はてなキーワード: 人間とは
休日はたまに人混みの多いところへ行く
なんなら半分か、それ以上はマスクをしていない
いや、かかってはいるが無症状なのか?
ワクチンは3回打った
俺は、無敵なのか?
運良くお金をいただいて大学に通うことができているのに、自分の不甲斐なさに絶望する日々。その不甲斐なさを外部要因のせいにしてなんとか乗り切ろうとする癖までついてきているからもう手遅れかも。
大体がお金持ちで大体が素敵なご両親を持つ人間どもに一年以上囲まれることがここまで不愉快だとは想像もしなかった。小中はそこら辺の適度に荒れた公立で、一度入ったエリート高校も半年で家族が体調を崩したから、働くためにやめた。その後入りなおした公立通信は居心地の良さでは一番だったかもしれない。どこの親も大体うちと同じように虐待の気があったりお金がなかったり、そうでなければ生徒本人が壊れかけていたりする。そんな人しかいないから、自分の親を虐待で通告した後も、数少ない高校の顔見知りに施設住まいを公言しても特に何かが変わることはなかった。それが普通だから。
そういえばいい学校に行って勉強するの楽しかったな、と施設で思い出した時から、いろんな人間を見返してやろうと、あまり良くない動機で勉強し始めた。今の世の中は便利なもので、大手予備校レベルの映像授業が毎月の通信料以下で手に入る。とにかく成績を上げ、奨学金に引っ掛かるように努力し続けた。そしたら、なんか上手く行った。周りの人たちの支えがなかったら、大学どころか高校まで出ていたのか、そもそも生きていたのかすら怪しいのに。
大学に入って、1年も経つと「身の丈に合った教育」という切り抜きから生まれたあの言葉が的を射ていることに気づいた。
まず、みんなお金持ち。こちとら経済的支援をくれるような身寄りは1人もいないというのに、親や親戚からの支援で暮らしてる人間が多いこと。卒業後に最悪実家に帰れて幸せですね。実家を捨てる決断をしたのは自分自身だけど。「小さくて言葉が通じないうちは動物と一緒だから叩いて痛みでわからせる」親と暮らしたくないのはわがままですか。
それにみんな家族がいる。頼れる誰かがいる。これは毒親持ちとか縁を切りたい人にも共通するのかもしれないけど、親も親戚も頼れないと絶対的に信頼できる、戻れる場所がない。それを選んだのは自分自身だけど、結構苦しい。心のどこかで自分がされてきたような虐待を肯定している歪んだ人間がまともな人間と惹かれ合うわけもなく、この先ずっと孤独であることが見えてる。これについては愛玩動物と暮らすのが一番いいかもしれない、でも独り身に飼われる動物がかわいそう。もし飼い主が死んだらどうするんだろう。仏教にでも帰依するか?
こんなことを考えていると今まで友達と思っていたものが全て敵に見えて、ある日突然発狂した。その日以来中高時代までに築き上げられた人間関係はなかったものとして生きてる。SNSには懲りた。
ここまで強いコンプレックス?を抱えているくせに、お金持ちになりたいとか家族が欲しいという強い衝動もない。なんとなく、無意識のうちに、惨めで貧乏でいることが一番性に合っていることを知っているのかもしれない。惨めで貧乏な生活は、やってるうちはそんなに惨めじゃないし貧乏じゃないけどふとした瞬間に生きる意味を見失うからやばい。でもどう足掻いてもこのキモい人間性は変わらないし、キモい未熟さを抱えたまま上辺だけ取り繕って、明日からも家族と電話した、今度実家に帰ったら何をする、みたいなありふれた話題を笑顔で受け流していくんだろうな。多数派の普通の意見で勝手に傷つき、勝手にストレスを溜めネットにお気持ち放流すること以上にキモいことはない、分かってる。分かってるけどどうしようもない。
少なくとも1年目の角田にあの走りは出来なかった。
とはいえ、レッドブルでマックス・フェルスタッペンの横で走れるのか?
と問われたら、それはノーのような気がする。
結局、メンタルが保たないのだ。
あんなに安定して図太く、いい走りをするドライバーだったのが、
今や表彰台に乗るときでも、自分のミスでリタイアするレースでも、
同じくらいに「シッチャカメッチャカ」している。
まるで毎回F1デビューレースの新人のような浮つき方をしている。
もうすぐ母国メキシコでのレースがあるが、そこでも混乱が見られるようなら、いよいよシートを失うかもしれない。
ローソンに話を戻すが、多少角田より良いドライバーだったとしてフェルタッペンの横で走れるのか?
