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はてなキーワード: 表現とは

2019-05-24

anond:20190523194129

寄り添い方が、好みじゃないからって、冷たいとかじゃないって気付いてほしいんだな。

気の遣い方って、視点のちがいでもあるので。判りにくい表現でごめんなさい。

っていうか、関西圏の人はかなりカジュアル差別発言をするよな。京都の街中あたりだと東京もんの自分なんかに向かっては本音を言うわけもなく、あずまえびすには分からないようにはんなり表現したり口をつぐんだりという洗練風味の差別も堂に入ったもんなところがあるが、大阪市中や奈良のあたりはかなりキツい。

関西圏維新が人気ってのは、どぶ板やってるからとか地方自治体でそれなりに実績もあるのだろうが、それとは別に隠れたニーズというか、長谷川やら買春ワナビー酒乱議員やらをむしろ何となく口幅ったくて往来で堂々とは言えないことを言ってくれた」快感みたいなことで支持してるところはあるんだろうなーとか思ったりする。

東京だと、まぁ東京に限らずどこだってそうだが往来で堂々と人種差別部落差別を叫ぶ人はいないわけだが、東京についてそれはなぜかというと、東京は本当にいろんなルーツの人がぎゅぎゅうにすし詰めになって生活していて普段仲良くしてる人の誰かに意図せずに差別の礫を投げつけてるかもわからないという、都会あるあるな緊張感があるというのもあるし(東京にも田舎というか、人の交流が滞ってる下町やら山の手やらがあってそういうところでは井戸端でひっそりと差別発言が繰り広げられたりはもちろんしている)、あとは、正直忙しくてそれどころじゃないということもある。

あと、これは同意してくれる人が周りに半々ぐらいではあるのだが、差別的な発言をうっかり口からこぼして「あれ、こいつシュッとしてない非文化的なやつ?KYなやつ?」と見下されたくない、的な心理が働いているのかな、という気がする。

この所たてつづけにそんな状況になったのだが、その手のものかぶれた人にありがちなデマソースでこてこてに味付された日本サイコー論みたいなのを聞いているうちに、なんかもう面倒くさいから話終わらせて別のもっとゴキゲンな、今シーズンヤクルトスワローズの話とかに切り替えようかななど思い小さい反論をすると途端にぶわーーと膨らんでいた鼻がしゅーっとしぼんでいく。そして、何ていうか、ひどく傷ついた顔をするのだ、おっさんたちが。

更に、かぶれてて、更にそれを鼻膨らませて誰かに話しちゃうウッカリした人はだいたい中年以降、取引先のおっさんやらタクシー運転手やら、飲み屋で偶々隣り合わせになった知らんおっさんとかだ。面白いのは、社会的地位ちゃんとある人ほど頑なに差別発言エスカレートしていきやすいことだ。

例えば、総じてタクシー運転手は日々中国から来た観光客に悩まされてることが多いらしくて、そういう愚痴を聞くのが好きなのでどんどん乗せて話を引き出していくのだが、ある程度で運転手の方が気が済んじゃうというか、こちらも聞きながらまぁ日本人も3,40年前はあんな感じで物慣れない成金顔で煙たがられてたんと違いますかねーわっはっは、なんていうと、まーそうだねあいつらもそのうち日本みたいに不景気になるのかねー、今はたくさんお金落としてくれてありがたいな!わっはっは、そうっすよわっはっは、とかで割と爽やかに会話が終わる。商店街おっちゃんとかもだいたいこんな感じ。わっはっは。金を使ってくれることは良いことだ、あーいいことだ。

一方で、同じような展開の話をしてても、社会的体裁もそれなりに必要そうなサラリーマンおっさん場合は、わっはっは、とはならずに、いや日本特別だ!あいつら(中国とか韓国とか)は元々劣ってるんだ、みたいな斜め下の方向にエキサイトしていく、ほぼ確実に。

毎日毎日直接的に困ってる運転手が、まーそういうこともあるよな、と彼らの抱えているちょっとしたストレスを解消して終了してるのに、サラリーマンおっさんたちはそれがなんか上手くできないんだよな。

