はてなキーワード: 赤ちゃんとは
ブロックやフォロー解除までしてるなら、関係性によってはなぜ?と思われた可能性はあるけど
あー、久しぶり、元気してた?って反応だと思うが。
自分も同症候群持ちではあるが連絡先を断たずにフェードアウトするようにしてる
思うに、この症候群は頭が良すぎて考え込んでしまうことが原因だと思う
今では、そういう姿を見せられる余裕のある人が周囲に増えてきたが
昔は同年代とばかりつるんでいたからリセットしたくなることに気づいた
それから、5歳上、10歳上、または高学歴(頭の回転が速い)人間とだけ付き合うようにしたら
――――――――
押す側の人はわかると思うんだけど、車椅子ってちょっとぶつかっただけで超痛い。
だから押す側はだいぶ神経使う。重いし。
繊細な人なんだなとか思われるかもしれないが、身内は人並に大雑把で人並に優しく人並に理不尽な人だ。
――――――――
例えば、人混みを通らなければならないとき。
介助者の自分は当然「すみません」って声をかけて通るんだけど、
乗ってる側としては「何で謝らなきゃならないんだ」って悲しくなるらしい。
そんなことで?ただの声かけじゃない?と思った。
大体人混み通るときって健常者だって「すみませーん」ぐらい言うし。
で、よくよく話を聞いてみると、そもそも「頭を下げないと道も通れないことが悲しい」というような旨を言う。
それは意味が違うと思うけどなあ…と思い、
そのときは「SorryじゃなくてPardonの意味だから、受け取り方が違うよ!」と慰めた。
そういうことを言う人でもなかったので、何となく引っ掛かりを覚えた。
よくよく考え、「そういう風に考えてしまう」こと自体が、身内の内情を表している、そんな気がした。
――――――――
金銭的に依存したいとか、恋愛的に依存したいとかは健全じゃないながらあると思うが、
『身体を動かす点において依存したい』という人間は、多分いない。だって不便じゃん。
最初は周囲に助けられてなんとかなるかもしんないけど、それがずっと、死ぬまで続くなら本当に毎日毎日うんざりすると思う。
周囲だって、毎日毎日世話することに疲れてくると思う。そう考えちゃうのも、周囲を信用できていないみたいでいやだし。
でも車椅子の人って実際こうなんだろうなと。
傲慢な人だとか、人を使役することに慣れている人なら、「でも俺は動けないし」で済むかもしれない。
本当~に一般の、どこにでもいる普通の人が突然そんな状況に置かれ始めたら、段々だんだん「申し訳ないな…」って気持ちになるのは必然な気がする。
「自分の要求のために絶対人が動かなきゃならない」が毎日毎日、この先もずっと…って考えたら、しんどくなるわそりゃ。
つまり、身内の中に蓄積された「また頼ってしまった」「また助けて貰ってしまった」という無力さと、
「それに対して自分が返せるものが何もない」という良心の呵責、周囲が自分をどう思っているかへの不安、
それらが蓄積した結果、「何で謝らなきゃならないんだ…」という最初の言動そのものになってるのかなと思った。
――――――――
いや、これはマジでよくない。と思った自分は「もっと外に出て元気でいて欲しいな」と安易に考えた。
だってずっと家にいるってことは、やっぱり生活に彩りがなくなるし、体力も筋力も落ちてくる。
これって、人によっては段々生きる気力が減退する場合もあるし、ネガティブになることも多くなると思う。
外に出て沢山刺激があった方が、色んなことが塗り替えられるじゃない。
でも、それも難しいんだよね、車椅子だとさ…。
だから多目的トイレを探さなきゃならない。で、もし使用されてたら使用が終わるまで待たなきゃならない。
車椅子用トイレが使用中で、仕方なく待つことはある。大体お仲間だったり、赤ちゃんだったりする。
ただ、10分後ぐらいに水を流す音もせず、ばっちりメイク決めたJKが出てくると流石にムッとする。
いや確かに多目的だけれども…苛つく気持ちは理性では抑えられない。
もしかしたら彼女も何か抱えているのかもしれないので口汚く言いたくはない。
かもしれないが…しれないが…しかし…世の中には多目的トイレでセックスをするアホもいたりするからな…。
健常者なら、許容できる範囲かもしれない。だってそんな苛立ちも抱えず他のトイレに行けば済むのだ。
車椅子の人だって介助者だって別に、自分に関係なければ許せるかもしれない。
そういうありもしない未来・過去がそのたびに去来し空しくなる。
――――――――
