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はてなキーワード: 評価とは

2019-03-25

悪意を持った相手に対してはどうしようもないので無視する

自分がどんなにベストを尽くしたとしても

こちらに悪意を持った相手に対しては為す術もない

嫌われないようにしても無駄

嫌われると自分否定された気がして自分価値が無いように感じるとしても

それはまんまと相手の術中にはまったことになる

自分自身の評価自分で決めること

他人から評価されたとしても参考程度にすること

2019-03-24

ブラックIT企業を辞めました

新卒で入った会社を辞めました。

自分ブログもあるものの、退職日記はてなに書こうと思っていたので、書いてみます

みんな大好き、ブラック企業レポートです。

地元独立系SIer中小企業という表現が、この会社に最適な表現だと思います

売上のほとんどは、地元本社がある大企業が「地元を使う」という方針により案件をくれることで発生しているものでした。

私には「その大企業システム開発をしたいな」という希望があったため、入社しました。

まぁ、ブラック企業だったんですよね。

残業代が出たら1年目で年収1000万を超える」と表現したら、見事に言い表せていると思います

だいたいは日付が変わっていました。入社日はとても優しかったので、23時という早い時間に帰らせて頂くことができました。

番長い日では6時から4時まで働いており、1時間だけ気絶してから出社するという感じです。もちろん残業代は完全ゼロです。

それだけの時間入社したばかりの新人が一体何をしているのか。

そこまで仕事が多いわけがない、お前の仕事が遅い、無能ではないのかと思う人もいるのではないでしょうか。

それがですね、仕事と言えるものは何もしてないんですよ。

仕事、開発をしているならまだマシだったろうなと思いますね。

現実は、新人研修を受けて学んだことに対する「報告書」を延々と書き続ける、ただそれだけです。新人研修の内容は、外部の研修に放り込んだ方が圧倒的に先進的で実践的なスキルが身に付くであろう、非常に退屈なものでした。

文系出身プログラミングのプの字も知らない人向けに、C言語ハローワールドを書こうとかそんな感じの内容が新人研修ですね。

報告書の報告先は、社長です。

毎朝社長相手に報告会をします。

この社長は少しでも気に食わない内容があるとブチギレるため、研修担当社員新人1人につき担当1人)が怒られないことを目的に、徹底的に書き直させ続け、日付が変わります

社長のこういったお言葉によりこういった気付きがありました、本当に有難うございます」と、意味不明なことを書いたりしていました。

とは言えこ社長、その日の気分で言うことが180度変わるし、知識もイマドキのIT大好き大学生以下です。

報告書の内容に正解など存在せず、どんな内容のものでも理不尽にブチギレます。そのために研修担当社員は、見えない正解を目指し、少しでもマシになるよう、延々と書き直しを命じます

私はこの書き直しにゴールが存在しないことを察し、「ずっとスマホ弄って遊ぶ」という抜け道を見つけました。

残業代が出ないのですから仕事ではない、つまりサボりではありません。担当社員限界を感じたら帰宅OKになります。他の同期入社はずっと頑張って書き直していたように思えます(もしかしたら私同様に抜け道を見つけていたかも知れませんが)。

また社長性格も非常に陰湿で、新人のうち1人にネチネチと粘着し、クッソどうでもいいような内容にひたすら突っ込んできます

良く言えば、気に入った人をより成長させようと頑張っているのかも知れません。でも現実はただのパワハラいじめ状態ですね。

これでも孫が生まれたことで温厚になって来たらしく、「昔は怒声とともに灰皿が飛んでいた」という話を、30代40代社員からはよく聞きました。

私はこれ、孫の存在関係なく、時代が変わったことで流石に手は出せなくなっただけなんじゃないかと思っていますケド。あ、私はターゲットになることはありませんでした。

同期のうち、やたらとやる気あるタイプが2人いたので、社長はそっちに気を取られていました。ちなみに社員による社長あだ名は「キムジョンイル」です。

私の1年あとに入った世代だと、胃に穴を開けて吐いて辞めた人がいました。しかも気の毒なことに女性だったと思います

"思う"というのは、新人はほぼ全員3ヶ月以内に過労で辞めるので、穴が開いたのが誰かあまり覚えていないからです。もしかしたら、同時期に辞めた別の男性が穴を開け、女性普通に過労で辞めただけだったかもしれません。確かなことは、入社3ヶ月以内で1人、穴を開けて辞めた人がいることです。

どちらにせよ、この世代(私より1年あと)は、1年経つ前に、1人を残して皆過労で辞めました。

また毎朝始業前に「会社駐車場ポールを下げる」とか「掃除(中も外も)」とかも新入社員仕事でした。もちろんサービス出社です。

中小企業と言えども、地元大企業地元のよしみで仕事をくれるため、売上はそこそこ安定しているようで、小さいながらも自社ビルを建てることができました。

ビル管理会社を入れる規模ではないため、メンテナンス新入社員仕事になったわけですね。4時にポールを上げて6時にポールを下げるその行為に何か意味があるのか、私には理解できませんケド。

私は同期入社がいて、なぜかみんな1年では辞めなかったので、週交代にすることでかなり負担を軽減できてマシでした。

多くの世代では「自分以外みんな辞めた」という状況になるため、サービス出社の頻度が高くて大変そうです。

1人辞めると連鎖反応でドドッと辞めますよね。全員辞めて絶命する世代がいないのはわりと不思議です。

私は毎日出退社時刻を分単位ノートメモし、特に帰社時には親へ「今から帰る」とメールすることでデジタル証拠も残し、辞める時は全部請求するんだと同期と話をしていました。

同期はこれにより私を「ヤバい奴」と認識したらしいのですが、法的・権利的には、私は正しいことをしていると思います

こんな会社をなぜすぐに辞めなかったのか。結局、時間と金ですね。

大学には奨学金を借りて行ったので、すぐに仕事を辞めてしまうと本当にお金に困ってしまうわけです。買いたいものも多かったですし、せめて1年は耐えて少し貯金を作ってからと思っていました。

あと、これだけの時間サービス残業していると、新しく就職活動する時間がないというのもあります。仮に時間があったとしても「もう就活はやりたくない」というのもありました。

一般的によく言われる「3年は続けろ」は、あまり気にしていませんでした。

「すぐ辞めると、すぐ逃げると思われる。3年頑張ることで、逃げる奴ではないと評価される」と言えば、たしかにその通りかもしれません。

でも「さっさと見切りつけて辞めろよ、貴重な時間を3年も捨てるな」というのも、やっぱりその通りです。人によって考え方が変わります面接官がどう思うかなんて、運ですよ。

さてさて。

1年は耐えようと言いつつ、3年以上も勤めました。具体的に何年かはあえて割愛します。

それだけの期間なぜ続けることができたかというと、会社仕事をくれる大企業に「客先常駐」で出向となったのです。

日本中小IT企業あるあるの、合法的人身売買ですね。そろそろ辞めて転職活動するかなと思っていたところで出向を命じられ、その出向していた期間が丸3年です。

その大企業の人はとても優しく、楽しく働くことができました。

また自分で言うのもなんですが、私は有能な人材だと思います。その大企業内でとても重宝してもらえ、少しではあります経営戦略の手伝いなどもさせて頂き、配属部署には、転職して社員にならないかとの声もかけて貰えました。

が、人事部が「取引からの引き抜きはダメ」「どうしてもするなら会社許可を得ること」と言ってしまいました。

一応、ダメ元で社長許可を得ようとしてみましたが、ボーナスが劇的に減らされました。

これにより転職の決心がつき、転職エージェント登録し、転職活動。結果、超大企業転職しました。東証一部上場企業には、その中にも格付けとして、Topix Core30とかLarge70とかの指標があるみたいですが、そのあたりです。相当な規模の会社に入ることができました。

新卒時では、学歴フィルターで落ちていたと思います。そして私の社会人としての経歴は、大企業へ常駐してやっていたことが全てなので、この出向がなければ大企業へ入ることはできなかったでしょう。

そう考えると、出向を命じた前の会社のおかげとも言え、少し感謝もしています

この感謝気持ちがなければ、社名を出していました。

ブラックエピソードに戻りますか。

とは言っても、異常を極めた新人研修を耐えた後は、実業務のプロジェクトに参加し、そこからは極めて普通ブラックIT企業です。

ひたすら設計と開発で、毎日22~23時には帰ることができました(残業代はありません)。

が、頭おかし新人研修を乗り切ってしまったせいで、この時間苦痛と感じなくなっていました。

苦痛と感じなくなったと言っても、これがブラック労働であるという自覚はあったので、労働基準監督署にタレコミを入れました。

その結果、労基の監査が来たのですが、強制力がある監査ではなかったらしく、社長が追い返しました

「労基の監査がありましたが、問題なしという結果になりました」という感じの社内報があり、目玉飛び出るかと思いました。確かに、追い返したか問題ありではないな!