2019-05-23

何かを愛することと『しもべ先生尊い生活 DEATHLESS』

我妻命先生の『しもべ先生尊い生活DEATHLESS』をやっと通販で購入でき、読了。本編同様号泣したのでこの感情激流のままに感想を書き殴ります

元々商業版の『しもべ先生尊い生活』が大好きで大好きで、自分にとってあまり大事作品で、紙の単行本が発売されなかったことは未だに悲しんでいて私が権力か財力か名声を手に入れたら絶対に紙の単行本にするよう出版社圧力をかけるんだと心に決めているし、電子版も分冊じゃなくてまとめて出してよ〜!!と未だに祈ってる。そもそも好きすぎてなるべく早く電子版手に入れたくて、kindle追加が待てずにしもべ先生の為にkinoppyダウンロードしてkinoppyで購入したんだよなという甘酸っぱい思い出。

諸々の思い出はさておいて、『しもべ先生尊い生活』がなぜ私にとってこんな大事作品なのかというと、この作品はあまりにも何かを愛するということを真摯からなように思う。私は所謂厄介解釈厨みたいなタイプ人間で、なにかを好きになると1人でどんどんどんどん解釈純度をあげる方向に向かい、誰に見せる訳でもない感想解釈を何万字も書き殴る、そういうタイプ人間だ。だからこそ迂闊に他のファン意見をみることすらできないし、公式メディアミックスかに結構傷つく事が多くて、1人静かに黙々とオタク活動をするしかない。そもそも好きになる作品は、例えば漫画なら重版からないような漫画ばかり。重版がかかろうがかからまいが私にとってはその漫画世界一売れてて世界一素晴らしい漫画だと思ってるけど。

しもべ先生という作品は、何かを愛するということに対してあまり真摯だ。漫画アニメに限らず、何かを愛する、何かに救われる、何かを崇める、何かを祈る、ということに、あまり真摯なのだ

本編で私が一番好きなのは(いや全話一番好きだけど)第5.5話で、かなりザックリ言うとこれは自分気持ちが恋なのか?と悩むしもべ先生辞書の恋という定義に当たるものの……という話なのだが、これ、何かを愛する人、本当にみんなに読んでほしい。特に女の子が好きな女の子に。上手く言えないけど、あなたの好きは変なんかじゃないんだよということを、好きにまつわる苦悩から逃げないままに、全身で訴えてくれる、それがしもべ先生なのだ

そう、しもべ先生という作品は、力強く好きという言葉肯定する一方で、好きということが引き連れる苦悩から決して目を逸らさない。だからこそ、好きというものに救われながらも苦しむ私達の、私の、救いとなるのだと思う。

本編の話は無限になってしまうので置いておいて、さて、同人誌版『しもべ先生尊い生活 DEATHLESS』について。

この本も相変わらず、何かを愛するということに非常に真摯だった。

「しもべとベアトリクス様」は、人間が何かに救われ生きるということ。ふと、何かに救われる瞬間、救われることで世界がきらめく瞬間、社会という苦悩、こういうものをこんなに上手に表現できるのかと。我妻命先生モノローグが本当に好きなんですが、まさしく我妻命先生の最高モノローグや最高画力、最高画面構成なんかで、この苦しい社会の中で惨めで空っぽ気持ちで生きる人間が、ふと何かに救われる瞬間について丁寧に丁寧に描かれている。苦しい人、悩んでいる人、何かに救われた経験のある人、みんなに読んで欲しい。愛することができるというのは、愛させてくれるというのは、やはり救いで、祈りだ。

そして、「しもべと舞台 その2」。これは本編でも描かれていた舞台化についての話だが、本当に、本当に私が抱えてきた公式メディアミックスやなんかによる傷つき、けれどどうしようもなく愛することはやめられないこと、祈り、それらに対する救いだった。

例えばアニメ化が嬉しいこととは限らない。もちろんそれで売れてくれれば嬉しいし、好きな作品が多くの人の目に留まるのは嬉しい。私は、連載で、続きもあるのに、続きの単行本を出すこともできない作品をたくさんたくさん知っていて、たくさんたくさん好きになった。一冊しか漫画を出してないまま漫画を描かなくなった(描けなくなった)漫画家さんの漫画を、いっぱい好きになった。だからこそやっぱり好きな作品が有名になるのは嬉しい。