他の例だと、地方の美術館では2階に行けないこともあったし、砂利道はガタガタしすぎて危ないから通れないこともある。
外出の選択肢として楽なのはアウトレット。舗装されてるし広いから一人当たりの占有面積もゆったり。でも数は限られてるし場所によっては早々行けない。
海辺の砂浜なんて車輪がもたれるから絶対だめだ。山を登ることも、ハイキングもできない。
エスカレーターも階段も使えないから常にエレベーターを探さなければならない。
エレベーターって意外と辺鄙なところにあるから、実際探し当てるまでもかなり大変な目に遭ったりする。
一度エレベーター縛りで移動してみると、面白いと思う。それをこの先ずっと続けるとなると辟易だと思うが。
見つけたとしても、必ずしも乗れるわけではない。混んでたりするからね。
降りて譲ってくれる優しい人がいると、この先この人に今の五万倍の幸せがあるといいな!と思う。有難いことこの上ない。
実際バリアフリーは沢山あるし、色んな公的機関では配慮されてることが多い。
障害者オンリーの観覧日を設けてくれる美術館などは本当に助かる。
若ければ車椅子サッカーとかバスケとか、そういった活動もあるかもしれないが、年をとるとインドアなことしかできなくなるので。
とんでもない角度の段差の補助?だったりすると「あーっ惜しいですね」となってスルーせざるを得ない。
エレベーター行くのに遠回りしなきゃいけなかったりするし。まあ、仕方ないんだけどね。やってくれるだけ有難い。
(この「やってくれるだけ有難い」も、身内の「何で謝らなきゃいけないんだ」の一部だとは思うが…)
施設は、入場料がいらなかったり、半額になったりする。
でもまあそれは「平等なサービスを受けられないことによる減額」なのかもなと思う。
美術館だと照明が反射して、絵がよく見れなかったりする。健常者と見る位置が違うから。
コンサートなら車椅子用の席は固定で、「可も不可もない中間よりちょっと遠い席」が普通かも。
たまに逆にえらい良い席なときもあるけど。最後尾があたる可能性もないが、最前席があたる可能性はない。
本人は車椅子に乗ったまま、介助者の自分はパイプ椅子…なんてこともあった。
クラシックコンサートだったが、ずっと尻が痛かった。ちゃんとした席が横にあるんだからそっちにして欲しかったなあと思ったけど、まあ仕方がない。
「尻が痛かった…」と少し溢すと、申し訳なさそうな顔をされて「しまった」と思ったりする。
――――――――
マジで行ける分いいと思うのだ。行ける分良い。でも、ざっと書いただけでもこれだけ大変なことがある。
自分が車椅子だったらと考えると、そりゃ外出たくないよなって思う。
望んだわけでもないのに、同じサービスが受けられない。周りに迷惑だと思われているし、介助者にも迷惑がかかる。遠回りさせる。自分がいるから存分に楽しめなかったりする。そもそも、自分の行動や欲求に付き合わせている。
そういった事実によって生まれた葛藤が『何で謝らなきゃならないんだ』、ひいては『何でいちいち感謝しないといけないんだ』になるのは、わからんでもない。
そういう立場を体験していない自分が、その感情を否定することはできない。
ただ「しょうがないよね」って茶を濁して共感することしかできない。無力だなあと思う。
身内の気持ちは身内にしかわからないから、ここまで考えているか感じているか実際は知らないけど、まあ大外れではないと思う。
当初は「そんなことで?」と困惑した自分も、もう肯定するほかないなと思ってる。
――――――――
社会に生きる人間は良くも悪くも社会にある程度迎合しなきゃならないというのが個人的な持論。
人間は全員が「違う」から。違うから、お互いを譲歩し適切な距離を保って、険悪にならない距離でコミュニケーションをとる。
これは最近のトランスジェンダー関係の話でもそうなのかなと思う。
自分のすべて受け入れてほしい!と思うなら、そういう社会に行くか、新しく作るしかないんじゃないだろうか。
平和に生きてる人たちを脅かしてまで自分を押し通したいと思う人と、手を取り合いたいなんて思わないだろう。
だからまあ、身内の心情に心をいためつつも仕方ないよな、なんて思う自分もいて、
なんていうか…罪悪感じゃないけど、申し訳なさを感じたりもする。
色々人生楽しめるものを用意できるよう、無理じゃない程度にやっていきたい。
無理させてると思わせるのが一番、本人にもよくないと思うので。
――――――――
そういうわけで(?)
