はてなキーワード: 崩壊とは
崩壊3rdならMac App StoreからDLして遊べちまうんだ
https://apps.apple.com/jp/app/%E5%B4%A9%E5%A3%8A3rd/id1172809651
特にスタレプレイヤーなら次verに花火が実装されるコラボが控えてる今が始めどきだぜ
というか自社コラボの同一世界だからか今verからすでにシナリオには登場してて今まさに花火ボイスつきのWebミニイベントまでやってる始末
今verのテーマイベントも年一レベルに凝ってる牧場経営シミュでわりとおもろいゾ
ちなみに次のコラボイベも含め今後のテーマイベントはほぼ常設化されるみたいだから(スタレとか同様)
ほとんどお試しキャラで進められるゲームだし適当でも詰みはしないと思うが無料分で引くなら最新キャラだけ、モチーフ武器込みで狙ってくのが安定ですぞ
ここが辛いよ
・公務員なんぞ志望するようなカスみたいな人間性の部下が沢山来るよ
・公務員試験に受かっただけなのに「俺IQ130ぐらいあるんすよね~~~」みたいに調子こいてるアホが部下だよ
・上は根性論世代だから「俺が若い頃には100時間ぐらいの残業当たり前だったな~~~」とか抜かしてくるよ
・コンプラが緩いことが前提のインチキな仕事の仕方ばかりしてきたツケが回りだして組織が完全に壊れてるよ
・最終的に全てが崩壊したツケを払わされる立場の末席として全てが降り掛かってくるよ
・もう辞めたいよ
・でも公務員の経験しかないアラフォーの行く末を考えると辛いよ
ここがいいよ
なにかの拍子に聞いた耳かきのASMRがすごいゾワゾワしてよかったのよ
ワイ 「お、耳リフレ? 30分以上もあるからこれだけ耳かきされたら天国だろ。ポチッ」
可愛い声の人「...じゃあ、お耳舐めるね。ぴちゃぴちゃ、ちゅぱちゅぱ」
ワイ 「「....」
おい、耳かきはどうした!? え、耳舐め? 知らんわそんな概念。耳舐めたら中耳炎になるやろ
ワイ 「「なるほど、純粋な耳かきなら全年齢版に行くべきなのか。まあでも今日はR18版にとどまって....と。お、この人、耳かきの声の人じゃん。やや幼なめの女の子のイラストもかわいいしサンプル聞くまでもないやろ。ポチッ」
可愛い声の人 「お兄ちゃんクソ雑魚すぎてキモ~~い。なにこの小さいお◯ん◯ん。や~~い短小!」
ワイ 「「....」
なにこの心をえぐって来るボイス!? え、メスガキ? メスガキはわかるけどそんなん需要あるんか?
ワイ 「「うわ、メスガキ多過ぎるわ。大丈夫かこれ、需給バランス崩壊してない? メスガキを回避するためには試聴が大事やな。これはどうや?」
可愛い声の人 「やだ...恥ずかしい」
ワイ 「これだ。この恥じらいこそ俺の求めていたもの!ポチッ」
ワイ 「「....」
パンツ脱いでくださいじゃないんよ。恥じらいはどうした? え、女性優位? ここがジェンダー平等の社会なの?
ワイ 「「女性優位、外すのムズっ。っていうか多すぎ。草食化とは言われるけど、ほんとに草食系ならこんなとこおらんやろ。とにかく試聴が大事やな。これはどうや?」
可愛い声の人 「やだ...恥ずかしい」
ワイ 「これや。この男性優位かつ恥じらいこそ俺の求めていたもの!ポチッ」
ワイ 「「....」
え、なに? 即落ち? 知らんわそんな概念。冷静に考えて挿れただけで落ちんやろ。
ワイ 「即落ちもタイトルから避けて...と。もっとこう、ささやくような可愛らしい声がずっと続くやつを、だな。お、これはどうや?」
ワイ 「なるほど、なるほど」
可愛い声の人 「え、ここで挿れるの? そんな恥ずかしいよう....」
ワイ 「興味深いですね。サンプル全般に渡って、可愛いささやきボイスが継続し、優位性は男女平等、もちろん即落ちの様子もない。これこそ私の探し求めていたものですよ!ポチッ」
可愛い声の人? 「ア"~~~ヤバイ~~オウッオウッ!!ギモ"ヂイイよぉ~~~!!」
ワイ 「「....」
なにこの野太い声!? え、オホ声? 知らんわそんな概念。草食系で野太い声にたくましさを感じる層が一定数いるってこと?
