「交差点」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 交差点とは

2024-07-26

anond:20240726205745

その記事についてるブックマークコメント、みんなキモくて吐き気がするよ。

こんな頭のおかしい人たちが、じぶんのあたまのおかしさを全世界におっぴろげてるの、

まじで全裸スクランブル交差点を歩くような所業でさ。

はてなブックーマーカーってキチガイしか居ないんかな?って思いました。

彼らは恥というものを知らない。

大雨

出社に2時間3時間かかった人がいて、在宅にすればよかったんじゃないかなあと思った

そのうち、帰れる人は帰れるようにというアナウンスがあったので帰宅したが、道路が封鎖されている交差点では車の列ができていた

幸いにも自宅は通行止めされている方向とは逆だったので、いつも通りの運転時間帰宅できた

側溝から水が溢れ、家の付近道路は大きな水たまりのようだった

突然スマホからいたこともないアラートが聞こえてきて、近くの川が氾濫したという通知が出た

当地区ではなかったが、その後も2回ほどアラートが鳴ってドキドキした

そこからしばらくして雨はやんだ

とある人は通行止めの道を引き返したりなんだりで、帰宅に4時間かかったらしい

在宅にしたところで川が氾濫したら逃げなくてはならないけど、なんだか不憫だなと思ってしまった

2024-07-21

anond:20240721144847

興味深い視点をお持ちですね。観測エントロピーに関する議論は、物理学哲学交差点位置する非常に深遠なテーマです。以下にその関係性を詳しく説明します。

観測主観性

観測主観的であるという主張は、量子力学における観測問題と関連しています量子力学では、観測者が観測を行うことで波動関数が収縮し、特定状態に確定するとされています。これは、観測物理現実に影響を与えるという意味で、主観的な要素を含んでいると解釈されることがあります

エントロピー観測

エントロピーは、熱力学的には系の無秩序さや情報の欠如を表します。観測エントロピーに与える影響については以下のような観点があります

1. 情報理論視点観測によって得られる情報は、観測者にとっての不確実性を減少させます。これは、観測エントロピーを低下させるという意味解釈できます情報理論におけるエントロピーは、情報の欠如や不確実性を表すため、観測によって得られる情報が増えるとエントロピーが減少することになります

2. 熱力学視点熱力学的なエントロピーは、系全体の無秩序さを表します。観測行為自体エネルギーを消費し、熱を生成するため、観測によって局所的にはエントロピーが低下するかもしれませんが、全体としてはエントロピーが増加することが一般的です。

観測者にとって必要情報

観測によって「観測者にとって必要情報のみが残る」という考え方は、次のように解釈できます

結論

観測主観的であり、観測によってエントロピーが低下するという考え方は、情報理論量子力学観点から一定の理解が得られますしかし、熱力学的なエントロピー観点からは、観測行為自体が全体のエントロピーを増加させる可能性もあります観測者にとって必要情報が残るという点については、観測者の主観目的観測結果に影響を与えるという意味理解されるでしょう。このように、観測エントロピー関係多面的であり、異なる視点から解釈可能です。

沖縄お笑い面白くない

沖縄お笑い面白くない。

それは特にO-1グランプリ沖縄グランプリ)なる、沖縄ご当地お笑いコンテストを見ているときに感じる。そこで行われている惨状は、恥ずかしくて見ていられない時すらあるほどだ。

そんなひどい感想には、あまりにも個人的偏見が含まれていると思っているそこの心優しき人も、「ありんくりん」というお笑い芸人は存じあげないであろう。なんとその得体のしれないコンビが0−1グランプリを3度も制覇しているのである。由々しき事態だ。

ありんくりん」はよしもと沖縄所属お笑い芸人だ。そもそも沖縄にも吉本があったことに驚かれる方も多いと思う。「ガレッジセール」や「スリムクラブ」などの、世間一般にも認知された沖縄芸人はともに東京吉本所属である。結局のところ、沖縄の才能がある人たちは活動拠点本土に移してしまうことが多い。

この事実を踏まえると、大阪東京のどちらでもなく、敢えてよしもと沖縄所属するということは、よくてご当地テレビお抱え芸人に甘んじる選択に他ならない。歴史が浅いこともあるが、よしもと沖縄から全国に羽ばたいた芸人存在しないし、今の若手にもその萌芽すら見受けられない。

ありんくりん」はもともとトリオだったが、一人のメンバーが脱退し、今のコンビになったそうだ。トリオから抜けたメンバー本土風の笑いがしたかったらしいが、残りのメンバー、つまりありんくりんの二人は、沖縄らしいお笑いに拘ったそうだ。

O-1グランプリに出場している多くの芸人が、本家M-1グランプリにも殆どネタを使い回しの上で出場している。沖縄芸人本土風のお笑いをするにしても、沖縄らしいお笑いをするにしても、どちらにせよ、すべてが中途半端に見える。

