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はてなキーワード: 肯定とは

2018-12-12

民主主義ってそんなにいい物だっけ?

ナチス大政翼賛会民主主義が生んだ怪物だけどなぁ

民主主義だというだけで前面的に肯定するより民主主義政権より好ましい軍事政権存在しうると仮定する方がよっぽど健全思考だと思うけど

https://globe.asahi.com/article/11530020

anond:20181212211332

メリットデメリットを適切に抽出したうえで、メリットの方がデメリットを上回ると思うなら褒めるよ。逆もまた然り。

肯定頭が悪い。それをナショナリズムと呼んだ。

安全は代えがたい価値

anond:20181212210611

すごい国ですよ。すごさは色々あるけど、まぁ最大の一つは「安全」だろうね。

すごさと言っても物事には陰陽とか、裏表とか、正負とか、表裏一体のメリットデメリットがあるのが当然。

物事裏面をことさらにとり上げて「悪しき風習」と認識することも可能というだけ。

たとえば冒頭の「安全」は、裏を返せばデモなどで自由を勝ち取る気概が乏しく、消極的保守的になりがちで、そこを支配階級悪用されがち。

そもそも欧米だろうがアジアだろうが自分の国にはそれなりに誇りを持つの普通。もちろん愚痴を持つの普通

別にナショナリズム汚染される必要は無い。バランス感覚があればいい。

他国攻撃する必要も無く、ただいいものをいいと肯定すればいい。もちろん良いとするには比較は避けては通れないが。

何かを勘違いして自国民攻撃し始める奴は単に頭が悪い物事の片方の側面しか見ておらず視野が狭い。

anond:20181212121959

いつでも無条件に全肯定されたいしかやってないし

いつでも無条件に全肯定された上でタダマンSEXしたいとしか言ってない

自分のマッマすら全肯定ではなかった現実を思い出せ

そして全肯定ではなくともそこに愛はあっただろう

2018-12-11

anond:20181211152723

C++モバイルってガラケー

について指摘しただけで、

このスキルを活かす仕事って、流石に無くね?

否定肯定もしとらんだろ。

anond:20181211131315

Ωでもソニアはもろ被虐待児として描かれてたけど

虐待してる「毒親」が敵方の悪役だから子供向けアニメとして許されたわけで

あれを主人公側がやってて肯定されてたら、現代アニメとしては許されないわな

2018-12-10

フェミと言うかミサンドリー友達

ジャップオスだの腐れチンコだの男性への蔑称が止まらない

の子過去レイプ被害にあったりセクハラ女性器で揶揄された過去があり男性嫌悪のバックボーンがあるのは分かる。

でも男性嫌悪があるからと言って男性蔑称使用して良い理由にはならないと思う。

の子に腐れマンコと揶揄してきた男性にも女性嫌悪の過去があるかもしれない。

もしそうだったとしたら、彼女蔑称肯定されるのだとしたら、

過去に受けた男性からの心無い言葉だって許すことになってしまう。それだけはしてはいけない。

彼女フェミニスト自称しているけど、過激彼女のような人達はもはやミサンドリーの部類であって、

異性を尊重しながら活動する本当のフェミニスト達とは全然違うと思う。

男性サイドも女性サイドもそこを履き違えるから言い争いがなくならないんだろうな。

彼女最初こそ普通言葉遣いで主張を続けていたけれど、

心無い言葉を浴びて、「こうでもしないと男には届かないから」と強い言葉、罵る言葉に変わっていってしまった。

ももはや彼女は向こうが傷つこうがそれは仕方ないと割り切っている。だって自分が既に満身創痍から

きっとネトウヨパヨクの類も、過激人達言葉を受けて言葉を発信する頃にはすっかりその文法を引き継いでしまっているんだろう。

強い言葉麻薬のように脳に快感をもたらすけど、麻薬のように自身を、周囲を蝕んでいく。

卵が先か、じゃないけど、戦争もなくならんわな…と感じてしまう。

ミサンドリーも、ミソジニーも、結局距離を置いて珍獣を見るように傍観するしか無いと思う。

じゃないとこっちが蝕まれしまうからね。

2018-12-09

中高年引き籠もりは親の介護要員として存在肯定したい

実家引き籠もり気味の妹が将来的に親の介護を引き受けてくれることになっていて、長男の俺は東京で好き勝手に生きられて本当に感謝している。

もう一生親から自立できそうにない高齢引き籠もりというと、何かと深刻な社会問題扱いされるけど、実際に親族である俺はこういうメリット享受しているし、家族の予備戦力として彼/彼女らの存在肯定してあげればいいと思ってる。

妹は完全な引き籠もりというわけではなく、高校中退後、大検は取ったが結局進学せず、たまにアルバイトをしては辞めて……といったフリーターニート中間といった有様。

体は健康体だし、長く患っていた鬱は親が引き籠もりを受け入れた頃から徐々に治って今は軽い眠剤だけ。

なので、親の介護に関わる役所手続きヘルパーとのコミュニケーションぐらいならこなせるだろう。必要なら金銭的援助はするつもりだけどね。

別に酷い毒親とまで憎んでいるわけじゃないが、俺は横柄な父親と恩着せがましい母親介護なんてしたくないんだ。

やっと手に入れた専門職を手放して田舎に戻るなんて絶対に嫌だし、仮に定年後だとしても嫁は付いてきて助けてはくれないだろうし(俺が嫁の立場でも東京に残る)。

から実家に残ってくれた妹の存在に本当に救われている。

引き籠もりのご多分に漏れず妹はネット中毒なんだけど、ネット引き籠もりにとって居心地の良い言説に溢れた場所であって欲しいと願っている(その言説の一つとしてこれを書いた)。

そうは言ってもさ、ブスじゃん?

http://papapico.hatenablog.com/entry/2018/12/06/125644

このぱぴこさんの記事をはじめとする相席スタート山崎ケイの「ちょうどいいブス」論批判を読んで。

私は批判してる人たちみたいに賢くもタフでも正しくもないのでまとまりないですけど。

でもまぁ明らかにブスだからさ。

「そんなことないよー!」待ちとかじゃなくてさ。

美醜ってそこそこ歴史の積み重ねられてきた強度のある価値観で、資生堂あたりが「美人バランス」に基づいたメーキャップ提案なんかする程度には明確な基準があるわけでしょ?

