はてなキーワード: たかとは
>キリスト教とかが浸透している外国だと、生まれたときから教会へ連れて行かれて、盲目的に神を信仰させられて、誤謬に気付くまで時間がかかるから。
-------------------------------------------------------------------------
インタビュアー「貴方はなぜ自身の子供には産まれてすぐの物心つかない時期にキリスト教の洗礼を受けさせて信者にしたのですか?」
遠藤周作「子供が長じたときに批判的精神を持ってほしかったから…」
コミュ障だから人とつながる労力さかなくても、家族いたら毎日人と話したり笑ったり、弱ったら心配したり助けたり、皆で出かけたりするし、人付き合い面倒だけど完全に人がいない環境は絶えられないし、生まれ持った家族は毒でしんどかったからガチで楽。
友人は今や年賀状を送りあうくらいだな。
コロナ下になって、飲みに行くことは皆無になったから社会人になる前の友達とはほぼ合わないな。
その状況はうちのかみさんもそんな感じで、コロナ前は友達が近くに来たからと会いに行っていたが、最近はそういうイベントは無くなった。
あーあのマイクラね。
暗いところに少しづつ松明を灯して下っていく。
松明作るために林業をやる。
安全にそれらを行うために住居を整える。
なんか人間がどうやって社会を作り上げてきたかを再現してるみたい。
あと住居周りは整地したくなるんだけどまたこの整地が沼。
綺麗になったらめちゃくちゃ達成感ある。
ケイビングの話に戻るとどんどん地下に灯りが灯って湧き潰しができてくると、なんか自分の心の闇が照らされるようで気分がいい。
洞窟内は景色がほんとに通ってて道標置いてないと道に迷ったりするしここで引き返すか引き返さないかの判断しないといけないあたり不思議のダンジョン感も楽しめる。
なんだこれ!みたいな発見たくさん。
なんかさあFFで飛空挺手に入れた時知らん島とか街発見して初めていくみたいなワクワク感あったやん。
あれが久しぶりに感じられた。
まあそりゃみんなやるわ。
あずさ•しなのでのんびり中央線廻りで大阪なんかも出来なくなるんだなぁ
いやまあ出来るんだけど大金払ってすることではないしな
昔はリミッターもなく高度成長期でトラックも多く走っていてよく轢かれていた
トラック事故が日常にあったからこそタッチや幽遊白書のようにトラックに轢かれるという描写が当時の風土資料としてフィクション作品によく散見される
ざまあみろってことでしょ?それってどうなんだろう。
俺はねえ、医者とか社長とか、そういう、上級っぽい職業の親をもってるんですよ
なんで、実家には本でいっぱいの棚がたくさんあったし、暮らし向きも悪くなかった
一方で、通ってた公立小学校はすげーところで、全校生徒合わせて50人を切っていて、マジ田舎育ちにしか通じない概念である「複式学級」が当然だった
そんで、そこに集まってる10人にも満たない同級生が、カインドなハートを持ったナイスなチルドレンだったらまだよかったんだが、実際には、近所にある児童養護施設に通い、中学に上がってからは万引きや喫煙などを常習的に行うようになる半グレチルドレンや、マジの貧乏人(これまで知り合った人間の中で最も下劣な品性の持ち主)、暴力的なブラジル人ハーフ、といった人材が集っていた
俺はハイソな家庭で育った、いわばオボッチャマといってもいい存在だったわけですが、まわりの連中はマジで愚連隊みたいなモンで、まあそれなりに仲良くやってたような気がしないでもない一方、しかし本質的には全然心を開けずにいた
日常的に肩をパンチしあってるし、小学校なのにテストでマジで20点とかとってるし、授業中に立ち上がってウロウロする奴とかいるし、先生が複数人イヤになって辞めるし、マジで荒れてた
「気の合う人間とだけ仲良くすればいい」とかじゃなかった 全員ロクな人間じゃなかったから
6〜12歳を過ごす小学校に、友達になりたいと思える人間が0人だったことは、俺の人格形成に大きな影響を与えたと思う
与えたと主張しても許されると思う
俺は友達がいないし、ほしいとも思ってないけど、それは自分が異常な人間だからではなくて、環境の被害者だからだってことにしていいと思ってる
