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はてなキーワード: 否定とは

2017-06-29

わかってたけれども。

教員仕事が大変だっていうのはわかっていたよ。

授業も部活も校務分掌がきついことだって

生徒だっていう事聞きゃしないやつだっていることだって

知っていてなったはずだ。

でも、自分現場客観的に見ることができるはずだし

だめでも、コツコツやってみようと思っていた。

けど今すごく疲れてるんだよね。

校務分掌仕事を先輩から引き継ぐ間もなくとりあえずやってみよう

からの、部活動練習試合とか予定をうかがって(ちなみに未経験運動部メイン)

からの、夜授業準備。多分、優先順序がおかしい。

ただ校務分掌仕事は今やらなきゃ職員全体に響くしマスト作業が多いところだ。

自分効率が悪いのかな・・・と思う。

しか分掌仕事確認をお願いすると手直しは当然でるし、でも締め切りには間に合わせると。

で、会議謝罪もしなきゃ。

初めてだから仕方ないよね。っていう点もあるけど、

部活動相手側の都合があるので優先して電話をする時間をとる。

終わらない仕事をずっと抱え、なおかつ進捗が遅い、なんたっていろんなことを重複してやらなきゃいけないから。

から仕事が一切おわった気にならず、今も授業をこれから作るけど

自分がこういうことで「はぁ」とため息をつく日が来るとは思わなかった。

それに、そんな授業をしてるからかな、斜に構える生徒だっている。「あいつ何?」と。

そういう生徒がいて当たり前だと思う。

けど、こっちも人間だ。何回もそういう態度をとられ続けると落ち込むのも事実だ。

生徒がいったことだから気にしない、ことを微妙にまだできていない自分は、人格否定されてる気分になり下がる。家でね。

大人じゃなくて子ども否定的なことを言われるってそれだけなんだろうけど

やっぱり悪いことって言われたくないし思われたくないんだ。誰でもって思う。

授業改善しなきゃ、そして自分もかかわっていかなきゃ、と思うとまた体力の摩耗に気づいたりする。

おそらく、こういう「しなきゃ」で動いてしまえば、子どもの目にもそう映ってしまうのだろうに。

悪循環を飛ばすために、休む時間必要だ。

支離滅裂になったけどとても疲れてるってことを書きだしたかった。

じゃないとどっかで、ネジ飛びそうだ。

とりあえず金曜日をどうにか乗り越えてゆっくり寝てることを期待している。

4月からはじまって土曜日まともにゆっくり休めるのは今回は2回目だから、うれしい。

なんなら連休がここにきて初めてだから、うれしい。テスト期間ようやく・・・

仕事って大変だね。みんなこうやって生きてるんだ。

事前連絡したら乗れませんって言われるだけ

ハンデを抱えて普通に生きていくためには、イカれたルールの隙間を縫って押し通すしかない。行きではルール違反承知で乗せていながら、帰りにはルール違反危険だと静止して、同乗者の協力を拒否して車椅子人間自力で這って登るという危険極まる行為を黙って眺めていたゴミカスがいた。そもそも問題は同行者なり職員なりが協力すれば簡単に乗れるものを「乗れない」というルールにした人間にあるしそれをルールから肯定し悪を許容する、障害者差別しまっとうに生きることを否定せずにはいられないゴミのような人間たちの側にある。

吉岡平いいね

原作厨否定にえみつん救済

素晴らしい

ただえみつんスキャンダルからアニメ仕事は少なかったのでこれで状況が変わるというのは考えにくいな

性教育が進まないのは、リベラルフェミニスト責任もある

リベラルフェミニストは「ゾーニングを徹底しろ」「ポリコレ配慮しろ」とうるさいが、そのことが性教育の普及を妨げているんじゃねーのか?という考察

根拠薄弱の愚論なので、あらかじめ断っておく。)

  

