はてなキーワード: 生き方とは
インターネットで性行為をする=大人になったみたいに考えている人たまに見る。これについて自分なりに考えてみた。
昭和くらいまでのお見合いでみんな結婚して子供授かってが当たり前の社会だと、ほとんどの人は大人になるしか選択肢がなかった。大人にならないと生きていけない環境だった。けど、最近では精神的な成熟を十分でなくとも生きて行ける。現代には大人にならないという選択肢も生まれてしまった。これは人類史を見ても社会全体がその流れにあるのはかなり特殊と言えそうだ。一部の貴族や王族の中では起こっていたであろうが。
今は精神が成熟してなくとも子を持つ人も多く、逆に精神的な成熟をしているのにもかかわらず子がいない・欲しくないひとも多くいる。なんでだろう。
昔は「大人(精神の成熟)になったら性行為をしても良い。そして子供を授かろうぞ」というような価値観だった。それが変に残って現代では性行為が大人の象徴の一つになってる。
大人になるとは、どういったことだろうか自分なりに考えてみた。
・価値観の違いの認め合い
・柔軟性
・責任感
などだろうか。
それは現代的な倫理観で見た場合こうなっただけで、昭和とかだとまた違うものだったかと思う。
では、なぜ大人にならない選択肢を選ぶ人がいるのかを考えてみた。
・面倒くさい、怠惰
・成熟するには必ず深く思考したり葛藤したりある程度ストレスによって学習するためそれを避けてる。
・周りの環境
・大人になったと思い込んでる
・成熟しなくても生きていける
でも、この選択肢で生きている人も悪いとは思わない。新しい生き方が生まれたんだ思う。自分の言っている精神の成熟だってただの価値観の押し付けかもしれないしね。責任感とか怖いもん自分も含めて。難しいね。
大学進学のため上京して以降、「第一志望:パワーカップルになる、第二志望:一生独身」という二択の人間ばかり見てきた。
久々に有休取って実家泊まってうろうろしていたら、イオンのフードコートに軽度知的?境界知能?っぽい若い女の子と、ガテン系っぽいいかつい若者の組み合わせで、女の子のほうがガテン系に対して「ごめんね」「ありがとう」とずっと言っていた。
なんつーか頭弱い系の女には、ずっとごめんねごめんね言っていてギリ受容されている系と、無能でメチャクチャにするくせに偉そうで排除される系の二種類がいるけど、
頭弱い系の男には、無能でメチャクチャにするくせに偉そうで不機嫌で攻撃的なやつしか見たこと無かったな、有能ほど淡々としてて不機嫌にならないんだよな、比例してんだよな…と思ってしまった。
男だと、頭弱くて「ごめんね」「ありがとう」って言い続けて許してもらうみたいなロールモデルというか…そういう生き方が存在しないから、優秀になる以外の生き方がないみたいな印象がある。
あと忘れてはならんのは、女にも可愛げがない無能もいるってことなんだよな。かわいげは女に生まれた瞬間に自動的に備わるものじゃなく、ひとつの能力であると思う。
と、こう書くと過激に聞こえるかもしれませんが、今の私は、確信を持ってこれを言えるようになりました。昔の私は、まるで迷路の中でキャリアパスというゴールを探し求める鼠のように、必死に進むことしかできなかったんです。
大学生の頃、未来は明るく見えていました。周りが言う「立派なキャリア」「安定した生活」が手に入れば、幸せがやってくると信じていたのです。でも、社会に出た瞬間、私はその幻想がいかに儚いものかを痛感しました。理想と現実のギャップに苦しみ、職場の過剰な期待と要求に押し潰されそうになり、次第に自分が自分じゃなくなっていくのがわかりました。そこから鬱病が始まったんです。
この病気は私の世界を変えました。生きている実感がなくなり、ただ「何とか耐えている」だけの毎日が続きました。生きることが苦しくて、死をちらつかせることさえあったのです。通院を続け、薬を飲み、無気力な日々に追い打ちをかけるように、社会は「キャリアを築け」「もっと努力しろ」「もっと頑張れ」と命じてきます。それに従わなければ、何も価値がない、存在する意味がないとさえ思わされていたのです。
けれども、どこかで「違和感」に気づき始めました。なぜ、誰もが同じゴールを目指して、同じように苦しんでいるのか。私たちの生きる意味や価値が、どうして収入や地位で決まるのか。この疑問は頭から離れず、心の中で次第に大きくなりました。
