はてなキーワード: 絶望とは
これはそう、もうどうしようもない
お金を稼いでくれるならまだいいけど、グチグチと文句を言うだけでろくに仕事もしない家事もしないような女を掴んでしまうと地獄そのもの
相手に求めるものって男女ともに"快楽(性交も含む)"か"金銭"か"労働(家事等)"だから30過ぎだと"快楽"の部分はほとんど捨てなきゃいけない。お笑い芸人ばりにおもしろければいいけど、会話が楽しい女って絶望的に皆無
障害者施設がある地域は性犯罪が多いという直球の差別が話題になっていたけど、
障害者による加害行為が無罪でやりたい放題なのも事実なんだよな。彼らには責任能力がないから。
俺が通っていた小学校は養護学校と隣の場所にあって、隔週で養護学校の子と一緒に給食を食べるスケジュールになっていた。
同学年の養護学校の子は2人いて、俺の通ってる小学校は1学年2クラスだったので、1クラスに1人ずつ養護の子が来る。
2人のうち1人は知的障害があり喋れないがおとなしい子だった。
もう一人は喋れないし大音量の奇声をあげて誰彼構わず殴りまくる子だった。
殴りまくる子が来るときは付き添いの養護の先生、担任、クラスの誰かが殴られる。
養護の子が来る週は、「おとなしいほうが来てくれ!」と祈ってたし、殴るほうが来るときは「ハズレ回だ…」と絶望してた。
俺も殴られたことあるし、友達も殴られたし、女子が殴られて号泣してたりもしたし、ハズレ障害児が来る日は暗黒だった。
そして殴られる側はどうすることもできなかった。障害児には責任能力がないからな。
怖がって泣きながら走り回る女子もいた。俺は怖がって走り回るのがダサいと思っていたから着席して耐えた。
着席していても走り回っていても殴られるときは殴られるし、
養護の先生や担任がハズレ障害児を拘束するまで何発もグーで殴られながら耐えるしかなかった。
養護の子との食事ルールは、障害者に偏見を持たないための交流教育を目的として設けられていたのだろうけど、
健常者だから責任能力があり人を殴ると逮捕される「健常悪魔」と、
障害者だから責任能力がなく人を殴っても逮捕されない「障害悪魔」の二種類があり、
絶対に逮捕されない「障害悪魔」とはとにかく物理的な距離をおいて暮らしていくしかないという学習だけが刷り込まれた。
実際、どうするんだよ。どれだけの暴力行為をしても逮捕されない奴とどう暮らしていくっていうんだよ?
養護のおばさんや担任やクラスの面々がグーで殴られまくって阿鼻叫喚、俺も4回殴られ(計4発ではなく、拳で連打されるハズレ日が4回あったということ)、
とにかく耐えるしかないという経験は、本気で憎悪が刷り込まれるトラウマになってるし、それを「障害者差別だ」と言われても反発心しかわかない。
あと障害者全員を差別してない。殴らない方の子に対しては怒りも憎しみも一切持ってなかった。
むしろ人を殴る健常者よりも、殴らない障害者のほうが好ましい。重要なのはまず殴るか殴らないかであり、次に殴るやつを隔離できるかどうかだ。
例えばカレーとラーメンのどちらが好きかだけだと普通のアンケートだが、その結果で現実の給食の内容が変わってくるならこれは一種の選挙だ。代議制民主主義の選挙でも、その結果によって政権が変わらないなら、これはただのアンケートだ。
確率などの構造は同じなので、通常のアンケートで一票が印象に影響を与えないなら、選挙でも一票は印象に影響を与えない。
しかし、一票差ではない時に、印象にも影響を与えないとしたら、一票を入れる意味とは何なのか。
一票が積み重なって結果を変える、だから一票には意味がある、と考える人がほとんどだろう。しかし、アンケートには非対称性がある。
全体の視点からすれば一票一票には意味がある。通常のアンケートで例えると、票を集める人にとっては一票一票には意味がある。だから街頭でもアンケートの票を集めている。しかし個々の視点からすれば、一票を入れても意味はない。
現在の日本は、アンケートで政権を決めるシステムを採用している。だから少なくともこのアンケートの非対称性はもっと意識され、また議論されるべきだろう。
現在の日本政府はアンケートに意味があると思って答えるという非合理性の上に成り立っているわけだが、その非合理性を解消する方法をとりあえず二つ思いついている。
まず、複数の町内会が集まり500人程度から代表を選んで、その代表から更に代表を選んで、国会議員として送り出すという方法がある。500*500*500=1億2千5百万なので、国会の下に更に国会のようなものを2層作り出すだけで済む。これは中国やソ連のシステムに似ている、というと聞こえが悪いが、アメリカやEUや国連も似たような理念や構造を持っている。
他には、郵便投票やネット投票や義務化などでコストを下げつつ、一票あたりの政党交付金を増やすという方法がある。政党交付金はアンケートではなく量なので、投票先を考えるのが合理的になり得る。
産業が陳腐化して経済が衰退した地域では排外的なナショナリズムを支持する声が強くなる。逆に衰退していた地域でも新たな経済機会がみつかり経済が良くなってくると住民の投票行動が変わるらしい。まあ簡単に言うと貧乏になって生活に余裕がなくなると極端なナショナリズムに走りがちだということだ。拡大解釈になってしまうが、これは人が何らかの悩みやコンプレックス、トラウマなどを抱えているとそれを補うために思考が偏っていってしまう可能性を示唆していると思う。
最近の例だと、
https://anond.hatelabo.jp/20210218193205
「アラサー腐女子だけどいつの間にかツイフェミになってたから絶望した」
で、「困っている人や現場のことを使って男性を責めたり自分を守っていないだろうか?」という問いがある。
この増田はなにか嫌なことや、悩み、問題があった際にそれは男性社会のせいだという結論を得るまで思考を続けてしまう自身に気づいた様子を投稿。人気エントリとなった。
