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2018-01-21

異世界ペルーの思い出と共に

過去に一緒に仕事した人の中に、地方ワンゲル出身だった人がいる。その人は海で釣った魚を自分で捌いて食うのが趣味だった。無人島に一人で何泊かしたり、一週間連続風呂に入らないで爪真っ黒で会社に来たり、居酒屋で刺し身喰ってみんな食中毒になったのにこの人だけ平気だったりとちょっと変わった人だった。無人島の話を聞いた時に、学生だった頃ゼミの先輩が探検部だった事を思い出した。この人が言うには「W大探検部は突き抜け過ぎて有名ですよ、憧れてました」というくらい凄い部らしい。確かに死者も出したしな(後述)。

 探検部の先輩の話はすごかった。中国少数民族自治区に行った時は、日本パスポートではまず入れてもらえないから偽造パスポートで入って、でも出る時は少数民族パスポートでは出る理由尋問されてバレるから日本パスポートで出ようとしたんだけど、入境した記録がないからしばらく拘束されて大変だったとか、当時まだ鎖国してたラオスに入った話とか、ゲリラと一緒にマシンガンを撃ってきたなんていう自慢もしていた。「英語で"Hello"なんて言った日にゃ撃ち殺されるところもあるからな」とも言ってたけど流石に盛ってるだろそれは。

 という話を同級生のTにしたところ、「俺もすげー探検部にお世話になってる」と言い出した。こいつはカヌークラブ(だったかな?)だったんだけど、こいつも異常だった。子供の頃からの夢が「アマゾン川カヌーで下ること」だったといい、カヌークラブに入ったのはカヌー技量を身につけるためで、探検部にしょっちゅう顔を出して過去の先輩がアマゾン川に行ったとき情報勉強させてもらって、この前の夏休みペルーに行ってきたところだという。

 この話の数年後、"ペルー早稲田大学探検部員殺害事件"が発生する。Tが殺されていたかもしれないし、逆にTが探検部に提供した情報が彼ら被害者の興味を惹きつけてこの事件が起きてしまったのかもしれない。もちろん事件で悪いのは加害者だし、Tがしたことに非があるとは思っていない。そのTの話がとても興味深いものだった。

 彼はペルーでの日々を日記に書いていた。俺はそのコピーを一部もらっていたのだが、残念ながらなくしてしまった。おそらく実家引っ越しの時に捨てられてしまったんだと思う。もしTかこのコピーを持っている人がこれを見たら是非連絡してほしい。次の話から当時の記憶を頼りに少しずつ書いていこうと思う。

2018-01-20

天使3P見始めた

小学5年という設定なのに精神年齢幼児レベルキャラがきっつい

完全に小学生なめてるな

オタクのそういうところが女性蔑視なんだよそういうとこが

正直キモい

復帰初日ギター持っていったり、同級生にかな恵を当ててるところとかは好感が持てるんだがなあ

よくある話

5年以上付き合ってきた彼女がずっと嘘をついていた。

4ヶ月前に、ひとつ彼女の大きな嘘を暴いてしまったのがきっかけで、連絡が取れなくなった。

一般的にはもう自然消滅で済ませていいのかもしれないけれど、それなりに長い期間付き合ってきたし、一方的な連絡の途絶で、気持ちに納得がつかなかった。

から、家を訪ねてみた。これが1ヶ月ほど前。

彼女実家住まいで、関係家族に知られていないから、かなり勇気必要だった。

それでも行ったのは、連絡が取れなくなって自分の方が精神的に滅入ってしまったし、年末だったから今年のことは今年のうちに、と謎の衝動に突き動かされたからだ。

インターホンを押したら、彼女のお祖母様が出てきて、今日彼女は留守だと伝えられた。

素直に、連絡が取れなくなって心配で来たと伝えた。

祖母様もかなり彼女のことで心配が多いらしく、たくさん色々なことを話してくれた。

その過程で、その他いくつかの嘘も知ってしまった。具体的には言えないが、大学や、通勤先などについてなどだ。

嘘をつかれていたこ自体は、自分でも驚くほど怒っていない。というのも、なんとなく感づいていたからだと思うが。

彼女の家庭環境は複雑で、思う通りにいなかないことも多かった。

だけどもプライドは高いから、うまくいかない自分わたしに知られたくなかったのかもしれない。

彼女がいままでたくさんの嘘を重ねてきていたのだとしても、その嘘でわたしの前だけでは理想自分でいられたのなら、それでいい。

だけれど、嘘を重ねるのが苦痛だったのだったら本当に悪かったなと思う。

たぶんこの関係はもう駄目になってしまっていると思う。連絡はこれからも待つが、これを書いたらもう気持ちを切り替えることにする。

女の子を好きになって苦しいことも多かった。想像できない未来に何度も泣いたし、同級生たちが楽しそうに彼氏の話をしている傍らで神さまを恨んだり、自分を恨んだりもした。

彼女の家から帰る間際、お祖母様がいつも〇〇さんのことは楽しそうに話すのよ、嫌いになることなんてないよ、と仰って下さった。

それだけで、もう充分だ。

何度もなんども彼女に救われてきたし、強くなれた。

開けてもらったピアスの穴は、これからもずっと大切にする。

冷淡な人であるとは自覚している。

この度の小室哲哉さんの不倫疑惑から引退については週刊文春に対して批判が高まっている。

対して自分はどう見ていたかというと率直に楽しかった。

芸能界映画のようなもの自分にとってはリアリティは無い。もちろん小室哲哉さんの私生活という現実社会に起こった話しであることは分かっている。

音楽で大いに成功を収めたが、売れなくなりつつあった上に詐欺逮捕、戻ってきたと思ったら家族自分に不幸があり、そこに追い打ちをかける文春の不倫報道により引退

絵に描いたような転落劇。これもまたエンターテインメントと言えるのではないか

介護など小室哲哉さんの苦労など全く共感できない、分かるのは転落劇とその痛快さだけ。いっそのこと会見ではなく遺書の方が盛り上がったのではと考えている。

かつて学生のころに今で言うスクールカーストの上位にいるような同級生に対して非常に嫌悪感を抱く出来事があり、仕返しのために数々の根回しをしたことで、その同級生が他の同級生から無視されることとなった。結果的学校に来れなくなくなるようになってしまたことで、同級生たちはポーズかもしれないが、そのししまった行為に後悔を抱いたり、反省しているようだった。

私はどうかというとそこまで追い込むことができたことがとても嬉しかった。引きこもりよりさらに一歩先へ進んでしまうことを期待していた。

友達や仲の良い同僚はいるが、恐らく知らず知らずに冷淡な部分は漏れしまったいるのだろう。何か自分が困った時に真摯対応してくれる人は親がこの世を去ればいなくなるだろう。

そこについては覚悟はしている。この冷淡な性格がいつ自らの内に形作られたのかは分からない。冷淡な私は誰にも助けられず孤独のうちに恨みを買って死んでいくのだろうし、それがお似合いであることも自覚している。

2018-01-19

anond:20180119123024

勉強したいだけなら大学に入ればいい。

ふつう入学してもいいし学校によったら聴講生みたいな、働きながらでも学べる手段はいくらでもある

でも、大学生になりたいとか青春を取り戻す!とかいう心意気なら迷惑から大学に入らず自分勉強しろ

自分語りウザーだけど自分大学時代同級生大学生になりたかったおっさんがいて年の差もあるし話も合わなければ年上だからって横柄な態度もクソだし避けられても空気読めないし、かなりうざがられていたし嫌われていた。2回生か3回生か忘れたけど途中で見かけなくなった。