そこに照らし合わせたら、明確に私は美しくないし、ブスなんですよ。客観的事実として。

30年くらい生きてたらそれはもう揺るぎない事実として理解しますよ。

そこで事実として「ブスなんでね」って話をしてるのに、アリアグランデに「そんなことない! あなた可愛いわ!」とか言われたって、いやいや、今そういう話してねえから

可愛いとかマインドの話じゃなくて物理的な、造形の話をしてるわけだから

自分のことは好きですよ。でも自分最高!と「私はブスである」という自認は別に普通に両立するじゃないですか。

っていうとまた「自分呪いをかけるな!」とか言い出す人が現れるんだろうけど。

この「呪い」って言葉も使われすぎていいかげんうんざり

呪いを解除せよ!って言いまくってる人たちが逆にスピった人とかカルトの人みたいで怖い。押し付けがましい。

ささやかだけど住み慣れた我が家リビングで寛いでたら知らない人がいきなり「この家は呪われてますよ!!」って上がり込んできた感じ。いや、そういうの興味ないんで…

とか言っても「あなたはまだ洗脳されてるだけ!私も目覚めるまではそうだったの!」みたいな反応されるだけなんだろうな…そういう話の通じない感じまで含めて本当にもううんざり

つか、「逃げ恥」ってそんな絶賛されるほどの作品か?? 面白かったけどさぁ。

そもそも星野源こそを「ちょうどいいブス」としてサブカル女の皆さんは慰み者として消費してきたわけですよね?

イケメンすぎるのは無理」「程よくクズ香りがするところがいい」とか言ってさ。

たまたま星野源音楽の才能もあったけど完全に俳優仕事から人気先行してる以上そこは否定させませんよ。

あと劇団雌猫界隈の「最高の女」みたいなノリもキモい

メイクしたりオシャレしたり自分肯定するのは楽しい、気分がいい、それはわかるけど「美容によって救われた、自分肯定できた」「わんわん泣いた」とか言い出してるのもう自己啓発サークル告白タイムみたいで引く。

そこまで入れ込むか?みたいな、もっと気楽にメイクしておめかしして楽しい、くらいのノリじゃダメなんですか?

おさ旦那さんとか最近完全にスピすれすれじゃん。

モテ至上主義に反対するあまりモテ意識する人を叩きはじめてるし。

たぶんぱぴこさんはじめ、この「ちょうもいいブス」に怒ってる人って、山崎ケイよりかは「ブスじゃない」んだと思うし、自意識も「いうても私は顔立ち自体は悪くないし、まあ美人寄りだし…」くらいの感じなんだと思うんですよ。

それなのに自分にも「ブス扱い」の火の粉が飛んでくるんじゃないかと思って怒ってるんだと思うんですよ。

でもそれはあなたをブス扱いした人に都度怒ればいい話じゃないすか。

ブスがブスと自認してることにまで怒らないでほしいんですよね…

当時は子供だったから知らないけど、酒井順子さんの「負け犬の遠吠え」が叩きワードとして使われるようになり、当事者から忌み嫌われたときの流れってこういう感じだったのかなって思う。

ていうか、ぱぴこさんめちゃくちゃパワーカップル側の人間じゃないですか?

高学歴首都圏暮らし外資系バリバリ働いて良きパートナーもいて、そりゃあ自己肯定感バリバリだし、古臭い日本お笑い価値観とかルッキズムとか自虐ブスとかにNo!突きつけられますよ。

でも相席スタートとか「ちょうどいいブス」概念ってそういう層の人向けじゃないからさ、最初から

なんでここでは「Not for me」発動されないの??

まぁそういう「古臭いクズ世界」の理屈が通じない書籍出版とかした山崎ケイが浅はかだったって言われたらそうなんだろうけど。

自分の力でそっち側になれなかった人間に対しては「うるせえ!自分の頭で考えてサバイブしろ!」って言い出すんでしょ?

あげく山崎ケイなりにサバイブした形なのにそれすらダメ出しされるって、もうどうすりゃいいんですか。

それこそ「どう転んでも地獄」じゃないですか。

強く正しく賢く誇らしく自分エンパワメントし続けないといけないの、しんどい

醜く頭も悪いキモくて金のないオバさんは辛い。

ていうかこの空気にこそ、

政治的に正しい私たちがこの愚かで無知なブスを啓蒙してやるッ!」

名誉男性になりたがる、古臭い価値観馬鹿のくせに生意気にも持論を語り始めたブスを矯正してやる!!」

調子に乗ったブスをこらしめてやらなくては!!!

みたいなノリを感じて、ブス、恐怖ですわ。

そろそろ「まとめサイト害悪論」も害悪

自分まとめサイト害悪論を持論にしてるけど、一方で世の中の良くない動きについても「でもまとめサイトが潰れるので良シ」ということを言い出す奴が結構いて、そういうのを見るたび「困るのは○○だけ」といって種々の法案への反対者を攻撃する連中を連想して嫌になる。

そういうのを焚きつけたのがまとめサイトじゃん、という意見もあろうかと思う。けど、自分としてはまとめサイト攻撃されるのは知ったことではないが、そのまま良くない動きを肯定されるのはやりきれないと感じる。

anond:20181209024301

思わないんだよ。なぜかっていうとおよそオタクというものを成している思想の根幹にあるのが、「弱さを肯定・受容しよう」ということだから

自分の暗くて狭い性癖(本来意味)を自覚しつつも、他人にも形は違えどそういうのがあるんだろうな、人間ってそういうとこあるよね、と斟酌してあげる器量を大事にする。

から強く見せかけることに自分の処理能力を割かない。だからファッションにも執着しないし、清潔感にすら頓着しないこともある。そういうのがガチオタク

最近はそうでもない、実質ヤンキー気質が混在しているイキリオタクのような、自己主張が激しいオタクがいるけど、あれは正統なオタクではない。

一種堕落のように見える思想だけれども、他人に対しても強さを求めないという点が守られている限り、オタクイズムは立派な思想たり得ると思う。

人の悪口を言うことで、自分存在肯定する。

自分のことを棚に上げ、人の欠点を指摘せずにはいられない。

グリッドマン10話の展開で、フェミアカネ肯定するべき

怪獣オタク巨乳で悪い宇宙人に操られてると思われるかわいそうな救われるべき女の子

新条アカネはそんな視聴者にこびまくったキャラだと思われていた

もしアカネが男だったら擁護する者はおらず殺せ殺せの大合唱だったろう

が、アカネ10話でそんな媚びキャラを完全に捨て去った

ネタバレを避けるため詳しくは述べないが、もう彼女を殺して決着をつけるしかない

そんな媚びキャラを捨てたアカネ自分で考え自分で決める、完全に自立した女性である

犯罪行為まで肯定しなくてもいいが、フェミ彼女肯定するべきだし、肯定しなければフェミニズムが嘘になる

それとも巨乳から肯定しないの?

