はてなキーワード: 同級生とは
研究職をやっていると大学の同級生から「私も研究したい」「大学院行きたい」「もう一度大学行って勉強したい」と結構言われる。
こういう人はいつまでもそう言っていて、何もしない。何もしようともしない。
一方で上のようなセリフを言わず、黙々と論文や専門誌、関連の新書や著述を読みながら、日々の仕事をこなして活かしている人がいる。
さらに踏み込んで、住んでいる地域の大学の聴講生やっている人もいる。
一番上のようなセリフをいう人間は、研究とかアカデミズムとかの威を都合よく借りたいだけなのだと思う。
そういう人にそれぞれの街にある大学の聴講を薦めると、「いや時間ないし」とか「体調が」とか「研究のセンスないから」とか言う。
一番ひどい回答は「いやあそこは市立大学でレベル低いし」だった。
もちろん本当に都合がつかない場合や身体の事情も多いのだろうけれど、上の人の場合は、個人的には言い訳であると思う。
無理ならば、なんどもふわっと「研究したい」「大学院行きたい」「もう一度大学行って勉強したい」などと言うべきではない。
学問で格好をつけようとするべきではない。
少しずつでも、関連する本を読むくらいはできるはずだ。というか学びたいなら身体がそう希求するはずだ。
繰り返すが黙々と本を読みシンポジウムに参加し、そこから何か実践している人たちがいる。
そうした人々がいる以上、上の「口だけ」の人は知らず知らずのうちに恥ずかしい言動をしているように思う。
40過ぎて子供みたいなこと言うなよ、とか、自慢してるみたいでムカつかれそうなので、自分のTwitterとかblogには書けないので、ここに書き捨て。
当時の自分は(今もだけど)頭が悪くて、就職の為に自分を飾るより素の自分を採ってくれる会社が良いと思っていて、就活に何の対策もしないでいた。50社ほど受けて割と大きな企業の最終面接まで幾つか進んでいたので、余裕こいてそのままの路線でいったら、9月まで無い内定。辛うじて拾って頂いた通信系孫会社で運用SEに。仕事は楽しかったし同僚にも割と恵まれていた。給料も初年度から360貰えた。だが、大学の同級生は同じグループの親会社や子会社に大量にいて、自分はそこに派遣で雇っていただく形で精神的にも苦しく、運用SEとしての自分の将来が描けず割とすぐに転職。
2社目は他業種のオーナー企業に文系職の第二新卒として拾って頂いて10年強働いた。管理系職種の人数が少ないこともあって、仕事は幾らでもあったし希望すれば何でもできた。がんがん希望して滅茶苦茶働いて回りの人たちのお陰で若いうちから評価いただき30からは管理職に。幹部候補なんて言われてオーナーの別荘での合宿に参加したりしていたが、ある時自分の上司になった役員とどうしても反りが合わず、異動も考えたが成長が無い気がしてしまって退職を選んだ。年収は330から良いときで990、辞める前は850くらい。
3社目は更に他業種の日系大企業の子会社で平社員として雇っていただいた。流石の超大企業グループ触れあう人全てが何らかの天才で、毎日新たなことが学べて、刺激的で辛くも面白く仕事していたら会社再編で親会社に吸収された挙げ句に管理職に抜擢された。評価されるのも家族が喜んでくれるのも嬉しい。年収は800スタートで昨年1000。今年はたぶん1200くらい。
周りの人に滅茶苦茶恵まれてきた運が大半なのは事実だし自分もそう思うけど、でも俺も頑張ったんだよ。頑張ってんだよ。生存者バイアスとか言われるけど。頑張ったよな俺。不器用でも努力は報われるんだと誰かに伝えたいし認めて貰いたいんだよ。上手くやってる奴らはもっと上手くやってるのは知ってるし分かってるけど。
春から大学生になるが、最近、自分は母親が少し苦手なのではないか?と気づき始めている。
小さい頃から我が家は仲良しだと思っていた。今でも家族3人で出かけたり、しょうもない話も真剣な話もしたりする仲良し家族だ。仲良し家族だと思っていた。
数年前から、母の、別にそこまでキレる事じゃなくない?ってことにもイライラカリカリして物に当たるところとか、何をするにもやたらとドッタンバッタンガッシャンと音を立てるところとか、嫌なところばかり目について疲れてしまうようになった。
