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2018-10-18

anond:20181018164418

本人に責任のない親の罪で殴るのって近代法国家の行いでしたっけ?

現代俺らが近代法国家に生きているのは先祖がそれを獲得したからなわけね。つまり現代俺らが近代法国家に生きている」ってのは先祖遺産なわけよ。増田はその先祖遺産をあたか所与の権利のように振り回しているけれど、所与でも権利でもないのよ。遺産なだけ。そして遺産を受け取った以上、望むと望まざるとにかかわらずその歴史的経緯という連鎖継承せざるを得ないわけ。「近代法国家の行いでしたっけ?」なんて都合よく遺産を利用しておいて、負の側面を拒否しようというのは卑劣行為よ。

増田個人オタクでありもしかしたら弱者男性で、遺産から大きな利益を受け取ってないというのは事実かもしれないけれど、そんなの何の関係もないのよ。「現代人(遺産継承者)だ」というだけでもうすでに「関係者」なのよ。その歴史連鎖否定することも逃げることも誰にもできないっていうだけ。

オタクは「男性ゆえのメリット」も受けてないんだから殴られるのは間違ってる。

反撃するのみ。

そもそも増田という個人メリットを受けてるから叩かれてる」なんて妄想は誰から挿入されたの?

何度も言うように公平性原理から、男女お互いに殴り合えばいいし、それは歴史的経緯があるってだけの話だよ。そして殴り合うときに、戦術的に見て、相手のチームの弱いところを攻撃するのは合理的でしょ? それだけのことになにか正当性とか倫理性をもちこもうとする増田おかしいよ。

anond:20181018163945

現代に生きる男性全ては、過去存在したすべての男性歴史的意味での先端にいるわけ。

まり過去の全男性が作り上げてきたジェンダーロールという遺産継承者であって、すべての利益(まあ不利益も)を得ているわけよ。

それは望むと望まないとにかかわらずそうであって、それら遺産をうけとったうえでその遺産形成する上で過去におこなった戦いの遺恨だけは拭い去れってのは無理なわけ。

本人に責任のない親の罪で殴るのって近代法国家の行いでしたっけ?

増田自分の受け取った遺産について都合よく忘れて「おれは無関係だし手を出したことない」と口清く言うけれど、

現代に生きている現代人って言うだけで過去がべっとり全身にくっついてるわけよ。それを理由に殴られてるわけ。

オタクに「男性ジェンダーゆえのメリット」なんかないだろ。

寧ろもっと男性ジェンダーから遠い男性

もちろんこのへんは男女主語を入れ替えても成立するから、それを理由女性を殴っても(公平性観点から言えば)問題ないよ。でも「おれは無関係だし、戦闘から降りる」だけは許されないわけ。

オタクは「男性ゆえのメリット」も受けてないんだから殴られるのは間違ってる。

反撃するのみ

anond:20181018163400

いやいや関係あるのよ。

現代に生きる男性全ては、過去存在したすべての男性歴史的意味での先端にいるわけ。つまり過去の全男性が作り上げてきたジェンダーロールという遺産継承者であって、すべての利益(まあ不利益も)を得ているわけよ。それは望むと望まないとにかかわらずそうであって、それら遺産をうけとったうえでその遺産形成する上で過去におこなった戦いの遺恨だけは拭い去れってのは無理なわけ。

(↑コレは男性主語にして描いたけど女性主語にしても全く同じね)

増田自分の受け取った遺産について都合よく忘れて「おれは無関係だし手を出したことない」と口清く言うけれど、現代に生きている現代人って言うだけで過去がべっとり全身にくっついてるわけよ。それを理由に殴られてるわけ。

もちろんこのへんは男女主語を入れ替えても成立するから、それを理由女性を殴っても(公平性観点から言えば)問題ないよ。でも「おれは無関係だし、戦闘から降りる」だけは許されないわけ。

