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はてなキーワード: あくまとは

2017-12-14

anond:20171214181641

元増田エロ本とは違う…けどあくま欲求処理目的であってほしいと思う所は同じか。

家庭では母の事を本当に大切にしている様に見える。

おっさん避けコミュニケーション

水商売指名が取れない会話というのがあるんですけど、相手の自慢話とか愚痴に対して

「知ってる」「やったことある」「こうすればできる」を投げていくと、だいたい萎えてくれるようです。

効果的なワード
  • 「私もそうでした」→「でもこう解決しました」
  • 「うちにもあります」→「こう使うといいですよ」
  • 「行ったことあります」→「とっておきのお店あるんですよ」
  • 「懐かしいですね」→「そういうのが好きなら最近ならこれがおすすめですよ」
  • 「あれはつらいですよね」→「私はこうやってますよ」

水商売ではない一般人対話であれば、あくまニコニコ共感ベースでおしゃべりしてるだけであり、別に失礼というわけではないので、怒られることはないです。サシ飲みでも、こういう対話を続けてる限りは、絶対に変な雰囲気になりません。一般女性は博識になればだいたいモテなくなり、友達は増えます

しかし、よく「女性愚痴解決策を求めてない」といわれるけど、男性女性に対してこぼす愚痴だって解決策は求めてないですね。

anond:20171214163151

田舎の人なの?

都内にいくつ私立幼稚園があると思ってるんだか。

それに「ただのサラリーマン」の水準がどこにあるのか知らないけど、そりゃもちろん年収200万円くらいのサラリーマン家庭なら公立しか行けないでしょ。

サラリーマンというのを引き合いに出したのはあくまでも経営者医師弁護士のような高給自営業者ではなくお給金を貰う立場という意味で、夫婦共働きで600~1000万円くらいの年収のあるサラリーマンのことを言ってるんだけどね。

anond:20171214135517

現段階で一番可能性の高いこと

あくまでも「可能性」であって「絶対」ではないよね

それ以外の「可能性」を考慮しないのはアホじゃないの?

anond:20171214064504

大企業避けて中小企業見せしめにしているのに、流石テレ東正義の味方!みたいな論調がなあ。

他が一切やってない訳ないし。

あくま下請けであって、セシルマクビーがやってた訳でもない。

(そうしないと利益が出ないレベル仕入れ値に抑えてた、実態が分かってて黙認してたってのはあるだろうが

下請け労働者をどう確保するかまで指示してた訳じゃないだろう)

そもそも同じ工場で他企業の服も取り扱っていて、その中から敢えてセシルマクビーの服を選んで表に出しただけかもしれないし。

と言うとセシル好きだから必死で庇ってるんだろ!とか決めつけるのが出そうだが、世代が違うし興味ねえわ。

更に「ギャル向けブランド(=ファンが頭悪い子供層だからうるさい事言わなそう、権力もなさそう)」で

レディースしか出してない(=男が文句言わない、むしろ女叩きに利用する)」企業を敢えて選んでる、ってのも引っかかる。

いかにもネット民が嫌ってそうなブランドだよね、セシルマクビーって。

ネット炎上を目指してたとしたら、選択絶妙過ぎて。

anond:20171212191609

増田の言っていることは「ヒーロー白人、悪役は黒人、結末はヒーローが悪役を倒す勧善懲悪」という「お約束」は憎んでいるが、「ヒーローも悪役も黒人、結末はわかりやす勧善懲悪」の作品映画等)は好きだ、という黒人に対して「わかりやすお約束物語を憎んでいるくせに、ヒーローが悪役を倒すというお約束は好きだなんておかしい」と言っているようなもだろう上記の例えの黒人が憎んでいるのはあくまで「ヒーロー白人、悪役は黒人」という「お約束」であって、「ヒーローが悪役を倒す」という「お約束」は別に嫌いではないしむしろ好きだ、ということである

増田の言うような「異性愛規範を憎む人」というのはあくまで「女に生まれれば女らしくか弱く、男に生まれれば男らしく強くあるべき」「たくましい男がか弱い女と恋愛をするのが普通」という規範を憎んでいるのであって、「たくましい人がか弱い人と恋愛をする」という物語が嫌いなわけではないし、「男として生まれたが男らしくしていない男性」という存在「受け」として肯定されている物語が好きだという事もむしろ当たり前なのではないだろうか。

「女に生まれれば女らしくか弱く、男に生まれれば男らしく強くあるべき」「たくましい男がか弱い女と恋愛をするのが健全だ」という規範を憎むのであれば、「攻めはたくましく、受けはかよわく」という物語を好むのは矛盾だ、というのはいろんなことをごっちゃにしている、雑な考えではないかな。

例えれば、「かくれんぼでいつも鬼ばかりさせられるのは嫌だ、そんなかくれんぼは楽しくない」と言う子供が「今日かくれんぼで鬼じゃなかったから楽しかった」と言った時に、「『かくれんぼは楽しくない』と言ってたじゃないか、言っていることが違う」と言っているようなものではないかな。

