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2017-06-23

https://anond.hatelabo.jp/20170623102303

それな。極論すれば、勉強しないと東大に入れないやつはいらない。しなくても入れるやつが手近にいない時だけ、自然体では勉強すらできないやつだけどと前置きして、仕方なく選ばれる。

承認欲求から解放されるのは大変なのでしょう

暴言女性議員とその友人と思しき人の怪文書(Facebookだが)を読んで,承認欲求って本当に大変だなぁと思いました.当方暴言議員と同じく東大出身現在は某大学ラボをもっています.このような承認欲求に囚われている人をどう解放するか,私の日々の悩みでもあるのでちょっと雑文でも.

進学校出身東大卒ありがちなんですが,その中でも承認欲求他者評価を得ることに貪欲な層が一定数います.本当に誤解されたくないのですが,東大卒がみんなそうじゃないし,本当に学問好きな人もいれば,ただのオタクもいるし,凡人っぽい人もいる.そういう意味では多様性はあります

で,この貪欲層って本当に扱いづらく,「自分が頭が良いことを人に示すために行動をする」という行為を取ります試験の成績が良いのも,その講義面白かったからでも(知的好奇心),成績が優だと就職の時に有利に働くから経済的インセンティブ)でもなく,ただ自分は周囲の人間よりもすごいということを示したい(承認欲求)がために勉強をするのです.本末転倒です.

試験くらいでは,それほど害はないのですが,ラボに入ってきて研究をすることになるともっと大変です.様々な学問分野でいろんな常識があるでしょうがラボの仲間は良き同僚であり,良きライバルでもあります.お互いに切磋琢磨して成長することは望ましいのですが,研究勉強と違って,わかりやすい1番がありません.Aという研究もBという研究もそれぞれ方向性が違うのですから.にもかかわらず,同期を威嚇するような進捗報告,自分がどれだけ頑張っているかを示す進捗報告など,とにかく自分を認めて欲しいアピールがすごいのです.

しかし,研究とは残酷もので,必ずしも学部時代の成績に沿って,研究成果が出るものではありません.いろいろな要因もあり,運もありますが,得てして楽しそうに研究をしている人のところに成果が出ると思います.私も東大出身ではありますが,遊び呆けていたわけではなく,それなりに真面目に授業に出ていましたが,全く成績は良くなく,優なんて数える程しかなかったものです.しかし,本当に面白いな,この人みたいになりたいなと思う研究者出会い,野垂れ死んでもいいやと思って研究をやり始めました.最初はまったく成果は出なかったですが,5年ほどかけてやっと成果が出始め,現在はCNSにも通るようになりました.そういう意味で私は遅咲きのタイプでした.

よく冗談試験前に勉強してないアピール優等生というのが出てきますが,そういう人は研究に最も向いていないタイプの人です.研究世界では,知識や知見は通貨であり,これらを交換し合うことで,人類研究世界は成り立っています.ギブ&テイクとは言ったもので,最初にギブした人の元には様々なギフトが降ってきます.一方で,得をしようとテイクばかりする人間からは人は離れていくのです.これが人徳に繋がるのかもしれません.

大体において,優等生は高いプライド邪魔をして,人に相談ができなかったり,しか自分は優秀だと認めてもらいたくて間違った努力に走ることがあります.その度に私は中島敦山月記の話をするのですが,頭が良い彼ら/彼女らには,ただの国語試験問題で読んだ文章としてしか理解されずに,本意は捉えられず,自分のことを認めない研究が嫌いになり(正確に言えば,自分が褒められないフィールドよりは,自分の優位性があるフィールドに移動したいというインセンティブが働き),研究と一切の関係がない外コンや官僚商社に去っていきます就職して大学を去る人たちにも研究面白さを伝えた上で卒業してもらいたいのですが,なかなか難しいようです.卒業生Facebookをみたときに,研究大学をひどく罵っている様子を見てしまい,自分教育者としてダメな部分を痛感します.ただ,浪人もして東大の中で劣等生であった自分が,傷ひとつない経歴の彼らの気持ちや行動原理がわかるかというと,なかなか難しいのも事実です.

外野から観測からですが,彼/彼女らは自分のことを好きではないのだろうな,だからダメ自分を信じてあげられないんだろうなと思います.かっこ悪い自分を見たくない,失敗したくない.それは誰もがそうです.しかし,「お前が信じるお前を信じろ」ができなければ,人生辛いと思うのです.他人バカにされようともいいじゃないですか.自分自分のことをすごいと思っていれば.俺はいつか成果を出してやるんだと思ってがんばれば.なぜ自分を信じてあげないのか,安易他者評価を,より正確にいうと,自分よりも圧倒的に頭の悪い他者評価を得ようとするのですか.そんな人たちに褒められるよりも,あなたの方が賢いのだからあなたあなた自身を認め,褒めてあげないと.

あの暴言は全く許されるべきものではないですが,暴言議員のあの咆哮も,山月記だと思えば,臆病な自尊心尊大羞恥心に依るものだったのでしょう.悲しいことです.

https://anond.hatelabo.jp/20170622220827

他の人からも色々意見があると思うし、人それぞれ合うスタイル合わないスタイルがあるからあくまで俺自身のケースでいうのだが、高校時代は全く勉強せずに遊んでいて、本当に正解だったと思う。

 

いま38歳なんだけど、振り返ってみると、「高校大学で好き放題遊んだ思い出」ってのは、自分人生に対する満足感を長きにわたってもたらしてくれるものだ。「俺は不幸な人生を送っている人間ではない」という漠然とした自信みたいなものは、仕事やら恋愛やらで辛いことがあったときの、回復力の基礎にもなっていると思う。

ちなみに俺は、遊びまくっていたと言っても、彼女がいなかったから、遊び人として不完全ではあった。イケメンではないし性格が変わってるほうなので、初めて彼女ができたのは大学に入ってからだ。

 

高校は、東大京大に行くやつもチラホラいる程度のそれなりの進学校だったんだけど、校風自由だったこともあり、俺を含めて一部の生徒は「勉強を頑張ろうと思ったことは一度もない」という感じで3年間を過ごしていた。

学校はけっこう好きだったので欠席はあまりしていないのだが、授業は嫌いなので年間200回ぐらいは遅刻していて、午後からどっかに行ってしまうこともあった。

 

勉強せずに何をしていたのかはイマイチ詳しくは思い出せないんだけど(彼女いなかったし)、似たようなタイプ友達が何人かいたので、そいつらとブラブラしていたという感じだ。バイトしまくりでカネが割とあったのと、土日は毎週競馬場に行っていたことは覚えている。

 

当時それが楽しかったのかというと、高揚するような楽しさはなかった(彼女いなかったし)と思う。色々難しい年頃だから漠然とした倦怠感や鬱屈もけっこうあったと思う。

だけど何かの義務に縛られて過ごすのではなく、けだるさの中で自由にできていたというのは、今から振り返ると「あの頃があってよかった」と思える記憶になっている。

 

当然、勉強してないから俺の高校の奴らが受けるレベル大学には受からないわけなんだけど、ありがたいことに親の経済力には余裕があったので、一浪してそこそこの国立大に進んだ。

 

で、ここからが言いたいことなんだが、その当時の周りの勉強とかもみていて分かったのは、大学受験必要な「集中して勉強する期間」は、だいたい1年から2年の間だってことだ。3年間頑張って勉強しても上積みはあまりないし、半年とかだと分量的に受験の最低限の範囲カバーできないことが多い。

1年頑張るか2年頑張るかで、行ける大学の幅が多少は変わるが、2年やって受からない大学に、3年やって受かるのかは疑問だ。

 

ということは、現役で大学に進む前提で、かつ勉強期間を2年確保するとしても、高校1年の間は遊びまくってて全く問題がないという結論になる。浪人まで覚悟し、かつ1年で行ける大学でいいやと割り切れば、高3まで遊んでいても問題はない。

