はてなキーワード: 絶妙とは
ピアノはもちろん、ピアニカとか、リコーダーだって鍵盤じゃないけど、音が一列だけに並んじゃってる
ギターは普通6本の弦があり、それぞれがピアノの鍵盤のようなものでもある
ピアノの鍵盤が6段並んでいると思っていい
その6本の張力が絶妙にズレている、チューニングされていることで、ピアノでは見えなかった音の法則が見えるようになるのである
しかし、GIGAスクールとか称して、一人一台Surfaceとか、一人一台iPadとかあるらしい
しかも、それを子供は安易に叩き壊し、企業もあれら端末を修理できるように設計していないため、すべて買い換えているらしい
そんな金があるならギターをやれ
若くてイケメンだったらギターをやってれば三割増しぐらいにはモテるようになる
男の娘風俗については経験は乏しいがあるが風俗以外で女装子と対戦したことのある
確かに通常の風俗キャスト(女性)よりは裏垢で愚痴を投稿する人間は少なく見える
が、単純に絶対数が少ないから目につきにくいだけで実態は男も女もそう変わらない
元増田は性行為に好意的、あるいは金のためではなく好きでやっている人が多そう、
という観点から男の娘風俗を選択していると思うがあまり期待しすぎない方が良い
・爆サイとかの連中
極まれにまともに会話ができる人間とであることもあるが、若い人間にあたることはほぼない
なお、人口の多い地域で探すほどヒット率は上がることは言うまでもない
逆に言うと田舎では爆サイ含め、自力で相手を探すのはかなり難しい
自分も元増田と同じく二次から入り三次の男の娘へ向かった経緯を持つ
おそらく元増田は二次元から三次元への移り変わりを経る際に、SNSなどで
若くて可愛い男の娘の写真などを見てイケる!と思ったのではないか
今の世の中、当然のようになってはいるが写真には加工が施されているからだ
この加工というやつは女性が使うよりもずっと女装者が使う方が効果的だ
いわゆる重加工とまではいかずとも肌を綺麗に見せるだけで、300%くらい可愛く見えるのだ
これに合わせて体系の加工や、写真の角度などで色んな魔法がかけられて
それを頭に入れておかないと、実際に会ったときに少なくないショックを受けることになるだろう
元増田は男の娘を男性のような接しやすさと女性のような可愛らしさを兼ね備えた
しかしながら、実際のところ女性の面倒なところも持ち合わせていながら、女体は備えていない
どちらの悪いところも持ち合わせた存在であると言わざるを得ない
加えて、メンヘラ率も非常に高く、SNSで活躍しているような男の娘は大なり小なり
まぁどっかおかしくないと女装して同性と性行為しようなんて思わないはずだから当たり前ではあるが
細かく言えば他にも色々難点はあるがキリがないからこの辺にしておく
そんな難点ばっかあるのに、なんでそれを求めるのか?となると結局のところ
・女装した男と性行為するという変態的なシチュエーションに興奮する
・チンコが好き
この辺に焦点が当たってくるかと思う
アニメのOPとかって曲の長さが変則的な奴以外ほぼ1分30秒で統一されてるよな。
多分統計学的だか経験則的だか知らないけどテレビ放送という商業的な枠が決められたなかで24分のアニメを観てもらうにあたって絶妙にちょうどいいのがその長さなんだろう。
サブスクが全盛になる前のころだけど、好きな曲を自分が盛り上がるタイミングとかで切り貼りして1分30秒にまとめて勝手にTVSizeバージョン作って聴いてたりしたんだけど
曲の開始からちょうどいいとこが終わるまできれいに1分30秒でまとめてる曲ってのが意外とよくあった。
たまにちょくちょくある感じ。
そこに合わせて曲作りしてるんだ……ってのを思わされるのもなんか興ざめ感あって
そういうのに当たると勝手に「お前……!《商業》の側かっ!!」みたいになってた。
(追記)
5年前だけど、supercellのryoは自分のことを「89秒の職人」って言ってたな(たぶん放送の都合で多少の余白が必要だから1秒短い?) https://natalie.mu/comic/pp/cencoroll/page/3