エロいものを見せたら子供がショックを受ける」「不愉快になる人もいるから隠すべきだ」という意見は、宗教保守性教育に反対するとき心理に通じるものがある。

この意見に基づくゾーニング厳格化は、セックスやそれにまつわる欲望有害ものとして排除する。

これはひるがえって性教育への反対論を補強することになりそうだ。

  

例えば、「公共の場からエロ追放するべきだ。そういうものプライベートで楽しめばよい」という意見は、リベラルフェミニストも支持するところである

これを突き詰めていくと、「学校性教育をするべきではない。各自必要に応じて学べばよい」という方向につながるのではないか

我々がセックス性的享楽をことごとくプライベート領域に押しこめてしまった場合公教育である学校が生徒のそういう領域に踏みこんで指導することは、やはりどことな越権行為だという疑念が生じる。

  

  

  

そもそもゾーニング基準が18歳になっていることは、性教育を推進することと矛盾するのではないか

エロ本を買うという行為において、高校生幼児同然の扱いをうけ、社会からはその主体性の発揮を否定されている。にもかかわらず、性教育では、セックスをするときコンドーム使用する主体性を持てということを教えられるのだ。

エロ本買ってはいけないと言いながら、コンドームを買うように指導するのは、おかしな話である

  

無論、エロ本を買うことは遊興にふけることであって、コンドーム防衛のためだから、その価値を同列に論じることはできない。

しかしながら、遊興と防衛を分離して考えることもできない。遊興のごとくセックスをやってしま高校生にこそ、この防衛手段を教えておくことが必要からである

遊興を不要ものだと決めつけて忌避する禁欲道徳は、性教育に反対する者たちの主張に説得力を与えてしまうように思われる。反対派の主張で最もよくあるのは、「高校生は無理にセックスをやる必要はない。純潔を保つことが一番の防衛策だ」というものからである

この「遊興をしないならば防衛必要ない」という話は、「各人が必要に応じて学べばよい」という話と同様に、ミクロで見ると妥当になっているケースも多いと思う。

  

  

  

このほかに、性教育の反対派は、「性教育をすると、なまじ知識を得るから子供興味本位に走ってセックスをやってしまう恐れがある」という主張をしている。

これは表現規制派が、「ポルノに影響されて性犯罪が増える」という意見を言っているのと似ているのではないか

安易比較をするべき話ではないが、教育というのはいくら適切におこなっても、その影響を完全にはコントロールできない。予期しない形で悪影響を受ける生徒もごく少数はいるだろうし、授業内容を正しく理解しない生徒もいるだろう。そのレアケースをあげつらって性教育不要論に持っていくのは、当然ながら妥当性を欠くわけだが、害になる可能性がゼロだとまでは言えない。

  

  

  

以上、いい加減な思いつきを書き殴ってしまったけれども、日本でなかなか性教育が進まない問題を、昨今のポリコレ議論表現規制問題に絡めて考えてみるのは補助線になるかもしれない。

権利」を謳う人間はなぜあそこまで意地汚く見えてしまうのか

今回ここで、「権利概念が放ってしま暴力性の起源について一人考えてみる

人権」の普及 ーアメリカ独立宣言



1週間もすれば3億人近いトンチンカンたちがまた祝うことになる、近代社会の幕開け=アメリカ独立宣言に遡ってみよう。250年くらい前のことだ。後にアメリカ人と呼ばれる極西の田舎者黒人奴隷を足置きにしながらヨーロッパ政治哲学を読みふけっていた。そして、英国議会に「植民地のくせに生意気だぞ」と言われてしまったあの時、彼らのイギリスコンプは爆発し独立宣言してしまう。この独立戦争とその後の歴史で彼らは「国家」を生み出しその中で「所有権」というもの不可侵性を「人権」として僭称したのだった。それまでもこの考え方は常にヤバい匂いを発してきたが「独立宣言」こそが全人類脳みそ侵入し始めるウイルスになった。彼らはこう言う。「君たち、実はな、人間は生まれながらにして権利というものを持っていたのだよ」「君たち、これは自明の真理だよ」。誠に蒙が開かれるようである。実際に驚くほどたくさんの人が啓蒙されることになる。

