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はてなキーワード: 友情とは

2018-01-20

人と関わってはいけないのでしょうか

自己肯定感が低く、めんどくさい性格の男で、正直自分ほど性格的にダメな男は刑務所しかいないと思います

それなのになぜかい友達ができて、みんな自分を優しい人だと言ってくれます

優しいなんで正直誰にでもできます。やるからやないかです。

自分は優しくするために、というか嫌われないために、自分のめんどくさい性格我慢し、言いたいことを抑えて、やりたいことも抑えて、相手優先でしてきました。

好きな女の人の恋愛相談を受けて、恋を実らせる寸前まで行ったこともありました。

でも、好きな人と関わるほど、めんどくさい感情がたまります

自己肯定感が低いので、嫌いではないかといつも不安で、それを確認したい気持ちがたまります

それがたまって、弾けてしまい、結局好きな人ほど友情が長続きしません。

自分を変えなければいけないのは分かっています自分を受け入れるということを何度もして、潜在意識とやらを使ったり、何度もポジティブ言葉を唱えました。

しかし、そんなことをするほど、精神が壊れていきました。理想自分になれず、結果もでないのに、ひたすらポジティブになるなんて、狂人しかできません。

自分は、変われません。

ここに書けないぐらい、めんどくさい性格です。めんどくさい男に彼女なんてとてもできません。友達すら最終的にいなくなるのですから

自分は、人と関わってはいけない気がしてなりません。人を愛せば嫌われるのです。

ここに書いてあることは、自分の素直な気持ちですが、もしそれが世間と大きなずれがあるなら、病院に行きますのでいい病院を教えてください。

2018-01-18

anond:20180118144743

少女マンガ恋愛友情をメインに据えている

優しい男の子と優しい女の子と優しい友達の優しい恋愛で話を面白くするのは難しい、俺物語とか君に届けとかあるけど何か飛び抜けたキャラや設定など恋愛友情以外の飛び道具が必要

優しい先輩と優しいライバルと優しく協力的仲間達で勝利しかしないスポーツやバトル漫画想像してほしい、飛び道具無しで成立させるのは難しいじゃん

自分で作ると考えたら主人公を認めない仲間がいたり悪役が居たりたまに負けたり何か紆余曲折が欲しいだろ

あとギャップ萌え道明寺ヒロインを虐めてたクズだけど惚れたらこれだけデレましたみたいなギャップを楽しむとか

友人は裏切って話を盛り上げ、解決したらそこを許すヒロインの懐の広さと優しさをアピールして爽やかに終わらせるとか

あと二次元リアルを結びつけるのはナンセンスやで

2018-01-17

anond:20180117172249

SPY/スパイ(2015年)

予算人材不足CIAで、好きだったスパイ男性の敵討ちとばかりにスパイ活動に名乗りをあげたオペレーター女性は、

ふとっちょの独身中年女性だが、実はめちゃくちゃ動けるスーパーウーマンだった

キュート主人公アクション七変化が楽しめる

パーティ会場での迫力あるドレス姿とかスパイルックもとっても素敵

同僚女性との友情や、スパイ先の若いわがままお嬢様美人との奇妙な友情なんかも可愛い

2018-01-16

友情愛情の違いが分からないのかも

すぐに好きになっちゃ

anond:20180116135253

それをウザいと思える元気と、ありがたみを感じない程度の薄い友情ならそれっきりさようならになるから良いんじゃない?

anond:20180114052652

まず「してやってもいい」という感覚がない。そういう上から感覚がないというか。

ただ、セックスできるかどうか考えると、自分場合こういう条件。

ルックスはそこまでイケメンではないほうが好きだし、生活服装がだらしなくても許容できる。お金にもそこまでこだわりはない。でも、自分と同じ文化圏にいる時点でそんなに悲惨貧困ってことはなさそうだからなんとも言えない。実際「話してて楽しい」のところで、メンヘラとかDV男とかミソジニストはふるい落とされるので、それ以上の条件ってあんまりない。結果的ハードル高いと思う。

2018-01-15

山椒魚世界の神であるか?

 現代文の授業で山椒魚を初めて読んだとき、この捻くれ者は、私によく似ていると思った。だが決定的に違うところがある。それは山椒魚世界の神であったが、私は神にはなれなかったという点においてだ。その違いとは些細なようであって、とても重大なことであると私は思う。それは、私が誰かの神に、世界になりたいのに、なれない不完全な出来の人間であるからだ。

まず前提として、この文章はすべて、井伏鱒二氏の短編小説である山椒魚」を借り、私が私について語るだけの、極めて主観的でくだらないものであるということを示しておく。恐らく十八の人間が書く文章なんてたかが知れていると思うが、それでも私は山椒魚にとてつもない親近感を抱いているのである。それについて少しばかり、私が今まで思ってきたことを書けたらいいと思う。

まず「山椒魚」とは一体何かということを明確にしておく必要がある。山椒魚とは前述したように、井伏鱒二氏による短編小説である山椒魚自身身体が成長しすぎてしまたことによって、住処である岩屋から出られなくなってしまう。外に出ようと幾度となく繰り返す山椒魚だが、それが叶うことはついになかった。外の世界自由に生きる生物たちに嫉妬を抑えきれない山椒魚は、ついに悪党となり、山椒魚は岩屋に入ってきた蛙を閉じ込め、自身と同じ状況に追いやることで、自身精神の安定を保とうとしたのである。蛙は屈することなく二匹は岩屋の中で激しい口論を二年にも及んで繰り広げるが、空腹で動けなくなり、死しか望めない蛙に対して、ようやく山椒魚友情を感じるのだ。山椒魚は聞く。「お前は今、何を考えているようなのだろうか?」と。それに対し蛙は、「別に今でも、お前のことを怒ってはいないんだ」と答えるのだった。

