はてなキーワード: 田舎とは
お前が作ってる機械が売れるのもお前が給料貰えるのも誰のおかげだと思ったんだクソ童貞メガネが
俺が月に何回妻の弁当食べずに昼飯のお供して、夜も会食行って、週末潰してゴルフ行ってんだと思ってんだよ。
田舎のワンマン社長や気難しい担当者の機嫌取って世間話に付き合わせられて、そういう人間関係の上にお前が作った機械が納入されるっていう契約があるんだよ。
「あ、そうか〜そっから説明しないとですねw」じゃねえわクソメガネ。
お前がシコシコ修論だのやって学生さんやってる2年間先に社会出てんだよボケ。
あとお前の嫁は昔は部長と不倫してたし俺とも一回セックスしたからな。
お前にあいつ紹介したのって誰だっけ?
あ、部長だw
田舎というか街の作り方が適当過ぎて田舎の発展は一企業に任せっきりにしてきた戦後行政の敗北なんだろうな
街をどうやってデザインして維持 or 発展していくってのが基本人口移動によって決めてきたツケだよな
でも経済は(神の)見えざる手によって動かされるから行政だけが乗り出しても駄目だろう
金の匂いをちゃんとさっちする一企業が街のグランドデザインに加担する必要はある
キッコーマソが千葉県野田市に病院作ったりして街をデカくしたとか見るとカリスマが動かすのが一番良いのかねえ
イオングループは「悪しき資本主義の象徴」みたいに扱われているが、やっと黒字という状態でもはや田舎の公共事業みたいなものだった - Togetter
本屋自体が少なく、あっても技術書の専門コーナーなんてない田舎住まいだったので、
Amazonで専門書を買って勉強してたんだけど、本当に何も知らないので「基礎から」って本を数冊買った。
しかしどの本も全体のうちの半分は「ハローワールド」と「変数の基本的な使い方」と「ifの使い方」で占められ、
そこを超えるといきなり、コード掲載だけが10Pくらい続く本格的なプログラミングを解説なしでやらされるものだった。
知らない命令とか構文がいっぱい出てくるし、それを一々ネットで調べないと進められないので全部挫折した。
更に本を追加で買って、運良く段取り良く進めていってくれる本にあたったことでなんとかなった。
その後、別の言語を勉強しようとする度に、全体のうちの半分は「ハローワールド」と「変数の基本的な使い方」と「ifの使い方」で占められ、る本に当たるし、そこについては大体どの言語でもやり方は同じで、まるまる読み飛ばすことが多い。
今日日、エクセルをちょっと触ってればifくらいは普通に使うものだからパソコンで仕事する人ならみんな知ってると思うし、シリーズとして「ifくらいまでは知ってるところからスタートする入門書」が欲しいなぁと思う。
書き込みの少ない過疎板はAIの荒らしだけが書き込みを続けるゴーストタウンみたいになっている
今後人口減少が進み、地方から衰退していく日本の未来もこんな感じなんだろうな
親の仕事の都合で十代の時に、愛知の田舎から大阪に引っ越して驚いたんだけど、いつもどこかで誰かが喧嘩してた。
歩道では自転車に乗った人が歩行者に罵声を浴びせてるし、車道はクラクションがいつも鳴り響いてるし、
食べ物屋はファーストフードだろうがファミレスだろうがちょっとお高い喫茶店だろうがいっつも怒鳴る客がいるし、
地下鉄では毎日ぐらいサラリーマン同士が小競り合いしているし、ホームでは駅員に詰め寄る人を見かけた。
学校は学校でいじめがひどくて、1人の男子が他の男子全員から毎日小突かれて泣いてるし、女の子はそんな男子に頭から水被せ笑ってる。
どこにいても誰かが誰かをいつも傷つけていて、都会ってこんなに怖いところなんだと知って、田舎に帰りたいっていっつも思ってた。
その後、親のすすめもあって東京の大学に進学し、親元を離れて東京で暮らし始めたんだけど、そこで違いに気付いた。
少なくとも人の目のあるところで他人に大きな声で罵声を浴びせるような人はおらず、