ちなみに浪人の1年間は、現役の1年間の1.5倍ぐらいの効率勉強できるから、高3の4月から勉強を頑張って現役で進学した奴よりもいい大学に行ける可能性がある。

ざっくり言えば、「高2の夏休みぐらいか気合いれて勉強して、現役で受かる大学」=「浪人してから気合い入れて1浪で受かる大学」=「自分能力の上限レベル」という理解でいいと思う。

 

なお、就活などを経るとわかるのだが、だいたい3浪の年齢ぐらいまでは差別されないことが多く(新卒採用で25歳までのところはチラホラあったが、それ以下は見たことがない)、浪人はべつに人生のハンデにはならない。

というわけで、今はひたすら遊んでいて何の問題もないと思えばいいと思う。

 

あと一つ言いたいことがあって、高校卒業してから人生の進み方なんて、本当に予測不可能

はいま、色々あって世間的にはトップ校に数えられる大学教員になってしまったんだけど、高校生の時点ではこんなことになるとは思ってもみなかった。

色々な偶然の出会いによって、自分も色々と変わっていく。俺は大学に入ってから大学単位を取るための勉強高校以上にサボりまくったから、卒業がやばかったんだけど、一部関心を持てる分野があって、そこについてはべつに苦労することもなく気づいたら知見が蓄積されていて、修士まで出たあといったん企業就職し、その後博士課程に戻って博士号を取り、研究職にまでなってしまった。いい先生と偶然出会えたのも大きい。

 

勉強量がある程度モノを言う職に就いてしまった今でも、「高校の時にもっと勉強しとけばよかった」とはべつに思わない。もちろん、中高生の頃から真面目に勉強しまくってた先生も周りにはけっこういて(逆に遊びまくってた先生も意外といる)、かなわんなと思うけど、別にはいいやって感じ。

俺は東大には入れなかったけど、浪人1年の労力ではいれる大学で十分だったと思うし、なにより自由に過ごした(彼女はいなかったけど)数年間が俺の人生にあったという記憶は、今の俺のさまざまな気力・精神力を支える一つのベースになっていると思う。

2017-06-22

https://anond.hatelabo.jp/20170622220827

彼女彼氏と付き合えるなら付き合え。

そうでなければ(学問とかスポーツとか役に立ちそうなことで)熱中できるものを見つけろ。

さらにそれもできなければ受験勉強に専念しろ目標は高く東大を目指せ。

同性の友達とダラダラ遊ぶだけなら大学生か最悪社会人からでもできる。

2017-06-19

2番じゃだめなんですか?

蓮舫代表のせいじゃない。中国が頑張ったんだ。

スーパーコンピューター計算速度の世界ランキング「TOP500」が19日、ドイツで開催中の国際会議で発表され、中国勢が9連覇を達成した。トップは昨年11月の前回と同じ中国無錫スパコンセンターの「神威太湖之光」で、2位も中国だった。

 日本勢は東大筑波大の「オークフォレストパックス」が7位、理化学研究所の「京(けい)」が8位で、いずれも1つランクを落とした。前回8位だったスイスが3位に上がった。

http://www.sankei.com/economy/news/170619/ecn1706190020-n1.html

中国が一番になったのは蓮舫代表のせいじゃない。

日本が7位なのは事業仕分けのせいじゃない。

日本の国力が衰退しているのは民進党のせいじゃない。

2017-06-14

増田トゥルーマンショー問題

ちょっとから増田投稿をはじめた。

最初はその日の気分とかを一行二行書き殴ってハイおしまい、といったような使い方だったが、そんな駄文以下の文字列にでもコメントをくれる人がいるもんで、コメントをもらうと嬉しくなってくるのが人情である扇動による木登り速度が豚よりも速いと評判の俺はすぐさま調子に乗って色々書き始めた。

だが、俺自身にはさしたるバックグラウンドがない。名家出身だとか、幼少期に大事件に巻き込まれたとか、大病を患ったとか、同級生にスゴいやつがいたとか、猛勉強して東大に入ったとか、その手の「他人とはちょっと違う体験」などが、圧倒的に無かった。

そうなると自分語りネタなぞ三日やそこらで尽きる。かと言って創作増田を書けるような文才もなく、「〇〇と言えば」系のお題も思い浮かばない。そもそも他人が下着のことをパンツと呼ぼうがパンティーと呼ぼうがどうでもいい。

だが承認欲求は満たしたい。そんな浅薄な俺が選んだのは「自作自演」だった。互助会も魅力的だったが、いちいち他人ブログをチェックしてコメントを残さないといけないと知って止めた。

俺が増田投稿する。その増田に俺が返信をつける。さらにその増田に俺が返信をつける。そんな事を繰り返していくと、ブコメスターがチラホラとつく。「おああーーーっ。あーっ。いけない。いけないやつだこれ。」などとコメントするだけで800以上のスターをもぎ取っていく大物ブックマーカーからすれば、俺の自作自演につくスターブコメはまさに塵芥に等しかった。自作自演してその程度だったが、それでも俺は結構満足していた。


変化があったのは先週だ。いつものようにクソ下らないやりとりを増田自作自演していた俺のスレッドに、全く関係ないやつが割り込んできたのだ。

はた目から見れば、おかしことな特にないように見える。だが、そのスレッドのアホみたいなやりとりをしているのは、俺と、誰かも分からない奴の二人だけなのだしかも俺の書き込みが大半を占める中、「俺ではない何者か」の書き込みは1件だけ。

例で言うと、ちょっと前に「零戦が飛ぶのが不快」っていうホッテントリがあったと思うが、あの長いやり取りをしているのは9割俺で、たったひとつ書き込みだけ「俺ではない何者か」っていう状態である

いや、確かに今までも自作自演エントリ中に俺以外の奴が書き込んでくる事はあった。ただ、今回の書き込みは、何と言うか、その・・・俺のことを知っているんじゃないかと言うか、見られてるんじゃないかと言うか、自作自演がバレてるんじゃないかと言うか・・・。単純に言えば、気味が悪かった。シュタインズゲートってゲームの中で、主人公がいきなり「お前を見ているぞ」ってメールを受信する場面があるが、今俺が抱いている感情はあの場面に近い。

この前の土日は、「えっ、もしかして自作自演ってバレてる?って言うか、俺の個人情報漏れてる?って言うか、俺の住所知ってる?」などの考えが脳裏をよぎりつつ、不安と恐怖に苛まれながら週末を過ごしていた。


そういう事を考えているうちに、ひとつ映画が思い浮かんだ。表題にある「トゥルーマンショー」だ。この映画を知らない人向けに簡単説明すると、映画セットの中で何も知らずに暮らしている男の話だ。男は普通に人生謳歌しているが、実は無数の監視カメラ24時間撮影され続けており、その様子は全国放送されている。家も、街も、友人も、妻さえもすべてが造り物であり、男だけがその真実を知らない。

映画の続きが気になる方は直接本編を見てもらうとして、ここでは俺の抱いている不安の話だ。一瞬でも「もしかすると、はてな匿名ダイアリーにまじめに投稿しているのは俺だけで、俺以外の増田は全部はてな運営が書いている」「俺の個人情報は全国に晒されていて、俺が増田投稿すると通知が飛ぶ」「それを見た一般大衆は『またクセエ自作自演してるな』とニヤつきながらスマホディスプレイを眺める」といった場面を想像してしまうと、もう脳裏にこびりついてしまって振り払う事ができない。

少し前の俺なら、「そんな事あるわけねえだろ」とタカを括っていられたが、あのエントリが、あのコメントが、あの増田が、俺を呪縛から解き放ってくれない。あれは絶対に俺の事を知っている奴にしか書けないコメントだ。