「自分のコンプレックスを他者の責任にしてしまっているだけの場合がある」
まさにこれで、多くの人は自身は理性的でフェアな思想をもった人間だと自負しているだろうが、実際はそんなことはなく多くの人が自身の悩みやトラウマ、コンプレックスを補うような自身をフォローするような思考をしているはずだ。
「悩みやトラウマ、コンプレックスがあったり生活に余裕がないならば思想が偏る」
「思想がフェアであるためには悩みやトラウマ、コンプレックスなく生活に余裕がある必要がある」
も真になってしまう。つまりあなたが理性的であるためにまず取り組まなければいけないのは自身の悩みやコンプレックスと向き合うことだ。
自分の罪が告発されたことに衝撃を受け、その事実を感情的に否認したり、その事実から逃避しようとしている段階。
周囲の認識や態度にギャップが生じるため、支持者と共に社会から孤立しがちになる。
告発という事実は認識したが、一方で、「ではなぜ、自分がこのような境遇になってしまうのか」といった思いが強く、被害者や告発者に反発したり、怒りがこみあげてきたりする。
罰をもう少し先延ばしできないか、あるいは、罰を回避できないかと考えて、コミュニティにすがったり、告発者に裏の取引を持ち掛ける。
罰を避けられないことが分かり、あきらめや悲観、むなしさ、憂うつ、絶望といった気持ちが支配して、落ち込む。
仕事をしていくうえで重要なのって能力とか企画の内容とかじゃなくて、大学のときに同級生だったとか、前職で同僚だったとかのコネでほとんどのことが決まっていくんだね。
「○○の会社に知り合いいる?」みたいな話ばっかりしているし。
経験6社、現在SESで5次受けくらいの案件でVB.NETの保守やってる。
エンジニア経験は2年くらいで正直ハナクソレベル。C#とかPythonを趣味でちょろとやってる程度。
年収は300万くらい。子供が産まれそうだから正直年収上げたい。
転職活動してるけど当然落ちまくり。こんだけ職歴あったらまあどこもとってくれない。大した業務経験がないのもネック。
VBみたいなレガシー技術じゃなくてもっと最新のやつに挑戦してみたいけど年齢的に挑戦させてくれる会社はなさそう。
稼ぐのって大変ね、絶望してます。エンジニアってもっと稼げると思ってた正直。
稼げない旦那でごめんよ。
殴ったら傷害。物を隠したら窃盗。持ちの物に落書きしたら器物破損。それらは単なる犯罪であって,イジメなんかじゃない。
これらの行為がおこなわれても,それが悪い事としてまわりから適切に非難され糾弾され加害者が罰せられれば,肉体的や経済的な被害はあっても,被害者の精神的にはそれほど大きな負荷をもたらさない。
これらの犯罪行為が,集団によって許容され,推奨され,あるいは加害に参加しないことの方が非難されるような状況になったとき,それをイジメという。加害が正当化されるその雰囲気こそがイジメなんだ。
この状況は,被害者の精神を徹底的に破壊する。誰も助けてくれないという絶望。自分の方が悪いのかという歪んだ自罰的思考。他人そのものを信じられなくなり,まともな人間関係も築けなくなる。
ブコメをくりかえすが,見て見ぬふりはいじめてるのと同じじゃない。見て見ぬふりこそがイジメなんだ。
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・基本パンに合うよう味付けされてるので米食って育った人間としては食事が絶望的に口に合わない
・ヨーロッパは物価が本当に高い。もやしとか1袋300円以上する
・月に2回くらい日本に帰りたくて咽び泣く
・勉強への意識が皆高い。「最近何勉強してる?」とか訊かれる。勉強してるのが前提。
・金曜午後に仕事を振ると露骨に嫌な顔される。締切は全然先でも嫌な顔される。
・酒屋に日本酒があっても軒並み甘口。しかもクドい。そして馬鹿高い。
・ラーメン屋が無い。あっても日本なら潰れてるレベルのクオリティ。一杯2000円~
・紙の本が買えない。電子書籍ばかり増える。輸入するなら本は重いので一冊1000円は送料を見る必要がある
・生活が不便過ぎて英語の勉強をついに始める。一日一時間で精一杯。周囲は四時間前後毎日してる。
・とにかく皆自己肯定感が強い。自信満々。凹んだ時は大っぴらに凹んでるアピールされる。ウザい。
・唯一挙げられる他ヨーロッパへの旅行がし易いという利点がコロナで国境閉鎖されて消滅
・医者の診断が雑。風邪くらいで薬が出ると思わない方が良い。それで1万円取られる。
金額感は任せてくれませんか ← 年商で10億とかの小さい会社
↑
どうみても金額感のすり合わせもなく まぁ むかしから100億の案件を10億で売られてしまうみたいな事故が発生する大企業をみてきて
金額は任せてくださいって 予算感もすり合わせず よく言えると思った 1兆円超える? その金額を役員でもなく 営業が? なんか 不幸だなって思った 個人事業主とか思われたんだろうな
あなたのところの新規事業 口先三寸 事業説明とかいっさいなく
酒も飲まない営業が 僕にまかせてください程度 まぁ 500万円でうってきたら すごいでしょ とかいうんだろうなぁと 絶望している 5万円以上で売れたらすごいでしょって言うつもりだったんだろう
営業を通すと 5万10万 フリーソフト0円を10万円で売りました 褒めて褒めてー それはそれですごいんだけど
あまりにも安く見られて その程度
舐められたらこんなもんだよ人間 いっしょう ゴミのような扱いを受ける 缶ジュース1本 もらってない
それを500万でうってきたら
そりゃぁ 僕にまかせてくださいぐらい 言うだろうなぁと
任せたら1円でうってもいいからね 抜き放題 缶ジュース1本おごって 飲んでもいない仲の相手に 任せろといえる すごいなぁとおもった これが 庶民
数年前、日曜日のおやつ時にマ○クで1人ぼんやりと外を眺めながらフルーリーを食べていると、隣に座った優しそうなおばあさんに、「それはどっちで買えるの?」と尋ねられた。
