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2020-08-15

  うちのオヤジ精神所見

第1  人生の経緯

     昭和31年に生まれる。父親から暴力で育てられ、頑固になる。昭和30年代のうちに公立小学校入学できるという幸運に恵まれたはずだが、在学中に高度成長時代突入し、小中高校教育に関しては、もっと教育の厳しい時代に育ち、高等学校ではサッカー部所属しており、昭和48年に延岡西高等学校卒業したが、高等学校を中心とする全国的受験競争に勝てずに、立命館大学文学部に進学するしかなかったこから学歴コンプレックスが深かった。母親は勝気な性格で、高度成長の真っただ中にあって、社会生活をしていくために、兄弟3人を懸命に育てていた。

  昭和48年に立命館大学に進学したが、在学中に大学破綻したことから昭和52年に腐って卒業して延岡に帰ってきて、地元新聞社就職して記事を書いていた。昭和55年に現在の妻と結婚し、昭和58年、60年に出産した。

  低賃金だったこから市役所市営住宅申請を行い、市内の市営住宅に住んでいたが、平成2年になり、知り合いの建築士に依頼して、2000万円の借り入れをして、一戸建て建築したが、妻とは経済的理由から喧嘩になって逃げられ、平成4年まで自分子供を育てていた。平成4年頃に郡部の出張所に転勤になってそこで働いていたが、平成5年から子供を郡部の小学校に転校させて育てていた。

  平成8年に延岡に戻り、家賃5万円のアパートを賃借して住み始めたが、平成8年頃からSPEEDMAXといった、マン臭いアイドルグループ流行し始めたこから生来の子供嫌いが発症してパニック症発症し、平成8年以後に花開いた若者を中心とする消費社会の進展の中で、鬱病を深めるようになった。当時の若者の大活躍や躍動の中で、新聞記者としての自尊心を失い、家庭内で暴れることが多くなった。

  平成11年に長男自分勉強を始めて東大を目指すと言い出した時には、最初は反発していたが、長男の成績の躍進に目覚ましいものがあったために次第にそれを受け入れるようになり、また、昭和40年代学歴競争の華々しい時期に学歴が手に入らなかったこから、息子に期待するようになった。しかし、長男平成13年に失調して現役で東大に受からなかったが、延岡という環境必死で頑張ったのに報われなかったことを知っていたこから不合格に叱責せず、平成14年に福岡予備校指定して、長男をそこにいれた。

  長男自分勝手福岡勉強して平成15年に東大合格を果たし、平成17年頃までは息子が偉業を果たしたことから官軍のつもりで威張っていた。次男長男自力による東大合格に触発されて首都大学東京に受かったこから平成18年4月に調布市アパートを借りたが、平成18年の盛夏に、インターネットのMIXI(ミクシイ)や2ちゃんねるで暴れている子供らの反乱にあって、勤務先の新聞社が一度破綻したことから精神錯乱状態になり、誰もパソコンを壊していないのに、自分パソコン家族から壊されたなどの妄想を発して自宅の物をぶちまける等の他害行為を繰り返し、精神的に発狂していた。

 平成18年の夏に会社が実質破たんしたことから平成20年に家賃5万円のマンションに引っ越し仕事に行くのはできるだけさぼり悠々自適生活をしようと思っていた矢先に、東大に行っていた長男刑事事件を起こして、居住マンションにマスコミがおしかけてくるなどの騒動があった。会社破綻したため、仕事をやめ、自宅で遊んでいたが、釈放されてきた息子が平成25年に刑務所に入り、出所してからも世話をしていたが、平成31年頃までは、自社が制作している新聞が、延岡市内では、老人の回覧板として広く世間に知られ、新聞として体をなしていなかった。令和元年になってから、やにわに新聞社としての体を取り戻してきているが、平成18年に実質破たんしたために、現在でも信頼性が得られていない。

第2   精神状態の所見

    幼少時に頑固な父親から育てられたために、雄々しいところがあるが、昭和40年代を中心に公立学校校長などから徹底的に訓練された経験や、当時過激だった学歴競争においていい思いをしなかったこから学歴コンプレックスや、公立教育に対する反発心が強い。

  昭和50年代には大学などで好きなように遊んで延岡に帰ってきて、昭和50年代は遊んで暮らしていたが、昭和40年代において、公立教育により強烈な集団同調教育を植え付けられたこから平成に入り、そのような風潮が否定されたことで鬱病を深めるようになり、また、妻と経済的なことで喧嘩をするようになったこと、息子の兄弟などが学校適応できなかったり、兄弟喧嘩が多かったことなどから家庭内で暴れることが多くなった。

  平成8年に出張から延岡に戻った折りは容体がよかったが、平成8年から始まる若者中心の消費経済の発展によって、SPEEDMAXといったマン臭いメンバー活躍を始めたために、生来の子供嫌いが発症して鬱病を深めるようになった。

   平成13年に次男延岡西高校に入ったものの、不良になって退学になり、市内の第二高校通信高校)に入って以降、長男自力勉強して東大を目指す反面で、次男は不良になって車の免許をとって友人と延岡市内を豪遊する生活に入ったために、次男家庭内暴力沙汰の喧嘩騒動を起こすようになった。

   長男東京大学合格し、平成17年までは長男の、青天の霹靂のその偉業により精神が安定していたが、平成18年8月にインターネットのMIXI2ちゃんねるの子供が社会内で暴走したために、勤務先の新聞社破綻してから精神悪化が始まり、以後は通院生活が始まっており、デパスをはじめとした多種多様精神安定剤を医者から処方されており、平成20年に長男刑事事件を起こしてから更に精神憎悪悪化しており、医者から処方される精神安定剤等の量が激増した。

   平成23年に遂に発狂してマンション内で長男ゴルフクラブを振り上げるなどしたことから警察を呼ばれたことがあり、平成24年に長男が二回目の逮捕をされてから精神憎悪が続いている。その理由としては、インターネットの進展により、昭和時代に基礎を作った自分人生がほぼ否定されたことや、気に入らない子供インターネットで暴れる時代になり、もともと不良だった次男とも現在は同居しているが、家庭内でイスを投げつけるなどの暴行を行っており、次男首都大学東京卒業して働かず田舎に帰ってきて寝てばかりの生活をしている一方で、それまでは破綻会社から年収800万円をもらっていたが、定年退職課長職を下され、60歳以降は年収300万円程度で別の勤務をしている。

  精神状態としては、人生上の相次ぐ破綻から自殺願望希死念慮被害妄想鬱病パニック障害妄想統合失調精神錯乱のほか、心神喪失状況下に他害行為を行うことが多く、他者にとって極めて危険な状況にあるほか、身体障害状態としては、身体能力には何の問題もないが、白髪心臓などの内臓劣化視力の低下などが認められる。

anond:20200815181017

音楽スポーツなどでイカしてる黒人は褒賞として大学入試でも追加の点数もらえるらしい。

ザコブスのアジアンペナルティで点数引かれるってよ。

私が生涯かけて努力して手に入れた資格や経歴、スキル嫉妬してくるジジババ共がめんどくさすぎる

40過ぎてやっと手に入れた結婚?家?知らんがな そんなのあなたの都合でしょ

あんたが20代30代は遊び呆けた挙げ句相手高望みして訪れた婚期がアラフォーだっただけのこと

アラフォーだと子供を授かれるかは運次第だし不妊治療もがんばったのでしょう

高齢出産リスクなんて散々言われてるし少しの障害覚悟してたんだよね?

だって都内のタワマンに住んでるって事あるごとに自慢してたじゃない 何を嫉妬する必要があるの?

あたしは大学卒業した時から結婚意識して付き合う相手も選んできた

あなたが夜遊びや不倫に明け暮れてる間私は勉強して資格をとったの 仕事にも役立ったし、成果も出せた

ついでに投資にも勉強がてらに手を出して資産も増やした

素敵なパートナーとご縁があって、子供も授かったしお庭付きのマイホームもさっさと建てちゃった

それを28のくせに調子乗ってるとか言われても困るのよね

婚活してないくせに、ブスのくせに、なーんて言われてもただの僻みにしか聞こえないw

別に婚活しなくたって趣味のつながりや友人の友人、仕事での出会い...色んなチャンスあるよね

見た目だって仕事から落ち着いた色やビジネスライク服装メイクから地味な色だけどTPOはわきまえてますのよ

あなたみたいな派手なお洋服や高いヒール常識的に考えて痛々しいの。悪目立ちするからってお客様からクレームきたの覚えてないの?

昭和メイクのままで頬肉とおでこが垂れてきているあんたに言われても何も傷つきませんけどw

おっさんもあたしがおばさんみたいにくねくね媚びないからブスブス陰口叩いてるのを聞いてるとね、失笑もんよ

同じ職位のあんたに職場くねくねしてごますりして一体あたしに何のメリットがあるの?上司でも何でもない、ただのお荷物社員にw 

自分で成果が出せないからって、あたしの仕事の成果をここぞとばかりに横取りしようとするのもみんな知ってるよ

かにつけてえらそ~に上から目線もの言ってるけど、色々と間違ってるから恥ずかしいよね めんどくさいからみんな黙って一応聞いてあげてるけど笑

欲望に駆られて何も考えず生きてきたくせに、地道に努力してきた若い人に嫉妬することしかできないの、とってもかわいそうね

そんな若者いじめしてる暇あったらやっと手に入れたご家族愛情いであげたら?もう家庭崩壊してるの?

キラキラしてたインスタがだんだん更新頻度が減って手抜きになってきてるのと関係あるのかな?笑

あんな盛大に結婚式あげて、即離婚なんてきっとプライドが許さなものね うんうん

あーもう仕事邪魔されて超むかつくからめいっぱいあたしの幸せオーラ振りまいてやろっと

嫉妬ほど惨めでみすぼらしいものはないことに早く気づいて~笑

夏の懺悔

終戦の日は、Y君の命日です。

高校時代同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。

Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。

しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。

Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。

入学からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップ公立高校を落ちてきた人間でした。

はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。

から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。

入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。

第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。

「四位なのに、第一志望でこの学校にきたんだね。」

「こういう人も来るくらいの高校なんだから俺も勉強しよう」

その時の僕にはまだ、そんな理由勉強をはじめようと思う理由理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。

とは言っても、その後Y君が試験ライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラス文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラスクラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。

交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。

彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街引っ越してきたので、同じ中学校出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えますしかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。

Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いていますしかし、同じクラステニス部から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。

Y君と同じグループテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦メンバーに入ることはなかったそうです。

とき一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。

僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。

Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。

高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強ノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活休みになってY君が加わったことが何度かあります

Y君が、自分勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者発言賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。

僕らはみな自分に合わせて勉強スタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。

僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間文法勉強していた方が都合よかったのです。

そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。

時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベル英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。

学年上位の彼女場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。

すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベル問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。

試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。

Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分必要勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。

高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ模試のたびに奪い合うのです。

事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。

勉強をしたかテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。

正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。

僕は、努力方向性を間違える人間愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑対象でした。「三年の夏に部活引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。

当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。

みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学から日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命早慶国公立大学

Y君が目指したのも、早慶文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格絶望的なので記念受験だったと思います

日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベル大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。

先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力甲斐あって志望校合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベル大学です。

高校卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。

僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。

僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。

Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学教育学部合格したのも少なからず影響があったと思います

Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。

Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法レベル大学に手応えを感じていたそうです。高校時代担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専合格は決まっていました。

しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専入学一時金を払わなかったそうです。

かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイ変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後メールには、そう書かれていたそうです。

苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間けが成功評価できますしか成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。

三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています

同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。

二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察通報したそうです。海上保安庁警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。

沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。

暗く塩辛海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。

人生の遠回りを許さな日本空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。

彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。

彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。

こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。

今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れますしかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。

実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれ田舎風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。

今はまだ、入道雲青空に彩られたこ風景に罪の意識を覚えます

小説評論から実用文にシフトする国語教育」というデマについて

 こういう内容の記事への反応ツイートされ続けている。

 「高校文学勉強をせずに、もっぱら実用文に重きを置いた教育をすることになった」という記事だ。

「本が読めない人」を育てる日本、2022年度から始まる衝撃の国語教育 | 教育現場は困ってる | ダイヤモンド・オンライン

 あまりにも間違いが多いので、どこかでデマとして中和されるだろうと思っていたが、一向に中和されず、インフルエンサーまでツイートしはじめる始末なので、無駄かもしれないが、間違いを指摘しておきたい(一部については、心ある人の指摘によって途中で記事修正されている。ありがとうありがとう。)

 デマ対処するのは面倒だが、整理しつつ述べていきたい。なお、この文章は今回の改訂方針に賛成・反対という立場を採らずに書く。

大学入試で「実用文」だけが出題されるようになるわけではない

 「2021年から大学入学共通テスト」が実施され、それに合わせて高校国語改革も行われることになった。」と書いてある。これはその通り。そして、モデル問題として、「国語に関しては、生徒会規約自治体広報駐車場契約書が問題文として出題された」と書いてある。これもその通り。

 しかし、既存の「小説」や「評論」が出題されなくなるわけではない。このことを書いていないことが悪質だ。モデル問題は、記述式がなくなったため、参考になりにくくなっているが、ちゃんモデル問題のものを見てほしい。思ったものと違うはずだ。

https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00035513.pdf&n=02-01_%E5%95%8F%E9%A1%8C%E5%86%8A%E5%AD%90_%E5%9B%BD%E8%AA%9E.pdf

 「実用文」は確かに出題されるようになる。だが、それだけを出題するわけではない。古文漢文も出る。

論理国語」は「実用文中心」ではない

必修科目と選択科目のこと

 ここからが少しややこしい。高校国語には「必修科目」と「選択科目」がある。

 必修科目は主に1年生で学ぶことになる科目だ。これには、「現代国語評論文や実用文)」「言語文化小説古典)」の2つがある。これはどちらも学ぶわけだ。科目を2つに割ることはどうなのか、という議論はあるが、「小説」が消えるわけじゃない。

