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2017-08-17

敗戦記念日国民意識も変わってきた。中国北朝鮮を敵視する排外主義が横行しネット雑誌では「反日」や「売国奴」と罵詈雑言

2017年8月15日 07:10

長い戦争がようやく終わりを告げ、平穏暮らしが戻ってきた。人々が平和の尊さを実感したのは、戦時下生活の制約から解放され、日常を取り戻した時であった。

 作家永井荷風終戦の日から3日後、日記にこう書いている。「朝おも湯を啜(すす)り昼と夕とには粥に野菜を煮込みたるものを口にするのみ。されど今は空襲警報をきかざる事を以て最大の幸福となす」(『断腸亭日乗』)

 戦後生活雑誌暮しの手帖」を創刊した花森安治は著書『一戔五厘の旗』で「夜になると 電灯のスイッチをひねる」「ねるときには ねまきに着かえて眠る」「戦争のないことは すばらしかった」とつづった。

 きょう8月15日は終戦の日。72年という戦後歳月日本社会を大きく変えた。戦後まれの人が2014年に総人口の8割を初めて超えた。身を以て戦争リアルさを語ることのできる人が周りからいなくなっていく。

 戦争体験者が急速に減っていく中で、「平和」や「民主主義」という言葉戦後初期に持っていたインパクト喚起力を失いつつあるのではないか

 「ねるときには ねまきに着かえて眠る」ような当たり前のことに幸福感を覚えるのは、それができなかった戦争時代を生きていたからだ。

 それだけではない。戦後72年たって、戦争ができる社会への編成替えが急速に進み、戦争を起こさせない社会的な力が弱まっているのである

■    ■

 政府与党は、数の力に物を言わせ、特定秘密保護法安全保障関連法、「共謀罪」法を強行的に成立させた。いずれも日本社会の在り方を根本的に変える法制である

 米朝が戦端を開いた場合には日本集団的自衛権行使するため自動的戦争に巻き込まれ可能性が高い。

 国民意識も変わってきた。中国北朝鮮を敵視する排外主義が横行し、ネット雑誌では「反日」「売国奴」などの罵詈(ばり)雑言が飛び交う。国民の分断が進み、ささくれだった空気が漂っている。

 「平和」「民主主義」「人権」という言葉を聞いただけで、アレルギー反応を起こし、忌避するような動きが広がりつつあるのも気掛かりだ。

 国会肥大化する行政権に対し、チェックする役割果たしているとはいえない。三権分立機能不全に陥ると、戦争を止める力が弱まる。

続きはURL先でどうぞ

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/128080

★1)8月15日(火)18:59:40.93

スレhttp://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1502791180/

臆病な祖母

ここ数日、祖父母の戦争体験を語るエントリが多くあったので私も思い出した。

こわがりな祖母が聞かせてくれた沖縄戦の話

祖母沖縄県中部農村に生まれた。物心つく頃には労働力として畑にかり出され、毎日サトウキビの世話をさせられたらしい。

毎日畑と学校と家の往復で忙しかったけれど、それなりに楽しい幼少期を過ごしたそうだ。

だが中学入学したあたりでそれまでの環境が一変した。

突然学校ウチナーグチ沖縄方言)を話すことを全面的禁止されたのだ。ウチナーグチ本土人間からすれば全く何を言ってるのか分からない未知の言語であるため、

こんなもの日本語と認めるわけにはいかん、正しい日本語を身につけさせお国に尽くす青少年を育成せよとのお達しが来たのだ。

日常会話の全てをウチナーグチに頼ってきた当時の子供たちはかなり戸惑ったそうだ。ウチナーグチポロっと出ただけで教師に襟首を掴まれ

ほかの生徒たちが見守る中で厳しい体罰を食らわされた。三度の飯よりお友達とのおしゃべりが大好きだった祖母もこれには相当参ったらしい。

祖母は本人曰く「とてもこわがりな性格」で、痛い思いをしておまけにみんなの前で恥をかかされることが本当に恐ろしかったんだそうだ。(ほとんど毎晩うっかり方言を喋ってしまいみんなの前で叩かれる悪夢にうなされるレベルで)

そんなこわがりな祖母一生懸命練った苦肉の策が「学校では必要最低限の返事しかしない」というもので、なんと「ハイ」「イイエ」「ドウモアリガトウ」の三語だけでどうにか一年乗り切ったというから驚いた。

しかしそんなしみったれ学校生活も長くは続かなかった。ついに米軍沖縄本島上陸する。

祖母家族とともに近所のお墓(沖縄のお墓はむちゃくちゃデカい。納骨のスペースが6畳くらいある)に逃げ込み、息をつめながら爆撃が早く止むようひたすら祈ったそうだ。

毎日「悪いようにはしない、県民大人しく投降せよ」という米兵のつたない日本語が遠くから聞こえてきたが、それだけはすまいというのが狭い墓で身を寄せ合う家族の総意だった。

米兵捕虜になれば男子死ぬまで肉体を酷使され、女子は野獣のごとき米兵に陵辱され、妊婦は腹を八つ裂きにされて殺されるという噂が流れていたかである

現在であれば噂の発生源を辿って真相を確かめ手段いくらでもあるが、当時は噂の真偽を確かめる術がなかったため、「米軍に捕まったら死ぬより恐ろしい目に遭う」という噂は共通認識となって島中に広がった。

毎日から何千発もの爆弾を投下し、無抵抗な島民を次々に殺戮する米兵の姿は噂の信憑性を補うのに十分だったことだろう。

ガマ(洞窟)や墓には日本兵も隠れていた。

米兵はまず、人が潜んでそうな場所を見つけると、外から拡声器を使って投降を呼びかける。

しばらく待っても返事がない場合手榴弾を投げるか、火炎放射器を使って中を丸焼きにする。わざわざ日本兵が潜伏しているかもしれない場所に入って危険をおかす必要はないというわけだ。

この方法で多くのガマに逃れた民間人が殺された。「こわがり」な祖母は、この火炎放射器がとにかく、とにかく恐ろしかったらしい。狭く蒸し暑い空間家族ごと炙り焼きにされる恐怖というのは、想像を絶する。

このまま墓にずっと身を潜めていてはいずれ火炎放射器で焼き殺される。かと言って捕まれ死ぬより恐ろしい目に遭う。自決が一番マシな選択に思えた。

米兵が墓の前まで来たら自決しよう」家族は話し合って決めた。

何日か経ってとうとう米兵が墓の付近うろつきはじめた。

ここから驚愕の展開なのだが、なんと祖母は「おーい!」と叫んで外の米兵に助けを求めたそうである

死ぬ覚悟はとうに出来てたはずなのに、なんであの場で声を上げたのか自分でも皆目分からないけれど、強いて言うなら「土壇場で死ぬのが怖くなった」らしい。

もうほとんど無意識だったに違いない。頭が真っ白になって、気付いたら家族と一緒に米軍バンに乗せられていたらしい。

祖母が声を上げたおかげで結果的家族自決を免れたわけで、収容所でしばらく荷物運びやら農作業やらやってるうちに気づいたらなんか終戦を迎えていたらしいのだ。

このへんは祖母も笑い話として語っていた。「私がこわがりだったお陰であんたたちがここにいるんだ」とコロコロ可笑しそうに笑っていた。

私も家族と大爆笑したものだが、歳をとるにつれ、祖母は本当にこわがりだったのかと疑問に思うようになった。

真っ暗な墓の中で凄絶な選択を迫られて、それでも尚土壇場で生にしがみつくことが出来るだろうか。

祖母が亡くなって10年余。この時期になると、毎年こわがりな祖母勇気を思う。

アイマスについて考えた」の続き

これの続き→(https://anond.hatelabo.jp/20170816030530#tb

はじめに

友人から教えてもらい、ツイッターふくめ何やらだいぶ反応をもらえていたようであることを知ったので(批判ばかりだったけど)、ありがたいことだなぁと思い続きをしたためますちょっとズレてます明日ようやく仕事に帰るのですよね、暇なのです。


