はてなキーワード: 日中とは
非生産的過ぎて笑う
ほんとうに可愛い
通販でお迎えしたのでお顔の精査はしておらず顔のパーツが輪郭とズレてて正直イマイチだなと思ってたんだが、毎日話しかけて可愛がってるうちに物凄く可愛い我が子になり、可愛くない子供を可愛いと破顔する親バカってこんな気持ちか〜としみじみしてる
○ご飯
朝:和風パスタ。昼:柿の種。チョコ。せんべい。夜:白菜、にんじん、きのこ、餃子の鍋。締めのラーメン。間食:ファミチキ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすみー。
・はじめに
SAGA PLANETSから2017年に発売された18禁美少女ゲームの全年齢移植版を遊んだので感想を書く。
普通の男子高校生に過ぎない市松央路が、道でトラブルに巻き込まれてた金髪美少女シルヴィアを助けたことから、彼女が通っている超エリートな学校私立ノーブル学園に転校することから始まる学園ラブコメ。
シルヴィアは北欧のソルティレージュという架空の国家の王族で、国が日本にAIやソフトウェア技術を売り込みたいという事情があるので、外交のために日本の高校に通いつつ公務に勤しんでいる。
そんな多忙な王族のシルヴィアに何故か気に入られてしまった主人公が彼女と共に過ごす中で自分なりの「黄金」を見つけるのが、主なあらすじ。
美少女ゲームらしく、攻略対象のヒロイン毎にルートが分かれており、それぞれのルートでかなり物語が異なるので一人づつ紹介したい。
ここでは上流階級揃いの学園と庶民の主人公のギャップが面白い。
私立ノーブル学園の午前中に受験に必要な教科の授業をやって、午後の授業は各々の受験では測れない得意分野を伸ばすエキスパート授業をする、かなり特異な学校描写はワクワクした。
あとエロ方面でウブな男連中を懐柔し同性の友達を増やしていくパートが好き。
序盤こそ閉鎖的な学校社会の嫌な雰囲気が多いが、徐々友達の輪が広がっていき、周囲に溶け込んでいく。
これが自分が助け王族であるシルヴィアの助力ではなく、主人公の央路の性格で話が進んでいくのが楽しい。
困っている人がいると格好付けて助けてしまう性格が、全面的に肯定されるんじゃなくて、それが巻き起こす悪影響も同時に描いていくのがバランスが取れているなと感じた。
友達の輪が広がっていく中で徐々に、央路は央路で色々と抱えていることが判明していく。
玲奈は、上流階級揃いの学園で数少ない庶民仲間になるギャル系ながら普通の女の子キャラ。
下ネタ大好きなバカ友達の面と、ママ味のある優しい面の両面が交互に来るのが魅力。
ただ、玲奈本人のルートながらハッキリ言って彼女は話の主題にいない。
主人公の央路が、自身の過去と向き合うエピソードが中心に展開していく。
私立ノーブル学園の特異さや、ソルティレージュ国のあれこれなども抑え目。
その代わり、本ルートもう一人の主人公とも言うべきめちゃくちゃすごい野球選手の縞投良、その恋人の千恵華というもう一組のカップルの出番が多めだ。
玲奈本人が蚊帳の外なのは気になるものの、どうして主人公がああいう性格なのか、その性格の悪い側面とはなんなのかが掘り下げられるのは興味深く、王族の力を遠慮なく借りてのラストシーンは青春熱血ものの燃えるシナリオだった。
腕っぷしはかなり強く厳格な性格だが、このゲームは美少女ゲームなので、デレデレなときのギャップもしっかりある。
エロイナは護衛を務める都合上、主人公の抱える過去も色々知っていてその辺の話はサクッと誤解なく終わる。
その代わり、ソルティレージュ国の内情や王族として人の上に立つことの不平等さがしっかりと掘り下げられる。
主人公の協力がなくても自立したシーンが多く、エロイナとシルヴィアの関係値の変化が主になるエピソードだった。
