はてなキーワード: ホームドラマとは
本当のオールタイムは選べなかったため平成に絞って俺もやる。テレビドラマは消えものでアーカイブされにくいジャンルで、時代をここ35年に絞ってみても網羅できないという問題はある。そのため、俺の観ていない重要作の話をどんどんしてほしい。1脚本家1作品に絞った。俺はテレビドラマは脚本家のものだと思っている。
トレンディドラマの代表作の1つにして、トレンディドラマの終末期の傑作。フジ「月9」枠の代表作でもある。「東京では誰もがラブストーリーの主人公になる」をキャッチコピーに掲げ、等身大の若者たちの姿を描き出した。2010年以降の坂元裕二の影響なども考えランクイン。
こちらもトレンディドラマの終末期の傑作であり、お世辞にも男前とは言えない武田鉄矢の叫びは、"トレンディ"の終わりを印象付けた。TBS『高校教師』でも、好きな野島作品に入れ替えてもらって構わない。90年代には確かに野島伸司の時代があった。
田村正和亡き今も、再放送され、パロディされ、やたら話題になる三谷幸喜のコメディ。ホームドラマや恋愛ドラマなど、会話による人間関係の機微などを守備範囲にしていたテレビドラマが、ストーリーのダイナミズムによる面白さにシフトしていったのは、アメリカのコメディから影響を受けた三谷幸喜の功績がある。個人的には『王様のレストラン』のほうが好み。
他のタイトルに合わせて脚本家をクレジットしたが、今作を選出したのは何といっても堤幸彦の出世作ということにすぎる。『ケイゾク』『池袋ウエストゲートパーク』につながる斬新な演出は一時代を築いた。「土曜グランド劇場」に旧ジャニーズの若手が主演していくのもこの頃からで、後の『透明人間』『ごくせん』『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』などにつながっていく。
「テレビドラマ」というフォーマットを映画館に拡張した功罪ある作品。テレビドラマのメディアミックスの先駆けといえ、映画館はこれ以降テレビ局製作の作品であふれることとなった。『踊る大捜査線 THE MOVIE』は未だに実写の日本映画の歴代興行収入1位に燦然と輝いている。今秋新作が公開された。
21世紀最初の朝ドラ。シリーズ化され、現在も再放送されている。『ちゅらさん』が描いた疑似家族によるホームドラマはその後も『すいか』『11人もいる!』『逃げ恥』『カルテット』と平成ドラマの1つのパターンとなった。岡田惠和の功績は膨大な作品数の作品を書いていることで、彼がいなければこの時代のテレビドラマシーンは空洞化していたかもしれない。
クドカンは物語自体の面白さに注目されがちだが、彼の功績は、若者たちがダラダラ話すという「日常ドラマ」を描いて見せたことにある。彼の脚本は、小ネタやギャグがストーリーに連結してゆく。木更津という周縁の田舎の共同体の風景がドラマになるということは革命的出来事だった。大きな物語を失った後のゼロ年代的転換。
遊川が成し得た功績は『女王の教室』の真夜(天海祐希)のような強い、誇張されたキャラクターによるドラマを成立させたこと。それは後の『家政婦のミタ』の大ヒットにもつながった。彼の過剰な演出は賛否が分かれるが、常に時代と向きあい続けるための一つの方法論なのかもしれない。
2000年代後半に停滞していた朝ドラの復権は間違いなくこのドラマからで、この作品がなければ『あまちゃん』ブームもその後の『ごちそうさん』や『あさが来た』『ひよっこ』などの良作、令和の『カムカムエブリバディ』のヒットも存在していなかったと過言しておきたい。そういう意味でハッシュタグなどでのTwitterなどの賑わいにも一役買っている。朝ドラの復権は同時にその後のNHKドラマの復権を意味していた。
