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はてなキーワード: 物語とは

2021-06-16

サクセスストーリーに感化されたことが無

物語の中で登場人物達がサクセスのために頑張ってんのみて、「自分もとりあえず目の前にある諸問題対応頑張ろか」って元気になることはある

でも、例えば登場人物と同じような「何か」になりたい!とか、成功を得たい!とか思ったことはない

年取ったからとかじゃなく、若い時もそうだった

なんならウルトラマンセーラームーンになりたいと思うことのない幼児だった

もっとずっと考えてみたら、なりたい職業とか一切無かったし、今も別に無い

なんにも無いな…

2021-06-15

anond:20210614194406

なろうのダイヤのAにしても非なろうのHXHにしても主人公は常に何者かだから

男の物語は何者かに慣れなければ失敗なんだ

浦島太郎は何物でもないか死ねと昔からそういう扱いだった

何者かになれないと生存権まで奪われる

anond:20210615143142

閃ハサはかなり人間ドラマだよ。

富野作品って基本的に「大きな状況」にまつわるリアリティと、「メカを売る」という商業的な要請によって構成されている。

パトレイバーで言うなら、「企業理屈をわかれ!」「労働者権利はどうなる!」みたいなことをパイロット叫びながら、レイバーがひたすら戦い続けるみたいな話になる。

一方で富野以外のガンダム監督だと、ミリタリフェチ的な「戦闘」のリアリティを重視しがちで、パトレイバー日常目線リアリティから乖離するだろうなと思う。

まあ「ポケ戦」はオススメだけど。

しかし閃ハサは「富野原作監督は別人」という座組が良く作用したのか、あるいは原作の閃ハサが商業性に囚われずに作られたというのもあるのか、主要な人間関係にクローズアップするのがかなり上手くいってる。

テロリストの若きリーダー対テロ部隊を率いるエリート軍人。二人のあいだで自由に飛び回るファム・ファタール

この三角関係あくまストーリーの中心になっている。

戦闘シーンの狂気的な作り込みが話題になってるけど、あれもミリタリフェチのためではなく、物語リアリティ底上げをするためだとわかる。

これまででパトレイバーいちばん近いガンダム、と言っても過言ではないんじゃないかな。

難点としては三部作の一作目だから今作だけでは完結してないってことか。

anond:20210614142126

桃太郎をおなじように命名するとどんぶらこ物語だな(開始1分でどんぶらこ部が終わる)

anond:20210614142337

竹取の翁の物語なんだよな

インキャラの魅力もストーリー想像できないし絶対タイトルつけ方間違ってるよね

編集仕事しろ

2021-06-14

[]今日マチ子COCOON」1巻完結

ひめゆり少女がメインの戦争マンガ

百合マンガと見せかけて百合じゃない

みんなしんだのに最後主人公だけ生き残るご都合主義

可愛い絵柄でエグいグロかいたらうけるっしょてきなかんかくがある気がする

全体的にふわふわしててディテールが浅いように感じた

キャラの書き分けもできてなくて目が滑る

女メインってのと作者が幼少時男をいしきしてないから 姿みえてなかったみたなことから男があんまりはっきりかかれない

登場人物の生死があまりにも物語ご都合主義のために操作されてて、よんでてうーんとなった

最後二人になったとき相手がしんだときとくにそう思った

anond:20210613220957

世間では失恋と呼ぶ情動も、本人からすると人生をかけた最大の見せ場なんだよね。

けれど結果がどうあれ、それは増田当人だけの物語なんだから行動しておいた方が良かったかもしれない。どっちでも増田は受け入れるでしょ。

anond:20210613173714

人間AIが仲良くやってける世界なんて、フィクション破綻なく描けるものなんだろうか。

人間AIが「仲良くやっている」と形容可能状態というのは、AI人間に「人間AIが仲良くやっている」と認識させる状態演出しているということだろう。

フィクションでやるのなら、途中で何かの「準備ができた」とかのイベントが起きて、物語が大転換するのが良いなw

anond:20210614091505

そうだよねえ……

物語に出てくるAIは、ほとんど物語テーマに沿った制限特性限界やらを付与されているわけで、しか現実にはそういうものがついているとは限らない。

だいたいにおいて擬人化しすぎなんだよね。

anond:20210613173714

フィクションにおけるAIの書かれ方

 