けれど、作画だとか、脚本だとか、演出だとか、声だとか、演技だとか、そういう色々な要素に時々どうしてもひっかかってひっかかって飲み込めないやつがいて、アニメ化関連のグッズやなんかを買うし録画もするけれど、結局アニメ本編はみられなかった、ということが往々にしてある。そういう時は、アニメ良かった〜というファンニコニコ眺めて、私はひっかかって飲み込めないやつをどうにか外に出さないように、1人で消化できるように、頑張るしかない。

舞台化もそうだ。いや、舞台化やアニメ化に限らず、どうしてもどうしても大好きな作品でも、メディアミックスかなんかでどうしようもなくひっかかってしまう瞬間というのがある。

けれど、ひっかかってしまう、全ての展開を全肯定してニコニコできるような、謂わば〝模範的〟なオタクではないけれど、けれど私はどうしようもなくそ作品が好きだし、例え私にどこかひっかかるところがあったとしても、やっぱりメディアミックスしかりで作品に関わってくれた全ての人には言葉に尽くしきれない感謝はあるのだ。

好きという感情は、どうしようもなく厄介だ。必ずしも、幸せだけを連れてきてくれるわけではない。好きになればなるほど、モヤモヤも苦しみも一緒に連れてきてしまう。けれど、それでもやっぱり私はその作品を、その何かを愛して良かったと胸を張りたいし、愛していると叫びたい。

しもべ先生は、そういう、好きというもののどうしようもなさも、しっかり向き合ったうえで、けれど好きというものの美しさを語りかける。だからこそ、私にとってこの作品は救いだ。色々苦しい想いをしてきたけれど、けれど私の愛した様々なものを、私は愛して良かったと思わせてくれる。

漠然としていて抽象的な書き殴りの絶叫だが、本当に素晴らしい漫画だった。

我妻命先生、本当にありがとうございます

今日も女はクレーマー

怖い怖い

体が大きくなって、他人が怖くなくなったら、自分本音ストレートに堂々と表現できるようになるよね?

[]

久々にこっちで雑感。

ツイッターとかの明示されたアカウントで語るには取り扱いに困る、そんな話をしたかったのが理由。「お前は敵がつくりてぇの?」って聞かれたら、作りたくもないし、作る意義もないからね。とはいえ、やっぱり語りたくなる。今回の『青のフラッグ』の44話には、そういったパワーがある。

各々に考えがあり、理由がある。そこに普遍的な是非を求めることの危うさ。

いやあ、ほんと。本作は漫画という媒体で、どこまで多元的な考え、人格描写するつもりなんだっていう。面白いかっていわれると、愉快ではないんだけれども。安楽椅子状態での会話がメインって絵的には面白みが薄い。どうしてもセリフばっかりになるし、読者側にエネルギーを要する。しかも本作はスッキリしない。わかりやすく間違っている人間に対して、正しいことを言って溜飲を下げるだとか、そういった明瞭な快活さを与えてくれないのでストレスたまる。それでも評価せざるを得ない話ってこと。

本作は各々が自分なりの考えを持っていて、そこに明確な是非を要求すべきじゃないってのを逐一訴える。今回の女子高生二人の言い分も間違ってはないんだよね。むしろ現代社会の通念上は、正しい寄りの考えと言ってもいい。じゃああの丸刈り君は偏狭性差別者で、“普通じゃない、間違っている人間”なのかっていうと「ちょっと待った」ってなるわけ。私も同性に痴漢されたことはあるからからなくもない。そういった経験から来る嫌悪感普遍的な通念では拭い去れない。読者の中には今回の話を読んでなお、あの丸刈り君をただのクソ野朗で終わらせる人もいるだろうけれども、作中ではそれこそ狭量ではないかと指摘しているようだった。

安易善悪二元論の懐疑。ああいった問題で、正しいだとか間違っているだとかの線引きで考えたり、分かりやす悪者を作り出すことの危うさを作者は知っているんだと思う。作劇として見た場合言語化しすぎてて読み味も良くないんだけれども、本作はそういうのを妥協したくないんだろうなあ。『鈴木先生』を思い出す。大衆が受け入れがたい、スッと入ってこないであろう考え方を大げさに、だけど真っ向から長々と語る。