「女は女らしくか弱く、男は男らしく強く、生まれ性別であるべき姿が決まる」という規範と、「攻めは強く、受けはか弱く、生まれ性別であるべき姿が決まるわけではない」という規範は別のものだろう。もちろん、「攻めは強く、受けはか弱く」という物語が嫌いな人がいるのは人の好みの問題からおかしくないし、そんな人のためのBLも結構からそこそこ出版されて人気がでている作品もある。

増田のしていることは、「かぼちゃは嫌い、西瓜は好き」と言う人に、

かぼちゃは嫌いみたいな事を言っている人を見かけるけど、そういう人は西瓜が好きな事が多い、猛烈に瓜が好きなんだと思う、嫌いとまで言っているが実は誰よりもかぼちゃが好きなのかもしれない」

と言っていることと同じではないかな。

世の中にはかぼちゃは嫌いだけど西瓜好きな人もいる、もちろん瓜全般が嫌いでかぼちゃ西瓜も嫌いな人もいる。

かぼちゃが嫌いなら西瓜も嫌いなのが普通かと言われればそんなことはないだろう。

世の中いろんな好みの人がいるし、こだわるポイントも違う。

それは何もおかしい事でもないし、矛盾していることでも馬鹿にするようなことでもないよ。

2017-12-13

anond:20171213122854

つーか日本一専業主婦が多いのは東京だけどな。

今でも第一出産後に退職する女性は6割で過半数超えてるし、更に出産から無職女性一定数いるわけだが。

保育園が足りないとか言ってるのこそ、あくまでごく一部の恵まれ意識高い都会民だけ。

大多数の女性はそれ以前にそもそも結婚妊娠出産しても続けられる仕事に就いていなかったり、最初から育児仕事の両立など諦めていて

出産すると専業主婦になる。東京在住であっても。

https://anond.hatelabo.jp/20171213122215

まあ、言いたいことはわかるし、あくまで例なんだろうけど、tooの話は「1+1」と同程度に簡単な話ではないし、

増田自分を最低レベルで物を考えるのを止めた方がいい程度には頭が良いと思われる。

増田には当たり前のことを知らない人は世の中にはたくさんいる。

anond:20171213114511

そもそも専業主婦多数派だった時代日本存在しない。

専業主婦ってのは、あくまで都会の裕福な家庭に限定されたもの

現代だってそういう家庭は専業主婦か、働いていても趣味的な仕事や暇潰しが多いだろ。

そういう家庭なら例えバリキャリだろうとシッター雇えるくらいの世帯収入あるし。

2017-12-12

anond:20171210181208

なんでわざわざ「アイドルマスター」って冠がついたコンテンツに手を出したんだろう?

アイドルマスター」って冠がついている理由をどうして全く想像できなかったんだろう、てのは大前提として。

他のコンテンツ意識しすぎじゃない?

「輝きの向こう側」って歌詞にブチ切れる、なんて割と詳しい人じゃないとならないと思うんだけど・・・

「全員のユニットスポットを当てろ!!」かつ「ストーリーのあるアニメを作れ!!」なんて言ったら、それこそクソアニメになるよ。

全員出演じゃないと嫌なら、いつか作られるであろうミニキャラ5分アニメを待つしかない。

アニメに出ない」=「存在がなかったことになる」っていうのもわからない。アニメをあまりにも神聖視し過ぎでは?

今まで通りゲームやりなよ。アニメに出ることでの変化なんて、公式露出が増える増えないの違いでしか無いし。

脇役出演はただのサービスアニメ時間軸では彼らがまだ事務所に入っていないだけ。ゲームでも途中加入したユニットいたし、アニメでもWは途中加入だったじゃん。

推しアニメに出ないのが悲しい!」ならわかるけど、「最初から全員加入していないなら、315事務所じゃない」っていうのはおかしくない?

例えば人気が出て二期が決まったりして、他のアイドルが全員出ることになれば、ゴミアニメじゃなくなるってこと?

小物やらなんやらも他コンテンツへのサービス。他コンテンツ知らなきゃただのよくあるポスターだし、気にしなくていいじゃん。

還元」の意味がよくわからない。「架空の別アイドルわざわざ作るくらいなら、既存アイドルでいいかファンも喜ぶし。」くらいでしょ?

