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はてなキーワード: 寄稿とは

2021-02-10

anond:20210210170351

悪くはないけど、見切り品を買い占めとおなじで

ファンの人に、古くて価値のある寄稿本を長期保存を引き継いでもらえることを前提に安価で出品されたら転売

といわれると

なにしてるんだ・・・きちんと保管設備はあるんだろうな?とはおもう

 

稀覯本を欲しい人というのは保管方法を知っているけど

たまに、カネ目当ての転売屋さんで、保管方法もしらないのに

いからと転売目的だけで買う人がいて

レベルが足りないとおもうことはある

なぜ転売できるほど安いのか?

そりゃ長期間次の買い手がつかないから、長期保存を前提に保存費用分値段が下がっているに決まってる

スーパーの半額弁当転売とおなじ でなきゃ割安本とかださな

単純に今日売って1週間以内に買い手がつくみたいな即金ものなら、安く売りに出さな

 

そうすると下手なやつが買うと保管費用赤字になるから

捨てちゃうとかがあり、それはふざけるなとなるなら買うなというのはだめじゃないけど思わなくはない

2021-02-07

勝手に削除から考える文芸時評論理

 『文學界2021年3月号の新人小説月評に関して、評者の荒木優太氏が「末尾が勝手に削除された」とTwitterに訂正願いを投稿、ほどなくして『文學界公式アカウント反論ツイートをした。

 のちに荒木氏は『マガジン航』で「削除から考える文芸時評倫理」と題する文章を発表し、背景を説明した。

https://magazine-k.jp/2021/02/06/ethics-in-literary-criticism/

 まず騒動時系列を把握しよう。

 最初荒木氏の①【訂正のお願い】ツイート2月5日19時半前、②『文學界』の反論ツイートは同日9時過ぎ、その後30分と間をおかず、荒木氏は「とりあえず」との留保付きで③追加説明ツイートを行なっている。

 ④『マガジン航』への掲載は翌日である

 では「削除」に至った経緯について、両者の主張を見てみよう。と言っても、経緯の主張については対立するところはない。

 1. 問題の3行を含む原稿を『文學界』が受け取る。

 2. 『文學界』が「批評としてあまり乱暴すぎるのでもう少し丁寧に書くか、それでなければ削除してほしい旨申し入れ」る。

 3. 荒木氏が「では、末尾に『全体的におもしろくなかったです。』と付け加えてください」と伝える。

 4. 『文學界』が「改稿していただけないのであればその3行は削除します」と申し入れる。

 5. 荒木氏が「『お好きになさるとよいでしょう』、ただし『その事実SNS等で吹聴する』」と返答する。

 6. 削除された状態刊行される。

 7. 「勝手に削除された」と荒木氏がTwitterで吹聴する。

 以上である

 さて、ここからが本題である。『文學界』のツイートは一貫して、「勝手に削除された」という「認識」をめぐるものである

 先ほどの経緯を「削除」の一点に絞って書き直してみよう。

 1. (略)

 2. 『文學界』が「削除してほしい」旨申し入れる。

 3. (略)

 4. 『文學界』が「削除します」と申し入れる。

 5. 荒木氏が「お好きになさるとよいでしょう」と返答する。

 6. 「削除された」状態刊行される。

 7. (略)

 『文學界』の立場としては、まず削除してほしいと提案し、聞き入れられない(どころか批評たりえない(と彼らが判断する)改稿を提示された)ので削除を宣言し、荒木氏が認めたので実際に削除した=「勝手に削除したわけではない」、ということになる。すなわちここでの「勝手に削除する」は、A「著者に一切の了解を得ることなく不掲載とする」ことを指す。

 荒木氏の立場としては、編集部意向で、B「最終的な確認なく削除された」=「勝手に削除された」ということになる。

 つまり問題はこういうことだ。

 「勝手に削除してもよいという合意」の上で削除が行われた場合、それは「勝手に削除された」と表現できるのか?

 一見して難問だが、前件と後件の「勝手に削除」は、指しうる範囲が異なる。Aの意味は「合意」とそもそも相容れないため、前件ではBのみを指しうる。一方で後件は問いの形式なのでAとB両方指しうる。しか命題「〜場合、それは『勝手に削除された』」が真となるのは両件ともBを指す場合のみである

 では荒木氏のツイート時系列に話を戻すと、最初の「勝手に削除された」という荒木氏の言葉は、ここでは後件に相当する。しかし前件はそもそも提示されていないために、AとB、どちらを意味するとも解釈できる状態である。それに対して『文學界』の経緯説明は前件を説明するものであり、ここでようやくBの意味での解釈のみが妥当であることがわかるようになる。

 言い直すと、A「著者に一切の了解を得ることなく不掲載とされた」と荒木氏が主張しているように読めるため、そこに出てくる表現勝手に削除された」は、B「最終的な確認なく削除された」のみを指しうるのだと、『文學界』は反論したのである

 これを踏まえると、「Bでしか解釈できないはずの表現を、Aとも解釈できる状態で公にした」荒木氏側には、『文學界から反論されるだけの落ち度があると言えるだろう。

 荒木氏を擁護しうるとしたら、以下の主張が妥当である場合だ。

 「物理的に手出しできない」という不均衡な関係ゆえに形式同意せざるを得なかっただけで、本来的には一切了解していない、すなわち前件自体が間違っているのだから、Aと解釈すべきである、という主張である。なるほど、物理的に手を出せないのは明らかにである。だが、「ならば同意せざるを得ない」と即座に結論づけられるのか。これは言わば「抗拒不能」を争うもので、論理から法の領域に踏み込んでしまうだろう。

 ここで可能性として生まれるのは、「6. 『削除されなかった』状態刊行された」パターンである。ではなぜそうならなかったのか。『文學界』側が「論理的に適当でないのだから削除するほかないではないですか」という論理的な抗拒不能に陥っていた場合である

 本論では『文學界』側にこの主張が成り立つかを『マガジン航』に掲載された「削除から考える文芸時評倫理から考えてみよう。

 荒木氏は「削除されなかった」場合作家が反応を示した場合を想定して、こう書いている。

そもそも作家から「反応」があったからといって、なんだというのか。怒りたければ怒ればいいし、月評に不満なSF作家樋口恭介がしたとおりウェブ反論文を書いてもいい。場合によっては私はそれで反省するだろうし、或いはやはり自分の正しさを確認するだけに終わるかもしれないが、その過程のなかで新たに発見できるものもあるだろう。

 ちょうど1年前の『文學界新人小説月評に対し、作家樋口恭介氏が反論した例(https://note.com/kyosukehiguchi/n/n54a493f4d4f4)を挙げ、自身の評言に対しても同様に振る舞えばよいではないかと述べている。

 樋口氏の件では反論に遭った両評者とも、作品内容にある程度触れ、自らの解釈をある程度開陳した上で否定的評価を下している。よって樋口氏は両者の解釈そもそも成り立たないことを説得的に示し、古谷から不適切であったと謝罪撤回を得ることに成功している。非常に健全批評的やりとりだった。

 ところが荒木氏の問題の3行には解釈がない。解釈提示されていないのであれば、樋口氏のように「それは誤読だ」と反論することもできないだろう。荒木氏自らが提示たこの事例との比較から、「反論余地を与えない表現批評たりえない、単なる悪口である」という論理が――「論理的に適当でないのだから削除するほかないではないですか」――容易に導かれる。

