「批評」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 批評とは

2023-05-30

anond:20230530154523

実際を見ずに批評するにしても、リベラル思想のいう事を参考に批評するのは、内容が間違うだけでなくアホにもなるから止めるべき。

東京私立大やとちょいちょいあるんでしょ

社会学部教授がその道のエキスパートでむっちゃ社会貢献しとるの

性とかメディア問題に詳しい

んで憧れて先生コマーシャル批評する授業受けたいです!って

ゼミ訪問したらいきなり昆虫食出されてコオロギ食わされるハメに

2023-05-29

実写版リトル・マーメイド』がコケるかどうかを決めるのは中国人ではなく、日本人だったりする

https://anond.hatelabo.jp/20230529143342

リトル・マーメイド』がコケるとしたら、原因は中国韓国ではなく日本

マーベル作品もそうだけど、そもそもディズニーってアメリカ国内だけの興行だけでは回収しきれない規模の映画作ってんすわ。

実写版リトル・マーメイド』のバジェットは2億5000万ドルで、ワールドワイド損益分岐目安はざっくり3倍計算で7億5000万ドル

初週時点で勢いを越えたとされる実写版アラジン』の最終的な米国興収が3億5000万ドル予算1億8000ドル)だから、仮にアラジンと同程度の額を叩き出すとするなら、残りの4億ドルを他の国で調達しないといけない。

さて、ディズニーはどこの国をあてにしているか

実は中国実写版ディズニー作品に関しては、そこまで興行収入を期待できる国ではない。『アラジン』は5000万ドルまりだったし(それでも『リトル・マーメイド』よりは上等だが)、8000ドル行った実写版美女と野獣』でもその年の中国興収ランクでは200位程度にすぎない。

で、そこにきて、『アラジン』と『美女と野獣』の両実写版興収が1億ドルの大台を越えた国がある。

日本だ。

コケるとしたら日本で命運が決まる。

ディズニーエグゼクティブ営業がどう考えているかは知らんが、個人的には日本ではコケると思う。

美女と野獣』がヒットしたのは、エマ・ワトソンを起用して日本人好みの昔ながらのプリンセスストーリー」を少なくとも絵面の上ではきちんとやった(実はモロに人種セクシャリティ多様性を前面に出しているにもかかわらず)ところが大きい。まあそもそもベルって王女さまでもなんでもない陰キャガリ勉女なんだけど、そのへんはね。

ポリコレがどうこういう前に、エマ・ワトソンがすげーきれいなドレスをきて、みんな大好きな『美女と野獣』やってるじゃん、でみんな来るわけ。

アラジン』も結局ウィル・スミスだったわけじゃないですか。

ハリウッドスターの力が失われたと叫ばされて久しい日本映画市場だけど、それはまあ新規IPスター主演で送り出す場合の話で、すくなくともすでに固まったIP場合スターのほうがみんな「安心」して観られるという点でまだ強い。

そういう点でもそうだけどさ、新しい解釈とか新しいストーリーとか、少なくとも日本の観客は求めてなかったの。

個人的には野獣が野獣のまま生きていくエンドとか観たかったけどね。

そこに来て実写版リトル・マーメイド』は日本人に訴える要素が少ない。

主演のアリエル役はド新人。肌の色も黒いしドレッドヘアだしで”みんな大好き”だった原作文字通りイメージが違う。

日本人って「原作と違う」は地雷だよね。

まあ差別意識といえば差別意識なのかもしれないが、市場のことだけを考えるならばこれは日本市場への訴求しない。

日本ディズニー宣伝がなんとなくやる気ないように見えるのも、現場の人たちにはそれがうすうすわかっているからなんだろう。

特にポスタービジュアルイメージが「原作通り」じゃないのは致命的だろう。映画ってだいたい内容わかっていない状態、なんなら大半の観客は予告編すら見ない状態で観に行くもんだからポスター大事だ。

そこで「これじゃないな」となったら、もうおしまい

アラジン』と違って脇に強烈なスターを配置できる作品でもないしなあ。

これらの悪条件を跳ね返して100億円稼いだら、日本の観客を見る目が少し変わるかもしんない。

映画の内容では批評的に評価されているものでもないんで、映画自体への評価は観てから決めますが。

ちなみに「韓国コケた」はミスリード

韓国の公開初週の上映館は2館だけ。先行上映的なやつかん?


中国での『リトル・マーメイド』」がアメリカ炎上してるのは別の理由です

これは中国版のポスターのせい。

中国独自ポスターは青で統一された色調のもの採用されているんだけれど、アリエルの肌まで青々しくしちゃったもんだから、「差別ではないか」ってふきあがっている人がいるわけ。

ちなみにアメリカとかでは「青」は「白」に近い色だからホワイトウォッシュ的な文脈が流れ的にはある。

ネタなのか本気なのか、「中国人は差別的だから青版ポスターしか国内では貼れないんだ!」と叫んでいる人もいるんだけど、中国国内宣伝ではふつうアメリカ日本でも使われているポスターがでかでかと使われてたりする。

そんなこんな、いつもの元気なついったらランドって感じなので、アメリカとかのTwitterメディアだけ眺めて判断するのは危険です。

2023-05-26

anond:20230321182601

人生の敗北者が現実逃避のために自分国家を同一視して云々ってネトウヨ批評理解できるんだが、逆にネトウヨガーって吠えてる奴って何がその憎しみの原動力なん?

私怨でもあるかのように憎んでるけど何もされてないんだろ?何でそんなに憎んでるん?

2023-05-23

anond:20230522173013

増田自身えっちな絵は好きです。でも見たくないときに見せられるエロ苦痛なんですよね。

その「見たいとき見たくないとき」が人によって違うのと、自分も作り手と違う人間である以上、しょーがなくね?

俺も今は待ってるスキローでアダルトすぎる展開とか来たら見たくねーしそういう批評は書くかもしれんけど

それがいいって人がいりゃしゃあねえし何より作者の自由だなって思うのよ

(まあスキローでそんなんやらないと思うけど)

  

俺は増田が「自分としては嫌」のラインに居るならいくらでもその気持ちを叫べと思うけれども

そのラインを超えるならバカフェミクレーマーっぽいなと思う

(そのラインをこえた人は大抵おためごかしの「子供の目が~」「社会的に~」って言いだすし)

増田はそういうラインについてどう思う?

 

まり苦痛があるのは当然だろというのが俺の立場だが

増田苦痛があることが許せない?許されるべきでないと思う?

2023-05-22

マリオ映画感想

はじめに

 マリオ映画を観た。

 まず私のプロフィールを明かしておく。

 大学院生社会学文学あいの子みたいな分野で、とくにジェンダーとかセクシュアリティとかそういう事を学んでいる。

 映画学部時代に少しかじった程度で、評価はB+だった。だから的外れなことも言うかもしれない。すみません

 匿名なのでもっと書くと、同性愛者で、SM実践者で、フィクトセクシュアルに片足つっこんでいるので、わりとどの界隈でも少しなじめない気持ちになりがち。

 

 「映画としてはちょっと……」というような意見が主にアカデミック評論の場で散見される。

 これは分からないでもない。ちなみにここでは個人攻撃みたいにするつもりはないので、引用特に必要でない限りはしない。

 「すげえ! マリオってこういう解釈ができるんだ!」みたいな「新しいもの」はなかった。しかし、「マリオ映画といえばこういうのが見たいよね」という「見たいもの」が詰め込まれており、「新しいもの」を入れる余地は90分にはないように思われる。

 メディアミックス映画としては一つの模範解答であり、文句なしの一級品といってもいいかもしれない。面白い映画といい映画は別だが、以下では「いい映画」(いい映画って何すか?)としての切り口を見てみたい。

試行する」快楽

 ゲームアニメとしたら、キャラクター解像度物語の運び方だけでなく、どのようにゲーム快感が写し取られているか重要ポイントに思う。

 マリオゲーム体験を思い返すと、快感は大きく二つに分けられる。

 「スーパーマリオブラザーズ」ならステージクリアタスク消化に似た快感

 「スーパーマリオ64」に連なる「箱庭マリオ」なら新しいマップを開いていく探索の快感

 マリオシリーズだけでなくゲーム快感はむしろこの二者に共通する「試行する」快楽が大きいのではないか

 私はといえば、ゲームが苦手だった。

 クリボーに激突する。穴に落ちる。ドッスンに潰される。空から落ちる。燃やされる。溺れる。

 我ながらヘタクソなプレイであるしかし、プレイを重ねると、一つ一つそれらを回避なり消化できる。そこにゲーム快感がある。

 翻って「映画マリオ」に戻る。キノコ王国に迷い込んだマリオは、ピーチ姫の旅についていくためにゲームばりのアスレチックに挑むわけだが、このプレイングも経験者ならば笑ってしまうほど失敗に満ちている。そしてその分だけマリオは「試行」を試すことになる。

 アスレチックだけでなく、ドンキーコング戦、クッパ戦と繰り返し作中で強調される「諦めの悪さ」が導くゲーム快楽とはこのような「試行」の快楽が適切だろう。

 文学研究者藤田直哉上記のようなことも含めて、「物足りなさ」を指摘している。

 https://twitter.com/naoya_fujita/status/1655397557198278662

 ここは鑑賞者のバックボーンも関わってくるのかもしれない。

 周回前提のゲーム「ドキド文芸部」「UnderTale」「シュタインズ・ゲート」の記憶が私にはすごく強くあるし、マリオシリーズから距離を取っていたので(ここまで多くの作品に触れたわけでもない)、試行錯誤性は面白く観た。