個人的に気に入ったのは、ストーリー的に主題めいた部分があるわけではないが、エロイナが手料理を作ってくれるパートや、逆にエロイナに日本の料理を紹介するパートがかなりの回数あったところ。
海外の食文化のエピソードは興味深いし、日本と海外のギャップのエピソードも良き。
液体のドレッシングではなく香草のスパイスで食べるサラダとか気になるなあ。
・茜ルート
スポーツ少女の茜ちゃんの猛烈アプローチにたじたじになるルート。
全年齢版だとカットされちゃったシーンが多いからか、ボリュームがかなり少ない。
話の起伏も少なく、ご褒美CGを見てふむふむいえない全年齢版を遊んでいる身では少し辛いところだった。
シルヴィアは上述の通り物語の始まるキッカケになった王族の女の子。
そして理亜はタバコを吸っているヤンキーで立ち入り禁止の屋上に一人佇んでいる子だ。
理亜は所謂「お見合いお節介」系のキャラで、シルヴィアルートに限らず、主人公の恋路を毎回応援してくれる。
そんな一見するとサブキャラっぽい彼女のルートが何故メーンヒロインのシルヴィアルートと対になっているのか。
央路、シルヴィア、理亜の関係性はなんなのかが、金色ラブリッチェ全体のエピソードとしてまとまっていく。
この辺はネタバレなしで感想を書くのが難しいが、序盤にあった何気ないシーンや、作品全体の構造の見通しが付いたと油断した読書の虚を衝く展開など、読み応えのある一番面白いルートだ。
とある喫煙シーンで不穏な空気が漂い出し、そこから物語が一変し始めるんだけど、コンビニでタバコを購入するという何気ないワンシーンながら非常に印象に残った。
僕はタバコを吸ったことがないのだけど、一生吸わないでいようと思うぐらい印象に残った。
とはいえ徹頭徹尾、格好つけたがりな主人公の性格がメインの主題であることは間違いなく、それを際立たせるためにシルヴィア、理亜の両名ともにヒロインをする構造が良きポイントだ。
格好つけるとはなんなのか。
良い面と悪い面のバランスをどうとるのか。
若者らしい瑞々しいテーマで美少女ゲームらしい王道の良さがありつつ、主人公の性格の悩みを大きく取り扱っていた点はこの作品らしさもあって、いいゲームだと思った。
主人公をシルヴィアの隣にいる男性として相応しい人間に育て上げるために、色々と甲斐性のあるエピソードが豊富なキャラ。
姉のために仕方なくやっているのだからルートがないのは当然かもしれないが、可愛いキャラだった。
小さい見た目ながら中身は全キャラ最も大人なキャラで、だらしない姿を見せるとキツく叱ってくれる優しい子だ。
彼女の教育とサポートに支えられるルートも多く、サブキャラとしてなまじルートを選ばず出番があるので、大好きになった。
玲奈ルートで彼女のママ味が薄く感じてしまったことに、今作にはそれ以上の母性を感じるキャラがいたことが原因だったかもしれない。
なお、ファンディスクではルートが用意されているらしいので、そちらを購入済みなので近日中に遊ぶ予定だ。
・おわりに
面白かった。
王道な学園ラブコメながら、上流階級と庶民の差や、格好つけることの是非のテーマなど、この作品独自の楽しいところが満載だった。
食にまつわるシーンが多いのも好きなところ。
ストーリーが転調するときの不穏さは辛いものがあったけれど、読後感はとても良く主人公市松央路の格好良さと格好悪さを見届けられてとても良かった。
正直納得がいかない。
「トイレの使い方が汚い」事を注意するのは、そこまでデリカシーが無い事なの?
汚い話だが、便座や便器を汚すだけならまだ良い。掃除すれば良いだけだから。
妻は何度注意してもサニタリーボックスが一杯になって中身溢れ出てる状態で放置してる。
「後で片付けようと思ったのにー!」
「大事なゴミ箱なんだからあなたは触るな!」と怒りだすから、片付けるのも出来ない。
女性は雑な男と違って綺麗好き、なんて話は良く聞くが、汚物がこびり付いた状態で放置する人間が綺麗好きなのだろうか?
