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2018-06-25

anond:20180625181638

なんで、ドラマ化に拘ってるの?

ドラマ化にとどまらないよ、表現規制は。

規制派は社会から抹殺すら目論んでる。

anond:20180625181527

仮に同じように潰されたとしても、テレビ放映するには相応しくない内容だったな、と思うだけだけど。

ドラマ化なんか絶対出来ないだろ、って漫画なんか世にいくらでもあるしな。

何でこの手の表現の自由戦士さん達はゾーニング概念がないのかも謎だ。

自由には責任が伴う事を知らないのかな。

anond:20180625174256

特定イデオロギーを持ったごく僅かな人々が」「激しいバッシングをしたから」「中止に追い込まれた」

って見方こそ特定イデオロギーなんだよなー

批判する人が多く」「その批判は真っ当なものであり、放映するには相応しくないとテレビ局判断したので中止した」

と考えないのが謎過ぎる。

ドラマに対する批判なんてしょっちゅう起こってるんだよ。

例えば最近だとブラックペアンのCRC描写とかな。でもこれは批判されてもそのまま放映し続ける事を選んでる。

不特定多数適当ネットで言った事ではなく、「日本臨床薬理学会」と言う一定政治力がある団体ちゃんとした意見書を提出しても、だ。

特定イデオロギーを持ったごく僅かな人々」によるネット上の批判が、日本臨床薬理学会という団体による正当な手続きを経た抗議よりも

テレビ局圧力をかける効果があると思ってんのか?

すげーな特定イデオロギーを持ったごく僅かな人々。

anond:20180625172411

中止に追い込むほどバッシングしといて、「勝手に止めただけ」などと言い張るヤクザ理屈

ドラマを見てからならともかく、始まる前からバッシングしてるので擁護余地はない

anond:20180625172029

被害者セカンドレイプするドラマ」というレッテルそもそも万人の同意を得たものではなく、

作品批判するのに万人の同意を得る必要はない。表現の自由なので。

作品批判側が読みもせず言ってるだけに過ぎない。

読みもせず言っている、と決めつける根拠不明

・「セカンドレイプ」は法でもないのに、そのために表現制限さないといけないのか。

私企業であるテレビ局が放映しない事を決めた、というだけで、表現制限された訳でもない。

企業がどういうドラマを放映してどういうのをしないか決めるのは自由

映画地上波放映だってどの作品を放映するか、ノーカットにするか一部削除するか、はテレビ局自由だろ。

類似事件が起きたら似たようなドラマ映画の放映は自粛、なんてよくある事だし。

anond:20180625171614

数云々はその前の増田への反論で、私も重要とは思ってない。

問題は、

作品批判側が「個人正義」を振りかざして作者やファン迷惑をかけたこ

この一点に尽きる。

被害者セカンドレイプするドラマ」というレッテルそもそも万人の同意を得たものではなく、

作品批判側が読みもせず言ってるだけに過ぎない。

また、

・「セカンドレイプ」とは何か。定義が拡大していないか

・「セカンドレイプ」は法でもないのに、そのために表現制限さないといけないのか。

・一度でも被害にあった者が嫌がったら、どんな表現規制されなきゃならないのか。

などの問題もある。

anond:20180625171150

作品批判側は別に多数派から自分たちは正しい、などと言ってるの見た事ないが。

放映中止を決めたテレビ局側も、単純な数では判断してないだろうし。

でも元増田は「作品を許容する人が多数派である」と何の根拠もなしに言ってるので問うてるんだが。

そのために「賛成する人」全員を敵に回す愚。

そんなに熱心な奴は殆どいないだろうし、大多数は放映されてもどうせ見もしないんだから関係ない。見ない奴は客じゃないので。

でも「あのテレビ局被害者セカンドレイプするドラマを平気で放送した局」と言う悪評は残る。

幸色のワンルーム』について、弁護士太田啓子氏の記事に思うこと

幸色のワンルーム』(以下、「幸色」)放送中止騒動について、弁護士太田啓子氏の記事を読んで思ったこと。

この日記は、以下の記事を読んでの感想である。筆者が、他所での議論ほとんど追えていないことについては、ご容赦願いたい。

幸色のワンルーム放送中止批判の嵐……弁護士太田啓子氏が「誘拐肯定」の意味を語る

http://www.cyzowoman.com/2018/06/post_190588_1.html

以下では、当該記事の内容について適宜要約し、筆者なりの疑問点を整理していく。

【元記事の要約①】「幸色」放送中止への批判として、『ルパン三世』や『名探偵コナン』は放送中止にならないのに、なぜ「幸色」だけが、というものがある。この批判に対して、太田氏は、現実における殺人犯誘拐犯の認知の違いを説明することで応答している。すなわち、殺人犯自身行為殺人である認識している一方で、誘拐犯はその限りではない、という。また、この認識の違いは、これらの犯罪行為を受け止める側の人々の認識の違いと並行している。

→<①への疑問>太田の応答は、“現実における殺人犯自己行為殺人である認識しており、それを受け止める側の人々もそうなのだから殺人にまつわる番組放送したところで問題はない」というものであり、確かにルパン」や「コナン」が放送中止にならない理由説明しようとはしている(内容の是非は置いておいて)。しかし、この議論から導き出せるのは、せいぜい“誘拐テーマ殺人よりも注意して放送すべきである”程度のところまでであり、副題の「なぜ殺人OKで、誘拐NGなのか」はミスリーディングである

