにやることもあります

アウトプット品質あくま担当者の能力意識にかかっているので、この辺をもうちょいなんとかして、アウトプットの質を担保する方法いかなあと思って過ごしてます

2021-02-12

オリンピック真面目に前に進めたいと思ってる人ほど今回の騒動は勘弁して欲しいだろうなぁ

多様性確保だなんだって言って貧乏排除どころか搾取して東京日本からじゃぶじゃぶ金吸い取ろうとしてる各種の国際スポーツ団体IOCにも腹立たしいし、

招致合戦に透明性のかけらもないIOC公平性透明性なんて言われたくないわなぁ

2021-02-10

マスコミ様の情報マスコミ様を叩くな!は強い様に思えるけど

実際はマスコミ様の伝播させている情報ほとんどはマスコミ様以外(警察企業裁判所行政第三者団体)が創出した情報

マスコミ様は公平性自身の拠り所にしてるからやむなく不利な情報を伝播させてるだけで

その情報根拠マスコミ様を批判することはなんら矛盾を孕んではいないのよ

2021-02-07

anond:20210207112455

もしも、大学受験就職活動公平性がもしも保たれた場合少子化改善する可能性がある。

しか21世紀日本では実現できない。

2050年に出生数が40万だと、2090年代には出生数は20万そこいらかなあ。

どのみち滅亡するね。

勝手に削除から考える文芸時評論理

 『文學界2021年3月号の新人小説月評に関して、評者の荒木優太氏が「末尾が勝手に削除された」とTwitterに訂正願いを投稿、ほどなくして『文學界公式アカウント反論ツイートをした。

 のちに荒木氏は『マガジン航』で「削除から考える文芸時評倫理」と題する文章を発表し、背景を説明した。

https://magazine-k.jp/2021/02/06/ethics-in-literary-criticism/

 まず騒動時系列を把握しよう。

 最初荒木氏の①【訂正のお願い】ツイート2月5日19時半前、②『文學界』の反論ツイートは同日9時過ぎ、その後30分と間をおかず、荒木氏は「とりあえず」との留保付きで③追加説明ツイートを行なっている。

 ④『マガジン航』への掲載は翌日である

 では「削除」に至った経緯について、両者の主張を見てみよう。と言っても、経緯の主張については対立するところはない。

 1. 問題の3行を含む原稿を『文學界』が受け取る。

 2. 『文學界』が「批評としてあまり乱暴すぎるのでもう少し丁寧に書くか、それでなければ削除してほしい旨申し入れ」る。

 3. 荒木氏が「では、末尾に『全体的におもしろくなかったです。』と付け加えてください」と伝える。

 4. 『文學界』が「改稿していただけないのであればその3行は削除します」と申し入れる。

 5. 荒木氏が「『お好きになさるとよいでしょう』、ただし『その事実SNS等で吹聴する』」と返答する。

 6. 削除された状態刊行される。

 7. 「勝手に削除された」と荒木氏がTwitterで吹聴する。

 以上である

 さて、ここからが本題である。『文學界』のツイートは一貫して、「勝手に削除された」という「認識」をめぐるものである

 先ほどの経緯を「削除」の一点に絞って書き直してみよう。

 1. (略)

 2. 『文學界』が「削除してほしい」旨申し入れる。

 3. (略)

 4. 『文學界』が「削除します」と申し入れる。

 5. 荒木氏が「お好きになさるとよいでしょう」と返答する。

 6. 「削除された」状態刊行される。

 7. (略)

 『文學界』の立場としては、まず削除してほしいと提案し、聞き入れられない(どころか批評たりえない(と彼らが判断する)改稿を提示された)ので削除を宣言し、荒木氏が認めたので実際に削除した=「勝手に削除したわけではない」、ということになる。すなわちここでの「勝手に削除する」は、A「著者に一切の了解を得ることなく不掲載とする」ことを指す。

 荒木氏の立場としては、編集部意向で、B「最終的な確認なく削除された」=「勝手に削除された」ということになる。

 つまり問題はこういうことだ。

 「勝手に削除してもよいという合意」の上で削除が行われた場合、それは「勝手に削除された」と表現できるのか?

 一見して難問だが、前件と後件の「勝手に削除」は、指しうる範囲が異なる。Aの意味は「合意」とそもそも相容れないため、前件ではBのみを指しうる。一方で後件は問いの形式なのでAとB両方指しうる。しか命題「〜場合、それは『勝手に削除された』」が真となるのは両件ともBを指す場合のみである

 では荒木氏のツイート時系列に話を戻すと、最初の「勝手に削除された」という荒木氏の言葉は、ここでは後件に相当する。しかし前件はそもそも提示されていないために、AとB、どちらを意味するとも解釈できる状態である。それに対して『文學界』の経緯説明は前件を説明するものであり、ここでようやくBの意味での解釈のみが妥当であることがわかるようになる。