 また、勉強不足と笑われそうだが、3D映像2Dフィールド表現する映像も、私としては十分に真新しいものだった。

父と息子の物語としてのマリオ映画

 「反ポリコレ」とか、「ジェンダーから距離を取っている」いう話も聞く。

 しかし私はそうは思わない。LGBTと「マリオ作品群の関わりは以下のコラムに詳しいため、これ以上は言及しないが、さら男性性との関わりについて分析する。

 https://cinemandrake.com/pokemon-musashi-kojiro-lgbtq

 こちらも藤田直哉の評を引用する。私のマリオ映画への評価は彼とは異なるが、この評と私の見解は一致している。

 https://twitter.com/naoya_fujita/status/1656110486713434113

 クッパ名誉と所有、暴力原理においたキャラクターであり、婚姻幸せを直結させる家父長制を背負った男である

 ピーチ姫に対し無茶な論理婚姻を迫ったり、彼女の知人も含めた囚人婚姻犠牲として殺そうとしたり、人の論理の届かない人外らしさが映画における彼の輝かしい魅力でもあることは間違いないが、それは悪しき男性性の発露でもある。

 この「有害男性性」を退けることを軸にマリオ映画を見てみると、マリオは退けた先に何を得たのか。

 それは物語ラストが示すように、ピーチ姫ではない(ピーチ姫マリオとの恋愛成就がほのめかされてはいる。しかし、ほのめかされていることと明らかであることは違う)。

 

 マリオゲームにおいてプレイヤーの分身であり、あまり感情を発露しない。

 葛藤もあまり読み取れず、さらわれたピーチ姫を取り返すため、躊躇いなく絵画に入ったり火山に行ったり宇宙に行ったりしているように見える。

 しかマリオ映画においては、夢を追う自信のなさげな男として描かれる。

 イタリア系アメリカ人の家庭で育ち、家族仲はおそらく悪くないが、「父親に認められたことがない」ということが恐らく影を落としていて、自分のやりたいことと、父親に認められたいという二つの想いが両立できていない。

 そしてマリオ映画の終わりに藤田のいうところの「有害男性性」の発露であるクッパを倒し、父親から承認を得ることとなる。

 婚姻に大きな意味をおく家父長制の権化を倒した先に、父という家父長に認められるというメビウスの輪的な権力ねじれについて、私はまだうまく説明ができない。こういう嫌な書き方をすることで、妙な引っ掛かりを表明するしかできない。

感想、あるいは魔王へのラブレター

 倒されたクッパは小さく、管理されるものとして扱われる。

 その是非について何か言いたいわけではない。

 現実では家父長制や異性愛規範同性愛差別トランス差別人種差別が吹き荒れている。そのような不均衡な権力は改められるべきだし、悪しき男性性とは決別すべきである

 その是非についても何か言いたいわけではない。

 ここまでが建前。

 私はフィクションにおいてこういう権威的な男性が大好きだ。

 「家父長制の権化」と表現したけれど、理屈の通じない愛情を持て余す魔王クッパが大好きだ。

 本気で惹かれると言っていい。

 だが彼の愛は決してピーチ姫には届かない。正しくないから。

 そして彼は多くの部下に愛されながらも、彼の愛はどこにもたどり着かない。

 異形はある意味孤独である

 槇原敬之の「軒下のモンスターから「いっそ妖怪にでもなって 君を軒下からただ見ていたい」を引いてもいい。

 三島由紀夫の「仮面の告白から「お前は人間ではないのだ。お前は人交わりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生き物だ」を引いてもいい。

 

 ピアノを弾きながら「ピーチピーチピチピチピーチ」とか歌ってる彼のカットでは劇場で笑い声が起きた。

 「悪しき男性性」の回路ではもう誰かと心を交わしあうことはない。ピーチが振り向くことはない。彼の歌うラブソング哀愁に満ちて、あるいは滑稽かもしれない。

 私も笑った。でもぶっちゃけ泣きそうにもなった。

 今ギリギリこの男を笑って愛でながら見られるくらいには私もマジョリティにいられてるんだろうけど、こういうジェンダークィア批評規範可視化させ内破する営みであって、次に生み出される新しい規範にいられなくなったら、次は私が笑われる番なのだ

 本当は、弱者クッパの方なのかもしれない。でも私は彼にあまり感情移入しているから歪んだ読みをしているのだろう。

 でも愛してる、魔王クッパ

 お前の横暴さも、報われなさも、情けなさも、関われなさも好きだぜ。ほんとに。

2023-05-20

追記 / 子供は産まなくても良かった

今のところ自分は産まなくても十分幸せだっただろうなーと思う。

子供はすくすく育ち、5歳になった。

共働きで、メインの稼ぎ手は私であり、夫とは仕事家事育児のすべてを分担している。

それでもとにかく、いくら分担したところで、母親業ってやつに心が馴染まない。

「面倒くさ〜」「疲れるな〜」とか、そういう感情が先立つ。親であるデメリット毎日感じる。とくに自分体調不良の時は本当に勘弁してくれと思う。

自分リソースをここまで削られることに対して、育児って狂ってんなーとしみじみ思う。

常に睡眠不足だし、外に出りゃ私たちちゃんとした親かどうかを逐一社会がチェックしてくるし、保育園から持って帰ってきた体調不良は家全体に蔓延するし、お金バカほどかかるし、家の中は汚されるし散らかるし、ずっと騒々しいし、何かやろうと思えば体感20秒ごとにストップが入る。自分のことをする時間は本当にゼロになる。育児の裏でなにかに集中できることなんてひとつもない。デメリットを挙げだしたらキリがない。

ときどき夫が子供を連れ出してくれる時だけ、久しぶりの趣味感覚を取り戻そうとしてみたり、家をいつもよりきれいにしたり、読書したり、仕事に関する勉強をしたり、お菓子を焼いたり、お風呂にゆっくり入ったり、はたまた好きに出かけたりできる。

この時間永遠に続けばいいのになぁ、子供がいない人は休みごとにこんな風に動けるのか、羨ましいなぁ…と思う。実際自分独身・子なし夫婦時代を楽しく過ごした。

自由な日の終わりに子供が帰ってくると、あーあ…と思う。次は一体いつ自由な身になれるんだろうなと凹む。

仕事終わりに保育園に向かう時も、自転車を漕ぎながら「これからまた明日の始業までしんどいな…」と毎日思う。仕事の方が自分計画で動けるのでストレスを感じずに済む。

ゆえに金曜日は気分が沈む。

「ああやってしまった、産むんじゃなかった。」という感覚がずっとある。もう産む前には戻れないことに対しても、最初の数年は発狂しそうだったけど、ある程度心の中で折り合いはついたと思うのに。

もう巻き戻せないんだからちゃんとやらねばと思って、できる限り子供に関わって、仕事主体的にこなすことを心掛けながら、気を遣ってくれている夫と子供理由関係が悪くならないように努力しつつ、自分の体調も崩さないように気を付けて来たけど、もう本当にマジで疲れたな。

楽になりたい。

子供を持つことの良いところってなんだろう。

子供がかわいらしいこと、その子供に好かれていて駆け寄ってくること、パートナー子供がいて幸せだと思っているらしいこと、社会的子供がいるというステータスが「まとも」と見られる時もあること、子持ちにしか縁のない場所に堂々と出入り出来ること、「子供を産めば良かった」という後悔をすることはなくなったこと、このぐらいか

他にある?子どもを産むメリット

(ここに「自分が完全になった気になれた」「かけがえのない存在がいる」とかを一緒に挙げる人もいそうだが、それに関しては私は夫と結婚することですでに感じられていたので除外した。

同じように「子を産む」ことに付随する神秘めいた説明のつかない部分を体験できることに関しては、私がそれについて懐疑的なので除外した)

いや、これだけで頑張るには毎日キツすぎる。

それでもやりたいと思うならぜひやってみたらいいとおもうけど、全く他人にはお勧めできない。

特にリミットを感じて周りにも子を産めと圧をかけられ迷いが生じている人には本当にお勧めできない。産んだら元には戻れない。

子供はいいよ、産みなよ、とか簡単に言う奴は、自分の苦しみを他人にも感じさせて分かち合える人間の母数を増やしたいのかな?とすら思う。

現状を知った上で産むかどうか選べるなら産まない。誰もこんなことしない方がいいとすら思う。

本当に何も知らなさすぎた。バカだったな。

「こうなる」ことをもし全部知った状態で産む前に戻れるなら、子供が欲しいという夫を説得して、共働き子なしで一生余裕ある暮らししようって言ったと思う。それでも子どもが欲しいなら別れよう!と言ったと思う。別れたいわけではないけど、子供が欲しい夫に後悔が残るのはかわいそうだから

不可逆な選択を間違えたので、もう粛々とやっていくしかないと思って、時間お金を湯水のように消費して毎日育児している。

自分時間が吸われ続けて、やりたかたことは出来ず、このまま老いていくんだなあ。

あ〜、人生もっと楽しみたかった。これが正解なんだとしたら狂ってる。

若く楽しい時間犠牲にして、一つの命を「人間にする」行為をしている。楽しめる人もいると思うけど、私はそうではなかった。

もちろん2人目は産まない。

子供を産んだ自分が詳細に想像がつかないまま子供を持ったのは本当にバカだったなぁと思う。

「こんなことを言う母親子供がかわいそう」と言われる声が自分の中から聞こえてくる。

いくら子供に関わって心を砕いて、自分の持てるリソース殆ど全て明け渡しても、母親の内心がこんなふうなら「子供がかわいそうと言われてしまいそうだ」と考えてしまうぐらい、育児現場には内心どう思うかすら自由がない。

後悔してますと大っぴらに言うことは出来ない。子供を傷付けたいわけでもないので、胸にしまっている。これから現実ではそうし続けると思う。

若い子は半数以上が子供を持ちたくないらしい。賢い!そうした方がいい!と思う。

産む前には絶対戻れない。私は知らなかったか子供を持ったけど。

もう一度言いたい、産む前には絶対戻れないって。何もかも元に戻らない。


[ 追記1:養子はどう?というコメントに対するレス以外、増田コメント返信していません ]


[ 追記2:

