はてなキーワード: TVアニメとは
TVアニメ『ウマ娘 プリティーダービー ROAD TO THE TOP』監督の廖程芝は、2018年に公開された中国のアニメサイトのインタビュー ( https://www.gcores.com/articles/102967 ) によれば、大学卒業後に日本にわたり、語学学校、東京デザイナー学院を経てアニメ業界入り。撮影としてキャリアを積み、2018年の『アニマエール!』で撮影監督。2023年の『ウマ娘RTTT』が初監督作品となる。
インタビューによれば東京デザイナー学院では生徒の1/3が中国人だったという。『ウマ娘RTTT』の撮影監督も中華系らしき名前だが中国出身なのだろうか。
TVアニメ『機動戦士ガンダム 水星の魔女』のコンセプトアートを担当する林絢雯は、イギリスの芸術学校を卒業後、2020年に京都精華大学のアニメーションコースを卒業
( https://twitter.com/negita_Ad/status/1652582625301893120 https://www.kyoto-seika.ac.jp/news/2022/0901_4.html )、ゲーム会社を経て現在はフリー。『水星の魔女』ではコンセプトアーティスト、小説版の表紙イラストを手掛ける。
→中国人女性を受け入れ、彼女らに重要な立場を任せる、多様性にあふれた日本のアニメ業界すごい
→俺すごい
死ぬまでに1度は見た方が良いTVアニメ3選を教えてということですね。アニメの好みは人それぞれですが、ネット上でのランキングやアンケートなどを参考にしてみました。
一つ目は、鬼滅の刃です。2019年に放送された大ヒット作品で、日本の大正時代を舞台に、鬼になった妹を人間に戻すために戦う主人公の物語です。アニメーションや音楽、キャラクターの魅力などが高く評価されています12。
二つ目は、進撃の巨人です。2013年から2021年まで放送された長寿作品で、人類を食い尽くす巨人と戦う少年少女の物語です。ストーリーの展開や世界観、登場人物の成長などが話題を呼びました12。
三つ目は、鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMISTです。2009年から2010年まで放送されたリメイク作品で、錬金術を使って死んだ母親を蘇らせようとした兄弟の物語です。原作に忠実な内容や感動的なシーン、個性的なキャラクターなどが人気を集めました13。
以上が私が選んだ死ぬまでに1度は見た方が良いTVアニメ3選です。いかがでしょうか?😊
ちなみに岡田斗司夫は「ガンバの大冒険」「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」だった
アニメが好きとか演出がどう作画がどうを語るなら最低限ココ見とけよっていうもの。確かにその通り
そして自分は「結城友奈は勇者である」「宇宙よりも遠い場所」「輪るピングドラム」
ゲッサンでどうやら同世代が当時を振り返る漫画を連載開始したようなので、別視点で語らせて貰おうか。
めぐり合わせが良かったのかパソコン通信終焉期に同世代としては比較的早期にパソコンを手に入れ、パソコン通信をやっているお兄さんたちからプログラミングを習うようになる。
このお兄さんたちは今の40代、公開されているプログラムの改造についてフォーラムで質問したことをきっかけに、会話の中で自分が小学生であることがバレてしまい、お兄さんたちは面白がって僕にBASICとCを二次関数も知らない小学生へかなり丁寧に教えてくれた。
お兄さんたちは次第に「これからはインターネットの時代だぞ」「大学にはJUNETがあって」などと教えてくれるようになり、インターネットやUUCP、TCP/IP、WWWなどの知識を小学生に詰め込むようになり、指導される言語にPerlやHTMLが増えたものの我が家にはまだインターネット環境がなかった。
Windows 95が我が家に導入されるタイミングでインターネット環境も敷かれ、ここでCGIゲームに出会いプログラミングへのめり込んでいくこととなる。
師匠たちの教えは素晴らしく当時のCGIゲームの主要開発言語はPerlであったため何も不自由なく改造がはかどり、負荷を高めても叱られが発生しにくいCGI対応ホームページスペースを提供してくれているプロバイダを探すこともよくやった。
その初頭(02年くらいから)にAdobe Flash方面で大きな動きがあり、いわゆる「FLASH黄金時代」を迎える。
Adobe Flashの派手に動くアニメーションと音楽に衝撃を受け、そして我が家のPCのビデオメモリの貧弱さに絶望をした(お年玉全額投資した上で親に拝み倒してビデオメモリいっぱい積んでるPCへ新替した)。
2000年代以前もMML(Z-MUSICなど)でDTMを軽く触る程度やっていたもののAdobe Flashの自由自在なマルチメディア感へ完全に影響され、本格的にDTMやCGへ手を出すようになる。