① AIって最新の言葉をよく考えもせずに使っているだけで、「導きの妖精」みたいなのとかわらん場合。一番多い。雰囲気大事なの雰囲気が。雰囲気さえでてればいい。

これは現実報道も同じジャンルはいますAI(ただのマクロ)を導入して業務改善しました!

  

② 異邦人外国人メタファー。昔のSFやその流れを汲む作品はいる。「(地元の)人間ではないもの」がコミュニティに入り込み、文化の違いか軋轢を起こし、それを解決する、あるいはターミネーター世界のようにガチ破滅する。

異邦人宇宙人だったり地底人だったりもするが、AIのこともあるということ。というかほぼ宇宙人代替

 

③ ソ連メタファー。90年代作品に多い。管理社会をもたらすものであり、人間性をもたないもの民主主義自由を褒めるストーリーにするために、導入する。

ほぼほぼオーウェル1984」の影響。ソ連もなくなったし、AIも高度になるにつれ機械っぽさが抜ける感じがしてきたし、今日あんまり流行らない。

 

④ 本当に現実AIのことを書こうとしている場合AIであること自体テーマなら将来の技術展望現在問題が盛り込まれていることがある。主人公研究者で作ったAIの改良自体物語だったりする。

意外とこのジャンルでは、AI人間っぽかったりすることも多い。知能を持つ存在ってなに?っていうのを突き詰めると、結局は、人間と同じような脳と思考を持つ存在、となるんだよね。高度だけど機械っぽいAIってのはむしろフィクション寄りで、高度になると人間っぽくなり感情やうっかりミスも発生していくと思われる。

 

 

仮面ライダーは④要素の入った②ぐらいだね。

子供向け物語AIが入ったらそりゃ仲良くするよ。外国人クラスに越して来たら仲良くするようなもの

anond:20210613184110

主人公が成長する物語だと、序盤にでてくる敵に

絶対的に勝てないだろ的なキャラがいることがおおいことなくなくない?

それでコテンパンにやられて、そこから修行が始まるみたいな。

あるいは、あの人を目標にしようみたいな。

anond:20210613184110

物語の展開的に主人公から多くの強敵にも必ず勝ったので、結果的に強い、みたいなのは違うと思うんだよな。

 

例えば、バキの範馬勇次郎、とか。

西尾維新哀川潤、とか。

ケンイチの風林寺隼人、とか。

 

キャラ設定において最強と定義されているやつが、ここであげるべきものだと思う。

 

で、そういうキャラが人気無いかあるかで言えば、あるよ。

ただエンタメ的に扱いが難しいからね。だってそいつが全部解決できるんだったら、主人公のがんばりいらないじゃん。だから目にする機会は人気程はない、というか、目にする機会がそれほどないからいざ上手いキャラ出てくると人気になると思う。

anond:20210614094522

から思うとずっと無双で進む物語はなろう小説の走りだよな

2021-06-13

ポンポさんはニュー・シネマ・パラダイス

劇場版ポンポさんはノーカット


ポンポさんの文脈はどう考えてもニュー・シネマ・パラダイス

これについては、漫画を読んでもそうと分からなかった人は単にニューシネを観たことがないってだけだよねと言い切ってしまっていいほどのもの

最後の「90分」がニューシネの「キスシーン集」に当たる部分で、ポンポさんが大切にしていたもの新人監督も大切にすることにしたという部分が作品根底流れる映画が好き」という地脈を作品を貫く一本の主流として成立させてる。