車椅子を押す側として思うのは、優しく見守ってくれる人がたくさんいてくれればいいなと思う。
助けてくれなくたっていい、通り過ぎたって全然良い。
舌打ちしたり、からかったり、邪魔になることはしないでくれれば。
こんなん、健常者でも当然のマナーだと思うんで、改めて言うのも変な話だけど。
――――――――
おまけ
テレビの某野外音楽フェス特集を見て「一回ぐらい行きたかったなぁ」と言われた時は「それは…無理だな…」と思った。
「そりゃ車椅子なんだから無理でしょ」って当然のように言う人はいると思う。
いや無理なんだよ。そりゃそう。無理なの。物理的に。
確かに頑張れば行けるかもしんないけど。知らないけど、配慮もされてると思う。
でも立ち見の音楽フェスに行くというハードルがそもそも高い。そこに行くまでの道程のハードルも高い。
立ち見だから見るとしても多分後ろの方でしっとり見るしかない。車椅子にぶつかると怪我させちゃうだろうし。
そういったリスクをひっくるめて考えて「無理」となる。勿論フェスを非難してるわけではない。
「金がないから無理」とか「忙しいから無理」とかと違って、「車椅子だから無理」は本人にはどう努力もできない「無理」だ。
介助人としては軽く「え!行きたいなら頑張るよ!」なんて返したりするけど、身内は難しいことを知ってるから、何も言わずに首を横に振る。
こんな無力なこと、ある?
自分はまあ行こうと思えばいつでも行ける。
身内はこの先あの景色を体験することはないんだ。と思ったら無性に悲しくなった。
――――――――
食洗機の話題になると毎回「手洗いでは不可能な高温!洗剤!」をメリットに挙げる人がいるんだけどそれゴム手袋で実現できます。
以下は種類の解説。
100円ぐらいの安いのはこれ。
数ヶ月で指先が硬くなってしまうのでこれが原因でゴム手袋は使いづらいと敬遠される原因になってるかも。
硬くならないし柔らかくて使いやすい。
オカモトとかいう聞いたことない会社が出しているマリーゴールドフィットネスが最高。真っ赤っかで気分もあがる。
ただし切れる時は切れる。たぶん薄く作るのも無理。
今ダンロップのジョーブネというのを使ってるんだけど自分史上一番長持ちしてる。
これダイマ。
私はあえてサイズ大きめのを使ってる。
蒸れにくいし付け外しもラク。
あと書いてくれてる人がいるけど真冬でも水仕事が億劫にならないのもメリットだね。
追記2
慣れます。
慣れます。
慣れます。
知らん。
洗え。
乾かせ。
裏返せ。
キミたちは赤ちゃんか?
国が欲しいのは赤ちゃんです
イヤイヤ期も始まってない、泣き声の声量も意地の悪さもまだ出てない健康な赤ちゃんなんて誰でもかわいいもんやで。今のうちに存分に楽しんでおきつつ、この先子どもがどうなっても今のかわいい赤ちゃん状態と比較しないで扱ってほしい。
意地悪な事を言うと、
もちろん赤子ができて夜更かししてゲーム出来なくなったとか、朝は6時半には赤ちゃんが起きるから早寝早起きにはなるとかはあったけど、
つまりそれまでゲームするか夜更かしするくらいしかやりたい事がなかったからじゃない?
実際は子供いたら出来なくなる事、他にも山ほどあるよね
でもそれまで特にそういう事は何もやってなかったしやりたい事もなかった、と
うちの子も客観的には育てやすい子で、6か月までなんて育児そのものは特に苦労はしなかったよ
でも「子供がいるだけで色々な事が出来なくなる」というだけで只管に苦痛だった
世間で語られる育児の苦痛ってのもそういうのが多大に入ってない?
