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はてなキーワード: だってとは

2018-10-19

a+b=3じゃね?

だってa=1でb=2だと俺は思うから

anond:20181019212245

そーだよねー。一方的に夫擁護してたらアホみたいだもんねぇ。人間が嫌いだって勝手に決めつけてくる男もだんまりだよねぇー。

菅野智之をベンチ入りさせない時点でダメだよ

なにが「高橋監督と1日も長く野球をやりたい」だよ

後が無いんだよ、中4日でも先発志願しろ

来季の伯父のために肩を消耗させたくないってか


ノーヒットノーランを達成した菅野智之「早くMLBへ」の声上がる - ライブドアニュース

なにがメジャーだよ

だったら初めから日ハムでいいじゃねえか

血の繋がった身内がいるチームじゃないと嫌だって言ったの忘れたのか糞

ベルマーク集めの良いところ

なんか効率が悪いとかコストパフォーマンスがとか言ってる人が大勢いるけど、そもそもベルマーク集めが効率的であってはマズイでしょうと思う。

だってそうじゃないですか。

効率を求めるなら例えばスポーツなんてエネルギー無駄からやらなければ良いし、映画なんて時間無駄から行かない方が良いってことになるし、ポケモンを集めている人なんて馬鹿のものってことになるじゃないですか。これが不当な結論だっていうことは無論ですよね。

ベルマーク集めもそれと一緒なんですよ。当たり前でしょう?

その上でベルマーク集めの良いところを挙げると、

ベルマークが格好良い。ずっと見ていられる。

・たくさん集めると、もっと集めたくなる。

レア度が高いベルマーク発見歓喜する。

・とにかく楽しい。やったものしかからない中毒性がある。

ベルについて考えさせられる。

そもそもベルマークという単語が言いやすい。

・たくさん集めたベルマークを見ると心が洗われる。

ベル気持ちが分かる。

・おいおい、こんなにたくさんベル集めてどうなってしまうんだろうと爆笑

・ラッパのマークが紛れ込んでいて大爆笑

ベルマーク殴りという技を編み出す。

ベルマークに特化したディストリビューションを開発。

ベルマークするという言葉を皆が使って幸せ気持ちになる。

などいくらでもある。

さあ。レッツらベルマーク

anond:20181019201733

いちごもぎ出来る人、自給2000円だってアメリカすげー。

🍓🐰さすがね

anond:20181018213626

小売業で自営してる社長起業をすすめてくるよ

ひとりでさみしいんだって

業界でやたら懇親会ひらいたりするのとか

立場がうえになると話し相手立ち飲み出会他人しかいないので

素面業務時間内で一人で経営判断する不安から逃れるために

同じ話をしたいんだって

ゲームとかアニメとかアイドルとかも同じ話題共感できる人間を求めたりしない?

それが生活に関わるとより強くなるみたいだよ

キズナアイの才能ってなに?

キズナアイって見た目が可愛いだけでとりたてて得意なことは無いしアホだし歌も踊りも演技もイマイチだしゲームも下手なうえにいつまで同じゲームやってんだって感じだしそもそもゲーム自体に興味なさげだし動画の内容も一貫してつまらないし英語も結局身につける気全然ないし初期と比べて異様に声が高くなってて聞くに堪えないしで、登録者数に対して再生数低いのも納得だし、結局は先駆者としての地位知名度に支えられてるだけの存在だと思う。

水滸伝宋江みたい。

Vtuber梁山泊において一応は主人公立ち位置にいるけどそれだけの存在

女版ばあちゃる

開始2秒で手札が尽きる女。

肝心の動画がつまらない女。

恋声

それが彼女の全てだと思う。

本家ばあちゃるはつまらないつまらないと半笑い気味の扱いだけど、実際は面白いし誰もが気軽にネタにできる絶妙立ち位置だしパンディみたいに無駄に周りに気を遣わせたりしないしおおらかで懐が深いし仕事でも有能だしサッカー解説者だしめめめのことが好きだしでキズナアイより面白いと思う。