疲れ果ててろくに推敲もせず書いたものが人に読まれていろいろコメントまでついていて驚いた。

子供の目に入ったらどうする」「子供がかわいくないのか」「こんなものを人の目の触れる場所に書くな」というコメント散見されたけど、「日々なんとかやっていて、子供ちゃんと関わっている」と想像がつくであろう情報を添えてもこんな意見が返ってくることこそ、子を持ったからにはこうあるべきという強い思想があることを浮き彫りにしていると思う。

(おすすめしている人もいたけど『母親になって後悔してる』はすでに読んでいるので、ブックマークが伸び始めた時点で私のことを人非人扱いするだろう意見が出てくることは想像がついた。むしろ思ったより共感が多いなと思ったほど。)

そして「子供を持つことで、人生選択ミスをしたと思っている」という意見が見えてきづらい理由もなんとなく分かった。

こんなことを書く人間はすでに心が疲れているので、余計なことを言って他人から責められるなら辛くても大丈夫なふりをしてやり過ごす方がまだマシだし、こうやって文章にすることで子供に対する罪悪感から自責の念を強めてしまって投稿しづらいんだろうな。

匿名エントリでさえこんな反応が返ってくるなら、そりゃ誰も言わないし、書いて残したりしないだろう。

とはいえ、これは私の心にとっての事実であり、しか上記理由から「表明する人が少なく、アクセスしづらい情報となっている」と思われるので、とりあえず消さずに置いておくことにした。

大した文章でもなんでもないんだけど、私は産む前に知ることが出来なかったことだし。

自分の子供だけはやっぱり違う」とか、「人類がみんなやってきたことなんだからあなたにも出来ないわけがない」とかだいたいそんなことを言われたので。

まりにも不可逆な選択で間違えてしまったと思っている、でももう戻ることは絶対に出来ないので、毎日やり過ごしている。後悔している。疲れた。この投稿にそれ以上の意味はない。 ]


[ 追記3:

Twitterでいろいろとシェアされていることにたまたま気づいた。

こういう文章引用した人間の持つ思想お気持ち棒として振るわれるのは仕方ないことだが、引用した人の主張のバイアスがかかった状態で読まれて内容を勘違いされるのも本意ではないので、仕方なく補足として追記する。

あと、そもそもここまで読まれると想定して書いた文章ではないので、「自分排泄物がやたらと批評されている」みたいな違和感があることも書いておく。

上記文章は私にとっての事実であり、ただただ嘘のない気持ちを列挙したらこうなった。

とはいえいつまでも現状に文句たらたらでふてくされたまま人生無為に過ごすつもりは全くない。

母親になって後悔してる」と結びつけてシェアされたのが大きく伸びたせいかからないが、私が今後一生ずっと子を持ったことを後悔し続け、後ろ向きに暮らす惨めで不幸な女だと決めつけてかかる人がいるが、それは違う。

(そもそも、同書に出てくる母親たちもそんな人ばかりではない。戻れるなら産まないというだけで、その人を幸福になれない人間と決めつけるのは早計だと思う。「母親になって後悔してる」の本の事例だと考えてシェアした人もそんなつもりは無いと思う。)

こんな生活になると想像しきれず、人生はめちゃくちゃになってしまった。戻れるなら私は産まない。今現在、後悔している。それは本当にそう。でも不幸とイコールでは無い。

の子供はすでにそこに存在していて、それならば子供自身が思う自分人生を送れるようにできる限り手助けしたいと思っている。

現在自分がこんな心境であるにしても、自分含め家族全員が幸せ人生を送れたら良いと思っている。

「誰もこんなしんどいことしない方がいい」とついつい思ってしまとはいえ、私は反出生主義者ではない。どんな派閥肯定する気はない。

他人にまったくおすすめできない行為ではあるし、後悔しているのも事実であるため、どうやら読む人によっては「この状態を不幸としない」ことに矛盾を感じるのかもしれない。

(※0か1かでしか考えられない人もいると思うので一応書いておくが、これは「だから子供を産んで後悔はしてるけど、やっぱり私は幸福です」と言っているわけでない。)

こんな人間はどうせ産まずともグダグダ言っているだろうという意見もまあ確かにそうだな、と思った。というか、それの何が悪いのか全く分からない。

子供を産まなかった別世界線の私が後悔したとして、子供を産めば良かったと後悔している、と表明することの何が悪いのか?

その時その時のその人にとっての真実を書いて、ネットの海に放流することはなんの罪もない。

いろんな人が好き勝手書いて、それをいろんな人が参照して、取捨選択に使えばいいと思う。

(人の言葉尻を捕えて揶揄することで主張をする人たちも、私からすればイラッとするが好きにするといいと思う。匿名ツールなんてそうやって使われるものだと思うし)

もはや自分で読むのも面倒臭いほど長文になってしまった。これ以上追記はしないので、あとは自由解釈してもらえたらと思う。 ]

2023-05-19

日本で上手くいかなかった欧米人が、フロッピーがさぁ!FAXがさぁ!とオリエンタリズム丸出しの日本社会への批評を始める現象によく遭遇する。

俺の職場にいた無能フランス人twitterで似たようなこと書いてたわ。

てめーの無能さを日本人に他責してんじゃねーよ4ねよマジで

2023-05-18

藤島泰輔ジャニーズ事務所の興盛にどれだけ貢献したのか知りたい

藤島泰輔なんて作家名前、知ってるのはかなりのジジイババアだろうなあ。

今のジャニーズ事務所社長シャニ喜多川こと喜多川擴の姪である藤島ジュリー景子日本人なのになんでミドルネームあるんだろ?アメリカまれから戸籍上はどうなってるんだろ?)という女性だが、この人の父親である

詳細はwikipediaを見ればわかるが、1933年まれ小学校から大学まで学習院出身。現上皇のいわゆる御学友の一人。新聞記者時代に当時の御学友たちをモデルにした小説『孤獨の人』がベストセラーになり、その後、作家として独立。世の中まだまだ“進歩的文化人”が幅を利かせてきた時代に“保守派文化人”として活躍した人である

かつて、韓国朴正煕独裁政権下で反体制作家として活躍死刑判決を受けた金芝河という韓国詩人がいたのだが、日本ペンクラブ要職にあった藤島泰輔韓国政府を擁護する立場発言を繰り返し、日本ペンクラブが紛糾、ペンクラブから有吉佐和子司馬遼太郎らが脱会するという騒動も起きている。

当時、“進歩的ジャーナリスト”として大人気だった本田勝一からは“御学友であるということだけで地位確立した三流作家”などと言われていた。

なお、藤島泰輔名前記憶になくても、『不思議の国ニッポン』の著者ポール・ボネといえば覚えている人もいるかもしれない。1970年代から80年代にかけて“日本に在住するフランス人ビジネスマン”という触れ込みで、歯に衣着せぬ率直な文章と透徹した思考、練達の日本語で日本社会の批評を書連ねてきた…という触れ込みの人である

が、これが真っ赤なウソで、本当は藤島泰輔ペンネー厶。

今では考えられないが、昭和の日本では言論出版世界でこういう詐術がまかり通っていたのである

いちばん有名なのは神戸在住ユダヤ人イザヤ・ベンダサン”こと山本七平だろうか?

この二人に共通してるのは、なぜか最終的には日本保守称揚し、当時の左派進歩的知識人を嫌うところ。“そんなのは海外から見れば非常識絵空事”とやるわけである

今も昔も日本人は、“海外から日本はどう見られているか”ということを知りたがり日本人から言われると反発することでも外国人に言われると素直に聞いたりするので、こういう出版興業が成り立ったのであろう。

さすがに今の世の中では、ここまでの嘘はバレるので、“国際機関活躍”だの“海外大学評価されてる”とか言う日本人逆輸入してくる例が多いわけだが。


で、藤島泰輔ジャニーズ事務所とのかかわりだが、もともと歌人高浜虚子の孫娘と結婚していたものが、当時、バー経営していた喜多川擴の姉(通称メリー喜多川SMAP解散に追い込んだ人)と知り合って内縁関係となったらしい。

で、生まれた娘が景子である

一説によれば、創設当時のまだカネもなければ力もないジャニーズ事務所をなにかと援助してきたのは藤島泰輔とその人脈であったとも聞く。

その援助とはいかほどのもので、どのくらいの効果があったのだろう?

昭和時代、“御学友”といえば今以上の権威があったような気もするが。

一部で噂されている“有力政治家ジャニーズ事務所少年がお稚児さんのごとくに提供されていたらしい”という真偽不明な話も、おそらくこのあたりに端を発するのだろうが。




昨今、ジャニーズ事務所に関していろいろ報道されているけれども、このあたりまで掘り下げているのはみた記憶がない。

統一教会を語るには岸信介文鮮明の関わりにまで遡らなければならないがごとく、本当はこのへんまで深掘りしないと“なんであんジャニーズには力があるのか”は分からいかも知れない。

誰かやってくれないかな?

さすがに難しいか

なお藤島泰輔小説『孤獨の人』は、一時期は岩波現代文庫にも入っていたようだが、現在絶版電子版はないようだが、古書ならamazonでも手に入る。岩波現代文庫だと、岩波文庫程ではないだろうが、揃えている図書館もそこそこあろう。

そして、この作品なんと映画化もされている。検索してみたらなんと現在Amazonプライム配信されており、プライム会員なら追加料金ナシ!いい世の中だ。

後で見てみることにする。

2023-05-15

絵師だけど、頼むからAI絵師を叩くのを即刻やめてくれ

わかるよ。すげえわかる。AI絵師(笑)が憎いよな?