ニュー・シネマ・パラダイス完全版においては、「キスシーン集」というマクガフィンを利用して描かれた「映画好きの主人公が色々あって挫折して成功してでも何処かで後ろめたさを残しながら凱旋するとそこには映画好きの親友から映画っていいよなというメッセージが」という物語の大動脈に対して支流が増えすぎてしまった結果なにがしたい映画なのか分からなくなったという問題が起きていた。

劇場版ポンポさんがおかした「愚」もまさにこれであり、「90分へのこだわり」というマクガフィンによって描かれる「映画大好き人間共の映画大好き物語」という大筋に対して細々としたものが増えすぎてしまったのだろう。

面白いのは、題材となった作品と全く同じ愚を改めてこの時代に繰り返しているということだ。

なぜ?それをやればそうなるって分かっていたじゃん?としか言いようがない。

いやそれを含めて改めてやってみせることが映画パロディ作品としての矜持だったのやも知れぬ。

ポンポさんを見るときニュー・シネマ・パラダイス完全版も副教材として必修だ。

「削る」ことの大切さが嫌というほど分かるぜ。

ちなみに通常版が120分だが完全版は170分。

1本見る時間ポンポさんが2回弱見れるぜ

フレンズ

はてブ話題だったので、アセクシャルとアロマンティックを扱った漫画を読んだ

https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496350690245

はてブでは概ね好評のようだが私はダメだった。

ラスト理解ある友達になってめでたしみたいなのにかなり引っかかる。

私はアロマで、何の説明もなく恋愛結婚子供が素晴らしいことという前提で作られてる物語が苦手だ。

それと同じような嫌な感じがした。

フレンズ、という言葉があるかは知らないけど私は友達もいらないし、「友達いない」を自虐したり、友達いない人をからかったり、かわいそうだと思ったりする人間が嫌いだ。

このあたり恋愛結婚家族に関しては新しい価値観みたいなのが語られだしてる気がするけど、仲間と友情については無条件で絶対的に素晴らしいもので美しいものとして描かれることが多いように思う。

どんなセクシャリティでも一人の人として認めてくれる人が身近にいるから救われるというのは私のような人間には全く響かないし、「普通」に対して問題提起をする漫画としてはいかがなものか。

普通じゃない生き方肯定するには別の普通の何かが必要って地獄では。

YouTube Premium知らないの?

4月にできた友達の話。

うちらはどっちも18歳の女子大生

彼女はおしゃれやトレンドに詳しい今どき女子で、うちは田舎から上京してきたトレンドもおしゃれにも疎いいわゆるイモ女だ。

そんな二人が友だちでいるのもなかなか不思議なことかもしれないが意外と仲良くやれている。

いや。

やれていた。になるのか、、、

                                   

彼女さりげなく蔑んでくるマウンティング女子的な一面があり、親しくなるほど酷さは増し露骨マウントをとることが多くなっていた。

カースト上位の子と仲良くするとこういうコミュニケーションはよくあることなのかな?

イモ女子を蔑んで承認欲求を得ているのかな?

それとも比較対象としてレベルの低い相手を選んでいるのかな?

なんてことを考えてモヤモヤでいっぱいになる日々が続いていた。

そんな時だ。死ぬほど驚くようなクソマウントを取られたのは。

その日は彼女洋服を買いに行く約束をしていた。

待ち合わせは決まって彼女の家で集まり彼女メイクが終わるまで待つのがいつもの流れ。

ただその日はヘアセットしていこうよと誘われ、その子の家で髪をセットしていくことになった。

誘われたはいものの、彼女はまだメイクをしている最中

あーこれとりあえずセルフでセットさせるやつかと思いながらYouTubeで巻き方を調べ自分で巻いてみる。

YouTubeは度々広告流れる

髪を巻いている最中にも広告が入ってしまう。

めんどくさいな~と嘆いていたその時だ。

彼女スマホYouTubeを流しこっちにやってくる。

                                      

YouTube Premium知らないの?

ほら、広告が流れないか動画が途切れることないよ!