フィクションキャラ現実に当てはめて論じるフェミ多いけど、

だったら現実の自立した巨乳女性巨乳理由弾圧するの?

2018-12-08

全然つまんない」に違和感を感じることに違和感を感じる

おそらく「つまらない」に対比される意味での「つまる」という肯定表現が完全に死んでいるからだろうな。

腐女子が長文になる理由

これはね電子レンジ取説に猫を温めてはいけませんと書かなきゃいけないのと同じ

隙があると揚げ足取られると思ってて、しかわずかなツッコミ揚げ足取りですら傷ついてしまものから、心の防衛のためにつらつら書くのさ

肯定してほしい妻、問題解決したい夫の妻みたいなもんね。全肯定されるために隙のない文章を書くのさ

申し上げます。申し上げます旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。はいはい。落ちついて申し上げます。あの人を、生かして置いてはなりません。世の中の仇です。はい、何もかも、すっかり、全部、申し上げます。私は、あの人の居所を知っています。すぐに御案内申します。ずたずたに切りさいなんで、殺して下さい。あの人は、私の師です。主です。けれども私と同じ年です。三十四であります。私は、あの人よりたった二月おそく生れただけなのです。たいした違いが無い筈だ。人と人との間に、そんなにひどい差別は無い筈だ。それなのに私はきょう迄あの人に、どれほど意地悪くこき使われて来たことか。どんなに嘲弄されて来たことか。ああ、もう、いやだ。堪えられるところ迄は、堪えて来たのだ。怒る時に怒らなければ、人間甲斐がありません。私は今まであの人を、どんなにこっそり庇ってあげたか。誰も、ご存じ無いのです。あの人ご自身だって、それに気がついていないのだ。いや、あの人は知っているのだ。ちゃんと知っています。知っているからこそ、尚更あの人は私を意地悪く軽蔑するのだ。あの人は傲慢だ。私から大きに世話を受けているので、それがご自身に口惜しいのだ。あの人は、阿呆なくらいに自惚れ屋だ。私などから世話を受けている、ということを、何かご自身の、ひどい引目ででもあるかのように思い込んでいなさるのです。あの人は、なんでもご自身で出来るかのように、ひとから見られたくてたまらないのだ。ばかな話だ。世の中はそんなものじゃ無いんだ。この世に暮して行くからには、どうしても誰かに、ぺこぺこ頭を下げなければいけないのだし、そうして歩一歩、苦労して人を抑えてゆくより他に仕様がないのだ。あの人に一体、何が出来ましょう。なんにも出来やしないのです。私から見れば青二才だ。私がもし居らなかったらあの人は、もう、とうの昔、あの無能でとんまの弟子たちと、どこかの野原でのたれ死していたに違いない。「狐には穴あり、鳥には塒、されども人の子には枕するところ無し」それ、それ、それだ。ちゃんと白状していやがるのだ。ペテロに何が出来ますか。ヤコブヨハネアンデレトマス、痴の集り、ぞろぞろあの人について歩いて、脊筋が寒くなるような、甘ったるいお世辞を申し、天国だなんて馬鹿たことを夢中で信じて熱狂し、その天国が近づいたなら、あいつらみんな右大臣左大臣にでもなるつもりなのか、馬鹿な奴らだ。その日のパンにも困っていて、私がやりくりしてあげないことには、みんな飢え死してしまうだけじゃないのか。私はあの人に説教させ、群集からこっそり賽銭を巻き上げ、また、村の物持ちから供物を取り立て、宿舎の世話から日常衣食の購求まで、煩をいとわず、してあげていたのに、あの人はもとより弟子馬鹿どもまで、私に一言のお礼も言わない。お礼を言わぬどころか、あの人は、私のこんな隠れた日々の苦労をも知らぬ振りして、いつでも大変な贅沢を言い、五つのパンと魚が二つ在るきりの時でさえ、目前の大群集みなに食物を与えよ、などと無理難題を言いつけなさって、私は陰で実に苦しいやり繰りをして、どうやら、その命じられた食いものを、まあ、買い調えることが出来るのです。謂わば、私はあの人の奇蹟の手伝いを、危い手品助手を、これまで幾度となく勤めて来たのだ。私はこう見えても、決して吝嗇の男じゃ無い。それどころか私は、よっぽど高い趣味家なのです。私はあの人を、美しい人だと思っている。私から見れば、子供のように慾が無く、私が日々のパンを得るために、お金をせっせと貯めたっても、すぐにそれを一厘残さず、むだな事に使わせてしまって。けれども私は、それを恨みに思いません。あの人は美しい人なのだ。私は、もともと貧しい商人ではありますが、それでも精神家というもの理解していると思っています。だから、あの人が、私の辛苦して貯めて置いた粒々の小金を、どんなに馬鹿らしくむだ使いしても、私は、なんとも思いません。思いませんけれども、それならば、たまには私にも、優しい言葉の一つ位は掛けてくれてもよさそうなのに、あの人は、いつでも私に意地悪くしむけるのです。一度、あの人が、春の海辺をぶらぶら歩きながら、ふと、私の名を呼び、「おまえにも、お世話になるね。おまえの寂しさは、わかっている。けれども、そんなにいつも不機嫌な顔をしていては、いけない。寂しいときに、寂しそうな面容をするのは、それは偽善者のすることなのだ。寂しさを人にわかって貰おうとして、ことさらに顔色を変えて見せているだけなのだまことに神を信じているならば、おまえは、寂しい時でも素知らぬ振りして顔を綺麗に洗い、頭に膏を塗り、微笑んでいなさるがよい。わからいかね。寂しさを、人にわかって貰わなくても、どこか眼に見えないところにいるお前の誠の父だけが、わかっていて下さったなら、それでよいではないか。そうではないかね。寂しさは、誰にだって在るのだよ」そうおっしゃってくれて、私はそれを聞いてなぜだか声出して泣きたくなり、いいえ、私は天の父にわかって戴かなくても、また世間の者に知られなくても、ただ、あなたお一人さえ、おわかりになっていて下さったら、それでもう、よいのです。私はあなたを愛しています。ほかの弟子たちが、どんなに深くあなたを愛していたって、それとは較べものにならないほどに愛しています。誰よりも愛していますペテロヤコブたちは、ただ、あなたについて歩いて、何かいいこともあるかと、そればかりを考えているのです。