「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ」は名言でも正論でもない。

「好きって感情はいいけど、嫌いって感情ダメ」みたいなセリフが劇中に出てきて、私は「うげえ、また“ツギハギ論”かよ」って思った。「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ」。『ツギハギ漂流作家』という漫画打ち切り間際に描いたあのセリフ。あの漫画顛末を踏まえた場合逆ギレじみた言い分に近い。けれども、なんだかセリフだけ一人歩きしてしまって名言になった。なってしまった。だから私は“ツギハギ論”って呼んでいる。実際このセリフ安易引用する人間の主張にはツギハギ感があるので、その点でも“ツギハギ論”って呼び方は適格だと個人的に思ってる。

で、ちょっとウンザリしたところで、「好きって感情は良い感情、嫌いって感情は悪い感情って考えは雑すぎる」といった指摘が入る。ああ、そこも言語化ちゃうだっていう。もう完全に私はこの作品に踊らされている。「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ」の歪さを分かってる。あのセリフが憚って10年以上も経っているのに、まだあれを正論だと思っている人がたくさんいる。あれが大した理屈じゃないことは、好き嫌いについて向き合っているのなら自ずと分かるはず。けれども、好きなもの他人に嫌いだって言って欲しくないという自己保身のために、あのセリフを都合よく使う人は後を絶たない。

好きという感情肯定する以上、嫌いという感情肯定しなきゃ辻褄が合わない。まあ、肯定否定個人感情によるところも大きいので、各々がどういうスタンスをとるかまでは是非を問えないけれども。そのせいで、意見の不一致による衝突は出てくるし、それを避けたいのも人間本能だしね。だからだって、こういう話は後腐れのないところで書く。とはいえ感想書きは、結局この“好き嫌い”を様々な言葉で紡ぐ表現手法の一つなわけで。好き嫌いのものを、片方だけ是としたり、有耶無耶にしたりすると評論としてはむしろ信頼できない。

とはいえ、これを完全に理解するには面倒くさすぎる。

そんなわけで評価はしているけれども、本作はかったるい。言語化しすぎというか、野暮ったいセリフ選びも多い。セリフの少ない場面とかはすごくエモいだけに尚更そう感じる。エンタメという枠組みで見たとき、あれは愉快な描き方ではないし、上手い描き方でもない。「悪役が何かエグいことをやっている」だとか、そういう“エンタメ的には良い不愉快さ”みたいな意味ですらなく。飲み物なしでビスケット食っているみたいな感覚

例えば、同サイトで読めるのだと、『さよならミニスカート』は分かりやすい。あれは良くも悪くも複雑じゃない。いや、人によってはあれでも余剰過ぎるくらい複雑かもしれないけれども、訴えていること自体はすごくシンプルなんだよ、あれは。基礎的なジェンダー規範を取り扱って、それをテーマにしている作品。様々なマンガで、以前から脈々と語られてきたジェンダー論をメインに、現代の人たちに刺さるようドラマティックにリブートしている。だから陳腐とまではいわないけれども、やや表層的ではあると思う。ああいったテーマを多側面的に考えたことのない、一般大衆向け。それ故に刺さりやすいし、読み味も良い。『青のフラッグ』もウケてはいるけれども、作者が想定しているであろう理解力の読者はそこまで多くないと思う。

その点で『さよならミニスカート』は多くの読者に色んな意味で優しい。まあ、テーマ的に何かすごいことをやってる~みたいに持てはやしだしたら危ないと思うけれども。『サウスパーク』とかで登場する、ソーシャルアジェンダに踊らされた大人たちみたいになってしまう。「私たちはそういうのに理解があるよ」といったスタンスゴリ押すことに一切疑問を持たない、実際のところ無理解人間。「社会正義から」、「一般の善良な考えだから」といった、誰かがあらかじめ作っておいた前提で理屈を紡ぎ出す。だから一見すると尤もらしいんだけれども、ちょっと小突かれただけで論理破綻してしまう。

とはいえ、そういった指摘をフィクション世界でわざわざ言語化しても、ほとんどの人はそこまで様々な視点から物事を考えないので伝わりにくい。一般社会の善良そうな考えで生きれば支障はまずないから、考える必要がない。むしろ考えすぎて自我袋小路に入ってしまうこともあるからちょっと無思慮なくらいが丁度良いまである。色々考えていたとしても、個々人の規範一般社会規範をすり合わせる他ないから。『青のフラッグ』のセリフからとるなら「お前は敵がつくりてぇの?」となる。私は御免こうむるし、多くの人も「そんなつもりはない」と言うはず。自覚しているか、実際の行動と矛盾しているってパターンは多いけれども。敵味方っていう構図の作り方が、そもそも履き違えているのを大体の人は分かっている。前提を共有をしていなければ主張の押し付け合いにしかならないし、かといって論理ゲーム本質から遠ざかっている。