この山椒魚を初めて読んだ時の感想は、「二年も口論を繰り返していたのか」とそれに尽きる。だが数回これを読み深めていくうち、山椒魚とは、ただ友達が欲しかっただけの、普通人間なのではないかと思うに至ったのだ。山椒魚には寓意が込められており、簡単に例えを出すならば「うさぎかめ」のように、ほかの生物もの真意本質を遠回しに伝えるというものだ。私の中で山椒魚普通人間であるし、出られなくなった岩屋は肥大した自意識であり、蛙はそれらをすべてわかっていた人間なのだ。これらも前提に、本題へ入ろうと思う。

何故この文章題名を「山椒魚世界の神であるか?」にしたかは至極単純である。私にとって山椒魚は、世界の神であるからだ。もっと突き詰めて言えば、岩屋の中に閉じ込められた蛙の世界であり神であるということだ。まず先程書いたように、岩屋は肥大した自意識であると私は思っている。山椒魚はその自意識に閉じ込められた、或いはそこから出ることを拒んだ所謂可哀想人間に過ぎない。蛙はその山椒魚自意識を満たすため利用された、こちらも可哀想人間であるという認識をしている。山椒魚は蛙を利用し監禁することによって、死の間際に、世界となり神となることに成功したである

人間人間の神になるために必要なことは、その標的からすべてを奪うこと以外に存在しない。山椒魚は蛙を自分の住処に閉じ込め取り入れることによって、蛙からありとあらゆる自由を奪うことに成功している。それがなければ山椒魚は神になれなかったし、もしかしたら山椒魚は図らずも神になっただけかもしれない。だがそれだけ、人間人間の神になるということは難しいことなのだ。それが善悪のどちらに所属するかはまず置いておくとして、私はそれをやってのけた山椒魚を素直に尊敬する。山椒魚悪党となることで蛙を閉じ込めたが、この時の山椒魚の心境を鑑みるに、標的が蛙であった必要はなかったのだと思う。よくニュースで聞くような、無差別殺人犯の言う「誰でもよかった」と同じように。ただこの「山椒魚」にとって、この蛙が蛙でなかった場合、二年間口論が繰り広げられることも、最後にようやく友情が芽生えることもあり得なかったのではないだろうか。

 しかし、だからといって山椒魚が神であるということに相違はない。閉じ込められた蛙にとっては、憎むべき対象も、愛すべき対象も、結局は山椒魚しかいなかったのである。蛙は最後に「今でも別に、お前のことを怒ってはないんだ」と言った。それはおそらく、蛙自身も、山椒魚を神とすることで救われた一人の人間だったからだと思う。山椒魚が蛙を閉じ込めたとき、蛙は、閉じ込められた岩屋の中で堂々と「俺は平気だ」と宣言する。それは山椒魚を見くびってのことだったのか、それとも逆に、山椒魚ならば…という、敬愛の証だったのかもしれない。ただ私が思うのは、おそらく蛙も、もしかしたら山椒魚と同じような立場になっていた可能性があるということだ。メタフィクションのような話になってしまうが、蛙は山椒魚よりも体が小さいので、少なくとも岩屋から出られなくなってしまうということは考えにくい。なので、自由に飛び回ることのできる外の世界―要するに「山椒魚」の世界観で「社会」で、同じ立場になっていたかもわからないのだ。山椒魚肥大した自意識から出られなったが、それはあくまでも人間の内側で起こっている出来事に過ぎない。自身の激しいナルシズムが引き起こす極端な自己評価他者評価ギャップに悩み、それを見栄で隠そうとしたために発生した、ある種一時的反抗期のような、よくよく考えてみれば、我々も通ったことのあるような道でしかないのだ。だが蛙は人間の内側でそれを発生させてはいない。人間人間が大量に入り混じる、失敗の許されない、いわば監獄のような世界でそういった問題に悩まされていたとしたら、それはきっと山椒魚よりも可哀想で哀れな姿になっていたに違いない。山椒魚は蛙を閉じ込めることで、自身と同じ状況の人間作成し、その結果精神の安定を保とうとしたが、それは蛙も同じだったかもしれないということだ。蛙は山椒魚に「わざと閉じ込められる」ことによって、可哀想人間に捕らえられ逃げられない自分を作り出し、自分社会に対する折り合いのつかない問題から逃げ出そうとしたと考えれば、最後の「今でも別に、お前のことを怒ってはいないんだ」というセリフにも納得がいく。

この文章を書くにあたって、自分の「山椒魚」に対して抱いた如何ともし難い薄気味悪さというのは、蛙によってもたらされた山椒魚への許しが生み出したものだと気付いた。小説である一言言ってしまえば確かに終わりなのだけれども、例えば自分が身勝手理由他人監禁され、しかもそこで死を迎えなければならないとなった場合最期相手を許すことが出来るものだろうか。それが愛する人家族ならいざ知らず、どこの誰ともわからない人間にいきなり監禁された時点で、普通に考えて怒りなんて言葉では済まない。それこそ二年間によって繰り広げられた喧嘩でさえ、この最期によればおつりがくるほどだと思う。最初こそ「二年間も口論していたのか」なんて暢気な感想を抱いたけれど、少し考えてみたら、最期の蛙の言葉は、私にとっては最早呪いだ。もしも私が山椒魚だったとして、自分が閉じ込めた相手が死の間際に自分を許す旨の発言をしたら、嬉しさも喜びも何も感じることは出来ない。むしろ、「この人は今まで何を考えて自分の思い通りになってくれたのだろう」という不信感すら残ってしまうだろう。自分という一人の人間を殺したという事実から逃げるなよという、怨念のようなものさえ感じさせる。それを考えると、山椒魚が蛙を閉じ込めたというよりも、蛙のほうが、山椒魚を好きに操っていたようにしか考えられないのだ。蛙は山椒魚のことを、自分と似た人間だと思い、自身社会に出たことで削られてしまった自尊心自意識回復するために、「わざと山椒魚と一緒にいた」ようにしか思えない。物理的にそこから出られなかったとしても、こころだけでも自由になることは出来たはずなのだ山椒魚と違って自由に泳ぎ回ることが出来ていた人間ならば。だがそうではなかった。ということは、蛙は自由に泳ぎ回っているように見えて、その実、社会という檻から逃げられず、自分肯定するために必死だった、ただの哀れな、普通人間しかなかったのだ。