ワイ 「長かった。長かったが、ついに理想郷にたどり着いた。まぁ、神も世界作るのに6日かかったからな。お、まだもう1トラック残ってるな。なんか既にすごいいい雰囲気だけど、ラストトラックでフィニッシュや!」
可愛い声の人 「情けないな~~。お◯ん◯ん、奥まで届いてないし~~。弱々で幻滅です~~」
ワイ 「「....」
言葉責め逆転プレイどうでした? じゃないんよ。顧客の多様なニーズに応えましたって、たぶんそいつ最初からメスガキ行っとるやろ
ASMRは魔境。
箸
なぜ箸なんだ?
「箸は日本が誇る文化、あらゆる食事に対応できる万能食器、箸を器用に扱える日本人は優等民族の証、ほらハンバーグだってお箸で食べれちゃう、箸を使いこなすことはマナーの基本です」
みたいな
バカなのか?
それ椀を手に取る事が前提ね。
「椀を持ち上げる」のとセットで日本の箸文化、マナーが成立します。
すると粘り気が奪われ米同士の結合性が失われる。
ようするにサラサラになるので箸でまとめて掴めない。
食いづらくてかなわん。
日本人がもちもと感のある低アミロースの米を好み、それをベースに食文化を成熟させたのは日本の社会条件、自然条件などで取捨選択された科学的な歴史と根拠があるのだ。
粘り気のある低アミロース米に適合した食事のマナーが出来上がった。
それは誇るべきもので守るべきだ。
で、矛盾も不合理も無視してどこでも箸を使いこなすのがマナー、器用に扱うのが日本人の誇り
こういう押しつけは必ず瓦解する。
あたしゃね、自慢だが知性と教養は高い。
茶懐石で、流石に主人は務められんが、客として恥をかかない程度の所作マナーで懐石から茶の湯までこなします。袱紗捌きくらいは少し復習すれば思い出せるでしょう。
だが、びっくりドンキーではスプーンを頼みます。箸なんぞ使いません。
どう考えても箸で食う料理ではない。
子供にもこんなところで箸なんぞ使わせません。
無理くりを通すのが作法ではない。
で、さらに愚かなのは、肉汁でお米サラサラ食いづらい問題を解決するために
それだと後半戦、米は肉汁に浸され食えない、箸では掴めない。
ならばスプーンかレンゲを標準提供するか、米は茶碗に盛れば良いのに「でっかい木の皿」はアイコンだから辞められない。
頑なに箸を使わせようとする。
アホか?w
創業者は岩手県出身のようだが、田舎ではこういう文化劣化が起きるのだなぁ。
あぁヤダヤダ
と心の中で突っ込みながら飯を食うのが面倒なのでびっくりドンキーにはあまり行かなくなった。
我ながら面倒くさい男だと思う
Xで話題になっている読売新聞の記事。それとX上の反応を見て暗澹たる気持ちになったので記す。
「投票所「夜8時まで」は立会人に負担…きょう4割で早じまい、経費節減も」
引用元:読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/20241026-OYT1T50085/
なお、これは今年基礎自治体から広域自治体に転職した1人の地方公務員の考え方だし、サンプルもn=1なのでそこは差し引いて読んでくれ。
しかも、選挙管理委員会に配属になったことはないので、ちょっとズレたこと書いてるかもしれん。
・こんなに大急ぎで違憲の解散選挙やって、自分達の旗色が悪いから「投票所早く閉めちまえ」って圧力かけた
→政党が全国の市区町村に直接「投票時間を短くしろ」なんて圧力かけるわけないだろ。
・まっとう感覚なら「急いだ日程で申し訳ありません」と言って投票所増やすとこでしょ。よりによって『経費削減』だよ。庶民に関わることは全部経費削減なんですよね。
→さんざん行政の効率化を、費用対効果を、民間意識を、って言ってきたのに、選挙だけそれの範疇外になる理由は何?投票所は日頃から市区町村選挙管理委員会が選挙人名簿に基づいて偏りが起きないように場所を決めてるんだぞ。選挙人の人数が変わらないのに増やす必要ないだろ。
・民主主義の根幹を揺るがす
→投票時間を1~2時間早めたところで民主主義の根幹は揺るぎません。平成9年頃までは期日前投票もなかったし投票時間も18時までだったけど、民主主義は崩壊なんてしてなかったぞ。