それ以降、残業をつけるなという命令が厳しくなったようです。書類上は定時退社がより徹底された感じでしょうか。

他にも、座っている時間が長すぎて重度の慢性前立腺炎になり、金玉まで炎症が広がり、早退して病院へ行き、早退した分給料引かれたりと、地味なクソエソードはあります

毎日ずっとサービス残業してるのに、所定労働時間に足りない分給料を減らすって、お前脳髄液でもお漏らししてんのかと思いましたね。

またブラック企業あるあるの、週休完全二日制です。

祝日があると週休3日になってしまうので、土曜を出社日とし、そこを会社指定有給とするという制度です。法律上従業員自分指定できる有給を5日残せば、それ以外は会社側が指定して使わせることができます

これによって1年頑張って有給を残しても、次の年の土曜への充当で有給を使わせて、5日以下の場合法律対応で増やす、つまり有給が年5日な上に、残しても溜まらない」という感じでした。

2年目の時、頑張って残した有給蒸発していることに気づいて総務部に乗り込んだら「使い切らなかったお前が悪い」という回答を得ました。

世の中のブラック企業ってこれですからね。ブラック企業実態を知らない政府が「有給年5日以上使用義務化!働き方革命!」とか言ってますが、現実これですからね。

あ、一応、勤続年数1年ごとに有給支給日数が1日増えるので、年間有給支給日数が、年間祝日数より5日以上多くなれば、そのオーバー分が溜まるようになります

辞めるかな~と思っていたら前述の出向で3年も社外にいたので、その間のトンデモブラックエピソードはなかったりします。そのため、一気に直近のエピソードに移りたいと思います

この会社には、全社員出席の忘年会があります

2018年末の忘年会では、直前になって社長が「バンドを聞きたい」と言い始めました。忘年会の2週間くらい前だったらしいです。

慌てて社内でギターやらドラムやらを扱える人を探し、忘年会の会場に許可を取ったりと、幹事は非常に大変な思いをしながら準備したそうです。

社内だけでは足りなかったため、外からバンドメンバーの知人にヘルプに来てもらったりしたのですが、忘年会には席がないため、演奏時以外、隅っこでぼ~っと座っている姿を見かけました。しかも、楽器類も全てを自分たちで持っているわけではないので、レンタルのものがあったらしいのですが、会社お金を出しておらず、自腹のようです。扱いが酷すぎますね。

それでもバンドはなかなかいい感じに盛り上がりました。

私は音楽のことはあまりからないのですが、素直に楽しめるバンドだったと思います

選曲も、社長の年齢を考慮した内容でした。

社長もこれには満足でしょう。

社長「うるさい」

忘年会の後、幹事社長に呼び出され、激しく叱られていました。

社長が求めていたものが何だったのかは不明です。

バンド要求し、そのバンドにうるさいとクレームを入れる人間は、相当なレアモノ、希少種だと思います

また年明け、バンドに参加した社員の一部は会社を辞めていました。

まり理不尽さにキレて辞めたのか、社長が辞めさせたのか、もともと辞める予定だったかは分かりません。流石に、辞める予定だったと信じたいです。

私は年明けに「辞めます」と会社に連絡(客先常駐ですから電話で)。

法律では退職日の2週間以上前で、一般論では1ヶ月以上前マナーでしょうか。

私は2月末の退職を年明け連絡ですから、ほぼ2ヶ月ですね。十分にマナーを弁えた連絡でしょう。が、「就業規則では何日前連絡か知ってるのか?」という言葉が向こうから出てきました。

私は入社からこの日のためにずっと労働基準法を調べまくって来ました。退職絡みの労働基準法は全て覚えました。

そのため「就業規則なんて知らないが、法律は2週間前なので、十分に余裕がある連絡です」と言ったところ、「法律なんて知るか、就業規則は~」でした。

こんな反論になっていないセリフを堂々と、しかも怒鳴って出すことができるその知能レベルには辟易しますね。法律は「知らなかった」では通用しない世界なので、ぜひ覚えておいて頂きたいところです。

まぁ、転職先がもう決まっているため、これは辞めるという確定事項に基づく事務手続きです。辞めようと思っている相談ではありません。

知識がなくても、この状態ならば「辞めます」の一点張り突破は誰でも余裕でしょう。



3月ももう終わりが近づき、4月から新しい人生を歩む人がたくさんいます

私のようなブラックIT企業に入ってしまった人は、「3年耐える」と「すぐ辞める」で悩むことになるでしょう。

どちらも同じくらいのメリットデメリットがありますブラック企業に入ってしまった、人生終わりだと絶望することなく、自社の分析をし、どちらが良いか考えましょう。まだ巻き返せます。いえ、うまくやれば、新卒時には考えられなかったルートへ進むことだってできますソースは私。

私のように耐えるのであれば、その耐えている期間で、転職先に売り込む武器となる経験スキルを身につける必要があります

何もせずただ時間が過ぎるのを待つだけでは、人生の貴重な時間ブラック企業養分として捧げるだけです。

何も身についていないまま歳を食ってしまったら、企業新卒を取ります

この企業で耐えても時間のムダだと思ったならば、すぐに辞めましょう。

即辞めて2年目の新卒として活動すれば、リセット可能です。

少子化により人手不足が叫ばれる世の中、新卒と2年目新卒とでは、差はありません。

ちょっと浪人したり留年したりすれば、年齢なんて同じですから

前職をすぐに辞めた理由をうまく説明できれば、むしろ判断力に優れた人材であると思わせることもできるでしょう。

自己顕示欲が強い人が増えた?

私はそうは思いません。

自己顕示欲まり自分もっと知ってほしい。

同じような言葉承認欲求という言葉があります

自分を受け入れてほしい。

それは、誰にでもある気持ちで今も昔も変わりません。

変わった点といえばSNSの普及が大きく進み、いいねハート、高評価のように可視化出来るようになった事です。

私はその感覚が悪いとは思いません

普通のことです、ただそれをSNSの中だけで終わらせてはいけないと思う。

SNS別世界だと考えている人が少なくない。 だから嘘ばっかりだ

大切なのは実際の生活自己顕示欲エネルギーになっているか等身大自分を受け入れられてるかどうか。

はてなーってなんでやたらと文章のうまさを褒めたがるの

やっぱり文章のうまさを評価出来る自分に酔ってるわけ。

キモい

anond:20190324161159

頻度関係あるだろ。半年前に起きた出来事と昨日起きた出来事でどっちに評価偏重するかっていったら当然昨日だろ?その偏りをなるべく少なくして欲しいんだよ。

昇給に比べると降給って会社的にけっこうめんどくさい手続きのはずだからそんなに心配してないけどな。頑張って降給なら辞めるしな。

頑張りすぎ

みんなよくがんばれるなあ…

俺は、ただ、なんとなく友達が欲しいとか、就活ダルいとかそんなことをつらつらと書きたいと思って「ブログ サイト」やら「ブログ 書き方」やらでググったのに、「ブログで稼ぐ」とか、「最強の副業術」とかいっぱい出てきた。

世の中、会社にぶら下がった生き方がもはや難しいから、副業でも稼いで、あわよくば本業にしよう!みたいな流れが前々からどんよりと押し寄せている気がする。

もっとラクに生きられねえかなぁ…。

就活を通して気が付いたけれど、みんな変にくそ真面目過ぎる気がする。

先週、一次選考集団面接で、くそ真面目そうな、くたびれた面接官に「入社1年目で、年収はいくらほしいですか?」と質問された。

おそらく、謙虚貪欲かを見分ける意図があったのだと思う。

周りの学生ほとんどが、「私は、年収はいくらでも構いません。まず何よりも先に技術が欲しいです」みたいなことをガチガチに緊張しながら答えていた。

内定をもらうために、くそ真面目なことをくそ真面目な面接官にくそ真面目な態度で答える。なんだか吹き出しそうだった。

嘘つき大会だとか、人狼とか、素直に答えたら評価されるとか、色々な就活論を目にするけど、結局自分が何やりたいか、何が欲しいか重要で、人の目とか変に気にしすぎるとうまく力出せない気がする。

みんなくそ真面目だ。なんでそこまでして周りをキョロキョロするのだろうか。幼いころから教員である両親に、不幸な人生を歩んでほしくないと、優等生みたいな生き方押し付けられてきたけれど、不幸な人生ってなんだ?


