はてなキーワード: 燃えとは
頻繁に泊まりに来るようになった挙げ句にほぼ居座るようになった親戚のことを嫌いになったので、めちゃくちゃ居心地悪くて本当に最悪
もっと早い段階で言ってくれてたらこっちだって引っ越すなり準備出来たのに、事前に聞いてないし、それをおかしいと家の中で1番決定権がある人間に訴えても、家族なのに何で言う必要があるのか、そもそもわざわざ事前にお前に許可取る必要は無いみたいなことを言われてマジで終わっている
燃えればいいのに
試着してみようみたいな話になって
試着室に2、3着持ち込んで
試着したけどどう思う?どれが似合う?どれが可愛い?とか
そういう時
試着中、俺はどこにいたらいいんだ
周りは女向けのものばかり
店員も女、客も女
店の雰囲気も、相手がどんなモノ好きかにもよるが、まぁ可愛かったりギャルっぽかったり、女の雰囲気
そんな中で1人試着を待つ男の俺
完全に異色の存在
正直すげぇ居ずらい
出来ることなら逃げ出したい
他の店で買った、およそ男は買わないだろうという商品の紙袋を、周囲にロゴが見えるようにして持って立ってる
男はこんなの買わないですよね?わかりますよね?私は荷物持ちなんですよって顔してスマホいじって立ってる
持たされる大量の荷物もある種そういう演出のための道具だと思えば全く苦ではない
そういうのなしに1発目の店から長時間の試着やられると何も無くてキツイ
せめてその女物のバッグだけ俺に持たせてくれ頼む
本当に自意識過剰だと思う
同性からも堂々としてろよって言われるかもしれない
それこそそういう広めスペースがあればそこに逃げ込める
さすがに男も居ずらいから店の雰囲気もうちょっと考えろとまでは言わん
気を利かせて試着室の前に椅子を1、2個置いてる店はほんと助かる
座れなくてもそこに居るだけで待ってるんですよ感でるし気が楽
そんな感じでラフォーレとか109行った時は本当に死ぬかと思った
店は敷地狭いから邪魔になるし、出て店の前で待つしかないが、毎度毎度行く店の前で待ってるのはさすがに体力的にもキツイ
ってかキミらなんであんなに試着長いんや
女同士で買い物行く時とかどうしとるんや
女性でも入りやすい店舗作りを心がけて欲しいみたいなニュース記事を見て、そう言えばちょっと前に立ち食い蕎麦屋を女性でも利用しやすくしてみたいな話題あって軽く燃えかけてたなと思い出して、自分もついこれを書き殴った
家族の推しが炎上して2ヶ月、どんどん家族の性格が悪くなっている。
炎上前より不寛容になり被害者意識が激しくなった。分担して行っていた家事も出来なくなり、他の家族に当たり散らす始末。
夕飯を一緒に食べれば何度聞いたか分からない推しの事務所への愚痴を言い、つい生返事をしたり、嗜めたりすれば「私のこと考えていないのね」とヘコむ。前向きになろうよ、と慰めれば「貴方にはどうせ分からない」と言う。耳にタコが出来た話を可哀想だね、辛いね、と同意する以外のことはぜ〜んぶ「攻撃」と受け取る。
自分が全く関係ない話をしている時でも隙さえあれば推しの事務所への愚痴を差し込んで、同じ話を繰り返す。そして上記の選択が繰り返されるのだ。
これで、逆に自分が落ち込んだ際に相談をしたら「考えすぎ」と返されるのだからやっていけない。それどころか、私だって…と推しの事務所への愚痴を繰り返すのだった。
推しのライバルグループへの愚痴も激しくなった。ライバルグループのファンを悪様に叩いた日には、自身は推し活が邪魔されると怒るのに、人の活動のことは嘲笑うのかとドン引きした。
推し活の一環としてファンアートを描いていたが、ずっといいね!の数を気にしてイライラしていた。
自身は推しへの愛を喋りファンアートをたくさんの人に見られたいのに、他人の推し語りやファンアートは解釈違いが許せない、私よりいいね!が伸びてたらヘコむからと頑なに見ようとしなかった。
推し活と言うのはファン同士の交流も醍醐味だとよく聞くが、家族にとっては苦痛の方が大きいように見えた。炎上する前から苦しそうに見えたのだった。
というけど家族の様子を見ているととてもそうは思えない。
自分で手綱を握れない、コントロール出来ないものにアイデンティティを預けるのは危なっかしい。推しが炎上したら自分は何もしてないのに一緒に燃えてしまうんだぞ。
I see that among men all things depend upon three wants and desires, of which the end is virtue, if they are rightly led by them, or the opposite if wrongly. Now these are eating and drinking, which begin at birth—every animal has a natural desire for them, and is violently excited, and rebels against him who says that he must not satisfy all his pleasures and appetites, and get rid of all the corresponding pains—and the third and greatest and sharpest want and desire breaks out last, and is the fire of sexual lust, which kindles in men every species of wantonness and madness.