ただ、時間が経つと段々そういうのはどうでもよくなって来るんだよね
自分ももうすっかり「何もやりたい事もないつまらないおばさん」になった
いや本当はやりたい事はある、けど子供がいる限り叶わない夢だからもう考えない事にした
高校生の時、辞書で見た時にめっちゃテンション上がった四字熟語
分かりやすい様で分かりにくい
強い(確信)
地のめちゃくちゃ強い人のサポートをしてるけど
全く役に立ててない感
きょうほう
どんな壮大な意味なんだと思いきやおしめなんだなこれが。赤ちゃんの💩を受け止めるあれですよ。なんか900年頃は褓だけで使ってたらしい
ゆうもや
りゅうりょう
楽器・音声がさえてよく響くさま。
もう、意味なんかどうでも良くて
字がかっこいい
れいぎょ
牢屋のこと
正直これだけは昔の人がノリで考えただろ
って思ってる
お母さん曰く
兄ちゃんはギャースカ泣きわめく赤ちゃんだし生まれた時から歯が生えてておっぱい噛みまくって血まみれになりながら授乳して大変だったって
雪国だから冬はやめろといっても車道脇の雪の塊に突っ込むし凍った水たまり踏みに行って水浸しになってしょっちゅう風邪引く多動クソガキだった
ぼくは大人しくおっぱい飲んだらすやすや眠る手のかからない子だったって
兄ちゃんはやんちゃだけどぼくはいい子だなってみんなほめてくれた
でもみんな兄ちゃんの方が好きなんだよね
兄ちゃんは友達の知り合いがやってる伝統工芸をしたいって高卒で家を出て住み込み修行をはじめた
成績は良かったし大学行くものだとみんな思ってたのに家出同然でみんな怒ってた
でもいつのまにか「今の若い子は楽な仕事を選ぶのに厳しくされてもめげずに地元の伝統を守るとして偉い」って扱いに
たまに誰かに会うと「兄ちゃん伝統工芸の◯◯やってんだって?」と言われ〇〇やってる家の子と認識されてる
「やりたいこともないのに何となく進学する子より立派かもしれん」ってお父さんが言ったの忘れないよ
その時ぼく大学生だった
嫌味じゃなくてその瞬間はぼくが大学生なのも忘れて兄ちゃんしか見えてなかったんだね
兄ちゃんはお父さんもお母さんも見てなくて自分のことしか考えてないのに両親は片思いみたいで可哀想
でも親ってやつはそういう子の方が好きなもんかな
子どもの身体を意図的に欠損させて物乞いさせたり、児童労働どころか売春させたり臓器として売買したりな国や地域なら、
たくさん子ども産まれてる、人口世界一になったインドもそうよね
西アフリカのニジェールはめちゃんこ出生率高い(45.21 %)、赤ちゃん工場とかもあるし、子どもの命はめちゃんこ軽い
なにが楽しいのか知らんけど、無限♾️に露悪的なこと言い続けている元増田は、これらの国へ移住したら良いんじゃないですかね?
妊娠はどちらも夫と愛を確かめあうセックスをしているうちに自然に授かりましたではなく
妊娠は二回ともあっさりできて、妊娠中もなんのトラブルも起きず、順調に
上の子の困った行動で上の子をぶち殺してしまいたくなるのがツラい
育児がつらい
無事に生まれてきてもらったのに
育児がつらいっていう悲しみ
世の中には子供から「ママ」とすら呼んでもらえないようなお子さんを育ててる人もいるのになあ
医ケア児を育てている親御さんからしたら私は親として甘ったれ過ぎているんだと思うが
どーーしても、どーーーーーーーしても、育児がつらいって思ってしまうんだよな
赤ちゃんは寝ない、泣きどおし、寝不足、離乳食は食べない、いつも騒がしい……
いざ産んでみたら、
新生児期から夜はミルクは要求するために起きるけど腹が満たされたら即寝て、
昼はしょっちゅう昼寝しながらもわりといつもご機嫌で、
ばー、なんてあやすとキャッキャ笑い声を上げて笑うし、
散歩に連れ出したら大人しすぎてレジでおばちゃんに「よく寝て……あれ起きてる!?大人しいね!」と驚かれ、
離乳食は何あげても前のめりにもぐもぐ食べて、
相応に義父にしっかりと顔見知り発動して泣いてくれるわりに、義母や私が抱っこするとすぐ泣き止んでくれるから育児の支援も受けられつつちょっとした優越感も得られて、(むしろ嘘泣きか?というくらいすぐ泣くし泣き止む)