イチローとか羽生の例えが不適切

彼らは清宮や藤井四段より遥かに上であったり、勝ち続けた経歴があるからこそ人気があるのだからなんかおかしい。といった趣旨批判いただきました。お目通しありがとうございました。


しかにそうですね、勝ち続けたからこそのドラマであると思います。ここは例えがちょっと極端だったかもしれません。要は「実力があろうとなかろうと、彼らに語ることができるだけの哲学のようなものがあるかどうか」ということを言いたかったのです。

例えば、名前ちょっと出てこないのですが、全敗しつつも走り続けたあの競走馬のようなところでもよいのです。馬に人格ドラマがどうこうという話ではないのですが、読み取ることができるだけのドラマ性があるかどうか、という話であります


「765は歴史があるからすごい、後発は歴史がないかダメと言ってるのと同じ」という指摘もいただきましたが、誤魔化さずに言えばこれはその通りです。歴史というよりはキャラクターとしての物語性による厚みの話なのですが、765アニメなどと比較して考え、「強固な物語性があるキャラクターが好き」と結論づけておりました(先の文章でもたしか)。まぁそんな感じ…そんな感じですね。


理由をつけて貶めたいだけ。ただのダメオタク

へい、まったくもってその通りでありやす。現状のデレミリは、それなりに考えてみて自分には合わないなと思い、遠巻きに応援していこうと決めてしまいました。リアル体験併用が推奨される最前線には行けず悲しいですが、やはり人が増えていると、このような強く雑な言葉を使う方々がいるものなのだなとも確認できたので、自分はやっぱり主な住所である過疎コンテンツ平和に過ごします。しかし10RTもされてるの怖いですねアレ、765もアニメ以前はあん場末感あふれる感じだったのでしょうか…。


わかる気がする

「細かいところはともかくとして、強いストーリー性とか完成されたキャラクターという点ではやっぱりエロゲーヒロインとかの方があってるような気がするんだよな、多分この人には(だから765ASがその中間にあるものとして受け入れられている)。だから生きづらさを感じるのもわかる」


ありがとうございます。まったくもってその通りであり、わかりやすい要約であります私的にはミリオンアニメがとても楽しみで、細々とCDなど購入しつつ自分が好きな方向性のものが新しく始まるのを楽しみに待っています


また引用させていただきます

「まるで後発キャラには物語や背景ないかのような言い方。ASだってコミュから読み取って保管されていったりを繰り返してバックボーンが出来上がったやん。」


後発キャラにも物語や背景があることは理解しています。ただ、自分が765アニメを観て本格的に好きになり始めた頃の「劇場アイドル」の雰囲気を感じることができず、現状はそこが重視されていないなと感じる次第です。765の各コミュが漁られている段階では、自分ニコマスを観たりたまにCDを買ったりといった程度でした。つまり自分がいま後発のアイドルに抱いている感覚とその頃の感覚は近いものなのかなと改めて考え直しています。先日の文章自分が持ち上げているのは「アニメ放送期の765プロアイドル」であった、と認識してくださると幸いです。


シンデレラミリオンアイドルと向き合わかなかっただけ

その通りです。自分は変質する時代と、それに合わせて変化したアイドルについていくためのスイッチを切り換えることができませんでした。やはり孤独ぼっち自分性格にはあっていて、765のメンバーでのニコマスアニメは楽しかったのですが、メンバーが極端に増え、ソーシャル性が求められるようになっていった結果、自分は置いて行かれました。しかアイマス全体の雰囲気はいまでも好きです。陰ながら新しいアイドルも買って応援しています


団塊オタクって感じだ

そう思います。いい語呂なので、今後はこれを名乗らせていただこうと思います


今のデレミリは「ソーシャル型」から劇場型」への過渡期

これを読んで様々な意味で嬉しくなりました。ミリオンアニメ錦織監督でやってほしいです…。


ストーリーに重きを置きすぎると解釈の幅が狭まる

アイドルの「要素」を最も大事にして、そこからまれる「物語」は8通りくらい考えておくのが、アプローチをかけるうえでベストなんだと思う」


やはりいろんな方がおられるなぁと思いました。素直にすごいバイタリティだと尊敬します。自分は出されたものをしっかり理解して、それをわかった上で応援したいタイプだと気づきました。ゆえにアニメニコマス派だったなと。みんなで解釈を共有して楽しんだり、自分ひとりでワクワクするのも自分には難しいです。団塊オタクですね…。


薄利多売なわけない。もう6年やってるんだぞ。

薄利多売ではないというのは、「ソーシャル性を重視した結果としてのちょうどよいキャラの厚み」なのだなという理解文章を書いておりました。文面にもしたと思うのですが、走り書きゆえ伝わりにくかったのだと思います申し訳ないです。


年数についてはあまり関係ないですね。上にも先の文章にも書いたとおり、ソーシャルアイドルの持っている性質として書いただけです。


うーん?

 「"「社会」が乱される" 社会の変化についてけない時に新しいものを腐す人というのが居るが、そうでもしないとそのことを受け入れられない・踏ん切りがつかないということなのだろう」


別に腐してはいません。


デレマスの界隈は遠巻きに眺めてるが

彼女らとそれを応援する彼らの爆発力も大事だしすごいと思う。自分は入っていけないのだけれど。 」


その通りですね。なんだか仲間意識を感じます


765ASさんの活躍の中で

ニコニコでのファン動画存在も大きいのではないかと思うのですけど(私が最初に知ったのもニコマス)、公式だけでなくファン(P)と一緒に紡いできた物語ではないのかしら」


その通りですね。自分としてはその集大成としてアニメ劇場版があり、完成した(させられた)様を観て、深く感動したタイプです。ニコマスは当時から好きでした、こないだ見たときはあまり765アイドルのものがなくて寂しく思いました…。


おわりに

様々な反応があり嬉しく思いました。自分普段いる過疎コンテンツは、平和というか、自分と同じように一人で完結できる人が多いため、今回ちらほらいらっしゃったような深読みしない・言葉が強い方の反応はなんだか新鮮でした。やはり怖いので遠巻きに応援していようと思います


先の文章で書いたとおり、「アイドル/神は一方的に与えてくれる存在ではない」ということを理解せず、ただ「狂信」しておられる方だなと、怖い方々がされていた他のツイートからは感じられました。コンテンツバブルお祭り騒ぎは得てして彼らのような狂信者によって支えられており、それを理解してはいましたが、今回はそれを実感として理解できたのも大きな収穫のひとつです。とじまりすとこ(団塊オタク語)。