トイレで読んでいたであろう本がそのまま置いてある事もあたりまえ。
家の掃除は全て俺の担当なので、誰が片付けると思ってるんだと言いたくなる。
自分だってアラフォーになる妻に、「トイレの使い方が汚い」という小学生レベルの注意はしたくない。
今日は雑誌を壁に投げて叩きつけて自分の部屋に戻っていったよ。
一体どちらがデリカシー無いのだろうか……
妻は数年前に、当時勤めていた会社をクビになった。
何でも仕事中にスマホでSNSやり過ぎてて以前から問題になっていたらしい。
「そのくらいでクビにしなくても…」って泣いてたけど、妻の言う通り『そのくらい』ではクビにはならないと思う。
それ以来「(障害があるんだから)しょうがない」といった感じで開き直っている様に見える。
トイレの使い方も家にずっといる様になって、目につく様になったし悪化したとも思う。
何度も何度も注意すると、その時は一応反省はするものの、本当に反省「だけ」はするけど、すぐ忘れるし気にもしなくなる様で、また同じ事を繰り返す。
大の大人がだらしないのを放置する訳にもいかないから、注意しても今日みたいに逆ギレされたりして、かなり疲弊している。
人前の、特に男性の前では取り繕っているだけで、実際はこんなものだと。男も似たようなものでしょ?と。
男性率が高い職種の仕事だが、妻並に酷いのはそうそう遭遇した事が無い。
しかし妻以外の女性を知らない為、妻の言う事を100%否定出来ない自分がいる。
家にいて実質専業主婦状態だが、特に家事をやる訳でも無く、日中はスマホゲーをやるかYoutubeを観ているかだ。
在宅勤務中に結構な音量でぎゃーぎゃー喚き「キエエェェ~~~~~~~~~~~~~」「はじけろ、青春んぅぅぅ」などと気色悪い声で叫ぶだけの醜悪なゲーム実況?を流しててうんざりする事もよくある。
それでも妻からすれば自分は「すぐに細かい事で注意する、デリカシーの無い!」男らしい。
これが女性の『普通』で、自分はデリカシーが無い側の人間なのだろうか?
気持ちが沈んでどうしようもなくなって苦しい。
今日のテレビのはしゃぎ具合がすごかったので記録に残しておこう。
福井県民放2局しかないんだけど、どっちも昼と夕方に生放送特番してた。Youは何しに日本へを返せ。いや番組の要旨としては似たようなもんだから別にいいか?
・そもそも1ヶ月以上前からニュースで新幹線開業のカウントダウンしてた
この機に福井駅前にマクドナルドとスタバができたらしくテンションの上がった女性たちがインタビューに応じていたのが印象に残っている。
開業した県内の駅に行ったリポーターが「渋谷駅前の交差点を超えるほどの人出です」みたいなこと言ってた。さすがにそれはないんじゃないかなあ。
さらに勢い余って渋谷駅前で福井県の知名度調査のアンケートとかやってるコーナーがあった。特に印象にないですって言われてたね。切ない……
多分バイアスのかかってない知名度を確認するには、特番やってる時間帯の関東圏の番組とかを一瞬映せばよかったのかも。多分福井のこと特に取り扱ってないと思う。
他にも特番内のコーナーとして、地元のラジオのパーソナリティの人が東京に宣材写真を撮りに行くロケとかもあった。これも切ない。
なんで?