2018-10-12

anond:20181012093212

まあ一理あるかも

こういうinputに対してこういうoutputが出るように〜って予め期待する結果があって、

それに沿うように調整されるから結局いじる人によるのは確かにそうかもしれん

統計知識である程度公平性を補っていくかんじか

2018-09-29

企業化する人間 市場を生きるパーソナリティ」を受講した

講師京都沖縄東京カウンセリングを行ってきた博士(教育学)・臨床心理士の東畑開人氏。

「感じのいいエリート」が、鬱を排除するための躁的防衛慢性的な虚しさ疲労感、神経症症状、親密な関係の難しさなどを抱えているケースについての話だった。

貧困層カウンセリングでは「今すぐに治して」等の無茶を言われることがあったが、新自由主義適応したエリートのクライエントは行儀が良い。治療者のことを専門職として丁寧に扱う。自主的認知行動療法実践しておりエクセルにまとめて報告してきたりする。カウンセリングを利用するという依存的なシーンですら、相手迷惑をかけないことを重視する。こうした様子に、パーソナリティ自分自身CEOジャックされ、たゆまぬPDCAを励行している印象、あらゆるところに透明性・公平性を求める監査が入りアカウンタビリティ要求されている印象がある。こうしたタイプのクライエントの治療過程について、クライエントが行儀の良い状態→小さな依存が徐々に形成される→治療者に対する不信感・怒りが生まれる(希望があるから怒る)→治療者に対して軽視・軽蔑したり身勝手な振る舞いをする→気持ちの良くない関係を生き残る・やり抜く→クライエントの子供の部分が動けるようになっていく→自己他者の不純(リスクマネジメント不能な部分)に耐えられるようになる、というものらしい。この内容について書籍が出たりしないだろうか。東畑氏本人がまとめるのが一番正確で良いだろうけれども、私はこんな風に受け取り、要約した。

エリートのクライエントは社会的成功出来ているが自分の中の子供の部分が死んでいることによる問題が出ている。それを治療者との依存関係構築によって治療する。依存心が強すぎて社会的に失敗するタイプには認知行動療法効果的かもしれない。「認知行動療法は効かない、精神分析が優れている」という話ではなく、クライアントの状況に合わせた治療法を提案すると、質疑応答で東畑氏は言っていた。

 

福祉国家から新自由主義へ、自意識から市場へ、消費から投資へ、自己実現からサバイブ

これらの時代認識には共感しかなかった。これ自体解決したい人は政治運動に向かうのだろうか。私は政治運動をしたくない(政治が悪いというより産業構造の変化・人口動態によるものなので根本的な無力を感じる)ので、新自由主義への適応を選んでいるんだと思う。社会は助けてくれないので、自意識過剰でいられる・自己実現を求めていられるゆとりがなくなっており、望むこと自体が身の丈に合わない贅沢に感じている。消費と投資についても、弱者からこそ将来の資産価値を考えて不動産の購入を検討しなければならず、強者なら純粋好き嫌いだけの消費的感覚で住む家を建てたり買うことができる。弱いからこそ投資、余剰たっぷり強者からこそ消費する余裕がある、そういう世界観

 

自由で自立した個人自由にやりとりするのが市場市場ロジック内面化されている。

その外側に依存を引き受ける人たちがいるが、不可視化される。

仕事に繋がりやすいのは自立した個人同士の弱いつながり

深いつながりは依存ケアを引き受けるので重たくてお金にならない=経営者にとって正社員が重たい

経営者にとっては正社員よりフリーランス相手のほうが楽だろう。自立しているし、解雇規制もない。そうして誰も依存先を引き受けなくなった結果、ケア依存先の供給が不足する。というよりケア供給者、依存供給者の価値がこれまで不当に軽く扱われていたのではないかと思う。依存先の供給が無くなり、精神的な問題が噴出したことにより、今やっと価値発見されている。

 

市場ロジック適応して経済的にうまくいっている人間価値評価しない、妬むだけで苦労への関心を持たない、ねぎらわないこと。深い重いつながり、ケア依存先の供給を行っている人間価値評価しない、使おうとするだけで苦労への関心を持たない、ねぎらわないこと。自分の苦労にだけ関心があって、自分とは環境能力も全く違う他者の苦労への関心が根本的に無いこと。

そういった、人間の素のわがままさに対して、子供的に・動物的に・自動的他者を軽んじる態度に対して、私は割と狭量で、嫌って憎んでしまう。私がある価値に気づいておらず軽んじていたことに気づいたときも私は私自身に対して狭量になり嫌って憎んでしまう。業務人生経営必要価値判断は、感情面では不幸を産む姿勢ではあるんだけど。