ところで、ここで彼らが行なった欺瞞としてまずよく言われるのは足置きにしている「黒人奴隷」についてである。つまり黒人奴隷人間の方にではなく所有物propertyの方に組み込まれしまったことである。ところが、今回に限ってはそこは重要ではないと私は言いたいのだ。というよりも黒人奴隷境遇があまりに深刻な問題であるから真の問題が後景化し見えなくなってしまっている。この深刻な問題をみたとき、我々、権利至上主義者の常識的感覚からいって、100年後、200年後に黒人へ与えられたように、人間権利、あるいは公民権解決すべき(解決した)問題だと思わされてしまう。

でもこれは糞の上に城を立てただけなのだ私たちの暮らす城の中はクソの匂いが充満している。「権利」などという考え方が、奴隷制的な、暴力的支配への渇望に支えられている。私たちはクソがあるなと思ったら「あっクソだ」と言わねばならない。「あれ?この部屋なんか、うんこ匂いしない?」は常に言いづらいセリフではあるが。


 人権を「持つ」とは ー「所有」についての2つの感覚




まりどういうことか。権利を「持っている」、という発想自体にその欺瞞が現れている、と言いたいのだ。一般におそらくは「所有権を持つ」という表現すらあまり違和感をもたれないのである独立宣言の下敷きになったヴァージニアで行なわれた会議草案にもその矛盾を観れるかもしれない

That all men are by nature equally free and independent and have certain inherent rights, of which, when they enter into a state of society, they cannot, by any compact, deprive or divest their posterity; namely, the enjoyment of life and liberty, with the means of acquiring and possessing property, and pursuing and obtaining happiness and safety.

この2つ目の下線部は独立宣言では省かれるのだが「所有権を持つ」という循環した考え方を恐れたから、ではなく国家による税金徴収を困難にするという理由であった。

何が言いたいかといえば、奴隷武器砂糖三角貿易が成立して以降のヨーロッパ社会では、「権利」が「持つ」ものとして想定されねばならなかったのである。それは単純には、ある種の人々から「奪う」こと(あるいは「捨てる」こと)のできるものでなくてはならなかったからだ。つまり所有権」が守るベーシック価値は「権利概念誕生の後に、「どんな種類の権利を作ろうかなー」と考えられて作られたものではなく同時に発生しているのである。そしてそのことは隠れたのだ。独立宣言に「自明真実ではあるのだが我らは不可侵権利を持っているのだと信じる」としれっと書き込むことで。じゃあ所有の意味を含む「権利概念が発生した時に生まれていたものは何か。ここが今回の主張であるが、「支配欲求自体への承認」なのである社会の一員として我々は「ある種の激烈な支配の形」を基盤にすることで社会を成立させている。それは「所有権」だけでなく「権利全般の話である

propertyに対しては当然そうだろう。犬猫などは黒人同様に解放が進みつつあるが根本的に我々は自分の所有する物をどれだけ傷つけても良いのである対象物に対して欲求したことは特別禁止されない限り全てぶつけることを許されている。私は自分の持っている熊の人形の腹を切り裂いてもいいしそこにペニスを突っ込んでも良い。それが所有権意味するところである。ここで、人形はなんかかわいそうだし除外しようかというのもあまり意味がない。僕が言いたいのは、我々は所有権を「propertyに対して私が欲求することならなんでもしていい力」として想像していて、思考スタート地点にそれをおいていることだ。この認識はもう一つ重要感覚を孕んでいる。それは「私が支配するもの他者が介入することは許されない」ということだ。この二つの感覚両方が「権利全般に流れ込んだのだ。そして実は我々の想像する「自由」のコアイメージでもある。自由にはこの欲望支配感覚が流れている。