けれども、私だけは知っていますあなたについて歩いたって、なんの得するところも無いということを知っています。それでいながら、私はあなたから離れることが出来ません。どうしたのでしょう。あなたが此の世にいなくなったら、私もすぐに死にます。生きていることが出来ません。私には、いつでも一人でこっそり考えていることが在るんです。それはあなたが、くだらない弟子たち全部から離れて、また天の父の御教えとやらを説かれることもお止しになり、つつましい民のひとりとして、お母のマリヤ様と、私と、それだけで静かな一生を、永く暮して行くことであります。私の村には、まだ私の小さい家が残って在ります。年老いた父も母も居ります。ずいぶん広い桃畠もあります。春、いまごろは、桃の花が咲いて見事であります。一生、安楽にお暮しできます。私がいつでもお傍について、御奉公申し上げたく思います。よい奥さまをおもらいなさいまし。そう私が言ったら、あの人は、薄くお笑いになり、「ペテロシモン漁人だ。美しい桃の畠も無い。ヤコブヨハネも赤貧の漁人だ。あのひとたちには、そんな、一生を安楽に暮せるような土地が、どこにも無いのだ」と低く独りごとのように呟いて、また海辺を静かに歩きつづけたのでしたが、後にもさきにも、あの人と、しんみりお話できたのは、そのとき一度だけで、あとは、決して私に打ち解けて下さったことが無かった。私はあの人を愛している。あの人が死ねば、私も一緒に死ぬのだ。あの人は、誰のものでもない。私のものだ。あの人を他人に手渡すくらいなら、手渡すまえに、私はあの人を殺してあげる。父を捨て、母を捨て、生れた土地を捨てて、私はきょう迄、あの人について歩いて来たのだ。私は天国を信じない。神も信じない。あの人の復活も信じない。なんであの人が、イスラエルの王なものか。馬鹿弟子どもは、あの人を神の御子だと信じていて、そうして神の国福音かいものを、あの人から伝え聞いては、浅間しくも、欣喜雀躍している。今にがっかりするのが、私にはわかっています。おのれを高うする者は卑うせられ、おのれを卑うする者は高うせられると、あの人は約束なさったが、世の中、そんなに甘くいってたまるものか。あの人は嘘つきだ。言うこと言うこと、一から十まで出鱈目だ。私はてんで信じていない。けれども私は、あの人の美しさだけは信じている。あん美しい人はこの世に無い。私はあの人の美しさを、純粋に愛している。それだけだ。私は、なんの報酬も考えていない。あの人について歩いて、やがて天国が近づき、その時こそは、あっぱ右大臣左大臣になってやろうなどと、そんなさもしい根性は持っていない。私は、ただ、あの人から離れたくないのだ。ただ、あの人の傍にいて、あの人の声を聞き、あの人の姿を眺めて居ればそれでよいのだ。そうして、出来ればあの人に説教などを止してもらい、私とたった二人きりで一生永く生きていてもらいたいのだ。あああ、そうなったら! 私はどんなに仕合せだろう。私は今の、此の、現世の喜びだけを信じる。次の世の審判など、私は少しも怖れていない。あの人は、私の此の無報酬の、純粋愛情を、どうして受け取って下さらぬのか。ああ、あの人を殺して下さい。旦那さま。私はあの人の居所を知って居ります。御案内申し上げます。あの人は私を賤しめ、憎悪して居ります。私は、きらわれて居ります。私はあの人や、弟子たちのパンのお世話を申し、日日の飢渇から救ってあげているのに、どうして私を、あんなに意地悪く軽蔑するのでしょう。お聞き下さい。六日まえのことでした。あの人はベタニヤのシモンの家で食事をなさっていたとき、あの村のマルタ奴の妹のマリヤが、ナルドの香油を一ぱい満たして在る石膏の壺をかかえて饗宴の室にこっそり這入って来て、だしぬけに、その油をあの人の頭にざぶと注いで御足まで濡らしてしまって、それでも、その失礼を詫びるどころか、落ちついてしゃがみ、マリヤ自身の髪の毛で、あの人の濡れた両足をていねいに拭ってあげて、香油匂いが室に立ちこもり、まことに異様な風景でありましたので、私は、なんだか無性に腹が立って来て、失礼なことをするな! と、その妹娘に怒鳴ってやりました。これ、このようにお着物が濡れてしまったではないか、それに、こんな高価な油をぶちまけてしまって、もったいないと思わないか、なんというお前は馬鹿な奴だ。これだけの油だったら、三百デナリもするではないか、この油を売って、三百デナリ儲けて、その金をば貧乏人に施してやったら、どんなに貧乏人が喜ぶか知れない。無駄なことをしては困るね、と私は、さんざ叱ってやりました。すると、あの人は、私のほうを屹っと見て、「この女を叱ってはいけない。この女のひとは、大変いいことをしてくれたのだ。貧しい人にお金を施すのは、おまえたちには、これからあとあと、いくらでも出来ることではないか。私には、もう施しが出来なくなっているのだ。そのわけは言うまい。この女のひとだけは知っている。この女が私のからだに香油を注いだのは、私の葬いの備えをしてくれたのだ。おまえたちも覚えて置くがよい。全世界、どこの土地でも、私の短い一生を言い伝えられる処には、必ず、この女の今日仕草も記念として語り伝えられるであろう」そう言い結んだ時に、あの人の青白い頬は幾分、上気して赤くなっていました。私は、あの人の言葉を信じません。れいに依って大袈裟なお芝居であると思い、平気で聞き流すことが出来ましたが、それよりも、その時、あの人の声に、また、あの人の瞳の色に、いままで嘗つて無かった程の異様なものが感じられ、私は瞬時戸惑いして、更にあの人の幽かに赤らんだ頬と、うすく涙に潤んでいる瞳とを、つくづく見直し、はッと思い当ることがありました。ああ、いまわしい、口に出すさえ無念至極のことであります。あの人は、こんな貧しい百姓女に恋、では無いが、まさか、そんな事は絶対に無いのですが、でも、危い、それに似たあやしい感情を抱いたのではないか? あの人ともあろうものが。あんな無智な百姓女ふぜいに、そよとでも特殊な愛を感じたとあれば、それは、なんという失態。取りかえしの出来ぬ大醜聞。私は、ひとの恥辱となるような感情を嗅ぎわけるのが、生れつき巧みな男であります自分でもそれを下品嗅覚だと思い、いやでありますが、ちらと一目見ただけで、人の弱点を、あやまたず見届けてしまう鋭敏の才能を持って居ります。あの人が、たとえ微弱にでも、あの無学の百姓女に、特別感情を動かしたということは、やっぱり間違いありません。私の眼には狂いが無い筈だ。たしかにそうだ。ああ、我慢ならない。堪忍ならない。私は、あの人も、こんな体たらくでは、もはや駄目だと思いました。醜態の極だと思いました。あの人はこれまで、どんなに女に好かれても、いつでも美しく、水のように静かであった。いささかも取り乱すことが無かったのだ。ヤキがまわった。だらしが無え。あの人だってまだ若いのだし、それは無理もないと言えるかも知れぬけれど、そんなら私だって同じ年だ。しかも、あの人より二月おそく生れているのだ。若さに変りは無い筈だ。それでも私は堪えている。あの人ひとりに心を捧げ、これ迄どんな女にも心を動かしたことは無いのだ。マルタの妹のマリヤは、姉のマルタが骨組頑丈で牛のように大きく、気象も荒く、どたばた立ち働くのだけが取柄で、なんの見どころも無い百姓女でありますが、あれは違って骨も細く、皮膚は透きとおる程の青白さで、手足もふっくらして小さく、湖水のように深く澄んだ大きい眼が、いつも夢みるように、うっとり遠くを眺めていて、あの村では皆、不思議がっているほどの気高い娘でありました。私だって思っていたのだ。町へ出たとき、何か白絹でも、こっそり買って来てやろうと思っていたのだ。ああ、もう、わからなくなりました。私は何を言っているのだ。そうだ、私は口惜しいのです。なんのわけだか、わからない。地団駄踏むほど無念なのです。あの人が若いなら、私だって若い。私は才能ある、家も畠もある立派な青年です。それでも私は、あの人のために私の特権全部を捨てて来たのです。だまされた。あの人は、嘘つきだ。旦那さま。あの人は、私の女をとったのだ。いや、ちがった! あの女が、私からあの人を奪ったのだ。ああ、それもちがう。私の言うことは、みんな出鱈目だ。一言も信じないで下さい。わからなくなりました。ごめん下さいまし。ついつい根も葉も無いことを申しました。そんな浅墓な事実なぞ、みじんも無いのです。醜いことを口走りました。だけれども、私は、口惜しいのです。胸を掻きむしりたいほど、口惜しかったのです。なんのわけだか、わかりませぬ。ああ、ジェラシィというのは、なんてやりきれない悪徳だ。私がこんなに、命を捨てるほどの思いであの人を慕い、きょうまでつき随って来たのに、私には一つの優しい言葉も下さらず、かえってあんな賤しい百姓女の身の上を、御頬を染めて迄かばっておやりなさった。ああ、やっぱり、あの人はだらしない。ヤキがまわった。もう、あの人には見込みがない。凡夫だ。ただの人だ。死んだって惜しくはない。そう思ったら私は、ふいと恐ろしいことを考えるようになりました。悪魔に魅こまれたのかも知れませぬ。そのとき以来、あの人を、いっそ私の手で殺してあげようと思いました。いずれは殺されるお方にちがいない。またあの人だって、無理に自分を殺させるように仕向けているみたいな様子が、ちらちら見える。私の手で殺してあげる。他人の手で殺させたくはない。あの人を殺して私も死ぬ旦那さま、泣いたりしてお恥ずかしゅう思いますはい、もう泣きませぬ。はいはい。落ちついて申し上げます。そのあくる日、私たちは愈愈あこがれのエルサレムに向い、出発いたしました。大群集、老いも若きも、あの人のあとにつき従い、やがて、エルサレムの宮が間近になったころ、あの人は、一匹の老いぼれた驢馬を道ばたで見つけて、微笑してそれに打ち乗り、これこそは、「シオンの娘よ、懼るな、視よ、なんじの王は驢馬の子に乗りて来り給う」と予言されてある通りの形なのだと、弟子たちに晴れがましい顔をして教えましたが、私ひとりは、なんだか浮かぬ気持でありました。なんという、あわれな姿であったでしょう。待ちに待った過越の祭エルサレム宮に乗り込む、これが、あのダビデの御子の姿であったのか。あの人の一生の念願とした晴れの姿は、この老いぼれた驢馬に跨り、とぼとぼ進むあわれな景観であったのか。私には、もはや、憐憫以外のものは感じられなくなりました。実に悲惨な、愚かしい茶番狂言を見ているような気がして、ああ、もう、この人も落目だ。一日生き延びれば、生き延びただけ、あさはかな醜態さらすだけだ。花は、しぼまぬうちこそ、花である。美しい間に、剪らなければならぬ。あの人を、一ばん愛しているのは私だ。どのように人からまれてもいい。一日も早くあの人を殺してあげなければならぬと、私は、いよいよ此のつらい決心を固めるだけでありました。群集は、刻一刻とその数を増し、あの人の通る道々に、赤、青、黄、色とりどりの彼等の着物をほうり投げ、あるいは棕櫚の枝を伐って、その行く道に敷きつめてあげて、歓呼にどよめき迎えるのでした。かつ前にゆき、あとに従い、右から、左から、まつわりつくようにして果ては大浪の如く、驢馬とあの人をゆさぶり、ゆさぶり、「ダビデの子にホサナ、讃むべきかな、主の御名によりて来る者、いと高き処にて、ホサナ」と熱狂して口々に歌うのでした。ペテロヨハネバルトロマイ、そのほか全部の弟子共は、ばかなやつ、すでに天国を目のまえに見たかのように、まるで凱旋将軍につき従っているかのように、有頂天歓喜で互いに抱き合い、涙に濡れた接吻を交し、一徹者のペテロなど、ヨハネを抱きかかえたまま、わあわあ大声で嬉し泣きに泣き崩れていました。その有様を見ているうちに、さすがに私も、この弟子たちと一緒に艱難を冒して布教に歩いて来た、その忍苦困窮の日々を思い出し、不覚にも、目がしらが熱くなって来ました。かくしてあの人は宮に入り、驢馬から降りて、何思ったか、縄を拾い之を振りまわし、宮の境内の、両替する者の台やら、鳩売る者の腰掛けやらを打ち倒し、また、売り物に出ている牛、羊をも、その縄の鞭でもって全部、宮から追い出して、境内にいる大勢商人たちに向い、「おまえたち、みな出て失せろ、私の父の家を、商いの家にしてはならぬ」と甲高い声で怒鳴るのでした。あの優しいお方が、こんな酔っぱらいのような、つまら乱暴を働くとは、どうしても少し気がふれているとしか、私には思われませんでした。