今回のことで話題になっていることに関連しそうな条文をピックアップするぞ。
2 投票管理者は、選挙権を有する者の中から市町村の選挙管理委員会の選任した者をもつて、これに充てる。
(~略~)
6 投票管理者は、選挙権を有しなくなつたときは、その職を失う。
(~略~)
第三十八条 市町村の選挙管理委員会は、各選挙ごとに、選挙権を有する者の中から、本人の承諾を得て、二人以上五人以下の投票立会人を選任し、その選挙の期日前三日までに、本人に通知しなければならない。
2 投票立会人で参会する者が投票所を開くべき時刻になつても二人に達しないとき又はその後二人に達しなくなつたときは、投票管理者は、選挙権を有する者の中から二人に達するまでの投票立会人を選任し、直ちにこれを本人に通知し、投票に立ち会わせなければならない。
(~略~)
4 同一の政党その他の政治団体に属する者は、一の投票区において、二人以上を投票立会人に選任することができない。
(~略~)
(投票所)
第三十九条 投票所は、市役所、町村役場又は市町村の選挙管理委員会の指定した場所に設ける。
第四十条 投票所は、午前七時に開き、午後八時に閉じる。ただし、市町村の選挙管理委員会は、選挙人の投票の便宜のため必要があると認められる特別の事情のある場合又は選挙人の投票に支障を来さないと認められる特別の事情のある場合に限り、投票所を開く時刻を二時間以内の範囲内において繰り上げ若しくは繰り下げ、又は投票所を閉じる時刻を四時間以内の範囲内において繰り上げることができる。
2 市町村の選挙管理委員会は、前項ただし書の場合においては、直ちにその旨を告示するとともに、これをその投票所の投票管理者に通知し、かつ、市町村の議会の議員又は長の選挙以外の選挙にあつては、直ちにその旨を都道府県の選挙管理委員会に届け出なければならない。
※ちなみに東京の特別区は第二百六十六条において市の規定を準用することになっている。
公職選挙法に記載のとおり、投票時間は市区町村選挙管理委員会が「選挙人の投票の便宜のため必要があると認められる特別の事情のある場合又は選挙人の投票に支障を来さないと認められる特別の事情のある場合」に、法律に規定の範囲内で時間を変更することができる。
例えば、開票時間に間に合わせるためには18時に出発する船に投票箱を乗せなければならない。そのためには16時に投票を締め切らなければならない。
では、今回の経費節減のための投票時間の繰上は「投票に支障を来さない」自由なのか。
個人的な見解だが、この程度も認められないのであれば、選挙制度は近い将来音を立てて崩壊するだろう。
このように法律で「市区町村選挙管理委員会」が投票時間の決定権を持っており、そこには国の役人や政治家が意見を挟む余地はない。
政府の圧力で投票時間が短くなったと声高に意見をする人がいたら、それはただの「陰謀論に騙されやすい人」である。付き合い方を見直すことをおすすめする。
件の記事で取り上げられていた宇都宮市の例を見てみようと思う。
https://www.city.utsunomiya.lg.jp/shisei/senkyo/1027895/1027904.html
グラフだけなので細かい数字は分からないが、令和3年度の衆議院小選挙区の時間帯別投票数を見ると、ピークの10~11時では20,000を超える投票がある一方、19時~20時は5,000を切っている。4分の1以下である。18~19時と比較しても半分程度の投票数である。
単純に考えて、時間帯によって投票所の運営コストが4倍以上かかっているということである。
自分が従事していた投票所もだいたい同じような状況だった。酷いときは1時間あたりの投票者数がピーク時の10分の1程度のときもあった。
事務の効率化、行財政改革が叫ばれている中、選挙だけが改革から外れる合理的な理由があったら教えてほしい。
ここでは立会人だけでなく事務従事者全体のことを考慮して記載する。
投票所における事務従事者は最低でも次に挙げる程度は必要である。