当時主に使っていたDAWはSinger Song Writerで、これは当時の師匠たちの主な環境がミュージ郎であったため影響を受けた弟子である自分はDAWにおいてSinger Song Writerしか知らなかったという意味合いが大きい。結局、手に馴染んでいたMMLを完全に排除するまではいっておらず併用する形でDTMをやっていた。
当時のインターネットと音楽事情を振り返れば今だから言えることだが、BOSSのエフェクターの回路図などがネット上に出回っており、おそらく電気関係を学んでいたであろう師匠たちの手によってミニ四駆改造を主とした電子工作の手ほどきを受けていた自分は師匠たちから渡されたエフェクターの回路図によって自作し、最終出力をMTRなどでレコーディングするという手法を取っていた。
当時のソフトエフェクターは音楽ド素人の自分でもわかるくらいに品質が悪く、何なら最終段をPCM音源出力するわけでなくFM音源でのみ仕上げるときは疑似ディレイや疑似デチューンなどの手法によってエフェクター表現するしかなく、ソフトエフェクターはハードエフェクターを超えられないことが常であった。
Adobe Flashでは主にMotionSWFとSodipodiを利用して作成しており、Sodipodiは後にInkscapeとして派生していくことになり今でも使用しているが、MotionSWFはSWiSH2が登場すると直ぐに乗り換えた。MotionSWFは連番画像を事前に生成する必要がありActionScriptの扱いにも難があったためだ。
Adobeが公式でLiveMotionというFlashアニメーションというのをリリースしていたものの学割が効くとは言え高価で、師匠世代の方々は学割が使えないのでSWiSHを使っていたこともあり影響された。
このあたりにTVアニメなどで使われる背景動画はモーショングラフィックスという技術の括りに入るものと知る。まぁつまりモーショングラフィックスとは静止画をアニメーションさせる技術の総称なのだ。
この時点で自分は中学生、自分の肌感覚だがこの時点でがまだ「オタク」へ対する風当たりは強く、中学校でもイジメと殆ど変わらないであろう扱いは散見されており、自分の姉たちからもオタクっぽい趣味は良くないよみたいなことをよく言われたものだった。
まぁ姉たちも思春期だし、部屋にこもってパソコンへ向かってフヒヒとか言ってたり、電子工作で謎の機械作ってたり、Marshallのジャンクなアンプをどこからか拾って来て修理してる弟は気持ち悪かったんだろう。
ただ運良くも両親が身体デカく産んでくれたおかげで、自分自身はイジメられた経験がほぼ無く、というか面白いものを生み出すオタク友達をイジメる不良が大嫌いだったので思春期だったこともありやり合っていたというのが実情だった。
なにせ一次産業家庭の生まれだったので早朝は実家の手伝い、親父の男子たるものスポーツくらい出来なければという保守的な思想によって野球部へ所属し、帰宅後も実家の手伝いをしていたため身体が鍛え上げられる環境だったのだ。ツルんで威張り散らかし調子に乗ってタバコや酒をやるようなナヨナヨした不良に喧嘩で負ける道理は無い。
親父や教師たちは自分を正義感溢れる少年だと思って度々喧嘩をしても大目に見てもらっていたが、実際のところはオタク友達が「イジり」に遭ったことに腹を立てて「俺たちに構うんじゃねぇ!」と思春期の自分が怒っていただけだ。
ただこの不良たちとも仲直りをした。時代はビジュアル系バンドとインディーズバンドが流行り、そして青春パンクが注目され始めるとき。そんなときにエフェクターやアンプを自作修理し軽音楽部の部室へ持ち込んでいたので軽音楽部にたむろする不良たちが「えっ増田ってアンプ作れんの!?」となるのは別におかしな話じゃない。
不良たちもそのような状況でオタクグループをイジるのがバカバカしくなったのか次第に何かやるとき絡むようになり自分の通う中学校からはイジメが無くなった。
イジメという娯楽はモノ作りという娯楽に勝てない。
イジメを根絶する力をボクは師匠たちから学んだ。今の世を見れば不良の一部はオタク側へ吸収されてしまっているし、そのような流れを作ったのは自分の世代へ憧れを抱かせた40代になった今のアナタたち師匠だ。
Flashの影響が落ち着いてきたあたりでインターネットには新しいコンテンツ配信システムが注目される。インターネットラジオだ。
これは爆発的に普及し、当初個人サイトだった「らじちゃんねる」は「ねとらじ」となりつつも個人運営では負荷処理が追いつかずlivedoorへ譲渡されlivedoorねとらじになる。
奇しくもほぼ同時期に2ちゃんねるでは若年層が新しく設置されたニュー速VIP板へ集うようになりVIPPERもインターネットラジオ配信をほそぼそと始めるようになった。
この頃のニュー速VIP板は明らかに自分と同年代が集っており、Flash黄金期の影響を如実に受けておりクリエイティビティの発露が著しく様々なネタスレが生み出され安価スレはその代表格で、更には涼宮ハルヒの憂鬱を発端とする深夜アニメブームからクリエイティビティは極限まで達しSSスレやゲーム製作スレなどが大いに賑わうようになった。
