はてなキーワード: ビジネスとは
先日、フリーランスとして手伝っていた会社が倒産した。この業界で20代後半まで活動してきて、感じることがたくさんあるので、思うままに書いてみたい。
学生時代の私は、「"死んだ目をして満員電車に乗って働く"なんて絶対嫌だ」と思っていた。いわゆる意識高い系で、海外ボランティアに参加したり、地方創生を掲げて学生ながらイベントを開催したりしていた。あの頃、周りの謎めいた大人たちを妙に尊敬していたし、なぜ社会や世界が変わらないのか、本気で嘆いていたように思う。
就活時には「スーツを着て面接なんてダサい」と反抗的な姿勢をとり、仲間とそんなスタンスを共有しながら、迫る社会への不安を分かち合っていた。
それから10年近く経ち、振り返ってみると、自分も変わったなと感じる。大学時代の自分をこうして振り返ると、つい冷笑してしまうし、同じような学生に出会うと、自分が昔嫌っていた皮肉なおじさん的な振る舞いをしていることに気づき、少し恥ずかしくなる。
あの頃の私は、卒業後も「Twitterで話題のWebエンジニアブーム」に乗り、プログラミングスクールに通い、新卒でベンチャー企業に入社して海外で働く――まさに意識高い系トレンドを突き進む、典型的なミーハーだった。今振り返ると、当時の自分が滑稽に思える。
この記事で伝えたいのは、「誰もが成功するわけではない」という、当たり前だけれど大切なことだ。学生時代の意識高い系の友人たちも、今ではその勢いを失った人が多い。ワーホリで海外をさまよう者、鬱で社会復帰が難しい者、愚痴ばかり言う者、死んだ目をして満員電車に乗って働く者――それが現実だ。
また、当時関わっていた大人たちも、学生をうまく利用したい人や、社会の第一線から退いた人が多かった。地方創生も行政にとっては「メリットのないことをやってくれる人材」を求める施策に過ぎず、学生をおだてて地方移住させる行政職員を見ると、なんとも言えない気持ちになる。
「スタートアップで上場して億万長者になる」という夢物語も簡単には実現しない。私が関わった3社も、事業整理で撤退、コロナで身売り、倒産と、どれも悲惨な結末を迎えた。資金調達の熱狂が終わり、エクイティの関係で撤退もできずゾンビのように続ける社長たちも多く見てきた。VCが学生をそそのかして起業させる光景にも、時折やりきれない思いが湧く。
「いい加減、俺にも夢を見させてくれ」と叫ぶ過去の自分と、「これが現実か」と冷静に受け止める今の自分がいる。
債権者集会で、髪が乱れ、うつむいたままの社長を見たとき、言葉にできない感情がこみ上げてきた。
そんな中、スモールビジネスブームに乗り、私はのらりくらりと会社を始めた。先日決算が終わり、売上は3000万、年収は2500万ほどになった。ミーハー意識高い系バンザイ。
姓が変わると論文やビジネス業績の連続性が途切れるから夫婦別姓にする必要があるって説明おかしくない?
個人の識別はファーストネームが担当するべきであって、家族を識別するファミリーネームの性質を破壊して個人の識別に使うって発想が気持ち悪すぎる。
先日総資産が3000万を超えました。やったー!
やったことは単純で、sp500に貯金を全部突っ込んで数年放置しました。
18歳から働きはじめ特に散財することもなく毎年100万貯めました。
25歳くらいで700万ありましたが、仕事で鬱気味になり自暴自棄になって全額投資へ。
それから毎月10万積み立てを続けて、ボーナスが入ったときや生活費が余ったときにはそれも考え無しにつっこんでいました。
コロナショックの直後だったこともありここ数年で上がる一方。気付いたら3000万に届いていました。
途中チャートがガクッと下がることもありましたが自分の平均生活費は把握してるので焦りもありませんでした。生活防衛費も一応確保してました。
(大体月15万くらい。切り詰めれば11万くらい)
リアルの話し合いならこれからも付き合っていく相手とすり合わせて妥協点を探らざるを得ないけど
ネットの向こうにいる匿名もしくはハンドルネームしか知らない奴なんて病もうが死のうが関係ないもんな
昔表現の不自由展について中村佑介と後藤正文とで見解の相違があったときに
ビジネスネーム使えばいいじゃんとかいうけど、めちゃくちゃ面倒じゃない?
結婚して姓変わってから転職したら新しい姓にするのかとか(実際その後離婚して姓変わった人が説明して回ってるの見たことある)、医師免許など検索するのは戸籍の名前じゃないといけないから検索に引っかからない場合は一度確認しないといけないとか、仕事していく上での不便さって結構あると思う
手続きだけで言えば、名前の漢字が環境依存文字の人の不便さくらいある気がする
でも別姓にすればこういう面倒なこと全部解決!
特にHPとかに名前載るタイプの人(教授とか、論文書くとか)関連は大分楽になるような
むしろこの不便さを受け入れてるの変じゃない?