仏教に興味を持つようになったのもこの頃です。仏教では、「今の自分が本当の自分ではない」と教えてくれます。私たちが抱える苦しみの多くが、社会や周囲から押し付けられた「こうあるべきだ」という幻想から来ているというのです。目から鱗でした。
特に「無常」と「無我」という考え方に救われた気がしました。すべては移ろいゆくものであり、私たち自身もまた、固定された存在ではない。自分が「成功しなければならない」「立派なキャリアを積まなければならない」という固定観念から少しずつ解放されるようになったんです。
私がたどり着いたのは「メメント・モリ(Memento Mori)」、つまり「死を忘れるな」という言葉です。人生はいつか終わるものであり、私たちはその終わりを見据えて、今この瞬間をどう生きるかを考えるべきだという視点です。
多くの人は「キャリア」や「将来の安定」に執着し、必死で未来を確保しようとしています。でも、「今この瞬間」が本当に大切だと気づいた私は、そこに人生の意味があるように感じ始めたのです。死ぬことを恐れず、むしろ「いつでも終わらせることができる」覚悟を持つことで、私の中で生きることへのプレッシャーが軽くなりました。
「今すぐ死んだって構わない」というのは、決して自暴自棄の気持ちではありません。むしろ、今ここにいる自分を自由にし、どんな時でも自然体で生きる覚悟を持てたという意味です。
こうした考えに至った今、私は社会と一線を引きながら、自分に正直でいることができています。もちろん、社会の一員として働かなければ生活はできませんが、だからといって自分をすべて犠牲にする必要もないのです。「無理にキャリアを追わなくてもいい」「成果を出さなくてもいい」と言い聞かせ、自分らしい生き方を探すことで、自然と心の負担が軽くなりました。
いわゆる「普通の労働者」である私が、キャリアを追うことをやめて、ただ「ここにある今」を大事にして生きる。それは社会から見れば「やる気がない」ように見えるかもしれませんが、実はその方が、私にとって本当の意味で生きることなのです。
こうして振り返ってみると、鬱病と向き合い、苦しみ抜いた時期があったからこそ、今の私がいるのだと思います。「キャリアパスなんてクソくらえ」と言い切れるようになったのは、社会や他人の価値観に自分を縛られず、自分にとっての「意味」を探す勇気を持てたからです。
もしも、今を生きることに苦しんでいる人がいるなら、少しでも「メメント・モリ」を思い出してほしいと思います。未来ばかりを追わず、今の自分に正直でいること。いつかすべてが終わることを忘れず、押し付けられた生存の重荷を少しでも降ろせるように、生きていくのも一つの選択です。
音信不通の親が孤独死した時、どのようなことが起こるのかについて記録する。
昨年、父が死んだ。
父とは30年近く会っていない。母は離婚後も父と連絡を取っていたようだが、父に私の連絡先を決して伝えないようにとお願いしていた。
5月頃、母のところに、父の知り合いから父が死んだようだとの連絡があった。
その人も遺体は見ておらず、父の住まいを尋ねたら大家さんから死んだと伝えられたとのこと。
私はそれを聞き、一番最初に思ったのは、相続放棄の手続きを一刻も早く終えたいとのことだった。
市の無料法律相談に行き、相続放棄の手続きの仕方や困ったことが生じるおそれがないか等を確認した。相続放棄の手続きは、家庭裁判所によって若干違うので、事前に確認してから行く方がよいとアドバイスを受けた。
孤独死した人間の特定をしなければならないので、DNA検査をするとのこと。
これは兄が対応してくれた。
父の死はまだ確定していない。
DNA検査をする費用が出ないため、兄の顔を見て特定することにしたと連絡。
父が孤独死した場所と母の家は新幹線で1時間ほど離れているため、出張のついでに寄るので少し先になるとのこと。
兄が取った唾液はなんだったんだ。そんなことを市民にお願いする前に、予算があるかどうかの確認はできるだろうに。警察っていい加減なところなんだなあ、という印象を持つ。
11月 兄から戸籍抄本にて父の死亡が確認できたと連絡をもらう。父はおそらく5月に亡くなっているのに、書類上の死亡は11月になっている。