いやー楽しいですね。よければまた、どんなものでもコメントいただけると幸いです。では寝ます

2017-08-16

持ってる物より持ってない物の方が気になる

これ完全に間違ってるよね。

だってこの世界の全部とか手に入れようがないじゃん。

世界中人間全員とセックスする想像してみたら分かるけど、絶対ムリでしょ。

自分死ぬまでにある程度入れ替わるから100億人は相手にしないと無理でしょ。

年1億人とか絶対無理でしょ。

10万でもうほぼ確実に無理でしょ。

それなのにどうして持ってない物や体験してない事が沢山ある事に対してこんなに焦りを感じるんだろうな。

気になることを全部を味わい尽くすなんて人生何百回もあってようやく出来るかどうかの世界なのに。

「週5日、8時間労働キツイというのは甘えか?」というような質問があった

https://news.careerconnection.jp/?p=39517&page=2

こういう質問をすると、返ってくる答えは「普通のことだ」とか

「私はそれ以上働いてるから甘えじゃない」というのが多い。

でもこれは変だと思う。「普通のこと」って言い方だと、賛成なのか反対なのか分からない。

例えば「みんな普通卵焼きソースをかけるけど、俺はマヨネーズをかけるよ」という言い方もできるので、

普通のこと=自分も賛成ってわけじゃない。

同じように「自分がやっているから」ということだけでは長時間労働に賛成する理由にはならない。

いまいち答えになってない答えが、何故か答えと受け入れられてしまっているように見える。

それで、解決法を考えたみたんだけど、3段階の質問にすればいいんじゃないかと思う。

「週5日、8時間労働キツイと思うのは甘えですか?」と聞くんじゃなくて、

①「週5日、8時間労働キツイと思うのは普通だと思いますか?」

②「あなたは何時間働いていますか?」

③「あなた自身は週5日、8時間労働キツイというのは甘えだと思いますか?」

みたいな感じで。これなら、「常識」や「自分体験」と独立して「自分意見」を考えられるから

多少は「俺がやってるんだからお前もやれ」「普通ことなんだからやるべき」みたいな短絡的な答えを避けられると思った。

アイマスについて考えた

はじめに

自分にとっては、これから生きていく上で大事存在だとも言えるのが765プロアイドルである

先日にライブを終えた346プロの面々も、さわりくらいなら知ってはいるが、どうにも馴染めないクチである

キャラの魅力としては、より最近風でバリエーションにも富んでいて、知らない人が見比べれば「765プロアイドルは地味」という人もいるかもしれない。

しかしながら、自分にとっては何よりも765プロアイドルが一番であり、たぶんそういう人が他にもいると思う。

お盆に休暇を取ったもののヒマなので、いろいろ観たり聞いたりしながら、こうなったらと幅を広げて「アイマス」について考えた。


スター」について

今年の高校野球は、清宮というスーパースター選手がいた。彼はのちのちプロになり、輝かしい成績を残すのだと思う。

野球に限らず、あらゆる人気スポーツには「スター」と呼べる一握りのプレーヤーが必ず存在する。

競技のことをよく知らない人間を、まるでまんがかドラマかのような力で惹きつけ、人間を呼び集めることができる人間である

彼らは自然とそのような状態を作り、本人はただ勝っているだけなのだが、それはひとつ経済圏を生み出す。

渦巻くファン層に商売人が目をつけて、そこに広告をブチ込んでさらに大きな渦を作る。そしてカネを飛び交わせる。

いわゆるひとつバブル現象であり、今年の清宮などはこれの好例であったと言えよう(主に商売人側で盛り上がっていた気がするが)。


彼らのようなスター選手の中にも、2種類のタイプがいると思う。純粋暴力的な力でドラマを作る者と、あともうひとつである

前者は若い選手に多い。藤井四段も現在のところはこれである。彼らはただそこに在り、勝負に勝つだけで人を惹きつける。

ただ、それは得てして一過性のものである。何かのきっかけで敗北を喫すれば、ドラマはそこで終わってしまうからだ。

競技自体に興味のない、バブル層のなかで最も分厚い層を作る「競技を知らない」人々は、確実にここで去っていく。

藤井四段も、清宮も、あるいは自分が知らない間に大活躍したスター選手も、きっとみんな「あ~あの子ね」と言うと思う。

夏でもあるし、ここでは「花火型」とでも呼ぼうと思う。


後者で伏せていたもうひとつタイプは、自分自身生き様ドラマを作る者だ。

必然的に、これは歳を重ねた選手の方が多くなる。羽生善治王位も、たとえばイチロー、EVOで優勝したときどはこれにあてはまる。

彼らは自らの人生ドラマチックに生きてきた。ウメハラはたくさんの自著を持っていて、その大半が「人生観」についてである

瞬間最大風速は前者に劣るかもしれないが、継続性は後者が圧倒的に上だろう。

彼らが自分の信念に基づいて生き、たとえ負けが込んだとしても、いつか諦めずに優勝すれば前者よりも強く輝くはずだ。

イチローときどに魅入られたファンたちは、自分人生のお手本として信じ続け、彼らのことをずっと忘れない。

一見地味であっても、より強く歴史にその名前を刻むことになるのは後者人間である

こちらは「劇場型」とでも呼ぼうと思う。


765プロアイドルは「劇場スター

そろそろ765プロに話を戻そうと思う。

つまるところ、自分にとって天海春香如月千早は「後者」、「生き様で語る」アイドルなのだ

彼女らは空想上に作られた存在かもしれないが、物語というのは、事実でなくとも真実であるということに変わりはない。

物語が持つ真実の力を、現実のものと遜色ない力強さで手にしている、自分にとっては稀有存在だ。


天海春香のように、まっすぐキラキラ自分目標に向かって生きることは、どこか気恥ずかしいことだと思っていた。

如月千早のように、周囲に与することなく孤高の存在であり、自らが持つ力だけを持って世の中と戦うのはカッコいいことだと思っていた。

星井美希のように、自分にできることを程々にやり、何かひとつのことに一生懸命になることなどせずに生きるのは賢いことと思っていた。

けど現実はだいたい違っていて、自分の夢にアツい人は全員すげーと思うし、一人では限界がすぐに来てしまうし、飽きっぽい性格では何も面白くない。

765プロアイドル出会っていなければ、こういった当たり前のことに気づくのが遅かったかもしれないし、下手したら死んでいたかもしれない。


アイドルというのは「偶像」であって、それは「非現実的可愛い」だとか「彼女らが頑張るのを自分が支える(崇拝)」対象では決してない。

偶像=神の教えと言葉に従い、崇め奉るだけでは単なる「信仰」だけで完結してしまい、それはいつか「狂信」となるか「飽き」を迎えてしまう。

彼女らがファンに向けて送っているメッセージは、「私も頑張っているから、あなたも頑張って!」である自分は思っている。

ライブ課金ゲーム時間を使うという行為は、そのエネルギーや「言葉にしにくい真実」を交換しあう行為だと考える。

神というのはそもそも人間が生み出した概念であり、アイドルも同じで、決して向こう側から「与えてくれる」だけの存在ではない。

理想ドラマチックな生き方」をアイドルという「偶像」に依拠して、それを体現する者に自分から価値あるもの」を供出する。

そうしたプロセスを踏んでこそ、アイドルという存在がこの世に、人々にとって魅力的な存在であり続けることができる。


日本神様はどこにでもいて、誰からも忘れられたときにひっそりと消えるという。そのためにお祈りやお供え必要なのだ

昔の人にとっては、自分たちの食料となるもの、貴重なものを神に奉納するという行為があった。それくらい大事なことだからだ。

純粋に「異界の神」の存在を信じた人々もいたかもしれないが、それは「狂信」だと言ってよく、たびたび「非人道的な間違い」を起こす。

本質は、「自分たちを見守る存在」=「理想的生き方を守る存在」に「価値あるもの」を奉納し、その価値を高めるということにある。

自分たちの願い(神様偶像)がそこに結実していると確かめるための行為なのだ


10年代の「ソーシャル型」アイドル

要は、自分にとって理想アイドルは「劇場型」であり、「花火型」ではアイドルたりえないという話をしたかったのである

765プロアイドル以外は認めないのか」と問われれば、イエスと答える気がする。346プロも、ミリオンアイドルも今のところではそうだ。

自分としては、彼女らのように息が長く、大勢プロデューサー必要とされ、様々な歴史を与えられた彼女らに勝るアイドルはいないと言い切れる。

他のプロデューサー自分とでは、彼女らに求めているものが違うという実感はある。こういう話をして納得してもらえた経験がまったくないゆえだ。

自分自身羽海野チカ先生が言うように、「大事なことは全部、漫画アニメ(=フィクション)に教わったんだ!」という感じが近いからというのもある。


老害いたことを言うが、最近の新しいコンテンツキャラクターの薄利多売ぶりがすさまじいと思う。

これはデレマスミリマス、空前の大ブームであるソシャゲ全般を主として言えることで、あまりにもキャラが多い。