投票所によるが、だいたいこれらの人員が、準備片付けも込みで午前6時から午後9時まで15時間拘束される。
以前の勤務先では、選挙管理委員会職員と、選管応援の総務系職員を除いて、投票従事者と開票従事者は分けられていたので、これまたXで話題となっている「6時~27時勤務ののち、翌8時半から通常勤務」といったことは経験がない。
ただ、小規模自治体の話を聞いていると、投票事務と開票事務の兼務があるようなので、マンパワーが少ない自治体ほど厳しい状況に置かれてるのかもしれない。
以前の勤務先では15時間の投票所勤務をして、主事級の日当が3万弱~3.5万弱だ。これを多いと捉えるか少ないと捉えるかは自由だが、「この金をもらえなくていいから、許されるのであれば選挙に従事したくない」というのが市区町村職員の主流意見じゃないだろうか。同業者ニ意見ヲ求ム。
※自治体によっては日当じゃなくて時間外対応という神みたいなところもあれば、週休振替という地獄の煮凝りみたいなところもあると聞いた。
選挙事務は、市区町村の職員のほぼすべてが何かしらの形で関わる上に、派遣(アルバイト)も入れている。
このうち投票管理者は、投票事務をよく分かっている人でないといけないため、大抵は市区町村職員が割り当てられる。立会人は職員でもいいし、民生委員、保護司、スポーツ推進委員、自治会役員など、専門知識がない人でも構わない。まあ打診したところで断られるケースも多いんだけどね。
余談になるが、令和元年に専任要件が緩和され上記2つの職の要件が「選挙権を有する者」になった。それまでは選挙区内から投票管理者と立会人を見つけなければならず、勤務先市区町村に居住する者が割を食っていたが、この改正は大きかったなと思う。
令和5年度と、期日前投票が始まった平成15年度と比較すると、全国の地方公共団体の職員数は約30万人減少している。
一方で期日前投票の制度は年々充実してきており、事務負担は増える一方である。
投票所の運営なんてほぼ全てアルバイトだけでいいだろという意見もあるかもしれないが、ただでさえ人不足の中アルバイトだけでどれだけの人が集まるだろうか。
そもそも、投票数と投票用紙の数が1枚でも合わなかっただけで記者発表沙汰になるというのに、アルバイトに票数管理をさせるなど正気の沙汰ではない。
銀行が毎日の帳簿と現金のチェックを日雇いの派遣に任せるか?飲食店でシフトに初めて入るアルバイトにレジの締めを任せるか?
当たり前だけど、市区町村の正規職員が担うべき領域は外注できない。
これまで書いたとおり、現行の選挙制度は、市区町村職員の多大なる負担(犠牲と言ってもいい)によって成り立っている。
期日前投票所は年々充実しており、鉄道が通っている市区町村であれば、主要駅には期日前投票所が設置されているだろう。
期間も2週間設けているところが多いため、調整のしようはいくらでもあるだろう。
単純に投票時間を短くするのではなく、期日前投票所の拡大や移動式投票所の導入、その他さまざまな取組を行った上での投票時間短縮なのだ。
人口減少の局面において、今後市区町村職員は減少することはあっても増えることはないだろう。
市区町村職員の団体交渉権と争議権が制限されているからこその犠牲によって成り立っているだけであって、団体交渉や争議に発展してもおかしくないレベルのことを要求されている。しかも選挙のたびに、だ。
抜本的な改革をしなければ現行の選挙制度は2050年くらいには崩壊しているんじゃないだろうか。知らんけど。
ハンス・ロスリング氏は「事実とデータの理解が課題解決に不可欠」と言うから、彼の言うことに対して「事実」を用いて反論しよう。
つまり「人口は問題ではなく、将来の人口増加は自然に解決される」というロスリングの主張は間違いであると示すわけである。
このように、人口問題は単なる数値以上のものであり、協調的な行動と持続可能な解決策が求められている。希望的観測では対処できない。
「受験戦争を突破し大学にさえ入学できれば人生成功の扉が開く」。大学に入れば人生が楽になるだなんて、そんなのは大きな誤解でしかない。だからこそ、多くの若者が大学に入ると、恋愛やゲーム、旅行など刺激を求めることに夢中になり、自分が大学に通う目的も忘れてしまう。大学に受かった時点で、まるで自分の役目が終わったかのように。