選択的夫婦別姓は避けられないと思うのだけど、だからこそ導入前提できちんと議論してほしいなと思います。
このテーマって、ネットやメディアでは強い言葉ばかりが紹介されていますよね。
自民党が見向きもしなかったのが一番悪くて、状況を打開するためには過激な意見が必要なことや、当事者のつらさがあることも理解できます。
ただ、「同姓sage」をした上で「別姓age」というアピールの仕方ばかりしてきたから、このままいくと結構な軋轢があるんじゃないかと思います。
「選択的だから…」と言いつつ、別姓を選ばなかった人をなんとなく小馬鹿にしているように見えちゃっているということです。
国会ではこれを一度きちんとリセットして、別姓を選ぼうが、同姓を選ぼうがフラットな目で見られるような議論を展開してもらいたいです。
たとえば、今でも夫婦どちらの姓にするかは完全に自由ですよね。
でも、実際はほとんど女性が姓を変えていて、それが良くないと言われています。
「選べる」からといって本当に本心から選択できるとは限らないから、「選択的夫婦別姓」という仕組みが求められているわけです。
私は九州出身のひとりっ子なんですが、母が女きょうだいだったので父が姓を変えました。
ネットでの悪名通り、九州なので実家に帰れば家族からまだ結婚しないのかと言われます。
特に圧が強いのは祖母で、こないだも「姓は残さないかん」と説教されました。
「婿」をとってまで姓を残したのに、お前が絶やすなということです。
(祖父は7人きょうだいだったけど、弟が姓を変えた結果、男だった祖父1人だけが姓を継いだ)
なので仮に選択的夫婦別姓ができれば、私は別姓を「選ばないといけなく」なります(相手が同意してくれれば同姓もありえる)。
これって姓を変えるのはほとんど女性という構図と似ていませんか。
相手の姓になるという選択肢もあるし、姓の継続を強要されたわけでもない、ただ空気感でそうなってしまうし、拒絶するほどでもない。
どちらかというと薄っすら不満、みたいな。
別姓導入のための「選択的だから誰も困らない」みたいなクリシェを見せられると、なんだか自分が透明化されている感じがしてしまいます。
私は家族が嫌いなわけじゃないのでまだそれでも良いんですけど、たとえば親の影響下から離れたいと願っている人とかには結構きついんじゃないでしょうか。
また、そういう場合、子どもの姓をどうするかという問題が出てきます。
それから旧姓の問題。選択的夫婦別姓を推進する観点からは、旧姓では不都合が多いことが指摘されていますよね。
それはその通りだし、別姓で救われる人がたくさん出てきたら良いなと思います。
一方で少し疑問なのは、この手の意見は旧姓使用に不都合を感じている人が、みんな別姓になることを前提にしていないか、ということです。
経団連とかは戸籍姓とビジネスネームの二重管理によるコストを問題視しているみたいです。
そうなると選択的夫婦別姓になったら戸籍姓とビジネスネームの一致が求められますよね。
戸籍姓を選択できるのに、仕事で旧姓を使うのはそんなにおかしいことでしょうか。
選択的夫婦別姓の代表的な反対論に「家族の絆が壊れる」というのがあります。
私自身は実際には何とかなるんじゃないのという気がしますが、それでも「家族みんな同じ姓が良い」というニーズは他人に押し付けない限り、素朴で理解できるものです。
仕事では旧姓のほうが便利だけど、プライベートでは多少の不便さはあっても戸籍姓のほうが良いという要望は認められないのでしょうか。
あるいは結婚したばかりの人が、自分は望んで同姓派だけど、この会社にいる間は旧姓を使ったほうが便利だ、みたいな判断できなくなるのでしょうか。
繰り返しますが、私は選択的夫婦別姓に反対していません(消極的賛成)。導入は避けられないと思っています。
上であげた想定も、だから選択的夫婦別姓を辞めるべきだと言いたいから出したわけではありません。
私が望んでいるのは、導入することを前提に、本当の意味で個人の自由が守られるための議論をしてほしいということです。
選択的夫婦別姓と一口に言っても、その動機はさまざまですし、制度設計の方法も色々あるんだと思います。
でも、選択的夫婦別姓の導入が決まらない限り、いつもは弱者や少数派を大事にしている左派知識人は言及できません。
だから、導入を確定させた上で、そういう頭の良い人たちに、抜け漏れがないよう色んなケースをしっかり列挙してもらい、どうやったら解決できるかを検討してもらいなと思っています。
普通の日本出身で、海外で出張程度でも仕事する機会があると本当に大変。
取引先から、ビジネスネームでホテルの予約や、セキュリティの厳しい場所で、登録をされていて
それだけではなく、
本人がキチンと受け取っているのか?
たかだか口座名やカードやの名義変更手続きの煩雑さ以上の面倒な事が起こる。
なので、まずこういう部分をなんとかしてほしい
・子供の姓どうするの?