実際は1:30でなく1:29。『枠は90秒ですが、音響のルールで曲の始まりと終わりに0.5秒の無音をつけなくてはいけないというものがあり、そのため89秒で制作される』 https://j-animedb.com/?p=3879
はえーそこまでちゃんと決められてるんだな。ほんとに職人の世界。
最近のだと「怪異と乙女と神隠し」っていうおっぱいアニメがあって
OP曲(遊遊 - ハザードシンボル 作詞作曲編曲まふまふ https://youtu.be/UqTd2xkHWcI)がそんな感じでちゃんと最初の部分がそんままOP(https://youtu.be/qkcXtORCwYg)だったわ。
柿が苦手です。
最近は食べてないから分かりませんが、子供の頃は食べると嘔吐したり気分が悪くなってしまっていたので今でも積極的に食べようとは思いません。アレルギーなのかあたったのか分からないですけど食べなくても生活に支障はないので検査はしていません。
ただ、親はなにがおかしいのか何十年も笑い続けています。それも失笑とか鼻で笑う感じで。まだ、ふざけて「こんなうまいもん食えないなんて人生の半分損してるな〜」くらいのテンションで言ってくれればネタにできるんですけどね。
こういった人の神経を絶妙に逆なでしてくることがそこそこあるので、たまに勢いで絶縁したくなります。年に数回しか会わないので今のところ流せてますが。
安野たかひろさんのポスター等、選挙活動で使うデザインを担当されたデザイナーのメイキングnoteを読んだ。
https://note.com/y_yukkie/n/nee5a7a5409fb
選挙期間中、安野たかひろさんのポスターを初めて見た時に、なんでこんなナード感を際立たせるような色使いや写真の使い方をしているだろうとか、視力と判断力が鈍った語彙の薄い高齢者がみたら「あのち◯◯みたいな頭の候補者か」とかいう風になっちゃうじゃん。って思ったので、これらがデザインされた過程や思考が見れて、デザインで食っているものとして勝手に学ぶものがあった。
まず、このポスターをはじめとした背景色/テーマカラーに暖色系のパステルグラデーション(インスタっぽい色)が選ばれていた理由が
>過去10年分ほどを振り返って、キーカラーにほとんどグラデーションが使われていないことは意外だった。
>他ポスターと差別化するためにパステルカラーのグラデーションを採用するという仮説
という、割とよく使われがちな原色系のカウンターからのチャレンジで、安野さんの顔、形や色相の相性、ブーストしたい雰囲気とかを主眼にしているようではない印象を受けた。
顔写真についても、日本のポスターのダサさに不満を抱きつつ、過去事例を研究して顔(写真)の印象の重要性の理解や顔写真の比率の話をされているが顔写真、被写体自体をどう演出して見せていくかという重要な部分にはそこまで触れられていない。
推測だが、近い人(候補を応援するボランティア)が手掛けたがゆえに被写体を客観視しきれない部分があったんじゃないかと思う。何度も人の顔を見ていると、色んな表情が連結されて自分の受け入れやすいように慣れてしまう。初対面の時に抱いた印象や違和感を忘れてしまいがちで、しかも応援している候補者であればなおのこと補正がかかりやすいだろう。
つまりデザイナーにとって安野さんの笑顔の写真は爽やかな笑顔に映るわけであるが、その印象は安野さんを知らない人が写真を見た時と比べると相当脳内補正が掛かってしまってるか、許容値がバグる状態に陥っている。自分も同じ状況に置かれたら、多分不可避だと思う。許容値がバグって客観視することが難しい前提で、この辺りの役割を割り切って決めておくのが重要だと学んだ。
ちなみにポスターを初めて見たときに、もし安野さんをほぼ知らない自分がデザインワーク担当するなら…を妄想してた。(安野さんに限らず、クセで他の候補者でも同様にイメトレしてる。)