本当のところ、大学で何かを得ようとするのは決して楽ではない。学業に社交、どれも時間と労力を費やさないとならないのだ。それでも子どもたちにこんな誤解を与えてしまうのは、多くの親たちが学歴によって得られた恩恵を経験し、「大学に受かることが人生を変える」と思い込んでいるからだろう。
表面的にはもっともらしい考えだが、深く見てみると何か違う。実際には、大学受験がその人の人生を変えたのではなく、時代の流れがその人を支えたのだ。大学に受からなくても、堅実に努力すれば現在でも十分に成功している人がいるし、中には学歴がなくても何億もの資産を築いた人もいる。名門大学に行ったからといって、適切な業界を選んだ人や、挑戦心のある人よりも必ずしも良い生活をしているわけではないのだ。
「学歴こそが全て」という時代はもう終わった。ましてや、今の大学教育の内容や成果は、かつてのそれとは遠く及ばない。しかし、多くの家庭は、依然として「小さな町の受験戦士」の感覚で子どもを育てている。「大学にさえ入れば楽になる」といった類の嘘を子どもたちに言い聞かせて、子どもたちはその言葉を信じ、自分の好きなことを諦めて、得意でもない勉強に苦しんでいる。今や「北京大学が空っぽの人材を育てる」どころか、中学や小学校でも空っぽな人材が作られ始めている。「うちは子どもに何の要求もしてないのに、どうして何事にも関心がないのか?」と疑問を抱く親もいるが、答えは明白だ。
「教えられない生徒はいない、教えられない教師がいるだけだ」――この言葉は、かつて著名な教育家の陳鶴琴が自己の戒めとして使ったものだが、今では多くの教師への批判のものさしとして使われる。自分に課す目標ならともかく、他人に目標を押し付けるのはただの要求だ。まして時代背景が変わった。かつては義務教育ではなかったし、大学も一部の限られた人しか進学できなかった。だからこそ、生徒一人ひとりに内発的な意欲が備わっていたが、今では小学生でさえ「もういいや」となってしまう。子どもたちは、幼い頃からあらゆる「教育熱」にさらされ、すっかり疲れ果ててしまっているのだ。
教育の現場では、子どもたちの学びへの意欲を引き出す術を失い、入学時のプレゼントだの、勉強を楽しませるためのゲームだの、工夫を凝らしているが、中身は空っぽだ。大人を騙すようなゲームを子どもに対しても繰り返しているが、何度も繰り返せば子どもだって飽きる。
社会も、学校も、家庭もすべての責任を一介の教師に押し付けているのはただのいじめだ。中国では教師に対する要求が非常に大きく子供への教育の一切を担わらされている。放課後もグループチャット経由で保護者からの質問や学校からのお知らせの通知などにも対応しなければならず、最近では精神的に限界まで追い詰められた女性教師がグループチャット上で切れ散らかしてしまったチャット履歴がSNSで拡散され、同情と批判の入り乱れる賛否両論を巻き起こしたばかりだ。
「教師は太陽の下で最も崇高な職業である」――この言葉は「近代教育の父」と称されたチェコの教育家、コメニウスが語ったものだが、彼はなぜそう言ったのか?その背景を見ればわかる。彼が生きたのは、封建制度が崩壊し、資本主義が台頭し始めた時代で、彼はその時代に適応するために様々な教育理論を唱えた。資本を発展させるには優れた人材の育成が不可欠であり、資本のための高い質の教育が求められたのだ。
「親子は血が繋がった他人」
これは僕の根幹の考えである。
最近、親ガチャ、毒親という言葉が以前より目にする機会が増えたように思う。
この記事を書くことを思い立ったのも、Xでとある漫画が流れてきたからだ。
簡単にいうと、お金にだらしなくヒステリックな母親に子供が振り回され、主人公の女性がJKリフレに手を出すという話。
・逮捕歴は5回以上、刑務所入りは3回(詐欺、万引き、薬物使用etc)
漫画のようなここまで強烈な逆ギレはされたことないため、そこだけはうちの母親の方がまともかもだが...