いずれにせよ同級生はみな年下ということを忘れちゃいかん。絡みにくいと思われる覚悟はしなきゃならん。

仲良くやれる人はいるだろうけどそんな人ばかりではないからね。

おっぱいおっぱい

5年ほど前から大学同級生不倫している。

学生時代おっぱいが大きいという評判だったので、わくわくしていたのだが、実際に見てみたら、普通にDカップで、年齢相応に垂れていた。

それはそれとして楽しかったし、今でも時々逢引きしているんだけどね。

さて、その不倫彼女より4年若い妻のおっぱいをこないだ久しぶりに見てみたら、おっきいよー。

もともとFカップほどあって、大きいなあと思っていたのだけど、40過ぎても張りがあるし、盛り上がりがあるし、不倫彼女とは比べ物にならないなあ。

妻と結婚してよかった。

2018-01-18

生きているのがしんどい

生きているのがしんどいと思い始めて、多分だけど15年とか経っている、ちょっとした消えたがりの散文が、つらつらと下に書いてある。

時間がある人はちょっとだけ読んでほしい。そして何か、少しでも意見が欲しい。いろんな考えが知りたい。でも、かなり怖い。

いや、読むのは時間を持て余した人だけでいい。かなり端折って書くけれど、15年くらいの時間を書いていく。きっと恐ろしく長くなる。なんか流行りだからここに書いたけど、きっと読む人は片手ほどで、その中でコメントを残す人を期待するのも間違っているんだろうけれど。なんてったって散文だし読みにくい。

でも、誰でもいいから話を聞いてほしい。私かうすればよかったか、これからどうすればいいのか。無責任で構わないから教えて欲しい。

初めて消えたいなと思ったのは5歳くらいだったと思う。6歳だったかもしれない。

親の都合で転園してきた先で同じ園の女の子に仲間はずれにされた。

ぼんやりしか覚えてないけど転園する前も、仲良くしていたのは女の子ひとりと男の子ひとりだけだったから、昔からまり好かれるような子じゃなかったんだろう。多分、すごく生意気子供だったから。

みんなが可愛いお姫様ごっこセットをつかって、私はなんか地味な、柄のないスカートだけ渡されて、「それもお姫様から使えばいいじゃん」って。キラキラの、可愛い模様がついたフワフワのスカートを我が物顔でつかいながら、私に言うのだ。

先生が「順番ね」と注意をして、真ん中くらいの順番を手に入れたけど、気づいたら割り込みされて最後になっていた。

私の順番は回ってこなかった。

その時に、私はここにいてはいけないんだなと思った。いる価値がないというか、いる事の方がおかしいと言うか、そんな感じ。転園してきた訳だから、仕方ないけれど。それで、早くここから消えてしまいたいと思った。

その時、唯一できた友達は、多分友達じゃなかった。

あれ持ってきて、これ持ってきて。何かを持ってこないと仲間に入れてあげない。そういうことを言って来る子だった。パシリにされていた。

でも、パシリでもすれば一緒に遊べたから、喜んで従った。あまりいいこととは言えない。けれど、一人で積み木で遊ぶよりずっとマシだった、消えなくてもいいと思った。頼られているのだと錯覚した。

小学校に上がって、ランドセルを買い与えられた。普通赤色じゃなくて、少しくらい、ワインレッドランドセル

母親はなんでピンクとか真っ赤じゃないのって言われたけれど、ワインレッドが可愛かった。ランドセルの蓋の裏が、赤系のチェックでとっても可愛かった。気に入りだった。

パシリはまだ続けていた。というか、パシられることが普通だった。

小学生になって、一緒に登下校をするようになった。

なんで変な赤色なの?って笑われた。

それを「可愛かったから」と言ったけど、それは可愛くない!こっちが可愛い!と言われた。多分、その子達に「センスがない」という判定を受けたんだと思う。

パシリにされてて、さらセンスもない。なんとなく流れで、みんなよりも立場が下だった。

ジャンケンランドセルの持ち合いをした時、他の子が負けたらみんなで持ち合いっこするのに、私が負けた時だけ全部持たされて、持つ距離も長かった。挙句、置いてかれた。前に進んでも誰もいなくて、置いていかれたんだと泣いた。おうちも少しだけ離れた同級生の重いランドセル5つを持って、道の真ん中で泣いた。泣いて数分たったら、なんだか自分のことが惨めになって、どこか誰もいない、遠いところに行きたくなった。結局はその子たちが戻ってきて、どうにかなったけれど。

小学2年生になって、夏休みで転校した。どことも知らないところだった。でも、一番長く住んでいたし、今の友達大学友達を除いて全部小中高で一緒に過ごした子だ。それまでに比べてとても恵まれていて、いい友達だと思う。一人一人が唯一無二の友達だとおもう。

でも、友達がいても、残りの4年半はいじめられて過ごした。

最初は多分「遠いところから変なやつが来た」っていう理由それから訛りが違う。あとは真面目ぶってる。オタク父親の見ていた深夜アニメを一緒に見ていた。デ・ジ・キャラットとか、ギャラクシーエンジェルとか。今でも大好きだ)であること。あと態度が生意気。たぶんこの生意気って言うのは、生意気だという子の都合が悪いことを「誰にも言うな」と言われても担任にチクッたからだと思う。自分あんまりにも理不尽だと思ったことは黙っていられなかった。多分、そういう意味では「いい子」ではなかった。

でも、石を投げられて先生に報告したら睨まれるって、おかしいじゃん。石投げる人の方が酷い。チクった私が悪いのか。

多分悪くは無いんだけど、こどもの世界ではご法度だっただけ。けれど、それがどうしても辛かった。おかしいと言ったら「お前の方がおかしい」と言われてすごく辛かった。ここにいたくないと思った。

親に「ここの学力は低いんだから、90点以上取らないとダメだよ」と言われた。頑張って100点とっても褒められなかった。周りからは「勉強もできるっていう自慢か」と妬まれた。

言っておくけど1番を取れたことは無い。せいぜい10とか20とか。自分ではすごいと思った。100人近くの1020って凄いじゃん。って。でも親にはそれじゃダメときつく言われた。ちょっと点数が下がったらお小遣いを減らされた。

生きているのがしんどかった。でも頑張らないと、価値がないと思った。

中学に入って、小学校の時みたいな勉強をしていたら、順位が真ん中よりも下の、後ろから数えた方が若干早い場所になった。その時に「さすがにやばい」と思って、塾に入りたいと言った。一人でする勉強限界を感じていた。

下がった順位を元に戻したら「当たり前だ」と言われた。

中学では部活に入っていた。周りはみんなキラキラしているのに自分だけ見ずぼらしく感じた。部活に入ってすぐ、どうしてかレギュラーに選ばれた。自分初心者で、周りには小学校の時から続けていた人がいたのに、自分担当に人がいないからという理由レギュラー入りした。初心者なりに練習した。練習中、何度も泣きそうになった。でも自分が頑張ることがこれからに繋がるとおもった。最後までやりきったあとに残ったのは「初心者なのにレギュラーに選ばれた変な人」だとおもう。若干避けられてたし、自分も周りにどう接していいかからなかった。ここで必要とされていないとさえ感じて、練習サボりがちになった。先輩からは、嫌われていたと思う(練習をサボったから当たり前だ)。同級生からもよくは思われていなかったと思う。

部活同級生から「〇〇先輩はあなたと同じように生徒会もやって部活もやって成績もいいのに、なんであなたは同じことが出来ないの」と言われた。生徒会が忙しくて休みがちになっていた。そんなの言い訳だと怒られた。それでも暇を見つけて部活に行っていた。それでも怒られた。今消えてしまえば楽だろうけど、消えたら迷惑をかけるなと思って、最後まで頑張った。意地汚く残り続けた。高校進学は「〇〇高校の□□学科じゃないと、ご飯作らないから」と言われた。当時、高校授業料無償化されていたから、ご飯を作らないになったのだろう。端的にいうと「親の希望に添えなかったらお金は渡さないし育てないから」といわれたのだ。必死になって、どうにか合格した。合格したけれど、自分学力じゃ、高校勉強は厳しいなと感じた。もう一つの学科自分レベルに合っているとおもった。でもそこでは絶対ダメなのだという。辛くなるんだろうなと感じたけれど、それでも合格したのだから通うと決めた。