そんな感じで、私の中でもまとまっていないので、ここで雑感は終了。ここまで語っておいてなんだけど、こういう特定作品を基に社会論をアレコレ語るのは、どこぞのサブカルくそ野朗みたいで我ながらアレだと思ってる。自分ツイッターじゃあ、絶対こんなこと呟けない。あれこれ考えてしまうから吐き出して解消したいだけで、漫画もっと気楽に楽しみたい派。ぶっちゃけ私は『むとうさとう』レベルの軽いノリでジェンダー取り扱ってる漫画の方が好きだ。

創世記とは / ヴィーガニズムに関して

創世記』(そうせいき、ヘブライ語:בראשית、ギリシア語:Γένεσις、英: Genesis)は、古代ヘブライ語によって記された、ユダヤ教キリスト教聖典で、イスラム教啓典である聖書旧約聖書)の最初の書であり、正典の一つである。写本が現存しており、モーセ著述したとされている。いわゆるモーセ五書は、ユダヤ教においてはトーラーと呼ばれている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98

9:1 神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちよ。

9:2 地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。

9:3 動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。

9:4 ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。

9:5 また、あなたたちの命である血が流された場合わたし賠償要求する。いかなる獣から要求する。人間うしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。

9:6 人の血を流す者は/人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。

9:7 あなたたちは産めよ、増えよ/地に群がり、地に増えよ。」

http://www.bbbible.com/bbb/bbbge092.html

 日本ではあまり知られていないことだが、ユダヤ教キリスト教イスラム教聖典を共有している。最も古いのが紀元前1300年頃から形を取り始めたユダヤ教で、そこから分派した新興宗教としてキリスト教西暦0年前後に成立している。イスラム教は少し下ってやはりユダヤ教徒の勢力圏で610年頃に成立している。よく「一神教」「多神教」とぼかして言うが、「ユダヤ系」「それ以外」とも言える。

 イスラム教においては創始者ムハンマドの預言が絶対、預言を正確に記したコーラン記述絶対信徒は肉についてイスラム教徒の指定する処理を施したものしか食べない、といったことはよく知られているが、彼らは『創世記』を含む旧約聖書も「異教徒不正確な複写を含んではいるが、われらの神からの預言であることは事実である」というような立場をとる。上の引用はその『創世記』9章による。これは「ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が概ね一致して『定義であり正しい』として受諾している文章なのだ。「生殖は正しい」「獣・鳥・魚は異なるものである」「獣・鳥・魚は人間に与えられた所有物である」「『青草』は『動いている命あるもの』ではない」といったところは(それぞれの宗派において個別解釈明確化されているであろうことはさておき)否定されざるものなのだ

 狂信的ヴィーガニズムドグマは要約すればGenesis 9:1を達成する目的において9:2を根拠に9:3を辞退する、というものだ。彼らの議論は9:3を権利と捉えるか規範と捉えるかとか、そんな辺りであろう。その主張に対して「生殖が正しいとは決まっていない」「人間には農業をする権利などない」「野菜や草やプランクトンにも牛や豚と同じ命がある」と根本から9章丸ごと吹き飛ばす批判を返しても、「すべての宗教が数千年に渡って同意してきた前提に対する批判であり、到底承服もできないどころか、議論する下地すら作れない。笑い飛ばす以外に対処法がない」という対応しか得られないのである。それが正しいか正しくないかではなく、彼らは「俺は旧約聖書信じてないよ」という発言には対応ができないのである

 そしてここは日本であった! ヴィーガン対応ができず成すすべもなく文の壁を立て(彼らの言語には"wall of text"という表現がある)嘆くのみなのであった。旧約聖書先生次回作にご期待下さい(完)

anond:20190523102347

文字表現してるの見て普通に盛りかなと思ったけど違う?

東京の人たちってなんで夏も長袖着てられるの?