実際に親が警察のお世話になっていることから、客観的に見て毒親にあたる母親に育てられたわけだが、32歳の今、結婚もして自分はとても幸せに暮らしている。
なぜそうなったか、いくつか要因があるとは思うが、
③絶縁したこと
3点が影響が大きかったと断言できる。
そのため、毒親や親ガチャで悩んでいる方向けに、何か一つ考えや行動のきっかけになればと思い、経験談を書いていこうと思う。
▫️前置き
・これは私個人の経験であり、すべての状況に当てはまるものではありません。この選択が誰にでも正解というわけではないことをご理解ください
まず、18−20歳の頃、生活保護を受けていた母親と、血が半分繋がった妹を置いて独立したことが初めて距離を置いたタイミングだった。
少し遡り、高校3年生の夏、再婚した義父と母が離婚をして、母、妹、自分の3人ぐらしとなった。
その時、妹は2歳だったので、母は定職につくまでの間、生活をするために生活保護申請をした。
僕は公務員になるための専門学校の体験講義などに行っていたが、母が離婚したことによって道は閉ざされ、高卒で即働く以外の選択肢がなくなった。
まぁ、正直卒業してからまた勉強したいと意欲的には思っていなかったので、早めに働くつもりではあったが、自分で決めるのではなく親の影響で道が閉ざされたことに対して、理不尽だと感じたのは覚えている。
また、兄は生みの親の方の父を頼り、大学に行っていたこともあり、表では気にしないふりをしても内心では不公平だと思っていた。
自分が中3の頃、母は詐欺で捕まり、その時にさんざん泣かされたので、母親には愛想は尽きかけてはいたが、まだなにも知らない2歳の妹を守りたい一心で働くことを決めた。
公務員試験にも無惨に落ちたり、就職の面接も3〜4回落ちたが、なんだかんだその年の12月に家から近くの職場で、正社員として雇ってもらうことが出来た。
会社ではちょいちょいパワハラみたいなのも受けたりはしたが、親よりマトモな大人ってたくさんいるんだなということを思ったのを覚えている。
新入社員の自分一人の給料では3人分の家計は支え切れず、続けて生活保護を受けていたので、自分が正社員として働き、加えて母親も精神病の病院に通いながらゆくゆくは定職につき生活保護から抜ける、というのが共通の目標だった。
しかし、結局母親は2年もの間、ほぼ定職につくことができなかった。
母親が働かない限り生活保護から抜けられなかったので、稼いでも稼いでも家にお金を入れるばっかりで、自分の使えるお金は増えていかなかった。
18歳の頃、手取り14万円で働き、10万円、家に入れていた。
20歳の頃には、給料が増えて手取りは16万円くらいになったが、家には11万円くらい入れていた。
世帯の収入が増えると、当然生活保護費は減らされるので、その分家に入れる金額が増えるので給料が増えても、むしろ損な気持ちになっていった。
なにかがきっかけというわけでもなく、なんで自分は新社会人でいびられながらも会社に行き続けてるのに、自分が信じて支える母は仕事にまともに行けず、適当な理由をつけて、数ヶ月で仕事を辞めるという日々が続いていた。
20歳の大人になったばかりの子供が、言い訳ばっかりして仕事に行けない親を叱りつける、という歪んだ日々も続いた。
そんな陰鬱とした日常から抜け出したくて、母親と妹を置いて、その時付き合っていた彼女の実家の近くに一人ぐらしで引っ越した。
この時、妹と母親を置いていくことはものすごく抵抗はあったが、それよりも自分の人生がこのまま改善が見られない母親の面倒を見ていくことだけで、終わってしまうことがたまらなく怖かった。
貯金をする余裕もなく本当に貧乏でお金がなかったため、家賃3万円台のレオパレス系の物件を借り一人暮らしをスタートしたが、初めて自分で決断をし生活を選んだことで充足感で満ちていた。
一人暮らしを始めてからも、小さな妹を残してきたことが気がかりで2〜3ヶ月に一回くらいのペースで、実家に顔を出すようにはしていた。
ただ、本当に家の散らかりようが酷かったのは覚えている。
しょっちゅう電気と水道が止まったり、たまにご飯に虫が入っていたりと。
それを発見するたびに母親に注意をし、妹には色んな世界を知ってほしくて、できる限り遊びに連れて行くようにしていた。
公園に行く時もあれば、スケートに行く時もあれば、自分の家でSwitchで遊んだりした時もあった。
母親が妹の前で万引きを行い、警察に通報され、妹が児童相談所に行ってしまったのである。