(一般的な現場では写真素材を撮る前にレイアウトや色方向性のラフが決まっていることは多いが)写真素材が先行してある状況で、撮った素材の中から選んでデザインよろしくみたいなことになったら、まず、あの角度の写真を積極的には使わないだろうし、あの角度しかない or 使わなきゃいけない理由があるのであれば、ポスターでは頭を全て出さないようにトリムするレイアウトにする、もしくは頭の色に馴染むような背景色にして、極力ナード感を消すところから入る。その上で彼の清潔感や知性を際立たせるようなキーカラーを印刷の出やすさから考慮に入れて選ぶ。という妄想をしてたのだけど、ポスターをよく観察していく内に、いやいや、そもそも衣装を含めて限りなくシンメトリーっぽい雰囲気の被写体をあえてアシンメトリーっぽく絶妙にズラして使って不気味さを際立たせているとか、背景カラーからあえて頭をはみ出させて、立体的にアレに見えやすいようにしている?す、すべて計算してやってる…のか?という勘ぐりまで至ったが、単純に自分の感受性が下品なだけな気がしてきた。
ポスター見た後に生安野さんの演説をチラ見する機会があったのだが、長髪の珍しさはあれど、普通に好青年でポスターとのギャップがかなり強かったので、損しているなぁ…と思ったがもちろんこのポスターデザインが良いね!という人もいるので、好き嫌いの範疇をでない話だし、いかに目立つかを詰められていたので、意図してないかもしれないがある意味で目を惹くポスターでした。
13,000箇所の一等地に掲示する老若男女全方位向けのポスターを手掛けられるのってデザイナーとしては得難い貴重な経験値だなとnoteを読んで改めて感じました。おつかれさまでした。
少し前に女子アスリートの盗撮が問題になっていたけど、正直めちゃくちゃ難しい問題だと思う。
正直、どんな物でもそれに興奮する人はいる。ユニフォームの露出度が高くないスポーツでも興奮する人はいるし、股間をアップしたり赤外線で透かした写真でなくても興奮する人はいる。
体操競技では布面積の大きいユニフォームを着用する動きがあるけど、体型さえ分かれば良いという人もいるだろうし、効果は限定的な気がする。
もっと言えば男性の肉体美に興奮する人も多いと思うし、女性に限った話じゃなくなっている。
しかし、誰でも股間とかをアップされるのは嫌だろうけど、それで撮影自体を禁止するべきなのか疑問がある。カメラを向けられるだけで嫌だと感じる人もいれば、肉体美に自信を持っていて筋肉や体格を見せつけるアスリートもいる。ビーチバレーでは自信からあえて布面積の小さいユニフォームを選ぶ選手もいると聞く。
いま「私は肉体を見てほしい」と主張したら、規制の動きに冷や水を浴びせるものとして批判も受けるかもしれない。
陸上や体操がなぜ布面積が小さいかというと、筋肉や関節の動き、体型に合わせて進化した結果としか言えない。となると、布面積を大きくしてしまうと、代わりに記録が損なわれて興行としての魅力が小さくなる恐れがある。正直、女子競技は男子競技と比べて迫力に欠ける面があり、記録が後退するのはかなり痛い問題となる気がする。
そもそも体型や肉体美も重要な要素となる競技では特に競技自体の魅力に影響する。例えば体操やフィギュアスケートは手足の長さを見せられるユニフォームの方が動きが美しく感じられる、審査上も有利となる。ビーチバレーは男女問わず躍動する健康的な肉体も競技の魅力の一つに思う。
また、ビーチバレーで撮影を禁止したら人気が落ちたから一部解禁した、なんて話もあるらしい。カメラ撮影が全て性的な動機によるわけではない。海外では観客に撮影する権利が当然にあるとされているから、同じ日本国内の大会であっても国内大会は撮影禁止で国際大会は撮影OKだったりする。
アスリートを守るための規制によりスポーツの価値が損なわれたり、観客だけでなくアスリート自身も魅力を感じなくなったり、競技自体が喪失したら元も子もない。しかし当然ながら過激な盗撮魔を放置するべきではないから、絶妙な規制のあり方を検討していかないといけない。外野ではなく、競技に取り組むアスリート自身で考えていかないといけない気がする。
60歳年収200万の弱者男性だけどいつか女性とデートしたときのために高級レストランでの食事をシミュレーションしてみた。
一度も行ったことないけどこんな感じ?