そこはカフェが併設されてる店舗で、普通のハンバーガーなどを買うレジとは別のカウンターがあって、ケーキやカフェラテなんかはそっちで買えるようになっていた。
「これはハンバーガーとか買う方のレジで買えますよ」とお伝えすれば、「そうなの。今度買ってみたいわ」とふんわり微笑まれた。
「数年前に独りになってから、週に一度ここでご飯を食べるのが楽しみなの」とおばあさんが微笑まれたので、「そうなんですね」と相槌を打った。
それで会話は終わってしまい、私はフルーリーを食べきって店を出た。丸まった背中でハンバーガーを食べるおばあさんの姿が忘れられない。
あれは60年後の私の姿だ。
そしておそらく私はあのおばあさんよりももっと寂しいだろう。
「数年前に独りになった」という言葉から推測するに、あのおばあさんには旦那さんがいたのだろう。
私は多分結婚しない。相手がいないし、できるとも思っていない。それは別にいい。結婚したいとも思ってないので。
ただ、あのおばあさんのように1人で生きて、週に一度のファストフードを食べる事を楽しみに生きていたいと思えない。
歳の差や平均寿命、病歴を考えると、父が先に他界するだろう。(考えたくもないけど)
広い家で1人過ごす母の姿を想像するだけで泣きそうになる。
母方の祖母の様子とか、基本的に馬が合わない(嫌いではない。喧嘩しやすいだけである。)彼女と私の性格を考えると、一緒に暮らすのもしんどそうな気はするが、それでも母を独りにするのは嫌だ。
だからまあ、独りでハンバーガーを食べる母の姿は想像しなくて済みそうだけれど、そうなると私はますます結婚なんて出来ないだろうなと思う。
田舎は結婚するのが早いので、独り身の30代40代なんて滅多にいないだろうし、いたらいたで何らかの問題がある人だ。(盛大なブーメランであることは自覚している)
だからまあ、生涯独身のまま、生を終えるのだろうなと思っている。
そうなると、私はあのおばあさんのように独りで生きていけるだろうか。
田舎なのでファストフードのお店に行こうと思うと車で15分ほど走らねばならない。無理だ。
年金がもらえる保証も無いし、今の仕事で貯金が出来るような余裕もない(これは私が趣味にお金をかけすぎているのもある。反省している)
仕事辞めて生きていけるだろうか。ていうかそこまでして生きていたくない。
私が今生きているのは産んでくれた両親より先に死ぬのは申し訳ないし…というのが結構大きい。
その次に趣味とか友人とか、生きてて楽しい事があるから生きている。
上にも書いてある通り、結婚願望がない。恋愛への興味もない。家族がいれば、その人たちの為に生きたいと思うのかもしれないけど、今の私にはその人が両親で、多分両親以外のそんな人はこれからも現れない。
なので両親を看取ったら、頑張ってまで生きなくても良いんじゃないかと思っている。
でも別に自殺したい訳じゃない。痛いのも苦しいのも嫌だし。自殺したら姉家族に迷惑掛けそうだし。
多分私が60になる頃には、親はもう他界しているだろう。そうしたら1・2年仕事頑張ってお金貯めて、ちょっとだけやりたい事やって、色々準備をして、安楽死できる国に行きたい。
日本も安楽死できるようになったらいいのに。税金無駄遣いしなくて良いし、メリットでは?
追加
思ったより反応があってびっくりしました。
同じような感覚の方もいてちょっとホッとしました。気になったやつにだけちょっと返信します。
→たしかにおばあさんは可愛かった。日々の中で楽しみを見つけ出してるのすごく素敵。ただ私があのおばさんの立場になったらそう考えられず毎日寂しいんだろうな、と思って辛くなった。
→他人を安楽死させるつもりは毛頭ないよ。両親には長生きしてほしいよ。自分で自分の事をやれる間に全部身の回り片付けてしにたい。「私が」しぬときの選択肢に安楽死がほしい。
欲しがってるのは単なる自殺
→まあ死にたいと言っているのでそうなるんだろうな。自殺したいわけじゃないと書いたけど、今すぐ死にたいという意味での「自殺したい」ではなく、「生きるために生きていたくない」と言えばいいのか。説明が難しいな。元気でわがままで若い人に押し付けがましいこと言って生きていける年寄りになりたくないからそんな人になる前にしにたいんだよ。
あと今ですら歩いて15分のところにあるファストフード店に行こうと思わないのに、わざわざ無料のバスに乗ってまでファストフード食べるのを週一の楽しみに出来るような70.80になってると思えないの。
家族に話してみたら
→2人流産したのにそれでも頑張って妊活してやっとの思いで生んで、好きなことができるようにとお金を貯めてお金をかけて育てた子どもに「あなたたちを看取ったら結婚もせず死にます」って言われたら絶望しません…?恥ずかしいというより申し訳なくてそんな話は出来ないかなあ。親を看取ったあと殺してくれる人がいないから安楽死を選びたい。
→ 未来のコンテンツ(隣の席でフルーリー食べてる人)を見るまでそんな食べ物があると知らなかったコミュ障の私が、隣の席の若い人に「それはどこで買えますか」って聞けるだけのコミュ力と、フルーリーを楽しめるだけの金銭的、身体的余裕を持てると思えないから、楽しめる余裕があるうちにしにたい。
コメント見てて気付いたのは、
父方、母方両方の祖父母が(少なくとも1年以上)看護(or介護)されながら亡くなったを見ているので、「死ぬ間際まで健康体でいる自分」が想像出来ないというのも早いうちに死にたい願望の原因の一つかなと思いました。
ベッドの上で何にも興味を持つことなく、ただ最期まで生きるために生きてるのを見て「私はそこまでして生きたいと思えないな」と思っていたので。多分祖父母には子供がいて、孫がいたから「生きる理由」があったんだろうけど、誰かと結婚するどころか恋愛する気も今のところない私にとって、自分の事を他人にやってもらってまで生きたいと思える理由は無いので、人生を楽しんでる内にしにたいなという話です。
