はてなキーワード: 友情とは
https://anond.hatelabo.jp/20220627202642
の実況後感想です。
・メンタル組で話すシーンとかハイジョ5人の友情を感じるシーンとかのオリジナル要素が良かったです
・前半36分15分飛ばしていい
・↑サイスタのメインストーリーを早口で低クオリティで再現するだけのシーン
・ない方がマシレベル
・プロデューサー、いる?
ストーリー、つまんなくないですか?
ポジティブな感想で「アイドルのこういう面や交流を見たかった」とか言ってますが、これはSideMを好きな人間なのでアイドルの新規カード来た~くらいの感情です。
アイドルマスターSideMで舞台やりたいです!ってオファーしてくださったそうですが
ああこの作り手はSideMのこういうところが好きなんだな、というのがわかりませんでした。
かろうじて「他のユニットメンバーと一緒に進んでいくことが大切」なのかなというのが夏来と旬やメンタル組のやりとりでうっっっっすら感じましたが…。
SideMって当然サイスタで語られている以外にもアイドルたちのバックボーンや葛藤ってたくさんあるはずなんですが、
サイスタすらもまともにやってないんじゃないか?という印象でした。
SideMでやる必要あった?アイドルマスターっていう看板が欲しかっただけじゃないの?という印象です。
元アイドルの方が脚本、2.5で有名な方が演出、と聞いて正直期待していたのですがまさかサイスタのメインストーリーよりも薄い作品が出来上がると思いませんでした。
死んで空に浮かんでいるプロデューサー、
意味不明なプロジェクションマッピング、
早口、
これを無視して「良かった~!」って言ってる人たち本当に怖い
前半の早口とかただ丸暗記したセリフを読むだけのシーンとか普通に不愉快でした。
サイスタのメインストーリーを知っているのでなんとかついていけましたが、
メインストーリー知らない人は知らないキャラが沢山出てきて早口でまくし立ててるようにうつりませんか?
私が普段見ている舞台が、チケットとるのがそこそこ難しい2.5や宝塚や劇団四季くらいなので、この箱の規模だったらこんなもんだよ、みたいな感じだったらすみません。
ツイッターですごく評判がよかったので、では見るかと思って買いましたが正直高い買い物だったな、という気持ちが大きいです。
こうしてはてぶを書くことで費用対効果を得てます。(得てるか?)
配信組だったのものあり、現地で見たらまた没入感は違うのかもしれませんがこのテンションで現地行かせられたら普通にキレてしまうと思う。
もし二回目三回目とかあるなら値段に見合う舞台にしてほしいです。
今回、担当がいないので気楽に見れましたが、それでもン?って思ってしまう部分は多々ありました。
まず、ターゲットがどこに向いてるのかよくわからなくて、SIdeMをすごく好きな人に見てもらうのであれば、もっと工夫のしようはあったと思うし、
逆にSideMをあまり知らない人に見てもらうにしても、最悪の前半36分はない方がマシでした。
何を伝えたいのかわからなかった。
もちろん7年もの歴史を持つ積み重ねの化身であるモバを舞台でやれとは言いませんが、
アイドルとしての魅力を伝えたいのであれば変ないざこざは描かないでよかったし、駄菓子屋でスタンドを出す必要もないと思う。
本人の葛藤を描きたいなら翼のようにもっと桜庭のバックボーンに注目してもよかった。
あと輝が怖かった。
私はSideMが好きですが、仮にSideMを布教するとしたら、これをSideM知らない友達に勧めるかというとNOです。
普通にサイスタのメインストーリー読んだほうがマシなので。(サイスタのメインストーリーが良いかどうかは別としてマシではある)
あとアニメ。私の担当はアニメにアイドルとして出ていないモブ扱いですが、それでもこの舞台よりは見やすいと思います。
後半の満足感、ユニットを越えたアピールチャンスとかを見る限りは、舞台である必要もあるような気はしています。
なにせ現状SideMのゲーム以外の展開が声優のライブで、声優のライブでは声優が来ないとアイドルそのものの出演もできないという都合があります。
私は「声優や俳優がみたい」のではなく「担当アイドルが見たい」のでこのように一応公式としてアイドルがゲーム以外の部分で描かれるのには好意的に見ています。
今回担当は出演しませんでしたが、担当が出たら見たいか?と聞かれたら見たいです。
なにせアニメにも出ていないので、なんでもいいから公式からお出しいただく担当はなんでも見たいという気持ちもあります。
もう少しどうにかできたであろう部分も多いので、それはアンケートで送ろうかなって感じです。
数ヶ月前のことだ。少し前から体を悪くして医者を探していた母が、面白い医者を見つけたがどう思うかとLINEでYouTubeのURLを送ってきた。動画を再生すると画面の中で吉野敏明と名乗る人物が、科学と愛、そして波動について講演を始めた。
波動と愛の話 吉野敏明先生8月1日講演会ダイジェスト - YouTube
…
- 「宇宙全体とは、実は波動です。色即是空、ブラフマンは全て振動だというインドの考え方。2000年以上から分かってた。薬で治るというのは洗脳」
- 「蛇口から流れる水に24Hzの周波数を聴かせると形が変わります。周波数をかけると水の形すら変えられるんです」
- 「これは周波数を測定するメタトロンという機械で、みなさんが出してる周波数が測定できるんです。これで体をスキャンすると、正常なところは黄色で、悪いところが赤や黒で出てきます。これは遺伝子のところの周波数ですが、これがつながって人間になる、つまり波動の集合体がみなさんなんです」
- 「波形を調べると、統合失調症の周波数とか、腎臓がんの周波とかが出ている、でもまだ病気になっていないというのが出てきます」
- 「波形で感情もわかります。忍耐・愛・悲しみ・安らぎetc。癌の人は皮肉とか嫉妬。この波形は愛の周波数です。嫉妬や親切心も波動でわかるんです」
- 「ある人、私じゃないですががね、吉○敏○さんという人は、以前は不平不満や嫉妬、復讐心といった感情でいっぱいでした。メタトロンで心臓の血管の波動の色を見ると真っ黒!心筋梗塞の周波数が出ていました。でも心筋梗塞と同じ周波数の漢方を飲みまくったらきれいに!感情の周波数も羞恥・洞察・冷静沈着・勇気に変わったんです」
- 「ペットは死んだ時、死ぬまでは苦しみや痛みが出るが、死ぬと大体友情が出る。最後は愛になって波動検知できなくなる」
- 「知り合いの保育園で園児を測らせてもらったが、生まれた瞬間は愛しか出てこない。神様がそう言う周波数を出すプログラムを作ってあるんです」
- 「私は毎朝4時半に起きて、『今日も、創造主である神様おはようございます』と瞑想します。そうすると感情の波動が知的洞察冷静沈着勇気に。これやると体の病気の周波数も消えるんです。だから、毎日毎日こういうことをやるってことが、医学的にも正しいんです。科学と宗教はおんなじもの。創造主を崇拝する。種の掟という因果を研究する量子物理学なんです」