 荒木氏は「文学作品は作者による産物であると同時に、読者がもつ解釈格子次第でいかようにも姿を変えるものだ」とも述べている。なるほど、その解釈格子を通して得られた感動は「読者が固有の仕方で編み出した創造物」であるという論も含めて同意する。ところが荒木氏は続けて、「読者に伝えたいのは、私のもっているつまらなさや無感動も、いくぶんか自己責任もつところの私自身にとっての大切な創造であるということだ」と述べる。結論はこうだ。

私の最大の、というより唯一の武器は、面白いものには面白いといい、つまらないものにはつまらない、という、正直であることのほかない。

 荒木氏の論理では創造なのは「(無)感動」である解釈のものはそれを生み出すためのフィルターである。そして荒木氏が月評に書こうとしたのは「全体的におもしろくなかったです。」の一言、すなわち「感動」である

 だが、樋口氏の事例との比較で明らかなように、批評文に求められるのは、評者の感動=感想などではなく、それを生み出すにいたったフィルターであるところの解釈である解釈には確かに属人的な部分もあるが、ある程度規範的な部分もあり、さもなくば書き手自身から反論も成り立たず、「過剰解釈」が氾濫する。なるべくそ規範的な解釈をもって評価を下すのが評者の使命であろう。評者個人の正直な感想など、正直言って全く興味がない。文芸誌を買ってまで読書感想文を読みたくなどない。

 月評の制限字数わずであるため十分に論が展開できないというのならば理解できる。ところが『マガジン航』には多少なり岸作の解釈が載るのかと思えば、ここでもやはり「簡単な紹介と個人的所感」にとどまる。「個人的所感」などどうでもよい。

 解釈ができないのであれば、あるいはするまでもないと思ったのであれば、端的に書かなければよいだけの話であり、結果として「勝手に削除された」のは理の当然であろう。

 ある意味当事者となった川上未映子氏はこうツイートしている。

 テキスト論理もなく書かれた感想に怒りで反応する皮相な「緊張感」だけが漂う場を、批評とは呼ぶまい。

追記2021年2月8日

 反応をいただいたのでいくらか補います

 まず公平性を期すためあえて本論執筆者自身の考えを明確にすれば、「『文學界編集部の削除対応は、抗議ツイートまで含めて手続き問題はないが、合理的ではなかった」というものです。

 仮に削除せずに全文ママ掲載し、岸・川上両氏から編集部に対して抗議が来た場合、やりとりの履歴はあるのですから「改稿あるいは削除を提案したが聞き入れられなかった」と説明すればよいでしょう。改稿・削除を要求した理由が両氏への忖度だけなのであれば――「裏工作して保身に走る編集者」なのであれば、交渉をした時点ですでに保身は成立すると言えます

 あるいはもし仮に改稿・削除提案荒木自身の体面を守るためというお節介だったとしても、誌面から削除したところで荒木自身SNSで当該の評言を公開することは避けられないわけです。

 それでもなお最終的に削除の決断をした。非合理的でしょう。「批評を載せるのだ」という編集部としての決意表明のようなものを感じます(これは解釈を経て創造した感想です)。

 無論、コメントでいただいたように、「そもそも読者は批評を求めていない(批評を求めていない読者もいる)」可能性はあります。誌面にどのようなものを載せるか決めるのはまさしく編集作業なので、この場合問題は「作者が作りたいものと受容者が求めているものが違う」ことです。

 ただし荒木自身批評を書こうとしているので(「「批評言葉」かどうかを編集部判断するのがお門違いであり」と主張している以上)、問題の3行を読んで「読者は批評を求めていないのだから問題ない」として荒木氏を擁護しようとすると、逆に氏を裏切ることになります

 よって、時評の存在意義や読者の需要コメントでいただいたように「別の話」なわけですが、それはそれで議論されるべき問題なので取り上げました。

 最後に、本論文末の「緊張感」は、わざと誤読のように用いていますコメントでおっしゃる通り、「テキストへの真摯さ」が本来の緊張感ですが、テキスト論理がないので当然この本来の緊張感も不在です。それとは別の、感情的応酬という緊張感しかないのだ、と表現するために括弧付きで「緊張感」としました。最後までお読みくださりありがとうございます

2021-01-28

anond:20210128150825

ホンマに?寄稿してる有名なライターだいたい男だけど。

2021-01-24

躁鬱に振り回された話

数年前、とあるアンソロがでた

大勢の人が推しCP作品寄稿して参加した

愛に溢れていて、それはそれは素晴らしい本となった

と、ここまではよかった。

ここから先が地獄だ。

イベント後に献本を貰うはずだった人へは本が送られてこない。

謝礼をもらうはずだった人へは謝礼は支払われない。

連絡をしても反応がない。

一部の人主催が催促を行うと

アンソロジーはちゃんとだしたじゃん!!そんなすぐすぐ対応できない!!(発刊から2週間経っていた)」

「みんなが私をいじめる!!無理!!鬱になりました!!!」などととほざいた。

あげく、Twitterみると吐き気がする、気持ちが落ち込むなどと言っていくらDMやリプをしても反応がない。

一部の直接連絡を取れていた面々が個人的に連絡をとり早く対応しないとだめだよ。待たせちゃだめだよと伝えても

「発送しようとしたら階段から落ちて怪我たから発送にいけない」

会社から給料が支払われなくて謝礼を払うだけのお金がないから少し待ってほしい」

「躁鬱の鬱期でベッドから動けない」

言い訳が続いた。

上記自分からTwitter等で参加者説明することはなく、個人的に連絡した人にのみ伝えられた。

なのでその数名以外の参加者は訳もわからず数年に放置されているのだ。

最初は、病気なら…と仕方なしに彼女の肩を持っていた面々も愛想を尽かしていった。

最終的にLINEへの反応もなくなり既読すらつかなくなった。

Twitterに至っては別ジャンルにハマったようで新垢を作り転生していた。

Twitterをみると吐き気がするのではなかったのだろうか。見た限り元気良さそうに毎日フォロワーと会話をして、今ハマっている作品二次創作投稿していた。

現在収入がないはずだが、コラボ店舗にも行き散財しておりだんだん彼女が信じられなくなった

連絡が取れていた期間に何度も今現在の状況を参加者説明するようにといっても

「鬱だから無理」

「(転生先アカウント投稿をみたことを伝えると)いま元気そうにみえるかもしれないけど、それは躁鬱の躁の時期だから

収入がないのは本当。コラボ店舗に行った時の金は親から借りていった。(※30代)」

などといって直接説明をすることはなかった

つい最近pixivをみていたときのことだ。

フォロー新着の欄に彼女作品が表示されていた。

そこから彼女のページに移動すると現在推しCP作品投稿されていた。まさかと思いそのCP名と彼女名前Twitter検索をかけるとアカウントがヒットした

案の定だが、彼女はまたもや転生していた。

とある時はベッドからも起き上がれなくて食事や入浴も家族介護がいるはずの彼女がその作品コラボ店舗に1ヶ月で4-5回訪れ、コラボグッズを数万円購入しており、グッズ交換も頻繁に行っていた。

ここ数年就労不可で現在では回復の見込みがないほど酷い躁鬱状態のはずだがグッズを数万円分購入するだけの金銭的余裕はあるようだ。

挙げ句の果てに新しい推しCPの本を出して自家通販を行っていた。

心の底から失望した。

ここまで人に失望したのは初めての経験だった。

バレなければいいと思ったのだろうか。

本当に躁鬱で苦しんでいる人は大勢いるはずだ。

ただ、彼女を見ているとどうも信じられなくなった

何か注意されると「躁鬱だから」「鬱が悪化する」「ODダメなのはわかってるけど辛い。眠れない。ODする」などと言い出す。

また少しでも自分の非を指摘されると逆ギレしてくるような人だったので、なんとなく「謝りたくない、対応したとしても問題を先送りしたことを怒られるのが嫌だ」だと思っているのだろうなと思った。