まず第一に、東京大阪芸人がやるようなスタンダードネタ沖縄芸人がやると、積み上げてきた経験の差が如実に現れ、ただ芸人っぽいものを集めてまとめたようなネタが見られる。それはプロを名乗りつつも、芸人の真似をしているだけだ。これは養成所のライブ大学学園祭お笑いライブにも同じ感想になるので、沖縄芸人特有のものではなく、単純な技術不足と恥ずかしさを捨てきれていない情けなさからくるものだろう。売れている芸人でも養成時代ネタなんて黒歴史として封印していることのほうが多い。

誰しもはじめから立派な漫才はできない。出来ないことは問題ではない。失敗をしないと成長もない。沖縄芸人問題なのは東京大阪芸人がやるようなスタンダードネタから逃げて、安易沖縄にすがることだ。それが非常にダサい

自分たち個性模索するのは結構なことだが、彼らの選択はただ勝負から逃げているように見えてしまう。それはおそらく、本人たちも自覚していないことだろう。彼らにこんなことを言うと、顔を真っ赤にし、自分たち沖縄を愛しているから、沖縄らしいお笑いをすると言うだろう。もしかしたら、匿名攻撃している私に向かって、「この内地かぶれは黙ってろ!」と叫びだすかもしれない。

ありんくりん」本人でもないし、何ならファンですらない私が、彼らのネタから彼らがいう沖縄らしさを抽出したところ、

沖縄県民の見た目ネタ(顔が濃い、髭が濃いなど)

・強烈な訛りと方言(ボケ典型的沖縄訛りで多くの若者普通は使わない方言を多用。ツッコミアメリカとのハーフこちらも訛っている)

・どこの地元にも存在するような、県民だけに伝わる細かなあるあるネタ(どこどこの交差点交通ルールが分かりづらい、地元スーパー台風でもいつも空いてる、など)

しかない。

これらを、沖縄らしさと呼ぶのなら、まごうことな沖縄県民の私だが、別に沖縄らしくなくていいと思う。

2024-07-19

運転中に救急車に遭遇したが

サイレン鳴らした救急車が近づいてきたので交差点手前で停まったんだがうしろから

俺の車追い抜いてトラック交差点に入り救急車とぶつかりそうになってたほんとアホなやつおるな

2024-07-18

ZFCの哲学

ZFC (Zermelo-Fraenkel set theory with the Axiom of Choice) の哲学は、数学基礎論における中心的な位置を占め、その含意は数理論理学モデル理論証明論にまで及ぶ。

ZFCの存在論的基盤は、von Neumann–Bernays–Gödel (NBG) 集合論との比較において明確になる。NBGがクラス概念を導入するのに対し、ZFCは純粋に集合のみを扱う。この違いは、大規模基数の存在に関する議論において重要意味を持つ。例えば、到達不能基数の存在は、ZFCでは公理として追加する必要があるが、NBGではより自然に扱える。

ZFCの哲学重要性は、その一階述語論理に基づく形式化にある。これにより、完全性定理適用可能となり、モデル理論手法を用いた相対的矛盾証明可能になる。特にゲーデルのL構造構成可能全体)とコーエン強制法は、ZFCの独立性結果を示す上で本質的役割を果たす。

ZFCの公理系、特に置換図式の導入は、フレーゲ論理主義崩壊後の数学基礎論の再構築において重要役割を果たした。置換図式は、ラッセルパラドックス回避しつつ、十分な数学対象存在保証する。

選択公理 (AC) の哲学的含意は特に深い。ACは、トポロジーベクトル空間におけるハーン・バナッハの定理や、測度論におけるバナッハ・タルスキのパラドックスなど、数学の広範な領域に影響を及ぼす。ACの非構成性質は、直観主義数学構成数学との緊張関係を生む。

ZFCの哲学は、大規模基数公理研究と密接に関連する。イナクセシブル基数、マーロ基数、超コンパクト基数などの大規模基数の存在は、ZFCの無矛盾性を強化し、数学宇宙階層構造示唆する。これらの基数の存在は、プラトニズム的な数学観を支持するように見えるが、形式主義的解釈可能である

ゲーデル不完全性定理のZFCへの適用は、数学的真理の本質に関する深遠な問いを提起する。特に、第二不完全性定理は、ZFCがその自身の無矛盾性を証明できないことを示し、ヒルベルトプログラム限界を明らかにした。

ZFCの哲学的含意は、数学構造主義との関連でも重要であるブルバキ学派の構造主義的アプローチは、ZFCを基盤として数学構造定義し、分析する。一方、カテゴリー論的基礎づけは、ZFCに代わる代替的なアプローチ提供し、トポス概念を通じて数学宇宙多様性示唆する。

内部モデル理論特にゲーデルのL構造研究は、ZFCの哲学に新たな視点をもたらす。V=L(すべての集合が構成可能である)という仮定は、連続体仮説一般連続体仮説肯定するが、同時に多くの大規模基数の存在否定する。これは、数学宇宙の「薄さ」と「厚さ」の間の哲学的緊張を生む。