高校に入って、それなりの地位をもてたと思う。部活は変わって、生徒会には入り続けた。その部活がいわゆるパソコンをいじる様なもので、関連分野で色々頼られた。今度はパシリみたいなのではなく、よく巷で話題になる「絵をかけるならちょちょいっと描いてよ」の類でもない、本当の意味での「頼り」だった。

得意分野を持つということは自分自力で立つことのできる力であると、その時感じた。普段だったら近寄れない、スカートを曲げて薄く化粧をした、クラスの人気者と話せる。そういう立場をその時手に入れた。

多分、高校生の時が一番、生きていて楽しかったと思う。みんなが私のことを知っていた。それに対する恐怖もあったけれど、決してマイナスではない視線は「自分はここにいていいんだ」と思える自信に繋がった。

大学は推薦で入った。センター前に決まって、受かるとは思わなくて、とても喜んだ気がする。

クラスメイト合格を伝え、「あの〇〇か!?」「嘘ついてるわけじゃないよね!?」と言われながらも喜んでくれた。学校先生もとても喜んでくれた。自分の妹も、私よりも喜んで泣いてくれた。

母親合格たことを報告したら、おめでとうよりも先に「お金がかかるなぁ」と言われた。

正直なところ、大学に進むことについては消極的だった。高校に入った直後は専門学校に入りたいと思っていた。でも父親は「進学するより働け。進学するなら国立じゃないとだめだ」と言われた。だから専門学校を諦めた。中学生の予想通り高校勉強はつまづいてしまって、学科では後ろから数えた方が本当に早いくらい、勉強はできなくなっていた。どれだけやっても勉強が伸びなかったから、早い段階で部活シフトチェンジした。そんな経緯があったから、大学は行かないで高卒で働くかなとなんとなく思っていたら、母親が「高卒で働くより大学に行ってほしい。私立じゃ学費は出せないけれど」と言ってきた。これに逆らうとまた何か言われるんだろうなと思って、とりあえずやるだけやってみることにした。でも、勉強はできなくなっていたから、模試はどこも最低判定。ただ、推薦でチャンスがあるところがあったから、一かバチかで受けてみた。これでダメなら学力じゃ到底叶わないから、就職をしようとおもった。部活の成績がよかったから、それで受けた。

そうしたら受かった。奇跡だと思う。なにかの間違いじゃないかと思ったが、それでも受かったら嬉しかったのに、おめでとうもなく「お金がかかるなぁ」しか言われなかった。

誰が国立に行ってほしいと言ったのだと、その時は悲しくて悲しくて仕方がなかった。

こんなの傍から見たら「親の言う事しか聞いていないからそうなる」と思うのだろう。私もそう思う。

けれど、高校受験の時に「お金さないよ」といわれ、大学受験に「国立しか認めない」と言われ、受かったら「お金がかかるなぁ」。反抗するなら自立しろ、親に頼るな。

それでは何をすれば良かったのだろう?

奨学金は申し込まなかった。心のどこかで受からないなと思ったし、親の収入などの関係で、ほんの少しだけ規定より上回っていたから受かるわけもなかった。し、なんとなく大学に入れても、やめてしまうかもしれないなと思ったのもある。とにかく奨学金は取らなかった。だから親に学費を払ってもらうことになる。お金がかかるのは、百も承知だった。

でも、まさか合格おめでとう」よりも先に「お金がかかるなぁ」だなんて。なんだか悲しくなった。受けるのをやめた方が良かったのではないかと後悔した。

何より、ひたすら「お金がかかる」とい割れるのが嫌で、消えてしまいたくなった、なんのために頑張ったのだろうと、ひたすらに悩んだ。

大学に入るまで、そして入ってからお金がかかると言われた。言われ続けた。

大学に入ってしばらく経った頃、仕送り勝手に減らされた。1万円も減った。バイトをやりながらも結構ギリギリで頑張っていたのに、なんの前触れもなく減らされた。

なんで仕送り勝手に減らしたの?せめて減らすなら前もって言ってよと親に言った。そしたら、「元々この金額だったでしょう?」といわれた。頑張って節約しながらも生きていたのに、あたかも「余分にお金をねだっている」風にされたのがひどく苦痛だった。

その年の夏、節約しなきゃとおもい、電気代をとにかく節約した。外に出るようにしたり、電気をつけなかったり冷房をつけなかったりした。

その月の電気代は1,500円もしなかった。

純粋に、自分すごいとおもった。

こんなに節約頑張ったよ!と母親にいったら、「もっと節約できるでしょ」と言われた。

電気をつけず、テレビもつけず、パソコンもつけず、ご飯はまとめて炊いて冷蔵庫に保管して、一瞬だけ電子レンジでチンする。冷蔵庫も止めてしまうと食べ物が保管できないから。そんな最低限だったのに、もっとと言われた。

馬鹿らしくなった以上に、親から私は「ただただお金のかかるダメな長女」だったのだろう。お金がかからなければかからない方がいい。そんな認識だったのだろう。

こんなに頑張っても文句を言われることに、自分が生きている意味とはなんだと問いたくなった。

答えは出なかったから、ただただ消えたくなった。

どう生きていてもお金がかかると言われて、生きているのがしんどくなった。我慢するのがバカバカしくなった。

バイトはしていた。学校に慣れるまで、夏休み前後から始めたいといったら、それでは困ると言われて5月くらいから始めた。バイト先の先輩に厳しくされて、辛いと嘆いたら「みんなそんなもの」と取り合ってくれなかった。辛かった。

そういうことも含めて、たまにTwitter愚痴を呟いていた。愚痴をいうと今まで仲良くしてくれた人が、なんでも話せた人達が「自分の方が辛い」と言い始めた。自分の方が不幸合戦が始まって、私の「つらい」が軽くあしらわれた。次第に愚痴を言えなくなった。私だけ「辛い」が軽くあしらわれるのが辛かった。

頑張って大学に通った。頑張ってレポートを書いても単位が取れなくて、好んでとったパソコン系の授業を始め、授業に出ると頭痛が激しくなったり、気分が悪くなったりした。1年間くらいだったと思う。でも、お金をかけてもらっているから行かないといけないと、頑張った。

しばらく立って新学期になった。自分の妹が私立大学に入った。

母親は、私立入学するのを許したらしい。

どうして?という気持ちがすごかった。父親が許したのかという疑問もあったのだが、早々にほかの選択肢を諦めた私とは違って、妹は頑張って説得したんだなと思ったら、それは認めてあげるべきだと思った。合格たことは喜ばしいことだし入学も喜ばしいから、合格おめでとうと、素直に伝えた。

しばらくして、父親入学を許していないということが分かった。それで父親に「お前も加担したんだろう」と責められた。私は何も知らなかった。

なんで私が責められているんだろうと、つらくてつらくて。消えてしまいたいと思った。私から奪われた仕送り1万が、妹の入学金や学費になるんだなと思うと、なんとも言えない感情が湧き出てきた。

しばらくして両親が離婚すると言うことを伝えられた。どう思うと聞かれて、私が何か言ったところで何か変わるの?と答えた。冷たいなとも思ったが、私は私でそれどころじゃなかった。

学校に行けば嘔吐頭痛を繰り返して、正直もう限界だと思っていた。

しばらくして父親から伝えられた。

離婚とともに破産すると思う。妹の学費や母方の生活費は払えなくなるが、お前の学費生活費だけは出してやるからな」

素直に喜べという方が無理だ。体調不良等でまともに単位も取れなくなっていったのに、どうして喜べるのか。それが決め手になって、学校に行かなくなった。休学届けを出して、今はアルバイトだけやってる。