そして、全員が全員似たようなことを言う。誰も彼も個性などあまりあったものでなく、先に挙げた765プロアイドルのように、強い物語性と動機などはない。

つまるところ、彼らのようなキャラクターに「劇場型」のようなドラマは生まれないのであるキャラクター自体存在は極めて薄いものなのだ

自分にとっては大変味気ないものであるキャラクターが大量にいるという前提もあり、どうにも(言葉は酷いが)「粗製乱造」といった印象が拭えない。


しかし、そこを補完しているのが「ソーシャル性・社会性」である。「大量のユーザー集合的無意識を共有している」という前提があるからこそ成立するキャラなのだ

ツイッターでの同好の士との、友人間でのグッズのための遠征ライブツアー同人作家の持ち上げなど、これらはすべて「社会性のもたらす快楽」が下支えしている活動だ。

如月千早のところで言ったように、人というのは一人では何もかもにすぐ限度が来てしまう。何かを面白がるにも、一人では見える範囲のことしかからず、すぐ飽きてしまう。

だが、誰かと共有することで可能領域は倍増し、それはたまらなく面白いことだと気づく。リア充だろうがオタクだろうが、誰かと会って話すのが人間は一番楽しいことなのだ。

ゆえに、キャラクターは「浅く広く」の方が都合はいいのだ。オタク的に深い造詣と知識がなければ弾かれるのなら、新規はやってこないしヘタなことは言い出せない。

大きなコミュニティを作り出し、まるで文化祭前夜がずっと続いているかのような熱狂の渦を保つには、共有対象簡素かつ魅力的であればあるほど好都合なのだ


自分は、彼女らのようなアイドルを「ソーシャルアイドル」とこっそり呼んでいた。

765プロアイドルのような「劇場アイドル」も初期は「ソーシャル型」だったのかもしれない。

ただ、いくらなんでも数が多すぎやしないだろうかという風に自分は捉えがちである

結果的にどれにも入れ込むことができない、自分のようなぼっちが前提のオタクにはつらいなぁという印象だ。


劇場型」と「ソーシャル型」

時代の移り変わりとともに、アイマスも形を変えたのだなというところに思考が落ち着いた。

掲示板にでも出入りしなければ「お一人様」性が強かったネットからスマホによるネット人口爆発や、ツイッターが台頭した環境変化に対応したと。

アイドルとの距離もより身近になり、春香の「後ろの席までみんな見えてるからね!」にありがたみを感じにくいご時世になったこともある。

自分にとってソシャゲアイドルはとっつきにくいものだが、彼女らについて(上辺だけでも)深く考えることができ、より765アイドルが好きになれた。


AV女優云々で騒いでいたのは、決して職業差別宣伝への嫌悪とかでなく、純粋に「社会」が乱されることへの強い拒絶反応であることもなんとなくわかる。

ソーシャル型」アイドル世代は、決してアイドルの一存ですべてが成立しないのだろう。自分たちで「デレマス社会」を守っていこうという意識が強いのだなと思える。

デレステ運営公式アカウントへの過度な許容もその現れだし、ライブが頻繁に行われていたり、声優さんが大量に現実いるからこそというのもあるはずだ。

旧型ぼっち重視オタクである自分には、深く考えるまでは「奇妙」の二文字で片付けていたが、しっかり考えるとなんとなく頷くことができる(自分とは違うのだなーと)。


自分はここまでで、「劇場型」と「ソーシャル型」を分けて考え、前者が自分には合っていてそれは765アイドルであるとしていた。

ただ、「花火型」とほぼイコールであるソーシャル型」アイドルも、中心にいる人々からすれば「劇場型」と捉えているのかもしれないとも思う。

自分が望むような「二次元でほぼすべてが完結できる」劇場型ではなく、「リアルツイッターゲームライブ声優」、それぞれをすべて同列に考えられる基準を持っているのだろう。

自分にとってそのような考え方は無理があることだし、それができるのは正直うらやましいことだ。きっと違う楽しみがあるに違いない。


おわりに

文字数文章としてのまとまり、書く時間制限をつけなかったので、たいそうバラバラ文章になったと思う。

自分としては、モヤモヤと考えていて喉元でつっかかっていたことがスッキリしたのでよかった。これぞ匿名ダイアリーパワー。


何かとレジェンド扱いされる天海春香さんだが、単に新しい展開が少なくなってしまったというだけである

基本的運営を信頼しているので、天海春香らしい新しいエピソード新曲、展開があるといいなといつも期待してはいる。

ミリシタは…………………………ログインボーナス継続中ですが………………音ゲー無理で……。据え置きで新作出いかなーと希望を。


上にも書いたように、自分には正直なところソシャゲアイマス系列にはどうしても馴染めないところがある。

大量のキャラを常に見回したり(自分にとっては全員が全員魅力的なのですよ)、リアル体験との併用が前提とされているような構造はすこしキツい。

しかしながら、アイマス全体を支えているのは間違いなく彼女らであり、そういった意味では応援している。アニメは観たし、CDもとりあえず買っている。

いまやソシャゲアイマスあってこその765プロアイドルである。いつか揺り戻しがあり、強いアイドル必要になったとき、また765のようなアイドルが観られればそれでいい。


いわゆるデレマス界隈は、人を多く集めまくったリスクとしていろんなトラブルがあったりするんだろうなと思う。

けど、大した問題にもなっていないようなので、すごいと思う(ぼっちゆえコミュニティの仕組みはわからない)。

自分にとってパリピめいて盛り上がるリア充なんだかオタクなんだかわからないPたちは正直無理である

が、デレマスアイマスを好きだという気持ちはたぶん同じなので、遠いところから同士よ! と応援している。


なんかすげー長く書けた。自分用のメモにしてもよかったんだけど、経験則的に、誰かに見てもらうって前提で文章を書いた方がわかりやすくなるのだ。

ということで投稿しつつ、ローカルに保存しつつ。よかったらなんかコメントとかくれると楽しいです。てーかここまで読む人おらなんだ。

読んでくださった方、ありがとうございます


https://anond.hatelabo.jp/20170815235502

日本の「戦争」は「終戦の詔書」の言い換えでしかないんだろう。日本が負けていなければ「戦争」ではないから、「戦争体験」たりえないんだ。

総力戦それ自体悲惨さには誰も興味なんかないんだよ。日本政府敗戦決断するに至ることの悲惨理不尽さにしか意味がないんだ。そこには世界どころか、戦争相手国すら存在しないんだ。

2017-08-15

戦争体験いかに語り継ぐかーー

https://anond.hatelabo.jp/20170815222213

先の大戦を自ら経験した人たちは、高齢化でどんどん亡くなっていき、その経験を直接聞くということができなくなって云々...って毎年耳にタコができるくらい聞かされてるけどさー

そんなに戦争体験を聞きたきゃ、現役バリバリ20代とか30代あるいはもっと若い世代体験者が、中東とかアフリカ方面とか東南アジア方面などにもいっぱい居るじゃんねぇ。

70数年前の出来事より時間が経ってない分より生々しくリアルな話が聞けると思うし。

 

どっか遠くの外国で起きた戦争は、日本で起きたものより程度が低い?悲惨さが少ない? そんなことないだろう。

外国人が語る経験は、日本人が語るものより価値が低い? そんなこと言ったらあんレイシストか!って言われるよ。

そんな見知らぬ土地の誰だか知らんヤツの体験談聞いても、戦争悲惨理不尽さ、心身に及ぼすダメージの大きさが想像できない共感できない? そんな程度の想像力だったら日本人から話聞いてもそれほど変わりゃしないよ。

原作読んでたら観る意味ない映画」にシールでも貼っておいてほしい

最近寝る前にネットフリックス映画観るようになったんだけど。

今まであんまり映画館に通う習性がなかったかオールタイムベスト級の作品でも見てないのが多くて、ウォッチリスト作品が溜まる一方。

から厳選して映画を観たいんだけど、厳選した結果観た映画でも私にとってはどうでもいい映画も多くて。

ここ最近で言うと「ファイト・クラブ」とか「ウォッチメン」がそれで、

ラニュークとアランムーア原作を読んでたから(多少の改変はあれど)原作通りのストーリーに途中で飽きちゃった。

映像作品としての真新しさがない原作モノには興味ないし、

こういう無益映画体験してる暇ないから、

原作をなぞるだけの映画はそれとわかるように印をつけておいてほしいなと思う火曜日

(追記)

けっこうブクマついてて驚いた。

別に既知のモノだから観たくないって言ってるわけじゃなくて、

メディアを変えた意味のある内容にしてほしいな、

そうじゃなくて原作の内容をなぞるだけなら別にどうでもいいなと思うんだけど。

例えば「ハドソン川の奇跡」なんかは「筋書」が誰にとっても既知のものだけど、映画ならではの視点の切り替えを使って「映画」らしく見せてる。

多くの原作モノはそういうメディアの変化による「違い」を見せているけど、

上に挙げている2作はそれ出来て無くない?