「商取引の脱価値化」言説は私を疲弊させてしまう。家庭において稼ぐ役割を担わされており稼がなければならない立場の人はいる。感情的な極論は対立する勢力の持ち物・貢献の価値を無いものとする。東畑氏は市場ロジックを取り入れたり自分経営する目線が無さすぎると収入面で上手くいかないことや、自分支配するCEO市場適応的で強力だと勝てる、鬱を排除するための躁的防衛が人をバリバリ働かせるので勝てる、という本人の利益にも言及していた。ケア依存だけに肩入れする治療者とは違うバランス感覚が感じられて、そのバランスになんだか救われた。既婚男性一家大黒柱として稼ぐ義務家族に負わされていることが多いし、未婚女性である私も稼いで自分を養う義務から逃れられるとは思えない。

2018-09-20

anond:20180920134003

公共の福祉はかつて、警察国家絶対主義権力による個人生活全体に介入する正当性として謳われていた。

ナチスドイツでも「公共の福祉個人利益優越する」との標語があった。

日本でも60年代半ばまで、基本的人権を制約する立法合憲性の根拠として公共の福祉が用いられてきたが、

その後は制限される基本的人権とその制限によって得られる社会的利益比較衡量する手法に変わった。

基本的人権相互間、基本的人権社会的利益矛盾、衝突を調整する公平性こそが公共の福祉と考えられるようになっている。


平たくいえば、かつては垂直的なトップダウン正当化する際に「公共の福祉」が掲げられたが

現在では水平的な紛争調停のための基本思想として「公共の福祉」が考慮されるようになってきている。

公共の福祉」を「公の福祉」に書き換ようという発想もこうした事情によるものだろう。

ちゃんフェミラノベオタクの主張内容を見比べてみると

気に入らないもの排除させろ

法律なんか関係ない

そのうち法律こちらの思い通りになるに決まってる

何がアウトかはその場その場の気分次第

何がアウトかはこちらで勝手に決める

こちらの要求にしたがわない奴は差別主義

こちらが被害を受けたと感じたらそれは被害から救済されるべき

気持ち悪いんだから排除されて当然

いかなる根拠がなくてもこちらの気持ちに寄り添うべき

 

法も犯してないのに「気に入らない」だけで排除するのは合理的ではない

しろ法に引っかかる

その場その場で基準が変わり公平性の欠片もないのでやめるべき

排除しろ派の主張を特別に優先する理由がない

勝手に感じただけなのならつまり被害など存在しないのでは?

気持ち悪い」で排除がOKなら過去差別も大半がOKなことになるが問題ないのか?

 

これで「Aの方が正しい」って言っちゃうの、頭がおかしいでしょ

2018-09-16

ごめんな、くたびれはてこさんの旦那さんが亡くなったじゃないですか

申し訳ないんだけど、彼女攻撃的な言動が多くて、しかも誠実さがない。

ある属性の、自分に近い人間利己的な欲求の為に、公平性を一段下げる、みたいな所が嫌いで

多分、この人、将来、結構な不幸になるんじゃないの?と思っていた。

で、旦那さんがガンで亡くなってて、それもtwitterなりブログで公開されてた訳ですよ。

この自分の周囲の事をネタにしてる感もどうなんだ、とも思った。もちおさんはさ、そりゃ妻を愛してるからネタにするのもかまわないかもしれない、愛する妻の希望なら、と。でもそれ過去の全てのエントリで喜んでたのかな?なんだか彼女には更にグロテスクものを感じてしまった。

私は妻にブログネタにはされたくないなぁ。

あとまぁ、ガンの告知からエントリの「私は夫を労る優しい妻」的なエントリの作ってる感が怖いのもある。

で、こっからなんだけど、旦那さんがかなり苦しい最後だったようで、あー、やっぱり彼女は不幸を作り出す何かがあるよな、と思ってしまっている。

若くしてガンになる方はいるし、それと彼女メンタリティ無関係だ、ということは分かりつつ、でも彼女邪悪さを感じてしまっていて、それしょうがないんじゃないの?と思ってしまっているんだよなぁ。合理的じゃないとも思うんだけど。

2018-09-10

anond:20180910113613

それは払う金額に差をつけていることで公平性を保っているでしょ?

女性専用車両特別料金払ってる?

2018-09-05

anond:20180905133951

私は五輪へのe-sports導入に断固反対だけど、これは会長増田の言い分が変だと思うわ。

別に実際に人を殺しているわけじゃない。死ぬのはゲームの中のキャラクター

ゲーム内でも人を殺しちゃいかんのか? ゲーム内での殺人技術を競っちゃいかんのか?

それはリアル人物に向かってフルーレを向けたり大外刈りかけたりするよりタックルするより危険行為か?

