はてなキーワード: 米米CLUBとは
中学の時好きだった人がLINDBERG好きだと聞いてアルバム買うようになった。
その後長い間ニューアルバムが出るたび買っていたが、そういえば好きな人とLINDBERGの話をしたことはない。本当に好きだったのかな?でも自分にとっては聴いてみるきっかけになったのである。
高校の時は好きな人から米米CLUBの曲の歌詞を「いまの気持ち」として贈られた。それからその曲は「あの時の曲だ」と気になるようになっている。
好きな人がドリカムの最初のアルバムを「これが一番好きなんだ」と貸してくれた。返したあと何年かたって、自分でも買った。
好きな人の家に友達みんなと遊びに行ったとき久保田利伸とナオミキャンベルのLA・LA・LA LOVE SONGが延々流れていた。
同じメンバーで遊びに行くときの車の中でFunFactoryのアルバムがかかってたので、後日買った。
好きな人のことを考えてるときたまたま聞いた槇原敬之の曲がいまの自分の気持ちにあっていると感じてベストアルバムを買った。
その時その時で自分の趣味や興味と違う曲に触れて好きになって、今でもその曲を聴くたびあの頃に少し戻ったような感覚になるのが不思議だ。
「2019年に突如、米米CLUBに沼った二次元オタクが米米のライブに行くまでの話」というTwitterマンガがある。
内容は商業BLの服装の参考にするために米米CLUBを見ているうちにドはまりしたというよくある推し紹介ものなのだが、
問題はとあるライブ限定曲をご丁寧に歌詞まで書いて紹介しているところだ。
著作権に口うるさく言いたいのではない。その曲というのが傍目に見てもアカンとわかるぐらいホモを馬鹿にした曲なのだ。
正直、LGBTが注目されている今、いつ炎上してしまってもおかしくない。
米米CLUBも歴史あるグループだから、作曲しているうちに時代のセーフラインが移り変わることもある。
今の基準で考えるとアウトな曲を演じてしまったことは責めるに値しない。
そもそも本人たちもこの曲の危険性をわかっていたからこそ当時からライブ限定にしていたのだろう。
だからこそファンを名乗りながら彼らの配慮を踏みにじったスターダスト東雲にドン引きするし、許せない。
という愚痴。
スペシャルのトリで出てきてJUST MY FRIENDっていう、まぁ良くも悪くも無い歌を歌ってたんだけど
途中で歌詞を間違えたのをきっかけにカールスモーキー石井が
「やめよう。やめやめ。こんな曲、どうせ売れねーよ」
って言って「露骨にルンバ」っていう演奏は楽しそうだけど正直売れなさそうな曲を熱唱
会場も騒然となって終了っていう事件を覚えている
当時はそれが凄い格好よくて、下火になりつつあった米米CLUBのアルバムを借りに行った
ファンクラブ向けにはイベントでリハーサルもやっていたということが後から発覚
特に大きなニュースとかにはならなかったけど、当時はそれを知って
「ああ、テレビって紛い物なんだな」
という意識を強く持った
そして騙されることの悔しさ、空しさ、テレビというものに対する大きな不信感を得た
当方今年三十路。GLAYファンの姉と米米CLUBファンの母の影響で小さい頃から流行りのJ-POPをよく聞いてた。初めて買ってもらったCDは小沢健二「痛快ウキウキ通り」。
高校からバンド始めて、大学生時代は完全に拗らせてしまって、ポストロック〜エレクトロニカからニッチな沼にはまってノイズもミニマルテクノも現代音楽も、聞いたことのない音を探すのが大好きだった。
で、ここ近年の日本のインディシーンのシティポップリバイバルの波にはガッツリ便乗して楽しませてもらったし、洋楽のトレンド追うのも楽しんでたけど、ど真ん中の邦楽シーンは面白くないなぁ(正しくはいくらいい曲でも素直に受け入れたくないっていう拗らせの名残)って思ってた。
あいみょんも最初名前だけ見たときは「はぁ?」って感じだったし、『マリーゴールド』が話題になったときに友人と車中で聞いてみたんだけど「イントロのギターリフの歪ませ具合がまんまマイラバの『Hello,Again』と一緒じゃんwwえ、そこ参照するのww」とか話し合ってたわけ。紅白すごいねー(同じ関西人として)ぐらいだったわけ。
それがさ。
少し前にメンタルやっちゃって今も療養中なんだけど、鬱やらかすと感情の起伏がやべぇんだよね。調子いい時もふとした拍子にアップダウンのスイッチが入っちゃって。
特に(ほんとはダメだけど)アルコール入るとエモさの幅が今まで有り得んかったくらいグワングワンになるわけ。