TBSドラマの復権ということでいうと後述の『JIN-仁-』を挙げてもよいのだが、その後池井戸潤ドラマの隆盛という意味でも半沢直樹を。いうまでもなく『VIVANT』へと繋がる日曜劇場の系譜である。主演の堺雅人は『リーガル・ハイ』や『真田丸』という傑作でも存在感を示した。
本当は問答無用に最重要作として今作を挙げたかったのだけど、視聴率や知名度を考えて日和ってしまった。今作は『ちゅらさん』で描かれた疑似家族によるドラマ、『木更津キャッツアイ』で書かれた日常のやり取りのドラマを深化させた。そこに大島弓子的ファンタジーをブレンドさせ、ドラマが物語る対象を変えてしまった傑作。
90年代と10年代の坂元裕二を別人とするなら10選にねじ込んでしまいたい。10年代の坂元裕二作品は、テレビドラマが扱えるダイアローグのレベルを一段上へと引き上げた。10話における瑛太と風間俊介の会話は他に代わるもののない名シーンだと思う。現在のドラマシーンは、坂元裕二のフォロワーで溢れている。
これだけトレンディドラマの話をしているのに、鎌田敏夫の名を漏らしてしまい、それは平成以前になってしまうので、それ以降から一作挙げるなら『29歳のクリスマス』を強く推したい。元祖『9ボーダー』。取り巻く環境は変わっても、年齢を巡る憂いは不変のものなんだと。
坂元裕二と並び、この時代の天才をもう1人挙げるなら、野沢尚を挙げてしまおう。野沢の深いキャラクター造形はその後の作品に影響を与えた。彼が存在し続けたら、この選も変わっていただろう。またキムタクドラマも1本を挙げていないというのも偏っている。それだけこの時代の彼の存在は異常だったのだ。挙げるならこの作品を挙げたい。
あるいは今作か。トレンディドラマと2000年代の間には間違いなく北川悦吏子の時代があった。北川悦吏子は近作が色々言われることもあるが、それは(例えばミスチルがそうであるように)強烈に時代と寝た人物にだけ得られる特権だ。そのため、俺は何があっても今後北川悦吏子を擁護し続けていきたいと思う。
この10選からは確実に存在していた深夜ドラマの文脈がごっそりと抜け落ちている。『孤独のグルメ』や『おっさんずラブ』に繋がっていくような深夜ドラマの系譜。『時効警察』はシティーボーイズの放送作家三木聡の最高傑作である。近年では主演だったオダギリジョーが謎の力でそのパロディをNHKドラマ⇒映画化までさせているが、盛大にスベっている。
一部では「朝ドラ史上最高傑作」の呼び声もある今作。戦争もの・女の一代記としての朝ドラ。岸和田の街に生まれ、生きて、老いて、死んでいく強いヒロイン。渡辺あやは強烈な作家性を朝ドラにおいて発揮させ、それはこれ以降の朝ドラの指針が転換される契機にもなったのかもしれない。(だからこそ『純と愛』などが生まれてしまったとも言える)
坂元裕二、岡田惠和、宮藤官九郎、遊川和彦、木皿泉、渡辺あやらの作品を挙げておいて、森下佳子の名前を出さないわけにはいかない。構成力という点で彼女の右に出る者はいないのではないだろうか。森下佳子の手にかかれば、物語における伏線は人生の因果に映り、プロットは運命へと変貌する。TBSドラマの復権のきっかけとしても、今作を挙げておきたい。
野木亜紀子を10選から漏らしてしまったのは痛恨の極みであるが、令和の選が今後もし出来るなら1番に入る人であるのでご容赦いただきたい。社会的テーマをポップにテレビドラマの次元で取り扱い、ヒットさせてしまったのは見事。野木亜紀子はもともと原作ものの実写化の手腕に定評があったが、『アンナチュラル』『MIU』とオリジナル作品もヒットさせている。