 奴隷(property)の反乱 ー「権利」と「自由」に関する妥協と「身体」ー



しかしながらこの「自由」の感覚は「自由」を求める奴隷たちの反乱により一つの現実的妥協を産んだ。支配者はかつての奴隷たちと約束したのだ。我々はもはや君たちを支配しない。その代わりに我々は自分の体を支配するのだと。そして君たちもそうするのだと。人間なら誰もが己の体を支配できることにしよう。我々は平等自由じゃないか。(現実として多くの旧黒人奴隷は扱いの悪い賃金労働者として己の体を「自由」に売買した。ほぼほぼ売るだけであったが。)


上記の経路は思考実験の一つでしかなく、実際は数百年前の「権利概念議論でも既に流れていただろう。しかし、ここで誕生したのは一風変わった、世界人間に対する理解である個人他者からの介入=他者との人間的繋がりを切断できる独立した存在だという信仰なのだ。なぜなら自分の体を自由支配他者はこれに関与できないのだから。(工場で死にかけながら働く黒人労働者だって自由」に辞められると考えることはできただろう。)「権利」や「自由」というもの概念自体にこれは染みついたのだ。


奴隷製の足置きで本を読む農園主の頭の中で作られた「近代国家権利自由」は、国家軍隊というとてつもない力に囲われながら、同じ発想の知的エリート再生産し、根本思想解体は迂回しながら様々なヴァリエーションを増やしてきた。その実践形は司法行政の場から常に吐き出され、我々パンピー脳みそにも影響を及ぼしてきた。


権利概念は、「権利」とは「持つ」ものだという支配欲求肯定に支えられている、というのが基本的な今回の主張である。これが己の身体観や対人間観に影響を及ぼしてきた。実際皆が全く違和感なく自分の持つ時間労働力社長さんに売り払っている。基盤にある発想はまさに「権利」は「持つ」ものから「捨てれる(売れる)」のである。あるいは私は他人権利を「買える」のである。なぜなら私はその「権利」を「持っている」のだから。(一応断っておくが、これによって生まれる成果を否定するものではない。「支配/排除欲望」を根幹にする原理が一度は平等性/対等性 になりながらも、次の段階で一人の人間があらゆる人の時間と行動の自由支配し皆がそれに納得していることに注目したいのだ。この一人の人間も様々な人の投資で買われていてもう少し複雑だろうけれど。)

 まとめ ー「意地汚い」理由



長々書いてるのに平板な話になってるだろうか。ここに資本の燃料をぶっ込めばいくらでも非人間的な方向に暴走できるのは想像にかたくないし、読んだことないけど共産主義とかポモとかもこういう認識の型への反発からスタートしてるのでしょ。現実非人道的支配を読み取った人たちの反発からまれ社会「権」などは対抗力として機能しただろう。ただそのことに対しても言えるのは「権利」「自由」の枠組みがそのまま利用されたということだ。近代国家という装置がこの世界にセットされた1776年の7月4日あの日から人類脳みそはハックされた。今もなお屋台骨として社会を支え続けている我らが人権万歳自由万歳国家万歳


いま苦しんでいるマイノリティも、「支配欲望」の匂い漂う「権利自由概念を使って「国家よ行動しろ」と闘争せねばならない。あるいは彼らがそうでない社会活動を試みていても(例えば、他者との網の目を強化したり、国家ではなくコミュニティや人々の意識を変えるために動いていたとしても)、そのように立ち上がる姿をメディアでみた我々は、そこにまた「権利自由闘争の型を読み取っていないだろうか。「障害者が、また支配欲望を前面に出してるのか。今度は何を要求するのか。」と。そして人間の、恥を知らない無意識は、何かを奪おうとしているマイノリティを見てこう訴えてくるのではないか。我々はこいつらを「支配」し「排除」しなければならない、我々の「権利」と「自由」のために。