なんというか、むしろ拍子抜けするほどにとんでもないイージーモードの育児だった。
あまりに問題がなさ過ぎてネット以外では自慢になりそうで深く話せないほど。
もちろん赤子ができて夜更かししてゲーム出来なくなったとか、朝は6時半には赤ちゃんが起きるから早寝早起きにはなるとかはあったけど、
この少年と逮捕された少女は同じ中学校に通っており、付き合っていました。
美人局は二人によって計画され、同様の余罪がいくつもあるとか。
約2年前の時点で一番下は赤ちゃんで、その上はやっと小学校に入ったくらいの年齢でした。
お母さんは東南アジア系だと思うのですが、きれいな方で、いつも夜7時ごろに派手な化粧をしスーツを着て出かけていくのを見かけました。
お父さんは目にしたことがなく、よくおじいちゃんとおばあちゃんが出入りしていました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/34ab5e3915b964c84da94dcbcb82c43335fc05f2
また水商売の母と、父不在の家庭か。
『旦那が大便が付いた下着を、そのまま洗濯機に入れた。それに気づかず洗濯機を回してしまった。離婚原因にできるか』みたいなやつ。
ああ、やっぱりそうなんだ、と思った。
男って結構うんこ漏らすよね。結構な歳いってる人でも。サンプルが少ないから主語デカなのかもしれないけど。
私が働いている職場にいる男性(50代、独身)もうんこ漏らす。
もうひとり同じように独身で50代男性もいて、こっちもうんこ漏らす。漏らすっていうか、トイレにうまく出来ないのかうんこが便器からはみだしてる。
自分の肛門の位置?うんこが落ちるポジション?が把握できていないのか、便器の後ろ側(背後?)に落ちてしまうみたいで時々落ちてる。
てかさ、落ちたなら自分で片付ければよくない?自分のうんこくらい。なのに、そのままにして出てくる。あとからトイレ入ったらうんこ臭ヤバイし、そもそもうんこがある。おかしくない?普通、自分のうんこを他人に見られるのとか恥ずかしいと思わない??
なのに、そんなのが月に一、二度ある。
んで、トイレ掃除するのは職場で一番年下の、女である私。それが周知の事実なのに、自分のうんこを片付けない。
私はこんなのを何度か経験してるので、職場のトイレには極力入らないようにしているのだけど、掃除はしなきゃいけないから何度かうんこを片付けている。絞め殺したくなる。トイレきれいに使って下さいねー、とやんわり言うんだけど分からないらしい。うんこはみ出てんのわかってないのか?いや、もうトイレが臭いんだからどっかにうんこあるなってわかるじゃん。あんた、うんこしてから、うんこはみ出させてからもトイレ入ってんじゃん?そのときに、あ、うんこ出ちゃってたなとか気づかないん??
家族でもない私にうんこ片付けさせるのをなんとも思わないって何かの障害なのでは?
話を最初に戻すと、このうんこはみ出しマンとは別の50代男性ははみ出すどころか漏らしたことが数回。
運転中に漏らしたとかいって、しまむらでパンツ買ってきてと言われたのも同じ回数。しね。なんで私が家族でもない彼氏でもないやつのパンツなんか買ってこなきゃいけないんだよ。糞が。うんこか。
このひとも、便器からはみ出しとまではいかないけど、便器にうんこ付けてそのままにしている。
うんこが便器にこびりつくのはわかるとしても、そのときにトイレットペーパーで拭けばよくない?目の前にトイレマジックリンスプレーあるんだから、それをシュッとしてトイレットペーパーで拭けばそれで済むじゃん。
なのになにもしない。
なんなの?
あとこの二人に共通するのは、うんこマンというだけではなく片付けが出来ないということ。
ペン使ったらそのまま、カッター使ったらそのまま、引き出し開けたらそのまま、お茶のんだ湯呑もそのまま放置。
「ものを使ったら片付けましょう」って幼稚園で習わなかった?親に教えてもらえなかったの?