躁鬱患者アンソロジーの主催をするな、とは言わない。

ただ主催である以上、責任が伴う。

アンソロジーの主催仕事は出して終わりではないはずだ。

躁鬱を理由にして、その責任から逃げるのはやめてほしい。

そして本当に治す気があるのであればきちんと薬を飲んでほしい。

(ODした翌日、彼女は「つらい…体調良くない…鬱が悪化してるのかな…」とほざいていた。ODたからだろ)

そして躁の時期にそれだけのことができるのであれば、今ある問題を片付けてから先に進んでほしい。

以上、とある躁鬱主催に振り回された女の話でした。

特定は避けたいので彼女がいまどのジャンル活動しているかは明記はしない。

追記 1/25

古い、決済方法が云々って暴れてる方へ

場外乱闘すな 必死か 乙

2021-01-18

Steam VR版「えんとつ町のプペルレビューが気になる件

悪い意味話題になっているえんとつ町のプペル記事を見ていて、気になることがあったのでまとめました

Steam VR版「えんとつ町のプペル」について

正式名称は「PoupeIIe Of ChimneyTown VR ~into the world~」。「えんとつ町のプペル」のストーリーVR再現したという作品

2019年6月21日リリースクラウドファンディングをもとに開発された作品絵本の作者いわく「サロンメンバー作品」とのこと。

store.steampowered.com/app/1079520/

twitter.com/nishinoakihiro/status/1080226066575159296

レビューについて

13個のSteamアカウントレビュー。そのうち2019年6月23日投稿された3件のレビューにおいて

いずれもSteamプロフィールページが未作成で、アカウントに記録されている製品がプペルVRだけ(または記録なし)。

いずれも投稿日時が同じ日で投稿間隔も40~50分になっている。

下魚

これに対する反応

2019年6月26日にある海外ユーザーSteamスレッドで「明らかにフェイレビュー投稿されてるので買うの辞めました」と指摘。開発・パブリッシャーのvLabは無反応。

  • Obviously fake reviews steamcommunity.com/app/1079520/discussions/0/1640915206443087500/

2020年5月には5chの掲示板で怪しいレビュー投稿しているアカウントID開発者名前類似性を指摘するIDがいた。

2020年11月商業サイトレビュー寄稿するユーザーが「本作をオススメしない」というレビュー投稿しつつ、レビューの中でこの件に触れる。

ところで、Steamレベル0か1、アカウント内の製品数1、レビュー件数1、プレイ時間0.3時間みたいな感じの人達がいっぱいオススメレビュー書いてるんだけど、なんでだろうね?

彼らはこれを買うためだけにSteamアカウントを作って、20遊んだあとに急にSteamに関する興味の一切を失ったのかな? ご存命ですか?

おわり

萌え絵で受賞したあるるもさんの命を狙うフェミニストたち、そこに現れたアメリカアフリカン、ジェシカがあるるもさんの手をとって逃亡、逃亡先はロヒンギャ難民キャンプ白人至上主義者と隣接する区域だった。あるるもさんは精力的に作品を発表するが、そこにポリティカルコレクトネス政治家新聞寄稿し始め――みたいな一大スペクタクルはいつ発表されるのか。発表されたら社会現象間違いなしなんだけど。

2021-01-14

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世界が今年のベスト(#AOTY2020)を出す中、11月ベストです!今年中に年間ベスト来年1月中に2020年12月ベスト書く予定、まだまだ2020年は終わらない終われない!

Sankofa Season / Andrew Ashong & Kaidi Tatham

Kaidi Tathamが大好き人間なので、もちろん最高でした!クラブジャズ〜ブロークンビーツの良さの一つに、打ち込みで肉体的なフレーズ再現しようとした絶妙違和感があるのですが(あくま個人的感覚です)、もれなくその魅力が炸裂する高密度の異形ジャズ空間即興性があるけれど時間軸は繰り返されていそうな不思議さというか。「そんなフレーズ突如ユニゾンするの?」「このキメで合うの?」みたいな。

Andrew Ashsongのソウルフル歌声でより肉体性とDAW感が混乱し融解していく感覚がたまらなかったです。

Sin Miedo (del Amor y Otros Demonios) ∞ / Kali Uchis

Kali Uchisの2ndアルバムであり、スペイン語として1stとなるアルバムレゲトンラテンポップスを取り入れた所が肝なんですが、個人的には上記の曲のような、ローファイでサイケダウナーでドリーミーにチルい音像が素晴らしかったです。一歩間違えれば悪夢的な濃密さが凄い。

Girls FM / Girls of the Internet

今年頭から定期的に出すシングルが毎回良かったGirls of the Internet、その総集編的なアルバム基本的歌物ローファイハウスという感じなんですが、音数がしっかり少なく、チャラいけれどストイックである絶妙塩梅が良かったです。各フレーズをしっかり作っている印象で、丁寧さがクオリティに繋がっていました。

Small Moments / Dan Kye

Jordan RakeiのジャズハウスプロジェクトDan Kye。思ったより歌中心で、そういう意味だと割とそのまんまJordan Rakeiなんですが、M1"Mogeri"のダークでミニマルトラックが素晴らしかったです。ドープな方向に行ってもダンス・ミュージック的な明るさや開放感があることに、勝手オーストラリア・シーン的な雰囲気を感じました(活動拠点はもうUKですが)。

Muvaland / Cakes Da Killa x Proper Villains

ラッパーCakes Da KillaとプロデューサーProper VillainsとのコラボEPハウスラップを乗っかる「ヒップハウス」が中心。要素としてはディスコラップっぽくなりそうなんですが、両者とも攻め攻めです。快楽的で攻撃的な4つ打ち狂気を注入するCakes Da Killaのラップが最高でした。

The Angel You Don't Know / Amaarae

ガーナ出身シンガー/プロデューサーAmaaraeの1stアルバムAlté(オルテ)シーンの一人ですね。ギターの使い方が上手く、ラグジュアリー&リラクシンな音が良かったです。ウィスパーボイスでフロー感ある歌がトラック含めて聴きたくなるバランスにしていると思います

Ekundayo / Liam Bailey

El Michels AffairのLeon MichelsのレーベルBig Crown Recordsよりリリースされた、ジャマイカン・ルーツを持つシンガー作。曲としてはオールドスクールなんですが、ヴィンテージ的なざらついた音にすることで、むしろ今っぽい感じに聞こえる面白さです。

January 12th / Matthew Tavares & Leland Whitty

元BBNGのキーボーディストMatthew TavaresとBBNGの管楽器奏者Leland Whittyのコラボライブ版。今年3月に『VIsions』というアルバムを出していて、それと同様のメンバーです。即興セッションとのことなんですが息の合い方が素晴らしく、むしろ長尺&壮大&有機的にうねっていくための決め事の少なさなんじゃないかと思ってしまます。ざっくりとスピリチュアル・ジャズ系ではあるんですが、マスロックみたいな瞬間からアンビエントまで行き来する幅広さも魅力でした。スペーシー。

Speak Low II / Lucia Cadotsch

スイス出身シンガーLucia Cadotschに、サックス奏者Otis SandsjöとベーシストPetter Eldhが加わったコードレスドラムレストリオ編成によるアルバム楽曲によってはチェロハモンドオルガンが加わりますが、いずれにせよ支えに回る演奏はなく全員自立。緊張感のある隙間多めの演奏がかっこよかったです。この編成で歌い切るLucia Cadotschがひたすら凄いし、時にはリズミカルに時にはオブリとして動くOtis Sandsjö(今年出たアルバムよかったです)が魅力的でした。

Imminent / The Comet Is Coming

爆音爆圧爆裂!笑っちゃうくらいテンション振り切っていて最高でした。この異様な熱量の中で吹き切るShabaka Hutchingsも素晴らしいし、エレクトロ由来のビートを生々しく再解釈して叩くBetamaxもかっこ良い!そしてそれ以外すべてを司っていると思うとDanalogueすごすぎないかと思うトリオですね。爆音といえば→EDM感に行きそうでいかず、徹底的にハードコアであるバランスが見事!

