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はてなキーワード: 手続きとは

2018-10-15

anond:20181015162643

・「返済できません」→会社丸損

そもそも会社社員に金を貸したら返済方法は法的規制が厳しい。人身御供奴隷契約にならないようにね。

まずは、「給料」と「会社が貸したお金」は相殺できません。

これは労働基準法第17条に書かれています

この17条は「貸付金があるから働かざるを得ない」という拘束を

禁止しているのです。

また、給料から差し引けるものは「法律上」決まっています

たとえば、

○ 法律上のもの(例:税金社会保険料

○ 労使協定で決められたもの(例:寮費、社内預金共済費)

です。

逆に言えば、これら以外のものは「勝手には」差し引けないのです。 

しかし、現金での返済では事務手続き煩雑になります

から会社お金従業員に貸し、返済してもらう場合

現実的には「給料から天引き」となっています

2018-10-14

anond:20181014212324

フレームワークを使うし、標準ライブラリクラスで作られてるからクラス使わないでコード書くのは無理だけど、新規クラスとか作るとすごい感情的に怒り出すね。

フレームワークで使うモデルクラスなかにメソッドを作りまくって、クラスのなかて手続き型のコードを書いてる。

あー最悪だ

またアイツに出会った、黒いゴ…のアレ

3ヶ月ぐらい前にも現れて一生懸命退治して、あれから悪夢にうなされてたのに

今日退去の手続きしてきたばっかりなのに

とりあえず退治は終わった、殺虫剤かけまくって裏返ってるところを厳重装備でトイレに流した

大家さんごめん

調子乗ってお腹いっぱい食べたあとだから本当に気持ち悪い、吐きそう、だけどアレ流したあとのトイレで吐けない

掃除しなきゃ…

でも掃除するための気力が尽きてる

エネルギーを誰かください

2018-10-13

人間自分に都合の良いように記憶を書き換える というのを

今まさに目にした

彼女にひどいことをした、悪かったと思ってる、そう以前彼は言った

自分も彼が彼女暴言を吐いた場に居合わせたし、彼女をなだめていた

もう随分前のことだ

先日 皆で顔を合わせる機会があり、私が彼に「ちゃんと謝れば彼女も許してくれますよ」と伝えたら

彼は言った

「何故?自分は悪いことはしていない、手違いで彼女には誤解させてしまったけど」

一瞬冗談かと思ったが、彼は続けた

あの頃 彼女と同じようにいろいろ手続き必要な人がいて、ちょっと間違ってしまっただけ

本気でそう言ってくる

彼が感情的彼女に当たりちらす場面に私はいたのに、その私に嘘をついているのか

あるいは自分自身の記憶に嘘をついているのか

どっちにしろ彼の記憶はもう随分と不確かなようだった

人の記憶が、主張がこんなにもいい加減だなんて

悪い人ではないと思っていただけに、ちょっとショックを受けている

2018-10-11

今年登った大人階段

1月 プロポーズ

5~6月 伯父が亡くなり相続手続きを少し手伝う(自分にも相続権があったので)

7月 父が熱中症で倒れる。入院手続きとか諸々の準備

9月 結婚相手の両親と顔合わせ(父のことは報告済み)

9月 入籍

10月 父が亡くなる。諸々の手続き葬儀喪主をやるとか。相続関連の手続き

大人階段を一気にうなぎ登りな感じだなぁと思っています

入籍はしたけど、このままだと挙式できないやん。。。

女性の皆さんはトランスジェンダーを受け入れる準備はできています

はてなブックマーク - かつらかぶり全裸で女風呂に侵入、62歳男逮捕

三重県警亀山署は10日、亀山西町会社員の男(62)を建造物侵入容疑で現行犯逮捕した。

発表によると、男は10日午前2時頃、同市小野町ビジネスホテルの女風呂女性用のかつらをかぶって女装全裸侵入した疑い。

調べに対し、「仕事ストレスがたまり女性気持ちになりたかった」などと容疑を認めているという。


実は海外のいくつかの国では外科手術無しで性別を変更できるようになっています

【発言】戸籍の性別変更、手術要件廃絶を 保険適用を考える | 共同通信 [2018/01/15]

世界的な情勢は。

三橋ヨーロッパでも、過去には公的性別変更には手術が必要だったが、今や要件緩和は世界的な流れ。英国スペインなど多くの国で性別適合手術を要件から外している。

スウェーデンでは、過去に手術せざるを得なかった人々に賠償金まで払った。世界保健機関(WHO)も2014年に、手術要件の廃絶を求める声明を発表した。

今回の保険適用は、世界の流れに逆行し、当事者の中からも大きな異論が出ている手術への誘導施策とも受け取れる」

イギリスでトランスジェンダーの法的性別変更手続きがもっと簡単に! [2016/07/14]

これによってイギリスアイルランドマルタデンマークと同じラインに立てるのです。

これらの国々では性別変更をするのに外科手術などの医療行為必要ではないのです。

まだ政府がどのように性別変更の法案を決定するのかはわかりませんが、自己申告制的なものになるだろうと思われます

これまでイギリストランスジェンダー性別変更するには、医師精神科医の承諾が必要でした。

トランスジェンダーの権利はどれだけ支持されているのか。世界23カ国を調査 [2017/05/06]

ランキング3位のアルゼンチンは、2012年ジェンダーアイデンティティの「自己決定権」を認める法案を可決し、新たな金字塔を打ち立てた。

これにより、西半球で初めて、手術や医師許可がなくても、書類に記入するだけで法律上の性を変更できるようになったのだ。

トランスジェンダー擁護団体トランスジェンダーヨーロッパ」によると、その後、欧州の4カ国がアルゼンチン法律モデルにした自己宣言法を採択し、さらに18カ国以上が同様の法案検討中だという。

さてこの流れに日本追随するとなると「性自認女性性別変更手続きをした男性器のあるトランスジェンダー」は女湯に入ることになるでしょう。

もし追い出したりしたらそれは差別です。

女性の皆さんはトランスジェンダーを受け入れる準備はできていますか?

anond:20181011174953

選挙で決めたことを高々数百人の気持ちでひっくり返すのってそれなんて独裁

民主的手続きを得てない数百人でさ。

anond:20181011170828

市長のもの選挙という民主的手続きによって市民から権限委託されてる立場だって分かってる?