習ってたとしても覚えてないんだろうし、片付けなくても許される環境で育ってきたんだなぁと。で、この二人とも長男で実家住みなのが納得できるとこ。
ママに何でもかんでもしてもらってきてるんだろうな。ママがご飯作ってくれて片付けてくれてパンツも洗ってくれてるんだろう。パンツだろうが便器だろうが、うんこついてても何も言わない優しいママなんだろう。
片付けに関しても、大抵は恋人が出来て同棲したり、結婚したりして、他人と共同生活していくうえで
子供が出来てしつけをしていく中で自分も同じことを学んだりするのだろうけれど
こういう、ある程度の年齢になっても独身・実家住まいの長男はママが面倒見てくれるから赤ちゃんなところが消えないのだろうな。
仕事があって、安定した収入があって、税金を収める、一家を支える人間だとしても、自分のうんこを適切に片付けられない時点でうんこ以下だよ。
と、今日もまた職場のトイレにうんこがあるのを見つけたのでこれ書いた。
地獄への道は善意で舗装されているとか言うが母乳への道も似たようなものだ。WHOの指針なのか誰かの信仰なのか知らんが母乳の悪口は医療関係者及び育児雑誌には現れず初産婦はぼんやりとした「母乳の方がいいのか…?」という意識を植え付けられ気がつけば赤子の口に乳首を咥えさせられている。
赤子には3時間おきの授乳が必要であり、3時間といえども授乳開始からカウントが始まり3時間の休憩時間がある訳では無いということは少し真面目に調べれば分かる。そうすると養育者の睡眠や休憩時間の確保が問題となり、多くの場合対応策として夫の育休や里帰りが選択されると思う。しかし母乳育児の場合、特に所謂母乳が「軌道に乗り始める」までの間は頻回授乳となり、母体の休める時間はほぼ皆無である。これは母乳の場合、母体が授乳を行う必要があるから、と言うだけではない。仮にこれだけが理由であれば搾乳しほかの養育者に母乳を預け、母体は休むということができる。問題なのは母乳育児は開始とともにノンストップで母乳が生成されるため、胸の張りや不快感、ひいては乳腺炎の回避のために母乳を何らかの方法で排出しなければならないという問題である。胸に時限爆弾がセットされた状態ですやすやと眠り気分転換に出かけられる人間がいるだろうか?
私の夫は育休を1ヶ月取得したが、結局のところ夜間の授乳はほぼ私一人で行っていた。オムツ替え含め授乳に関連する赤子の世話はそれ自体は大人二人がかりでやるような難易度では無い。1人がオムツを替え、その後母体が授乳をし…とやる方が手間である。
私が理想としていた夫との育児は、例えば夜間は交代で授乳を行いもう片方は睡眠を取ったり、休日は交代で取り一人の時間を…というものであった。大変ではあるが、初めての育児、夫と協力し二人三脚頑張っていこう…
が、母乳育児の場合これはほぼ不可能であった。乳腺炎に脅えながら眠り、固く熱を持って痛む胸を抱えながら気晴らしに…何も楽しくなかった。そして母乳を与えている間夫は何もやることがないので手持ち無沙汰である。そうこうしているうちに夫の育休は終わり、彼は仕事に戻って行った。貴重で大事な1ヶ月はあっという間に終わってしまった。決して夫が育児をしなかったという訳ではない。泣き止まない赤子を2人で歌いながらあやしたのは、かけがえのない思い出だ。ただ、もっともっと理想に近づけたのでは?という後悔しかない。
それなら母乳育児からミルクに切り替えればいいのでは?と思われるかもしれない。しかし上述のように一度スタートしてしまった母乳育児はノンストップである。母乳をやめる、というのも一大事であり、動いている車を急ブレーキで止めたら乗員が怪我をするのと同じくいきなりはやめられない。ひやひやしながら少しずつミルクに置き換え、母乳の回数を減らし、少しずつ少しずつ母乳の生産を抑えていき、それでやっと解放されてくものである。(私は勘違いしていたのだが、母乳を止める薬というのはかなり早い段階でしか効果がないらしい)
私は現在母乳育児を完全にやめミルク育児をしているが、とても理想に近い育児ができている。夫や他の家族が授乳をすることができ、その場合に全く私にはダメージはない。睡眠時間も休憩時間も思い通りに過ごすことができる。赤子が欲する分だけミルクを与え、飲まないことによるストレスはかなり小さい。
私はもし次また出産することがあれば、絶対に最初からミルクにすると決めている。ただこの選択肢は、かなり意識的に調べないと出てこない。これはあのときの私に向けて書いている。知ってさえいれば今の時代いくらでも調べられるからだ。