- 「食べ物で猛烈に感情は変わります。食品添加物とかトランス脂肪酸とかの人工物、石油から作ってるオーガニックじゃないものを食べてる人はガンが多くて、心も汚染してるんです」
…
……頭を抱えてしまった。
吉野の講演の巧みさは、個々の事実が全て嘘というわけではないところだ。提示される断片的な事実には正しいものも少なくない。だが事実と事実をつなぎ合わせる論理が支離滅裂で、スピリチュアルな「波動」「メタトロン」「創造主」に繋がっていく。食品に関する危機感を煽るのも忘れない。
いっぽうで吉野は講演中「ホースから流れる水に24Hzの周波数を聴かせると形が変わる」という動画を引用している。以前ネットでバズって、私もどこかで見たことがある動画だ。「周波数の不思議な力」をアピールする狙いだろう。しかし残念ながらこれはストロボ効果を利用したトリック映像だ。トリックの原理は ここ で読めるが、 こっちの動画の方がわかりやすいかもしれない。つまり、原理的には車のCMでホイールの回転が止まって見えるのと同じで、ホースの振動とカメラのフレームレートが同期していれば周波数自体は何ヘルツでも良いし、肉眼では単に震えるホースから水がビチャビチャ放たれているようにしか見えないのだ。
調べるとこの吉野なる人物、波動療法を標榜する「誠敬会クリニック銀座」の院長であることは確からしいが、同HP掲載のプロフィールによれば医大も出ておらず、歯科医師の免許しかないようだ。講演内で自分の専門は再生医療で年間200症例のオペと紹介していたが、それは嘘らしい。
さらに、どうやら吉野敏明は「参政党」なる政治団体の共同代表を務めているという。初めて聞く団体名だ。参政党は「神谷宗幣」「吉野敏明」「赤尾由美」「武田邦彦」「松田学」ら”ゴレンジャー”と呼ばれる中核メンバーからなる政治団体らしい。ホームページやその他周辺の主張を見ると、若者向けを装ってはいるが「日本人のための」「天皇を中心とした」「歴史認識」を訴えており、思想的には極右に近い。
赤尾由美は大日本愛国党の党首の姪で、先程のセミナーの動画を配信していた「株式会社Amour」のYouTubeチャンネルに頻繁に出演している。この会社は『日本の文化「和」の心の継承をめざす』と銘打ち、Webデザインや映像制作とともに和の心系スピイベントの開催や祈祷済みの塩などグッズの販売のビジネスを展開しているようだ。他にも放射能デマ、ワクチンデマで有名な武田邦彦が参画している。なるほど、どうやら参政党はスピリチュアルと愛国、陰謀論を基盤に国政政党を目指す政治団体らしい。吉野敏明は支持者から「よしりん」と呼ばれ親しまれているらしい。よしりん…。
吉野敏明周辺をもう少し掘ったところ、吉野は「メタトロン」の他にも新型コロナに効くという「シオンテクノロジー」という水を、「新型コロナウイルス対策はこれだ! シオンテクノロジーで不活性化」と題して「世界日報」web誌上およびYouTubeのViewpoint公式チャンネル「国益ネット放送局パトリオットTV」上で宣伝していた。こちらも内容はめちゃくちゃで、ノイズキャンセリングで使われる逆位相の原理を医学に応用して、コロナウイルスに量子力学的に「シグナル」を与えて不活性化するのだそうだ。
この動画の中でも、司会者から「今日も手術をされたんですか?」と問われた吉野は「さっきまでしてました」などと答えている。お前ただの歯医者だろ。ちなみにこの司会者は元・自由民主党政務調査会調査役の田村重信氏である。
ところで世界日報の発行母体は統一教会で、Viewpointも世界日報社が運営している。とすれば吉野は統一教会と繋がっているのだろうか?それはわからない。出演も一度きりのようだ。しかし「メタトロン」とはユダヤ教・キリスト教・イスラム教における天使の名である。シオンテクノロジーのシオンとは、いうまでもなくキリスト教における神の御国という意味だ。朝鮮のキリスト教を起源とする統一教会との関連性が強く想起される。
では、その吉野が共同代表を務める参政党は統一教会のフロントなのだろうか?その点もはっきりはしない。参政党事務局長である神谷宗幣は彼自身についての統一教会、森友学園、ネットワークビジネスへの関与の疑惑についていずれも否定するブログ記事を公表している。ちなみにその記事ので神谷は「参政党の党員の中には信仰を持った者がいるかもしれないが、個人の自由だから特に問題はないと考えている」と、党員と教団の繋がりについては事実上認めている。これらについての判断は読者に委ねたい。
ともかく、母には他にもっと信頼できる医師を探した方がよいと忠告した。
それから数ヶ月経ち、参議院選挙が始まった。気掛かりなことがある。実家に帰ると、母がスマホで熱心に「神谷さん(神谷宗幣)」の動画を見ているのだ。一度目と二度目のコロナワクチンはなんとか厚労省のデータで説得して受けさせたが、三度目のワクチンはなんだかんだと理由をつけて拒否している。やたらと食品添加物を気にし始めた。今回の参院選では、参政党は全国全ての選挙区に候補者を配置して国政政党を狙っているようだ。アンケートではNHK党に迫る支持を集めている。彼女も参政党に票を投じるのではないか。もちろんそれは自由だし結構なのだが…スピリチュアルと愛国が融合した国政政党が登場し、私の周囲でじわり浸透してきているという事実に、私は暗澹たる気持ちになった。
そもそも母が吉野を知ったのは他の女性の親族からLINEで勧められたことがきっかけだ。恥ずかしながら二人とも以前から、いわゆる「スマホのYouTubeでネトウヨになってしまった親」というやつだ。似たような中高年はここ数年急増していると聞く。さらに母はお察しの通り頭も悪いが、むかしからストレス耐性が低い。ここ数年は不景気の煽りで父の稼ぎも芳しくなく、経済的な不安で感情をコントロールできなくなることもしばしばだ。
おそらく、そのような中高年はありふれているだろう。私が心配しているのはそこだ。失われた30年でこの国は緩やかに、しかし確実に没落に向かってきた。一億総中流社会はとっくに崩壊し、自己責任の名の下に社会保障は切り崩され、蓄えのない親世代の不安はかつてなく高まっている。
そんな彼らの目に、YouTubeで供給される、ありのままの自分の存在を肯定してくれる「愛国」と「スピリチュアル」という癒しや、心地よい陰謀論はどう映るだろうか。魅了され、その幻想に取り込まれてしまうのではないか。「愛国」の暴走はすでに相次ぐヘイトクライムという形で現実のものとなりつつある。人口でも投票率でも優位に立つ中高年がその幻想に取り憑かれたら…。そのときこの国はどうなってしまうのだろうか。
…それでは聞いてください。『参政党マーチ』(作詞作曲:吉田敏明)
https://www.youtube.com/watch?v=8Cj_9tTnipY
イチ、ニ、参政党!