そんな状態である夜たまたまYouTubeで『マリーゴールド』改めて聞いて、もう信じられないくらい泣いちゃったんだよ。もうBメロ終わりからサビ直前の展開でブワーーーって涙出てきて。
ヤベェ。脳の中で「虚構の青春回想モード」入った。こんな恋愛してねぇのに。マジ涙止まらんってなって。
多分音楽演奏する側に立った人なら分かると思うんだけど、一旦そっちの視点獲得しちゃうと、音楽を基本的にまず演者視点で見ちゃうと思う。
ポップスなら歌詞の展開とコード進行の関係とか、各パート毎の音の質感とか。
そうやって分解してみると、『マリーゴールド』ってマジでクリシェの塊なわけ。
先述の通りギターリフはマイラバだし、ギターロックの系譜を汲んだ90年代邦楽のバンド編成だし、コードも一聴してメジャーコードとマイナーコードだけで構成された一切気を衒わないド直球だし、歌詞は瑞々しい恋愛を歌ったこれまたド真ん中ストレート。
要素の集合として楽曲を見れば「クサすぎる」わけ。邦楽業界が一番潤ってた頃のど真ん中ポップス。ミスチルやスピッツみたいな。何番煎じなんだよって。
いわば拗らせ音楽オタクとしては「絶対こんなんで心揺り動かされてたまるかよ〜!!!!」って反射的に思っちゃうのね(でも拗らせてるからoasisは何度も聞いてその度拳を突き上げたりするんだけど)
なのにさぁ。
もう、ヤバイわけ。あああああーー音楽ヤベェよなんなんこんなベタな曲なのに新しい曲として生まれ変わった途端こんな心動かされるかよ。最高かよってただひたすら思いながらやっぱサビ来るたび号泣。
あえて理由を付けるなら、流行りが一周して90年代の邦楽が参照元として確立されたんだろうなぁってのは思う。周りに聞いてみても「懐かしい感じがする、これってどの世代が聞いても多分イケる音楽だよね」って反応が大多数。
でもぶっちゃけそんなんどうでもいいなー。ただただ新しい曲聞いて感動するってのがポピュラー音楽の一番素晴らしい部分だわなぁ。
またあいみょんの声が絶妙なんだよな。あれはほんとギフト、個人の資質だわ。
あと完全に余談だけど、Official髭男dismが流行ってるのもめっちゃ嬉しい。
個人的にはシングル曲のBメロがすげー黒いのね。オールドスタイルのR&Bや、それに影響された洋楽の美味しい部分を使ってる。で、サビがひたすらキャッチーだから繰り返し聞いちゃうのよね。今年どっちも紅白出ないかなぁ…。
「君がいるだけで」米米CLUB
「もう恋なんてしない」槇原敬之
「愛しさと せつなさと 心強さと」篠原涼子 with t.komuro
「Tomorrow never knows」Mr.Children
「LOVE LOVE LOVE」DREAMS COME TRUE
「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント」H Jungle With t
「LA・LA・LA LOVE SONG」久保田利伸 with NAOMI CAMPBELL
「YELLOW YELLOW HAPPY」ポケットビスケッツ
「HOWEVER」GLAY
「長い間」Kiroro
「Time goes by」Every Little Thing
「糸」中島みゆき
「Grateful Days」Dragon Ash
「A・RA・SHI」嵐
表題の通りだ。俺は昭和60年生まれだが、この歌詞を尊んだ昭和人の感性がわからない(あえて術語をでかくするぞ)。
嫌いな理由を端的に述べると2つある。
まず、情景が飛び過ぎなのだ。
そして、飛び飛びのシーンそれぞれが象徴的でゴテゴテと飾り立てられている点だ。
一番の歌詞。
B 訃報の主が語り手を故郷? の駅で引きとめようとした3年前
ついでに二番の歌詞
こう見ると、舞台立ては「都会のステージ――駅――教会――教会――駅――ステージ」と整っているように見えるが、実のところバラバラである。
まずAが地味におかしい。
恋の歌歌う私に黒い縁取りの訃報が届くのだ。
冷静に考えるとステージ去ってから訃報を目にするのだろうけど、見かけ上ステージで歌っている語り手に郵便屋が届けたように書かれている。
そしてB。
Aがおかしいのにいきなり「あれは3年前」とか言い出す。
そしてC
そして良いシーンをこれでもかこれでもかと持ってくる。「ほれほれ良いシーンどんどん行くよー」的な過剰包装的な過度の装飾。
C-Dへの情景の経過はやや丁寧だ。昼下がりから夕方に葬儀が行なわれたのだろう。