市の運営利益が見込めることは通せる権限を持ってるんだよ

市長の決定=独裁非民主的!って思ってるんならちょっと短絡過ぎと違うか?


その市長の決定を三割ぽっち(しか市民の三割すらない)で潰すってメッチャ非民主的やんか

anond:20181011165931

市長の一存でねじまれものが正しい民主的手続きを経てあるべき結果に収まっただけだね

親の葬式やって感じたこ

香典いくらもらったのか確認するのがめちゃ大変。Excel紙幣を数える機械があると楽できる。(理想電子マネー決済だけど)

地元田舎から新聞訃報を載せる依頼をするんだけど、これが結構高い。私の地元では十万円かかった。

それとは別に故人のFBで報告をした。んで、FB訃報を知る人が結構いた。やっぱり新聞を取ってる人は年々少なくなってるっぽい。

契約書、請求書、借用書、領収書なんかは分かりやすいように保存すると遺族は助かる。あとは通帳。無くしたなら、早めに銀行で再発行しろ

いくら借金があるのか把握するのは結構大変。故人の銀行口座は凍結されるし、凍結後に残高を確認しようにも色々と手続きを踏まないといけない。

銀行によって手続きの仕方が変わったりするので、複数銀行で口座を持っている場合は各銀行手続きを調べないといけない。

ざっと思い出せるのはこれくらいかな。みんなも死ぬ前に整理整頓しような。

anond:20181011110429

実際に難しくもない手続きであっさりと特定できてるから再熱してるんだけど、そこの所大丈夫なの?

インターネットには国境なんて無いんだからサービス提供元本国指定してる所で訴訟すれば済む話を、

知ってか知らずからやらなかったのに「ブロッキング以外に対応策はない」って言ってるから馬鹿いってんじゃねえよってタスクフォース何も進んでないんだが

川上が吠えすぎなのはあるけど、タスクフォース存在意義否定できるようになったか結論が出ないとか寝言ごまかせずに、

元々関係有識者から指摘されていたように、淡々関係機関手続きをすれば済む事でした。って記録を残して欲しいわ。公文書として

2018-10-10

ワロタ

配送手続き完了しました。10月10日 2333

・支払い完了の連絡を行いました。10月10日 23時30分

・お届け情報、お支払い情報の連絡を行いました。10月10日 2328

anond:20181010135656

めっちゃ面白いけど、視続けてしまうので、怖く手続きをみれない。早くゆっくり視れる身分になりたい!

写経 2日目

郵送されてくるファンクラブ会報

未着というのが何回かあった。

前回の会報も未着問い合わせし再発送して

もらっても未着で終わり郵便局での手続き

めんどくさくしなかった、、、

そんな未着続き

今回もそのパターンか?と思っていたら

今日会報が届いた。

写経2日目、運気が上がってきたか

思う事は、

今回はサービスのようなもの

これから徳を積んでいかなければ

運はまわってこない。

目安は一日一膳を念頭に置こうと思う。

又、

数多の荷物、大変なのは分かるが

仕事はきちんとして欲しいと切に願う。

骨髄移植の話(10/11追記あり)

増田でも時々骨髄バンク移植について話題になっているのを見かける。

私もそれに関わる立場になったので初めてエントリーしてみることにした。

この度私は骨髄を提供してもらう側になった。つまり骨髄移植必要病気になったということである。私は20代前半だ。

正式にはまだバンク登録をしていない、HLAハプロタイプを調べただけの段階だ。病状の経過が悪く、先に抗がん剤治療必要判断されたため、まだ骨髄移植の日程を決められる状態にないのだ。

しかし、すでに雲行き怪しく、日本人には非常に珍しい型だという結果が出ている。なんでも、0.0001%以下だとか。HLAの検査結果にも、「非常にまれ」と書かれてしまった。