【元記事の要約②】太田氏いわく、『幸色のワンルーム』は、加害者一部の人事件に抱いたであろう妄想作品にしたものであり、「実在被害者に対する中傷のものだと思う」という。

→<②への疑問>言いがかりに過ぎない。

【元記事の要約③】太田氏は、ドラマ公式SNSの“盗撮ハッシュタグ”に触れた後、「公共電波に乗せるのは、表現者社会的責任を伴い、おかし社会規範を作ることに寄与することは、やはりやってはいけないと考えます」と述べる。

→<③への疑問>“盗撮ハッシュタグ”に眉を顰める気持ち、そして“公共電波に乗る表現には社会的責任が伴う”、という点には同意できる。ただ、もっと議論されるべきは、“「幸色」の表現者が十分な社会的責任果たしていない、と言えるのかどうか”という点である問題は、瑕疵の有無ではなく、その大きさなである太田氏の記事では、この点についてあたか自明のことであるかのようにほとんど触れられておらず(太田氏が、別の場所議論しておられるのであれば、申し訳ない)、実際問題、この点についてほとんど議論がなされないまま放送中止が早々に決定されてしまった。

【元記事の要約④】誘拐被害者は「助けを求めなかったからといって、誘拐犯と一緒にいることを望んでいたということではあり得ない」。しかし、今の日本社会では「女性被害を訴える声を歪曲して捉える空気が強すぎる。このような空気社会の中で、『女児誘拐したが実はその女児はその「誘拐」を喜んでいた』という言説を肯定的に描くことは、女児誘拐についてのそのような歪んだ認知肯定し強化することにならないでしょうか。」

→<④への疑問>まず、「助けを求めなかったからといって、誘拐犯と一緒にいることを望んでいたということではあり得ない」についてだが、“必ずしもあり得ない”という意味なら同意できるが、“絶対にあり得ない”という前提であるならば、疑問である。“人間が何を望んでいて何を望んでいないかはっきりとひとつに決定できる”という素朴すぎる人間観は置いておいて、実際のところ、実親から虐待から逃れるための緊急の避難が、結果として誘拐事件というかたちをとってしまうケースはままあるように思われるからである(筆者は、それを肯定している訳ではない)。ただ、「誘拐犯と一緒にいることを望んでいたということではあり得ない(というのが常識になるべきだ)」という太田氏の見解は、客観的事実認識というよりはむしろ弁護士としての倫理を加味したものであるように思われるし、そのこと自体に対しては、筆者は敬意を表する。次に、「女児誘拐についてのそのような歪んだ認知肯定し強化することにならないでしょうか」であるが、これに対しては、“それは本当なのか、本当ならどれほどのものなのか”“それは果たして放送中止に足る理由なのか”という二つの疑問が浮かぶ。前者の疑問は、そのままの意味で、「幸色」の放送によって“歪んだ認知の強化”が本当に起こるのか、起こるとしてそれはどれほどの強化なのか(微々たるものではないか)、という疑問である。また、後者の“それは果たして放送中止に足る理由なのか”という疑問は、もし「幸色」によって引き起こされる“強化”が微々たるものであるならば、それは「幸色」の表現者が果たすべき社会的責任範疇を超えているのではないか、という疑問であるそもそも社会というのは、何かひとつドラマによって大きく変わったりするようなものではないだろう。もしそういうことがあったとすれば、それは社会のなかで変化への準備が潜在的に進んでおり、作品最後の一押しになったということにすぎない。そうだとすれば、個々の表現に過敏に反応する態度は、社会本質的領域から目を背けた盲目的な“水際作戦”であり、また作品への“責任押し付け”になりかねないようにも思われる。

【元記事の要約⑤】表現の自由は「公共空間で何をやってもいい権利ではない」。『表現の自由への弾圧』という批判的外れであり、太田氏は、公共空間のあり方や、社会規範の作り方の話をしているのだという。

→<⑤への疑問>表現の自由は「公共空間で何をやってもいい権利ではない」、という点については同意であるしかし、繰り返しになるが、もっと大事論点は“「幸色」は本当に許されない表現なのか”ということであり、元記事では、その点について一方的議論しかなされていないように見える。放送中止批判している人々も、太田氏と同様に、「公共空間のあり方や、社会規範の作り方の話をしている」ことは明白であり、「『表現の自由への弾圧』という批判的外れ」という応答は、それこそ的外れ揚げ足取りではないか

【筆者の意見とまとめ】

 「幸色」放送中止騒動について、筆者が問題視しているのは、公的権力による弾圧ではなく、むしろ私的検閲>と呼べるようなものである公的検閲によって作品発禁になった、という過程ではなく(すなわち、行為主体の種類の問題ではなく)、あるイデオロギーによって「幸色」が放送中止に至った、という実際的な結果に注目しなくてはならない。元記事には「作品が“世間にどう受け取られるか”を熟考することも重要とあるが、「幸色」を放送中止に至らしめた“世間”とは、決して“世間一般”のことなどではなく、特定イデオロギーをもった少数の人々にすぎない。少数の人々から批判テレビ局が過敏に反応し、“本当に許されない表現なのか”を議論する機会が十分に設けられないまま、放送中止の決定が下される。“事実上は”の次元では、特定イデオロギーによる“世間”を無視した検閲が行われているのである。それが果たして公共空間のあり方」として正しいのだろうか?