長くなってしまった。最後まで読んでくれている人がいたらありがとうございます。
絶望に打ちひしがれた人にとってはこの世は煉獄、希望に溢れている人にとっては天国だ。増田に見えている世界と、その他の人の見ている世界は同じだが全く異なるということだろう。
進撃の巨人のアニメを見ているのだが、今までに主人公のエレンが2回ほど自分のふがいなさに絶望し自嘲するシーンがある。
しかしアメリカでのリアクション動画や、掲示板での反応を見ると、わざわざエレンの自嘲行為について大量の説明コメントがついており
「これが彼の感情表現なんだ」とかいちいち説明してる人がいるのだ。
一応言っておくと、そういった説明を聞き大半のアメリカ人はエレンのその行動を理解しており特別荒れているわけではない。
しかし単語を使わずに、どのような感情表現なのかを説明しなければならないほど、ということは自嘲という感情表現そのものが一般的ではないと思える。
ここには年に1回くらい殴り書きしてるんだけど、史上最大に気持ち悪いおじさんの自分語りになってしまった。というか長すぎ。誰が読むんだ、これ。
自分は33歳、妻と未就学児1人の計3人で、人口100万人以上のそこそこの地方都市に暮らしている。
会社は子会社系のSIer。新卒で入った。これがまあ、ネットでよく馬鹿にされるような典型的な時代遅れの会社だった。
正直、入社時は「エンジニアとして働く」「会社の安定性」の両方が満たせそう、ぐらいの浅はかな考えだった。で、実際のところ大企業である親会社の盾もありまあ、安定していた。競争原理が働かず仕事は嫌でも降ってくる。給料は年功序列で上がっていき、昨年の年収は大体月20時間の残業で600万だった。世間的にはそこまで高いとは思わないんだけど、この会社の外での自分の市場価値を考えれば高いと思っている。
一方でエンジニアとしてはそりゃもうひどい環境だった。10年前に入った頃から使っている技術も会社としてのマインドは何ひとつ変わらず現状維持がモットー。口では「子会社としての安全神話は終わった」「DXだ」と言っているが、行動が伴っていない。
こんな環境に危機感を覚えないわけがなく、数年前に転職活動をしてみた。その頃はこっちに有力な求人は無く、とにかく東京の求人に応募していた。その結果、有給ぶっ込んでの日帰りで東京に行く過酷な面接に力尽きて断念した。というのは建前で、チャレンジすることにビビってたのかもしれない。本業であまりにも技術的な取り組みがないのでプライベートでプログラミングしたりWebサービス作ってみたりしてたけど、それも趣味程度の取り組みで「今からじゃ遅いんじゃない?」と自分でブレーキを踏んでいたんだ。
そんなこんなで「まだ今の会社でできることがかあるはずだ!」と自分に言い聞かせて続けてきた。結果、市場価値が上がるような仕事は何もしていない。自分なりに新しい仕組みを取り入れてみたりはしたけど、それだって会社にインパクトを与えるもんでもないし、Qiitaのやってみたレベルかつ今ではレガシーな技術たちだ。
「SIerはPMになるしかない」なんてよく言われるが現職のPMは協力会社に見積と作業ぶん投げて、死ぬ程使いづらい社内ツールに決められた進捗項目を入れていくだけの仕事。あれで「PMできます」なんて言えない。
それで昨年立ち上がった超大型プロジェクトが外部NWから遮断されたオンプレのサーバーで、自社製フレームワークを使い、IE11"を"ターゲットに開発されることになってふと思ったんだ。
「このままGitHubもクラウドもDockerもBacklogも使わず、(自称)エンジニア人生が終わるんだろうな」と。この会社での人生があと30年も続くのかと。
個別の技術に思い入れがあるわけではないんだけど、やっぱり技術で課題解決したいと思って入ってきた世界だからさ、会社の前例やルールじゃなくて、合理的で先のある技術を使いたいんだ。
結局、転職を思い立った数年前から業務外での勉強をやめることはできなかった。でもこれは何のためにやってるんだろうな。本業ではクラウドもWebプログラミングも、アジャイル開発手法も求められていないのにね。虚しさが募ってくる。いっそのこと本業が完全に別の業界だったら良かったのに。(実際別業界と言っていいレベルだけど……)
じゃあ転職するの?20代で「今さら」と言って止めたのに?それこそ今さらだろう。コロナ流行によって東京本社のフルリモート勤務求人が劇的に増えた。もう少し若ければ追い風だったかもしれないが、社会人10年を超えたおっさんが、新しい会社どころからフルリモートなんて環境で働けるのだろうか。あ、もちろん現職はバリバリ出社。シンテレワーク頼みのVPN環境はあるけど社内ルールとかいろいろあって無理なんだって。
年代的には技術とリーダー経験がそれなりに求められるんだろうけど、これまでの経験ではとても満たせそうにない。本業ではレガシーなシステムの保守でそのほとんどが業務よりの仕事でなんちゃってPMやってただけ。独学の開発経験なんて昨今問題になっているプログラミングスクールと大して変わりないだろう。
転職サイトではベンチャーとかから声かけてもらえるけど、まともなエンジニアと話するのがもう怖い。
思考がネガティブな方向にしか向かない。こうなったらいよいよ腹を括って現職にしがみつくしかないんだろうか。しかし、ここまで会社への不満を溜め込んでしまったら、今後若手の取り組みに苦言を呈する老害になる未来が見える。
現職を続けてよかったことと言えば今の家族を持てて、(今のところ)無理のないローンで家を買えたこと。子供は一人で確定だし、子供が小学校に上がるくらいには妻も時短解除で普通に生活はしていけるだろう。
安定を求めた結果が今なんだけど、仕事への不満抱えながらあと30年耐えること考えるとめまいがしてくる。(あと10年もしたらそんな不満も忘れて老害化してる可能性もあるけど。)一方で無能おじさんがこれから新しい会社で活躍する未来は思い描けない。