両親から連絡が来るだけで胃が痛む。学校に行けない自分社会に出てもやっていけるとは思えない。大学友達とは疎遠になっているとおもう。ただたまに道ですれ違って、名前を呼んでくれて、元気?と声をかけられると、いい人と友達になったなと思う。同時に、こんなダメ人間友達でごめんねとも。

高校までの友達は「そのまま社会に出てもやっていけるよ」という。でも、日本会社というのはおおよそブラックだと思っているし、そんな所に行ってしまったら自分は生きながら死んでしまうのだろうと思う。きっといまのオタク趣味もままならない。二次創作をする時間もなくなるだろう。そうやって仕事に謀殺されて、私は私でいられるのだろうか。

そこまで考えて、今までの人生の中で、私が私でいた瞬間とは何なんだろうと思った。

私とはいったい何なんだろうか。

私が生きている意味とは。

なんでこんなに必死になって生きているのか。

辛いという言葉は、私の方が辛いで潰されて、楽しいことなんか二次創作を始めとしたオタク趣味ばかりで、そのオタク趣味すらも、今じゃ疎外感を感じている。自由に慣れていたはずのSNSは、現実と同じように苦しいものになっている。

辛いと思うことも軽んじられ、ひたすら金がかかるといわれ、遊びに行くと贅沢だお母さん達は頑張ってあなた仕送りをしているのにという。

私はなんのために生きているのだろうか。

こんな生活、生きているというのだろうか。

ただ呼吸をして、心臓を動かして。ただそれだけ。

生きているのがただただしんどい。早く死んでしまいたいとすら思う。でも死ぬお金がかかる。親が困る。周りも困る。

ある日母親に言われた、「お父さんはあなたを生んだ時に『なんで生んだ』といったのよ」と。

母親はそれを私に伝えて、何がしたかったんだろう。

必死に育ててくれてありがとうと言って欲しかったのか。

ひたすらお金がかかると言われて育って、なぜ生んだと言われたと言われる。

「なんで私のことを産んだの?」とは言えなかった。「産まなくてよかったのに」とはもっと言えなかった。言ってやりたかったけど、それを言ったら家から追い出されると思ったから。

私は「そう」とだけ返したのを覚えている。いつ、こんなことを言われたのかなんて、細かい年は覚えていないけれど、そういうことを言われたということだけは鮮明に覚えている。

私は

どうすれば良かったんだろう。

何をすればもっと前向きになれたんだろう。

何をすれば「頑張ったね」と言ってもらえるようになるんだろう。

毎日生きているだけでも精一杯なのに、もっともっとと周りはいう。頑張ることが当たり前。

でも、私はまだ頑張ってないんだと思う。恵まれているのだ。奨学金を借りずとも大学に行けたのだから。好きなことをやれているのだから

世界一不幸だと思うな。世の中にはもっと不幸な人が、辛い人が沢山いる。

みんなそう言う。私のつらいという気持ちを無いものとして。みんなそういうのだ。

生きていることの何が楽しいのだろう。

生きるなんて、辛いだけじゃないか

早く誰か、私を殺してほしい。

金だけかかって、だれの期待にも応えられない私を早く殺してくれ。

生きているのがただただしんどいということすら認められない世界なんか、壊れてしまえばいいのに、世界はそれを許さない。それなら。私を早くこの世界から追い出してほしい。

早く私を殺して欲しい。早く殺して。早く。こんなに辛いのに、世界は生きれという。お前はまだマシだと。

何がマシなのかちっとも分からない。生きているのがしんどい

震災の日が

誕生日なんだぜ、って言ってた同級生、誰だったかな、思い出せないや

いつもこの時期になるとなんとなく思い出して懐かしい気持ちになりそうで

結局思い出せずモヤモヤして

なんとなく亡くなった方のご冥福をお祈りして

またいつもの日常に戻るのだ

2018-01-17

リビングTVから、今週の『相棒』が流れてきた。

今夜も、やるべきことがあるんだけど動けなくなってしまった。今はそっとリビングを抜け出して、ベッドに横たわっている。

小4で初潮を迎えてから、年に何回か来ることがあったのを最後に中高校生の頃から全く生理が来なくなった。

私は安心した。

うまくコントロールできなくて汚くて臭くて痒くて惨めなのが辛かったし、今考えてみると、女ということ、下半身のことを考えなくて良くなったからだと思う。

親には隠れて処理をしているふりをしていた。

今、文章を打ち込もうとして深呼吸している。

小さい頃、同じアパート同級生男の子たちに性的ないたずらをされた。

母は、気づいていたかもしれない。

家に帰ろうとして母に迎えられた私に、男の子たちが明日もやろう、といった内容で、声をかけてきて、しないよ!と母が追い払ったからだ。

私は思い出をあまり覚えていられないたちで、心からのしかったことも、感動したことも、すぐ忘れてしまう薄情な人間なのに、こんなことを鮮明に覚えているのは普通に悲しい。

といっても、つい最近まで思い出すこともなかった。

自分の志望した道の大学に進み、自分のやりたいことをやり、友人に恵まれ、周囲の人はみな親切で家族応援してくれた。あのことは記憶としてはたしかにあったけれど、そこになんの感情もなかった。基本的に男に無縁で、行きずりのようなことはあったけど打ち明けるような機会もなかった。友人から性的トラウマなどを打ち明けられ、相談された時に自分もそういう経験があるという形で言おうかと思ったこともあったが、自分が気にしていない以上気にしている相手に言っても何もならないのでは?と思って言わなかった。

その後、知人のレイプがらみのトラブルに巻き込まれ、心を病みかけた時も思い出すことはなかった。

心の調子を崩して、でもはっきりと鬱病になるってこともなくただグズグズとなし崩しに過ごしたあと、家族事情もあって里帰りした。

明るくて清潔な家で、バランスの整った食事を三食欠かさず適度な運度をとり、規則正しい生活を送った結果、生理が来るようになった。

何度か生理痛に悩まされたあと、私は自分が壊れてしまうのではないかと思うほどの落ち込みに襲われた。

例の十数年前の性的ないたずらの記憶が蘇り、私を苦しめた。ベッドに寝ていることさえできないような、呻き、泣き叫ぶほかない、こういう感情があるんだと初めて知った。針金のハンガーが見れなくなり、家族が使っているたびに見えないところにしまい込んでいる。小さい頃の私をもう誰も助けられない。男の子たちの中には初恋の人もいた。辛い。母が知っているかもしれないということが辛い。私がここで壊れて、お母さんがそれを知ったら、お母さんが壊れてしまう。それが嫌だ。お母さんのことが好きだ。もうどうしようもないことで壊れたくない。30代も近いなんの価値もない女が、今更どうしようもないことを思い出して壊れそうになっている、なんの価値もない状態が辛い。本当にどうでもいいことだと思っているのに、何でこんなに苦しめられなければいけないんだろう。こんなに辛い思いをするくらいなら死にたい。本当は死のうとは思っていない、明日も楽しく暮らしたい。でも、本当に、本当に辛くて、あの時、もし、おかあさんが何かしてくれてたら、何か変わったんだろうかとよぎってしまとき、何も変わらないと思っても、でもそんなことを期待してしまって抱えきれずに吹き出しそうになった時は、お母さんに知られないようにそのまま死んで終わりにしてしまいたいと思う。

生理の周期に入る時気分が落ち込みそうになったら、色々気を紛らわすようにしている。香合わせをしたり、ペットをなでたり、テトリスFgoイベントの周回をしたりしている。

でも、『相棒』の何か叫んでる女の人のセリフを聞いたら、急に気分が落ち込んできてしまって、あの記憶じわじわ捉えられてきて、涙がとまらなくなってしまったので、負けたくなくて、文章にして外に出すと良いって聞いたことあるから書いた。