昨日は会社PC仕事そっちのけで「増田 正体」「はてな 自作自演」とかのキーワード検索していた。だが、俺の知りたいような情報は一切ヒットしなかった。当たり前だ。このPC監視されていて、俺に都合の悪い情報遮断されているに決まっている。昼休みに、同僚にスマホを借りて同じようなワード検索してみた。こっちでもヒットしなかった。クソ、手が込んでるな。だが俺は見た。俺が「スマホを貸してくれ」といった時の同僚の怪訝な顔を。いけしゃあしゃあと「いいけど、何に使うの?」等とのたまっていたが、お前のその怪訝な表情は一切隠せてないからな。しかし今思えば、あれは失敗だった。俺が世界の謎に気付いているという無用情報を渡してしまっただけではないのか。いや、どうせPC検索履歴から過去女性経験から全部赤裸々になっているんだ、今更引き返せない。

決意して、上司LINEに「申し訳ありませんが、本日より2日~3日程度有休を頂きたいのですが、よろしいでしょうか」と送ったのがついさっきだ。上司からは「えらく急だね。いいよ、了解」というすっとぼけた返信が届いたが、そんな態度でいられるのも今のうちだからな。俺は必ず世界の真理、人類の根源、至るべき場所に到達してやるからな。これはこの増田を見ているお前たちへの宣戦布告でもある。首を洗って待っていろ。

2017-06-12

http://anond.hatelabo.jp/20170612100202

東京一工クラス卒業生居住地分布を取ると、明らかに東京等の都市部に偏る

のは、金銭的な問題東京での一人暮らし生活費を出せない)もあるのでは

地方秀才って東大行くより地元医学部目指したりするよね

その方が無理に東京大学行くより実家から通えて学費生活費も安くて将来安泰だから

千代田区公立中学とかどう?

途中までは大体あっているけど、違うと思う点をいくつか。

>即ち、東京には、あなた方が通った、玉石混交公立学校存在せず、否が応でも玉か石かを選ぶ必要があるのです。

ここが違うかな。

玉と石を単純に学力と進学大学だけ、で考えることとしよう。

 (その仮定の是非はさておき)

そうすると、東京地方の違いは次の通りじゃないか

東京の玉はある程度の部分が有名私立小、中にいっている

まあ増田のいうとおり、セレクションは多くが受けるからね。

 →他方、日比谷高校東大実績からも分かるとおり、そのクラスの玉は普通に公立中学校に残っている

 >当方東京一工のいずれか

 であれば、中学校受験で受かった中高、半分が明治大学クラス学力学校に進んでいるとすれば、その学校いかせたいですか?

 http://toyokeizai.net/articles/-/150729?page=2

 この記事に書いてあるとおり、

 >最終的には早慶以上の大学に行かせたい親は多い

 のが現実ではないかと。

 であれば、公立中学校に進学し、 高校受験日比谷受かって東大目指す環境子どもいれたくないですか?

 

 それが結果としては公立中学という実績になるのですよ。

そもそも教育投資している額や熱量東京地方で違う

 →教育自体遺伝云々よりも親の教育環境に大きく左右される。親が準備する教育環境は親の学歴にある程度依存刷る

 →東京一工クラス卒業生居住地分布を取ると、明らかに東京等の都市部に偏る

  →学力だけの玉石比率そもそも東京部のほうが玉の比率が高いという仮説がなりたつ

以上2点から東京公立中学でもある程度玉石混合になっている

一方これは地域依存かもしれない。

 公立中学に荒れたリスクの少ない自治体(例えば千代田区等)の公立中学は玉石残ったままだが 足立区等はどうだか分からん・・・

 

ぶっちゃけ、ある程度収入があるのなら、私立中受験して、平均早慶以上の進学実績のある所に受かったらもちろん進学。

そうでないのなら、千代田区文京区港区あたりに引っ越すのがいいのかもしれん。

例えば東大本郷キャンパスの近くにある6中とか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E4%BA%AC%E5%8C%BA%E7%AB%8B%E7%AC%AC%E5%85%AD%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1

東大生が来て教えてくれるらしいぞ

http://www.bunkyo-tky.ed.jp/dairoku-jh/schedule/ouen.html

高い家賃払うの3年間だけだしね

こういうの、偏見なので、増田しか かけないね

http://anond.hatelabo.jp/20170611193846

2017-06-11

続・白紙に戻せぬ遣唐使教科書の読み比べ)

http://anond.hatelabo.jp/20170611183038

これのつづき。今回も文字数制限にひっかかったので、分割します。

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

一方、インドの僧菩提、林邑(ベトナム中部)の仏哲、唐僧鑑真らの外国人も、遣唐使船に便乗して来朝し、インド西域東南アジア文化を伝えた。

遣唐使船は日本人が唐へ往来するためだけではなく、外国人日本に招くためにも使われていたのです。「遣唐使」「鑑真」というのは中学生レベル用語です。しかし、この2つを結びつけて説明できる人は案外少ないんじゃないでしょうか?

ちなみに、山川の『日本史B用語集』によると、菩提僊那、仏哲という用語を載せている教科書は、唯一これだけみたいです。しか桐原書店は彼らの業績を説明するための註を設けている徹底ぶりです。入試問題になったら難問だと思いますが、大切なのはこういう人名を丸暗記することじゃなくて、東大寺大仏開眼供養会はインドベトナム出身僧侶たちも参加していた国際色のあるイベントだった、それは遣唐使船がもたらしてくれたものだということでしょう。

  

日本がしばしば新羅従属国として扱おうとしたため、両国関係はしばしば緊張した。しかし、日本遣唐使が唐において新羅人に助けられることもあった。」

これもこの教科書に独特の記述です。遣唐使新羅人に助けられたというのは、円仁著作『入唐求法巡礼行記』のことを念頭に置いているんでしょうか?

また、上掲の講談社日本の歴史シリーズから引用すると、次のような話もあります

遣唐使派遣が間遠になり、日本の船が唐まで行かないなか、それでも求法の念止みがたいとなれば、来航する新羅船を利用するしかない。そしてまた新羅商人たちは、概して好意的に彼らを助けたのであった(坂上早魚『九世紀の日唐交通新羅人』)。こうして入唐と研鑽を果たした天台真言の平安仏教旗手たちが、仏教の使命は鎮護国家にあるとする考えに則り、護国の修法による新羅調伏を担うことになったのは、実に皮肉なことであった。

  

坂上康俊『日本の歴史05巻 律令国家の転換と「日本」』

  

  

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

このころ唐では、みずから世界の中心とみなす中華思想が強まり、周辺の国々を夷狄として見下す考えが生まれていた。この考え方は日本にも影響をあたえ、朝廷新羅や、朝廷に服属しない東北九州南部の人びとを蝦夷隼人とよんで夷狄として蔑視しはじめた。

朝廷東北地方九州南部進出した経緯を説明する際、そこには中華思想の影響があったことを説明しています。それに絡めて新羅との関係にもちょこっと触れているので、先にとりあげた東大入試問題を解くときのヒントになるでしょう。

もっとも、この点はやはり、山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)の方が優れています。私が先に引用した箇所のすぐうしろ([後略]とした部分)では、朝廷が「東北地方蝦夷九州南部隼人異民族夷狄)として服従させ」たことを説明し、「律令国家が蛮夷を服属させる帝国であることを内外に示した」と結んでいるのです。

それに比べると、三省堂教科書は、遣唐使中華思想という2つのものを関連付けて理解することが不可能です。

  

  

  

東京書籍日本史B』(日B 004)

遣唐使8世紀には6回、9世紀には2回派遣され

実教出版にも「奈良時代遣唐使は6度派遣され」たとありますが、東京出版9世紀のことも記述していてグッド。

遣唐使は894年、菅原道真の建議で廃止されました。ですから9世紀末まで遣唐使派遣する制度は残っていたはずなんですが、8世紀と比べるとその回数がめちゃくちゃ減っていることが分かるでしょう。

理由は、日本がもはや唐から学ぶべき必要・意欲がなくなってきたこと、唐が政治的混乱に陥って衰退したことによる国威の低下、商船の往来が活発になったことで日本が唐に朝貢をしなくても舶来品を入手できるようになったこと、などです。

