はてなキーワード: 合格とは
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220523/k10013634851000.html
記事を読んだ第一印象:ついに女が旦那だけではなく自分の子供まで敵視するようなプロパガンダを流し始めた、としか思えない本だった。
メディアの言うことをうのみにするの良くないので15分だけ調べることにした。
この記事には「今の知識と経験をふまえて過去に戻れるとしたら、もう一度母になることを選ぶか」という質問に「いいえ」と答えたイスラエル人の女性23人にインタビューした内容をもとに構成」とあるので、イスラエルの出産に対する常識とかそういったものをきちんと理解しなければこの本は理解することはできないだろう。
イスラエルでも女性は母親になったことを後悔している!いわんや日本人女性おや!って大騒ぎしたいならこの本を買えばそれで終わりだがそんなプロパガンダに使われてもイスラエルの女性はちっともうれしくないだろう。
この書籍はOrna Donathという女性がテルアビブ大学のPhD取得時に選択したテーマである「母親になったことに対する後悔」をもとに書かれている。
論文へのリンクもあったがヘブライ語だそうなので読みに行くのは断念したが、原文には一体何が書かれているのだろうか?書籍は和訳される中でいろいろなノイズが入り込むので原文を読まないのは危険極まりないが寄りにもよってヘブライ語ときたか・・・これ原典に当たるのもきつすぎるだろ、フェミたちいい材料見つけたなって思う程度に俺の精神も歪んでいる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Orna_Donath
彼女のWikipediaには気になる文言がある、たとえばイスラエルでは女性が子供を産むのは定めであり選択ではないという思想があるとか、つまり女性の自信におけるリプロダクションに対する選択が著しく制限された社会においてあなたは母親になりました、もう一度母親になりたいですか?ということを聞いて回ったのだろう。
つまり日本人女性における「母親になったことに対する後悔」とはだいぶ毛色が違うことがここだけでわかるので、なんで日本人の女性が共感できるのかよくわからない。
ブクマとか見てみても「子供が親の思ったように育たないもんな」とかそんな感じの話に終始しているのを見るあたりこの本の印象はそこに行っていると思われる。
NHKの記事も書いたやつはこの本本当に読んだのかという気持ちがぬぐえない。
個人的な境遇で選択の余地などなく産まざるを得なかった人の苦しみとかそういうものですらなくて、社会に女は子供産んでナンボな生き物でしょ位の差別が完全に常識として織り込まれた中で生きている女性にとっての出産・育児が一体どういうものなのかという話なのだと思っている。
母親が「育児つらすぎる!子どもなんか産むんじゃなかった!」と書くと単なるわがままに見えてきてしまい恐縮なのだが、そういう話ではないのだろう。
おそらくだけど育児つらたんとか言った瞬間にすさまじい怒号がどんで来る社会とかそんなんでつらさを吐露することすらできないばかりか、子供を産めて幸せです!って言って始めて合格な位の社会における女性の気持ちの調査で会って日本で出しても本来なら「イスラエルの女性まじきついわ・・・」っていう感想はモテても「わかりみすごすぎ育児マジつらいからな」っていう感じの共感をしているならこの人はこの本ちゃんと読めてないかそれを言いたくて読んでるかのどっちかだ。
家族で住んでいたのに、
家族を壊した「人」が帰ってきた。
「人」は家庭内で問題を引き起こし、増田から見たら両親を引き裂いた張本人である。「人」は高校も卒業ギリギリ、なんとか合格した大学で怠惰を繰り返し単位を取ることすら標準年数でできず、在学年数ギリギリで卒業した。