そうだ、と思うのなら感覚麻痺しすぎだと思うんだよな。

リアル人間ハイキックしたりリアル人間同士で殴り合ったりする方がよっぽど野蛮だろ……

よろしい、百歩譲って、殺人ゲームダメなのだとしよう。

でもそれなら、e-sportsは導入するが、倫理に背くもの排除する、といえばよくない?

格闘ゲームとか、人殺し要素のない冒険ゲームとか、レーシングゲームとかを導入すればよくない?

なーんか会長さんの言ってることは筋が通ってないように思う。

しかしそれはそれとして、e-sportsは断固として五輪に導入すべきではない。

なぜならそれは不公正だからだ。

サッカーを例にしよう。仮にある業者が、サッカーボール供給を一手に握っていて、有力選手事実上そのメーカのものを使わないといけない状況だとする。

しかしそれでも、私的に作った規格外ボールを使って草サッカーすることは自由である。新しい業者が規格を満たしたボールを作って競争に参入することも自由であるルールブックは万人に開かれており、特定メーカのものを使わなければならない、という決まりはどこにもない(あるメーカ技術力が卓越しているおかげで寡占状態になっているとしても、より優れた技術をもって参入する余地は常に残されている)。

あるいは、e-sportsではないがマインドスポーツを例にしよう。囲碁チェス将棋も、ルールを知ってさえいれば誰でもどんな道具を使ってもプレイできる。ノートに線を引いてそれを盤面にしてもよいし、頭の中だけで完結させてもよいし、地面に木の枝で書いた盤を使ってもよい。

ルールが同一であるならば、名人竜王と地面に駒を書き入れる子供たちは同じゲームを遊んでいることになるはずだ。たとえ使う盤がどんな業者に作られていようとも。ネイマール本田圭佑と、スラム街ボロボロボールを蹴る子供たちもまた、同じくサッカープレイしていることになるはずだ。

私はこれがスポーツ公平性だと思う。

e-sports問題は、この公平性がまったく存在しないことだ。特定ゲーム会社から特定タイトルを購入しなければ、そもそも遊べない。お金がない囲碁好きの子供でも、ノートに書いた盤面に白と黒の点を書き入れていけば囲碁を遊べる、というような余地はどこにもなく、まずゲームスタートするためには特定業者から特定商品を購入する必要がある、そんなもの公的団体競技として公認すべきじゃないと思う。

これは単なる理想論ではない。一歩間違えば癒着にも繋がる。なにせ、ある競技を採択するかどうか、が、そのままある特定民間企業優遇するかどうか、につながるのだ。寡占状態にあるので事実上そうなってしまう、という話ではなく、ある競技を採択することは論理的にある民間企業優遇することとイコールになる、というのは大きい。

IOC高潔組織というのならばまだしも、そうでないことは幅広く知れ渡っているというのに、なんでこんな腐敗臭に満ちたもの競技として採択しなければならないのか。

スポーツあるいはマインドスポーツは、皆に開かれているべきだと思う。ルール策定の段階である程度権力が絡むのは仕方ないにせよ、そもそも特定メーカによる特定商品を購入しないと遊べない、ようなものを、公的スポーツ大会であるオリンピックアジア大会などに持ち込むべきではない。

もちろん、ゲーム会社が自社のゲームを使った大会企画するのは、経済自由趣味自由として大いに肯定されるべきだ。何も悪いことではない。日本法でそういうレジーム賭博にあたる場合があることについては、不当なので賭博罪に関する条文を改正する必要があるとすら思う。

しかし、e-sports公的スポーツ大会にはそぐわない。むしろ積極的排除されるべきだ。ゲーム内で人を殺そうが殺すまいが、それは公平なスポーツという理念に反しているのだから

2018-08-25

anond:20180825014956

私としても皮肉に突っかかっただけの面もあって、ある一面から考えれば帰属的要素を元に個別の例を一つの観念として処理することは道義に悖ると理解はしているんですが、やはり個人個人の警戒心にまで干渉をするのはいただけないと思いまして、このような反論になってしまいましたが今思い返すと少し攻撃的でした。申し訳ありません。