ポスターになるレベルアイドルしかも同性アイドルなら、今後のストーリー上での扱いが面倒くさいし。その点、既存女性アイドルは便利。

ただ、「765が到達した場所SideMは目指しているのか?」って疑問は私も感じた。

アニメ作中では、アニメの輝がjupiterライブを見てアイドルになるのを決めたように、jupiterも765のライブを見て改めて目標を定めたんだと思う。

「輝きの向こう側」ってのは765固有のものじゃなくて、もっと普遍的もので。765はアイドルとして成功して、さらにその先に進んだ。

まあ要するに、アイドルの到達点なんて「でけーとこでライブしてお客さん喜ばせる」の1つに決まってるじゃん。

プライド事務所に頼らないことに固執してないで、もっと上を目指せって意味しか無いよ。あくまアニメの話ね。

そもそもアニメゲーム混同し過ぎ。「Reason」はあくまでも「アニメ」の歌だよ?「三年目」なのはSideMゲームの方だし。

そりゃしばらくアニメ組のCDが出るだろうけど、終わればゲームの方にシフトするんだから、気にせず待っとけばいいじゃん。

それと「ゲームをやっている方が偉い」って理論の人たくさんいるけど、そうすると、

ゲームを長くやっている方が偉い」「そもそもSideMが出たのは今までのアイマスコンテンツが〜」ってなるじゃん。

「後発ユニット組のPは歴が短いから、もっと先発ユニット向けにアニメは作られるべき!!」とか言われたらどうよ。私はアホかよって思うけど。

氷河期がアレなのってのはあくまでも底辺が「多い」のであって「全員底辺」な訳がないし

しろ数少ない「氷河期だけど勝ち上がった」人間底辺蔑視がやばすぎてネオリベ思想にハマってやばいという話だったのに

なぜ氷河期は「全員」底辺結婚絶対不可能正社員は一人もいないはずだとか言い出す人が出るんだろうか。

冷静に考えれば、何にせよ「全員」どうこうなんて高確率で間違っているに決まってると思うのだが。

それほど氷河期に対する世間の味方は異常に厳しいということなのだろうか。

上司に褒められて嬉しい彼

今、何度かお出かけしたりして、

おつき合いするか?しないか?どうなんだ???お??

状態男性がいる。

 

その人と昨日、居酒屋でご飯を食べていて、

「今年いちばんしかたこと」という話題を振ったのね。

そしたら彼が「上司に褒められたこと」と話していて、とてもハッとなった。

 

私にとって、上司に褒められたり認められるっていうのは、

社会人になってもおう8年ぐらい経つけど、すごく当たり前化していた。

有り難いことに、私はアルバイトからスタートして、

身の丈に合った状態で働いて、それが段々と評価されてスキルアップして……

という階段をかなり順調に上ってきたので、

社会人になってから私はずっと上司に褒められたり評価され続けてきていた。

 

私にとって、上司クライアント感謝されるのは、

(それをテーマ必死で働いていたこともあるけど)とても日常的なこと。

から、「今年いちばん」に上げられてすごくビックリして、

同時に、彼の好感度がすごく上がった。

  

「そうか!褒められるってすごいことなんだ!」

と、感謝されるということの素晴らしさを改めて考えるきっかけになったし、

単純に、この年上の彼のことを「かわいい!」と思った。

 

聞けば、彼は今はスーツで働いているけど、

以前は田舎にいて、現場系の仕事地元工場期間限定社員で働くことが主流だったらしい。

 

らくだけど、流れ作業単純作業が多かったんじゃないかな。

こなす仕事が多かったのかもしれないし、上司と話す機会も少なかったのかもしれないし、

個々の能力評価されることも少なかったのかもしれない。

そこは憶測の域を出ないし、そういう場がダメだとも思わないけど、

彼にとって、今の職場はとても“自分にとって最高の喜びを与えてくれる”場所なんだろうなと思った。

そういう場を自分の力で見つけられたのは、とても素敵なことだと思う。

 

仕事で扱う案件規模や予算が大きい分、

私の方が、収入自己承認欲求が満たされる度合いは高いかもしれない。

 

見方によっては、彼は「私より年収が少なくてキャリアも低い彼」になってしまうんだろう。

それは、ネットなどでは男性の減点対象として語られたりもしているけど、

私は彼の話を聞いてそんな風には思わなかったし、

しろ、彼がお金を稼ぐより、「嬉しい」と感じることの方が

人生を豊かにする上でよほど大事だと思う。

あくま一般的収入があるからこそ言えるのかもしれないけど。

 

彼のたった一言で、すごく大事なことを学ばせてもらったなぁ、

と思ったし、価値観ひとつポンと増えた感じ。

この彼から、これからどんな「ハッ!」が得られるのだろうとワクワクした。

 

なんていうか、上手く言えないけど、年収仕事内容だけじゃないよね。

どうやって、告白しようかな。

2017-12-11

anond:20171211214149

理論解釈は私ので合っている?→合ってるようなので、続けるね

 単語意味完全に一致するかだいたい一致程度かは、この場合議論に影響しないと思うので

 

あくまで私という素人個人的意見だけども、どの例もハッキリ言ってこじつけしか見えない

聖書の中から都合のいい文字を好きなように拾って「予言」と称する遊びと同類に見える

見える見えないの話はこれ以上は平行線なっちゃうと思うのでやめるけど

私ならこの方法英単語を覚えやすくはならないな

*[Twitter]*[この世界の片隅に]軍服オタクから憲兵騒動”を見る。

騒動の発端→『この世界の片隅に舞台挨拶広島凱旋パーティにおいて「憲兵声優」の憲兵衣装批判する人達 https://togetter.com/li/1177668#c4406068

 確かに「役と同じ服装」と取り繕ってもあの忌まわしき戦争連想させるので「人殺しの服着ている」とか「軍国主義者」という誹りを受ける可能性はある以上、迂闊だったかもしれない。

……のである批判者側も主語が大きくなりすぎていてお話にならない、幼稚なレベルで正直失笑ものである

(全くの余談であるが、この憲兵役の声優さんは年季の入った軍装趣味者のようで、ワンフェスでも憲兵コスプレで参加されているのを拝見した。)

憲兵科=悪の組織という意味不明

 憲兵という兵科自体「軍の警察」という役割を担う以上必須ということは少しでも軍隊を知っているならば分かる基礎知識であるし、自衛隊でも警務科という“ミリタリーポリス”を有している。