あいつらは、俺ら絵師(俺みたいな弱小絵師は含まれいかもしれんが)の作品を無断で学習したAIを使って、一本も線を引かずに「俺らAI絵師っす!まだペン持ってるんすかwww教師データごちっすwwwwww」みたいに煽ってきてな?すげえわかる。弱小絵師の俺なんかでよければ200%その憎しみに寄り添ってやれるよ。憎いよなあいつら。


でもさ、頼むからAI絵師(笑)を叩くのを即刻やめてくれ。お願いだから。少なくともオープンな場で叩くのをやめてくれ。

みんながAI絵師(笑)叩きに励めば励むほど、俺らの置かれている状況はどんどん不味くなっていく。俺はそのことを知って欲しくて今回これを書いている。

(AI絵師を叩くなという文章を書く以上、これ以降はAI絵師のあとに(笑)つけません)

●我々の目標は「社会的合意の元にルールを作る」ことであるべき

『失敗の本質』という本がある。

旧日本軍の失敗を分析した本なんだけど、まあ内容は長くて難しいので各々気が向いたら読んでもらうとして、その本の中にみんなに知ってほしいことが書いてある。それは「戦略とは目標達成につながる勝利を選ぶこと」ってことだ。目標達成のために何に勝利するべきなのかを考え、勝利するべき戦場を決める。これが戦略。選んだ戦場でどうやって勝つべきかを考えるのが戦術。だから間違った戦場を選んだ時点で戦い方を工夫しても意味がない。間違った戦場いくら勝利しても目標達成につながらないから。戦略レベルミス戦術レベルでは取り戻すことができない。確かこんな内容だった気がする(本の内容うろ覚えから間違ってても許してね)。


じゃあ、俺らの達成するべき目標ってなによ?

生成AIをこの世から駆逐すること?それはさすがに無理だ。もう認める。

悪質なAI絵師をやっつけること?どうやって?一人ひとり大勢で叩きまくってアカウント削除に追い込むつもり?やつらが反省するわけないぜ?


何が言いたいかというと、我々絵師は達成するべき現実的目標ちゃんと共有するべきだってことを言いたい。AI絵師叩きという戦場で奮闘する前にね。

思うに、我々が目標達成によって獲得したい環境

a) 自分作品不本意な形で利用されない

b) 非AI絵とAI絵が適切な形で区別されている

c) 非AI絵を描くアーティストが適切に尊敬されている

の3つだと思う。異論募集するけど、現時点で俺はそう思う。

そして、我々が達成するべき現実的目標というのは、上記のa)〜c)の環境が実現できるようなルール社会的合意のもとに策定することだと思う。


※ 「a) 自分作品不本意な形で利用されない」について

不本意な形で」というのが重要とはいえ、我々は自分が描いた絵に無限権利を持っているわけではない(残念だけど)。研究のための教師データ利用などを規制するのはかなり難しい。自分たちにとって何が「不本意な形」なのか話し合ってコンセンサスを得ようぜ


※ 「b) 非AI絵とAI絵が適切な形で区別されている」について

これは技術的に可能かどうかという問題が含まれる。個人的にはc)さえ達成されていればb)については譲歩してもいいと思う


※ 「c) 非AI絵を描くアーティストが適切に尊敬されている」について

俺はね、なにも「俺は絵師様だぞひれ伏せ!」なんて言ってるわけじゃないのよ。一般的に、絵に限らず、優れた仕事や技や経験に対しては、相応の態度を向けられるべきだと言いたいんだよ。工芸でも料理でも音楽でもなんでもいい。そこに磨かれた技や豊かな創造性があると認識していながら、技術代替手段によって市場価値が下がったことを理由に、相手を侮ったりましてや煽ったりするべきじゃない。それは貧しい考え方だよ


※ ここまでの議論を「お気持ち」と揶揄する人へ

先回りしてあなたに伝えすると、俺はこのあと「社会的合意のもとにルールを作ろう」という話をする。法律を含む様々な社会的ルールがなぜあると思う?極論を言うなら、我々人間にはお気持ちがあるからだ。物を盗まれるのは嫌だ。殴られるのは嫌だ。もっと人間らしく労働したい。そういうお気持ちひとつひとつルールを作っているんだ。そして今回の件で俺たち絵師自分お気持ちちゃんと向き合い、絵師界隈としてのコンセンサスを固め、社会に向き合っていく必要がある。「お気持ち」なんて言葉論破してる気になるなよ


※ 正直、非AI絵というレトロニムすら書いてて辛い(お気持ち表明)


●「社会的合意の元にルールを作る」につながる勝利は?

さっき俺は「社会的合意の元にルールを作る」ことが俺たち絵師目標だと言った。勘違いしないでほしいんだけど、ここでいう「ルール」とは絵師界隈のルールとか、pixivなどのいちサービス規約とかの話ではない。法律判例など社会的拘束力があるルールのことだ。これはすごく難しい。どれくらい難しいのかの想像すら難しい。でも目標達成条件だけははっきりしている。「社会的合意を得ること」だ。まず俺たち絵師としてのステートメントをまとめ、多くの人の賛同を得て、対立する勢力との泥臭い政治的なすり合わせを行い、そうやってようやくルールは作られる。


対立する勢力との泥臭い政治的なすり合わせ」だって!?そんなの絵師にできるわけないじゃないか!!!

うん、俺もそう思う。だからそういうのは専門家に任せよう。赤松先生でもいいし、それが嫌なら別の人を送り込んでもいい。まあ簡単な話ではないけれど。


正直ほとんどの絵師にとって政治なんて遠い世界の話でピンとこないと思う。俺もきてない。だからひとまず俺たち絵師は、「社会的合意の元にルールを作る」という目標達成のために次の2つに注力した方がいいと思う

絵師としてのステートメントをまとめる

・多くの賛同者を得る

特に2つ目が重要かつ困難なのは言うまでもないだろう。


そして、長くなっちゃったけど、今回俺がみんなにAI絵師叩きをやめるように頼む最大の理由はここにある。ひとつひとつ説明したい。


●【最重要AI憎しで絵師以外の非絵師に流れ弾を撃つの絶対にやめろ

ほんとさあ。名指しはしないんだけど、AI絵師叩きから勢い余って「絵は他の創作より上等だ」みたいなこと言ってるやつがちらほらいるだろ。「確かに私は翻訳AIを利用してますが、その教師データである翻訳テキストなんて、絵に比べたら創造性のかけらもない二流品だ」みたいなこと言ってるやつら。あるいは鑑賞や批評創造性について一切思い至ることなく「無産オタク」とか言ってるやつら。

ま〜〜〜〜〜〜じで勘弁してくれ。お前らまじで働き者の無能しかいからな。まじでさあ……ほんとさあ……ああ……書きながら腹立ってきた。


あのな?AIから創作物や創作者を守るルール制定を目指す上で、他ジャンル創作者様こそが最初に引き込むべき最大の味方なのよ。彼らは同じ創作者として俺ら絵師の苦しみに最も共感やすいはずだし、もしかしたらそれぞれの表現方法で俺らの主張を社会に広めてくれるかもしれない。それが他ジャンル創作者様なのよ。なんなら俺は、社会的合意によって策定するべきルールは、絵に限らず広く「創作物」を対象とするのがベストだとすら思ってる。絵師界隈だけだと小さな勢力だけど、創作界隈として大連合を組んで一緒に社会創作価値を広く訴えていこうぜ!!ってするべきタイミングでこの野郎ぉぉぉぉおおおおおおお!!!!!なぁぁぁああああああに他ジャンル創作者様をdisっとんじゃぼけぇぇええええええええ!!!!!!


言っとくけどな?絵以外の"優れた仕事や技や経験"に敬意を払えてない時点で、俺に言わせりゃお前らと悪質AI絵師は同レベルクズからな?

(あ、いけねえAI絵師を叩くなと言ったのにクズ呼ばわりしちゃった。ごめんね)


そして鑑賞者や批評者を馬鹿にしすぎ。文化レベルが高いってのは、鑑賞と批評レベルが高いこととセットなんだよ。そしてそれは驚くほど想像的な営みなんだ。オタクってのはそういうことだろうがよ。

もちろん俺も批評家を気取ったクソリプイラッとくることはあるよ?それでも俺は、絵師というオタク界隈の端くれとして、彼らを馬鹿にしたらあかんと思う。絵を見てくれる人すら仲間にできず社会を動かしてルール作りなんかできるわけわけねえべ。


一般人(非オタク的な人の意)はAI絵師叩きにドン引きしてる

SNSで何かを必死に叩いている集団ってどう思う?AIの話だけじゃなくて、政治でも歴史でも属性でも陰謀についてでもなんでもいいんだけど。

口汚い言葉を使って、たった一人に大勢リプライ飛ばして、よくわからないアナロジーやら揶揄イラストを多用して、身内で賞賛RTしまくって。

実際のところ、そういう集団ってどう思う?そういう集団ドン引きしたことない人間なんてSNSにおる?ノンポリやら中道やらを自認してる人ほど「ああなったらおしまいだな」と思ってたんじゃありません?


身近な例で恐縮なんだけど、こないだ非絵師友達数人と久しぶりに酒を飲んだときに言われたもん。「最近絵師界隈が怖すぎ」って。AI叩きがうるさすぎてミュートした絵師の話を聞かされながら飲んだ酒、全然美味しくなかったよ。コロナで3年間我慢してようやく飲み交わした酒が美味しくないってなんだよ。まあ飲酒習慣がなくなって酒の匂い自体が苦手になったのもあるけど。いや、酒の話はどうでもいいんだよ。


まり一般人AI叩きにドン引きしてる。そしてAI絵に関するトピックが「絵師 vs AI絵師」みたいな構図で理解されてしまっている。違うじゃん?「創作者の権利 vs AIがもたらす恩恵」の話じゃん?


