はてなキーワード: フォロワーとは
私の投げかけは透明で
池の中に投げた石がそのまま沈んで浮き上がってこないことと同じ
Xでフォロワーのポストが2013年で止まっていたことを知った時
ピンポンを押そうか迷う
私は少しずつ世界に忘れられている
昔からのフォロワーがTLから減ったからたまにおすすめ欄を見るんだけど、最近になってまた一段とnot for meになった感がある。
政党間対立、弱者から権力者への罵詈雑言、男女間対立、外国人批判、政権批判、老人への苛立ち、若い子への情けないマウント、陰謀論、反ワクと反反ワク、AI信者とAIアンチ、環境破壊に無頓着な連中と過激な自然保護団体、Vtuberだか生主だかのスキャンダル、経歴や年収詐称のビジネス詐欺師連中、これらに挟まる広告、広告、広告。エトセトラエトセトラ。
ポジティブにもネガティブにも動揺したくないから好悪によらずミュートしてるのにきりがない。
かといって犬猫小動物をつかった承認欲求を満たすアカウントにももう興味ないし。かわいいけど。
芸能人にも野球にも競馬にもソシャゲにも興味がないからトレンドなんてもっての外。第一線で活躍する方々の輝かしい日常やら素晴らしいアートなんてこっちが惨めになるだけだ。押し付けがましい漫画も読みたくない。
某スポーツ漫画の某界隈にいた。何も生み出してはない。神絵師と神字書きだと思ってた人間の作品を消費して、たまに本を買って、今までもそうだったように一オタクとして過ごしていた。
でも全部捨てた。
絵師に絵だけ描いてろなんて言わない。
字書きに小説だけ書いてろなんて言わない。
大型イベントの直後から、明らかに絵の投稿ペースが落ちる人がいた。
オフ会を開いて楽しそうにしていた。
自分で作った二頭身くらいのアクスタ(カップリング)を頒布する人がいた。
「このアクスタ、ぜひ持ち歩いて写真撮ってください!」とフォロワーに呼びかけて、それ専用のハッシュタグまで作った。
界隈で有名で、すごく上手い絵描きがいた。
男子風呂の前で撮った写真が燃えてしばらく身を隠し、また復帰した。
界隈で崇められてる字書きがいた。
「自分は頭がいい、他の奴とはレベルが違う」みたいな発言をして、すぐにツイ消ししていた。学生の子だった。
pixivのログのブックマーク数が多くて、元々私の好きだったカプを描いていて、勝手ながら運命を感じた絵師がいた。
実際の選手の絡みをカプに変換した絵を描いていた。
スポーツ界隈だからか、選手をそういう目で見ているようなポストが目につくようになった。自分の思いすごしだったことを願っている。
エロい絵や絵師さんの日常が見られるかもしれないと期待してフォローした鍵垢では、旦那は早く居なくなれという発言しか見られなかった。
今の界隈というものについていくには、こういうものを受け入れなくてはならないのかもしれない。
私は二次創作グッズ、特にカップリング要素のあるものは持ち出さないことを己に課していたし、表垢でナマモノと取られるような発言なんて絶対にしないし、万が一のことを考えて選手や公式のアカウントは表垢では全てブロックしていた。
傍から見れば気にしすぎなんだと思う。
自分のやってることは何にもならないんだろう。
疲れてしまった。
匿名ツールで送られた悪意に対して、「こういうのはやめてください」「何を言ってるんですか」「匿名で何を言われても怖くない」っていう人がいる。
フォロワーも「匿名で悪口言うとか最低」ってその人を持ち上げる。
もちろん許せないことだと思う。悪意を持って送られたメッセージなんて気にする事は微塵もない。
でも、何というのだろうか。それは批判や誹謗中傷ではなく指摘なのでは?みたいなメッセージに対しても「匿名で悪口を~」みたいなキレ方をするのはおかしいのではないだろうか。
特定の誰というわけではないが、そういうものを何件か見て思った。
信者でもアンチでもない自分は率直にそう思った。アンチの言いがかりをいくつかに分けて反論してみる。
まずこれ。フォロワーの多い有名人が引用リポストしたら、=ファンネルを飛ばしたことになるというのがまず理解できない。元の日記が、かかげ先生の言うはずのない暴言をさも言いそうな人柄であるように書いていたから、訂正せざるをえなかっただけだろうに。有名人はどれだけ悪口やデマを流布されようともスルーするのが美徳という風潮があるのが気持ち悪い。
これも正論のように聞こえるけど、揶揄したのではなく純粋に幻聴の症状が現れるものとして推測しただけでは?