そうですね、公平性の発露が無意味というより、単純に双方が石の投げ合いのように不毛な言い合いをしていて、ほとんどが詭弁で話を強引に推し進めているから、「公平に話そう」なんて呼びかけが機能しないのだと思います。それでも、その流れに加わると結局また次の反論を呼ぶことになるので、落ちついて望むようにしましょう。もちろん私もそうするように心掛けますすみませんでした。

anond:20180825013834

元の発言は確かに当てこすりが過ぎるとは思うけど

アーレフは昨今の流れを見るに自分危険だと思うけどな

ある程度の警戒やむなしの論拠には思える

あとここで公平性を発露した所で得るものが何もないとは思った

2018-08-06

anond:20180806175427

物理的・構造的、例えば脳神経解剖学的な知能の測り方以外に客観的な測り方は確かに存在しないがそれは学力でさえ同じこと

「実際には女性スコアが低い-なら、-女性にとって不利な内容-と疑うべきでは」という問いは

テストが事前に準備した公平性無視して疑っているだけだ

分野の比重が多様で均等だからこその公平性だろう。もっと言えば正規分布をえがくから

カイ二乗分布独立した変数の数を増やすごとに正規分布にしたがうこと

少なくとも主張されたテストと現行テストのどちらが公平かはわかる

分野の比重を不均等に扱うというのが公平でないのは直感的にだってわかるだろ

http://b.hatena.ne.jp/entry/news.livedoor.com/article/detail/15114830/

な、医師公平性とか人員増とか差別に手を付けると医者文句言うんだよ。ブラックから環境を守ろうとするだけと言えばだけだが。

2018-08-05

東京医大入試問題

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yomiuri.co.jp/national/20180805-OYT1T50003.html

お前らは本当にアホだ。問題を切り分けよ。

  1. まず、自らの大学に有利に政治を動かすための所轄官庁高級官僚子弟裏口入学、これは古今東西どう見ても悪だ。これが平安時代に起こったとしても悪だろう。絶対悪。ここをまず集中的に叩け。
  2. 次に女性差別問題。これは医療現場考慮したもので、時代的側面(要するに決めた人が超年寄り)もあり、絶対悪とは言いづらい。厚労省現場問題にきちんと対処できていない状況で、東京医大のみによる対応には限度があるところが多分にある(医療現場厚労省医学部入試文科省とかそう言う縦割り問題もあったりするしな・・・)。これを決めた人間たちは実際に患者を診ている人間たちだと思われる。その考えが正しいかどうかはともかく、医療現場を維持できない、目の前のこの患者さんに医療提供できなくなるかもしれないと切実に考えたために女性排除結論に至ったとして、間違いだとは指摘できるだろうが、悪意によるものだと糾弾するのはどうなのか?とは言え女性差別はやはり現代において、そして今後将来にわたって悪とみなすべきであろう。この問題を機に、男女の性別に関わらず医師活躍でき、かつ現状の医療を維持できる体制模索するようにしていけば良い。絶対悪として叩くと、反発する者もいるだろう。時代の変化であり、仕方のない面もあったがしか女性の権利を侵害したのは悪いことだったのだと、ゆっくりとことを進めていくべきだ。
  3. 最後浪人生問題。これは悪かね?例えば仏グランゼコール一浪までしか許されない上、浪人は減点される。グランゼコールエリート養成校だ。実際そうかどうかはともかく、日本医師自分たちエリートであり社会に貢献していると思っている。現役なら3浪と比べて3年余計に社会に貢献できる。そもそも現役生と、それより3年余計に勉強した人間が、試験合格点が同じと言うのはそれはそれで本当に公正なのかはわからない。3年余計に勉強したんだから同じ潜在能力値なら10点くらい余計に取れるだろう。それくらいの判断はしたって良いのでは?問題のある学生を取ってしまったら学校責任なのだし。

1は絶対悪だ、忘れるな。なんかすでに忘れ始めてるぞ。

2は慎重に行かないと、騒ぐだけ騒いで結局各地の医学部は隠れて女性差別を続けるぞ。本質的議論に移行しよう。すなわち医療現場女性が働きづらいのがよくないのだ。ちなみにこれは、看護師女性が多い)が女医いじめやすいとかも含めての問題である

