はてなキーワード: 1987年とは
1987年調査なら、男は大幅に若い女と結婚したいのが当たり前だったのでは?
まだまだ専業主婦家庭が多かったし、自分が100%養う羽目になるのなら、どうせなら若いほうがいいし、顔も可愛いほうが良いだろう。
金を払う側なのだから、女相手には大きく出るのが当たり前だろう。風俗店でパネルを選ぶのと同じだ。
1987年調査では「同い年と結婚したい」という未婚男性は8.7%、未婚女性も8.9%。
2015年調査では「同い年と結婚したい」という未婚男性は8.7%→41.8%と5倍弱の激増。
1970年は10%でしたが、2015年には21%と倍増しています。
「同い年結婚」と「姉さん女房婚」は、婚姻数はさほど変わらないのに、
1970年から2015年にかけて婚姻数全体の数が減ったことにより、占める「割合」が増えていました。
歳の差婚ブームというのは真っ赤な嘘なんですね。
・女性にお茶くみしかさせず、25歳になったら「さっさと寿退社しろ」と疎む
・年功序列賃金制度で無能男性でも中年になれば金を持っているようにする
この2つの仕組みが無能男性に下駄を履かせ、大量の「男性年上婚」を製造していました。
この下駄が無くなったことにより、無能中年男性が独身のままとなり、
女性は疎まれて寿退社させられることなく、スキルアップしながら外で働き続けるようになりました。
そのような社会においては、未婚男性が「同い年と結婚したい」という気持ちを強め、
二馬力世帯の稼ぎ手としても頼れるような優秀な女性と対等な関係を築こうとし始めるに至ったわけです。
年功序列賃金で勤め先に守られながら、若い専業主婦を娶って子供を産ませる、という
すでに非正規女性・無職女性よりも、正規雇用の女性のほうが既婚率が高いのです。
男性が「同い年の正社員の女性と結婚して、経済的に強い共働き家庭を形成したい」と思うようになっているのです。
無能女性は年功序列賃金制度の高下駄を履いている高齢男性と結婚して養ってもらうという形で
https://www.westjr.co.jp/press/article/2022/04/page_19817.html
芸備線東城~備後落合間は収支率0.4%、通過人員1987年比2%
2%減じゃなく
2%
誰向けでもない
========
川島透のチ・ン・ピ・ラ(1984年)。あの時代特有の街の汚さ、ハングリーな雰囲気が心地いい。
今も渋谷は不思議な空気の街だが、昔の渋谷ってああだったよなあ、という郷愁に、背景に目がいってしまう。
当時から、和製スティングとの異名はあったかもしれないが、70年代も80年代も同じくらい過去となった今となっては
むしろ熟成されて、名作感が増してきている気がする。映画もワインと同じで、飲み頃というのがあるのかもしれない。
川島作品では、ハワイアン・ドリーム(1987年)が似たキャスティングで作られている。
によると、柴田恭兵の代わりに時任三郎が主演、桃井かおりやタムリン・トミタなどのサブキャストも気になる。
残念ながらVHSでしか入手不可能とのこと。よっぽどB級扱いだったのか。。
これも多分、開いてみたら化けているかも。
2022年3月21日、第57回ボートレースクラシック(鳳凰賞競走、総理大臣杯)にて、ボートレース史上初の女子選手によるSG競走優勝という歴史的偉業が達成された。
2022年3月21日時点で選手の最低体重制限は、男子が52.0kg、女子が47.0kgとなっており、体重の軽い方が有利なボートレースにおいては、女子選手はハンデをもらっている状態(だからズルい、凄くない)というのが女子選手の活躍に対してつけられるお決まりのケチである。
特に今回は2020年11月に男子の最低体重制限が51.0kgから52.0kgへ引き上げられて男女の体重差が4.0kgから5.0kgと広がって間もない(と言っても1年数ヶ月経っているが)タイミングでの偉業達成だったこともケチをつけられる要因となっている。