もちろん世界には口汚く叩くことが必要な戦いってのはあるよ。Tone Policingしたいわけじゃない。とはいえAI絵師叩きはやっぱり違うじゃん。だってそもそもそこは「戦うべき戦場」ではないんだから。仮にAI絵師叩きに成功して、そのAI絵師謝罪アカウント削除をしたとして、それを見た一般人ドン引きしてたら「社会的合意の元にルールを作る」という目標からは遠ざかってるのよ。そんなしょぼい戦場で口汚く戦ってどうすんのよ。


一度「絵師ってヤバい奴らだな近寄らんとこ」って思われたら、その枷を外すのは非常に難しい。疑うなら自分SNSドン引きした集団を後から見直し経験がどれほどあるか考えてみてほしい。ましてやその集団が作るルールのために協力しようなんて思うかい?少なくとも俺は無理。SNSで厄介判定をした集団に近寄らないってのは現代人の本能みたいなものだ。


あなた時間情熱は有限

しつこい繰り返しになるけど、俺たち絵師は「社会的合意の元にルールを作る」という目標に向けて、特に「多くの賛同者を得る」という戦場勝利する必要がある。これが俺の主張。

その勝利のために使うべき貴重な時間情熱を、AI絵師叩きに使うのはなんとも勿体無い。絵師の端くれとして、絵を描くという行為神聖さを信じてるからこそ、絵師AI叩きは歯痒く思ってしまう。



もしもあなたAI絵師を叩くことで多くのファボとRTを稼ごうとしているなら、どうか思い直してほしい。その行為一般人ドン引きすることで目標を遠ざけているし、仮に一般人AI絵師叩きにドン引きしていなかったとしても、そんなつまらないことにあなた時間情熱を費やさないでほしい。そんなファボRT快感を得て満足しないでほしい。頼む。俺たち絵師社会から尊敬され、大勢の支持のもと安心して絵を描けるルールを獲得できるとするなら、それは俺たち絵師が絵を描くという行為を通じて社会幸福を与えているからだ。そんなのは綺麗事ではあるんだけど、あらためてその視点に立ち返り、あなたの限られた時間情熱もっと有意義なことに使ってほしい。


あなた正気は有限

人は長期間わたり何かを憎しみ続けると正気ではなくなる。どれだけその憎しみが正当であったとしても、正気は保ち続けることはできない。まず認知が歪み、次に性格が歪み、やがて歪んだ人間関係だけが残る。

SNSを長くやっていると、そうやって壊れていく人々をたくさん目撃することができる。彼らは今日SNSで憎しみをぶちまけ続けている。別に彼らの主張が間違っているとは言わない。ただ、繰り返すが、人は長期間の憎しみに耐えられるようには設計されていないのだ。


AI絵の問題がこれだけ議論されるようになって半年以上が経つ。アンテナを張ってた人なら1年以上かな?その間ずっとAI絵を憎み、SNS煽り煽られ、ありとあらゆる表現AIを叩き続けてきた人たちがいる。

その中には、非常に悲しく残念なことに、少し壊れ始めている人がいるように思う。かつて聡明で穏やかだった人が、明らかに狂ったアナロジーRTするほど認知が歪み、かつては絶対に使わなかったヘイト文法を多用し、「少し落ち着きなよ」という周囲の声に耳を貸すこともなくエコーチェンバーの深みに沈んでいく。それをみていることしかできない無念さたるや。それが悔しい。どうしようもなく悔しい。なあ、AI絵師なんてどうでもいいじゃないか。俺はお前のフェチズム迸る愉快な絵を見たいんだよ。お前の絵には何百万枚の生成絵よりずっと価値があるんだよそれに気付いてくれまたあの漫画のカプ絵を描いてくれ秒でRTするからさあ。


繰り返し強調するけど、別にAI絵叩きをしている人の主張が間違っているとは思っていない。ただ、あなた正気が有限であることを意識してほしいのだ。そして、どうかお願いだからAI絵師叩きから距離をとって休んでほしい。


最後に:AI叩きをやめて、少し頭を冷やしてから、改めて俺たちの「お気持ち」について話さない?

AI絵師叩きをやめてほしい理由は大体書けたと思う。俺たちは「社会的合意の元にルールを作る」という目標を達成するために、「多くの賛同者を得る」という戦いに注力するべきで、そのためには目標から遠ざかるAI絵師叩きなんぞに有限な時間情熱正気を費やすべきではない。そんなことを書いた気がする。勢いで書いてるから抜け漏れやら矛盾やらがあるかもだけどそこはゼルダ我慢して書いてるので許して。


でも実は、ひとつだけわざと誤魔化してる部分があって、それが「絵師としてのステートメントをまとめる」ってところ。

みんな「クリエイターAI未来を考える会」の提言とかちゃんと読んだ?海外法規制議論とかは?どう思った?理解できた?俺?俺は全然。難しいよね。法律技術知識必須だしさ。

しかもさあ。規制の話ってぶっちゃけ楽しくないのよ。それがAI絵であったとしても、表現規制しましょうという話を心から楽しめるわけがない。ウチらっていつもそういう感じじゃん?マジアチいから。


でさ。俺らってAI問題性について色々と指摘してきたし、なかには「クリエイターAI未来を考える会」のように具体的な規制案を出した人もいるけど、もっと根本的に「絵師は生成AI社会でどのようにありたいのか?」ってスタンスについて建設的に話し合えてなくね?

例えば上の方で書いたa)〜c)に含まれる「不本意」「適切」が示すラインって人によって全然違うと思うんだよね。そこのラインが揃ってないと、言い換えるなら生成AI社会における目指すべきビジョンが共有できていないと、俺たちはかなり無力だ。絵師全体がどうありたいのかすら不明瞭なまま、多大な恩恵をもたらすAIをとにかく規制しましょうってのは支持を得にくい。日本AIに前のめりな感じをみると可能性は低いように思う。


から、改めて俺たちの「お気持ち」について話さない?

AI利便性は認めた上で、創作者としてどうしても許せない部分はなにか、それはどうしてなのかをちゃんと話そうよ。AI絵師叩きの狂気から冷静になってからだけどね。

お気持ちを揃えて、その上でステートメンを作ろうぜ。一般人からも「たしかAIは便利だけど、創作者の○○な権利は守らなきゃいけないよね」って思ってもらえるようなものをさ。


OK、言いたいことはわかるぜ。絵師ってのはかなり厄介な部類のクリーチャーだ。しょっちゅう炎上してるし、悪口ばっか聞くし。そんな界隈が綺麗事だけで足並みを揃えられるわけがないって、言ってる俺自身そう思ってる。

けど一方で、社会的合意を得るためにやるべきことって

自分感情(お気持ち)に向き合い

・しっかりしたコンセプト(ステートメント)を作成

・それを表現を通じて社会に訴える

ってことなわけじゃん?それを僕たち絵師からできませんってのはナシでしょ。表現者なら逃げちゃダメだでしょ。古い?


というわけで、最後の方はちょっと取り止めのない文章なっちゃったぜ。

でも書き直さないし読み返さないぜ。一番主張したいことはシンプルから

AI絵師を叩くのを即刻やめてくれ、頼む。

ねぇ、ブクマしてくださいよ〜

ねぇ~

Oh,ブクマしてくださ~い

ねぇ、ブクマしてくださいよ~

ねぇ~、もう…Oh,ねぇ~ いいじゃないの~

減るもんじゃなし~

増田、とても悲しい~ 悲しいデス。

ねぇ~ ブクマしてくださいよ~

もぅ~ 誠意見せてくださいよ~

ねぇ~ も、もぅ…

な、ねぇ、もぅ、な、なに?

もぅ…こ、こ…の…手斧!!

何それ!!武器!?何?それ!?

何の意味があるの!?

何をそれで表現しようとしてるの!?

アナタがた。

怒り?

悲しみ?

喜び?

喜怒哀楽!?

Hum…いぃじゃないブクマブクマすれば…済むのデス。

Oh,なしのつぶてデスか~?

ねぇ、ちょっと、そっちのはじっこに座ってるブクマ

そぅ、そぅアナタアナタどう思う?

アナタはてサ派?フェミ派?

ねぇ…しゃ、喋ってよ…ねぇ~

もぅ…さっきから黙ってもぅ~ 喋ってよぉ~。

非表示?ワタシを非表示にするんデスか!?Hum.

じゃぁ…ワタシはアナタがたがそうやって

ワタシを非表示にする様を…

批評するコトにしマス

あ…あっウソウソ、気ィ悪くした!?

あ、あ、あっ、でも…そんなに黄色くない…のね、

はてなスターって。

黄色じゃない…のね。うん…

ねぇ、ブクマ…してくださいよ~ No,why?

もぅ、な、なんやねん!な、もぅ、

はてな匿名ダイアリー行ったら、「はてなブログ行け!」

はてなブログ行ったら、「はてなブックマーク行け!」

はてなブックマーク行ったら…「わぁ!増田だぁ!!」

何それ!?

ねぇ、ブクマしてくださいよ〜

もぅ、アナタ達だけよ、今どき増田見てるの!

Oh,ダカラ…ね?いい?だから…今こそ!