3は本当に悪なのかね?事前告知をしていけばいいのではないか。年齢について完全に公平性担保すると、例えば医学部卒業時に定年の年齢を超えている者も現れうる。ブコメに「医者に定年はない」とか勘違いしているアホがいたが、大学病院や市中中核病院には通常定年がある。そのような医学部卒業生は、どこで研修をすればいいのだ?医者になるのに必要な年限は医学部の6年だけではない、さら研修期間の4年でようやく一人前になるための第一歩、と言うくらいなのださらに以前はほぼ全員が、そこから大学院に入って4年だよ。ここは事情が変わりつつあるけど、どう変わってるかと言うと専門医を取るためにまた修行、って言う風に変わった。3浪と言う年数はともかく、多浪と言う一般について、医学部入学を認めるかどうかに関する検討要素になることを否定することはおかしいのではないか

anond:20180805121839

うそ

太郎性を排除する時点で学問純粋にやる場ではなくてインフラ維持する仕事予備校

それなのに女性排除の時だけ公平性

吐き気がする

2018-08-04

医学部医学科は高等教育機関ではない

 その本質は徒弟制度職業訓練である卒業生ほとんどが臨床医となり、いくらかの変わり者が研究者となり、その他民間企業行政方面に進むものはごくわずしかいない。卒業後の進路にこれほど偏りのある学部学科はあるだろうか。その上、彼らの存在のもの日本医療という非常に重要インフラを支えるための貴重な資源であり、したがって大学の使命はおおむね優秀な医師社会に送り出すこととなる。卒業生の8割が医療コンサルに進む医学科があったとして、社会はその大学存在を認めてくれるだろうか?優秀な頭脳を持っていても重大な持病を抱えていたり、虚弱であったりするものばかりの大学存在を認めてくれるだろうか?40歳医学部に入る再受験生だらけの大学を認めてくれるだろうか?誰も循環器科や消化器外科に進まない大学を認めてくれるだろうか?結果、大学受験は就職活動就職試験役割を担う必要が出てくる。つまり優秀なだけでなく、臨床医として有能であろう人間を選別するシステム大学には必要であり、それが入試時の面接であったり各種のハードな実習や研修であったりするのだ。その結果、社会を維持するために若い男性優遇される結果となるのは自明であるように思われる。大体、多浪や再受験生がその年齢に応じて減点されていることはすでに明らかな事実だ。国立公立大学にあっても露骨にそうなのである。年齢差別男女差別、疾病差別地域差別・・・あらゆる差別がそこにはあるのだろう。

 無論、日本でのペーパーテスト公平性への信頼感は貴重なものであり、それをないがしろにし揺るがした今回の事件は大きな問題である。だが純粋公平性を保つためには前述の問題、つまり実質的現場を支えることのできる医師が減ることをも許容しなくてはならなくなるだろう。面接をなくせば、性別や年齢の記入欄をなくせば、公平になる。それは正しい。だがその結果、現状で年に数千人しかまれない医師実質的に減ってしまうことになるのだ。定員を増やせ?それもいい。それは必要なことだろう。だが無論莫大なコストがかかり、それは医療費の高騰にも繋がりうる。医師給料を下げろ?そうすればすぐに医師は減るだろう。多くの現場を支える医師金銭のためというよりも、技術に対する向上心や人々から向けられる尊敬眼差しのためにその過重労働に耐えているのだ。

 今までの医療界は、おそらく他のインフラ業界もそうであろうが、数多の犠牲の上に成り立ってきた。個人健康幸福犠牲にしても医師として過重労働に耐えつつ名誉金銭、達成感などを追い求める人々と、そんな医師過程を支える家族と、健康でヘビーな労働に耐えるという能力が欠けていたため医師になれなかった人々の犠牲の上に。だが我々は進歩し、そのような個人社会のために犠牲となる時代を脱しようとしている。少なくともそう試みようとしている。それはなんの疑いもなく素晴らしいことである。だが、そのためには手放さなければならないものも多くあるに違いない。その一つが現代日本における医療の高度さや利便性であっても、驚いてはならないのだ。

2018-08-03

anond:20180803165102

沖縄語り部の話も公平性がないとか言って否定するんだろ 

そのくせ戦艦大和の巨大プラモを展示する呉の戦争賛美博物館ネトウヨおやじ肯定するんだろう

anond:20180803163615

公平性ってなんだ?

医療目的公平性でなくけが病気で苦しんでるやつをピックアップして助けること

保険制度とその下にある医師法自体共産主義だよね

anond:20180803161556

面接自体不正の温床なのにそこはスルーなんだな

公平性絶対なら日本国内団体共通試験マークシートでいいはずだ

筆記の結果だけを見てさいようのはんだんをして後からネットで答案を公開すればいいよ

2018-08-02

anond:20180802115252

リベラルはこういう指摘もWhataboutismとか言って封殺してくるので、リベラル公平性とか整合性かに興味ないんだろうなと思う。

2018-07-31

anond:20180731185218

公平性が歩かないかだ

独裁でも規律を重んじるキングならば住み心地は悪くない

2018-07-26

★「小中学校エアコン」★

★前提条件★

•小中学校エアコンは導入すべき.30度を超える環境でどうして子どもエアコンなしの環境で学ばせるのか?日本教育環境投資をぜずに利回りがマイナス住民サービスの向上に寄与しない箱モノばかり作ってきた.インフラ投資優先順位おかしい.