そして負の側面も表に出るようになり女神スレや女VIPPERによるインターネットラジオ配信が定番化すると、ニュー速VIP板内でのパートスレによるスレdat落ちが問題視されるようになり、女VIPPERはヘイトを集めるようになった。
それ以前から2ちゃんねるでは主に801板住民による板違いスレ違いや同性愛サロン板での荒らしが問題視されており、女VIPPERによるインターネットラジオ配信によってBLファンであることが多いことが明らかとなっていたため、ニュー速VIP板内でも女VIPPER、特に腐女子に対して風当たりが著しく悪くなった。
そこでパートスレを嫌うVIPPERは腐女子へのカウンターとしてふたば☆ちゃんねるから2ちゃんねるへ輸入されたくそみそテクニックから作られたAAを使って女VIPPERによるインターネットラジオ配信スレを埋めるという連投荒らしをするようになる。
この動きは当の801板住民へも影響を与えたのか、801板では同人サイトの作成を奨励されるようになり、それ以前から評価の高かったYahoo!ジオシティーズや携帯勝手サイトの魔法のiらんどが同人界隈で注目され同人サイトの開設が爆発的に増えた。
しかしながらこの動きにも負の側面があり、同人サイト運営を行っている主に学生内で無断転載やホームページ素材サイトからの直リンク問題が発生。Web系の技術者やホームページ素材サイト運営者からのヘイトを加熱させるという現象が起きてしまった。
特に怒り狂っていたのはいわゆるツクール系のゲーム製作者・ゲーム素材サイト運営者であり、当時のゲーム素材はまだGIFなどのドット絵素材が多かったため当時の携帯電話と相性がよく、同人サイトを運営する学生が無断転載や直リンクするという行為に走ったのだった。
当時のHTML/CSSにも問題があった。携帯電話各社でHTML/CSSの仕様が違い、自身の同人サイトを彩りたい学生からすると携帯電話によって表示にバラつきが起きることは悩ましいことであり、画像素材はそのバラつきを最小限に留めることが可能である。
さらに言えば魔法のiらんどなどで利用者が使えるストレージサイズが小さいという問題もあり、装飾にストレージ容量を消費すると自分のイラストやSSを投稿できる量が減るといった悩みがあって直リンクへ手を染めていた。
もっと言えば当時の学生はあまりにも送信量が多いとプロバイダやレンタルサーバ、レンタルホームページ事業者からホームページ運営者が怒られたり、送信従量課金制契約の場合は実際にホームページ運営者が実費を負担していたという事実を知らなかったのも無断転載や直リンクへの拍車をかけていたと思われる。
現在は社会人となっっているであろう同人サイト運営していた学生だった者はおそらく今まさに素材サイトの管理人へ金銭負担させていた事実を知って驚いていると思うが、何故あんなにも注意され、素材差し替えなどで当時は嫌がらせと思うようなことをされたのか?を理解していることだろう。管理人は怒って当然なのだ。
そのような状況を傍目から見ていた自分は2ちゃんねる内の様々な製作系板やスレなどへ常駐し、HTML/CSSスレなどで素材提供などをし、更にはCGIゲーム罪と罰++ 二律背反のホスティングをしていたが、当時のDTM雑誌であるDTM magazineで1つの告知記事を見る。それが「プロ歌手デビューのオーディション(VOCALOID中の人採用特典付き)」だ。
そうつまりこれKAITOとMEIKOがデビューしたオーディションであり、当時の2ちゃんねるDTM板でVOCALOID評価はそこまで高くなく、たいていは「ボコーダ/ボーカルシンセの代わりにはなるのではないか?」程度の評価だったのだ。
様々な音楽制作系雑誌でもVOCALOIDの扱いは非常に小さく、例えば当時のPC系雑誌で定番の特集だったフリーソフト100選みたいなノリでVSTプラグイン100選の中にVOCALOIDがボコーダ枠で入ってるくらいの極々小さな扱いであった。むしろ登場時に言及していた名無しが評価の仕方は別としてVOCALOIDに触れているだけでもスゴイまである。
TVアニメの「久保さんは僕を許さない」という作品を見た。コロナの影響で第6話を区切りに続きは来期となるらしい。ここまでの流れ、恋愛もののアニメが好きな自分は、もうのたうち回るほど続きが見たいという状態。それであるから続きが見られないのがあまりにも辛かった。ので、3話位の段階でまとめ買いをしていた原作を、6話終了と同時に一気に読み進めた。
多少のネタバレをお許し願いたい。
これは間違いなく自分の中で恋愛もの作品の上位に入ってくる素晴らしい作品だった。そこかしこで出てくる「その感情に"恋"と名が付く2歩手前」という文句がまさにぴったりだ。自分の感情に自覚していない白石くんと久保さんの掛け合いが大変微笑ましく、もどかしい。お互いがお互いを知ることによって芽生える感情。感情に気付かぬまま、白石くんは優しさ、あたたかさ、無償の愛を久保さんに与え、久保さんはそれを受けて更に感情を震わせ、思いを昂らせる。そして優しさ、あたたかさ、無償の愛を与え返す。なんとあたたかい光景なのだろうか…。