キズナアイはばあちゃるのこと完全に舐め切ってるけど実際は逆なんだよ。

でもキズナアイもとい春日望は度胸と行動力自分大好き力はめちゃくちゃあるので、やっぱりVtuberの中心的存在として適任なんだと思う。

そして、その特性彼女現在立場と非常にうまく噛み合っている。

後輩Vtuberが頑張ったりVtuber全体の数が増えていくことで、キズナアイ知名度が更に上がり登録者数も増える。

そしてキズナアイ露払いをしていくことで後輩Vtuberにもいろいろなもの還元される。

持ちつ持たれつの共生関係がそこにはある。

一は全。

全は一。

宇宙の真理を体現しているのが現在キズナアイなのだ

今まで私は、猫宮ひなたやゲーム部や富士葵やYuNiなんかと違ってやりたいことが全然明確じゃねえな一体なにがしたいんだこいつはとおもっていた。

もっと言えば、テレビでよく見かけるわりに本業や得意分野が何なのかいまいちよく分からん芸能人タレント)みたいだなとおもっていた。

からキズナアイバーチャルタレントかい肩書をぶら下げているのはそこを意識しての自虐なんだろうと結論付けていた。

だがそうではない。

このVtuberブームをできるだけ長く引っ張ること、ブームが去ってもVtuberの数を減少に転じさせないように走り続けること、それが彼女しか果たせない役目であり、彼女だけの才能(タレントなのだと今頃になって気付いたのだった。

そんな単純な事実にすら気づかなかった己の視野の狭さに愕然とした。

まりにも鈍すぎる。

からこそ私は凡骨なのだ

あるいはそれ以下の虫けらだ。

キズナアイとは比べるべくもないほど矮小で哀れな存在なのだ

でなければ今こうして一人でペヤングなど啜ってはいない。

氷結を買おうかストロングゼロを買おうかで迷ったりしていない。

メンチカツに半額シールが貼られるのを待ったりしていない。

特売チラシを職場に持ち込んで昼飯時に眺めたりしていない。

Amazon中古小説を買おうか買うまいか悩んだ末に図書館で借りたりしていない。

虐殺には文法がある。

その文法を我々の日常のあらゆる場所に仕込めばいい。

そうすれば虐殺は容易に引き起こせる。

誰かがそんなことを言っていたが。

貧困にも文法があるのだろうか。

私がこうして貧困にあえいでいるのもその文法とやらが影響しているかなのだろうか。

ペヤング氷結ストロングゼロや半額シールや特売チラシやAmazon安倍晋三言葉にはそれらが散りばめられているとでも言うのだろうか。

からない。

そこが凡骨たる由縁なのだろう。

だがそれでいい。

私にはVtuberがいる。

おかげでこの一年は夜中に泣くことも少なくなった。

少しだけ人にやさしくなれた。

がんばれキズナアイ

がんばれ早乙女草夫。

はいつも晩御飯のあとに皿洗いをしてくれる。仕事で疲れていても必ずしてくれる。

私の手荒れを心配してくれてるんだって

今日ありがとう

猫なんて

どこにでもいるし

どのこだって可愛いよね

良かったね🐈

共感関係ねえだろ

まじめにせこせこ生きてバカをみたくねえだけだっつの

そもそも、一個人の俺がどんだけ叫ぼうと、権利権利だし義務義務だし罰は罰だ

権利享受を受けたきゃ勝手に受けろよ

ジジイだろうがガキだろうが

権利義務も罰もないカオス場所に住んでるなら、たしかに同情はするけど、これに関して偉そうにブコメしてわかったようなセリフ履いてる連中も俺も何もできないしそういう意味じゃ同罪だ

連載の全部を読んでるわけじゃないか的外れかもしれないけど、

これをすると誰かに悪く思われるかもしれない、という感覚がない状態の人までいちいち救済してたらむしろこの世界は悪意や憎悪で満ちる気がするんだが?

あの記事はなにを糾弾したいんだ?この国では罰も権利も法によってもたらされるじゃん

死刑囚だって法に則った手段で殺されもするし法に依って権利を与えられ死ぬ前に一服できたりするんだろ

これじゃ不服?