https://anond.hatelabo.jp/20170629193902

いや法を遵守すべきって原則否定しませんよ

でも具体的にどの程度守るべきとされているか現実問題まちまちなわけでしょう

強制力だってあるものもないものもあります

電通の女が死ななきゃ過労死がこんな騒ぎにならなかったのと同じです

そういう現実があることをまず認めないと

差別解消法にしてもまあぼんやりしてます

何が必要かつ合理的か、何がやむを得ないのかなんて、もう思い切りグレーゾーンじゃないですか

究極的には最高裁判決が確定するまではっきりしないんじゃないでしょうかね

いじめが許せないのは分かるけど加害者執拗以上に叩くのは同罪やで

いじめを許せない」とか言いながら、自分自身加害者いじめているパターンがあり、なんとも腑に落ちない。

被害者本人がやり返すのなら分かるけれど、第三者加害者執拗以上のはいじめ以外の何物でもないだろう。

そもそもやられたらやり返す」という考えを持っている人が圧倒的多数からいじめ絶対になくならないのだ。

それをやっているのが自分自身という自覚もなく「私がやっていることは正義だ」なんて勘違い野郎にも程があるぞ。

てめえは悪そのものだ。

追記

別に自分正義だと思っていませんがいじめ肯定するクズには死んでほしいです

いじめ肯定するのはクズ野郎ってのは分かるよ。死んで欲しいと思うのも良い。だけど世の中には暴力暴力で返すやつもいる。これもまたクズなのだ

執拗以上というワードに残念な気持ちにされました。

いじめをしている以上、叩かれるのは仕方ないでしょ。だから執拗以上”なの。限度がある。人格否定とか誹謗中傷はいじめっ子と同じ。

豊田真由子議員の音声を聞いてると吐きそうになる

豊田真由子議員報道を見ていると、本当に吐きそうになってしまう。

暴言の内容以前に、あの剣幕でまくし立てる中年女性が恐ろしくてたまらない。

かつての職場にも、あの勢いで人格否定してくる50歳近くの女性がいた。

結局、左遷されたけど。ざまあ。

でも豊田議員の音声テープが流れる度、そのときのことが、どうしてもフラッシュバックしてしまう・・・。

ほんと、無理。とても聞いていられない。

なので、あの人のニュースになると、すぐにチャンネルを変えることにした。

豊田真由子議員ニュースは、あと●分で終了します。」とかテロップつけてくれないかな。

その時間になったら、チャンネル戻すからさ。

そんなことしだしたら、全部のニュースにつけなくちゃいけなくなるか。

現実的提案でした。はい、ごめんなさい。

お局様よ、あなたから受けた心の傷は今も癒えていません。

弱者優遇されているのを見ると反吐が出る

障害者、お年寄り女性妊婦貧困者、病人子供

おおっぴらには言わないが、彼らが優遇されているのを見ると反吐が出る

まあ社会圧があるから、国や会社は従わざるをえないだろうが

 

別に弱者が嫌いなわけではない

弱者の多くはただの弱者

彼らは多くを語らず、自分のできる範囲で生きている

しかし一度彼らが「弱者宣言」すると、今の世の中では優遇されてしま

それらは一部の雄弁な強者達によって行われる

まるで言ったもん勝ちとでも言うかのように

 

結果的弱者の多くの生活はほんの少しだけ改善するが

私のような多くのゴミムシからは内心「彼奴等」と思われる

それは拭いきれない恨みとなるが、弱者宣言をした者は大抵気づいていない

それら含めて反吐が出る

 

弱者宣言をした者と、その周辺にいる強者

なぜか更なる弱者を見ようとはしない

弱者宣言した者は最底辺である必要がある

弱者弱者であり、強者であってはいけないのだ

 

このケースで大きい出来事は、おそらく女性黒人障害者だろう

私は彼らの現状に対して否定しないし、彼らから何かを奪おうとはしない

それは彼らの一部がやってきたように「権利の拡大を求めて声高に叫び奪うこと」と同義から

そのような反吐が出る行為を私のような心の弱い人間にはできっこない

 

権利の拡大は、非常に欧米的な思想だと思う

別に否定しない、そういう世界もあるだろう

ただ反吐が出るだけだ、ものすごく反吐が出るだけだ

正直、強奪することの方がマシだとさえ思っている

強奪が悪だなんて誰でも知ってるが、権利の拡大は現代人が誰しも善行だと信じている

誰かから何かを奪っていると気づかずに、彼らは今日善行を積むのである

https://anond.hatelabo.jp/20170629111032

いや、何かにつけて日本否定してるだろ、お前。

どうしたいの?