母は私が小学生の頃は専業主婦だったが、今は祖父(母の父)の会社で事務をしている。父は自営業。
親のことをこんな風に書くのも酷いけど、母は感情のコントロールがあまり上手くできない人、目先のことばかり考えて面倒事を後回しにする人だと思う。
冷蔵庫の中に賞味期限切れの牛乳パックがあるとする。それを取り出してから買ってきた肉などを入れればいいのに、牛乳パックの周りの僅かな空間に詰め込むようにして肉を入れる。次に冷蔵庫を開けた時に詰め込んだものが雪崩のように出てくる。そして「あ〜〜〜!!もう!!」とまた詰め込む。また開けた時に雪崩てくる。このような行動が一日に何度も見られる。
車でどこかに移動していて、信号なんかで止まった時、歩道を歩く人などを見て「あの人の服変だね」「あの人こけしみたいな顔だね」などと悪気もなく他人を貶めるところも嫌だ。「そんなこと言っちゃダメだよ」と言っても治らない。
疲れていたり、体調が悪かったりする時に、父に辛く当たるところも嫌。仕事が大変なのは分かる。祖父は頑固な人で、しかも平気で予定を変更したり、急に呼びつけたりする人(決して悪人ではない、私にとっては良い祖父だ)だから、そりゃあ鬱憤も溜まると思う。しかも母は偏頭痛持ちで、日によっては体調と機嫌が悪い。
でもそれを父に当たり散らすのは違うと思う。無関係の他人に当たり散らすなら当たり散らすで、誰にでも同じような態度でいればいいのに、私にはおちゃらけた態度で接してくるのも、なんか父を軽んじているみたいで嫌。
(よく女性が生理や妊娠を理由にイライラしてしまうことを許して欲しいみたいなことを言う人がいるけれど、それはそれ、これはこれではないか?と思う。
しかも、「私は裏表がある人間は嫌い!」とよく言うのに、父には辛く当たり、次の瞬間私には冗談を言う。矛盾していると思う。)
そして、ここまでの性質が全て組み合わさった結果、仕事が嫌だ、歯医者で働きたい(母は結婚前は歯科で働いていた)、といつも愚痴愚痴しているくせに、何年も何年も祖父の言いなりで会社を手伝い、イライラを家に持ち帰っては父や物に当たり散らして、家の中の雰囲気を最悪にする、「味方全体のMPを毎ターン吸収する」的な母が爆誕する。
そうなると、自分になにかされたわけでもなんでもないのに、どうしようもなく辛い気分になって、イライラして、部屋に閉じこもるしかなくなる。
仕事が嫌なら辞めればいいのに、「父の会社を無くす訳にはいかないし〜」という正義感で続けている。そのくせ態度の悪い従業員の悪口を言う。結局、この年齢で新しい仕事を見つけるのが大変だろうから(こんな言い方も祖父に悪いけど)グダグダと召使いのような扱いに甘んじているだけだと思ってしまう。
我が家は恵まれている。実家があって、大学に行かせてもらえる。お金がなくて困ったことも1度もない。
だから文句を言うべきではないし、親に逆らうものではないと小さい頃から考えている(これはそう教育されたのではなく、同級生や世の中の色んな人を見た結果、そういう考えに至った)ので、両親に反抗したことはなかった。
反抗期もなかった。うるせーくそばばあ!とか、お父さんのパンツと一緒に洗濯しないで!とかもなかった。
でも近頃は喉のここら辺まで、「黙れや!」が出てきそうになることがある。
でも多分、そこで「黙れや!」を発動してしまったら、母と同じ「味方全体のMPを毎ターン吸収する子」になってしまうのではないか、と怖い。ナチュラルに母を見下して、自分はこうなりたくないと思っている自分も怖い。
早く一人暮らしをしたい。生き物や植物にだけ囲まれて暮らしたい。きっと私もこういった性質を受け継いでいるので、将来は結婚したくない。
久々の休日、ふと思い立ってTSUTAYAで映画を借りることにした
作品は、リマスター前の『えんとつ町のプペル』。最近リメイク版が公開されたらしいが、そちらはまだ見ていない。
ただ、ネット上の口コミを見る限り、今後も見ることはないだろう。
私にとってのプペルは、1984年に地元の映画館で見た、あのプペルで完成されているからだ。