最後にもう一度、これは私が井伏鱒二氏によって描かれた短編小説山椒魚」を借りて書き殴っただけの、主観的陳腐文章であることを明記しておきたい。ここに書かれていることはすべて、私が勝手に作り上げた妄想であって、おそらく山椒魚には、これよりももっとポジティブメッセージ寓意)が込められていることだろうと思う。しかし私にとって「山椒魚」は、どうにもポジティブものとは受け取れなかった。可哀想人間が寄り添って、互いの削れた部分を埋めるために、互いの世界になろうとする。そんな常人には理解出来ない、孤独で閉鎖的でどこまでも自分本位人間本質を描いているように見えたのだ。

私は山椒魚に似ている。けれど私は誰かの世界にはなれなかった。私にとっての「蛙」がこれから現れることはあるのだろうか。山椒魚が蛙を操っていたのか、蛙が山椒魚を操っていたのか。本当のことは、誰も知らない

              

                                                                                                    了

2018-01-14

https://anond.hatelabo.jp/20180114052652

「こいつとならセックスしてやってもいい」と思う条件にかなってるからしたいな、となんて思ったこと一度も無いです。

まず、人により程度があるとは思いますけど、「あー今日はなんだか一人で寝たくないな、異性とイチャイチャしたいな〜」って日は私は生理周期上あります女子同士の話でも「わかるわかる、そういう日あるある」となります

彼氏がいればもちろん彼氏しますし、元カレとズルズル連絡を取っている人はご飯食べに行かない?からなんとなく昔の流れでするみたいです(私は元カレと連絡を断つタイプなのでしませんが)

そういう気持ちの時に、

清潔感があり、(爪・髪・服装が小奇麗)

性的魅力を感じる部分があり(これは千差万別

・一度セックスたからといってしつこく何度も迫ってこなさそうで、

・付き合ってない人とセックスするのが初めてではなく軽い付き合いにこなれている雰囲気の人

と、

お酒が入っていて、

・いい雰囲気の店(安い居酒屋系ではない)で、

終電がなくなる、結構自分が酔っ払うなど完全に女性側が言い訳があり、

共通の知人とかがいなくてセックスしても周囲にバレなくて、(あいつとやったとか絶対に言いふらさない)

セックスしたなと次の日誰かにバレない状況(平日だったら次の日同じ服で会社に行かなければならないので絶対ナシ)(女性実家住まい場合ここで言い訳考えなきゃいけないからだいぶアウト)

だったら、することはあるかもです。

(書いてて思いましたがこれまんま恋愛工学ですね)

ここまで条件がそろうことはほんとすごい低い確率です。アラサーですが上記のような条件が揃った経験は2回だけあります彼氏が居ないときは大体家でモヤモヤしたまま寝ます

ただほとんどの女性彼氏しかセックスしないし、彼氏以外とセックスする人も居ますがおおっぴらには絶対言いません(女子同士で大ひんしゅくをかうし、こういう性の話でひんしゅくを買うとのちのちの友情に亀裂が入るから絶対言わない)

彼氏以外とでも条件さえ合えばセックスするという女性を見極めるのそもそもめちゃめちゃ大変では?女性同士でもわかりません。

なので残念ながら「俺はこの条件さえクリアすればいつでも女とセックスできるんだな!」というリスト永遠に作れないと思いますよ。運としか…。

何のために作るのか

最近ちょこちょことゲームを作っている。

企業や上手い人の作品よりも格段に出来が悪いのだけど、そんなことは気にしない。これから上手くなればいいだけのことだ。時間はまだある。

自分は昔から、絵を描いたり、何かを作るのが好きだった。

楽しいし、褒められるのは嬉しい。

それだけでも十分な気がするが、どうも最近自分がそのためだけに作り続けているわけではない気がする。

なぜ作るのか。

何を表現したいのか。

考えて考えてようやくわかってきた。

それは多分、自分が人の作品に救われてきたからだ。

コミュニケーションがド下手故に昔から孤独なことが多かったが、その度にゲームアニメ漫画映画音楽など、誰かの手で生み出された作品に救われてきた。

それは今でも全く変わらないんだけどね。孤独つらいよ孤独

物語を通じて冒険戦闘恋愛もしたし、友情の尊さや、選択することの重さも知った。

孤独だったら絶対に味わうことの出来ない経験自分にくれたんだ。

幻想世界に浸ることは現実逃避と言われるかもしれないけど、幻想世界存在たことで救われた命があるんだ。

それって、マジで凄くないか

今度は自分が何かを作ることで、誰かを救う側になりたい。

大袈裟かもしれないが、それが自分の使命な気がする。

がんばるぞおおおお!!