よく歌詞に「思い描いた大人にはなれなかったけど」とかあるじゃん。あれ、子どものころは芸能人とかスポーツ選手とか、そういう人になれないって意味だと思ってたけど、実際は自分の仕事に誇りを持てず。ただただ惰性で生きる人のことだったんだね。立派にエンジニアの責務を果たしている人たちが雲の上の存在に感じるよ。
今後の人生で一番若いのは今この瞬間で、悩んでる暇なんか無くて行動するしかないんだろう。というか実際のところ現職が自分には合っているんだろうが、理想とのあまりのギャップがとてつもなくしんどい。悩むのをやめたい。もう労働を捨てたい。
【追記】
便所の落書きのつもりで書いたら自分のTLにまで流れてきてビビった。
共感してくれる人も多くいて、なんだかんだ優しい人が多いよね。
みなさんのコメントはどれも正論だと思って読ませてもらってるけど、思ったことを追記してみる。
今後定年が伸びることとかも踏まえれば、それはそうなんだと思う。というかこの記事で「年齢がネックになっている」を全面に出してしまったのが悪いんだけど、自分自身問題はそこじゃないことには気付いてるんだ。
コメントの中でもいくつか指摘があったけど、要はマインドなんだ。これに尽きる。
やってみる勇気、前向きな思考、フットワークの軽さ。このどれもが自分には欠けていている。だから理想(に見える)会社やエンジニアが眩しく、現職に不満が募る。
思考をアップデートしようと『嫌われる勇気』とか『このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法』とか読んだんだよ。内容は理解できるし、そのとおりと思うんだよ。でも動いてないんだ。
この記事含めて動けない(動きたくない)理由を並べて溜飲を下げてるだけなんだ。
昔から何となく気付いてはいたんだけど、ここまでネガティブな人間だと思わなかったよ。妻にも子供にも申し訳ないよ。
それはそうなんだろう。それをやってないのは実際のところそこまで技術に振り切るほど技術を愛していないし、あと自分に能力が無いと卑下しているからなんだろう。
と、またやらない理由を並べて終わりなんだ。
これは理解している。だから得も言われぬ焦燥感に駆られている。
永遠に現職の環境が変わらない、なんてこと無いのはわかってるけど仮に数年後DockerやらGitやらが入ってきたところで、またその時点で世の中から遅れになっていると思う。それが新しいプロダクトなのかアーキテクチャなのか開発手法なのかは分からないけど。
具体的なプロダクト名を挙げたのがまずかったのかもだけど、レガシーだから悪いとか、最新の技術を使いたいとかよりも、これまでの10年で見てきた現職は柔軟に新しいものを取り入れられず一方で口だけはご立派、という会社文化そのものが問題だと思っていて不安を感じている。競争原理が働く市場にいたら、自然淘汰される存在のはずなんだと。
・年収について
高いのかな?いや、平均年収とか中央値とか見たことはあるけど実生活上で高い実感はまるでない。
東京基準で考えたらは恵まれているのはなんとなくわかるけど、地方と言ってもそこそこ人口いるので都会の人が思う”地方”ほどの基準ではないと思うよ。
我が家は妻が時短中というのもあるけど、買った家は小さい建売だし子供一人が妥当かなと思う。有名メーカーで注文住宅建てたり市街地の高層マンション買う人たちはどんな層なのかが気になるよ。
https://anond.hatelabo.jp/20181125145307 を書いた増田です。2年半前、2年半のセックスレスぶりに妻とセックスをし、それから2年半近く経ったのでちょうどよい区切りかなと思って。
いや〜計5年か。。いまのところセックスレスとの戦いと不安がオレの30代の大部分だよ。。
前と同じく「セックスレスで離婚した」とか「別れたい」という話ばかりなのでこんな例もあるということが誰かの希望にもなれば幸いです。この記事の内容(他人のセックス)をねたんだり憎んだりする気持ちもわかるので本当に辛い人は読まなくてよいです。
あれからはおおむね3ヶ月に一度くらいのペースで妻としています。短い時は月イチ、長い時は半年あいてた。
ペースについてはオレも年をとったのかなぁ、まだ35なのに1~3ヶ月に1回できればそんなに不満じゃなくなってしまった。。
する機会がレアなこともあり、始まると毎回じっくり2,3時間は熱中してしまうので翌日が休みじゃないとする気になれないのも加齢を感じる。。
未だに誘い方はわからない。。。
ふだん一緒に寝るときにそういうムードになるのは稀で、お互い寝付けない夜や旅先でいつもと違う寝間着や浴衣で触り合ううちに…という感じ。
ふだんの生活ではぜんぜんセックスの話をしない(だからこそするときエロいが…)し、やっぱり妻に性嫌悪ぽいところはあるし、長い時は半年ぐらいしてなくてまた数年のレスに突入するんじゃないかと不安なときもあった。
付き合い始めや新婚の頃のように週に何度もという頻度には戻らなかったし、レス認定される月イチも下回っているが、以前のように「好きな人に受け入れられない絶望が一生続くんじゃないか」という不安はだいぶ薄らいでそれなりに希望が持ててはいる。
ほんとにたまにだけど相手から誘われないとかで暗い気持ちにはなるし、失った自信は取り戻せてなくてセックスをリードしたり新しいプレイに挑戦したりはできてないけど。。
レスの前からだけど子どもはつくらないことにきめてる。毎回避妊してる。
子作りしない家庭だからこそ理由がなくてレスになっちゃうのかも…と思ったりもしたが、いまはポジティブに「子どもは作らないのに快楽のためだけにセックスしている」と思って勝手に興奮してます。
むかし増田で指摘されたレス理由の、増えた体重は戻したあとちゃんとキープしているし口臭もケアを怠ってないよ。
赤子がいつまでも赤子のままとおもってんの?