近況

ミュージックマガジン寄稿しました

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2021-01-01

anond:20210101131245

穂村さんが、枡野さんの結婚失格に寄稿した文章は、穂村さんが自分エッセイで見せる、どこか抜けてる親しみやすい顔ではなくて、かなり新鮮だからファンならそこだけでも読んで損はないよ

anond:20210101120820

穂村弘さんのことを深くつめたければ

現実入門、蚊が、にょっ記

などエッセイを読めば、こういう人がこういう短歌を作ってるんだな…と思う

ベッドの上で菓子パン食べてジャリジャリさせる人なんだ、と

同じく短歌をつくる人で、枡野浩一さんの本もいいかも。

石川くん」という、石川啄木のロクでもなさを紹介した本は、どこかコミカルで読みやすい。

結婚失格」という妻子に逃げられた自伝小説。そこに寄稿している穂村弘が鋭い視点で、同業者の枡野という人間不器用さを鋭い目で分析してるのがいい

2020-12-30

2020年数学小説に関する小さな後悔

今年、数学小説に関することで「やっておけばよかった」と思ったことがふたつあった。

ちょっとしたことなのでここに記録しておく。

1つ目。

『年刊SF傑作選 超弦領域』に収録されている円城塔短編ムーンシャイン」に

これを発展させたファイト-トンプソン定理は、「奇数位数の有限群は可換である」ことを主張する。

とあるのだけど、これを読んだ時に

ここの「可換」って「可解」の間違いだよな出版社に知らせておいた方がいいか

と考えたのだけど、ストーリーには何の影響もないディテールだしすぐ知らせる必要もないなと放おって忘れていたら、

今年出た伴名練 編『日本SF臨界点[恋愛篇] 死んだ恋人から手紙』に

ムーンシャイン」が収録されていてこの部分がそのままだった。

2つ目。

奥泉光長編小説『雪の階』で、数学を愛好する主人公笹宮惟佐子に関して

微積分の初歩を終えたばかりの惟佐子には手が出せそうになかった。

描写されるところ(一章 七)があるのだけど、その直後に

初歩の参考書からはじめて高木貞治代数学講義』、ミハエル・グラッスス『高等数学入門』、竹内端三『函数論』と云った著作を惟佐子は独習し、いまは山畑氏から借りた解説書で解析学も少しずつ勉強をはじめていた。

という文が出てくる(作中の時期は昭和十年(1935年))。

竹内端三『函数論』は上巻(函数論. 上巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション)だけでも関数論(=複素関数論)のかなり詳しい部類の本で、

下巻(函数論. 下巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション)までいくと楕円関数論について詳しく扱っているような本なので、

それを「独習し」というのは「微積分の初歩を終えたばかり」という描写齟齬をきたしていると思う。

竹内端三『函数論』は現在でもわりと読まれていて数年前に復刊もされている本なので、誰も気にしないにしても記述修正した方がいいじゃないかな、

と思うだけ思いながら特に何もしていなかったら、

つい先日『雪の階』が文庫化されて上にあげた部分はそのままだった。

変更されていたかは分からないけど、一応どこかに言っておけばよかったとちょっと後悔した。

そもそも、本のミスや誤字脱字を見つけた時どのくらいの人が指摘・報告をしているのだろう?と思った。おわり。


数学小説について、おまけ。

現在発売中の数学セミナー2021年1月号の特集が「SFと数理科学」で、

円城塔による総論数学との絡みのある小説をいろいろあげていて、

同じく現在発売中のSFマガジン2021月2月号の小特集に伴名練が寄稿した文章の中で

構想していたという数学SFアンソロジーに収録するつもりだった作品をあげている。

2020-12-27

大学生自分を振り返る

22歳大学生男、二浪一留理系

悪いところ・苦手なことは人に弱さを見せること、弱さをいつか見せなきゃいけないと思うと人と関わるのを躊躇してしまメンタル自分の望みに素直になること、失敗や悩みを切り替えること、怠惰であること、先延ばし癖があること、表面だけの返事をしたり人の話を聞いてないときがあること、心の中でキレるとわりと態度に出てしまうこと。

(なので恋愛は確実に下手です)

得意なことは他人には気を配って想像できること、明らかに何か困ってる人には躊躇なく声かけられること、必要があれば自分から手を挙げて行動できること、ここぞのとき勝負できること、我慢強いこと。

コンプレックスは人より遅れて生きてしまっていることで見下されたりマウント取られる対象になりがちなこと。おそらく精神的に未熟であること。

目標は強く生きること。死なないこと。プロ野球スピリッツAで覇王リーグにいくこと。自分が大切にしたい人を大切にできる人間になること。心の平穏を保つこと。

大学入りたての頃は、上記の苦手なことやコンプレックスと向き合うためには自分を殻の中に閉じ込めるのではなくもっともっとさらけ出す必要があると思い、色々やってみた(漫才、おーいお茶俳句大賞への寄稿、未経験スポーツを始めるなど)

でそれ自体は間違ってなかったと思うけど、あるときぜんぶ疲れて燃え尽きてしまい何のやる気も出ない時期もあった。毎日今日は死のうと思ってたくらい孤独に悩んでた。今思うとしょうもない。まぁ目標が「さらけ出すこと」では実際ただキツくなったのは当然だと思う。今はそのスポーツだけ楽しく続けている。

留年自分無能証拠となるため自分が心の平静を保つ上でも人と関わる上でも損をすることが多い。浪人ですらそうではあるが。(ただ浪人はとても頑張ってやって偏差値でだいたい30近く上がった結果があるのでほんの少しの自信の根拠にもなっている)

人は悩んでるときは許しが欲しいだけのことがある。なので今後も自分は苦労すると思うけれど今は少し機嫌がいいということで少し自分を許してあげた。親にも迷惑かけたしダサいことばかりやってるし時間は戻ってこないし自分で損する道選んでるしまだまだ青二才フラフラしてる大バカ野郎なのだが、いいとこはあるし許してあげる。よしよしなのです。にぱー。

2020-12-18

えっち女性漫画家と知り合いになりたい

えっちな本に寄稿している女性漫画家と知り合いたい

たぶんフェロモンがでていてえっちである

かれこれ20年くらいファン女性漫画家は、

さいきんは熟女ものショタ喰いを書いている

完全にこれ作者を投影してるだろというかんじでよい

文章最初に名乗るという文化

うん、で返信を始める話を見ていて思い出したことがある。文章最初に名乗るということだ。

これだけだとピンとこないかもしれないが、私にとってはかなり違和感のあることで驚き、疑問に思った出来事だったので、思い出しながら書いていくことにする。

最初に気付いたのは、社内報製作していた時のことだ。社員投稿をお願いするコーナーがあった。

毎号掲載のお馴染み企画なんだけど、目的社員紹介とか交流で、内容は趣味旅行食事会などさまざま。次号に寄稿する社員を今号の掲載者が指名してリレー形式で続けていくものだった。