本当はルーヴルを攻略たかった。夕方少しやったけど、星5がヴラドしかいないからすぐ死んじゃって、難しくて全然突破できない。

書きながらどこかでいつまでもウジウジしてバカじゃないの、って言ってもらいたいような気がしていたので、どこかの誰かにむかって書いていたんだと思う。誰にも言えないことだけど公開したらすっきりする気がするので、読む人いるかからないけど、こんな感情の排泄に付き合わせてしまって申し訳ない。オチはないです。

2018-01-15

人売りITいたことあるけど何か質問ある?

https://axia.co.jp/2017-09-12

https://anond.hatelabo.jp/20180112170210

ここ見てたらなんとなく昔2ちゃんでやってたみたいに自分語りしたくなったので

■俺スペック

20代半ば

フツメン

文系私大

新卒で人売りITに入ってちょうど1年くらい前に辞めた。今は全く関係ない業界で働いている。リア厨の頃からねらー

東京就職たかったけど、大手から内定もらえずめんどくさくなって人売りIT入社した。その時は人売りなんて言葉しらなかったが、無名零細企業で、面接1回で通過できたりと不自然なところがあったので薄々ヤバいところかなって思ってたが、未経験者歓迎って書いてあったし内定を焦っていたので入ってしまった。

実際入ったら、研修中は給料もらえないとかは当たり前。ネットでよく見るブラック要素のオンパレードだった。「人売りなんだから研修あるだけありがたく思え」ってツッコミはなしの方向で。採用面接がまるで機能してなくて、この研修間中Hello, world」とかプログラミングの初歩的なことすら身につかない人間が何人かいた。そしたら責任者社員2人きりで会議室に入って「君は辞めるべきだ」みたいに退職勧告を1時間くらい続けていた。なかなか戻ってこないので他の社員は呑気に「まだ粘ってるな」みたいなことつぶやくくらいで無関心そうだった。俺もあそこまでできない奴なら仕方ないだろくらいにしか思ってなかったんだが。

研修後すぐに配属された。最初の配属先はうちの先輩社員いるから分からないことがあれば頼ればいいと言われたんで、何も考えずに「客先常駐」した。常駐先に行くと、最初の顔合わせのミーティングで先輩社員がなんの予防線もなく「××社のAです」と違う社名を名乗ったので、俺もとっさに忖度して同じように別の会社を名乗った。求人情報では「一次請けが多い」とのことだったが、いきなり多重派遣案件アサインされた。そういや職務経歴書名前書いたら「名前イニシャルにして」と言われたし、改めて「あー、俺派遣社員なっちゃったんだな」と思いながらも、どうでもいいやと思ってミーティングを続けた。

からわかったんだが、あるベンダー経由で1名とか2名の人手が欲しいと紹介のあった案件プライム(一次請け)と称しているだけで、自社ではまともに要件定義もできてなかった。

残業時間は当たり前のように月40時間オーバーし続けていた。少ないって?具体的に書くと特定されるだろ?ここでも裁量労働制とかなんとか言って残業代は出なかった。勤務時間が決まってるのにおかしいよね。休日出勤ももちろんあった。でも相変わらず俺は無気力だったのでおとなしく従っていた。仕事内容は大半がドキュメント整理だった。いわゆるエクセル方眼紙。図形やフォントちょっとでも違っていたら修正しろって言われるやつ。あとスクショエビデンス客先常駐なので自動化ツール使用許可がおりなかった。数ヶ月で契約終了になって、別案件アサインされたがやはり残業時間は多かった。更に悪いことに、プロマネ技術管理もできないクズで、スケジュールが遅延しそうになると「緊急ミーティング」を開催して何時間派遣社員たちを罵倒する。遅延の原因はだいたい発注元のミスか他社の不手際なんだったんだが。そのくせ自分設計ソースコード問題があっても知らん顔。今思うとなんで辞めなかったのか不思議だが「3年以内に辞めたらどこも雇ってもらえないよ」みたいな脅し文句がきいてたんだと思う。それからもちろん「単独常駐」もやった。他に自社の人間がいないので、仕事内容を指示するのは当然派遣先社員成果物を納品するので請負だと言われたけど、納品する成果物というのが派遣先での勤務時間を記入した書類。どう見ても偽装請負です。本当にありがとうございました

これを読んでる人からは「うちはもっとひどかった。甘えてる」とコメントが来るかもしれないが、実際暴行事件とか過労死とかもっと酷いブラック企業ニュースはいくらでも流れてくるんで知ってるから。あの会社暴行過労死もなかったみたいなのでそういうとこよりはマシなんだと思う。俺はブラック企業の酷さで張り合う気はないんで、とことんブラック企業限界に挑戦して欲しい。

■なぜ辞めたか

こんな感じで酷い労働環境でも反抗することな無気力に過ごしてきたが、同級生は俺よりだいぶ稼いでいるとか、あいつはもう結婚したとかいう話を聞いたりして、1年経ったあたりからだんだん正気に戻ってきた。あと、大企業派遣されると正社員だけの福利厚生制度が目についてかなりみじめな気分になるてのもあった。業務派遣先が変わるたびにリセットされて、単純作業ばっか。昇給も昇格もスキルアップもできない。だが結果として、3年どころか2年で転職できた。実力というより運が良かったのかもしれんが、知り合いはまだ若かったからとか言ってたので、そうなのかもしれない。

■こんなネガティブ情報だらけの人売りITにそれでもなぜ人が入ってくるのはなんでだぜ?

俺は新卒で入ったけど、中途で入ってくる人間もかなり多かった。中途と言っても、ほとんどが20~30代くらいで、しかプログラマ経験だった。この人たちの前職が何かというと、飲食チェーン店店長(いわゆる名ばかり管理職?)とかノルマのきつそうな営業販売員とかフリーターとかで、いかにも将来性のなさそうなとこから逃げてきました、って感じだった。この辺の人達からすれば、言うとおりにしてるだけで給料もらえる今の仕事はるかに良いんだと思う。新卒場合は、たぶん俺と同じようにあんまり将来のこと考えてなかったんじゃないだろうか。辞める人にも2通りあって、1つは研修についていけなかった人とか口では仕事できるアピールするがいざ仕事すると何もできない奴。だいたい1年以内に辞める。2つ目は、真面目で技術力のある職人気質の人(だいたい経験者)や将来の目標がある上昇志向の強そうな奴。このタイプ能力があるんだけど、あの会社じゃろくな仕事ができそうにないからか1~2年くらいで辞める。といっても帰社日以外で顔を合わせることがないので辞めた人間全員を知ってるわけじゃないんだが。なので結果として、ひどいブラックから逃げてきたけど他に行くところのない中途組や、騙されてることには分かってるが辞める勇気のない新卒会社に長く残ることになる。

■人売りITを避けるにはどうすればいいか

人売りITは、求人情報で「自社開発」「自社製品」「直請けが多い」「研修が充実してる」「労務管理ちゃんとしてる」「上流工程へのキャリアアップもありえる」「業績好調(じゃあなんで給料払わないんだ)」みたいな嘘や誇大広告を平気でやるので求人情報はあてにならない。そもそも偽装派遣を「客先常駐」と言い換えてる時点でね。特に新卒場合給料を安くできるし、中途と違って労働法知識もなく、労働環境待遇について質問するのがタブー視されてるので人売りITにとっては格好のエサ。実はコンサルじゃなくて人売りITでしたとか、実は給与ボーナス込みの額でしたとか、残業手当込みの額でしたとか、研修中は給与でませんとか、実は正社員でなく契約社員でしたとかはざらにある。もちろん人売りIT以外のブラック企業でもあるんだが。採用面接に行かなくても簡単にできる判定方法は、最初エントリにもあるように「会社概要から従業員数とオフィスの規模を比較する」のが一番だと思う。社員派遣するんだから自社に社員全員分のデスクを用意しなくてもいい。よって人売りITは高い賃料で都内に広いオフィスを借りたりしない。オフィスが小さな雑居ビルのワンフロアだけなのに、従業員数が数十人とかになってるところは間違いなくクロ。もっと規模の大きい人売りITもありえるけど、そういうとこはネット口コミ情報が流れやすい。最近グーグルマップがあるので現地に行かなくてもオフィスの規模は推測できるが、オフィスの大きさがわからないなら、特徴的な求人情報の有無でわかる。「未経験者歓迎」「勤務地23区内」「就業時間は客先に準ずる」が全部揃ってたらまず間違いない。