来年には歩いてしゃべってるよ
あと赤子のADHDは診断してくれるところがそもそも存在しない
ただし疑いはもっておけ 若いママ自身のこれからの人生設計にかかわる時期なんだから
はやいうちからいろいろしらべればいくらでもやりようがあることがわかるだろ
響きだけでもうなんかお先真っ暗感あると思いません??
なんと!弊増田の現状です!
そして~~~~~~~?????なんと~~~~~~~~??????
この度見事派遣切りにあいまーす!!!派遣会社から通達来ちゃいました!
コロナが理由らしいですが、大手企業にありがちな定期人員整理で「居なくても大して困らない」ポジションとして見事この任務を預かる運びとなりました!イエーイ!!!
4月から無職になる可能性を大いに秘めた増田に罵倒雑言憐れみ嘲笑がございましたらぜひコメント欄にどうぞ!!なおスピリチュアルなお言葉はご遠慮願いまーす!!!
正直ライフイベントに期待できないから人生終わらせるのも視野に入れてるけど、とりあえず転職活動…だな…生きてていいか分からないけどな…
これらは心の病のサインの一部だが、フェミニズムや保守思想はこれらを「そういう思想、運動である」と誤魔化してしまう効果を持つ。
たとえばだが、低賃金と過疲過労で弱り、世界に絶望いてうつ状態になりかけている人間にフェミニズムや保守思想は音もなく滑り込み、自分が生きづらい原因は男性特権だったり、在日特権のせいだ!と誤った怒りの矛先を与えてしまう。誤った矛先ばかり見て、鬱屈とした気分をもたらす真の原因、たとえば過労だったり低賃金だったりというものに向き合うことを難しくする。
菅首相の息子、東北新社社員の菅正剛氏が総務省幹部官僚を高額接待したとして国会で集中論議されている。追及する野党議員はかつての大蔵省官僚接待汚職事(いわゆるノーパンしゃぶしゃぶ)件以来だと糾弾する。週間文春記事には秋本芳徳・情報流通行政局長が菅正剛とみられる男性から賄賂を受け取り頭を下げられ見送られている姿の写真が掲載され、あろうことか録音された会話内容が公開された。これにより、秋本局長は虚偽答弁の疑いが強まりNHKにおいても全国ニュースで再三これが取り上げられている。また内閣広報官の山田真貴子氏も高額接待がなされた。山田真貴子氏といえば、NHKのニュース番組にて菅首相に日本学術会議の任命拒否問題について明確な説明を求めた件について、電話にて圧力をかけた疑いが報道されている。
私はある基礎科学分野に従事するいわゆる任期付き研究者である。基礎的な学問は社会にとって役に立たないとされ、安倍・菅政権下では徹底的に蔑ろにされてきた。大学では裁量にゆとりのある国交金を急速に減額させられており、競争力のない大学は弱体化の一途をたどり、就職支援学校となり下がった。大学の経営に竹中平蔵のような政権与党のお友達も浸み入ってきた。菅首相は国会にて大学研究者による"国会"ともよべる日本学術会議を既得権益と糾弾した。このように書くと、アンチ自民のように思われるが、私は世代的にはちょうど民主党政権下で行われた事業仕分けによって、危うく大幅予算削減にあいかけた日本学術振興会にて特別研究員として従事していたこともあり、その流れをくむ立憲民主や国民民主は支持できない。維新・ファーストは論外。いわゆる任期付き研究者の救済指針を明確にし、また露頭に迷う高学歴ワーキングプアを大量輩出した大学院重点化を失策として反省する旨を述べている日本共産党を支持する。党員ではない。国会中継はいつも見ている。支持政党を宣言できるのは現実・インターネット含めておそらくはてなアノニマスダイアリーだけであり、感謝申し上げたい。
以下は個人的な分析に基づくものである。ほぼ無根拠に等しく随筆に過ぎない点を詫びたい。また全くまとめるつもりもなくとりとめもなく書いている。
安倍・菅を支持せざるを得ない人とはどのような人たちか。(1) 政府系予算にてほぼ直接首をつながれ自民党を支持せざるを得ない人々、(2) アベノミクスによって益を得た大企業・あるいは傘下企業に就職した人々・あるいはその親族・配偶者、(3) カルト的に安倍・菅なるものを狂信する信者、である。
(1) には学校や役所など税金によって経営されている機関に勤める非正規雇用職員が多数含まれる。たとえば学校であれば常勤・非常勤講師、役所であれば派遣委託金も税金から。そして私のような大学に勤める任期付き教員、ここでは他にも触れられない多数の人たちもいる。
(2) 大学はもはや多数学生にとっては就職予備校に過ぎず、3年生になればインターンに参加するのはもはや常識と化している。学生が卒論や修論にかける時間など研究室に配属された全体の時間からすればほんの一部に過ぎない。実験やフィールドワークが重要な分野にとっては学生の研究活動・成果は重要な資源であり、全く無視することなどできない。リーマンショックにて極端に就職率が下がった時代に大学院に一時避難しその後企業の状況が良好となり一般就職した優秀な学生も多くいた。彼らが研究室・分野に残したレガシーは未だ活用されているし、彼らの中には今戻ってきても通用するであろう人もいまだ多数いると思っている。あれ以降、そのような時代は訪れていない。もしかしたら、新型コロナで不況になってしまった今、再び大学院は一時避難先となるかもしれないが。