お金がないと生きていけないとか、結婚できないとか、マイホーム買えないとか、よく言われるけど、正直どうでもいいんだよなあ…。

自分幸せの在り方を人に言うとあまり理解してもらえない。かわいそうな無欲な奴とか言われたり、世間体がどうたらとか親に叱られて、正直めんどくさい。ネットに逃げても、若いうちは死ぬほど働けおけおじさんや、○○は止めとけおじさんが腐るほど目に付く。

自分のすきに生きればいいじゃないか。みんな頑張りすぎ。

anond:20190324155154

それでも良いな。評価してくれてるならその分のリターンをくれれば良い、そんな制度が整備されてればいいってだけの話だ。

anond:20190324155938

うちは昇給昇格にあたって必ずしも面談しないし自己評価も出さないから、年1回だと評価漏れは起きやすいと思うんだよな。喉元過ぎれば熱さを忘れるみたいなことが往々にしてあるだろ?

anond:20190324155808

よくわからんが年一だとその頑張った期間のことは評価されないのがおかしいってんだよ

なんで漏れてんだよ頻度関係ないだろ

anond:20190324154037

そういや面談一年以上やってないな…

何でやらないんすか?やった方が良いっすよって言ってあるから次年度はやってくれると思うけど。

こっちから言わなきゃ制度として評価漏れが起きやすいんであれば、やっぱりもうちょっと頻度上げて欲しいな。

言ってはみるよ。

anond:20190324153732

クソフェミが一匹残らず根絶やしにされた世界

あい人権侵害思想が正当に評価されて吊るされる世界

昇給・昇格年1回はおかし

が俺の持論。

俺はヒラなんだけど、ここ半年くらい業務リーダーいたことをやる機会が増えている。

とは言え大したことじゃない。自分含めた数人の業務進捗を管理して、誰がどんな作業をするか指示して、各人の抱える業務量が多すぎたり少なすぎたりしないようにコントロールして、業務に関するクリティカル情報があればそれをメンバー間できちんと共有して、業務に関するマニュアルがなければ整備する。

ここ半年は繁忙期で、とくに今シーズンは「物理的に不可能だろ」と思われたほどの業務量だった。それをなんとかこなせたのは、メンバーみんなの頑張りももちろんあるけど、誰もやりたがらないリーダーに俺がなることで業務が円滑に回るようにマネジメントできたことが大きいと勝手に思っている。

でもこの半年給料は変わらない。ほんとこれは理不尽だと思う。お前はよくやってると褒めてくれる人も社内にたくさんいたけど、褒めてくれたところでお金がもらえるわけじゃない。俺はお金が欲しくて頑張ってるんだ。

仕事ぶりで評価するってんなら、せめて遡及的にでもその期間の給料を上げて差額を支給とかしてくれないと、なんのために頑張ったのか分からない。

ほんとうなら年4回くらいは昇給昇格のタイミングが欲しい。モチベに関わる。

確実に成功すると思われてるもの成功させても評価が低い

人は感動や驚きを評価し、お金を払いたくさえなるのだ

[] #71-2「市長市長であるために」

クマ存在市役所人間たちも知るところであったが、草の根から花が咲こうとしているのなら穏やかではいられない。

市長、近隣でフクマという人物が、演説をしているのはご存知ですね? 彼が、次の市長自分がなると宣言しました」

秘書市長に、フクマ立候補したことを伝えた。

「つまり選挙防衛戦』です」

「え? 何ですか、それ」

市長困惑した。

なにせ選挙戦というものを全く経験していないからだ。

学校委員会みたく「やりたいという人間がいるのだからそいつやらせよう」というノリで決まったのが今の市長なのである

他に市長をやりたがる者が誰一人いなかったため、これまで必然的になっていたに過ぎない。

「この町の掟らしいです。立候補者が出た以上、しっかり選挙戦をしなければなりません」

「それで……私は一体どうすればいいのでしょう?」

「……投票の期日までに、何かやれることをやりましょう」


こうして俺たちの町は、久々に市長選挙で決めることになったんだ。

前半戦は、フクマが大きく有利といえた。

現市長無能です。例えば『超絶平等』。社会における平等という概念拡大解釈し、無理やり人々の足並みを揃わせるという無意味政策でした』

「そうだ、そうだ!」

クマ演説は一貫しており、巧みだった。

今まで市長がやってきたヘマを挙げて、彼が如何に市のトップとして不適格かということを述べていくのである

やや悪意と脚色の混じる主張ではあったが大本事実なため、市長に対して不満のある人たちの心根をくすぐった。

対して、市長自身理念を語っていくが民衆から評価は芳しくなかった。

『人々が手を取り合い、差別のない社会を……』

「ざけんな! あんたの言ってる“差別のない社会”ってのは、普通に歩ける人間松葉杖をつかせることだろうが!」

演説の内容は彼が普段からやっていることの延長線上でしかなく、逆にフクマ市長批判裏付けものにすらなっていた。

更に市長には選挙戦のノウハウもなく、周りに適格なアドバイザー存在しないという状態

それはフクマも同様だったが、市長のこれまでのマイナスイメージが大きなハンディキャップとなっていたんだ。

市長側が選挙活動で何をすればいいか右往左往している間に、フクマはどんどんリードを奪っていったんだ。

「むぅ、フクマという人物富裕層でもないのに何であそこまで活動資金があるんでしょう」

「どうやら支持者が彼に投げ銭しているようですね」

「そんな金あるなら、税金ちゃんと払ってくれればいいのに……」


そんな事態を一市民の俺はどう見ていたかというと、漫然と澄ました顔で見ていた。

明け透けに言うなら、政治のことがよく分からないのでどうでもよかったんだ。

この町の歴史の1ページに載るであろう出来事だとは思うんだが、選挙ってものイマイチ関心がもてない。

総体的に見て一人一人の一票や、それに対する意識大事というのを理屈の上では分かってるんだが、どうにもピンとこなかったんだ。

ちなみに投票権のない弟はというと、圧倒的にフクマ支持者だった。

だって市長の『親免許制度』のせいで、俺たち家族は数ヶ月間バラバラだったんだよ。市長投票なんて有り得ないね兄貴だってそうだろ?」

「まあ、それはそうなんだがな……」

クマの言うことには頷く部分も多いが、それが支持する理由にはならない。

弟は政治理解度メロス並だったので、その分別ができないのだろう。

俺も似たようなものだったが、それでも単純な人間じゃない。

かに市長は嫌いだし、明確な理由もある。

だけどずっと感情的になっていても仕方がないだろう。

政治のことばかり考えていれば生きていけるわけじゃない。

市長が誰になったところで日々の勉強捗るわけじゃないし、シーズン毎の休みが増えるわけでもない。

食べる飯の味は変わらないし、バイトは楽しくないままだ。

秤に乗せるまでもなく、俺の日常にそれを思考する余地はないといえる。

から俺はごく個人的かつ意識の低い理由で、投票する権利放棄するという権利行使するつもりだった。

(#71-3へ続く)

浪人をすることになった人へ

~~はじめに

 もうかなり前の話になるが,私も大学受験に失敗し,浪人をすることになった。

 (することになった,というのは,したくてしたわけではないかである。)

 人生で初めて,目の前が真っ暗になるような思いを味わった。

 どうすればいいのかわからず,途方に暮れた。

 そのとき書籍等を通じて様々な先達の経験に触れ,それに励まされてなんとか乗り越えた。

 これは遠い昔の一受験生出来事であるが,ふと思いついて,自分が励まされたように,何かの役に立てばと思って書いてみた。

 時代が変わっているので,個々の科目の勉強法等は記載していない。

 もっと大きな方法論の一例として見ていただければと思う。

 大事試験で失敗してしまい,失意の中にある人が,捲土重来を期すのに少しでも役立ってくれれば幸いである。

 人生で最も勉強をしたのは,大学受験に失敗し,浪人生活を送った時だった。

 その当時は自分なりに辛い思いもした。しかし,その分必死になって努力を行い,いかに状況を打開するかを日々考え抜き,最終的に結果を出すことができたので,得るものも大きかったように思っている。

 なお,前提として,私は小中高と地方公立学校で育った者である。塾にも浪人時代を除いてほとんど通ったことはない。

 高校時代部活をやっていたので,高2の冬までは授業を普通に受けていただけだった。志望校を決めるような段階になってからやばいと思って「受験生」になった,というのがバックボーンとしてあるので,以下の文章はそれを踏まえて読んでいただければと思う。

~~気持ちの立て直し方

 それまで特に勉強において壁にぶつかったこともなかっただけに,不合格の衝撃は当時の自分にとっては,人生のものだった。

第一志望しか受験していなかったので,選択余地なく浪人をすることになったが,仮にすべり止め合格を得ていたら,果たして浪人という選択ができたか,全く自信はない。

 それくらい,浪人するということについて,落胆していた。

 同級生のうち,現役で受かった者が嬉々として大学生活に入っていく中で,少なくともも一年,いろんなもの我慢して勉強に向かう生活余儀なくされるというのは,たまらなくつらかった。

 ひととおり落ち込み終わった後で,考えたのは,一つには,終わってしまたことを悔いても何もこの現実を変えることはできないということだった。

 現役で大学生になる身近な同級生想像し,なぜ自分はそうなれていないのかと身悶えせんばかりに考えたときもあったものの,いくらそのように思ったとしても何も現実は変わらない。過去に属してしまたことは,もう客観的には変えることはできない。そうだとすれば,今できることは,その意味付けを変えることしかないと思った。