公立中学校管轄自治体であるため,基本的には市長村が環境整備を担う.学校エアコンを設置する際には,いくつかの条件を満たすと,国から3分の1の補助金が出るが(学校施設環境改善交付金),残りは自治体負担する.

学校子どもエアコンなんて贅沢だと考えている人(主に高齢者)は一定数いる.だがそれを老害だ!などと指摘しても何の意味もない.自身時代に手に入れなかったベネフィットを,後の世代や他社が得ることに抵抗感を示すのは仕方がないことではある.だから丁寧な説明コストパフォーマンス重要であると考える.

•大多数の日本人(中流階級)の所得が増えない現実を前に,将来に希望を描くこともできず,日々の家計が苦しい中で,他者税金で得をすることに嫌悪感を抱くのだろう(日本人の所得20年減り続けるという絶望的な構造欠陥なので本稿では指摘しない).

職員室にエアコンがあることをヒステリック否定的に叫ぶ人々がいるけれども,学校先生エアコンのない教室で授業をしている時間が長いわけで,教員の勤務環境が劣悪であるという現実共通認識として持つべき.つまり職員室にエアコンがついているので,先生だけ涼しい環境にあるというのは完全な勘違い中学校部活問題になっているが,不要不急な報告書アンケート対応など,教師労働環境は劣悪.だから志望者も激減している.

•決められた業務ルーチンワーク)をきっちりこなすことに関しては行政公務員は優秀であるが,経済合理性費用対効果視点意識は皆無である.だから,良い製品サービスを導入しようというインセンティブは働き難い.

公務員学校先生のひとりひとりは基本的には真面目であるが,合成の誤謬組織になると絶望的なほどに無能力になる.なぜか? 公務員組織基本的に完全年功序列制であり,モチベーションインセンティブ設計機能不全を起こしている.働いても働かなくても報酬待遇)は変わらない中では,楽をすることばかり考える.外注することが仕事になり,知識ノウハウストックされない.成果を出しても評価されない世界で頑張るのは難しい.この国の行政機構旧ソ連社会主義の失敗からまり学んでいない.

問題点★

行政は苦情(クレーム)に対して敏感であり,公正性を重視しない割には公平性平等を重んじる傾向があるため,公立中学校エアコンを導入する際には市内全校に一斉に導入するのが一般的である10万人弱の自治体中学校で5校前後小学校10前後の大規模工事となる.規模と納期要求による工費増を考慮することはない.

•どれくらい行政自治体スピード感がないのか?公立学校エアコン(空調)を導入するためには一般的に2年~3年かかり,次の進行となる.エアコンを導入するのに調査や設置の手法検討必要らしい.仕様確認したり,メーカー業者に最適な設計提案させればわかることをカネと時間をかけて調査する.生産性観点がないのだ.

n年度: 現況の調査、設置手法検討

n+1年度:設置手法の決定、事業計画策定

n+2年度:施工者決定、設計

n+3年度:施工完了

行政には経済合理性費用対効果視点意識はない.だから自治体学校エアコンを導入すると1台200万~300万円以上になる.信じられないことに1教室(1台当たり)300万円以上もの費用をかけてエアコンを導入している.オーバースペック必要以上の大規模工事実施して,結果ランニング費用も膨らむ.

他人の財布で他人のためにカネを使うときに人はもっと無責任になる.これは構造的欠陥なので別の機会に記すこととして,学校へのエアコン導入に限らず行政事業実施する際に考えることは,手間やトラブルを避けることである前例踏襲(他の導入事例に倣う)ことを何よりも優先し,面倒なことは避けたいという意識が根強い.

コストパフォーマンス視点は欠片もなく,業者に楽に発注することを考える.丸投げ外注できてトラブルがなければ価格が高くても関係ないのだ.そして業者側も官公庁公共機関)の仕事は稼げる,儲けられる,つまり利益率の高い製品必要以上の稼働費用請求できることを知っていて味を占めているため,安値提案利益率の低い受注)をすることはない(時に談合癒着が起きる).