2018-01-12

anond:20180112074400

天使にラブソングを1、2

ほとぼりがさめるまで尼院に入った歌手が、

他のシスターさんと聖歌隊して友情パワーする話

おうたいっぱい歌うしたのしいし可愛いし元気が出る

あーもーわからん

数年前にBLというものにハマり

CP二次創作を漁るのが日課になって

「私もすっかり腐女子だな…」なんて思ってたんだけど

考えてみたら私ヘテロラブストーリー百合も好きなんだわ

幼少期から小学生高学年くらいまでは少女マンガが好きで

中学校くらいか友達が持ってた少コミを読ませて貰うようになり

その後くらいかWJBL思考はなし)

高校大学らへんは青年漫画が好きで

男性向けエロ同人誌もケータイで読んでた(もう見てないけど多分違法サイトですごめん)

滅多に読まないけど恋愛小説結構好き

あと友達との間で話題になった恋愛ドラマも見たりしてた

二次創作についてはノマカプや百合を好んで見てたけど、BLはむしろ理解できなくて好きになれなかった

腐女子の人って妄想力すごいんだな…普通に友情しか見えないよ…と若干引き気味で思ってた

それがなんということでしょう

いまや毎日CPのことばかり考えている大人になってしまった

色んな方面にごめんなさい

ねほりんぱほりんに出てた人らはヘテロラブストーリーが嫌いだからBLに走ってたっぽかった

まれつきの性癖なんだ!という人もツイッターには結構いた

そこにはある種切実さのようなものがあった

その証左として恋愛遍歴の話や、anond:20180112001841言及されてた「自分とは何か」みたいな自己認識の話に繋がってくるんだと思う

でも私はただ単に面白ければ、エロければ、萌えれば、ヘテロだろうと百合だろうと何でも読む

ちゃんと試したことないけど多分人外でもいけると思う

私の場合は完全に趣味として楽しめてるってことなんだろう

私にとってはBL推理物、SF純文学、みたいな物語の一つのジャンルにすぎない

ただ、エロ漫画を読んでいることをおおっぴらにしないのと同じで、BLを好きになったことは周りには隠してる

でもほんとは「一次創作BL」は「青年漫画女性漫画」のストーリーについて語るのと同じように語ってもいいような気もしているのだ

私が今好きなのは二次創作である上、あまり周囲から理解を得られそうにないのでやめてるけれど。

色んなものを楽しめるって私だいぶ得じゃね?やったぜ!と思いつつ

じゃあ私は腐女子でなければ何なんだろうという疑問が生まれ

普通にオタクでいいの?

そしたら今度はオタクから腐女子オタク自称すんな」とか言われない?

それともイナゴとか?でもBLハマってからずっと同じCP(逆リバ×)推し続けてるから納得いかない

何が言いたいのか自分でもよくわからなくなってしまった

でもとりあえず、もうすでにBLカジュアルに楽しんでる奴はいるよ!ということはアピールしておきたい

・追記

描写含まないものブロマンスだと思ってた!勉強不足でごめんね!修正しました!

ねほぱほ見た腐女子がつらつら書く(長い)

腐女子について語るときに私が語ること

https://twitter.com/nhk_nehorin/status/951099083074056202

最後腐女子用語辞典解釈違い】キャラの受け取り方が自分と違うこと。イライラすることもある。例)「番組に出てた腐女子の話に納得いかない。完全に解釈違い!でもしょうがないよね、100人いたら100通りの腐女子がいるんだから・・・」ご視聴ありがとうございました🐽 #ねほりんぱほりん https://t.co/1sVh0dQNWf

公式のこのツイートに一番「やりおる…」って思った。

そうなのだ腐女子について語ることはめんどくさい。

マッッジで。

「男って~~だよね」「女には~~な傾向があるから」みたいな語り口で腐女子を語ろうものなら大炎上約束される。

誰もが(この言い方も怖い)、「あなたはそうでも私は違う」を持っている。例え他者から見れば誤差の範囲だろうが、一人一人自分腐女子としての輪郭をはっきりと持っていて、その差違をないがしろにされることを嫌う。

なんでだろうな、「男」「女」なんてカテゴリよりずっと狭いのに。

でも、もしかしたら、本来人をカテゴリで語るなんてのはこんくらいめんどくさくて然るべきなのかもしれないが。

萌えってけっきょくなんだろな

いやもう最近のみなさんは萌えとか言わないんだろうけど

昭和生まれなので古語を使わせていただきたい。

なんで男同士に萌えるの?

萌えってどういう気持ちなの?

と問われたとき、私にとって一番原点に近い表現をしてるのは下記の動画だ。

おじさんのイメージビデオがアツい!(ヒロエトオル「最近テレビ #76」)

https://youtu.be/yWLUP2-JMnI

一応書くがエロい話では全然ない。

このシリーズ最高に面白いのでみんな見たらいいと思う。

ここで言われているのは、端的に言って、

「みんなおっさんが仲良くしてるとこ好きだろ?」である

ホモが嫌いな女子なんていません!という平成も浅い頃の暴言があるが、

少なくとも女子の多くは、おっさん同士が無邪気になかよしだとわけもなく嬉しい。と、思う。

ヒロエさんは男性なので男性にもある程度は通じる感覚なのかもしれない。

でもまあ、人と人が仲良くしているな、と見てとれるとき、その多くは喜ばしい。

子供同士が、親子が、高校生が、おばさんたちが、

にこにこと仲良く戯れていたら、やっぱり微笑ましいしなんだかうれしい。

でも男女だと、そこに性の香りが漂うと、感想の種類はぐっとかわる。

終電前の改札前でいちゃいちゃしてる男女はまあまあ見苦しい。優しい気持ちにはならない。

性欲という深くて暗い河

でも、たとえおっさんのいちゃいちゃに喜ぶ人が世の中の何割であろうと、みんなが腐なわけではもちろんない。

だってみんなチームナックスを見ても彼らのセックス連想しない。

しか腐女子はする。

(腐女子が全員セックス連想しているかというとそうも言い切れないが…ここはややこしいがとりあえず話を進める)