                                      

絶句である

そして悶絶である

一瞬にして動悸は激しくなり、過去に知らないおじさんとリカちゃん人形遊んだキモイ思い出がよみがえり吐き気憎悪に包まれていく。

彼女はずっとなにか話しているみたいだが全く耳に入ってこない。

開いたままふさがらなくなった口から言葉は全く出てこない。

てゆーかそんなことは知っているし、広告が無いのも確かに便利だとは思う。

でもたったそれだけじゃないか

なぜそれでマウントをとってくるのだろう?

そんなしょうもないサブスクになぜお金を払うのだろう?

と心でぼやき、絶交することを決める。

そして、これからもっと自分と同じ穏やかな人と仲良くなろうと心に誓う。

ああそうだ、その時からなんだか心が軽くなったんだっけ、、

                                   

その間ずっと当てていたアイロンによって髪は溶け

うちのショートカット物語の幕が上がる。

物語の鉄則

黒人は主要人物かつ活躍させて主人公より上役にしないといけないしゲイも有能にしないといけない

ブサイク主人公より目立たせて優遇させないといけないし最後恋人を作らせないとダメ

2021-06-12

作品」という村の先住民の友人の話

私は一介のオタクで、少し前に新たなジャンルにハマった。

何年も同じジャンルをずっと追い続けている状況が続いていた。もちろん充実していたけど、やはり新たなものに触れる毎日は、発見と新鮮な感動の連続で格別にしかった。

その出会いには、1人の友人が大きく関係している。

友人とは、趣味とは全く別のルートで知り合った。仲良くなってから一緒に遊んだ食事をしたりしているうちに、互いの趣味について沢山話し合った。友人は話すことがとても上手かったので、私は彼女世界に引き込まれた。

初めは、もっと彼女の話やその世界を知りたいという気持ち作品CDを購入して聴いた。

数ヶ月なんとなく聴いているうちに、耳に残るようになる。耳に残れば、その音を創り出しているキャラクター、その背景が気になってくる。キャラクターを知るうちに、物語を知りたいと思うようになる。そそて物語を知ることで、「ただの良い曲」「面白いキャラクター」に色がついて立体的になり、追いかけたくなってしまう…というふうにみるみるうちにどっぷりハマっていったというわけだ。

学生の頃以来の感覚だった。何か新たなものにここまで心酔することは今後の人生でもうないだろうなと思っていたから、自分に少し驚いた。

友人は、私が作品に触れたことをすごく喜んでくれた。

今までの作品の軌跡や各キャラエピソード、ただ曲や物語を追っているだけではわからない情報考察も沢山教えてくれた。

しかった。興奮や感動を誰かと共有しながら新たな世界を知っていくというのは、私の今までのオタク人生では無い経験だったから。

作品について知ることも、友人とその作品について話したり教えてもらったりすることも凄く楽しかたから、どんどん吸収した。

吸収するうちに、もちろん私の中での作品世界、そしてそこに登場する「彼ら」…つまり解釈存在するようになる。当然それは、私に作品を教えてくれた友人のものとは一緒ではない。

かなり極端にいえば、解釈違いというものに近い。そのようなものが少なからず私と彼女の間にはある。そう気付いていたけど、気にしなかった。だって視点が違えばそんな違いがあることは当然だから。違っていいから、私は友人と話したかったし、一緒に作品を追いたかった。

からかもしれない。何か全く別の要因かもしれない。単なる私の思い込みかもしれない。未だにわからないけど、ただ私が友人をきっかけにジャンルにハマってから確実に、彼女の私に対する様子に変化が見られるようになった。