ウェイター:
「いらっしゃいませ。増田様、マドンナ様、こちらへどうぞ。お席にご案内いたします。」
増田:
「ありがとうございます。素敵な雰囲気ですね。」
マドンナ:
「本当に。ここはいつも素晴らしいサービスと料理を提供してくれるのよ。」
席に座り、メニューを渡される
ウェイター:
「こちらが本日のメニューでございます。ご覧いただき、お好きな料理をお選びください。」
マドンナ:
増田:
「そうですね、初めてなので、どれも美味しそうに見えますね。マドンナさんはいつも何を頼まれますか?」
マドンナ:
「私はよく『弱者男性風フォアグラ』をいただくわ。繊細な味わいが魅力的なの。」
増田:
「それは美味しそうですね。ウェイターさん、『弱者男性風フォアグラ』をお願いします。」
ウェイター:
増田:
「では、メインに『弱者男性ソースのフィレステーキ』をお願いできますか?」
ウェイター:
マドンナ:
「私は『シャトー・マルゴー 2005年』をいただけるかしら?」
増田:
ウェイター:
ウェイター:
「こちらが『弱者男性風フォアグラ』でございます。どうぞお楽しみください。」
マドンナ:
「増田さん、このフォアグラの風味を感じてみて。素晴らしいわ。」
増田:
「本当に美味しいですね。クリーミーでリッチな味わいが口の中で広がります。」
マドンナ:
「そうでしょう?ここは料理の質が本当に高いのよ。」
ウェイター:
「お待たせいたしました。こちらが『弱者男性ソースのフィレステーキ』でございます。」
増田:
「ありがとうございます。マドンナさん、これもすごく美味しそうですね。」
マドンナ:
「間違いないわ。ステーキの焼き加減とソースのバランスが絶妙なの。」
増田:
シェフ:
「お楽しみいただけているようで嬉しいです。何かご要望やご意見があればお聞かせください。」
増田:
「すべてが素晴らしいです。特に『弱者男性ソースのフィレステーキ』が絶品でした。」
マドンナ:
シェフ:
「ありがとうございます。引き続きお楽しみください。」
ウェイター:
「デザートに『弱者男性風クリームブリュレ』はいかがでしょうか?」
マドンナ:
「それは素敵ね。お願いします。」
増田:
ウェイター:
増田:
「クリームブリュレのカリカリとしたキャラメル層が絶妙ですね。」
マドンナ:
「本当に。甘さとほろ苦さのバランスが最高だわ。」
増田:
「今日は本当に素敵な時間を過ごせました。マドンナさん、ありがとう。」
マドンナ:
「私も楽しかったわ。また一緒に来ましょうね。」
味の分かる増田に聞きたい
元増田が自宅で出すステーキに夫が満足出来てるのはどんな理由だと考える?
2.ステーキは誰が作っても旨い=料理として初級。家庭料理の方が難しい
その人の料理を食べたことで料理には上手い下手があって、外食は上手な人が作ってるのに対して親や奥さんは下手な側だったと気づいた。
1だったら家庭料理も上手い
1は料理スキルとして納得しやすい。しかし家庭料理=美味しくないものに結びつかない
2は家庭料理が美味しくない理由として説明できる。しかし料理スキルの定義として違和感を覚える
1や2と何が違うのかというと美味しいのは元増田の料理ではなく「外食のメニュー」(今回の場合ステーキ)
そのため旨い家庭料理を作っても元増田夫に「旨いもの」と認識されないのではないか?