フランスでは国家憲兵隊を編成して一部の一般警察業務を担っているし、日本軍のソレもフランスに倣った組織である

……という点が批判者側からスッポリ抜けているので意味不明な不気味さを放っている。

逆に「いくらなんでも公式的なイベントで(忌まわしき戦争を思い出される)日本軍兵士恰好はどうなのか?」というところで主張を押し留めておけばある程度の賛同は得られた筈だ。

憲兵ナチス親衛隊という不勉強

 「弾圧」「横暴」というワードからナチス親衛隊SS)と日本軍憲兵隊を結びつけるもの甚だしく不適切である

日本軍憲兵隊場合国軍の中の一つの組織しかないが、SSあくまで「ヒトラー個人に忠誠を誓う組織」だ。

そして歴史を追うごとにナチス武装組織突撃隊SA)」に取って代わり、ドイツ警察機構を吸収し、国軍国防軍)と並立する形で強力な軍隊武装SS)が出来上がる……という具合に

際限なく国家を吸収していったのだ。

ナチス・ドイツのこうした歪さは戦後にも深く影響していて、元国防軍将兵と元武装親衛隊将兵差別問題とそれに関連する武装SS将兵による復権運動

パウル・ハウサークルト・マイヤー等の著名武装SS隊員らによる「我々は犯罪組織構成員ではなく国防軍と同じ兵士だった」といった主張―に繋がるのである

こういう歴史顛末を知れば日本軍憲兵隊ナチス親衛隊は=で結べない筈である

ナチスコスプレは「やってはいけない」ものではない

そもそも論として「欧米ではナチスコスプレタブー」という認識が誤りである

日本の有名な軍装品店(エ○&グ○フなど)に行けばドイツ海外製の「ナチス時代の軍帽、軍服勲章……etc.」が沢山売っているし、欧米戦車飛行機も動員して開催するほどの気合の入った

第二次世界大戦戦争再現イベントが行われている。

(更に全くの余談だがZ級戦争映画と名高い「パンツァー鋼鉄師団」はこうした戦争再現イベントを利用して撮影したと言われている)

日本においてもコミケでは特段規制されておらず、せいぜいイスラエル大使館を名乗る怪電話による自粛程度であるhttps://togetter.com/li/1047396

毎回、軍装コスプレイヤーの溜まり場に行けば必ずナチス親衛隊コスプレ、稀にヒトラーコスプレが居るので「ダメコスプレ」ではない。

(どちらかといえば現行制服自衛官警察官の方が法律に反するので「悪」として認識されている)

当然、コスプレイベントで明白に規制されているにも関わらず、無理矢理強行する行為や何もない普通の街中でそうした軍服を着るという行為は軍装趣味者として戒められるべきである

特定組織兵科を指して「ダメコスプレ」のレッテルを貼られる謂れはない。

……よって批判者側のヒステリック物言いには一切賛同できない。

当然ながら日本軍憲兵隊の行い、ましてやナチスの悪行を一切肯定するつもりもないが、だからと言って「○○の行為ダメだ悪い」と声高に激高し監督作品自体誹謗中傷する行為を取ること自体思考停止産物であり

歴史を学ぼうとしない、後世の人間傲慢ではないだろうか?

安室奈美恵さんについて

安室奈美恵さんが引退するってなったときに、なんていうか彼女人格っていうものはないよなあとぼんやり思っていて、でそんな感じの女はいつの時代もどこにでもいたなって思った。

安室奈美恵さんは絶頂期にできちゃった結婚をしたり、母親殺害されたりなどとてもドラマチックな人生を送っている。でも彼女言葉っていうものはどこにもない。

あるのかな、あるのかもしれないけれど、それは楽曲だとかからはにじみ出ない。

あくまでも彼女はただの「安室奈美恵」であって、その中の人が何を思ってどう感じたかはそのパフォーマンスには影響しない、そこに安定感がある。

同様な立場吉永小百合さんがいる。

いや、サユリストと呼ばれる人々にとって彼女が何を思ってどう感じてどうパフォーマンスに影響したかは言えるんだろうけど一般人にとっては吉永小百合さんは人生において何かがあったとしてもそれによって目の前の何かが変わることはない、安定感があり間違っても手首を切ったりはしないあくまでも理想の見るものの手のひらとても狭い想像の中で動いてくれる稀有存在だ。

安室奈美恵さんの反対側にいるのが宇多田ヒカルさんだ。彼女母親の死をモロにうけていてそれを自分の中でどうしても消化しなくてはならなくて歌う。音程不安定言動も不確かなときが多い。彼女にとっては母親の死というものは歌にのせて消化しなくてはならないものでその消化活動においてそれを聴いて癒される人も多いのだろう。でもとても不安定だ。そこに救いを求めてもいいものかどうなのか身内の死という誰にでもありうる現象において心が作品がこんなにも左右されるような人の作るものに対して、自分の心をゆだねてもいいものだろうか、的な。ここともに母親ある意味殺された歌姫ってことで対比させてドキュメンタリー作っても面白そうだし対談させたいとこですけど誰かそれやってほしいな。