ブクマすればいい…いいのよ。

ねぇ~ ねぇでないとねぇ、はてブバッシングするよ。

増田ナメると後がコワいよ~。

ねぇ、どうコワいかは詳しく言わないけれどもね。うん…

anond:20230515090540

ゴロー当人はアイのファンであることを隠しているから、元増田は神の視点批評している。ただ、実際ファンであるかどうかに関わらず、何もかも流出すると考えて常に仮面を被って振る舞うのが一流だよな。そして、結果的流出しなくても、その評価になる。

アイが神格化されているのは、まさしくこの結果的流出していないという一点に尽きるんじゃないのか。神の視点から見れば、不徹底で一流とは言い難いのは当然だろ。最終的に洩れてなければ世間的には一流と言って差し支えないと思うぞ

星野アイとかいう三流のアイドル

視聴中断勢なので推しの子という作品のものへの批評とは異なる。

星野アイが一流のアイドルとして描かれることへの疑問を呈する投稿である

「嘘はとびっきりの愛」というのは別にそりゃそうだと現役ドルオタ目線でも思うのだが、それを語る相手雨宮吾郎ファンの一人である

つまるところ、このムーブは「うっかりしてお前にだけは愛を注げなかったわ☆彡」というクソみたいな言い訳しかない。

自分言葉を貫けない彼女はこの時点で二流だ。

いくら雨宮吾郎地方在宅ファンかいうクソほどの貢献度でしかない細客であっても、彼自身には何の非も無いにも関わらず何故か偶然、アイドルからの寵愛をただ一人干されたファンになってしまったのだ。

原因は「田舎ならば自分を知る人もいないだろう」という星野のクソほど甘い見通し。

干されたファン自身に非があるならともかく、アイドル自身の舐めた態度によって偶然にも寵愛を奪われているファンがいるのだ。ファン自身に非が無いのに干されオタクを作り出している。この時点で三流だ。

そもそも雨宮吾郎が善良な人物だったから良かったものの、シャニムニ=パレードドラマチックレコードメンバー不祥事拡散するようなどこぞの曝露垢みたいな人格医者だった場合、諸々も早く広くに露呈していただろうし

なんなら星野人生終了はもっと早くなっていただろう。見通しが甘過ぎる。三流未満だ。

tiktokを開けば毎日のようにアイドルサインはBが流れてくる。さすがにそろそろ嫌気がさしてくる。

渋谷を歩けば星野アイがでかでかと書かれた広告が数回目に入る。

一日も早くこのムーブメントが終わって欲しい。

2023-05-10

笑えれば

増田で笑えれば

最高に笑えれば

情けない帰り道

はてなで笑えれば

子供の頃から同じ

同じトピばかりを見て

だけど今になって

大人になって

飽きちまったりして

すべてがネタになるはず

そう信じているのに

なぜかバズって

スターついて

ジタバタするけど

増田で笑えれば

燃えても笑えれば

今日一日の終わりに

はてなで笑えれば

増田で笑えれば

最高に笑えれば

情けない帰り道

はてなで笑えれば

おまえも月日経って

何もかもが変わったよ

他愛のないステマ

オレの見る気失せる

ブクマってばかりじゃダメ

批評ばかりでもダメ

悲しけりゃ

書かなきゃいい

また笑えるように

あきらめない

逃げたくない

自分を身売りしたくない

嘘を書き

恥を書き

叩かれ続ける

無理しても

無茶しても

書ききれない思いがある

そばにいて このスレ

見守ってくれるかい

誰もがみないつも

満たされない思いを

胸の奥に抱いたまま

ロムり続けてゆく

増田で笑えれば

最高に笑えれば

情けない帰り道

はてなで笑えれば

増田で笑えれば

増田で笑えれば

増田で笑えれば

増田で笑えれば

はてなで笑えれば

増田笑えれば…

ソングライター:淘汰する増田

※これに触発されてやっぱはてなってこういうのが良かったんだよなって思いを込めて書きました。深夜の勢いです。ご許しください。https://anond.hatelabo.jp/20230509155902

2023-05-09

マリオ映画めっちゃ良かった

多分皆見に行ってるし、ツイッターやらnoteやらに山のように批評が上がっているから書く必要は正直無いんだが、この感動を残しておきたくて書いておく。

マリオ映画めっちゃ良かった。

私はマリオは兄がやっているのを横で見ているだけだったのだが、それでも胸が熱くなり、色々な思い出が蘇り、そして帰宅マリオソフトを買った。3D。そしたらいきなり映画に出てきた透明の土管が出てきて、とても嬉しかった。

正直ストーリー陳腐だし、新規ストーリーとかオリジナルキャラクターとか出てこない。新規ゼロ。全部知ってるし、展開も分かる。でも、それがいい。某実写化のように、変に監督メッセージ性が入っていたり、夢主みたいな主人公マリオ世界に迷い込んで?!みたいにならなくて良かった。マリオという皆が遊び、共に育ってきた旧友を、監督やらプロデューサーのくっだんない実験場やら最強の主人公発表会やらにされなくて、本当に、本当に良かった。

同時に、そうなってしまった映画作品を思い出してげんなりする。マリオ成功たから、今後は原作へのリスペクトと忠実さを体現した作品が増えるのかな。増えてくれるといいな。

anond:20230508150254

主人公おっさんが見た目に特筆すべき優位点を有していないという点で望郷太郎はこれに当たると思う.

望郷太郎では主人公おっさん異世界ポストアポカリプス世界)でやってることはカネと経済システムを再構築することで、現代人の大きな関心事であるお金とは何かという根源的な問いにつながり漫画を読んだ後も考察して洞察を深めることができるのでとても面白いコンテンツになってると思われる.

創作物において見た目に優れないおっさん異世界でやるべきことは、現代社会にたいする考察批評につながるような偏差値お高め活動である.

anond:20230509011243

なんでわざわざとっくに批評されてる「マリオ映画評価しない批評家」をもう1回やってんだ

2023-05-05

anond:20230505084631

そんなことなくない?

考察対象になるのって主に成立した背景とか意図とか動機で、批評性が強い作品じゃなければ読者へのメッセージがどうとかってあんまり語られなくない?

現代文問題でも作者の伝えたいことを問われるのって大体小説じゃなくて評論文じゃない?

2023-05-04

ニチアサ作品に対してTwitterであれこれ批評批判してる大人見かけると哀れだな…って気持ちになる

子供と見てるわけじゃないだろうし、いつまで独りでそんなことやってるんだろう

2023-05-03

anond:20180425013750

魔法使いの嫁

GWでなんとなくアニメ見始めたけど、絵柄が少し古いなと思った以外は丁寧でいい感じだと思った。

いい点は、イングリッシュガーデン的な庭や風景壁紙インテリアデザインが丁寧なので

ターシャチューダーのコーギー絵本とかウィリアムモリス壁紙好きな俺は楽しめた。

アマプラ批評で辛い点つけてる批評は、結局「オッサン未成年女子飼育するみたいな話じゃねえか気に入らん」と

言っているみたいだった。マイフェアレディと同じで、キモオタのヒギンズ教授イライザを型に嵌めてチョコレート依存させるような

話じゃないか、みたいな批判と同様のこと言われるのはわからなくもない。

でもお金の力で暮らし精神を安定させた上で文化力と自我が成長していくのはそんなに悪いことではないと思える。

言われるほど嫌悪感はない。

2023-04-25

anond:20230425033559

システムを「フュージョンカード」として多数の歴代ウルトラマンの力を生かすアイテムを作り出したのがオーブ

様々なウルトラマンの力を宿したカプセルを使い戦うジード。

その後のウルトラマンも様々なウルトラマンの力を宿したクリスタルキーホルダー型のアクセサリーメダルなど沢山のグッズが出ています

まりゼロを先頭としたニュージェネレーションウルトラマン達がとにかく様々なグッズを展開し、我々を飽きさせないアイテムを開発し続け、苦境から何とか走り続けて来たことで今の圧倒的な人気を盛り返し、各地でライブイベントなども行われるようなコンテンツへと引き上げてくれたと言っても過言ではありません。

もちろんニュージェネレーション達の土台には昭和平成から活躍してきたウルトラマン達の地盤にあった人気があったというのも忘れてはいけないことでしょう。

ここで考えて欲しいのです。

今でこそウルトラマンはたくさんのコンテンツがあります

サブスクリプションサービスも公開され、ライブイベントや様々なグッズ展開。

そして新しいウルトラマンテレビシリーズの他に展開される様々な動画作品やボイスドラマなどのコンテンツ

その中でも、確かにギャラファイは今までウルトラマンテーマとしてきたものや、長所としてきたものをかなり削ぎ落としているかもしれません。

平成三部作と呼ばれるティガダイナ、ガイアグルなどがまだ登場していないのも不満かもしれません。

しかし、考えて欲しいのです。

ウルトラマンシリーズのなかでも、他作品映画客演の回数が多いのは「光の国」に所属するウルトラマン達。

ウルトラ兄弟と呼ばれる存在や、ウルトラマンマックスからメビウスなど。

ティガダイナ、コスモスなどは比較客演の数が多いですが、常に彼らが自由に光の国の世界へ来れる描写を描かれたことはありません。

さらに、海外活躍していたウルトラマンや、ミニアニメOVAなどで活躍していたウルトラマン達は映画以外ではほぼ客演の機会がありませんでした。

それがニュージェネレーションで盛り返した人気と共にリリースされた作品で、再び活躍することが出来ているのです。

一部のキャラクタースーツを新しく作られてまで。

グッズの種類は少なくなり、サイズは小さくなり、一時期はウルトラマンというコンテンツのものが終わってしまうのではないか、とまで考えたことがある身として、だから考えを改めてくれとは言いません。

ギャラファイがないと再び活躍することや、その後を知ることが出来なかったウルトラマンもいるという事です。

CGの多用や壊れるものほとんど無い場面を手抜きだと評価する人もいます

しかしギャラファイはゼットトリガー、デッカーと重なる時期に放送制作されているのです。

当時放送している新シリーズクオリティを維持しながら歴代ウルトラマンが登場する作品を作っているという事実を考えた時、妥当舞台設定であると言えるのではないでしょうか?

もし本当にあなた達が沢山セットを壊す戦闘をして欲しい、新しい怪獣を作って欲しい、そう思うならば。

公式が出すアイテム作品をきちんと応援するべきではないでしょうか?