呪い言葉を吐いて溜飲を下げたいだけならそれでもいいんだけど。

https://anond.hatelabo.jp/20170629101811

人格否定叩きをしているのに自分が叩かれたら

人格否定が大嫌いと言い出す

障害者優遇を妬んでいるが

自身引きこもり無能

人としてこれ以上底が無いくらい最低だよな

https://anond.hatelabo.jp/20170629101811

いまどき増田で草生やしてんじゃねーよ。

煽りも草も人格否定も、そろそろ飽きろ。

https://anond.hatelabo.jp/20170629101009

勝手に言ってろ。

俺はこの手の人格否定に逃げる奴が大嫌いなんだよ。

https://anond.hatelabo.jp/20170626132146

あくまイメージだけど、高齢男性若い女性に近付くには財力や権力をチラつかせる絡め手を使うのが常套手段って刷り込まれてるからじゃない?高齢男性の恋心自体否定しないし、他の年代でも同じような手を使う男はいるけど

anond:20170628085442

なんとなくの勘だが財政再建派って理屈じゃないのだな。

理屈にそって説明しても意味がないのだろうな。

財政再建不況にする事。財政赤字の拡大は景気を加熱させる事。ようはバランス問題でどちらもリスクがあるのよーくらい雑な方がいいのかね。

債務債権から政府債務1000兆の裏付けとして国民資産1000兆としてバランスする、国債を発行することで民間資産も増える仕組み。

国債発行に金融資産の規模は関係ない、返済能力インフレという制約のなかならいくらでも発行できる。

年寄りがいなくなっても資産は消えないし、負債も消えない。中央銀行システムのある自国通貨建ての国債なのだからインフレになるまで償還に問題は発生しない。

なので日本社会が続く限り肥大化し続ける、さら借金を減らすと次世代の金が無くなる仕組みです。ようは債務負担経済バランス問題

日本の本当のツケは次世代への投資を怠った事になる。就職氷河期世代少子化がそのツケ…

介護看護待遇を良くするのに増税したら、違う職種貧乏になるんだけど、なぜ下げる前提なのかもよくわからん

受益者負担原則を言いたいのだろうが3号年金問題にして、少子化を進めたいのか、改善したいのか落ち着こう。

色んな先進国人口置換水準である2.07を下回っているが経済成長しているので日本が異常事態なのをまずは認めよう。

消費税劇薬じゃなくて何も改善しない。まず「税収=国民所得×税率」になる。

日本は97年の金融危機多重債務問題、緊縮にリストラと多重のデフレ不況に陥る。

GDPが減る→税収が足りない→赤字国債→国の借金が大変だ→公的投資削る→GDPが減る→税収が足りない→赤字国債→国の借金が大変だ→公的投資削る→最初に戻る

この悪循環株主資本主義グローバルジェンダーフリー非正規で「国民所得」が伸びない「税収」が絶対に不足する構造になる。

デフレ国民所得が伸びないので税率や福祉費用を上げれば短期的に上がるがGDPが増えない構造悪化する。(外需によって改善はあるが実感のない景気になる)