 ここまで筆者は、「幸色」の表現瑕疵はそれほどまでに大きいのだろうか、という疑問を発してきたが、一方で、「幸色」の表現にはプラスの面もたくさん存在するだろう。生きづらさを抱える少女少年希望を与える(例えそれが幻想にすぎないとしても)ことはもちろんのこと、適切にテロップを入れるなどすれば、虐待問題への啓発にもつながる。そんな大きなことを言わなくても、普段何気なく接してる表現いかに我々の人生を豊かにしているか、考えるまでもないだろう。表現瑕疵ばかり取り立てるのではなく、“望ましい表現”か“許されない表現”かの二分法に訴えるのでもなく、光る部分にも目を向けていくべきではないだろうか。“100%良いもの表現)”というのは、それが人間の営みにおいてほとんど存在しないということもあって、薬にも毒にもならない(ただ筆者は、そんな“何の役にも立たない”ような表現にも、発表の機会が与えらるよう願いたい)。

 「幸色」は、本当に“許されない表現”だったのだろうか。そして、<私的検閲>が事実機能している現在の状況は、果たして公共空間公共表現の場として、望ましいものであると言えるのだろうか。

テレ東朝ドラ

ドクターキム

吹き替えで視ているけど

しゅじゅつ室 と聞くたび、噛みそうでかまないラインで言ってるから苦しくなる。

オペ室でいいじゃないか

病院建物雰囲気から文字よりしゅじゅつ室ぽいからか?

理由はどうあれ、気になってしかたない

このドラマの見所は?

しゅじゅつしつ かもしれない 笑

【追記あり】みんなガラケーのこと忘れすぎでしょ

日本電子決済が普及しない」

ガラケー時代世界に先駆けて普及し始めたのが、iPhoneの登場でリセットされた。ほどなくしてガラスマなどと言われるものが登場し始めるが、シェア一位は常にiPhoneであり、ガラスママイノリティだった。iPhoneおサイフケータイが使えるようになったのは2016年発売の iPhone 7 から

日本若者スマホの影響でパソコンが使えない」

スマホ以前からあった傾向。ガラケーが高機能なため、ガラケーゲームからウェブからなんでもやってしまい、日本入力もそこそこ高機能だったため、パソコンで打つよりもケータイで打った方が速いという若者がたくさんいた。

【追記】

ドラマアンナチュラル」に、「スマホなら地図現在地も見れるし、メッセージの送受信も楽」(題意)というセリフがある。メッセージの送受信は確かにガラケーよりもスマホの方が楽だが、それは単に動作が速いというだけのことにすぎない。プロセッサ時代の差だろう。メールSMSはもちろんのこと、いくつかのメッセージアプリガラケー向けのものがあった。地図に関して言えば、ガラケーにもGoogleマップアプリはあったし、当然GPSも搭載していて、自分がどこにいるかスマホと同じように表示することができた。ついでにいうと写真地図に重ねて表示することもできた。

anond:20180625082513

なんか次は引き分けでもOKなぬるい設定になったとか

ここでまた無駄ドラマ展開がw

2018-06-24

anond:20180624231714

というかテレビのせいなんだよな、報道に差をつけて話題に差をつけようとするの。

美人女性社員さんが過労自殺してやっと、なんかすっごいドラマチックに残業批判しだしたじゃん?そんなことするテレビは「エンタメ企業」だからだよな。そんな企業民意を作ろうとしてるんだから低俗な感じになるよ。

マジでテレビは悪質。低俗NHKはまだまし

anond:20180624213712

なにかヒントになったなら嬉しいです。

文豪歴史上の人物足跡などでなくても、

お好きなドラマロケ地自撮りとかも楽しいかも。

アラサーレズビアンに目覚める可能性?