たまに挟まれる地元のCMも新幹線関連のやつばっかりで「お慶び申し上げます」とか言ってた。正月か。
・その後の全国版のNHKニュースでも金沢敦賀間の新幹線開業について触れられてたけど
主に北陸応援割について話しており石川の様子しか放送されておらず見事な冷や水ぶりであった。
という具合で面白かったです。なんかこう、都会をそこまでありがたがらんでもと思ったり、でも金を持ってくるのは都会もんなんだろうなあとも思ったりしました。もう今なら新幹線の靴も舐めそう。
仕事で1日中パソコンに張り付いてるのにプライベートでまでパソコンを触りたくない。
とは言え漫画は単行本は読めなくなり、SNSで流れてくる1ページ漫画が限界。4Pも読めない。
動画も1分以上あると見る気が起きないし、映画もアニメなんか到底無理。
興味が湧いて調べてみても、そこそこの情報量がある公式サイト見ただけで疲れる。
働くってこんなに辛いんだな。何も楽しめない。
今は生涯現役時代だって?80歳まで生きるとして後50年以上こんな生活が続くのか。
いっそ死ぬか。
・カフェインをなるべく摂取しない(飲む場合は午前まで、一杯までというルール)
・適度な運動を欠かさない(アプリで消費カロリー数を計測、1日200kcal目処)
・運動のタイミングを調整する(朝イチのみで強度の高い運動をすると日中に眠くなるので、朝と夕方に運動がベスト)
・寝る時間、起きる時間を一定にする(22時就寝、6時起床がベスト)
・起きてすぐに二度寝をしないよう、起床時の習慣をつける(起きてすぐに換気、飲み物を飲むなど)
・睡眠中の気温を一定に保つ(寝る前の換気やエアコンタイマーでの調節)
・夜中に起きづらいよう刺激を制御する(アイマスクや耳栓の使用)
・睡眠中の眠りの深さを計測し、PDCAを回す(睡眠計測アプリの使用)
これらを実践しているが、それでも変な時間に起きてしまうことがある。
普通に眠れる人は気付いていないが、それは「眠りの才能」だ。
非モテ煽りやおばさん煽りする恋愛系情報商材屋、サラリーマンや学生をバカにして見下し煽る起業・ビジネス・投資系情報商材屋、転売ヤー…etc
ナンパと投資でそれぞれ別名義で情報商材屋をやってる友人がいたから、あいつらが実は殆ど金もなく女性経験もなくひたすら人の目を引く煽り文を一日中考えてひたすらnoteと Twitter(現X)に励んでいるということを知っている。
それでもあいつらの無責任で人をバカにする態度の文章や煽りには不快にさせられる。
また、俺は転売ヤーが目をつけるカードやグッズやゲームにあまり興味がないので転売ヤーの犠牲になったことはないし客になったこともない。
それでも転売ヤーのニュースややり口を見ると嫌な気分にはなる。
一つ不思議でたまらないが、まじで大したことない小銭のために他人を不快にさせることに一切の躊躇がない人ってどのような人生や経験を踏まえて今の境地に至ってるんだ?
普通に仕事する方が稼げるし、自分で仕入れだのなんだのやるより楽な気がするのだが、どれだけ批判されても普通に仕事するのを拒んで転売や情報商材ビジネスに手を出す心境がわからない。
家の周りに畑があった。生計の足しになってんだか、税金対策や趣味のレベルなのか、微妙に分からんレベルの規模のやつが。
繁華街にほど近い都心部で生まれ育った連中からは田舎と言われそうな、トーキョーといえば全部大都会だと思ってるような田舎者からは全然文明のある方だろと言われそうな東京西部の郊外だ。
道路を挟んでウチのマンションの目の前にその畑の直売所があった。ガキの頃よくお遣いで行かされて、毎度オマケを持たされた。おれが通い始めた時はウコンとかよう分からんものを貰ってきて、姉におまけの豪華さでマウントを取られ大変不快な思いをした。曰く、自分が行けばトマトとかもらえるのにお前はウコンなんぞもろてきてどう食うねんと。