 今身を切るように辛く感じられる大学不合格という事実も,たとえば,次の機会に晴れて合格し,20年,30年も経てば,なかったことにはできるわけではないが,その影響は極めて小さくなっているだろうと言い聞かせた。

 またおそらく世の中の評価というのは,失敗の数で評価されるわけではないとも考えた。人の失敗の数を覚えている人は多くない。そうではなくて,失敗の数があったとしても,結局のところ成功の数がいくつあるかが重要だろう。

 そうだとすれば,まだコントロール可能範疇に属している,未来を変えることで,過去出来事意味合いを変化させるしかないのではないか

 来年合格という成功によって,今年の不合格という失敗を塗りつぶすしかないと考えるに至った。

 期間はあまり覚えていないが,ここまで考えを整えるのに1か月くらいはかかったのではないか

~~戦略

 以上で考えたように,今年の不合格という意味合いを相対化するためには,来るべき「次」の受験で,必ず合格しなければならない。

 再来年では駄目だ。また実力だけ伸ばしても駄目で,仮にいくら模試の成績が良かったとしても,現実合格できなければ全く意味がない。

 このようにして,「次」の受験で,「必ず合格する」ということを目標として設定した。

 目標が定まった後,「必ず合格する」とは,どのような状態かと考えた。合格する可能性があるというだけでは駄目だと思った。可能性だけならおそらく今回もあった。「受かりうる」というだけでは足りない。「次の一回」で「必ず」合格しようと思えば,「受からないということがない」,「どうやっても受かる」という状態にまでもっていかなければならないと思った。

 自分の中では,「100回受けて100回受かる状態」というのを一つの基準としていた。

 そうなるためにはどうしたらいいのか。

 以下は,自分の中で描いたイメージである。 

 受験において,本番で出題される試験問題のものコントロールできない。

 自分が得意な問題が出るかもしれないが,苦手な問題が出るかもしれない。

 そうだとすると,たとえば100回試験を受けた際に,自分が得られる得点ないし全体の中での自分順位としては,一定の幅が生じると想定した。

 自分が得意な問題が出れば点数ないし順位は良くなる。苦手な問題が出ればその逆となる。その幅と位置自分の実力を示していることになる。

 受かる可能性があるというのは,自分の中のベストの結果のときに,それが合格ラインを超えているということだ。すなわち,上で述べた実力の幅の上端が合格ラインを超えていることであるそもそもここが合格ラインに届かないというのでは,合格確率は0なのであって,話にならない。

 自分の実力を客観的見積もったときに,現役の受験時点でも,得点幅の上端は合格ラインを超えていると思った。しかし,全体として超えているかというとそうではなく,大半は合格ライン以下に位置していたのではないか分析した。

 この状態だと,運よく自分の実力の上端付近が発揮できるような問題であれば合格という結果になるが,そうでなければ不合格という結果になる。

 以上の思考過程を経て,「必ず」合格するという状態を実現するためにすべきこととは,自分の実力を示す得点幅の下端を合格ラインより上にもっていくことだと規定した。その状態が実現できれば,どんな問題が出題されても必ず合格できる。

 このようにイメージした。

~~戦術

 次に,得点幅の下端を合格ラインよりも上に上げるためにすべきことは何かと考えた。

 ただちにこうすればいいということまではわからなかったが,とりあえず実現すべきこととしては,得点できるはずの問題を必ず得点するということだった。先のことはわからないが,最低限,このことを徹底しなければならないと思った。

 それだけでいいのかは,未知の領域なので不明であったが,得点幅の最下端を合格ラインよりも上にしようと思ったら,少なくともこの程度のことは実現できていなければ話にならないだろうと思った。

 先に述べたように,受験の本番では,試験問題コントロール範囲である受験会場に来てしまってからでは,いくら「ここを勉強しておけばよかった」と後悔しても,その時点で知らない知識は答えようがない。試験現場でできることとしては,そのときに持っている力で解けるはずの問題を確実に解くことだけである

 この視点は,いろいろなところに適用できるが,たとえば時間配分のところにあてはめると,「解けない問題時間を浪費して,解けるはずの問題を解けないということを起こしてはならない」ということであると思った。

 また,当時よくしていた勘違いなどのケアレスミスも,本来解ける問題を取りこぼす可能性があるので,起こしてはならないことになる。

 これらは,本来解ける問題をこぼしているという点では共通しており,このようなことがあってはならない。

 受験本番までは実力自体を向上させることももちろん目指さなければならないが,それと同時に,試験当日に,その時点で持っている実力すべてを最大効率得点につなげられるようにしておかなければならない。

 その観点から模試などを受けた場合の振り返りとしては,正解したかどうかはあまり気にせず,正解できなかった問題があったとして,「その時点で正解する可能性がなかったのかどうか」を入念に確認した。

 知識が足りなかったなどの理由で,そのときは正解する可能性がそもそもなかったのであれば,それはその時点ではもうしょうがないので,ただただ後日正解できるよう,知識を補充するなどして実力向上を図るというだけのことである

 一方,その時点で正解できたはずの問題を取りこぼしていた場合は,全力で悔しがるようにした。

「必ず」合格するという目標達成の観点からは,このような事態絶対に起こしてはならない。

 そのようなことをしている限り,「必ず」合格するという目標は達成できないからだ。

 その場合,正解できたはずの問題をとりこぼさないために,なぜそのようなことが起きてしまったのか,再発防止策として何が考えられるかなどを必死で考えた。

 以上は基本的自分の中だけでの問題であるが,一方で他者との比較視点も生まれていた。

 正解可能性について考察しているうちに,自分が正解できなかった問題について,他の受験生はどうなんだろうかという視点が生まれたのである

 自分が間違えた問題の正答率が高かった場合は,それだけ多くの受験生に差を付けられたことを意味するのであるから試験結果に与える影響は極めて大きい。一方,正答率が低かった場合には,大半の受験生もまた正解できていないわけなので,差を付けられた受験生の数が少なく,試験結果に与える影響は少ないということになる(極端な話,正答率が0%の問題であれば,全員が間違えているということから得点という点だけみればその問題はなかったのと同じであって,間違えたことの影響は0である。)。

 このような視点で各問題ごとに正答率を確認するようにすると,感覚的には一般的に明らかに簡単と思われる問題でも,正答率が100%ということはないということに気がついた。受験生は,ごく簡単問題でも意外と間違えてしまっているのである

 この点に気づいたときには,大げさにいえば勝機見出した思いがした。

 とんでもなく難しい問題まで正解できるようにならなければ「必ず合格」という目標が達成できない,ということだとすると,その難易度はかなり高い。

 難問というのは,どんな問題が出るかもわからいから難問なわけで,対策という意味では容易ではない。

 しかしながら,正答率が高い問題を取りこぼさない(他の受験生に差をつけられない)ということは,意識して徹底的にやりさえすれば実現できることだと思った。そして,これがきちんと実現できれば,成績的にはかなりのところまでいけそうだと思った。

 このとき受験生活の中で,初めて具体的な見通しがついた。

 時期的には,浪人になって最初の方で行われる模試の結果を分析してこう思ったはずなので,わりと早い段階でこのような確信を得られたのはありがたかった。

 以上から,正答率が高い問題を重視し,かつ,それを絶対に落とさない,ということが具体的な行動目標となった。このように目標が明確になると,自ずとそれを実現するための勉強法も明らかになった。

 自分が正解できる可能性のある領域を増やすことを目的とした勉強塗り絵に例えれば,色が塗ってある範囲を広くするようなこと)も勿論必要にはなるものの,それよりもむしろ正解できる可能性のある領域での正解率を高くする(塗り絵で言えば,色むらをなくし,より濃くするようなこと)勉強を重視すようになった。

 より具体的にいえば,復習を重視するようになったということである

 知らない問題よりも,一度やったことのある問題の方が正解率は高くできるはずで,投入する時間に対して得られる成果が高いと思われるからである

 復習は徹底的に行うようにした。特に記憶重要となる社会の科目などは,一日の勉強最初には,それまでやった学習内容をさかのぼってかならず目をとおしてから先に進むようにした。

 具体的には,使っているノート基準最初から前回勉強したところまで必ず全部目を通すということをしていた。それはその一冊のノートを使い終わるまで繰り返した。見直す時間が膨大になってもしょうがないので,時間一定を心がけていた。勉強が進むことによって見返す領域が広くなることになるが,その分見返すスピードを上げて各ページ毎の見る時間は減らして行った。

 ノート最初の方であればあるほど,何度も目にしているので,時間が短くても問題なかった。時間よりも回数を重視し,回数を繰り返すことで,記憶への徹底的な定着を図った。

 これは面倒に思うかどうかだけで,誰にでもできることと思う。そして,記憶力に個人差は多少あれど,何十回と接触した内容については,誰でも記憶には定着しやすくなる。とにかく,一度学習した内容を,二度と忘れたくなかったので,そのようにしていた。