どこの食べ物屋に入ってもみんな物静かだし、地下鉄で殴り合うサラリーマンもいない。
目の前で交通事故が起きても、誰も表面上は動揺せず、しかし被害者に近寄ろうとは中々しないけど、
スマホで楽しそうヘラヘラ笑いながら撮影を始めるような人もいない。
一体、私が見てきたものは何なのか。同じ国の同じ言葉を喋る人なのかとくらくらした程だ。
後に大阪が関西圏の中でも、かなり特殊な土地であることを知ったんだけど、色々と納得の行く部分も多かった。
大阪の人達は、東京を冷血な田舎のものの寄せ集めと馬鹿にするけど、
冷血な田舎ものの寄せ集めでも、公共の場で人に罵声を浴びせるような人よりは遥かにマシに思える。
大阪には大阪なりのよさがあって、だからこそあれだけの人が集まって都市を形成してるんだろうけど、
そのよさに触れるためには、ありとあらゆるところで誰かが誰かを攻めている日常を受け入れなければいけないのであれば、
ていうかそういう報道をされたらますます加害欲から幼児をレイプしたがる男は増えそう
@Hoikushikaigai1
報道すべきだと思う。海外で幼児がレイプされた時の新聞記事を読んだら「内蔵の損傷、現場は血だらけ、将来子供が産めるかどうか分からない...」と書かれていて、両親と近所に住む人達の怒りのコメントもすごかった。日本人の私はこの記事を読むまで、被害状況を考えたこともなかったし知らなかった。
@jpmancomicoande
·
病院勤めだった立場から言うとレイプされた6歳未満の女児ってわりといて内臓の損傷もすごいしずっと泣き叫んでたりその後数年以内に亡くなる子がほんと多いんだけどそういうことって報道されないよね。
https://twitter.com/Hoikushikaigai1/status/1769861386861937124
6年生担任が最高のパフォーマンスで学校を沸かしていると、知人がLINEで教えてくれた。当方、田舎の小さな学校だが、都会の大型校の話に驚くしかない(どこの県かは伏せる)。
とにかく、自分の学年とクラスの子供の自己肯定感を高めるために、ありとあらゆるネタを仕込んで、子供たちに実行させてるような気分にさせる。保護者からのウケもいいので、校長や教頭すら頭が上がらない。若い先生たちのヒーローらしい。いわば、最高の教師だと。
猛練習した結果、卒業生の2割が欠席。式の途中で気分が悪くなる子も続出。式の終盤になったところで6年生の一人に「揃っていない卒業式なんて意味がない、やり直ししよーぜ」と言わせた後に、最高の教師が大演説パフォーマンスをして、生徒と保護者を説得。その場で「卒業式のやり直し」を管理職に迫って、認めさせたという。
ほとんど卒業式が終わってんのに、別の日のやり直しをその場で決めるのかよ。テレビドラマみたいなだな、都会。
卒業式が2回もあってうれしいか?5年生とか、来賓とかスケジュールどうすんのよ。 そもそも、体調悪くするぐらい練習させてるとか、組体操とか、子供に現金扱わせたり、無駄に追加行事とか、ほかのクラス・学年を貶めかねない言動とか、私からすればダメ教師でしかないんだが。
知人は学校でなぜか動画を撮っていて、見せてくれた。私には、やはりダメ教師にしか見えなかった。
日本は広い。
車椅子キャラといえば『ぼくらの〜alternative〜』のコズエ
鬼頭莫宏の漫画『ぼくらの』の小説版だが完全オリジナルストーリーで、少しズレた並行世界の話
コズエはオリキャラで、かつては活発なスポーツ少女だったが、病気の後遺症で車椅子生活をするように
夏休みの自然学校として海辺の田舎町を訪れ、他の子供たちが進んで介護してくれ日々を楽しむ
突然に巨大ロボットを操縦することになったコズエは、人家を踏まないように避けて敵を倒そうとそろそろとロボットを歩かせる
500メートル級の途方もない巨大ロボットでも念じるだけで動く