『えんとつ町のプペル』はその表題の通り、1960年代の公害・大気汚染をテーマに描いた風刺作品だ。
中学までは野球部のエースとして活躍していたが、練習試合中に激しい喘息症状を発症。
四日市ぜんそくの罹患者となり、甲子園への夢を絶たれることとなる。
無気力となり、私生活や授業でもぼんやりしがちな風太を心配し、同級生も励ましてくれるが、効果はなし。
立ち並ぶ煙突からたなびく煙、紫雲の空。その下で生活しているため、激しい痛みや発作は時折風太を襲う。
そういった現状が、風太の気持ちをさらに空虚にしていくのであった。
そんな彼に声をかけたのが、同級の久志山(くしやま)であった。
特に接点のない彼に乗せられるまま、流れで電話級アマチュア無線技士の講習に参加する。
「遠くに住む人と交流し、話せる。こんな楽しい趣味はない」と力説する久志山にお古の機材を押し付けられ、
家族や近隣の男性の(半ばおせっかいな)協力に巻き込まれる形で、
一度目にCQ発信をするも、返信はなし。二度目は混線か、ノイズが返ってくる。
まあどうせそんなもんだ、と畳に身体を投げ出し、諦めかける風太。
周波数の向こう側から声をかけたのは、富士市に住む照子(てるこ・通称『ペル』)だった。
通信がつながるのは週に1度あれば良い方だったが、これをきっかけに風太は無線にのめりこむことになる。
ひょんなことから、互いに公害による喘息持ちということが分かる風太と照子。
次第に性格も野球を辞める前に戻り、久志山をはじめ学校の級友たちとも明るく話す風太。
そう立ち直る彼のもとに一通の手紙が届く。
宛名は照子に教えた住所。しかし差出人は、照子の母・きみのものだった。
発作がひどく呼吸困難となり、照子が市の中央病院にしばらく入院すると知った風太。
焦燥感を胸に一人、風太はヘドロと大気汚染の街・富士へと向かう――
そんなストーリーが、1984年のプペルだった。公害をもとにしたボーイ・ミーツ・ガール。
『えんとつの煙の下で、僕らはつながっている』という捻りのないキャッチコピーが示す通り、
しかし、その背景舞台には工業至上主義への強い批判・風刺が隠されている、という意味では真新しかったのかもしれない。
平凡な作品ながら、私の胸に残り続けていた作品、それがプペルなのだ。
……散々探した末、邦画コーナーの隅にプペルはあった。いつの間にかDVD版になっていた。
ビデオのまま廃盤となっていた可能性もあるので、正直運が良かったと思う。
がーんだな。
この店も中級国民(ダブルワクチン)以上じゃないと入れないのか。
でも最下層(ノーワクチン)が入り浸ってるコンビニに行くのは怖いしなあ。
政府がワクチン接種回数を納税額によって区分けすると発表したのは春先であった。
最初のうちは意識の高い人達の間で反対の声が上がったが、東京ぐらしの平均的なサラリーマンの辺りでちょうど2回接種が可能な数字が出てくると、自分たちは大丈夫だと安心したのか急に声が小さくなっていった。
厄介なのは3回接種すると安全率が99.9%になるという発表である。
それを聞いた政府は2回接種グループの上に3回接種を受けられる階級を設けたのだ。
同じ時期に、医薬品系の株式に失敗した者達とコロナで職にあぶれた者達が嫉妬と自暴自棄からワクチン工場を襲撃する事件が起きた。
こうなるとワクチンの数が足りなくなり、1回接種の下に0回接種という新たな階級が作られるのであった。
国民全員が2回ないし1回受けるはずだったワクチン接種は、3回〜0回という細かな区分分けがされ、それぞれの安全率がおおよそ99.9%99%90%0%となることからトリプルダブルシングルノーワクチンと呼ばれるようになった。
法律からして、トリプルワクチンであれば性的な接待を伴う飲食店に通うことは許可され、シングルワクチン以外は飲酒を伴う会食に対して罰金や懲役が設けられるようになった。
ノーワクチンに対しての差別は、政府主導によりシングルワクチン以上のアクションはなかったが、国民(とりわけダブルワクチン以上により抑圧されたシングルワクチン階級)の手による自主的差別(リンチ)を禁止することもしなかった。