 そのような学習法を実践していたことで,知識系の問題については,絶対の自信がついた。

 当時は,記憶違いということはほとんど起こりようがないような状態を実現することができていた。

~~結果

 以上のような勉強法を行ってきて,浪人の夏に大学別の模試を2つ受けた。

 これはその大学を受ける受験生であれば,たいてい受けるという種類の試験だったので,模試とは言え,その時点でのその大学を受ける受験生の中での位置付けを図る重要試験だった。

 浪人生活を開始するにあたって,自分の中では目標があった。

 「100回受けて100回受かる」という観点から,冬の大学模試で100位以内に入ることを目標としていた。

 当時,志望学部合格者数が600名程度であることから,少し目標としては高いかと思ったが,これくらいが実現できなければ,安全圏にあるとは言えないので,あえて高めの目標を掲げたつもりだった。

 蓋を開けてみると,夏の大学模試のうち,最初に結果が返ってきた方は,79位だった。

 自分で定めた目標クリアできたので,非常にうれしかったのを記憶している。

 想定していたよりも成績がよかったので,浪人生活全体を通して,このときが一番うれしかったように思う。

 (それでも,これは単なる模試に過ぎないので,この程度の成績で油断はいけないと自分を戒め,喜ぶ気持ちを押さえつけた。)

 しばらく経つと,もう一つの大学模試の結果が返ってきた。そちらは20位だった。全く想定しておらず,正直自分もびっくりした。こんなに結果が伴うとは思ってもいなかった。

 ただやはり,「まだ受かったわけでもなんでもないので,いくら模試の成績がよかったところで,本番に受かるという目標が達成されたわけではない,油断だけはしてはいけない,もっと取れたはずだ」と自分に言い聞かせるのに必死だった。

 その後も大きな方針を維持したまま勉強を続けたところ,冬の大学模試では13位と14位という結果だった。

 受験本番はどうだったのか,順位は発表されないので分からない。

 予備校の発表する模範解答に照らして行った自己採点結果は悪くなかったし,結果はもちろん合格だった。

 合格確認したときには,うれしいというよりは,ほっとした。精神状態としては,「受かっているかどうかドキドキする」という状態ではなく,「絶対受かっているはずだが何かの間違いで落ちてないだろうな」という気持ちだったからだ。

~~まとめ

 方法論は人に合わせて千差万別なので,以上の方法が唯一絶対ではないと思う。

 全く同じ人間が一人としていないように,誰にもピッタリと当てはまる万能の方法などというものはない。

 それを前提として,自分浪人生活のうち,成果につながった要素を抽出するとすれば,以下の点ではないだろうか。

 まず一つには,本気で結果を出したいと思っていたことだと思う。

 何事につけ,物事には障害がつきものである。そのような前提状況の中,何も考えずにただ臨めば,結果が出るかどうかは当たるも八卦当たらぬも八卦のような確率論に終わってしまう。

 「本気で結果を出したい」というのを行動に置き換えると,「受験優先順位を上げ,その他のことはどうでもいいと考える」ということである。本気でそう思えれば,遊びたいとか,のんびり寝ていたいとか,そんなことは気にならなくなる。

 それは「誘惑に打ち勝つ」ということとは感覚的には少し違う。誘惑を感じている状態は,まだ本気度が高い状態とはいえないと思う。本当に結果を出したいと思って,その状態に入ったときには,その他のことは本当にどうでもよくなる。

 「その他のことはなんでも差し出すから,とにかく希望している物事について結果を出させてくれ」という心持ちになる。そのときは,優先順位が二位以下のものごとは些事である

 そのような状態に入れると,仮に何か障害が生じたとしても,手段を尽くし,工夫を尽くして,結果にたどり着くという状態になる。

 時間しろエネルギーしろ資源が有限である以上,その中で一つの結果を確実に出そうと思えば,何が何でも結果を出したいという状態自分を持っていくことが必要になる。

 不合格という現実に直面したとき,何度も「嘘でしょ。結果を取り替えてくれないか。」と何度も思った。しかし,一度出た結果は変わらない。これが現実である

 自分の周りの環境自分コントロールすることはできないということをまざまざと体感した。

 一方で,自分はいくらでもコントロール可能なのだ

 不合格回避したいという思いを,エネルギーを,合格への執着へと昇華させることはできるはずだ。

 二つ目は,以上の状態を前提として,「結果を出す」ということを実現するためにどうすればいいのか必死で考えたことではないかと思う。

 先に記述した思考過程を経て,自分なりに結果を出すために必要な条件を考え,それを満たすためにひたすら実行した。

 小中高と地方公立学校で育ってきて,全国規模で自分が試されたことも位置づけをはかったこともなかったため,余力を残すという発想がそもそもなかったということも幸いした。

 自分みたいな遅れて必死になった者が全国レベル受験生相手に確実に合格するという状態に達するためには,とにかく妥協なく徹底的にやり切る以外にはないと思っていた。

 後にも先にもこのときほどストイックになったことはない(なお余談だが,このときにあまり想像以上に結果が出てしまったため,後になってまた別の試練に立ち向かうことになった際に,「あそこまでやらなくてもいいだろう」と無意識に思ってしまい,無駄に回り道をすることになる。何事も,やるなら最初から本気でやるべきである。)。

 当時,浪人時代灰色一色で,とても精神的につらいものであったが,きわめて得るものの多い時期でもあった。

 生活のことは親に完全に甘えられる時期であり,徹底的に勉強のことだけ考えていればよかったという意味では,むしろ幸せな時期であったともいえる。

 浪人時代を通じて,物事に本気になるとはどういうことか,結果を出すとはどういうことかなどを身をもって体験することができ,その後の人生にも大きないい影響があった。たまたま運よくラッキーで現役合格してしまっていたら,このように自分を振り絞るような努力をする機会は得られなかったの

anond:20190324024953

ただ、取り外すまで動いてました~みたいに書いてあったんだよね。

評価見ると他にも動かなかった人何人かいるみたいだしまだ同じものをまだいくつも出品してるから、当面そのままにしとこうと思う。

anond:20190324023929

マジレスするね

中古PC屋とかヤフオクとかの中古PCジャンクって言われたら普通動作確認してないよ・何かしら動かないよってことなんだ

から買う人が自分で修理する前提か同じ機種の部品取り用に安く売ってる

ジャンクって説明についてて安く売ってる中古PC自分バラして直せる自信がある奴だけが承知の上で買うものなの

動作すれば儲けものぐらいのもんなの

からその出品者に増田が悪い評価つけたとしてあとあと他の出品者なり落札者なりに評価と内容つきあわせて見られて

この落札クレーマーなんだなって思われて恥かくのは増田のほうなんだ…

ジャンク意味

ヤフオクジャンクと書かれたパーツを買って動かなかったので悪い評価をつけたら、ジャンクと明記されていたのだから動かなくて当たり前なので悪い評価を付けるのはおかしいと怒られてしまった。

一理あるような気もするけど返品交換は求めず諦めたのだから評価は好きにつけさせてくれよという気持ちも強い。

変更しろと何度も催促が来てるけどどうするか悩み中。

2019-03-23

Googleゲーム事業の成否はソフトと料金で決まる

Googleクラウドゲーミングサービス「STADIA」に対してゲーマーが一番批判しているのは「遅延」だ

遅延は多人数用だけでなく一人プレイ専用ゲームにおいても「入力に対して即座に反応が来ない」ことがプレイヤーのストレスになる

しかし、光の速さを超える通信手段人間が未だに作れていない以上はクラウドゲーミングに遅延が発生するのはしょうがない

そしてライトゲーマーが遅延を前提としたビデオゲームを受け入れるのかもまだ分からない


からこそ、消費者客観的評価できる視点は「遊ぶゲームソフトのないゲーム機はただの箱(STADIAは箱がないけど)」だろう

Googleが「ハイエンドゲーム並の体験提供する」と述べる以上、どれだけのゲームメーカーを誘致できるのか

現時点で判明しているのはUBISOFT(ミリタリーから歴史ものファミリー向けまで幅広い)やid SoftwareFPSの始祖)、スクウェア・エニックス海外スタジオFF15?)など

多くのゲーマー需要を狙うのであればもっと幅広い世界的なメーカーを誘致してほしい(自分インディーゲームも好きだけどね)