子供の前で犯罪行為を行ったということで、児童虐待と見なされた。当たり前の話だ。
今回の話の主軸とはずれてしまうので経緯は省略するが、この間家庭の立て直しのために毎週のように実家に行って最大限の努力をしたが、それでも最終的には母親が薬物にハマったことにより、猶予をもらっていた児童相談所からも厳しい決断を下され、離婚した義父(妹にとっては実父)のもとに行くことになり、もう2度と母親の元に妹が戻ることはなくなった。
その時まで、自分が独立したことは正しかったと自分に言い聞かしていたが、この時は本当に後悔の念に駆られていた。
「"自分がいたら"、妹が児童相談所に行くことはなかったのか?」
今となっては、結果的に父親のもとに行って良かったと諦めはついているが、この離婚した父親の元にはすでに不倫相手との間の子供がいたので、妹が疎外感を感じるんじゃないかと怖かった。
しかし、無力な自分には何もすることができず、自分の人生の中での最大の挫折をし、心に傷を負ったまま普段の生活に戻って行った。
そのころに今の妻となる女性とSNSを通じて出会い、反対に自分と同じく家庭問題で悩んでいた妻を精一杯支えることで、心の傷が少しずつ癒えていった。
一方その頃母親は、メンタルクリニックで知り合った男と一緒に暮らしていたが、そんな状況でもしょっちゅう犯罪を繰り返し、5年前後の刑務所生活を送ることになっていた。
母親が5年ぶりに出所したとのことで、叔母経由で連絡があった。
叔母の家にいる母とのLINE通話で少しだけお互いの近況を話した。
・「更生」するために意気込んでいること
最後、どこに住んでいるか聞かれたが、それは言えないと断った。
結婚した妻と一緒に数年前に新しく住んだ家にはどうしても来てほしくなかったからである。
独り身だったら決断は変わったかもしれないが、絶対に妻には迷惑をかけたくなかった。
電話越しの声のトーンからも母が悲しがっていたのはわかったが、妻との生活と天秤にかけた時に自分の意思は固かった。
たったそれだけの行動で、今まで10年以上縛っていた、自分の心の荷がストンと下りた。
ちなみに今年、刑務所から父親宛に手紙が届いたらしく、それでまた刑務所に入ったことを知ったのだが、「ああ、やっぱりな」という感想しか出てこなかった。
毒親、親ガチャの問題は様々なケースが存在するので、全部のケースで当てはまるとは言えないが、自分の人生を客観的に振り返った時に、下の3つがターニングポイントになっていた。
③親と絶縁する
まず前提として、僕は人より鈍感であるため、へこむことはあっても、精神が病むことはなかったので、心に傷を大きな傷があり、精神状態があまり良くない方はまずは病院に行ってみたほうがいいだろう。
実際に妻は家庭問題で最初あまり精神状態が良くなかったので、最初は一緒に病院に行っていた。
ただ、一方で薬や病院もあまり頼り過ぎも良くないと自分は考えているので、良きタイミングで仕事や友達などで人との繋がりを増やし、徐々に社会復帰できれば一番ベスト。
妻は、バイトで自己肯定感や自信を取り戻し、保育の専門学校で友達ができ、今は保育園で仕事に悩みながらも、精神状態が大きく崩れることはなく立派に自立している。
精神状態が問題なかったら、①のたくさんの大人と関わるという段階にステップアップする。
僕の場合は仕事で会った人の影響が大きく、「親よりまともな大人ってたくさんいる」という事実と色んな考えに触れることによって、親の悪い影響を受けなくて済んだと思っている。
ただ、仕事もぶっちゃけ「ある程度ピックアップが選択ができるガチャ」みたいなものではあるため、そのほかにも親戚の家に転がり込んだり、今ならSNSで繋がった趣味が会う大人と会うのもいいだろう。
僕はスプラトゥーンというゲームが大好きで、ゲームをしながら色んな人とSkypeやDiscordを通じて話したり、しょっちゅういろんな人とオフ会で会って交流関係が広がった。
独立と絶縁については、似たようなもんだが、独立だけで済むならそれが一番。
しかし、僕は絶縁までしないと本当の意味で心の荷が下りなかった。
絶縁したおかげで、たまにこうやって思い出して文章を書くことはあっても、自分の人生におけるウェイトはすべて自分と妻と愛猫で占めている。
僕は独立したことにより、結果として妹に悲しい思いをさせて苦しんだし反省もしているが、絶縁まで済んだ今となっては、自分に抱えきれない問題だったと諦めがつき、後悔はしなくなった。
最初に申し上げたとおり、僕のスタンスは「親子は血が繋がった他人」。