一部のコンビニチェーンや格安外食を除けば、多くの店が「シングルワクチン以下お断り」「ノーワクチン以下お断り」の張り紙をしていたし、実際それらの店の利用客は明確にそれぞれの階級に分かれていた。
また、ノーワクチン許可の店であってもシングルワクチンの客がノーワクチンの客が利用していることを問題視しSNSにおいてノーワクチン来店率の高さを共有することが日常化していた。
ワクチン接種はバッジと腕章により一目でわかるようになっており、偽造したものはコロナ収束までを期限とした懲役刑が課せられている。
とはいえ、正式なバッジと腕章が裏ルートで数多く作られ取引されているため、知り合いに行政職員がいたり、それなりの金を用意できれば、堂々と自分のワクチン階級を偽れるのである。
かく言う私も、高校時代の同級生がバッジ配布の下請けの1つに務めており、彼から一組10万円という格安価格でバッジと腕章を譲って貰っている。
コミュニケーションが苦手で人を寄せ付けない美少女なので友達が出来なかった古見さんが同級生の少年との出会いをきっかけに友達作りに頑張る話。古見さんの成長を繊細に描く一方、個性が強いキャラがシュールにギャグを持って行ったり幅が広い。
「魔王城でおやすみ」
ファンタジー世界で魔王にさらわれた姫が、牢屋じゃ寝れんからと良い睡眠を求め、だいたい物理で解決する一発ネタ風コメディ、が順調に話を広げ続いてるミラクル作品
西部劇を舞台に本当はモテたくて保安官になったが交際出来ない男がそれでもやせ我慢で有能に事件を解決するコメディ。表向きはストイックな保安官というギャップがいい
同級生のことを推しと言い続ける友達がいる。「好きとかじゃないから〜推しだから〜!!」と言いながら嬉しそうに今日の推し君との出来事を話してくる。本当に意味がわからない。しかも推しポイントは顔じゃなくて性格らしい。たしかに彼女の推し君は、食べ物でたとえると赤いきつねみたいな顔をしてるし、全然全くちっともイケてない。でも顔はタイプじゃないけど性格が好きで推してるってどういういこと?自分、ここで叫んでいいっすか?それ!!!!!!!!!恋!!!!!!!!!!!だと思うな!!!!!?!!?!!!!?!!!!!!?!!?!!!!!!!!!!!!!
自分と同じ立場の「小学校時代からずっと同級生に暴力を受け続けてきてつらい人生でした」の女性版が
都合よく理解ある彼くんに拾ってもらって大逆転する話を勝手に妄想して嫉妬してるんだろうね
自分の女版、イージーモードになるか想像してみてほしいんだけど
ならなくねえか?
顔でも年齢でも体型でも、なんなら学歴とか生育環境とか健康状態でも男女を問わず足切りされるのは当然のことでしょ。自分も相手もやってるから文句言えないけど、やっぱり選ばれないのはつらい。それだけの話がどうして地獄?
リアルでは小学校の時分から、ネットではず〜〜〜〜〜っとぶっ叩かれ続けてきた喪女だから麻痺してるだけなのかしら。「選ばれない程度のことは日常。理不尽に被害を受けないだけで天国」ってのは。
でも男だって女と同じように、顔が良くて陽キャで秀でたところのある人は友達多いけど逆は少ないじゃん? 同性からも異性からもいじめ受けたりシカトされたりするじゃん? いじめもつらいじゃん?
その時「〇〇(陽キャ)は友達が多い。俺の方が可哀想なのに。俺を友達にしない連中は俺を差別してる」って普通思わないやん?
「シカトされるより、毎日暴力や罵倒やカツアゲを受けて注目される方がマシ。友達と関われてるだけありがたいと思え」みたいなことも思わないやん?
あと書いてから思ったけど「小学校時代からずっと同級生に暴力を受け続けてきてつらい人生でした」ってだけ言えば皆が可哀想って同情してくれるのに「たかだか悪口を言われたとか、シカトされた程度のことで登校拒否になってる人いるけど暴力被害の方がずっとつらいです」なんて書いたら同情されないどころか暴力以外のいじめ受けてた人からすごい反発受けるの目に見えてるのに、これもモテるモテないの話になると男が(一部のツイフェミも)やっちゃいがちなのもほんとなんで? ダメだよ?