結論として、ZFCの哲学は、数学存在論認識論真理論交差点位置し、現代数学の基礎に関する最も深遠な問題を提起する。その影響は、数学哲学にとどまらず、論理学計算理論量子力学の基礎にまで及ぶ。ZFCの哲学探究は、数学知識本質限界に関する我々の理解を深化させ、数学哲学境界を絶えず再定義しているのである

2024-07-15

オカムラ鉄工の跡地は何になっているのか

オウム真理教関連の事件


オカムラ鉄工乗っ取り事件

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%A9%E9%89%84%E5%B7%A5%E4%B9%97%E3%81%A3%E5%8F%96%E3%82%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6

石川県能美郡寺井町にあったらしい

現在跡地は何になっているのだろうか


好事家によると当時の住所は石川県能美郡寺井町寺井ニ93だったようだ

https://ameblo.jp/hideomurai/image-12035271455-13335229416.html

マピオン住所検索を調べて市町村合併後の住所に直すと石川県能美市寺井町ニ93になるのだろうか

https://www.mapion.co.jp/address/17211/344/

区画が分けられたのか該当する住所は引っかからなかった


当時の報道でチラっと映るオカムラ鉄工の映像

https://youtu.be/NJbnsQn4L28?si=gcHOJOD6FHq5HvIk&t=2396

街路樹のある歩道付き片側一車線の道路横断歩道のある交差点

左側に映った裏側になっている▽形の標識はおそらく止まれなので道路が大きく変わってない限り今も止まれのままだろう

グーグルストリートビュー街路樹のある道路を進んでいくと該当する交差点が見つかる

https://maps.app.goo.gl/EpEV8RAhn5EtssUH9

街路樹のある道路南側には並行して用水路が流れているので道路北側にある建物で間違いないはずだ

そして北側に伸びる道路電柱には止まれ標識が有る


答え:宅地になっている模様

オカムラ鉄工は人死にが出てるわけでもなく事故物件ではないから書いても問題ないだろう

ちなみにここから運び出された工作機械富士清流精舎に運ばれて自動小銃製造に用いられたが

富士清流精舎跡地は現在公園になっているようである

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E6%B8%85%E6%B5%81%E7%B2%BE%E8%88%8E

https://maps.app.goo.gl/brSPqUpcQQoK5mVF6

https://youtu.be/NJbnsQn4L28?si=-gzaB59jG0N-OGyC&t=2244

2024-07-14

熱中症搬送された

 搬送されたのは高齢の親だ。

日頃の不摂生に加えてクーラーをつけていなかったのが仇になった。

 買い物に行ってくると同居の親に断り、少し離れた場所まで足を伸ばした。離れていたのは2・3時間程度だろう。

帰宅途中に親からLINEがきたので確認をすると、たすけて、てがしびれる、めまいなどとひらがなオンリーの誤字まみれの短文が次々と届いた。

まずい状況なのではないかと慌てて帰ると、親はリビングで倒れていた。そばにはかろうじて飲んだのか経口補水液が半分飲まれて置いてあった。

LINEが送られてきていたし、まだ意識はあると症状の確認をすると、か細い声でLINEと同じ答えが返ってきた。

状況からして熱中症だろうと辺りをつけ、Xで得ていた知識をもとに脇や首などを冷やしつつ、聞かれそうなことを親に尋ねてから119番通報した。

救急隊員には、住所・親の名前・症状・症状が出始めたのはいからなのか聞かれたのでわかる範囲で答えていく。内心パニックだったが、まだ親の意識はあったし来てもらえたらなんとかなると思い、頑張って答えた。

 救急車が来るまでに、保険証お薬手帳を探し出し、もしかしたら入院になるかもとバスタオル下着歯ブラシを袋に詰めた。後は、かかりつけ医と持病などを答えられるようにした。本当ならもっと持っていくものがあるのだろうがパニックで思い出せなかった。とりあえず何か持っていかなければならないと思うことができたのはネットのおかげだ。

 救急車の音が外から聞こえた時は安堵した。親は後で長い時間がかかったように感じたと答えていたが、実際のところは10分ほどで来てくれていた。親の意識があってよかった。意識がなかったら、この10分は地獄だっただろう。

救急隊員が来てからは親に質問されることが多かったため、出番はあまりなかった。横で時たま補足するくらいだったのは本人の病状確認もあるのだろう。

搬送が決定してからは火元の確認や戸締りなどをするように指示された。玄関の施錠も頼まれた後に、親の靴を持ってくるように言われて、気遣いができる人だなと感心した。確かに靴がないと帰れない。

 救急車に乗ってから搬送先が決まらずやきもきした。15分ほどあちこち病院電話をしてやっと決まったので出発すると言われた時はこれまた安堵した。

コロナの予防のため、念のためマスクを親にしていいか確認した後マスクをしたが、しばらくして酸素濃度が下がったのが警告音が鳴り響いた時は心臓が飛び跳ねた。意識があるから大丈夫血圧も測っているし大丈夫、何かあったら救急隊員がなんとかしてくれる、すぐに病院だと自分に言い聞かせた。