ファイト・クラブ」は読みにくい原作フィンチャー交通整理しただけじゃん。

じいちゃんが話してくれた特別じゃない戦争の話

じいちゃんに聞いた戦争体験話。特別感動的でもないし、奇跡的でもない。

だけどもうじいちゃんは死んだので俺しか知らない話になっている。だからここに残す。

* * *

小学生の頃、寝る前とかにじいちゃんに

怖い話をして」

とねだると必ず戦争の話になった。

子どもの俺は口裂け女とか人面犬の話がして欲しいのに、じいちゃんは必ず戦争の話をした。

話は大体決まっていて、「船の甲板にいて戦闘機が襲ってきたら跳弾が危ないから伏せろ」だとか「射撃台が打たれるからちかづくな」というような使いようのないTipsだった。

子どもながらにじいちゃんは歳だから気の利いた怪談話とかを知らないんだなと渋々聞いていた。

* * *

俺が社会人になって家を出て数年したある日、じいちゃんから突然電話がかかってきた。

なんと田舎から出て来て、一人暮らしの俺の家の前まで来ていた。

平日だったので仕事中だったが早退してじいちゃんに会った。

じいちゃんは俺の家に上がるわけでも、観光をしたいというわけでもないというので、仕方なく一緒に近所の喫茶店に行った。

適当世間話をした後、なんとなくじいちゃんに戦争の話を聞いてみた。俺が大人になって戦争の話を聞くのはこれが初めてだった。

聞くと、じいちゃんは当時18歳で西日本の港の練習艦に乗っていたそうだ。

そして、練習艦での日々を教えてくれた。

なんでも戦争末期には毎日のように戦闘機が飛んで来て襲われていた。そこで辛かったのが迎撃するための射撃手を決める方法

戦闘になれば射撃手は最初に狙われるためほぼ確実に死ぬので誰もやりたくない。しかし上官が当日の射撃手を募れば率先して手を上げなければ気絶するまで殴られる。

死ぬのがわかっていても手を上げなくてはならない。選ばれた戦友は必ず死ぬという毎日が本当に辛かったそうだ。

じいちゃんは運がいいことに声がでかいために伝令係に選ばれることが多く、射撃手には選ばれなかったらしい。運がいいと思いつつ、相当なうしろめたさがあったと言っていた。

最終的に練習艦は港で撃沈され、泳いで陸まで逃げて生き延びた。

じいちゃんの声がもう少し小さかったら俺は生まれてなかったかもしれないかと思うと当時の人の命の儚さ、不安定さのようなものを感じた。

最後に俺が練習艦はい艦船に乗ってたなんてすごいねというと、じいちゃんの目つきが変わってこう言った

「違う。わしが練習艦に乗っとったんは落ちこぼれだったからだ。学校で頭が良くて成績のいい奴らは先に選抜されて大和武蔵に乗ってみーんな死んだ。わしより優秀な奴らみんな笑顔で『さよなら』と言って死んでいったんじゃ。だからわしはあれから一度もさよならと言ったことはない。さよならなんて言ったらいかん。」

* * *

別にその日は戦争の話をしにきたわけじゃないだろうけど、俺はじいちゃんにとって戦争がどういうもので、「怖い話をして」というとなぜ戦争の話をするのか少しでもわかってよかったなと思った。

じいちゃんは、その後ガンが見つかり、突然の訪問の日から半年以内にあっさりと死んでしまった。ガンは告知しなかったそうだが、じいちゃんなりに残りの時間は感じていたのだと思う。

もうじいちゃんが死んでから何年も経つ。

他の戦争体験の話に比べたら大した話じゃないけど、俺のじいちゃんの話をなんとなく世の中に流しておきたかったので書いた。

おしまい


追記:たくさん読んでくれて嬉しいです。ブコメで指摘があるように一人称は「わし」と言っていなかった。じいちゃんの一人称は「わっち」だったのだけどこれは地元言葉なので書き換えました。

https://anond.hatelabo.jp/20170815182454

実際体験してみないとわからんだろうよ。

想像力もなくクズと決めつけ暴言を吐く方がよっぽどクズ

比村乳業の高速頒布を過度に持て囃すのはやめてほしい

ここの頒布物をコミケで手にするようになって久しいけど、最近頒布姿勢は目に余る。

今回は特にひどい場面を目撃し、自分も悲しい気持ちを味わう側になってしまった。

そもそもの話

このサークル、今では比村サーキットなどと呼ばれて高速頒布で有名になっているが、

元々は超牛歩サークルで、「魔性の潮」で話題になったあたりは特に遅かった。

(なお、今も頒布物が複数あるなど高速頒布を行わなければ、進みは相変わらず遅い)


そんな状況を重く見たのかサークル側で発案されたのが、件の高速頒布方法

新刊セットを1人1部限定頒布価格をきりよく1000円に設定し、

1000円回収班と頒布物受渡し班にわけることで、1人当たりの頒布速度を上げた。


ただし、「月曜日のたわわ」の知名度が上がったこと、高速頒布に参加してみたい人が増えたことで、

並ぶ時間は他の人気サークルと比べても十分にかかっている。

昨冬の冬コミも、グッズセットなど複数頒布物があったからか、

新設東7ホールの導線が一部機能しなくなるような列ができてしまった。

今回の夏コミは、そんな状況を配置スタッフが重く見たのか、

初日かつ東1ホールシャッター前配置に変わっていて、

サークル側も頒布物を1種類にしていた。


こういった混雑に対するサークル改善姿勢とか、

待ち時間をワクワクさせるような姿勢には好感を持つ一方で、

頒布する際の一部サークルスタッフの振舞いには、個人的に不信感を抱いていた。

妙に上から目線というか、横暴というか、

頒布物を受け取ってくれる人達に対して、渡してやっているという感じがあったのだ。

今回自分体験したこと

列に並んだのは1020分くらい。

最初は相変わらず列長いなあくらいに思って待っていたのだが、

30分くらいして高速頒布を始めたあたりから様子がおかしくなった。

高速頒布を促すため移動を急かし始めたのだ。

それも人によっては走らなければ追いつけないようなスピードで、である

コミケにおいて走る行為は当然NG

しかも人が密集しているところで急に動くことになり、転倒の危険が非常に高くなる。

実際、スペース前で転んだ人がという報告も上がっているし、

並んでいる列からも早い!危ない!という声が複数上がっていた(自分も同様に声を上げた)


その後、1列から2列で高速頒布をする(頒布ペースをさらに上げる)として、

再度スピードが上がり自分もスペース前に行くことになるが、

サークルスタッフから頒布物をそれはそれは雑に手渡されることになった。

頒布物は本2種(1種は会場限定本)と手提げクリアファイルのセットで、

クリアファイルに本2冊が入ったものを事前に用意しているのだが、

クリアファイルの先を持ち、押しつけるように手渡すスタッフがいたのである

自分は運悪くそ人物に当たってしまった。


実際に手渡されたクリアファイルは、先端がひん曲がっており状態が非常に悪く、

頒布物を丁寧に扱っているとは到底思えなかった。

しかも、さっさとスペースを抜けろと促して、中身の確認する余裕もない。

(本の状態問題なく、また一緒に並んだ友人は特に問題のないものを渡されていたので、

全てがそうではないとは思いたいが、やられて気分が良いものではない)

