はてなキーワード: 田舎とは
埼玉県民だから、外観の美しさは完全無視で、柱で窓が塞がれすぎて日差しも入らないような、ガチガチに耐震補強しているボロい埼玉県庁に見慣れている。
だから、田舎でよく見かける、どう考えても人口と財政状況に釣り合ってない、著名な建築家に依頼しました!木材をふんだんに使いました!みたいな立派な村役場・町役場建築を見た時の違和感が抑えきれない。
中古車買いました
快適グッズも買いましたので短評と追加で良いものあったら教えて
1 ドラレコ 工賃込み2万弱 田舎なので前方だけで十分。事故用なので評価なし
2 TVキャンセラー 工賃込み1.5万 走行時も動画見られるやつ。絶対安全運転マン以外は必須では。満足
3 クロームキャスト 4000 キャンセラーと合わせて動画を見よう。ナビが最低解像度720以下なのでキャストしか使えないけど十分。よく行く出先にWiFiなきゃ車載WiFiないとあんま意味ない。まあ満足
4 キックガード(ポケット部のみのやつ) 2000 まだ届いてないけど2個セットで格安。後部座席乗せる頻度多いならあれば良いかも
5 ゴムマット 2000 ドアポケットなどよう。可もなく不可もなく。欲しい人はどうぞ
6 トランク用吊り下げ収納 2000 ヘッドレスト柱に固定するやつ。トランクに小物入れたい人はどうぞ。ガチのボックス必要なら100均で代用したほうがコスパいい
7 ハンディクリーナー 2000 12000吸い込み力あると捗るよ。
9 サンバイザー用ティッシュケース 500 運転席から届く範囲に欲しいから最高
10 ドアプロテクター 2500 爪傷気になるなら。思ったよりダサくない。マグネット式なので取り外し楽なのもいい。透明シールテカらせるよりいいかな
11 ブースターケーブル 1000 無くてもいいけど電装多い今の車は昔より載せておく価値がある。24V対応、100A以上、3.5m以上がオススメ
購入思案中
わが国には昭和54から怖い人が居続けるという意見があるが、疑問なしとしない。根拠
(1)昭和60年8月に日航機が落ちたときの犠牲者有名人が盛り上がっていた時代は、仮にそういう怖い人がいたとしても、あまりにもドクソ貧乏なので世間から知られていなかった。
(2)平成4年に鹿児島地裁で再審請求事件があったが棄却された。しかし、その当事者も、ドクソ貧乏で当時から誰も相手にされていなかった。
(3)確かにその当時頃からでも富美山で寝ていると夜中に怖い車が走り抜けていくこともあったし、青葉台を走りにけて行く自動車は昔から見ていたのでそういう人がいたかもしれないが
意味不明化する令和 田舎には女装コスプレデリヘルがあるので、東京やさいたまにはないので、東京から田舎の方に帰りたいという人が続出しました。それはそれでいいことだと思うのですが
なんか万事が万事うまくいかなかった。第一に現在の東京に住んでいても自慢にも何もならない。生活保護を受けてると移管制度があってどこでも好きなところに転居
できます。これは福祉事務所に移管したいというだけで通るのでしかし、移管したとなったら移管したとなったでもう都会には戻れない、仮にそこに移管するという判断をする
理由が分からない。例えば栃木の山の中に移管したいという場合に保護費をもらいつつ山の中で散々エロができます。新しい土地にも行ける。しかしその代わりに
都会にはほとんど戻れない。北海道でもいい。しかし実際には通らないから面倒くさくなって生産性がなくみんな寝ているわけです。どこでもいいから身体が動かない。
逆に高度テクノロジーや東京の発達した都市へのあこがれはいつまでも残り続けるので、更に、法学部へのあこがれとか、法を利用した生活をしたいという願望もあるので
それでどこでもいいという判断になってくる。最近はとにかく法学部がいい。延岡市でも誰も一回も行ったところがない町として一ヶ岡などがあります。