 記事の中で書かれているのは、2年生以降で学ぶことになる選択科目だ。これには4科目ある。

 「論理国語」:実用文や評論文 論理的に書いたり話したり聞いたりすることも学ぶ

 「文学国語」:小説や詩 小説や詩を読んだり書いたりすることを学ぶ 創作楽しみだ

 「国語表現」:主にコミュニケーション中心の科目。レポートを書いたり、スピーチをしたり、ディスカッションしたりを学ぶ

 「古典探究」:古典 古典を読んだり、古典について探究的な学習を行う。古典現代言葉比較して変遷を調べたりする

 中身は大ざっぱに書いている。くわしくは学習指導要領を読んでくれ。

 で、この4科目から、おそらく「2科目」(多いところは「3科目」)選ばれるだろう、というのが今の目算だ。

 いわゆる進学校だと、入試を考えると外しにくいのが「論理国語」。これは記事にも書いてある通り。もうひとつは「古典探究」が確かに有力だろう。だが、「文学国語」が選ばれる可能性もそれなりにはある。

 そもそも元になっている記事は「古典」にまったく触れていない。「古典」にはかなりの部分文学が含まれるのだから、「文学勉強をしない」は嘘っぱちだ(古典文学よりも近代現代文学大事だ、という主張ならばできる)。

論理国語」は実用文だけを学ぶ科目じゃない

 で、肝心の「論理国語」だが、記事ではあたかも「実用文」の科目であり、「駐車場契約書、レポート統計グラフ、取扱説明書」を学ぶかのように読めるが、これだけではない。

 対象になっているのは、「論理的な文章(論説文や解説文,社会生活に関する意見文や批評文等)」や「実用的な文章法令文・記録文・報告文,宣伝文等)」だ。そして、これらも単純に理解できるようにするんじゃなくて、散々言われてきたように「批判的に」読めるようにすることをねらっているものだ。

 記事に書いてあるような「実用しか読まない非教養人」はミスリードだ。そして、こういう記事ミスリードされない人間を育てようとしているのが、今回の改訂だと言ってもいい。とはいえ、専門外の文章批判的に読むことが難しいことは、今回のことでもよくわかっただろう。

 今回の改訂には問題も色々ある。だが、不確かな情報議論したところで得るものは少ない。

 とりあえず、ダイアモンドオンラインの書くことを真に受けて、「これでは日本崩壊する!」とか叫ぶのはやめてほしい。「本当かな?」と思って調べる一歩を大切にしよう。

anond:20200815144932

両親どちらも高卒だけどちゃん奨学金バイト学費払って大学卒業しましたんで

くだらない当てこすり言ってる暇があったら自己研鑽しましょうね

人間も単為生殖だったらなあ

性の話、めんどくさすぎる!

男女に厳然と分かれてて、全員確実に異性愛かつみんな恋愛したいと思ってるし恋愛といえばセックス、みたいな世界ならまだしも、現実は複雑怪奇でめんどくさすぎる

性自認云々で性別欄が消え、そのわりには男女の身体性差とか性犯罪なんかの問題普通に残っていて、少子化アカンので恋愛生殖を推奨しようとすると別に恋愛求めない人とか同性愛者なんかが出てきて論争が始まる

自身人類滅べばいいやんと思ってるから少子化なんかはどうでもいいんだけど、ネットみててさまざまな火種でいろんな人たちがバチバチにやり合ってるのをみるとウンザリしてくる

知人に大学ジェンダー系のことやってた人らがいて、彼らがTwitterなんかでブチブチ言い続けてるのをみるのもかなりうざったい

これから時代ヘタなことを言わないための素養はかなり重要になりそうなんで、結構な先鋒っぽい彼らの意見に目を通すのは有用なんだけど、細かすぎてウゼーと思ってしまうのも事実なんだよな

彼らの意見をみ続けるうちに何かを内面化してしまったらしく、最近はなにを見てても「あっここ性差別!おっいまの発言異性愛至上主義的だなあ!げっホモフォビア!」みたいなことを思い続けるようになった

 

性ウザすぎる

全員去勢不妊手術して、子供恋愛なんかと完全に切り離して培養槽で育てるって社会になんねえかな

高卒保護されるべき存在」という発言に潜む無自覚差別意識

あくま経済的困窮をフラットにするための物だからポリコレ的にはセーフってことになってるのかな?

穿った見方をすると「潜在的大卒高卒より優れている。だから高卒にはハンデをつけてあげる必要がある」って価値観に見えてしまうんだが。

それって「黒人バカからテスト下駄履かせてやるのが平等だよな」と同じような考え方じゃない?

でも最近は「劣っている人間でも幸せに暮らせるのが人権社会」みたいな考え方も強くて、なににおいて平等で公平であるべきかがいろんな所で捻れあってるんだっけ。

うーん……アウトな気がするんだよなあ。

高卒から大卒からじゃなくて対当に考えるためには、高卒枠ななんて概念はなくして、あくま高卒若さの部分において大卒より有利ってルールにした方がいいと思うんだけどなあ。

教育格差が生じてるならその格差教育分野において埋めるべきであって、他の分野にまで波及させていくのは状況に歪みを生じさせるだけに思える。

最悪なのが「半端に教育を受けるよりは、教育を受けないでおいた方が有利(教育を受けることによる時間敵ロスは考えなくても)」という状況になってしまうことだよね。

こうなってしまうと教育を受けないことに変なインセンティブが働いてこの国の教育レベルがいよいよガタガタになる。

猫も杓子も大学に行こうとする状況が間違っているというのは分かるんだけど、そこについては「大学無駄に4年間過ごした人より、4年早く現場に出ようとし人間が欲しい」って意識企業が持つことによって解決されるべきじゃないかな。

高卒枠を守ろうっていう動きは、ボタンをかけ違えているようにしか思えないのだが

就職氷河期世代被害者意識きもちわるい

大卒なのに高卒枠受けてバレて公務員免職ってニュース

ブコメとかの反応見ると同情的な反応が多くて辟易とする

本来採用されるはずだった一つの枠を詐称で奪ったのが許されるか?

立場が変わっておまえが高卒で受けてたやつでしかも落ちたならどう思うよ?

本来大卒高学歴のぼくちゃんより高卒仕事にありつけるのがおかしいという差別者意識が透けて見える

いつも思うけどこの世代っておっさんでしょ?

大学卒業してから何年経ってんだよ

社会出て知ったけどそもそも氷河期の人もちゃん就職してんじゃん

未だにコンプレックス持ってるおっさんって好景気でも採用されないようなヤバいやつとしか思えない

子供の頃勉強できたからって調子乗んなよ

anond:20200815060311

それで、おもったのが、偏差値40のバカ大学に行くから人生が狂う。学力偏差値50未満は高卒のほうがいいよ。専門のほうがいいよ。というもの。そうですよね?そうだよ。というのはどうだ?これらは全部プランな?

で、いま変なことをいわれたんだが、また許されないことをおまえはしたのか?

日中戦争従軍した祖父

過去記憶を頼りに書いているため、情報の正確性を保証できません。それを了承の上でお読みください。

前置きを飛ばしたい場合引用ブロック部分へ

今は亡き私の祖父は、日本軍兵士として末期の日中戦争従軍した。

10年前、祖父は私にその時の詳細を一度だけ語った。

第二次世界大戦が終わって75年、その話を自分記憶がこれ以上劣化しないうちに書き留めておく。

祖父1920年12月まれ1944年頃〜1945年従軍体験を語った当時90歳(認知機能正常)

・私 …1990年まれ、話を聞いた当時21歳

私は幼い頃から祖父中国戦争に行ったことを知っていた。

しかしそれ以上のことは何も知らないままだった。

大学2年のGW、私は両親、妹と共に父方の祖父母宅へ遊びに行った。

祖母と母が台所食事の片付けをし、祖父、父、妹、私が居間で団欒していたその時だった。

祖父が何の前置きもなく、そして極めて淡々と、幼少期から戦争体験を語り出した。


祖父淡路島の山深い農村で生まれた(長男ではない)。

高等小学校卒業後、街の酒屋で奉公した。

将来なりたい職業兵隊だった。

こんな田舎の子供でも「兵隊になる」と思わせる学校教育がなされていた。

奉公が終わった祖父本州民間企業就職した。

そして、徴集がかかった(徴兵検査1921年春?)。

戦地へ赴くよう命令されるまでは、日本国内で訓練を受ける。

兵隊には任期があり、その任期を過ぎると、戦場へ行かなくても良くなる。

任期陸軍・常備兵役現役の2年間?)

祖父任期満了の直前に「中国・石家荘」への出兵命令を受けた。

祖父の話しぶりからは、小学生頃は兵士に本気でなりたいと思っていたが、

いざ徴集される段階になってからは、出兵せずの任期満了を願っていたように感じられた。

ちなみに祖父JR国鉄と呼ぶノリで、中国全体を「満洲」と呼んでいた。

そのため私は石家荘を旧満洲国の都市勘違いしていた。


祖父日本から中国沿岸部まで船で移動し、その後陸路にて石家荘に到着した。

石家荘で祖父はある鉄道の警備を任された。

この鉄道を走る汽車日本軍の物資を運んでおり、これを中国側に妨害される恐れがある。

そのため駅だけではなく途中の線路も警備する必要があり、

祖父担当箇所は山あい農村に近い線路であった。

日本軍は農村占拠し、逃げ遅れたり抵抗した現地の民間人捕虜として捕らえ、使役していた。

しか日本軍に捕まっていない現地人もいて、

彼らが日本軍を襲ってくることがあった。

祖父は彼らに応戦し、山中を駆けずり回った。

当然ながら地の利日本軍より現地人にある。

それに山は樹木で覆われ視界が悪く、敵の姿が見えず、どこから襲ってくるかがわかりにくい。

彼らは銃を含む武器を持っており、しか自分たちの生活基盤を取り戻すべく必死こちらに向かってくる。

木と木の間からは、壮大な万里の長城が見えた。

祖父が戦ったのは民間人のみだったのか、民間人擬態した軍人だったのか、それとも両者混ざっていたのか」

という、かなり重要情報が私の記憶から抜け落ちてしまっている。


ある日、祖父は仲間達と共に銃の撃ち合いをしていた。

もちろん敵から銃弾自分達に向かって飛んでくる(祖父は「プププププッ」という効果音と共に

親指と人差し指でつまむようなポーズをとり、右から左に水平に移動させることで弾道を表現した)。

その時、横にいた年上の兵隊に弾が命中し、彼は息絶えた。

そしてその後、祖父の片脚にも弾が当たった。

祖父は山の中を担架で野戦病院へと運ばれた。

運んだのは、中国人の捕虜達だった。

銃創のでき方によっては、当時の医療技術では脚を切断しなければならなかった。

しか祖父場合銃弾は膝上を貫通しており、脚の切断は免れた。

ただ、祖父の傷の縫合は無麻酔で行われ、激痛が伴った。

祖父野戦病院入院している間、祖父のいた部隊中国側の総攻撃に遭った。

結果、部隊の多くの兵士犠牲となった。

祖父は小柄で屈強ではないため、戦友会では「あの時入院していなかったらお前も死んでいただろう」とよく言われたという。

祖父はその後、1945年8月15日太平洋戦争終戦」を現地で迎えた。

一ヶ月後に日中戦争終結したが、他の任務があったらしく、

祖父帰国は1945〜1946年の冬頃となった。

この部分を聞いた時、私は色々なショックを受けた。

戦争リアル、穏やかでニコニコしている「おじいちゃん」の抱える痛み、そして父や自分誕生紙一重だったということ。

私は祖父の膝上・その裏の傷跡をこの時初めて認識した。


祖父による戦争体験の話には後日談がある。

実は、祖父は膝上の銃弾貫通と同時に片足の小指を失っていた。

このことは、祖父葬儀喪主の伯父(祖父長男)が挨拶の場で初めて語った。

喪主挨拶では他にも、祖父が夜中に大声を出して飛び起きていた(のを幼き日の伯父が目撃した)ことが明かされた。

祖父戦地体験を引き金としたPTSD発症していた可能性がある。

これらの話を祖父がすることはなかったし、裸足の祖父を何度も見ているはずなのに、指が無いことに全く気がつかなかった。

銃弾効果音まぬけさといい、「自分中国人を撃った」経験を話さなかったことといい、

祖父の語りは孫娘用にかなりマイルドになされていたに違いない。

祖父がなぜあのタイミング戦争体験を孫に話したのか、その意図を聞くことはもうできない。

話に圧倒されてしまい、また深堀りを戸惑ってしまい、曖昧情報確認や疑問の解決ほとんどできなかった。

90歳で突如戦争体験を語った3年後、祖父は93歳で他界した。

リサーにいたアラサー女が思い出を書くよ。

小学校とき結構成績よくってクラスで1番だったんだよね。

でも、親が教育熱心でなく、中高公立で、大学早慶行けそうだったのに女だからって女子大

上に行くなって言われる人生ってストレスで、大学生活は目いっぱい羽を伸ばそうって思って。


そんな感じで大学入学手続きの3月4月。

毎日毎日大学の近くでサークル勧誘男子がたくさんいて。

いちばんイケてた男子のお誘いで新歓コンパ(当時はそんなのがあった)の毎日

最終的に某有名私立大学スポーツイベントサークルに落ち着くことになった。

男子はそこの大学の人ばかりで、女子女子大ばかり。

スポーツイベントは単なるネタで、活動のメインは飲み会。ほぼ毎週。

GW明けの飲み会で3年生の先輩から付き合おうって言われて2人で泊まり旅行に行った。

初めての彼氏。そのころから先輩と付き合う女子がぼちぼち出てきて、6月にはほぼすべての女子彼氏がいた。

そのころ、彼氏過去カノのことを聞いたりしたときにやや違和感があった。

異変が起きたのは夏だった。



夏休みに入って、先輩に振られた。たいした理由もなく喧嘩して、そのままもう付き合えないって。

私にとっては初めての男性だったし、夏は彼と海に行こうとか楽しみにしてたから凄いショック。

でも、夏休みサークル平常運転飲み会だらけ。

飲んで泣いているところで、別の2年生の先輩に慰められて、その日のうちに抱かれ、そのまま流れで付き合う。

ふと周りを見ると、夏休みに先輩から振られる1年生の子が次々に。

私と同じように、傷心の女の子を、別の先輩や同級生が慰めて、流れで付き合っちゃってた。


夏休みが明けて、またその2年生の彼氏に振られた。飲み会で(略)別の2年生の先輩と付き合うことになった。

だいたいみんな1年生の女の子は、そういう感じで付き合っては2~3か月で振られて、別の男子と付き合ってた。

そうやって何人かの男の子と付き合って、心が燃え尽きた女の子からサークルを抜けていく。

男の子と付き合ったこともない子が、大学でたった半年で2~3人の男子と付き合い、振られるのは精神的にきつい。

ちなみに1年生の男の子は、早々に彼女を見つけた男子サークルから抜けてくか、2か月ほどで別の子と付き合うサイクルに入る。

要は、このサークルは、男子計画的に何人かの女子シェアするシステムだった。

女子大の1年生を勧誘し、3年生の男子から優先的に手を付ける。

ずっと付き合う気にならなければその子を2年生→1年生と払い下げるシステム

どこかで男子が気に入って長く付き合う彼女にしたいと思ったらそうなる仕組み。

でも上位の男子から下位の男子に払い下げる際、女子のいろいろなことを話して、

下位の男子がどの女子に行くかドラフトみたいに調整してたらしいので、

まあ、普通感覚を持った男子なら、長く付き合う彼女にしたいとは思わない。

だって、話される内容はほとんど身体の特徴とか寝たときの反応とかだったらしいから。

そんなのを知られてる人を真面目な彼女にする男性は少ない…らしい。

男子のその辺の感覚っていまいち理解しがたいところもあるけど。


私は、3人目に付き合った男子と気が合って、長く付き合うことになったのでそのサークルに居残った。

世渡り上手くて高校まで運動部で、サークルの中でも顔の効く、いわゆるアルファメールですな。

なんだかんだで有名大学の男子と付き合うのは自慢だったし「上に行った」感がある。

その彼氏も1年生のつまみ食いとかしてて、牽制たかったってのもある。

結局その彼氏卒業までに20人近くの子関係があったはず。

私はそれまでの3人だけだったけど。

あ、ウソウソ彼氏浮気の仕返しに一年生をつまみ食いしたことはある。3人ほど。

在学中に例の早稲田事件が起きて、彼氏とかは「早稲田のあの連中は合意なしでやるからダメなんだ」

って言ってたけど、本質的には変わらないじゃんって思いながら話を聞いてた。

実際、うちの大学の中では、うちのサークルは「やや危ないところ」って評判あったし。

結局そのサークルは4年生で引退して、就職して、大学時代のことはなかったように真面目に過ごし、仕事一筋。

うまく乗って、周りはエリートちゃんばかりの大企業総合職やってます

それで職場結婚しました。東大卒。クッソ真面目でいい感じの出世系。


と思って会社の同僚の東大卒に聞いたら、こっそり教えてくれました。

あいつが学生時代いたサークルって、ヤリサーなんだよ。

東大にもヤリサーってあったのか。まあいいけど。

大学受験が辛い話

 私は都内高校に通っている高校3年生です。正直大学受験がしんどすぎて死にそうです。私は日本人学校帰国子女なのでAO入試大学受験しようと考えているのですが、いかんせん難しい!!ただただ学校勉強をして、ちょこっと課外活動をしてきた人間が、急にAO入試問題意識高校生活でどんな取り組みをしたかを問われる。えっっこれ普段からいろんな活動できる金持ち有利すぎない!?私の脳みそピーマンすぎるのか、学校生活を過ごしている中で社会問題について色々思うことはあるけど取り組んだりはしてない。そもそも授業は事実ベースから問題発見してもどういう活動しろとか教えてくれない。

 AOの塾に通ってるけどまじみんなレベル高すぎる。本当に高校生か??どんな素晴らしい先生出会えたらそうなれるんだろうと心底羨ましくなる。多分AO入試も成績関係なく熱意を見るよ!!っていうのが売りだけど、結局はお金を持って塾に行ける人が勝つと思う。所詮金かこの世の中。受験課金した者が勝つのね。でもAOで入った人って考えしっかりしてそうだから大学に入ってから戦力にはなりそう。大学からしたらばんばんざいだね。

 てかAOやってたら普通にMARCHも難しい。てか一般でも絶対難しい。なんで日本MARCHかにされてんの??十分すごいと思う。てか日本の56%しか大学行かないんだから私も大学行きたくない。けど周りはみんないってるし、いかないと給料も良くないからできるかぎり高い大学にいきたい…。なんかもう社会大学に行く=すばらしい・当たり前みたいなところ嫌すぎる。てか学歴社会がむり。文明今のままで縄文時代もどりません??