そもそも前述の通り、人と人が仲良くしてるのは微笑ましくても、性的な要素は多くの人にとって微笑ましくない。

腐女子は微笑ましいものにわざわざ性の要素を見いだそうとする。

原動力は愛じゃないですか」

ようやくねほりんぱほりんの話をするが、あの30分間で一番私の心に刺さったのはこの言葉だった。

人が人にかかわっていくとき、その原動力は愛じゃないですか。

(曖昧記憶かいてるので細部は違うかもしれない)

この、能天気な、使い古されたみたいな言い回しは、けれども「腐」というものの一面をとらえてるんじゃないかと私は思う。

そうなのだ。腐の世界は、すべての感情を、行動を、あるいは状態を、愛によるものだと意図的に読み違えることで成り立っているのだ。

から友情にもコンビにも兄弟にも愛を見いだすし、天井と壁にも愛を見いだす。

(ここでいう「愛」は「恋」である必要はないのだが、その辺は後述する)

そして、ここが重要なのだが、性欲とは愛に対して従であると、腐は思っている。

愛さえあれば性欲さえも微笑ましい

終電前の改札でいちゃいちゃしているカップルあんまり微笑ましくないと書いた。

見知らぬ人たちが、泊まるか泊まらいかやるかやらないか駆け引きをしているのを見るのは、何ならちょっと不快だ。

でも、それは、通りすがりの私の目には彼らの性欲しか見えないからだ。

彼らが「心から愛し合っているのだ」と認識したとき、その感想は変わる。

逃げ恥」のじれじれしたベッド回りのあれこれを見たとき、あれを不愉快に思う人は多くなかったのではないか

そこに愛を認識できれば、他者のものであっても性欲は不快ものではなくなる。

性欲を愛でくるんだ結果性欲だけが可視化された

東京駅は出たり入ったりして淫乱だわ~とか言ってる連中が

性欲が不快とか言っても説得力がないだろう。

私もそう思う。

でも、大前提として、腐は愛の存在を信じているんだと思う。

腐の妄想世界のなかでは、人は酸素を吸うように愛を吸っている。

話すのも食べるのも、笑うのも泣くのも、生きるのも、死ぬのも、すべて愛のためだ。

もちろん現実はそんなわきゃない。人は嫌うし憎むし見下すし嫉む。

でも、妄想世界のなかで、それらもみんな愛だと誤認する。意図的にする。

そこまでしてはじめて、恋について語れるし、性欲について語れる。

恋と性が大好きなわけではない。むしろ恋も性も汚い側面を有していることをよく知っている。

愛がなくたって性行為は行われるし、恋と愛は別のものだ。

からこそ、「この世のすべての感情は愛」な妄想世界トリップしてやっとようやく、恋と性について語れるのではないか

からってなんで男同士なのさ

なんでだろうね。

天井と床の間に、唐揚げレモンの間に、電車と駅の間に愛を見いだすとして、

どうして男女でもなく女同士でもなく男同士にたとえてしまうんだろう。

少なくとも私は、腐以外でこの手の「愛を見いだす遊び」をしている人たちを知らない。

これについてはいまいち私も結論が出ていないが、

「私とは違うなにか」でありかつ「同質に並び立つ二人(ふたつ)」が重要なのかもしれない。

私という現実人間は愛じゃなくて酸素吸って生きてるので私に近い要素は必要なく、

彼岸の愛の世界で生きている人たちは同じ愛を吸う同じ種類の生き物だと思うのかもしれない。

やっぱ苦しいな。単にちんこすきなだけ!っていう清々しい腐のみなさんが一定数いることは書き添えておく。

「なんでBLが好きなんですか?」←黙れ

ねほりんぱほりんでは、一人の出演者男性にしつこく付きまとわれた過去を話した。

それがマジとか嘘とかマウンティングとか違うとかはどーーでもよいのだが、

ただ、そうなのだ。腐という趣味はその人の性的経験としばしば関連付けて語られる。

本人も、「私はなぜ腐女子なのか」と考えるとき自身男性との関係性について考えてしまう。

では、愛でくるまなければ恋も性も語れないというこの増田は、一体男性にどんなトラウマがあるというのか…!????

私は、そんなの聞かれなくていいし考えなくていいと思っている。

なぜ好きなのか?を考えて、趣味過去経験を結びつける必要はないのだ。ましてネガティブものとなんてぜんぜんいらない。

自分自身にそんな素人心理分析をを試みなくていい。

何が好きなのか、どんなところが好きなのか、そんなことを考える方がずっといい。

そして私について語るときに私の語ること

でもなーーしちゃうんだよな!なんでだろうな!!