そしてどのような価格と料金プランでゲーム提供するのかも気になるところだ

ゲームの定額サービスPSXboxで既に始まっており、一部ゲームメーカーは自社専用ゲームの定額サービスを展開している

YouTubeプレミアム+1000円(10ドル)重ねるとSTADIAで定額用ゲームソフトが遊び放題」だと良い塩梅かもしれない

新作ゲームは定額料金+数十ドルといった料金の取り方もあるだろう


あとせっかくならクラウドしか実現できない大規模なゲーム1000人同時プレイできるゲームとか)を作って欲しい

実はスクエニクラウドゲーム専用会社「シンラテノロジー」でほぼ同じことをしていたけれど

採算がとれる見込みがないのでサービス開始前にプロジェクトもろとも会社が消えてしまったのだ


近年は任天堂/PS/Xbox/Windows通信対戦の垣根をなくす運動が進んでおり、

ぜひGoogleもこれらの輪に入ってゲーマー裾野を広げてほしい

WindowsMacOSLinuxiOSAndroidiOS任天堂PSXboxとSTADIAのプレイヤーが同じゲーム通信プレイする光景を見てみたい

結局は「どれだけのゲームソフトを揃えられるのか」「どれくらいの価格提供できるのか」の2点にかかっているだろう

とりとめもないことを書き連ねました

悪名高き高輪グリーンマンション事件最高裁判決

 日本刑事司法お祭り騒ぎ状態でまだまだ完璧にやらないといけない時代で、警察官の有形力の行使方法に関する判断基準定型的だが、結論としては、法廷意見が、昭和オヤジ警察官に有利に扱っていて調子に乗っていた時代

任意捜査においては、強制手段、すなわち、「個人意思を抑圧し、身体、住居、財産等に制約を加えて強制的捜査目的を実現する行為など、特別根拠規定がなければ許容することが相当でない手段」(最高裁昭和五〇年(あ)第一四六号同五一年三月一六日第三小法廷決定・刑集三〇巻二号一八七頁参照)を用いることが許されないということはいうまでもないが、任意捜査の一環としての被疑者に対する取調べは、右のような強制手段によることができないというだけでなく、さらに、事案の性質被疑者に対する容疑の程度、被疑者の態度等諸般の事情を勘案して、社会通念上相当と認められる方法ないし様態及び限度において、許容されるものと解すべきである。」

 という判断基準は、実に完璧主義で、定型的であり、やる気は感じられるが、趣味は感じられない。

 補足意見で別の裁判官が、任意捜査としてはやりすぎで違法という冷静な意見を述べたが、当時の興奮した最高裁では採用されず、警察官を勝たせる意見法廷意見採用された。このように、一種興奮しすぎた権力実態が横行していた時代であったが、昭和60年に、昭和オヤジの機長が起こした日航機墜落事件が発生した。

 このような興奮しすぎて、判断基準定型化していた当時の権力状況と、何か関係があるのだろうか。

S59.02.29 第二小法廷・決定 昭和57(あ)301 殺人(第38巻3号479頁)(高輪グリーンマンション事件

主    文

     本件上告を棄却する。

     当審における未決勾留日数中六〇〇日を本刑に算入する。

         

理    由

 一 弁護人加藤満生、同猪狩庸祐、同沼尾雅徳(以下「弁護人ら」という。)の上告趣意第一点の一のうち、判例違反をいう点は、所論引用判例は非供述証拠に関するものであつて事案を異にし本件に適切でなく、その余は、憲法一条、三三条、三四条、三八条違反をいう点を含め、また、被告人本人の上告趣意第一第一ないし第五の、被告人に対する取調手続違法理由として憲法三条、一八条、三一条、三三条、三四条違反をいう点は、いずれも実質は単なる法令違反の主張であつて、すべて適法な上告理由にあたらない。(職権判断

 1 第一審判決及び原判決認定するところに記録を併せると、被告人に対する本件取調べの経過及び状況は、おおむね次のとおりである

 (1) 昭和五二年五月一八日、東京都港区ab丁目c番d号eマンシヨンf号室の本件被害者A方において、被害者が何者かによつて殺害されているのが被害者の勤め先の者によつて発見され、同人通報により殺人事件として直ちに捜査が開始され、警視庁捜査一課強行犯二係を中心とする捜査本部が所轄の高輪警察署に設置された。犯行現場の状況等から犯人被害者と面識のある者との見通しのもとに被害者生前の交友関係を中心に捜査が進められ、かつて被害者同棲したことのある被告人もその対象となつていたところ、同月二〇日、被告人は自ら高輪警察署に出頭し、本件犯行当時アリハイがある旨の弁明をしたが、裏付捜査の結果右アリバイの主張が虚偽であることが判明し、被告人に対する容疑が強まつたところから、同年六月七日早朝、捜査官四名が東京都大田区gh丁目i番j号所在のB荘(被告人の勤め先の独身寮)の被告人の居室に赴き、本件の有力容疑者として被告人任意同行を求め、被告人がこれに応じたので、右捜査官らは、被告人を同署の自動車に同乗させて同署に同行した。

 (2) 捜査官らは、被告人の承諾のもとに被告人警視庁同道した上、同日午前九時半ころから時間余にわたつてボリグラフ検査を受けさせた後、高輪警察署に連れ戻り、同署四階の三・三平メートルくらいの広さの調べ室において、一名(巡査部長)が主になり、同室入口付近等に一ないし二名捜査官を立ち会わせて被告人を取り調べ、右アリバイの点などを追及したところ、同日午後一〇時ころに至つて被告人は本件犯行を認めるに至つた。

 (3) そこで、捜査官らは、被告人に本件犯行についての自白を内容とする答申書を作成させ、同日午後一一時すぎには一応の取調べを終えたが、被告人からの申出もあつて、高輪警察署長宛の「私は高輪警察署でAさんをころした事について申し上げましたが、明日さらにくわしく説明します。今日は私としても寮に帰るのはいやなのでどこかの旅館に泊めて致だきたいと思います。」と記載した答申書を作成提出させて、同署近くのCの宿泊施設被告人宿泊させ、捜査官四、五名も同宿し、うち一名は被告人の室の隣室に泊り込むなどして被告人挙動監視した。

 (4) 翌六月八日朝、捜査官らは、自動車被告人を迎えに行き、朝から午後一一時ころに至るまで高輪警察署の前記調べ室で被告人を取り調べ、同夜も被告人帰宅を望まないということで、捜査官らが手配して自動車被告人を同署からほど近いホテルDに送り届けて同所に宿泊させ、翌九日以降も同様の取調べをし、同夜及び同月一〇日の夜はEホテル宿泊させ、右各夜ともホテルの周辺に捜査官が張り込み被告人の動静を監視した。なお、右宿泊代金については、同月七日から九日までの分は警察において支払い、同月一〇日の分のみ被告人に支払わせた。

 (5) このようにして、同月一一日まで被告人に対する取調べを続行し、この間、前記二通の答申書のほか、同月八日付で自白を内容とする供述調書及び答申書、同月九日付で心境等を内容とする答申書、同月一〇日付で犯行状況についての自白を内容とする供述調書が作成され、同月一一日には、否認供述調書(参考人調書)が作成された。

 (6) 捜査官らは、被告人から右のような本件犯行についての自白を得たものの、決め手となる証拠が十分でなかつたことなどから被告人逮捕することなく、同月一一日午後三時ころ、山梨市から被告人を迎えに来た被告人の実母らと帰郷させたが、その際、右実母から「右の者御署に於て殺人被疑事件につき御取調中のところ今回私に対して身柄引渡下され正に申しうけました」旨記載した高輪警察署長宛の身柄請書を徴した。

 (7) 捜査本部ではその後も被告人自白裏付けるべき捜査を続け、同年八月二三日に至つて、本件殺人の容疑により前記山梨市の実母方で被告人逮捕した。被告人は、身柄を拘束された後、当初は新たなアリバイの主張をするなどして本件犯行否認していたが、同月二六日に犯行自白して以降捜査段階においては自白を維持し、自白を内容とする司法警察員及び検察官に対する各供述調書が作成され、同年九月十二日、本件につき殺人の罪名で勾留起訴された。

 2 右のような事実関係のもとにおいて、昭和五十二年六月七日に被告人高輪警察署任意同行して以降同月一一日に至る間の被告人に対する取調べは、刑訴法一九八条に基づき、任意捜査としてなされたものと認められるところ、任意捜査においては、強制手段、すなわち、「個人意思を抑圧し、身体、住居、財産等に制約を加えて強制的捜査目的を実現する行為など、特別根拠規定がなければ許容することが相当でない手段」(最高裁昭和五〇年(あ)第一四六号同五一年三月一六日第三小法廷決定・刑集三〇巻二号一八七頁参照)を用いることが許されないということはいうまでもないが、任意捜査の一環としての被疑者に対する取調べは、右のような強制手段によることができないというだけでなく、さらに、事案の性質被疑者に対する容疑の程度、被疑者の態度等諸般の事情を勘案して、社会通念上相当と認められる方法ないし様態及び限度において、許容されるものと解すべきである

 3 これを本件についてみるに、まず、被告人に対する当初の任意同行については、捜査の進展状況からみて被告人に対する容疑が強まつており、事案の性質、重大性等にもかんがみると、祖の段階で直接被告人から事情を聴き弁解を徴する必要性があつたことは明らかであり、任意同行手段方法等の点において相当性を欠くところがあつたものとは認め難く、また、右任意動向に引き続くその後の被告人に対する取調べ自体については、その際に暴行脅迫被告人供述任意性に影響を及ぼすべき事跡があつたものとは認め難い。