国外の整備されてない話だっつうならネットでくだまくついでにNPO募金募集かなんかのURLでもはっといてくれよ

そんで共感じゃ役不足って結論にはしないでくれよ

法によってしか人は人を裁けも守れもしないって話にしてくれよ

人類がみんなマザーテレサみたいな境地にたどりつくまでは、むしろ共感が唯一の救済措置突破口だとしか俺は思えないんだけどなあ

anond:20181019183313

そうですね

そういった被差別対象だって平等人権はあるというようなことは文字の上ではいくらでも言えます

現実ミクロ人間関係の中でキモくて金のないおっさんハゲ童貞に対するイジリに反抗することで

利益を得られる人がほとんど存在しない以上

その立場に立つ人が多数出て来るようなことは期待できません

LGBTポリティカルコレクトネスに関する運動とそこが全く違います

彼らは自分たちに協力することが社会的正義に与することであり利益になるというイメージを作る戦略が本当に上手なのだと改めて思います

anond:20181019183402

だっては言わないが、ドライバーが見えない所で死ぬより通販荷物が発送翌日に届く方が大事な人は沢山居ると思うし、それが現代社会なんだろう。

anond:20181019180016

俺は小劇場四季新感線海外ミュージカル宝塚も2.5も観たい。大学のクソつまらないけどたまに面白い自己満演劇サークルのようなクソ芝居も観たい。

でも芝居観に行くのってお金かかるよね。だから観に行く芝居はものすごく厳選せざるを得ないんだが…それなのに1回だけじゃ飽き足らず何度も通い詰めたりしちゃうよね。だって2度と同じ芝居なんて観られないんだから。それにDVDになんてならない芝居がほとんどだ。俺がものすごく好きだった劇団解散してしまった。

楽しんできてね。

横山由季子「ブロックバスター展は善か、悪か」を批判する

 美術手帖で連載中の「シリーズ:これから美術館を考える」の第6回、横山由季子(金沢21世紀美術館学芸員)による「シリーズ:これからの美術館を考える(6) ブロックバスター展は善か、悪か|MAGAZINE | 美術手帖」。一読して何が言いたいのか理解し難かったが、それもそのはず、書いている本人が考えがまとまらないと言っているのだった。

まとまらない考え、逡巡をそのまま書いてしまいましたが、現状を共有することで、今後の共催展、ブロックバスター展について考えるきっかけになれば幸いです。

https://twitter.com/blanche1002/status/1051094298815430659

 「考えまとめてから話せ、バカ」で済む話ではあるけど、一部好意的に受け止められている様子もあり、少しこだわってみたい。

 まず、かなり気に食わないことの一つに、ブロックバスター展について「善か、悪か」と問うている点がある。「善悪」というのは倫理道徳的価値判断であり、展覧会評価をするにあたってはなじまない言葉である。「是非」でよかったはずだ。にもかかわらず、横山は敢えて「善悪」という強い言葉を用いた。その理由は推測することも可能だが、不要から止めておく。ただ、私自身は「善か、悪か」という問いに答える気にはならないし、また応じて「ブロックバスター展は悪だ」と言っている人がいたら異様だと思う。些末な問題ではある。しかし、筆者の立ち位置や考え方が無意識に出ているように見受けられる所、注意を要する点である

 次。筆者はタイトルで「ブロックバスター展は」と議論対象提示する。そして文中で「ブロックバスター展」の定義を明確に行う。ここまではまったく素晴らしい。だが、なぜか横山は文中でブロックバスター展以外についても語り出してしまう。こんなわずか短い文章にもかかわらず、その対象を固定することすらできない。大丈夫なのか、この人?

 実際に対象になっているのはブロックバスター展と共催展である。前者も後者の一部だが、このうち60~70万人ほどを動員したものを指すと定義している。もちろんそれ以上動員した場合も含まれるのだろう。また、共催展以外でこの規模の動員は不可能と考えられる。すなわち、60万人以上の動員を記録した展覧会ブロックバスター展だと言っていい。明確だ。

共催展のなかでも、とりわけ規模が大きく大量動員が見込まれものは「ブロックバスター展」と呼ばれる。ブロックバスター展の基準について100万人以上の動員としている記述もあるが、近年ではさすがにそこまでの来場者を集めた例はないので、ここでは60〜70万人規模の展覧会ととらえることにしたい。広報会議メディア担当者と話していても、60万人あたりがひとつ分水嶺になっているような感覚がある。