アカデミックに身を置く私から見れば、安倍・菅はどうやら学問というか大学に対してコンプレックスというか憎しみに近いような感情を抱いている点はもはや間違いないだろうということが推察される(安倍氏はかつての家庭教師や大学時代の恩師からもダメ出しされている。)。非常に優秀な人たちが何だかよくわからないこと(基礎的な学問)にエネルギーを費やすことが無駄にしか見えないのかもしれない。こうした感情は多くの国民がシンパシーを感じているという点は見逃せない。日本学術会議の任命拒否問題はこれまで国会が定めてきた法の解釈に反するという一点が本質であるにも関わらず、問題は菅によってすり替えられた。つまり、学術会議の在り方に問題があると指摘し(既得権益だそうだ)、これになんと国民の半数以上がそうだと思っているとの世論調査が出た。(問題のすり替えという点が実にアンチアカデミックらしい思考だという皮肉も込めたい。)(ところで、全く非論理的あるいは違法ともいえる手段は安倍・菅政権で何度も取られてきた。安倍氏が自身の公職選挙法・政治資金規正法違反による逮捕を恐れ、当時の鑑定の守護神でもあった東京地検検事長黒川氏を違法に定年延長させようとしたのもそうだ。)
国民には学問が何か役に立つものだとは信じている人はそれほど多くないのが実情である。そんな20年も30年も時間をかけなければ芽が出るかもわからないことに税金を費やすくらいなら苦しい自分たちを救ってほしいのである。これが実情。だからアベノミクスのおかげで就職できたお子さんを持つ親御さんや祖父母さんは安倍を支持せざるを得ないだろう。個人的には東日本大震災のような日本に深刻なダメージを与えた地震や津波といったことを研究しているような地質学・地震学・あるいは地球流体といった分野や、ここ毎年のように繰り返される豪雨や台風による被害を予見するための気象学といった分野に、ごく少数の研究者しかかかわっておらず、むしろ次から次へと研究室が畳まれている深刻な事態に誰も何も言わない(言えない)ということに、絶望以外の感情が持てないというのが率直なところである。あるNHK特番で東北を襲った過去の津波から教訓を得ようとする名誉教授の先生が自らフィールドワークで沿岸を歩いて地層を見ていると聞いたときは膝から崩れるような思いになった。(当然だが津波や地震の研究者がいないわけではないと思っている。)これらの分野は地学の1分野とされ、役に立たない理学の一分野とされている。国民の大多数がこんな見方だろう。これ程に基礎学問を蔑ろにする政権がイノベーションだの科学技術立国などのたまうのだから滑稽極まりない(ちなみに私はもっと無駄であろう分野の研究者である)。いずれにせよ、大学院博士課程で教育を受け学位をディフェンド(審査だから自分の主張を守るのだそうだ)することが一流企業に就職する最低ラインと正しく認識されているアメリカ合衆国・ヨーロッパ・中国や台湾には追いつくことは二度とないだろう。一生彼らが最先端で開発するスマートフォンなどの端末やウェブ技術を使い続ければよいと思う。自動車だけが最後の砦になるのだろう。それもいつ世界の最先端から取りこぼされるのか。
トランプ政権の4年で良心を失ったことを顧み、バイデンを選んだアメリカが心底羨ましい。強いネガティブを避けるためにバイデンが選ばれた、という向きも否定できないが。やはり自分たちでリベラル(自由と平等)を勝ち取るという気概は失われていないと感じた。そしてアメリカのリベラルには非常に豊富な経験がある。この点が日本とは大きく異なる。日本が自民党を拒むときは、いつも不況だった。バブル崩壊後・リーマンショック。そして新型コロナでも非常に怪しいわけだが。このような積極的でない背景による政権交代しかなく、自分でドライブする準備が出来ていない野党が突然与党になってもなかなかしんどいのである。民主党政権はうまくいったとは言えない。国民も自分たちでリベラル的なものを獲得してやろう、という気概は持てないのである。何より、経済的・精神的にゆとりが持てず、いつ派遣先から切られるかもしれない恐怖と不安、巨大な大企業に庇護されているという虚栄ともいえる安心感が強く、社会全体を根幹から支えようとか社会的弱者や虐げられてきた人たちに目を向けようとか、つまり社会福祉や学問・教育に社会として注力して、たとえ遠回りであっても国全体の再生を目指そう、という気にはなれないのである。自分には介護対象の親や祖父母がいるから、とか女性であるとか、小さな子どもがいるとか、それらと家庭の経済状況を計りにかけている人もいなくはないだろうが。なにせ、かくゆう私も任期付きでいつ首を切られるかわからない立場である。そんな者が来年度予算の財源を握る政権与党を支持しないで大丈夫なのか、と思われそうだが、全くの事実。実は私も政権与党に首根っこをつかまれている人間の一人に過ぎない。だが、ここは増田。私がどこの誰かなど特定することもできない。だから、これから数十年先の日本が絶望的状況でしかないと言っているのだ。目を覚ませ、国民よ。
おっさんが飲み会で真実の愛について延々語るだけなので、哲学書の入門編にいいんじゃないかな。楽しそうにしてるおっさんはいいぞ。
どうしてフィクションで人は感動するかについて述べた本の走りで、後半は散逸しているんだけど、カタルシスについてはなるほどなあ、とは思った。作家になりたいんだったら普通にハリウッドの三幕構成の本を買ったほうがいいかもしれないが、この読書リストを読んでいる人は実用的な知識よりも読んでいて楽しいかどうかを求めている気もする。
読もうと思ったまま長い時間が過ぎてしまった本で、まだ読めてない。アウグスティヌスが若いころややりたい放題やっていた時期のことも書いてあるらしいので、宗教書として以外にも楽しめるんじゃないだろうか。