戦闘中に他の子が「ちゃんと歩けてる」とロボットの動きに感嘆を漏らす
その声を聞いた途端、もう長年自分の足で歩くことのなかったコズエは「歩くってどんな感覚だっけ」とふと疑問に思った
思念によって動くロボットは、「歩く感覚」をそういえば忘れているとコズエが自覚してしまったことで立っていられなくなり崩れ落ちる
他の子供達の「立って!早く立って!」という叫びを実行できずコズエはパニックになる
ロボ操縦が「スイッチやレバーの操作をこなすタイプ」ではなく「思念タイプ」の場合、歩き方を忘れた身障者はロボを歩かせるのかというのは面白い題材だった
運動も勉強も芸術的も過疎ってる市の中でもセンスはなに一つなかった
人前に出ることは好きだったけど、人前で表彰されることもなくクソニートみたいな生活してることに気づく。どうしようもねーなー
田舎の一軒家でも、子供も独立して夫婦二人暮らし。年取って若い時みたいにバクバク飯食うようなこともなくなったし、脂物も控えるようになった
だいたい、劇場内中央付近の通路のど真ん中に4席くらい車いす席がある感じ。
その一 https://anond.hatelabo.jp/20240318182037
東口の地下に何やら変な駐輪場があるのだが、実はこれは1990年までは地下街であったのだ。出来たのは1960年代のはず。
天井低くてしょぼいし店舗も狭いし店も昭和中期っぽくて古いしで、テコ入れされないままに90年に廃止。
というのも、90年にそごうが出来る事になったので、橋上駅の高さのままにデパートに入れるペデストリアンデッキを築造し、地下じゃなくて上の方で発展させる方向になったのやね。
で、駅の真ん前のデッキの基礎を建てるには地下街通路が邪魔。って事で、通路を閉鎖してデッキ基礎が貫通する形になった。残りの部分は店舗仕切りなどを取っ払って駐輪場へ。
なので一部閉鎖区画があって鉄板や木の板で塞がれているのだ。増田はここにどうにかして侵入できないかを昔から考えているのであった。
ちょっとあるよ。
本来、東アジア反日武装戦線「狼」はお召列車爆破と昭和天皇暗殺を狙っていた。場所は東北本線貨物線荒川鉄橋。
1968年まで赤羽以北の東北本線は貨客混合の複線だったが、輸送力増強の為に複々線化されて貨客分離された。これでお召列車は貨物線を走るようになった。原宿駅のお召列車ホーム自体が山手貨物線に接続されているから。
そうすると、貨物線橋梁爆破しても一般人に危害は与えないという事になる。そこで一味は爆弾設置の為に電線を設置しにいくが、人影があり、付近を徘徊しているので恐れて中止した。
そこで目標を変更して三菱重工爆破事件に至ったというワケ。元の一般人への危害回避はどこに行ったんだ。川口の乗越線はやっぱりこの貨客分離が元だから関係があると言えば関係がある。
wikipediaの虹作戦の項には「爆弾を仕掛けようとしたのは旅客線」と書いてあるが、これは間違いじゃないかと思う。そこは間違えんだろうし、増田が聞いていた話と違う。
東口駅前のそごうはそごう西武グループが売却してゴーストビルのままになってるが、三井が取得する見通しと、去年市議会で報告があった。三井という事はララガーデンとかららなんとかとかららクロフトとかになるのかと思われる。
しかしデパートというのはハイコスト、ハイリターンの業態に合わせた建物で、コストがメチャクチャかかるんだな。それは冷暖房費やエレベーター、エスカレータなどもそうだし、搬入口が狭くて外部の納品代行業者経由で整理して混載で搬入するのでないとパンクするっていうのもある。
だから巨大ダイソー一棟貸しみたいなのなら行けるが、色んなテナントが入って納品代行は使わないっていうのは無理など、難点が多いのだ。
そもそもデパートの損益分岐点って日商4000万円とかそういうレベルなんでショッピングモールなんかに入るテナントと業態が合わないのだ。