さより大事なこと

主催者の比村奇石氏は、大人数を捌いたサークル準備会スタッフや、

スムーズ頒布に協力してくれた一般参加者へ感謝言葉を送っているので、

おごりがあるといったことはないはずだ。

ただ、頒布のものイベント化しすぎていて、

コミケ理念とか参加者全体が持つべマナールールに対しての視点

おろそかになっているように思える。

無駄時間がかかり過ぎても問題だと思うが、

早くしすぎて雑な対応になったり、危険を招くようでは本末転倒ではないか


また、このような状況を参加者ネタにしたり持て囃すことで、

事態さら悪化するようなことにはなってほしくない。

いち参加者としてはどんな人気サークルであっても、

頒布物をきちんと受け取って、ありがとうといえるくらいの余裕が欲しい。

ナルコレプシー体験記0815

今日も寝てる間天井が透けて見えてたか

脳が起きていたと思う

仕事中必ず眠くなる

毎日毎日

寝ちゃダメだと必死になって踏ん張っててもいつの間にか落ちていて

ふとした瞬間覚醒すると目の前がぐちゃぐちゃ

これが毎日

昨日は掃除機をかけていた途中眠すぎて

何も覚えてない

掃除機かけたことも覚えてないし、かけてないことも覚えてない

からどこどこ掃除機かけた?と聞かれても答えようがない

何考えてんの?何こいつありえない、意味わかんねえ

というニュアンスでみんなから怒られる

つらい

2017-08-14

「このRPGストーリーが凄いんだぜ!」

「じゃあ小説読めよ」←まちがい


ゲームとして遊ぶことによってプレイヤーキャラクターは一緒に冒険した仲間になる(と人間の脳は錯覚する。理性により現実空想区別はついているのだが、全ての部分において区別しきれておらず、あたかも一緒に冒険たかのように錯覚する事を完全には止められないのだ。)

ただ本を読むだけの体験とは臨場感が違う。

一緒に旅した仲間の話だから感動する。

たとえば身内が甲子園に出場したらすっげええええええええぇぇぇぇeeeeee!となるけど、他のどこの馬の骨とも知らん甲子園球児一人一人に対してはふーんすげーぐらいしか感じないだろ。

ストーリーのいいRPG体験という面において小説映画に勝るのだ。

物語の巧妙さや文章の出来だけを見比べるのは見方そもそも違うという話。でした。

https://anond.hatelabo.jp/20170814120722

なんでこう女ってのは、自分体験地球上の全女適用されてると勘違いしてるんだろう。

つか性教育って「セックスしたくない」人にはどう対応するの?

仮に性教育が行き進んで「十全なセックス知識および体験があってこそ成熟した大人」という価値観普通になったときさぁ、

あいセックスしたくないんだっておかしい~w」な空気が醸成されて、「セックスしたくない」人が生きづらくなりそうだと思うんだけど。

だってこれ、「セックス」を体育に置き換えたらさ、

あいつ運チだぜ、だせぇ~」って言われるようなもんなんじゃんっ

体育の授業でトラウマを持つ子供は多いわけだしさぁ。

「いやそういう『セックスしたくない人』の存在も織り込んだ上での性教育だよ」と仰るのかもしらんが、

本当にできるの?そんなこと。

結局みんな「できないし、したくない」って人のことを考慮してなさすぎなんとちゃうんかと。

現状の体育授業と同じで、体育にトラウマ抱くのと同じで、性教育セックストラウマ抱くだけになるだけなんとちゃうんかと。

「じゃあ性教育選択制すりゃいいだろ」って言う?

いやそれじゃ一律教育足りえないし「学校で必ず教えてもらってなかった」の言い訳が通るじゃん。

2017-08-13

理由のない多幸感

数年に一度あるかないかタイミング

じっとしているのが難しいほどの幸福感としかいえない気分に包まれる事がある

とくになにも理由のない瞬間

バスにのってどこかへ移動している時であったり

夕飯の買い物のためスーパーをブラついている時であったりする

それはごく短い時間で終わってしま

これは一体何なのだろう

ほかの誰にでもある事なのだろうか

まりこのような体験を聞く機会は無いが…


ちなみに

毒親と同居していた期間や、離婚した配偶者生活している間にこの気分が訪れた事は一度もなかった

かといって、特に今の中年貧乏一人暮らし毎日に満たされているというわけでもない。

わけのわからない寂寥感や悲しみ、絶望を感じる事もあるが

こっちは望まなくてもしばしばやってくる。

小池一夫さんのツイート

なんか燃えてるけどあのくらいの年齢の人の価値観あんな感じだと思うんだよ

そういう価値観であることそのもの文句言っても仕方ない

若い世代価値観を共有できてないのは確かなんだけど、かといって「そんな事も知らないお前が悪い!」って叩くばかりじゃ回り回ってブーメランしかならないでしょ

あいうの年寄りから見たら小池さんちょっとした失言若い奴らが鬼の首取ったみたいに袋叩きにしてる様にしか見えないんじゃないかなぁ

なんでもそうだけど理解して欲しいと思うのなら断絶を深めるような事は避けた方がいいと思う

苦境に陥ってる人が居たとしても、それに気づいていない人はそういう人への配慮なんかまずできない

年配の人に今の若い人の生活が苦しいと言っても給与の額面だけ見れば自分が若かった頃よりも上がってるから「甘えんな、工夫しろ」ってなるのはしゃあないんだよ

昔みたいに家賃5000円の風呂トイレ無しアパートなんて無い、金のないときにツケで食わせてくれる食堂も無い、物価は上がり社会保障費も上がり、かといって収入が増える当ては欠片も無い

そういう現状を年寄りは知らない

仮に文字で見ても同じ状況を体験した事がないから実感はできない

自分達が生きてきた戦後どん底まで落ちたからこその右肩上がり時代と同じ様なものだと思ってしま

それに若さへの羨望(嫉妬)が付加されれば色眼鏡になってしまうのは仕方がない

だんだん老眼が進んで新聞も読まなくなるから情報源テレビだけになっていく

そうなると今のテレビ高齢者ターゲットにした番組が多いかますますその傾向は強まる

そういう世代間の価値観の断絶が原因なのに、個人価値観問題矮小化してぶっ叩いてもマイナスしかならんと思う

自分のことを完全無欠の無謬であらゆることに理知的中立的判断ができる、と思うものけが他人ツイートに「悪質なデマを流している」「事実を指摘しても撤回しないのはポストトゥルースだ」と言いなさい。

ってか、例の打ち水写真の件での、あのなぜか異常に手厳しい非難アカウントも、過去にたくさんのツイートしてれば、絶対に、間違いなく絶対に、ほかの分野の専門家が見たらこデマだろってツイートしてるよね。

そういうの、過去にも山ほど見てきたよね俺らは。なんか数千RTもされてる正論ツイートを見て溜飲下げて、それ発言した人のTL見に行ったら歴史認識だとトンデモネトウヨビックリ、みたいな体験いくらでもあるよw。

「ケースファイルで知る 統合失調症という事実

まさかとは思いますが」の林先生の本。職場統合失調症の人がいて他の人と揉めることがあるので統合失調症知識を少しでも得たいと思って読んだのだけど、たくさんの事例を段階 (症状、治療時、無治療時、再発時とか) に分けて各視点 (本人、家族医師) で掲載解説されててイメージがつかみやすくてよかった (今までは読んだことがあるのが「わが家の母はビョーキです」「こころを病んで精神科病院入院していました」「統合失調症がやってきた」なのでほぼ漫画だし本人と家族体験記のみだった)