こんな暑い日でも長袖の方が多くない?体質とかフワッとした表現じゃ納得できない…しかもみんな涼しい顔してる〜

当方アラサー女で標準体型東北出身です。

とにかく暑がりを直したい。

湿度高まるこの時期くらいから、すぐ汗かくのが憂鬱で仕方ない。

から駅への移動、電車内のジメッとした湿気で、ひたいと脇と首と背中〜腰にかけてすぐ汗が滲んでくる。

ビショビショになるほどではないか病気までではないと思うんだけど。

かいて1日過ごすからか肌荒れも起きる。

夏=汗で本当楽しめない…

食べ物とか生活習慣とかで改善できるポイントがあるなら取り入れたい。

anond:20190522214022

ムードが壊れるから

セックス基準が作れないから。

なんか子供増えなさそうだから

表現のせいにして満足するセックス至上主義者だから

2019-05-22

anond:20190522223439

具体的にどういう?

あーチンポコ出して歩きたいなあ!とかはOK

チンポコという表現がだめなら、金玉OK

それとも、チンポコを出させたい文章を書いたらダメとか?

anond:20190522170054

えーっと、「非モテ」はモテないことではなくて、「童貞」をオブラートに包んだ表現だということは分かっていますか?

anond:20190520025701

同性婚固執せずとも、同様の権利や法的保証がもらえれば何でも良かったです。個人的には。

税や社会保険家族控除が受けられること、病院で付き添いができること、保証人になれること、保険の受取人にすること、家族カード作成家族割引を使うこと、養子を迎え入れられること、海外に出たとき家族ビザが取れること。家族として暮らす際に当たり前のサポートが、どれも日本法律では受けられませんでした。

ただ、海外に出て、余計に「結婚している」と便利だなと感じます。揉めたときにも、わかりやすいので説明証明もしやすいです。発展途上国なんかは、得にです。

また、結婚する前には気付けなかった大きな変化が一つありました。この当事者さんのブログにあるように、「もう嘘をつかなくてもいい」というのは私たちにとっても大きな変化でした。

性別に対して嘘をつくこと、大好きな人との関係曖昧表現せざるをえないこと

https://lgbt-life.com/topics/sana11/

当たり前の扱いを当たり前に受けることが、結婚する前にはわからなかった。海外に出て、結婚できてとてもよかったなと感じています

作品をなめている」 指原莉乃発言アニメファンが反発した理由 https://bunshun.jp/articles/-/11975

一度は指原にやらせてみましょうよ、声を当てる技術表現歌唱早見沙織嬢と比較して「あーだ、こーだ」叫んでも遅くは無い、と思いますよ>怒っている方

自ら「歌手はやらない。今日を聞いてもらって分かると思いますが、歌は苦手なので。今日でやり尽くしました」と言った方にとって、トラウマにならければ良いですね…

2019-05-21

anond:20190521203937

下着を嗅ぐぐらいどうってことないと思う。感情的になる人間おかしい。でも

下着を嗅ぐ表現差別とは感じない。

しかドイツ人日本人バカにした表現を使った。CMやめろ。

この二つの考えが一人の頭の中で起こること、これはダブスタではないか?と言いたかった

anond:20190521203227

異性の下着を嗅ぐ表現ってそもそもそんなに非難されるもんなのかね。

ネットの男女の分断、ミソジニーミサンドリーの抗争ばかり見てるとなあ、異性の魅力に関心を示すだけで多少の平和主義で微笑ましく見えるのよ。

anond:20190521184018

女性他人下着匂いを嗅ぐだけで差別表現になるか?

実は自分はまったくそう思わない。

下品だし意味不明だが、女性バカにしてるわけじゃない。

騒ぐ女性感情的だし頭おかしい。

これを差別だという男性がいたとしても、そいつも頭おかしい。

お気持ち表現規制しようとするなよと怒りすら覚える。

でもドイツCMには腹が立った。放送やめろと思った。

自分でも驚いたんだ。

自分のための教材だった。

躾と虐待…の元増田です

anond:20190520230346

こちらの書き込みをした元増田です。

先ずはこの書き込みで多くの方を不快にさせましたこと、お詫び致します。また暴力を受けずに真っ当なご家庭で幸福に育って来られた何の非もない方々をわざと煽るような発言をした事も重ねてお詫び致します。