だからどうなんのかなと様子見。結局開店が流れちゃう可能性もあるね。
SLあおば通りって道があって、ファミマのSLあおば通り店っていうのもありhttps://maps.app.goo.gl/fWvvCmGbAjvhLPZw6 、道筋にはSLのオブジェとかもある。
でもこれインチキなんだよね。ここに線路があった事ってないんだ。
アリオは元はビール工場で、そこと川口貨物駅の間にユニオンビール専用線という貨物線があった。でもその専用線は現線路に平行していてJRが保線基地に使ってる。
そこでビール工場跡を再開発するにあたり、専用線跡を記念するオブジェを配置したい、でも専用線跡はJRが使ってる…って事で隣の道を指定しちゃったと思われるのね。こういうのは混乱の元だから止めて欲しいですな。
あるね。https://maps.app.goo.gl/dGPVNnEXP6hMg3n26
植物の繁茂で全然読めないが、実は同じものが陸橋の西詰にあるよ。https://maps.app.goo.gl/GNdf7d4UP3eT9aYj7
石碑の内容は、整圃事業の謝辞だよ。戦争中にまだ農地ばかりだった駅付近一帯を碁盤目状に土地の区画整理をして、その協力した地主達を名上げして感謝している。川口は江戸から離れ鋳鉄で栄え舟運で製品を出荷してやがて鉄道が来て~という事を漢文で書いてある。
この区画整理を戦前にやっておいたせいで、戦後に鉄の民需が爆上がりした時に鋳鉄工場が大量に出来て鉄の街となったのだな。
また、最初の碑がある場所というのは実は大踏切があった場所だ。駅の方から来た道が斜めに線路群を渡り、対面の斜めの道に踏切で抜けていた。
でもこれは当然危ないわけで、昭和30年代に埼玉県は荒川~大宮間の踏切を全部立体交差にする工事をしたのだ。それでこの大踏切も廃止になって代わりにこの北の川口陸橋が掛けられた。
因みにこの陸橋の開通セレモニーでは神主が来てお清めしてから神主が渡り初めをしているのが写真に残っている。
だから王子から赤羽には踏切が幾つか残っているのにその北の大宮には踏切が無いのだ。
多分西詰の石碑は元は大踏切の反対側にあったのがこの時に移動されたのではと思う。
タワマンというのは住宅地には建てられないの。日影規制もあるし、日照権も主張できるからあとから訴訟になる。
でも商業地や工業地ではそれらは主張できない。だから工業地帯から転換した地域はタワマンに最適というか、それ以外では建築が難しいの。
更にタワマンには建物の周りに公開空地を設けないとイケないのだが、「大規模な町工場」というのはこれで必要とされる広さに丁度いいのだ。
そういう訳で、川口にある〇〇製鉄、○○鋳造なんて名前の会社は、多くがもう工場を持ってないか縮小して他所に移転していて、不動産業メインの会社ばかりになってる。
日本初のタワマンは川口元郷のエルザタワー32なんだけど、ここは日本ピストンリングというエンジン部品を造っていた会社の工場だったところ。
因みにピストンリングは昔は鋳鉄を丸く繰り抜いたものが使われていた。鋳鉄には細かな穴が沢山あるのでここにオイルを保持して焼付き防止になっていたのだ。って事でやはり川口なので鋳鉄なのだ。
その丸井が閉店になって共同所有になり、ビるの愛称を決めた。もとが0101だから1110って訳でシャレや。
駅西口から徒歩7分くらいの所に飯塚氷川神社という神社がある。https://maps.app.goo.gl/fKh6qXTZGCNTYGRE9
ここだが、境内に結構古い社務所があるのだが、なんとこの社務所、選挙の投票所に指定されている。中は畳と板張りなんだが、そこに土足で入れるようにシートを敷いて投票箱と記帳所を置いて公職選挙が行われる。
すげえ田舎や離島で神社が投票所というのはあるだろうが、東京都境から徒歩10分、駅で一駅のタワマン林立地帯でこんな投票所があるというのは珍しいんじゃないか?