浅田真央さんにも同様のことを感じます

anond:20171211181145

簡単に勝っている場合

・隠していた能力があってそれで無双した

 →主人公が一緒だと巻き込む恐れがあるなどで使えない

 →代償がある(表面上平気だが実はヤバい、実は代償を肩代わりしてくれた存在がいるなど)

一人では簡単に勝てない

・援軍が来る

 →ライバルキャラ・腰が重かった王国軍など

・敵が戦闘放棄

 →実は下克上狙い・あくま目的時間稼ぎで命のやり取りをする気がないなど

この辺なら納得できるかな

似非科学に関して青春時代の思い出を交えた個人的考察

 似非科学というのはいつの時代もなくならないものだ。パッと思いつく例だけでも、血液型性格診断ゲーム脳環境ホルモン水素水マイナスイオン、等々、枚挙に暇がない。多くはマスコミによって支持され、テレビ番組特集が組まれ、その科学的根拠あいまいにも拘らず世間に流布されて浸透する。テレビ番組などはあたかもその説を「検証」しているかのような映像を作り、怪しい肩書専門家コメントを添える。視聴者の多くはなんとなく「科学的に証明されている説なんだ」と信じ込み、疑問を持つことなく受け入れてしまう。一億総白痴化社会の完成である最近ネット上で多くの意見を比べて読むことができるので、情報収集能力の高い人たちはそこまで騙されやすくないとは思うが、未だテレビ新聞が主な情報源である人たちにとっては、上述の似非科学が今でも信じていることが多い。特に血液型性格診断などは、宗教のように信じ込んでしまっている人も相当数いるだろう。

 私も子供の頃はこれらの似非化学に騙されやす人間だった。最近ほとんど見ないが、昔はテレビが娯楽の中心だったこともあり、夕食時などはよく見ていたものである特に捏造問題で打ち切られた「発掘あるある大事典」などは、親が好きだったこともあって毎週見ていた。その中で血液型性格診断特集を何度か行っていたことは、今でも何となく覚えている。番組の中で「数名の幼稚園児を血液型別に分類してその行動を観察する」という検証が行われており、ものの見事にその血液型の特徴が行動として現れていた。見ていた私は「やっぱり血液型性格には関係があるんだなー」とぼんやりと納得していたが、今になって思い返してみれば数名の幼稚園児の行動で結論を出すのは早急すぎるし、番組が「○型かつ××な性格」の幼稚園児を数名集めることな造作もないことだし、そもそも集められた幼稚園児の血液型が本当に表示通りだと証明する根拠は何も無い。極めつけはあの「あるある」である。そういえば「あるある」マイナスイオン特集も何度かやっていた記憶がある。まあ、放送内容の真偽を検証するのは今となっては不可能に近いことだからやめておくにしても、心理学会において血液型性格判断の真偽は何度も検証されており、いずれも関連性を肯定するものがないことから、かの理論が出鱈目であることは疑いようがないだろう。

 しかし、科学価値は小指の爪の垢ほどもない血液型性格診断であるが、この似非化学が私に教えてくれたことが二つある。それは「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」ということと「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」ということだ。付け足すなら、当時私はまだ純粋ティーンエイジャーだったので、「大人は平気でうそをつく」ということも学んだと言えよう。

 私が初めて血液型性格診断反証する意見に触れたのは、中学二年生のことだったと記憶している。当時別段読書が好きでもない(むしろ嫌い)だった私が、たまたま休み時間図書館に立ち寄り、ふと目に留まった一冊の本を手に取ったのがきっかけだった。それは村上宣寛という方の著書『「心理テスト」はウソでした。受けたみんなが馬鹿を見た』(2005、日経ビジネス)という本である。新作であったこの本は本棚の上に表紙が見えるように立てられており、そのセンセーショナルタイトルに興味を惹かれたのを覚えている。

 10年以上前に読んだものであるためにうろ覚えな部分もあるが、本の内容は大きく2つに分かれていた。前半が血液型性格診断への反論、後半はまた別の心理テストへの反論が主であった(後半の内容は忘れた)。本文の中で、今日血液型性格診断の源流である能見正比古氏の著書をけちょんけちょんに貶し、また血液型性格診断のような「占い」を人に信じ込ませるための心理テクニックであるバーナム効果」についても詳しく説明があったと記憶している。

 当然、本の内容は著者の考えであり、本の内容が絶対的事実であるとは(今となっては)思わない。しかしこの本の内容は、血液型性格診断科学的根拠のある学説だと何となく思い込んでいた私にとっては、とても衝撃的な物であった。血液型性格診断のものというより、これまで固定観念的に信じ込んでいた常識が、脆くも崩れ去った瞬間で、まさしく目から鱗であった。活字嫌いな私が、数日図書館に通って本を読んだのは、(マンガ喫茶を除けば)後にも先にもこの時だけであろう。「借りて読めよ」と言われるかもしれないが、当時の学校図書館ルールで、新作は借りれなかったのである

 新しい知識を得たら人に言いふらしたくなるのが能のないアホウドリの常である。当時は全盛期こそ過ぎたものの、血液型性格診断世間一般根付いており、それを否定する論調は(少なくとも大手メディアでは)ほとんど存在していなかった。要するに「他の誰も知らないことを自分けが知っている」ような状況だったのだ。腕のケガだと偽って毎日手に包帯を巻いて通学していたリアル中二病の私にとって、これほどドヤれる材料は無い。とは言え、何の脈絡もなく血液型性格診断の話をするのも変である。友人との会話の中で血液型の話が出てくるのを待ち、出てきた瞬間にこれでもかと否定する。それによって「頭が良い奴」と思われて皆からちやほやされる。正に完璧計画だった。