腐女子である私」を語るとき腐女子はひどく饒舌だ。

ねほりんぱほりんの三人の腐女子たちが自分はどんな人間かを語っているとき、私にとって目新しい言葉ひとつもなかった。

彼女たちの自己分析は、ネットに転がっている腐女子「たち」の語りの集大成のようだった。

どっかで見たことばっかだった。

腐女子は、「100人いれば100通り」であるにも関わらず、どこかで「私たち腐女子」という自意識を持っている気がする。

誰かの自己分析は私の自己分析で、自分について語る言葉は際限もなく膨れ上がる。

私たち」は常に語らなければならないと思っている。

マツコ・デラックス養老孟司と話しているとき

養老孟司が「いわゆるオカマの人は頭をよく使う」ということを言っていた。

マツコは「そうかもしれない」と応じた。「だってアタシ、トイレ入るときだって自分はどっちなのか考えるもの。」

マジョリティマイノリティの差は何かと言ったら、

「私は何者なのか?」を考えてしまうのがマイノリティなんだと思う。

人はじぶんがマイノリティの側であると思ったとき、「私はなぜこうであるのか?」を考えずにはいられない。

腐女子もそうなんだと思う。「私はなぜこうであるのか?」それを語るために、「私たち」は「私たち」を語る言葉を溜めていく。

ハゲ漫画とかRTとかハッシュタグとかで。

100人いれば100通りのはずの私たちは、似たような言葉を使って自分を語り、共感し、それでいていっしょくたにされることを嫌う。

私は何者であるのか。

私について私が語るとき、私は自分が女であることより、30代であることより、会社員であることより、腐女子であることを語るだろう。

このことについて考えてきた時間が段違いだからだ。

私たち」は問われ続けるし語りつづける。でもいつか、自分ネガティブ経験と腐を繋げて語る人がいなくなるかもしれない、と思う。

そのとき、きっと腐はなんでもないただの趣味になる。

2018-01-11

anond:20180110202904

彼氏彼女にならなくても、友情的な好意のある相手なら食事に行くのはやぶさかでない人は多いんじゃないかな。

古式ゆかしいグループ交際みたいに、最初は別の知人も交えて一緒に食事に行ってみるとかw

振られて3ヶ月

好きな人に振られて3ヶ月経った。

「好きだ」って言ってくれてた時もあってキスされたりとか胸触られたりとか手繋いだりとか、付き合ってるも同然の時期があったからいけるだろって思い切って告白したのに「このままでいたい」って言われた。

今までは戯れ程度に出会い頭にポカポカ軽く殴ってたり、二人きりの時にほっぺたつねったりしてたけど、振られてからは一切しなくなった。おそらくお互い気まずさもなく、何事もなかったかのように友達として過ごしている。

でもお互いの趣味イベントかに誘ったら二人きりなのに普通に来てくれるので、おそらく嫌われてるとかではない。振られる時に「感謝しているけどそれとこれとは違う」って言われたから、友情的なものはあるけど恋愛対象にできなくなったって感じだと思う。理由は未だに分からないけど。

彼女にしてほしい」って言って告白したんだけど、言い方を間違えてしまった。

別に彼女になれなくていい。でも、好きな人彼女が出来てほしくない。自分よりも深い仲の存在が現れてほしくない。

だってこのままでいれるならこのままでいい。記念日なんか祝わなくていいし、キスハグもしなくていい。

「今は恋愛したくない」って言ってたけど、きっと私よりももっと可愛い子のことを彼女にしたいんだろうな。

むかつくなあ。全然かっこよくないし、気も回らないし、ぼんやりしてるし、ファッションセンスも良い方じゃないし、お金もそんなにないのに。

なんでこんなにわけもわからないぐらいどうしようもなく好きでいるのをやめられないんだろう。

2018-01-07

anond:20180107021221

ミュージカル的な要素を想定してるんだろうなってのは見てて汲み取れる部分はあるんだよね。

でも、決定的に違うのは、歌と踊り=表現を作り込んでいく、いわゆる「制作過程」ってやつがミュージカルにはない。そこをカットしてしまっているから、逆に「そういうものなんだ」って受け入れられるのかと。逆に、ラブライブはそこを描いちゃってるんだよね。

どうせ制作過程表現するなら、うるさくならない程度に「こういう努力もしてたり、実はこんなことしてるんだよ」ってなのを入れておいてほしいなって思っただけ。マンガに入れるなら1、2コマ使う程度でいいぐらいのもんだけど。

努力友情を見せたいのか、アイドルが歌って踊ってキラキラとかキャッキャワイワイしている、かわいさや華やかさをメインで見せたいのかによって、そういう細かいところを表現するしないは変わってくるのかも。

2018-01-06

学生時代関係性に甘える大人たち



我が家は今年関東で年越しをしたのだが、正月から残念なことが起きてしまった。

地方帰郷していた旦那同級生たちが飲み会をしていて、その場のノリでこちらへ連絡をよこしたのである

ここまでは別になんてことないことで、私もただ「旦那は友人達に好かれているのだな」と思っていた。

けれど旦那の様子が段々おかしくなってきたため声をかけると、参加者の一人から夫婦の営みの写真を送ってこい」とのLINEが。

これ以前にも彼を揶揄するようなLINEが別の参加者からも来ていたという。

さらに付け加えるなら当時は上京してきた義両親と共に私の実家訪問中で、そのことも通知済みだったらしい)