 病院までの搬送で本当に困ったのは道が開かないことだ。

快晴の土日だったので出かける人々が多かったのか道が混み、避けようにも避けられなかったのかもしれない。結局アナウンスを行い真ん中を通行した。

交差点突入する時も、どんどん車が曲がってきて救急車が通りにくそうだった。

 今回親は軽度の熱中症意識があったからよかった。でもこれが熱中症でも重度の人や事故にあった人、一分一秒を争う人だったらどうなるかをすごく考えた。

ただの情報しか親がならないことが怖かった。

高齢者1人亡くなったんだねで終わることが怖かった。

 この増田を書こうと思ったのは、熱中症は怖いから気をつけてくれっていうのと救急車が来たらすぐに道を開けて欲しかたからだ。

寄りにくい道もあるだろうが、救急車が見えたり音が聞こえたなら気にかけて欲しい

交差点も曲がる前に止まってくれ。

歩行者も横断をやめよう。

道を開けてくれた車は本当にありがとう

車乗りの義務だけど、ぐんぐん走れるようになった時は嬉しかった。

あとやっぱり救急隊員って運転上手いんだな。揺れますよとか言ってたけど道路舗装関係の揺れとかそのぐらいだしアクセルのかかり方とか上手かった。訓練して事態に備えてくれてるの分かって良かった。金持ちだったら寄付たかった。差し入れダメだし、金ないか手紙書くぐらいしかできない。

 病院搬送された後は、点滴打って少し休んだら帰れたのでもうそんなに書くことがない。

やったことといえば、カルテ必要事項を書いてスマホでもう1人の親に連絡したぐらいだ。

仕事を切り上げて車で迎えに来てくれたのは帰宅の面で助かった。倒れた親は帰りの車で戻したのでタクシーだったらタクシーの人が困ったと思う。看護師が気を利かせて袋をくれていたのもファインプレーだった。

 そんなわけで親はいろんな人のおかげで無事に助かったし、学びを得た。

病院代は9000円ぐらいかかったから親にはケチケチしないでクーラーをつけろ、寝ろ、飲め、食え!ときつく言い聞かせた。

親の言い分としてはクーラーの清掃をしていない状況で埃まみれのクーラーを使うのが嫌だったらしい。そんなわけで清掃業者を手配した。近いうちにくるがそれまでは我慢して埃まみれのクーラーで過ごすように伝えた。

熱中症になりやすい人として挙げられていた

睡眠不足

水不足

食事不足

・部屋の湿度温度が高い

親は全て当てはまった役満だったので当然といえば当然の結果だった。

帰宅途中でよかったし、同居してて親の保険証かかりつけ医を知っていたのもよかった。

 これを読んだ増田達には、熱中症に気をつけることと、救急車の道を開けることを強くお願いしたい。

クーラー代の方が病院代より安いのは分かってもらえたと思う。

救急車の道が開かないのは友人の医療関係者も同乗する時に本当に困るよと言っていたので地域が変わっても困ってるんだなと思った。

本当に頼むぞ!それで助かる命があるかも!

交差点自転車信号待ちしていた母娘の娘が

かいにある東横ホテルをみて

母親に「東横キッズ……?」って訊いていた

2024-07-12

見通しの悪い交差点

減速せずつっこんでくる車        → 「自分はたいした怪我しないか他人轢いてもどうでもいいんだろうなあ」

減速せずつっこんでくる自転車      → 「自分も大怪我するかもしれないのによくやるわ」

減速せずつっこんでくる子供乗せた自転車 → 「前頭葉切除しちゃった人なのかな?」

最後のはマジ意味わからん脳みそほんとに無いのかと思う

そしてどれも子供を除けば8割女

     赤塚福祉課は、ここを左に行って西高島平駅のところを左に曲がると都立赤塚公園があって、そこの先の坂を上っていくと、四葉2丁目と言う大きな交差点があるので

  そこの先の坂を下った左側にあります

2024-07-10

よく名古屋走りとか言われるけどそんなに危険運転だと感じたことがない

それよりダントツ京都の方が怖い

京都市内は車が多く立地的に交差点の間隔が狭いのでみんなキツキツの超煽り運転状態で走ってて、お店から道路に出るとき危険割り込み状態をつくらないと入れさせてもらえない

車線変更も指示器出して後はぶつけるお前らが悪いんだぞと言わんばかりにそのままの流れで入ってくる

入れてくれそうな雰囲気を待ってたら一生合流させてくれない

名古屋ではそんな経験ない

同じノリで車線変更したら後ろからクラクション鳴らされたくらいの経験しかない

道幅も広く車間も京都での運転からするとかなりちゃんと取ってて俺的には普通に走りやすかった

2024-07-07

小池百合子

今日はいつも以上に気分が沈んでいる。最近、どうしても東京都知事である小池百合子ニュースから目が離せない。自分が住んでいる東京にとって彼女言動生活に直接影響を与えることが多いからだ。