中学生の時の英語の先生が生理的に無理で苦手意識があったため全くできないのだが、ふと思い立って勉強しなおすことにした
いろんなyoutuberがおすすめしておりジュンク堂もプッシュしていた本「中学英語をもう一度ひとつひとつわかりやすく」を買った。
本当にわかりやすく丁寧で「そういうことだったか」と改めて理解できるので本当におすすめ。
で、これで1年過ごすかなと思ってたが3日で読み切ってしまった。案外このレベルはいけそうである。
というわけで本題。
とても真っ当に勉強しようとNHKのラジオ語学講座をいろいろ聞いてみることにした。洋画洋ドラが英語で見たいのだ。
これはサンシャイン池崎がすごくうるさい。
でもおそらく番組としては一番面白いので小学生は楽しいと思う。サンシャイン池崎も好感度が高い。嫌いではない。イェーイ
サンシャイン池崎を通過したのでとても真面目に聞こえる。
しかし4月の新シーズン1回目。主要キャラクターの名前を聞き取れという問題が「グレイ・リドリー」なのは意地悪すぎる。ケンとかバービーでは駄目だったんだろうか?あとグレイやばそうな雰囲気出してる。中2病かもしれない。
中学英語で引っかかってる人はここから始めるのがいいと思う。レベル1は中1最初の授業から英語避けてきました!って感じだったので。
シャドーイングとオーバーラッピングを促してくれるのでラジオを聞いているだけで自然と英語学習になる。
こちらの設定はボストンが舞台だがレベル1と比較すると普通。出てくるメンツもまともそう。レベル1のストーリーとかストレンジャーシングス始まりそうだったけど、レベル2はホームドラマ感。
単語を4つ解説する短い番組。正直聞かなくても単語帳勉強するほうがいいかなと思ったけど日本人MCが桜田ひより。「明日、ママがいない」を見てたのでずっと応援してるし和む。和み枠。
短い番組で英語のストーリーを聞くだけ。難しい文法を使っていないのはわかるが日本語訳などはついていないので初学者には厳しい内容。今のところ普通のストーリーすぎてレベル1が懐かしくなった
無理!
無理!なんだけどニュースは海外表現も学べるし内容もリアルタイムで各国で共有されるので勉強にいいらしい。こないだ話題になってた「やさしく読める英語ニュース」のサイトをまず見てみようと思う
玄人向け
オールイングリッシュの授業だが、これがとてもいい。出てくる英語は難しくはないし、講師もゆっくり喋ってくれる。あと英語勉強中の学生「モエノ」がすごく可愛い。とてもかわいい。正直顔も知らないしパプリカのメンバーと言われてもピンとこないが、声や照れ方や受け答えのすべてが可愛い。耳が溶ける。講師陣も「あらかわいい」みたいな反応しているし、多分朝ドラヒロインになると思う。顔知らんけど。これは聞く。可愛い枠。お前らも聞けよ勿体無い。
王道中の王道。で結局これがいいのはわかった。ロリコンだと思われたら困るので、大西泰斗先生と結婚するつもりでこちらを重点的に勉強したいと思います。
学校の修了式が終わったその日、帰り道で
告白していたのは隣のクラスの名前だけ知っているような男で告白されていたのは俺がよく知っている女の子だった
その子とは小さい頃は仲が良くて、花火大会に一緒に行ったこともあった。しかし、その告白された時期は疎遠になっていた。思春期だし
結果も聞かず、俺は自宅に帰り、部屋に寝転がってなんとなく心が痛みだしたっけ
よくわかんないけど、失恋ってやつ?