これがさっき桐原書店のところで述べた話にもつながっています時代が9世紀(すでに平安時代)になっても、仏教では唐に確固たる先進性がありました。だから日本僧侶たちは唐に留学することを熱望したのです。しか朝廷遣唐使派遣積極的ではなく、彼らは新羅商人の助力を得なければ、渡航が困難という状況だったのです。

  

[引用者注:702年の遣唐使派遣の再開について] その目的なかには、「日本」という国号を認めさせることも含まれていたと考えられる。

東京書籍教科書にだけある、この一文。「日本」がはじめて国際社会に登場したのがこの時点だったと言っているんです。

これ、すごいことを言っていますよ? 「日本」が太古の昔から存在したという皇国史観に対する強烈な一撃です。

ちなみに、このとき天皇」は国際デビューしていません。倭国はなんとかして「日本」への国号変更を唐に認めさせることはできても、皇帝にあたる「天皇」という称号を用いて唐と対等外交をする力がなかったのです。唐では天皇のことを「日本国王主明楽美御徳」(日本国王メラミコト)と呼んでいたようです。もしかしたら当時の日本朝廷内では、「スメラミコトは唐の皇帝に臣従したが、天皇は臣従していないか日本国王ではなく、したがって日本は唐の朝貢国ではない」という回りくどい官僚的答弁があったかもしれませんが、その点は不明です。このような高度に政治的問題は、国史編纂ときに巧妙な隠蔽がおこなわれるからです。(上掲の講談社日本の歴史シリーズ青木和夫著の中央公論社日本の歴史3巻 奈良の都』を参照せよ)

  

さて、これは東京書籍にかぎらず、多くの教科書でそうなのですが、古代史において「天皇」「日本」という表記を用いるときには慎重になっている様子がうかがえます。例えば白村江の戦いでは、唐・新羅と戦った国が「日本」ではなく、「倭」倭国」「朝廷」等の表記になっています

なぜ教科書がこんな表記になっているかというと、「天皇」「日本」という称号国号は、ある時期の特定政治状況のもと、人為的に作られたものからです。具体的には天武朝(673年~686年)のころ、大王とその国を神格化する目的で、初めてこれらの称号国号使用が開始されました。ですから、もし神と同一であるところのその「天皇」、その神のおさめる国である日本」が、天武朝より遥か昔から存在していたかのように記述するならば、それは皇国史観に他なりません。

無論、教科書では便宜的に仁徳天皇推古天皇というような表記が使われていますけど、古代史における「天皇」「日本」という表記の取り扱いについては一応注記が設けられていたりします。例えば『詳説日本史』は壬申の乱ののち、天武天皇が「強力な権力を手にし」て、「中央集権国家体制形成を進」めていく過程で、そのころに「大王にかわって「天皇」という称号が用いられる」ようになったと書いています。同社の参考書『詳説日本史研究』はそこがもっとクリティカルです。「大王から天皇へ」というコラムで、「天皇」という称号が天武朝に始まることの歴史学的な検証を載せ、唐の皇帝が一時「天皇」と称していたのを知った日本側が模倣したという説を紹介しています

こういう細かな表記へのこだわりからも、各社の教科書がどんな史観に基づいているかを見ることができるはずです。

公立中学推し地方出身父親の皆様へ

当方地方出身。よくある話で、東京育ちの妻と子供教育方針についての話が合わなかったが、漸く一定の理解に至ったので、同じ境遇の人のために備忘します。

【よくある現象

東京育ちの妻は、当然のように子供中学受験させたがる。

地方育ちで、公立校しか行ったこと無いにも関わらず、それなりの学歴(当方東京一工のいずれか。)の場合子供私立中学に入れる意味が分からない。

【今回気付いたこと】

●この場合、良く「東京私立が優秀だが、地方公立が優秀」という議論になるが、これは本質ではない。

本質は「入学者の選別を行うプロセス存在するか、しないか」という点。

地方場合公立中学は全入の所も多く、また、優秀な生徒に取っても他の選択肢はない。結果として、地方公立中学高校は、玉石混交となる。(選別プロセスが無いため、東大クラスの生徒も混じる。)

東京場合、選別プロセス複数回まれるため、多くの場合、石ばかりが公立中学高校に残ることとなる。

まりは、地方公立(玉石混交)と東京公立(石のみ)は全く違うものであるし、どちらも優秀とされる、東京私立(玉のみ)と地方公立(玉石混交)もやはり選別の有無、という意味で異なるのである

即ち、東京には、あなた方が通った、玉石混交公立学校存在せず、否が応でも玉か石かを選ぶ必要があるのです。

それでも石を選びたい地方出身父親の皆様は、当時のヤンキー達だけが残った母校に通う自分の姿を想像したうえで、もう一度奥様の話を聞いてみてはどうでしょうか?

白紙に戻せぬ遣唐使教科書の読み比べ)

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない」

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの筆者です。

id:netcraft3さんに「このままシリーズ化してほしい」と言われたんですが、そのつもりはないです。歴史学に対してろくな知識もないから恥をかきそうだし、人気の増田国会ウォッチャー)みたいに注目をあびるのは恐ろしいです。

  

なので今回で最後になるかもしれませんが、ひとまず「遣唐使」について見ていきましょう。

山川出版社『詳説日本史』の「遣唐使」という項は、次のように書かれています。全文引用します。

618年、隋にかわって中国を統一した唐は、東アジア大帝国をきずき、広大な領地を支配して周辺諸国に大きな影響をあたえた。西アジアとの交流もさかんになり、都の長安(現、西安)は世界的な都市として国際文化が花ひらいた。

東アジア諸国も唐と通交するようになり、日本から遣唐使は8世紀にはほぼ20年に1度の割合で派遣された。大使をはじめとする遣唐使には留学生・留学僧なども加わり、多い時には約500人の人びとが、4隻の船にのって渡海した。しかし、造船や航海の技術はまだ未熟であったため、海上での遭難も多かった。遣唐使たちは、唐から先進的な政治制度国際的文化をもたらし、日本に大きな影響をあたえた。とくに帰国した吉備真備や玄昉は、のち聖武天皇に重用されて政界でも進出した。

朝鮮半島を統一した新羅とも多くの使節が往来したが、日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた。8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった。一方、靺鞨族や旧高句麗人を中心に中国東北部建国された渤海とは緊密な使節の往来がおこなわれた。渤海は、唐・新羅との対抗関係から727(神亀4)年に日本に使節を派遣して国交を求め、日本も新羅との対抗関係から渤海と友好的に通交した。

これはひどい遣唐使派遣再開が何年だったかという記述がありません。

そもそもこの派遣が再開であるという基礎知識すら、この教科書では把握できません。ページを戻って第2章「1,飛鳥の朝廷」の「東アジアの動向とヤマト政権の発展」という項では、「倭は630年の犬上御田鍬をはじめとして引き続き遣唐使派遣し」たとあるのですけど、その後にしばらく派遣を中断した時期があることは記載なし。

一時期は中断していたからこそ、702年の派遣再開に歴史的意義があります。第1回の遣唐使派遣が630年ですから、何と、まだ大化の改新をやっていない時代ですよ? それくらい古い時代から派遣していたにもかかわらず、多くの教科書8世紀初頭の出来事として遣唐使のことを説明するのはなぜでしょうか。それは再開というターニングポイントを重視しているからです。本書もそれに従って、「3,平城京時代」という単元に「遣唐使」の項を配置しています。それならば、中断・再開の経緯について説明を載せるべきです。

  

ちなみに、他の教科書では、遣唐使派遣再開についての説明が次のようになっています

7世紀前半にはじまった遣唐使は、天武・持統天皇時代にはしばらく中断されていたが、702年久しぶりに難波津を出発した。」

東京書籍日本史B』(日B 004)

「また政府は、8世紀のはじめに遣唐使派遣して、669年以後とだえていた唐との国交を回復した。」

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

「日本は唐の文化積極的にとり入れようと意欲をもやし、ほぼ20年に1度くらいの割合で遣唐使派遣した。」

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)