 共催展一般共通するものであるならば、わざわざ分ける必要はない。だが、60万を越える規模になると、単に量の違いではなく、質の差が出るようだ。「60万人あたりがひとつ分水嶺になっているような感覚」というのはそういうことだろう。ならば、「ブロックバスター展」と呼び分けることに意味が出るわけだ。

 しかし、結局筆者が俎上に乗せるのは共催展一般であって、ブロックバスター特有問題についての指摘はわずしかない。筆者は読者にブロックバスター展のみに絞って考えて欲しいのか、それを含めた共催展一般について考えて欲しいのか不明である。というよりも、筆者自身の中で、その程度のことすら整理できていないのではないかと思われる。

 そんな筆者横山が共催展やブロックバスター展の「現状」についてどのように認識しているか批判的に捉えているか文章引用しつつ細かく見ていこう。

ブロックバスター展はその華やかな話題性によって、普段美術館に足を運ばないような人が展覧会を訪れるきっかけをつくり、美術裾野を広げているという側面もある。そのいっぽうで、やはり集客のために打ち出される広報の数々は「イベント」としての側面を強調するものであり、一過性の消費で終わってしまうのではないかという危惧がつきまとう。

 一過性の消費の何が悪いのかさっぱり分からん人生は短い割に、世界はあまりにも豊かだ。誰しもが、美術とがっぷり四つに組んでいる暇があるわけではない。すべてのことに入れ込むことはできないわけだ。学芸員成るほど美術真剣に取り組んでる横山も、例えば音楽とか、芝居とか、映画とか、ほかのジャンルに関しては一過性の消費で済ませていたりするわけでしょ? 美術に対してそういう態度をとる人たちを批判する権利なんかないわな。

そして現場学芸員は、採算性と学術性を両立させるという大きな矛盾に直面することになる。

 ブロックバスター展やそれに準ずる共催展に足を運ぶ人の多くは、作品を見に来ているのね。有名作に心踊り、傑作に胸を打たれに来てる。学術性とか、正直無くても構わないとすら思っている。

最近ではメディア側も展覧会事業にこれまでになく採算性を求める傾向にあり、10万人を動員する小規模の企画を年に何本も実施するよりも、大量動員が見込めるブロックバスター展を1本開いたほうが、労力的にも資金的にも報われるという事情もあるだろう。

 共催展の数を減らして、ブロックバスター展に集約していると読めるけど、事実なのか?

あくまでも組織としては採算性が優先されることになる

 当たり前なのでは。

ここで、そこまでの費用をかけてまで、海外作品を借りてくる必要があるのかという問いが生じるだろう。国内美術館にも豊かなコレクションがあり、それだけでも十分に展覧会は成り立つ。実際に、近年では国内の所蔵品を中心に見ごたえのある展覧会が多く企画されている。

 ブロックバスター展や美術館展など、学術性の低い展覧会批判する人って、だいたい欧米によく行っていて、そこで十分に作品を見ている人なんだよね。だから、そういった展覧会が名作や有名作を持ってきているということ自体意味を見いだせないわけだ。でも例えば、今後10年間、海外所蔵の作品を見ることを一切禁じるって言われたら、我慢できるの? できないでしょ。できないなら「国内美術館にも豊かなコレクションがあり」とか言って欲しくないよね。子供仕事で忙しい人、貧乏人、障害者、老人。誰しもが気軽に海外に行けるわけではない。そういうところにブロックバスター展の意味の一つがあると思うんだよな。弱者に優しいという点を鑑みれば、筆者の問いかけに「ブロックバスター展は善である」と答えることも可能かもしれない。

共催展の広報において差し迫った課題は、いかにして若者展覧会に足を運んでもらうかということである。とりわけブロックバスター展を支えているのは、バブル期以降の大型展に足を運んできた50代以上の世代であり、メディア側も確実な集客を見込んで、この年齢層に的を絞った広報戦略を立てることが多い。しかしながら、このような目先の集客ばかりを求める広報が続くようであれば、美術館展覧会未来はそう長くはないであろう。

 若者じゃないから分からないけど、どっちかというとやはりブロックバスター展の方が若者リーチしていて、それより規模の小さい共催展に問題がある気がするけどなあ。今なら例えばフェルメール展とルーベンス展。