⇨便宜上どちらかの姓で育てる必要はあるだろうけど、成人後、好きに選べてもよいのかなと思う。国籍と同じように。
例えばパスポートとか身分証とビジネスネームが違って、本人を証明するにあたってかなり不便なことを解消したいとか
あくまでも結婚後も仕事を続けて不便に感じる制度を変えたいと考えてるだけ。
・なんで結婚したいの?
⇨一緒にずっと生きていこうと思ったから。 事実婚にしなかったのは、税制などの都合で。
⇨手続きが面倒なのではない。
クレジットカード、パスポート、免許証、銀行口座、全て本名(というか夫の姓)で、
・むしろ姓にこだわってアインデンティティをそこに求めてる人たちなの?
⇨仮に、結婚して苗字が変わってから仕事で成功して、パートナーの姓で活躍するようになった場合
内容的に夫婦別姓を実現して自分の姓を残したい女性に向けた質問っぽいな、既婚男性だが賛成派なので回答してみる。
これ、経団連のホームページに掲載してる旧姓の通称使用によるトラブルの事例な。
どっちかっていうと同姓にすると姓を変える側(主に女性)がこれだけの不利益を被るから救済したいって気持ちの方が強いと思うぞ。
夫婦別姓が定着したら余計な手間のかかる姓変更が煙たがられる可能性は否定できないが。
普通は夫の姓だろ。思想強めの妻なら夫婦で協議って感じじゃね?
経団連のとこにあるように色々と煩わしい手続きやケアが必要でキャリア面で不利なのは否めない。
これはよく分からんが個人的にはパートナー制度とか法律が複雑になるだけの意味不明の制度作らないで欲しい。企業も役所も余計な業務パターンが増えるだけで社会的にマイナスでしょ。
上に書いた通りマイナカードで解決出来ることだけじゃないので。特に海外。
https://anond.hatelabo.jp/20241029111821
ブコメで「副業したい人の労働力は潜在的に余っている」みたいなこと言ってる人が居るが、本当なんだろうか?
(俺もだけど)どうしても「労働力があれば売上が立つ」→「潜在的な労働力があるならもっと儲かるかもしれない」みたいに安易に考えちゃうんだけど
儲かるネタがあって、そのネタを運営してる会社が利益最大化するために最適な人材を雇うんだよね
その時の人材は誰でもいいってわけではなくて、賢さや働き方や給料など厳しい制限があって、適当な人を大量に雇うとむしろマイナスとなってしまう
と考えたときに、「副業したいけどできてない潜在的な労働力」って実はマイナス人材なんじゃないかと思うんだよね
そういえばベーシックインカムについて、岡田斗司夫だったかが「無能なやつは金あげるから何もするなっていう制度だ」みたいなこと言ってたけど、似た状況がここでも当てはまると思う
大企業や、偉い人たちがそういった人材を活用して儲けられるなら、絶対に既にやってるのよ
あるいは、内職というのはその中で生み出されたシステムだった、しかしそれも縮小していった
生産は海外の工場に移ったし、デジタルで完結する仕事はPCに組ませるようになった
プラス人材になるのって難しくてさ、大学で勉強して週5で1年とか働いてようやくその狭い領域でプラス人材になれるんだよね
だから多くの人にとって、土日はマイナス人材なわけで、そりゃ副業見つからんわなっていう
大人になると分かるんだよね、週5でやってるプロには叶わないって
はてブは内燃擁護の書き込みが湧く。まあ産業人口多いんだろうな。でもよー、COP3の京都議定書からもうすぐ30年なんだぜ、内燃機とかビジネスが難しくなるのはずっと見え見えだったじゃん?これはドイツの政策とかそんな話じゃなくて中国の過剰生産力経済戦に負けているわけだよ。太陽光発電産業とかもそう。中国が、全力で補助金漬け税金免除等をフル活用して西側から最新の製造装置を導入して、過剰に生産する経済戦に日本を含め西欧も負け続けている。製造装置を売る会社だけは一時的にもうかっている。中国では電池とEVをいまフル生産しはじめたわけですよ。
心の底から自信持って作り上げた仕事用人格なら、多少陰口言われても「ふんっ、俺の作ったこの人格の方がきっと正しい」って思えるから
仲良い人とか言ってる時点でお前にも甘さがあるってよくわかる
私は恵まれてきました。
結局、私は弱者ではありませんでした。弱者のフリをして他人に文句を言い続けてきましたが、それでは幸せになれないことに気づきました。そんなことよりも自分が強くなる努力をしなければなりませんでした。自らのスプーン1杯分のマイノリティ性は一旦抜きにして、毅然として意見しなければなりませんでした。私のウジウジとした物言いは、他人をげんなりさせました。
行きたい場所がいっぱいあるし、やっぱりヨーロッパに住んでみたいと思います。そのためにはうまくお金を稼げるようにならないといけません。将来のお金の稼ぎ方を考えなくてはなりません。今の私に必要なのは、誰かの共感の対象となるようなフェミニズム的エッセイよりも、専門書やビジネス本でした。