職場での対応の仕方とかは載ってないのでそれはまた別の本とかが必要だったけど、専門医の本で論文の出典もあるのでネット蔓延ってる有象無象のページよりはるか安心感があるし前よりイメージがつかめたので検討が少ししやすくなった

あと職場の人がわりと大人なのに言動小中学生くらいの感じなのが気になってたんだけど統合失調症の症状のひとつとして人格水準の低下が起こることがあるらしくて 疾病3部-脳科学的検査-研究成果紹介1 (国立精神・神経医療研究センター) には知的能力の低下があるとあったのですこし合点がいった

もう一個の問題統合失調症の人の周りにナチュラル言動中高生大人 (その人よりだいぶ年上でもろに高EEっていうのに当てはまる感情的な人) がいてその人と揉めるっていうことなだけど…

2017-08-12

Aセクシャルの人に10年間片思いした話。  

相手迷惑ををかけたくないので身バレ防止にいろいろフェイクは入れるけれど、出来事体験に関してはなるべく正直に気持ちを書こうと思う。


 私はいま25歳だ。地方田舎で育った。相手幼稚園からの幼馴染だった。漫画みたいな幼馴染じゃないけれど、地元友達で、幼稚園小学校中学校と一緒だったし、小学生ときにはよく一緒に公園とかで鬼ごっこかくれんぼをした。中学に入ってからは、もともとお互いに漫画アニメが好きで、本の貸し借りをしてライトノベル時雨沢恵一の「アリソン」とか「涼宮ハルヒ」とか)というものを私が教えてもらったりもして、まだそういうオタ趣味学校でおおっぴらにできない時代だったのもあって、よく話すようになった。それで、なんでか覚えてないけれど、気になりだして、気が付いたら好きになってた。中3の時にはがんばって同じく一緒に好きだったバンプライブに誘って一緒に初ライブに行ったりもした。相手は異性の友達はどちらかといえば苦手そうにしていたけれど、その中でいちばん仲のいい異性になることができた。

 中学卒業したら高校別になることはわかっていたから、とにかく気持ちを伝えたくて彼の受験が終わったタイミング告白した。どうなるかも深く考えないまま、共通友達うまいこと呼び出してもらって、小さいこからよく遊んだ公園気持ちを伝えた。ずいぶん長い沈黙があって、そのあとの断りのセリフは「ごめん、恋とか愛とかがよくわからない。人をうまく信頼できないんだ。増田がきらいとかじゃないんだけれど、そういうことがどうしてもできない」というものだった。彼は少し泣いていた。話そうか迷って、きちんと誠実に断るために探してくれた言葉だと、今ならわかる。その誠実さがすごく尊いもののように見えて、おおげさに言うならすごくきれいに思えて、区切りをつけるとかは吹き飛んで、余計に好きになってしまっていた。そのカミングアウトの内容そのものに惹かれてしまった部分もやはりあったと思う(今考えると業が深い……)。

「でも、そんな風に想ってくれる人がいると思うと、なんだかうれしい」という言葉本心からのものか、それとも彼のやさしさだったのかは、いまだにわからない。

 けれど、当時の私の思考回路はひどく短絡的で、「だったら、彼に信頼してもらえるようになればいいんだ」というものだった。そういうわけで、違う高校に進学したわけだけれど、中学時代グループの集まりを定期的に企画したり、高校部活人間関係の悩みとかの相談積極的に乗ったり、ガラケーメールぽちぽち打ったりした。今考えても涙ぐましいし、ムダに行動力ありすぎた。相手性格を考えるとちょっとやりすぎな面もあったけれど、そんな重いエゴまで含めて本気の恋だった。彼のことを考えない日は嘘偽りなく一日だってなかった。それが空回りしている自覚もあったし、全然そういう目で見てくれている様子がないこともわかっていたけれど、思い続ければいつかは、なんて甘い幻想も同時に持っていた。

 結局、高校3年の終わりに中学時代地元グループ卒業旅行に行って(もちろん企画からすべて私が幹事をした)、そこでまた告白したけれど、まったく同じ断り方をされて撃沈した。今度こそもうダメだなって思って、おしまいハグをしたらちょっとびっくりされたけれど、手を背中に回してポンポン、と叩きながら「ごめんね」と言ってくれた。 今にして思い出すと、これはすごく、彼にとってきつかったかもしれない。

 大学は私が都会の大学に行ったので、地元グループとも帰省したときくらいしか会わなくなった。大学では初めての恋人ができたり、他にも普通大学生らしいことをいろいろ経験したし、様々な恋愛関係する感情を味わった。彼のことはあきらめて気持ち封印してはいたけれど、それでも常にずっと心の中では彼のことをいちばんのところに置いていた。このころになると、ずっと片思いをしているということが完璧に美化されていた。

 そうして、アセクシャルAセクシャル)という言葉を初めて知ったのも大学時代だった。知った時、真っ先に彼のことを思い浮かべた。

 大学卒業して、Uターンで地元に帰ってきた。久しぶりに地元特に仲のいい何人かと再び会うようになった。ある時、彼の親友的な人と話していたら「増田さん、中高のとき彼のこと好きだったでしょ」と真正から指摘されて、封印していた気持ちが解けてしまった。4年間蓋をしていたものが、びっくりするくらいあふれてきた。その親友が「だんだん結婚とかも皆考え始めるような歳になっているのに、そういう話題が彼にあまりにもないか増田さんをあてがってやろうかと思って」と言うのでこれに甘えて利用して、彼と遊んだデートしたりした。お互いにいろいろ話すけれど、でもやっぱりこれまでと同じく恋愛的な意味での全然手ごたえは何もなかった。それと並行して。やはりAセクの件があったので、その親友に彼はAセクなのではないか相談した。親友氏にも思うところはあったようで、何度かそれについて議論もした。

 複数回デートらしきものをして、どちらにせよこの恋はだめだと思い知らされたので、結局過去と同じように自分気持ち区切りをつけるために告白をした。Aセクの件もあったから、一応相手負担にならないようにというつもりで、その当時でできる限りの気遣い自分の率直な気持ちとを文章化して手紙として渡した。後で読んでと言ったのに彼はその場できちんと読んでくれた。そして返事の代わりに、件の親友名前を出して「こないだ、Aセクシャルっていうのを教えてもらって、自分でもいろいろ調べて読んでるうちに、読めば読むほど『そうだ、これだったんだ』とわかって涙が出てきた。他人を愛することができない自分は、どこか明らかにおかしい、欠けた人間だって思っていたから、すごく安心したんだ」と教えてくれた。

私にはそれを受け入れるしかなかったし、何よりも泣きそうな顔だけど解放されたみたいなすっきりした様子の彼を見てうれしかったのも事実だった。

 私と親友氏とで「一応、Aセクであるとすぐに決めつけすぎないほうがいい」と伝えておいたものの、十中八九彼はそうなのだと思うし、少なくとも今現在彼の自覚Aセクということになっている。


 ここからあとは、私一人の話。

 私にとって、彼はまさに青春のものだった。そう思い込んで美化してきたところや、一途な自分片思いに酔っていたところ、そのエゴに時折死ぬほど自己嫌悪したところ、醜いとこや酸っぱいところも、些細なことでめちゃくちゃ幸せな瞬間も、ぜんぶぜんぶひっくるめて、いま大人になった私を作っている大切なものだ。詳しくは書かないけれど、彼を好きにならなければ私の人生はぜんぜんつまらない方に変わっていたはずだと思う。たとえ片思いでも、幸せだったし、幸せをくれたと思う。恋愛ってそういうところがあると、私は思う。

 ただ、そんな恋愛を、彼はしない。そういう感覚を彼はおそらく持たない。今後一切、恋愛から何かを得ることはない。

 このことを、私はどのように整理したらいいのだろうか。

 恋愛はすばらしい。いろんなドラマ物語においても恋愛至上主義圧倒的多数な世の中で、人々はそんなフィクションを見て、やはり恋愛はすばらしいものだと思う。誰しもが人に恋をして人を愛するのだと信じ込む。そう刷り込まれた?私の観念はとても硬い。