幻聴は認知症でも現れる症状だが、それは年齢的に珍しいケースだし、より可能性の高い統合失調症を疑ったのだろう。
暇空さんは都知事選で11万票もの民意を得たけどその平山とかいう奴は何票取ったわけ?
明らかに格下だよね?
Twitter見たら平山とかいう奴フォロワー3.8万人しかいないじゃん
暇空さんに物申す権利なんかないだろ
写真加工アプリで自分の顔を加工したおっさんが売名キチガイ女に絡まれてて可哀想wwwww
仮にアプリが「既存の女性の顔を学習してた」的な反AIが喜びそうな汚点があったとしても
(それも現時点では未定。つか有名人でもない特定個人を過学習はせんでしょ)
そう説明してるのにキチガイ女はフォロワーファンネル飛ばして「最悪」「気持ち悪い」「これは私の顔です」
他人の写真を使う心理、よくわかりません。と女性特有の決めつけ
おっさんはちゃんと説明してるのに、キチガイ女は反AI並に話が通じず、それは「私です」と。
(お前…おっさんだったんか…?)
ハッスルおちんぽ騎士団のアドバイスで、他人の写真に削除申請まで送り出す。
女は謝罪も訂正もせずに逃亡…なら良かったんだけど、普通に納得してない模様。
どんな馬鹿げた話でも訴えられたら対応しなきゃいけない今の社会、大変だねぇ。
未だに「なんの目的なんだか…」と言ってる模様。
※これはフィクションです。
頭悪いだけじゃなく間違いを認められないのは性格まで問題ありだぞ
* 積極的な投票促進キャンペーン: 各政党や候補者は、支持者に投票を呼びかけ、投票先を共有することを奨励しています。ソーシャルメディア上でも投票キャンペーンが活発に行われ、ハッシュタグを用いて投票先を明示する投稿が拡散されています。
* 投票者登録促進: 投票率向上が課題である米国では、投票登録の簡素化や、積極的に投票を呼びかけるキャンペーンが実施されています。その一環として、多くの州で**「投票宣誓」**と呼ばれる制度があり、投票者は誓約書に署名し、投票先を公言することを表明します。
* 2020年米大統領選挙に関する世論調査: Pew Research Centerの調査によると、2020年米大統領選挙の投票者のうち、約7割が家族や友人に投票先を話したと回答しています。
* 年代別・性別別の差異: 若年層や女性ほど、投票先を公言する傾向が高いという調査結果もあります。
* 著名人による投票先公言: 政治家や俳優、ミュージシャンなど、多くの著名人が自身のSNSなどで投票先を公言し、フォロワーに投票を呼びかけています。
* 企業による投票促進: 従業員に投票を呼びかける企業も増えています。中には、従業員の投票状況を公開する企業もあり、投票への意識向上が図られています。
メリット:
* 投票率の向上
* 政治参加の活発化
* 政治的圧力
* ヘイトスピーチの増加
まとめ
アメリカでは、投票公開を推奨する制度や文化があり、調査結果や事例も多く存在していることから、投票先を公言することが一般的であると言えるでしょう。もちろん、メリットとデメリットの両面が存在するため、個人の判断に委ねられています。
参考
* https://www.pewresearch.org/topic/politics-policy/us-elections-voters/voters-voting/
* https://www.quora.com/Is-it-illegal-to-ask-someone-who-they-voted-for
* https://www.nass.org/can-i-vote/register-to-vote
』
※注:長い
先日、数年ほどFF相互関係を築いていた人物(以下、Dさん(仮名)と表記)から離れるために、私はTwitterのアカウントを削除した。
ひとまず目標通りDさんから離れることができたものの、まだ消化不良の気持ちが残る。この文章ではそれらを吐き出しながら、整理していきたい。
Dさんとは、近からず遠からずな趣味を共通言語として、それなりに親しい間柄ではあったと思う。しかし、ほかのFFさん相手の場合とは異なり、交流期間が伸びるにつれて、Dさんの人格とその言行に私が苦しさをおぼえることが増えていたのも事実だった。また、Dさんと私の母との類似を自覚してから、彼女にストレスを感じるたびに母へのトラウマやストレスもフラッシュバックするという悪循環があった。
離れる決断の決定打となったのは、ストーカー被害をめぐるDさんの対応だった。
あるとき、Dさんが企画した鑑賞会の参加者2人(ともにDさんのFF)が、その会での発言をきっかけに揉めた。2人が揉めだしたさなか、Dさんはその一方に安易に助太刀するような発言をしていた。それでトラブルがヒートアップすると、事態を冷却しようとしたらしいDさんが一方のFFを急にブロックした。結果、Dさんはブロックした相手から連日にわたりフォロリクやブログへのコメントが続く事態となっていた。
その上、Dさんが助太刀をした人物(以下、A(仮名)。私とは一切交流がない人物。)は、その勢いでつけ上がってか、「犬好きはサイコパス」のような、揉めた相手をターゲットとする大雑把で攻撃的な発言を繰り返すようになる。それが理由でDさんはその後Aとの関係も断ったが、Aの粘着行為はDさんが何度も恐怖を表現する程度に続いていた。
第三者の私から見ても、Aの粘着行動は先の人物のそれよりもずっと深刻だと感じられた。Aは、拒否され続けても1日に何度もDさんの鍵垢にフォロリクを送ったり、Aの別垢と思しきアカウント2、3個からもフォロリクをしかけたり、Dさんの相互関係にある公開垢たちを少しずつフォローしていくなどの偏執的な行動を続けながらも、Twitter上では、あいかわらず揉めた相手とDさんのことも誹謗するようなツイートを続けていた。Dさんへの攻撃的な発言を繰り返す一方で関係を保持することに固執しているAの行動は、矛盾しておりむちゃくちゃで異様に思えた。
何より、DさんがAの粘着や監視下にあるような状態を怖がっているような発言を繰り返していたのが痛ましかったので、私は被害の解消が早まるようにと一言二言、心ばかりの助言はしていた。
ただ、次第にDさんへの疑念も私の中で膨らんでいった。そもそもAが日頃から攻撃的な発言を繰り返していることは少しツイートを見ていれば明白だったし、検索すればAはその舌禍のために趣味の「界隈」からさえ煙たがれ、ヲチや誹謗発言まとめページがつくられているような要注意人物だったからだ。Dさんは、「嫌いなものに悪口を言いあえるフォロワーが増えることのほうが嬉しいから」との理由で、Aの言動をあえて見過ごして相互関係を続けていたという…。
また、Aの粘着に困っている状況にもかかわらず、真偽不明なAの過去発言をまだ信じているような姿勢を見せるDさんに、私は度々戸惑いを覚えた。そうこうしているうちにDさんが、「別SNSのアカウントならフォローしてもいい」と積極的にAを誘導するような発言をブログに明記した(実際、その後にAと思しきアカウントがDさんのフォロー欄に現れていた)ことも、私には理解しかねた。Dさんのプライバシーや心理的安全を本気で心配していただけに、軽率に見えるこうしたDさんの言行に内心で愕然としてしまっていた。
Dさんの、「猫好きなら(「良い人」だろう)」とか「相手が同性なら」みたいな安易な判断で、過剰に攻撃的な言動をする人でも平気でフォローする軽率さ…。ストーカーの粘着に困っていた最中に、Dさんはトラブって閉じた鍵垢とは別に新しいアカウントをつくり、公開垢として使用すると宣言していた。公開垢の運用方針の相談を兼ねてDさんが相互内で行ったアンケートでは、「(公開垢では)大人しくしておいたほうがいい」に投票した相互の割合が圧倒的に最多だった。にもかかわらず、Dさん曰く「正当な機会を得て他者を攻撃したいから」と、マウント・承認欲求を結局優先するような発言をしていたことにも引いてしまったし、結局DさんはFF内のアンケートを考慮することはなく、公開垢をやたら攻撃的な「思想」垢として稼働させるという、軽率さを再び発揮していた。また、いざその「思想」垢のツイートがプチバズしたら、焦ったのか急に鍵に戻す…Dさんの軽率さ…。その連続に、目眩がするようだった。
Dさんの行動は、人の話を聞かないまま軽率に行う自発的な社会行動のせいで自分の首を絞め、そのたびに周囲に自分の感情をわめき、まき散らす点で、私の母にそっくりに思えた。咄嗟に「もう付き合いきれない」と思う発言も何度もあった。なぜ娯楽の一環で利用しているインターネットでまでそんな人間と関わらんといけないのか、それともこの痛苦の感覚は私の認知の歪みの産物でしかなく、私の自他境界の曖昧さの問題で「他責思考」に由来しているんじゃないのかとも、あてどもなく何度も自問もしていた。
いずれにしても、Dさんとの関係が、母とのトラウマを思い出すトリガーとなりつつあった。彼女を相手にすると、いわゆる「カサンドラ」、適応障害のような心理に私が飲み込まれてしまう状態になることが避けがたく、また耐えがたく感じられたため、Dさんから離れる必要性を度々意識していた。
以前から蓋をしていたDさんへの違和感や不満が、何度も爆発しそうになっていた。また、いつか怒りで我を忘れて、ひどいかたちでDさんに感情をぶつけてしまうかもしれないと想像されることも、私には怖かった。
そうはいいつつ、象徴的なエピソードとして記憶している出来事にも触れたい。以前、私が趣味に関するつぶやきをした際に、ポロッとDさんが「自分がカバーしてない知識を持っている人をフォローしておくと相手の知識を食えるのでお得」といったツイートをしたことがあった。私自身や私にとって面白かった趣味の良書たちの情報を、Dさんがそんなふうに雑に消費しているものとは思ってもみなかったので、今思い出しても全身が脱力するくらいに、とても悲しい気持ちになる出来事だった。親しい相手と思っていたはずのDさんからは、便利な情報源、もっといえば「遊び道具(モノ)」としてしか認識されていなかったのだろうかという落胆と不快感の両方を意識せざるを得なかった。また、私の適当なツイートを眺めるだけで「知識を食」っているつもりになるDさんの知的不誠実さにも不信感を抱くようになった。
もちろん、彼女としては軽い気持ちのつぶやきだったのかもかもしれない。私に、自分の信念に決定的に反するような発想と発言をする人間を受け流しながら適当な交流を続ける余裕がないという問題があるのは確かだ。
それでも、他人の言動に対して積極的かつ軽率に対処をするDさんの癖が、彼女にさまざまなトラブルを引き寄せているように感じるようになっていた。
つまるところ、私としてはもう限界だと思ったのだった。
こうした経過があって、私は自分の精神的健康を保つためにはDさんとの関係を断つことが最善の選択だと、最終的に結論づけた。
話が伝わりがたくトラブルを誘発しやすい人と関係を続けることは自分を消耗させるだけなので、こうして見切りをつける勇気も必要だったように感じている。
Dさんと交流のあったアカウントを削除した結果、このさき私とDさんが直接衝突する事態は未然に避けられたわけだから、こうしてあらかじめ身を引けてよかったのかもしれない(と、思うほかない…)。
私に見えないところで私とは無関係に、これからもDさんがどうか楽しく過ごされていますようにとは願っている。
おしまい。
AIイラスト、しかもオリジナルメインでフォロワー数万とかのアカウントを最近ちらほら見るようになってきてちょっと危機感出てきた。
作品のクオリティーはAIと手書きは並んでいくけど、集客力に関しては手書きが圧倒的に強くて、だから手書きの絵師は(今でもそうなりつつあるけど)インフルエンサー的側面で重宝されていくんだろうなと漠然と思っていた。
なんか、絵のシチュエーションが割と被って、先にやった人が後からやった人に苦言呈してるシーンを目撃した
被り具合からすると、後からやった人が見てた可能性は7割位かなあと思った(その後認めて謝罪してたけど)
まあでも、シチュエーションに著作権つけたら「遅刻しそうになってパン咥えて走ってる女の子」とかも自由に描けなくなる訳だし、著作権的にはまず問題ないだろう
ただ、ネットって、例え著作権的に問題ない範囲でも、「公共物」になってないネタを引用なしで使うと若干嫌な目で見られる感がある。特にアマチュアのネタとか(ただし、クール系キャラに「黙って聞いてりゃチピチピチャパチャパ……」って言わせるやつみたいにミーム化すると別)
実際、さっきの件も先にやった人はフォロワー数千人の人なのに対して、後からの人は有名人で、「知名度のない作品は保護されるべき」みたいな倫理観が働いてたんじゃねえかな
極端な例を挙げると、アマチュアの絵の無断転載はバチボコに炎上するのに対して、猫ミームは炎上しないみたいに、ネットって「公共物」として認識されるかどうかという著作権とは別次元の倫理判断が存在する感じがする