大体同じ部署や支所、同期などに回していく人が多いんだけど、長く続けていくと「もう出たよ」という人が増えて行ったり、頼みやすから新入社員などの若手に偏ってくる。(そこからいきなり部長クラスに飛ばす猛者もいる……もとい良い雰囲気職場も多く、案外スムーズに回っていた)

そうするとある時期から、本文頭に「こんにちは新入社員の〇〇です!」のように名乗る投稿が見られるようになった。

掲載事項は上から順に、所属、氏名、写真、本文である。だから最初に見たときに「いや本文で名乗らなくても氏名すぐ横に書いてあるからわかるんだが」とびっくりしたのをよく覚えている。

"その人らしい"原稿尊重する意図から校正は誤字や文字数調整(もちろん了承はとる)だけにとどめ、できるだけ原文ママ掲載を基本としていたので、最初はそれでよしとした。次号からも似たようなものが見られたのはおそらく、前号を参考にしたからだろう。

だが、限りある誌面で、目的社員の紹介だ。書くことがなくて文字数が少ない分には構わないが、最高でも100字(大体2~3文)しかないのに、なぜそんな無駄なことをするんだろうととても疑問だった。空白を埋めるにしても不自然すぎる。在籍期間の少ない社員にも過去号を参考に渡したため、掲載内容や誌面イメージがわかないということもないはずなのだが。

そんなこんなで、氏名は隣にあり被るので誌面の都合上掲載しませんよ、という方針に変更となったのだった。ちなみに、その後も本文に氏名を書いて「これが自分だ!」と主張してくるような社員はいなかった。

それからしばらくして、である

複数人でやりとりするDiscordサーバーに、いつも最初に名乗る投稿者がいた。

いやそのすぐ上に名前あるからわかるんだけど??と私はその時も謎だった。

まり理由が分からなかったので本人に尋ねてみると、「周りもそうしている」とのこと。

周りって?と聞くと、「バイトサークルグループLINEとかではみんなそう発言している」そうなのだ

その例でいえば、理解できる。表示名が苗字どころか名前ローマ字だけ等だと誰が発信しているか分かりづらく、「●●学科△年の××です」と最初に名乗るのはスムーズな連絡のためには必要だと考えられるし、納得できる。

付け加えるように「メールとかもそうでしょ?」と言われたが、そりゃメールメールアドレス(もしかすると表示名かもしれないが)→タイトル→本文→文末に送付主情報から、先に名乗るのが親切の場合はもちろんある。これも分かる。

でもすぐ上に、メッセージを受け取る側がその人だと認識できる状態の表示名があるのにわざわざ名乗る意味とは?と訊いた時に、「確かに必要いね。そういえばなんでだろう?」と本人も分からないようだった。本当にいつもの通りに文章を送っただけなんだと思う。

そういえば、先に話題にした社内報でも、名乗りで始まりよろしくお願いします」で終わる文章はあった。あれもメール形式に則ったものだったのかもしれない気はしている。

正直に言えば、どちらのケースも必要(もしくは求められているもの)・不必要もの判別がついていないし、TPOに合わせた行動ができていない結果だなと厳しいことも思っている。もちろん間違ってはいないし、特にSNSグループのやりとりなんて文字数制限もない。それこそ"個性"にも見え得る一文、それは確かにそうなのだけど。

が、ともあれ、自分にとって身近なLINEなどのグループ内やりとりや、実際に使ったことが無いビジネスメールを模したつもりの投稿をみるに、これは現代ならでは"最近の若者”の文化なのではとも思うのだ。グループメッセージがある環境で育ってきたSNSネイティブ世代、というか。まぁ手元の具体例は一桁しかなく限られたものなんだけど。でもこれ、実は他でも見られるものなんじゃないかなって。

彼らが今後社会人になって、ビジネスメール普段から触れていく状況になったらどうなるんだろう、ちょっと興味がある。これが普通になるのかもしれないよね。

……まぁ個人的には、近い場所で同じことを繰り返すのは無駄という思考(これは誌面作成校正から職業病に近いと思っている)を持っているし、結論理由が簡潔にまとまっている文章が好きなのでこういうのが気になってしまうだけかもしれない(この投稿冗長ものなのはどうかご容赦願いたい)し、否定的な気分ではあるんだけどね。それがこれから文化ならば「そういうものなのか」と受け止める柔軟性はもっていたい。多分私はやらないけど。

2020-12-02

アンソロにも感想がほしい

タイトル通り。

アンソロ執筆のお誘いをもらえるのは光栄なことだし、テーマ性が凝っていたりと執筆自体楽しい。他の参加者作品を読むのも楽しみのひとつ

でもアンソロ寄稿した作品にしっかりと感想をもらえたことはほぼ無い。全体に対して面白かったという感想を見かけることはあるけど、個人的感想を送られたことはほぼ無い。

自分作品面白くなかったなら仕方ないけど面白いと思ってくれたなら感想がほしいのが正直なところ…。

今もまたアンソロ原稿執筆中だけどもらえないかもしれない感想のことを思うと少し悲しい。

もしアンソロを読んで面白かった作品があったらぜひ執筆個人感想を送ってあげてください。待ってる人はたくさんいると思う。

2020-11-19

anond:20201119182054

フリマでもハンクラでも、定められた額を超えて黒字だったら副業でしょ

赤字だったら趣味

一応、何かの時のために、黒字じゃないですよ、って証拠を残す必要はあるんじゃない?

疑われる行動は間違いなくしてるんだから

それは同人活動じゃなくても、フリマやハンクラ、ネット記事寄稿する副業ライターでもね

二次小説書いてる教員だが

恥かくタイミング自分で選びてえなああああああ!!!という気持ち

(ちなみに支部投稿してるだけで同人誌作ったことはない。)

例の高知先生絶対兼業の届けを出せばいいってわかってたと思う。

私の同僚でも、本に寄稿してる人とか、教科書に関わってる人とか、問題集執筆してる人とか、今までに結構いた。

みんな上の許可取ってた。事後報告もいたけど、そういう人はやはり注意されてた。(今回の先生もそうだと思う。)

からルールは守れ!ルールは守れと言いたい!だがしかし!言えないよね!!!!わかるよ!!!!!!

申告すればいいってわかってても、二次創作で通るかわからないし、通るかわからないもののために二次創作校長教頭に見せられるかと聞かれたら無理だ!!!!!!

から黙っていたんだろうな。超えるとは思ってなかったんじゃない?実際微々たる額だし。

でもルールを守っていれば学校内で済む恥だったものが全国に広まってしまたことを思うと…思うと…悲しい…。

でもこれを同人から大目に見るのはやめたほうがいいと思う。ツイッターオタクたち、身内に甘い!!!!!!!!!

これ、同人活動の制限じゃなくて、ルールを守らなかった事例だから!!!!!!高知県の教育委員会は悪くないか!!!

少額でも認めたらどこまでも認めなくちゃならない!それルール意味ねえ!

どうせならルール変える方向に動こう!!ルール守らなかった人を庇うのは違うよ。

ルールは変えてほしい。これはガチで。

そして擁護する人たちは「同人活動は趣味なのに」「同人誌頒布であって販売ではない」って言うけど、それオタクの中の理屈から!!!