白村江の戦いののち、30年あまりとだえていた唐との国交が、701(大宝元)年の遣唐使任命によって再開され、以後、遣唐使がたびたび派遣された。それまで、半島から渡来人新羅などに学びながら、ある程度の国家体制を整えてきたが、この年の大宝律令とともに、唐との直接交通を始めたのである。」

桐原書店新日本史B』(日B 011)

律令制度を整えた朝廷も、702(大宝2)年に遣唐使を復活させ、唐の文物制度摂取につとめた。[中略]

こうしたなか、朝廷は新都の造営や貨幣鋳造、国史の編纂などを次々に実行して、中央集権体制にふさわしい国家づくりに励んだ。」

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

引用者注教科書のページを戻って「白村江の戦い国内体制の整備」の項では、白村江の戦いののち、遣唐使が「669年を最後に中断した」という記述あり。]

この中では、桐原書店ダントツに優れていると思います

遣唐使が中断していた理由もわかるし、大宝律令の制定と遣唐使の再開という2つの出来事を結びつけて理解することができます

  

三省堂記述おもしろいです。私は前回、この教科書について、「時代の流れがよくわかる」「時系列にしたがった記述が多い」というようなことを書きましたけど、ここでもその特徴が出ています

大宝律令の制定、平城京への遷都、貨幣鋳造、国史編纂というのは国内政治です。一方、遣唐使新羅・渤海との関係は、外交政策です。普通教科書はこれを別項に分けますが、三省堂はこれを同じ項にまとめて一つの時代様相として語っているのがすごい。

  

東京書籍実教出版も、中断・再開に触れています。その点は『詳説日本史』より絶対にマシです。

  

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)は、教科書のページ数が少なくて、内容もぺらぺらに薄いです。『詳説日本史』と同様、これでは大雑把に奈良時代の初め頃だったということしか分かりません。(しかも正確には702年に派遣再開されたので、これを奈良時代出来事と把握すると誤りになります)

  

  

  

東大入試でよくわかる遣唐使

東大入試2003年)は、遣唐使の本質にせまる問題を出しています

次の(1)~(4)の8世紀の日本の外交についての文章を読んで、下記の設問に答えなさい。

(1) 律令法を導入した日本では、中国と同じように、外国を「外蕃」「蕃国」と呼んだ。ただし唐を他と区別して、「隣国」と称することもあった。

(2) 遣唐使大伴古麻呂は、唐の玄宗皇帝元日朝賀(臣下から祝賀をうける儀式)に参列した時、日本と新羅とが席次を争ったことを報告している。8世紀には、日本は唐に20年に1度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。

(3) 743年、新羅使は、それまでの「調」という貢進物の名称を「土毛」(土地の物産)に改めたので、日本の朝廷は受けとりを拒否した。このように両国関係は緊張することもあった。

(4) 8世紀を通じて新羅使は20回ほど来日している。長屋王は、新羅使の帰国にあたって私邸で饗宴をもよおし、使節と漢詩をよみかわしたことが知られる。また、752年の新羅使は700人あまり大人数で、アジア各地のさまざまな品物をもたらし、貴族たちが競って購入したことが知られる。

  

設問:この時代の日本にとって、唐との関係新羅との関係もつ意味にはどのような違いがあるか。たて前と実際の差に注目しながら、6行以内で説明しなさい。

これの答えがピンポイントで載っている教科書があります

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)です。これ以外は、どの教科書も上記引用した『詳説日本史』と似たり寄ったりの内容ですからいくら熟読をしても答案を書くことが難しいと思います。(三省堂のぞく。後述)

8世紀に入ると、日本は20年に1度の回数で大規模な遣唐使派遣した。日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢であり、使者正月の朝賀に参列し、皇帝を祝賀した。[中略]

一方、日本の律令国家内では天皇皇帝であり、日本が中華となる唐と同様の帝国構造を持った。日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけており、従属国として扱おうとした。

白村江の戦いののち、朝鮮半島を統一した新羅は、唐を牽制するために日本とのあいだにひんぱんに使節を往来させ、8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった。やがて対等外交を主張したが、朝廷はこれを認めず、藤原仲麻呂新羅への征討戦争を準備した。一方で、新羅民間交易に力を入れ、唐よりも日本との交流が質量ともに大きくなった。現在の正倉院に所蔵されている唐や南方の宝物には、新羅商人仲介したものが多いと考えられる。[後略]

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)

以上に準拠しながら、私なりに要点をまとめておくと、次のとおりです。

  

(1)は、日本が唐から律令を学び、その中華思想の影響を受けたことを言っています。つまり、日本はみずからが「中華となる」という「帝国構造」を作ろうとしたのです。「日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけ」て、彼らを野蛮だと侮蔑し、従属国として扱おうとしました。ですが、唐だけは別格です。あのような大国を敵にまわすと、恐ろしいことになりかねません。そういう遠慮があって、唐のことだけは尊重して隣国と呼びました。

(2)は、「日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢」をしていたということです。唐の臣下となって朝貢する国々の中にも、その立場にはランクがありました。日本と新羅はともに唐の臣下だったのですけど、日本は新羅より格上の臣下になろうとしたのです。

(3)は、日本と新羅関係悪化について述べています新羅が「8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった」ので、その間は関係がうまくいっていました。しかし、新羅が「やがて対等外交を主張」するようになったから、両国関係はこじれてしまったのです。それが最終的には藤原仲麻呂が「新羅への征討戦争を準備」するくらいにエスカレートします。

(4)は、日本と新羅政治的には対立しつつも、経済的には交流が盛んだったという内容です。「新羅民間交易に力を入れ」ました。「新羅商人仲介し」、日本へ「唐や南方の宝物」をもたらしたのです。それは貴族たちが競って購入したがる垂涎の的でした。現在「正倉院に所蔵され」ている宝物も、そういうルートで輸入したものが多いのです。

  

教科書の読み比べをすることの目的は、なにも入試対応するためだけではありません。

例えば『詳説日本史』には、最初引用したとおり、「日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた」とか、「8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった」という記述があります。この短い記述が伝えようとしていることの本当の意味は、『新日本史B 改訂版』(日B018)のような他の教科書と併読することにより、はじめて正確に把握できるのです。

  

ところで、この教科書の著者は、東大の先生が3人、京大の先生が1人です。本書だけに載っているネタを使って入試問題がつくられたのは、そのへんの事情もあるのかなと勘ぐってしまます

もしくは、これは2003年入試問題ということだから、ちょうど講談社の『日本の歴史シリーズ2000年2003年)が発行されていた時期ですし、そちらの内容を意識しているのかもしれないですね。一応、そっちのシリーズから引用しておきましょう。

国内及び新羅などの諸国に対する時と、唐に対する時とで天皇の顔を使い分けるという、まことにすっきりしない状況でもあった。このような努力・苦心を払って日本が手に入れようとしたのは、東アジアの有力国としては新羅より格が上、という地位の確認であり、また初期の遣唐使が唐の高宗蝦夷を見せたことに示されているように(『日本書紀』斉明五年七月三日条)、日本は隼人蝦夷などの異民族をも支配下にいれた大国かつ君子国であるという評価であった。いわば唐を盟主とする諸国の中での相対的に高い地位を求めるとともに、自らの小帝国であることを唐に認めさせようとしたのである。(石母田正天皇諸蕃』)

  

坂上康俊『日本の歴史05巻 律令国家の転換と「日本」』

さきにもふれたように、「日本国」は唐帝国との公的な外交関係では「天皇」の称号を用いることができず、実際には二十年に一度の使い――遣唐使――を送る唐の朝貢国位置づけられていたと考えられるが(東野治之「遣唐使船」朝日新聞社、一九九九年)、国号「倭」から「日本」に変え、「天」をつけた王の称号を定めたのは、唐帝国に対し、小なりとも自ら帝国として立とうとする意志であったことも間違いない。