イチ、ニ、参政党!
イチ、ニ、参政党!
ぼーくらは うまれてきた
みーんな何かをするために
この世にいらない人なんていない
みーんな 必要な 人なんだ
生きるって すばらしい
心って すばらしい
しーあわせを しらないまま 終わるなんていやだよ
ゆーたかさを しらないまま 終わるなんていやだー
なかったら 諦めずにつくるんだー
さあ、Do it yourself!サーンセイトー♪
これは、あなたが人生でやらなければならない最も難しいことであり、最も重要なことでもあるでしょう。
変わりたくない人と難しい話をするのはやめましょう。
あなたの存在に何の興味もない人のために顔を出すのをやめましょう。
あなたの本能は、周囲からの評価を得るためにあらゆる手段を講じることだと思いますが、それはあなたの時間、エネルギー、精神的・肉体的健康を奪う衝動です。
あなたが喜びと興味とコミットメントを持った人生のために戦い始めたとき、誰もがその場所までついてきてくれるとは限らないのです。
それは、自分を変えるということではなく、あなたと一緒にいる準備ができていない人を手放すということです。
もし、あなたが相手のために時間を割いているのに排除されたり、侮辱されたり、忘れられたり、無視されたりしたら、その人たちにあなたのエネルギーと人生を提供し続けることは、自分にとって良いことではありません。
真実は、あなたは皆のためではなく、誰もがあなたのためにあるわけではないということです。
だからこそ、友情や愛情が一致する人を見つけると、とても特別なものになるのです。
そうでないものを経験したからこそ、それがどんなに貴重なものかがわかるのです。
この地球上には何十億という人々がいて、その多くはあなたの関心とコミットメントのレベルで見つけることができます。
たぶん、あなたが姿を見せなくなったら、相手はあなたを探さなくなるでしょう。
もしかしたら、あなたが努力するのをやめたら、関係は終わってしまうかもしれません。
たぶん、あなたがメールをやめたら、あなたの携帯電話は何週間も暗いままでしょう。
それは、あなたが関係を壊したということではなく、関係を維持するためにあなただけが与えたエネルギーが、その関係を維持していたということです。
それは愛ではなく、執着です。
それは、それに値しない人にチャンスを与えているのです。
あなたの人生で最も貴重なものは、あなたの時間とエネルギーです。
あなたが自分の時間とエネルギーを捧げる人や物事が、あなたの存在を決定づけます。
このことに気づけば、自分に合わない人、自分に近付くべきでない活動や空間と過ごすと、なぜこんなに不安になるのかがわかるようになります。
自分自身や周りの人たちのためにできる最も重要なことは、自分のエネルギーを何よりも激しく守ることだと気づき始めるでしょう。
自分の人生を、自分と「相性のいい人」しか入れない、安全な場所にしましょう。
人のために存在し、自分の人生を捧げるのがあなたの仕事ではありません
アニメ映画『犬王』を観たらなんだこれは宇宙猫が止まらない!! 訳がわからないよ!! これはいっそ原作を読んでみたい、と思って読んだ。
ネタバレはする。
平家が壇之浦で滅んでから百数十年あまり。海士(あま)の一族であるイオの友魚(ともな)は、京の都から来た貴人の依頼で、探し物のために父親とともに海に潜った。そして発見したのは一振りの剣。それは平家滅亡時に喪われた草薙の剣だった。剣の呪いに父親を殺され、自らの視力も奪われた友魚は、どうして自分がこのような目に遭わねばならなかったのかを突き止めるために旅に出た。
一方、京の都では一人の男の子が生まれた。彼は当世で一番人気の猿楽座である比叡座の棟梁の末息子だが、尋常ならざる醜形であったために両親から疎まれ、家畜同然に育った。名もない彼は自ら「犬王」と名乗る。そんな犬王は、稽古場の様子を覗き見ているうちに、比叡座伝来の歩行術を習得。すると彼の身に不思議なことが起こる。これが後に一世を風靡し足利義満の寵愛を受けることになる伝説の猿楽師・道阿弥の第一歩であった。
この物語は、イオの友魚と犬王が出会い、喪われた平家の物語を拾い上げた犬王の物語 、そして犬王の活躍を語り広めた琵琶法師・友魚の物語である。
ちょいとググれば出てくる評判通り、独特の疾走感溢れる文体の勢いが半端ないが、かといって面白いのかというと、うーん、微妙? そして、意外とアニメ版、さして印象が違わないことに驚いた。ある意味監督をはじめとするアニメスタッフ、超優秀だった。
文体の疾走感にあれよと巻き込まれて突っ走るように読んだけれど、疾走感のあるわりにダルい場面が長々とあった。それは、友一(友魚)が琵琶で弾き語る犬王の半生の物語の部分だ。そう、アニメ版でいうとあのロックフェスの部分である!