 4 しかし、被告人を四夜にわたり捜査官の手配した宿泊施設宿泊させた上、前後五日間にわたつて被疑者としての取調べを続行した点については、原判事のように、右の間被告人が単に「警察庇護ないしは緩やかな監視のもとに置かれていたものと見ることができる」というような状況にあつたにすぎないものといえるか、疑問の余地がある。

 すなわち、被告人を右のように宿泊させたことについては、被告人の住居たるB荘は高輪警察署からさほど遠くはなく、深夜であつても帰宅できない特段の事情も見当たらない上、第一日目の夜は、捜査官が同宿し被告人挙動を直接監視し、第二日目以降も、捜査官らが前記ホテルに同宿こそしなかつたもののその周辺に張り込んで被告人の動静を監視しており、高輪警察署との往復には、警察自動車使用され、捜査官が同乗して送り迎えがなされているほか、最初の三晩については警察において宿泊費用を支払つており、しかもこの間午前中から深夜に至るまでの長時間、連日にわたつて本件についての追及、取調べが続けられたものであつて、これらの諸事情に徴すると、被告人は、捜査官の意向にそうように、右のような宿泊を伴う連日にわたる長時間の取調べに応じざるを得ない状況に置かれていたものとみられる一面もあり、その期間も長く、任意取調べの方法として必ずしも妥当ものであつたとはいい難い。

 しかしながら、他面、被告人は、右初日宿泊については前記のような答申書を差し出しており、また、記録上、右の間に被告人が取調べや宿泊拒否し、調べ室あるいは宿泊施設から退去し帰宅することを申し出たり、そのような行動に出た証跡はなく、捜査官らが、取調べを強行し、被告人の退去、帰宅を拒絶したり制止したというような事実も窺われないのであつて、これらの諸事情総合すると、右取調べにせよ宿泊にせよ、結局、被告人がその意思によりこれを容認し応じていたものと認められるのである

 5 被告人に対する右のような取調べは、宿泊の点など任意捜査方法として必ずしも妥当はいい難いところがあるものの、被告人任意に応じていたものと認められるばかりでなく、事案の性質上、速やかに被告人から詳細な事情及び弁解を聴取する必要性があつたものと認められることなどの本件における具体的状況を総合すると、結局、社会通念上やむを得なかつたものというべく、任意捜査として許容される限界を越えた違法ものであつたとまでは断じ難いというべきである

 6 したがつて、右任意取調べの過程作成された被告人答申書、司法警察員に対する供述調書中の自白については、記録上他に特段の任意性を疑うべき事情も認め難いのであるから、その任意性を肯定し、証拠能力があるものとした第一審判決を是認した原判断は、結論において相当である。二(一)弁護人らの上告趣意第一点の二及び被告人本人の上告趣意第一章第七、第九の一、二の、被告人自白警察官らの強制拷問脅迫誘導等に基づくか、その影響下におけるものであるとして憲法六条、三八条一項、二項違反をいう点は、記録を調べても、所論のように供述任意性に影響を及ぼすような違法な取調べがなされたものとまでは認められないから、所論はいずれも前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。

 (二)被告人本人の上告趣意第二章第一の、被告人勾留中の自白警察官偽計に基づくものであるとして判例違反をいう点は、記録を調べても、被告人の右自白警察官偽計に基づくものとは認められないから、所論は前提を次ぎ、適法な上告理由にあたらない。

 三 被告人本人の上告趣意第一章第六の、被告人の所有物に対し違法押収がなされたとして憲法五条違反をいう点は、違憲をいう点をも含め、実質はすべて単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

 四 弁護人らの上告趣意第一点の四(上告趣意書に「三」とあるのは誤記と認められる。)のうち、判例違反をいう点は、

 記録を調べても、原審が所論の証人申請却下したのが合理的裁量範囲を逸脱したものとは認められないから、所論は前提を欠き、その余の点及び被告人本人の上告趣意第一章第八の二は、憲法七条違反をいう点をも含め、いずれも実質は証拠の採否に関する単なる法令違反の主張であつて、すべて適法な上告理由にあたらない。

 五 被告人本人の上告趣意第一章第九の三の憲法八条三項違反をいう点は、原判決及びその是認する第一審判決が被告人自白のみを証拠として被告人有罪認定したものでないことは各判文上明らかであるから、所論は前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。

 六 弁護人らの上告趣意第一点の三(上告趣意書に「二」とあるのは誤記と認められる。)及び被告人本人の上告趣意第二章第二の判例違反をいう点並びに被告人本人の上告趣意第一第一、第八の一、第一〇の憲法一条、一三条あるいは三七条一項違反をいう点は、いずれもその実質は審理不尽をいう単なる法令違反事実誤認の主張であつて、すべて適法な上告理由にあたらない。

 七 弁護人らの上告趣意第一点の三(前記六参照)の(五)及び被告人本人の上告趣意第二章第二の二のいわゆる伝聞証言証拠としたとして違法をいう点は、単なる法令違反の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。

 (職権判断

 記録によれば、F警部は、第一審において、ポリグラフ検査の際、被告人に本件被害者の着用していたネグリジエの色等、本件の真犯人でなければ知り得ない事項についての言動があつた旨証言し、第一審判決及びこれを是認した原判決は、右証言採用して右言動認定し、これをもつ被告人を本件の真犯人と断定する一つの情況証拠としていることが明らかである。右証言は伝聞ないし再伝聞を内容とするものであるが、右証言の際、被告人及び弁護人らは、その機会がありながら異議の申立てをすることなく、右証人に対する反対尋問をし、証人尋問を終えていることが認められる。

 このように、いわゆる伝聞ないし再伝聞証言について、異議の申立てがされることなく当該証人に対する尋問が終了した場合には、直ちに異議の申立てができないなどの特段の事情がない限り、黙示の同意があつたものとしてその証拠能力を認めるのが相当である最高裁昭和二六年(あ)第四二四八号同二八年五月一二日第三小法廷判決刑集七巻五号一〇二三頁、同二七年(あ)第六五四七号同二九年五月一一日第三小法廷判決刑集八巻五号六六四頁、同三一年(あ)第七四〇号同三三年一〇月二四日第二小法廷判決刑集一二巻一四号三三六八頁等参照。これらの判決は、伝聞証言証拠能力を認めるについて、異議の申立てがなかつたことのほか、証人に対し尋ねることはない旨述べられた場合であること等の要件必要とするかのような判示をしているが

無能ほど自分が正当に評価されてないみたいな態度とる法則

なんかブクマカみたいに文句つけるのが仕事たと思ってるバカ本当ムカつく

デリヘルではじめてセックスした僕は素人童貞なのか

今、僕は26歳だ。

これまで女性と付き合ったことはなく、セックスしたことはもちろん手を繋いだことだってなかった。

でもそれまでは、まだなんとなくいつかは彼女が出来てセックスする日が来ると思ってた。

でも中高大と男ばかりの世界でもできなかった彼女が、男性が多い職場社会人にできて、その人とするなんてことは起こりようがなかった。

それでも性欲はあるし、いい加減誰かとセックスしてみたかった。

そんなふうに働いて数年、生活に余裕があるのにやることはない日常の中で少しずつ風俗で脱童貞しようという気になっていった。

でもそれまでセックスしたことなかったし、なんだか臆病な性格から、とりあえずデリヘルに行って女性キスしておっぱいを吸ってみることにした。

それまでの経験から見たらそれでもすごく勇気のいる英断だった。

そして僕は色々なサイトを見てお店と女の子を決めて電話した。

はじめてのデリヘルはすごく楽しかった。

来た子はすごく可愛くて、二回もいってしまった。

これで僕はデリヘルが大好きになった。

そしてたまに僕はその子遊んだ

でもその子は突然辞めてしまった。

最初はショックだったけど、そういうことがある遊びだと思って立ち直った。

僕はまた他の子を呼んだ。ハズレもあったけど、楽しいことが多かった。

そんな風にして遊びにも慣れていたころ、僕がはじめてセックスした子と出会った。

の子はとっても可愛くていつも楽しかった。

僕は色々世間話をするうちに童貞であることも話した。

何度か指名して遊んだ後だった。

彼女からセックスに興味はないのか聞かれた。

僕は当然興味あるし、してみたい。でもそれにはまたもう一つハードルがあるし、失敗も怖いと伝えた。

すると彼女から「私としてみない?」と誘いを受けた。

童貞なんてちょろいもので僕はその子のことが好きだったし、その誘いに有頂天になって間髪いれずに同意した。

そして僕は童貞卒業した。

そこで本題に入る。

僕はこのとき童貞卒業した。しかし、それによって僕は非童貞になったのか?それとも素人童貞になったのか?