近代美術の延長線上に現代美術位置づけ、両者を結びつける作業は、やはり美術館が担うべきものである。そして、村上隆草間彌生などの知名度と人気を誇るごく一部の作家を除いて、メディア現代美術展に出資することは考えにくい。美術館が主導して近代美術現代美術をつなぐ展覧会企画したり、現代美術一般へと浸透させる持続的なプログラムを行うための体制づくりや予算が求められる。

 これはブロックバスター展や共催展の問題じゃないよね。美術館学芸員が怠けていたからこういう状況になったんじゃないの? 「国内美術館にも豊かなコレクションがあり、それだけでも十分に展覧会は成り立つ」んでしょ。美術館主催粛々とやってればいいのでは。

数十万人の来場者を想定したブロックバスター展の場合、あまり大胆な切り口を提示することは難しく、個展であれば年代主題ごとに画業をたどるようなオーソドックス構成となりがちだ。先行研究調査をふまえた新たな視点を、カタログ論文作品解説のなかで示すことはできても、展覧会構成全体に反映するにはいくつものハードルがある。とりわけオルセー美術館ルーヴル美術館からまとめて作品を借りる場合は、これらの美術館学芸員が監修を務めることが多く、そのことによって企画自由度が低くなるという側面もあるだろう。

 そういう学術性は不要なんだって。単にいい作品を持ってくればいいの。学術性を発揮したいのであれば美術館主催の展示でやればいい。それでは自分能力が十分に生かされないと感じるなら本場の美術館就職してください。あと、日本学芸員よりオルセーやルーヴルの学芸員の方が信用できるから、その場合は口出さなくていいよ。

オルセー美術館には各所蔵作家の膨大な資料が集められており(ルノワールだけでざっと50箱以上はあり、フランス語だけでなく、英語イタリア語ドイツ語スペイン語、そして日本語や中国語韓国語資料網羅されている)、それを日々リアルタイム更新していくドキュメンタリストたちがいる。学芸員は彼らの協力を得て調査研究に勤しみ、その成果が展覧会に反映される。この蓄積こそが、オルセー美術館の、さらには今日における世界的なフランス近代美術の人気の礎なのである。これは一朝一夕に実現されるものではなく、長期的な視点に基づいた、たゆまぬ歴史化の作業の賜物といえよう。

 日本フランス絵画についてオルセーと張り合う必要なんかないよ。自国美術研究環境が貧弱なこと(いろいろ話を聞くに相応の事実だろう)については悲しむべきことだけど、西洋美術基本的に横のものを縦にしてればいい。もちろん立派な研究をなしとげれば敬意を表するが、俺達のブロックバスター展を研究発表の場として利用してくれるな。

 私はブロックバスター展やそれに準ずる規模の共催展を楽しんでいるのだ。それを学芸員風情の浅薄な考えや安っぽい使命感によってぶち壊さないで欲しい。日本に居ながらにして傑作や有名作を鑑賞することができる。これだけでブロックバスター展は素晴らしいものなんだ。ということを学芸員玄人気取りに理解してもらいたいのだが、なかなか難しいのかもしれない。