旦那は完全に頭に血が上っており、私も「悪質だな」と感じつつ、怒りのメッセージを送れば相手も盛り上がってしまうだろうと返信を代筆した。

「この件につきましては嫁からNGを出させていただきました、また今度ゆっくりお話できれば嬉しいです」

これに対する返信が「じゃあ旦那ソロ性的写真で良いよ」。

頭がクラクラしました。

私はこれをどう解釈して良いのか、今でも分からない。

旦那性的な目で見ている……というのでなければ、性的な「いじり」をするというのか、配偶者が見ていると知っていながら。

ちなみにこれを送信したのは現在教壇に立っている人物である

この後は他の参加者たちから謝罪を受けたり、私を巻き込み一悶着あったのだが、例の性的写真を求めてきた男性から謝罪はない。

曰く「嫁を出したのが卑怯だ」ということらしい。

私たち夫婦対応にも落ち度はあっただろう、しかし、私は先述の通り一度話題を打ち切っており、話を繋げたのは相手方である

嫁を出した旦那卑怯なら、友人達が代わりに謝っているのを盾に自らは簡単謝罪すらしない彼とはいったい何なのだろうか。

さらに驚きなのが、「旦那の方が大人になるべき」と遠回しにこちから関係改善に歩み寄れと促す人物いたことだ。

飲み会参加者でないにもかかわらず集団からかわれ、配偶者を前に性的ないじりをされ、それでも旦那が耐えろというのか。

身内ながら他人の痛みの分かる優しい夫だ、いつもそれを許してきたのだろう。

けれど今回は相当こたえたようで、個人個人はともかく、集団での付き合いは止めたという。

旦那学生時代いじられキャラであった、というのは知っている。

けれど妻子ある男性に対して度を超したイタズラが許されると思っているのは、ある程度の年齢に達した者の考えることではない。

「きっとあいつらのなかでは俺がつまらない奴で、悪いことになってる。けどもう諦めた」

そう笑ってはいものの、旦那の胸中はいかほどのものだろう。

それが私は寂しくて、悲しくて、インターネットの片隅に吐き出している。

かなりフェイクを入れているため当事者が見ても分からないと思うが、少しでも心当たりのある人は胸に手を当てて考えてみてほしい。

学生時代から関係性、自身の見栄、色々と守りたいものはあるのだろう。

けれどそれは青春時代から十年以上にわたり友情を繋いできた友人を傷つけてまで、貫きたいことだろうか。

「悪気はない」、「いつものノリ」で甘えられる範囲を、今一度考えてほしい。

今はただ、旦那のような思いをする人間が一人でも少なくなることを祈るばかりである

2018-01-05

わたモテ中心で今の俺の生活は回ってる。

泣いたり笑ったりの日々にわたモテが楔を打ち込んでいる。

あの大仕事が、あのダルいけど時間かかる仕事が、その時のわたモテ最新話と紐付いている。

「最新話は3週間後です。」

もこっちとゆりちゃんとの思春期特有友情とも恋愛とも判別つかない関係・・・幸せ

何かその作品なりの良さがあるんだったら多少ほかが崩れてるのは気にならないんだよね

好きなホラー映画は「REC●」と「ディセント」 男は闘ってガンガン死ね!しぶとくてもいい! ラブコメはどうでもいい!

ナンセンスギャグは好き! ファンタジー好き 友情努力勝利

一方夫はラブコメ割と好きで、本人も恋愛体質でかなりのモテ男ゾンビ物は嫌い。B級嫌い。画質厨。

サイエンスフィクション好きだけど、ファンタジー、スペースファンタジー嫌い。

ホラー悪魔憑き系が好きなのかな。正体が分かってる怪人物は×

こんな二人で先日の「君の名は」を見たんだけど、

3年前だった!って所はおお!っと思ったけど、

なんか二人で会った?なんで出会えてるの?とかなって、掌に名前を書こうみたいな辺りで意味わかんなくなって引っかかってる間に話が進んじゃって

隕石避難させろワーワーみたいなのをもっとメインに据えてほしかった

その後の再開までの話しが長すぎる、そこさらっとでいい

夫「シュタゲでよくね????」

うん、おもしろいよねシュタゲ

でもサマーウォーズよりは面白かったかなあ~

anond:20180105084225

しろセックス相手としての異性は必要ないどころか、居ない方がいいか結婚したくない、って女性一定数いるのでは

ゲイとの友情婚とか、女同士でルームシェアかに憧れる女性一定数いるのも

男性セックス付きの関係を築きたくないけど一人で生きるのは寂しいから、だし

2018-01-04

性格のいい子達がおりなす勇気友情恋愛の話みたいなのが無理

ただただお綺麗な話だなって……

自分は汚れちまった

2017-12-31

空の境界見ててやべぇことに気づいちまったよ……

これ、本当に描きたいのは男と男の友情の水面下で男と男の恋愛が進行していく話だろ……

まりなにを書きたかったのかっていうとさ……

すげえな

Eマンガ先生で妹ラノベの完成原稿読まされた山田エルフ先生ってこんな気持ちだったんかな

気持ち悪いとか応援したいとかそういった感想は全部本筋からズレた所にあるようにしか思えねえ

ただただ凄いぜ

こんなものを全国の書店において全国の映画館で流して今は全国にネット配信してるのかよ

キングゲイナー告白回よりとんでもねえだろこれ……

2017-12-30

ストレンジャーシングスやばすぎ

言い方は悪いけどストーリーゴミすぎるでしょ、これ。。。誰だよこんなの面白いとか騒いでた人たち。

異世界とか超能力を巡る少年たちの冒険ものなんだけど、敵の組織グダグダすぎてサスペンスへったくれもない。

この組織、一話の冒頭ではただの目撃者すら射殺するような冷酷な感じなんだけど、主要キャラ保安官施設侵入して色々秘密を探ってたときには、尋問すらしないで眠らせて家に帰してあげるだけ!接待かよ!

そして保安官は手に入れた情報を元に核心に迫っていき組織は追い詰められるのだった、ってどんだけご都合主義ストーリーなんだ。こんな話に緊張感もクソもあるわけないだろ。主人公にだけは優しい敵って幼児向けかなんかなの?

その組織には政府も絡んでる設定だし、異世界への扉を開いたりとか超能力研究をしてたりとか、作品世界観ベース部分を担当してるんだから、そこはブレたら絶対だめだろ。

やれ超能力だとかモンスターだとか政府組織に追われるだとか、作品の内容を真面目に見る気になれないでしょうが

その後も、AKIRAみたいに人の頭を潰せる超能力少女を捕まえようとしてるのに、闇雲にバンで乗り付けるだけですぐに車をひっくり返されて逃げられるとか、頭が痛くなる。お前ら超能力研究してんだから対策くらいちゃんとしてこいよ!