12月 有給を使って家庭裁判所に行き、相続放棄の手続きをする。郵送でも手続きできるが、不備があると嫌だったので、窓口で手続きした。窓口の人は手慣れた様子で、相続放棄したい理由の書き方等を教えてくれた。
12月末 手続き完了の封書が届いた。この半年間の気持ちの重りが取れて、ほっとした。
まとめ
・事件性が薄い孤独死に対して、警察は費用を割かない。そのため、最寄りがない人間が孤独死すると、死が確定するまでに時間がかかる。
この文章を書こうと思ったきっかけは、下記の文章を読んだからである。
https://inukawatama.com/father/
読んでまず、うらやましいと思った。
私は父が死んだことに対しては、特に何の感慨もない。
馬鹿な生き方しかできなくてかわいそう、まともに生きていれば子どもや孫の成長を見ることもできたのに、という一般的なことを思うだけである。
父との思い出は記憶のどこかにあるのだろうが、思い出したくないことばかりであり、考えるのを停止するようにしている。
相続放棄の手続きを一刻も早く終わらせて、父と無関係になりたいという思いは、母を呆れさせ、くだらない喧嘩に発展した。
大人になって、母に感情的に声を荒げたのは初めてで、お互いにダメージを受けた。
母に対してはいろいろと思うことがある。
父に対する思いの欠如は、私の人間としての欠如なんだろうと思う。
私は、父と自分を切り離さないと、「普通」の枠の中で生きていくことができなかった。
毎回、どうしてこの人たちは、「毒親」と縁を切らないのだろう?と思う。
結局のところ、この人たちは「毒親」と詰りながらも、親のことを愛しているんだろう。
現代の日本で二大政党制に近付くための政界再編が起きるとすれば、以下のような政策軸で政党の離合集散が考えられます。
• 成長志向型の政党: 資本主義的成長を重視し、経済活性化や規制緩和、イノベーション支援を優先する政党です。企業の競争力強化や減税、労働市場改革が主要政策になりうるでしょう。
• 格差是正志向型の政党: 社会的公平性や格差是正に力を入れる立場の政党です。所得再分配、労働者の権利強化、最低賃金引き上げや社会福祉の充実などが中心課題となるでしょう。社会民主主義や福祉国家に近い政策を取り入れる可能性があり、若年層や労働者層からの支持を集める可能性があります。
• 対中・対北朝鮮強硬派: 安全保障を強化し、中国や北朝鮮の脅威に対抗するため、防衛費の拡充や自衛隊の能力強化、日米同盟の深化を推進する政策を重視する政党です。国民安全を最優先とする姿勢が特徴で、防衛力の増強と独立した防衛政策の整備を強調する傾向が見られるでしょう。
• 対話・協調派: 対話による平和的解決を重視し、近隣諸国との経済・文化的協力や地域間の安定を優先する政策です。中国や北朝鮮との関係改善を模索しつつも、米国との関係を維持する立場を取る可能性があります。国際機関を通じた多国間主義に重点を置くことも特徴です。
3. エネルギー・環境政策(脱炭素推進 vs. 現実的エネルギー維持)
• 脱炭素推進派: 脱炭素社会の実現を掲げ、再生可能エネルギーやカーボンニュートラル政策に注力する政党です。環境問題に敏感な若年層の支持を集める可能性が高く、規制の強化や補助金を通じて、クリーンエネルギーへの転換を推進します。
• 現実的エネルギー維持派: 脱炭素には取り組むものの、現実的なコストやエネルギーの安定供給を重視する立場です。原子力発電所の再稼働や新規建設、化石燃料の利用延長など、安定供給を確保しつつ段階的な脱炭素を目指す姿勢を取る可能性があります。
• 保守派: 伝統的な家族制度や教育観を重視し、憲法改正や防衛政策の強化、移民政策の制限など、国家の安全と国民の安定を優先する方針です。結婚や家族を中心とした政策、教育改革に関しても日本の価値観を守ることを重視します。
• リベラル派: ジェンダー平等や多様な価値観の尊重、外国人労働者や移民の受け入れの拡大、LGBTQ+などの少数派の権利を重視する政党です。多様な生き方や価値観の承認、教育の自由化や保護改革などが目標として掲げられるでしょう。
5. デジタル社会と行政改革(デジタル化促進 vs. 生活重視の慎重派)
• デジタル化促進派: 行政効率化やデジタル技術の推進を通じて、経済成長や社会サービスの向上を図ります。例えば、マイナンバーの活用範囲拡大、IT技術を活用した行政効率化、デジタル人材育成などが含まれるでしょう。
• 慎重派: デジタル化の波に乗る一方で、プライバシーの保護やセキュリティ対策、弱者対策に焦点を当てる政党です。デジタル化による不利益やリスクを最小限にするための政策、そして、高齢者やデジタル弱者のサポート強化を目指します。
これらの政策軸に沿って政党が分裂・再編成され、二大政党が形成されることで、国民は政策に基づく選択肢を持てるようになる可能性があります。また、実際の政治動向や経済情勢、国際関係の変化に応じて、新しい政策連合やコアな支持層の動向も変わるでしょう。
暇つぶしに見るXでは、よく弱者男性と売春婦が争っている。働きながら、あるいは働かずに子どもと向き合った。それが正しかったかどうかは、何十年か経ってみないと分からない。以下は、平成初期に弱者男性に育てられた私の事例である。
私の父親は、いわゆる「弱者男性」と呼ばれる部類の人だった。特定の職に就くことはなく、収入も安定していなかったが、何かに対して強く反抗するわけでもなく、静かに自分の人生を受け入れていた。しかし、その生き様は、周囲からは「頼りない」や「社会のはみ出し者」という視線で見られることも多かった。そんな彼が私をどう育て、私はどのように成長してきたのか、その実体験を通して「弱者男性に育てられた子供」の実像に迫ってみたいと思う。
父の教育方針は、決して画一的なものではなかった。むしろ、他の家庭の親と比べてもかなり自由度が高かったと思う。学校の成績や将来の進路についても、父は何も言わなかったし、毎日の生活でも無理にあれこれと教えられることはなかった。勉強をするのも、何かを身につけるのも、すべて私自身の選択に委ねられていた。
しかし、父が何もしなかったかというと、そうではなかった。彼は私と向き合い、ただ「一人の人間」として存在してくれていた。時には、悩みを聞いてくれ、愚痴を言っても無理に解決策を示すわけではなく、「そうか」と静かに頷くだけだった。それが子ども心にとってどれだけ大きな支えだったかは、年を重ねるごとに感じるようになった。
子供時代、友人の家庭を見ては、父と他の親たちの違いに複雑な感情を抱いたこともあった。多くの家庭では、親が積極的に関わり、進学や将来の方向性についても熱心に指導していたが、私にはそれがなかった。友人から「お前の父さんは何してるの?」と聞かれると、答えに困った記憶がある。特に、弱者男性の特徴として「自分が何者であるか」を誇示しないため、父の職業や社会的な立場についても話す機会がなかった。
しかし、今考えてみると、社会が求める「父親像」に囚われず、自由な生き方を貫く父の姿は、自分にとって一つの理想像だったのかもしれない。彼の生き方からは、「社会の枠組みに縛られる必要はない」というメッセージが無意識のうちに伝わってきていたのだと思う。私自身が将来の進路を決める際、父の姿勢を思い出して自分の選択を尊重することができたのも、彼のおかげだろう。
弱者男性に育てられた子供は「かわいそう」と言われることがあるかもしれない。しかし、果たしてそれは本当だろうか。弱者男性の親に育てられたからといって、子どもが必ずしも苦しむわけではない。むしろ、周囲の偏見や社会的なプレッシャーにさらされる中で、自分の価値観を形成し、他者と異なる視点を持つ強さが育まれることもある。
父は私に対して「強くあれ」とは言わなかったが、弱くてもいいと教えてくれた。日々の生活の中で少しずつ身についたこの価値観は、私が社会に出てからも貴重な指針となり、自分の居場所を見つけるための礎となっている。
今振り返ってみると、父がくれた自由さや、独自の視点は私にとってかけがえのないものだと感じる。彼の育児方針は、決して一般的ではなかったかもしれないが、その自由さの中で私は自分らしさを発見することができた。
弱者男性の親に育てられたことが、必ずしも「かわいそう」という一面的な評価に収まるものではないことを伝えたいと思う。彼らの中には、表面に見えにくい形で子どもたちを支え、人生に豊かさをもたらしてくれる存在もいるのだ。社会の「普通」から少し外れた彼らだからこそ、伝えられるものがあると感じる。それは他の親では決して教えられない、大切な人生の一部である。
碇ゲンドウを愛に生きた男だと思ってた。叛逆は愛の物語だと思ってた。だからめっちゃ好きだった。
でもあれって愛というよりも恋、執念、執着と言った方がより芯を捉えてる気がした。愛の厳しさに耐えるよりも恋の喜びに狂ってる感じ。
周りが見えない。見る必要もない。それくらい燃え盛る欲望に突き動かされる姿ってやっぱ憧れちゃうね。
フィクションなら良いけど現実でそういうのは云々、とか水を差さずにいられない人間が嫌いだぜ。テメーに言われるまでもなくって話だし、そんな冷めるような事をおれの心に意識させないで欲しい。
シンエヴァの社会性パートも、凡庸なテーマをクドクドと……(でもそれこそが大事なんですよね、的な部分をも含めて)としか思わんかった。
社会と向き合う前に大風呂敷広げた設定と向き合わんかい。新劇の使徒、マジで舞台装置でしかなかったじゃん。
まあそれもこれも自分自身が社会性に則ってか、負けてか、フツーな生き方しか出来ないからこそそう思うんだろうな。欲望に狂う人間の姿が一番かっけえ。
自分が借金と激務のリスク背負った上で起業する気概もないのも分かるし
正直18歳くらいで分かってる部分はあるけどさ
生まれてきた時は無限の可能性というチャンスを持っていたはずなのに成功できず怠惰にネット徘徊とソシャゲやって時間を浪費していく生き方をしている事に
現代の日本で二大政党制に近付くための政界再編が起きるとすれば、以下のような政策軸で政党の離合集散が考えられます。
• 成長志向型の政党: 資本主義的成長を重視し、経済活性化や規制緩和、イノベーション支援を優先する政党です。企業の競争力強化や減税、労働市場改革が主要政策になりうるでしょう。
• 格差是正志向型の政党: 社会的公平性や格差是正に力を入れる立場の政党です。所得再分配、労働者の権利強化、最低賃金引き上げや社会福祉の充実などが中心課題となるでしょう。社会民主主義や福祉国家に近い政策を取り入れる可能性があり、若年層や労働者層からの支持を集める可能性があります。
• 対中・対北朝鮮強硬派: 安全保障を強化し、中国や北朝鮮の脅威に対抗するため、防衛費の拡充や自衛隊の能力強化、日米同盟の深化を推進する政策を重視する政党です。国民安全を最優先とする姿勢が特徴で、防衛力の増強と独立した防衛政策の整備を強調する傾向が見られるでしょう。
• 対話・協調派: 対話による平和的解決を重視し、近隣諸国との経済・文化的協力や地域間の安定を優先する政策です。中国や北朝鮮との関係改善を模索しつつも、米国との関係を維持する立場を取る可能性があります。国際機関を通じた多国間主義に重点を置くことも特徴です。
3. エネルギー・環境政策(脱炭素推進 vs. 現実的エネルギー維持)
• 脱炭素推進派: 脱炭素社会の実現を掲げ、再生可能エネルギーやカーボンニュートラル政策に注力する政党です。環境問題に敏感な若年層の支持を集める可能性が高く、規制の強化や補助金を通じて、クリーンエネルギーへの転換を推進します。
• 現実的エネルギー維持派: 脱炭素には取り組むものの、現実的なコストやエネルギーの安定供給を重視する立場です。原子力発電所の再稼働や新規建設、化石燃料の利用延長など、安定供給を確保しつつ段階的な脱炭素を目指す姿勢を取る可能性があります。
• 保守派: 伝統的な家族制度や教育観を重視し、憲法改正や防衛政策の強化、移民政策の制限など、国家の安全と国民の安定を優先する方針です。結婚や家族を中心とした政策、教育改革に関しても日本の価値観を守ることを重視します。
• リベラル派: ジェンダー平等や多様な価値観の尊重、外国人労働者や移民の受け入れの拡大、LGBTQ+などの少数派の権利を重視する政党です。多様な生き方や価値観の承認、教育の自由化や保護改革などが目標として掲げられるでしょう。
5. デジタル社会と行政改革(デジタル化促進 vs. 生活重視の慎重派)
• デジタル化促進派: 行政効率化やデジタル技術の推進を通じて、経済成長や社会サービスの向上を図ります。例えば、マイナンバーの活用範囲拡大、IT技術を活用した行政効率化、デジタル人材育成などが含まれるでしょう。
• 慎重派: デジタル化の波に乗る一方で、プライバシーの保護やセキュリティ対策、弱者対策に焦点を当てる政党です。デジタル化による不利益やリスクを最小限にするための政策、そして、高齢者やデジタル弱者のサポート強化を目指します。
これらの政策軸に沿って政党が分裂・再編成され、二大政党が形成されることで、国民は政策に基づく選択肢を持てるようになる可能性があります。また、実際の政治動向や経済情勢、国際関係の変化に応じて、新しい政策連合やコアな支持層の動向も変わるでしょう。
増田には実際に名前がついてる有名な投稿者もいますね。以下、代表的な「増田」を10人紹介します。
「ウニになる」という言葉を生み出した増田。過労やストレスで心身ともに疲れ果て、何も考えずに「ウニ」みたいになりたいという投稿が話題に。
「ちょろい女」と自称し、恋愛のエピソードを赤裸々に語る投稿が人気を博した増田。ちょっとしたことで心が揺れ動く様子がリアルで共感を呼びました。
赤ちゃん言葉で日常のつぶやきを綴る増田。ユーモアあふれる文体で、ネットのあちこちで話題になりました。
「疲れた」とだけ書き続ける増田。シンプルだけど、共感を呼ぶ強いメッセージで、多くの人が彼の気持ちに寄り添いました。
モヒカン的な生き方を主張し、自分の信念を持って仕事や日常を語る増田。考え方が独特で、ファンも多い。
やりがい搾取の問題についての投稿が話題になった増田。会社のブラックな実態を暴露し、多くの共感を集めました。
自分をアルパカにたとえて、のんびりとした日常のエピソードを綴る増田。ほんわかした雰囲気が人気です。
機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズのキャラクター、オルガ・イツカの名台詞をもじって、自分の人生の迷走ぶりを嘆く増田。
「マグロになる」というフレーズで話題になった増田。もう頑張りたくない、ただ流されて生きたいという気持ちを象徴しています。
自分の恋愛観や人間関係における振る舞いを赤裸々に語り、「メンヘラを生み出してしまう」と自己分析した増田。共感を呼ぶと同時に、議論を巻き起こしました。
故人に語りかけるような、独り言のような、そんなとある曲がマジモンの追悼作品と知った。
作者とともに破滅的な青春を送っていた友人が数年前に死んだらしい。
トレインスポッティングやNHKにようこそみてーな世界もある所にはあるんだな。
SNSで遠巻きに見てた高校生が死んだのを思い出した。ぼちぼち一年半くらい経つ。こちらがボーっと生きてる間にも歳の差が開いてく。
数フォロー圏内でこっちから一方的に眺めてただけ。多分向こうはおれを知らない。でも思考回路といい趣味嗜好といい、コイツは別の世界線を生きる自分なんじゃねえかって思ってた。インターネットでたまに巡り合うドッペルゲンガー。
不登校になったり転校したり留年したり、色々あったらしい。一回り上のオタク連中から面白がられてた。見世物感覚とマジの心配の半々。
自分も紙一重でそういう生き方だったのかもしれない。フツーをやれる能力があったのか、重力に抗えなかっただけなのか。結局まあ大学で躓いちゃったけど。
不安に気づかないほど鈍感でもないし、気づかないフリ出来るほど我慢強くもないし、取り除けるほど賢くもない。分不相応に思慮深い、よくいる愚かな人間。
それでも学校行かない分バイトを始めてみたり、絵を描いてみたり、フォロワーのオタクと会ってたり、生きる事に全くの無気力ではなかったらしい。高認の勉強もしてたらしい。オタクと馴れ合いつつ、人生もぼちぼち進めて安心したいって。
そうやって抗ってる中で、楽しい時間が全くない訳じゃない。でももっと底の方の気分は常に晴れない。そんな感じのことをこぼしてた。
おれが同じ立場ならバイトの応募なんて出来なかっただろうな。案外行動力はあったのかもしれない。じゃなきゃ自殺だってしないだろうな。
人身事故なんて滅多にない地域で、10代男性死亡。最後のツイートはその駅のホームの風景。これで別人ならとんだゾディアックだな。
意識的なものじゃなくて、死ぬ時の気持ちっていうのはもっと切迫してんのかな。希死念慮とは長い付き合いだけど、未だに死んだ事はねえから分からん。
これはただの怠けなのか?生理的問題を抱えていて、それは対処が可能なものなのか?有効な対処がないのなら、救いはないのか?
みたいな悩みをずっと口にしてた。
はっきりナントカ障害という訳でもなく煮えきらない診断がおりてからも、「障害」を烙印と思ってかなり気に病んでたっぽい。
おれもそういう時期あったな〜〜
でも結局障害かそうじゃないかっていうゼロ百じゃないんだよな。
性格と障害なんてはっきりと線引きは出来ない。する意味もない。その境界にこだわるより、何ができるのかを考える。ごく当たり前かつ重要な気付き。それは理屈じゃなく、自分の時間と身体を使って納得を得なきゃ辿り着けない。そうでなきゃ、今度は鬱かもしれない。自律神経失調症かもしれない。HSPかもしれない。それさえ病院で治せば……なんて、いくらでも別の「可能性」にすがれちゃうんだよな〜〜
とか思ってる間に死んでしまった。
アニメの世界に行きたいって言ってたな。おれも行きたい。物語があるし。永遠だし。
止まった時間に守られて永遠に老け込むことはなくなったし、現実よりはちょっと近づけたのかな。でもやっぱ死ぬだけじゃ随分と廉価版になってしまうか。異世界転生してアニメの萌え女になれてたらいいよな。全くの虚無じゃ味気ないし。地獄行きがあるなら多分お互いそうだろうな。
おれが死んだらこっちが後輩か。アニメのアイコンしか見てないから姿は分かんねえな。
彼のことは自分を見る鏡のようにばかり思ってたかもしれん。死ぬにも生きるにも振り切れないところに、歳も近く自分みてーな奴が死んだことに光すら感じてたかもしれん。 もうちょっと社交性があったら自分とは違う所も知れたのかもしれんな。楽しく生きるのってそういうのが面倒で嫌なんだよな。
いやー、ついにワイもリタイヤや。
今まで色んなこと頑張ってきたけど、最近もうアカンなぁ思ててな。
貯金もそれなりにあるし、資産もまぁまぁ貯まってるし、そろそろのんびりできるやろ…って思うやん?
ところがどっこい、実はそうでもないねん。
貯金?それ、はよ底ついたわ。
資産?そんなもん、夢のまた夢や。
実際はな、生活保護を受けることになってリタイヤすることにしたんや。
友達に「え、貯金でリタイヤ?すごいやん!」って言われるたびに苦笑いしとったけど、内心は「ちゃうねん…生活保護やねん…」って思ってたんや。
「あいつもう働かんでええんか?」「怠け者になったんちゃうか?」って思われるんもしゃあないやろ。
ほんでな、ある日気づいたんや。これ以上無理したら、ほんまに倒れてまうなって。
「ええんか?」って?ええやろ。
せやけど、ただ座ってるだけやないんやで。
役所行って書類も揃えたり、面談も受けたりして、生活保護の申請も結構な手間や。
けどまぁ、これで一息つけると思えば、ホッとしたわ。
リタイヤいうたらキラキラしたイメージかもしれんけど、ワシのリタイヤはこんな感じや。
これからは生活保護の範囲でコツコツ生きていくんやけど、それもまた一つの生き方やろ。
焦らんと、ゆっくりやっていくわな。
あのさ。
負の遺産てさ。普通その歴史を紐解いて自分たちの行いを悔いて戒めにするから継承する価値があるやん?
そうでなかったらとっとと相続放棄してやめたほうが被害者にとってもプラスやんか。
現在進行形で住民が迷惑してる言うてるのに、無関係の人間が勝手にやいのやいのゆーて被害者ヅラしたらさ、別の被害者おるのに色々理由つけてやめない加害者と同類やんか。遺産やのーて現在進行形の「負」やん。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニートをしていた事だけは記憶している。
吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあろうことか、その人間は「働け」などと言って吾輩を追い立てようとした。
なんという無礼な話か。吾輩はフリーライダーなのだ。他人の労働の成果にただ乗りすることこそ、吾輩の生き方なのである。
しかし、そんなことを他者に理解させるのは難しい。彼らは「義務」だの「責任」だのと、面倒くさいことばかり言う。
吾輩は静かにその場を離れ、もっと快適な居場所を探すことにした。
世の中には、きっと吾輩のような賢明なフリーライダーを受け入れてくれる場所があるはずだ。そう信じて吾輩は歩き出した。
名前はまだないが、それもまた誰かが付けてくれるのを待っているのだ。