 言い直すと、A「著者に一切の了解を得ることなく不掲載とされた」と荒木氏が主張しているように読めるため、そこに出てくる表現勝手に削除された」は、B「最終的な確認なく削除された」のみを指しうるのだと、『文學界』は反論したのである

 これを踏まえると、「Bでしか解釈できないはずの表現を、Aとも解釈できる状態で公にした」荒木氏側には、『文學界から反論されるだけの落ち度があると言えるだろう。

 荒木氏を擁護しうるとしたら、以下の主張が妥当である場合だ。

 「物理的に手出しできない」という不均衡な関係ゆえに形式同意せざるを得なかっただけで、本来的には一切了解していない、すなわち前件自体が間違っているのだから、Aと解釈すべきである、という主張である。なるほど、物理的に手を出せないのは明らかにである。だが、「ならば同意せざるを得ない」と即座に結論づけられるのか。これは言わば「抗拒不能」を争うもので、論理から法の領域に踏み込んでしまうだろう。

 ここで可能性として生まれるのは、「6. 『削除されなかった』状態刊行された」パターンである。ではなぜそうならなかったのか。『文學界』側が「論理的に適当でないのだから削除するほかないではないですか」という論理的な抗拒不能に陥っていた場合である

 本論では『文學界』側にこの主張が成り立つかを『マガジン航』に掲載された「削除から考える文芸時評倫理から考えてみよう。

 荒木氏は「削除されなかった」場合作家が反応を示した場合を想定して、こう書いている。

そもそも作家から「反応」があったからといって、なんだというのか。怒りたければ怒ればいいし、月評に不満なSF作家樋口恭介がしたとおりウェブ反論文を書いてもいい。場合によっては私はそれで反省するだろうし、或いはやはり自分の正しさを確認するだけに終わるかもしれないが、その過程のなかで新たに発見できるものもあるだろう。

 ちょうど1年前の『文學界新人小説月評に対し、作家樋口恭介氏が反論した例(https://note.com/kyosukehiguchi/n/n54a493f4d4f4)を挙げ、自身の評言に対しても同様に振る舞えばよいではないかと述べている。

 樋口氏の件では反論に遭った両評者とも、作品内容にある程度触れ、自らの解釈をある程度開陳した上で否定的評価を下している。よって樋口氏は両者の解釈そもそも成り立たないことを説得的に示し、古谷から不適切であったと謝罪撤回を得ることに成功している。非常に健全批評的やりとりだった。

 ところが荒木氏の問題の3行には解釈がない。解釈提示されていないのであれば、樋口氏のように「それは誤読だ」と反論することもできないだろう。荒木氏自らが提示たこの事例との比較から、「反論余地を与えない表現批評たりえない、単なる悪口である」という論理が――「論理的に適当でないのだから削除するほかないではないですか」――容易に導かれる。

 荒木氏は「文学作品は作者による産物であると同時に、読者がもつ解釈格子次第でいかようにも姿を変えるものだ」とも述べている。なるほど、その解釈格子を通して得られた感動は「読者が固有の仕方で編み出した創造物」であるという論も含めて同意する。ところが荒木氏は続けて、「読者に伝えたいのは、私のもっているつまらなさや無感動も、いくぶんか自己責任もつところの私自身にとっての大切な創造であるということだ」と述べる。結論はこうだ。

私の最大の、というより唯一の武器は、面白いものには面白いといい、つまらないものにはつまらない、という、正直であることのほかない。

 荒木氏の論理では創造なのは「(無)感動」である解釈のものはそれを生み出すためのフィルターである。そして荒木氏が月評に書こうとしたのは「全体的におもしろくなかったです。」の一言、すなわち「感動」である

 だが、樋口氏の事例との比較で明らかなように、批評文に求められるのは、評者の感動=感想などではなく、それを生み出すにいたったフィルターであるところの解釈である解釈には確かに属人的な部分もあるが、ある程度規範的な部分もあり、さもなくば書き手自身から反論も成り立たず、「過剰解釈」が氾濫する。なるべくそ規範的な解釈をもって評価を下すのが評者の使命であろう。評者個人の正直な感想など、正直言って全く興味がない。文芸誌を買ってまで読書感想文を読みたくなどない。

 月評の制限字数わずであるため十分に論が展開できないというのならば理解できる。ところが『マガジン航』には多少なり岸作の解釈が載るのかと思えば、ここでもやはり「簡単な紹介と個人的所感」にとどまる。「個人的所感」などどうでもよい。

 解釈ができないのであれば、あるいはするまでもないと思ったのであれば、端的に書かなければよいだけの話であり、結果として「勝手に削除された」のは理の当然であろう。

 ある意味当事者となった川上未映子氏はこうツイートしている。

 テキスト論理もなく書かれた感想に怒りで反応する皮相な「緊張感」だけが漂う場を、批評とは呼ぶまい。

追記2021年2月8日

 反応をいただいたのでいくらか補います

 まず公平性を期すためあえて本論執筆者自身の考えを明確にすれば、「『文學界編集部の削除対応は、抗議ツイートまで含めて手続き問題はないが、合理的ではなかった」というものです。