建築年数が30年以上の小中学校では,そもそも教室の断熱や空調効率が悪いので,エアコン導入時には遮熱対策実施するのが合理的であるが,合理性観点はないため,エアコン工事だけ導入して,冷気を外に垂れ流す事態となり,結果,光熱費(ガス代・電気代)が過剰になる.全体を見てどうすれば省エネ運用できるかを考えることもない.なぜなら自分家の光熱費ではなく税金で払われるカネだから節約するインセンティブが働かないのだ.

★導入案★

•小中学校エアコン設置に基本設計など必要ない(空調設備工事設計委託無駄である).工業製品を各教室に導入するのに基本設計必要か? 電源の問題は別途電線を引くことで解決できると考える.

•一刻も早いエアコン導入のために各学校・各教室ごとに導入計画を立てるべき.日本の悪しき平等文化

•簡易な仕様書を各社に提示して,公募プロポーザルを併用した競争入札を導入するのが望ましい.つまりXX室の教室(例えば100台)導入するから提案をして欲しいと依頼する.仕様を満たして一番安い価格で入札した事業者と契約する.その際に提案稼働(提案費用)を払う,提案契約施行契約を分ける,これを怠ると癒着や割高な契約が発生する温床になる.

仕様書を複雑にして,指名競争入札するのは最低の選定方式.にもかかわらず,ほとんどの自治体が形だけの指名競争入札をする.仕様書に入れ知恵するのも業者から質が悪い.競争入札するなら一般競争入札とすべき.繰り返すがエアコン導入に複雑な仕様書は百害あって一利なし仕様書を書いた業者指名競争入札に参加するってプロレスか? 見せかけの公平性のためにいらぬ稼働をかけて実際は意中の業者契約するのは本当に汚い手法だと思う.設計施工は必ずしも分ける必要はないが,一括りが前提条件になってはならない.

•物品(エアコン本体調達と,施工エアコン設置工事)を分けるのもありだろう.各社が自社製品エアコンの良さをPRできる.工事業者もどれだけ効率的に施工できるか腕の見せ所であろう.

Panasonic日立三菱電機ダイキン富士通ゼネラルなど大手メーカーだけでなく,ハイアールなども価格競争力があるので声をかける.

•導入工事地元業者下請け活用することを要望しつつ,ヤマダ電機ヨドバシカメラなどの家電量販店活用できるのではないか

•完成検査(施主検査)を分けるのも一考.施工業者に完成図書を提出させる必要性は必ずしもないし,第三者視点でチェックするのが有用ではないかそもそも公務員にチェックを任せるのは難しい.

個人的には学校エアコンは,天井埋め込み型のエアコンやセパレート型のエアコンではなく,ウィンドウエアコン(室外機と一体型エアコン)が合理的ではないか? と考える.教室は窓に面している場合ほとんどであり,費用対効果が高い.PanasonicCUBEのような製品費用対効果が高いのではないか

2018年補正予算を計上して,2018年年度の冬休み春休み順次導入すべき.行政スピード感のなさと危機意識のなさは絶望的.

地方債もっと柔軟に発行できると良い.学校環境整備債権を発行して利回り1%にすれば購入者に困らないのではないか富裕層のカネはタブついているんだから.年利1%でも買い手はつく.地方債の引き受け手がなくなった時点でその自治体破たんしているに等しいから,指標にもなる.必要公共事業国債地方債)でやるべき.

ゼロかイチかの議論は本当に無駄で,イチに近づくように限られた予算の中で最大のアウトプットを目指すべきなのに,自治体現場では生産性のある議論ほとんどない.意思決定過程ばかりを指摘して,政策形成を良きものにする議論ができないのは日本教育の欠陥なのか,組織的欠陥なのか.学級委員会よりも酷いレベル民主主義日本行政現場はまわっている.

https://www.kawawaki.jp/air-conditioning-in-schools/

2018-07-25

anond:20180725141252

というか、ポリコレ族にポリコレ妥当性や公平性について説明を求めて

まともに返事が返ってきたことない。

要求に応じる必要がないのだが?お前は他人Google代わりにしているクズからな。

anond:20180725141017

ポリコレ否定シリアルキラーに殺されてればいいよ

これってポリコレかなぁ?

正しいのかなぁ?

というか、ポリコレ族にポリコレ妥当性や公平性について説明を求めて

まともに返事が返ってきたことない。

実は、ポリコレ自身ポリコレ理解してないのではないだろうか。

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