一人目だったからという理由で親も卒業まだ向き合った結果、財産を切り売りして、指導教員と親が協力しなんとか卒業ができた。むろん、年下の増田は大学進学の選択肢を奪われ、自力でバイトして学費を稼ぎ卒業して就職している。
「人」は結婚して嫁として「人の配偶者」と「人の両親」と暮らしたが、怠惰で生活能力がなく、コミュニケーションもうまくいかず、家族も仕事もうまくいかなくなり精神病となり入院。入院の際には「人の配偶者」から保証金も出してもらえず、病院から退院した際に「人の配偶者」から「人」は受け入れを拒否された。
そうして、親と増田夫婦が住む家に戻ってきたのであった。離婚はしていないが「人」はいわゆる出戻りである。
年金暮らしの親に、一人暮らしをしたいから白物家電と入居時の初期費用を負担せよ。増田には保証人になれと言ってきた。大学をストレートで卒業できず、1000万以上それも親の財産を叩いて卒業させてもらった恩を忘れている。
そもそも無収入の状態で一人暮らしはできないし、配偶者がいたら生活保護すら受けられない。
増田に対して「増田の配偶者から性行為の誘いを受けた」などと嘘をついてきた。
呆れた。
増田自身も、半年ほど生活費を負担しており、それで増田の配偶者に手を出されると…もう疲弊してしまった。
肉体的関係を持っていないと信じたいが、それを仄めかすような「人」をなぜ置かねばならぬのだろうか。「人の配偶者」と「人の主治医」は無責任過ぎないだろうか。こんな精神的苦痛を味わうのはもうごめんだ。
目標が低いのは偉いと思う
高校の英文法と英単語と問題集とかがいいんじゃないかな と真面目に思うよ
ネイティブのだと速くて聞き取れん
渡辺直美のPodcastはゲストでネイティブも出てくるけど渡辺直美に合わせてゆっくりだし
問題は余裕でスペルの綴りわかりません、ありがとうございました😭ってとこやね
朝、目が覚めたら英語出来るようになってるのが理想なんやが・・・でずっと現実逃避してきたので
とりあえず机に座る習慣をつけるみたいなノリで『とりあえず英語でなんかやったら合格!!!!』という
とても志の低い目標を設定したよ、効率とか身になるとかはTOEICで常識的な点取ってから考える
今年の1月から教習所に通い始めて、今月になってようやく仮免許をGETできた。
働きつつ教習に通うの大変。
週末はほぼずっと教習所に通っていたし、免許取れるまでこれからも毎週末通う。
修了検定は1回目が緊張しすぎて、S字、クランク、坂道で成功したので、左折するときに反対車線に入ってしまい一発アウト。
補講受けて2回目で合格した。
前半はランダムに決まった教官に教えてもらったけど、苦手な人に2回当たった時点で指名することを決意。
1回目の教習を担当してくれた人が褒めるタイプだったのでその方を中心に指名して予約入れた。
指名予約してから復習項目も減ってきてなんとか修了検定まで進むことができた。
ちなみに、車を買うつもりはないけど、乗るとしたらFIAT 500がいいので、
FIAT 500を乗り回している自分を想像しつつ教習を頑張っている。
おわり
有休だし世間での知財への関心が(一時的に)高まっているし、せっかくだし書いてみる。
ただ知財業界は案外狭く、ちょっとした事で身バレする可能性も孕んでるので、増田は過去に特許事務所で勤務していた者、ぐらいで済ませたい。
言うても匿名増田でそれを証明する方法もないので、怪文書やチラシぐらいに読んでくれればそれでよい。
※一般論として話をしているので、例の代理人特許事務所がこうであるという意味では決してないのでご注意。
知財権の出願権利化で出願人が支払う金額は多額になるが、それが全部弁理士の手元に残る訳ではなく、
出願人が支払う金額の中には、【特許庁に納める費用+代理人手数料(+外国案件であれば現地代理人のフィー等)】が含まれる。
ざっくりというと、この「代理人手数料」が特許事務所としての主な収入になる。
資格を用いて独占業務である「出願人の代理」という専門的なサービスを提供する対価であり、
慈善事業ではないので、これを頂かないことにはビジネスとして成立しない。
(現在は共通の料金表みたいなものは廃止されているので、『特許事務所 料金』とかでググっていろいろ見て欲しい。事務所によって幅がある。)
という流れがあり、それぞれの段階で代理人手数料・成功謝金をクライアントからいただく。
また成立した権利の更新維持業務は、定期的にお金が入ってくる大事な領域であり、
特許事務所のビジネスは、フロービジネスでもあるがストックビジネスでもある。
(訴訟をガンガン受任したりコンサルティング業務や顧問契約を結んだりしてるとまた違うが、その点は今回は触れない)
そして特定のクライアントの案件を受任すると、企業としては関連する案件を同じところにお願いしようとするインセンティブが働くので
安定して経営している事務所は出願件数の多い大企業や、安定して仕事をくれる企業をクライアントとして抱えていることが多い。
あくまで個人の印象なので、「違う」という人はいくらでもいるだろうが、
商標業務のキツいところは、価格競争に晒されやすいというところだ。
特許であれば化学、機械、電気電子、通信…といった各分野の事業会社・アカデミア等で研究開発実務をやっていた人が転身することが多く、
意匠であれば美術・デザイン系のバックグラウンドを持った人が適正があるとされる。
(現に、特許庁の意匠審査官は美大・芸大や工業デザインの学部等から主に採用される)
一方で、商標の場合は(ディスる意図はないが)今別に炎上している中卒弁理士(本当かどうかは知らん)を自称する人のように
何か学問的なバックグラウンドが必要かというと、必ずしもそうではない。
https://www.jpaa.or.jp/patent-attorney/howto/
そのため「特定の業界に精通している」や「サブカルに強い」などの属性や業界知識等で勝負はあるが、
基本的に弁理士の専門性によって差別化をすることが比較的難しく、
また手続の難易度的に(質は別として)やろうと思えば出願人自身で手続できないこともないので
十分なコネクションを持っている大手・中堅以外の、特に新興事務所では価格競争に走る者が増えているのが現状。
(もちろん、日本屈指の高難度の弁理士試験に合格することで法律知識は担保されているし、
豊富な業務経験・実績を積んでいる弁理士・特許事務所に対しては当然ながら引き合いは多い)
加えて、商標業務は案件1件あたりで頂けるフィーが特許に比べて全体的に少ない。
最近はネットのHPや検索広告からの流入で新興事務所でも仕事を取りにいける環境があるが、
そういった事務所の広告では「成果報酬制」や「格安」等の宣伝文句が目立つ。
ということは、特許より単価の低い商標で利益を上げるには多くの案件をこなしていく必要があり、
皆さんがイメージするような一つ一つの案件をじっくり、といった対応は難しい環境にある。
「もっとじっくり調べろよボケ」「ググった程度で判断してんじゃねえよカス」という意見はもっともだが、
先行登録商標の調査等もあり、周知性の判断根拠を探すだけにそれほど時間をかけている訳にもいかないし、
下記でも書くが本件は周知性がないと判断されてしまっても仕方ない事情もある。
(「識別力のない商標」など、拒絶理由で打てるものはあるとは思うけど…)
特許庁も代理人もみんな違う人間なので、森羅万象に詳しいことを要求するのは酷だし、
ある一定レベル以上のことに関しては出願人クライアントの意見を信じるしかない部分もある。
そのために業界特有の特殊事情などは「情報提供制度/公告・異議申立制度」で汲み取る制度になっているのだから。
結論:「ゆっくり茶番劇」の件に関しては、代理人や特許庁を責めないでほしい。
リリースを見る限りは通常の業務で要求される注意を払って代理されていたと感じる。
これも誤解が多く出回っているので、ここで併せて説明しておきたい。
周知性というのも、一般の皆さんがイメージしているレベルよりかなり高いレベルが求められる。
(例えば東京のお店が売ってる物の名前であったら、単一市町村内でも単一都道府県内だけでもなく、
インターネット社会になってそういった部分の考え方が複雑にはなっているが、
いずれにしても1つのコンテンツコミュニティの中で有名であっただけでは十分に周知と言えるかというと苦しい。
また、実際に証明する際も、商品販売の実績やパンフレット配布数、広告宣伝実績、テレビ露出度、
場合によっては需要者へのアンケート(野良署名活動じゃなく、出願人が主張したい内容と合うように作成したもの)等も駆使して、
いかに幅広い需要者(消費者だけでなく取引者も含む)の間で幅広く認知されていたかを立証する(ただ、それでも認められない事が本当に多い…)ので、
数万件程度の検索ヒット数や関連動画の再生数だけで周知性を主張することはほぼ不可能といえる。
『どれだけ検索でヒットしたり動画が回っていたとしても、結局限られた属性と人数しか知らないのであればそれは周知と呼べない』
令和4年5月15日朝、俺は立教大学にいた。司法試験予備試験を受けるためだ。
ちなみに、今の仕事はしがない中規模病院の勤務医(内科部長職)だ。
5年前、私生活で法律上のある争いがあり、法律知識、バックグラウンドの無い俺はコテンパンに負けた。
そこから、法律で戦うための知識が必要だと法律に興味を持った。
憲法、民法、刑法と学習を開始していくと次第に面白くなってきた。朝と夜、毎日2時間くらい勉強するのが習慣になった。
どうせなら司法試験まで通過して、弁護士を目指しても良いじゃないか。と思うようになる。
一昨年の受験が最初で、今回は3回目の受験。自己採点は120→130→180と少しずつ上ってきた。ようやく短答試験の合格ラインに到達した。
多分、今年は短答試験は通過出来る。それでも論文は合格出来るかどうか。
頑張るぞい。
世の中には努力ができない人というのがいる。
億万長者を夢見て何をしているのかといえば毎週競馬場にいるみたいな人だ。
宝くじは間違いなく買っているがそれだけで億万長者になろうとしている人だ。
そもそも億万長者なんていうのはそうそうなれるものじゃないという考えがなぜかなく、なぜか自分はいつか宝くじに当たって億万長者になれば幸せになれると思っていたりするからたちが悪い。お金がいつかどこからともなくどさっと降ってくるという感じだろうか。
億万長者になるというのはかなえばいいですね程度に横においておいて、日々仕事をしたり資格を取ったり勉強したり投資したりコツコツと長期計画で動いている人たちもいる。努力ができない人というのは、なぜかこのコツコツやる人たちが馬鹿に見えて仕方がないようだ。
コツコツやっている人たちが総資産1千万超えました!やったー!とか喜んでいる裏で残高10円の通帳を眺めて安酒かっくらいながら「あーやだやだあんなセコセコやるやつになんかなりたくないわwwwww金以上に価値があるものをあいつらわかってねーわwwwww」とか言っていたりする。なぜか勝手に勝った気分に浸っているのも彼らの特徴だ。
わたしとしては億万長者なんて言う身の丈に合わない夢はわきにおいておいて、勉強したり資格とったりして少しでも実入りのいい仕事に就いたほうがいいのではないだろうかと思うのだが、彼らは「いやいや何言ってんの、宝くじあたりゃ一生分の金手に入るのよ?その程度も手に入らない努力に何の価値があるわけ?」などと言ったりする。
だが彼等もまた人間であり、宝くじなど当たらないことは薄々気づいている。気づいているがこういうことを言うのだ。その理由というのが私には何ともわからなかった。
彼らはいつか宝くじに当たると思って生きているのではなく、努力してこなかった自分を肯定するためにこうなっているのだ、と。
努力してこなかったことが余りにもコンプレックスなので努力している人のまぶしさに耐えられない、といってもいいだろう。