私は、人間のあいだではすべてのことが三つの欲望に依拠していると見ています。それらは、正しく導かれれば徳であり、誤って導かれればその反対となります。まずは「食欲」と「飲欲」であり、これらは生まれたときから始まります。あらゆる動物が自然とその二つの欲望を備え、激しく興奮させられ、己の快楽や食欲を満たしてはいけないと言う者に逆らい、付随する苦痛からは逃れようとします。そして第三の、最も強く鋭い欲望が、最後に噴き出します。それは人々のあらゆる種類の淫気と狂気を燃え上がらせる「性欲」の炎です。
今のところこれが最古である。さすが西洋哲学の祖。「食」と「飲」が分かれているのが特徴。プラトンの著作は明治時代に翻訳されていて日本人にも知られていたと思われる。
欲界三欲
(一)飲食欲,即凡夫於種種美味之飲食,多生貪愛之心。(二)睡眠欲,即凡夫之心多暗塞,耽著於睡眠而不能勤修道業。(三)淫欲,即一切男女由互相之貪染,而起造諸種欲事。
欲界三欲
1. 飲食欲、すなわち凡夫はさまざまな美味の飲食において、多くは貪愛な心を生む。2. 睡眠欲、すなわち凡夫の心は暗く塞がり、惰眠に耽って修業に励むことができない。3. 淫欲、すなわちすべての男女は互いに貪欲に染まり、それがさまざまな欲事の原因となる。
『翻訳名義集』は中国・南宋時代に編纂された仏教系の書物。もちろん日本にも伝わっている。というかこの組み合わせが現在のスタンダードである。
いにしへの人三慾を忍ぶ事をいへり。三慾とは、飲食の欲、色の欲、睡の欲なり。
『養生訓』は江戸時代の大ベストセラー。貝原益軒は儒学者だが、この組み合わせは仏教の「三欲」と同じなので、「いにしへの人」というのは僧侶のことなのか。三欲を「抑えるべきもの」と捉えているのも仏教的である。「睡眠を減らすと健康になる」みたいなことも言っている。
『歌学提要』は幕末の歌人・香川景樹の理論をその弟子の内山真弓がまとめたものだという。
人間の根源の欲望を、食欲・性欲・表現欲に三大別して言うそのことは、江戸末期の巨匠香川景樹以来、歌界ではならいとなっている。
ということで「食欲」「性欲」「表現欲」を表しているらしい。
これはイギリス科学振興協会の当時の会長であったライアン・プレイフェアのスピーチが翻訳されたもののようだ。原文を当たると「かつての錬金術師は黄金・健康・不死のために賢者の石を研究していた」…みたいな内容だったらしい。
they hoped to attain the three sensuous conditions of human enjoyment -- gold, health, and immortality.