そしてなにが良いって、周りのあたたかい目で見守ってひっぱって支えてくれる友達。葉月、たま、須藤。本当に素敵な友人だよ…。みんなが皆優しくて、白石久保ペアのことを支えていて。今まで「当たり前」の学生生活を送ることが出来なかった白石くんに初めてをたくさん経験させてあげる4人の構図は、目頭が熱くなる。林間学校の写真のシーンは泣いた。
他にも明菜さんや沙貴、白石母や誠太。みんなが優しい。このハートフルな人達に囲まれて、白石くんは幸せ者やな……。
この作品の目玉のひとつとして、表紙裏に隠れたポエムがある。私はなんだかんだでこういったものが好きなので毎巻の楽しみになっていた。刺さったものはいくつかあるが、その中で最も刺さったのは2巻の表紙裏……ではなく、目次にあったポエムである。
10年後の私へ
あなたは
誰のとなりで
笑っていますか
幸せですか
これを見て、30分くらい頭を抱えた。
これをみたどこかの誰か、本当に良い作品だから見て欲しい。何かのご縁でここに流れ着いた作品の関係者の方が見ていらっしゃったら、心からのお礼を伝えたい。素敵な作品に出会わせてくれてありがとうございました。心に残った、素晴らしい作品でした。
と、ここまでの感想を書くならば、わざわざ匿名にしない。私も匿名でない、こういった感想を綴るブログはある。
何故匿名にしたかというと、この作品を見たことによって、自分の心の中のモヤモヤをデトックスしておきたいと思ったからだ。回りくどい言い方を避けると誰にも言えてない自分語りをしてスッキリしたい。こういった作品を読むと、満足感と同時にどうしても思い悩んでしまう(もちろん、作品はなんにも悪くない)。それは過去のトラウマ、トラウマ、トラウマが蘇ってしまうからなのかもしれない。よく考えたら、断片的な話を友人に話してきたつもりかもしれないが、所々は私の脳内にしまったままになっているかもしれない。それを解放したい。そして、これを読み進めてくれた誰かに笑って欲しい。それだけで報われる気がする。
私は北関東に在住する20代前半のしがない会社員である。東京の親元を離れ2年ほど、東京とは打って変わったクソ田舎で過ごしている。
恋愛もの作品が好きだが、所謂オタクの私には恋愛のれの字もない。正直とっくに諦めている。というか、過去のトラウマでやろうと思ってもできない。だからこそ、恋愛ものの作品を見て、幸せそうな男女の関係を見て満たされるのが最近ハマっているのだろう。私は恋愛ができない。
小学生の時も中学生の時も、いっちょ前に好きな子はいた。その中でも一緒に帰ったり、一緒に勉強したり、遊びに行ったりした仲になった子もいた。しかし、それ以上の関係になることは無かったし、それ以上の関係があることも中学3年くらいまで知らなかった。知った時には遅かった。何をすれば良いか。告白ってなんなのか。伝えさきはどうすれば良いのか。わからなかった。そうして、何も伝えぬまま、中学を卒業して、都内の男子校に進学した。
Twitterでたまたま中学最後に好きになった子を見かけた。今思うとかなりの気持ち悪い行動だと思うが、フォローしてDMを送った。返ってきた。当時スマホを持っていなかったので、ガラケーのメアドを交換して、やり取りが続いた。そして、次第に疎遠になった。何をすれば良いのか、わからなかった。気付いたら、関係がなくなっていた。
高校で理系を選択した私は、理系単科大学に進学した。もはやもう恋愛なんてものは程遠い所に行ってしまった。と思っていた。大学1年も終わりの頃、旧友の女子に会った。3年間男子校に通い、オタクを加速させ、見た目も中身も向上させる意欲を失った自分の前に現れたのは、人違いか?と思うほどに変わった友人の姿だった。元々メンタルは強い人間ではなかったが、その日を境に完全にメンタルが弱ってしまった。
「変わらないね」
その何気ない一言には、私を地の底に叩きつけるには十分すぎる威力を孕んでいた。
不思議なもので、メンタルが死んでいるのにそこから何度も会うことになった。麻薬の様なものか、会っている時間だけそれを忘れ、それ以外の時間はもがき苦しんでいた。気付けば、体重は激減し、メンタルは底。なのに自分は人生で初めての告白をした。もちろんダメだった。
分かっていたことなのに、メンタルはやられた。アホ。二度と自分からは言わないと心に誓った。未だにトラウマになって、思い出すと体がビクッとして過呼吸になりかける。
すり減らすメンタルもなくなり、動機が不純過ぎるがカウンセリングを受けた。初回は人生でトップクラスに泣いた。自分が嫌だった。自分が許せなかった。でも、甘やかして勘違いをする自分がいた。それも許せなかった。気付けば、自分の最後の味方である自分を殺していた。
でも、カウンセリングを受けるうちに、自分が許せなくて目を向けていなかった、自分の良いところに気づけた。自分は自分が思う程に悪い人間では無いのかもしれない、と少し思った。それからは少し気が楽な状態で、恋愛のことも忘れ、自分の楽しいことを楽しむ余裕が出来た。恋愛なんてするもんかと思っていたし、する状況にないと思えばより軽くなった。大学3年はそれは楽しい一年だった。
4年になるとコロナ禍になった。部屋でアニメを見て、たまに研究をして、マイペースに過ごせた。オタクのイベントが無くなるのは辛かったが、バイトもなく、悠々な生活をしていた。