沢山お金を使ってくださいということではありません。

公式から出される作品文句を言うなということではありません。

ただ、あなたが今見て評価を言えるようなコンテンツが今作られているのは、この作品を作っている人々が本当に苦しい時代を乗り越えてようやくこんなに沢山の作品一年に展開できるくらい盛り返してくれたかなのだ、と覚えていて欲しいのです。

本当に一時期は消えてしまうのではないか、二度と新しいウルトラマンは来ないのではないか、と思われていた時代を乗り越えて、スーツも新しくした沢山のウルトラマン達が活躍できるほど力を取り戻したのが今なのだと。

そう覚えていて欲しいのです。

からギャラファイを悪く言うなとは言いません。

いから黙ってギャラファイを見ろとも言いません。

ただ、あなた達がこの作品批評する時。

批評できるほどのクオリティコンテンツ豊富さをあなたたちに与えてくれているのは、その作品を作っている人達が、そしてそのコンテンツを購入するなどして支えた人達が苦境を共に乗り越えてくれたかなのだと。

ただ、覚えていて欲しいのです。

上記に長々と書いた文は、当時の記憶漏れ聞いた情報を元に書き綴ったものなので誤りは沢山あると思いますが、私が言いたいのはこれだけです。

お目汚し失礼致しました。

ウルトラギャラクシーファイトとそれに対する人々について考えたこ

本当はこういう文書くのどうかなあと思ったんですよね。

こんなこと書いて自称ジャンル治安維持名目にしたお気持ちヤクザみたいなファンって言われると困るなと思うけど、言われても仕方ないしなと思いましたし。

対象子供向け作品ですし、実写作品現在大人気のコンテンツですし。

でもちょっと昨今の意見の分かれ方を見まして、「考え方を変えろとは言わないけど頭の片隅には置いておいて欲しいな」と思ったので書かせて頂きました。

大人気の特撮シリーズウルトラマンってシリーズありますよね。

去年大盛況でしたね、「シン・ウルトラマン」とか。

最近新しいウルトラマン番組放送時期の発表が来たり、今も新情報カウントダウンが行われていますね。

その新情報を巡りまして、その中の一つの作品、「ウルトラギャラクシーファイト」という作品が今注目を集めています

ウルトラギャラクシーファイト」は今3シーズン?3作品?出ています

最初シーズンは今「ニュージェネレーション」というジャンルで分類される新しいウルトラマン達(キャラ名は沢山いるので割愛します)にスポットライトを当てた話でした。

その次のシーズン、「大いなる陰謀」、続く「運命の衝突」ではアブソリュートタルタロスという新しい敵、その仲間たちがやってきて、ウルトラマン達は新しい脅威に立ち向かわねばならない…という話でした。

ウルトラギャラクシーファイト」というシリーズには実は基本ウルトラマンしか出てきてません。

世間によく知られている、「人間ウルトラマンが何らかの要因で一体化し、その正体を隠し続けながら日夜地球に訪れる脅威と戦っているよ」という話では無いわけです。

そこでかなり意見割れました。

まず「ウルトラマン」という作品は「円谷特撮ヒーローシリーズ」の一つです。

世間でよく知られているミニチュアジオラマや、火薬による爆発、ウェットスーツ着ぐるみを着用したキャラクター達との戦闘を工夫を凝らして撮影したシリーズですね。

怪獣の口から出る光線で吹き飛ぶ街、逃げ惑う人々、ウルトラマン怪獣に投げ飛ばされてその背中で押し潰される建物

クワしますね。

そしてウルトラマンと一体化することになった人間の苦悩、その秘密を隠し続けなくてはならないジレンマ戦闘が続く中で人々を守るために常に選択と苦難に向き合わなくてはならない日々。

そして、人間とは全く違う存在、「ウルトラマン」達と種族を超え、文明を超え、理解し、絆を深め合うストーリー

心が踊りますね。

長いので以降「ウルトラギャラクシーファイト」は「ギャラファイ」と略させて頂きますが、ギャラファイには実は人間、出てきません。名前を呼ばれたりはします。

ほぼウルトラマン怪獣と星人と、「アブソリューティアン」と呼ばれる強大な敵の物語です。

意見割れたのはそこです。

まずざっと抜粋しますが

ウルトラマンとは人間との関わりを大事にした作品ではなかったのか」

「俺はウルトラマン自分より脆くて弱く、利己的な存在である人間と接して影響を受けたり与えたりするのを見たいんだ」

ウルトラマン同士の人間関係など正直どうでもいい」

という意見が出てきました。

特撮らしく、人間にとっては巨大な建造物を軽々と超えてしま身長を持つ怪獣ヒーローが戦い、街を破壊したり守ったりしながら戦うのが見たい」

「何かを守るために戦うのがウルトラマンではなかったのか。人間との関わりもなく大義名分もない戦いをされるのはウルトラマンではない」

という意見も見ました。

わかります。言われてる内容はとてもよくわかります

かなり前の作品なんですが「ミラーマン」という作品があります

ミラーマン」は大人も楽しめる特撮として作られた作品なので初期の方はかなり人間スポットライトを当てた話があります

自分出自に苦しむ主人公や、生き別れになった親子、すれ違う恋人、心の寂しさを紛らわすために変な宗教にハマる人とかね。

でもその人間ドラマより、ミラーマンで人気だったポイントは「ヒーローが巨大化して巨大な怪獣と戦う」という所だったそうです。

これの裏付けになるかもしれない話がありまして、「ミラーマン」には裏番組として「シルバー仮面」という作品がありました。

シルバー仮面」も特撮ヒーローです。

しかし彼はシリーズ前半は巨大化しませんでした。

ミラーマンが巨大化して怪獣と野山をころげ回って殴り合いをしている頃、シルバー仮面商店街で敵を追いかけ回していました。

その時視聴率が高かったのは圧倒的にミラーマンの方です。

結果的に言いますシルバー仮面もこれを受けてシリーズ中盤から巨大化能力を手に入れています

まり「巨大化したヒーロー怪獣の戦い」は視覚的なダイナミックさもさることながら、ただ大きくなったのではなく、戦う中でセットを派手に壊したり、爆発で吹き飛ばすあの迫力で人の心を引き付けるのだ、ということが証明されたわけですね。

それがギャラファイになりますと、まず舞台宇宙の上にウルトラマン達の故郷、光の国とその周辺の惑星ですからまずみんなウルトラマンサイズで物が出てきます

ウルトラマンが見上げるくらいの高いタワー、ウルトラマンと同じくらいかそれよりちょっと身長が高い敵。

その辺を壊してもあんまり心が痛まなさそうな岩だらけのなんにもない惑星。(焼き尽くすと心が痛みそうな緑に囲まれた星もありますよ)

これは確かに先程述べた特撮のいい所が全部取り去られたように感じますね。

その辺のゴツゴツした岩が光線で溶けたり切り落とされても、街中で戦闘している時、もしかしたら逃げ遅れた人がいるかもしれないビルが崩れて「ああっ大変!」という気持ちちょっと湧かないかもしれませんね。

皆同じような身長の敵やウルトラマン達がボコスカ殴り合いをしてもその辺の人間喧嘩しか見えないかもしれませんね。派手な光線やアクション、音が付いていても。

それに実はギャラファイの敵の大半は、地球を狙ってきません。

なんでかと言うと「ウルトラマンに恨みを持つ連中」が大半だからです。

理由はまだはっきりと明かされていないのですが、ギャラファイ2、3でアブソリュートタルタロスは、自らもその一人である「アブソリューティアン」という種族の存亡のため、ウルトラマン達を排除したいと思っているのです。

なので歴代ウルトラマン達に倒されてきて、ウルトラマンに恨みを持っている強敵達を主に蘇生させて戦いに臨んでいるので割と地球安全(多分)なんですよね。

となると「地球ピンチから地球人の皆!力を貸して〜!」ともできませんね。

ウルトラマンシリーズテーマの根幹であるウルトラマン人間の関わり」も描かれないわけです。

こうして描いてみると結構困りましたね、ウルトラマンシリーズの魅力の大半を削り落としているわけです。

でもギャラファイが全く魅力的では無いのか、と言うとそんなことはありません。

大きなポイントは三つ。

ニュージェネレーション以前の歴代ウルトラマンをかなり網羅している」

「登場回数が少なかったウルトラマンモードを細かく拾っている」

「各作品メディアミックスにわたる小ネタを各所に織り込んでいる」

というのがポイントです。

ギャラファイには実に様々なウルトラマン達が出てきます

みんなご存知ウルトラマン

そのウルトラマン最終話で迎えに来たゾフィーを初めとする「ウルトラ兄弟」と呼ばれる昭和から生み出されてきたウルトラマン達。

俗に「平成2期」と呼ばれるコスモスを始めとしたネオス、ネクサスマックスメビウスシリーズに登場するウルトラマンたち。

そして、ウルトラマンUSAやパワード、グレート、リブットといった海外作品に登場したウルトラマン達。

ギャラファイ3にはミニアニメ劇場版作品だったナイス、ゼアス、ボーイなども参戦していますね。

これらを合わせると実に沢山の様々なウルトラマン達を登場させてくれたのがこのギャラファイシリーズです。

実はこの中には

作品が発表されたものの、長らく客演もなく後日談でどこへ行ったのか、今何をしているのかも分からなかった」

作品終了後、メインのウルトラマンしか客演がなく、サブのウルトラマンとどんな関係になっていたのか分からなかった」

というキャラクターも多くいます

それがこのギャラファイで言及された事で、

作品が終わったあとも、一緒に戦った仲間と協力して任務についている」

とある惑星に留まり、誰かに力を与えたり、道を示す役割をしている」

など「現在の姿」が明かされたウルトラマンも多いのです。

そして次のポイントですが、今まで登場回数などが少なかったウルトラマンモードチェンジなどを生かしているのもギャラファイです。

ギャラファイ2の時大騒ぎでしたね。

ウルトラマン達の危機に、共に戦った仲間であるウルトラマンジャスティスとともに駆けつけたウルトラマンコスモスのスペースコロナモード

ご時世がご時世でしたか名前的に出せないんじゃないかって言われていたのにまさかの登場です。

スペースコロナモードってウルトラマンコスモス劇場版しか出ていないんですよね。

しか宇宙での活動に適したモードですので地球に来るとよく知られてる青いルナモードエクリプスモードなっちゃう。

でもギャラファイは宇宙空間の話なので何とスペースコロナモードでの登場に違和感がなかったわけです。

そして極めつけはウルトラマンコスモス劇場版3作目に登場したコスモス個人としての究極形態フューチャーモードに、同じくウルトラマンコスモス劇場版3作目に登場したウルトラマンジャスティス クラッシャーモード