法律それ関係いから!お金が発生した・してないそれだけだから

自分たちの建前が法律通用すると思わないで!!

でも、個人的気持ちを主張していいなら、申告はするからもっと広い範囲副業認めて欲しいな…。

給料低いぜ…。残業こんなにしてるのになあ…。

2020-10-15

20年以上守ってきたジャンルに裏切られた話

あるジャンル20年以上もの間、没頭していた。青春を捧げたと断言できる。

どのジャンルか詳細はボカすが、90年代末のポケモンブーム真っただ中に登場した、漫画ゲームアニメメディアミックス作品だ。

比較マイナーだが作品名を聞けば、30歳前後なら誰もが口にすることだろう。「あー懐かしい」「そんなのあったね」「まだやってたんだ」と。

まさにそのような、最新の情報を調べようともせず、調べても「昔の方がよかった」などと抜かし、そのくせ恥ずかしげもなくファン自称しては雑語りをするような連中を啓蒙する活動を何年も続けてきた。

かに一度「死んだ」ジャンルではあることに違いないのだが、10年も前にゲームの新作を出して復活して以来何作も続編を出し、web漫画も連載中で、新しいグッズもたくさん発売されている。

今ではれっきとした、「生きた」ジャンルなのだ。出戻りや懐古厨どもに好き勝手言われる筋合いなど微塵もないのだ。


健やかなる時も病める時も、自分ジャンル人一倍貢献してきた自負がある。

復活前の空白期間からwiki運営していたし、希少な資料から情報を得るために国会図書館にも足を運んだ。

イベントには公式非公式わず顔を出した。ジャンル最大級の合同誌に寄稿したこともある。

ゲームが出れば毎回現物複数DL版も購入したし、ブログツイッター考察だってした。

そして暇さえあれば作品名で検索し、雑語りを見つけてはツイッターフォロワーたちと一緒にRTした。

東に懐かしいと言うニワカあれば 行って 現行作品認知しろと言ってやり

西に昔の方がいいと言う懐古厨あれば 行って 思い出補正だろと言ってやり

南に低迷期の不人気作品disあれば 行って お前の感性浅薄だと言ってやり

北に喧嘩炎上があれば 行って 有害な方を制裁してやり

そうしてあらゆる方面から20年以上という気の遠くなるような歳月を、ジャンルを支えることに費やしてきたのだ。

アニメが終わったとか主人公が変わったとか雑誌連載が終わったとか、そんなくだらない理由で脱落したお前らに代わって、ずっとずっと。


そんなジャンルを、なぜ離れたのか。早い話が、疲れてしまったのだ。

自分フォロワーたちがどれだけ半可通を見つけ出して正しい知識啓蒙しようとも、思い出に憑りつかれて過去を美化し続けるゾンビのようなオタクたちが毎日毎日無数に湧いてくる。

更には自らの無知不見識無礼を棚に上げて我々をブロックする者やレスバを仕掛ける者、過激派レッテル張りをする者など、反感を隠そうともしない者も少なからず現れた。

しかし決定打となったのは公式姿勢である

自分が、否、我々がこれだけ作品への認知や売り上げに貢献してきたにもかかわらず、こともあろうに今年始まったスマホアプリ懐古厨に媚びた。

ボイスに、戦闘システムに、デザインに……随所に「みなさんご存じのあの頃」の要素をちりばめたのだ。

システムキャラシナリオが気に食わないとか、バグが多いとか、展開がへたくそだとか、そういった点はいくらでも庇ってきた。

せっかくシリーズ始動に伴って一新した部分もあったのに、間違いなくそれを支持していた人もいたはずなのに、ノスタルジーのためだけにそれらを否定して退行する姿勢うんざりしてしまった。

そうして公式から錦の御旗を下賜された懐古厨どもは出戻りと合流して急速に勢力を増し、ギルド様相を呈している。

いかに我々が精鋭といえど、もはや手に負えないほどの規模に膨れ上がった。

ブログ放棄した。ツイッタージャンル者の99%をブロックした。

必死に守り抜いた結果がこれでは殉教者か、はたまた道化か。どちらにせよ自分の戦いは終わった。

今後は他ジャンルでひっそりとやっていく。もしどこかで見かけても、そっとしておいてほしい。

2020-10-12

anond:20201012123738

「みんなが読んでるwebメディア」はみんな書きたがるからギャラは二束三文。地味だけどギャラがいい媒体キープしつつ、バイト感覚で人気媒体寄稿するのがバランスいかもね。

フリーライターだけどバズらなくても生きていける

会社員をやめてフリーライターとして独立して5年経った。自分は堅い業界ライティングをやっていて、パンフレットとかの販促資料コンテンツマーケティングを重視する堅い会社編集ライティングが中心。

グルメ旅行おもしろ系など目立ちそうなところでは一度も書いたことがない。

書いたものはてブトップにでることもないし、オモコロデイリーポータルZねとらぼWiredとか、みんなが読んでるwebメディアとは全く縁がない。

雑誌新聞寄稿したこともなければ、単著も共著もない。自分の書いた記事スマホで読んでる人に遭遇したこともない。

でも、この5年間、仕事が切れることもなかった。コロナ禍でも売上は去年より増えたので、本当にありがたかった。

なんで、ここまで生き延びてるか考えてみたけど、なるべく競争が少ない業界に特化しつつ

  • 納期を守る
  • 連絡は即返信(土日はしない)
  • 仕事は断らない
  • 何かしら提案する
  • 悪口を書かない・言わない

この5つをやってたら、バズらなくても、Twitterやインスタのフォロワーが数千人いなくてもやっていける実感がある。

逆を言うと、これをやってないフリーライターのほうが圧倒的に多いようだ。

真面目にやってる奴がバカを見る社会なのかもしれないが、勘所を抑えれば地味でも目立たなくても食えるから、やりたい仕事があればチャレンジしたほうがいいと思う。

追記

年収どんなもん?コロナの影響あった?→

売上から経費を差し引いた収入サラリーマン時代の倍ぐらいになった。コロナの影響は取材こそオンラインが中心になったけど、取引社数はむしろ増えた。

推測だけど、BtoBとかコロナ禍でもマーケティングを止めない業界取引先に多かったのが良かったのかもしれない。あと、自分広告代理店に頼んだ場合費用感を把握した上で、そこよりは安い金額提示しているので予算スリム化したいというニーズにもフィットしたように思う。

「みんなが読んでるwebメディア」はみんな書きたがるからギャラは二束三文

ほんこれ。同じ3000文字でもゼロの桁が1つ違うので、みんなが読んでるwebメディアで書くモチベーション最近殆どない。特に自分家族がいるので、そういうのもあるかもしれない。

2020-10-08

足立区滅亡百合参加表明してたバイセクシャル腐女子ですが

ただの日記なのであったこと書いてるだけです。

自分腐女子バイセクシャルの既婚女性

こういう完全匿名の場でもなきゃカムアウトする気は全くない。

何故かというと、バイセクシャル異性愛からは勿論同性愛からも「結局異性と結婚するんでしょ」って叩かれやすいし、実際異性と結婚している自分カムアウトは多方面へのエンタメ提供しかならないと予測できるので。

足立区区議の人の「LとGが流行ったら足立区は滅亡する」って発言には、怒りより呆れと笑いの方が強かった。性的指向流行に左右されるという発想が面白くて。同性愛者全員がカムアウトして偽装結婚をやめたら、じゃないんだな、バイが全員同性との結婚を選んだら、でもないんだな、その程度の知識物事批判っていうか人間攻撃できるのすごいなー、って感想だった。