現在バンクドナー登録していただいている方との適合率も調べたが、フルマッチはいない。ミスマッチも数人という結果だった。

私が小説漫画編集なら、設定過多でボツにするところだ。

日本骨髄バンクが公開している現在登録ドナー登録者数は74万人強、ドナー登録数は48万人強、適合報告ドナー数は30万人弱である

患者ドナーの適合率は約3割だそうだ。そこからさらにふるいにかけられて、最終的に骨髄提供および移植日が決まる。

患者は適合するドナーが見つかるまで、病気を抱えたまままずは体力を温存しつつ生きなければならない。

ドナーはいつ見つかるかわからない。なぜならドナー登録善意の行動で、適合するかどうかは運次第なのだ

2〜3ヶ月で見つかる人もいれば、半年かかる人や最期まで見つからない人もいるだろう。

HLAハプロタイプ は生まれながらに決まっている両親から受け継いだ白血球遺伝子である。変更はできない。

要は生死をかけたガチャなのだ

自分のHLA型が珍しかろうと頻出型であろうと、その時ドナーがいなければ移植はできない。

出る時は出るし出ない時は出ない、なんて過酷ガチャなのだろう。

残念ながら「出るまで回せば100%」なソシャゲ脳的思考通用しない。

それはドナーさんの善意に頼った骨髄バンク制度であり、何よりドナーさん自身にも少なからリスクのある治療からだ。

他人強要することはできない。

現状のドナー制度は、病気になるまで考えもしなかったが、限界に来ているのでは?と感じることがままある。

私のドナーさんは果たして本当に見つかるのだろうか。

善意だけで人の命は救えるのだろうか。

骨髄ドナーは、命のボランティア、いや命がけのボランティアである

それでも、バンク登録患者が一人でも多く生き残るためには、一人でも多くのドナー登録必要だ。

きょうだいなど、ハプロタイプの近しい親族がいる場合を除き、命がけのボランティアをお願いする以外に方法がないのである

ドナー登録自体は各献血ルーム等で比較簡単に、すぐに登録可能である

ただし登録後、適合患者が見つかりドナー候補となった場合、非常に面倒と言える書類審査家族医師同席での最終的な同意提供完了までの厳密な体調や薬の管理必要となる。

骨髄バンクドナー登録条件はドナー登録に関して十分理解した18歳以上54歳以下、男性45kg以上女性40kg以上の健康体の方である。詳細は是非日本骨髄バンクHPを参照していただきたい。

このような条件である以上、ほとんどの方は学校会社勤めであろう。

もし候補者となった場合、そちらにも報告し、数日間入院しての骨髄提供への理解・許諾を得なければならない。

また、自治体民間団体によってはドナー提供者へ助成金を出しているところもある。

それでも、患者の命のためとはいえ、そこまで善意でできる人間はそう多くはいないだろう。

だけれども、私は患者である

一人でも多く合致するドナーさんに巡り会いたい。

わがままな願いかもしれない。

返せるものは厳密に個人情報等を隠した手紙一通と、ドナーさんに直接知らせることは叶わないその後の病状の回復社会復帰だけなのだから

最初にも書いたが、私のフルマッチ現在0人である

ミスマッチとは1型欠けの許容範囲内の合致数で、それも数名である

私の命が助かるのかどうか、今は誰にもわからない。

数名の彼らがたまたま運良く都合がつき、体調も良好で、私自身も移植するだけの体力があるタイミングを引き当てなければいけない。

運命のいたずらというにはあまりにも残酷すぎる。

それでも、見つかるまでは生きなければならない。

何があっても生きなければ、移植後の人生存在し得ないのだから

言いたいことがまとまらないエントリー申し訳ないが、願うことはただ一つ、一人でも多くの方にドナー登録に協力してほしいということである

登録簡単であっても、適合候補になった場合手続きが面倒ということは重々承知している。

それでも一人でも多くの方にご協力願いたい。

その一心でこのエントリーを書いた。

時間がかかってもいい。いつか私のドナーさんが見つかるように。それだけを願って。

このエントリーが一人でも多くの方に届きますように。

そして一人でも多くの方がドナー登録にご協力くださいますように。

それだけを願ってやまない。

追記 18/10/11

反応くださった方々、ありがとうございました。

記事を書いた時点では存じ上げなかったのですが、10月は臓器移植骨髄バンク推進月間なんだそうです。

元増田にも書いた通り、命がけの善意ボランティアを"お願い"する以外、患者にできることはありません。

HLA型の適合率は、非血縁者の場合数百〜数万人に一人と言われています

一人でも多くの方がドナー協力してくだされば、骨髄移植必要患者はその後の人生を得られる可能性が上がります

私はまずは骨髄移植が受けられる状態になるまで、血液内のがん細胞を叩かなくてはなりません。

骨髄移植でも死ぬ可能性は大いにありますが、骨髄移植の前処置としての抗がん剤放射線治療にも死のリスクがあり、何より移植後が一番大変と聞いています

移植までも生きなければなりませんが、移植後も多くの問題を抱えながら生き延びなければなりません。

医療技術進歩した現在でも、骨髄移植はかなり高度な治療技術なのです。

以下、コメントや反応にお返ししたいと思います

フルマッチミスマッチ、なかなかこういう使い方をする場面はないでしょうが、骨髄移植世界ではよく使われる表現です。

HLAの適合度が高いほど、安全移植することができます

本当に全てが運次第なのです。

記事へのコメントで、売血問題にも触れられていましたが、現行の制度が色んな意味で滞りなく進むやり方であることは承知の上で、それでも負担考慮すると何も返せないのが心苦しい思いです。国や自治体もっと何か補助があればいいのですけどね。

移植後、様々な問題を乗り越えて社会復帰して、幸せ人生を少しでも長くまっとうすることがせめてもの返礼と考えるしかありません。

また、記事への反応で親兄弟肉親でも命がけのボランティアだと指摘を受けましたが、おっしゃる通りです。

しかし、その命がけのボランティア赤の他人に協力してもらうのと、肉親に協力してもらうのとでは、肉体的・心理的社会的負担が大きく異なることは確かだと思います言葉足らずですみません

それから現在ドナー登録をしてくださっているみなさん、過去登録していただいていたみなさん、骨髄ドナー経験のあるみなさん、登録を考えてくださっているみなさん、本当にありがとうございます