ということだ。
これは来年の角田残留がホンダの介入によって決定したことに対する意地だろう。
レッドブルへ選抜する人材を育成するためのポジションであるアルファタウリに4年目のシートはない。
3年やってレッドブルへの昇格の見込みがなく、かつ次の才能が現れているのなら交代の時期がやってきたということだ。
もしもレッドブルのPUがホンダ製でなくレッドブルパワートレインズが製造管理運用していたなら角田のシートはなかった。
つまり、ローソンからすれば俺は実力ではツノダより上なのだ、と証明したかった意地だろう。
それはドライバーと言うか人間としてごく自然の感情だし、勝負の世界に生きる人間にとって必要なものだろう。
しかし、だ。
そのドライバーの意地。
それがフェルタッペンの隣に乗ったときには、そのプライドが仇となるのだ。
見事に打ち砕かれる。
アルボンはやや違うかもしれない。
ペレスも色々なものが積み重なって、調律がとれていないピアノのようになってしまった。
リカルドはどうなるだろう?
彼は依然としてトップドライバーだが、再びフェルタッペンとともに、
フェルタッペンのためのチームに乗った時にどうなるだろう?
マクラーレンではノリスの才能に全く手が届かなくて調子を崩してしまった。
フェルタッペンと同じマシンに乗って、常にフェルタッペンより遅くても彼は失調しないだろうか?
それはわからない。
でもマクラーレンで起こったことと同じことが起こらないとは思えない。
彼は結局セカンドドライバーという立場には満足できない人間なのだ。
だからあのときルノーに移籍したのだし、セカンドでは満足できないからマクラーレンで失調した。
同じことが再び起こらない保証はない。
そして、ローソン。
彼がF1でレギュラーになってキャリアを積んでどういうドライバーになるのかはわからない。
でも、おそらくは良くてもガスリー程度だろう。
ガスリー程度というのは、
賢明に努力してベストを尽くしてフェルタッペンのセカンドドライバーとしてチームに貢献していくことを実行するなら、
辛うじてレッドブルのシートを確保することが出来るかもしれない、という程度の才能だ。
でも、彼のドライバーとしての意地がそれをヨシとするとは思えない。
それは必要不可欠な意地なのかもしれないけれど、同時にフェルタッペンの横になると、その身を滅ぼす。
だからね、結局何がいいたいのかというと、角田くらいがレッドブルで走るのがちょうどいいんじゃないか?ってことなんだ。
彼って、ちょっと変じゃない?
将来の夢はなに?と聞かれて、ドライバーなら必ずチャンピオンになること、って答えるところで
レストランのオーナーになることだ、って答えるような天然というか飄々としたところがあるじゃない?
ああいうちょっとだけ、ほんの少しいい意味でズレているほうがフェルタッペンの横に乗っていても平気な図太さになるんじゃないかな?
毎回、フェルタッペンに負けていても、まあそれはそれだ、って気にしないで前向きに生きていける才能の持ち主のような気がする。
なんかね、余裕があるんだよ、彼には。
そういう部分がないドライバーには、セカンドドライバーという役割はきついと思う。
選挙人名簿を有権者向けのはがき送付に使ったと明かして町長を辞職、翌月の出直し町長選で再選された。しかしその後、持ち出した名簿には各個人の過去の投票状況が分かる記載があったことが新たに判明。
ゲーム中に味方にイライラしたりとか、クソピン出してやろうとか、そんな考えに至って、ああ感情コントロール出来なくなってるのを実感した。
まだ26なのに。愕然とした。
自分はうつ病で脳ダメにしたことあるし、そもそも発達障害だから分かる。
自覚してるしてないのレベルじゃないんよ。脳が信号出してる以上はそれを自覚すること自体を認識出来ないみたいな。頭痛だったり、物体を視認することだったり。それって自覚以前の現象じゃん。それと同じ。上手く言えないけど。
自覚すらできないんだからコントロールなんて尚更無理よなって話。
話ごっつ変わるけど、前頭葉が衰えて情報の判別がつかなくなった場合、テレビや新聞などの依存度が高まるし、頭の悪い中高年とテレビって相性いいんだなって思った。で、最近価値観のアップロードには人間同士の対話や議論が不可欠だと思ってたんだけど、仮に所属してる集団間で陰謀論のエコーチェンバーキメてたら、染まるなって思った。だって考える力が低下してるんだから、自己を決定する意思も思考もその分集団に依存するじゃん。
だから日頃から信頼出来る人間関係構築しておくのは大事なんだなって。
あと前頭葉の衰えなんて変化がない限り無自覚なんだから、脳みそフレッシュな若い方々の意見が貴重なものに感じる。同時に頭ボケてきた人間に重大な決定任せても多分上手くいかないなって思う。いやもうだって26にしてこの衰えはやばいなって思うもん。集団内の新陳代謝は高めておかないと。俺なんて、同じ人間ばっかりいたら絶対判断ミスる不安しかない。
最初は好感度低くて蔑まれていたけど実力で信頼を勝ち取るってストーリーが違和感しかない
好感度低い相手に高圧的で傲慢で嘲笑かましてくる人間が手のひら返して信頼してきたから何だというわけ
お前が私を評価するんじゃない
私がお前を評価するんだ
予想通り、結構伸びてるね。
俺が見込んだだけはある。
俺個人としては、元増田の条件においては精子バンクをお勧めできない。その前にできることがたくさんありそうだから。
幸せの形は人それぞれなので、結婚だけが全てじゃないけど、元増田が誰からも相手にされないというのは、諦めるのが早すぎるだけに思えたから。その場合、後悔する可能性があるから、今できることはやり尽くしたと言えるか?自問自答すべきだろう。
人間は成人すれば自分の意思を持って生きていく=やがて独立するので、子供はペットの代わりにはならない。老後の面倒を見てくれるかも、子供次第で100%の保証もない。
まだ自問自答が足りていないのではないか?