村上専精は僧侶だが仏教の「三欲」とは異なるのか。「生存欲」は戦時中の文章で「日本人は三大欲求の生存欲を抑えて国家に殉じるからすごい!」というふうに使われているのを見かけて面白かった。
人間の三大慾望たる衣食住
個人的に「衣食住」は欲望というより「基本的なもの」「必要なもの」というニュアンスで捉えていたのだが、井原西鶴の『世間胸算用』でも「分際相応に人間衣食住の三つの楽の外なし」と書かれているそうなので、あながち「欲望」的な捉え方でも間違いではないのか。似たようなパターンだと三大欲求を「福・禄・寿」に割り当てることもある。
美術評論家が三大欲求に「美欲」を入れるのは、歌人が「言語表現欲」を入れるのと似通っているか。
明治以降は経済発展もあってか「金銭欲(利欲・財欲)」や「名誉欲(出世欲)」を挙げることがかなり多い気がする。
もとはアメリカで1948年に刊行された小説だが、原文だと「three main pastimes」なので「三大娯楽」かな。
といった記述がある。
食欲、性欲、排泄欲の根源的意味に比べたら、人間の他の欲望である出世欲とか名誉欲とか権力欲とか支配欲とか金欲とか知識欲など、それこそ屁以下の価値しかない。
いわゆる「生理的欲求」のひとつとして食欲や睡眠欲と並べて語られる「排泄欲」だが、「三大欲求」として挙げられていることは少ない印象を受ける。ただ「性欲(射精欲)」を排泄欲の一種とみなすこともあるようだ。
本来、仲間と一緒にいたい、集団の中で自分の安定した位置を占めたいという欲求――集団欲は、食欲、性欲と並んで三大欲と言われる程のものである。
この「集団欲」を三大欲求とみなすのは戦後にかなり広まった感じがする。近年の書籍でも睡眠欲に代えて集団欲が挙がることがあるようだ。
貞潔・清貧・従順の修道三誓願は人間共通の三大欲求(肉欲・所有欲・支配欲)にかかわるものとして、生涯の一大試練と誘惑になりうる。
これはつまりカトリックの修道士が守る三誓願の対義語となるような欲望(貞潔↔肉欲 清貧↔所有欲 従順↔支配欲)を「三大欲求」と見なしているらしい。カトリックのあいだでポピュラーな解釈なのかは知らないが、三誓願そのものは3世紀末くらいまで遡るらしいので、当時からそうした発想があったとしたら面白い。
現在の一般的な認識。「金銭欲」「名誉欲」「集団欲」あたりを含めて「諸説あり」と言われていてもおかしくなかったと思うが、最終的にほとんど「食欲・睡眠欲・性欲」で固定されてしまったのは面白い現象である。
「アカデミアの待遇や任期制は子育てのことを考えていない!子育てのことを考えていないようではアカデミアは滅びる!!」
とか主張してる子育て世代のアカデミシャンが多いけど、別にアカデミア内の親子で再生産する必要はねーんじゃねーのとしか思わないんだよな。
アカデミアは普通のサラリーマンや一般社会の家庭から奇特な奴が参入してきて家庭を持ちたくなったら(それまでに成功できてなかったら)去っていくというサイクルでも滅びないんじゃねえの?
実際、どう考えても子供なんか持てない非正規派遣社員の層はいっぱいいるけど、「非正規派遣社員」という業界自体は全然滅びる気配が無いわけじゃん。同じだろ、アカデミアも。
なんでアカデミアだけは特別扱いして子育てとキャリアを両立できるように下駄履かせてやらなきゃならないのか。
「自分たちは選ばれた人間だから再生産しないことは社会的損失である」と思ってるということなんじゃねえか?
しかも「自分たちに下駄を履かせないと滅びるぞ!」と恫喝しているわけだ。滅びねえと思うけど。
内輪でスゲースゲー言い合ってるだけの演劇界隈の有名人がなんか傲慢なこと言って燃えたことがあったけど、平田オリザだっけ?あれと同じに見えるんだよな。
アカデミアの待遇を改善しろというのはまあいいとして、子育てとキャリアを(選別に勝ち残れない奴らの分まで)両立できるまで大幅によくしろというのはただの傲慢としか思えない。
木村響子が推しの子批判をしたことで推しの子ファンから罵詈雑言を投げられている。
木村花の事件があったのは推しの子原作が発表されたタイミングとほぼ同時期。
プロットを事件に合わせて変えたとは考えずらいが参考には間違いなくしているだろう。
ここで問題なのは赤坂アカはこの事件をエンタメとして消費するという意思があったのかどうか。
これは否だと思う。
この事件を通して、推しの子を通して人が成長して欲しいと願って書いているはず。
なので木村響子から真っ向から批判されたことは赤坂アカにとってはしんどいことなんじゃないかと思う。
が、それよりも推しの子のファンがファンネルと化して木村響子を攻撃していることに赤坂アカは絶望しているのではないか。