好事家の皆さんは選挙の日に覗きに来てはどうだろうか?
何?じゃなくて教習所や。元々地産グループの教習所だったが、グループ首魁が逮捕された影響で元会社が倒産、売りに出されて飛鳥ドライビングカレッジとなっている。
ここだが、ちさん時代から教習料が安いのが特長。都心から近いのに首都圏で一番安いという穴場なんだな。免許取りたい人はイイゾーここ。
因みに2019年台風19号の増水ではコースが7mの泥水の底になって、後にはコースも見えない泥の沼が残り、教員たち総出で泣き泣き泥かきをしたそうだ。
本当はみんな、結婚して子供を作った方が人生のコスパが良いことくらい十分にわかってるけど、
そうだね。
あとはまあ資本が無くても、よくわからん田舎のボロ家に住んで片道2時間通勤して休日はイオンと公園をブラつくだけの生活をすれば子育てはできると思うけど、
さすがにそれはちょっと、という人が多いんだろうね。
「愚か者のコスパ厨が人生の幸福の本質を理解しないがために目先の楽さに囚われて子供を持たないのだ」というストーリーで少子化の犯人探しを語る保守派がいるけど、
JR東海道本線の静岡~浜松に1箇所Uっぽくなってる場所がある。
当時は電車じゃなくて煙モクモクのSLだから、そんなモン撒き散らされちゃたまらないと茶農家とかの反対運動と、それじゃこちらに来て下さいの誘致運動でこうなったらしい。
病院ってぶっちゃけ相性だからあればあるほど選択肢があって良いんだけど、田舎のヤバい所はこの先生嫌いだと思っても他に病院が無くて選択肢が無い所。
その唯一の先生がヤブだとホントどうしようもない。何人見落としで殺したんだ?とか死神とか言われてるからな。田舎は寿命で死ぬんじゃなくて医者に殺されるだから。覚えときな。
県二位の人口22万人の中核市であり、太平洋に面する港町、臨海工業地帯、外航・内陸航路の工業港を有し、東北新幹線八戸駅、東北縦貫自動車道八戸線、三陸復興道路の北の終点がある。東北有数を都市を自負し商圏63万人を誇る。
しかし、八戸市にはイオンモールがなく、イトーヨーカドーは2024年の夏に閉店する。
八戸市の映画館はかつて7館あったが、現在は完全になくなった。
2000年代前半40,000平米級のイオンモール計画が立ち上がるも、中心市街地の地権者や有力者等で構成する市の商工会が大反対運動を展開。当時の市長はイオンモール反対を表明するも落選。対立候補の官僚出身の新市長が状況に応じ検討するとして当選したが、過剰な商業施設は不要として事実上のイオンモール立地規制条例を制定。売場面積7000平米級の中途半端なイオンリテールがオープンした。
八戸市民は隣町のイオンモール下田まで車で約15kmのみちのりを30,40分かけて行く羽目になる。
車がない高校生は1日に5便しかない直行バスに長い行列をつくり30,40分かけていく。
中心市街地は、イオン立地に反対したあとほどなくシャッター街になった。全く商店街をシャッター街にさせない!商店街を守るんだって話はなんだったのだろうか。
かつて市民のデパートとして親しまれたヨーカドーは市内に2店舗あった。1980年中心街の再開発ビル(地下1階、地上7階建、屋上遊園地)にイトーヨーカドー八戸店出店計画が出て、当時の市商工会議所は大反対をしたという。市民には大歓迎されて開店してから東京の有名なデパートとして八戸の目抜き通り入口の街の顔となった