『最低体重制限の男女差により女子選手はハンデをもらっている』
というのは果たして本当だろうか?と問題提起したかったからである。
それどころか私はむしろ
『最低体重制限の男女差によってハンデをもらっているのは男子の方である』
とさえ思っている。
その理由を書いていく。
(細かい部分で知識間違い等があるかもしれないが大筋の主張は変わらないはず)
まず、大前提として押さえておかなければならないのは、「最低体重制限は男女のハンデのために(女子を有利にするために)存在しているわけではない」という点だ。
まるでハンデのために最低体重制限があるかのように書いてあるブログやニュースの記事が当たり前のようにあって驚く。
それでは女子選手の活躍にケチをつける人がいるのも仕方ないのかもしれない。
1988年以前、ボートレース(当時は競艇名称が一般的だったがボートレースで統一する)に最低体重制限はなかった。
最低体重制限がなければ勝ちにこだわる選手たちは当然少しでも有利になるように限界まで減量する。
1987年のSG笹川賞で優勝した野中和夫選手は過度な減量でふらふらの状態だったそうで、それが最低体重制限導入のきっかけだと言われており、
1988年に男子は50.0kg女子は45.0kgという最低体重制限が設けられた(本格運用は1989年から?)。
要するに最低体重制限は、過度な減量から選手の健康を守ること、ふらふらの状態で起こしてしまう事故から選手を守ることが主目的で、女子を有利にするために存在しているわけではない。
女子選手の方が最低体重が軽いのは単に女子選手の方が元々の適正体重が軽いからだ。
日本人の成人男女の平均体重を見ても5kgの差はむしろ小さいと言えるかもしれない。
ここまで「最低体重制限は男女のハンデのために存在しているわけではない」と書いてきたが、正確には「男女のハンデを考慮した最低体重制限の変更」は行われている。
2001年、寺田千恵選手がSG競走の1つ、グランドチャンピオン決定戦で女子選手初の優勝戦進出、結果は5着に終わったものの、寺田千恵選手の活躍がきっかけで女子の最低体重制限が見直され、2003年に女子の最低体重制限が45.0kgから47.0kgへと引き上げられた。
そう、つまり、「男女のハンデを考慮した最低体重制限の変更」は、本当は女子にとってはもっと軽い体重でも問題ないのにそれだと男子が不利になってしまうからという理由で行われたということだ。
これを『最低体重制限の男女差によってハンデをもらっているのは男子の方である』と言わずしてなんと言おうか。
「女子がその体重の軽さという特性を活かして活躍するのは卑怯」で、
「男子がその筋力の強さという特性を活かして活躍するのは卑怯じゃない」
引き上げられたが、これらは男子選手の平均体重や厚生労働省の統計データにおける平均体重との差を是正し、且つ選手の健康維持並びに身体能力の発揮による事故防止を目的に行われたものだ。
簡単に言えば男子選手が大型化したから基準も変えたということで、女子選手を有利にする目的ではない。
男子は2回も引き上げているのに女子は引き上げないのかという意見もあろうが、それは減量なしの通常体重が最低体重を割っていて逆に増量に苦しんでいる選手の割合を男女で比較すれば、引き上げる必要がないことはわかるはずだ。
そもそも47.0kgの最低体重制限引き上げが不当な差別であったのだから、むしろ差が5kgに戻ってようやくまともになった(あるいはもっと差があってもいいのかもしれない)と言える。
ボートレースクラシックの優勝戦に乗った6人の体重は、遠藤エミ選手が44.0kgで他5人の男子選手は52.0kgか51.0kgとなっている。
おそらくこの5人の男子選手の中に体重が軽すぎて増量に苦しんでいる選手はいないと思われる(いたらごめんなさい)。
遠藤エミ選手は意図的に最低体重以下まで減量した上で調整重量を積んでいるらしいので軽すぎて苦しんでいるタイプではないようだが、少なくとも最低体重を割ってまで無理な減量はしていないはずだ。