大勢動員してヘリまで持ち出す大規模な作戦やっておいて、団地をただのチャリンコで逃げるだけのガキを見失う政府組織って無能にも程があるだろ。

超能力少女に車を潰されたりして危険存在だと再認識したはずなのに、その後も何故か下っ端を二人だけ寄越してしてまた逃げられるのとかも、真面目にサスペンスをやる気がなさすぎ。

組織の奴らだけじゃなくて、クライマックスではさっきの保安官が何の対策もしないでまた同じ方法施設侵入して、一瞬で捕まって大ピンチ!という展開まであって、本当に何を考えたらこんな脚本になるんだ?ってくらい酷い展開のオンパレード

逆に、これを真面目に見てる人の方がすごいと思うわ。ここ数十本みた海外ドラマのなかでダントツで話の出来が悪い。

ストーリーがこれなので、当然大量のキャラを捌けるわけもない。基本的にどいつもギャーギャー喚くだけで、話が展開するときだけ都合よく動く悲惨さ。

特に驚いたのが少年主人公たちの描写で、このドラマは要するにITスタンドバイミー的なキング作品パクリなんだけど、パクっておきながら少年グループ数人の関係性すら描けていない。

後半で主人公と別の子が一番の親友だとか台詞説明されるんだけど、本編ではこの二人は絡みがほとんどない。むしろ主人公そいつとは親しくないのかと思ってたくらい、普段は別のやつと絡んでる。少年グループ冒険ものをやりたいんなら、せめて親友かどうかくらい普段描写で見せておけよ。。1話50分の話を何本もやっておいてそれもできてないとか、どんだけ馬鹿なんだよ。

しかも、この親友のくだりは話に全く関係がなくて、つまり主人公グループ人間関係すらメインストリーに反映できていないのだ。それでキング系の話をやりたがるとか、作ってる奴らはマジでいい加減にしろよクソが、と思わざるを得ない。

書いたらキリがないけど、終始この調子SF友情だのをやってるので、心底呆れてしまった。素人目に見てもマジで話の出来がゴミだと思う。悪口じゃないけど、これを面白がれる人は普段何を見てるのか本気で疑問になった。

これを好きなひとが、邦画批判しながらやっぱりネトフリすげーわとか言ってるのも見たけど、どう考えても普通邦画以下のストーリーだろ。っていうかこんな出来の悪いもん持ち出して他を腐すとか、どんな目してるんだよマジで。。

anond:20171229234804

めっちゃわかる。

仲良くなれても相手関係を続ける意欲を持っててくれないと友情って続かないよね。仲良くなるだけでも大変なのにさ…

2017-12-21

災厄も感謝もないすばらしい新世界

母のことは尊敬しているけれど最も恐れる人間だし、父のことは心底軽蔑してるけどシンパシーを感じてしまう。恋人のことはどうしようもなく愛してるけど、信用できない。親友たちのことは大好きだしみなとてつもない人格者で、だからこそ私みたいなのが関わって迷惑かけていい人間ではない。生誕を呪う私は孤独に生きるべきなのに、どうしようもない寂しがり屋で、すぐ誰かの腕を乞う。

終わらない、寿命と私の意思との我慢くらべはいつまで続けなければならないのだろう。昔流し見たネットの当てになるかもわから知識をもとに、なんとなしに、ドアノブに手近なロープをかける。自室の10階の窓を開放して階下を覗き見る。寒いキッチンに滑り出し、包丁を研ぐ。そんなことばかりして、実行には至れない。自殺未遂すらできないあたりに、いかに実行力や自制心が欠如していることが、なぜ社会粗大ゴミであるのかがよくわかる。

SNS登録してみたかった。ろくでもない自分のことが可視化され、記録されると思うとそれすらできなかった。FacebookLINEも、情報リテラシー意識が高いフリしてやらない理由説明し続けた。

裏垢を作ってみたかった。裏垢を作る気力も持てず、ただひたすらスマホメモに吐き出すだけだった。つらいことをネット上の玉石混淆馬の骨とも糞ともわからぬ誰でもいいから、目に留めてもらいたかった。なのに、匿名でも私の記録が残ると思うと、恐怖心がまさってかなわなかった。

子供が欲しいと言ってみたかった。愛する恋人結婚を渋るのは、死んでも子供はいらないという私の主張にこそ原因があった。そうでなくとも、誕生し生きるということを根本的に肯定たかった。あるいは、自分が親に足る人間であると、自らの両親のようには決してならないと、そんな自信が欲しかった。

別に今すぐ死ねもしないことはよくよくわかっているけれど、死に際に書き込むなんてできた人間の真似事をしてみたくて投稿する。はてな登録が簡潔なものでよかった。

最初はどこにも公開しようなどと思わず書き始めたけれど。そろそろ限界が近い。〆切も愛も恋も友情も年齢も何もかも、現状のままでは。この書き込みひとつこれまでの自身への弔いとして、明日明後日明々後日、それから新年新年度を無事迎えられますように。

2017-12-19

恋と友情

海外ドラマを見ていると恋と友情が必ず描かれる。どんなにダメ登場人物にも恋人や友人が居てそれなりに幸せ人生を送っている。だが、現実はそうではない。恋人簡単にできないし友人を作るのはもっと難しい。だからこそ多くの人がドラマに夢中になるのだと思う。ドラマのような人生を送れる人は幸せだ。

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