実際、「日本国」は「蛮夷」を服属させる「中華」として自らを位置づけ、「文明」的と自任するその国制を、周囲の「未開」な「夷狄」におし及ぼし、国家領域を拡げようとする強烈な意欲を、その発足当初は持っていたのである

[中略]

このように、朝鮮半島に対しても圧力を加えて、朝貢を強要する姿勢を示す一方、「日本海」をこえてたびたび使者を送って交易を求めてきた渤海については朝貢国として扱うなど、「日本国」は自らを「中華」とし、帝国として四方に臨もうとしていた。しか東北侵略を止めた9世紀に入ると、こうした「帝国主義」的な姿勢列島外の世界に対する積極的な動きはしだいに退き、十世紀になれば、ほとんどそれは表に現れなくなっていく。

  

網野善彦日本の歴史00巻 日本とは何か』

日本が置かれている立場としては、唐への朝貢という屈辱外交をやめるためには、遣唐使派遣を中止するしかないわけです。しかし、日本は唐と断交して敵対的にのぞむ国力も、その覚悟もありませんでした。

いっぽう、遣唐使は唐の皇帝から賜った国書日本国王へ勅す)を持ち帰るわけにはいきません。日本が唐に朝貢していると認めることは、天皇の威信を傷つけることになるからです。

こうなると、実際には日本が唐に朝貢していることが明らかなのに、国内での建前としてはそれを否定してみせる必要が出てきます。要するに、「遣唐使派遣は朝貢ではない。天皇が唐に臣従しているという批判は当たらない」という建前をでっちあげ、国内的にはそれをゴリ押しすることで、この矛盾を乗り越えようとしたのです。

  

私がこのエントリ題名に「白紙に戻せぬ遣唐使」と付けた由来は、多分みなさんもご存知の、894年に遣唐使が廃止されたことを指す語呂合わせ「白紙に戻そう遣唐使」です。しかし、日本がほんとうに、この"遣唐使"的なるものを白紙に戻せたかというと、それは甚だ疑問です。為政者国内国外で異なる顔を見せたり、外交姿勢の実態と建前を使い分けているというのは、室町時代に明に朝貢して「日本国王」となった足利義満に、ほとんどそのまま適用できる視点だと思います

それに、このことは現代外交問題についても、重要示唆を与えてくれます。例えば政府国内に向けて愛国心ナショナリズムを煽っておきながら、それと同時に国外に向けて国際協調アピールをするというチグハグな状況は、まさにこの延長にあるんじゃないでしょうか。

あるいは唐側の視点で見ると、日唐関係はこんな見方もできるかもしれません。唐は日本がおとなしく朝貢するかぎり、細かいことに目くじらを立てなかった。唐としては蕃国をヘタに刺激して事を荒立てるより、多少その尊大なふるまいを黙認しておく方がメリットがあった。すなわち唐は日本と妥協しあって、朝貢関係があるとも無いとも、どちらとも言える状況を作りあげた。――こういう分析がどれだけ妥当か分かりませんけど、2国間に争いがあるとき玉虫色の決着をつけ、両国政府がそれぞれ自国民の耳に心地よい解釈で説明をしているというのは、これまた現代によく見かける話でしょう。

  

  

  

教科書の読み比べ

遣唐使についての解説が長くなりすぎましたが、じゃあここから、各社の教科書の読み比べをしていきます

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

遣唐使船はふつう「よつのふね」とよばれ、1隻に100人まりが乗りくみ、多い時で約500人の大使節団であった。

悪くはないですが、遣唐使について普通説明があるだけです。

おもしろい特色がありません。

無理に良い所探しをするなら、「よつのふね」という文学的呼び方を紹介し、その規模がいかに大きかったかを強調していることです。

華々しく飾り立てた大使節団というのは、それを送りだす側も、それを受け入れる側も、両国にとって国威発揚イベントになったと推測できますもっとも、沈没行方不明になることも多々あったので、華々しさとはかけ離れたのが実態だったかもしれませんし、どうなのでしょう?

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

  

……って、今回はここで文字数制限なのか。

引用をしていると、あっというまに文字数が膨らみますね!

つづきを書きました→ http://anond.hatelabo.jp/20170611234459

http://anond.hatelabo.jp/20170611152545

東大に入れるようなやつはその地方国立に受かっているか

この一文の意味すら読み取れない奴が増田にいるという例

マジレスならやばい

ネタレスならおもろいけどさ

http://anond.hatelabo.jp/20170611151813

マジレスすると国公立は同日程だから東大地方国立を同時に受かることはできない。

地方国立前期、東大後期のパターン不可能ではないけどその選択肢は頭おかし

地方大の偏差値と都会の大学偏差値意味が違う

都会から出たことない人、地方出身でも都会に出られる環境の人にはわからないと思うので解説

地方ではそこから出られない人もいる

となると、地元国立たまたま運悪く落ちちゃったような人が行くような私大地方には存在している


だけど、受験偏差値って、表に書かれている数字最下位の子数字

この偏差値あれば受かりますって意味なので、平均や上を示すものじゃない

なので、定員100人で、90人国立落ちの偏差値50以上が入ってても、残り10カスをとって、最下位偏差値が40ならば、偏差値40の大学って言われることになる

地方大学経営するなら、裾野を広くして、規模を大きくして、できる限り誰でも受け入れていかないと厳しい面があるので、底もある程度拾わなきゃいけないから、地方私大偏差値はどうしても低くなる

なので、地方大学偏差値ってこういう感じで、学生の実情や大学の実力に比べて低めになっている

偏差値表見てみると、中国四国九州で、偏差値50超えている私大なんて5つもない

それに対して、都会は大学を選べるので、都会の偏差値40の大学には、偏差値40のやつしかいない

35も50もいない

地方私大偏差値40にいい大学はあるけど、都会の偏差値40の大学はい大学があるかと言われると、ちょっと悩む

もうちょっとわかりやすく言おうか

単純に偏差値55の次の大学が40の地域だと、偏差値54の学生偏差値40の大学に行く

偏差値55,50,45,40と5きざみで同様学部のある大学がある地域なら、偏差値40の大学トップ学生は44の子

単純化した極端な一例だけどな


その辺の事情も知らず、偏差値低い地方大を、都会と同じ感覚偏差値評価するのってどうなのかなと思う

大学は中身や入ってから重要ってみんなわかっているはずなのにね

もちろん、東大に入れるようなやつはその地方国立に受かっているから、地方私大を過剰に優秀と言うつもりはない

しかし、その地方国立に入ってても全然おかしくないようなやつらが、上1、2割はいるってことは知っておいて欲しい

同時に、どうしようもない底も、下1,2割いるってことなんだけどね

幅が広くて、教員としては指導が難しいっす

2017-06-10

別に大したことじゃない

 私は、京大理系出身で、年齢は30代後半。先日、同じ学科出身の友人と飲んでたら、友人はこんなことを言った。


 「別に自分たちって、大したことないよなあ。周囲からは『京大出身だ。凄い』って騒がれることもあるけど

 実際に中にいた者から見ると、全然普通って感じ」


 私もこれには全く同感。でも、大学時代の周囲を見てても、確かにめっちゃ頭がいい人とか、めっちゃ変わった人がいることは事実

ただ、そういう人の割合は、せいぜい全体の1~2割程度で、逆に考えれば、8~9割は常人ということになる。

まあ、京大と言っても、実際のところは、そんなもんじゃないだろうか…。


 じゃあ、どうして京大生って言っても、みんな普通なんだろうか?ちょっと考えてみた。


 やっぱり、何やかんや言っても、京大入学するのは難しいと思うので、入学試験でどういう人が合格して入ってくるのか?を

考えた。私の場合理系なので、理系に絞って話をする。(文系は分かりません)