そう考えると、遠藤エミ選手は健康に支障をきたさない範囲でもまだまだ減量できる余地があるということになる。
他の5選手も(最低体重制限導入のきっかけとなった野中和夫選手レベルの過度な減量をするならともかく)健康に支障をきたさない範囲の減量となると可能なのはあと数kg程度なのではなかろうか。
遠藤エミ選手と他の5選手が健康に支障をきたさない範囲でギリギリまで減量した場合に、その差が5kgを超えるのならば、最低体重制限の恩恵にあずかっているのは男子選手の方ということになる。
この問題で考えなければならないのは男女差だけではない。
同じ性別間でも身長差があるのに一律で最低体重が決められていてよいのかというのは議論されるべきだ。
身長の低い男子選手であればもっと減量可能なのに、身長の高い男子選手が過度な減量とならないように最低体重が制限されているため減量できない状態ということだ。
男子の最低体重制限が52.0kgに引き上げられたことにより、今村豊選手が逆に増量がきつくなるという理由で引退したのは記憶に新しい。
同じ性別間の身長差と最低体重制限の問題は女子選手においても同様である。
最低体重制限の公正さを重視すればボートレーサー養成所の受験資格において、身長の上限を低くするのが本来は手っ取り早い。
ボートレーサーを志した理由には、低身長が有利なことに魅力を感じたからというものがかなり多い。
漫画『モンキーターン』の主人公も低身長故に野球の道を諦めボートレーサーになった。
個人的には時代を巻き戻せるのならば、ボートレーサーは低身長の星として、受験資格を男子は身長165cm以下、女子は身長155cm以下くらいにしておけば少なくとも同じ性別感の身長差と最低体重制限の問題は大分解消できたのにと思わないでもない。
しかし、実際には身長制限は段階的に緩和されており、過去の基準であれば受験資格を得ていなかった身長170cm以上の選手も現在活躍している(艇界No.1の実力を持つ峰竜太選手の身長は173cm だ)ことを考えると、今更受験資格を狭めるわけにもいくまい。
また、ボートレースは競技であると同時に興行でもあり、また公営競技なので公共性という意味でも、先鋭化するより門戸を広く開いて多くのファンと選手志望者を獲得することが大事であるから、受験資格緩和路線を否定することはできない。
落とし所は男子で身長160cmなら何kg、165cmなら……170cmなら……
155cmなら……160cmなら……
という具合に男女別で身長によって最低体重を変えることかと思う。
話が逸れたが、この文章で1番言いたかったのは、遠藤エミ選手や女子選手の活躍に対して最低体重制限の男女差を理由にケチをつける人たちは間違っているということだ。
1977年 | 環境庁長官 | ・水俣病患者施設を視察した際に患者から抗議文を手渡される。 |
会見で「これを書いたのはIQが低い人達でしょう」「補償金が目当ての“偽”患者もいる」と発言。 | ||
土下座して謝罪。その状況の画像は今もインターネット上に残っている。 | ||
1981年 | ・石原の弟が倒れた際、小笠原諸島から自衛隊機を呼びつけて帰京した。燃料代は160万円 | |
1982年 | ・石原の第一秘書が対立候補のポスターに「北朝鮮より帰化」というシールを3000枚以上貼り付け。 | |
秘書は現行犯で逮捕される。 | ||
1987年 | 運輸大臣 | ・身内のヨット仲間の忘年会の席上で「小網代港の魚網はヨットの邪魔だから運輸大臣任期中に取り除かせる」と発言。 |
・宮崎にあったリニアモーターカー試験場で試乗した際 | ||
「ブタ小屋、トリ小屋の間を(リニアモーターカーの宮崎県内の実験線が)走っており、日本の技術力を世界に示すにはふさわしくない」と発言 | ||
その後記者会見で謝罪。しかし更に「言ってない。謝って損した」などと話した。 | ||