ついでにPBやB/C分析景気対策が打てない国になっている。小渕、麻生2013アベノミクスは本当に奇跡

デフレであるかぎり問題解決しない。

問題を上げながら問題解決する方法否定してるんだから、そりゃデフレ20年やるハメになるわな…

何事にも興味が持てないという君へ

「何事にも興味が持てなくて困る」

と、言われた。

興味が持てないって言葉便利だよね。

もし、何か始めたとしても「興味が持てなかった」と言って辞めてしまえば「仕方ないね」と言われる可能性が高いからね。

自身への否定もされず、その物事自体否定もせず、誰も悪くないような結論に至ることができるからね。

ただ、この言葉を全ての物事に対して使われると、逃げているのではないかなと思ってしまうのだ。物事への責任転嫁で、自分は悪くないと主張しているように聞こえてしまうのだ。

責任転嫁成功してしまえば、自分には非がないと勘違いしてしまう。そしたら、君はずっと興味が持てないままなのだろう。

一度振り返ってほしい。

本当に興味が持てないのかを。

始めから物事に対して、否定的に捉えていたのではないのか。

「興味が持てない」という言葉を使って逃げているだけではないのか。

君は好きな食べ物芸能人場所とかは持っているんだよね。

まずは、その身近な好きな物から肯定的に捉える見方を身につけて欲しい。

そして、その好きな物を好きな自分を認められるようになって欲しい。

君には自己肯定力が足りないのも一因だと思うのだ。

頑張れ。

私は批判が出来ていると思っている人はちゃんと批判できてるの?

批判しているつもりで人格否定していないか

批判しているつもりで見下していないか

批判しているつもりでマウンティングとりたいだけじゃないないか

批判しているつもりで自分偏見ダダ漏れしていないか

自己肯定感在庫がもうない

パワハラ否定されまくったトラウマだと思うけど、

何をやっても「多分これをやると怒られる」とか勝手忖度をして、

「才能なくてすいません天才じゃなくてすみません私ごとき時間使わせてすみません」ってなる。

これ以上自己肯定感を下げて、悩みながら生活するくらいなら、

死んだほうが手っ取り早いんじゃないかな。

だって死んだら悩まなくて済むんだし。

2017-06-28

ストックホルム症候群という言葉

ミステリーにおける最重要人物と言えばやはり犯人だろう。そして作中で犯人に深く関わる主人公が、犯人共感を覚え、最後には奇妙な絆で結ばれる、というのは定番ながら熱い展開だ。

だが、そこに水を差す馬鹿がいる。「何故、自分を殺そうとした相手のためにそこまでする? それはストックホルム症候群というやつじゃないのか?」などと訳知り顔で語るアイツだ。死ねボケナスストックホルム症候群という言葉には、人の内に生じた共感の情を頭ごなしに否定する悪質さがある。

犯罪というのは非日常だ。そこでは普段よりも本当の人間性が剥き出しになる。犯人自分動機や身の上を正しく理解してほしいと思っていることは多いし、犯人を追う主人公はそれらを深く知ることになるだろう。そんな関わりの中で得た感情情報を重視することの何が非合理だろうか。

人間自分心理専門用語で分類されると謎の敗北感を感じ、まるでその感情が浅ましいものであるかのような印象を与えられる所がある。しかし実際のところ、そんなことで感情価値は下がらないし、その感情否定しなければならない理由にもなりはしないのだ。言葉に惑わされず、自分の心を大事にしたいものである

パクリっぽい」まとめ

https://togetter.com/li/1124121

これ、自分はやまもと氏の方を先に見てたから、あとからアボガド6氏のを見て、「アオイトリデ」を思い出した。

こういうのは先に出したもん勝ちだと思うけど、かぶるのはしゃーないな。まあ自分は「似てる」と思ったのは

否定しないが、ここの下のコメント・・・多すぎて上の方しか見てないけど、「全然違う」って言い切る人が多くて、

いやパクったかどうかはともかく、似てるのは事実じゃない?と思うんだけど・・・

伝えたいテーマが違うから違う、と言うのは分かるけど、目で見た表現としては似てるよね・・・

まりにきっぱり違うと言い張られるとそれはそれで違和感だわ。

あと、やまもと氏ディスることないんじゃないの。「こっちが先に出したのに」と感じておられるなら、

多少は不愉快でしょうよ。

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