一人一人にお礼を言って回りたい気持ちでいっぱいです。

あなたたちの勇気ある善意ボランティアのおかげで、生きられる方がたくさんいらっしゃいます

自身負担も大きい骨髄ドナーですが、血縁ドナーがいない患者にとって非血縁ドナー(骨髄バンク登録ドナー)さんは、「生きる」ための選択肢を与えてくださる存在です。

「生きる」ために不可欠と言っても過言ではありません。

この増田が一人でも多くの方の目に触れ、骨髄移植骨髄バンクドナーに関する理解がより深まるきっかけになれば、これほど幸いなことはありません。

私もがんばって生き延びます

そして、なるべく適合率の高いドナーさんに巡り合い、これから人生を生きていきたいです。

anond:20181010004010

電子計算機という形態のものがそういう言語言語性、感情のフワフワ感、人間動物として地質学時間にわたって繁栄させてきた生物本質からの決別でありその宣言なんだよね

手続き的に処理できないもの死ねっていうのは計算機工学者の思想でありおよそ電子計算機を応用したあらゆるものに既に埋め込まれ基本的態度

社会学教授必要なこと

https://togetter.com/li/1274838

社会学スタートって「物理学」や「生物学」の「科学手法」を手本にして、社会科学的に考えようって話だったと思う。

それが今では社会学者の論文客観性担保されてない、お気持ち学問査読論文なんてありませんし、ありえませんってことに。

日本における文系理系の分断は大きいね

社会学学部レベルでもカリキュラムで一番大事にされるのが「統計学」。

社会客観的に調べましょう、知りましょうってのが、社会学の基本なので調査のない社会学なんてない。

でも、統計学って数学使うでしょ。数学の基礎の基礎だけど。でもド文系社会学徒は理解できないんですよ。

そーするとカルチュラル・スタディーズとか「質的調査」に逃げるんですよ。誰でもそれっぽい話が書けるんで。お金もかからないし。

それで書けて「なんか上手いこと書けた」とか思ったアホが修士行ってゴミを量産するんです。そしてそのまま就職できずに博論も出せずに置物になるんです。

運良く博論が出せて人づきあいが良かったりボスが良い人だったり上がいきなり人生ドロップアウトしたりすると大学教授になれたりします。

社会学系のキャリアは、研究内容が奇抜で変だからこそのおもしろ枠もあるし、地域枠で地域密着研究者ってのもあるし、単純な学問的な業績よりは「社会的な業績」が加味されます

から、まぁ、社会学教授査読付き英語論文必要かと言えば、別にいらないかな。

社会学基本的手続き学問で、ちゃん調査しましょう、ちゃんと開かれた議論が出来るように論文を書きましょうっていう学問です。

自分研究フィールドがしっかりしていて、調査研究継続して予算もしっかり取れて横着せずに最新の理論研究内容をフォローしてるなら大学教授やってて問題なしでしょ。

手癖で良く知らない分野のレポート書いたり価値判断が先行して調査研究を疎かにしてたらダメかもしれないけど。

理系文系がいう科学的とか客観性ってのは、だいぶ遠いよね。

理系が言う科学的はメートル法だけど文系が言う科学的は尺貫法とかヤードポンド法って感じかもしれない。

2018-10-09

高校生社会学について調べてみた

キズナアイ騒動社会学話題になっている。その騒動の中で、「社会学って自分の好きなことを言っているだけの学問なの?」とか、「客観的視点が無いならそれ学問じゃなくね?」とか、「社会学って必要なの?」とか、様々な言葉が飛び交っている。

ところで、僕は大学に進学することを考えている、文系選択高校生である。そこでふと気づいたのだが、これから受験に臨むというのに、僕は社会学について何も知らない。知らないというのは、騒動で飛び交っている言葉に対して、「それってまぁこういうことじゃね?」という程度の考えができるだけの知識すら持っていない、ということである。将来ひょっとしたら選択肢に入ってくるかもしれない学問なのに!

そんなわけで、ネットで軽く社会学について調べてみることにした。

社会学」と検索すると、真っ先に、ウィキペディアの一文目が表示された。

社会学(しゃかいがく、英: sociology)は、社会現象実態や、現象の起こる原因に関するメカニズム因果関係)を統計データなどを用いて分析することで解明する学問である

分かったような、分からないような。とりあえず、“統計データなどを用いて分析する”ということは分かった。とするならば、騒動で言われていた、「客観的視点が無いならそれ学問じゃなくね?」ということに対しては、「統計データなどを用いて分析しているらしいよ」と答えることができそうだ。でも、まだ何となく腑に落ちない。

そこで思い出したのが、「そういや社会学って、社会科学の中にある分野だったよな」ということである。それなら「社会科学」も調べてみようか。

社会科学は、客観的社会真実を探求する事とともに、人類にとっての有益を追求する。また、文科系学問において基礎となる間主体的洞察力の活用自然科学に由来する客観的視点を両立することで成立する。

うん……? ざっくりまとめると、

社会法則みたいなものを見つける→それを利用することで、みんなが幸せになることを目指す

・「これ法則っぽくね?」ってカンを働かせることと、客観的視点を使うことの、両方をする

ってことでいいのかな。

いまいち理解できないのが、“自然科学に由来する客観的視点”の部分だ。これ何?