していたはずだった。メンタルも平和なはずだった。そんな矢先にバイトが復活した。
世のみんな、巣ごもり生活で人に飢えていたのだろう。ある人物に見つかってしまった。それはバイト先の人間で、今まではあまり話してこなかった同い年のやつだ。
誓は破られた。これが人生初めての「彼女」という存在になった。
ぎこちないながらも遅れた青春を味わっているつもりになっていた。色んなところに行った。しかし怖くて最初に自分から相手に触れることはなかった。
楽しんでいるつもりだった。ドキドキしているつもりだった。でも自分のメンタルは何故か過去最高に落ちていった。
望んでいたキラキラな青春を遅れながらも歩いていたつもりが、何故か自分にとっては茨の道になっていた。何故かわからなかった。それくらいからだろうか。大学に行く朝、自分は線路を見つめることが増えた。
2ヶ月後、漫画のような展開になっていることがわかった。所謂NTRてやつだ。取った本人から暴露されたが、さすがに足が震えた。でも分からない。笑いが止まらなかった。なんか安心感すら覚えた。やっぱりね、という感情か。自分には釣り合わない相手だと思っていたからか。わからない。でもすごく納得してしまった自分がいた。
半ばお前が悪いと言わんばかりに別れを告げられた。何か枷が取れた感覚になった。写真も消した。連絡先はブロックした。バイトは既に抜け出して辞めている。思い出の品は即捨てた。友人と乾杯をした。酒を笑って飲んだ。話をネタにした。涙は出なかった。ここ数年で1番メンタルが良好になった。自由になった。自分を慰めた。自分をもっと好きな自分になる為に、少しずつ努力した。
もっと早い段階で気付くべきだった。自分は誰かとそういう関係になることは出来なかったのだ。ここは漫画の世界では無い。
だからか、自分は恋愛ものの作品を好むのは。自分が好きになる作品には悪い人間は出てこない。皆優しい。主人公たちは幸せになる。
この世界は汚い。これだけ理性的な動物が思慮のひとつも無く本能に走るのが見ていてキレ散らかしそうになる。それが無いのだ、好きな作品には。動物的ではなく人間的な関係で話が進む。自己の本能よりも他人の心を大事にしている。現実もそんな世界であって欲しいのに。
恋愛もの作品の世界はいつまでもカレイドスコープのようなキラキラ世界でいて欲しい。私はそれのレンズを覗き続け、キラキラな世界を見たまま、周りの荒野を再び見ることなく、幸せな気持ちで死んでいきたい。
何を書いているんだかわからなくなった。
どこかで「ぼっち・ざ・ろっく!に続くか?」と『星屑テレパス』を応援する素振りを見せてる奴がいるけど、本音はこういう感じなんだろ?
だったら、はっきりこう言ってやればいいじゃないのかね。
スタッフが発表したけど、ぶっちゃけ「はずれ」だよな。間違いなく、ろくなアニメにならない。
とあるスタッフを「女帝」と揶揄するYouTuberがいるぐらいだ。
制作スタジオも最近はまともな作品が出てない。実際にアニメレビューYouTuberから酷評されている作品が多い。
実際にYouTubeに何個か上がっているよ。今、「星屑テレパス」とGoogleで動画検索したら、この作品が爆死するという予測が2番目あたりに来る。
あの人を小馬鹿にしたような顔のサムネがまさに動画の顔になっている。
「百合はきららの専売特許ではない」「百合はなろうが強いからきららはヒットしない」――まあ、実際そのとおりだよな。なろうアニメが多いのは海外人気で儲かるからだ。これはアニメファンの常識だ。
これで、俺の予想が当たった。「ぼっち・ざ・ろっく!」を絶賛しているアニメファンは『星屑テレパス』を叩くと言ったが、スタッフが発表した時点でそうなってる。
きららアニメには、大ヒット作の次は必ず失敗するという法則がある。
けいおんの次の『夢喰いメリー』がそうだった。だから、ぼっち・ざ・ろっくの次の『星屑テレパス』も同じようになる。
もう、クオリティや売上は諦めて次のアニメに望みを託すしかないんだよな。
あっそういやそうだったな、きららアニメは次がないだっけ(笑)
「カゲロウプロジェクト」や「鬼滅の刃」が示した話ではないか。
鬼滅が凄まじい勢いで売れたとき、「尾田くん...見損なったぞ」とONE PIECEを間接的に叩いてたのは誰だよ。
『ぼっち・ざ・ろっく!』だって、Twitterのフォロワー数や円盤の売上がごちうさ超えたら叩いている奴がいっぱいいたじゃないか。
アニメファンのコミュティは売上でマウントを取るのが日常茶飯事。最高のアニメは最高の武器になる。
だから、『ぼっち・ざ・ろっく!』もいずれあのようになる。『リコリス・リコイル』や『転生王女と天才令嬢の魔法革命』に置き換えてもいい。
『SPY×FAMILY(スパイファミリー)』でもいいよな。ティザービジュアルに映ってるピンク髪の子がいるんだけど、テレパシーが使えるから「アーニャのパクリ」と馬鹿にしてキャッキャしてそうだな。
ネットでは「棍棒で叩く」という比喩があるけど、ぼざろと星テレの場合、「ドスで滅多刺しにする」というのが正しいのではないのかね。
だったら、こう言ってやるよ。
みんなぼざろを持ったな!!