伊藤沙莉と妻夫木聡たちが共演している、マクドナルドジャパンのテレビCMがある。
妻夫木聡は、ドラキュラ(これは服装から思料される)的な吸血鬼を演じている他に、フランケンシュタインの怪物(これは漫才師の塙)、狼男、ミイラ男も登場している。
藤子不二雄Aが描いていた昭和の漫画『怪物くん』を読んだことがあるか、古い怪奇映画のファンであれば、妻夫木聡らが演じている怪物たちが、米国の映画会社ユニバーサルが製作していたモンスター映画に出てくる怪物たちであることは直ぐに理解る。
問題は、伊藤沙莉の役どころである。最初は『怪物くん』におけるヒロシ的な役なのだろうかと思ったが、別の可能性は無いのだろうか?
例えば、ユニバーサル映画のモンスターといえば、ドラキュラ、フランケンシュタインの怪物、狼男、ミイラ男に負けず劣らず『アマゾンの半魚人』も有名である。
実は、伊藤沙莉は、自分自身のことを普通の人間と思い込んでいる、記憶喪失の半魚人だった!という展開はないのだろうか?
伊藤沙莉を半魚人の役だと思えば、妻夫木聡らが演じている怪物たちと、平気で交友していることも説明可能である。
いつまでCMが続くか不明であるが、いつか真の姿を見せてもらいたい。
No Limit !!
結婚してても結局母親のワンオペになったり共働きでも丸投げされるなんてザラ
男性の育休取得率も期間も短いままだしな
まともに育児しない相手に騙されたらやる気のない夫ではなく見る目がない妻が悪い論調まである
片親を選ぶ人が間違ってるんじゃなくて
片親が不幸になり苦労する社会が間違ってんだわ
それでも太い実家と協力的な親がいるなら最強だよ
いくら賢い犬でも算数のかけ算はできないように、能力の上限は無限ではない
ではAIは?
いつか人間を追い越すだろうか?
私は、今のchatGPTやAIイラストの上限は案外すぐそこまで来ていると思っている
伸び代はもう無い
って言われるけどいやいや、努力しても結婚もできないし仕事もギリギリなんとかって男なんて普通にいるんで…
仕事も恋愛もダメダメだし、自分も同じような独身男達に話すようなこと何も無いしで同類で仲良くする気も起きないし…
人間が見た目犬か猫みたいに、歳とってもかわいい生物だったら違ったのかいな
ポジティブに捉えるならそうなると思う。
人よりも答えを出すのに時間がかかるタイプだし、自分の認識に対して懐疑的な人間だ。いや、そうなってしまったと言った方が正しい。
僕にとって会社を大きくするということは、自己認識の誤りに気づいていくプロセスのように感じる。なぜならば組織は、会社は、社会との利害調整をどのように行ったかによって利潤の最大化が期待される。社会に求められる利害調整の最大公約数をシステムとして包括的に捉えたときに、会社は拡大する。大抵の場合、自己認識が間違っていたことを認めることによって拡大の兆しを捉える。
他方で、自己認識の誤りに気づくということと、創業した会社をどうしたかったのかという点、理想を追求するという点で矛盾が起こる。この矛盾こそが、意思決定の歪みをもたらし、悩み、苦しみ、間違った判断を招いている。
つまり、出発点が間違っていた場合、継続の意思をどのように保つのかという究極的な問いに戻りかねないのだ。
学生時代から、自分は比較的左寄りの人間だったと思う。しかも、その左寄りの発想が稼ぎを生み出すという点で相応しくないかもしれないということもまた、おそらく大学生のうちからうっすらと気づいていたことなのかもしれない。
自身の持つ価値観そのものが、欲望との接合点になかった場合、もれなく葛藤に堕ちる。社会に適応することの難度が高くなっていることを実感する。
だけど自分は、今思えばその手の悩みを「生きるためには仕方ねえ部分もあるだろ。じゃあお前はもう一生社会構成員にはなれねえだろ」と一蹴できるタイプの人間でもあると思う。この社会そのものが悪意駆動ということに対して、しかたないで済ませられる程度には理解があると思う。でもそれは、なぜそう思えるかでいったら、「たまたま自分が能力的に言えば比較的上位レイヤーとして生まれ育つことができた」と自覚しているからだと思う。客観的に言えば自分は怖れられるタイプの人間だし、マッチョなことを言うタイプだと思う。そんな自分が「思想でいったら労働党寄りだし、保守層って感じでもない。」って言ったら驚かれるかもしれない。