自然科学」で検索すると、高校生何となく信頼を寄せるウィキペディアには、残念ながら調べたい情報は出てこなかった。社会科学との対比の「自然」の部分に関する説明が多かったのだ。……ん? ということは、僕の調べたいことは、両者に共通する「科学」の部分にあるのではないか? その考えを以て思い返してみると、“自然科学に由来する客観的視点”、そう、“由来する”って書いてあったじゃんか。つまり客観的視点の由来が自然科学なだけであって、社会科学客観的視点を用いていない訳では無いってことだ。ああ、こんなことだから最近の子供は読解力が無い」なんて言われてしまうんだろうな。ともかく、客観的視点は「科学のものであり、それを知りたいならば、「科学」について調べればよさそうだ。そんなことを思いながら、「科学」のウィキペディアのページを開く。

こうすればこうなる、といった事象を集めることから、原因と結果を探してゆくのが科学方法である。言いかえれば、究極的な目的であるなぜ (Why) を一端棚上げにして、まずいかなる状態で、どのような (How) 現象が起きているのかを記述することと、どのような条件下で何が起きるかを記録し、それに基づいて因果関係分析しようとするのが科学である

……分からん。「科学」で調べた時に、「科学とは 簡単に」という検索候補が出てきた気がするので、そっちで調べてみる。

検索最初に出てきたのがこちら。

https://www.geek.sc/archives/623

科学とは、仮説を立てて、その仮説が本当に正しいのかどうかを様々なデータ論理を使って検証する行為です。

小学校中学校理科の授業を挙げて)先生実験前に皆さんに何かプリントを配って、「実験をしたらこういう結果になる」ということを説明したり、「実験によってどういう結果になると思うか、自分の考えを書きなさい」などのような指示を出したりしたと思います。そして、本当にその結果が得られるかどうかを検証するために、実験が行われたと思います。それが科学です。

なるほど、何となく分かった。科学とは、仮説→実験検証という、小中学校理科でやった流れのことなのか。ああ、じゃあ社会科学的な科学とは、「これ法則っぽくね?」ってカンを働かせる(仮説)→客観的視点を使う(実験検証)で、その実験検証に使う客観的視点が、社会学においては“統計データなどを用いて分析する”ことなんだな。じゃあ、「社会学って自分の好きなことを言っているだけの学問なの?」って言葉は、半分合っていて、半分間違っていることになる。自分の好きなことだけ言って根拠が無いのであれば、それは「好きなことを言っている」ということになるけど、根拠があるならば、それは科学証明された立派な法則だ。もっとも、優れた科学者なら、仮説の時点で言っていることはかなり正しくて、後は証明するだけ、ということもあるかもしれない。千田さんが何かオラついているのは、もしかしたらそういうことを言いたいのかもしれないなあ、なんて。

まあそれは置いといて、社会学を含む社会科学は、科学的な手続きを踏んで成り立ってきた法則を利用することで、みんなが幸せになることを目指す学問なのだから、どう考えたって人類にとって有益だ。だから、「社会学って必要なの?」というのはおかしいような気がする。

これでふわっと社会学について知ることができたし、「それってまぁこういうことじゃね?」と言うことができた気がする。ネットで軽く検索して得ただけの弱っちい知識ではあるけど、それだけでとりあえずは、例に挙げたような飛び交っている言葉解決できそうな気がする。もちろん、議論はその上に成り立っているものであるはずだし、そうでないと時間無駄だ。だから、これを「はっ、当たり前のことばっか書き連ねやがって」とか「いやここおかしくね? 幼稚な理解だな」とか言って、一笑に付してもらわないと困る――Twitterで何か言っている人たちとか。なので、この文章違和感のあるところがありましたら、ご意見の程よろしくお願いいたします。

anond:20181009002959

査読は質を担保する仕組みの1つとして有用だが、なかったからといって即座にダメというわけではない、という話。

だって当たり前だけど査読で落とされたことはあるし、査読重要な指摘を何度もされてきたから、査読重要性くらいは理解してますよ。

ただ、査読はついてないけど面白い研究重要研究というのはあるし、それを査読がついてないという点だけで批判されると困惑する。

だいたい査読がついてたってサラミ論文とかあるわけじゃん。査読つきサラミ論文と、査読はないけど面白独創性の高い論文、どちらが高く評価されるべきかといえば私は後者だと思うんだけど、どう? もちろん査読つきで良質な論文が一番いいけど、査読つきゴミ論文と無査読で良質な論文だったら、後者の方がよくない?

論文学術手続きに従って検討され精査されるべきだ。それは学問として当然。そのための仕組みのひとつとして査読というのは有用だ。そこにも異論はない。

でも、査読がついてないかゴミ、無価値、というのはおかしい。そういう話です。

(ていうか日頃は文系のこと権威主義とか何とかいうくせに自分らのほうがよっぽど権威主義、というか形式主義だよな。論文読んで出来不出来を判断する頭もないのかね)

あと、投稿オープン学術誌って(一昔前は知らんけど、今は)たいてい査読つきだと思うよ文系でも。査読がないやつって、出版社が発売するのでそもそも一般投稿を受け付けてないやつとか(当然定評のある研究者のところにオファーが来るし編集がチェックする。私には来たことないけど)、会議シンポジウムの論集とか(ふつう信頼できる研究者を集めて論集を作るよな)、紀要とか(当然紀要紀要として扱われますよね。しか最近紀要査読つきのが増えたなー)、じゃない? もちろんそれらの事前チェックが査読代替になると言うつもりはないけど、査読なしの媒体ってある程度限られてると思うんだよなー。

2018-10-08

anond:20181008221125

査読論文とは、先行研究へのリファーや方法論的な手続きについてのものであり、査読は「内容」に踏み込むものでは当然ありません。

https://twitter.com/chitaponta/status/1049258662898806784

教授本人がこうおっしゃってるんだが、もしかして無知外野ちゃんかな?