かに彼女風俗嬢だ。しかしそれはデリヘルであり、そのための対価しか支払ってなく、セックス無償なのだ

はじめてセックスをするシチュエーションは様々あるだろう。

彼女とする。年上に導かれてしてしまう。

そして、これをお金でやると素人童貞になる。

僕の場合はどうだろう。

どちらに分類するのがいいのだろうか。

評価は分かれるだろう。

だが少なくとも僕は自分のことを素人童貞だとは思っていない。

人に聞かれたら正々堂々童貞ちゃうわ!と答えてる。

でもシチュエーションを答えたことはない。

昭和50年代に団藤重光が最高裁判事だった頃からまら判決をしていたよ

 その当時の空気では、キャー卑猥っていう解釈ないし事実認定だったのだろうが、以下の点で、現時点で検討するとナンセンスまりない判決が出ている。

 ・色々言っているけど、検察官公訴権が濫用に当たるのが職務犯罪構成する場合だけというのが論理破綻しており意味不明トチ狂っている。

 ・昭和50年の時点で最高裁も腐っており、すぐに判断せず、もったいぶったようなお上の啓示みたいな判決をしており清廉でない。

 ・あまりに暇だったのか「同法四一四条、三八六条一項三号により主文のとおり決定する。」などといって、決定に当たって一々刑訴法の条文を

  挙げている。これは、昭和40年代からも同じような傾向があり、単に「主文のとおり決定する」ではなく、「~法に基づき決定する」という

  文章の書き方がくそきもい

 こういう次第で、段々腐っていって怪しくなって人気が無くなった。

 

 ・なお、本判決における事実認定の詳細にわたることは問題ない。ただ、法解釈論や、判決を出すタイミングなどがクソ。

 

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/200/050200_hanrei.pdf

(職権による判断

 所論にかんがみ、刑訴法四一一条適用すべきかどうかについて判断する。

  • 1 -

 一 検察官は、現行法制の下では、公訴の提起をするかしないかについて広範な

裁量権を認められているのであつて、公訴の提起が検察官裁量権の逸脱によるも

のであつたからといつて直ちに無効となるものでないことは明らかである。たしか

に、右裁量権行使については種々の考慮事項が刑訴法に列挙されていること(刑

訴法二四八条)、検察官公益代表者として公訴権を行使すべきものとされてい

ること(検察庁四条)、さらに、刑訴法上の権限公共の福祉の維持と個人の基

本的人権保障とを全うしつつ誠実にこれを行使すべく濫用にわたつてはならない

ものとされていること(刑訴法一条刑訴規則一条二項)などを総合して考えると、

検察官裁量権の逸脱が公訴の提起を無効ならしめる場合のありうることを否定

ることはできないが、それはたとえば公訴の提起自体職務犯罪構成するような

極限的な場合に限られるものというべきである

 二 いま本件についてみるのに、原判決認定によれば、本件犯罪事実の違法性

及び有責性の評価については被告人に有利に参酌されるべき幾多の事情存在する

ことが認められるが、犯行のもの態様はかならずしも軽微なものとはいえない

のであつて、当然に検察官の本件公訴提起を不当とすることはできない。本件公訴

提起の相当性について疑いをさしはさましめるのは、むしろ水俣病公害惹起

たとされるA株式会社の側と被告人を含む患者側との相互あいだに発生した種々

違法行為につき、警察検察当局による捜査権ないし公訴権の発動の状況に不公

平があつたとされる点にあるであろう。原判決も、また、この点を重視しているも

のと考えられる。しかし、すくなくとも公訴権の発動については、犯罪の軽重のみ

ならず、犯人一身上事情犯罪の情状及び犯罪後の情況等をも考慮しなければ

ならないことは刑訴法二四八条規定の示すとおりであつて、起訴又は不起訴処分

の当不当は、犯罪事実の外面だけによつては断定することができないのである。こ

のような見地からするとき審判対象とされていない他の被疑事件についての公

  • 2 -

訴権の発動の当否を軽々に論定することは許されないのであり、他の被疑事件につ

いての公訴権の発動の状況との対比などを理由にして本件公訴提起が著しく不当で

あつたとする原審の認定判断は、ただちに肯認することができない。まして、本件

事態公訴提起の無効を結果するような極限的な場合にあたるものとは、原審の

認定及び記録に照らしても、とうてい考えられないのである。したがつて、本件公

訴を棄却すべきものとした原審の判断は失当であつて「その違法判決に影響を及

ぼすことは明らかである

 三 しかしながら、本件については第一審が罰金五万円、一年間刑の執行猶予

判決を言い渡し、これに対して検察官から控訴の申立はなく、被告人から控訴

に基づき原判決公訴棄却したものであるところ、記録に現われた本件のきわめ

て特異な背景事情に加えて、犯行から今日まですでに長期間が経過し、その間、被

告人を含む患者らとA株式会社との間に水俣病被害補償について全面的協定

成立して双方の間の紛争は終了し、本件の被害者らにおいても今なお処罰を求める

意思を有しているとは思われないこと、また、被告人が右公害によつて父親を失い

自らも健康を損なう結果を被つていることなどをかれこれ考え合わせると、原判決

を破棄して第一審判決の執行猶予付きの罰金刑を復活させなければ著しく正義に反

することになるとは考えられず、いまだ刑訴法四一一条適用すべきものとは認め

られない。

 よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により主文のとおり決定する。

けものフレンズ2に対する批判的なネット世論について思うこと

まず本稿はけものフレンズ2(以下「けもフレ2」とする。)を擁護するわけでも批判するわけでもない。アプリから見てきた自分が今のけもフレ2やそれに対して思うことを述べるだけである(割と長いので、最後の方に自分が言いたい事をまとめたので、とりあえずそこだけ読んでくれればいい。)。

今の制作陣の方には申し訳ないが、やはりけもフレ2はけものフレンズ1(以下「けもフレ1」とする。)と比べると、一段劣ると言わざるを得ないだろう。それ程にたつき監督の作るけもフレ1は面白かった。

ただ、けもフレ1期を楽しんだ層のうち、アプリ版に触れたことのある層はそう多くはないだろう。だからアプリ版の人気からすると1期は出来すぎであり、2期くらいの評価妥当な所だと思う(アプリ版は面白かったが大人気になる事は無かった。)。

けもフレ2の最新話で登場した観覧車けもフレ1で登場した観覧車であり、その観覧車朽ち果て海に沈んでいたこからけもフレ1の否定だ」等という意見を見たが恐らくそれは的外れ意見だと思われる。そもそもけもフレと言う物語出会いと別れというテーマが根幹にある。恐らく観覧車が海に沈んでいたのは、けもフレ1とけもフレ2は同じジャパリパークではあるものの、時間が経過しているということを表現たかったに過ぎない。

そもそもアプリからけもフレ1が出るまでの間にジャパリパークは壊滅している。アプリ版ではジャパリパーク運営されていたが、けもフレ1ではヒトが珍しいという状況になっている。けもフレ2に対してけもフレ1の否定だと言う人は、アプリからけもフレ1になるにあたってアプリ版の否定だと言ったのだろうか。

イエイヌの回だって、自ら別れを切り出しイエイヌに対して、一緒に行こう等という事が本当にイエイヌにとって幸せな事だろうか(ただ、制作陣の表現の下手さがあの超低評価を招いた事は否定出来ない…。)。それは恋愛系の作品で敗れたヒロイン主人公に付き纏うような物である

けもフレ1終了後にたつき監督が解任され、けもフレ2は当初からアンチが多数存在する危険コンテンツになった。そんな火中の栗は誰も拾いたくない。そんな中でどういう経緯か分からないが木村氏が監督になる事になった。そんな木村氏のTwitterにはけもフレアンチ粘着している。それって本当に意味がある事なのか?

社会に出れば誰も悪くないが色々な事が重なってプロジェクトダメになる事なんて日常茶飯事だ。けもフレ1のたつき監督の解任に関しても、誰かが全部悪くて誰かが完全なる被害者なんて事は無いだろう。

最終的に自分が言いたいのは

けもフレ1は傑作

けもフレ2はけもフレ1と比べれば劣るが、アプリから続いてきたテーマ踏襲している

監督に凸しても監督メンタルがすり減るだけでなんの意味も無いからやめた方がいい

という事だ。

ここまで読んでくれた人がいたら本当にありがたい。

ライアンの娘観てるけど

デヴィッド・リーン作品のなかでもとりわけ純文芸的傾向の映画だが

この作品デヴィッド・リーン評価を落としたらしいが

しかにそれまでの代表作のように時代や苦境に翻弄される男のロマン的なドラマ感が存在せず

田舎人間性のしけた側面ばかりみせられまさに純文芸的すぎて

やっぱりみ続けるのはちょっと辛い

役者もなんか地味で一般人レベル容姿役者を敢えて集めた感がある

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