あー多分それだなって
ずっと前に撮ったプリクラとかやめときゃいいのに眺めてみたりして
メアドも交換してはいたんだけど一年ぐらいメール送ってなくて今さら何か送るかってなったけど
「風邪とかひくなよ」ってアホか当時の俺は
で、そんなこんなもう夕方になって
母親が帰ってきたから部屋に篭ってるわけにもいかずリビングに降りたら
白い箱をテーブルに置いてる母がいて
「ショートケーキ買ってきた」つーんだよ
ガキじゃねーんだからショートケーキなんかで喜びはしないけど腹も減ってたし「食うわ」って
ショートケーキを皿にも出さず、箱から素手で食べた。母親もちょっとびっくりしてた
んで、口の中ですんげーすっぱいなんかが暴れてるわけ、なんだこれ?レモンか?と思ったら
いちごってこんなにすっぱかった?とほんと
びっくりした。
「あれ?もしかしてケーキ美味しくなかった?」と母親が心配そな顔して言うから
「いや、母さん、んなことはねえよ」
「ただ今度はな、にっがいチョコレートケーキが食べてぇんだ。にっがいやつな」
と俺は言った
と同時に、容姿がどうのこうのってジェンダー論の本筋じゃないような気がするね。
ただ、世の中がどんなにかわっても、結局、男性が女性を評価する、という構図だけは大きく変わってこなかったとは思う。
男性視点だと、お姫様的な価値と嫁としての価値が伝統的な二大価値、かなと思う。単純化すればですよ、もちろん。
そこに、80年代、バブル期にキャリアという価値が新たに追加された。
キャリアウーマン価値は今再放送している東京ラブストーリーに象徴されるトレンディドラマにみられるように、女性にお姫様でも嫁でもない新たな価値を見いだせると夢と希望を持たせたものの、
結局男性社会を固持する組織風土が根強く、男性に伍して働くことが強制された挙句、ガラスの天井が待っていた。女性を失望させたのがこの40年。
男女雇用機会均等法で頂点に上り詰めたのはほんのごく一部。そもそも嫁価値も求められながら、職場では男性に伍して、という条件はあまりにもハンデだ。
一方、家族構造は戦後、大きく変化して、嫁的な価値は低下。強制的に嫁を教育し、家にそぐわなければ排除も辞さない、子供を産めないなら出ていけという、そんな社会ではなくなった。
なので、そんな時代を反映したおしんや、ふぞろいの林檎たちといったドラマはリアリティを失っていく。
日本社会は、この男性目線で最後に残ったこの価値も何かぼんやりとしたものになってしまったのではないか。テレビドラマの傾向をなんとなくみての感想だけど。
トレンディドラマは、お姫様価値+キャリア価値で、美男美女をおしゃれな職場に登場させて、視聴率をゲットしてきたが、うそっぽくなってしまった。
韓流ドラマはトレンディドラマの潮流を直球で引き継いで、朝鮮半島の男尊女卑の文化を背景に、お姫様価値を全面に打ち出してヒット。いまだにトレンディドラマ路線でいける。韓国では嫁的な価値がいまだに高いので、トレンディドラマにホームドラマをミックスさせたのが韓流となった。
しかし、日本の製作者(男性)からみると、トレンディドラマ自体が空々しいものになってしまって、方向性を見失っている気がしている。
そもそも、お姫様価値なんて、男性からすると嫁的な価値を得るためのジャンプ台のようなもので、嫁的な価値が低下した今、女性にあんまりお金をかける動機付けがなくなってしまった。
しかし、女性からすれば、キャリアもだめ、嫁的な価値も不要ということになれな、お姫様価値を磨く以外に、自分の価値を高めるすべがない(もちろん極論)。
そんな時代は、女性からすれば、不安なんじゃないだろうか。存在論的に、というか承認欲求的にというか。
そんな不安な時代だからこそ、お姫様価値にますます神経質になり、
という「恐怖」に結びつくんじゃないだろうか。