同性愛流行る」なんてほとんどの日本国民にそんな発想はないし、何学的にかは知らんけど起こり得ないってみんな知ってる。と私は思い込んでいたからだ。

この思い込みがまずかった。メディアで連日報道されてんのも「すごいトンチキ爺さんが出てきたからみんなで笑い者にしようぜ」って意味合いだと思ってしまったし、実際自分Twitterタイムラインにはそんな感じで区議揶揄っている人も結構いた。

そこに足立区滅亡百合アンソロですよ。

イベントも春からずっと中止中止、本を出しても売る場所ないし同人自体休みしてくさくさしてて、でも他ジャンルアンソロとか楽しい企画やってたりして、不貞腐れてるところに一次創作(?)の楽しそうな企画

これは区議発言ネタにしてみんなで楽しめるなと飛びついて、参加表明した105人の中の1人になった。

そしたらあっという間に主催燃えた。

あー私誰か傷付けちゃったんだな、と思ったので、怒ってる人がなんで怒ってるのかちゃんと読んで反省しよう、と思った。

ちゃんと読んだ結果、怒ってる人は大体3パターンいた。

1. 地元を滅ぼされることに怒ってる足立区民(少数)

2. 自分たちを傷付けられたと怒ってる同性愛者(足立区民よりは多い)

3. 同性愛者を傷付けるであろう行為に怒ってる腐女子(大多数)

正直足立区民の怒りも予想してなかった。自分は壊滅じゃなくて滅亡って単語からと、発端が区議会ということ、ピンポイント足立区域のみが滅亡することから自治体機能してない状態」を想像していた。普通に葛飾区編入されるプロット書いてた。葛飾区は今パートナーシップ制度について検討中自治体から足立区がどうにかなるような未来には法案が通っててめでたしめでたしって。それも違った。怒ってる足立区民は戦争とか紛争とかって単語と共に怒ってる人が結構いた。愛する地元が壊滅させられると思ってるっぽい。大切な人がめっちゃ死んで大切な場所が壊滅するって思ってる多分。それは悲しいわ。でもフィクションの、しか自分が読むわけじゃないアンソロの中で起こっててもそんな怒るほどのことかなって思った。

自分は昔糀谷に住んでたから、シン・ゴジラ蒲田くんが当時の家の裏の川を遡上してってお散歩コースぶっ壊してよく遊んでた蒲田駅前まで這っていくシーン観た時はちょっと悲しくて泣いた。泣いたけど現実蒲田は無事だって知ってるし、庵野に怒りの感情とか全然ないし、蒲田最初上陸ポイントにしてくれて嬉しかった。だってフィクションだし。

そういうわけで足立区民には共感できなかったから謝らない。

次、同性愛者。

これも自分バイから当事者側だろう、という思い込みがあった。同性愛者にとっては「どうせいざとなったら異性と結婚する」バイ異性愛者側の人間なんだった。いやたまたま一生一緒にいたいぐらい愛した人が異性だっただけなんだけど。そんでその場合結婚制度を利用したらメリット結構享受できるから利用したんだけど。転居先の自治体たまたま若年者の家の購入に補助金出してたから運が良かったなーぐらいの気持ちなんだけど。いや結婚内縁にすらなれない関係じゃ雲泥の差なのはわかるよ。でもバイだって結婚できるからって理由で異性選んでないよ、少なくとも私は。だからマイノリティの中で更に被差別層作って分裂させてる同性愛者の人達に「お前は当事者ではないか差別」「お前は異性愛者だから差別」って言われてもそれこそが差別だとしか思えないわ。

そういうわけで同性愛者には共感できなかったから謝らない。

ここが問題。大多数の腐女子

その中でも少なくない数の腐女子は、今回の企画問題点が「区議のような発言をする人がまだまだたくさんいる世の中で区議発言の通りの設定に乗っかることが差別助長しかねない」ことであるちゃんと指摘してくれていて、あー考えが至らなかったな申し訳なかったと思った。それはごめんなさい。自分の周りしか見てなくて世の中が同性愛者をそんなに迫害してるとは知らなかった。

でもあとの腐女子は無理。

パートナーシップ制度センシティブ問題同性愛者を玩具にしてる、配慮がない、せめて参加者当事者がいれば、ヘテロオタクの悪い癖だ。

まずなんで参加者企画者も全員異性愛者だと思い込んでんのか意味わかんない。あなたアンソロ寄稿する時自分性自認とか性的指向ペンネームに添えるんですか?同性愛者を攻撃するのは異性愛者に違いないって考えもまた差別だってことわかる?

あと同性愛面白おかし創作に落とし込むのは当事者への配慮不足、これすごいうけるんだけど。普段この人達が描いてる(読んでる)同人誌は一体どんな当事者への配慮をしているの?それは面白おかしくないの?異性愛者が実際の同性愛者の性行為とかけ離れた描写をするBL百合創作同性愛者を玩具にしていないの?なんで今回のこの件だけ怒ってんの?あんたたちだって同じ穴じゃん。鏡に向かって言ってんの?

そういうわけで大多数の腐女子には怒りを覚えたから謝るどころか罵倒したい。

傷ついた人がいたら謝ります、なんて絶対言わないわ。すれ違いざまぶつかって肩脱臼するチンピラかよ。

2020-10-03

悪名無名に勝るのが悔しい。

いつだかの飛行機マスク拒否した男を覚えているだろうか。

事件後にちゃっかりツイッターを開設している。

今見たらフォロワーがなんと1万7千人近くいて、元気いっぱいに毎日ツイートしている。

それだけじゃない。

ツイートにはちゃんいいねRTリプなどの反応が伴っているのだ。

専門用語でいうところのエンゲージメントちゃんと伴っているアカウントなのだ

フォロワーを買っちゃうインフルエンサーと違い、生きた人間が彼をフォローしている。

さらツイートの中身だ。

最初のうちこそ自分の件についての申し開きばかりしていたが、最近は「ビール買った♪」とか「ラーメン喰った♪」といった日常のことをつぶやき始めている。

そしてこれもなんとしっかり反応があるのだ。

リプの内容は罵詈雑言かと思いきや、常連のようなアカがたくさんいて、和やかな雰囲気に包まれている。

いか、このアカウントそもそもネガティブな内容から話題になった人物アカウントだ。

それが今やソーシャルで多くのフォロワーを得て発言権を得つつある。

最近ではブログなんかも解説したみたいだ。そのうちアフィリエイトでもしだすのだろうか。

youtubeなんかも開設しちゃって、メディア寄稿なんかもしちゃうのだろうか。

なんてことだ、彼はインフルエンサーへの階段を登り始めたのだ。

彼には知名度があるのだ。それがいいかいかは別として。

事件話題になった当時、多くの人がバッシングした。

あん動画を観せられたら逆張り野郎以外は負の感情をいだくはずだ。

自身もそうだったし、SNS世論もほぼマイナス一色だった。

だが今はどうだ。

彼の発言無名の俺やお前よりもずっと多くの人に届くようになってしまった。

お前が昼飯をツイートしても、ちょっと凝ったツイートしても彼ほど多くの承認は得られない。

悪名無名に勝ってしまう。

迷惑youtuberしかり、詐欺インフルエンサーしかり、有名になりすぎた情報商材野郎しかり、

SNS時代ではことさら悪名無名に勝るのだ。支持する馬鹿がたくさんいるのだ。

おそらく市原サカキバラあたりの有名な犯罪者が開き直ってSNSをやったらあっという間にフォロワーは万単位になっていくという確信がある。

発言を続けていくうちにファンもつちゃうんだろうな。馬鹿が多いから。

結局、一般小市民が潔癖を心掛けて、創意工夫をして、日夜チマチマ積み上げても悪名一発で成り上がるやつには結局勝てないのだ。

本当に馬鹿らしくなるよな。

2020-09-03

白井聡氏の記事が全く理解できない

こんにちは大学政治学を学んでいる学生です。白井聡氏の論考が、鋭い指摘をしていると一部で話題になっているそうです。無料公開分を読んでみたものの、私にはどこが鋭いのか全くわからなかったので、疑問に感じた点をまとめました。