しかし、2003年に閉店する際は商工会議所は引き止めだそうだ。実に身勝手である。2024年夏にもう一つの郊外型の地上2階建てのヨーカドーが閉店予定である。
私は学生時代、そのヨーカドーの両方でアルバイトした。八戸店では閉店まで2ヶ月間を鮮魚コーナーでアルバイトの先輩に殴られながら、ホタテやホヤの殻を剥き試食販売の売り込みをしたり、閉店後のポッポでたい焼きや今川焼きをもらったり、最終営業日の店長の涙を堪えた客への挨拶を聞きながら、八戸の中心街はこれで一時代が終ったのだとしみじみ感じだ。
話を戻そう。その後、現在まで約20年近くが経ち、八戸の中心市街地はどうなったのか。
中心市街地には地元百貨店は最近まで2店舗あったが、コロナが瀕死の経営状態にとどめを刺し2023年に1店舗閉店。
さくらの百貨店は若者向けではなく、郊外CSはラピア長崎屋と前述の小ぶりなイオンリテールと、スーパーセンターがいくつか。バブル期前につくられた街中のファッションビルはほぼ空きテナントだったと思う。
市は20年ぐらい前には既に中心市街地活性化対策に乗り出し、再開発計画が出ては地権者の反対で消えを繰り返し、最終的に新市長が市営の箱物をたくさん作ったものの、商業施設の立地はほぼ皆無のままである。
中心街は仙台に次ぐ飲み屋街として名高く、屋台村のみろく横丁周辺が酒豪の呑んべいたちで賑わう。新幹線開通後、新たなホテルやマンションはいくつか建設された。
市内は、北東北を中心に展開する売上高1300億円、58店舗を展開するスーパーのユニバースが本社を置き市中を治めつつ、他社も含め無数にスーパーとドラッグストアがある。イオン系列のホームセンターのサンデー、市内の何箇所かにスーパーセンターがある。ヤマダ、ケーズデンキ、ユニクロ、GU、しまむら、西松屋、ワークマンもある。日常の買い物には困らない。
しかし、娯楽性に欠ける。買い物を楽しんだりするには物足りず、映画館もない。ヨーカドーもなくなる。イオンはリテールとスーパーのみ。
明治時代に日本鉄道が東北本線を八戸町の中心部に伸ばすかどうかで議論になった。
当時は他の町と同じく蒸気機関車忌諱説があり、流行病の懸念や軍部の要望があり外国軍上陸の脅威を減らすべく、市街地から4kmも内陸の尻内(しりうち)という辺鄙な場所に駅をつくった。あとで町民たちは鉄道は便利だと知ることになり、数年後に本線から分岐して八戸線が開通し中心市街地の800m北寄りに旧八戸駅、現在の本八戸駅を開設する。
そのあと100年以上が経ち、尻内駅は八戸駅に駅名が変わり、やがて新幹線駅に昇格した。しかし、あまりに市街地から離れすぎた立地のため、郊外の地方空港の様相であるかのように、22万人都市の玄関口としてはお察しくださいの状態である。
大正末期に八戸大火が発生し中心商業地区が焦土と化したが、田舎町には後藤新平のような都市計画家はおらず、当時の八戸町議会は多額の予算は出せないとして狭い道は藩政時代のままとなった。
太平洋戦争では基幹産業の日東工場爆撃が海側の地域で爆撃を受けるも、中心市街地の空襲被害はほとんどなかった。
市の北側に位置する旧日本軍の飛行場と基地は米軍に接収され、3,200人の米兵により飛行場を拡張し基地の街と化す。その後、陸海自衛隊基地として運用される。
八戸の中心市街地は、戦後しばらくして、東映、東宝、テアトルなどの7つの映画館が開店し、地元百貨店が開店し、緑屋、ニチイ、丸光(さくら野)、長崎屋、そしてイトーヨーカドー、地元資本のファッションビルが開店し、中心市街地は岩手県北を含め商圏62万人ともいわれ栄華を極めた。私はその時代を生きていないのでよくわならない。