 まず、日本入学するのが難しいのは、東大京大、それと国公立医学部である理系の定員は、東大が約2000人、

京大が約2000人、国公立医学部が約6000人で、合計すると約10000人。つまり、全理系受験生の中で、上位1万人に

入ることができたら、京大合格して入学することができる、ということになる。


 理系学部に入るために、必須なのは微分積分物理である。これが理解できてなかったら、多分入学してから死ぬだけなので、

ここは外せないだろう。で、18歳人口は100万人くらいいるわけだが、その中で微分積分物理理解している人口って

どのくらいだろうか?と考えると、せいぜい7~8万人くらいじゃないか?と思う。これは、理系ならみんな受験するであろうセンター試験

物理で70点以上取った人数を、平均点から推定すると、だいたいこのくらいだ、ということ。センター物理で70点っていうのは、若干理解が怪しい

と思われるけれども、根本的な部分をある程度分かってないと取れない点数じゃないだろうか…ということで。


 次に、微分積分物理理解していたとして、本当に東大京大、国公立医学部を目指すのか?という問題がある。

まあ、試験は非常に難しいと言われているので、最初から自分はムリだ」と決めつけて目指そうとしない人や、家の近くの地元大学に行きたくて

かつ医学部がイヤな人、高校時代青春受験勉強以外のことに捧げる人など、いろんな理由で目指さない人の方が多いだろう。

そうすると、目指すのは上記の7~8万人のうち、せいぜい2万~2万5千人程度になるのではないだろうか…。


 で、最後に、目指した人の中で、上位1万人に入る必要が出てくる。人数としては、せいぜい2万5千人程度しかいないので、その中で上位1万人に

入るのは簡単だと思われるかもしれないが、実際にはそれなりに頭脳に自信がある人ばかりが挑戦するので、よほど天才的な

人じゃない限り、普通にやってただけでは、なかなか上位1万人に入ることは難しいだろう。


 ただ、自分なりに工夫して対策を立てて勉強すれば、上位1万人に入ることは可能だと思う。例えば、私の場合は1浪したんだけど

浪人中は途中から予備校に行かなくなり、家に引きこもって、ひたすら問題を解いていた。予備校の授業に行っても、結局は解いた問題

解説をしているだけで、「授業で解説している時間に、他の問題を解いたら、人よりたくさん問題演習できるんじゃないか?」

ということに気付き、予備校に行かずに、家でひたすらたくさんの問題を解いたのである。そんなわけで、自分京大合格した大きな要因は、

「人よりたくさん問題を解いたから」ということに尽きるのではないか?と思っている。


 つまり京大生って言っても、


 微分積分物理理解し、受験の時に自分なりに工夫した人


 にすぎないんだ、ということ。まあ、微分積分物理理解するのは結構大変だし、才能も必要だと思うが、もし理解できるような頭脳の持ち主で

あれば、あとはそれなりに工夫すれば合格できるんだと思う。このことが、そんなに凄いことか?と言われると、別にそれほどのものでは

ないだろう、と思う。人間業があれば十分に達成できるものではないだろうか…。なので、京大生って言っても、結構普通の人が多い、という

感覚は、このように考えれば、確かにそうなるだろうなあ、と思うわけです。

2017-06-09

フリーランス相場学歴モバイルアプリエンジニア

地方大 月60〜80万

旧帝大 月70〜85万

東大等 月75〜100万

 

個人の感想です

旧帝大くらいが人材としては使いやすいと思う(コスパ的な意味で)

 

しかプログラマって案外高学歴だな

 

__

 

ちなみにモバイルアプリエンジニアというポジション正社員になろうとしたとき

限界が900万あたりだと思う(バブってる会社や、エンジニア以外もやる場合を除く)

現実で800万あたり? そんくらい出せばまぁまぁ来るから

http://anond.hatelabo.jp/20170609081042

東大学生が「油断ならない人間議論において必ず定義合戦を始めるような気がする」みたいに言っていたのを見た気がする

東大生ですらそんな当たり前のことに「気付く」有様なんだから結構高いハードルなのかもな

2017-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20170608164857

その辺で飲み歩いてるスーツ集団の財力透視できるとは思えないんだが

追記

いや、元記事ではある駅だけど、その駅の学生なら確実に富裕層だったのかもね

東大で講演した帰りとかだったんだろうか

http://anond.hatelabo.jp/20170606163154

なぁしつこいかしんねーけどもし見てたら答えてくんねー? 

 …ゴメンな? どうも気になって仕方ねーんだわ。

相手によって会話の時間すら価値が違うんならさ、東大のセンセーとかお医者さんとか弁護士さんと会話したらお金払うの? 向こうが「時間価値が違う」って言ったらどう思う? 教えてばっかりだったら損しかしないよな?

 証券マンとかだったら数分で億単位とか普通に動かすんだけどさ、そういう人と会話する価値のある人間ってどれくらいいると思う?


あ、…いや逆か。稼ぐの大変な奴の時間価値が高いって言ってるのかw ……そう考えるとおもしれーな。


 んじゃさ、ホームレス時間価値が一番高いんじゃね?

アルミ缶何時間もかけて集めてどれだけ儲かるか知ってる? 文字も読めない難民とか後進国人間って100倍くらい働かないと日本人と同じだけは稼げないぜ?


 やっぱなんか違くね?

イケメンだけど貧困から来た青年と付き合うとして、ジンバブエドル(Z$)とか一時期100円が2億5600万とかだったんだけどどうする?(笑)

 障碍者は? 犯罪者は? 末期がん患者時間は貴重なの? 無意味なの? 老い先短い年寄りは?

もしJK時間だけ価値が高いと思ってたら、ちょっとテレビの見過ぎじゃねーのかなぁ…。

 アイツラが価値があるって言うのは、"自分達が売れるもの"だけだからな?

[]今期国会の残り日程の予想

国会ウォッチャーです。

与党の目論みと野党の持っているカード

 私としては大変残念ですが、組織的犯罪処罰法改正案の成立は99%以上確実になったと言ってよいと思います。刑法改正案の審議が1日で採決されたことがその証左です。公明党への配慮として、刑法改正案は確実にしてくるとはおもっていたのですが、加計学園関係で、一日でも早く国会を閉じたいという気持ちがありありと出ています。残る定例日は、8日、13日、15日の3日間です。恐らく、明日審議再開、13日に組織的犯罪処罰法の採決、14日に本会議で成立、15日で刑法改正案を採決、16日の本会議で刑法改正案成立、今期国会終了というのが与党の筋書きです。ただしこの通りには行かないと思います

 野党が現在持っているカードは、金田法務大臣問責決議案、伊達忠一参議院議長不信任決議案、内閣不信任案の3つですが参議院では現在大きなトラブルは起きていないので、伊達参議院議長の不信任案は出しにくいところです。おそらく8日は何事も無く進んで、13日に金田法務大臣問責決議案、14日本会議で否決、会期末ということで、15日の委員会採決を提案、同日内閣不信任案提出、金曜日に否決、20日に組織的犯罪処罰法委員会採決、21日本会議で成立、22日刑法改正案委員会採決、翌23日本会議成立で国会を閉じる。こういうシナリオだと思います。このプラン与党にとって都合のいいところは、刑法改正案という野党が反対できない法案を、大揉めするに決まっている組織的犯罪処罰法案の採決後に、出席して賛成せざるを得ない野党の間抜けな姿をさらせるところ、また野党が不信任案を出してくることにかこつけて、集中審議を体よく断れること(今国会では、与党集中審議の変わりに党首討論提案するぐらい総理入りの集中審議はやりたくないと思っている)、共謀罪の成立を急いだ理由を刑法の成立のためだという言い訳まで用意できること(今日維新が早速この話をチラつかせて尻尾フリフリしてました)さら国会が閉じれば、話題小池都知事うつって、オリンピック運営問題などでメディアの関心を移すには絶好のタイミングなことです。なので1週間の延長をしたとしても、さら今日内閣委員会でも次回開催は未定となったように、恐らく委員会開催の見込みはほとんどないでしょう。与党が今期で是が非でも通したかった法案は、退位、区割り、国家戦略特区周り、共謀罪、刑法ぐらいでしょうから、あとの積み残しは秋の臨時国会でも問題ないと思っているでしょうから委員会開催のモチベーションがありません。逃げ切りです。