以下の引用は、論座掲載されている『【1】安倍政権の7年余りとは、日本史上の汚点である』(白井聡)に基づきます

(1)

本稿で私は、第二次安倍政権2012年12月に発足し現在に至るまで続いたその間にずっと感じ続けてきた、自分の足許が崩れ落ちるような感覚、深い喪失感とその理由について書きたいと思う。

タイトルには「日本史上の汚点である」とあり、これまでの政権比較した上で安倍政権が汚点であるとの主張がなされている。しかし冒頭の段落で「深い喪失感とその理由について書きたい」とあり、タイトルと内容が乖離しているように読める。

(2)

「[多くの日本人安倍政権を支持してきたという]事実は、私にとって耐え難い苦痛であった」とあるように、記事の1ページ目全てを使って、白井氏は己の「知性と倫理基準」を満たさな政治家が支持されている現状に対する深い失望感を述べている。

しかし、白井氏が評価に用いた「基準」が明らかにされることはない。これは学術論文ではないことは重々承知だが、仮にも学者を名乗りメディア寄稿する者が、印象論を展開すべきだと私は考えない。

(3)

無論、あちこちで指摘されてきたように、どの領域においても安倍政権は長期安定政権にもかかわらずロクな成果を出せず、ほとんどの政策が失敗に終わった。

私の知る限りでは、安倍政権政策には賛否両論あった。例えば、政権代表的政策であるアベノミクスは、株価の上昇をもたらした一方で、日本経済の実力を示すとされる潜在成長率は低水準に留まっているし、デフレの脱却も達成されていない(「アベノミクスの8年とはいったい何だったのか」東洋経済オンライン)。外交についても、日米同盟を強化し安定的ものにしたという側面もある一方、拉致問題は進展を見せなかった("The Abe Era Ends, Cheering China, Concerning Washington", Foreign Policy)。これは評価問題であるから、「ほとんどの政策が失敗に終わった」と結論づけるならば、その理由を示すべきではなかろうか。少なくとも、「あちこちで指摘」されているのなら、それらを引用すべきである

(4)

こうして腐敗は底なしになった。森友学園事件加計学園事件桜を見る会問題などはその典型であるが、安倍政権は己の腐りきった本質さらけ出した。

白井氏は腐敗の例として、伊藤詩織氏に対する性的暴行事件森友学園事件加計学園事件桜を見る会問題を挙げている。これらに関しては、新しい政権の下で調査を行うことが必要だろう。流行語にもなった「忖度であるが、私には構造的な問題に思えた。というのも、忖度があるのならば、それは官邸の強い人事権、また中央省庁を頂点とするピラミッド型の組織を背景とするはずだからである官僚組織官邸から独立しているのであれば、何も官邸の顔色を伺う必要はない、また強い分権型の組織であれば、中央省庁忖度を汲む可能性も減る。つまり忖度組織構造がもたらすものであり、政権担当者関係なく起こりうるものではないか。腐敗が疑われる事例があったことは間違いないが、それを政権固有の問題として片付けるのは、政治学者としてあまり稚拙であると考える。

(5)

例えば、新元号の発表と改元の時の政権の振る舞いを思い出してみれば、それは明白だ。先の天皇(現上皇)の譲位意思に対しては執拗抵抗を試みたくせに、新元号の発表となれば、安倍は前面にしゃしゃり出て、「令和」に込めた自分の「思い」を滔々と語った。

私は年代的に平成改元とき事情を知らないが、これは比較することが必要ではないか。小渕元首相は「平成おじさん」と呼ばれていたと聞くが、それは白井氏のいう「抑制的」な振る舞いだったのだろうか。パフォーマンスとしての側面があったとするならば、今回は譲位という形をとり、準備に時間があったことも理由としてあるだろう。

(6)

十分に機能してきた制度センター試験)をわざわざ潰して民間業者を導入する主たる動機は、安倍の忠実な従僕たちの利権漁りである安倍自身の知性に対する憎悪がそれを後押しした。

「十分に機能してきた制度」、「安倍自身の知性に対する憎悪がそれを後押しした」という主張には根拠必要であると考える。両者ともに白井氏の印象ではないか特にセンター試験については、教育学等の知見があるのではないか

(7)

安倍政権下で失われたもの、すなわち公正と正義をめぐる議論が提起され、それが実行に移されなければならない。

3ページ目に入る。この引用では、安倍政権下で公正と正義をめぐる議論が失われたとあるが、果たしてそれはそもそも存在していたのだろうか?卑近な例を挙げるならば、雇用環境性差別をめぐる問題は、安倍政権以前からあったと記憶している。

(8)

体調不良とこれまでの政権運営における責任問題は、完全に無関係である

この箇所には同意できる。政権全体への評価必要だろう。

(9)

私たちの再出発は、公正と正義理念の復活なくしてあり得ず、その復活のためには、総理自身違法脱法行為の究明が絶対的必須である

この箇所には同意しかねる。(4)でも述べたように、不正為政者個人問題ではなく、構造的な側面を持つものだと私は考えるからだ。政府という巨大な組織を、その頂点にいる者が意のままに動かしていると考えるのは、あまりにも非現実的ではなかろうか。総理個人だけを追求するのは、非本質的な結論しか導かない。

(10)

どの事件にも、その背後で進行する社会構造の大変化などを感じさせるものは何もなく、ただひたすら凡庸ケチ臭い

引用文を含む前後段落意図が掴みかねる。政治家スケールの大きな不正をする方が大物だと言いたいのだろうか。

全体を通して

政治には腐敗がつきものであり、安倍政権もその例外ではないはずであるから政権の終わりを調査の終わりとしてはいけないという意見には納得できる。しかし、政治と腐敗を特定政権と過度に結びつける白井氏の論調は、腐敗・不正を許しうる構造への追求を妨げるものだ。

また、この文章を「学者」として公開することの意義は何なのだろうか。少なくとも私は「学者」という職業に就く方には、その他大勢の「評論家」とは一線を画する議論を求めたい。

評論家」ならば、印象論で語ることも、明確な根拠を示さず何らかの主張を行うことも大目に見られるであろう。しかし、専門家としての訓練を経たはずの「学者」は「評論家」とは異なる論理展開をすべきである。主張には適切な引用があるべきだし、用いる言葉定義を明確にすべきである

もしも、本来ならば専門家たるべき「学者」が、都合よく「評論家」の顔を使うのであれば、それこそ知性の劣化ではないか

記事には直接関係ないが、白井氏はFacebook上で人の生き死に関する発言を軽々しく行なったと聞く。白井氏には、そして日本大学の全ての大学人の皆様には、是非とも学者としての矜持を持った発信をしていただきたい。印象に基づく議論は、分断と対立を深めるだけである

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