 駄々っ子みたいになってるけど、AO入試対策普通学校でもやってほしい。ていうかもっと学生にタメになること教えてくれ。嫌いな人との関わり方とか。

anond:20200815005849

まぁ確かにそうなんだよ。大学まで行かせてもらえたのは本当にありがたいことだと思う。

ただ、両親は俺が思い通りにならないのが面白くなかったらしく、特に親父から日常的にクズだのゴミだの言われまくってたし、

どうせ奨学金も借りるんだし残りはバイトしながら自分で賄うからせめて一人暮らしを...って言ったら殴られたんだ。

他にも些細なことで怒られて、親父のストレス発散の代わりに光熱費を払ってもらってたようなもんだった。

実家から大学までの交通費は勿論自分持ちだったけど月に2万ぐらい飛んでったから正直それなら…とか何度も思った。

飯は基本勝手に始めたバイト先の賄いだったしね。まぁ、それでも家においてもらったのはありがたいことなんだけど。

就職と同時に一人暮らしして辞めた今は国の金で生きてる。俺はもう何が正しかったのかわからんし、疲れた

結婚できるか不安

高校生です。一応JKてやつです。

まだ、高校生といえばそれまでですが、もう高校生です。1回も男性とお付き合いもしたことのないまま終わりゆくのか…。付き合うとかそういう前にそもそも異性の友達がいない…。本当に喋れる男子なんて1人もいない…。異性なんて父親担任以外喋らないぞ!という感じです。

私は俗に言う陰キャ、今っぽく言えば女版チー牛と言ったところでしょうか。(チーズ牛丼なんて頼んだことないですが)周りがどんどん垢抜けていく中、いつまでも小学生のような服装を極め、メイクしたことがない…。(服は一応気にかけていますメイクしないといつまで経っても小学生のようです)

こんな私でも結婚できるのか不安です。

正直恋愛とか結婚とか言われてもわかりません。でも何故か、結婚願望がありますとある独身女性の方に「君はきっと結婚できないよ」と言われてからでしょうか。失礼極まりない発言ですが、その方が独身なだけに説得力はとてもありました。嘘でもいつか素敵な人に巡り会えるよ、くらい言ってくれたらどうでしょうか。その時から絶対結婚してやる…!と、あなたとは違った幸せの形を掴み取ってやる!と考えるようになりました。

シンデレラコンプレックスてやつでしょうか、いつかは運命の人が現れる!と思います現実的には無理そうですが。高校生なんてまだ世界が狭い!これから!と言われたらそうですね、としか言えないのですが、今後自分がいきなり積極的になり男性に話しかけにいくとも思いません。出会いってなんでしょう…。大学になったら同棲友達すらできるか不安です。

婚活すればいいじゃん!と思いますか?

それだけは嫌ですね…。批判とかそんなのじゃなくて、単純な疑問なのですが、婚活、というものをして出会い、お互いを尊敬し会える関係にどうすればなれるのですか…?言い方きついですが余り物同士(将来自分が余り物になるのかもしれません)が出会ったところでどうなるのでしょう…。

お互いが尊敬し合う関係の方と結婚したいです。顔は(自分の嫌なタイプでなければ)イケメンでなくてもいいし最低限の生活ができれば高収入じゃなくてもいいので賢くて(学力の話ではありません)尊敬できる、価値観の合う人に自然に巡り会いたいです。これが理想が高いというやつか。

こんなこと増田に吐く女子高生という時点でやばい奴っぽい。

anond:20200815003728

仙台とか広島のあたりだとその地方の人にとっては「地元就職に強い大学」「おじいちゃん先生が胸を張る大学」扱いなのに、東京関西就職を考えてる落伍学生にとっては「ただの地方公立」の認識なんだよね。

anond:20200815005429

自分観測範囲だとそういうのは「エリート層」に入れるか問題であって

そうでないと就職自体がろくにはできないってほどではなかったなあ

そもそもトップ高校から偏差値はあまり高くないがそれ以上に就職が良いポジジョンの大学に行く人自体そう多数はではなかった印象が

みんな学歴の話しててすごいな

俺なんか両親に県内以外の大学には出せないって言われてやる気なくして国立も落ちてF欄行き、なんとなく就職した企業では先輩にパワハラ受けてうつ病引きこもり

自分努力できねぇ人間なんだな~ってそれから数年ただひたすら死を待っている状態だわ

anond:20200815005243

そういう田舎で強いのはもはや大学ではなく田舎1の有名高校卒の肩書き

それこそOBが多い云々の話にはなるが

anond:20200815004128

中央大学多摩キャンパスはいわゆるメインのキャンパスであって(文系においては、だけど)

いろんな大学にある一部の学部だけ隔離とは事情が違うのに・・・

anond:20200815003301

ハロワ職業センターのようなところは行きましたが、馬鹿にされてるような感じがして行けなくなりましたね

大学卒業したばかりの頃ですけど、スーツ着ていったら、何でスーツ着てんの?と言われて傷つきました

anond:20200815002644

これは単純な話で、元増田大学入って学問おもしろさに気付けなかったんだよ

から都内フラフラ遊んでるイメージMARCHがいいなーって思ったんだよ

anond:20200815002618

金の無駄時間無駄も多かったと思うが、大学進学するときに想定できたことだろ。

これ以上元増田に便乗して大学文句言うと、馬鹿がばれるぞ。

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