稚拙かつ拙速議論が目立つ「規制緩和

 ここのところ民進党が、「規制緩和のものには反対してない」といっていますが、共産党田村智子議員辰巳孝太郎議員が問うていたように、必要規制と不必要規制の切り分けについての慎重な議論のほうが私は好きです。とにかく規制緩和すればいいんだみたいなこと言ってる山本幸三竹中平蔵みたいなのはやっぱり無責任だと私は思った。竹中平蔵がぶっ壊した終身雇用システムは確かに岩盤規制だったかもしれないけど、今の40弱から30代の人たちのどういう目にあったのか、思い出して欲しいところ。

 私は駒崎さんは嫌いではないのだけれど、やっぱり議論が残念なところはある。昨日の田村議員が質疑していた、少人数保育施設で3-5歳児を一緒に入れるようにする規制緩和に反対する厚生労働省ロジックは間違ってないと思った。田村さんは東大の発達保育実践政策学センターの報告を出してたけど、駒崎さんがだしていた、1.既に0~5歳児を受け入れることが可能企業主導型保育所等においても保育の質は担保されているはずであるから、小規模認可保育所に3~5歳児を受け入れても保育の質の観点からは何ら問題がないっていうのははっきりいって暴論で、前述の東大の報告では、東京23区の小規模保育所育児環境として、通常の保育所と比べて著しく環境が悪い、とされていたけど、そりゃそうだろうな、としか思えないし、企業が設置している保育所なんかでは、そりゃあ企業責任で設置しているわけで、保育の質については厚労省は把握して無いだろうし、東大の報告をかんがみれば、要は床面積とか、低年齢児と3-5歳児を隔離的に保育できるかとかが決定的に重要論点なんじゃないですかね。グラス・スミス研究を論拠に少人数のほうが望ましいといっているんだけど、それは異年齢混交のクラス構成でのいわゆる幼児教育ではなくて、児童教育での教育効果に関する研究であって、厚生労働省東大心配しているのはどう考えても安全面での危惧をしているわけでしてね。そりゃあこういうリスクを飲み込んででも首都圏の3-5歳児の受け入れ先を用意すべきだっていうのは一つの論だけど、それなら誰がその決定の責任を取るのかを明らかにすべきだよね。要は議事録議事要旨も明らかにしていないのに、厚労省岩盤規制を守っているみたいに批判して、内閣府勝手に決めたくせに、文科省の今の体たらくをみると、問題が起きたら、内閣府規制緩和しか担当してないとか抜かすんでしょ。そりゃあ反対するって。

 辰巳孝太郎議員民泊新法の質疑をしてたけど、まぁこれも、実態が完全に違法が9割みたいになっている中で、まじめに取り組んでいる業者を守りたいよ、みたいな建前はわかるんだけど、もうまったく、実務的な管理方策が見えてないのに、法案審議しろってのもこれもむちゃくちゃだろうと思いましたよ。辰巳議員の質疑に対する田村明比古観光庁長官の答弁を見てると、これが実施された後にぐっだぐだになったあと、引くに引けなくなっていく未来がばっちり見えましたよ。口で180日規制はしっかり守らせるって言ったって、現状の無法民泊取り締まれてないのにどうやるってんだろうっていうね。また180泊360日はできる、とか、入居者募集はしてないとダメとか言っても、相場より高い賃料を出したりとか契約を結ばない自由行使されれば規制できないし、民泊専用施設禁止といったって、実際は投資用の分譲マンションを作って、入居者は各自民泊運営のつもりで購入するっちゅう体にする、とかやりようはいくらでもあるし、律儀にウィークリーとかを半分やるちゅうても、所有者の入居要件とかどうやって確認するんだろうって言う。大体世界各国でもISISの隠れ家になってたとか、性的暴行現場になったとかそういう話もようけでてるし、現地住民向けの賃貸物件が枯渇しちゃったとか、近隣住民トラブルも頻発してるんだからさ。もうトラブル満載の未来しか思いつかない。あと枝野さんの共謀罪質疑思い出したわ。

問題は続出したけど、何も進展しなかった国会だった

 振り返ると、天下り、森友問題日報隠蔽問題共謀罪法案での答弁の混乱、加計学園問題話題は移りましたが、何も改善が見られないまま閉じる見込みです。天下りは、今日内閣委員会神山洋介議員が、「進展どうですか」と聞いていましたが、山本幸三大臣調査事務が膨大だから進んでいないとのお答え、進捗程度、答える目安も答えなかったです。森友問題、財金委員会が開かれなくなって1月近いですが、国交委員会などで散発的に聞かれるだけになりました。財務省公文書廃棄の問題篠原議員から、保存期間起算日が翌年度4月1日からという指摘がありました。明らかに財務省細則公文書管理法違反していることが明らかになりましたが、サーバー交換でデータ復元可能性もなくなったということで終戦の見込みです。日報隠蔽問題は、結局その他の話題さらわれ、防衛特別監察という、何も答えないカードを使ったまま、報道で示されたように組織的隠蔽が明らかになっても、稲田大臣からの善後策は示されませんでした。また防衛特別監察の中間報告も結局ないまま終わるということで、防衛特別監察(導入したのは小池百合子)はやはり答弁拒否カードとして使える、という認識が定着しているのでしょう。今回の事例もその認識を強化するものと思われます共謀罪法案に関しては、もう総理大臣法務大臣も言ってることに一貫性も無ければ、ろくな立法事実も示せないままに、刑法体系、捜査の着手段階を根本から変えるという共謀段階での処罰法を、これほど乱暴に成立するということで、残念でなりませんでした。まぁ国会いくらディベート的に論破しようとも、最終的には数で成立するというのを安保法制で見ていたので、当然の帰結ではあるわけですが、やっぱり絶望的な気持ちになります加計学園問題は、もはや文科省一般職員が完全に反旗を翻していますが、ここまで調べない、ゆえに内容については答えない、で押し通しているのをみると、これが許されるなら、もう内部告発無意味になったといえるでしょう。森友、日報隠蔽で明らかになったように、何を出すのかは政府が決める、ということとあわせると、もはや政府が何をしようが、議会も、市民もまったく監視できないという体制が確立されたのだと見ることができるでしょう。恐らく今国会が閉じたあと、文科省内でのリークの犯人探しが行われるでしょう。今日ニュースによると、文科省一般職員の複数が、文書が共有フォルダ存在したことを審議官に報告したと報道しているので、審議官に報告をした奴が報道に答えていることは明らかですから審議官を締め上げて、その一般職員含めて報復人事が行われることになると思います内部告発が起こった時に、体制側が特に揺らがなかったとき、次の内部告発を行うものはいなくなります。今回の例で言えば、内閣府にはおそらく決定的なブツがあると思われますが、経産省で固められた彼らから情報が漏れることは無いと思います

 山本太郎さんが、なんか爆弾が出てきてこの内閣ふっとばへんかなって言ってたけど、この手法を看過していった先に見えるのがロクでもないことだけは確かだと思うけど、たとえ安倍さんを引き摺り下ろしたとしても、次の人は果たして、停波をチラつかせてマスコミ寿司友を送り込んで、野党議員や党内ライバル高級官僚警察公安出身の側近を使って監視さら人事権を振りかざして、官僚を押さえつけて、自分たちに不利な資料は決して出さないみたいな政治運営を見て、真似したらいいんじゃないだろうかという欲望に勝てるんだろうかね。まぁ安倍さん論理的思考力に欠けて、不誠実で、幼稚なのはみんなわかってるだろうとは思うので、結局支持率を支えてる経済がこけたらこモデルは使えないんだろうと思いたいけど、今期国会は見ていると本当に暗い気持ちになった。

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