毎日のように連絡を取りあっていたのに、彼女からの返信のスピードは日に日に遅くなった。お互いツイッターのTLにはいるのに、交流は減っていった。

もともと少なくない時間を共有していた分、その変化に気が付くのは遅くなかった。

遊びに誘って了承も断られもせず話をそらされたとき、それは確信に変わった。

しかし、間違っても本人に「最近冷たくない?」だなんて聞くことはできなかった。

なぜなら、私はある意味彼女世界を踏み荒らししまたかのような自覚があるから

自分の好きだった作品に後からやってきて、ハマりたての熱量とともに自己解釈をもって作品について話されたりすること。そしてそれは、決して自分の中にあるものと一致してはいないこと。

違う方向性から自分領域に踏み込んできて、作品を見つめてきた時間もかけてきたお金も何もかも自分よりは低いくせに、馬鹿みたいにやかましく話し続けるのだ。

初めは多分、彼女純粋に「自分の好きなものを知ろうとしている」私に喜んでいてくれたのだと思う。自分生活する村のゲストというか観光客のようなものから、そりゃ歓迎してくれるだろう。

そんなふうに客のような存在として扱っていたのに、そいつ住民になると言われれば話は変わってくる。

しかしたら自分常識とは離れたことをしでかすかもしれない。そいつ存在のせいで自分不利益が生まれるかもしれない。

そう考えれば、彼女の態度の変化も納得できる。悲しいけど。

もちろん、これは友人ともう一度仲良くしたくて私自身の行動や言動、そして関わってきた時の出来事を振り返って考えて反省した結果1つの仮説として出てきた原因なので、真実もっと別にあるかもしれない。

それこそ冷たくなった、と私が勝手解釈して実は彼女にそんなつもりは無いのかもしれない。

かに出会ったきっかけはその友人だが、その作品は今は私の人生の大切な一部である。「友人が冷たくなったから」という理由で冷めたり、気持ちが変わったりすることはない。でも、本音を言うなら新情報が出た時、彼女と一緒にその熱を共有したかった。ライブ会場で、並んで興奮したかった。

もう変えられないけど、どうすればそんな未来が叶ったのだろうか。

界隈の「ヴォルデモート卿」について

界隈に、例のあの人、などとささやかれる人がいる。例のあの人。名前言ってはいけないあの人。「ヴォルデモート卿」である。おお、おそろしい。

卿……我が君がいかなお方であらせられるかについては、改めて言葉にするまでもないことでしょうが僭越ながら私めの口からご紹介申し上げますと、あの『ハリー・ポッター』の登場人物なのでございます

あのハリー・ポッターお辞儀強要する悪い魔法使い、といったほうが通りはよいだろうか。

お辞儀をするのだ、ポッター! ダンブルドアめはおまえに決闘作法を教えなかったのか、ポッター

とはいえ、ただ礼儀作法にうるさいだけの小悪党ではない。物語の始まりから終わりまで(というか終盤こそ)、登場人物ほとんどから名前を呼ぶことさえ恐れられた、史上最悪のエゴサの鬼なのだ

(最終巻の我が君は御身をあえて「ヴォルデモート卿」と呼びふらす者が過激派抵抗勢力であることを逆手に取られ、「ヴォルデモート卿」発言に反応する魔法を国中にお施しになり、結果として見事に数々の危険分子あぶり出された)

ヴォルデモート卿というのは、まあ、そういう側面のある人物であるちゃんしたことは君の目で確かめろ! 『ハリー・ポッター』を含む『ウィザーディング・ワールドはいまだに掘り下げの絶えない楽しい作品だよ! 『ハリー・ポッターからファンタスティックビースト』に入ることをおすすめしてはおく(個人の感想です)。

ええと、そして本題の……意外なことに思われるかもしれないが、本題は『ハリー・ポッター』の話ではない……界隈の「例のあの人」の件だが。

事情のもとで、名前を出すことがはばかられている。この呼び名には確実に、エゴサさえされたくない(関わり合いになることを避けたい)という忌避感が強く働いている。あるいは、単に名指しで言及することを控えようという良心が働いたのかもしれない。