ふだんはドラマ・映画の感想は自分のブログに書いているが、配偶者のDV・モラハラを疑っているため、ここに記す。
2020年大河ドラマ『麒麟がくる』は事前の大々的告知もあり、最終回前は注目を集め、記事によると放送直後、#麒麟がくるは、Twitterトレンド世界1位だったそうだ。
織田信長と明智光秀(十兵衛)の関係破綻による悲劇、そもそもずっと理想を追い求め、生身の信長の寂しさに気づいていなかったのではと、視聴者総ツッコミの美しくも切ない、すれ違いのプラトニックラブストーリーだった。
最近、BSで再放送され、視聴した大河ドラマ2作品(独眼竜政宗、葵三代)と、第33回「槍ドン」で強烈なインパクトを与えた『おんな城主 直虎』、今回の『麒麟がくる』を比較すると、従来はホームドラマ、最近はミステリーないし政治劇・心理ドラマであり、戦のある、古の衣装をまとった文学作品のようだ。昔は、世界の平和(作品中では「平らかな世」)を追い求める主人公は漫画・アニメでしか描かれなかったが、実写に進出し、より現実味を帯びてきた。
どうみても、本能寺の変は、織田信長と明智光秀のこじれた関係が原因としか思えず、光秀は別の可能性(復讐に燃えた野心家・急な判断力低下)もあり得るとしても、信長は史実として、この性格・考え方だったのではないかと感じた。確固とした自身のビジョンはなく、信頼した「誰か」の願いを叶えるために行動し、武力と調略をもって国内統一を目指した。心から信頼した相手は光秀ではなく、別の小姓・家臣や妻(側室)かもしれない。信長の第一のアドバイザーがもし光秀なら、戦国3英傑ではなく、4英傑だ。画面の端々から、なぜ明智十兵衛光秀の味方となる武将が少なかったのかも痛いほど伝わってきた。実質No.2が操りきれなくなったNo.1を奇襲で弑逆するなど、茶番でしかない。
ネット上ではDV彼氏・メンヘラ彼女・暴走する公開パワハラ社長などと評価された染谷将太演じる織田信長。ああいった行為は、人として誰もが行うべきではないのなら、いま受けている配偶者の自分に対する行動は、まさにモラハラかもしれないと気づいた。なぜ一方的に罵られるのか。悪気はないようだが、床や机の上を掃除しろ、仕事より子育てを優先しろ、都心に買い物に行くな、温泉や美容院、映画館などに行くなと命令されるのか。世間では夫婦の年収比率は7対3や9対1で、ゆえに妻が家事育児をワンオペで担うケースが大半だと思われるが、幸か不幸か、賞与を含めて5対5か6対4、抜くと7対3である以上、偏る負担に納得できない。子どもの教育に投資するべき、移動時間の短縮に費用を投じるべきという意見は受けれられない。
「こじれた関係は終わりにしよう」。終わらせるのも正義、終わらせず生涯尽くし続けるのも正義。
「謀反人・明智」への評価の低さは、日本人は忍耐こそ美徳と判断するからだろう。それなら、もう生きずに死したほうが楽かもしれない。心を落ち着け、子どもの頃のように眠りたい。罵倒を受けずに、仕事の目標達成や子育てを全て放棄して。開放されたい。……同じような終幕の漫画・アニメは無数に見てきた。それをフツーの日本人が見る(もはやドラマ・アニメ好きしか見てないかもしれないが)、実写の大河ドラマ枠で描いたのはやはり驚きだ。
少子化による血脈途切れのため、ラストかラス2になりそうな天皇のいる御代・令和は、何度でも人生をやり直せる、リセットできる、生きやすい世の中であって欲しい。将来「とんでもラスト」と批判されるであろう、実は生きていた主人公が馬に乗って駆けていく『麒麟がくる』のラストシーンに触発を受け、自分語りしてみた。
動画配信サービスと契約して、ドラマや映画を手あたり次第見るようになって気付いたんだけど
どうやら、父と娘ものが好きらしい
ホームドラマみたいな
「むすめちゃーん、行かないで~」「パパうざーい、干渉しないで~」ってほんわかした感じじゃなくて