レスブコメ、全て目を通させていただきました。当然ともいうべき厳しい意見から私の境遇を慮って下さった方までおられ、有難く思います

それらの中で、既に言い当ててしまわれている方もおられます

私はたぶん、親と、かつて受けた暴力などが未だにトラウマになっています。そのせいかは分かりませんが、アラサーになった今でも自分長所がわからず、自分意見気持ちをうまく主張できず言葉の強い人に同調してしまい、否定を恐れて常に人の顔色を伺い誰かに同意をもらえないと満足に自己表現すらできず、また自己評価が低いのは自分がだめな人間からだという思いから(事実ですが)自分を信じる事ができないクズのままで社会人してます言い訳がましくて申し訳ありません。

どなたか書いておられますが、大人にもなってマナー一般教養しかいきがれないなんておかしいですよね。そんなのは努力でどうにでもなり、誰もが出来る事なのに。どんなに若くたって社会人ともなれば何か秀でるものはあるはずで、そんな当たり前の事しか評価する要素がない時点でゴミしかないと思われているに決まってるのに。

だけど、こんな私にも少しは、ほんの少しだけは礼節や教養云々といったつまらない誇りでなく、自分努力の成果として心に残っている事柄はいくつかありますしかし私が何を努力しても、「親の教育が」という言葉は付いて回り、私が努力をすればするほど親の評価が上がって私の受けた教育正当化されていきます。親戚たちも皆そうです。みな口を揃えて、親に感謝しなさい、親のお陰だ、そればかりです。我慢で食いしばった唇が切れて血が出るまで私を殴ってくれてどうもありがとうと、そう思わなければいけないのでしょうか。よく分かりません。

発達障害精神疾患も現れる事なく一応人並みに社会に出られてしまった今、私は親の教育否定する事ができません。また私自身、自分人生全否定するのが怖く、あれは虐待だったのでは?と考える前に思考を止めてしまます

悪い事をしなければ食事は出ましたし、夕食を抜かれた時でさえ申し訳ありませんと言えばご飯をくれましたし、楽しい思い出も数えきれないほどたくさんある普通家族でした。そしてこれだけは自信を持って言える事ですが、親はこんな私なんかを確かに愛してくれていました。だからこそ、殴ったり蹴られたりされていたとしても本心から感謝すべき事も多くて、やはり親が好きで、自分のされた事は虐待ではなく躾だったと受け入れたい気持ちが勝ってしまます

それが、新聞に載る児童虐待ニュースにあれこれ論議している姿を見る度に「あなただって私をぶったり蹴ったり、言い分を聞かずにへりくつだとねじ伏せて暴力で言う事を聞かせてきたじゃないか」と泣きたいのか腹が立つのかよく分からない感情になってしまうとしても、私は自分とその親を「虐待がありました」と言えないのです。

今回の投稿は、それを誰かに否定して欲しくてわざと親を称賛し肯定尊敬しているかのように振る舞い、親の行為虐待だと批判させる事で救われたく、浅はかな私の足りない頭で精一杯考えた結果のものです。

半分騙すような形になってしまたことは申し訳ないですし、想定以上に反響があったことにも申し訳なさを感じますが、「殴られなくても普通大人になれる」という今まで認めたくなくて親から暴力愛情だと全肯定する事で25年間も目を逸らし逃げ続けてきた当たり前の事実を、こうして突き付けて下さった事に何よりも感謝しています

自分人格の歪みや自信のなさは結局のところ全て私の至らなさ、力不足自己責任ですので、努力して直していくしかありませんが、少なくとも自分は親から暴力を受けていた事は悲しかったと言っていいのだと、あれは不当なものだったと主張しても良いのだと背中を押して下さったことに感謝しています

そしてもう一つお詫びする事がございます

私には2歳の娘はおろか、結婚すらしておりません。時間が限られている、今すぐに連鎖を断ち切らなければならない、そう思ってくださる心優しい方の目に留まるよう混ぜた嘘です。

私みたいなクズ1人ならば何の価値もない社会ゴミ屑が一丁前に慰め待ちか…と気にも留めて頂けなくても、罪のない子供が登場したならば注目せざるを得ない、そんな方々の良心を利用するような真似をし申し訳ないと思っています。ですが私みたいなクズ母親なんて可哀想ですから私が子供を持つ事は未来永劫ないと思うので、その点はどうかご安心頂ければと思います

親がくれた身体だけは人並み以上に丈夫でしたので、この25年間特に病む事もなく、また自殺する事もなく無事大人にはなれましたが、自分人生自分否定する事ができない私の弱さと「そんなの躾の範囲内」「叱られることする奴が悪い」で済まされてきた私の十何年分の「痛かった」「悲しかった」をどうしたらいいかからなかった私を至極真っ当な言葉解放してくれてありがとうございました。