みんな日本語学術言語としての重要性を軽く評価しすぎ

この件.

https://togetter.com/li/1274544

査読論文持ってないひとが責められるのはまあわかる(査読なし論文でも優れた論文というのは有り得るし,そういうのも業績として認められるべきではあろうが,このご時世ではまあ査読論文は持っといた方がいいよな……).でも英語論文を持ってないことが責められる理由になるのは本当に理解できない.

何度も繰り返すけど,フランスでもドイツでもロシアでもスペインでも,そしてたぶん中国韓国でも,文系研究業績の大半は自国語だから

文系研究業績が自国語で積み上げられるのは,世界標準から

インドサハラ以南のアフリカ諸国のように長いこと西欧植民地になってたり言語の数が多すぎたりして大学教育英語でやっている国や,ツバルナウルみたいに小さすぎて自国語のアカデミアが成立しない国を除く.そういう国がうらやましいと言うならもう何も言えないけれど)

そりゃ英語論文を持ってたらすごいと思うよ.でも英語論文がないことが叩かれる理由になるのは本当に理解不能.

そもそも社会学には膨大な日本語研究蓄積がある.いくつもの査読誌があり,日本語査読を経た研究成果が積み上げられている.博論をもとにした出版も多く出ているし,入門書からから日本語で一通り揃うようになっている.

自国語で用が足りるんだから論文執筆言語自国語でいいだろ.繰り返すけど,それが世界標準です.

イギリスアメリカ学者英語で書き,フランス研究者がフランス語で投稿し,ドイツ博士ドイツ語で教授資格申請論文審査を受け,ロシア院生ロシア語で報告している中で,なんで日本教授日本語の業績しか持っていないのを責められなければならないのか皆目わからない.

これは社会学に限ったことじゃない.政治学だって歴史学だって文化人類学だって文学だってそうだ.だいたいどの分野でも有力な査読つき学術誌を持っているし,それらの雑誌日本語で書かれている.

そして日本語というのは,世界でも有数の学術言語だ.もちろん英語ほどの網羅性は持っていないかもしれないが,ドイツ語やロシア語ほどの重要性は持っていると思う.それは,先人たちが日本語で積み上げてきた研究業績の賜物だ.

世界でも有数の学術言語」というのもいろいろな尺度があると思うが,どれだけ広い分野で高度な研究を積み上げているか,というのをここでは述べたい.

もしこれを読んでいるあなたが,アフリカに興味を持って,アカデミックな本を読んでみたいと思ったとしよう.大学図書館で文化人類学の棚の前に立てば,数ダースの優れたアフリカ研究あなたの前に現れるだろう.その多くが,西欧学者と同じようにアフリカフィールドワークをし,日本語西欧語の先行研究を読みこなした上で書かれたものだ.

あるいは,ヨーロッパ歴史を知りたいと思ったとしよう.あなた造作もなく,フランスドイツイギリススペインロシアや,そしてチェコポーランドポルトガルボスニアについての研究書を見つけられるだろう.どれも現地語の史料や文献を消化した上で,日本歴史学の積み重ねてきた問題意識接続されている.

それとも,言語学に興味があるだろうか.心配はいらない.オセアニアの数百人しか話していない言語文法記述した本も,ヨーロッパ小国言語の音声を論じた本も,中東言語政策についての本も,あなたは探し出すことができる.政治学? 問題ない,EU制度アメリカ大統領選挙,韓国歴史認識ロシア愛国主義湾岸諸国君主制,どれも日本語最先端研究が読める.

こんなことは当たり前に思えるかもしれない.でもこれは決して当たり前のことじゃない.

とあるアジアの国に行ったとき書店に行ってみた.西洋史の棚に並んでいるのはどれもそのアジア言語で書かれた本だったが,著者はみな西欧人だった.それらはいずれも西欧から翻訳だったのだ.たまにそのアジアの国の著者が書いた本もあったが,イギリスとかフランスとかメジャーな国についての本ばかり.マイナーな国の歴史について扱った本を開いてみたら,参考文献はほとんど英語で,ちょこちょことドイツ語やフランス語が挟まる程度.要するにその本を書いた学者はそのマイナー国の言語を読めなかったのだ.日本には,そのマイナー言語を読める歴史学者が何人もいるのだが.

あるいは,ヨーロッパ小国書店.その国は小さいので国民の多くが英語を達者に話すのだが,本屋を覗くと,自国史や周辺諸国歴史についての本以外は英語の本がそのまま置かれていた.もしも遠いアジアの国に興味を持ってしまったら,その国の人は,自国語のペラペラ入門書の次は英語を読まなければならないのだ.日本語なら,遠いヨーロッパの国についても専門書が手に入るのだが.

たとえ外国語が読めないシロートだろうと,ある程度自国語で難しい本を読める力があれば,中世ヨーロッパアフリカ社会ラテンアメリカ先住民近世朝鮮史東南アジア政治についての最先端研究書が読める.そんな豊かなアカデミアを有している国,そんな潤沢な研究蓄積のある学術言語は,実はそんなに多くはない.

私の感覚だと,英語網羅性には劣るし,フランス語の豊かさには負ける気がしないでもないけれど,ドイツ語やロシア語並の水準に達してはいると思う.もちろん自国民ゆえのひいき目かもしれないし,カバーしている範囲微妙に違っている以上正確な判定は不可能なのだが.