あの「密です」というフレーズが一躍有名になった頃、自分もその言葉に若干希望を感じていた。しかし、日々の現実はそんなに甘くない。自分職場である新宿オフィス感染対策がいまだに不十分で、毎日不安気持ち通勤している。

先日、テレビ小池百合子が新しい対策を発表していた。多くの人が彼女言葉に耳を傾け、社会の変革を期待しているように見えるけど、自分は違う。もう何度も失望を味わっているから、彼女言葉に一寸の信頼も持てなくなった。例えば、渋谷駅前のスクランブル交差点を見てほしい。毎日大量の人が行き交い、ソーシャルディスタンスなんてもの存在しない。

東京都が管理する病院の状況も酷い。自分母親が先月足を骨折して、「都立広尾病院」に行ったが、待ち時間はなんと6時間。結局、その日は診察も受けずに帰ってきた。こんなことで、本当に都民健康を守る気があるのだろうか?

一方で、記者会見テレビ出演での小池百合子は、どこか上から目線に感じる。自分たち市民の声を本当に理解しているのか疑問だ。都庁前デモを見ても、彼女はどこか異次元存在のように感じ、現実問題から目を逸らしているように思える。

最近では、彼女が推進する「Tokyoブランド」なるキャンペーンについても批判が噴出している。確かに東京は素晴らしい場所だが、そんなキャンペーンに莫大な予算を使う前に、もっと緊急性のある問題に取り組んでほしい。若者就職難や高齢者介護問題さらには物価高騰による暮らしの苦しさ。政治家が本当に見るべき現実無視しているように感じる。

そんな中で、一体どれだけの人が彼女を支持しているのか、自分には理解できない。日々ニュースに登場する、豪華な会議室での彼女の姿を見ていると、ますます距離を感じる。結局、自分のような平凡な市民の声は届かない。

先週、友人のA君と久々に新宿小田急百貨店で会ったけど、彼も同じようなことを言っていた。「もう、政治には期待できないよな」と。自分たちは政治を変える力もないし、彼女のような大きな力を持つ人間抗う術もない。

本当に、このままでいいのだろうか?ただ生きているだけで、日々の生活が一層苦しくなっていく自分にとって、何が希望なのかさえ分からなくなってきた。毎日が試練と絶望連続で、心の平穏をどこで見つければいいのか、答えが見えない。

2024-07-05

親が体調不良の時の対応

母が救急搬送された。

人生初の経験で適切な対応がよく分からないまま行動してしまったので、日記に残しておく。

自分の行動をメモしておく。

・どうすれば良かったのか後で追記していく。

◎8:50

母が「眩暈がして食事もとれない」と言い布団から出てこない。

飲み物を飲むよう勧めるが「ペットボトルの水を枕元に置いといて」とのこと。

話し方はいつも通りハキハキしている。

心配だが、自分はいつも通りの時間に出勤。

→いつから悪いのか、どんな症状か、お医者さんごっこでいいから聞くべきだった。

→この時点で休みをとって病院に連れていくべきだった。金曜日の昼すぎに病院搬送しても、その後なかなか転院ができない。

12:00

母に電話LINEをするが返信無し。

寝てるかもしれないので12:30にもう一度連絡しようかと考える。

12:20

から電話

「かなり悪いか救急車呼ぶ」

「まだ搬送先も決まってないか仕事してて」

とのこと。

一度電話を切ったが、自宅はメゾネットタイプアパートなので、救急車が来た時に自力階段降りて鍵開けられるか…?と思い、再度LINE電話をするが、返事無し。

12:40

居ても立っても居られず、社用車を借りて帰宅することにした。

普段電車バス通勤しているが、車の方が早く家に着く。)

慌てて「私用ですが社用車借りていいですか?」とろくな説明もしない自分に「ほんとはダメだけど、今日だけだぞ」と快く言ってくれた社長感謝

→ここでちゃん社用車を借りたのは大正解だった。

◎13:05

自分が家に着くと同時に救急車も到着。

家の鍵は開いていて、母が玄関に座っていた。

まり用の荷物自力でまとめたらしく、複数のバッグが準備されていた。

グッタリして歩くのもままならない様子だが、救急隊員の質問はいつも通りの声でハキハキ答えている。

救急隊員の指示で病院へ向かう。

交差点に駐車してはいけない(車校で習ったかもしれん…)

◎13:25

病院に到着。

社長電話して事情を話し、社用車を引き続き借りる許可をもらう。

受付で案内された待合スペースで待機。

上司出張中)と先輩(別の出張中)に「親が救急搬送されたので病院に来ており会社を不在にしてます。」と連絡。

父(他県住み)にすぐ報告しようとしてLINEを打つが、

検査の結果出てから報告したほうがいいか?」「余計な心配をかけるか?」

「母はよく体調不良をあえて家族に話さない、とかしてるし自分ももっとそういうこと考えたほうがいいのか?」

などと考えて送信できない。

社長事情説明したのは良かったが、口止めすべきだった……たぶん、社員みんな知ってる気がする……やめれ……

→父には連絡しなくて正解。検査結果、今後の方針が決まってから報告したほうがいいということで母と意見が合った。

◎14:30

病院スタッフから

目眩止め、吐き気止めを投与したこと

MRIで脳の検査をしていること

を伝えられる。

待ち時間が長くなりそうなので、増田を書き始める。

救急車の中で母が話していたここ数日の体調不良のこともiPhoneメモに書いていく。 

→申込書?的なのを書かされたが、親の生年月日、覚えてないとサラッと書けない……!これを機にちゃん昭和〇〇年とか19〇〇何まで覚えようと思った……

◎15:10

処置室に呼ばれた。

母は起き上がれないがお喋りはできる。

MRI検査結果を聞くまで待てと言われる。

その間にここ数日の体調不良についてもう一度母に聞いておく。

誰に連絡したか、これから誰に連絡するか。

(父には慌てて連絡しなくて正解だった。)

それにしても待ち時間が長い。

→待ち時間、母と話したことはひたすらメモをとった。転院した時使えるかもしれんからこれは大事だったと思う。

◎15:50

MRI検査結果を聞く。特に異常なし。

医師から帰宅してよしと言われるが、目眩身体を起こせない母を連れて帰るのは難しい。

本人の希望もあって入院することに。

検査結果聞いたらすぐメモ。聞き慣れない言葉は一瞬で忘れる。

→お医者さんも忙しいので、「入院したいです」とかはすぐに言った方がよかった。

◎16:45

入院手続きのため受付に案内される。

緊急連絡先、部屋の説明必要もの入院費用のこと、上限額のこと、食事や小物の費用会計手続きについて、面会についてetc

→親の職場書かなくてよかったっぽい?でも書けって言われたし…うーん……これはどうしたらよかったのかまだ分からない

17:30

処置室に戻ると入院する部屋の準備は18:00頃になると告げられる。

また長い待ち時間だな。

入院するにあたり必要ものを聞く。

家のあそこに上着があるとか、おかゆが食べたいとか。

トイレに行きたいと言うので、看護師さんの手助けを受けて車椅子で移動。

上体は起こせるようになったみたいで良かった。

時間もったいないので、18時を待たずに一時帰宅

17:50

家に到着。大急ぎで必要ものを揃える。

まれてない物もついでに色々持っていく。

◎18:15

病院近くのスーパーで買い物。

紙皿とスプーンがどこにあるのか分からない。

◎18:40

病院に到着。

先に話を通してもらえてたみたいで、本来は面会時間では無いが病室まで入れた。

入院申込書(さっきも書いたけど)に記入して、

病室のどこに荷物を置いておくか一つ一つ確認

明日いつ退院になるかは未定。

迎えにいく時持ってきてほしいものが数点。

少しおしゃべりして、じゃあそろそろ、と言って19:30頃病室を出た。

職場の人が心配して「社用車今日返しに戻らなくても大丈夫そうだよ」と連絡をくれた。ありがたい。

でも自分荷物職場においたままなので、戻りますと返信。

20:00

職場に到着。

欠務届など諸々書いてメールチェックして退社。

社長に会ったので大事ではなかったことを報告とお礼。

→もうちょいしっかり喋れ。社会人やろ。

◎21:00

帰宅。どっと疲れた

母に頼まれた探し物してLINEを入れておく。

上司に連絡。明日は半休とる。

入院したけど心配しなくて大丈夫と父に連絡。

ご飯

風呂も入らず寝てしまい、次の日さらにしんどいのであった。

入院2日目だか退院の目処が立たない。

目眩の原因は①脳から来るもの②耳から来るものの2種類。

入院してる病院脳神経外科はあっても耳鼻科はないので、これ以上検査のできない。

以前から難聴だった。

最初から耳鼻科にかかるべきだった。

早く治してやりたい。

anond:20240705113118

加藤 智大(かとう ともひろ)が2トントラックで赤信号無視して交差点突入し、通行人5人を次々とはねた上、降車して通行人警察官17人を次々とダガーナイフで刺した。一連の犯行によって7人が死亡、10人が重軽傷を負った。

元ネタの方の事件ナイフですら7人殺せるんだよなあ

おはよう

おはます

希望の朝

絶望の夜ね

何処へ行けば安眠が手に入るのか?

スクランブル交差点をふらつき

悪魔の微風にさらわれて

次元の裂け目に飲み込まれ

ハニーハニーな甘い香りのする国の

甘い牢獄モルモットのように放り込まれ

魔物とのふれあいコーナーに参加し

体をなでなでされたりするのですわ

2024-07-04

近所に個人塾がある

割と大きめの交差点の角に建ってる、住居併設タイプの小さい塾

自分から出てすぐの交差点なので毎朝通る

結構植物が好きみたいでプランターミニトマトみたいなのやよくわからんかわいい花なんかが植えられて、建物の周りを囲んでた

そいつらが小さかった内は「はーん、キレーやな」くらいで済んでたものが、ニョキニョキでっかくなってさすがに困ってきた

何でって置いてある場所敷地の端ギリギリ駐車場の角)、交差点で一時停止すると左折路の視界を遮る位置からである

敷地をはみ出してるわけではないか文句も言えなくて、頑張って首を伸ばしてノロノロ曲がることでなんとかしてきた

が、最近その塾がノボリを立て始めて状況が悪化した

ノボリ自体はよくある形なんだけど、問題はやっぱり置いてある場所。今までのプランターたちの合間。バカか?

ノボリの重し部分は確かに敷地から出ていないけど、ひらひらしてる部分はサイドミラーに触れるくらいははみ出してる

ノボリってのは風があればあるほどはためくので、普通に視界を遮るどころの騒ぎではない。ガチでなんも見えん。邪魔

しか場所が塾。なんならお向かいには小児科。その隣は歯医者。つまり子どもがたくさんいる住宅街ということでもある。当たり前だけどイチバチで左折なんて絶対できない。もう一回言うけどバカか?

さすがにありえへんわーと思って家族で共有した結果、「一番話を聞いてもらえそう」という理由で声の低い兄が塾に電話をかけることに

したら「ご意見ありがとうございます」で切られた。その後2週間様子を見たが配置は変わってないどころかなんならナスが増えてる。最初から支柱付きのデケーやつ。え、バカ

自治会でもちょっと問題になってるっぽくて何度か注意したらしいんだけど、全然聞く耳もたないんだって

こういうのってどこに相談したらいいんだろう。警察?まだ事故とか起こってないから注意して終わりかなあ

なんかあってからじゃどう考えても遅いだろ

anond:20240704083336

実際どうなんだろ…って思って検索してこれ見てた。

交差点確認不十分とかは確かに女性のほうが多いぽい。

https://www.itarda.or.jp/contents/478/info60.pdf

いま教習所通ってて、確かに確認する場所が多いと慌てるから交差点とか減速すごい大事

気をつける…!

いから横道から入ろうとする車にもすぐ道を譲ろうとしちゃうんだけど、先生にはこっちが優先なんだから早く行って!とか言われて、それはそれで慌てる。

左折とか横道から入るとかすごい緊張する。

きついカーブとか徐行しすぎてほぼ止まってしまう。

早くうまくなりたい…!

2024-07-01

地元だ〜いきらい!意味ないもん!

先に言っておくけどこの日記カスほどの内容の無さだ。

なぜならカス地元愚痴からだ。

わたし地元には存在価値がない。

何度でも言う、カスからだ。

地元がどういう類のカスかを説明する為のカスポイント無限にあるが、ひとまず駅といえば無人駅で、停まるのは勿論ワンマン電車、初スタバができれば二つ手前の交差点まで交通渋滞が起き、子どもが楽しめる娯楽はじじばば専用にあつらわれた地域盆踊りのしょぼい出店と住宅展示会会場だけ、そこまで大きくない土地の中にだだっ広い田んぼ(2割腐っているか荒廃している)抱えているだけの、誇れるものが無さすぎてラッパーすら裸足で逃げ出すような、そういう巨大な墓地みたいな場所だといえば伝わるだろうか。

そんな場所わたしは生まれた。

リアルゲゲ◯の鬼太郎だ。

物心着いた頃から地元に飽きていた。

わたしだけでなく周りの子全員だ。

皆やることが無さすぎてとりあえずグレてみたりイジメをしてみたり円光(隠語)してみたり瞑想してみたり、そういうふうにすくすく病んでいた。

100億年ボタンって話あるじゃん

ボタン押すと100万もらえるけど100億年何もない空間に閉じ込められるってやつ。

あれわたし地元ね。

そんな訳で100億年を生き抜き、わたしはなんとか成人して地元を飛び出た。都会も都会、窓の外が常にうるさい感じの場所。駅はデカすぎて出られなくなるような広さで、腐った田んぼ匂いの代わりにどっかから揚げ物の油の匂いが漂う娯楽に溢れた場所

真逆場所に住んだら少しは地元を懐かしんだりするのかなって思ってたんですけど、ぜんっぜんそんなことない。地元カス。それは揺るがない。

たださ、やっぱり都会って生きているだけで選択肢が与えられる場所だよなって思った。

さっきも言ったように、わたし地元カスなのでスタバ渋滞なんてものができるぐらいなんですけど、都会は少し歩けばスタバタリーズマックモスミスドもある。

地元で服を買いたかったらしまむらイオンモールだったんだけど都会じゃショッピングモール行くだけでブランドの服が買える。

わたし地元は“現実に”選択肢として存在する職業といえば嫁かキャバ嬢郵便局員事務員ぐらいだったのに、都会じゃTVの向こうの話でしかなかったキャビンアテンダント心理カウンセラーボディビルダー外国語教師も全部フィクションじゃなくこの世に存在していて、わたしはなんにでもなれるみたいだった。