社会にデリヘルがないからかなりの人が荒川河川敷に泊まったり田舎に帰ってるだけだろ、田舎に帰ってもデリは河原にしかないからな
ただの独法系病院勤務医だけど神奈川の田舎の母子家庭に生まれたからか、昔は名誉欲と権力欲が強かった。横浜翠嵐卒業して東大法学部卒業して、在学中に司法試験と国家公務員試験に合格して、大蔵省か自治省の官僚を目指していた。金には全く興味がなくてエリート視、次官という肩書き、陛下から頂ける勲章が欲しかった。
だけど、司法試験合格して東大法卒の事務次官でさらに中高は私立の名門男子校なんて人はゴロゴロいるわけで、地元小中と県立出身の自分じゃ「真のエリート」にはなれないなと諦めた。
その後内閣人事局というとんでもないオフザケ組織ができてしまったのでその選択は正解だった。
それからは「国立大学医学部の教授」を目指して旧六医とされる地方国立医学部に受かったんだけど、大学在学中に新しい臨床研修制度が始まってしまった。県外出身の友人始め多くの同級生はそれを歓迎していた。だけど俺は不安だった。せっかく苦労して関連病院の多い歴史の古い国立医学部に入ったのに、その医局の権威が揺らいでしまったら…と。
予想は的中し、今や国立医学部よりも設備の整った私立総合病院の院長がデカイ顔をすることもあり、大学医局に属したことのない医師が名医と紹介されることもあり、極め付けに最初から稼ぎの良い美容外科を志望して入学してくる学生がいる。
医師や官僚だけじゃない。情報化社会とネットメディアが進展すればするほど、金と根拠のない影響力だけを持った胡散臭い実業家やインフルエンサーが大口を叩くようになり、正当な権威や権力を持った人間の影響力が次々と失われていく。
Sの二世だけど選挙は個人の自由と思うので活動してない、題目だけは唱えてる、習慣だから
新聞も配ってる。信心深いのではない。田舎のため徒歩で朝30分のジョギング運動になるのだ、健康維持にちょうどいい。新聞を配達しないわけにはいかないのでサボれずおかげで肥満とは無縁だ
全てが本尊様のおかげとは思っていないが、しんどいって時に祈る物があるってだけで気持ちの問題が違うなってだけ
前にもう死ぬかもしれないって病気になったときもう自分にできることないから毎日ずっと祈ってたら、なんだかんだで5%の壁を乗り越え生き残れたんだけど、信仰のおかげというより
「何も出来ることがないときに、とにかくなにかやった気分になる希望が持てる」っていう存在がありがたかった
母は熱心なSだが年老い、認知症が発生しはじめたがSの人間関係のおかげで「会合にいかなければ」などの使命?があるのと日々のお祈りをしなければ、の長年の習慣のせいで精神的に安定してるんだよな
そういう意味で心の支えになっているのならこの存在は悪くないなと思っている
Sとしてはありえない思考かもしれんが宗教はキリスト教でも何教でも俺はいいと思ってる
その宗教で本人が辛い時に乗り越えられて、他人に迷惑をかけず、家族を不幸にしないならそれでいいと思ってる
増田はその宗教のせいで結婚などができなくて苦労するのなら自分の幸せのためにそれを捨てていい
俺は嫁はSではなかったが説明したら「あなたの宗教に口出しはしない好きにすればいい、他人に迷惑をかけたり押しつけないならいい」という理解があったので結婚した
増田の気持ちはわかる。おかしいだろと思うこともあるだろう。捨てたければ捨てていい。
あとおじさんのSの歴史では、独身の時バリバリやってた女性が結婚した途端に脱会はしないまでもなにもしなくなった。あれだけ活動家だったのに。旦那が嫌がるというのはあれだけ叩き込まれて日々頑張っていた信仰を吹き飛ばすのか、愛ってすごいな、って思ってた。
結婚したら女性ってここまで180度変わるんだなって思った。増田のようなのもよくあることだから気にしないでいい。
ネットだとSはフルボッコだから俺も肩身が狭いが、親しくなった人にはSなことは言っている。今のところそれで縁を切られたことはない
Sは昭和の頃に比べれば相当緩くなってきたと思う