俺は許されている 許されていると信じることができる
「えっいつから気付いてた!?結構前から?もしかして気遣ってくれてた?マジで?恥ずいんだけど!気付いてたならもっと早くからいってよー!知らないもんだと思って頑張って隠してたよ!ま、バレたからには、殺しちゃうね☆」
やっぱり、こういう話を聞くと
俺も動揺して眠れなくなってしまって、いつか自分のことを書かれるのではないかという不安?が脳のメモリをかなり消費するから
別にお前のことが嫌いというわけではないけど、これ以上いろいろ話されると俺のメンタルもやられてしまうから。非常に身勝手なのは承知しているけど、これを伝えるのはあくまでリスペクトを持っているからだとわかって欲しい。
最後に俺がこの件も含めて、自分の失敗を踏まえつつアドバイするなら、お前は人に多くを求めすぎなんだと思うよ。求めすぎて、相手の余白や相手の自由を奪ってしまってる。自分では相手のことを考えていると思っているかもしれないけれど、それは自分自身のために行なっているということが凄くわかりやすい。もちろんどんな人だって、優しくするのは自分のためだけれど、お前の場合はあまりにも多くを求めすぎてそれがわかりやすすぎるんだと思う。お前の場合はもう少し、孤独であることを受け入れて、一人で生きていく覚悟をもって人にあまり望まない生き方をしたほうが、人との適切な距離を保ちやすいと思う。そうすれば勝手に人は隣にいてくれると思うよ。
せっかくいいところがいっぱいあるんだから人への執着を捨ててとは言わないけれど、もう少し願望を小さくもって自分がコントロールできることだけに注力すると、いいと思うよ。
俺も今まで色々求めすぎて失敗していたから少しでも今後のためになったらと思う。
多くは望まず心に花を、って俺自身も意識して生きていこうと思ってるよ。そして、女性なんだからポジティブに良い言葉を使っていこう!
最大の違いを「殺されたのが皆に恨まれていたか好かれていたか」や「悪事をやっていたかやっていなかったか」だと思ってる人が多そうなので訂正しておきたい。
両者の最大の違いは「現実を正しく認識できた上で犯罪を実行したか」だ。
青葉が考えていた黒幕は実際には全く持って黒幕でもなんでもなく、山上の考えていた黒幕は実際に黒幕であったとも言えるという違いだ。
山上が殺した相手の罪は「山上を救わなかったこと」だと勘違いされることがあるがこれは間違いだ。
「山上のような人たちの人生が破壊される方向に明確に日本の舵を切り続けていた」という明確な罪がある。
青葉の場合は「青葉のしょうもない小説をアニメ化してやりその恵まれない人生を救ってやらなかった」ということが青葉の心に火を付けた原因と言えるが、コレは全く持って逆恨みも良い所だ。
「逆恨みを根拠にした暴力」と「明確な罪への復讐を根拠にした暴力」、この部分こそが両者の最大の違いなのだ。
この両者において「自分の認識を論拠に独断による暴力を実行」という決断部分は全く一緒である。
青葉が逆恨みで、山上が復讐となるのは、青葉が歪んだ現実認識を持っていて、山上の現実認識は現実に沿っていたという違いだけなのである。
もう一度言うが、ここを間違えている人を結構見るので気をつけて欲しい。
これは勉強ができる、スポーツができる、美少年、家柄、関係ないような気がする。
もっと複雑な因子が絡み合って発生しているような気がする。
私のクラスにも一人授業中にゲロをした男子がいて、クラス中が騒然となったが、その子が翌朝学校に来てもいじめられることはなかった。
その子が性格がいい子で優しく、お父さんがPTA役員をしていることも関わっているのかもしれないが、それよりももっと何か違う要因があるような気がするのだ。
もしそこで「ゲロ田ゲロ男」とか「ゲロゲロゲロッピ」とか言って馬鹿にしようとする輩が1人か2人いて、その輩に積極的に服従するような空気が起きたら、その子は瞬く間にいじめの標的になった気がする。
「偶然にも」その子がいじめられキャラではなく、「偶然にも」馬鹿にする奴がいなく、「偶然にも」それに同調する群衆の空気も発生しなかった。