実はアニメ版の脚本にはロックフェスは無かったのに、監督が勝手に作っていたというロックフェスのシーン。あの場面は、何で同じ事の繰り返しをダラダラダラダラやるのだろう? と疑問だったのだが、原作からして犬王の物語は繰り返し語られるのだ。
前の文章をコピペしてちょっと弄ったくらいに見える文章が数回。これは一つのエピソードを視点を変えて語り直したものなのだけれど、ほんのちょっとしか変更点のない同じような文章なので、またぁ? と飽きてしまった。一つのトピックを複数人の視点で表現する……その最高峰にして最も有名なのは芥川龍之介の『藪の中』なんじゃないかなと思うけど、あれみたいに視る人が違えば見える世界も違うっていうんならともかく、神の目線(誰々寄り)くらいの俯瞰したような視点で何度も同じ事を書かれるのは、読んでて辛い。ちょっとだけ、今まで隠されていた真相が回を重ねるごとに徐々に明らかになっていく。そういう狙いで書かれた文章なのだろうと、意図は理解できるんだが、理解はできても別に面白くないのだった。
アニメ版の方も、何がやりたかったのかは解るのだが、かといって別に面白いとは感じなかった。なんかそこだけダレている。退屈だ。しかし他の部分については素晴らしい技巧で表現されており……全体的に見てつまらないとか駄作とかいうのもまた違うような気がする。中弛みがひどい。そんな中弛みの酷い部分が、原作小説とアニメ、文章と映像という違う表現技法によって造られたにも関わらず、物凄くシンクロしていた。ある意味すごいのかもしれない。面白いかと問われれば、別にそんなには……と私は言うけれど、いい語種にはなると思う、たぶん。
ところで、アニメではロックフェスの辺りで友一も犬王も一体何をやっていて何を歌い表現していたのか、私はさっぱり解らなかったのだが、この原作小説を読んでやっと理解。
ぶっちゃけ、友一のバンドは犬王の広報活動と前座を担当していたのかと私は勘違いしていたのだけど、そうではなかったのだ。友一の弾き語りが犬王の宣伝になる事は確かなのだが、だからといって彼は犬王の前座ではない。友一はただ琵琶法師としての仕事をしていただけであり、弾き語りの題材に犬王の半生を使っていただけなのだ。オレの事を歌えよと言ったのは犬王だけど。
犬王はといえば、当世最高の猿楽座の棟梁でナンバーワンの猿楽師として、新しい曲を書いては自ら舞台に立っていた。
私はアニメ版のロックフェスの場面を見ながら、何でこの人たち、橋の上と河原でそれぞれ別々の活動をしているのかなー? と疑問に思っていたのだが、何の事はない。友一は琵琶法師で、犬王は猿楽師で、彼らはそれぞれ自分の仕事をしていただけなのだった。同じバンドのメンバーでもなく、タイバン相手でもなく、似た者友達のバンドマン(兼作詞作曲家)とミュージカル俳優(兼戯曲作家)みたいなものだった。当然職場は、特別なイベントでもない限り別である。なーんだ。二人とも演者であるだけでなくクリエイターでもあるので、互いに影響を与え合っている。
映像では訳のわからなかった部分が小説ではスッと頭に入る。やっぱそういうとこは小説って強いよなぁと思いつつ、アニメ版のわかりづらさが異常だっただけでは? とも思う。
ところで、最強のバディもの的な言われ方もする本作(原作小説もアニメも)だけど、これってバディものなの? と首を傾げてしまうのは、原作もアニメも同じだった。アニメ版は尺の関係で色々削らずを得なかったのかな? と思ったら、わりと原作忠実だったんだなと。友魚と犬王の友情、とてもあっさり風味。一緒に楽しく過ごす時間もあったのかもしれないが……かもしれないだけで……まあ、二人とも自分のやるべき事をやっているのであり、業種が違うんだから当然一緒行動はしない。どこら辺が仲が良いのかわからないくらい、別々の道を歩んでいた。ので、ラストシーンにあんまり感動しなかったなぁ……。え? 犬王さらりと友魚を裏切ったよね、今更なぜ? みたいな。ここら辺はアニメ版のが膨らませていたので(足利義満により友魚を人質に脅迫された犬王。そんな事があったのも知らず、イオ座のメンバーが次々捕らえられる中で、最後まで抵抗し続けた友魚)、アニメの方が良かったような気もする。
……まあ、アニメと小説を比較しても仕方ないけど、どっちも微妙だし。というか、原作の微妙な部分をすごい精度で再現したアニメともいえるし。
先にアニメ版を見てそれがいまいちだったから原作小説の見方まで辛くなってしまっただけかもしれない。でも読まなければ良かったと思わないし、アニメ版も映画も見る・読む価値なしとまでは思わない。話のネタにはなるだろうし。
ひとつ、アニメ版を観る前に原作小説を読みたかったなと後悔した場面があった。犬王が面を外し素顔を見せる場面だ。凡人が見れば目が潰れ鼻血が止まらなくなるほどの美形……を想像するのを、ジョーカーともデーモン閣下とも獲物を追っている最中の奇術師ヒソカとも言われる厚塗りのフツメンがめちゃめちゃ邪魔してきてつらい!
最近、芦田愛菜主演の『メタモルフォーゼの縁側』なる映画がやたらと宣伝されている。
BL漫画好きの女子高生が同じ趣味を持つ老女(宮本信子)と出会い、友情を育んでいくというストーリーらしい。原作は漫画で、この映画はその実写版のようだ。
BLは最近すっかり市民権を得ているが、正直違和感が満載である。
何故ならこうしたBL作品は、BL好きの女性、いわゆる「腐女子」たちの性的嗜好が露骨に反映されているからである。
カップルが若いイケメン同士なのは言うまでも無いし、エロ描写や腐女子のツボを刺激するための萌え描写も満載。
別にそれ自体は自然なことである。商業作品ならばファンの求めるものを描かなければ儲けは出ない。
しかし、こうしたコンテンツが一般的なものとしてテレビで放送されたり書店に並べられたりしている状況には、当然のある「疑問」が浮かぶ。
「これって、フェミニストとかが性的搾取だと騒いでいる男性向け作品とやってること全く一緒じゃねえの?」
性的欲求を満たすためにある属性の人間達を利用し、好き勝手な妄想を楽しんでいる腐女子達の行為はまさしく女性が訴える「性的搾取」そのものではないか。
だって例えばさ、冒頭の映画がもし「エロ漫画を楽しむ男子高校生と爺さんの友情物語」だったらどうよ?間違いなく大炎上でしょ。そもそも気持ち悪いし。BL作品とBLに群がる腐女子も傍から見ればそれと一緒なんだよ。
フェミニストお得意の「ミラーリング」で考えてみればこんなのすぐに分かるはずなんだが、何故「BLはゲイへの性的搾取だから失くそう」という動きは広がらないんですかね。それどころかTwitterでは、BL漫画に不快感を示したゲイのツイートに腐女子から怒りの猛反論が殺到していたりした。
こういう実態に対して、自身がゲイでも無ければゲイの身内や知人がいるわけでも無い俺ですら相当モヤモヤさせられるのだから、当事者であるゲイの方々にとっては本当に腹立たしいだろう。
「価値観のアップデート」は女性だけでなく、男性や性的マイノリティなども含めた全ての人々に対して行われるべきじゃないんですかね?