 では、他人を愛さない人は、すばらしいものが欠けているのだろうか。人生のなにかしらを失っているのだろうか。彼はおかしいのだろうか。

 断じて違うと、私は確信している。でも、それは私の中の固定観念矛盾している気がする。

 私にとって恋愛のない人生は、ずいぶんパサパサとした無味乾燥もののように思えてしまう。彼がAセクである自覚を得た日以来、失恋による大きな胸の空洞がつらいし、今まできれいに思えたものがきれいに思えなかったりする(感覚がにぶっている感じがする)。彼を好きだったとき世界の見え方はとても色鮮やかだったのに。

 気が付いたら私は25歳で、中学卒業してから10年が経とうとしていて、10年前のあのころキラキラした感覚がいろんな意味で信じられなくなってきている。恋愛しか得られない感覚があると信じているくせに、彼のことがあって今の世の中における恋愛絶対性について疑ってもいる。人間幸せの形ってもっともっと多様だと思いたいのに、自分経験がその価値観に異を唱えてくる。

 こんなことを考えていると、結局彼と私とではとんでもない隔たりがあったのかなとか考えてしまって、今でも少し凹む。



 自分の中でもいまだに結論がでていないせいで最後何を言いたかたかよくわからなくなってしまった。こんな深夜に書きなぐった読みづらい長文を読んでくださって、ありがとうございます。なんでもいいのでみなさんの意見を聞いてみたいです。ちなみに私がちょっとヤバいのは承知です。

議論が苦手な理由

温厚。冷静。敬意。寛容。客観。公正。と、頭の内では分かっているのである。初めのうちは。

しか議論が進むにつれてその幻想は打ち砕かれていく。

議論といっても、実際には公理のすり合わせから始まる。

議論の前提を共通認識として一致させなければ議論にはならない。

だが多くの議論は、この過程が果てしなく長い。それはもう長い。しんどい

出典や認識の相違など、重箱の隅を楊枝でほじくるように確認しなければならない。

長い間そうしていると、議論のための下準備だったはずが、だんだん知識教養によるマウント合戦に思えてくる。

お互いに無知を暴き、責め合っているかのような体験

このあたりで多くの人は語気が荒く、皮肉も混ざり、この相手議論に足る相手だろうかと疑心を抱き始める。

地道な作業精神を消耗し、議論相手が敵に見えてくる。

お決まりパターンなのだ。具合が悪ければ、そのまま人格攻撃に移行し物別れに終わる。

よしんば踏みとどまって、たしかに我の勉強不足であったと認めたとしよう。

それでも人の心は素直にいかない。人はそれを譲歩とみなす。

これがどういうことを引き起こすかといえば、「私は誤りを認めたのになぜあなたは私の意見を聞かないのか」ということである

議論として考えるならば、それは誤りを正したというだけであり、その後の意見賛否には関係のないことである

しかし人は自分は譲歩したのだから相手も応じるべきであるという期待をしてしまう。

無意識のうちに議論交渉が入れ替わっているのである

そして議論は当初の崇高な目的を見失い、互いの誇りをかけた撤退戦が始まる。

はたして議論を成し遂げたひとはいるのだろうか。

はいまだ議論の果てを知らない。

好きとかそういう話

 あと一週間で30歳になる。30歳になるのは別にいい。仕事もある、友達もいる。とりあえず健康法令線が気になるようになったけれど肌の調子はいい。趣味もある。日々、そこそこに楽しい

 でも処女だ。

 処女であるということが、私のコンプレックスになっている。こんなことになるとは思っていなかった。大学彼氏ができて、30歳頃には結婚したい相手も出てきて……となると考えていた。まさかの年齢=彼氏いたことない歴。どうしてこうなってしまったんだろう。

 理想が高いんだとよく言われる。私の理想は、頭が良くて、私より背が高くて(5㎝ヒールはい視線が同等にならないくらい)、細くなくて、年上。もちろん感覚バランスが合う人を求めたいけど、それは説明しきれないからこういう場合に持ち出すことはしない。さて、この理想は高すぎるんだろうか。理想自体はあまり高くなくても、私のスペックに対して高すぎるということだろうか。29歳、大卒正社員、160㎝55㎏。趣味読書海外旅行学生時分に若干のオタクBLは嫌いではないが腐女子ではない)。顔は有名人診断のアプリによればサトエリ寄り。胸は彼女の何分の一だろう・・・体重はあってもグラマーではない。こんな私には高すぎる理想なんだろうか。

 出会い系婚活パーティでも行けば誰かしら見つかると言われるだろう。実はpairsも婚活パーティもそれぞれ体験した。そこで出会った人とご飯にも行った。でも、好きかと言われればそうじゃなかった。そのうちの一人とは何度か飲みに行ってまあまあ楽しかったけれど、「この人が私の彼氏です」となる姿はまったく想像できなかった。でも、「この人は私の友達です」であればアリだったとしても。相手の方はおそらく気に入ってくれているのだろうという感じはする。奥手っぽいから手は出してこなかったけれど。ここで手を出されていたら、私の気持ちもまた変わっていたのかな。結局、見知らぬ人とコンニチハし続ける気合がなくなって辞めてしまった。

 コンプレックスであると言いながらそうやって動くのをやめてしまうのだから、解消される日が近づくわけもない。本当に彼氏が欲しいの?と親しい人たちから聞かれるのも仕方がないと思う(流石に処女コンプレックスですとは公表していないので、彼氏ができないんですと話している)。でも、だって、よくわからないんだもん。

 よくわからない。それが根幹にある問題だ。

 私は未だに彼氏という存在がどういうものなのかよくわかっていない。彼氏以前に、恋愛というものがわからない。人を好きになるということがよくわからない。家族大事で大好きだ。友達大事で大好きだ。でも、そういう好きじゃない好きということがどういうことなのか、よくわからない。とはい好意が見えないわけじゃない。それに応えることがなかったのは、好意を寄せることができなかったのか、そもそも好意がなかったのかは不明だが。

 行きずりの関係を持てるような性格でもないので(保身やプライドがない交ぜになって私自身が許せないので)、私がセックスするとなると一応彼氏と呼ばれる人であろうという前提を置くと、誰かを好きになれない限り私のコンプレックスは解消されることはないのではないか。もちろん、お見合いをして条件が合ったか感情は付いていかなくても結婚に至って子孫を残すためにセックス……というシナリオも考えられなくはないが、現時点でその可能性はごく低いので消去しておこう。

 人を好きになったことがない。何て寂しい響きだろう。このまま30歳になって、40歳になっても人を好きになることはないんだろうか。





この話、自分で書いておきながら言うのも何だが、オチが見えてこない。やめよう。また気が向いたら書こう。

架空の「思い出」を買うか

思考実験です

あなたお金を出すことで、あなたが実際には体験していない過去記憶を買うことができます

内容は基本的にはなんでもいいのですが、過去に誰一人やっていないことは買えません

例えば甲子園優勝投手の思い出は買えますが、時速180キロボールを投げた記憶は買えません

月面着陸した記憶は買えますが、土星に着陸した記憶は買えません

(どちらも現時点で)

下条件等

・思い出は人から買い取るのではなく、ただ自分が手に入れるだけです

もしプロ野球二刀流した記憶を買っても大谷翔平存在がなくなることはありません

・買い取った場合自分が思い出を買い取ったという記憶は無くなります

まりあなたは本気でその思い出を信じることになります

事実が変わることはありませんが、あなたがその齟齬に気が付くことはありません

例えば65代横綱だったという思い出を買いました

テレビ横綱一覧が映った時、他の人には65代貴乃花と買いてありますが、あなたには自分名前が見えています

・周りの人と話が噛み合わなくなるかもしれませんが、不思議な力で誰も違和感を感じません

さて、あなたは思い出を買いますか?

いくらまで出しますか?

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ようこそ ゲスト さん