2018-01-14

ブスだけど私も男性に産まれたかった

anond:20180113163358

私は元増田の言うところの性交不可能な女だ。

とうとう、ほとんど恋愛たことがないまま、29歳になってしまった。

ここで、私も思うこととしては、男性に生まれたかった、ということである男性であれば、私は勉強仕事やその他いろいろの努力によって、人並み程度には幸せになれたかもしれないからだ。

自分がブスだと気づいたのは小学校二年生の頃だ。子供だけで参加するキャンプで初対面の女の子たちから、どうしてブタみたいな鼻をしてるの?どうしていつも目が開いてないの?とからかわれた。

それでも一縷の望みを持って、ピチレモン記事を参考にまつ毛をカールさせたり、眉毛を抜いたりしてみた。しか小学校高学年の頃、親戚の集まりでの祖父一言希望は打ち砕かれた。

「(従姉妹の)◯◯ちゃんは美人だし、◯◯ちゃんは愛嬌があるのに、どうしてお前だけ不美人なんだろうなあ」

私の従姉もとりわけ美人ではないが、私と比べればマシ、というか全てのパーツが悪いわけではない。父と母のそれぞれ悪いところだけを受け継いだのが私の顔だ。

私のような容姿人間調子に乗ってはダメだと思った。元来目立ちたがりだったが授業でも手をあげず、誰もやりたがらない係につくようになった。

それでも中学に入ると、周りが私を放ってはくれなくなった。男子による、学年ブスランキングの始まりである。毎回一位の私は、近づくと菌がつくと男子いじめられ、女子からは見えないものたして扱われていた。それは容姿のせいだけでなかった。

毎回二位の田中さん(仮)はクラスの一軍に入っていたからだ。田中さんは頭の回転が早く、どんなブスいじりに対しても軽妙な切り返しで笑いに変えることができた。私はそれができず、ブスと言われても曖昧に笑うことしかできなかった。

(そういえば今思い出したが、女子で唯一積極的に私をいじめていたのは田中さんだった。同じブスとして括られたくなかったのかもしれない)

しかしそれでも中学時代勉強だけはそれなりにできた。自分を軽んじている相手に勝てる唯一の手段だったし、母親からは「親は先に死ぬから勉強して手に職をつけなさい」と言われてきた。(今思えば、私の結婚をはなから諦めていたのだろう)

おかげで高校は、偏差値の高い女子校入学できた。高校時代は楽しかった。クラスでも目立たないオタクコミュニティに入れてもらえた。それほど二次元への情熱があったわけではないが、当時流行っていたテニプリおお振りテーマに誰かと盛り上がれることが楽しかった。

調子に乗って東京大学に進んだのが間違いだった。サークルに入ろうと新歓コンパに申し込んだが、連絡は一件も来ない。クラスでも私以外は垢抜けた人しかおらず次第に孤立した。せめておしゃれを頑張ろうと思った。キャンキャンに載っていた一重でも可愛く見えるメイクを試した。えびちゃんと同じ服を着て同じ髪型にした。「勘違い」と嘲笑されただけだった。

一人暮らしだった私は毎日学校に通っていながら、誰とも話さない日が続いた。一人でご飯を食べているのを見られたくなくて、昼食は抜くようになった。半年もせずに学校で私は意識を失って倒れた。気の遠くなるような精密検査の結果、鬱と診断された。母親実家に連れ戻され、大学を休学したものの結局中退した。

数年間の静養の間、親は私を責めなかった。でも学費無駄にさせたこと、60歳近くになって世話を焼かせてしまっていることの償いとしてせめて働こうと思った。十数件のアルバイトに応募し、ファミレスキッチン採用された。キッチン男性中心の職場だ。同僚は客の容姿に点数をつけたり、キャバクラの話で盛り上がっていた。大学時代と違って、面と向かって容姿の悪さを指摘された。何も言い返せずヘラヘラと笑っていると、彼らからしかけられることはなくなった。

「私のことも他の人と同じに扱ってください」とは言えなかった。

その代わりに、ブスな女芸人の出ている番組をすべて録画して、ブスいじりへの返しを学んだ。自虐ネタパターンも覚えた。

私は職場面白い奴と言われるようになった。もっと暗い女だと思っていたと。個人的飲み会には呼ばれなくても、職場全体の飲み会には呼んでもらえるようになった。

クリスマス年末年始仕事に入れる私は店長にもありがたがられた。

やっと人間になれた。そう安堵していた。そんなある年の暮れ、中学時代同級生が店を訪れた。私と同じように容姿に恵まれず、クラスの3軍だった勉強のできる男子だ。妻らしき女性と、赤ん坊と一緒だった。

母に聞くと、彼は上場企業就職して結婚子供が産まれたので一緒に帰省しているのだという。

私は恋愛経験のないアルバイトのまま20代を終えようとしている。

それでいいと思っていた。昔より全然人間扱いされてるし、人生で今が一番幸せだと思っていた。でも何でこんなに諦めなくてはいけないんだろう、って、気づいてしまった。

せめて男性に生まれていれば違ったのかな?

2018-01-13

anond:20180112213501

http://b.hatena.ne.jp/entry/354282669/comment/hilda_i:embed]

中学の時にクラスにそういう女子がいたけど、性的な単語を連呼してるだけでなくて息をするように同級生にセクハラを行っててわりと害悪だったわ。口だけ達者じゃ終らないのよ。 - hilda_iのコメント / はてなブックマーク

というだけでは深刻さが伝わらないので事例を上げておくわ。胸糞。

・誰々は生理中だとバラす。

ブラジャーを着けてる・着けてないで人をいじる。(今は中学生ともなれば女子普通にブラは着けているものだろうけど、私の子時代は本人や保護者の考え次第だった。)

・何らかの事情ブラジャー着けてない女子に「あー、乳首立ってるー!今エロい事考えてたでしょー!?」などと大声で言う。

・人の胸を無断で触る。

乳首の色・陰毛の濃淡をあげつらい、馬鹿にする。

・はからずも勃起してしまった男子の股間を指差し、笑い物にする。

etc.

私の知ってる範囲から狭い話で悪いんだけど、性的単語バンバン連呼する様な子が、単に口が悪いだけ・明け透けなだけに収まっている事って、無いわ。女子でも男子でも。

anond:20180113011116

高卒で働いて20過ぎに結婚して、20代前半で子供を産んだ同級生たちの方が、よっぽど幸せなんじゃないかと思えてくる。

昔の高度成長期辺りの、女性ライフスタイルって、みんなそれで、高卒とか短大卒業して、会社事務要員で働いて、すぐに、会社の仲間と結婚して、すぐに出産育児という人生だったんだよな。

今じゃあ、男性女性も、「モーレツサラリーマン」になる人生だけど

私はそれなりの進学校に行った。

四年制大学を目指すことが当たり前だったから、当たり前のように勉強して、念願の国公立合格して、やっと卒業だよ。春から社会人だ。

同い年の友達は、数名がすでに結婚し、子供を産んだ人もいる。

私もいつかは結婚し、子供を産んで、幸せな家庭を築きたい。

でもそれはいつの話だ?