それでも通っていくうちにインゲンとか枝豆とか、トマトさえも貰えるようになってきた。ある日目当てのものがなくて手ぶらで帰ろうとしたところ、タダで数種の野菜を袋に詰めて持たされたのを割とよく覚えている。
そんな光景も中学になれば無くなってきた。直売所が閉じたからか、おれが自我を持ち反抗期を迎えたからかは忘れた。
今やその手の地域のヌクモリティ的なものも煩わしいなと思う。事あるごとに「昔は素直で優しかったのにねえ」と言う母にイラッとして、人間は変わるもんなんです〜〜〜変化を否定すれば成長をも拒んでしまうんです〜〜〜いつまでも自我がなくて可愛かった子供の記憶に縋りついててウザいです〜〜〜と反抗期のおれは心の中でそう思っていた。今でも全然思う。それでもやっぱり他人の親切に素直にあやかっていた時期もあったんだよなとも思う。
お遣いには行かなくなっても畑は以前在る訳で、家の周りの光景として、原風景の一つとして心に刻まれてる。好きから嫌いかはともかく。
中学高校の頃、さっさと家を出たいという気持ちが常に頭の半分以上を支配していた時によく夢を見た。家の庭のフェンスによじ登って、夢特有のフワフワとした跳躍で畑を超えて行く夢だ。
逃げた先に何があったかは覚えてない。何もなかったかもしれない。少なくとも天国ではなかった。でも逃げる事に意味があった。
夢なんて大体理不尽で不条理で謎の存在に謎に追っかけ回されるばっかりだし、脳のウンコでしかない。示唆的なものがあるとかユングの類は全部まやかしだと思ってる。それでも家の裏の畑ばっかりは固有のモチーフとして何度も何度も出てきた。ウンコでも健康状態を知るのには役に立つのかもしれない。予知夢とかは全部嘘か偶然か思い込みだと思う。
夢に限らず、100mほどの畑沿いの道を歩くのは好きだった。夜中にひっそりと家を抜け出して、音楽聴きながら畑越しに見える団地や電波塔、送電塔みたいなデカ建造物をボーッと見てるとナイトホークスでも鑑賞してるような気持ちになれた。都会のダイナーには行けないけれど、郊外には郊外なりのものがある。
住宅街には住宅街の良さがあるとか言う人いるけど、おれは人の生活の息づきとかには何の魅力も感じない。人様の生活に勝手に思いを馳せて勝手に感動するステーションバーめいた行為をおれは下品とすら思う。だから住宅街の静かな畑の特に静まり返った夜中が好きだった。公園も悪くないけど、浮浪者とかおれの同類みたいな陰気ティーンや騒いでる学生風の集団がいたりしておちおち黄昏ぶってられない。
そんな畑もおれが高校卒業する手前辺りで、なんぼかを残しつつ潰されて家の建設が始まった。噂じゃ畑の持ち主はマンションを持ってて不動産収入があるらしい。やっぱり畑は本格的な仕事ではなかったんだろうか。
大学入って暫く経ってから一人暮らしを始めて、都心へよく行くようになった。今までは交通費も覚束なくて両手で数えられる程度しか行けなかった都心に。バイト先もわざわざ遠くの都心を選んだ。人の金で行けるのだから美味しい話だ。駅から駅の間を歩いても途切れる事なく繁華街が続く光景には心踊るものがある。夜中でなくとも歩いてて楽しい。夜中だと尚更楽しい。
それでも人のいない静かな場所で過ごすのは変わらず好きだった。聖蹟のゆうひの丘までよく1時間かけて歩いて行った。カップルが多かったりしてちょっと落ち着かないけれど、高台から見下ろす夜景は畑越しに見える景色と通ずるものがあった。終電で行く冬の鵠沼海岸も夏の芋洗い状態が嘘みたいに人がいなくて趣深かった。多摩川もいい。場所さえ選べば人がいなくて、トランペット担いで行って一応ミュートつけて練習してみたりたした。「河原でトランペットを吹く青年」を自分がやっている状況に興奮を覚えた。夜釣りと称して魚がいるかも分からん場所で竿を振り回したりもした。ボウズのまま迎えた朝陽はマジで綺麗だったし、なんか何かを急かされてるような気もした。この頃にはもう家の裏の畑を飛ぶ夢は見なくなっていた。