傍の人もみな驚いて、これはどうしたことですか、とあの人に訊ねると、あの人の息せき切って答えるには、「おまえたち、この宮をこわしてしまえ、私は三日の間に、また建て直してあげるから」ということだったので、さすが愚直の弟子たちも、あまり無鉄砲なその言葉には、信じかねて、ぽかんとしてしまいました。けれども私は知っていました。所詮はあの人の、幼い強がりにちがいない。あの人の信仰とやらでもって、万事成らざるは無しという気概のほどを、人々に見せたかったのに違いないのです。それにしても、縄の鞭を振りあげて、無力な商人を追い廻したりなんかして、なんて、まあ、けちな強がりなんでしょう。あなたに出来る精一ぱいの反抗は、たったそれだけなのですか、鳩売りの腰掛けを蹴散らすだけのことなのですか、と私は憫笑しておたずねしてみたいとさえ思いました。もはやこの人は駄目なのです。破れかぶれなのです。自重自愛を忘れてしまった。自分の力では、この上もう何も出来ぬということを此の頃そろそろ知り始めた様子ゆえ、あまりボロの出ぬうちに、わざと祭司長に捕えられ、この世からさらばしたくなって来たのでありましょう。私は、それを思った時、はっきりあの人を諦めることが出来ました。そうして、あんな気取り屋の坊ちゃんを、これまで一途に愛して来た私自身の愚かさをも、容易に笑うことが出来ました。やがてあの人は宮に集る大群の民を前にして、これまで述べた言葉のうちで一ばんひどい、無礼傲慢暴言を、滅茶苦茶に、わめき散らしてしまったのです。左様、たしかに、やけくそです。私はその姿を薄汚くさえ思いました。殺されたがって、うずうずしていやがる。「禍害なるかな、偽善なる学者パリサイ人よ、汝らは酒杯と皿との外を潔くす、然れども内は貪慾と放縦とにて満つるなり。禍害なるかな、偽善なる学者パリサイ人よ、汝らは白く塗りたる墓に似たり、外は美しく見ゆれども、内は死人の骨とさまざまの穢とに満つ。斯のごとく汝らも外は正しく見ゆれども、内は偽善不法とにて満つるなり。蛇よ、蝮の裔よ、なんじら争で、ゲヘナ刑罰を避け得んや。ああエルサレムエルサレム予言者たちを殺し、遣されたる人々を石にて撃つ者よ、牝鶏のその雛を翼の下に集むるごとく、我なんじの子らを集めんと為しこと幾度ぞや、然れど、汝らは好まざりき」馬鹿なことです。噴飯ものだ。口真似するのさえ、いまわしい。たいへんな事を言う奴だ。あの人は、狂ったのです。まだそのほかに、饑饉があるの、地震が起るの、星は空より堕ち、月は光を放たず、地に満つ人の死骸のまわりに、それをついばむ鷲が集るの、人はそのとき哀哭、切歯することがあろうだの、実に、とんでも無い暴言を口から出まかせに言い放ったのです。なんという思慮のないことを、言うのでしょう。思い上りも甚しい。ばかだ。身のほど知らぬ。いい気なものだ。もはや、あの人の罪は、まぬかれぬ。必ず十字架。それにきまった。祭司長や民の長老たちが、大祭司カヤパの中庭にこっそり集って、あの人を殺すことを決議したとか、私はそれを、きのう町の物売りから聞きました。もし群集の目前であの人を捕えたならば、あるいは群集が暴動を起すかも知れないから、あの人と弟子たちとだけの居るところを見つけて役所に知らせてくれた者には銀三十を与えるということをも、耳にしました。もはや猶予の時ではない。あの人は、どうせ死ぬのだ。ほかの人の手で、下役たちに引き渡すよりは、私が、それを為そう。きょうまで私の、あの人に捧げた一すじなる愛情の、これが最後挨拶だ。私の義務です。私があの人を売ってやる。つらい立場だ。誰がこの私のひたむきの愛の行為を、正当に理解してくれることか。いや、誰に理解されなくてもいいのだ。私の愛は純粋の愛だ。人に理解してもらう為の愛では無い。そんなさもしい愛では無いのだ。私は永遠に、人の憎しみを買うだろう。けれども、この純粋の愛の貪慾のまえには、どんな刑罰も、どんな地獄業火問題でない。私は私の生き方を生き抜く。身震いするほどに固く決意しました。私は、ひそかによき折を、うかがっていたのであります。いよいよ、お祭りの当日になりました。私たち師弟十三人は丘の上の古い料理屋の、薄暗い二階座敷を借りてお祭り宴会を開くことにいたしました。みんな食卓に着いて、いざお祭りの夕餐を始めようとしたとき、あの人は、つと立ち上り、黙って上衣を脱いだので、私たちは一体なにをお始めなさるのだろうと不審に思って見ているうちに、あの人は卓の上の水甕を手にとり、その水甕の水を、部屋の隅に在った小さい盥に注ぎ入れ、それから純白の手巾をご自身の腰にまとい、盥の水で弟子たちの足を順々に洗って下さったのであります弟子たちには、その理由がわからず、度を失って、うろうろするばかりでありましたけれど、私には何やら、あの人の秘めた思いがわかるような気持でありました。あの人は、寂しいのだ。極度に気が弱って、いまは、無智な頑迷弟子たちにさえ縋りつきたい気持になっているのにちがいない。可哀想に。あの人は自分の逃れ難い運命を知っていたのだ。その有様を見ているうちに、私は、突然、強力な嗚咽が喉につき上げて来るのを覚えた。矢庭にあの人を抱きしめ、共に泣きたく思いました。おう可哀想に、あなたを罪してなるものか。あなたは、いつでも優しかった。あなたは、いつでも正しかった。あなたは、いつでも貧しい者の味方だった。そうしてあなたは、いつでも光るばかりに美しかった。あなたは、まさしく神の御子だ。私はそれを知っていますおゆるし下さい。私はあなたを売ろうとして此の二、三日、機会をねらっていたのです。もう今はいやだ。あなたを売るなんて、なんという私は無法なことを考えていたのでしょう。御安心なさいまし。もう今からは、五百の役人、千の兵隊が来たとても、あなたおからだに指一本ふれさせることは無い。あなたは、いま、つけねらわれているのです。危い。いますぐ、ここから逃げましょう。ペテロも来い、ヤコブも来い、ヨハネも来い、みんな来い。われらの優しい主を護り、一生永く暮して行こう、と心の底からの愛の言葉が、口に出しては言えなかったけれど、胸に沸きかえって居りました。きょうまで感じたことの無かった一種崇高な霊感に打たれ、熱いお詫びの涙が気持よく頬を伝って流れて、やがてあの人は私の足をも静