立派な父親でありながら、見た目は厳しい人間像でありながら、実は弱い、というのがかなり来る
ときめく。泣ける。
守ってもらったり、弱さを見た時は愛おしく感じる
愛おしさは、家族への親愛の情、だけと言いたいが、完全に異性として情愛がある
やっぱり、それなりの年上の男性で
その人の色気はもっとストレートに、たとえば色が黒くて、がっしりしてて、毛がもじゃもじゃしてて、っていう見た目と、
子どもみたいに無防備で、かわいくて、かつおそろしく残酷な内面、
気付いたら時を忘れてその人に吸い込まれている、みたいな
だけど父親のように慕うことはなく、抱かれる夢も見ない
混乱している
プライドをなくせと言われてもさ、むずくない?25年培った価値観はそんなに変わらないぞ。
母には「勝ち負けにこだわるよね」とよく言われる。あまり自覚は無い。
高校時代に「それは幼稚な思考だよ」と言われた思考があって、チョコケーキとショートケーキがあったときに、チョコケーキが食べたかったのだとしたらショートケーキが食べたいと言えば、ショートケーキが食べられたら宣言通りのものが食べられた訳だし、チョコケーキが食べられたら期せずして本来食べたかったものが食べられるからどちらだとしても負けないのよ。
と思っていたし、これに近い行動原理を持っている。そうか、つまり負けることをしたくないのね。
だから負ける可能性がある、「自分で選択する」と言うことが心底したくない。
この価値観がいけないのだろうか。
類似のもので、クドカンの10年前くらいの深夜ドラマで「11人もいる!」っていう神木隆之介主演のホームドラマがあるんですけど、そこで5女だかの女子高生がモデルオーディションにうっかり出ることになって、普通にやって落ちるのが嫌だから敢えてスク水で出るっていうシーンがあってさ、
登場人物が全ていい人だったし、演者も素晴らしかったし、お仕事ドラマとしてもホームドラマとしても楽しめる作品だった
ドラマとしては十分に楽しんだ
けどどうしても引っ掛かる
「めちゃくちゃ仕事はできるけど家事は何一つできない男性と家政婦として働く女性のラブコメ」が男女逆転しただけで、こうも好意的に世間は受け取るもんなのか?
多分「仕事ができる男性×家政婦の女性」だったら、「なんたる古い価値観!」って叩かれると思う
けどそれに対して、「じゃあ男女逆転してみますね!」って……それが新しい価値観なのか?って考えると疑問だ
最終回で、女性主人公(仕事ができるが家事が出来ない若い女性)に、家政夫の男性が「私は貴方より二十以上年上なので先に逝くし、介護や何やらで貴方の未来を奪ってしまう」と言うと、女性が「もし介護が必要になったら私が仕事をもっと頑張って稼いで、介護スタッフを雇います」って答えるシーンがあった
その返答に家政夫の男性は面食らって少し笑ってハッピーエンドになった
現実で、「俺は仕事があるからと言って夫が子育てを手伝ってくれない!」っていう女性の憤りエッセイ漫画とかよくあるけど、それに対する反応として「仕事を頑張ってベビーシッターを雇えばいいですよね!」とか言うと多分すげーキレ散らかすだろうになーって思うともやもやした
自分は女だけど、女の側も新しい価値観の好い部分だけ都合よくつまみ食いするのは良くないよなあと思う、そういうお気持ちのはなし
あるよ。とりあえずホームドラマでも見たら?
飽きないかどうかはわからないけど、個人的に好きで飽きずに見たものを。上3つは特におすすめ。
・ACCA13区監察課(群像劇、考えながら見れる、暗め静か)
・僕だけがいない街(サスペンス群像劇、考えながら見れる、暗い)
・活撃刀剣乱舞(バトル、暗い)
・恋は雨上がりのように(純愛、静か)
・機動戦士ガンダムUC(SF、暗め)
・リトルウィッチアカデミア(学園ファンタジー、明るい)