やっぱり家族が大好きだから、憎んだり間違ってると声をあげたりできなかった弱い私の代わりに、私と、私の親を叩いてくれてありがとうございました。

anond:20190521182302

女性意見感情的であると信じてるんではなく、実際感情的だろ。

オタク差別にせよ、表現の自由にせよ、「人権侵害やめろ」と言う文脈では同じ。

一方、女性側が叩き潰した表現に何を侵害されてたの?お気持ち以外で。

https://anond.hatelabo.jp/20170811212332

小説が読めて正当に評価できるプロパーなら知っているだろうけど、芸術性の高い小説はいかにまらない小説を上手く書けるかを競っているようなところがあり、そうした小説大衆的な評価を得られないのは当たり前だし憤るようなことでもない。

それが分かってない時点でこの増田も、文学界隈で議論されて来たような「小説価値」を全く理解できていないスノッブしか見えない。

 

増田は上手い小説が正当に評価されと欲しいと言っているが、そのわりには上手い下手の基準曖昧で、上手さの基準が違うジャンル小説をひとまとめにして語っている。

何が上手さかをちゃん言語化し、これが基準だよと指し示す。国語ができるかを口にするなら、目的の為、それぐらいはできてしかるべきではないだろうか。

もっとも、後半の仮説を読むと察するのだが、この増田は表向きの目的よりも別の目的、あるイデオロギーに囚われているのがわかる。

 

それは、良い小説や良い表現を読むことにより立派な人物になれる、という人格形成神話だ。

こうした読者にとって、読んでいる小説人格や知性は比例する(しなければならない)ので、悪い小説や下手な文章評価するのは単に評価のものさしが違うのではなく、小説を読まないような読者だということになる。

そのような読者を分析してみせ、自身の完成した人間性披露したがる文芸スノッブは多い。しかし、この程度のありきたりな分析ほとんど自己紹介のようなものである

要するにそれぐらいの藁人形相手でなければ、まともに誇れないような知性を現しているにすぎないからだ。

 

増田は「評論が読めるのか」などと煽っているが、こういう連中こそまともに評論を読んだことがあるのだろうか? 非常に疑わしい。

名の通った評論家の本を読んでいくだけで、文学という制度自覚的かつ批判的な本に何冊も目を通すことになり、この程度の脳天気小説観など出てこようはずも無いのである

 

小説の正当な評価を望むのは私も同じである

しかし、それはスノッブ好みの文芸保守復権してほしいからではない。

文学とは何か、小説価値とは、それらの議論を踏まえ、歴史の上に積み上げていくような営みにこそ未来があるからだ。

文字書き同人女のどこが問題なのか

anond:20170811212332

「私の好きな作品評価されない世界は間違っている」と言わんばかりだが、

もちろん世界ではなく元増田が間違っているのである

同人女はごく狭いコミュニティ独自ルールに染まりがちである

そのうえ「文字書き」は幼い頃から一人きりで小説を読んできているためか余計に独善的なきらいがある。

いったい何が間違っているのか?

喩えるなら「ルネサンス絵画けが正しい絵画だ」と主張しているのが彼女なのだ

ゴシックバロックロココ印象派キュビズムダダイズム

水墨画浮世絵日本画漫画商業イラスト萌え絵

すべて「下手だ」「間違っている」「真の絵画ではない」と切り捨てながら、

「どうして漫画のようなリアリティのない白黒の絵ばかりが評価されるのだろう」と嘆いている。

ルネサンス絵画写実的な美しさと鮮やかな色遣いを理解できないなんて」と。

いや、絵画のことであれば、彼女らも「さまざまな評価軸があるのだ」ということを理解できるだろう。

しか小説のことになると途端に「正しい表現」「あるべき小説」に囚われてしまう。

それは「審美眼を備えた読書家」としての自負であり矜持であるのだろうが、

はっきり言ってしまえば、多くの本を読んでいる人ほど異なる表現形式には寛容なものだ。

マンガダンサーなりアイドルなりを見るシーンで

その時の視聴者側のイメージが鮮やかに表現されてて

感動の追体験

実物にハマったのはもう既に遠く過去のことだが

また何か見てみようかなと思ってしま

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