八戸は昭和30年代に新産業都市に指定され臨海都市建設工事が始まり、八戸鉱山の石灰石産出、三菱製紙工場、八戸火力発電所、非鉄金属の精錬所、鉄工所、造船所が建設された。
漁業は栄光を極め、八戸港の水揚げ量・金額が日本一を記録し、第一・第二・第三魚市場は全国の漁船が集まったという。浜の景気は大変良く、飲み屋街や風俗街も発展した。北海道室蘭・苫小牧港へのフェリー航路が開設され北への玄関口となった。中心市街地を迂回する国道45号バイパスが整備され、市道の4車線の環状道路が次々と開通し、田畑の区画整理が次々と進み新興戸建住宅地や住宅団地は郊外に市街地は拡大し、市営バスは路線網を拡大し小中高校は増設を続けた。
一方で、青森寄りの天間林村(現七戸町)の上北鉱山は銅が枯渇のため閉山。また、八戸から60キロ北の六ヶ所村では新全国総合開発計画による巨大石油化学コンビナートや製鉄所を中心とした、1万7000ha開発計画は発表されたが、二度のオイルショックで完全に頓挫した。石油備蓄基地のみがつくられ、のちの日本原燃による核燃料サイクル施設建設を待つことになる。
青森県議会は東北新幹線建設に際し、八戸経由か弘前経由か決められずに結局盛岡駅止まりのまま以後八戸延伸まで20年待ちとなる。あの頃、早く決めていればとおもうと悔やまれる。
1991年に長崎屋が郊外に移転。屋内遊園地つきのラピア長崎屋が開店
1993年 六ヶ所村で日本原燃の再処理工場の建設が着工する。原燃PRセンターに家族で行った帰りに、父からこの工場で事故が起きれば将来は八戸に住めなくなると聞かされ幼心にショックを受ける
1994年 年末に三陸はるか沖地震(震度6)が発生、旧市庁舎、旧市民病院に大きな被害、中心市街地のビルが倒壊し死者発生、道路の崩落、水道管破裂など多数被害
1995年 隣町にイオンモール下田が開店(現在は売場拡張し53,277平米)県南地域では最大の売り場面積を持ち当時は大観覧車があり田んぼと山がよく見えた。
1997年 中心市街地の市民病院が郊外に移転し、いよいよ中心市街地の危機が地元紙で叫ばれるようになる
1999年 八戸臨海部の神戸製鋼の敷地にイトーヨーカドーの郊外型CSが開店、ホームセンター、のちにヤマダ電機、スーパー銭湯開店
2002年 東北新幹線八戸駅開業。北の玄関口として栄華を極める
2003年イトーヨーカドー八戸店が閉店、跡地に地元出資チーノオープン。市民映画館が開店
2000年前半イオンモール八戸田向店40,000平米級の建設計画が持ち上がる
当時建設中の4車線の県道八戸環状線沿い一帯の田んぼを区画整理し、中心街から八戸市民病院が移転した付近に立地計画
市民の多くは歓喜に沸いたと思う。わざわざ隣町のイオン下田まで行く必要がなくなるからだ。
しかし、中心市街地の商業者を中心とした商工会が猛烈に反対し、当時の市長も大反対。
地元新聞の投書には、商店街関係者と思しき女性が「イオンが来たら中心街がシャッター商店街になってしまう。そんなところで祭り(八戸三社大祭という由緒ある山車の祭り)は見たくない!」などと書いていた記憶。
ほかに、市民病院の近くが週末渋滞して救急車が到着できなくなるから反対との投書もあった。
その後、市長は1期で落選し、新市長が当選し立地規制条例を制定