酷い目にあった人もいるが、あれ行き過ぎた信仰心のバカとか長期間大組織のぐだぐだとかまあいろいろ。Sは緩やかに衰退していく宗教だろうしそれは他も一緒だろう
俺はねえ、医者とか社長とか、そういう、上級っぽい職業の親をもってるんですよ
なんで、実家には本でいっぱいの棚がたくさんあったし、暮らし向きも悪くなかった
一方で、通ってた公立小学校はすげーところで、全校生徒合わせて50人を切っていて、マジ田舎育ちにしか通じない概念である「複式学級」が当然だった
そんで、そこに集まってる10人にも満たない同級生が、カインドなハートを持ったナイスなチルドレンだったらまだよかったんだが、実際には、近所にある児童養護施設に通い、中学に上がってからは万引きや喫煙などを常習的に行うようになる半グレチルドレンや、マジの貧乏人(これまで知り合った人間の中で最も下劣な品性の持ち主)、暴力的なブラジル人ハーフ、といった人材が集っていた
俺はハイソな家庭で育った、いわばオボッチャマといってもいい存在だったわけですが、まわりの連中はマジで愚連隊みたいなモンで、まあそれなりに仲良くやってたような気がしないでもない一方、しかし本質的には全然心を開けずにいた
日常的に肩をパンチしあってるし、小学校なのにテストでマジで20点とかとってるし、授業中に立ち上がってウロウロする奴とかいるし、先生が複数人イヤになって辞めるし、マジで荒れてた
「気の合う人間とだけ仲良くすればいい」とかじゃなかった 全員ロクな人間じゃなかったから
6〜12歳を過ごす小学校に、友達になりたいと思える人間が0人だったことは、俺の人格形成に大きな影響を与えたと思う
与えたと主張しても許されると思う
俺は友達がいないし、ほしいとも思ってないけど、それは自分が異常な人間だからではなくて、環境の被害者だからだってことにしていいと思ってる
俺は許されている 許されていると信じることができる
田舎の商店街組合の繋がりで、いまどき珍しいお見合い大好きオジサンがいて、その伝手で嫌々お見合いして、気付いたら結婚してた。
思えば子どものころからなーんか可愛げのないガキンチョだったと思う。要はひねくれ者だった。
子どもの頃に夢なんて持ったことはなかった。大人になったら、会社に入って、結婚して、子供を作らなきゃいけないのか。メンドクせぇな。働いたりとかせずに、ひとりでのんびり生きたいよ。
実際にはそんなメンドクさいことをせずになんとか40年余りを生きてきたんだけど。それもひねくれ者だったおかげなのかもしれない。これも皮肉だけどね。
中学校までは学校の勉強だけはできたので、高校は今でいう自称進学校みたいなところに入る。まだガキンチョのくせに世の中を斜めに構えてみるくせは治らなかった。むしろ『お年頃』になってよけいにひねくれ者になっていった。
そんなひねくれ者の僕も親にケツを叩かれつつ、なんとか大学合格だけはできた。偏差値的には無理そうだったところだけど、昔からクジ運だけはよかったのな。いや、そんなによくはないけど。
田舎育ちの俺。高校を卒業した18歳の春、東京に出てきた。アパートでのひとりぐらしが3年間続く。その間、大学にはまったくといっていいほど行かなかった。1単位も取らずにというわけではないが、ろくに単位も取らず3年間が過ぎた。
3年後の春、全然大学に行ってないことが親にバレた。「何してたんだ、馬鹿息子が、と。取り敢えず大学は辞めて地元に戻ってこいや」と。
いわゆる汽車で3年ぶりに実家に戻った俺、親からいろいろいわれた。俺は「俺は頭おかしいかもしれない。キチガイ病院に連れて行って」と親に頼んだ。親は驚きはしたものの、そうだないちどココ(俺の頭を指しながら)見てもらったほうがいいかもなと言われ、キチガイ病院に行くことになった。
キチガイ病院にて。医者の前で、僕はまだ21歳ですけど将来に何の希望も持てないんで精神病院で余生を過ごしたいです、という。医者は取り敢えず入院しましょうか、と答えた。