彼氏いた事が無い歴=年齢

美人ではないがそこそこ愛嬌がある方なので割とモテてきたけど

どうしても男性恋人同士になると言うのが気持ち悪い感じがして

男性といい感じになっても逃げてしまって誰とも付き合ったことが無かった

5年くらいある一人の男性が好きだったけど遠くから見ているだけで何も出来なかった

その人はそのうち結婚してしまった

それでも子供の頃から普通に男性が好きだったと思う

普通にカッコイ男性を目の前にするとドキドキする

好きな人に頑張ってバレンタインチョコを渡したこともある

から自分セクシャルマイノリティかもしれないとも考えたことが無かった

年齢も年齢なので親に発破を掛けられて婚活をしてみるもののどうしてもしっくりこない

本当に好きな人にでまだ出会っていないからだと言う気もしてる

性欲が人より薄いとかそんな可能性もある

結婚するならそんな事を言っている時間的猶予はあまりないけど

そもそも冷静に考えると本能的には結婚をしたいと思ったことがない

ただ、死ぬまで一人かと思うと急激に不安が押し寄せてくる

街で仲良さそうに歩いているカップルを見ると素敵だなと見つめてしまうけど

自分が”彼女”の位置にいることを想像するとゾッとする

ふと自分セクシャリティが気になり、

アセクシュアル(無性愛)…性別関係なく、他者に対して恋愛感情性的欲求を抱かないこと

ノンセクシュアル(非性愛)…他者に対しての恋愛感情は有り得たとしても、恒久的に他人への性的欲求を持たないこと

と言う言葉に辿り着いた

しかしたらそうなのかも、と思うくらいには心当たりがあった

友達(仮にAとする)の親友(仮にBとする)に久々に会った

Bのことは10年くらい前から知っていたけど

趣味などが合うわけでは無いので連絡先も知らないしあまりしたことは無い

Bと会うときはいつもAと一緒のとき

ただ昔から何故かずっと気になっていた

少しボーイッシュで、美人なのにカッコイイその子のことがずっと気になっていた

初めて会ったときも、それから数年置きに度々会うときも、久々に会ったとき

なんだか凄くドキドキした

顔の可愛いジャニーズ男の子にドキドキするような感覚なだけかもしれないけれど

こんなにカッコイイのに、服を脱いだら女性の体をしているのかと思ったら

凄く興奮した

元々セクシャルマイノリティの人たちに何の抵抗も無かった

世間がなんでゲイやオネエやビアンの人たちにあーだこーだ言うのかが理解ができなかった

自分が良ければ周りがどう愛し合おうが気にする必要を感じない

ただ、自分当事者かもしれない可能性すら考えたことがなかった

学生の頃、ボーイッシュ女の子友達に迫られた?ことがある

突然じっと見つめられて輪郭をそっと触らられて

そのときは単純にビックリして全然違う話題を探して遮ってしまったけれど

別に不快な感じはしなかったし、そのまま卒業するまで仲が良い友達だった

結婚がしたいわけでもないし

子供が欲しいと思ったことも一度もない

セックスをするなら入れられる方が気持ち良さそうと思ったことはある

ただ、折角人間に生まれてきたなら

単純に、一度くらい恋愛と言うものを楽しんでみたい

恋愛ドラマみたいに

好きな人ときめいて好きな人に愛されるような瞬間を感じてみたい

アラサーレズビアンに目覚める(気付く)なんてことがあるのだろうか?

レズビアンでないにしてもバイセクシュアルである可能性はあるのだろうか?

まりに気になりすぎて、

話題レズ風俗やらレズバーみたいなものを調べてしまっている

2018-06-23

推しが忙しい

俳優はまっているファンとしてはほとんど初心者なんだけど、どんどん推しが売れていくのを実感している。1ヶ月に何冊雑誌に載っているんだって感じだし(テレビバラエティにはあまり出てない気がする)、公式SNSを見ていると、情報量が多すぎて圧倒される。売れていく分、いろんなお仕事をこなしていくわけだけど、どれもほんとファンになってよかったなと思うくらい素敵なお仕事ばかりで、いつも幸せありがとうという気持ちになる。前、推していた俳優さんは今や国民的人気俳優なんだけど、なんでも仕事を引き受ける分、なんでこんな仕事を?というような彼を大切にしていないような悲しい仕事もあって、推し大事にされてるんだなと思った。推しは役の掛け持ちとかザラで人格狂わないかなと心配になるけれど、プロから大丈夫なんだろう。有名なドラマ枠の出演が決定したり、彼が好きな映画監督とのお仕事をしたり、忙しい中でどんどん役者としての夢を叶えていってすごいなぁと思う。心配性なファンなんで、彼の体調大丈夫かなと思ってるんだけど(公式SNSはあっても彼自身コメントはめったにない)、どんどん役者の夢を叶えてファン映画ドラマを観る方々を楽しませてほしい。

プライムしたらコンビニ出来ないんだな

解除するとドラマが見れないし大引きだといきなり1000円あっぷ

契約するんじゃなかった

2018-06-22

幸色のワンルームって何がそんなに魅力で、何がそんなに問題なんだよ

これ「https://note.mu/amakara_no_tare/n/na4eb53fb6768」を受けて書きたいと思ったこ記事

自分は今回に関してはテレビ局に慎重に取り扱ってほしい旨をメールで送った、ドラマ実写化に関してのみ規制賛成派。

該当作品ツイッター投稿リアルタイムで見てて、その後ピクシブのぶんだけ読んだ。

ここまで前提。

幸色のワンルーム少女にとって魅力的なのは「性」の扱い方にもあるんじゃないか

クロスメディア展開がへたくそなのと制作側が色々甘く見てそうで怖い

■実写ドラマ反対したい理由は色々だけど、私個人に関しては”自分のため”だったと思う

の3本です。長い。一番最後に3行でまとめたから忙しい人はそれ読んでくれたら嬉しい。

幸色のワンルーム少女にとって魅力的なのは「性」の扱い方にもあるんじゃないか

幸色のワンルームは単なる誘拐の話ではなく、ただの男女の逃避行でもなく、

理不尽にただ蹲って耐えるしかなかった少女が守るべきもの(=居たいと思える居場所、人)をはじめて得て戦うことで少女から大人へと羽化する話であり、

リアルの男女の性に絶望した読者に対して「男と女ではなく、大人子供でもなく、ひとりとひとりの人間として関係性を結ぶ」という夢を与える物語

と捉えることができる。できるんですよ。傍から見たら犯罪だけど。

問題誘拐ストーカー設定なくてもこれを描けたことだけど、その設定のおかげで(いろんな意味で)バズってるから  うん…)