anond:20181207120017

二番煎じ

アニメ描写肯定芸人ネタ否定する

アニメ表現には「現実虚構区別」「子供への悪影響なんて大したことない」とかいうのに

芸人ネタには「同じ境遇の人が傷つく」「イジメ助長する」ってダブスタいつまで続けるの?

2018-12-07

私は弱い人間自分自分肯定できない

辛いんだ

誰か慰めてくれ

anond:20180602125034

お前みたいに善人を気取りながらイジリと暴力肯定するお笑いを支持する偽善者にこれから需要があるんだから問題ないでしょ

レイプ被害者は、結局、一般男性に何してほしいの?

https://courrier.jp/news/archives/142306/

こういう風に一般に読めるところに書いているということは、読み手一般男性がいることを想定しているのだろう。

ということは、一般男性にも伝えたいことがきっとあるから一般に読めるように書いているのだろう。

だが、正直、一般男性側としては何が求められているのか全くわからない。

自分冤罪が怖い」と言えば、二次レイプだと問い詰められる。

肯定したら、性行為の前には必ず相手同意を取るべきだ、という意見同意したことになる。

自分過去に行った性行為については、相手同意を得ていたが、それを証明する手立てはない。いちいち同意書を書面で残してはいない。

自分同意を取ったつもりだが、後から相手が「同意を取っていなかった」と反論してくるかもしれない。

反論されたら最後、「性行為の前には必ず相手同意を取るべきだ」と本人が言ったことがあるのに、実際には同意をとっていたかが疑わしい卑劣漢ということにされる。

から一般男性側が自分を守るための最適戦略については、黙殺する方法以外にない。

肯定しても否定しても追い詰められるときは、肯定否定絶対にしないのが最適戦略だ。

その程度のことは、レイプ被害者側も理解していると思う。だから、もしかしたら、一般女性にだけ広く宛てたメッセージで、一般男性は特に反応することが求められていないのかもしれない。自意識過剰だったら申し訳ない。

ちょうどいいブス叩きしてるエモ女の言い分が嫌いすぎるので文句言う

ブスへのマウントひどいわ。 意識の高い自分たちセンターにおいてそれ以外の女性もろとも批判するという悪癖がもろに出てる。意識高いのはいいけど今回のは明らかに勇み足だしこの記事エール送ってるやつらは全員想像力のかけらもないか自分正義だと思って疑わないんだろうなあーやだやだやだやだ。まるでホームレス狩りを食らった気分だわ。このエモ女デリカシーナイナイ

エモ女が絶望的に勘違いしてるのはね。お前なんだかんだ男にモテようとしてんじゃん。女はそういうものだと思ってんじゃん。そこからしてもう人種としての共通点ナイナイ

結論:媚びて自分を軽んじるな。ラブリー生きろ。

1 自分が「ブス」である自覚して、「ちょうどいいブス」を目指す

2 自分自分を「かわいい」と愛しんで、「かわいい」を目指す

100%後者後者を目指そう!

いや、もう並べると一目瞭然で1が提唱する中身のヤバさが浮き彫りになるよね。

なんで選択肢が1と2しかないんだよ。ダブルバインド女かよ。他の選択肢よこせよ。こちからしたら、お前がいう1でも2でも男に媚びてんだよ。どっちも違うんだよ。こちらの選択肢は ブスでもいいから男のことなんか気にせずに好きに生きる、だよ。かわいいとかブスって判断基準のものから離れたいんだよ。そういう存在ちゃんと想定できてないでしょ。こんなエモ女のいうことに賛同するところなんてみじんもナイナイ

しょうもないこと気にするのはいいけど主語でけえんだよ。私とあんたでは生物学的には同じ女だけど、全然別の種族なんだよ。

この際だから本音を言うと、エモ女の言ってることってちょっと自分のことかわいいと思ってるけどプライド邪魔して男にモテない女の嫉妬だろとしか思わないわけ。「そういうやりかたするのはずるい」って言ってるだけじゃん。見苦しいよ。男を気にしてる時点で、もう何を言ってもモテてる女の方が正しいし、そうでない女は負け組でしょ。男なんて気にすんなってことが言いたいなら、「ちょうどいいブス」をそういう風に批判絶対ナイナイ自分自分のやり方で男に好かれてモテてるって思ってる女の人は絶対にこんなダサい記事書かないし男叩きもナイナイ

このエモ女、部分的にまともなことも言ってるけど嫉妬のエモが強すぎ。自分のことをブスとしか思えない人間存在ごと全否定していて結局女が、じゃなくて自分気持ちいいことを言ってるだけ。ブロガーだし別にそれでもいいけど、これが女の総意みたいなこと言われたら、はいはいそこそこ綺麗な女はいいよねって気持ちになる。気持ちで何とかなる領域人間はそうしたらいいが、だからと言って素直に自分をブスって認めてる女を否定するとかどれだけイキってんの?自分アイコンかわいいキャラクターであるちゃんにしてる時点で自意識がクッソ高いか尿道が緩いかどちらかなんだろうけれどなろう批判してる小説家ワナビーとおなじくらいセンスプライドナイナイ