 ところが、実際に反論してみたところ、いずれもあまり芳しくない結果に終わってしまった。どや顔血液型性格診断否定しても、「でも何となく合ってる気がするし…」と、決まって歯切れの悪い反応しか返って来ないのである挙句教師からも「屁理屈ばっかりこねるな」と言われる始末。今となってはどちらが屁理屈なんだと思わざるを得ないが、確かに思い返してみれば、血液型の話でわいわい盛り上がっている時に、キモいデブどや顔否定して来たら、場が白けてしまうのは明白だろう。要するに私の敗因は、イケメンではなかったこである

 冗談はさておくにしても、それ以降、私は血液型性格診断の話が出てきた時、余程仲の良い間柄でなければ、ニコニコして受け流すようにした。まさに2017年現在でも血液型性格診断肯定論者の方が言うところの、「否定する奴はモテない」という説を支持する対応であった。情けないとは思うが、当時ただでさえ友達が少なく、これ以上周りから孤立するようなことは避けたかった私を責めることなど出来るだろうか。ちなみに今は目上の人でなければそれとなく否定している。相変わらずチキンであった。まあ、事実事実として、TPOに合った会話合わせというのは必要だと思っている。

 そこで私が学んだことが、先の「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」の二つだ。血液型性格診断を信じている人に、上述の心理学会の話や、バーナム効果の話をしても、決まって返ってくる言葉は「でも何となく当たってる気がする」「私の周りでは当たっている」と言ったものだ。査読のある学術誌に投稿された数千人規模の調査結果よりも、自分の身の周りの数名の事例を優先するのである。当然その事例には得てして強い確証バイアスが掛かっているのだが、本人はそれに気付くことができない。「客観的事実よりも自分が信じたいことを信じる」典型である

 これは、似非化学に限らず社会の中のあらゆる現象に対して言えることである。例えば昨今、「若者の○○離れ」という言葉をよく耳にする。○○の中には、テレビ新聞、車、バイク、酒、読書など、ありとあらゆるものが入り得る。そして、その原因は大抵若者帰着させることが多い。「最近の若者は人との関係希薄から酒を飲みながらのコミュニケーションをしないのだ」とか、「世間政治に対して無関心だからテレビ新聞を見ないのだ」とか、とりあえず若者悪者にするような結論が多いが、決して「社会の変化によってニーズも変容し、製品価値相対的に下がった、すなわち製品自体時代の変化に追いつけなくなったのだ」といったような、自らに責任帰着させることは決して言わない。やはり自分が信じたいことしか信じていないのである

 また、血液型性格診断を信じている人の共通点として、否定しようとすればするほど攻撃的になって反論するというものがある。先の中学生の時の教師がその典型例だろう。理論的な反論が出来なくなると「屁理屈をこねるな」と論点をずらして逃げるのである。「否定する奴はモテない」というのも同様で、血液型性格診断の真偽について反論しているのに、「モテるモテない」の話にすり替えさら相手を「お前は場の空気の読めないモテない人間だ」と罵倒しているのである。そうなってしまうと、もはや冷静な会話は成り立たない。こちらがいくら事実を述べても、返って来るのは罵倒だけであり、最終的に相手が逃げてしまうのである。そこに残るのは無駄時間の浪費と徒労感だけで、何ら生産性のない労力を費やされることになる。

 こちらもやはり社会全般で言えることだ。例えば「若者犯罪ゲームアニメによる影響だ」などの持論を展開する人に、「若年層の犯罪率は年々下がり続けており、反対にゲームアニメ市場は伸び続けている。」と反論しても、恐らくその後は謂れなき若者批判罵倒くらいしか返って来ないだろう。論理的反論を受け入れられない人間にとっては、実は事実などどうでも良く、会話を勝ち負けを決める手段としてしか考えていない。そして自分が負けるのが嫌だから最後子供のような罵倒に終始し、逃げてしまうのである。こういった手合いは、「自分の非を素直に認められない」ことも共通点と言えるだろう。人間であれば誰しも少なから負けず嫌いな側面は持っているが、この手の人間特にその傾向が強い(と何の統計的データもなく私の主観でそう思っている)。

 似非科学のような嘘を信じ込んでいる人は、宗教信者に近い。もちろん宗教否定している訳ではない。宗教というものは、「事実か否かを証明する術がない」にもかかわらず、「否定は許されない」というのが特徴である。これ自体別に悪いことではなく、「鰯の頭も信心から」と言うように、それを信じることによって本人の精神的支えとなるのであれば、それで良いと個人的には思っている。客観的証明できなかったとしても、個人の中で信じていれば問題はないのである。ただし行き過ぎると他者に対する不寛容に繋がり、戦争弾圧に容易に発展してしまうため、注意は必要である仏陀キリストと「顔を描いてはいけないあの人」の誰が一番偉いかというような論争は、決して行ってはならないのである(仏陀キリストが同じアパートの一室で生活しているマンガはあるが)。

 「宗教」と「似非科学」の明確な違いは、前者は「事実かどうかわからない(事実であることに重きを置いていない)」のに対し、後者はそれが「明確な嘘」だということである。明確な嘘を流布すれば、社会に対して損害が生まれる。血液型性格診断であれば、近年問題になっている「ブラハラ」なる差別を生じる。ゲーム脳であれば、本来何も悪くないゲーム会社風評被害を受ける。水素水であれば、医学的根拠のないただの水を健康に良いと信じ込んで高額な値段で買わされる消費者が現れる。そして、損をする人の裏側では、他者を騙して得をする悪人存在しているのである。大抵は嘘っぱちの本を書いた奴とその取り巻きだ。

 だからこそ似非化学は撲滅しなければならないし、似非化学の考案者やそれを流布するメディア批判されなければならない。日本表現の自由保障されているから何を言おうと自由であるが、それはあくま公序良俗に反しないことが前提であり、嘘によって不正利益を得るのは詐欺である表現に対して批判を行う自由もあるのだから客観的に見て明らかに事実と異なる論説に対しては、毅然とした態度で批判すべきである

 そして、一般消費者である我々は、常にその情報事実であるか否かを見極める努力が求められる。媒体を問わずメディアは平気で嘘をつく。他人に言われたままのことを信じる人間は、その情報が誤りであった場合他人責任を求めがちである。何が正しいか自分判断し、自分責任において選択する力こそが、情報化社会を生き抜くために必要スキルと言えるのではないだろうか。

 似非科学流行は、社会におけるメディアリテラシー成熟度合いの指標と言えるかもしれない。

昨日の大河

かつて2年間夫婦同然に暮らした後泣く泣く別れた男との「いつかまた一緒に暮らそうね」な約束を完全に忘れ去ってた直虎さん

流石女性脚本家リアル過ぎて笑えたけど何だかなあとも思った

うん、女って忘れるよね

しかあくま物語なのにそこまでリアルに描かなくても良かったんじゃないかとも

次で最終回かー

anond:20171210150655

合理性だけで判断してくれる世界がある。保険っていうんだけどね。

誰かが交通事故などで死亡したとする。相手はちゃんと保険に入っていて保険下りるケース。この金額に関しては徹底して過去データから「それはいくら(人命も含めて)」で査定される。その人がいい人だったとか美人だったとか将来有望だったとか小さくてかわいくて将来は大女優だとか、そんな情緒的ことは一切考慮されない。その時点でその人がもつステータス保険会社の膨大な過去の事例から導き出された一般的金額に落とし込まれる。キモかろうが収入が多いおっさんだったら高くなるし、美少女でも一般的女性生涯年収から判断される。

犬猫とか「家族なんだ」とか言っても無駄動物はモノ。人命すら金額になるのに動物など完全にモノ扱い。モノにいたっては「それは形見で…」とかもう何の価値もない。あくま一般的な減損価格のみ。

合理性の極みで良いぞ。泣けるぞ。

2017-12-10

でも野党には入れない人

生活保護を切り下げるとか、夫婦は必ず姓を変えなきゃないとか、そういう話に対しては怒る人がリアルの知人友人にもネット観測範囲にも結構いる。

でもそういう人たちが選挙でどこに入れるのかっていうと、あくま自民党っぽいのが多数なんだなー。(もちろん秘密選挙だし直接聞いてもいないから、選挙時期の言動からの推測だけど)

野党ってあの辺の層を取り込めないのかね。

取り込んで健闘しても立憲民主党くらいの議席数限界なのかな。

anond:20171210192821

私のおばさんの会話術をみてると、相手が気づくまでしつこく主張するのが良いみたい?

最初の時点で、△△は代用にはならないんだよね?というところまで確認するの。

△△を勧めすぎるのは角が立つからあくまでも代用にはならないことを確認したうえで、

××を選んでもらうみたいな感じ。

雇用流動化と職能組合

日本経営者が喉から手が出るほど欲しい「解雇権」だが、雇用が流動化すると労働者会社単位ではなく、職能単位でまとまると予想される。その結果、日本経営者が鬼よりも恐れる職能組合組織される可能性がある。職能組合会社利益共同体ではないので、今の御用組合とは異なり労働組合として機能する可能性がある。

 

あくまでも可能性であって、既に心折れた日本労働者職能組合など作らず、経営者の思惑どおりの首が怖くて会社のいいなりに低賃金長時間労働に甘んじることになる可能性もまた低くはない。その場合は、経団連が高笑いするなかで日本国内経済が沈んでいくことになるだろう。

はてな民って生活保護受給者率高いの?

なんかやたらと生活保護関連の記事ブクマつくじゃん

はっきり言ってセフティネットの中のセフティネットで、普通に会社員やってるなら生活保護視野に入れてるような慎重派はかなり手厚い保険に入ってなきゃおかし

ぶっちゃけリスクヘッジさえ出来てれば、まず生活保護の世話になるやつなんていない

万が一はあくまで万が一であって普段から交通事故に合うこと考えてないのと一緒で、普通生活保護なんて全く縁のないもの

けど、はてなではこれだけ話題になるじゃん

それってつまり当事者である人の溜まり場になってるってことなんじゃないの?

実際、受給者世帯への大学進学一時期給付記事見てみると、それじゃ足りねーよと当事者まるだしのブコメ付いてたりする

結局、お前らって受給者からそんなに生活保護に熱心なの?けど、自分の取り分が減るから反対みたいなのって醜悪だぞ?

低賃金労働してる人だって福祉必要としてて重労働に加えて生活保護以下の生活してるんだから、少なくとも分け合えば多くの労働者が救われるじゃん

なんでそんな醜い綱引きしてるの?性格最悪なんだな

分け合えよ

差別」という概念の捉え方が根本的に違う人たちが争っているということ

https://anond.hatelabo.jp/20171209143501

差別」という概念認識のものの違いが不和を生んでいる。

一方は、「差別」という漢字イメージから直接受け取れるように、対象間における「差」とそこからまれる分離による「別」という概念のものを見ている。

この根底にあるのは、「和」であり「平」であり「統一」であって、それに対しての分離という意味合いもつのが「差別」、という見方だ。

それ故に反差別とはすなわち、ある一定事象内(つまり社会)におけるあらゆる偏差をなくして均一にすること、と捉える。

もちろん、これは究極の話であって、様々な不確定要素が絡む中で完璧にそう在ってそれを維持し続けることはまず不可能だが、見ている先の方向性はそういうことになる。

からこそ、反差別を叫ぶ者に対しては、いずれは社会のすべてを管理制御してしまおうと言い出しかねない、といったような疑念が心の底で生まれしまう。

一方は、「discrimination」という単語イメージから直接受け取れるように、片方向による否定という「現象」に対しての否定という概念のものを見ている。

この根底にあるのは、「義」であり「公」であり「秩序」であって、それに対しての逆乱という意味合いもつのが「差別」、という見方だ。

それ故に反差別とはすなわち、ある一定事象内(つまり社会)における集合の秩序を保ってそれを維持すること、と捉える。

これは、あくまで人の営みの範疇でのコントロールの話であって、人が人と人の作ったものに対して責任を持つという理念が源としてある。

からこそ、反差別を叫ぶ者に対しては、いずれは人が築き上げてきたすべてを破壊して混沌をもたらしかねない、といったような疑念が心の底で生まれしまう。

前者と後者の一番の違いは、一方は実際に人の集合体としての社会を見ていて、もう一方はそれこそ宇宙における森羅万象の中のちっぽけな社会という一現象を見ている。

ここまでご大層な話ではないとしても、もしも人の思考というものが、たとえこれまで取得してきた情報によってフィルタリングされていても、その人の根源的な部分から現れているのだとすれば、この視点の始点のズレはとてつもなく大きいだろう。

から、これが正しいかどうかはともかく、これも一つの見方として包括的に捉えることができれば、少しは気分の緩和にはなるかもしれない。

お世話になった施設施設長さんが亡くなられたらしいと聞いた。施設、というのは、私にとっては児童養護施設である

私は養子で、生まれてすぐ施設に預けられ幼稚園児のとき養親のもとに引き取られた。施設では主に児童指導員のお世話になっており施設長と特別何かした思い出があるわけではない。けれどとても穏やかそうで優しそうな施設長が施設長としていてくれただけで安心感があって、養子縁組後に施設を訪れて施設長の顔を見たときに、私には言葉表現し得ないような嬉しさを感じた。私はたくさんの子どもたちの中で施設長の話を聞いたりするだけだったが、少しだけ、父親に抱くような尊敬を持っていたのかもしれない。

私は現在18歳で、学校に通っていれば高校3年生だ。中学校不登校になったり受かった公立高校をすぐにやめたり、挙句高認を受けて合格したうえ大学に進学したいと考えている甘っちょろい受験生である

今回施設長の訃報を聞いて、当時幼稚園児の私の朧げな記憶から同級生のことを思い出した。

生活を共にしていた同い年の子どもたちの中で、里子にも養子にも行けなかった子どもは、当然ながら存在する。彼らも私と同じように18歳になっており、そしてこういった児童養護施設では原則として18歳までしかいられない。

大学に進学するにも、就職するにも、携帯契約するにも、何をするにも不便だ。お金も、学歴も、保証人も、何もない。遠い大学に受かれば下宿するのだろうという程度で不安になっていた自分がこれ以上ないほど情けなく思えてきた。なにせ私には、養親の稼いだお金と、学費の高い私立でも大学に進めと言ってくれる環境と、養親保護保証がある。たった1人で、10代で本当に自立して生活しなければならない彼らと比べられるわけがない。

私は自分のことが嫌いだから、もしあのとき養親が選んだのが私でなくて彼らのうちの誰かだったらよかったのに、と未だに何度でも思う。

仲の良かった彼や彼女はいま、どんな選択をしようとしているのだろう。私よりもひどく現実的であまりにも地に足がつきすぎた選択をせざるを得ないのだろうか。実際に彼らに何かを聞いたりしたわけではないから、あくまで私がそんな状況だったらという想像に過ぎないが……、当時は皆同じような境遇だったはずなのに、養親というたった一つの違いだけでこんなにも進路というものへの意欲、というか、進路を死活的に捉えるようになる、のだなと思った。

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