元増田も下記のようなことを言っている
確かに元増田夫が実家か増田本人かどこかで不味い家庭料理に出会ってしまった可能性は否定できない
ただ、元増田夫と味が分かる増田とで家庭で作る料理のうち一部は外食並みに受け入れることが出来るという違いがあるので
家庭料理が不満で家で食べるならちょっと豪華なものがいいのも一緒。
自分もハマると同じステーキ屋とかカレー屋とかラーメン屋とかに毎日通ってしまう。
Ubereatsの注文履歴は同じのがズラッと並んでるし、100回近く通ったであろう店が何件もある。
ふるさと納税だけどカニやステーキやフグのてっさをヘビロテしてたこともある。
我が家では一時期プロの人に家に来て料理を作ってもらったことがあるんだけど、めちゃくちゃ美味しくて感動した。
近所のスーパーで買った普通の食材と我が家の調理器具使ってこんなものが作れるのかと。
その人の料理を食べたことで料理には上手い下手があって、外食は上手な人が作ってるのに対して親や奥さんは下手な側だったと気づいた。
昨日でプリパラが10周年ということなので、ちょっと思い出話。
『プリパラ』はアーケードで稼働していた着せ替えを楽しむリズムゲーム。
一度遊ぶと長細いカードがその場で印刷させて排出され、着せ替えのコーデのためのカードと、コーデを着用したアバター(マイキャラ)が表示されたカード(トモチケ)の2枚に分割できるようになっている。
このトモチケの方はゲーム中に使用すると、そのアバターがリズムゲームのメンバーとして呼び出せるという機能があった。トモチケを使わなくても、メンバーは呼べるけどランダムだし、スコアは低くなる。
だから可能であればトモチケからメンバーを呼び出す方がよいし、ライブによってはコーデを合わせた方が見栄えもよくなる。
トモチケを手に入れるにはどうすれば良いのかというと、他の遊んでいる人に声をかけて貰う、もしくは交換するしか方法がなかったりする。でも、この微妙な不便さと、リアルにコミュニケーションを強いられるシステム、そしてゲームを介して、ある意味同じ目標があるから、意外と声をかける心理的ハードルが低いということもあって、みんな結構躊躇せず、知らない人でも声を掛け合ってた。
俺は長年ゲーセンに通ってたけども、あそこまで見知らぬ人とコミュニケーションを取りまくったゲームはプリパラ以外なかったな。競合していたアイカツも、トレードの持ちかけで話すことはあっても、どうしてもそれ以上の話は出てこない。それにトレードだと集めきったら終わりだけど、トモチケは集めきるという考えがないからいくらあっても良かったし。
稼働末期はゲーセンもこのシステムのことを理解していたようでトモチケ交換ボードみたいなものを用意してくれて、人を介さなくても他の人のトモチケを手に入れることができたけど、やっぱりそれはちょっと違うんだよ、と心のどこかで思っていた。あと、稼働末期はトモチケが大量に発行できるようになり、トモチケ交換ボードにだだあまりしていたのも見ていて悲しいものがある。
稼働当初はトモチケは1プレイで1回しか入手できなかったから需要と供給が絶妙に噛み合っていたというのも良かったんだけどね。
このトモチケシステムは、アイカツも続編でパクったけどほとんど有効活用されないまま終わってしまった(アイドルカードのシステムを覚えている人はどれくらいいるんだ……)。プリパラの続編、『プリチャン』ではトモチケシステムは続行していたけども、前述のトモチケ交換ボードを公式で作っちゃったから、リアルで交換するという文化がほとんど消滅してしまっていたのが辛かった。さらにその続編の『プリマジ』では、トモチケに該当するシステムが初期のころは実装されず、途中から実装されたものの1回の排出でコーデをもらうかトモチケをもらうかの二者択一になってしまったから、わざわざトモチケを排出する人がいなくてシステムとしては死んでしまっている。
あと、プリパラはリズムゲームであるものの、いかにキャラを可愛くコーデしてライブを楽しむかということに重点が置かれていたので、基本的には殺伐としておらず、コミュニケーションも取りやすかったというのも良かった。ツイッターなんでも、このコーデが可愛いとか、俺のマイキャラは可愛いだろとか、そんな話ばっかりだったな。
そんなわけでこのゲームがきっかけで知り合った友人は多く、このゲームきっかけで結婚した人もいたりしたし、本当に凄いゲームだったよ。
プリパラは今ではスマホ用のアプリであり、たまに遊んではいるけど、何をするにもスマホ内で完結してしまうから、やっぱりあれは何か違う。
プレイヤー間のコミュニケーションを促進するツールであり、各々が自らのマイキャラやコーデを自慢しあう、あの空気こそがプリパラの最大の面白さだったと思う。
俺が変わりに誉めるよ
「供託金奪われるけど、もう"無名な私人"だから減刑を求めるという弁護士のやり口が通じなくなる」という絶妙なラインに行ってくれた
暇空支持者はようやった暇空はようやった
就活に悩んでる
何がしたいのか全くわからん
やりがいとかどうでもいい
今まで学んできた専門性を活かしたい
まあまあ業界詳しいからこそここにいても何も変わらないんだろうなって思いはある
研究はもうやりたくない。やるならチームでやりたい
せっかくだから新しいことがしたい
そして交際相手が欲しい!そのためにはある程度高給とりの方がいいにきまってる!