そして更に2人が合体したウルトラマンウルトラマンレジェンドまで。

同じシリーズクロスオーバー作品客演何となく予想出来ても、ここまで丁寧な客演での活躍描写はなかなか他でも見られないはずです。

そしてもうひとつ、ギャラファイ3に登場したウルトラマンネクサスウルトラマンノア

ウルトラマンネクサスは「ウルトラマンネクサス個人として三つの形態を持ち、ギャラファイではその全ての形態披露しました。

そして特筆すべきは、ウルトラマンネクサスが持つ固有の能力、別次元を展開し自分を含めた対象をその空間の中に取り込む「メタフィールド」の能力を作中で描写したことです。

なんのために使われたのかは本編を見て欲しいので割愛します。

そして、ウルトラマンノアの登場。

ウルトラマンノアウルトラマンネクサス最終話に登場したウルトラマンであり、その特殊性は、客演したウルトラマンゼロ活躍する「ベリアル銀河帝国」でも書かれています

しかしそれ以降の登場が殆どなく、ギャラファイで登場した際は多くの人を驚かせました。

しかもこのノアスーツ一新されています

ギャラファイではジャスティススーツなどがそうなのですが、ショーイベント用のスーツ転用したりして使われています

しかし長らく登場の無かったノアは綺麗に新しく作られて登場したわけです。

そして最後ポイント

ギャラファイ2ではコスモスジャスティスネオス、セブン21、80が共闘する話があります

平成2期組、一人は昭和一見関連性が分からないように見えるこの組み合わせですが、実はコスモスネオス、80は他作品や時事関係で繋がりがあります

コスモステレビ放送当時、事情があって最終回手前でテレビ放送を続けられなくなってしまたことがあるのですが、その空いた枠を1クール作品を作り走りきることで繋いでくれたのが、元々イベント限定ウルトラマンだったネオス。

そして、80は漫画ウルトラ超闘士激伝新章」にて自分の力を制御出来ず苦悩するコスモスを宥め諭したキャラとして書かれた繋がりがあります

長くなるので他の小ネタ各自でお探し頂くことをお願いしますが、ざっとこれだけの魅力がギャラファイにはあるわけです。

しかしそれだけが、今回ギャラファイに起きている賛否両論について考えたことではありません。

私がこれからお話する、「これを聞いて考えを改めなくていい。でも頭の片隅に置いておいて欲しい」と思う話は、まずざっと10~15年前の話に遡ります

前衛的なストーリーテーマ視聴率にかなり波があったウルトラマンネクサス放送された頃でしょうか。

当時の時点で円谷プロダクションはかなり危うい状態だったそうです。

作品に対する意見の分裂や予算不足など。

ウルトラマンネクサスメタフィールドなどにその一端が現れています

背景は不思議な光の演出、地面はゴツゴツしたあまり壊れるものがない岩場という異次元

壊すセットの削減です。

ウルトラマンネクサスがほぼ毎回メタフィールドや山の中で戦っているのはこういった事情が反映されています

ネクサスの終了後、マックスメビウス作品は続いていきましたが、その後長らく新しいウルトラマンが現れないという時期が続きました。

新しいコンテンツとして生まれ大怪獣バトルには殆どウルトラマンが出ず、怪獣で戦うレイオニクスバラーレイモン、そして今後大出世を遂げるゴモラウルトラQにて活躍したリトラなどが活躍しました。

カードダス遊んだ記憶がある人もいるでしょう。

そしてその大怪獣バトルの劇場版ウルトラマンシリーズに変化が訪れます

もう10年以上経つけどニュージェネレーション戦闘を切って未だに全然に立ち続けてるウルトラマンがいますね。

彼です。

ウルトラマンゼロです。

彼の登場でウルトラマンを好きだった人々は大いに沸き立ちました。

大怪獣バトルの辺りでかなり会社が苦境に陥っていることはよく知られていたので「もう新しいウルトラマンを作れないくら疲弊しているのか」とまで言われていたコンテンツが見事に彼の力で持ち直しました。

その後ウルトラマンゼロは宿敵であるベリアルとの戦いを続け、過去作品からリブートされたミラーナイト、ジャンボット、ジャンナイン、グレンファイヤーなどの仲間と活躍し、それは後のニュージェネレーション達、ウルトラマンギンガやビクトリー、Xやオーブジード、ルーブ、タイガゼットと後続の作品を押し上げていくことになります

もちろんゼロやウルティメイトフォースゼロと呼ばれるチームのキャラクター達だけの活躍ではありません。

ウルトラマンシリーズのグッズとして特徴的なソフビ

から集めていた人々はご存知だと思いますが、昔のソフビは今より大きく、種類も豊富でした。

放送終了したウルトラマンタイプが数年後も全部売り場にあったくらいです。

しかし、大怪獣バトル周辺から種類は少なくなり、サイズは小さくなり、塗装も前身のみになっていきました。

しかしそれに対して挑戦したのがギンガやX。

スパークドールズ」という足にコードが書かれたシールがついた新しいソフビを開発することで、「ソフビ玩具連携するグッズ」を作り出したのです。

そして大怪獣バトルにもあったカード Permalink | 記事への反応(2) | 03:35

2023-04-22

anond:20230422124633

汚れる気がするからここにはタイトルも書かない。

マジでこういう意味不明予防線貼ってる時点でお前が一番ダメ

批評されるのが怖いんか

無能の極みみたいな「#最強の鬱マンガ 」見て笑っちった

「#最強の鬱マンガランキング凶悪作品揃い…「ブラッドハーレーの馬車」「宝石の国」「おやすみプンプン」などこれはなかなかのもんだ

https://togetter.com/li/2129883

     

まあtwitter募集してランキング~なんてしたらこんなもんだよな。

関わってる人間が全員無能なんだからそりゃこれぐらいつまんない出来にもなる。

  

俺達が読みたいのは

ちゃんとした能力のある人の批評文章であって

有象無象ブロガーからゴミみてーな情報キュレーションじゃねーんだってのが改めて分かった。

 

ほんのちょっとだけツッコむけど

  

 

ブラッドハーレーの馬車』

漫画とは言えない。

作者の円満で温かな人格が終始紙を貫通してきているので

読んで暗い気持ちになるという効能は全くない。

   

はいカット―!」って声が掛かったら

女の子笑顔で起き上がるのがわかるだろ。

それすらわかんないような感性なら投票とか書評とかやらんでよろしい。 

 

というか作者も「鬱漫画」なんてつもりで描いてないだろう。

強いて言えば耽美漫画として読むべき。

 

『血の轍』

作者の押見修造は絵を精進したぶん

アップと「間」みたいなものの乱用癖に拍車がかかって

突き詰めて考えてることがないのに迫力で押し通す、みたいな怠け癖が増した。

 

ていうか、お前ら本当にこの漫画憂鬱気持ちになったことあるの?

描けもしないキチガイを描こうとしてやっぱり描けないからアップ顔芸で誤魔化してる漫画

以上の評価が出来ない。

 

ガールフレンドになりかけた子は可愛かったし

素直にエロあり青春漫画描くのがこの人の本道であり素直な欲望であるのは見え見え。

  

タコピー』とか『少年アビス』とか 

フェイクじゃん。

表現したいものが無いのに(無いので)キチガイのふりしてるだけの痛々しい漫画

実感の籠ったものがほぼ絶無。

  

アビスの方は、

田舎若い時期過ごす女がちょこちょこと嫌な扱いを受けた、

その気持ちのあたりは実感籠ってた。

あれはきっと作者の実体験だと思う。

 

でもその先の過剰な展開はもう作者の中になんにもないよね。

なんにもないから「異常な行動」とか見開きでブツブツ言ってるコマとか

そういう表層的なオドカシを多用するわけ。

タコピーもそうでしょ。

  

お前ら本当にこんなもん読んで憂鬱になれるのか?なれるわけねーよ。

どんどん強い薬打つみたいにエクストリーム展開やってるだけの空回り漫画じゃねーか。

 

どっちの作者も才能はあったし当人の本道もあった。

なのにこういう横着なダークサイドに行ったのが運の尽きだ。

 

 

ミスミソウ

リアリティも実感もなんもないのは見過ごすとして

復讐劇の追い込み方が全然足りないし残虐さも足りない。

それしか売りが無いのにぶっ殺し方が面白くないのはいかんでしょ。

 

酷い漫画を描くと決めてこれっぽっちっていうのは単純に能力が足りない。

この作者はタコピーアビスの作者と違って純粋に体力が少ないって感じ。

  

で、お前等ほんとにこんなクオリティ漫画憂鬱になれたのか?

  

  

だいたいさあ

「鬱マンガ」とかいカテゴリけが既に才能ないよね。

こういうもの見方をする人間ちゃん漫画読んでちゃんと何か感じ取ってることなんてあるのかな。

 

ダーク池ちゃんみたいにカテゴリ付けして飛ばし飛ばしで読んで満足してる手合いと一緒じゃね?

ちゃん時間かけて読んでるとしても、受け取ってるものが池ちゃんレベルなんじゃね?

そういうレベル能力人達がことさら漫画を語る必要ってあるの?

  

https://pbs.twimg.com/media/FuJlC_KaQAAKMH9.jpg:medium

もう惹句のことごとくがキツいわ…。

  

こういうこというと「漫画読み様」とか言われるんだけどさ、

漫画読み様が過剰に高い水準にいるんじゃなくて

どう見ても漫画をまともに読めてないって連中がいるだけなんだよな。

 

 

俺、本当に「ああ!あああああああ!」ってなった漫画いくつかあるよ。

もちろんこの無能ランキングには一本も入ってない。

汚れる気がするからここにはタイトルも書かない。

おめーらは一生タコピー読んでろ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん