はてなキーワード: 交差点とは
先日の土日にて読了。
いや、メタ的というより、メタそのものが作品の主題といったほうが正確だろうか。
読者を小説の中に引き込み、文字通り「参加させる」という構造を持つ『朝のガスパール』は、筒井康隆が80年代に書き上げた、いわば小説そのものの定義に挑んだ挑発的な一冊であった。
あらすじ、といってもこの作品に「あらすじ」を語るのは難しい。
物語というよりも、筒井康隆が直接話しかけてくるような感覚だ。
そして、そこには作者と読者の境界が曖昧になる仕掛けが満載されている。
章ごとに視点が切り替わり、どこからどこまでが現実でどこからどこまでが虚構なのかが次第に崩れていく。
その結果、「これは読者が読む小説ではなく、読者が小説を構成する存在である」という、今で言うメタフィクションの極北にたどり着く。
感想としてまず思うのは、当時としては斬新だっただろうな、ということだ。
こういった作品は現代で言えば、さほど珍しいものでもないだろう。
そう言った意味でいえば『朝のガスパール』はインタラクティブな物語の先駆けとも言えるが、逆に言えば現代のネット文化における安価スレのようなものと大差ないとも言える。
それでも、この作品をただ「古い」と切り捨てられないのは、やはりその「メタ性」の鋭さにある。
筒井康隆の文章は、単に「読者参加型」を装うだけではなく、小説そのものの存在意義を問う仕掛けになっている。
そして、これが面白いのは、その仕掛けが「自分が今何を読んでいるのか」にまで疑問を投げかけてくる点だ。
たとえば、読んでいる途中で「あれ、これ本当に小説なのか?」と思わされる瞬間がある。
それは小説の登場人物が読者に話しかけたり、読者が物語の一部であるかのように描かれたりする場面だ。
その瞬間、読者である私は「あ、この作品は私の読み方自体をも含めてデザインされているんだ」と気づく。さらに、この文章を書いている私もまた、『朝のガスパール』の読者としてこの文章を書いているのであり、ひいてはこれを読んでいるあなたも、私が書いた文章の読者としてこのメタの構造の一部を担っているわけだ。ややこしいけど、わかる?
つまり、筒井康隆が描いたメタ構造は単に『朝のガスパール』の中に閉じていない。
それはこのエッセイにも、そしてこれを読んでいるあなたにも拡張されているのだ。
このことを表現するのに、わざわざ「メタの中のメタに言及するメタ」などと直接書くのは野暮というものだろう。
ここではあくまでそのメタ的な構造を借りつつ、読者がその構造を意識する形で展開していきたい。
最後に、ひとつだけ言わせてほしい。『朝のガスパール』を読み終えたとき、私は奇妙な満足感を覚えた。
それは「小説を読んだ」という感覚ではなく、「小説という空間で作者と会話をした」という感覚だった。
今こうして私が書いた増田を読んでいるあなたもまた、この瞬間、私と会話をしている。いや、あなたがこれを読んでいる時点で、もう私はここにはいないのかもしれないけれど、少なくともこの文章を通して私たちはどこかでつながっている。
そう書いた瞬間、私はふと、この「つながっている」という感覚について考え始めた。いや、正確に言えば、私がここで「つながっている」と書いたとき、その言葉を読むあなたの頭の中で何かが動き始めているのだと考えるべきかもしれない。例えば、今この瞬間、あなたの脳内には「この文章を書いた人は何を言いたいんだろう?」という疑問が浮かび、あるいは「まあ、そういう小難しいことを言いたいだけだよね」と呆れた気持ちが湧いたかもしれない。
でも、それもまた一つの接触点だ。私が書いた言葉が、あなたの意識に波紋を投げかける。それがポジティブなものであれネガティブなものであれ、私たちは今この瞬間、物理的には別々の場所にいるにもかかわらず、思考の交差点に立っている。これを不思議と思わずして何を不思議と思うだろうか?
ここで気づいてほしいのは、この文章そのものが橋のようなものだということだ。私が言葉を選び、それを並べ、送り出す。それを受け取るのは、何千キロ離れたどこかの机の上に座る、見知らぬ誰か。あなた。私がどんな顔でこの言葉を綴っているかをあなたは知らない。あなたがどんな顔でこの言葉を読んでいるかを私も知らない。でも、それなのにこの文章はあなたの目に届き、私はこうしてあなたに話しかけることができる。
そしてここで、私はある種の実験を試みたいと思う。この文章が、ただの文章のままで終わらずに、私という存在とあなたという存在が、少しだけ近づくきっかけになったらどうだろう。例えば、あなたがこの文章を読んでいるときに、なんとなく「書いているこの人、なんだかしつこいな」とか「もう少し簡潔に言えないのか」と思ったならば、それはすでに私があなたの中に存在しているという証拠だ。言葉を通じて、私の思考があなたの中に入り込んでいるのだから。
もちろん、私はあなたの顔を知らないし、声を聞いたこともない。あなたがコーヒーを飲みながらこれを読んでいるのか、満員電車でスマートフォンを覗き込んでいるのか、それとも仕事の合間にひっそりと目を通しているのかもわからない。でも、どんな状況であれ、あなたがこの文章を読んでいる今、私たちは出会っている。あなたの目がこの文章を追い、あなたの脳がその意味を解釈する。それは、私の言葉があなたに届くことで初めて成立する行為だ。
ただ、それを言葉で「つながっている」と表現すると、どうしても味気ない感じがしてしまう。だからこそ、この文章を書いている私が、あなたの中に何かしらのイメージを植えつけたい。例えば、私が今、画面越しに手を伸ばし、あなたの目の前に現れているとしたらどうだろう。いやいや、そんなのはただの妄想だと思うかもしれない。でも、その妄想の中で、私とあなたが初めて握手を交わしたとしたら、それはただの文章を超えた「出会い」だと言えるのではないだろうか。
読者として、いや、このメタの一部として。
ありがとう。そして、また。
どうか健やかに。
明石駅前で渋滞や4年間で31件の交通事故が起きていた危険なボトルネック構造の交差点工事のための立ち退きが進まないことに焦り
「楽な商売じゃ」と怒鳴り、「今日、火つけてこい。火つけて捕まってこい」「市民の安全のためや」「私が行って土下座でもしますわ」と発言。
後に工事が行なわれボトルネック構造が改良され、歩道も広がり車椅子ベビーカーなども楽に通行できるようになった。
https://www.kobe-np.co.jp/news/akashi/202103/0014197536.shtml
パワハラで告発され、本来守られるべき内部告発の犯人探しを指示
嘘八百となじるが、告発内容は嘘八百ではなかったと百条委員会で明らかになる。
エレベーターのドアが閉まると怒鳴る。
内容が全然違うのよ。
暇だ。
暇なので電車に乗って日帰りできる範囲の近所をブラつくことにした。
毎日同じ電車に乗っているが、方向が違うだけで景色が違って新鮮である。
あと気のせいだと思うが、車内の広告も趣が変わっている気がする。
(そういえば、8番出口の続編がいつかでるんだっけ?)
ごく短い区間の私鉄なので、終点と言っても自宅からは結構近い。
強いて言えば、コンビニ前で一息ついていたアニメキャラ?のTシャツを着たオッサンが目立っていた。
何のキャラか知らんがまぁ、確かに可愛いね、と思いながら通り過ぎる。
特に行先も目的もないが、空腹感はあったので、飲食店を眺めながらとりあえず歩く。
JRの駅との中間地点に、よさそうな定食屋があるらしい。もし見つけたら入ろうと思い、JRの駅の方角に勘で向かう。
なんというか、寂れているとも言えないが、活気があるとも言えない街並みだな・・・と思いつつ歩く
すると前方から異様な出で立ちの女性が。なんのキャラかわからんが、コスプレだろうか。巫女?っぽい?
今まで視界に入る範囲ではそんなイベントをしている気配は全くなかったので、かなりびっくりした。
あぁ、さっきのTシャツのおっさんもそのイベント目当てだったんだな、と一人合点する。
特に面白いことも、美味しそうな店も見つからないままJRの駅前らしき交差点にたどり着いてしまった。
すると何やらアナウンスが聞こえてくる。
なるほど、コスプレイベントは駅前の商店街でやっているらしい。
せっかくなので商店街を見ていくことにする。
ニコニコしたおっさんがごついカメラを構えて、楽し気にコスプレイヤーと話していた。何のコスプレなのかはわからない。
好きなキャラがいるわけでも、写真撮影が趣味なわけでもなく、買い物もする気もないので、凝視するのも申し訳ないなと思い、
横目でコスプレイヤーの皆様を見ながら通り過ぎる。今思えば結構な不審者だな。
何故かわからないが、通路の中央に車が並べられていた。キャラクターが描かれた、派手な車たち。痛車というやつか?
車を背景にコスプレイヤーがポーズを決めていた。んーあれは、ウマ娘だろうか。やったことないからわからん。
一台、やけにクラシカルな車があって、キャラが描かれているわけでもなく、趣旨違わないか?と思ったら
ボンネットはガッツリ痛い仕様だった。車のことも分らんけど、旧車を痛くする文化もあるんだろうか。とにかく金がかかりそうだな・・・・
車やコスプレイヤーやその他諸々を眺めながら歩く。
えーっと、あれは誰だっけ、初音ミクの親戚?VTuberか何か?うわ、あの人すげぇスタイル良いな。誰か知らんけど。
最近の作品はさっぱりだけど、ジブリ作品のコスプレは流石にわかった。
サンとすれ違う。クオリティたけぇな。気付いていないだけで雫と聖司もいたのかもしれない。
黒ずくめなのは、呪術回戦かな・・・ サングラスは五条先生だろうか。
商店街の終わりが見えてきた。
脇に目をやると、屋台で何かを売っている。店員がコスプレしていた。キキとトンボだ。
パンかパイを売っていたら100%買ったんだけどな。なんで、おでんなんだよ。
いや、おそらく、パンもパイも速攻で売り切れたのであろう。誠に残念である。
商店街の出口・・・というか、多分こちらが入口なのだとは思うが、変態仮面が受付にらしき場所に居た。
これはいままでと別の意味で直視はしがたい。すごいなぁ。笑いを嚙み潰して通り過ぎる。
空腹感がどうでも良くなってしまったので、そのまま帰ることにする。
何が言いたいのかと言うと、ジブリって本当にいいもんですね、という話。
師走の喧騒、スクランブル交差点の渦。信号待ちの人波に揉まれ、灰色に染まった空を見上げた。「サルの魂」は、焦燥感に胸を締め付けられていた。バナナの皮ですべって転んだ日から、どうもツイていない。仕事は山積み、財布は空っぽ、恋人には振られた。ああ、今年も終わりか。ため息が白い吐息となって消えた。
その時、視界の端に鮮やかなピンクが飛び込んできた。風船のように軽やかにスキップする「阿呆の魂」。鼻歌を歌いながら、落とした手袋を拾い、誰かにプレゼントするチョコレートを吟味している。その無邪気な姿に、「サルの魂」は思わず目を奪われた。まるでクリスマスの妖精みたいだ。
「いいなぁ、あんな風に何も考えずに生きていけたら」
呟いた言葉は、騒音にかき消された。でも、「阿呆の魂」はまるで聞こえたかのように、くるりと振り返り、「サルの魂」に満面の笑みを向けた。
唐突な言葉に、「サルの魂」は面食らった。素敵なマフラー?十年選手で毛玉だらけの、ただの赤いマフラーだ。でも、その笑顔はあまりにも眩しくて、思わず口角が上がった。
「あ、どうも…」
それから、二つの魂は一緒に歩き始めた。阿呆の魂は、道端に咲く小さな花に感動し、ショーウィンドウの子犬に心を奪われ、行き交う人々に笑顔を振りまいていた。その純粋な喜びに、「サルの魂」の凍てついた心が少しずつ溶けていくのを感じた。
焼き芋の甘い香りに誘われ、屋台に並んで温かい芋を頬張る。阿呆の魂は、半分に割った芋を「サルの魂」に差し出した。
「はい、あーん!」
子供みたいな仕草に苦笑しながらも、「サルの魂」は芋を受け取った。ホクホクとした温かさが、体だけでなく心まで温めてくれる。
何でもない、小さな幸せ。でも、それが今、「サルの魂」にはかけがえのないものに思えた。師走の冷たい風が、少しだけ優しく感じられた。来年は、きっと良い年になる。そんな予感がした。
2000年代は、2chを筆頭に「どんなにネットで騒いでもリアルとは何の関係もない」「所詮ここはごく少数のクズの吹き溜まりだ」という自覚があったよな。
それは陰口化・アングラ化へと繋がっていったので必ずしも良いことばかりではなかったが、一方で「こんなん便所の落書きやしいちいち真に受けてられへん」と変な書き込みをスルーできる理由にもなっていた。
ところがネット人口が増加したことでそれが成り立たなくなってきた。
インターネットはリアルに近づき、リアルと同様の感覚でネットを利用する人が増えた。
おまえがSNSで目にしたムカつく書き込みは、渋谷のスクランブル交差点を練り歩くデモ隊ではなく、片田舎のおっさんがポツリと漏らした独り言にすぎないんだぞ?
そんなんにいちいち引っかかってストレスを募らせてどうするんだ?
パソコンを閉じて家の外に出てみろよ。
誰もそんな話をしてない。
誰もそんなことで騒いでない。
Chern-Simons理論は、特に3次元のトポロジカル量子場理論(TQFT)における中心的な役割を果たす理論でござって、その定式化は主に接続(connection)と曲率(curvature)という微分幾何学の概念に基づいておるのでござる。この理論は、特にゲージ理論とトポロジーの交差点で深い意味を持ち、リー群上の接続のトポロジー的性質を探るものでござる。以下では、厳密な数学的枠組みのもとで、Chern-Simons理論を詳細に説明いたすでござる。
Chern-Simons理論は、主束上で定義される接続から構築されるのでござる。ここで、P(E) を G 群の主束とし、G をリー群、𝔤 をそのリー代数といたすでござる。主束は次のように定義されるのでござる:
P(E) → M,
ここで M は3次元の多様体で、E はファイバー空間を表すのでござる。接続 A ∈ Ω¹(M, 𝔤) はこの主束上の1-形式でござって、各点でリー代数 𝔤 の値を取るのでござる。
接続 A は、接続を持つファイバー上の接続のトランスポートを表現し、リー群の基準を用いて測地線のようにデータを運ぶのでござる。接続 A によって定義される曲率は、外微分 dA と二次の項 A ∧ A を含む、次の形で表現されるのでござる:
F_A = dA + A ∧ A.
ここで、F_A は接続 A の曲率2-形式でござって、ゲージ群 G の接続が示す物理的な局所的な場を表すのでござる。
Chern-Simons形式は、主に接続の曲率を用いて定義されるのでござる。3次元多様体 M 上でのChern-Simons形式 CS(A) は、接続 A の曲率 F_A に基づいて次のように表されるのでござる:
CS(A) = ∫_M Tr(A ∧ dA + ⅔ A ∧ A ∧ A),
ここで、Tr はリー代数 𝔤 のトレースを取る演算子でござって、各項は外積(wedge product)によって形成されるのでござる。具体的には、A ∧ dA は接続 A とその外微分 dA の外積を、A ∧ A ∧ A は接続の3重積を意味するのでござる。
Chern-Simons形式は、ゲージ変換に対して不変であることが重要な特徴でござる。ゲージ変換は、接続 A に対して次のように作用するのでござる:
A → g⁻¹Ag + g⁻¹dg,
ここで g ∈ G はゲージ群の元でござる。この変換によって、Chern-Simons形式がどのように振る舞うかを調べると、次のように変換することがわかるのでござる:
CS(A) → CS(A) + ∫_M Tr(g⁻¹dg ∧ g⁻¹dg ∧ g⁻¹dg).
これは、Chern-Simons形式がゲージ変換の下でトポロジカル不変量として振る舞うことを示しておるのでござる。すなわち、Chern-Simons形式の値は、ゲージ変換による局所的な変更には依存せず、主に多様体のトポロジーに依存することが分かるのでござる。
Chern-Simons理論の量子化は、パスインテグラルを用いた量子場理論の枠組みで行われるのでござる。具体的には、Chern-Simons作用を用いた量子化は次のように記述されるのでござる:
Z_CS(M) = ∫ 𝒟A exp(i ∫_M Tr(A ∧ dA + ⅔ A ∧ A ∧ A)).
この積分は、接続 A に関するパスインテグラルでござって、Chern-Simons理論における量子場理論の構築に用いられるのでござる。ここで 𝒟A は接続 A の変分に関する積分を示すのでござる。
Chern-Simons形式は、特に3次元多様体に対するトポロジカル不変量としての性質が重要でござる。3次元多様体 M に対して、Chern-Simons不変量は以下のように定義され、計算されるのでござる:
Z_CS(M) = ∫ 𝒟A exp(i ∫_M Tr(A ∧ dA + ⅔ A ∧ A ∧ A)).
この不変量は、3次元の量子ホール効果やトポロジカル絶縁体などの物理的現象を記述するのに重要でござる。具体的には、Chern-Simons形式によって、3次元多様体のトポロジーを示す不変量が得られ、量子化されたゲージ理論における位相的な特性を理解するために利用されるのでござる。
驚くほど文化的なものがなにも育たずに空虚な店に埋め尽くされてる街だ。
その結果一種のファンタジー感も生まれてあの交差点を含めて「サイバーな東京」イメージに近い景観を手に入れた。
外国の人は渋谷に来ると興奮する「そうそうTOKYOってこんな感じ」が表現されている。
原宿に裏原があったように渋谷にも裏渋谷的な流れも確かにあった。
特に音楽との結びつきは比較的強いものがあったと思う。サブカルともある程度親密であった。
それと道玄坂のラブホテル街は今は知らないがクラブ文化とともにどこかさっぱりとした猥雑さという独特な空気もあった。
トー横の生々しさはもちろん、どこを歩いても人間がたくさんいる。
ザ・ノンフィクションで流れるサンサーラ「いきて~る いきてい~る~♪」がこんなに似合う街もそうない。
塩っぱいだけの店が立ち並ぶ中、あちらこちらで謎の目配せが発生する街。
無理やりおしゃれにしようとして大きなLEDを頭上に掲げてもみんなうなだれて歩いてるから誰も見ない。
こんなに豊かで物に溢れてるのにまったく幸せそうに見えない、まさにこれがTOKYOという感じ。
他の街はみんな嘘をついているのだ。
どっかの高校がマラソン大会やってるなーと思っていながらドライブしてたら、渋滞になってた。
マラソンしてる高校生達を安全に交差点を通過させるために先生達が緑のおばさんをやってて、左折車が左折できず、直進車も左折車が詰まってるから直進できない状態だった。
この交差点は直進と右折が同じレーン。右折レーンもある。
そこではほとんどの車が左折するんだけど、緑のおばさん状態で一度の青信号で左折(通過)できるのは2台だけになってた。そら渋滞するわ。
何で一高校がそんなことやってるの? 警察に許可もらってるの? と思ったけどそんなわけ無いと思い直し、警察に通報。
セガサターンは、セガから発売され「32bit次世代ゲーム戦争」に参戦していたゲームハードの一つである。ソニーの初代プレイステーションを始め、多くのゲームハードと覇権を競った。稼働時期はおよそ1994年11月~2000年12月で、1998年11月にはセガサターンの次となるドリームキャストが発売され、以降は発売タイトルも下火となっている。
選定レギュレーションとしては、ドリームキャスト発売前後までに登場したタイトルであることを重視、またこの時代から徐々に増えたプレイステーションや3DOなどでも同一タイトルをリリースする「マルチタイトル」は選外とした。
セガサターンといえば豊富なアーケードゲームタイトルを持つセガの移植作が家庭で遊べることが強みの一つであり、本作は光線銃型コントローラー「バーチャガン」も同時発売され、ゲームセンターと同等の遊びを家庭に持ち込んだ。
3Dゲーム黎明期当時のセガは『バーチャ○○○』といった名前で複数の作品をリリースしており、『バーチャコップ』はカメラのズームイン・ズームアウトを多用した緊張と緩和の演出や、コンボ的な爽快感など、後の大ヒットタイトル『THE HOUSE OF THE DEAD』シリーズにも繋がるガンシューティング史の重要作品である。
ゲームセンターで社会現象にまでなっていたお化けタイトルで、かつセガサターンのプラットフォーム初となったミリオンセラータイトルであることから選定。ハードローンチタイトルの初代『バーチャファイター』も当然ながら重要タイトルであるが、8,800円と高額(本作は6,800円)だったこと、ライバルだったプレイステーションを上回るハード普及台数に貢献した(この時期だけであり、すぐひっくり返されている)ことから、『バーチャファイター2』の方を選出した。
セガサターンのスペックは、当時のアーケードタイトルで主力だったMODEL2基板を採用された3D作品を移植するには性能不足が否めず、完全移植とならずナーフされがちで、本作も例外ではない。また、初代『バーチャファイター』と同時発売されていた周辺機器バーチャスティックもお世辞にも操作感が優れているとは言えず、1996年にアストロシティー筐体を再現した後期バーチャスティックや豪華版バーチャスティックプロ登場まで、レバー派は耐えることとなる。
体感筐体で人気を博した『セガラリーチャンピオンシップ』の移植タイトル。『バーチャ2』と同じく、3D表現をナーフされての移植ではあったが再現度はかなり高く、先行して移植された『デイトナUSA』と同時発売された周辺機器レーシングコントローラーにも対応していた。
とにかく1995年の年末商戦は次世代ゲーム戦争が佳境を迎えており、同時期に『真・女神転生デビルサマナー』など他メーカーによる良タイトル供給もあったが、セガからは特に気合の入ったタイトルが多かったと言える。
2D対戦格闘ゲーム『ヴァンパイア』シリーズ2作目。セガサターン後期には拡張RAMカートリッジを活用し、アニメーションパターンを削らず高い移植度を誇る2D対戦格闘ゲームが多く発売されたが、本作はハード発売1年ちょっとにして、拡張RAMカートリッジを頼らずとも高い移植を実現しており、当時多くのハードに移植タイトルを供給していたカプコンの技術力がよく分かる作品である。
セガサターンには『KOF』シリーズや『ストZERO』シリーズなど、高い移植度を誇った2D格闘ゲーム作品が多くリリースされたが、本作はコンボや起き攻めなど、後の2D対戦格闘ゲームにも続いて行く要素が入っていることから選定した。セガサターン標準のコントローラーであるサターンパッドは6ボタン式で、カプコンの格闘ゲームと相性がよかった点も特筆しておきたい。
高いスプライト処理機能を持ち、多くの秀作2Dシューティングゲームが移植されたセガサターンであるが、3Dシューティングゲームの傑作『パンツァードラグーン』シリーズからも挙げておきたい。少年がドラゴンの背に乗って終末文明を駆ける世界観も印象的で、とくに本作『ツヴァイ』では子供ドラゴンの愛らしい形態をテレビCMを見た人も多かったのではないだろうか。
高い威力を誇るロックオンレーザーを使って攻略するシステム面では、同時期にタイトーから発売されていた『レイヤーセクション』(『レイストーム』)の影響も感じられる。シリーズは『AZEL -パンツァードラグーンRPG-』を最後に長く沈黙を続けることとなり、次に挙げる『NiGHTS』シリーズと共に、オリジナルIP作品を育成するのが下手なセガというイメージが定着することとなる。
セガサターンは前後となる世代のセガハードであるメガドライブやドリームキャストと比べ『ソニック』シリーズ供給があまり目立たないハードであった。しかしながら、ソニックチームから完全新作としてリリースされた『NiGHTS』は国内外から高い評価を得る。日本国内においては廉価版「白サターン」に特別ステージを遊べる『クリスマスナイツ』が同梱され、売上以上に多くの人が触った作品である。
ゲーム性は同時期に発売された『マリオ64』のような自由度が高い完全3Dアクションには遠く及ばない、3D風の空間を決められたルートで飛び回りハイスコアを狙う、レーシングゲームやシューティングゲームに近いものとなっており『ソニック』にも通じる爽快感があり、マルチコントローラー(通称マルコン)での操作が気持ち良い。『バーニングレンジャー』と並び、ソニックチームからリリースされたセガサターンの重要タイトル。
ホンダからセガに移った当時の副社長・入交昭一郎氏(通称イリさん)が、ゲームプロデューサーの広井王子氏を口説き落としてキャラゲーの制作を依頼して生まれた、セガの家庭用ゲーム機を代表するシリーズ。戦隊モノやTVアニメを意識した演出や、一度聴いたら忘れられない『ゲキテイ』など、1作目にして完成度が高い。
キャラクター原案に『ああっ女神さまっ』藤島康介氏、シナリオに『爆れつハンター』『セイバーマリオネット』あかほりさとる氏を迎え、多くのアニメ音楽を手掛ける田中公平氏に作曲を依頼する座組で制作された。スチームパンクな世界観でシミュレーションRPGと恋愛ゲームを融合させ、高い人気を誇った楽曲とキャラクターを活用した「歌謡ショウ」も多くの公演が開催され、今で言うところの「中の人」によるライブをさせる興行形態に先鞭をつけた重要作品。
3Dアドベンチャーゲーム『Dの食卓』で時代の寵児となった飯野賢治氏が手掛けたSFアクションゲーム。プレイステーションを代表するシリーズとなった『バイオハザード』の影響を感じさせるゲーム性で、初見殺し要素が多く『デスクリムゾン』ほどではないがクソゲー評価もそれなりにある。
そんな本作であるが、ゲーム史を語る上で欠かせないのは、元々プレイステーションで発売を予定していたにも関わらずソニー主催の「プレイステーションエキスポ」でセガサターン移籍をイリさんのビデオメッセージと共に大々的に発表するという、センセーショナルな告知手法が採られたことにある。未発売となった『300万本RPG』ともども、未だに語り草となる飯野賢治氏の破天荒な行動を象徴する1本として選出した。
プラットフォームとしてのセガサターンを語る上で外せないのが独自レーティングシステムの存在で、「18歳以上推奨」「18歳未満販売禁止」といったカテゴリで販売されたタイトルがあったことだ。むふふな脱衣シーンがナーフ移植されがちな脱衣麻雀タイトルも乳首券発行で完全移植された上に、いわゆる成人向け美少女ゲーム、平たく言ってしまえば「えっちなゲーム」が移植されて遊べる家庭用ゲーム機だったのだ。このレーティングシステムの存在によって、それまでアンダーグラウンドで傍流な存在だったPC向け美少女ゲームの名作群が、メインストリームと言える家庭用ゲーム機に移植が実現しより多くのユーザーに「発見」されたのは、日本のゲーム史においても重要な出来事だったと言える。
『EVE burst error』は令和になっても続編が制作される『EVE』シリーズの1作目で、2人の探偵役の視点を切り替えながら(セガサターンではCD-ROMを入れ替えながら)謎解きの進行するアドベンチャーゲームであり、ゲームデザイナー菅野ひろゆき氏を代表する作品の一つ。他にも『同級生』『下級生』『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』など、豪華な声という付加価値を付けてセガサターンに移植された名作タイトルは幾つもあり、このカテゴリからの選出作品は遊んだ人の思い入れに応じて読み替えて欲しい。また、次世代ゲーム戦争においてプレイステーションの優位が確定してからは、『To Heart』のようにエロ要素を完全排除してセガサターンではなくプレイステーションに移植されるタイトルがあったことも記しておきたい。
スーパーファミコンを代表するRPGシリーズの最新作『ファイナルファンタージ7』がプレイステーションへの独占供給が発表され、お通夜状態だったセガサターン陣営にとって希望の星とされ並々ならぬ期待を背負って発売されたオリジナルRPG。当時のサターン専門誌でも毎号のように特集記事が組まれていた。
スチームパンク世界で冒険家を夢見る少年ジャスティンの成長を描いた「王道中の王道」で、仲間との出会いと別れが感動を呼ぶストーリーや、攻撃側有利な戦闘システムも人気を博した。売上で『ファイナルファンタージ7』には遠く及ばなかったものの、RPGが弱いと言われ続けたセガサターンの中でも(プロモーション主導とはいえ)強い存在感があったこと、ドリームキャストなどに続編が供給されたことを考慮し選出。
2Dゼルダ『神々のトライフォース』にインスパイアされたアクションRPGの名作。
どちらも時代を代表するタイトルだがマルチタイトルのため選外。コナミはこの時代からマルチタイトルが多い。
弾幕シューティングとして重要なタイトルかつ良移植だったが、マルチタイトルだった気がするため選外。
個人的にはとても思い入れがあるが、セガのアーケードタイトル移植には重要作品が多くて選び切れない。ツインスティックを5,800円で家庭用ゲーム機の周辺機器として発売するなんて頭イカレてるよね~(褒めてる)。
サウンドノベルの超名作。10選に入れるか最後まで悩んだが、アドベンチャーゲームでは、レーティングシステムによって移植実現した美少女ゲームから1作を選んだ方が妥当と判断し選外に。
雑に言うとダビスタのサッカークラブ経営版。2作目めっちゃ遊んだ。
マジック・ザ・ギャザリング+モノポリー+いただきストリート。任天堂ハードの携帯機と相性がよく今ではすっかりそちらのイメージが強い。
マルチタイトルであること、バーチャ2のインパクトには負けることから選外。おっぱい。
ボイスイベントが入ったことからロボットアニメ作品をクロスオーバーさせるスパロボシリーズに新しい価値を持ち込んだ重要な作品に位置付けられるが、完結編の敵雑魚インフレがバランス崩壊気味だったため選外。プレステから始まったスパロボαの方がシリーズ全体としては重要と言えそう。
むちゃくちゃ好きだがマニアック過ぎると判断し選外。異世界おじさんが選んだら10選に入ってた。
むちゃくちゃ好きだがマニアック過ぎると判断し選外その2。トレジャーの作品にはこういうものが多い。
「ふつうの軽音部」の高校のモデルはどこなのだろうか。ルーキー版とジャンプラ版で設定が異なることもあり、明確な答えは出ないことはわかっているけれど、ちょっと考えてみようと思う。以下、とくに明示しなければジャンプラ版の話です。
まず、谷九高校という架空の高校が舞台になっているけれど、地理的な面から考えると候補に挙がるのは高津(こうづ)高校だ。谷九交差点から徒歩16分とやや距離はあるが、それでも府立高としては最短距離にある。私服校なのでその点はややイメージが違うが、校則なし、軽音部が人気で部員数100人を超えるといった点は雰囲気に合う。ただ、問題はまあまあな進学校であるという点で、毎年京大10名、阪大・神大30名ずつという進学成績、入学時点では基本国公立をめざすというレベルなのである。彩目が進学を考えていなかったり、ヨンスが国公立狙うという理由で部活をやめるというエピソードとちょっと合致しない。バイトをする生徒がほとんどいないのも、イメージとずれる。
谷九からもうすこし範囲を広げて、夕陽丘高校はどうだろうか。進学レベルや学生の雰囲気はなんとなく合うところもあるが、普通科だけでなく音楽科がある高校という特徴がじゃまをする。北方向に範囲を広げて清水谷高校というのも「ふつう」っぽさではありだが、これはもう谷九じゃなくて谷六高校だろう。これまでのストーリーで大きな役割を果たした長居公園から離れていくのもマイナス要素である。
そう、ストーリー展開から考えると、長居公園から離れすぎてはいけないのだ。そちら方面で候補を考えると、住吉、東住吉、阿倍野、今宮あたりが浮かんでくる(天王寺は高津の上を行く進学校なので除外)。東住吉は普通科以外の存在感が大きすぎ、阿倍野は国公立進学に現実味がないのでちょっと違うだろう。
そうなると住吉と今宮に絞り込まれるわけだが、ここでルーキー版の最初の方、新歓ライブの場面が生きてくる。軽音部員が着ているTシャツに描かれているのはTEN-CHA K-ON CLUB、つまりもともと地理的には天下茶屋周辺の高校をモデルにしていたと思われる。なぜジャンプラ版で谷九にしたのかはわからないが。
今宮と住吉のどちらかというと、やや住吉の目が強い気がする。今宮は昔はともかく現在では国公立を狙える高校ではなくなりつつあるし、なにしろ町田町蔵の出身校、ふつうの軽音部というにはストーリーを背負いすぎている。住吉なら、上位は国公立を狙い、ボリュームゾーンは関大〜近大、進学しない子も少数いて、バイトやってる子も珍しくないという「ふつう」っぽさがあるのだ。
ちなみにレイハさんの通う七道高校は見当がつかない。天王寺か三国丘かと思うけど、どちらも七道駅からは遠いし、鳩っちと水尾が住吉であるなら中学は大阪市内と想像され、すると天王寺の線が強いと思うけど、わざわざ七道なんてマイナーな実在の地名を付けた意図はよくわからない。
ここまで考えてきて、大阪で「ふつう」の府立高を探すことは今やわりと難しいのだなと思った。文理学科をもつ進学校10校とそれ以外の距離がありすぎて、大阪の「ふつう」の高校生は無償化以降、私立の方に多いのかもしれない。
今年3月のことだ。
休日の仕事仲間との付き合いの帰りに、京都の河原町三条付近をうろついていた。割と深夜である。人通りはそれなり。
ただ何となく、学生の頃が懐かしいなと思った。それでうろついていた。
そこで、見てしまった。六角通だったかな、そのあたりの交差点で泥酔した若いカップルがいた。大学生くらいかな?
信号待ちをしていて、ふたりとも肩を組んでふらついていて、特に女の子の方が危なげだった。
男子の方もやはり危ない感じで、呂律が回ってない感じで女の子に声をかけたり、抱きしめたり、思い切りキスをしたりしていた。
と声をかけたが、「ええです、ええですから」ということだった。
ここは田舎じゃないので関わらないのが正しいのだが、気になってその子らの後を少しだけ追ってみた。
もしやすごく近所なのかもしれないと思って。ウザいかもしれんが、私の方には事情があった。
あのふたりは交差点の信号を渡って、高倉方面の商店街の方向に抜けて行った。
後を追って、商店街に入る前の住宅エリアまで行くと、道路端でやっぱりフラついていた。
もう一度だけ声をかけることにした。「タクシー、本当にええんか?」と聞くと、「ええです!!」と返ってきた。
女の子は普通にL型側溝のあたりでゲロを吐いていた。呂律が回ってない発言をこっちにぶつけてきた。怒っている。中国人か台湾人?のようだった。
次第に、何人か集まってきた。何十人というわけでもないが。やじ馬だった。
やじ馬の数人が近くに寄ったが、声をかけることはない。当方はちょっと迷ったのだが、ここで行くしかないと思った。
私はそこまで酔ってなかった。会話をある程度思い出すことができる。
「ねえ、救急車呼ばないと駄目だ。あなたはいいかもしれんが、女性の方が明らかにおかしい。目線とか」
「ほっといてください!!」
「いや、わかるんだけどさ。その子が」
続けて会話をしようとしたが、やじ馬が本当にうるさいことになっていた。
いい年したおじさんもいた。恥ずかしくないんかと思った。
「ちょっと、あんたら。この子らと話がしたいんで。救急のこともある。静かにしてくれます?」
とやじ馬に言ったら、「こいつ何なん?」という表情をされた。
例の男の子の方も、「あんた関係ないですよね?」と声を上げたと思う。
と、当方が声を上げざるを得なかった。
当方が手で「あっちに行って」とジェスチャーすると、やじ馬は遠巻きになった。
と言ったら、さすがに全員どこかに行くみたいにして、しかし何人かはこっちを見ていた。
座り込んでいた男の子の方が、女の子を仰向けに抱えながら、こんなことを言ってた。
「それは後で。その子また吐いてる。はやく、横に寝かせて。ごめんけど救急車呼ぶね」
「ちょっとあんた、携帯触らんでいいですから、ねえ、ちょっと。勝手に。犯罪ですよ」
「それは兄さんが決めることじゃない。消防が来てから判断してもらおうや」
結局、数分後に救急車が到着した。あっという間だった。
本当は呼んですぐに立ち去りたかった。
でも、都会の方だとこうなのかもしれない。119番通報したら、「通報者の方、現地にいてください!!」とキッチリ言われたのだ。命令形である。
女の子がタンカに乗せられて、救急車に入って、男の子の方が歯ぎしりするみたいに当方をにらんでいた。
「御関係は?」「どういう経緯で?」「あなた自身はトラブル起こしてない?」
など聞かれたが、最後の質問の後に、財布に入れていた市の職員証を見せると、年配のお巡りさんが複雑な表情をしていた。
「すいません、やはり越権行為ですか?」
と聞いたら、
「いや。もういいです。越権行為ですけどね、それはもういいです。お勤めご苦労さんです。トラブルだけには巻き込まれんようにね。兄さん知ってるやろけど、夜の木屋町は本当に危ないからね。犯罪にだけは巻き込まれんように。次回は関わらん方がええよ」
と、こんなことを言われた。
子どもの頃は、美山町という田舎町に住んでいた。京都の北部にあるのどかな町である。近所の人が危ない時に救急車を呼んだ現場にいたことが二度ある。
でも、京都市のど真ん中でそれは、やりすぎだったかもしれない。一般的にはスルーするのが正解だろう。
公務員には国民や市民を救護する義務が定められている(法律じゃなくて内規だけど)。それでも、あの場合はスルーするのが正しいと思う。
早朝から中国人が免許試験場に大行列…目的は“外免切替”のニュースについたブコメで気になるものがあった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.fnn.jp/articles/-/775482
「中国の運転ルールは日本とは全く異なる。例えば信号が青でも歩行者は優先されない。圧倒的な車優位ルールなの。本当に怖い事だ。」
というブコメが76のスターを集め、上位3位ブコメになっている。
どの国でも(実態は別として)ルールでは歩行者優先が当たり前だと思ってたので、中国が例外的に車優先のルールを採用してるとは聞いたことがなかったので本当か?と疑問に思い、調べてみた。
AFP通信の2017年12月3日ニュース 『車と人、どうしたら譲り合いできる 中国「歩行者優先」を強化』
https://www.afpbb.com/articles/-/3153624
「中国の運転免許試験に10月1日から、「運転手は横断歩道を通過する際や交差点を直進、左折、右折する際、優先されるべき車両や歩行者、軽車両へ道を譲らなければ不合格となる」という新たなルールが導入された」
「『道路交通安全法』によると、自動車は横断歩道を通過する際は減速しなければならない。歩行者が通行中であれば停止しなければならない、と規定されている。」
とのことで、中国の法律でもやはり歩行者が優先で、車が停止しなければならないルールとなっていて、上位ブコメにある「歩行者は優先されない、圧倒的な車優先ルール」なるものは存在しないようだ。
実態としては横断歩道で止まらない車が多いとの内容があるのも確かだが、それは日本も同じだし、
ルールである法律が守られてない実態を「圧倒的な車優先ルールがある」というのは全く不誠実で、不正確だろう。
日本の信号のない横断歩道(ルール上では歩行者絶対優先)に歩行者がいるときの自動車の停車率については、県別の調査結果があり(https://uub.jp/pdr/t/stop.html)、
AFP通信のニュースがあった2017年で見ると数%台の都道府県が多くものすごく酷い状態で、そこから取り締まりの徹底で少しずつ上昇しているが、最新の2023年では長野県は止まる車が80%と多いに対し、北海道、茨城、福井、大阪、佐賀、新潟県はいまだに20%台の車しか止まらないなど、地域差もある。
歩行者優先が徹底されているヨーロッパに比べれば日本は実態としてだいぶ歩行者優先が弱いといえるだろう。実態をルールと言ってしまうなら、「日本でも(一部地域では)圧倒的に車優先ルールなの」も成り立ってしまう。
(中国も2017年の記事で歩行者優先のルールを守らせるべく警察が取り締まり徹底とあるので、日本のように停車率が向上してると思われるが、最新の調査結果等は見つからなかった)
こういう調べればすぐにわかる誤りブコメがスター集めて上位ブコメになるの、なんなんだろうね。
こういう事実誤認、もしくは意図的なデマであっても、中国やロシアが対象なら指摘されずスルーされ、むしろ「そうだそうだ、中国は酷い国だ!(嘲笑」とはやしたてられるような雰囲気があるよね、はてブって…
俺が遭遇した危ないおばさんは、
横断歩道を渡ろうとしている人間を無視して発進、交差点に進入した。
何のための指差呼称なの?
歩行者優先を知らないの?
そうゆうおばさんは結構いる。
特に学生時代、グループ内で浮いている人がいた時に周りはどうしたらいいか教えてほしい
自分のグループではないけど、大学時代に仲良い人たちのグループにそういう人が混ざってて、その人が喋るたびになんとなく盛り下がっちゃうので周りから見ててちょっとヒヤヒヤしていた
最初に声かけられた時にマンガの話で盛り上がってグループにいるようになったけど、グループが固まったらその人だけ2ちゃん(当時)やらないとかで根本的に文化が違かった、みたいな
また別の話だけど、中学時代にいじめられてる女の子がいて、けど席も近いし私は普通に接してたの
そしたらいきなり親友!と無理矢理腕を組まされ、逃げると学校の前の交差点で一緒に帰ろうと張っている、みたいなことをされたことがある
同じ部活にまで途中入部してきていつも一緒、仲良しグループに無理やり入ろうとしてくるからみんなゲンナリ
もちろん好きなものも全く違うので、話をしていて楽しいとかはない
標記の通りクソザコ字書きなので、程度の低い話をする。
今日のXの揉めっぷりは大層だが、騒いでいるのはほとんどが絵描きに見える。
文字情報は画像情報よりずっと昔からあって、それだけ古くからAIにもぐもぐされてきただろう。いまさら自分の文章を食われたところで、どこかで食べた味の劣化版でしかないと思う。
それに「美しい文章」はそれぞれの言語の「文法」というものである程度固定化されていて、AIには学習しやすいんじゃないだろうか。少なくとも「頭痛が痛い」みたいなアホな事は起きなさそうだ。
小説作成AIをぽちぽちした事はほんの数分だけあるが、まあそれなりの文章が爆速で出てくる出てくる。
展開とかも調整できるんですって。すごいね。
慣れれば素晴らしい相談相手になるだろう。こんなキャラなんすよ、と入力したら、整合性の取れた行動の案とか言いそうなセリフとか出してくれる。
推敲や誤字脱字チェックなんてよほど正確そうだ。
推しの行動原理などキャラクター情報を入力して、好きな展開を書かせて、キャラクターの名前だけ置き換えればいい。
つかお題ガチャじゃん。あれ楽しいもん、インスタントに推しカプが摂取できて。脳が死んでる時にやると時間が溶ける。
テンプレ小説なんて溢れてるし、エロ小説なんてその最たるもの。濁点で喘がせてハートたくさんつけておけば、一次創作でも二次創作でもそれでインプレもいいねもめちゃくちゃ取れる。
結局そういうものが求められている。
じゃあそういうのを作ればいい。生成AIで。
赤ちゃんに「これ(○)は『まる』だよ」と教えた時点で、根本的な独自性は失われる。もしかしたら赤ちゃんが「アッバ」と声に出した通り、「まる」は「アッバ」かもしれなかったのに。
ただ、これはある程度のくくり(生まれた国や言語による)の中で、社会的なルール・共通の認識を得るためには避けて通れない。隣の人が「まる」をずっと「アッバ」て言ってたら怖い。
多くの先人によって作られたものを見て「こんな表現があるんだ!」と驚いて、その真似をして、つまみぐいのハイブリッドが自分の感性だ。
そのつまみぐいのハイブリッドこそが、奪われてはならない「わたし」そのものなのだ。
今日は朝から空がずいぶんと黒ずんでいた。こりゃ本格的に雨が降るかなと危ぶみながら車のブレーキを踏んだ。
その時、いつも通る交差点にまたがる電線が青い事にはじめて気がついた。
黒い空に青い電線が不自然なくらいはっきりと浮かび上がって、だれが何のために、どうして青くしたんだろう、と通勤中はそればかり考えていた。
電気工事をしただれかは知っているし、ここを通る人達は知っていたかもしれない。でも、今日の朝にあの場所で気がついたのはわたしだ。
ちなみにこれをなんとか短歌にしたかったが、うまく詠めていない。この辺がクソザコ字書きである。
こうした感動を書いた結果、うわっつらだけを真似られて、どこかのだれかの小説に使われるのだとしたら、それはやっぱりおもしろくない。
ひねりにひねって考え出された美しい表現も、
度肝を抜かれるようなどんでん返しも、
エロ小説は濁点ハート喘ぎでの文字数稼ぎをやめろ。クリックしたときのウキウキを返してほしくなるから。
話がとっ散らかった。この辺もクソザコ字書きなのだ。考えがまとまらず、フラフラとブレながら、それっぽい事を書いて「それっぽい事書けとるわ」と悦に浸っている。
・文章は既に絵よりたくさん食われているから今更食われても蛇足でしかない
2024/10/11、テスラがイベント「We, Robot」で新しい自動運転タクシー「Cybercab」と多目的自動運転バン「Robovan」、さらにロボット「Optimus」を発表したね。
テスラはEVで中国車メーカーと競争するのは諦め、これからますます自動運転に力を入れるだろうね。
Cybercabは、ハンドルもペダルもなくて完全自動運転を目指したもの。運転コストは1マイル約20セント(1 kmあたり約19円)で、価格は3万ドル(約450万円)以下を目標にしている。量産は2026年を予定しているものの、イーロンタイムだから本当に実現するのかはわからない。でも、夢はあるよね。移動がもっと安く、もっと安全で、人間が運転から解放され、さらにタクシーとして稼げる。実現したら最高だと思わない?
Robovanは20人も乗れる自動運転バンで、商業利用も視野に入れているらしい。まさに未来の移動手段って感じ。だけど、これらが日本で使えるようになるかはまだ不透明。テスラはまずアメリカ市場を優先するし、日本の自動運転に関する法規制も厳しいから、Cybercabに乗れる日が来るのはまだまだ先かも。
じゃあ、日本の自動運転はどうかというと、国内メーカーも少しずつ追いついてきてる。以下、日本で使えるハンズオフ技術の例を紹介するね:
高速道路での単一車線走行中にハンズフリー機能が使える。ターンシグナルを操作すると、車線変更も自動で行える。これで高速道路での運転が少し楽になるよ。
40 km/h未満の低速走行時にハンズオフが可能で、車線維持と車線変更のサポートがある。日常の通勤や長距離移動に頼りになる技術だね。
40 km/h以下の低速で車線内を走行する際にハンズフリーができる。特に渋滞でのストップ&ゴー運転で力を発揮する。
これらの技術はまだ完全自動運転には程遠いけれど、少しずつ手放し運転が可能な範囲が広がっているのは確か。特に、高速道路や渋滞中の運転ストレスを軽減してくれるのはありがたいね。
世界的には完全自動運転の競争が激化している。Waymoはアメリカの一部地域で完全無人運転を実現しているのに対し、テスラはまだ完全自動運転には到達していない。彼らのFSDは開発途中で、常に人間の監視が必要なんだ(その名も「FSD supervised」ってところが面白いけどね)。
日本のメーカーは、法規制や安全性の高いハードルがある中で着実に進化を続けている。日本市場への展開は慎重だけど、その分信頼性も高めてくれることを期待したいところ。いつか、日本でもCybercabやRobovanが街を走る日が来るのか、それとも国内メーカーが先に未来の移動手段を提供してくれるのか。どちらにしても、技術の進化を見守っていくしかない。
ここまで、日本の自動運転とテスラの競争が注目されてる中で、全然話題に上らないけど、中国の自動運転企業が急成長している。特にBaidu、Pony.ai、Momentaがリーダーで、北京や上海などの都市でロボタクシーの実用化を進めているんだ。たとえばPony.aiは2025年までに1都市で1,000台規模のロボタクシー運用を目指していて、コスト削減を図る予定だとか。こんな規模で動き出せば、日本やテスラも気づかないうちに追い抜かれるかもしれないね。
さらに、Huaweiは高精度地図に頼らない「エンド・ツー・エンド」アプローチで、深層学習を使ったシステムを開発中。これで複雑な交差点もスムーズに通過できるようになる可能性があるし、5Gを活用したV2X(車両と周囲の通信)技術も推進中。これが普及すれば、車同士がリアルタイムで情報を共有する世界が現実のものになるかもしれない。
トヨタはPony.aiに約4億ドルを投資し、Momentaとも提携して自動運転技術の向上を目指している。両国の技術革新が加速する中、日本市場にも高度な自動運転技術が展開されるかも。
金庾信が新羅の将として新たな道を歩み始めた頃、階伯(かいはく)は百済に逃れ、そこでもまた戦乱の中に身を置いていた。百済は、かつて倭人と深い結びつきを持ち、彼自身もその血を引く国だった。階伯は、伽耶を捨てる形で逃げ延びたものの、その胸の中には常に復讐と再起の思いが燃えていた。
百済に到着した階伯は、まずその地での立場を確立するために、幾度かの小規模な戦に参加した。百済もまた、新羅や高句麗と対峙し、常に領土を脅かされている国であり、戦士としての能力が高く評価される場所だった。階伯の武勇はすぐに百済の軍でも認められ、やがて彼は百済軍の指揮官として重用されるようになっていった。
百済の宮廷では、階伯の出自についても様々な噂が飛び交った。彼が倭人の血を引いていることは知られていたが、伽耶出身であること、そして伽耶を見捨てて百済に来たことについては、一部の者から疑いの目を向けられていた。しかし、階伯はその全てを跳ね返すかのように、戦場での功績を積み重ねていった。
百済の王、**義慈王(ぎじおう)**もまた、階伯に目をかけ始めていた。義慈王は、百済の衰退が進む中で、その国力を回復させるためにあらゆる手を尽くしていたが、新羅や高句麗の圧力に苦しんでいた。そんな中、階伯の実力は彼にとって貴重な戦力となっていった。
ある夜、義慈王の下に呼ばれた階伯は、広間に集まった重臣たちと共に百済の現状についての議論に加わっていた。義慈王は憂いを帯びた表情で地図を眺めながら、階伯に向かって口を開いた。
「階伯、我が国は新羅の脅威に晒され続けている。伽耶を飲み込んだ新羅は、今や我が国に対しても侵略の手を伸ばしてきている。お前の戦略と知略を借りたい。百済を守るためには、お前の力が必要だ」
階伯はその言葉を聞き、ゆっくりと頷いた。彼もまた、新羅を憎んでいた。伽耶の地を奪い、幼馴染である金庾信さえも失うことになったあの国に対しては、かつての友をも超えた強い敵意があった。
「私が百済のために戦うのは当然のことです。しかし、義慈王よ、私はただ守るだけではなく、新羅を打倒し、伽耶の魂を取り戻すためにも、この戦いを挑むつもりです」と、階伯は力強く答えた。
義慈王は満足げに頷き、「それでこそ、階伯だ。我が国には、お前のような戦士が必要だ。新羅に対抗するためには、攻めの戦略が必要だ。お前に指揮を任せることにする」と告げた。
こうして、階伯は新たな使命を受け、百済の軍を率いて新羅との対決に向けた準備を進めていった。彼の胸には、伽耶を失った者としての誇りと、新羅に対する激しい復讐心が渦巻いていた。百済の将として新羅と戦うことで、自らの失ったものを取り戻すと同時に、友であった金庾信に対する複雑な感情も彼を駆り立てていた。
時が経つにつれて、金庾信は新羅の中で将軍としての地位を確立していった。新羅の軍事戦略の中核を担い、彼の戦略的な才能と武勇は、数多くの勝利をもたらしていた。だが、心の奥底では常に伽耶のことが消えることはなかった。新羅のために戦う中で、かつての友であった階伯との再会が訪れることを、金庾信は薄々感じ取っていた。
そしてその時がやって来る。百済が新羅への侵攻を開始し、階伯が率いる百済の軍勢が新羅の領土に迫るという報が入った。新羅軍を指揮していた金庾信は、その戦場に階伯がいることを知ると、心がざわめいた。
新羅と百済の軍勢が激突する戦場。両軍の兵士たちが剣を交え、矢が飛び交う中、二人の姿が戦の煙の中から現れた。金庾信は、新羅の将として立つ自分の前に現れた男が、かつての友であった階伯であることをすぐに見て取った。
階伯もまた、金庾信の姿を見て、戦場で止まることなく近づいてきた。お互いに剣を抜いたまま、互いの目を真っ直ぐに見つめ合う。
「庾信、お前もついに新羅の犬となったか…」階伯は皮肉交じりに言った。「かつて伽耶を守ると誓っていたお前が、今や伽耶を滅ぼした新羅に仕えているとはな」
金庾信は冷静な表情を崩さずに答えた。「お前が百済に逃げたことを、俺は恨んではいない。お前なりの道を選んだのだろう。だが、俺も俺の道を選んだ。伽耶を守るためには、力を蓄えるしかなかった。そして、そのために新羅で生き延びる道を選んだだけだ」
「力を蓄えるだと?」階伯は剣を握りしめた。「お前が何を言おうと、新羅は俺たちの故郷を滅ぼした敵だ。その事実は変わらない。お前が新羅に仕える限り、俺はお前を討つしかない!」
金庾信は深いため息をつき、剣を構えた。「そうか、階伯。ならば、俺たちの運命はここで決することになるのかもしれない」
そして、二人は激しい戦いへと突入した。幼馴染であった二人は、それぞれの信念を胸に、剣を交えた。戦場の喧騒の中で、二人の刃は何度も交錯し、火花を散らす。しかし、その戦いには単なる敵対心ではなく、かつての友情の残像が宿っていた。
二人の戦いは熾烈を極めたが、やがて階伯が一瞬の隙を見せた。金庾信はその瞬間を逃さず、階伯の腕を捉えた。剣を振り下ろす寸前、二人の視線が再び交差する。
「これで終わりか、庾信…」階伯は苦しげに呟いた。
金庾信は剣を振り下ろすのをためらい、その手を止めた。「いや、終わりじゃない。お前を殺すことは、伽耶を完全に失うことになる。俺たちは、まだ生きている。だからこそ、伽耶の魂は消えていない」
階伯は金庾信の言葉に驚き、彼を見つめた。
階伯は驚きに満ちた目で金庾信を見つめた。激しい戦闘の最中、息を切らしながら、彼は刃を自分に向けたまま動かない庾信をじっと見返す。汗が額から流れ、地面にポタリと落ちる音が戦場の喧騒に溶け込んだ。
「庾信…なぜ止める?今ここで俺を斬るべきだろう。俺はお前の敵だ。お前が仕える新羅に刃を向ける百済の武将だぞ」
金庾信は静かに剣を下ろし、深く息をついた。「階伯、お前は俺の敵ではない。たしかに今、俺たちはそれぞれの国に仕えている。だが、伽耶の誇りは、お前も俺も忘れてはいない。伽耶が滅び、百済に逃げ延びたお前も、そして新羅に身を置いた俺も、同じ魂を持っている。それを無意味な血で汚すつもりはない」
階伯は一瞬、何かを言い返そうと口を開いたが、言葉が出なかった。庾信の言葉が彼の心に深く刺さっていた。彼もまた、新羅に対する憎しみの陰に、かつての伽耶への忠誠と誇りを抱いていた。だが、それを口にすることはできなかった。
「俺たちは同じ故郷を持つ者だ」と金庾信は続けた。「伽耶はもう存在しないかもしれない。だが、俺たちが伽耶を忘れなければ、その魂は消えない。お前をここで討つことが、伽耶のためになるとは思えない」
階伯はしばらくの間、無言で立ち尽くしていた。握りしめた剣を緩めることもせず、ただ金庾信の言葉を心の中で反芻していた。彼の胸には、新羅への怒りと失われた故郷への哀しみが渦巻いていた。しかし、それでも――庾信の言葉が持つ力は否定できなかった。
「…お前は、本当に変わらないな」階伯はようやく口を開いた。「幼い頃から、ずっと正しいと思うことを曲げない。新羅に捕えられ、あの残酷な敵に仕えるようになっても、お前の本質は変わっていない」
庾信は苦笑した。「俺が正しいのかどうかは分からない。だが、戦うべき理由が間違っているとは思わない」
階伯は剣をゆっくりと鞘に収めた。そして、深く息を吐き出しながら、険しい表情のまま言葉を続けた。
「…俺は百済の将だ。そして、今は百済のために戦うしかない。だが、お前が言ったことも忘れない。伽耶の誇りを守ること、それが俺たちにとって本当の意味での戦いなのかもしれないな」
その言葉を聞いた金庾信は、少しだけ安堵の表情を浮かべた。
「階伯、俺はここでお前を殺さない。だが、次に戦場で会った時はどうなるか分からない。俺たちはそれぞれの道を歩んでいるが、伽耶の魂を背負っていることだけは忘れないでいてくれ」
階伯は無言で頷いた。そして、互いに剣を引いた二人は、戦場の混乱の中に戻ることとなった。
その後、階伯は百済に戻り、百済軍の指揮官としての地位をさらに確固たるものにしていった。彼の新羅への敵意は揺るぎないものだったが、金庾信との再会は彼の内面に深い変化をもたらしていた。伽耶の誇りを守るという思いが、彼の中で新たな決意となって燃え始めていた。