実は世の中は内戦状態なのではないか

大学四年生就職先っぽいところは何とか強引に見つけたが、イマイチだったので断りたい。

もう、大学院に逃げようかと思うが、卒論すら書きたくない人間修論なんか書けるのだろうか。

また、学歴ロンダは出来る能力時間もないから出来ない。今いる大学スライドになりそうだ。

院に行く意義というのがあるかというのを考えるのは好きではないが、出来るだけ世の中を突き放してとらえたい。

親がそれなりに資産があるが、大金持ちにはなれそうにない。そういったものをどうにかしたいという気持ちがある。

皆の就活は散々な感じだった。

偏差値大学の三流学部だとこうなるのかという状況をまじまじと見せられた。

大手に行ける感じの人間はいなかったし、いたとしてもそれは業態業種が非常に過酷ものしかない。

そして、中小が基本である

そんな散々な状況を眺めて感じたのは、もはや世の中というのは内戦状態なのではないか?ということだ。

就活でまともな椅子を如何に奪うかという内戦に負けたのだ。自分も含めてだ。

椅子は限られていて、それは増えることなどない。それをマシなのを学歴やら容姿やらを使って奪い合う。

さらに規模を広げて考えることもできる。

世界中人間が儲けようと必死になっている。

しかし、人々が消費できる量や資源地理的状況などに限界が出てくる。

物理的に技術革新というのも停滞しがちになっているものもあるかもしれない。

さらに、文化というのもある程度表現には限界が出てくるはずだ。とりわけ多くの人々が心地よいと思うものには。

ネット産業を見ていれば分かるけど、数年前からネットの秩序は変わっていない。

もはや大資本が独占している。さらに、ネットネット以前からあった産業過酷競争が起きている。

最早、ありとあらゆるものが飽和状態なのではないか文化経済も。

さら恋愛だってそうかもしれない。ある一定以上の基準クリアした人間(大抵は異性)を容姿などが優れる人間が優位に獲得する。

全体のパイが増えないなかでいかに奪い合うか、搾り取るかというものを競っている内戦状態に陥っているのかもしれない。

ジェンダー云々や子育てなどのネット上での議論社会政治劣化というのもそれゆえに生まれているのではないか

そんな時代自分は生まれたようだ。それもとりわけ強くない存在である

どうにもならない。

ただ、途中までマシな状態にあるものもひどい目にいつか遭うような状況だ。

自分比較的余裕がある中で大きく物事を考えて対処していきたいし、そのチャンスがあると信じている。

anond:20181019174950

いやだから、これは子無しがどうこうは大した問題じゃなくて、単に旦那性格が不一致なんだろう。

性格が不一致だってことを、事前に確認できてない結婚

そりゃだめでしょうよ。離婚した方がいい。慰謝料が発生するならそれはしかたねーよ。

anond:20181019172213

ダメダメ

下痢酸性消化酵素もあるから肛門ダメージを負っちゃうんだよ。

ちょっとした亀裂が出来て血が出てしばらくして治るけど、かさぶたみたいな突起は残ってだんだんそこが溝みたいになって

肛門周囲膿瘍とか痔瘻なっちゃうから場所が悪いと結腸がんとかポリープになるし。

うどん食べるなら家で柔らかくしたやつにしなよ。はなまるのは固いし。

食物繊維が少ないのが良いよ。野菜ミキサーかけたりして食べてたよ。

マジで痛いんだってー!急に来るから!朝起きてオナラしたと思ったらお尻が真っ赤で痛すぎて死ぬと思ったわ。

anond:20181019170836

でも目上の人間には言わないだろ。

上司の娘に言えない事はセクハラ」ってのはよく言われる例えだけど、

実際大多数のセクハラオヤジ上司の娘が相手ならそんな事言わないわけだ。

まり「言ったら失礼にあたる事である」「相手不愉快になるケースが大多数」であり

増田みたいなそれで喜ぶ変わり者の方がレアだってのをよーくわかってやってるんだよ。

コミュ力が低くてもできる仕事って何がある?


うちの弟がSEになりたくて専門学校に通ってる。

でも発達障害アスペルガーで、SEってチーム仕事でしょ?なるにはなれても続けていくのが大変だと思う。

できる限り弟の夢は応援したいけど、もしSEを辞めるとなったとき別の仕事コミュ力が低くてもこの仕事なら大丈夫だよって言えるものが浮かんでこなかった。

コミュ力が低くてもできる仕事って何がある?農家さんだって地域コミュニティに属していかないと大変だし、仕事能力に得手不得手があるのは人として当然だけど、コミュ力死活問題で生きてくのって本気で大変だよね。

何かオススメ仕事があったら教えてください。

anond:20181019153745

勝ち負けの話だってんならもう負けでいいから死なせろよって思わなくもない

anond:20181019153439

野球指導で「ボールをよく見て打て!」ってあるじゃん

でも、実際は、人間周辺視野のほうが動体視力が高くてボール視野の中心で見ようとすると、打てなくなるんだって

実際、プロ野球選手テニス選手インパクトの瞬間の写真を見ると、ボールを見てる選手なんていなくて、ピッチャー相手選手のほうを見てるんだよね。

うまい選手は、指導者の言うことを真に受けなくて、自分技術を開発していってるんだと思うわ。

松坂松井子供から「どうしたら野球がうまくなりますか」と質問されて二人とも「指導者のいうことをよく聞いて・・・」と答えてたけど、本人らはあまり言うこと聞いてなくて自分センス技術を磨いてたはず。

Twitterの死んだら負けって言うなが意味不明

なんかいじめたら負けって言えよみたいな

意味分からん

いじめたら勝ちってんなら分かる

だって、弱い奴をいじめることで強者になって自尊心が満たされる

根拠のない自身がつく

他人を使って自分が楽する方法を覚える

勝ちしかないじゃん

いじめたら負けって喧嘩してんのに殴った方が負けなんだと負け惜しみ言ってる幼稚園児みたいな発想?(笑)

全く持って意味分からん

そもそもイジメを負けとしたところでイジメられた側の何が報われるのか

イジメ自体も無くならない

全く持ってっ理屈に合わなくて頭悪いんだなとしか思えないんだが

面接というシステム禁止にするべき

面接は誰だって緊張するし、大体質問ワンパターンなので答えもワンパターンになる。

それと基本的相手に有利なフィールドなので受ける側はパフォーマンスを発揮できない。

よって面接禁止するべき。

口蓋裂のこと

落合氏が息子の口蓋裂を公表したこと話題になっている。

落合氏は高名なコンピューター技術者メディア露出も多いことから、同様の状況の親たちへの励みになればと写真を公開することにしたらしい。

これについて、まあ当然というべきか、外野いちゃもんをつけているというのが現状ですな。

曰く、子供写真当人に断りなく世界中に発信するのはいかがなものか、しかも先天性の奇形晒すはいかがなもんかと、まあそんなところでしょう。

この手のいちゃもんがつくのは自然現象に近くて、梅雨に雨の日が少ないと夏に水不足になる、みたいなもんで

あるいはおいしいブドウを皿に盛っておくといつの間にか小虫がたかる、みたいなもんで、まあ話題のあるところには当然生じるし、ある程度避けられないと思う。

かくいう私もその虫の1匹に過ぎないんですが、まあ聞いてくだされ。

今回のはよくなかったね。

何がよくなかったって、写真公開するのは息子が成人したあとでもよかったはずなのに、勇み足でわざわざ公表したことについて、よくなかったと思う次第。

だってこの後ご子息が真っ当に成長する保証はどこにもない。今時お医者さんに行けば口蓋裂なんてなかったみたいにきれいに治してくれるけど、まだ治療完了してもいないうちから公開する必要はなかった。治療が終わって、きれいにしてもらって、健やかに大きくなって、それからご子息本人にこれこれこういう理由赤ちゃんの頃の写真を公開したいいんだがいいかな?って確認を取ってからでも遅くなかったはずだ。

そうしなかったってのはやっぱり、自身のために公表たかったんだって思っちゃいますよ。なんだか知らんけど。

あるいは競合する第三者に手柄を取られる前に自分権利を主張しておくという習慣なのかもしれないけれど、とりあえず現時点で公開して得する人はほとんどいないだろう。

しかもそのことを氏がわかってないはずがないんだよね。めちゃめちゃ優秀な方だからね。

 

かくいう私の姉も口蓋裂で生まれてきた。母は東奔西走してお医者を見つけてきて、姉を治してもらった。今から50年以上前のことだ。奇形に対する偏見も相当なものだったろうにすごいことだ。

甲斐あって姉は今も元気にしているし、完全に健常人だ。見た目にもほぼまともで、口蓋裂でしたと言われなければわからないだろう。

だが母は死ぬ間際に姉について「満足に産んでやれなかった」と悔いていた。そんな風に思ってるなんて、私はずっと知らなかった。

今時口蓋裂はきれいに治してもらえる。それでもなかったことにはならない。

私は結婚していないけれども、それは自分意思結婚しないことにしたのだけれども、母は私のこともきょうだい奇形児がいるか結婚できなかったんじゃないか責任感じていたと思う。

落合氏のご子息はどうだろうか。後からまれてくる彼のきょうだいはどうだろうか。彼の母親はつらくないだろうか。今後死ぬまでつらくならないだろうか。公表しなければよかったって後から思ったりしないだろうか。

落合氏のやってることは美しいけれども、我々のような人間のためにやってくれているのだけれども、ありがたいと思うのだけれども、心の底から感謝はするのだけれども。

それでも、のんきにテレビ見てる私の父を見るにつけ、落合氏がなんか憎たらしいと思ってしまいました。

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