再就職になるから未経験オッケーのところじゃないとダメだけどあんまりいい条件がない
ITとかなら将来性はあるのかも知らないけどわからん。情報不足
なんとなく書いてみたけどどうするもんかねえ
就活に悩んでる
何がしたいのか全くわからん
やりがいとかどうでもいい
今まで学んできた専門性を活かしたい
まあまあ業界詳しいからこそここにいても何も変わらないんだろうなって思いはある
研究はもうやりたくない。やるならチームでやりたい
せっかくだから新しいことがしたい
そして交際相手が欲しい!そのためにはある程度高給とりの方がいいにきまってる!
再就職になるから未経験オッケーのところじゃないとダメだけどあんまりいい条件がない
ITとかなら将来性はあるのかも知らないけどわからん。情報不足
なんとなく書いてみたけどどうするもんかねえ
日本の笑いがすごい!って言ってるけど、それは半分合ってて半分間違ってる。
そこは素直に、「彼らの笑いがすごい」とちゃんと評価しましょう。
お笑いに解説をつけるのは、手品の種を教えるみたいで白けることだなって思うけど、やっぱり「日本のお笑い」ではなくて「彼らのお笑い」がちゃんとすごかった解説はしたいなと思った。
・冒頭(つかみ)
見た目で笑っている感度が低い人も多いけど、「なんじゃこいつら。欧米人が見るアジア人っぽいステレオタイプで出てきて、結局出落ちだろ」というラインまで期待を下げることに成功している。
これが最近の日本の芸人が見せるような、少しスタイリッシュ感じではだめ。
それだとこれからやるネタの期待をいたずらに上げてしまうので笑いにならない。
「面白そうだけど見た目だけだよね」という低めのラインが、これから始めるネタに対する裏切りになっている。
簡単に書いてるけど、この先面白くないと成立しないある意味自信に満ちあふれて無いとできない戦略。
さらにそのうえで、「Tを探せ」という観客を巻き込む構成になっているのがポイント。
馬鹿っぽいやつらにバカにされたくないという人間心理を巧みに付いてる。
・1ネタ目MorningのT
ここで取れる笑いは小笑いでいい。勘がいい人は笑う。お笑いの閾値が高い人は逆に笑わない。でもそれでいい。
小難しい顔をしながら、彼らが何をやりたいのかを全員が理解するための大切な時間。
ウケを取るより大事。
ここですでに「お約束」まで持っていっている。
お笑いが気持ちいいのは裏切りの瞬間なのだけど、タイトルコールからTが出るまでの時間が1ネタ目より短く作られている。
Morning Tは、タイトルコールからTが現れるまで14秒だったのに対し、Baseball Tは、タイトルコールからわずか8秒でTが出現している。
ルール説明の役割をもつ1ネタ目を丁寧に説明するために時間を割いたということもあるが、2ネタ目は出現を早めることで、見ている側に対して「ちゃんと考えていれば予測できたお約束なのに舐めていたから見逃した」という悔しさを 植え付けることに成功している。
・3ネタ目TerryのT
舞台袖に立っているTerryを巻き込んだT。
ここでこれをもってきたのは正直すごい度胸だと思った。
ここまでに会場があったまってないとTerryのノリノリも寒いだけなので、もしかしたら会場のリアクション次第で順番を変えてたかもしれない。
登場からわずか1分15秒で、会場の熱気を察してアドリブ感(実際にはシナリオだとは思いつつ、そう感じさせない演技力は素直にスゴい)で笑いを取るのは正直相当に熟練の技と言わざるを得ない。
しかもTerryのダンスが、彼らよりスタイリッシュであることが更におもしろい。