都会に生まれてたら、わたしもっと別の人間になれていたんだろうか。

そんなことを思うと、より地元への憎悪が増していく。

地元カス

夢も希望も娯楽も電車の本数も選択肢も何もない場所

巨大霊園。

2024-06-28

バブルランナー

おまえたちZ世代は信じられないようなものを私は見てきた。お立ち台の上で扇子を振って踊るワンレンボディコン交差点の近くで万札降ってタクシーを捕まえようとするリーマン。そんな思い出も時間と共にやがて消える。雨の中の涙のように。死ぬ時が来た。

2024-06-27

【速報】自転車に乗った女子高校生が死亡 死因は『溺死』 交差点軽トラックと衝突して用水路に転落 76歳運転手「反対側に気をとられていた」

俺ら「女子高生に気を取られるから事故は発生しない!」

2024-06-26

戦争で敵兵を殺すのが楽しかった」の気持ちはわかる

小学校の頃の球技大会、俺はシュートを決めた。

準決勝進出を決める決定打。

俺はクラスメートから拍手で迎えられ、相手クラスは止められなかった奴をなじりまくって教師にそういうのはシップじゃないからやめろと怒られていた。

運動はできる方じゃなくて、今考えるとあれはアシストしてくれた運動部が優秀だったおかげだろうし、外してたらボッコボコにされてたのは俺の方だったんだと思う。

あの日ぐらいだ。

俺がクラスヒーローみたいになれたの。

戦争で人を殺したのをいい思い出と語る人も同じなんだと思う。

人生において人から褒められた決定的瞬間がそれぐらいなんだ。

負かした相手の悔しそうな顔なんてクラスの誰も気にしてなかった。

撃ち殺した相手人生についてもきっと同じように、無関係のことになるんだろう。

そもそも戦争兵隊ルールを決める権利はない。

政府の高官や上官同士が「殺し合いをしろ」と互いに命令したなら、それは単にフェアな殺し合いだ。

末端の兵士殺人責任はない。

サッカーバスケをするのと同じだ。

負けたら死ぬし、負かした相手は殺してしまうという違いはあるが、それは自分たちと違う所で決まったルールだ。

戦争で敵を殺したい」と語る人は、それで褒められたいんだと思う。

仲間から「よくやった!」「守ってくれてありがとう!」「勝利に近づいた!」って。

から彼らは交差点で大量殺人なんてしない。

それをしても褒められないから。

でもカルトの手先になってテロはするかも知れない。

それで褒めてもらえるから

自尊心を満たす機会に恵まれいるかどうかの話なんだよ。

俺にはわかるってばよ。

俺も、認めてもらえるならなんだってやれてしまうんじゃないかって思う瞬間がある。

自分自分を認めきれないんだ。

誰かの「凄い」がないと、生きてもいいとさえ思えなくなるときがあるんだ。

戦争シンプルからさ。

戦場に行ってたくさん殺したら英雄だ。

ネズミ講がカモを沢山釣ったら世間倫理観は置いといてエリート扱いされるようなシンプルさがある。

シンプルルールの中で、シンプルヒーローになりてえ。

そういう気持ち、分かるよ。

2024-06-10

昨日はじめてトゥキョウに行った

トゥキョウのシュブヤに行ってきたんだ。

僕はその混沌とした活気に圧倒された。

シュブヤは、まるで一つの巨大な幾何学パズルのようだった。

スクランブル交差点は動的なグラフ理論の一部のようで人々の動線がまるで交点を持たない平行線のように流れる様子には、不思議調和があった。

ヒカリエ。地上34階、地下4階のこの複合施設は、まさに垂直方向への幾何学的挑戦を感じさせる。ガラス鋼鉄の直線と曲線が絶妙に組み合わさり、その外観はまるでフラクタルのように繰り返されるパターン構成され、僕はその圧倒的な幾何学的美しさに見惚れていた。

直線と曲線が対話するように配置されたキャスト。その相互作用が新しい幾何学パターンを生み出し、階段エスカレーターの配置も巧妙で、人々の移動がまるでベクトルのように直線的でありながらも柔軟に変化する様子は、数式で表現したくなるほど魅力的。

渋谷という街は、古き良き日本風景と、未来的な建築が混在する独特な場所ビルの谷間に見える神社や、雑多な店舗が立ち並ぶ道は、まるで数学問題集の中にあるバラエティ豊かな問題のようだ。一つ一つが異なりながらも、全体として調和している。

僕はシュブヤという大きなパズルを完成させて、それを解いてみたい。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん