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はてなキーワード: 生き方とは

2017-08-18

ポリコレとは現代聖典である

ポリコレ界隈とか見ていると、正直息苦しいなと思います

まず、正しいことは絶対だと思っていることに息苦しさを感じます。それは、人は間違えることもある、という基本則を認めない息苦しさであるだけではなく、正しくある自分絶対であると思っていそうな傲慢さにも息苦しさを感じるのです。

なぜそんなに傲慢になるのか、私なりに分かるところもあります。私もかつてその類の傲慢さを持った人間であったからです。

前提条件として、自己肯定ができない人がこの傲慢の罠にはまります。なぜなら、自己肯定ができないということは自分の中に評価軸というものがなく、何が良いものか悪いものかを計るとき他人物差しを借りてこなければなりません。で、借りてくる他人物差しに正しさを求めます。その正しさが絶対的ものであれば、自己肯定ができない不安定自分が確固たるものになるからです。

絶対に正しい評価軸に沿って生きていれば、何か自分を揺るがす出来事などに遭遇しても「自分絶対に正しい基準に従っているのだから間違っているのはあいつらだ」と思うのが非常に楽になります。それは不安定からは程遠いものであり、生きるのには楽な姿勢ですが、でもやっぱり傲慢しかありません。

そしてこの傲慢人間は、他人価値観基本的に認めることができません。この傲慢を支える絶対的物差しそもそも他人からの借り物でしかいからです。加えてその物差し絶対だと思っているから、さらに他の人の価値観を認めることは構造的にできないのです。

次に、自分が正しいと思っていることを他人にも求めていることに息苦しさを感じます。先ほど述べた傲慢さは、「自分は正しくなくてはならない」という生き方であり、この時点でも自分が間違ったときにそれを肯定できなくなるため生きづらいです。

けれども加えて、「なぜおまえは正しくないんだ」ということを他人に問う生き方をする人もいます。これはハッキリと生きづらいです。なぜなら、自分が信じている価値観に沿った生き方他人にも求めているからです。それは、他人他人価値観があるということを認められないから起こる態度です。

ここで、自分が信じている価値観が無条件の自己肯定感から出てくる自分なりの考えであるのならば、他人価値観を認められなくなるところまで行くことはめったにありません。自分肯定している自己と同じだけのもの他人にもあると思えるからです。無条件に自分肯定できているからこそ、他人価値観を認めても自分が揺らぐことはありません。

けれども、自己価値観を持てず絶対的に見える他人の正しさを借りてきただけの人だったら、その正しさを絶対的だと思えば思うほど、他人もその正しさを身に着けるべきだという視野狭窄に陥っていきます。ここでもまた、他人価値観を信じてしまっているからそれ以外の他人価値観を認めることができないという構造的な問題があります

さて、ここまでで述べてきた、絶対的に正しい他人価値観とは何でしょう?かつてはそれが宗教でした。自己アイデンティティがなくそ確立宗教に求めてしまたからこそ、自己を守るために自分が信じる宗教以外の宗教が認められないという構造がありました。

けれども、今は宗教がそんなに絶対的ものではないということが明らかになってきました。絶対的でない神には意味がないので、そういう意味現代は神が死んだ時代です。

しかし、全ての人が無条件に自己アイデンティティを持てている時代になったのかというと、それもまた否であります

私にはポリコレというものは、かつての宗教にとって代わる現代聖典のように見えます

からこそ、あの界隈の人々は正しくあることに妄信であるし、他人にも正しくあることを求めます。それが自己アイデンティティを支える術だからです。

でも、正しくなくてもいいじゃないですか。自分だって他人だって間違えることはある。それを認めることができる強さを持ちたいと思います

それに、絶対に正しい他人価値観に沿った生き方はやっぱり息苦しいのだろうと思います。その他人価値観に沿わない自分を認められなくなるからです。自分を正しさで守るために他人価値観にすがったのに、その価値観に沿わない自分が現れたら苦しいなんて言うのは本末転倒しかなりません。

そうじゃなく、自分自分評価するのをやめて、自分が感じることをそのまま認められるようになるのが、自分を守り、他人を認める一番の近道だと思うのです。

2017-08-17

https://anond.hatelabo.jp/20170817113424

悪がこの世から無くなることなんて不可能ではあるが、だからと言って目の前の悪を放置しておいて快適なわけはない。

人は必ず死ぬのだからといって、今生きている意味がないわけでもない。

傷つく人や悲しむ人をゼロにするのは無理なんだから、全員が同じ地獄に堕ちろと思う気持ちは分からないでもないけれど

それを言うのは極論だし、人間としてそのまま生きているのは憐れな生き方だと思う。

2017-08-16

https://anond.hatelabo.jp/20170816165825

自分生き方価値観、信じていたものにふと疑問を覚えて、普段自分の考えとは違う行動をとってしまい大失敗

こういうのが理解できない人はマッチョ生き方してる強い人なんだろうな

https://anond.hatelabo.jp/20170816150942

家族思いの優しいパパ」になりたいけどなり切れてないことにも悩んでるんだよ夫は

妻に言われたことをやるという受動的なかかわりしか出来てないという思いがある。

そんな中ふと仕事人間だった威厳ある父親の姿を思い出し、怒られた部下を慰めようと

飲みに誘ってみるも逆に気を使われてる始末でそっちもうまくいってない。

家に帰ったら当然子供誕生日をすっぽかしたことで怒られる

どっちつかずでうまくいかないダメ自分のあるべき姿や生き方に迷いは葛藤はあるけど

明日から毎日を生きていくしかないよねってお話でしょ。

自分脳内他人脳内区別曖昧大人の多さ

誰にでもツーカー出来ると思いこんでる奴らが沢山いて目眩がする。

初めて行くコンビニでもレジで「セブン!」と注文すればマイルドセブンライトが出てくると思い込んでるような人種

伝えるべき情報の3割も伝えれば相手が残りの7割を脳内で補ってくれて当然だといつも考えてる人達

彼らは病気だ。

自分が知らないことは皆も知らないと思っているし、自分が昨日知ったことは皆も昨日知ったとすら考える。

他人他人で、自分自分

そういう感覚がまだ身についてないのだろう。

皆一緒でお手てつないで同調圧力しましょうねの世界純粋培養されすぎたんだろうか。

そういう連中は言葉の使い方が雑だ。

唐突に「ザギンでシースー」みたいな喋り方を始める。

何も面白くないのにニヤニヤと笑いながらそうやって喋る。

頭の悪い相手とわざわざ喧嘩してもしょうがいか愛想笑いで受け答えするけど、本心では馬鹿なの?死ぬの?と思っている。

自分他人自分区別がついてるから、思っているだけじゃこちらが本心では嫌がっている事は伝わらないと知っている。

からいつまでたっても奴らがそういう生き方をして他人迷惑をかけていくのを辞めないのも仕方ないと割り切ってる。

だって教えてないんだから

そういうの迷惑ですよってこちらが教えてないんだから仕方ない。

何で教えないのかと問われれば、わざわざ頭の悪い奴らと言い合いなんてするだけで損だからだ。

彼らは本当に可哀想な輩だ。

そうやって見捨てられ続けて歳だけ食った子供のまま太鼓腹だけが大きく育って心の有り様は幼稚園児のまま。

自分が言っていいものか悩むけど、誰か手を差し伸べて救ってやろうと考える人は周りに居なかったのだろうか。

そして、そういう救われずにここまで育った大人が沢山いることに、日本人の冷酷さを感じざるを得ない。

アイマスについて考えた

はじめに

自分にとっては、これから生きていく上で大事存在だとも言えるのが765プロアイドルである

先日にライブを終えた346プロの面々も、さわりくらいなら知ってはいるが、どうにも馴染めないクチである

キャラの魅力としては、より最近風でバリエーションにも富んでいて、知らない人が見比べれば「765プロアイドルは地味」という人もいるかもしれない。

しかしながら、自分にとっては何よりも765プロアイドルが一番であり、たぶんそういう人が他にもいると思う。

お盆に休暇を取ったもののヒマなので、いろいろ観たり聞いたりしながら、こうなったらと幅を広げて「アイマス」について考えた。


スター」について

今年の高校野球は、清宮というスーパースター選手がいた。彼はのちのちプロになり、輝かしい成績を残すのだと思う。

野球に限らず、あらゆる人気スポーツには「スター」と呼べる一握りのプレーヤーが必ず存在する。

競技のことをよく知らない人間を、まるでまんがかドラマかのような力で惹きつけ、人間を呼び集めることができる人間である

彼らは自然とそのような状態を作り、本人はただ勝っているだけなのだが、それはひとつ経済圏を生み出す。

渦巻くファン層に商売人が目をつけて、そこに広告をブチ込んでさらに大きな渦を作る。そしてカネを飛び交わせる。

いわゆるひとつバブル現象であり、今年の清宮などはこれの好例であったと言えよう(主に商売人側で盛り上がっていた気がするが)。


彼らのようなスター選手の中にも、2種類のタイプがいると思う。純粋暴力的な力でドラマを作る者と、あともうひとつである

前者は若い選手に多い。藤井四段も現在のところはこれである。彼らはただそこに在り、勝負に勝つだけで人を惹きつける。

ただ、それは得てして一過性のものである。何かのきっかけで敗北を喫すれば、ドラマはそこで終わってしまうからだ。

競技自体に興味のない、バブル層のなかで最も分厚い層を作る「競技を知らない」人々は、確実にここで去っていく。

藤井四段も、清宮も、あるいは自分が知らない間に大活躍したスター選手も、きっとみんな「あ~あの子ね」と言うと思う。

夏でもあるし、ここでは「花火型」とでも呼ぼうと思う。


後者で伏せていたもうひとつタイプは、自分自身生き様ドラマを作る者だ。

必然的に、これは歳を重ねた選手の方が多くなる。羽生善治王位も、たとえばイチロー、EVOで優勝したときどはこれにあてはまる。

彼らは自らの人生ドラマチックに生きてきた。ウメハラはたくさんの自著を持っていて、その大半が「人生観」についてである

瞬間最大風速は前者に劣るかもしれないが、継続性は後者が圧倒的に上だろう。

彼らが自分の信念に基づいて生き、たとえ負けが込んだとしても、いつか諦めずに優勝すれば前者よりも強く輝くはずだ。

イチローときどに魅入られたファンたちは、自分人生のお手本として信じ続け、彼らのことをずっと忘れない。

一見地味であっても、より強く歴史にその名前を刻むことになるのは後者人間である

こちらは「劇場型」とでも呼ぼうと思う。


765プロアイドルは「劇場スター

そろそろ765プロに話を戻そうと思う。

つまるところ、自分にとって天海春香如月千早は「後者」、「生き様で語る」アイドルなのだ

彼女らは空想上に作られた存在かもしれないが、物語というのは、事実でなくとも真実であるということに変わりはない。

物語が持つ真実の力を、現実のものと遜色ない力強さで手にしている、自分にとっては稀有存在だ。


天海春香のように、まっすぐキラキラ自分目標に向かって生きることは、どこか気恥ずかしいことだと思っていた。

如月千早のように、周囲に与することなく孤高の存在であり、自らが持つ力だけを持って世の中と戦うのはカッコいいことだと思っていた。

星井美希のように、自分にできることを程々にやり、何かひとつのことに一生懸命になることなどせずに生きるのは賢いことと思っていた。

けど現実はだいたい違っていて、自分の夢にアツい人は全員すげーと思うし、一人では限界がすぐに来てしまうし、飽きっぽい性格では何も面白くない。

765プロアイドル出会っていなければ、こういった当たり前のことに気づくのが遅かったかもしれないし、下手したら死んでいたかもしれない。


アイドルというのは「偶像」であって、それは「非現実的可愛い」だとか「彼女らが頑張るのを自分が支える(崇拝)」対象では決してない。

偶像=神の教えと言葉に従い、崇め奉るだけでは単なる「信仰」だけで完結してしまい、それはいつか「狂信」となるか「飽き」を迎えてしまう。

彼女らがファンに向けて送っているメッセージは、「私も頑張っているから、あなたも頑張って!」である自分は思っている。

ライブ課金ゲーム時間を使うという行為は、そのエネルギーや「言葉にしにくい真実」を交換しあう行為だと考える。

神というのはそもそも人間が生み出した概念であり、アイドルも同じで、決して向こう側から「与えてくれる」だけの存在ではない。

理想ドラマチックな生き方」をアイドルという「偶像」に依拠して、それを体現する者に自分から価値あるもの」を供出する。

そうしたプロセスを踏んでこそ、アイドルという存在がこの世に、人々にとって魅力的な存在であり続けることができる。


日本神様はどこにでもいて、誰からも忘れられたときにひっそりと消えるという。そのためにお祈りやお供え必要なのだ

昔の人にとっては、自分たちの食料となるもの、貴重なものを神に奉納するという行為があった。それくらい大事なことだからだ。

純粋に「異界の神」の存在を信じた人々もいたかもしれないが、それは「狂信」だと言ってよく、たびたび「非人道的な間違い」を起こす。

本質は、「自分たちを見守る存在」=「理想的生き方を守る存在」に「価値あるもの」を奉納し、その価値を高めるということにある。

自分たちの願い(神様偶像)がそこに結実していると確かめるための行為なのだ


10年代の「ソーシャル型」アイドル

要は、自分にとって理想アイドルは「劇場型」であり、「花火型」ではアイドルたりえないという話をしたかったのである

765プロアイドル以外は認めないのか」と問われれば、イエスと答える気がする。346プロも、ミリオンアイドルも今のところではそうだ。

自分としては、彼女らのように息が長く、大勢プロデューサー必要とされ、様々な歴史を与えられた彼女らに勝るアイドルはいないと言い切れる。

他のプロデューサー自分とでは、彼女らに求めているものが違うという実感はある。こういう話をして納得してもらえた経験がまったくないゆえだ。

自分自身羽海野チカ先生が言うように、「大事なことは全部、漫画アニメ(=フィクション)に教わったんだ!」という感じが近いからというのもある。


老害いたことを言うが、最近の新しいコンテンツキャラクターの薄利多売ぶりがすさまじいと思う。

これはデレマスミリマス、空前の大ブームであるソシャゲ全般を主として言えることで、あまりにもキャラが多い。

そして、全員が全員似たようなことを言う。誰も彼も個性などあまりあったものでなく、先に挙げた765プロアイドルのように、強い物語性と動機などはない。

つまるところ、彼らのようなキャラクターに「劇場型」のようなドラマは生まれないのであるキャラクター自体存在は極めて薄いものなのだ

自分にとっては大変味気ないものであるキャラクターが大量にいるという前提もあり、どうにも(言葉は酷いが)「粗製乱造」といった印象が拭えない。


しかし、そこを補完しているのが「ソーシャル性・社会性」である。「大量のユーザー集合的無意識を共有している」という前提があるからこそ成立するキャラなのだ

ツイッターでの同好の士との、友人間でのグッズのための遠征ライブツアー同人作家の持ち上げなど、これらはすべて「社会性のもたらす快楽」が下支えしている活動だ。

如月千早のところで言ったように、人というのは一人では何もかもにすぐ限度が来てしまう。何かを面白がるにも、一人では見える範囲のことしかからず、すぐ飽きてしまう。

だが、誰かと共有することで可能領域は倍増し、それはたまらなく面白いことだと気づく。リア充だろうがオタクだろうが、誰かと会って話すのが人間は一番楽しいことなのだ。

ゆえに、キャラクターは「浅く広く」の方が都合はいいのだ。オタク的に深い造詣と知識がなければ弾かれるのなら、新規はやってこないしヘタなことは言い出せない。

大きなコミュニティを作り出し、まるで文化祭前夜がずっと続いているかのような熱狂の渦を保つには、共有対象簡素かつ魅力的であればあるほど好都合なのだ


自分は、彼女らのようなアイドルを「ソーシャルアイドル」とこっそり呼んでいた。

765プロアイドルのような「劇場アイドル」も初期は「ソーシャル型」だったのかもしれない。

ただ、いくらなんでも数が多すぎやしないだろうかという風に自分は捉えがちである

結果的にどれにも入れ込むことができない、自分のようなぼっちが前提のオタクにはつらいなぁという印象だ。


劇場型」と「ソーシャル型」

時代の移り変わりとともに、アイマスも形を変えたのだなというところに思考が落ち着いた。

掲示板にでも出入りしなければ「お一人様」性が強かったネットからスマホによるネット人口爆発や、ツイッターが台頭した環境変化に対応したと。

アイドルとの距離もより身近になり、春香の「後ろの席までみんな見えてるからね!」にありがたみを感じにくいご時世になったこともある。

自分にとってソシャゲアイドルはとっつきにくいものだが、彼女らについて(上辺だけでも)深く考えることができ、より765アイドルが好きになれた。


AV女優云々で騒いでいたのは、決して職業差別宣伝への嫌悪とかでなく、純粋に「社会」が乱されることへの強い拒絶反応であることもなんとなくわかる。

ソーシャル型」アイドル世代は、決してアイドルの一存ですべてが成立しないのだろう。自分たちで「デレマス社会」を守っていこうという意識が強いのだなと思える。

デレステ運営公式アカウントへの過度な許容もその現れだし、ライブが頻繁に行われていたり、声優さんが大量に現実いるからこそというのもあるはずだ。

旧型ぼっち重視オタクである自分には、深く考えるまでは「奇妙」の二文字で片付けていたが、しっかり考えるとなんとなく頷くことができる(自分とは違うのだなーと)。


自分はここまでで、「劇場型」と「ソーシャル型」を分けて考え、前者が自分には合っていてそれは765アイドルであるとしていた。

ただ、「花火型」とほぼイコールであるソーシャル型」アイドルも、中心にいる人々からすれば「劇場型」と捉えているのかもしれないとも思う。

自分が望むような「二次元でほぼすべてが完結できる」劇場型ではなく、「リアルツイッターゲームライブ声優」、それぞれをすべて同列に考えられる基準を持っているのだろう。

自分にとってそのような考え方は無理があることだし、それができるのは正直うらやましいことだ。きっと違う楽しみがあるに違いない。


おわりに

文字数文章としてのまとまり、書く時間制限をつけなかったので、たいそうバラバラ文章になったと思う。

自分としては、モヤモヤと考えていて喉元でつっかかっていたことがスッキリしたのでよかった。これぞ匿名ダイアリーパワー。


何かとレジェンド扱いされる天海春香さんだが、単に新しい展開が少なくなってしまったというだけである

基本的運営を信頼しているので、天海春香らしい新しいエピソード新曲、展開があるといいなといつも期待してはいる。

ミリシタは…………………………ログインボーナス継続中ですが………………音ゲー無理で……。据え置きで新作出いかなーと希望を。


上にも書いたように、自分には正直なところソシャゲアイマス系列にはどうしても馴染めないところがある。

大量のキャラを常に見回したり(自分にとっては全員が全員魅力的なのですよ)、リアル体験との併用が前提とされているような構造はすこしキツい。

しかしながら、アイマス全体を支えているのは間違いなく彼女らであり、そういった意味では応援している。アニメは観たし、CDもとりあえず買っている。

いまやソシャゲアイマスあってこその765プロアイドルである。いつか揺り戻しがあり、強いアイドル必要になったとき、また765のようなアイドルが観られればそれでいい。


いわゆるデレマス界隈は、人を多く集めまくったリスクとしていろんなトラブルがあったりするんだろうなと思う。

けど、大した問題にもなっていないようなので、すごいと思う(ぼっちゆえコミュニティの仕組みはわからない)。

自分にとってパリピめいて盛り上がるリア充なんだかオタクなんだかわからないPたちは正直無理である

が、デレマスアイマスを好きだという気持ちはたぶん同じなので、遠いところから同士よ! と応援している。


なんかすげー長く書けた。自分用のメモにしてもよかったんだけど、経験則的に、誰かに見てもらうって前提で文章を書いた方がわかりやすくなるのだ。

ということで投稿しつつ、ローカルに保存しつつ。よかったらなんかコメントとかくれると楽しいです。てーかここまで読む人おらなんだ。

読んでくださった方、ありがとうございます


いつまで「できないやつ」に消耗してるの?

世の中には職場での人間関係なんかでストレスを溜めている人が多い。

処理しきれない業務量に職場の同僚や上司上層部との人間関係がこじれにこじれ、最終的にうつ病になってしまう人が増えてきている。

これはもうそ会社問題だし、うつにまで追い込まれる人が出る時点で「ブラック企業」だと認定してしまって問題ないと思う。

こういたうつになってしまった人は一先ず会社休職するなりして、精神科に行き治療しつつ、転職なり起業するなりして新たな生き方模索していくのがいいんじゃないかな。

人を追い込むブラック企業に対して嫌悪感があるけど、それ以上にイラッとするのが、できない相手に対してイライラする人だ。

とあるブログ記事を読んだのだが、うつで休んだ人が生き抜きに遊園地で遊んでいる画像SNSでUPしているのを見つけて、それをネチネチと社長に報告し退社に追い込んだという話だった。

確かに、うつで休んでいるはずなのに遊園地で遊んでいる画像SNSでUPしちゃうのはどうかなとは思うが、うつの人にとっては大事息抜きなんだろうし、UPするならば匿名アカウントでやったほうがよかったんじゃないかなと思う。

これを見つけた人が「この人の分まで働いているのに遊んでるなんて許せない!」ってなるのもわからなくはないが、わざわざ社長に報告するようなことでもなくねーか?と思ってしまう。

その人がいないだけで社員全員に心に余裕ができないぐらい負担がかかるようなその環境自体をまず疑えよと思ってしまう。

そして、社員だろうとなんだろうとそもそも元は他人なわけなんだし、その人が何をしていようと気にせずほっておけばいいんじゃない

そんな気にするだけ無駄だだし、そんなことよりも目の前の仕事やって早く家に帰る方法なり、転職先探すなりすればよくないか

イライラして社長に報告して気が済むんだろうけど、その労力も仕事に使えよとしか思えないわ。

自分友達にも似たような人がいて、遊ぶたびに仕事の話となり、仕事ができないO君に対しての愚痴をよく聞く。

仕事ができないのに態度が大きく、常に上からで相当イライラするらしい。

一応合図地を打って、それとなく賛同しておくけど、正直そのイライラ無駄だな~って思ってる。

そんなやつ早い段階で見捨てて、己の仕事に集中するようにすればいいだけでしょ。

仕事を頼んでも間違いまくりで逆にこっちの仕事が増えると怒りを表していた。

始めからちゃんとできないことを考慮して、修正すること前提でそいつ仕事渡せばよくないか

数年同じ仕事をしているんだから一定レベルまではいってほしいのかもしれないが、目の前にいるのは部下・同僚であっても他人だぞ?

育った環境が違うのだから考え方から何まで全て別物だし、そんなやつにいくら期待したって裏切られるだけだぞ?

共通してイライラする要因になっているのは「同じ時間仕事して同じ金額をもらっているのに、相手だけ楽をしていてずるい」って感情なんだと思う。

自分だけ真面目に仕事してバカらしい」ってのもあるんだろうね。

でもよく考えなよ、真面目に仕事している分相手よりはスキルが上がっているだろうし、上の立場に行って給料が上がる可能性もあるんだよ?

スキルがついて、やれることの幅が増えれば、それだけ転職先の幅も増えるし、もっと給料のもらえる企業に行ける可能性も増えるよ?

向こうは停滞どころか後退している可能性があるし、いつまで経っても平社員から抜け出せやしないよ。

スキルも大してないか転職先も少ないだろうし、上から評価・心象もあまりよくはないはずだよ。

そんなやつに対してイライラしてストレス溜めるなんてアホらしいよ。

いつまでも「できないやつ」に消耗していないで、少しでも楽に仕事をこなす方法でも考えなよ。

2017-08-15

https://anond.hatelabo.jp/20170815120117

自由なんてものは、だいたいの人間には手に余るんだよ。

から社畜になるなりして積極的不自由生き方をしようとする。不自由に逆らうポーズを取りながら他人にいろいろ決めて貰うのが幸せに生きるためのコツだよ。

三流エンターテイナー

所詮素人素人よりちょっと喋りが達者だったりする程度で調子良くならないでくれ。すごい恥ずかしいんだ。目にすると物凄くこっぱずかしくなるんだ。君たちはプロじゃない。たまたま技術媒体に恵まれて世に出られただけ。ファンがいるって?ファンも三流なんだ。勘違いしちゃいけない。一流を愚弄している。無礼だ。三流は三流なりの生き方をしなさい。

友人との会話を振り返り、ヒヤリ

僕の友人には二つのタイプに分かれる



一つめは理詰めで事実淡々と喋ってくれて、自分意見をハッキリと言ってくれるタイプ

当然意見の食い違いもあって対立もするけど、深く話あえばなぜ違いが生まれるのかもわかり会話に充実感がある

会話に深みがあり、とき人生観生き方に少なからず影響を与えてくれる

その反面では「会話を弾ませる」能力には長けていないので、会話の途中で30秒ほど無言が続くこともある

だが、それでいいと思っている

無理に会話を続ける必要はないし、無言まで含めてその時間の流れを楽しんでいる

会話が終わると、「もっと深く考えたいなあ」としみじみと思うようになり、脳が好奇心と満足感で満たされる



もうひとつタイプは、ただただ空虚言葉を並べて楽しませてくれる

そのひとは、お笑い芸人ネタを見るように次々と面白いことを見つけて笑わせてくれる

会話に隙はなくて、沈黙する暇も与えず話題提供し楽しませてくれる

やり取りは音楽を聞くように、思考のかけらもなく表層的になる

笑って楽しいなと思っていると、ふとした瞬間に友人の話に齟齬矛盾があると気づいてしま

話を盛り上げるために、ウソをつく

まりシンプルに言えば話を「盛って」いる

その会話に密かに隠されたウソに気づくと、僕の顔は笑顔でも心は冷めている

僕の心中は「どれがウソで、どれが本当なのか?」という疑心暗鬼に陥ってしま

会話が終わり、笑顔で別れても心のなかはヒンヤリした気持ちになる






平気でウソがつけるヒトが怖い

そして、ウソが許されると思っているヒトも怖い

だけど、そんな友人と縁を切る勇気もない

ただ、ウソが怖い

https://anond.hatelabo.jp/20170814222506

否定的コメントも多いけど、慣れることが出来る範囲なら、親や年長者の言うことを聞いて生きていくのが幸せに生きていける確率が高いってのはあるので、増田生き方は間違ってない。

2017-08-14

おうぎダークはホモ

忍野メメが認めたのは忍野扇存在であり、それは阿良々木暦の中にある自己否定気持ち存在

忍野メメ忍野扇を認めたのは、間接的に阿良々木暦の中にある自分自分を許せない弱さを認めたということ。

そしてそれと向き合い甘ちゃんであり続ける暦の生き方を認めたということ。

まりこれは、忍野メメ阿良々木暦を認めたということだ。

今まで忍野メメは何度も阿良々木暦生き方に疑問を投げかけ続けた。

それに対して阿良々木暦生き方を変えようとはしなかった。

だが今回忍野メメは遂に折れた。

阿良々木暦が真に阿良々木暦と向き合いその上で生き方を貫く姿を見て遂に折れたのだ。

おうぎダークは、阿良々木暦阿良々木暦生き方と向き合う物語に見せかけて実際は、阿良々木暦忍野メメに認められるまでの物語だったのである

まりおうぎダークはホモ

化物語ファイナルシーズン最後ヒロイン忍野扇ではない!

忍野メメだったのだ!

増田って事あるごとに別れた方がいいって意見が出るけど

話し合って解決するべきだって意見は少ない。

貴方はそう思ってるかもしれないけど、相手意見も聞いてみたら?」とか「食い違いがあるかもしれないから話し合ってみれば」とかめったに見ない。

増田たちはカップルを見れば脊髄反射で別れさせたがってるのかなって思ってしまうんだけど。

それとも何か気に食わないことがあればすぐ関係を切るような生き方をしてきたの?それじゃ全く人として成長してないわけだ。

2017-08-13

https://anond.hatelabo.jp/20170812234613

消しちゃったから再度載っけときます

私の夫はAセクシャル。どうやって子どもを作ったか身バレするかも、なんで書けませんが。彼は私以上に母性に溢れてるし、穏やかで静かなパートナーです。私たち恋愛はできなかったけど、この恋愛のない生活は決してパサパサしてなくて、むしろサラサラと心地よいです。彼と会うまでは恋愛至上主義だったけど、あのときのいろんな苦しさや劇的な毎日みたいなのに踊らされてた自分を遠くに感じます。これはあくまでも私の場合

人生は長いです。生き方ひとつじゃないし、出会いもきっと一回じゃない、きっとこの先またあなた価値観を揺るがすような出会いがあることを祈っています

2017-08-11

そりゃたけしの嫁がちゃんと怒って詰めないからだろw

https://anond.hatelabo.jp/20170811133050

たけしにせよ落語家にせよ、配偶者が「いいのよ」って言うからわっちゃっただけ。


ゲス川谷ベッキーだって嫁が「いいのよ」って人だったらああまで問題になってねえよ。

川谷嫁は「許さない」と怒って、しかも上手く問題になるように詰める手腕とが有ったからああなっただけ。

川谷の嫁さんは自分も頑張ったんだろうけど、なにより運にも恵まれてたよね。

文春がベッキーのLINEを入手(あれどっから入手したの?)して

不倫してる2人で川谷嫁のことを嘲笑してたこと、

涙ながらの反省謝罪会見の後にも舐めきった相談してたのを全部バラしてくれたわけ。

何よりあれが大きくてベッキータレント生命を奪った。

でもそういう幸運に繋がるためにも、まず被害者がちゃんと怒ったのが大事


上原多香子だって一昨日ぐらいまでは許されてただろ?

上原多香子権威者からか?違うわw

被害者が黙ってたからです。


死んだ被害者遺書見る限りどう解釈しても上原を恨んで死んでるけど

上原を詰めるまでの復讐心には結びつかなかったか、単にその気力がなかったか

とにかく怒って詰めることはせずただ恨んだだけで世間に黙って死んだ。

からそれで終わってた。


被害者の弟がそれでは許せずに

怒って詰めることを決意したから今問題になってるの。

その決意だけじゃなく、効果的に闘うための爆弾が手許に残ってた運もおおきいよね。

その爆弾を托された女性セブン記者も的確な記事にまとめました。

あの不倫子作りLINEを見た1ヵ月後に一人さびしく車の中で命を絶ったと。

それだけのことが揃ってこうして大騒ぎになるの。


まとめ

不倫が大騒ぎになる要件をまとめるとこうです。


1.まず被害者が怒って詰めに動く

2.詰める手腕と協力者(大抵の場合、利害一致したメディア)がある

3.運が味方をする


これが揃わないとどんな非道不倫も騒ぎになりません。

そんだけ。

これぐらいのことは物事を落ち着いて見る目の有る人なら誰でも整理できることで

いちいち説明させないで欲しい。


はいじゃあ元増田の文を読んでみましょう

俺なんて40年間ずっと不倫してる、だっけ?

ネタっぽくいってるけど公然事実じゃん。

フライデー事件なんてそもそもそういうことだし(しか相手当時16歳とかじゃなかったか)。

なんでたけしと漫☆画太郎だけは何をやっても許される、みたいな風潮になってるんだろうか。

結局、権威には弱い日本人、てことか。



権威かどうかなんて1ミリ関係ねえよ、ぶわあ~~~~~か。

頭悪い奴の雑な分析ほどこういう俗流民族論に着地して

んで普段インテリぶってはてなバカどもが「その通り!」とかいちゃうこの地獄絵

本当勘弁して欲しい。

やっぱり俺ははてな絶望しないといけないのだろうか。


おまけに

さらバカ相手にわざわざ解説してやると、

たけしの嫁だって落語家の嫁だって本当は怒ってるのかもしれないよ。

ただ、たけしや落語家暴力性や、その人脈や権力権力権威区別がつかない低学歴はてなはいませんね?義務教育じゃないからついてこれない子は置いていきますよ)に取り囲まれて声が出せないのかもしれないね

でも声を出さない人や協力者のいない人の声は世間には届かないし、

そしたら騒ぎになることもないんだよ。

(声や協力者の不足)


松居一代泰葉みたいに告発者の自分の方がキチガイじみて見えてたら

やっぱり不倫をした奴への非難ではなく「なんやこのキチガイは」というネタ消費に焦点がブレるし。

(手腕の不足)


そのように考えると、

特定の人の不倫だけ大騒ぎにならない」というより、

不倫の中のほんの一握りだけがコンテンツ化して大騒ぎになる」がただしい。

他の殆ど著名人不倫者がのうのうと非難を免れてることと比較すれば、

ベッキー上原今井は「運が悪かった」という言い方は出来る。

蛇足

keytracker そもそも不倫外野が叩くのがおかしいんだよね。当事者同士の話をいちいち取り上げるのがおかし

リンク2017/08/11

いや正しいんだけどさw

普段からあなたはそうやって、くだらない他人のことに心を動かさずに生きてるの?

出来てないでしょそんなこと。星つけてる奴等もできてないよね。

本当にそういう真に智慧のある生き方が出来てる人は、そもそもはてななんか見てないからw


風俗の店内で瞬間的に性欲オフになって賢者ぶってるのと変わらないよお前等は。

超みっともないことに気付いて欲しい。

清い生き方提唱するならまず風俗店に出入りしないでくださーい。


あともしそういう清い正しい生き方人間だらけの社会だったら

ベッキーなんか元からメシ食えてないからな?

芸能人ってのは自分人生人格を切り取って商品として棚に出して、

本来そんなものミリ関係立場大衆に関心を持ってもらってその関心を金に変える商売だ。


ベッキーなんて自分人生全然関わらない奴等が

ベッキーちゃん好き」「ベッキーちゃんかわいい」つって関心寄せてくれて

からメディアに出たりCM女王になったりできてガッポガッポ稼いでたわけだろ。

繰り返すが、本来ベッキーなんて俺達と関係ないのにな。


なら不倫不祥事

ベッキー見そこなった」「ベッキー最低」「ベッキーもう見たくない」っていう負の関心来るのも当然だろ。

それは受け取りたくありませんなんて話が成り立つか。

そんなにうまいことだけの商売あったら

それはもう職業というより特権階級だよw


うすっぺらくいい人ぶったり賢者ぶったりする前に

もう少し物事構造を考えてくれ。

はてなネットのなかでは頭いい方の人間が集まるとこだったはずだろ。

その矜持を保ってくれ。

楽しく生きよう!

もともと研究者を志しており、大学院に進学して研究者の道を歩もうと思っていたのだが、ふとしたきっかけで就職活動をしてみた。

その際に面接出会った方が「せっかく長い時間を費やして仕事をするのであれば、楽しくやろうよ!」ということを仰っており、それがすごくストンと納得できた。

その言葉に惹かれていまの会社に入ってもうすぐ20年。もちろんいろいろな人がいる中で、多様な価値観を持った人がいるので、一概には言えないものの、それでも全体としては「楽しもう」という姿勢を持った人が多い。

そういう中で自然自分もせっかく何かをやるのなら、楽しみながら、楽しみを見つけながらやっていこう!という姿勢が身についてきた。

一方、日々の通勤休日ショッピングなどに行った際に、道行く人を見ているとものすごく険しい顔をしたり、つまらなさそうな顔をしていたりする方が多いのにびっくりする。

まりに長くそういう顔をされているためか、顔全体にそういう表情が固まってしまっているような感じを受ける。

ただ、そういう方でもふとしたとき笑顔を見せるとすごく柔らかい表情をされているのも時折見かける。

そういうのを見ると余計に、普段からもう少し楽しそうにしていれば良いのに、とも思ってしまう。

この「楽しく生きよう!」というのって、もっと学校やら色んなところで伝えて行っても良いのになぁ、と。

生き方は色々あって良いとは思うのですが、せっかくだから良いこと、綺麗なこと、嬉しいこと、楽しいことをたくさん見つけられる生き方が出来れば良いのになぁと。

2017-08-10

服従

私の街は恐怖が治安を守っている。

隣町の恐怖が怖いから、恐怖を街から追い払うルール賛同することが出来ない。

70年ぐらい前にもヒドイ目にあわされたけど、

ソレが無ければ私たちはまた恐怖するしかない。(し か ない?)

いから、ソレに服従する。

からまた、ソレは恐怖をばらまいていく。

ソレが無くなれば、恐怖も減るのに。

ソレを無くす為の生き方を選べない。

私は恐怖に服従している。

私たちリーダーも恐怖に服従している。

この街服従する。

こんな街に生まれたくなかったけど。

から今日、私はこの街を出ていく。

ごめんなさい。

恐怖と戦った人たち、

恐怖に殺された人たち、

努力無駄にする一助になること、

逃げるという形で恐怖に服従すること。

きっと、後世がすべきことは、

恐怖と戦うことだったのだろうに。

勇気がまだない。

思い出を反芻するのは暗い生き方です

根本的に間違っています

思い出を溜め込んで反芻するのは暗い生き方です

良い思い出も悪い思い出もありません

過去に心を飛ばすこと一切が悪行為です


明るい生き方とは何か?

今日一日、今この瞬間の感覚に目覚めて集中する生き方です

過去が良いものだったとか悪いものであったとか考えていれば現在に集中できませんね?

未来が良いものだと妄想したり悪いものかもと妄想したりするのも現在へ集中することの妨げですね?

から行為です


常にそんなことを考えている人(世間の大半の人)は

食事の味もきちんと感じていません

瞬間瞬間に他のことを考えているからです

https://anond.hatelabo.jp/20170809180303

https://anond.hatelabo.jp/20170810000049

ビアンはこないだドキュメンタリーを見た。

子供を産んだ方が相手自分のように子供を親として愛してないと追い詰められたり、血の繋がらない子供母親と同じように愛せと言われてもと悩むパートナーで、仕事普通に続ける相手と続けられない産んだ方と生き方も変わって大変そうだった。

2017-08-09

40代大学非常勤講師でも後悔はない

都内私立入学して「大学教授」と呼ばれる職業の人たちと出会い、憧れ、あんな風になりたいと思った。どうすれば大学教授になれるのかと思い、職業ガイドみたいな本を読んで、博士号を獲らないとなれないと書いてあった。姉に話すと猛反対され、就職することにした。猛勉強をして新聞記者になった。給料は良かったし、いわゆる「社会的地位」も高い。どこへ行っても「記者様」扱いをされる。でも、この仕事に興味は湧かなかった。新聞記者になればどんな有名人にも会える。総理大臣にも会える。権力好きな人新聞記者は向いている。自分はそういったことに興味はなかった。偉い人に会いたいとか、有名人に会いたいとかそういう欲求が少なかったから、新聞記者仕事に夢を感じなかった。出世することにも関心はなかった。組織の中で上に行くことにどういう意味があるのか、それで心が満たされるのかと言えば、そんな風には思えない。多分、自分変人の部類に入るのかも知れない。いわゆる「お勉強」が好きだったし、多分「お勉強しか向いている分野がなかったから、社会人としてのスキルとかそういうのは身につかなかったし、身に着けたいとも思わなかった(社会人失格とか、社会不適合とか言われれば、受け入れる)。多分、大学自由雰囲気が好きで、そこに身を置きたいという欲求けが続いたんだと思う。

30代になって会社を辞めて「お勉強」する目的海外留学した。最初語学学校で、そのあと修士課程に入って、博士課程に入って気づくと40代になっていた。博士号はまだ獲ってないし、お勉強研究は別物なので、実はあんまり研究には向いていないのかも知れないけれど、博士論文テーマは一応決まったし、想像していなかったようなきっかけで研究予算をもらえたので、「研究しなければならない」という逼迫した立場になったけど、研究については今まで怠けていたとも言えるので、自分を訓練するいい機会になったと思って毎日資料を読んでる。

留学を始めたばかりのころは新聞社給料が良かったか貯金がなかなかの金額になっていて、それで賄えた。修士課程博士課程では返さなくていい奨学金がもらえた。運が良かったと思う。今は奨学金はなくなって、貯金も底をついたけど、大学非常勤で何コマ担当させてもらえるようになって、大学生と同じか、それよりもうちょっといい生活ができる。40代収入としては笑えるほど低くて、普通の人なら絶対にやらないと思う。大学大学生相手仕事をしていれば、自分生活水準が低くても気にならないか自分収入の低さはあまり気にならない。非常勤講師でも初めて講義をさせてもらえた時は感動した。自分大学生だった時に憧れた職業の最底辺の隅っこの下座も下座とはいえ、入り込めたと思うと泣けてきた。あと、口座に「給与」が払い込まれることにも泣けてはきた。「給与」を受け取るのは、新聞社を辞めて以来のことだった。最近担当するコマ数が増えた。体力的にはそれだけ厳しくなるけど、生活費は楽になる。大学生と同じ生活をするのなら、少し貯金できるかもしれないくらいにはなった。後で聴いた話によると、少子化なので今後は新規採用はしない。とのことで、それでも時々辞める人はいから、結果として今すでに隅っこに入っている自分担当が回って来たということらしかった。運が良かったと思う。もうちょっと遅く博士課程に入っていれば、非常勤講師にすらなれなかった。非常勤講師アカポスとすらも言えないくらいの立場だけど、自分はそれになれたということにやはり今書いていていても感動してくる。

40代大学非常勤講師といえば悲惨人生典型例のように言われる。無駄高学歴で、驚くほど年収は低く、いつ切られるか分からいからだ。そういうのが悲惨で耐えられないという人は、大学院には行かない方がいい。理系企業に雇ってもらえるけれど、文系博士大学教師になる以外に道は残されていない。文系博士には「著述」という道はあるけど、著述はけっこうしんどい上にあまり金にはならない。それでもいいやと思える人にしか勧められない生き方だけど、自分大学という場の雰囲気に馴染みやすいと思うから、それでもいいやと思える。教授様になれるとは思っていない。老後のことも分からない。ある人は「詰んでいる」と言うかも知れない。でもやっぱり新聞社にいるより、今の方がいい。姉の反対がなければ人生の途中で新聞社就職することはなかったと思うし、それがなければ学問世界キャリアもっと積むことができて、もしかしたら教授様も狙えたのでは...と思うこともある。でも、会社を辞めて自分の願望を目指したのは次善の策だったと思う。あと、新聞社にいた時は贅沢な生活はできた。でも、今の生活の方が自分の好きな空間にいられる分、別の意味で贅沢できていると思うし、美味しいものを食べたり、高い服を買ったりするのは若いうちにさんざんやったので、今はあんまりそういうことにも興味はない。贅沢は若いうちにやっておいた方がいい。年を取ると無駄に目や舌が肥えて来るので、無駄な贅沢をしてしまうと思う。若いうちに贅沢しておけば、飽きが来るのでちょうどいい。

今後のことだけど、取り敢えず博士号は獲っておきたい。その後のことは分からない。いずれ帰国したいとも思う。帰国してアカポスに就けるほど甘くはないと思うから、生き延びるという点では今の大学にしがみつき続けるのがベストなのかも知れないけど、もし切られたら帰国するしかないなあとも思う。帰国したらどうしようか...ということは全く分からない。先が見えないという意味ではしんどい生き方かも知れない。でもやっぱり、牛のようなのろい歩みでここまでやれたことは正直に嬉しい。

「期待しない生き方」を今すぐやめろ

「期待しないと失望しないから楽」みたいな話あるけど

期待しないことを続けていくと「どうせダメだ」っていう後ろ向きの考えが多くなってしま

人間、結果はどうあれ希望を持ってる時は元気で、絶望しかない時は暗くなるもんだが

期待しないってことは常に絶望し続けるってことだ

 

実際にうまくいくことはほとんどないから、たしかに期待しないことで痛みは減るんだが

その分絶望するマイナスが来る

 

式にするとこんなだ

 

期待する場合  → +希望 ー失望

期待しない場合 → ー絶望

 

(+希望失望)より(ー絶望)の方がキツイんだが

理由簡単

失望というのは一瞬なんだが、希望絶望ってのは長期で続く

からそっちのほうが精神に影響する

 

俺はもうダメ

経験則のせいで、期待しないのが常になってしまった

2017-08-07

https://anond.hatelabo.jp/20170807230835

私も結婚子育てというレールから外れそうなので何ともいえないです。

定義を聞きたいのは、物事改善していくには具体性がないと難しいと思うからなのですね。

私は性質として頑張りたい方なので、出来る範囲で頑張ります

転職活動中の方にプログラミング無料で教える勉強会を開いたり)

それが楽しみでもあるので。

いつかその活動が巡り巡って、誰かの、あなたの、私の生き方が1ミリでも楽になりますように。

結婚恋人ができないのは、お金が無いからじゃない

収入が少ないか結婚できないって話を、

みんな当たり前のようにするんだけど、

それっておかしいと思うんだよね。

ちょっと前の専業主婦を抱えるモデルならわかるけど、

今は絶滅危惧種でしょ。

結婚後も仕事を続けて自分の食い扶持を稼ぐなら

お金が無くたって結婚できる。

しろ二人暮らしになると、スケールメリット働いて

生活必要お金金額は下がる。

元々、人は一人で生きるにはコストが高いから、

寄り添って群れを作っていたわけだし、

お金が無い人たちは寄り添った方が楽になると思う。

金が無くてキモいおっさん恋人を作れないのは

「金が無い」ことや「おっさんであることは問題じゃ無くて、

キモい」ことだけが問題のコアなんだと思う。

想像すれば解ると思うけど高収入独身キモいおっさんも、お金目当てで来るような変わった女性以外は捕まえられ無い)

昔だったら多少気持ち悪くても、周りがゴリゴリ押し付け

結婚させたりしてたんだろうけど、今はそうは行かないからね。

今の女性は「キモい」って思った人とは結婚しないよ。


パートナーを見つけられ無い人は、自分の力で努力するしかない。

社会自分パートナーあてがってくれる時代はずっと前に終わったよ。


異性に対して紳士的に振舞って、清潔感大事にして、

仕事趣味一生懸命になって、明るく楽しく優しく

できるように自分を変えるしかないんだと思う。

<補足>

トラバもらったので、少しコメントする。

容姿差別ですね。

確かに美醜の問題若い頃は影響度は高いと思う。

でも、中年にさしかかるとそうでもないよ。

周りのおっさんやおばさん見てても、

顔の造形よりも「良い生き方をしている」人はカッコイイし、

洋服に気を使って、清潔感大事にしてる方がモテてる。

なんでも生まれ持った顔のせいにして

ただしイケメンに限る」みたいな言説自体

大変にキモいんだと思うよ。

>金でももらえなきゃ、二人暮らしメリットが無い

そういう思考性の人は一定はいると思う。

でも、多くの人にとっては、二人で暮らす楽しさはあると思う。

子供を持つ、持たない抜きにして。

家事負担についても、女性に集中するって話も、

すごく広まったから、意識的家事をしようとする男性も増えてるみたい。

子供は育てるのにお金がかかるのは事実だけど、

最初からそのお金を全額即金で用意するものではないし、

公的扶助活用できる。

計画に何人も産んで育てられず虐待しましたってのは駄目だけど、

夫婦で前向きに取り組めばちゃんと育てられるよ。

国「75まで働けよ。年金払いたくねーんだよ」

そりゃ若者がやる気を失いますよ。

賃金の低い仕事が溢れてて、日々どんどん暗くなっていくわけです。

これで家庭を作れと言われても無理でしょう。

若者の○○離れ?そりゃ離れますよ。先立つべき金がないのですから

そんな状況なのに、お国が65でも70でも甘ぇ75歳まで働けよと言い始める。

これで次の世代が生まれたら、今度は80歳まで働けって言うんですかね。

国に蔓延無能政治家が、甘い汁啜って、別に作らんでもいいでしょという物を国民の金で無駄遣いする。

税金ばかり高くしていく一方で、今の政治家が何の役にたっているのです?

お偉い方は老い先短いヤツは貯金するくらいなら散財しろといってました。

そうですね、もうそこまで生きたのですから散財して余生を過ごしましょうよ…とは言いたいですが、

そこから始める前にまず若者ではないですかね。

早ければ10から社会人になって、現在40代入るかって所くらいの人たちは

日々、少ない賃金で出来るなら貯金、出来ないなら毎日を生きる程度が多いんじゃないでしょうか。

その辺りで金持ちになれた人は、おめでとう!やったな!と喜ばしい限りですが一握りしかいません。

無駄遣いをして金がないと言っている人は論外としても、賃金が少なすぎて貯金すらままならぬ保険すらままならぬ状況では

先を見ることすら困難です。

ただ、疲れ果てるまで働き続ける。そして勝手に老けていく。

国と政治家からすれば国民は働きアリ程度でしょう。

一人死んだ所で減った分を税金あげるか程度じゃないですかね。

そうやって今とりあえず甘汁すすれるんなら良いか!程度くらいにしか見てないのが国でしょう。

今の若い人が75まで働いたとして、その後どうするんです?

政治家は口を揃えていうんですか?「その頃、俺は政治家止めてるしー。死んでるかもしれないしー」って。

75まで働かせたいなら、そこまでの年齢まで住みよい生き方提供してみてくださいよ。

アイドルアニメライブに久々に参加して感じたことをつらつらと書いてく

東京秋葉原に住んでいるが、わざわざ名古屋まで行って某アイドルアニメライブに参加してきた。

ちょっと長くなるけど、この気持ちをどこかに書き留めておきたくて、帰りの東海道線の中でちまちま打っていこうと思う。

今回行ってきたライブ作品は、いわば「続編」で、“伝説”になった初代グループに憧れ、そんな風に輝きたいとステージに上がる女の子達を描いた作品である

自分はその初代グループお話が本当に本当に大好きだった。

当時大学生だった自分はモロに影響され、アニメを何回も観ては泣き、ライブにはほぼ全て全日参加し、彼女達の生き方に憧れ、その作品を作った人達全員を心の底から尊敬し、がむしゃらに今を輝かせようと大学生活を走り抜けた。

完結編にあたる映画版を観た少し後、まだハイになった頭のまま就活面接を受けた。

作品に出てくるセリフをほぼそのまま取締役に恥ずかしげもなく言って、落ちこぼれには分不相応な一部上場企業へのチケットを受け取った。

その作品きっかけで、アニメ漫画の同好の志が集まる場に参加するようになった。

そこで気の合う女の子と知り合って付き合い始め、卒業直前にはその作品重要場所となっていた神社結婚式まで挙げた。そして舞台である秋葉原に新居を構えるまでに至った。

まさにその作品自分大学生活にとんでもない影響を与える“青春”だったな、と今でも思う。

そんな大学生活の最終日となる2016年3月31日彼女最後ライブとなる東京ドーム公演の初日に参加し、彼女達のストーリーピリオドを迎え“青春”が終わったのひしひしを感じた。

あれからおよそ一年半弱。

僕の影響でどっぷりハマった嫁に連れられて、彼女達の“伝説”を受け継いだグループライブに参加してきた訳である

そのパフォーマンスは圧巻の一言

歌、ダンスマイクパフォーマンスストーリーオーラ。そのどれを取っても初代に引けを取らない、すごいライブだった。

参加者熱狂し、終了後のTwitterも絶賛される声が溢れていた。

本当にすごかった。

しかった。

自分もそう思う。

でも心の中のどこかに、初代のライブに参加していた時には感じる事の無かった淀みのようなものライブからハッキリと感じた。

その正体が気になってしまい、演者に向かってペンライトを振りながら自分自身を見つめる時間になっていた。

会場のボルテージが上がり一体化する日本ガイシホールの中で、疎外感と孤独を感じてしまった。

劣等感、なんだと思う。

初代の声優達の中での最年少と同い歳の自分は、二代目の声優の誰よりも年上である

自分と同じように初代の活躍を見て、

自分と同じように彼女達に憧れ、

追いつけ追い越せと努力してきた年下の女の子達に、あんな凄いものをまじまじと見せつけられた。

初代の最後ライブから一年半の間「君の心は輝いていたかい?」と強く問いかけられた気がした。

この一年半、一体何をやってきたのだろう?

今の自分じゃ、とても彼女達には敵わない。

そう感じた。

帰りの電車でそれに気づいて、吐き気が止まらなくなった。正直どうしたらいいのかわからなくなった。

そんな時、ふと作品の中でのエピソードを思い出した。

彼女たちは他のアイドル達に完膚なきまでに負けて一度は挫折しかけるが、その経験を“ゼロ”として、新たな一歩目を踏み出していく。

初代への憧れだけじゃなく、自分達らしさを求めて。

まさかそれを自分自身体験させてくれるとは全く予想だにしていなかったわけで。

なーんだ、そういうことだったのか、と素直に納得した。

東京に戻ったら、僕もがむしゃらに新たな一歩を踏みだそうと思う。

ちょっと立ち止まっちゃってたな、って反省した。

舞台も人も変わっても、ラブライブ!という作品青春と言う名の暴力で僕をボコボコにしながら、いつだって大切なものに気付かせてくれる。

ただ埼玉公演に行ける勇気は、まだないかな……。

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