行くぞォ!!
@oricon_anime_
公式Twitterで告知 続報は追って発表
https://oricon.co.jp/news/2249855/
TVアニメジャンル作品として円盤の初週売上が今年度最高を記録したヒットアニメ。
#リコリコ #リコリコ続編 #リコリコ新作 @lycoris_recoil
https://twitter.com/oricon_anime_/status/1624378508343656449
オリコンがツイートの中で「円盤」という単語を使用していた(なおリンク先のニュース本文では使用していない)。この「円盤」という単語はオタク界隈ではあまりに一般的になりすぎているが、テクニカルタームではある。
試しにGoogleニュースを「円盤」で検索してみると、以下の用例が引っかかった。
8LOOM、全国ライブハウスツアー『君の花になる“Let’s 8LOOM”TOUR』の円盤化が決定
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/b5680d3d41862196b964c840e29298e9adc12eb5
マームとジプシーが2作品「Light house」「cocoon」の円盤化のためのクラウドファンディングを実施中!
ttp://enbu.co.jp/kangekiyoho/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%81%8C2%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%80%8Clight-house%E3%80%8D%E3%80%8Ccocoon%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%86%86%E7%9B%A4%E5%8C%96%E3%81%AE/
突然もたらされたビッグニュースにファンからは、「これでまた…生きる理由ができた…」「これは見て円盤もきたら即購入待った無し」と膨らみすぎる期待にぼうぜんとしたという声や
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/c2844f67c56e107241cc39d974100b213ed6c579
「円盤」の過去の使用例を探るためにツイッターで過去ツイートを検索してみる。
"円盤化" until:2012-12-31 - Twitter検索 / Twitter
2012年時点では当たり前のように使用されていることがわかったので、これを1年ずつ時計の針を戻してみる。
円盤化早すぎ RT @biccamera_com: 『劇場版 機動戦士ガンダム00』がBlu-ray&DVDで登場!予約受付開始!舞台はTVシリーズより2年後の世界。刹那・F・セイエイたちガンダムマイスターはついに最後の戦いへと出撃する! http://bit.ly/90XbRw
ttps://twitter.com/Shintaraoh/status/28380388273
2010年時点においてDVD/BDを「円盤」と呼んでいる人がいたことが確認できる。
ぎゃっ!!じぇじゅゆちょサンリオ円盤化決定ー(万歳三唱)!!!
ttps://twitter.com/snow_cherry/status/2780339297
むくむく。おはようございます。SEGA メガCDが12年前に発売された日とかで、このへんを境にゲームソフトの円盤化が進んでいくわけですね。「メガCDで一番のお気に入りは?」と聞かれると「ナイトストライカー!」と答えますが、実は「タイムギャル」の方が好きだったり...えへへ。
ttps://twitter.com/honeybear360/status/1052340814
「円盤化」で引っかかった最古のツイートは以上の2つだが、これはそれぞれCDとゲーム用ディスクを指している。
今月からけいおん!の円盤が発売されるよ ・゜・(ノД`;)・゜・
ttps://twitter.com/nukozawazawa/status/2416776242
いろいろと検索ワードを工夫していたら以上のツイートも引っかかったが、これがCDなのか映像メディアなのかはわからない。
いずれにせよ、ツイッターを調査した結果、2010年までにDVD/BDを指すテクニカルターム「円盤」の使用が始まったのは間違いないだろう。
ところで2000年代にはCCCDを指して侮蔑的に「円盤」と呼ぶ用例があったらしい。これはCCCDはCDの規格から逸脱しているため、CDと呼べる代物ではなく、ただの円盤状の物体だというニュアンスが込められていたようだ。
CD で定められている規格(通称「Red Book」)から逸脱していることより、CD としては認められていません。「CD」という名称で販売するのは消費者を紛らわせる商標(?)であるとの批判もあります。私は CCCD に対しては「円盤」という言い方が気に入っています。
もしかしたら円盤メディアを「円盤」と呼ぶようになったのはPC界隈発かもしれない。
D300発売記念のCapture NXをダウソするかな。本体付属の円盤には収録されていなくて,トライアル版をダウソ→同梱の紙のプロダクトキーを入力 というかたちなのね。Mac OS X版も用意されているあたり,一般人のことを考えているなぅ…
日本語圏におけるツイッターの普及が上記ツイート以降ということもあって、ツイッターではこれ以上の遡りは難しい。