2000年 | 東京都知事 | ・「週刊ポスト」で「私は半分以上本気で北朝鮮のミサイルが1発落ちてくれたらいいと思う」とコメント |
2001年 | ・ロサンゼルス・タイムズのインタビューで「北朝鮮のミサイルが日本に当たれば、長い目で見て良いことだろうと思った。」と発言。 | |
2006年 | ・文部科学省の伊吹文明大臣宛にいじめ問題を解決するよう嘆願する手紙が届いた。 | |
この手紙には「改善されなければ自殺する」と書かれていたことを受け、石原は | ||
「予告して自殺するバカはいない。やるならさっさとやれ」と暴言を繰り返した。 | ||
2011年 | ・東日本大震災について | |
「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を一回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う。と発言。 | ||
2016年 | ・小池百合子都知事に対して「大年増の厚化粧がいるな」「厚化粧の女に任せるわけにはいかない」 | |
小池氏は顔のあざを隠していると明かしている。それにかこつけた発言。 | ||
2020年 | ・ALSについて『業病』と表現。 |
ぶっちゃけ多すぎて全部まとめるの無理だわ。
http://camelop.g2.xrea.com/isihara/isihara_gendou1999.html#IQ
石原慎太郎が差別発言「(障害者に)人格あるのかね」「(水俣病患者の文書に)IQ低い」
https://biz-journal.jp/2017/03/post_18396.html
-----------------------------------------------
1979年、父・文武が通産省を退官し、衆議院議員に当選。この際の熾烈な選挙戦を手伝ったが、多くの種類の人間に接し、1票を入れてもらうため、いかなる努力をするべきなのか考える貴重な経験となり、政治への道に影響した。1982年、同大学同学部(民法(不法行為):浦川道太郎ゼミ)卒業、同年日本長期信用銀行に入行。
長銀入行後、最初の配属は本店勤務で外国為替業務を2年半経験し、こののち海運業界担当の営業マンとして高松市に2年半赴任した。高松での地方営業では利息すら払えなくなった会社から経営再建の支援継続を相談されたり、倒産や夜逃げを目の当たりにして世間の厳しさや経済というものの激しい実態を知った。1987年3月、政治家になる決意を固め、長銀を退行した。
1988年4月26日、都内・六本木の喫茶「シールズ」で全日本プロレスのジャイアント馬場が会見をおこなった。
同日、某スポーツ紙の一面をデカデカと飾ったのは「タイガーマスク結婚」という独占スクープ。会見場に現れた馬場は「これには参ったよ! 仲人はオレ? 今日にも婚約発表? せっかくみなさんに集まってもらったのだから仕方がない。ちょっとタイガーを呼んで来い!」と“主役”を呼び込んだ。
会見場に現れた2代目タイガーマスク(三沢光晴)は「ほんの軽い冗談ですよじゃ、済まないだろうなぁ」と言ったきり沈黙。交際相手は第2回ミス映画村(京都)コンテストに優勝した女優。前年の1987年4月2日、全日本プロレス大阪大会で花束嬢を務めていたという。
彼女の写真を手に撮影に応じたタイガー。その横で馬場は「まさか虎のマスクかぶって結婚式をやるわけにもいかんしなぁ」とどこか嬉しそうだった。
https://anond.hatelabo.jp/20211219151137
あなたの考えは完全に間違っています。まずは私の以下の主張に答えて下さい。
連日の、弱者男性による必死の主張で、確かにその存在は認められたのかもしれません。
しかしそれの解決となると、女性の権利を侵害しかねない方法だったりで、結局のところどうすればいいのかはわからないままでした。
女性や子供といった弱者の権利を守りながら、弱者男性問題を解決する策は、果たして存在するのでしょうか?