謝罪している物、燃えているものは攻撃していいと考えている集団の思考のなさを嘆いている。
それをコントロールできない演者側の課題も挙げているがそれは本質ではない。
炎上している物が本当に悪い物なのか見定める賢さを得て欲しいと願っているはず。
が、推しの子を見たはずの、今見ているはずのファンが愚と化して木村響子を叩いている。
自分が描いた作品からは一切教訓を得ずにまさにエンタメとして消費し、尚且つ木村響子を叩いている。
木村花の死からなにも学ばす、そして推しの子からも何も学ばす、自分の都合に属さない物は叩き続ける。
そこに正義はあるのか。
炎上中のカフェの件だが、法律・ルールのそもそも論の話をするとカフェ側が圧倒的に不利な立場のようだ
世論と感情論で自分らのワガママを通そうとしている状況であることが見えたきた
ツイッターで拡散される告発系マンガっていつもこういうオチばかりだよな
本来非がある立場の人間が、都合の悪い事実を隠して相手方を悪者にして
頭が悪いやつを大量に釣ってネット世論を燃え上がらせて譲歩を引き出すというやり口だ
しかし本来自分9に対して相手1ぐらいの過失に対して、過大な要求をねじ込もうというやり口はまるでヤクザだ
マンガに煽られて事実確認もしないまま炎上に加担するバカは、バカすぎるのでマンガしか読めない
マンガが読めるので多少はマシなバカかもしれないが文章は読めないのでマンガを言い分を鵜呑みにしてしまう
近頃はサヨク界隈が事実歪曲マンガを書いて世論を煽るという手口を覚えたので、
SNSに流れてくる告発系マンガを見かけたら本当は書いてる奴に非があるので叩かれてる相手を擁護するというポジション取りをしていこうと思う
燃え上がるのも早かったが、鎮火も早かった…
20代での移住で右も左もわからず、ご近所さんに助けてもらいながらなんとか生活を築いた。
移住して1ヶ月、お隣の息子さんから消防団に入らないかと勧誘を受けた。
「消防団は大変」という話を聞いていたし、ネット上の消防団操法大会に関する記事も読んでいたので躊躇したものの、性格上自分が体験していないことを否定する気にはなれなかったので受け入れた。
入団してみると意外にも同年代が多く、無料でお酒を飲ませてくれるし、キャバクラなんかも連れて行ってもらえるし結構楽しかった。
ある日の会議で、操法大会についての話になった。知らん間にプリントに名前が書かれていたので小型ポンプの番員として出場することになった。前述の通り、体験していないものは否定できないのでこの時点では特に文句は言わなかった。
練習は週に4回。月、水、木、土の19:00-22:00。
内容は実務的なことはほとんど重視せず、動きを合わせることに特化しており、消火活動というよりはシンクロナイズドスイミングに近い。
防災に役立つとはクソほども思えない感じだった。
練習すること3週間、市町村ごとの操法大会が開催された。うちの班はたくさん練習したこともあり、優勝した。
その頃にはだいぶ他の団員とも仲良くなって「練習期間伸びるじゃねえかふざけんな」とか思うままに文句を言えるようになっていた。
その後、各近隣市町村大会で上位のチーム同士を集めての大会、そして県大会と奇しくも歩みを進めて最終的には県3位の成績でその年の操法大会は幕を閉じた。
俺は家にいたのですぐに詰所に向かい、集まっていた3人の団員とともにポンプ車で出動するように指示を受けた。
現場につくと、轟々と燃え盛る土手に放水する消防署員たちがいた。
「あ!消防団さん!そこの川から水汲みあげて、中継してもらえる?」
署員から指示を出されたが、そのとき一緒に出動した4人のうち3人が、操法訓練では小型ポンプの持ち場の動きしかやったことのない団員。誰もポンプ車での水の汲み上げ方がよく分からない。
もう1人はポンプ車の部で大会に出場していたものの新人で、半年前にやったきりの操作方法なんて全く覚えていなかった。
「すんません、僕らよく分かんなくて…」
「分かりました!機関貸してください!」
結局署員が消防団のポンプ車を使って消火。集まった団員たちはいたたまれない気持ちでその様子を眺めるだけになってしまった。死傷者が出なかったことが唯一の救いだった。
・大会のためだけの操法訓練だと番外の練習をしないため運良く番員が揃わないと、消火できないこと。
・従来は大会前にしか訓練せず、操作方法を忘れてしまうので、分散させて定期的に訓練したほうがいいこと。
など、できるだけ合理的に話した。
田舎とはいえ消防団は若者ばかりなので案は受け入れられ、うちの分団は操法大会には集中せず、月に1度の実務的な訓練をするという方針に変わった。
方針が変わってからは全員がポンプ車、小型ポンプともに扱えるようになり、火災時に誰が出動してもある程度は対応ができるようになった。