カバーしている範囲が違う,というのはどういうことか.たとえば,上で英語網羅性に劣ると書いたが,英語よりも日本語のほうが研究蓄積の豊かな領域というものがある.当たり前だが,日本史については英語の文献よりも日本語の文献の方が圧倒的に豊富だし,日本史以外でも前近代中国史についてはまだまだ日本語の方が英語よりも網羅性が高いと思う.なので前近代中国史については,読者はともかく,歴史学者は中国語の他に日本語を読まなければいけない.その人がアメリカまれ英語ネイティブ白人であってもだ.ザマーミロ.

というか,実は文系分野に関しては英語網羅性は理系ほど高くない.そんなのは当たり前で,ロシア人はロシア史についてロシア語で書き,カタルーニャ人カタルーニャ言語政策についてカタルーニャ語で書き,チェコ人はチェコ文学についてチェコ語で書き,韓国人は韓国社会について韓国語で書いているのだから英語の文献を読むだけでそれら全ての情報が手に入るわけがなく,本格的に研究しようと思ったらそれらの言語で書かれた文献を読まなければ話にならない.日本事情について一番詳しく正確な研究が読めるのは,英語ではなくて日本語だ.

なので,上で挙げた主要な学術言語は,それぞれ積み重ねが豊富領域とそうでない領域がある.得手不得手というやつで,たとえばマグレブ西アフリカ地域研究ならフランス語で,東ヨーロッパ前近代研究ならドイツ語で,旧ソ連圏の研究ならロシア語で重要研究が蓄積されてきたので,江戸っ子だろうがロンドンっ子だろうが研究を志すのならそれらの言語を読まないといけない.中国近世史を専門にする者が日本語を読めなければいけないのと同じだ.これらの分野で英語で書かれた研究だけを読んで済ますことはできない.

この辺が,理系とは事情の違うところなのかもなぁと思う.理論物理学とか分子生物学とか再生医療とか深層学習とか,ほぼ全ての分野で英語さえ読めれば研究には用足りる(んだよね?).英語最先端研究のほぼ全てが流れ込み,あらゆる情報が蓄積される.しか文系では違う.英語には限られた情報しか流れ込まず,最先端研究の全てが英語提供されるわけではない.

なので文系では,英語理系ほど特権的地位を占めているわけではない.もちろん英語文献が読めるのは今や前提だし,重要な先行研究英語なら読んでいないと問題外だ.けれど,英語ではなく自国語の研究でも研究業績にカウントされるし,外国語での業績といっても英語に限られるわけではない.韓国語やトルコ語論文を書くほうが英語で書くよりも楽だ,と言う研究だっているし,日本語でも英語でもろくな業績がないがそのかわりロシア語で何本も論文を書いているという研究者もいる.

というわけで,文系研究者が英語論文を書いていなくとも,それが直ちに問題だとは思わない.査読論文にしても,そりゃゼロってのはちょっとどうなの,って思うけど,研究者が集まって作った本の一章として論文を発表するとか(いわゆる論集ってやつね),出版社が出してる研究者~教養人向けの雑誌に依頼を受けて研究成果を発表するとか(岩波書店の『思想』とか,青土社の『現代思想』みたいなやつね),査読されてないけど業績としてカウントされ得る論文の発表形態というのはいくつもあるので,査読論文以外にそれらも論文としてカウントしないとフェアじゃないと思う(ただ,私は査読がついていない媒体に出すのは怖いなと思ってしまうので,なるべく査読誌に出している).

別に理系のひとが査読つき英語論文のみを業績としてカウント和文論文勘定しないというローカルルールをお持ちなのは結構なのだが,そのローカルルール文系押し付けないでいただきたい.

私が危惧しているのは,上で書いたような日本語で積み上げられた先行研究が,日本人に真っ当に評価されていないことだ.

文化の豊かさというものを考えたときに,自国語で世界中の情報を知ることができるということが,どれだけ重要なことか.まして,日本コンテンツ産業が主要輸出品目のひとつだ.中世ヨーロッパアフリカ部族社会について日本語での研究が充実していることが,創作者が想像の翼を広げる上でどれだけ有利か.たとえば最近Cuvieという漫画家さんが『エルジェーベト』というオーストリアハンガリー舞台にした漫画を描いていたが,巻末の参考文献にはずらりと日本人が和文で書いた研究が並べられていた.

別に文化に限ったことではない.政治経済,そして人権についてもそうだ.ルワンダ虐殺スレブレニツァの虐殺について日本語で書かれた研究があるのとないのとで,どちらの方が日本人にとって国際情勢を理解やすくなるだろうか.外国で一旗揚げようと目論む商売人にとって,その地域専門家が書いた本や論文和文で手に入るのと入らないのとで,どちらが現地の文化や歴史理解する助けになるだろうか.欧米フェミニズムについて日本語研究を積み重ねる学者がいるのといないのとで,どちらが日本女性の権利の向上に資するだろうか.

すべての国が自国語でこれだけ充実したアカデミアを持てるわけではない.人口があまりに少ない国ではどうしたって物理的な限界があるし,人口が多くとも植民地支配の歴史が長く自国語の大学教育が充実していない国では歴史的遺産がその発展を阻む.

日本人は恵まれ研究蓄積にあまり無頓着なばかりか,その豊かさをみずから捨て去ろうとしている.それが私にはもったいなく思える.