ぼちぼち高校受験も始まり、今年も「定員内不合格」という不思議な言葉がささやかれる季節となりました。
すごく不思議じゃないですか?定員内不合格という言葉。まるで「定員に満たないなら全員受からせろ」「定員内は全員合格」と勘違いされているような気がします。
じゃあなんで試験するのか。定員内なら試験するだけ無駄じゃないですか?
法律では、障害を持っている人もそうでない人も「その能力と状態」に応じて教育を受けることができます。
でも、足し算引き算がままならないレベルで高校を卒業する学力があるかという問題があると思います。
赤点連発で単位不認定で留年とかあると思います。マンツーマンで指導を望むのは、ちょっと先生がかわいそうに思います。
入って終わりじゃないんですが、どうにかして無理やり卒業しそうです。でも卒業後の進路も学校の先生が探すんですかね。
支援学校ならいろいろ特性に合わせた進路指導ができるでしょうが、普通科高校の先生にそのようなノウハウがあるとは思えません。
卒業後のことも含めて考えているのでしょうか。
私事ですが、中学の同級生に知的障害の方がいらっしゃいましたが、まあ割とひどいことをされました。
詳細は割愛しますが「二度と障害者と同じクラスになりたくない。勉強して勉強して絶対にそんな人が来ないような高校に入って、二度と同じ空間で勉強したくない」と強く思う事件に会いました。
多感な時期にちょっとだいぶきつかったです。そういう経験をした人間なのでインクルーシブ教育というものが正直好きではありません。
なんで十分に訓練された教員がいる支援学校じゃなくて普通科高校に行きたいのか理解できません。
そしてテストの点数が足らないから受からないということを受け入れないのも理解できません。
障害者だから勉強できなくても普通科高校に入れろ、って「健常者」が勉強できない場合はどうするんでしょうか。障害者はテストがダメでも受からせて、健常者は落とすのなら、それは逆の差別ではないでしょうか。
勉強をしてもしなくても高校に入れるなら、普通の生徒は勉強しなくなると思います。この定員内不合格という言葉は、障害者の方には適切な教育環境である支援学校に行くという選択をしなくさせ、それ以外の生徒は勉強しなくなるという、とてもよくない言葉のような気がします。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/shonenjumpplus.com/episode/3269632237259870801
「構成が上手い!」「トリックが凄い!」みたいに絶賛されてるけど
作者が用意した理屈より先に読者の目に入る描写、そこが全然ちゃんとしてない。
これはどうかと思う。
全てのネタがばらされたあとでも各描写と真相との整合性が全然ないので
トリックによっていろんな伏線がピタッと収束したというような感心や快感もない。
あの真相が意表を突くのは、それまでの描写によって刷り込まれた無意識の理解からは有り得ない真相だから。
ちゃんと各要素を整理せずに読んでると「意表を突かれた感」がトリックによるものだと勘違いしてしまう。
以下具体的に言う。
最後の反応とか見るに、この親はお兄ちゃんもまほちゃんも可愛がってる。
出来のいいお兄ちゃんを良く見過ぎていたとかプレッシャー掛けちゃってたっていうだけで。
そうなるとまほちゃんのあの全身のあざだらけはなにごと?
え?よいご家庭の子がなんでそんなことやってて、なんでばれてないの?っておかしさ。
親には一緒にやってるor黙認してるような不穏な伏線はないのに
お兄ちゃんが妹にあんな露骨な虐待をやってたという真相はおかしいでしょ?
描いてる側は「巧みな構成で虐待という真相を隠してました」って言いたいのかもしれないけど
構成が巧みと言うより同居者である親にそういう描写が何もないから読者はその可能性は消してるわけでしょ。無意識の裡に。
なのに「虐待でした」って言われると「えっ?」って確かに意表突かれるんだけどそれはトリックの凄さじゃなくてむしろ杜撰さでしょ。
読後に「この親の設定や描写どうなっとるんや?」という矛盾が残る。
(ラストでぱっとお姉ちゃんとまほちゃんのエモに世界を閉じるのはそこに気付かれないための逃げ切り法として見ればまあまあ上手いけども。)
そもそも痕でバレるバレない以前の話で
なんでまほちゃんは「お兄ちゃんにぶたれてる」って親に言わないの?
なんか親に言えないような性的虐待の暗喩だよみたいな話を始めちゃう?
親の虐待に日々をおびやかされている子なんだよね?
そうなるとなんでこんなに終始強キャラのオーラをまとってるの?