 仮に削除せずに全文ママ掲載し、岸・川上両氏から編集部に対して抗議が来た場合、やりとりの履歴はあるのですから「改稿あるいは削除を提案したが聞き入れられなかった」と説明すればよいでしょう。改稿・削除を要求した理由が両氏への忖度だけなのであれば――「裏工作して保身に走る編集者」なのであれば、交渉をした時点ですでに保身は成立すると言えます

 あるいはもし仮に改稿・削除提案荒木自身の体面を守るためというお節介だったとしても、誌面から削除したところで荒木自身SNSで当該の評言を公開することは避けられないわけです。

 それでもなお最終的に削除の決断をした。非合理的でしょう。「批評を載せるのだ」という編集部としての決意表明のようなものを感じます(これは解釈を経て創造した感想です)。

 無論、コメントでいただいたように、「そもそも読者は批評を求めていない(批評を求めていない読者もいる)」可能性はあります。誌面にどのようなものを載せるか決めるのはまさしく編集作業なので、この場合問題は「作者が作りたいものと受容者が求めているものが違う」ことです。

 ただし荒木自身批評を書こうとしているので(「「批評言葉」かどうかを編集部判断するのがお門違いであり」と主張している以上)、問題の3行を読んで「読者は批評を求めていないのだから問題ない」として荒木氏を擁護しようとすると、逆に氏を裏切ることになります

 よって、時評の存在意義や読者の需要コメントでいただいたように「別の話」なわけですが、それはそれで議論されるべき問題なので取り上げました。

 最後に、本論文末の「緊張感」は、わざと誤読のように用いていますコメントでおっしゃる通り、「テキストへの真摯さ」が本来の緊張感ですが、テキスト論理がないので当然この本来の緊張感も不在です。それとは別の、感情的応酬という緊張感しかないのだ、と表現するために括弧付きで「緊張感」としました。最後までお読みくださりありがとうございます

2021-02-04

anond:20210204174502

公平性から撤退したけど、「個人幸せを追求しあえる社会」ぐらいでは一応あるだろ?

 

そこから男性が省かれがちなのが叩くポイントだと思うね。

道義とかじゃなくて、理屈としてね。

2021-02-03

健康保険を例に考えてみればいいのでは

それは健康保険を例にして考えてみればいいのでは。国民皆保険制度で、患者医療費自己負担率は年齢(6歳未満・70歳未満・75歳未満・それ以上)だけで区切られてて、「年収1200万円以上のひとは自由診療になります」みたいなことはしないじゃん? それは、国が提供する社会保障制度の水準は、対象者所得によらず一定に保つのが公平だという社会的合意があるからだと思うんだよね。あと、再分配の局面年収とか資力の制限をつけると、制度運用が複雑になって、行政処理のコストが跳ね上がっちゃうから、というのもある。

根本から考えてみると、政府もつ重要機能ひとつとして、租税制度社会保障制度の組み合わせによる所得再分配があるわけだよね。お金持ちから取って、貧しい人に(手当や保障行政サービスとして)配ることで、格差是正して、社会的公平性と活力を維持するということになっている。ここまではいいよね?

そんで、ここが重要なんだけど、もともと「収入レベルに応じて多く取って貧富の差を緩和する」という仕組みは、租税制度(=徴収の側)に組み込まれている。だから、再分配の大枠はこの時点で調整するのが好ましい。租税でやれる調整を社会保障でもやるのは二重処理で無駄が多いし、全体として貧富の差がどの程度緩和されたか定量的に把握・調整するのも難しくなるから(一応、再分配所得ジニ係数という指標では手当・給付系も算入されているけどね)。

再分配の程度を強めたい時には、高額所得者への課税強化で対応して、社会保障制度のほうはなるべくシンプルで一律な仕組みのままにするのが筋が良い。増田が例に出している児童手当も社会保障制度=分配の側での所得再分配なので、ここには収入制限を設けないで一律に15000円にしてしまい、原資は高額所得者への課税強化で賄うほうが良い制度設計といえる(だから児童手当についての「960万以上は5000円」という減額枠も、高校教育無償化にある所得制限も、自分はなくしたほうがいいと思ってる。ちなみに幼児教育・保育の無償化には所得制限はない)。

所得での調整だけだと子あり高所得者世帯と子なし高所得者世帯に不当な差が付くのでは」という反論もあるだろうけど、そこは子供の数による非課税限度額という項目でも調整できると思う。といっても自分は、子供を1人生み育てることによる社会全体への効用(貢献)は、世帯収入によらず同じだと考えてよいと思うので、子供を持つ高所得者世帯にも所得が低い世帯と同じように再分配することには何の問題もない気がするけどね。



anond:20210202223022

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