会社バリバリ働くまでに最低3年かかるとして、25歳。

波に乗ってきた頃に結婚出産を挟んだら

職場で上を目指すことは出来ない気がしている (わからないけれど)

だけれど子供を産むのがあまりに遅くてはいけない。

最低2人は欲しいかな。

一生懸命大学のために勉強して、一生懸命就活を経て入社したって、

全て上手く行かせることはできないと いま気づいた。

高校時代の、「四年制大学へ行きましょう」という波に流されてここまで来た。

高卒で働いて20過ぎに結婚して、20代前半で子供を産んだ同級生たちの方が、よっぽど幸せなんじゃないかと思えてくる。

2018-01-12

川崎

中高の同級生何となくそりが合わないと思う人の共通点を考えていたら、揃いも揃って川崎とか関東東側出身だった。

私にはちょっとたことに対しての口調がきつくて一緒にいるのを楽しめなかった。

そして卒業後も親しく付き合っている数人は見事に西東京人間

無意識のうちに群れていたと気付いてショック。狭い関東の中でもこんなにはっきり地域で分かれるものかしら。

年末年始長めに休んでいいよ、と言われたのでまだ休んでる

朝、子供保育園に送り家に戻る

誰もいない部屋でオナニーする

ゲームする

昼寝をすると腹が減った

久しぶりにマクドナルドが食いたくなったので行く

レジに向かうとそこにいるのは子供同級生ママ

気づいてないふりをする

ハンバーガーを食べる

家に帰ってコーヒーを飲み、またオナニーをした

2018-01-11

毒親年子承認欲求モンスター

私には1歳11ヶ月離れている姉がいる。

頭が良くて友達の多い姉だ。

およそ2歳離れているが、年度の都合で学年は1つ違いだった。

幼い頃からできた姉とよく比べられてきた。

お姉ちゃんは片付けができるのになんであんたはできないんだ。

お姉ちゃんは言うことを聞いてくれるのにお前はなぜ聞き分けが悪いんだ。

お姉ちゃん勉強して成績が良いのにお前は漫画ばかり読んでるんだ。

家では当たり前に比較された。

そして学校でも当たり前に比較される。

幼稚園小学校中学校入学すると、まず先生から姉ちゃんの妹と呼ばれた。

そして姉の友達にも姉ちゃんの妹と呼ばれる。

先生からも先輩からも、顔が似てるだとか、性格は違うとか、姉ちゃんはそんなことはしないとか毎日言われていた。

三者面談では私ではなく姉の話題で盛り上がっていた先生と親。

何をするにも姉を基準評価された。

年賀状の枚数が姉の方が多いとか、姉は友達といろいろなところに遊びに行っているだとか。

通知表の成績が姉の方がいいとか。

最初は私も追いつこうと頑張った。

勉強してみたし、速く走れるように練習したりしてみた。

だけど毎日毎日姉ができるのになんでお前はできないんだと言われて劣等感でいっぱいになった。

このことの最初の変化は、家族トランプをして私が1番にならないと、トランプをめちゃくちゃにして怒り泣き叫んだ。

家族で出かけるのを嫌がり、外で寿司を食べなきゃ行かないと言っていた。行ったら行ったで、帰りたいつまらないとずっと言ってた。

姉がいなくなればいいのにと毎日祈ったし、姉の宿題プリントをめちゃくちゃしたり隠して意地悪をするようになった。

友達とも遊びたくなく家で漫画を見ることが救いだった。

しかし親は1人で遊んでることが心配だったようで、姉に、あねと姉の友達と私とで遊んでやってくれと頼んだ。

当然よく知らない姉の友達と遊んで楽しくもなく、漫画が読めないかイライラが募り姉の友達と大ゲンカになった。姉はこの喧嘩を黙って見ていた。

このころから姉を無視し、親には◯ねと言うことがふえた。

そして太った同級生女の子いじめた。この頃の私の思考は、太っている=だらしない、で、私よりダメなくせに楽しそうに笑っているのが許せなかった。

それでもたまに親は私のことを褒めることがあった。

姉ばかり褒めてばかりだと平等ではないと感じたそうだ。

このころの私は褒められても嬉しくなかった。

それよりも、親が姉に対して、妹はできるのになんでお前は出来ないんだと言って欲しかった。

皆大嫌いだった。全員敵だった。

中学の頃は親と毎日怒鳴り合いか、殴り合いの喧嘩をした。

親には嫌なら家を出て行けと言われた。

自立して自分の力で生きて行こうと作戦を立てた。

資格の取れる大学に行って独立しようと決めた。

それからは親に話しかけられるまえに急いで部屋に駆け込むようになった。

こどもを比べると家庭が崩壊する。

意外にも1番傷つき被害を被ったのは姉だった。

元来穏やかで繊細な気質の姉は、唯一私の気持ちに気付いていたようだった。

しかし親や周りのすることを止めることもできず、私には無視され散々だったろう。

姉は良い子を止めることは出来ず、マイナス感情は見せずにいた。

そんな姉に異変が起きたのは大学に入った時だった。

誰もが知る名門校に入り順風満帆に見えたが中退引きこもり始めた。

親にも怒鳴り散らすようなり、親は困惑し、あんな良い子だったのにどうしてと嘆いた。

姉と違う学校入学してからは嘘みたいに楽しかった。

先生友達も、姉の妹ではなく私を見てくれた。

姉と比べられるのは苦しかった。

比べるなら過去の私と比べて欲しかった。

年子だと比べられる期間が長こと、体格が同じ感じだから比べやすいのだろう。

会社毎日後輩はできるのになんでお前は出来ないんだ、と言われたらほとんどの人は鬱になるか退職すると思う。

なぜ親は、人は、大人には言わないことを子どもには言うのだろうか?

田舎に戻って就活すると同級生がいっぱいいるからやりにくい問題

特に大卒のところは知り合いしかいない感ある

二次面接前に中学校時代同級生が在籍してることが発覚して一気にやる気なくした。

わいは誰もいない土地に行きたかったんや!

anond:20180111093136

真面目な話、どんなAVよりも同級生や社内の女のセックス同意書のほうがズリネタとして優秀だろ。

セックスのものよりも同意書のほうが興奮するわ。

男嫌いが酷くなっていく

元々小さかった頃は今より男の人が嫌だった。あの頃はアトピーがあって、それを男の子からかわれてたからかもしれない。男の人の声の音楽は好きになれなかったし、クラスメイト男の子歌声さえ嫌だった。

少女漫画が好きだった。いつも主人公女の子マスコット的にかわいい女の子を好きになった。恋に憧れていた。

好きな男の子はいた。不器用だけど優しい男の子。彼の背伸びが可笑しくて、でもその滑稽さは自分も近い気がして、勝手に親近感を抱いていた。だけど後にその子に虐められてその子のことが好きだなんて思えなくなった。ちなみにその子高校中退してから行方知れずだ。なんて子を好きだったんだろう。

中学で、その好きだった子を嫌いになってから男の子と関わらない時期を過ごして、高校では恋愛を絡めないただの友人である男の子が増えた。男の人の歌声も、好きな人は好きになってきた。サカナクションとか、聞いてて心地よくて好き。未だにあんまりきじゃないことはあるけれど。

そんなとき、しゃべったことが1回しかないご近所の大学生メール告白された。本当に少ししか知らない人。しか告白に返事しあぐねていると、彼氏面をされるようになった。気持ち悪い、とあのとき感じてしまった。未だにあの感情がどこかに残っている気がする。はっきり断りをいれて、もやもやを抱えたまま、その人を避けるようになった。