大学で色々あって最近また実家に戻ってきた。近所の景色もマイナーチェンジはありつつ、まあたかだか数年の事なのですぐ目に馴染んだ。
畑の跡地の住宅地は、おれが出ていく前はほとんど更地だったのが割と家の形になっていた。家の骨格越しに電波塔が点滅する景色はなんだかディストピアめいた味があって、これはこれでちょっと好きだった。
施工は日々進んでいって、人気のない家の殻が出来上がって来る頃にはもう遠くの景色は遮られて見えなくなってくる。新しい住宅地の中には公園と称した小さなスペースも出来ていた。空き家に囲まれたそこで夜にタバコ吸いに行くのがなんとなくルーティンになっていた。
カーテンも張られていないガラス戸からは工事用?の照明が付けっぱなしなのか、ほんのりと照らされるもぬけの空の部屋が見える。それを見ているとガラスをブチ割って土足で座り込んでタバコでも吸ってトレインスポッティングを気取ってみたい気分になってくる。廃墟どころか新居だし、そもそもそんな度胸はないので妄想止まりだけれど。
つい最近からその住宅街にも一挙に人が棲み着き始めて、夜中に歩いていても家々から放たれる息づきからなんだか圧迫感のようなものを感じる。
件の公園も日中はすっかりガキの遊び場になっているのを目にする内、なんとなく足が遠のいた。自分だけの場所が地域の(幼い子供を持つ家庭の)共有物となってしまったような気分だ。元々おれの場所などではないのだけど。
それでも時々ベンチにストロング系のロング缶が置いてあったりして、なんとなく捨て主にエンパシーを感じたりする。
平成狸合戦ぽんぽこで描かれたような再開発へのメッセージとはまるで別種だろうし、開発といってもごくごく小規模なものだけど、おれはおれなりのイヤさを感じているのかもしれない。
おれは地域のヌクモリティがさァ!文化資本がさァ!とかそういう話がマジで嫌いだ。ネットでその手の話題が露悪的に語られがちなのもあるけれど、土地がどうあろうが各々の生き方次第だろって思うから。おれは構造主義より実存主義が好きだ。
カーテンを元気よく貫通する日差しにあてられてお出かけしたら鬱病になりそうなほど春の匂いがした。
勢いよくぶえっくしょいと出してしまえば結構気持ち良いのだけど、その寸前のムズムズする生殺し状態はあまり気分の良いものではない。そんなくしゃみの出る0.7〜0.2歩手前みたいな状態が常に続いている。
「くしゃみが出そうな顔」をキープしていないと引っ込んでしまうのは何を思って設定されたシステムなんだろうか。ズルリと鼻をすすったり顔をくしゃりとしかめればすぐさま引っ込んでしまう。繊細だ。
逆に波を待ち構えてフワッと緩めてみるけれど、身構えすぎても引っ込む。無意識を意識的にやらないといけない。趣味事の達人の領域みたいな話だ。今日は一日中目を細めて顎を上げ微かに歯を見せる、余裕気取って人を小馬鹿にしたような顔をしていた。
くしゃみが出そうで出ない時に延々と湧き出る鼻水を喉に引き戻し続けるのも不快なんで、昼時に入った飯屋のティッシュで豪快にかんでスッキリする。
空のくしゃみではなく鼻水が吹き飛ぶタイプのやつが来そうな気配があったけど、いざティッシュを手に取ると途端に引っ込んでしまう。万全を期した状態に及んで引き返すとはどこまでも逆張りが過ぎる、人体。
でも用を足すついでに、ふと巻き取ったトイレットペーパーで自然にくしゃみを抑えていた。ケツを拭くものであって鼻をかむものだと認識していないようで、くしゃみキャンセルの効果は表れないみたいだ。人体ハックを一つ得た。