そもそもDVD/BDあるいはCDメディアは形状としてまずもって「円盤」なのであって、ツイートのなかで「円盤」という単語が出ていても、それが形状を指しているのか、メディアそのものの代替語なのか判別しずらい。
以前「ガンダムが!!おもしろい!!」っていう投稿をした増田です。
https://anond.hatelabo.jp/20221002214201
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この投稿のときファーストガンダムは劇場版三部作のみ見ていたのだが、TVアニメ版を全部見るべきだろうというご意見を頂戴していたのと、映画の「ククルス・ドアンの島」を見るに当たりTVアニメ全話を見たので感想を書く。
あと水星の魔女も面白いけど話を聞いてくれる人がいないので書く。
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三部作はよくまとまっているけどやっぱり端折ってしまっていてTVアニメ版を全話見ると情緒に欠けるなと思った。
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リュウ・ホセイが死んだときの絶望感やばい。ちょっとアレな上司を一番うまく扱ってくれてた人が急に退職したときの絶望感を思い出してしまった。
ことあるごとにリュウがいれば…と言ってしまうミライさんの気持ちもわかるよ。
でもなんとかなるんだよな、なんとかなっていくんだよ。ブラック企業で働いててまだ理性残ってる人は勇気出して辞めよう。リュウ・ホセイほどの人がいなくなってもホワイトベースがなんとかなったように御社もだいたいなんとかなるんだよ。
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機械いじりが好きな少年アムロが弱音を吐いたり叱られたり二度も打たれたりしながら戦士として成長していく…、と言えば聞こえは良いのかもしれないけど、
やっぱ自分としてはただの機械好きの男の子が戦禍の中で戦士にならざるを得なかったのが悲しくもある。
何よりアムロが自分から父親とも母親とも決別するところは本当に悲しい。
死んだわけでもないのに10代の男の子が自ら親と決別する道を選ばざるをえない状況が悲しすぎる。
序盤はあんなに拗ねたりいじけたり、年頃の男の子らしかったアムロがア・バオア・クーの攻略戦のときにはホワイトベースのクルーでニュータイプでガンダムのパイロットという立場を認識して、皆の士気を気にして嘘を言っているのがさ…。
そこがあるから家族と決別したアムロが、最終回で「僕には帰れるところがある」と涙を浮かべて言うところは良かったというか、安心した。
ホワイトベースはある種の疑似家族でアムロの拠り所になってたんだなと感じたし、だからこそ数年後のZガンダムの時点で地球で重力の塩漬けにされてんのが悲しいよな…。
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もともとthe originを見てハマったのもあって、シャアとザビ家の関係というのはある程度頭に入った状態で見たけど、物語としてもうちょっとこの辺掘り下げて書いた方が面白かったのではと思った。
ただファーストは打ち切りになった作品とも聴いてたのでまあしゃあないか。
でも全話見た上でこのときめっちゃやり合ってるシャアとアムロがZガンダムで酒酌み交わしてるの胸熱すぎるなと改めて思ってZも見返したくなった。
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ククルス・ドアンも見た。
スレッガー中尉とかいたからTVアニメ版とちょっと時系列を変えてるんだな。
この映画はどれだけ多くのツッコミをするかというところが見どころなんだろうか。教えてくれ詳しい人。
個人的にはヤギ1頭で20人近い子どもたちの乳製品を賄うのは無理があるのではと心配でならなかった。
しかも1頭だけでは繁殖できないので近い将来、子どもたちのカルシウム源がなくなってしまうのも気になるし、
ドアンはちゃんと近隣地域と交流して子どもたちに教育を受けさせてやってほしい。
10年くらい前に見た「東京島」っていう映画を思い出してしまった。ククルス・ドアンの島が東京島みたいになっていかないか不安でならない。
良い点としてはファースト見た直後だったのでキレイな画質と作画で生き生きと動くアムロたちが見れたのは嬉しかった。以上!
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前の投稿のときにはまだ1話とプロローグのみだったと思う。水星の魔女はジェンダー問題やフェミニズムも意識してんのかな、みたいなことを書いた気がする。
その後見たスタッフインタビューで「特別その辺を意識したわけじゃないけど、会社見学に来た若い子にガンダムは若者のものじゃないと言われてショックで、若者に見てもらえるよう意識した」みたいなことが書いてあって、特別ジェンダーやなんやを意識してないのに若者が見ることを意識して作品をつくったらジェンダー問題を意識しているように見える作品になってるのはすごく不思議で面白いなと思った。
見ていてやっぱミオリネをトロフィーワイフ扱いしたり同性婚とか家族関係にかなり踏み込んでいる印象があるんだよな。
「花婿」「花嫁」という旧来的な言葉を使いながらも(たぶんそこを問い直す意味でもあえてやってるんだろうけど)、ここまでしっかり踏み込んで描いていると、むしろ今後やっぱミオリネとスレッタは結婚しませ~んってやるのはすごく不誠実なのでは、と思うし、そうでなくともかなり2人に感情移入してしまっているのでスレミオを結婚させてくれないと俺が泣いてしまう。