そのせいで色々まほちゃんや読者からのミスリードを生んでるんだけど
この強キャラオーラの理由が最後まで説明出来てないから「トリックです」とはならないんだよね。
親もいないのに部屋まで入り込んでるからだよ。する?そんなこと。
お姉ちゃんの行動がただのクラスメートとして不自然だから彼女に見えてるだけで、これは叙述トリックの巧みさでもなんでもない。
プリント押し付けられて仲がいいわけでもないむしろ嫌ってる男子の家まで行ったら、ドア越しでプリント渡してパッと帰るよね。
2回目はもっとひどい。
元からクソ野郎だと思ってたけど妹を虐待してて暴力癖まである奴だとほぼわかった。
なんでそんな奴の家に平然と一人で入っていけるの?またしても親もいないし。
引き続きお兄ちゃんの彼女かなにかに見えるのはこのおかしい行動のせいなんだよね。
この行動が出来るのはせいぜいお兄ちゃんの彼女、それもお兄ちゃんのことを色々見透かして性格が強くて精神的に支配してるような彼女。
お兄ちゃんのようなああいう性格と世間体の奴が虐待を暴かれて問い詰められたら逆上するよね。
小さい女の子日常的に殴ってるような奴が同級生女子から非難されたり殴られたりしたらどうすると思う?
別にそういう場面に慣れてなくてもそれぐらいの想像はつくはずなのに
おねえちゃんは終始なんの緊張感もなく堂々と振る舞ってるし
何の怖気もなくパンチで圧倒する。
この展開も確かに意表を突かれるけど、これはトリックが凄いとかじゃなくてみんなの行動がおかしいだけじゃん?
なんでおにいちゃんはあれだけクズなのに何の反撃もせずされるがままなの?
とりあえず口を塞ごうと思ったらお姉ちゃんを殺しちゃって大惨事とかになるよね?
「お兄ちゃんの彼女」→「異様に強キャラ感のある変な女」→「母親に虐待されてる女」→「強キャラ感じゃなくてマジで強い女」になってるけど、
それぞれが見え方の問題ではなく行動自体がおかしくて、その理由が結局説明出来てない。
これもうトリックとかミスリードとかじゃなく単に滅茶苦茶なだけでしょ。
キャラがぶれてるという言い方すら生ぬるい。
まほちゃん視点で年上のお姉さんが強キャラに見えてたとかじゃなくて、
クズお兄ちゃんを精神的にも暴力的にも圧倒してるからマジで強いだけだし。
何故一ミリも取り乱さず撥ねつけて帰れるのか、
全部説明なし。
こんなのをトリックの中心部に置いたらそれは構成やトリックとしては0点でしょ。
「酒乱ぽい母親」より「どうしようもないクズで弱い者への暴力癖のある同級生男子」の方が怖くないとか弱いだなんてこともないだろうし。
小学生同士のいじめに介入するお姉ちゃんとかならこの強キャラ感や圧倒力でもいいかもしれないけど。
これはまほちゃん視点どうこう叙述トリック的にどうこうじゃなくて
単に出来が悪いだけですぜ?
(『響』みたいに女子高生主人公の胆力と暴力をテーマとした漫画なら違う評価になるけど、
あくまで構成力やトリック的なものを評価させようとしてるのであればと言う話ね。
(ちなみに『響』はテーマである暴力描写については真摯だったので素人女子高生が正面からパンチ一発で相手を昏倒させるなんて場面は一度もない。
響がお姉ちゃんの立場だったら、リビングの重いもの握って洗濯機の音に紛れて忍び寄り背後から頭にガツン→崩れ落ちたところに顔面蹴りだと思う。殺しかねないけど確実に反撃能力は削ぐ。)
別に、頑張って構成して絵を描いて1本の漫画を仕上げた作者に対しては1ミリも悪意的なことを言いたいわけじゃないのよ。
けど読者サイドについては、これを「構成が見事」とか「四季賞級」とか言う人達はどうかと思うのよね。
あなたたちは流し読みの雰囲気しか受け取ってないレベルだよね。
それでまた腹立つんだけど
こうやってものすごく雑に読んで雑に褒め上げる読者が
ちゃんと読みこんだうえで「これこれこうだからうーん、いまいち」っていう読者よりも
「素直な良い読者」であるみたいな言い方をするじゃん。
んなアホな。