これが計算だとは認めたくないのだけど、これが本当に計算だったとしたらチョコプラは自分が思っているより遥かに高いレベルのお笑いをやってるかもしれない。
・4ネタ目。ShoppingのT
おそらくもう彼らはここで勝ちを確信していたと思う。
でも、そんな感じを一切見せてないのはこれも彼らの熟がなせる技だと言わざるをえない。
ここでのTは、今までのTと同じように見せて、実はちょっと違う。
今まではいつTが出てくるのかが笑いのポイントだったのに対し、ここでは試着のサイズが明らかに間違っているというコント的要素で笑いを取っている。
この部分だけを切り取れば最初のつかみとしても狙いにいける笑いだったはずなのに、ここまでコント的要素を用いなかったのはこれもある意味でTに対するミスディレクションになっていて、観客がTを探しているなかで唐突に裏切られるような形でコントがぶち込まれる瞬間が相手の虚をつく笑いとして成功している。
要するに、この手前までのお膳立てで、観客はすでにT探しに夢中になっていた。
それなのに、彼らが持ってきた笑いのポイントはTではなく松尾のお腹だったということ。
これは笑うのよ。だって、そこに笑いが来るだなんて予想してなかったのだから。
シャツに片袖を通した時点で予測ができていて、少し手前で裏切られた分を帳消しにするような形で安心感あるTが来ることで、観客は「もう何も考えずに笑っていいんだ」というコンセンサスに包まれることになった。
難しい顔を維持しようとしていた審査員も、この時点で脱帽という感じで笑い始めていた。
そりゃそうだ。笑いを堪えるためにIQをフル回転して先を読んでいたのに、見事にすべて裏切られる形で、それでいてベタな笑いが突っ込まれてきたのだから、これを耐えられる人間がエンタメ業界にいる事自体が許されないという構造になっている。
笑うしかない。
・5ネタ目。TitanicのT
これもやはり、自信がないとできない。
ここまで来ると観客はすでにTを待っている状態になっている。
(なっている。だなんて軽率に書いているが、この短時間でそこまで観客を引っ張り上げたのはほかでもない彼らのお笑い的実力であって、日本のお笑いなら毎回こうなるかと言われればそれはNoだと言わざるを得ない。)
そこをあえて裏切らずに素直にTを出すことで、観客の期待感とネタのピークを一致させることに成功している。
これも、本当に一歩間違えるだけで全員が白けるだけの寒いネタにしかならないので、ここまでのお膳立てが完璧であったと認めざるを得ない。
それができているから観客の大半が結末を予測して、ローズとジャックの名前が出ただけで面白くなってしまっている。
史上空前の大ヒット映画の、更に誰もが知っているようなシーンをネタの最後に持ってくることで、全員が安心してTを発見できているからこそ、あの一体感が生まれている。
さらにもっと言えば、ここに来て彼らの怪しい風貌が実は裏切るかもしれないという絶妙な不安を演出していて、それでいて予想通りのTが出てきたからこそ、より一層強い安心感につながっているとも考えられる。
すごいのは、ここまでのたった2分40で、それらすべてをやってのけている点だ。
はじめに、ルールをしっかり説明して、想像より早くお約束を見せて、慣れ始めたころに裏切って、さらに視点とは違う部分で笑いを取って、最後はしっかり予想の範囲で、それでいて予想以上の見た目の面白さで笑いを取る。
この一連の流れを、たった3分未満でやり遂げている。
これは、「日本のお笑い」なんて乱暴な括りで語れることではなく、素直に彼らの実力がすごいとしか言いようがない現実である。
増田自信は正直チョコプラのことは嫌いだったけど、このネタは笑ってしまった。