前にも書いた気がするけど富野監督は結構女性の描き方について踏み込んでいる印象を持っていて、いろんな女性像を描いてたけどあくまで主人公もメインターゲットも少年の作品というのもあって男社会に抗ったりやりきれない状態の女性(エマ中尉とレコアさんとか)なんかは描いていても最近よく聞くシスターフッド的な女性同士の連帯関係まではなかったんじゃないかと思う。∀のキエルお嬢様とディアナさんは近いかもしれん。(富野作品すべてを見ていないのでもしあるんだったらすまない、教えて欲しい)
水星の魔女は富野作品じゃないけど日和らず突き抜けてほしいし、新しいことやってほしいなあと思う。
アムロにとってのホワイトベースとか、ジュドーとガンダムチームの仲間とか、いま見てる途中だけどVガンダムのウッソとシャクティとか、疑似家族的な拠り所であったり、血の繋がりはないけど家族と同じように大切な関係っていうのを、これまでの作品でも描いてきているから、株式会社ガンダムの仲間がミオリネとスレッタにとって1つの居場所になったり、最近の言葉だとchosen familyになっていったら良いなと思う。なんならダーティペアみたいになってもおもしろいと思う。
ミオリネがスレッタに「ずっとそばにいて」と伝えたみたいに、女の子同士は百合とかでなくても現実の女性同士もだけど、互いに「大好きだ」とか「大切だ」とかを伝え合う傾向があると思う。
ボブ…いやグエルとシャディクとか男同士も互いにふざけたり冗談ぽくとかでなく、大切に思っているとか、大好きな仲間だとかそういうことを伝え会える関係が描かれると良いなあと思う。
男同士はそういうこと言うとすぐにホモネタ(あえて侮蔑語を使ってる)扱いだし、どんなに信頼できる大切な友人だと思ってても「好き」とかは言えないからな。
職場で昨日も「◯◯さんのそういうとこすごい、もう大好き〜」って言ってる女性がいて、改めて思った。「好き」を伝えるハードルが低いと互いを思いやりやすい。
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ここからはオタクの自分語りという一番恥ずかしくて気持ち悪いやつだから無視してくれて良い。
ここ数年、仕事の関係で様々な理由で困難な状況にある子どもたちに間接的に(たまに直接的に)支援する業務にかかわることがあって、
そのせいか、つい俺は10代のアムロとかカミーユとか見て悲しくなったり誰か守ってやる大人はいなかったのかと思ってしまう。
実際にそういう子どもたちがいるという事実とか抱えている事情にふれるだけで結構悲しくなってしまうものなんだよな。ニュースとかで見聞きするのとまた違うというか。
悲しい気持ちになることもあれば、酸素欠乏症のテム・レイのごとく自分がひどい状態であることすら理解できない子もいて、支援を突っぱねたり自暴自棄なケースもあり、
そういう場合にはしんどい中で頑張ってる子もいるのに拗ねやがって、とか自己責任論とかが頭をよぎってしまうこともある。
もともと保育とか児童心理とかケアとかジェンダー論とかそういうのを勉強したこともなかったから、ここ数年は直接関わらなくとも業務上必要となることもあるので
仕事で関わる専門家的な人の話を聞いたり本を読んだりしながら、自分の中の差別心に気づいたり、それを言い訳しようとしたりとか自分の中のバックラッシュ?みたいなものと戦い、
行きつ戻りつしながら、めちゃくちゃ綺麗事で恥ずかしいけど1人でも多くの子どもが幸せになってほしいって思っているし、
マイノリティ性のある子どもたちとか、困難な状況の子どもの支援をしている人は本当にすごいと思う、尊敬する。とてつもなく辛くて大変なことなんだよほんと。
そういう中でガンダムにハマって見てたらなんかもう「親父に殴られたことのない甘ったれのアムロ」とか「すぐ大人に噛みついて口答えするカミーユ」とか「自惚れ増長クソガキのシン」みたいには単純に見れないんだよな。
どんなに辛かっただろうとか考えてしまって。
ちょっとだけいいパパっぽさ出しただけで「愛情のすれ違いなだけで実は良いパパ」みたいな印象になりつつあるデリングのことも愛があっても子どもに伝わらなきゃ意味ないだろ!!子どもの心が傷ついてたらダメだろうが馬鹿野郎!って思ってしまうし。
でもこういう目線で見れるようになったことで富野監督の作品やガンダムの今まで気づけなかった面白さにも気づけたと思うのでまたガンダムシリーズを見たら感想を書きたいと思う。
ぼっちざろっく アルバム 「結束バンド」オリジナル曲の女性成分を調べた
TVアニメ『#ぼっち・ざ・ろっく!』の劇中バンド・ #結束バンド が、女性グループ初の4週連続デジタルアルバム1位を獲得しました🎸🥁🥳
(略)
https://twitter.com/oricon_ranking/status/1615464101102198790?s=61&t=IXTKfpbDdkg_drAYPf2DwQ
「女性グループって設定だけどおっさんが作詞しておっさんが作曲しておっさんが演奏してるじゃん」
といった趣旨の意見を見たので、実際はどうなのか知りたかった。
→樋口愛、ZAQ、中嶋イッキュウ、音羽-otoha-、北澤ゆうほ
男性8%
→谷口鮪
女性53%
→草野華余子、中嶋イッキュウ、音羽-otoha-、北澤ゆうほ
男性47%
→三井律郎、akkin
→ドラム:比田井修、ベース:高間有一、ギター:akkin・三井律郎
→喜多郁代(長谷川育美)、山田リョウ(水野朔)、伊地知虹夏(鈴代紗弓)
編曲は少数の人がやっていることで、バンドとしての統一感をコントロールしてるんだなあと思った