です。
「子どもの性別は女の子がいい」という社会の闇① ~自由主義は女の子がお好き?~|いとよ|note
こうしてみると、1人の場合は1987年を境に女児選好が強まり、2015年には69.8%が女児を希望している。また、3人の場合では、1992年を境に、女児のほうが多い組み合わせへの選好が強まり、2015年には58.2%が女児のほうが多い組み合わせを希望している。
https://note.com/itoyo/n/n3af43b8f54f0
https://anond.hatelabo.jp/20140402083933
·
フェミニストと「男児の母」の両立がすごい難しいという事に最近気づいて珍しく(?)メンタルやられてる。男児は間引くべき、までは行かなくても物心ついているかどうか区別なく、幼児まで犯罪者予備軍として扱われているの本当に辛い。他の男子育てているフェミニストママさん達どうしているんだろう…
https://twitter.com/1moresmartwoman/status/1092098082085326848?s=20
以下のようなことが考えられます。
ルワンダにおける女性活躍の状況〜オンラインイベント「ルワンダの女性活躍の現場から考える」より | Africa Note
実際のところ現場の女性たちはどう感じているのでしょうか?以前インタビューに応じてくださった小学校の校長(当時)は、”Rwandan women have confidence for everything.(ルワンダの女性はすべてに自信をもっている)”と力強く答えてくださいました。
https://rwandanote.com/2020/10/29/globis/
乱射、放火…世界の「凶悪事件」の犯人は、なぜ「男性」ばかりなのか(橘 玲) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
真のリスク要因は「若い男」と「中年の男」だ。それに対して女性、子ども、高齢者は大量殺人を行なわない。「どのような犠牲を払っても二度とこのような事件を起こしてはならない」というのなら、真っ先に監視され排除されるべきなのが「20代~50代の男」であることは間違いない。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66819?page=1&imp=0
340万人が一生結婚できない?いま「未婚おじさん」が増えているワケ(荒川 和久) | マネー現代 | 講談社(1/3)
つまり、日本全国の未婚女性がすべて結婚したとしても、340万人の未婚男性には相手がいないということです。もっとも、未婚女性全員が結婚するわけではありませんから、実際にはもっと多くの男性が余るという計算になります。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68893?page=1&imp=0
このように、
ということを考えていかなければいけません。以下のような問題があるようです。
男女産み分けも!?不妊治療 新しい検査 〜あなたはどう考えますか?〜|サイカルジャーナル|NHKオンライン
学会は「男女の産み分け」を目的に受精卵の検査を行うことを学会の倫理規定で禁止していますが、法律上の罰則はありません。これまでに一部のクリニックが「着床前スクリーニング」で男女の産み分けを行っていたことが明らかになり、問題視される事例が起きています。
https://www.nhk.or.jp/d-navi/sci_cul/2017/12/story/news_171222/
現状、産み分けを合法的にできる国はキプロスだけだそうです。多くの国では、生命倫理
着床前診断で男女を産み分けたいカップルが行く島、キプロス | クーリエ・ジャポン
https://courrier.jp/news/archives/171699/
あるいは、
という点で、この解決不能に思われる問題にとって、一筋の光明となるように思われます。
馬鹿げた発想なのかもしれませんが、ジェンダー界隈の議論を受け入れると、このような結論に至るとしか思えません。
ぜひ、様々な方の意見を伺いたいです。
簡単にいうと、艦隊これくしょんで軍艦が女性に擬人化される、ウマ娘でサラブレッドが女性に擬人化される、刀剣乱舞で日本刀が男性に擬人化される、などの事例だ
この擬人化はヒットしやすい(もちろんあんまり人気がなくてポシャるコンテンツ擬人化もあったりする)
コンテンツの擬人化には亜種となるものがあって、戦国武将の女性化、歴史上の人物の性別を反転させる(女性化が多い)、などがある
前者は織田信奈の野望などがあるし、後者はFate/Grand Orderでアーサー王、ダビンチ、宮本武蔵、葛飾北斎とやりたい放題である(これでも女性化したうちの一部である)
コンテンツの女性化、擬人化で古いものは2009年の織田信奈の野望あたりからになるようだ
もっと遡ると1987年のらんま1/2あたりまで遡れる(ただこれは主人公が水を被ると女体化してしまうものであって本来の性別や性嗜好は男性のまま)
話を主題に戻そう
艦隊これくしょんやウマ娘や刀剣乱舞で日本人のオタクが擬人化に弱すぎるとバレてしまった
実は魅力的、深みのあるコンテンツを擬人化することでとっつきやすくし、性欲や萌えなどに結びつける手法なのだが、この組み合わせに日本人はとても弱いようだ
性欲ニハ抗エナイヨ!
萌エニハ抗エナイヨ!