例のあの人について言及することは、例のあの人をぼこぼこに殴ることにおよそ近しい。

このヴォルデモート卿が例のあの人になるまでには、相当の事件があったという。私が界隈に足を踏み入れてからも、相当の事件を起こしている。少なくない人間が、例のあの人のために傷ついてきた。先人の言うには、対話による解決は、もはや不可能である。正直なところ、私も同意見だ。だが、界隈は存亡の危機に瀕している。

例のあの人の存在は、新規参入者や布教行為にこそよく刺さった。単純に畏縮もしてしまうし。故もあるし。

新規参入者が減った。布教行為が難しくなった。そのうえ、界隈からいなくなる人まで出ている。衰退の一途である。どうにかしなければならない。だが、そうして穏便のうちに手を尽くそうとした結果、例のあの人にはちっとも通用しない手段ばかりが残された。

対話通用しない。などと名指しで言及することは、それだけで人格攻撃のようだ。「例のあの人」の通り名もそうだが、ひとり又はごく少数の実在人間を、それを遥かに上回る多数で、たびたびたこなぐりにしている。これでは、もはやネットリンチだとも思う。一方で、例のあの人が先制だった、という(おそらくの)事実も同居している。

界隈の仲間が傷ついた。またあの人かとささやけば、またあの人だと別の誰かがささやいた。確かめに行ったら、本当にまたあの人が、またあんなことをして、また仲間を傷つけていた。

やりすぎだと、あの人の「攻撃」に対して思った。

でも、あの人の「行為」に対して、一定の理解を示せる気もする。傲慢な話、どうして「あんなこと」をするのかが、わかるような気がする。

仮に何らかの策が功を奏したとしたら、では次は、誰が「例のあの人」になるのだろう。

私の順番が回ってくるのは、いつになるだろう。やりすぎだと、いつまで感じていられるだろう。私はしないけれどと、いつまで言っていられるだろう。今でさえ私がしてはいないということを、どうやって証明できるだろう。

居心地の悪さを、近ごろ、ふとしたときに覚えて、首を横に振る。

映画大好きポンポさん」映画版の感想(ネタバレ要素&批判要素あり)

「オレはナニを見せられたんだ…」と思って映画館から出て来た。

こんな気持ちになったのは、エヴァQとき以来だ。

ネット上の反応を見てると、絶賛している人が多くて不思議なので、自分感想を書きたい。


そもそも原作漫画映画大好きポンポさん」のテーマは何か。

僕は、「創作者(クリエイター)のエゴ」だと読んだ。

ディーン監督ミスティアさん、フランちゃん…の「ものを作りたい」「何者かになりたい」という「エゴ」がこの作品の肝だと。

「2」でポンポさんが披露した創作術を使って、「舞台×感情」で考えるなら、「映画界×エゴ」が、原作ポンポさん」の「土台」だろう。

その「創作者のエゴ」を一番象徴するシーンが、ラストの「90分というところですかね」だったはず。

「大作感を出すため序盤はたっぷり…」と編集を始めたディーン監督は、「いや…」と思いとどまり、先輩監督の「その映画を見てもらいたい誰かのため作れば良いんだ」という言葉を思い出す。