嫌いだからこそ斜に構えて結末を予想してしまったことが、返って彼らのネタで笑うしかない理由になっていた。
まさにゴットタレントのステージが完全アウェーだということを理解していないと、こんな構成ができるとは思えない。そんなネタ構成だったのではないだろうか。
「大谷選手の活躍は日本人として誇りに思う」という表現にいつも疑問を感じていたが、チョコプラの今回の活躍を「日本のお笑いレベルの高さ」という論じ方をするのはどう考えても納得できない。
それはあくまで、「日本にも世界に誇れるハイレベルなコメディアンがいる」という事実でしかないだけで、大半の日本のお笑いは世界を相手にここまでのことができるわけがないというのが個人的な感想です。
安村さんもすごかったけど、正直今回のチョコプラはすごすぎた。
たまにはやっぱり寝た!って思いっ切りお休みじゃないときもそう言うのが必要だわねって思うわ。
もうさ、
意識してそうでもして早く寝ないと
いつまでも寝ないじゃん。
そんで意気込んで21時!って思っても22時になっちゃうじゃん結果的に。
いやこのぐらいでいいんだけど、
それじゃ22時になる!ってなると23時になるじゃん。
そんなものよ。
繰り返してしまう枕元にタブレットを置いてタブレットを枕にしてしまうやつの悪しき習慣!
えらい薄っぺらい枕だなぁーって
じゃあそれ枕と違うかーって。
タブレットを枕にするんじゃなくて
違う違うそうじゃないの。
枕元に置いておいてなんかいつでもタブレットを見られるようにしている生活の未来を私たちは夢見ていたはずなのに夢も見る時間も無いぐらい睡眠時間がないの!
今凄いいいことを言ったような気がするわ!
そのぐらい
枕元で猫のショート動画を見まくってしまうあの悪しき習慣を断ち切るべく、
昨日はちゃんと真面目に寝たわよ!
目標として掲げていた21時をやっぱりねってところの22時就寝だったけれど。
お陰ですっきりできて
おかげさまで
日頃の日中のなんか眠気は無いような気がしてるわ。
ほらでた!5時間以下のショートスリーパー特集もあわせて書いてあって、
結局朝ご飯は食べた方がいいの?食べない方がいいの?
それの論争になるわ。
それならそれとして睡眠獲りましょうって言っておいてショートスリープのことを書いちゃうと
雑誌として中身ぶれない?って思うの。
まあ結局私はそれを朝ご飯を食べながら読んでいるという
私はそんな枕元に置いておいたら悪しき習慣となる初代iPadをいやもうむしろ古すぎて逆に使い道のないそう言ったタブレットは窓から投げ捨てても良いとは思うけれど、
なんか画面がつくからまだ捨てるのには勿体ないような気もしないでも無くない?
あの絶妙に使えないタブレットより絶対もう使えないタブレットってどうしたら良いのかしら?
それこそ枕にでもしようかしらね?って
薄すぎるわーってなると思うのよね。
あとそもそもとして固いし。
逆に良いこと考えた!思い付いたわ。
古くなって使えないタブレットを置けば良いってことに!
でもなんか古くなってウエブとかアクセスできないけれど動画とかも見れないけれど
これ一体本当にどうしたら良いのかしら?
睡眠特集問題を取り上げる雑誌には枕元にタブレット置かない対策特集をやって欲しいものよ。
うふふ。
美味しくいただきました、
今日も元気いっぱい頑張って早く寝るのよ!
炭酸水冷蔵庫ストック入れ忘れ問題特集して欲しい巻頭カラー6ページでよろしく!
またやってしまったわ。
冷やし忘れには十分注意よ。
出掛けたあと思い出して冷蔵庫に入れ忘れてたわ!ってヒヤッとするもの、
とかは言わないけど
入れ忘れよう注意だわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!