この記事同調してる女は自分に自信があって、男に媚びるのを良しとせずちょっとでも男に媚びたようなふるまいや自虐が見えたらそういうのは邪道だといって叩き潰そうとする。女を殴ったら自分が殴られる側になるから悪いのは全部男のせいにして。一方自分小説に自信があるけど周りから評価されずに自意識こじらせた自称正統なる小説家様たちは、なろうは読者に媚びてるとか異世界邪道だとかしょうもない難癖付けて売れてない自分から目をそらして自分意識の高さを肯定する。そこに何の違いもナイナイ

容姿という一面で人を誰よりも図ってるのはお前の方だろうが。ブスとか言ってるやつらは容姿以外のところで勝負することに決めたってだけなのになぜそこまで否定する。お前らからしたら邪道であって正統じゃないかもしれないけど、正統じゃない存在からって否定すんなよ。ほんとお前ら自分こそが正しいって言ってそれ以外のものを何でもかんでも否定するけどいい加減にしろよ。ポリコレを唱えても表現の幅は狭まらないとか言ってたおばさんがいかに間違っているか実例がまた一つ増えただけじゃないの。本当に考えが足りてナイナイ

私はブスってのを居場所にしてる。そこが居心地がいいのだから放っておいてほしいの。ちょうどよくないブス上等だよ。 自分たちの考えと違うからって、それが間違ってるとか勝手に決めつけないでほしい。 私は私で山﨑ケイにむかついてるけど怒ってる理由はエモ女とは全然別。自分のことを「ちょうどいいブス」って書いてる山﨑ケイは同じ女の私から見ても全然ブスではない。そういうブスでない人間がブスという言葉自分のものとして使ってんじゃねえよってこと。居心地のいい場所侵略しておいてさらモテとか言い出すのが欲張りすぎてふざけてんじゃないよって反発はある。領土問題。エモ女は自分領土侵犯されたわけでもないじゃん。なんの関係ナイナイ

ゾンビランドサガ第10話】脚本家による違いについてのお話

ゾンビランドサガ10話が放映されました。twitter検索すると色々な意見が見えてきて面白いですね。多様な意見があるということはそれだけ視聴者層が広いということなので、単に賛否両論から悪いという話にはならないと思います

個人的感想になりますが、10話は他の話と比べると切れ味が鈍いなあと感じました。いや、11話が気になるという意味で引きは良かったんですけど、そこに至るまでのシナリオ雑然としているように思いました。「10話は脚本家が3話と同じだからイマイチなのではないか」という意見もちょいちょい見かけました。

そもそもゾンビランドサガは(10話時点では)脚本家2人が二人存在します。一人はシリーズ構成担当している村越繁氏で、1、2、4、6、7、8話を担当しています。もう一人のますもとたくや氏は3、5、9、そして今回の10話を主筆されています

感想を見ると、村越氏の担当回は概ね評価が高く、ますもと氏は賛否両論という感じです。ますもと氏担当回でも、5話のように高評価の回もありますし、個人的サキ回の9話も好きなのですが、やはり村越氏と比較すると視聴後のインパクトがパワーダウンしているなあと感じてしまます

で、ここからが本題ですが、この二人の脚本家の違いは「ゾンビィのアイドルもの」を書いているが、「ゾンビアイドルやってるのか」という違いに起因すると思います。「前置き長いし意味わからんわ。ぶっ殺すぞ?」という方ももう少しお付き合いください。

村越氏の担当回は「ゾンビィがアイドルやったらこういうことが出来る。こういう問題が生じる」という着眼点で作られている気がします。2話は「もう死んでますけどね」といった諦めムードな仲間たちをブチギレラップで奮起させる回。6〜7話はアイドル見解の相違で生じた不和を解消しつつ、落雷トラウマを仲間と一緒に克服する回。8話は有名になったことで親族が会いにきたけど素性を明かせないジレンマがある・・・といった回です。こうして並べると、現代社会ゾンビィ達がアイドル活動することの問題点を挙げる→シリアスギャグを交えて解決する、といった流れが根底にあることが分かります

個人的に8話で好きな台詞があって、リリィがまさおと判明した後にさくらが「リリィちゃんリリィよね。ゾンビやけんね・・・」(細部間違ってるかもしれません)という台詞があります。これって身体的に成長しないことを肯定すると同時に、「死んでいるので大人になることはない」という絶対的な悲哀も感じられました。

このように、村越氏の担当回はゾンビィのアイドルもの、という主題に忠実に作られているなあという印象を受けます

一方のますもと氏ですが、どちらかというと「アイドル属性が前面に出ていてゾンビ属性はおまけ」という話作りに思えました。3話や10話は「素人アイドルやるけど失敗するが、先輩が助けてくれる」「アイドル調子にのるけど反省してチームワークを深める」という、アイドルもの定番のような話になっています。9話も不良ものテンプレ(パロディ)の側面が強いですね。もちろんゾンビィ要素もありますが、ギャグとして散りばめたり、言葉遊びでちょろっと使ったりするぐらいで、本筋に大きな影響は与えていません。

誤解の無いように書くと、こういったテンプレ展開が手抜きでよくない、ということではありません。3話はあえて王道を持ってくることで「そういえばアイドルアニメだったな・・・」と視聴者に思い出させることに成功してますし、9話はキャラ性質上ああいう話の方が分かりやすかったのではないかとも思います

しかし、筋が単純ゆえに既視感を覚える展開となり、目が肥えた視聴者には面白味がない話に思えてしまう、という点も否めないと思います10話の大筋って最後の引き以外はゾンビィ要素抜きで成立するんですよね。Aパートは首取れたるよだれ塗れになってましたが、全体を通すとゾンビィ要素はスパイスとして振りかけるぐらいなっているなあ、と感じました。

長々と書きましたが、要するに10話は「見えてこんのじゃあ!お前らゾンビィが現世で苦悩したり楽しんだりする生き様が!」という印象です。別にゾンビカツ!とかゾンビマスターとかラブゾンビとかでも成立する話でしたね。でも見たいのはゾンビランドサガなんじゃい!

残り2話はさくら過去に焦点が当たりどう転ぶかわからない展開になりそうですが、ゾンビアイドルたちのサガが見えてくる話になっていたらいいなあと思いながら一週間待とうと思います

2018-12-06

2018-12-05

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