「男とか女とか性とか支配支配とかラベルだけの話ではなく、ぜんぶひっくるめて、私という人間あなたという人間の話であり、救いの話」というふうに見たとき

正直、読み口としては2000年代商業BLブロマンスに近いなと私は思った。

少女漫画系譜だ。

実際幸色のワンルームの幸とお兄さんの関係は決して恋愛感情だけにはとどまらないという風に描かれています

加害者被害者であり、無自覚的な搾取する側とされる側であり、姫と従僕であり、ナウシカ王蟲の幼生であり、友情であり、慈愛や同情であり、恋愛感情もうっすらあり、依存であり、共闘関係であり、勘違いであり、共犯者であり、そして全てを肯定し合う関係である

から人気が出た。

恋も愛もべたべたラベルが付いてひと山いくらで売られていることを、十代の少女たちはとっくに気づいている。そんなふうに安っぽくない、けれど十代少女たちに門戸を開いているフィクション作品をもとめている。それがどれだけ過去文学映画漫画でありふれてやりつくされてきたものだとしても、「いま」「ここ」で「私たちに対して」向けられている作品に惹かれて何がおかしいのだ。

たこれは重大なポイントだが、お兄さんは性のにおいがしない。

デフォルメされた世界で成人男性記号ほとんど持たない、いってしまえば無性の存在メンタル的にもそう。

その上、精神年齢少女とほぼ変わらないため、罪の意識を持った姿は読者にはどこか可哀想うつる過去の傷があるらしく年下の幸が守らねばと思うほどいたいけでたよりない。幸に都合の悪いこともしない。

けど、男。

という風にドリームカスタマイズされてるキャラ

「そんなやついねえよ」だ。だからこれはファンタジーだし理想たりえる。リアルと切り離せる免罪符でもある。

ひと山いくらラノベに出てくる都合のよいヒロインから性の匂いをひっぺがしたようなものだ。少女にとって男の性は不要もの、というか幼いころから自分を脅かしてきたものしかいから、無い方がいい。幸の安心できる居住空間提供する為にも。

からストーカー誘拐犯の男、というショッキングスキャンダラスな設定はあるものの、それは今やおにいさんと幸が法を犯したことをしても問題ないというハードル下げのための設定になり下がっており、基本「ある日突然(可愛くて自分が居ないと生きていけない(A))女の子が空から降ってきた」と同義なのだ。ぺらっぺらだが、それこそが求められている。「怖くないから」だ。

(A)には「やんごとない身分の」「血のつながらない妹/姉である」とか、あと「大量殺戮生体兵器の」とか「妖怪の」とか「暗殺者の」とか「殺人鬼の」とか「サイコパスの」とか入ったりする。よくあるやろ。そういうのを①男女逆にして②リアル現代の③クライムフィクションチューニングすると

ついこないだあった事件そっくりで笑えなくなる、みたいなの超あるあるなんすわ…

からまあ、あるある作品なのだ正直。

そんなもんがあるあるになる現実の方がクソというだけだ。



クロスメディア展開がへたくそなのと制作側が色々ガバガバで怖い

はいフィクションだし少女漫画だし、問題ねーじゃんと思うだろ?私も思う。お兄さんは捕まるか虐待親に突撃して共倒れして死んで美しい思い出になって欲しいけど(どうせやるなら徹底的に幸に都合よく退場して欲しい)。

これが少女漫画カテゴリで人気がある分には。

あと作者と制作側がゆるゆるかつタイミングが最悪でなければ。

ツイッターへの最初投稿とか現実事件に対してタイミングが最悪すぎる件に関してわざとかどうかはもう「関係ありません」で貫き通すだろうし実際分かんねえからいいわ…。マジでインスピレーションさえ受けてないとしてももう運が悪かったと思ってほしい。というか当時あれだけのトップニュースすらチェックしてなかったなら作者はうかつだし、チェックしてても特に何も考えず出したならそれはそれで大変アレなのでそれは怒られても仕方ないんじゃねーかと思う。

特に問題に思うのは、クロスメディアするとしたら慎重にやるべき題材だったということだ。

先生!」「PとJK」の実写化の時も同じこと思ったけど(あれも「少女漫画なら素敵だがリアルに考えるとわりとやばい案件)今回は格が違う。なんせ誘拐犯でストーカーだ。どれだけ気を使っても使いすぎるということは無いだろうに…と思う。

後ろめたさも、退廃的なことも、この作品の魅力と分かちがたく結びついている。伝え方を一つ間違えたら倫理観を疑われる作品なのは変わらないのだ。

このへんは制作側の、なかでもプロモーションの腕が必要作品だろうなと思う。

たとえば、この作品ギリギリまで性のにおいを消臭できているのは、絵柄の影響が大きい。デフォルメが強く、リアルさは無いティーン向けの絵。虐めのシーンにも性的ものは見受けられず変態教師とのバトルでさえ匂わせる程度だ。

性も犯罪も、それが主題ではないのだと、なによりも絵が主張している。

また、この作品家族で見てやいやい言いながら見るより、一人で集中して見たいものじゃないだろうか?ターゲット現在テレビを良く見る層と被っているか?いないんじゃないかティーン原作ファンがこの作品を見て語り合うなら、家族よりも、同性で趣味の合う友達とではないか

からメディア展開を思い切り間違えてる気がしてならないのだ。

テレビでやるならアニメ作品にすべきだったと思う。その人気に火を付けた一端でもあるキャッチーな絵柄を生かし、フィクションであることを最大限利用すればよかった。あくまでこれは夢物語で、リアルとは違うのだとアピールすればよかった。それでも非難は受けただろうが実写化よりはましだったはずだ。「誤解されやすいけど本来こういう話ですよ」と12話でも24話でもかけてやればよかった。