一方、金庾信は新羅の将軍としての責務を全うし続けた。彼は新羅のために戦うことを選んだが、常に伽耶の魂を胸に秘め、かつての友である階伯との再会が彼に与えた影響を忘れなかった。
そして、朝鮮半島の戦乱はさらに続き、新羅、百済、高句麗、倭国の勢力が互いに争い合う時代が進む中で、二人は再び運命の交差点に立つことになる。
運命のいたずらか、二人は再び戦場で相見えることになった。新羅が百済を侵攻する中、階伯は百済の将軍として自国を守るために立ち上がり、金庾信は新羅の戦士として攻め込んでいた。どちらも国のために戦っていたが、その心の中ではかつての友情と誇りが消えずに残っていた。
激しい戦の末、二人はまたもや剣を交える瞬間が訪れた。周囲の兵士たちが倒れていく中、再び顔を合わせた彼らの間にあるのは、ただの敵意ではなく、複雑な感情が入り混じっていた。
「また会ったな、庾信」と階伯は冷ややかな笑みを浮かべた。「今度こそ決着をつけよう」
「そうだな」と金庾信もまた剣を構えた。「だが、どちらが倒れるにせよ、俺たちが背負うのは伽耶の誇りだ。それを忘れるな」
そして、激しい戦闘が再び繰り広げられた。二人の技量は拮抗し、互いに譲らぬ戦いが続いた。だが、この戦いの行方は、単に個人の勝敗だけではなく、朝鮮半島の未来をも左右するものだった。
最終的に、新羅は百済を破り、朝鮮半島の覇権を握ることになる。だが、その過程で階伯は百済の最後の希望として奮戦し、最期までその誇りを失わずに戦い抜いた。そして、金庾信もまた、新羅の将軍としてその戦いを見届け、勝利の中で何かを失ったような感覚を覚えていた。
階伯が最後に発した言葉は、金庾信の胸に深く刻まれることとなる。
「庾信、俺たちは結局、どちらも伽耶を守れなかったが…それでも、その誇りを忘れるな。お前も、俺も」
金庾信はその言葉を胸に秘めながら、新羅の将としてさらなる歴史の舞台へと歩みを進めた。そして、彼の名は後に新羅を統一へと導く英雄として歴史に刻まれることとなるが、彼の心には常に伽耶の魂と、かつての友であった階伯の存在が宿り続けていた。
新羅と百済の最終的な対決の時が近づいていた。新羅の軍勢はついに百済の首都、泗沘(しひ)へと迫り、朝鮮半島の歴史を決定づける大戦が始まろうとしていた。百済は窮地に立たされ、階伯は百済軍の中核を担う指揮官として、最後の戦いに挑むこととなった。
その一方、新羅の軍を率いるのは金庾信だった。かつての幼馴染、今は新羅の英雄として名を馳せる男が、百済の滅亡を目前にしていた。だが、金庾信の心は揺れていた。彼は新羅の将軍としての責務を果たすべき立場にあったが、階伯との再会は、彼の中に忘れられない過去を呼び覚ましていた。
泗沘の城壁を前に、新羅と百済の軍勢が激突する。無数の兵士たちが入り乱れる戦場で、階伯は冷静に戦況を見据えていた。百済は圧倒的に不利な状況にあったが、彼の士気はまだ失われていなかった。彼はその誇りと共に戦い続け、そして、その時が来た。
戦場の中央、階伯の前に現れたのは、やはり金庾信だった。互いの存在を察知し、兵士たちの波が裂けるようにして、二人は顔を合わせた。
「庾信…やはりお前か」
階伯は剣を抜きながら、低く呟いた。彼の目は鋭く、幼馴染の頃の面影を見せながらも、今は敵としての覚悟がその瞳に宿っていた。金庾信もまた、静かに剣を抜き、慎重に階伯を見つめていた。
「階伯、これ以上の戦いは無意味だ。百済はもはや滅びる運命にある。お前も分かっているはずだ。無駄に命を捨てるな」
金庾信の冷静な声に、階伯は一瞬だけ笑みを浮かべた。だが、その笑みには苦しさと怒りが入り混じっていた。
「滅びる運命だと?それを言うのがお前か、庾信。かつて伽耶を守ろうと誓ったお前が、今や新羅の将軍となり、百済を滅ぼす側に立っている。そのお前が言うか?」
庾信は言葉を失った。幼い頃、共に過ごした日々、伽耶の未来を夢見た日々が蘇ってきた。だが、現実は違っていた。自分は伽耶を守ることができず、新羅の軍人として敵国に立つことを選んだ。一方で階伯は、百済という新たな故郷を守るために戦い続けている。
「伽耶は滅んだ。だが、俺たちはまだ生きている。そして、伽耶の誇りは俺の中にある」と金庾信は静かに答えた。「新羅に仕えることは、伽耶を忘れることではない。俺は俺なりの道を選んだだけだ」
その言葉に、階伯は激しく眉をひそめ、怒りを露わにした。そして、声を強めて叫んだ。
その言葉は、まるで雷のように戦場に響いた。階伯の叫びに、金庾信は一瞬息を呑んだ。剣を持つ手が微かに震える。階伯の言葉は彼の胸を深く刺した。倭人――彼らの祖先である倭の血を引く者として、朝鮮半島の大地に根を下ろしてきた彼らの誇り。その誇りを捨ててまで、新羅に仕えることが本当に正しい道だったのか?
階伯はそのまま金庾信に歩み寄り、続けた。
「俺たちは伽耶の民だった。そして、倭の血を引く者として、この地を守ってきた。俺たちが失った故郷、伽耶を取り戻すために俺は百済に仕えた。だが、お前は新羅に膝を屈し、敵国のために戦うことを選んだ。それが倭人としての誇りを守ることなのか?」
金庾信は目を閉じ、一瞬だけ沈黙した。そして、深く息を吐き出し、再び目を開けた。その瞳には、決意と迷いが入り混じっていたが、次第にその決意が勝っていく。
「階伯…お前の言うことは理解できる。だが、俺は新羅に仕えることで、この朝鮮半島全体の平和を目指している。俺たち倭人の誇りは確かに重要だ。だが、今は新羅を通じてこの地を安定させることが俺の使命だと思っている。倭人としてではなく、新羅の将軍として、この戦いを終わらせるために」
「新羅のために…?」階伯は苦々しく呟いた。「お前はそうやって自分を正当化しているが、それは結局、新羅に魂を売り渡しているだけではないか?お前がどれだけ理屈を並べようと、俺は新羅に対して誇りを持つことはできない。俺たちの敵だ!」
二人の間に再び緊張が走り、剣を構え直す。今度こそ、決着をつけなければならない瞬間が迫っていた。金庾信は階伯に向けて静かに言葉を投げかけた。
「俺が間違っているかもしれない。だが、俺はこの道を選んだ。伽耶を守るために力を蓄え、朝鮮半島を安定させる。それが俺の選んだ運命だ」
「ならば、俺の道も貫かせてもらう」と階伯は剣を握りしめ、最後の決意を固めた。「伽耶の魂と、倭人としての誇りを守るために!」
二人は、剣を交えて激しい戦いを繰り広げた。かつての友情も、今は激しい剣戟の音にかき消される。新羅と百済の軍勢が戦う中、二人の戦いは熾烈を極め、互いに一歩も譲らない。その技術も経験も互角であり、戦いの結末がどうなるのか、誰も予想できなかった。
しかし、戦場の流れは新羅に有利に進み始めていた。百済の兵士たちは次々と倒れ、階伯の側近たちも戦死していった。孤立する百済の軍勢の中で、階伯は自らが追い詰められていることを理解していた。
そしてついに、金庾信の剣が階伯の防御を破り、その身体を貫いた。
階伯は倒れ込みながらも、最後の力を振り絞って金庾信を見上げた。その目には、後悔も憎しみもなく、むしろどこか安堵したような静かな光が宿っていた。
「庾信…お前との戦いは、これで終わりだな…だが、俺たちが背負った伽耶の誇りは…お前に託すしかないのかもしれないな…」
金庾信は剣を収め、膝をつき、静かに階伯の言葉を受け止めた。彼の心の中では、激しい葛藤が続いていたが、友の最期の言葉を前にして、何も言い返すことができなかった。
「お前の誇りも、伽耶の魂も、忘れない」と金庾信は静かに答えた。
階伯はそのまま静かに息を引き取り、百済の運命もまた、その終焉を迎えた。金庾信は新羅の将軍として、朝鮮半島の統一への道を進み続けたが、心の中には常に階伯の言葉が残り続けた。「倭人の心を忘れたか」という問い――それは彼が生涯抱え続けた内なる葛藤だった。
新羅の英雄として名を残した金庾信。しかし、その栄光の裏には、失われた故郷と、かつての友との対峙があった。伽耶と倭の誇りを守るために戦い続けた階伯。その魂は、金庾信の中で生き続けたのだった。