『女の友情と筋肉』という、ムキムキマッチョな女性たちを主人公にした漫画がある
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男性が女性を演じることの是非をめぐりtwitterで賛否両論に
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肯定派「そもそも原作の筋肉を女性俳優が再現するのは難しい。ヴィジュアルが合っていればそれでいい」←わかる。
否定派「原作だと女性キャラなんだから女性俳優に演じてほしい」←わかる。俺も処女のキャラは処女の声優に演じてほしい。
否定派「当事者が演じるべき」←わかる。俺もBL作品に出演する演者は全員男性同性愛の当事者であるべきだと思う。
否定派「女版ブラックフェイスでしょ」←わかる。戯画化された同性を異性が演じるのって不快だよな。宝塚とか。
否定派「そもそも劇の製作陣が男性ばかりじゃん」←わかる。マイノリティ当事者を描くものを非当事者が中心になって製作してるの不愉快。なので男性同性愛を描く作品の製作陣は基本的に男性同性愛の当事者であるべきで、非当事者が中心になって製作するのはやめるべきだよな!
2030年、日本は世界を見渡しても類を見ない、独自の教育方針を取っていた。
文部科学省は類人猿ボノボの生態をモデルとした教育を中心に据えた、「快楽愛教育改革」を推進した。
つまり、コミュニケーションとしての性行為の習得と、セックス主義文化の醸成を目的とした教育である。
この政策には賛否両論あったが、世論に押される形で実施された。
その第一歩として「快楽愛教育法(通称:愛育法)」と呼ばれる法案が国会に提出された。
快楽愛教育法では、「性行為知識」「初級性行為(手コキ、フェラチオ、クンニリングス)」「基礎性行為(セックス)」「応用性行為(アナルセックス、前立腺開発)」「上級性行為(SM、快楽調教)」という5つの科目を必修とし、性器の名称や特徴といった初歩的な知識から、実践的なテクニックまでを教え込むものだった。
そして、試験的に各小学校、中学校において「快楽愛教育制度」が導入された。選ばれた優秀な教師が学校に派遣され、性行為に関する実技指導を行う制度である。この制度は好評を博し、その後、高校、大学へと拡大されていった。
快楽愛教育法は社会に大きな影響を与え、特に性的嗜好に大きな変革をもたらした。それまで、タブーとされていた同性愛行為にも大きな注目が集まり、同性愛者に対する偏見も徐々に薄れていった。
また、これまで抑圧されていたサディズムやマゾヒズムについても、新たな扉が開かれたと言えるだろう。
快楽愛教育法によって生まれた新しい文化・価値観を元に、政府が主導して推進した都市開発計画だ。
その内容は、既存の繁華街や歓楽街などを排除し、快楽愛研究・教育施設を集中させた都市を作り、快楽愛教育の急速な発展を目指したものだ。
あらゆる公共機関では快楽愛関連の広告が掲げられ、公営風俗店なども次々とオープンし、快楽愛は日本の基幹産業にまで成長した。
ボノボをモデルとしたセックス・コミュニケーションによって、当初の目論見通り、日本人はより深い絆を手に入れたのだ。
公の場で性行為を行うことも合法化され、誰もが自由に快楽愛を享受できる環境が生まれた。
小学校では徹底して「喧嘩をしたらセックスで仲直りする」ことを教えられ、中学からはどんな相手も満足させる高度な性行為を学ぶようになり、校内暴力やいじめなどの問題は激減した。
また、性行為を通して友情を深め合うことから、仲間外れや無視といった陰湿な虐めもなくなっていった。
さらに、快楽愛による強い結束感を得たことで、犯罪率も大きく低下した。快楽愛教育の普及に伴って、日本は世界でも類を見ないほど安全な国となったのである。
そして今──。
2070年を迎えた日本では、誰もが「快楽愛教育」を受けている。
ーーー
「あぁ……んっ! はぁ、ああぁあん!」
教室内に響き渡る甘い喘ぎ声。その主は、小学6年生の少年だった。
彼は全裸になり、机の上で仰向けになっていた。
しかし、彼の顔に浮かぶ表情は苦痛でも羞恥でもない。むしろ、歓喜に打ち震えていた。
彼の目の前にいる女の名は、水川優菜と言った。
彼女は、快楽愛教育実習生として派遣された学生の一人であり、今日から彼を担当することになった先生でもあった。年齢は20歳と若く、スタイルも良い美人である。
優菜は少年の身体の上に跨っていた。彼女の右手にはバイブが握られており、それを挿入しようとしているところであった。
「ねぇ、もう我慢できないよぉ……早く入れてぇ」
甘えるような声で少年は懇願する。すると、優菜は彼のペニスを握ったまま言った。
「お願いします……僕のお尻の穴に入れてください……」
そう言うと、少年は自ら腰を突き上げた。その瞬間、優菜は一気にバイブを押し込んだ。
「あっ、あああーッ!」
悲鳴のような叫びを上げると同時に、少年の全身が激しく痙攣した。どうやら射精してしまったようだ。
クスリと笑い、優菜はバイブを引き抜いた。そして、再び同じ場所に突き刺す。
「ひゃうん!?」
絶頂直後の敏感になった状態で責められ、少年は再び悶えた。だが、そんなことはおかまいなしに、優菜はピストン運動を続ける。
「ふぅん、いい締め付けだわ。それにしても凄い量。本当に溜まってたんだね」
少年のお腹に飛び散った精液を指先ですくいながら、優菜は楽しげに笑う。一方、少年は涙を浮かべながら叫んだ。
「何言ってるの?まだまだこれからじゃない。こんなものじゃ全然足りないでしょう?」
「そ、そんなぁ……あうっ!!」
「ほら、まだ元気いっぱいみたいだし、もう一回イケそうだよね?」
「は、はいぃ……」
弱々しい返事をする少年に対し、優菜は微笑みかけた。
「いい子ね…。ご褒美に乳首も摘んであげるわ」
言い終えるとすぐに、左手で胸の先端に触れた。同時に、右胸に吸い付くように口をつける。舌で転がしたり軽く噛んでみたりと、様々な方法で刺激を与えていく。
「やぁ……だめぇ……気持ち良すぎておかしくなっちゃいます~」
「ふふふ。ちゃんとイケたわね。偉いわ」
優菜は優しく、愛でるように少年の頭を撫でる。
頭を撫でながら褒められたことが嬉しかったのか、少年は照れた様子を見せた。
「お疲れさま。アナル開発実習テストは10点満点よ。よく頑張ったわね」
「ありがとうございます。先生のおかげで毎日楽しいです」
「それは良かったわ。ところで、明日は何をするか知ってるかしら?」
「正解。今日は基礎編だったけど、次は上級編だから楽しみにしておいてね」
優菜が言う上級編とは、実際にアナルにペニスを挿入して行うアナルセックス実習のことである。
この授業は、上級生との合同で行われる。まずは、男子生徒同士でアナルセックスを行い、そのテクニックを学んでいく。その後、女子生徒を相手に同様の行為をするのだが、これがなかなか難しい。相手の性感帯を理解した上で、いかに効率良く絶頂に導くかが求められるからだ。
「それじゃあ、今日のお勉強はこれくらいにしましょう。続きはまた今度ね」
ーーー
優菜先生と別れ、家に帰った僕は夕食を済ませてから自室に戻った。
教科書には、可愛らしいイラストとともに性行為に関する知識が書かれている。
「前立腺の場所はここかな?あと、精液の採取方法とかもあるんだ。へえ、アナルセックスだとこんな感じになるんだね。なんか面白そうかも……」
独り言を言いながら、ページをめくっていく。
「今日の宿題は…エネマグラを使ったトコロテン射精の練習だったな…」
教材として指定されたエネマグラを取り出す。一見するとただの棒にしか見えないが、実は特殊な形状をした医療器具なのだ。これは、肛門に挿入することで、男性に快感を与えるためのものである。
エネマグラは、本来医療用の道具であり、前立腺を刺激したりマッサージしたりする目的で作られている。しかし、最近では性玩具としても需要があり、多くのメーカーから販売されているのだ。
「お尻の穴にエネマグラを入れて…前立腺をトントン刺激するように、ゆっくりお尻を締め付ける…」
学校で優菜先生にアナルを犯されたときのことを思い出し、前立腺が疼き始めた。
「宿題、しなきゃ…」
今日の宿題はエネマグラでアナルオナニーを行い、射精するところを撮影する内容だ。
少年は自分のアナルオナニーを記録するためにビデオカメラをセットする。
そして、パンツを脱いで靴下だけになると、アナルにローションを塗りつけ、エネマグラをゆっくりと挿入する。
最初は抵抗があったものの、すぐに慣れてきて、すんなり奥まで入ってしまった。
「ああん!あああ…これ、すごい…」
想像以上の快感だった。まるで、女の子になったような気分である
「ああっ!すごいですぅ!」
前立腺が刺激されるたびに真の体は大きく跳ねる。
「優菜せんせぇ!もっと突いて!」
いつの間にか、妄想の中で僕はペニスバンドを付けた優菜先生にアナルを犯されていた。
(ふふっ、可愛いわよ、真くん。もっともっと気持ちよくなっていいのよ?)
妄想の中の優菜先生は僕の腰を掴み、激しくピストンを繰り返す。
ーーー
時計を見ると、もう朝になっていた。
真はビデオカメラを巻き戻す。そこにはエネマグラを咥えこんだアナルを見せつけるように、いらやしくよがる自らの姿が鮮明に記録されていた。
「でも、これが普通なんだもんね。だって、みんなやっていることだから……」
真は自分に言い聞かせるように呟いた。
「そうだ、今日は学校に行かないと。このビデオを今日の授業でみんなに見てもらうんだから」
そう言うと、真は急いで制服を着た。
ーーー
「おはようございます。みなさん、元気ですか?」
「今日はアナルセックス実習の上級編をやりますよ。まずは、真くんが宿題で撮ってきてくれたビ・デ・オ。みんなで見ましょうか」
クラスメイトたちが歓声を上げる。
そして、優菜先生はリモコンを操作する。画面には昨日撮影した僕の姿が大きく映し出された。
「わあ。真くんったら、しっかりアナルの奥までエネマグラを咥えこんで…とっても偉いわね」
画面には、ぐっぽりとエネマグラをくわえこむアナルがアップになっている。
「さすが、私たちの真くんです。こんなに気持ちよさそうにエネマグラをグイグイ動かして…前立腺でとっても感じているのがよく分かりますね」
女子生徒の何人かは、テレビに映る真の姿に興奮し、下半身をもじもじとくねらせている。
「真くんったら、あんなに腰をくねらせて…よっぽどアナルが気持ちよかったのね。おちんちんも凄いことになっているわ」
「まぁ、真くんたら、なんて美味しそうなおちんちん…。あんなにパンパンにして苦しかったでしょう?今すぐ舐めてあげたくなるくらいだわ」
画面には、亀頭の先からダラダラとカウパーが流れるペニスの様子が映し出される。
エネマグラはグイグイと動き回り、そのたびに真の体とペニスがビクンと大きく跳ねる。
「ああっ!すごいですぅ!」
画面の中の真が大きな声で喘ぎ始める。
すると、真のお尻の穴がきゅっと締まり、エネマグラの動きが激しくなる。
「ああん!あああ…これ、すごい…優菜せんせぇ!もっと突いて!」
ビデオの中の真は、繰り返し優菜にアナルを犯してくれと懇願する。ペニスからはカウパーが止まらず糸を引いている。
「ふふ。本当に可愛い子ですね、真くん。私にアナルを犯される妄想をしながらビデオ撮影してくれたんですね。嬉しい……」
画面の中では、真が一際大きな声で叫ぶ。
そして、次の瞬間、ペニスからは大量の精液が発射され、アナルからはエネマグラが勢いよく飛び出した。
真の体は激しく痙攣しながら、何度も射精を繰り返す。
カメラには、絶頂を迎えるアナルやペニスがバッチリ収められていた。
「真くん、宿題をしっかりこなしてくれましたね。アナルオナニー撮影の宿題は毎年出していますが、真くんは一番素晴らしいビデオを撮影してくれたました。この調子で、今日のアナルセックス実習も期待しているわよ!」
快楽愛教育のカリキュラムにおいて、アナルセックスは応用性行為という科目に含まれている。
真が所属するクラスは「特別性開発学級」と呼ばれ、快楽愛試験で優れた成績を納めた小学生のみが集められる特別クラスだった。このクラスでは、他の小学生よりも進んだ内容の授業が行われている。
その特別クラスの中でも、真はペニス・乳首・アナルの全てにおいて感度がずば抜けており、優菜を始めとした教員達の注目を集めているのだった。
ーーー
続く
私はあるマイナーカプを推している。どれくらいマイナーかというと、公式の供給は片手で数えられる程度だし、描いている人間はだいたい5人、pixivには100件程度。
この100件のうち、半分が私の作品だ。
と言っても、ツイッターに来るともっと顕著になる。私以外の推しカプ(以下、AB)描きはほとんどツイッターに浮上しないし絵も低頻度だ。絵に対するスタンス、私生活、ツイッターの使い方、色々な理由があると思うので、それについては気にしていない。
私は筆が早いと言われる方で、ABにハマってからは毎日1~3枚のペースで絵を上げ続けていた。多い時は5~6枚。1日にこんなに上げてしつこいと思われないかな?と不安になるときもあったが、とにかく自分の見たいABを冷めないうちに出力し続けていた。そうしているうちに、気がついたらpixivのタグを半分埋めることになってしまったのだ。
「○○さんに言ったら欲しいAB全部出てくる」
言われたときはほくそ笑んだが、後から不安な気持ちが込み上げてきた。
確かに、「欲しいABが全部出てくる」と言われるほどありとあらゆるABを描いてきた自信がある。友情寄りの日常ギャグからシリアス同人誌、恋愛話やパロディも多数描いた。自意識過剰かもしれないが、結果としてABの認知度は明らかに高まったと思う。それと同時に、私がABの「顔」のように思われることも増えたと思う。
だからこそ、私がいるから誰も描きたがらないんじゃないか。私が描いてしまうからみんな「もう十分」だと思っているんじゃないか。いや、そんな風に考えるのは低頻度でも絵を上げてくれる他のAB描きに失礼じゃないか。なんなら公式から出るはずだったABの可能性を私が潰しているんじゃないか。二次創作をよく拾う公式のことだ、きっと私の作品も把握されている……。
そう悪いことを考えてしまったので、一旦離れることにした。
傍目から見ても私はABをたくさん描いているし、知らない人が見ればABというジャンルを回しているのは私1人だと思われるだろう。それでもABが描ける人やABが好きな人はたくさんいる。私ひとりがいなくなったくらいで変わるわけじゃない。もしも人ひとり消えた程度で「淋しくなった」と言われるのなら、ABという世界はその程度だということだ。
本当はまだまだ描きたい本もたくさんあるが、やり残したことはもうないと思い込んで少しだけ離れようと思う。それすら我慢できなくなるくらいの熱が戻ってきたら、私も帰ろうかな。
あらすじを簡単に言うと、海賊船に襲われた小学生の仲良し三人組がなんやかんやで無人島に流されてしまって
そこで三人それぞれの得意分野で力を合わせて食べ物を手に入れたり島に眠るお宝を探したりするっていう内容。
そこで子供達と一緒に偶然島に流れ着いた海賊の飼い犬がいて、子供達はその犬にポパイという名前をつけてときに遊んでときに協力して友情を深めていく。
あるときポパイと子供達はイカダに乗って島を探検するんだけど、食料用に撃ち殺した水鳥をポパイに取りに行かせると彼は運悪くそのまま潮の流れに流されて離れ離れになってしまう。
これがなんやかんや復活して後で再開するんだろうと思ったら普通に死んだ扱いでその後は特に触れられずに話がそのまま終わって笑ってしまった
https://b.hatena.ne.jp/entry/4720991171488646722/comment/ymskhtn
「ymskhtn ちょっと前は社会人は趣味のサークルで相手探せって言われてたけど今やトラブル防止の名目で禁止されてる所もあるからなあ。上司が部下にアプローチするのも厳禁だしモラルの名の下にどんどん難易度上がってる」
これ。
マジでそうだと思う。
趣味のサークルって「趣味の場は出会いの場じゃない」の号令の元に今や純粋に趣味の話しか出来ない、プライベートと完全に切り離された空間になってしまったし
独身のおっさんが友達を作るにはって話でも趣味のサークルの話題が上がっていたけれど趣味のサークルでは恋愛に限らず人間関係を新たに作るには向いてないと思う
そして上司から部下へのアプローチの何が駄目なのか理解出来ない
上司って事はそれだけ収入があってスペック高いんだろうから、そういう相手からアプローチされたら女からしたら嬉しいよ普通に
それを禁止して一体誰に何の得があるというのか
逆に女の方から見込みのある男性新入社員にアプローチするような事も認められてたなら有り難いしさー
海外では日本以上に上司から部下へのアプローチには厳しいらしいとかそれだけじゃなくて職場恋愛自体が完全に禁止とか言われているらしいが
それってあまりにも恋愛について機会損失になってない?いくら日本よりも労働時間が短いとしても職場って生活の大半を過ごす場だろうに
分かるわー。
女同士だと簡単に友達になれるみたいによく言われるけれど、全然そんな事なくない?って思う
女の友情が成り立つのって双方独身同士でいてもおかしくない若いうちか、双方結婚出産して家庭の愚痴を共有出来る場合限定で
そうじゃない場合はみんな家庭や彼氏を優先するから無理だろと思うんだ
おばさん同士が簡単に意気投合してとかよく言われるけれど、それって既婚者同士の場合限定でしょって思う
趣味も二次創作ならジャンルの切れ目が縁の切れ目になるし、一次創作の場合作品発表がメインになって交流なんてみんな二の次、ライバル同士だから友達になんてなりようがない
どういうことか分からないと思うが、私が一番分かっていない。
そもそも知り合ったのは数か月前。
とあるイベントに参加しないかと声を掛け、まったく面識は無かったが快くあちらが参加に頷いてくれた。
イベントがネット上のため、顔も合せず声も聞かず、本当にメッセージのやりとりだけだ。
今時珍しくもない、ネットの知り合う形だった。
最初は他サイトのメッセージでやりとりしていたが、次第にTwitterのDMへツールが変わった。
日本だけでなく海外の仕事も請け負い、自分の稼ぎひとつで奥様と生活している、本当に素晴らしい人だった。
他サイトでのメッセージのやりとりをしているときには既に、ご夫婦二人で私のことを気に入っていたらしい。
全くありがたい限りだ。
Twitterの機能でスペースというものが存在しているのだが、ここのところ作業がてんで進まなかった私は、
誰でもいいから見守ってほしい、作業をしながらで良いから聞き流してほしい、
といった気持ちでスペースを始めた。
すると、彼がきた。
そしてTwitterのDMで何度もコメントをしてくれて、とても楽しい時間を過ごした。
それが一週間くらいかな。
彼の隣では奥様も聞いていたみたいで、奥様が私にメロメロになったようだった。
そしてご夫婦と私の三人で通話をするという奇妙な関係が此処で出来上がったわけだ。
勿論私も同じくらいの熱量で返す。
貴方の作り出すものに敬意を払っていること、お話してみればもっと楽しい人だったこと。
伝えたい気持ちが沢山あって尽きそうにない。
だから、好きにならないでおこうと思っていた。
好きになっても悲しいし、寂しいだけだと分かっていた。
一定以上の特別扱いをされると、すぐにその人のことしか考えられなくなる。
分かっている。分かっていて傷つくのを何度も繰り返してきた。
だから今回もそうだと思っていた。
でも、違った。
友情の仲に恋愛感情が混ざることを伝えても、そうなんだねと普通に受け入れてくれた。
女が、旦那様と奥様両方に少なくとも恋愛感情抱いてるんですが!?!
何度説明しても反応は同じだった。
寧ろ、「私たちも愛してるよ」と返されて、私はほとほと困った。
私は
二人のどちらかが欠けたら、私の好きな人ではなくなる。
私のことを考え、話し合い、優先してくれる。
こんな幸せがあるか?
白状すると泣いた。
今まで可愛がってくれる人は、家族を含めいた。
仲の良い友人だっていた。
でもやはりいつだって社会の枷があって、それが私を踏みとどまらせる理由だった。
当然のことだと理解していたし、この感情は通用しないと言い聞かせていた。
親には、孫という新しい家族が。
友人は恋人が。
天秤にかけた時、当然私以外を優先する。ってか、それはしてくれ。
恋をするのにずっと罪悪感と隣り合わせだった。
でも、その罪悪感ともしばらくは顔を合せない。
満たされなかった部分が、溢れんばかりに満たされていく。
嬉しい。
本当にありがとう。
そりゃまぁ、すごい傷つくけどさ。
ここまで書いたら満足した。
それは多分旦那様も分かっていると思う。
ひとまず奥様のことは置いておいて、
旦那様のことも少なからず好意を抱いている私はかなり危ない存在のはずだ。
現時点で同じくらいの意味の好意を返してくれているのか私には判断つかないが、
あ、毎回奥様もいる。当たり前だ。
この関係は終わる。
でも奥様のこと大好きだから…!お話しているときゅんきゅんします!
抱き締めてください!!という気持ちでいっぱい。
お願いだから嫌いにならないでほしい。
今話題になっている奥様の可愛さに更に好きになるし、
のろけている旦那様も素敵で好きになる…っていう構図になるので、
伝わってくれ。
また何か進展あったら書くかな。
例えば二人ともにキスできた日とか。……流石に無理そうだな。
終わり
名前は「しもべえ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%82%82%E3%81%B9%E3%81%88
女子高生の主人公ユリナがスマホに謎のアプリをインストールし、それを起動すると謎のおっさん「しもべえ」が現れる。
しもべえは何故か献身的にユリナを助け、ユリナはそんなしもべえと共に友情や学業に奔走しつつしもべえの謎にせまる…ってお話。
しもべえはなんでも出来るような超人で、ユリナは様々な面で助けてもらう。
たとえば用心棒や力がいることなどの肉体的なことから勉強の補佐や料理など知的・精神的労働、さらにはうっかり持ち合わせがなかったときにはしもべえは現金まで差し出してくれるのだ。
うーん、しもべえとは何か。とっても気になりますね!
しもべえって名前は明らかに下僕の僕(しもべ)から来てる。しかも実態は奴隷に近い。
ご主人様が呼びたいときに相手の都合は関係なく即座に、無償で、やってきて苦労ごとを助けてくれる。
この令和たる現代にまさかの下人、奴隷をストレートにお出しするとはびっくらこいた。
そういった超人的お助けマンが最近はいなかったというわけではない。
でもたとえば「家政夫のミタゾノ」や「メイちゃんの執事」のように彼らは職業的プロフェッショナルなのである。
彼らは最低限のラインとしてギブとテイクの関係にあるし、きっち自らの職業、職務にプライドがあるはずだ。
一見可愛い語感で上手く役割を表すことに成功しているようにみえる「しもべえ」も、行動と合わせてみるとやばべえなネーミングである。
家族に手料理を差し出すだけのただのCMにざわざわ一部界隈がざわめく昨今。
そんな中で男子高校生があれもこれも無給・無言で都合よく助けてくれる美女のおばさんを手に入れるドラマが放送されたらどうなるだろうか。
やばべえだと思うけどな。
多分だけど情報にうとい、しもべえの批判も入ってこない自分すらぽつぽつと目に入ってくる程度には苦言がわいてくると思う。仮にもNHKのドラマだし。
しもべえが無事終わる程度にやばくないって思われてそうなのはつまり視聴者たちがちゃんと話を理解していてスーパーマン的文脈だったり「なぜ助けてくれるのか」という謎を考え捕らえているからだと思うんだよね。
可燃性がありそうな内容がおじさんだからスルーされていそう。という想像。もち想像だけど。はそれはそれで男性性が女性よりないがしろにされてる部分が感じられてもやもやする。
どうしてユリナは心身および金銭的にしもべえに助けてもらえるのか。
もちろんその謎は解ける。
でも、じゃあ○○だから呼べばすぐ来てくれて過失をフォローしてくれて文句も言わず献身的なのが肯定されるのか?
たとえば無償の愛。無償の愛を注ぐ立場でいるからユリナを助けるのは当然だろ。
まあそれでもいい。わかるよ。大団円だ。
でも最初にしもべ扱いしてたからその立場が暗にしもべと同等みたいに感じる部分がほんのすこしだけ感じる。
また男女逆にして実はしもべえは主人公の妻だったんだよ!(どうやったらそうなる)とすると、
なーんだ妻だから献身的に大変なことをこなしてお金も工面してとあんなに都合がいい存在だったんだね!納得!愛だね!
…うーん、その場面では流れで感動するだろうけど冷静になるとキモくない?
とにかく「しもべえ」と最初に名づけてしまったことで、主人公が図らずも初期に幾度か頼って便利に扱ってしまったがゆえに、しもべえの行動を納得させる何かがそれが僕的にふるまうことを世界が許容しているかのようなメッセージを孕んでしまっているのではないだろうか。変な人がみればみんなが嫌いそうな役割の固定化にすこしばかり寄与してしまわないか。そんな杞憂を刺激する作品だった。
もうまったく問題はしもべえというそのネーミングセンスである。漫画はともかくそれをそのままお出ししたNHKのセンスである。
そもそもなぜわざわざこれをドラマ化しようと思ったのか。たった6話で特に賞をもらったわけでもなさそうな原作を。
とかく、自分にはなにもわからないまましもべえは無事放送を終えた。
でもちょっと素直じゃない増田にはひっかかったものがあった。でもそれはおそらく増田だけの特異なものだ。
放送終了から二ヶ月と少し。これをもってしもべえのことは忘れることにする。ジェンダーだのなんだの、一人で考えるのもネットを見るのもどちらも実りは少ない。