そして、最後のシーンに繋がる。ディーン監督は、「大作感」を出すのを止めて、「ポンポさんただ一人のために作る」という「エゴ」で映画を作った。

それを象徴するのが、第1作の最後セリフ

にもかかわらず、そこの意味を完全に消してしまったのが、映画オリジナルパート

本来テーマ正反対の「観客のために作る」なんてものを入れ込んで来やがった。

先輩監督の「誰か1人のために作る」の回想シーンすらなくして、「90分」の意味希薄化させてしまった。



なんだったんだ、あれは。


さて。話は変わって。

映画界×エゴ」が土台である原作の中で、ポンポさんという人物はどういう存在であるか。

彼女には、創作者としての「エゴ」はない。そういう意味で、主人公ではない。

彼女の作中における存在意味を考えたい。

この作品は、デフォルメした絵柄や、「ニャリウッド」というふざけた名前に反して、リアリティラインは、極めて現実に近い側にある。

そんな中で、唯一、現実から解離しているのが、"ポンポさん"の存在

創作王道として「大きな嘘は一つだけ」というのがある。自分は、この作品では、それが、”ポンポさん”だと思う。

現実的に描かれた映画界に舞い降りた大きな嘘」、それが、"ポンポさん"。

物語構造としては「ドラえもん」と同じ。

ディーン監督らの「才能とエゴを持った創作者」が、"ポンポさん"="映画を作る環境のすべてを与えてくれる無敵超人"に出会ったときに、何が生まれるか。

…それを描いたのが「ポンポさんシリーズ」という作品

からポンポさんには不可能はあってはいけない。いや、何らかの壁にぶちあたるのは良いが、それなりに納得感のある理由を付けないとだめ。

ドラえもんだって大長編では行き詰まることはあったけど、理由が付いていたはず。

たかが(!)、追加撮影ときで、壁にぶち当たるのは、「大きな嘘」である彼女にはふさわしくない。

そう思うと、映画版のオリジナルパートは、ポンポさんのリアリティライン(無敵超人という「大きな嘘」)と作品自体リアリティライン(極めて現実より)のどっちつかずの変な話になってる。

アラン君の解決策は、作品全体のリアリティラインを満たすほど現実的では無いし、ポンポさんほど超人的ではない。

ドラえもんが、なぜか簡単銀行強盗人質に取られる。そこへ両津勘吉乱入して銃を撃って解決」みたいな話になってしまっている。



なんだったんだ、あれは。



あ、あと、

マーティン様が「誰かの真似をするのが得意だった」と言ったのにもズッコケた(冒頭でいきなり)。

原作には存在しなかった「陰キャ陽キャ対立」を持ち込んだのもイヤだった。

SNS主題アニメ

SNSテーマ作品って見当たらないよな。

ちょっと違うけど『革命機ヴァルヴレイヴ』ぐらい?

追記

微妙に伸びていて草。トラバブコメ読んで参考になったわ。

SNS舞台作品結構あるけど、例えば理想SNSを作っていく様な作品があってもいいと思うんだけどね。

あと、現実女子高生はずっとスマホいじいじしているけど、アニメではそういう描写ほとんどないわな。そんなことしたら物語にならんから当然だけど。

anond:20210612123520

テレビエヴァの後に作られたアニメは、少なからエヴァの影響を受けてるせいで、

若い世代が今更エヴァを観たところで、目新しさを感じない。むしろ、古臭いアニメしかみえない。

庵野っていう、すごいおっさんが作った作品なんだ。としか思わない。

かたや、おっさんおばさん世代は、25年ぶりに遂にあのエヴァが完結すると聞いて、

胸躍らない人はいいくらいの違いがある。

庵野に課せられた使命は、終わりのない物語に決着をつけることだけであって、

若い世代に興奮と感動をもたらすことではない。

そして彼は彼なりに、物語を終わらせることができた。

物語の決着を期待したおっさんは、終わったことを喜び、

興奮と感動を期待したおばさんは、普通出来栄え失望した。

それで十分なんです。

anond:20210611225555

物語って結局、キャラクターの変化なんだよ

「ツイ論客」みたいな人たちが同じことずっーっと繰り返し書いてるの見てると読む気なくなるでしょ?

はてなみたいに、以前は○○だった✕✕さんが変節してる…?!的なのがないと観客はすぐ飽きちゃう

んで観客のいないスタジアムで戦いたがる剣闘士なんていないから過疎るだけ

2021-06-11

主人公が転生者を倒していくアンチチートアンチ転生者の物語ってなろうで何作か読んだが面白くするのは難しいね

幻想再帰のアリョージャニストでは転生者狩りをするキャラが出て来たがそれはまぁ面白かったけど全体の一部の場面の話だから全体通してアンチ転生者の物語ってなかなかヒット作出ないよな

下手したらメラリースーになっちまうから難しいな

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