英語は,世界の始まりから覇権言語だったわけではない.明治時代日本医師ドイツ語で論文を書き,外交官たちはフランス語で交渉していた.英語外交学術の分野で覇権を握ったのはせいぜい戦後のことで,それまではフランス語やドイツ語と同格の存在だった.今も文系ではprimus inter paresに過ぎない.ひょっとしたら将来,欧米物理学者たちが中国語で論文を書くことになるかもしれない(そのとき現在私たちが定冠詞や三単現のsに悩まされるように,欧米人が泣きながら漢字習得するのだろう.そう考えるとなんとも愉快な未来予想図だ).せいぜい百年単位覇権言語の移り変わりにあわせて,自国語の学術言語としての地位貶める必要はないと思う.それは私たち社会の豊かさを,長期的に損なうことなのだから

最後に.

どうせ和文論文しか持ってないやつの負け惜しみだろって思ったひとがいるかもしれないけど,和文論文だけじゃなく英語論文も書いたことあるし,英語以外の外国語での論文も持ってます.今それとは別の外国語での研究発表を準備中.私より多くの言語研究報告してきたひとにならともかく,たかが1言語か2言語しか論文書いてないガラパゴスの住人にだけは文句言われたくないですわ~~~~~~.

追記

英語論文が優れているとは言わんけど、査読なしの研究なんてゴミだし。

日本国内の、査読なし論文が実績になる分野の教授たちによって、査読された研究にも何らの価値も感じない。

anond:20181008221502

id:bocola 自分でも言ってるように査読しなの問題査読なしの論文なんて、読書感想文と変わらない程度の価値。やはり文系は無価値だと改めて思った。

arXivのない世界からやって来たのかな? グリゴリー・ペレルマンって聞いたことない? 査読なし論文が業績としてカウントされてるひとだけど.

事前の査読は,論文信頼性担保するための手続きひとつであって,それが欠けている「からダメ論文というわけでも無価値というわけでもない……というのはわかってくれるよね? 当たり前だけど論文価値は最終的には書かれている内容に依存するわけで,だからこそペレルマン査読なし論文であってもポアンカレ予想を解いたと認められたんだよね.

私も査読はないよりはあった方がいいと思うけど,査読がすべての論文につくわけではない分野のすべてをダメと論ずるのは不当すぎる.まあ最近文系査読重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないかダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメ論文は後発の研究によってちゃん批判されるか鼻にもかけられず無視される.公募の際には論文を提出させたりするんだから査読なしダメ論文を量産していればそこで撥ねられるでしょ.理系ローカルルールで事前の査読必須なのはよくわかったけど,そのローカルルール文系敷衍されても困る.

id:zyzy まぁでもこの噛みつきは、もうすでに南京大虐殺の時に通った道だし、虐殺否定論者と同じ轍を踏み続けている以上、恐らくオタにこの説明が通ることはないんですよ。

私もオタクですが.

追記

続きは anond:20181009084352 anond:20181009213503 で.

フェミの「言論の自由」の扱いの方がヤバい件

https://twitter.com/chitaponta/status/1049258662898806784

<script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

査読論文の内容を検証されたら「言論の自由が脅かされる」って、正気か?

忘れさせない権利だってあるはずだ

とうとう同窓会にも呼ばれなくなった。

そりゃそうかと思う一方、なんともモヤモヤする。

同窓会に出るたびに、中学時代いじめをしていたあいつに謝罪を求めてりゃ

空気も悪くなるし、和を保つために僕が排除されるのは当然だろう。

だけど、いじめあいつはそれを忘れて僕がそれをトラウマとして持ち続けることがどうしても許せない。

あいつに初めて過去いじめについて謝ってくれと言ったとき

あいつは「今考えれば、悪かったと思う。幼さ故にその残酷さ、悪さが理解できなかった。ごめんな。」

と、教科書的なフレーズをなぞって、その後は何もなかったように昔を面白おかしく話す。

おかしくないか

絶対に分かっていたはずだ、アレは「悪いこと」だって

それを過去のことにして、過去自分の未熟さに押し付けて、形だけ謝る。

そしてそこからはそんなことは忘れて談笑し、以後の自分人生に持ち帰らない。

僕は過去トラウマをずっと抱えて生きているのに。

土下座して、泣いて謝ってくれればいいのか?

からないけど、少なくとも悪かったって気持ちを見せて欲しい。

それでこの気持ちが解消するかどうかは分からないけど、

向こうから許してもらうまで謝罪の限りを尽くすってのが筋だろう。

常に考えろよ、反省しろよ、謝れよ、僕が過去に苦悩したのと同じくらいには。

忘れられる権利」ってのがある。

犯罪者がそれを唱えるのもどうかと思うが、一方で分からなくもない。

彼らは正式手続きを踏まえて、正式なみそぎを終えたんだから

だけど、過去あいつのやった犯罪まがいのそれを当人は忘れ

周囲も調和のため忘れたふりをする。

僕だけだ、覚えているのも、それを主張するのも、苦しむのも。

それは、あのいじめを受けていた時と何も変わっていないじゃないか

僕は結局、場を乱す人としてその同窓会から排除された。

別のやり方もあったんだろう、こんなやり方しかできないかいじめられたんだって

誰も言ってないけど、そういわれるが如く自己嫌悪にもなる。

あぁ、同窓会になんていかなければ良かった。

行かなければ、この過去の怒りを思い出し、

今はそこを汲んでくれず、ただ僕を排除した周囲にも悲しみと怒りを感じることもなかっただろうに。

忘れさせない権利だってあるはずだ。

僕は、法を犯さな範囲でそれを続ける。

不幸にも、あいつ顔を笑顔を見てしまたから。

許せないから。

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