そろそろ意図的なPRで悪用されそうな手法なので、コンテンツの擬人化いい加減にしろとかコンテンツの擬人化に警戒していったりした方がいいだろう
JRが下記の2項目を実現すると発表するまで日記を書こうと思う。
12月になったらJRがすぐに発表をしてくれると思ったらそうではなかった。
ならばそれをバリアフリーの充実化として還元するべきなのになぜしないのだろうか。
100km以下であっても半額にする。これもまたやるべきことなのにしない。
この100kmのルールについては昭和62年(西暦1987年)から施行されている。
https://www.jreast.co.jp/reg_hc1/
既に30年以上も経過しており古いルールと言えるだろう。
今こそ改訂するべき時だというのにやる気がないのだろうか。
全ての障害者の運賃を半額にする。100km以上だとかそちらのルールの方が分かりにくい。
だとすれば、全ての障害者に対して運賃を半額にするとしたほうが手っ取り早い。
JRにとっては少数派である障害者の事なんて取るに足らないものなのだろうか。
今こそ、今こそ障害者の事を考えるべき時だ。
JRは莫大な利益を上げている。それをバリアフリーへ還元するのは当然の義務。
JRがやらないと他の鉄道会社もJRがやらないから出来ないと言う口実が出来る。
障害者が最も利用するのは電車だ。それを半額にするのは当然の義務。
細野不二彦先生はまさに作画の魔術師、さすがの猿飛・グーグーガンモの作者とギャラリーフェイクの作者が一緒とは誰も気づかないだろう
マクロスの「変形の河森」さんと同期らしい
やよいマイラブ - 『週刊少年サンデー』(1980年24号 - 28号)
さすがの猿飛 - 『少年サンデー増刊』(1980年 - 1984年)
どっきりドクター - 『週刊少年サンデー』(1981年 - 1982年)
Gu-Guガンモ - 『週刊少年サンデー』(1982年 - 1985年)
東京探偵団 - 『少年ビッグコミック』(1985年 - 1987年)→『ヤングサンデー』(1987年創刊号 - 8号)
青空ふろっぴぃ - 『週刊少年サンデー』(1985年 - 1986年)
あどりぶシネ倶楽部 - 『ビッグコミックスピリッツ』(1986年)
I'mナム - 『週刊少年サンデー』(1987年1号 - 31号)
ジャッジ - 『アクションBROTHER』(1987年 - 1989年)→『COMICアクションキャラクター』(1990年 - 1991年)
うにばーしてぃBOYS - 『ビッグコミックスピリッツ』(1988年)
BLOW UP! - 『ビッグコミックスペリオール』(1988年21号 - 1989年19号)
バイオ・ハンター - 『月刊コミックバーガー』(1989年 - 1990年)
りざべーしょんプリーズ - 『ビッグコミックスピリッツ』(1989年 - 1991年)
ごめんあそばせ - 『月刊コミックバーガー』(1991年 - 1993年)
愛しのバットマン - 『ビッグコミックスペリオール』(1991年 - 1996年)
熱拳! ムサシ - 『月刊少年キャプテン』(1992年 - 1993年)
太郎 - 『週刊ヤングサンデー』(1992年12号 - 1999年41号)
ギャラリーフェイク[9] - 『ビッグコミックスピリッツ』(1994年 - 2005年、2012年、 2016年)、『ビッグコミック増刊号』(2017年 - 連載中)
幸福の丘ニュータウン - 『ビッグコミック』(1996年 - 1998年)
S.O.S - 『漫画アクション』(1999年 - 2000年)
ビールとメガホン - 『ビッグコミック』(1999年 - 2000年)
タケルヒメ - 『ウルトラジャンプ』(2000年、不定期連載)
キャット・ウォーカー - 『週刊漫画ゴラク』(2001年 - 2002年、不定期連載)
プライズハンターGON - 『週刊ヤングサンデー』(2001年52号 - )
ザ・スリーパー - 『月刊サンデージェネックス』(2000年 - 2002年)
ダブル・フェイス - 『ビッグコミック』(2003年 - 2011年)
ヤミの乱破 - 『イブニング』→『モアイ』(2003年8号 - 2006年1号、2012年8号 - 2014年2月25日配信分)
電波の城 - 『ビッグコミックスピリッツ』(2006年1号 - 2014年2・3合併号)