高校では色恋沙汰なく、友人として男子と関わった。この頃には私の胸はかなり成長していて、父親にブラの話とかをされるのがいやになってくる思春期

少し潔癖な母親は、幼い頃から私に呪いをかけていた。「怖い人がいっぱいいる」「女の子なんだから」「力じゃ絶対に叶わないんだから」。それに加わる、告白とか一連のことで、すっかり私は自分女性として、性的に見られることが怖くなってきていたらしい。

高校友達の一人に告白された。高校で仲良かった友人の一人だから、好きになれるんじゃないかと思っていた。本当は少しだけ、少女漫画に憧れているのだ。でもだめだった。抱き締めたいと言われて嫌だと断った。どこを好きになったの?と聞いてて、胸の話をされそうだと気づいたとき嫌悪感が走った。2ヶ月だけ付き合って別れた。我ながら酷い奴だと思った。

大学に入った。ほぼ男子理系の科で、私はそこそこ友人を作った。彼氏を振ってしまったあとだったから、もうしばらく恋愛に絡みたくない、と思っていた。

クリスマスに、同級生の一人に二人で過ごしたいと言われた。瞬間、途端にああ、どうせ私は女の子としてみられているんだ、と、男の子にとって恋愛候補しかないのかも、と思ってしまった。上手く言えないけど、初めから恋がしたいから近づかれることが嫌だった。私が選ばれる理由なんて、容姿は良くないし胸ぐらいなもんだ。性格?ここに入り浸ってる時点で察してほしい。そんな目で診られるのもうんざりしてしまった。

そこからだ。本気で男性と関わりたくなくなって来てしまった。SNSで数年繋がっていた、ちょこちょこよくわからないリプを送ってくるおじさんをブロックした。数回ご飯に行ったお兄さんに、またご飯に行こうと言われて断った。

オナニーの報告をTwitterでする男性を見ると嫌悪感がわくようになってきた。シコいって言葉男性が使っているのが気持ち悪く感じた。

重症だ。どうしよう。

どうしようかなぁ。

2018-01-10

恋愛結婚なんとかオロギー

まれときから結婚たかったので子供のころはわずかなお小遣いを貯めてはゼクシィを買って積み木にして遊んでいたら親に見つかり精神科へと連れていかれ、そこの医者が言うには「彼には数学の才能がありますね、将来は数学のできる子になりますよ」 俺は数学がしたいんじゃなくて結婚がしたいんじゃと思ったが仕方がないので何も言わなかった。この時幼稚園のころから仲良くしている幼馴染の女の子がいたので将来はいい感じのタイミングでその子結婚するものだとなんとなく思っていたが小学校入学してだいぶたった頃どうやら俺はその子パシリに使われているだけなのではないかという疑念が生じてきた。結婚願望を持て余すと誰かに騙されやすいのはたぶん真実である。そうしてその女の子とも疎遠になり、なんやかんやで中学校入学した。幼稚園からの幼馴染には男もいたのだがこれがまた変わった子で幼稚園の頃には彼女ができて小学校に上がるころには林間学校行きのバスディープキスをしていた。彼に「お前は彼女を作らないのか」と言われたがよく考えたら結婚願望はあったもの彼女というものがよく分からないので「中学に上がったら作る」と返しておいて中学生になってしまたことに気づいたのでとりあえず彼女を作ることにしたが、仲良くなった女の子告白したらその後三年間会うたびに罵倒されたので完全に無になってしまった。のちにある女性から「その子あなたのことが好きだったけど素直になれなかったんじゃないの?」と言われたが当時はそういう非言語コミュニケーションが厳しかったのでどのみちそのまま女性と会話するのが苦手になったまま高3になってしまった。周囲からいい大学に行けば女なんて選び放題やで」と言われたのでそのまま東大を受けることにしたのだが、よく考えたら女性と会話するのが苦手だと出会いがあっても生かせないのではということにふと気がついて、ある同級生の男から紹介されたナンパテクみたいなのをネットで見始めた。しかしここで非常に重要なのはネットに転がっているナンパテク恋愛なんとか学を含む)というのは「野郎セックスをする」ことに最適化されているということだ。俺は結婚がしたいのであってセックスはそんなにしたいとは思わん。そういうあたりを無視した結果としては女性と会話できるようにはなったが数人の女性と気まずくなってさらに追い詰められたのと、後人間関係ばかりやって勉強をおろそかにして大学入試に失敗したので浪人した。まぁ東大には結局は入れたのだが東大というのはクラスだとかコースだとかで人間を40人前後に分けたがるらしく、かつ理系というのは本当にヤバくて当のクラスコースには野郎が40人近くいるところに女子が二人しかいない。女子二人と会話してこの二人とは結婚はしないなと思ったところでほかのクラスコースにいる女子がどこで何をしているのか全く分からない。ここにきて「いい大学に行けば女を選び放題」という前提自体マジで嘘というのが頭の固い東大生である私にも否応なく理解できた。東大では最初一年半を駒場キャンパスという渋谷近くの場所で過ごし、二年生9月からの残り二年半をいわゆる本郷キャンパスで過ごすのだが、よりによって入ったサークルでは趣味よりむしろ権力闘争を仕掛けられまくり東大生ってなんであんなにお山の大将になりたがるの?)、そしてセックスするためのナンパテク結婚するためのナンパテクにすることはとうとうできなかった。あとストレス抑うつ傾向とおそらくADHD精神科ではアスペルガーの診断は下りていたがADHDは出ていなかったので確証はない)で2度留年した。そうして9月からようやく本郷キャンパスに通い始めて、本郷キャンパスにいる女子はたいてい誰かと付き合っているということに気づいたのが一昨日(遅くないか?という批判は甘んじて受け入れよう。だが自分に都合の悪い事実をすぐに受け入れられるほど、人は強い生き物かね?)。

大学二年生23彼女いない歴is年齢というのは字面にすると相当ヤバい今日は朝から院は京大にしたら環境が変わっていいのかな、だとか狂った思考が身をもたげてきたので思考を整理するために書いている。しかし書くことでだいぶ正気に戻ってきた。もしこれを読んでいる婚活中の人間がいれば、「幸せ結婚必要なのはおそらくリズムと縁だ」と共有しておこう。対人関係自分相手リズムに合わせ、相手自分リズムに合わせるイメージ形成し、そうやって形成した対人関係を縁として新たな対人関係を広げていけば、素敵な出会いに恵まれる日が来るかもしれない。恵まれなかったらごめん。今後しばらくはそれを試す日々になると思われる。

追記:高学歴で部屋が汚くて友達ほとんどいない女性と知り合う方法があれば教えてください。昔からそういう女性シンパシーを感じるので。

はたち

はたちなので成人式に出席した.

・よかったこ

 ・着物ドレスアップしてる女の子を見るのが大好きなので,たくさん振袖女の子を見れて最高だった

 ・振袖を着て会場まで移動してたらすれ違うおばさまに「きれいね」とか「おめでとう」とか声をかけてもらえた.自尊心が塵レベルなのでうれしい.

 ・一か月くらいダイエットとか自分磨き頑張ってきたから,再会した中学同級生に「かわいい」って言ってもらえて報われた.

・悪かったこと(?)

 ・親などの付き添いなしでヘアメイク着付け→移動をこなしたので,着てきた洋服などの荷物邪魔で仕方なかった.駅のコインロッカーに入れることにはしていたが,想像以上に荷物が重くてずっと「さらっと荷物運んでくれるイケメンいねぇかな」とか考えてた.

 ・人身事故で帰りの電車ダイヤが乱れてて,成人式後の同窓会の前に一時帰宅しようと思ってたのにできなかった.まぁこれはどうしようもないこと.

なんだかんだ成人式に出てよかったかもしれない.

はれのひ」の直接の被害にあった子が周りにいなくて安心したけど,着付けをしてくれた業者さんは問い合わせとか取材電話がかかってきてて大変そうだった.

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