塩野七海がエッセイですごく推していたから読んでみたけれども、普通に面白い。例えば、中途半端に生かしておくと復讐されるから、いっそとどめを刺しておけ、みたいなことが書いてあって、優しいと人から言われてしまう自分には大いに刺激になった。ところで「孫子」もそうだが、戦争や政治学について書かれた本はたいてい「そもそも戦争は大悪手で、戦争になる時点で何かやらかしてる」という趣旨の言葉があり、全くその通りだと思う。
未読なんだけど、結婚とはある種の契約なんだから、まず処女と童貞がお互いに裸を見せ合ってからだ、みたいなディストピア的な描写もあるらしく、ディストピア文学好きの人は楽しめるんじゃないかな。あとは非モテ界隈の人とか。実際、完全な平等な社会を目指そうとするとどっかしら歪みが出るもので、それについて考えるのにも使えそう。
自然科学的な考え方、ロジカルシンキングのマニュアル。長くないのですぐ読める。得るものがあるかどうかはわからないけど、逆に普段している論理的思考がそもそも存在しない時代があったことは、実感しておくと歴史を学ぶ上で面白いかも。
平凡社の上巻を読んで挫折。純粋な理性っていうけれども、ヒトの心にはデフォルトで時間とか空間とかの枠組み、基本的な概念が組み込まれているよね? 的な話をやたら細かく述べていく内容だったように記憶している。長いので三行でまとめたくなる。
この本に限らず、いくつかの哲学書は「この本さえあればあらゆる哲学的論争をおしまいにできる」「この本からあらゆる結論が導き出せる」的なスタンスで書かれたものが多い印象。
エヴァヲタなら読まなきゃという謎の義務感から読んだ本。要は、どうすれば自分を信じることができるか、について語った本であったような気がする。自分は救われないだろうという絶望から、それでも神を信じるという境地に至るまでの道筋を延々と語ったようなものだった、はず。
自分は特定の信仰を持たないが、どうせ自分なんてと己を見捨てた境地から、まあ自分は自分だよね、的な気分に至った経験がある人が読むと楽しめるだろう。
「善悪の彼岸」と「ツァラトゥストラはかく語りき」なら読んだ覚えが。自分はカトリックの中高一貫校出身であったせいか、キリスト教思想にある欠点を指摘したこの本を面白く読んだ。キリスト教になじみがなくても、たとえば来世があると考えることで現在を生きることがおろそかになるといった指摘は、興味深く読めるんじゃないだろうか。あとは、増田で定期的に出てくるルサンチマンがどうこうとかいう話が好きな人にもおすすめ。マッチョぶってるところはあるが。
新潮文庫の「夢判断」「精神分析入門」「トーテムとタブー」「一神教の起源」なら読んだ。フロイト自身はヒトの心を脳から探りたかったらしいのだけれど、当時はMRIやら何やらはまだないので対話式の治療法を導入したらしい。
彼の理論は今となってはツッコミどころがたくさんあるのだろうけれど、クラインだとかビオンとかについて触れるなら頭に入れておきたいし、心理学特にパーソナリティ障害について読むなら知っておきたい。自分はフロイトやアドラーよりもユング派だが。
ラブストーリーの「ナジャ」だけ読んだ。謎めいた女のあるある的な話だ。
「論理哲学論考」だけなら読んだ。これもカントみたいに「俺が哲学のくだらない争い全部終わらせてやる」的な立場で書かれている。定理がずらずら並んでいるだけで、余計な表現がなく、簡素。
ただ、言語の限界について今の人が持っている感覚ってのは大体この時代の人が言っていたことだった気がするし、そういう意味では面白いんじゃないかな。この辺は数学ともかかわっていて、ペアノとかゲーデルとかヒルベルトとかその辺興味があったらいかがでしょう。
ちなみにウィトゲンシュタインがポパーとの議論でキレて火かき棒を振り回したヤバいやつだというのは哲学界隈では有名らしい。
シン・ウルトラマンの予告編でちらっと映っていたので読んだらいいかもしれない。
この本そのものは未読で「悲しき熱帯」ともう一冊なんか専門書を読んだことは覚えている。面白かったエピソードの一つは、ある民族は身分を入れ墨にするんだけど、入れ墨のない人間(白人たち)を見て面食らう。要するに身分証明書を持ってないようなものだから。
定期的に異民族と共に暮らすドキュメンタリーが読みたくなる性分なのだが、それはたぶん、自分のやり方や考え方が絶対じゃないってことをよく教えてくれるからで、これも本を読む効用の一つだろう。趣味なので効用なんて本当はどうでもいいが。
面白い。僕自身のスタンスとしては、日本人が海外で誤解されていることを批判するんだったら、自分も外国に対する偏見や無知を減らそうと努力するのが筋だと思っていて、それの理論的な補強をしてくれた本。身近に外国人の多い環境ではないが、すぐに役に立たないからと言って読まないというのはなんか違うんじゃなかろうか。自分はイスラーム世界やインドについて、どれほどわかっているのだろう?
どっからがいきでどっからが野暮なのか、直方体を使った図があった気がするが忘れた。
「遠野物語」しか読んだことがないし、それも「マヨヒガ」のことしか覚えていない。
自分が現代思想に出てくる名前がわからなすぎて最初に読んだ本の一つ。四コマ漫画だがかなり本質をとらえており、いしいひさいちの本業は何だったのかよくわからなくなる。素直に笑っておきましょう。勉強ってのは楽しみながらするもんだ。
上のリストでは省略した20世紀哲学者が実名で登場するミステリなんだけど、フーコーがサウナで美青年とイチャイチャしたり、七十年代の音楽を聞きながら薬をキメたりしているので、現代思想だのポストモダンだのをかじったことがあるならおすすめ。著者がやりたかったのは、たぶん上の世代の脱神話化というか、強すぎる影響の破壊なんだろうけれども、ここも素直に笑っておくのがいい。
以上。