2012年 郊外にイオン田向ショッピングセンター開設(7000平米級)
新市長は、空洞化した市街地を再建すべく、市営の箱を次々と建設。
2011年 市営のポータルミュージアムはっちが開設、中心市街地にタリーズコーヒが初出店
2016年 ガーデンテラスが竣工し市営の八戸ブックセンターが開設、Yahoo八戸センターが同ビルに拠点開設
2019年 国際大会用の屋内スピードスケートリンクが開館(中心市街地から徒歩圏の運動公園に建設)
2020年 元長崎屋跡地にDEVELD八日町が竣工 13階建で2階以上はマンション
2023年 イトーヨーカドー八戸店跡地のはっちが閉店。解体されマンションになる予定
2023年 八戸港の水揚げ量が昭和19年レベルに激減(戦後最悪水準、金額ベースで最盛期の10%の漁獲高)
2025年 青森銀行とみちのく銀行が合併し青森みちのく銀行設立予定
東日本大震災のあと、約10年で三陸復興道路が完成し、県道の環状道路は大半が開通した。
ロードサイドにはセブンイレブンも、タリーズも、コメダ珈琲も、スタバもできた。新しいスーパーやホームセンターはあちこちにできた。
中心市街地は市営の箱物はたくさんできて大変モダンな空間になったが、観光施設や、広場施設であり、結局、車社会の一地方都市には、かつてのイトーヨーカドーのような民間の商業施設は20年経ってもできなかった。地元商工会議所は郊外巨大CS進出を阻止に成功したが、経済の低迷は続き中心街へ商業立地の開発誘導を果たせず、三春屋とチーノは閉店し、今やさくらの百貨店が残るのみである。かつての商業ビルはマンションへ建て替えが進む。
商業床がマンションになるのであれば、予定通り40,000平米のイオンモールを建設しても問題はなかったと思う。
郊外のイトーヨーカドー八戸沼館店は閉店後は、1991年開店の江陽のラピア長崎屋と、2012年開店のイオン田向(リテール)のみになる。
GMS衰退の潮流は止められず、地方の車社会は市民は無料駐車場のあるイオンモールを求めていた。
よく巨大郊外型モールが撤退したあと社会問題になるため開発抑制が必要だという。都市計画の教科書的には正しいことは理解している。
しかし、近隣県を含め広域自治体レベルで規制誘導しない限り、一自治体が規制をかけても無意味だった。
結局、一番割りを喰うのはアクセスの不便さ、往復30kmから40kmのガソリン代を消費する市民自身であり、隣町のモールに買い物客が流出して意味をなさなかった。中心市街地の地権者は新たに商業施設を建てるわけもなく、文化的施設の建設に補助金が投入された。
2050年までに、八戸市の人口は社会保障人口問題研究所の推定で14万人台になるとしている(最盛期より10万人減少する)
人口減少社会は、かつての拡大した市街化区域を減らし、都市軸の再形成、まちなか居住、コンパクトシティの形成、魅力ある歩いて暮らせるまちづくりをするなど、さまざまなメニューがあるものの、あまりにも中心市街地再興への道のりが長すぎる。その過渡期に過ごす市民は、これからもイオンモール下田に通うことにになる。
せめて20年前に市商工会議所は、利己的な理由からイオンモール立地に反対せず、県道沿いの環状バイパスに40,000平米級のイオンモール田向店を作っていれば、あの長い行列をつくりバスを待つ市内の高校生たちはおらず、自転車でイオンモールに遊びに行けただろうとつくづく思う。こうして毎年彼らは高校卒業後、八戸を離れてしまうのだろう。