そして彼らが大好きなのは一発逆転の瞬間だ。
どうしようもなかった不良がチャンピオンになる
こういう話が好きで好きでしょうがない、、、のではなく、そういう話の一発逆転の瞬間以外はどうでもいいと思っている可能性が高い。
イチローが安打を量産するのは大好きだけど日々真摯に野球と向かい合って鍛錬しているところには全く興味がない。
ビルゲイツがWindowsで大儲けした話は大好きだがそこに至るまでの彼の壮絶な努力には興味がない。
偏差値40代の子どもが難関校に合格した話は大好きだがそこに至るまでの泥臭い地道な受験勉強には興味がない。
だが、後者がなければ前者はないのだがどうしてもこの積み上げるというところが目に入らないか、不快なノイズとしか感じていないようだ。
そうやってどんどんドツボにはまって貧乏になりながら努力して中流の日常を謳歌している人たちに勝ち誇れる彼らは一体何なのだろうか、逆裸の王様とでも言えばいいだろうか。
俺は嫉妬深く、逆恨み精神が強く、いつも妬み嫉み、僻んでいる。
自らの状況を改善する努力はしないくせに、眠る前に目を閉じれば、浮かんでくるのは妬ましい奴らの妬ましい生活ばかり。
インターネット上には、妬まないためのマインドの持ち方やら、すっぱいブドウ理論で己を慰めているような奴らの文章ばかりだ。
俺はただストレートに、まっすぐにこの薄汚い嫉妬心をぶちまけたいんだ。そして聞きたいんだ他人のそれも。
俺は従兄弟が憎い。
こうしんちょうこうしゅうにゅうこうがくれき。
びじんな、おくさん、かわいいむすめ。
『せっかく東京に来たんだから上野美術館や◯○大学のキャンパスを見学にいきなよ。俺が案内するし。あ、いや、✕✕君は埼玉の鉄道博物館の方がいいかもな』
おまえはこの台詞、なんの悪意もなく言ったんだろ?
なんの悪意もなく、田舎者で頭も悪いオタクの俺は、美術館での芸術鑑賞や絶対に合格したりしない大学の見学なんかより、
お前はこんな風にしゃべったことすら覚えてねぇだろうな。
俺はお前が妬ましくて毎晩この台詞を思いだしてイライラして眠れなくなる。
お前が五体不満足になって家族に捨てられてもうこんな人生嫌だ死んでしまいたいってそんなふうになる日が来ないと俺は救われない。
小さな趣味や幸せを見つけろだって?自分の人生を楽しめってか。そうできるならもうしてるさ。
できないから苦しんでるんだろ。
俺にDEATH NOTEがあれば、お前を真っ先にむごたらしいやりかたで56したい。
あれ、料理人に説明して判定受けてるのは、本社商品部だから一番上流側の人間だよね。実際に調理法だとか材料の配合で試行錯誤して寝る間も惜しんでやってるのは、下請け側の製造会社だよね。頑張った甲斐がありました、って自分が調理場に立ってるような言い方する人もいるけど、料理人に対して向き合って話をすることができるのは本当は製造会社の担当者だと思うんだよね。
※追記
・でも企画担当した人がいい場面では表に出るってどの業界でも決まってるから
そうなんだよね。だから判定の場でドキドキしたり涙してるのは、テレビに映るあの人たちだけではなく、背後にいる名もなき現場の人々たちもだと思うようにしている。
学歴というものはない。昭和58年生まれ。昭和63年に保育所に入園したが特に記憶なし。平成元年に父親が友人に建築士に依頼し2000万円で一戸建てを建てたが
母親は出稼ぎにいって家にいない。記録によると平成3年から8年にわたり合計800万円を借りて遊んでいたが平成11年1月に自己破産した。
平成8年に祖母の夫が全身倦怠感で入院、 平成10年頃、 ランセンターが突然儲かりだし、数か月で祖父が1000万円をもうけたが、平成11年5月4日に自宅の風呂場で
脳溢血で倒れそのまま死去。
有限会社ランセンターはそのまま叔父が経営を続け、インターネットの進展で、ネット上でランの紹介をしていたが購入者がおらず、センターの土地代4万円の支払いに窮して