実写化したいなら、この退廃的な作品映画の方が合うだろうと思った。それに映画館でしか見れない、というフィルタリングは大きい。実写化することでどうしても露悪的に、生々しい匂いになる画面をテレビから無作為にまき散らすのではなく、納得して料金を払い席に着いた観客にだけ誠心誠意向き合う形をとれば良かった。観客を巻き込んで二人の世界に浸れる場所を作ればよかった。

広告展開で規制派の火に油を注ぐ可能性は大いにあっただろうが、中止よりはマシな結果になったんじゃないか

なんで再現が難しい絵柄を実写で、なんでナイーブかつ視聴者を選ぶであろう題材を全国放送の誰でも見れる割にメインターゲットを逃しまくるであろうテレビで、やろうとしたのだろう。やはりコスト問題だろうか。

プロデューサー編集部も何考えてたんだろうな。

いや本が売れたらいいなと思ってたんだろうけど炎上商法やった割にリターンがアレ過ぎない?そうでもない?わからんけど

正直、ドラマ制作側も作者の方も編集部も、「現実にある犯罪を扱った現代である」という認識が甘すぎたのではないかと思う。

それも、未成年被害者がいる事件を、「犯罪としてではなく救済として描く」というひねりを売りにした作品でだ。

カリオストロの城」でも撮っている感覚だったのかもしれない。モニタ解像度低いわ。

もしくは、とてもリアルだと思ったから実写にしよう!と思ったのかもしれない。

そのリアルさは虚構で夢でしかなく、それでいてとてもありふれた現実だ。

だって、実際の誘拐幼児への事案はひっきりなしに起こっていて(マジでひっきりなしに起こっている)。

ストーカー誘拐犯の脳内で、自分被害者と愛し合っていたという美しい物語が展開されているのは決して珍しくないのだから

その恐ろしさを無視して、リアルに寄せる実写化をするのは賛成できなかった。

苦言を呈す派に対して作者からコメントは「実際の事件とは切り離してみてください」これだけだ。たったこ一言で全て免罪されるなら表現の自由とはなんとも気楽で無責任ものではないですか。いや作品内で色々ファンタジー要素盛って免罪符切ってるしあれこれ言及するより作品に集中するのは良い手だと思うけど無責任だとは思うぞ。

だって「世の中いろんな人もいる」と、これが現実でもありえるかもね、とでも捉えられるコメントを付けて世に送り出したのは、他ならぬ作者自身なのだ

ドラマにしても、女優に「実際にこういうこともあるかもと思う」というコメントを、編集もせず流してしまった。(これで規制派の使命感に火を付けたようなものだと思っている)。制作側止めろよ…

現代クライムフィクション作品でこのコメントが出るときは「だから怖いなって思いました」くらいのことが続くはずが、「実際あったら素敵」と続いてしまうような。

作品のものというよりもその周りの倫理観ガバガバなのだ現実ガバガバ

そうでなくても今現在、長年沈黙されてきたハリウッドやら世界的に女優性的搾取告発が起きてて転換期で、それでも搾取する側の擁護をやめない(「いや、でも女性側も望んでたんじゃないか」みたいなのワイドショーで沢山見ましたね!)、日本テレビ業界をつい最近私たちは見せつけられているのだ。そもそもの信頼感が地に落ちている時に「地獄の真ん中で搾取されてるけど女の子ハッピーです」みたいな作品作ってもそりゃ倫理観が疑われるだろという話だ。

フィクションはいだって現実と地続きなのだ

不倫ドラマももちょっと気を使ってるんじゃないのかな。

■実写ドラマ反対したい理由は色々だけど、私個人に関しては”自分のため”だったと思う

お兄さんと幸の間にある感情はとても純粋もののように描かれる。

それは憂いを帯びて美しい。破滅に向かっているからだ。地獄の上にある安息からだ。あかるい太陽ではなく、暗闇の中の星。

薄汚く、ふたりを虐めるものばかりの世界でここだけは綺麗であるように感じる。実際そうだからなのだろう。未来なんて考えたくもないし過去の事は忘れたい。いまここにある、おにいさんと幸のあいだにある、形容しがたいなにか、それだけが全ての世界でいたい。

それは読者の心を掴むだろう。特に、十代の少女にとっては。

この作品メディア展開が一つ潰れることで、悲しく思うファンもいるだろうなと思う。恨まれるだろうなとも。

つーか私も十代の時に、リアルで起きた殺人事件(娘が父を鎌かなんかで…)をうけて「ひぐらしのなく頃に」のメインキャラが義父を鉈で殺す回の放送が見送られた時「いやリアルとの区別くらいついてますけども~~~~~????」って怒ってたよ。

でも今(アラサーだよ)、もし「新幹線で鉈をふるう殺人事件が起きたけど、犯人は実は悪い人ではなかった」みたいなフィクション作品テレビで予定されてるとしたら…今の私は、「それは見送った方が良いのではないか」と思う。

区別がつかないのは、つけられないのは、大人のほうなんだ。

大人になるにつれて、想像力は広がりだけではなくリアルさを増していった。経験知識が増えたからだ。

「これのせいでちいさい子供や、少年少女が酷い目にあうかもしれない」と思うと、耐えられなくなってくる。大人になれば強くなると思っていたのに、陰惨なフィクションも年々見れなくなっている。それは、年を重ねた分現実に起きる陰惨な事件を、それに対する酷い言説を、これまで見過ぎて、現実を見過ぎて、どうしても思い出すから、なんだか嫌になっちゃうからだと思う。大人になるにつれて、後からまれてくる子たちが傷つかない世界になればいいと、祈るようになってきたからだと思う。

フィクションなのに、現実被害に遭って泣いていた子や、かつて嫌な思いをしたとき自分を、思い出す。被害者の絞り出す様な言葉や、それに向けられた酷い言葉の数々を、理不尽を、やたらと思い出して、想像してしまって、苦しいときがある。

子供の時はフィクション作品メディアの力を舐めてたし、大人になればもっと区別がつくようになる、

なんならフィクションを見てリアルを思い出すなんてオタク失格だとすら思っていた。

でもそうじゃなかった。

倫理観スイッチ切って倫理観ゼロ作品を楽しむには、TPOがある程度大事だと知った。自分家族を亡くした直後に、家族を殺す話を楽しく読めないように。

倫理観ゼロ作品は、倫理観ゼロ現実世界では楽しめないと分かった。楽しめるならそれは娯楽である以上に、麻酔や薬であり、治療なのかもしれないと思った。生きるための救済。

作品の影響力を舐めたらダメだと思った。面倒なオタクである自分偶像フィクションに命を救われてなんとか生きてきた。

ならば人の命を奪う作品が無いなどとどうして言えるのか。

から今回の幸色のワンルームへの規制は、わたしは(あくまで私はな)、

これを見た「大人」がリアルに起きた事件や今までの経験フラッシュバックに耐えきれなくて「やめろ、せめて少女漫画カテゴリなかにいてくれ。そうでないなら無作為にまき散らす前に対策してくれ無作為にまき散らされて何が起こるか分かってんだおれはくわしいんだ(※嫌なことを沢山思い出しながら)」

って言ったんだと思う。

そういう側面は大いにあると思ってる。

「それでも僕はやってない。」が公開された以降から痴漢被害者への二次加害が酷くなったって話聞いてワァーってなった。

そんな変遷を見てきたら「こういう作品が公開されたら、また…」というフラバもそりゃ起きるよと思った。

直前に現実誘拐事件があり被害者バッシングを見てるんだから余計に「あれが、また…」ってなるよ。(だから本当にタイミングが悪すぎたんだよ…)

からといって作品自体消したいわけではなかった。

というかそれはダメだ。現実がこうだから配慮して作品自体消そうみたいなのは私が一番やりたくないことだった。だからゾーニングフィルタリング推進派なんだけどさ。

そしてゾーニングフィルタリングメディアの差でも実施できると思う。その作品に触れるまでのハードルの差があると考えているから。テレビ特にハードルが低い。例えば映画館での上映や本屋で棚が分けられパッキングされた単行本等とはそれだけでも違う。同列に語れないと思う。

からってガチガチにこの本は誰向け!この本はこの性別この年齢このカテゴリ!とかマジ誰もやりたくねーよ。なにそのディストピアだよ。

ネックは「現実事件に対する二次加害が野放しなこと」だから、ここがマシになれば結果的表現の自由も守られるんじゃねーかなと思うけどどうですかそのへん。

ほんとね現実クソだったよ。現実誘拐事件おこす犯人マジでクソだったし被害者に向ける目も相当クソ。二次加害を大量に見過ぎて本当にメンタル削れたし、なによりオタクリアル事件に対する大喜利に慣れ過ぎて、被害者がいるっつーのに自分も一瞬「あっそんなひどいことされてなかったのかも?」とか思ってしまったのがめちゃくちゃ自己嫌悪で死にたくなった(自分ネットアイドル二次オタクカルチャー10数年どっぷりなんですよ)。「そんなわけねーだろ」と思った。被害者の苦しみをも加害者のやったことも軽視出来るもんじゃない。絶対

この感覚のままでいるのはやばいと思った。でもこれは曲りなりにも女体持ちで嫌な思いも散々してきたから「そんなわけねーだろ」と思えた部分はあるだろうなってのもあるし、「そんなわけねー話」をいくらでも茶化せる人がいるのも知っていた。

誘拐ストーカー盗撮被害者叩きも遠い世界の人にとってはそれはファンタジーだろうしな。

でもファンタジーじゃねえんだよな。

私が生きていく現実に影響があるんなら、私は私のために戦わないといけないと思ったんだよ。

あのとき誘拐犯を擁護して被害者売女扱いしたアカウントほんとめちゃくちゃあって「で

anond:20180622104743

隣の芝生は青いというドラマ作家ジェネレーションギャップを描いていたと言っていたけれど、まさにそういうものなんだろうね。

親の「インスタ映え」と子供(小学校低学年)の「インスタ映え」は意味が違うというのをなんとなく表現していたという。

増田の「ゲーム好きなんです」とおっさんの「ゲーム好きなんです」は意味が違うってことだね。

ジェネレーションギャップを考えずに相手台詞自分世代台詞理解してしまうというのは、たぶん増田も含めてみんなやってるよ。

意味が違うというのを後はどうやって気づくかだねぇ。

ヲタクに恋は難しいがキッツいオタクより

アニメヲタクに恋は難しい」を3話か4話くらいまで見た。

どこがキツいかと言うと、自分の書いた夢小説テレビで放映されている気になるからだ。主人公は成海と言う名前を与えられた夢小説主人公。こうだったらいいのにと言う自分妄想と被る部分が大きいから、気持ち悪くなってしまうんだと思う。

私はモテないけど、これまで楽しくオタクをしてきた。充実してると思っていた。だけどどこかでリアル恋愛できないことにコンプレックスを感じていたんだろう。オタク趣味は捨てられないし、月九ドラマみたいなリア充物語には共感できない。オタクのまま恋愛をする妄想をすると、ああい物語になる。

まず自分(=成海)は可愛くて、作ろうと思えば彼氏をつくれるタイプ。フラレる理由は「腐女子から」の一択。ブスだから、魅力がないからではない。仕事はできないが、笑顔の可愛さで大抵のことは許される。そしてオタクとしてはマンガが描けて本も出せ、ファンもそれなりにいる実力者。

恋のお相手宏嵩は幼なじみ。愛想はないけど一途で成海のことが大好きなゲーオタ。仕事が出来るイケメン高身長(他人の花ちゃんにそう評されているのもポイントだと思う)。女(成海以外)よりゲーム恋愛を「できなかった」のではなく「しなかった」設定のハイスペック男子

ちゃんは成海と女として競合しないサバサバした女性恋人である樺倉が成海を可愛いと褒めても、絶対に成海に悪感情は向けない。

樺倉は顔がタイプの異性の先輩。成海のことは可愛いと言う(他人目線での容姿肯定)が、花ちゃんへの愛情は揺るがない。そのため成海に下心を持って手を出してこない安全牌。頼れる強面のお兄ちゃんポジション

気の合う仲間に囲まれて、成海は完全に妹ポジションだ。オタクの(ていうか自分の)妄想そのまま過ぎて本当にきつい。作中の薄いオタトークも、仕事シーンの雑さも、自分妄想が形になったらまんまこうなるだろう。鏡を見せつけられた気持ちさなのかもしれない。同族嫌悪ってやつなのか?

私、結婚しないんじゃなくて、できないんです。

今年で30歳になる。

独身で、恋人はいない。

もう5年ぐらいいないというか、これまで2人としか付き合ったことがない。

2人とも交際期間は1年未満だし、恋人人生のなかでほとんどいないといっていい。

 

結婚したい(家庭を築きたい)けど、相手がいない。

ここ2、3年ぐらい、マッチングアプリ婚活パーティに行ってみたけど、ダメだった。

なんか、魅力がないんだろうなと思う。

鏡を見ても、自分性格暮らし客観的に見ても、そう思う。

もしくは、自分で気づいていない重大な欠陥があるんだろうな。

かなしいよ。 

友達はたくさんいるし、仕事やりがいがあるので、

今のところ日々の暮らし楽しいし充実しているけど、

これから先、年齢を重ねていけば、そうした楽しさも変化していくと思う。

 

から、家庭を築いて、ゆるやかな幸せをつくってみたいと思ったんだけど、

うまくいかいね。したいのに、できない。ドラマとは反対。 

そういえば、セックスももうすぐ一年ぐらいしてないわ。

増田とか見てると、結婚できないアラサー女性たちはたくさんいて、

そういう人たちに対して、ここはとても手厳しい意見をのべている印象がある。

その手厳しい意見をのべる人たちがどこの立場にいるのかは知らないが、

でも、それが正直な反応なのだろう。

 

悲しいねぇ。

お仕事、頑張ってきたけど、

今、ようやく「ここまできたーー!」って感じだけど、

ふと振り返れば、「結婚できない女」になっている。

いつもじゃないけど、ときどき、そういうマイナスな気分になるときがあるよ。

2018-06-21

タイアップしか聞けない

アニメとかゲームとか映画とかドラマとか、とにかく何かストーリーと結びついた曲しか楽しんで聞けない。

そうじゃない曲は、何ていうか、言い方は悪いんだけど、とぼしく感じてしまう。

もったいないので、できれば非タイアップ曲も楽しんで聞けるようになりたい。

かい方法はないだろうか。

anond:20180621172420

誘拐事件のものとも、誘拐事件にまつわるデマとも似てないけど、この漫画誘拐事件にまつわるデマを元に作られてるに違いない、根拠はないけど僕がそう思うからそうなんだ、だからそんな作品ドラマにして全国に放送するテレビ局ダメなんだ!」

anond:20180621160644

「好きだ」「結婚したい」と言われた数日後には「他に好きな人ができた」と突然別れを告げられ

また突然「会いたい」「エッチしたい」と誘われる

まさしくドラマみたいな恋って感じで退屈はしなさそうだ

anond:20180621153924

ドラマに出てくる方言とか訛りってフィクション性高いよね。伝わりやすさを重視した結果、なんか違うものになってる。

役者地方なまりをさせるのをやめるべきでは

ドラマ映画で、その地方出身以外の役者が、地方なまりセリフをしゃべるのって、メリットあるのだろうか?

私は沖縄に住んでいるので、沖縄出身以外の役者が、沖縄なまりセリフをしゃべってるのを聞くと違和感があって、内容が頭に入ってこない。

標準語でいいのに。

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