そしてE。
駅に戻ってきたのは解るのだが、対称となるべきBの位置と異なる。
E暗い待合室
Eはラストへの布石になるし、一人になったことを示していて叮嚀な箇所もあるが、しかしどうも空間がずれている。
こんな感じで、情景が性急に飛びすぎな印象を強く受ける。
そして、それがさもありがたそうに語られ唄われる。今でも「昭和の名曲」としてありがたがられる。でもそれは虚仮だと思う。
なんつーか、下品な表現なんだけど、昭和のにわか成金、にわか教養人、にわか中流家庭に向けられた、安っぽい感動への舞台立てだなと思うのだ。
いかにも「名曲」のような装いをしているのだがその歌詞は人の死と愛を浅薄かつ性急にそろえただけのものだ。
こうした「インスタントな大作」感が気に食わないということだ。
赤いスイートピーに驚かされた
サビなんとなく知ってるくらいだったけど、Aメロからきいたら全体的に古臭さが全然ない
せいぜい90年代に感じるのに82年のうたなんだよこれ
松田聖子の声もあってるし(ビジュアルは気にしない)、一回聞いたら惚れたね
スイートピーってチョイスがまた古いけど気取ってなくていいわ
あと印象的だったのは
・藤井フミヤうたうめえ
・光源氏も歌下手
・マッチも歌下手
・村下幸三はやっぱりグッチに似てる
・坂本旧ってほんとにっこにこしながら歌うね 見てるこっちまで笑顔になってしまいそうなくらい
・還暦すぎた母親が谷村しんじ気持ち悪くて嫌いっていったから、俺はスバるすきなのに早送りした クスン
・中山美穂うたへた・・・でもWANDSとのコラボしたアレだけは下手さが気にならなかった
・森高千里ほんとかわいいしスタイルもいい おばさんになってもの動画だったけど、個人的にはポンキのロックンオムレツが大好き 声もかわいい
・飯島愛がでてておおうと思った AVのイメージあったけど、TVだと全然顔違う
・ゲットワイルド歌うまい スタートレックみたいな服きてた ギターみんないっしょにおどってたけど、これ実は弾いてないんだよなと思うとおかしかった でも手元は動いてたから、もう弾けるようになったあとのビデオだったかも?
・はー村下幸三好き・・・出会わせてくれたそらのおとしもののエンディングにマジ感謝しかない・・・
もちろん、自分が10代の頃好きだった音楽を聴くこともあるし、それで昔を懐かしむこともある。
だけど、いわゆるセンチメンタルな、エモい気分になる音楽は自分が幼少期に耳に入っていた音楽なのだ。
そして自分にとって、それは90年代初期のマッキーだったり、米米CLUBだったり、ZARDだったりする。彼らのJ-POPを聞いていると、無性に切なくビーイングな気持ちになるのだ。
なぜそんな気持ちになるのかをかんがえたのだけど、その答えは、きっと、自分が子供だった頃を思い出すのではなく、両親が若かった頃を思い出すからなのだと思う。
あの音楽が流れていた頃、
今老齢期に差し掛かる両親は、今の自分と同じように、社会で一番元気な部分を担っていた。そんな両親の姿に思いを馳せて、エモい夜を過ごすのだ。
音楽が人を惹きつける理由はたくさんあるけれど、自分にとって幼少期に聴いた音楽を聴くことは間違いなく気持ちをリフレッシュさせてくれる。
そしてそんな人は意外と多いと思っている。
長いとはねられるようなので分割して投下してみます。
ここのところの某絵本作家の炎上を見ていて色々不思議に思っていたが、彼のやっているのが貧困ビジネスだと考えると腑に落ちる。ということで、以下で自論を述べてみる。
母親を応援している(と当人が主張する)歌を母子に人気な芸能人に歌わせた。内容は、母親が「あたし、おかあさんだから」と我慢に我慢を重ねる内容が描かれ、最後の数行で「それでも、あなた(子供)に会えてよかった」と結ぶものだった。
しかし、
など、母親がワンオペ育児でノイローゼになっているのではないかと、特に児童虐待についての知識がある者にはかなり不安な内容に読みとれるものであった。
【参考】
歌詞自体については作詞をおこなう人から以下のような評価もある。
【参考】
もちろん、このような内容について危機感を感じない人は男女問わずおり、
などの意見をツイッターなどでも表明している。後に謝罪をおこなった作詞者本人に応援しているというファンも多い。きちんと統計を取ったわけではないが、男性には「昔ワルだったが今はいい父親をしている」という人物や、女性でも「昔は遊んでいたが今はいい母親をしている」といった傾向があるように見えた。