アサシンichiyo - 原作担当、漫画:信濃川日出雄、『月刊ヒーローズ』(2013年1月号 - 2015年2月号、不定期連載)
ヒメタク - 『漫画アクション』(2014年15号 - 2016年3月1日号、全2巻)
商人道 - 『ビッグコミックスピリッツ』(2014年30号 - 2015年32号)
いちまつ捕物帳 - 『ビッグコミック』(2014年21号 - 2016年23号)
バディドッグ - 『ビッグコミック』(2017年4号 - 2020年21号)
さすがの猿飛G - 『月刊ヒーローズ』(2017年7月号 - 2019年10月号)※『さすがの猿飛』続編
SDGsのSDの部分、これは1987年にブルントラント・ノルウェー首相の立ち上げた委員会で提唱された「我ら共有の未来」にさかのぼる言葉。
将来世代のことを考えて、子孫が困るようなことなく、現在の開発をしましょう、という提言。
たとえば、環境よりも雇用だ、もっと身近な課題を解決しろ、といった論調も目に付く。
もう一度、1987年にブルントラント委員会で提唱された「我ら共有の未来」に立ち返って、
将来世代の持続的な発展を脅かしていないか、という目でものをみてみる、ということが必要なんじゃないかな。
https://togetter.com/li/1794808
に出てくる娘さんは、しっかり考えている、というより、ごく当たり前の素の反応。
フロンガスを使うことでオゾン層が破壊されて穴が空いてしまったという問題。
1987年のモントリオール議定書によってフロンガスの使用が禁止された結果、オゾンホールには縮小の兆候が見られている。
とはいえ、オゾンホールはいまだ大きく、本格的な問題解決は21世紀末になるという。
が、とりあえずは打てる手は打ったし、ということで、あまり言われなくなったのだろう。
工場の煙などに含まれる汚染物質により、雨が酸性になって木々が枯れ、人体にも悪影響を与えるかもしれないという問題。
日本では80年代から現在に至るまでずっとpH4.7くらいで変わっていないようだ。
国際条約で二酸化硫黄や窒素酸化物の規制が進んだことで、それらの排出量は減少し、欧米では酸性雨は「解決」扱いになっている。
日本でも排出ガスの規制は進んでいるし、「pH4.7くらいなら思ったより悪影響なくね?」みたいな論調もあって、あまり言われなくなったようだ。
窒素酸化物や炭化水素が、日光の紫外線により変質してオゾンを発生させることにより、人体に健康被害をもたらす、という問題。
ピークは70年代だけど、現在でも続いていて、たとえば近年の東京では年間5〜10日ほど光化学スモッグ注意報が発令されているようだ。
とはいえ、排出ガス規制により窒素酸化物の排出は減っているし、70年代ほどの被害にはなっていないから、ということで言われなくなったのか?
100年以上も前から「あと数十年で石油は枯渇する!」と言われてきた問題。
もともと「可採年数」というのは「既に発見されていて、技術的に採掘可能で、採掘コストに見合う石油の量」にもとづいているので、
新しく油田が発見されれば可採年数は伸びるし、シェール革命のような新技術で安く採掘できるようになっても伸びる、ということらしい。
このひとも結構な、、、
すいませんアニメック派でした・・・ - quick_past のブックマーク / はてなブックマーク
https://b.hatena.ne.jp/entry/4699746690150631042/comment/quick_past
『アニメック』とは、1978年から1987年にかけて発行されていたアニメ雑誌。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%AF
1987年、アメリカ合衆国へ渡り、左派リベラルでフェミニズム運動の急先鋒だった民主党下院議員、パトリシア・シュローダー(英語版)の個人事務所でコングレッショナル・フェロー(一定の団体のスポンサーシップにより、アメリカ合衆国議会の議員事務所や委員会に派遣される制度[7])として勤務した。
(中略)
1993年、第40回衆議院議員総選挙に奈良県全県区から無所属で出馬し、得票数トップで初当選。1994年、政策集団「リベラルズ」に参加し、リベラルズを母体に自由党(柿澤自由党)が結党され、党首の柿澤弘治が羽田内閣で外務大臣に就任し、与党入りする。同年7月、自民党を離党した海部俊樹を代表に自由改革連合を結成し、同年末に新進党に合流。