これは自意識の問題なのだ。なぜそのような自意識のねじれが起きてしまうかで言えば、理由は一言で表される。つまり、
成熟した社会では、どんな能力を持つ若者ですら相対的な弱者であるから。
その中でも、「究極的な競争に身を置く」ことを決断したということでもある。これは正直普通の決断じゃない。よっぽど深刻な悪意を孕んでいるか、よっぽど誠実かつ相当自分の能力を過信していないとできないことだと思う。おそらく自分は後者だった。
高い能力から繰り出される成熟社会における付加価値へのこだわりは、組織拡大に悪影響を及ぼす。自己認識と社会認識のズレが引き起こす諸問題は従業員を困惑させる。
会社拡大は大まかにいって採用と事業二つのマーケットから価値を認められることが重要だ。正直うちらのようなサイズの会社が採用マーケットで選ばれることの難度は鬼高い。
労働集約ビジネスが個人の能力に依拠して成立するとするならば、その個人の能力が付加価値要素になると認められない限りは品質の維持ができないことを意味してしまうが、そもそもそのようなフィールドに品質で競争優位をもたらすことを兼ねてより企画してはいけないのだ。当然創業メンバーは気が狂っているので、その手のマーケットでトップオブトップの品質を出すことくらいできなければとても起業なんて博打を打ってでないだろう。だけど現実的に採用できる人員構成のことを鼻っから検討もしていないことも同時にある。
自分の場合は「未経験でも自分の想定している通りの経験を踏めば誰でもできるようになるだろう」って信じていたし、そのことが自分を常に悩ませてきたと思っている。
育成に取り組むことも組織拡大において一番最初に捉えてしまうかもしれないが、経験的に言って、それがもっとも最後に取り組むべき課題であると言わざるを得ない。
なぜ銀行が人件費に対して支出することを許容しないのかのその意味をずっと考え続けていたが、彼らはやはり確率的にそのような支出が取り返しのつかないことになる可能性を誰よりもよく理解している。
高い品質を維持することの難しさと、顧客定着の難しさを同時に学習する。理想論で言えば顧客定着のその割合が高ければ高い方がいいに決まっている。でもなぜ現実的にそうなっていないのかをもっと深刻に考えるべきだ。「自分であればその課題を克服できるのではないか」という安易な驕りが、成長を妨げる可能性を考慮していない浅はかさをまず呪うべきである。
はっきり言おう。自分がつくりたかったのは自分の平穏だっただろう。
そのために、自分と同じ夢を見てくれる人ができる限り多くいてほしいと願った。
それは、今もこれからも望むべきではない。
俺はお前がいっちょかみしてると言ったから、いっちょかみすなわち無関係な人間として顔を突っ込んだのではなく、元増田だからといっちょかみ性を否定しただけ。別にお前はいっちょかみしてる理由を聞いてないよね?だから「おかしくないだろ」で返答が成立する。
俺はお前の心理を聞いてるのでそれに「おかしくないだろ?」は成立しない。そもそも客観的におかしくないすなわち、大勢が同じ理由でそのおかしくないことをしてるんだとしても、その大勢がなぜそういうことをするのか自体私は知らないので、どっちにしろ理由の説明になってない。
「正しいと思い込んでる」のはもろお前にそのまま返ってくるよね。少なくとも俺はお前が正しいこと言ってると思ってない。それに対してお前は、正しいこと言ってると納得させる・フォローしてもいない。また他の第三者がお前を正しいと言ってると俺に見える形で証人としてでてるわけでもない。じゃあお前こそ自分が正しいと「思い込んでる」の通りだよね?何が違う?
俺は前にも言われっぱなしが嫌だから返信してると言ったはずだよ。「理由をはっきり」言ってるよね。そしてソレが果たして「絡みたいだけ」の「荒らし」に当たるかどうか。さあお前の番だ。説明もなく荒らしとレッテル貼りした説明責任を取るんだよ。