そんな折、分団長のもとに消防団本部(分団の上位組織)からお達しがあった。
「大会に向けた練習に身が入ってないから従来のような操法訓練をしろ。」
要約するとそんな内容。予算配分や、設備拡張などを担っているのが本部なので分団は基本的に本部の方針は絶対ということになっている。
せっかく体制を変えたのに元通りになってしまっては意味がないので、俺は役所の目安箱的なものに意見書を投書した。
先述の問題点を極めて合理的になるべくお役所フォーマットに則って書いた。
が、返信はなく結局、操法訓練は復活して今まで通り意味のないシンクロもどきを繰り返す団体に戻ってしまった。
その後、コロナ禍になり、一時的に操法大会は中止になったものの、今年は開催されるようだ。
一体誰が、何のためにやりたいんだろう、これ。
20代での移住で右も左もわからず、ご近所さんに助けてもらいながらなんとか生活を築いた。
移住して1ヶ月、お隣の息子さんから消防団に入らないかと勧誘を受けた。
「消防団は大変」という話を聞いていたし、ネット上の消防団操法大会に関する記事も読んでいたので躊躇したものの、性格上自分が体験していないことを否定する気にはなれなかったので受け入れた。
入団してみると意外にも同年代が多く、無料でお酒を飲ませてくれるし、キャバクラなんかも連れて行ってもらえるし結構楽しかった。
ある日の会議で、操法大会についての話になった。知らん間にプリントに名前が書かれていたので小型ポンプの番員として出場することになった。前述の通り、体験していないものは否定できないのでこの時点では特に文句は言わなかった。
練習は週に4回。月、水、木、土の19:00-22:00。
内容は実務的なことはほとんど重視せず、動きを合わせることに特化しており、消火活動というよりはシンクロナイズドスイミングに近い。
防災に役立つとはクソほども思えない感じだった。
練習すること3週間、市町村ごとの操法大会が開催された。うちの班はたくさん練習したこともあり、優勝した。
その頃にはだいぶ他の団員とも仲良くなって「練習期間伸びるじゃねえかふざけんな」とか思うままに文句を言えるようになっていた。
その後、各近隣市町村大会で上位のチーム同士を集めての大会、そして県大会と奇しくも歩みを進めて最終的には県3位の成績でその年の操法大会は幕を閉じた。
俺は家にいたのですぐに詰所に向かい、集まっていた3人の団員とともにポンプ車で出動するように指示を受けた。
現場につくと、轟々と燃え盛る土手に放水する消防署員たちがいた。
「あ!消防団さん!そこの川から水汲みあげて、中継してもらえる?」
署員から指示を出されたが、そのとき一緒に出動した4人のうち3人が、操法訓練では小型ポンプの持ち場の動きしかやったことのない団員。誰もポンプ車での水の汲み上げ方がよく分からない。
もう1人はポンプ車の部で大会に出場していたものの新人で、半年前にやったきりの操作方法なんて全く覚えていなかった。
「すんません、僕らよく分かんなくて…」
「分かりました!機関貸してください!」
結局署員が消防団のポンプ車を使って消火。集まった団員たちはいたたまれない気持ちでその様子を眺めるだけになってしまった。死傷者が出なかったことが唯一の救いだった。
・大会のためだけの操法訓練だと番外の練習をしないため運良く番員が揃わないと、消火できないこと。
・従来は大会前にしか訓練せず、操作方法を忘れてしまうので、分散させて定期的に訓練したほうがいいこと。
など、できるだけ合理的に話した。
田舎とはいえ消防団は若者ばかりなので案は受け入れられ、うちの分団は操法大会には集中せず、月に1度の実務的な訓練をするという方針に変わった。
方針が変わってからは全員がポンプ車、小型ポンプともに扱えるようになり、火災時に誰が出動してもある程度は対応ができるようになった。
そんな折、分団長のもとに消防団本部(分団の上位組織)からお達しがあった。
「大会に向けた練習に身が入ってないから従来のような操法訓練をしろ。」
要約するとそんな内容。予算配分や、設備拡張などを担っているのが本部なので分団は基本的に本部の方針は絶対ということになっている。
せっかく体制を変えたのに元通りになってしまっては意味がないので、俺は役所の目安箱的なものに意見書を投書した。
先述の問題点を極めて合理的になるべくお役所フォーマットに則って書いた。
が、返信はなく結局、操法訓練は復活して今まで通り意味のないシンクロもどきを繰り返す団体に戻ってしまった。
その後、コロナ禍になり、一時的に操法大会は中止になったものの、今年は開催されるようだ。
一体誰が、何のためにやりたいんだろう、これ。