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はてなキーワード: メディアとは

2018-10-23

[]

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.epochtimes.jp/2018/10/37153.html

foobarchocobo 常任理事国による犯罪なんだから国連が役に立つことはないんじゃないか。こういう繰り返される理不尽人類歴史なのだろう

hosyu_ha 日本軍性奴隷強制連行は「どうして誰も助けなかったのか?」と言っている宇予くんなのに、ウイグル人には「どうして誰も助けないのか?」と言わないのは何故ですか? https://matome.naver.jp/odai/2147341946701299501

aquatofana こういう問題(もっと古くは常任理事国核保有国であることによる核不拡散の停滞)があるから制度を変えようという提案は幾度もあるが、参入しようとする日本世界の手本とは言えないような姿勢から支持されないの

Cunliffe 大紀元って、確か反中共産党系だと思うんだけど、情報源としてどれくらい信用できるんでしょう?(選択的懐疑

nanana_nine 実際問題ネトウヨ人権活動家が騒いでも政治レベルで動かないと何も起きない。自民党人権問題に興味がないし、ウイグル経済的なうまみがあるわけでもないから、なにも動かない。

y-mat2006 ただしソース大紀元

Gl17 人権的抑圧があることは長年国際社会非難してる。「人権屋ガー国連ガー左派メディアガー慰安婦像ガー」と、眉唾メディアの一件を盾に "他国人権加害を追求するな" ばかり言い立てる人らは一体何なの。

kincity ここで銅像云々いって溜飲下げてるタイプのひとたちが自国自民族戦争に負けた時に真っ先に同胞の女を敵国に売りとばすタイプのひとたちなんだろう。手前が気持ちよくなるためによそ様の人権蹂躙をネタにするな

Zephyrosianus 各種の人権団体が批判しているけど、なるほど中国に対してはグローバルなスタンダード批判できるんだね。

senbuu ひどすぎる。日本入管とほぼ同じ。

namab 大紀元ってカルト宗教法輪功広報誌だぞ オウム真理教新聞出してたら内容信じるか? なぜ日本批判は疑うくせに中国批判は2秒で信じるんだ

yosio789 ソース大紀元www 中国共産党は少数民族を大切にして大学までたくさん作ってる。北京五輪開会式にも出てきたよね。アイヌ民族琉球も見捨ててる日本人とはえらい違いだ。

「頑張ってるママ」を支える人達

同じ課のあの人は働くママだ。

雑誌とかwebメディアにも取り上げられたことのある人。おしゃれなファッションに身を包んで仕事育児の両立を体現してる人。

まわってきたインタビュー記事を読んだら、夫が協力してくれるから自分も好きな仕事を続けられて幸せって書いてあった。

なるほど〜〜なるほどなるほど〜〜。

でも、仕事を続けられてんのは言葉は悪いけど中途半端しか働けないあなたを支えてる同じ課の人間たちじゃん。

遅刻は当たり前だし、子供の熱で早退するからって自分仕事を遠隔で誰かに無遠慮に投げたり、だからといって正式に誰かに引き継ぎするのは居場所がなくなるから嫌なのか頑なに私の役割なんでって突っぱねるし。みんな自分仕事ある中で、分担してあなた仕事やってるの。

子供を産んで育てるってとても大変で重要なことだとはわかってる。当たり前の権利から周囲に遠慮する必要はないって思ってるのかもしれない。仕事育児の両立してる私が一番忙しいって思ってるかもしれない。

けど周囲の人もあなた想像してるより、大変だし負担だよ。

一言、ごめんねとありがとうがあるだけでも全然違うのにな。みんなあなたと話さなくなってきてるの理由がわかったかな。気付いたかな?まだ間に合うから今日から、はじめよう。

テレビは嘘だらけ」←不十分

インターネットは嘘だらけ」←不十分

「あらゆるメディアは嘘だらけ」←不十分

「全ての情報は正しさを検証する必要がある」←不十分

「我々がこの地上の世界で目にする事象は全て魂で認識するイデアの模造品にすぎない」←正しい

2018-10-22

anond:20181022152740

今でも、ビデオVHSとかテープの録画メディアって思っている人いるよね。

DVDBDビデオじゃないから、ビデオって言ったあとに「間違えたとDVDだった」言い直したり。

当時のビデオテープレコーダーの略としてビデオって語が使われているのと、

ブラウン管になにか映るものテレビしかなかったから、アーケードテレビゲームって言っちゃったんだろうね。

anond:20181022133448

一時期そういう状況を変えるために、既存テレビ報道アンチテーゼとしての、インターネット政治プラットホームを創ろう、という流れが頻発したよな。

結局のところ、数回の選挙以降は維持されることもなく消えていったか、大して既存メディアと変わらない扇動空間になっていったかの、どちらかだったが。

あれ理想はよかったんだけどな。

運営する人間能力とか人間の本性のほうが、どうもついてこないようだね。

それはメディアが悪いんだよ

野党議員漢字クイズカップラーメンクイズみたいなことやり始めたのだってメディアのせい。

あいテレビネタになることやった時だけ手柄として全国放送で流してもらえるから

テレビで流してもらうと有権者から反響全然違う。

「ああここにニーズがあるんだな」って学習をすることになる。

youtuberが突然大ヒットした時のネタ意識せざるを得なくなるのと一緒。


最近よく「野党はアベ叩き自民叩きばかりでなく代案を出したら?」って呆れられてるけど

そういう野党にしたのはメディア有権者

代案なんてよっぽど奇抜でないと何のアピールにもならない(と少なくとも野党議員は感じている)。

与党と大きな差のある独創的な政策なんてない(民主特にそう)。


議員としての本来仕事

議会地元でコツコツ建設的な仕事や修繕的な仕事を積み重ねて頑張っても

そんなの誰も可視化してくれないし確かめてもくれない。

次の選挙議席を取れるかどうかは自分が日頃の仕事を誠実にクオリティ高くこなしたかどうかより

メディアが導く世論の「流れ」に左右されるところが多い。


そしてその「流れ」をてっとり早く作り出せるのは

なんらかの敵失やそれへの騒ぎ立て・攻撃ということになる。

こういう学習を長年強制されたら誰でも批判第一攻撃第一の振る舞いになってしまう。

ポジティブ仕事をこつこつやって、それをちゃん評価査定してもらえるようなまともなサイクルが回ってない。


これは特に古代中世農民に似ている。

そんな農民気持ちになって考えてほしいけど

まりにも天候によって収穫が左右されちゃうなら

天候にアプローチすることを重視しようと思うでしょ。

コツコツ田圃の手入れをするより神への祈りや生贄の儀式が増えちゃう


人を批判ばっかりしてる人と言うのは

そういうことをしてるときだけ相手されてそれを学習した人。

こつこつ頑張ってることを見ててもらえて評価してもらえるならそっちを頑張る。

こつこつ進歩前進してる人は「他人をなんとか引き摺り下ろしてそれで一気に大儲けしよう」って発想にはならない。

政治シーンが批判攻撃ばっかになってるとすればそれはやっぱり有権者が悪くて、

現代では有権者の行動をそういう風に誘導するメディア諸悪の根源


元増田がどんなに志を持って「有能な政治家を評価する流れにしたい」と思っても

メディアが叩き主導の流れを作ってる限りそれに抗するのは無理。


野党にとってさらにひどい話なのは

国民結構「叩き」の流れにうんざりしてるということ。

元増田のような人は着実に増えている。

から野党がどれだけ精力的に与党を叩いて、それをメディアが連日取り上げてくれてても、

長期間そうやって頑張ったのにびっくりするほど支持者が増えない。


メディアに認められてるのに支持はついてこない。

野党学習したやり方にすら裏切られつつある。

そして狭くなった支持者やメディアはそんなことお構いなしで

従来通りの「叩き」の活動もっともっと要求してくる。

これはあまりにも変だぞ、と気付いてももうどうにもならない。



ついこのあいだ立民の枝野さんが地元の駅に来るって言うんで見に行ったんだけど

まず地元国会議員市議会議員がそれぞれの日頃の活動や志を述べたり

互いにこんなこと協力して頑張ってますとか語ってたら

前の方にいた高齢男性が苛立った怒声で

「何の話をしてるんだ!」「緊張感がないんだ緊張感が!」「戦う話をしなくてどうする!」と喚きだして

怒鳴られた女性議員は一瞬動揺したもののすぐスピーチ話題与党叩きのテンプレ話に移行してすべらかな早口首相自民攻撃しだした。

おそらくああいうのも日常茶飯事なんだと思う。

観衆のいいポジション殆ど高齢者に占められていて彼らは怒鳴り声に好意的な笑い声を出していた。


議員特に野党議員日常はそんな感じ。

尖った支持者や高齢者と視聴率第一メディアに囲まれて叩きの手法しか許されず

日頃の仕事をコツコツやって報告すると有権者に怒鳴りつけられる。

これじゃどんなに頭のいい人が高い志をもって議員になっても

長くやるうちに叩き屋・攻撃屋になるしかなくなる。

そしてそのやり方が世間のマスからはむしろうっすらと嫌われていて

志を売ってニーズに媚びたことのご褒美すらもらえなくなってきてる。




繰り返しになるけどこの環境有権者一人一人が変えるのは無理。

地元議員さんのいいところを見て褒めよう」なんて草の根的にやってもメディアの叩き情報に押し流されてしまう。

ポジティブ情報ベース議員を品評する世の中にしようとしたら有権者にかなりの知識リテラシー必要になるけど

メディア有権者をそんな風に育て上げる気はないしメディア自身もそんな品評する能力があるかどうか。

要するにこういうのは変わらない。


anond:20181022001417

2018-10-21

切断処理信者は全員知能が低く卑怯例外はない

何かネット炎上した案件があると、必ず出てくる「切断処理信者。特徴的な発言は以下のとおり。

このような主旨の発言をしたやつらは、ぜったいに、かならず、一人の例外もなく知能が低く卑怯者です。

間違いはありません。

なぜ彼らは知能が低いと言えるか

切断処理」という言葉に明確な定義はありません。

しかしこの言葉を好んで使う人たちから推察するに、切断処理とは、

ある属性思想趣味・主張――ここから簡単に「グループ」と呼びます――に属する一部の人を、「この人は私のグループではない」「この人の行動はグループ全体の意向とは異なる」と表明し、あるいは攻撃することだと思われます

さて、この時点で知能の低くない皆さんはお気づきかと思います

一体、誰が、どの立場で「同じグループか否か」「このグループ意向は何か」を決めるのでしょう。

男、女といった属性はいうまでもなく、フェミニズムヴィーガニズムなどの思想だってスタンス解釈多種多様です。

たとえ宗教であっても、教典を定めているにも関わらず、解釈時代によって多くの派生が生まれますし、その派生のなかでもどれだけ敬虔かに個人差があるでしょう。

例えば企業社長のような、メンバーのはっきりした集団の長でもない限り、あるグループ代表して意向を述べたり、あるグループメンバーかどうかを他人が決めることは不可能です。

こんなこと、おそらく知能の高い皆さんには当たり前のことと思いますが、

切断処理他人に迫る人たちというのは、こんな当たり前のことさえわかっていないのです。

かわいそうですね。

でも、もしかしたら切断処理信者はいうかもしれません。

「何もグループ代表して言えというんじゃない、お前自身が何に賛同するか/何に反対するかを言え、俺が求めている切断処理とはそれだ」と。

でも彼らは気づかないのです。

その「個人個人主義主張」は、彼らの目の届かない範囲で日々無数に当たり前に行われていることに、

そしてそれを「切断処理信者」の目の前でやれ、と強要する大義などどこにもないことに。

いえ、その切断処理信者が、たとえばものすごい影響力のあるジャーナリストだとか、何万人にも発信できるメディアをもっているとか、そういうことであれば、「個人主義主張」を伝えることに、人によっては意味を見いだせるかもしれません。

しかし、「切断処理しろよ」と喚いているのはただのブックマーカーとかただの増田かせいぜいただのブロガーです。

そんなただの人に、「私個人はこう考えている」となんの代表でもない個人が伝えること。

それの、どこが、「切断」なのでしょう?

ある個人が、個人の主張を言うことを強要した。残った事実はそれだけだというのに。

けれど彼らはわからないのです、そんな程度のことが考えられないのです。

彼らは、ひとつの「グループ」に見えるものでも、実際には色々な立場と考え方があるということに耐えられないのです。

そういう処理能力の弱さを、知能が低いと言わずしてなんと言いましょう。

なぜ彼らは卑怯者だと言えるか

そんな知能の低い彼らは、どうして他人切断処理を迫るのでしょう?

それは、彼らが卑怯からに他なりません。

前述のとおり、ひとつの「グループ」に見えるものでもそのなかには無数の考えと立場があります。当たり前ですね。

しかしそんな当たり前のことを、切断処理信者理解できません。

それは知能が低いのが理由だとお伝えしましたが、もうひとつ理由があります

彼らは、本当はその「グループ」に興味がないのです。

炎上した案件に飛び付いただけで、

炎上する問題が出た背景も、その「グループ」にどんな考えの人たちがいるかも、全然興味がないのです。

彼らは、ただ炎上した案件に飛び付き、気持ちよく叩ける相手を叩きたいだけなのです。

しかし、その「グループ」をまるごと叩いてしまうと、他の人から自分が叩かれるのは目に見えています

から彼らはいうのです。

「いっしょくたに叩かれたくないのなら、問題を起こしたやつらを内部批判して別の名前をつけろ」と。

まり気持ちよく叩いても誰にも非難されない、そういうサンドバッグを作って自分差し出せ、と言いたいのです。

それが彼らのいう「切断処理しろ」の正体です。

他人を叩きたい、けれど自分は叩かれたくない。

差別をしたい、けれど差別主義者と言われたくない。

から同じ「グループ」に見える人たちに、「叩いていいグループ」の切断を迫るのです。

本当に卑怯気持ちの悪い考え方ですね。

なお、実際にはそんなことは不可能です。

前述のように、なにかを代表して発言することは、現実組織でない限りはほとんどすべての人にとって不可能からです。

また、炎上案件というのは傍目には分かりやすく誰かが悪者でも、その「グループ」に近しい人にとっては非常に複雑で簡単には解決できない問題が絡んでいたりします。

あるグループについて深く知れば知るほど、簡単に誰かを「切断」すれば済む問題など存在しないことに気づきます

大抵の問題は、まったく興味のない人間勝手断罪できるようなものではないのです。

これも、知能が高くできうる限り公正であろうとする善男善女のみなさんには当たり前のことなのですが、切断処理信者にはわからないのです。

悲しい生き物ですね。

切断処理をしたつもり」の人たち

しかし、切断処理信者バカ卑怯なくせに声だけは大きいので、

時に哀れな人たちが騙されて、言われるがまま「切断処理をした」と言おうとします。

たとえば以下の増田です。

https://anond.hatelabo.jp/20181015091744

オタク普段からオタクに悪い人はいない」と言ってるけど

徹夜組に対する対応を見る限り既に切断処理してる

コミケ禁止されている「徹夜組」、つまり前日から会場に列を作り並ぶ行為禁止されています

深夜に大量の人がたむろすることで近隣住民不安煽り、また現金精算が基本の即売会に並んでいるとあって犯罪の温床にもなりやすいからです。

しかし毎年徹夜で並ぶ人たちはあとを絶たず、これには毎年ネット上でも批判の声が上がります

まだ13日なのにコミケ徹夜組大量発生か!? 徹夜組へのメッセージが(画像で)集まる - Togetter https://togetter.com/li/860094

では、これでオタクコミケ参加者の「切断処理」は終了しているのでしょうか。

答えは「お前んなかではそうなんだろう、お前んなかではな」です。

もうちょっというと「は? だから???」です。

いくら画像大喜利徹夜組批判してみたところで徹夜組はいなくなっていませんし、近隣住民不安は消えません。

徹夜組対策のために実際に汗をかいているコミケ運営についたは畏敬の念に堪えませんが、

コミケ徹夜待機が「オタク」というグループが起こしている問題だということに一切変わりはありません。

彼らの大事な「切断処理」なんてその程度のものです。

仮に「切断処理をした!」と主張したところで、せいぜいがインターネット議論ごっこ武器程度にしかなりません。

そもそもがくだらないのです。

誤解しないでいただきたいのは、ルールについての草の根啓蒙否定するわけではないということです。

明確で正統なルールがある場合においては、みんなで少しずつ意識を高めていけるのはいいことです。

しかしそれを「切断処理」と呼ぶの馬鹿げていますオタク関係ないことになるわけでは、ありません。

知能が低く卑怯者のはてなユーザーをどうするか

このように、切断処理信者は頭が悪く卑怯インターネット上の議論しか興味のない、大変残念な人たちです。

では、同じ「はてなユーザー」というグループにそのような残念な人たちを抱えてる善男善女の読者の皆さんは、いったいどうしたらいいのでしょう?

答えは簡単です。

どうもしなくて、いいのです。

だって単にたまたま同じサービス使ってるだけの他人です。

あなたは、あなた主義主張を、あなたのしたい場所あなたのしたい相手にしていけばいい。

あなた賛同したいと思った意見賛同し、反対したいと思った意見に反対し、発言したくなければ発言しなければいい。

他人に「切断処理しろ」などと迫られる必要はありません。

切断処理信者のような残念な人たちを放っておいては、はてなユーザー全体がレベルが低いと思われ」ますか?

もし万一そんなやつがいたら、そいつもおろかな切断処理信者というだけです。

オタクも、フェミニストも、男も女もみな同様です。

ただ、ルールや法に抵触していたら、善男善女義務として粛々と通報しましょう。

また、あなた自身批判したいと思った場合はいつでも遠慮なく批判しましょう。

我々に必要なのはたったそれだけです。

[]2018年10月21日9:00時点、増田よりお伝えします。

ホッテントリ30件中

1位 togetter 9件

2位 はてな匿名ダイアリー 6件

3位 朝日新聞デジタル 3件

4位 NHKオンライン 2件

5位以下は1件のみ

(ねとらぼnote.mu、クーリエジャポンCNN宮内庁GIGAZINE東洋経済はてなブログ個人デイリーNKジャパン時事通信)

【時評】

アルゴリズム変更によってはてなブログが上がりにくくなった代わりにtogetter増田ばかりになった。どちらも炎上ネタが主なメディアなので、ホッテントリの風紀的な問題は今後どうなるのだろうか。注視必要である。(増田増夫記者)

キズナアイ騒動がひと段落した様子だが、togetterより日常の男女衝突ネタが次々と投下されている。今後も小規模な小競り合いは続くだろう。(増田升美コメンテーター)

「俺はまともなオタクだがアイツラはクソだ。オタクを守るためにクソオタクを弾劾しよう」みたいこと言い出す人に名前つけてほしい

キズナアイの件、千田さんにしても宇野さんにしても、過剰に批判してた人たちってみんなオタク自称してるんだよね。

自分たちオタクだが、自分きれいなオタクなのにあいつらのせいでオタクイメージが下がるから叩くって論調の人しかいない。

違ったのは言い出しっぺの太田啓子さんくらい。

あの少年なんちゃらでさえ俺はオタクだが、オタクからこそお前らを叩くっていう言い方をする。

シュナおじやマルクスおじが俺は男だからこそ男を叩くって鼻息を荒くしてるのと同じ現象

そしてまたオタクだけどオタク叩くわ病に感染した人が。



ホントにすごいな、最近ブコメ論調。いつからこんなに被害者意識に凝り固まってマトモに話もできないクソオタが多くなったんだ。

・知性のカケラもないブコメが多くて唖然とするな。俺もオタクだし、記事異論がないわけではないではないが、ジャポニスムメディアによる女性像の変化に関してガチ研究者バカ扱いはできんわ。よーやる。

多分これから1週間後くらいに完全にオタク叩きマシーンに変身する。こういう人何人も見た。


こういうのが許されるなら、フェミニズムの方だってクソフェミ切断処理したっていいじゃん。

なんでフェミニズムの方は一人でも狂った人がいたら全体が批判されなきゃいけないの。

わたしだってはてなで暴れてるような人たちは頭がおかしいと思ってるよ。怖いから直接言わないだけだよ。

社会学を学んだ人への質問

anond:20181020130536

さすがに他人文章力を侮りすぎじゃないでしょうか。

キズナアイのあの解説記事女性役割固定化しかねない、だからNHKにはふさわしくない」、

というような主張内容は理解できてるはずですよ、賛同するかは別にして。

理解しているからこそ、

「ならば女子アナや他の番組AKBジャニーズの方が、あの解説記事よりも日常的に目にする機会が多いし、より一般的から問題も大きいのでは?」という疑問が初期から出ている。小さい被害を指摘されたことで、大きい被害の方へ意識が向くのは当然でしょう。

その上で質問があるのですが、

数多あると思われるジェンダーロールを固定化しかねないメディアの中で、あのノーベル賞解説記事は一番悪質な例なのですか?だからこんなに長期に批判されているんですか?

日常的に放送されている番組よりもただの特集記事批判されているのですが、これは妥当なんですか?恣意的ではないのですか?

社会学者フェミニストが寄ってたかって騒ぎ続けなければいけないほど、緊急性の高い例なんですか?

NHKに対する批判らしいですが、他のNHK番組と比べてもあの解説記事は抜きん出てひどい例なんですか?

ならばそれらの根拠をお願いします。

何故いつもまでもあの解説記事にこだわって、それだけを燃やし続けているのかが理解出来ません。

つのケースだけを検証し続け、その中で短絡的に結論を出すことは、一般的議論に発展させることよりも建設的なんですか?

それでいて、キズナアイに対する認識を深めることもせず、間違った認識のまま議論をする事は、わら人形論法と言われるものとどう違うのでしょうか?

千田氏も、いまだにキズナアイの相づちの回数を数えたりしていますが、社会学的には、他の番組比較検証するよりも意味がある行為なんですか?

オタクの態度を問題視する意見がありましたが、NHK芸能事務所や他のメディアは、ジェンダーロールの固定化を認めて謝罪などをしてるのですか?

折角ですので、説明をしていただけると有難いです。

新宿ベルクに行ったら予想外のウマさ&安さだった

これは彼らの反差別にも説得力が生まれるというものですよ・・・

一方、店の悪口twitterという公のメディアで垂れ流したフェミニストさんは社会に何を提供してるんだろう・・・

リベラルとしては考えさせられました

私もタバコは嫌いなんですけどね

2018-10-20

教える男性/教わる女子構造が悪いってよく言うじゃん?

ホッテントリにある>https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57987?page=3<見たんだけど

正直さ、大多数の人は

「去年のNHKノーベル賞特設コーナーの生徒役は男の子で、ガイド女性でした。」

「今年のNHKノーベル賞特設コーナーの生徒役は女の子で、ガイド男性でした。」

って聞いても、別になんとも思わんでしょ。

でも一部の人は「今年のNHKノーベル賞特設コーナーの生徒役はキズナアイちゃんで、ガイド男性でした。」と聞いて

「なんだって!?

“教える男性/教わる女子”という、メディアにおける男女の役割分担、特に教養的な番組典型的パターンに陥っている!!!

知的男性男性に比べて知的に劣る女子”という発想を、無意識のうちに刷り込まれしま!?

ってなるのヤバくね?古すぎね?

未だにこんな事気にしてるの君たちだけじゃね?

ぶっちゃけ今時は教師役が男でも女でも気にならんし、生徒役が誰だろうが気にしてないじゃん。誰がやってもいいじゃん。

この価値観の変化は、打倒ジェンダーロールを掲げて戦った人達の成果の一端だと思うよ。素晴らしいね

でも言い出した側が時代に追いついてねーの。笑える。

はてブベジタリアンビーガンに対する偏見が低レベル過ぎてヤバい

肉屋を襲う過激派ニュースのせいで勘違いしてる奴がいると思うんだが、ビーガンそもそも過激派でなんでもないからな。

ビーガンは頭おかしい滅ぼせって言ってる奴らは、イスラム教徒は全員テロリストだ滅ぼせって言ってるのと変わらないからな。

欧州じゃ人口的にも数%はいて、お前らがやってるのは、「ユダヤ教教義ヤバイ、全員改宗殲滅しなきゃ」ってのと同等。こっち来てビーガン滅ぼせ表明したら逆にナチスレベル過激派扱いされても不思議じゃない。

ヨーロッパ大学学食じゃ必ずビーガン向けメニュー提供されてるし、若い人にはかなり浸透してきている思想だ。(ビーガンと書かれた食べ物は必ずしもビーガンけが食べるわけではなくて、欧州では肉を食べる量を減らそうと考える人は多い)

典型的批判動物を食べるなら植物を食べるのもおかしいってのがあるんだが、そういうのはあくまで線引きの問題で、「自分と近い命をどこまで尊重するか」という話に帰結される。歴史をたどればほんの少し前まで白人有色人種の間に線を引く人間もいたし、戦争状態ともなれば自国民とそれ以外の間に線ができかける。

それにしてもビーガンは極端に思えるだろうが、伝統的にも欧州で言えば修道士日本で言えば厳格な僧侶実践すべきと教えられてきたことだ(実際はよく破ってたんだが、それは現代ビーガンにもいえるかもしれない)。歴史的にも何一つおかしい話じゃない。(ビーガン滅ぼせって言ってる奴らはもう一度比叡山でも焼くんだろうか?)


肉食わないと生きてけないみたいに言う人間もいるがビーガンよりマイルドベジタリアンは卵とか乳製品食えるから栄養的には問題ないし、ビーガン大豆由来のタンパク質なら食い放題、タンパク質の加工技術が上がってビーガン向けの肉料理もどき加工食品ラインナップが充実したことで、栄養学的にも健康実践できるようになった生き方なんだよ。(多少平均寿命が縮むかもしれんが、こっちは肉の食い過ぎで太り過ぎてる人も多いのでなんともいえない。)植物由来でタンパク質をとれることを知らないレベル議論してる人間ビーガン栄養認識馬鹿にするとかどんな地獄なんだか。

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/newsphere.jp/national/20181019-2/

このブクマ偏見に満ちてるが、犬だって肉食性ではなく人間と同じ雑食性だと記事説明されてるし(実際日本では犬に肉由来のペットフード食わせるようになったのは最近の話。)、動物愛護の観点っていうのは「現状ビーガンドッグフード栄養が足りていないor高価であり保護されるような貧しい犬に行き渡らないという」極めて論理的でまっとうな指摘であって、お前らが表明してるような「犬が肉食えないのかわいそう」みたいなそれこそ人間視点見方じゃないわけ。


あと肉の生産に関する議論を補足すると、肉の生産には飼料コストがかなりかかっていて、地域によっては食料よりも飼料生産が優先されるせいでそこの貧困層人間が飢えているって指摘があるわけ(実際肉の生産止めたところでそいつらに食料がまわるかは知らんけど)。実際ペットフード生産地で餓死者が出てるんだとしたら、動物殺すのも植物殺すのも変わらんお前ら風に言うと、お前らの犬は途上国貧困層人間食い殺してるのも変わらんってことになるな。


ちなみに自分ビーガンじゃないし、欧州じゃ価格が安いのをいいことに毎日肉食ってるけど、自分ユダヤ人でも黒人でも朝鮮人でもないか差別してる奴らを無視するっていうのは違うと思うから怒りの増田を書かせてもらった。




追記誤読している人がいるようだが、普通ビーガン肉屋を襲わない。お前らの見てた海外ニュースには肉屋を襲う過激派ビーガンと呼ぶって書いてあった?度々引き合いに出してイスラム教徒にはすまないが、それは9.11の直後に「テロリストイスラム原理主義者」って誤解を広めたメディアがいたのと似たような問題最近だと一部メディアの「インセル」の使い方もそうか。それにしてもいつもはマスコミ不信決めこんでるのに、何かを悪く言うレッテルときだけは簡単に信じて扇動される層よくない。

もっといえば普通ビーガンは鬱陶しい街頭活動もしない。まあそれは言論の自由だけど。肉食について過剰に批判する層は表現規制フェミと一緒で一部の過激派という認識でよろしい。


ブコメに少し返信

ketudan

統計は知らんが欧州では明らかに多い。出羽守という指摘は正しい。

我が国事情も知らない物知らずが説教するな」っていうのは、ミャンマーサウジアラビア中国弾圧する側は同じようなこと思ってるだろうね。実際のところほとんどの人はそのあたりの国の歴史的背景について詳しくないでしょ?

mori99

ビタミン剤健康によくないという考えは、味の素健康によくないというデマに近接するところにあるんだが、逆にそう思ってるエセ科学層とビーガンが被るところもあってそのタイプ人間無知なまま子供育てると虐待まがいの結果を招くということはあるので難しい問題だとは思う。

verda

一応主語はてブではなくて偏見のはずなんだが。はてブ場所ととるか人の集合ととるか。人の集合にしても思想統一されてないのが当たり前だしなあ。タイトルで煽らないと人が釣れないと思ってたところは残念ながらある。

maguro1111

犬の幸せ特別視する思想いいと思う。やっぱり恣意的な線引きの問題ではある。犬は歴史的にも人にとって特別といえると思う。対立はいいと思う。非難されるべき偏見無理解。あと自由主義を前提とすれば他人自由を奪う押し付けもよくないとはいえる。そういう意味で嫌われるビーガンがたくさんいるのは知ってるが、おかしいのは押し付けあるいは個人自由を軽んじる姿勢であって肉を食べない思想じゃない。犬が肉を食べる自由は、その犬の飼い主の自由なのか犬自身権利なのかという議論はあるだろう。

anond:20181020182650

作劇上の都合だよ

幼女の口から喋らせる方が感情的インパクトが大きいからそうする

映画感情を売るメディアなのだから

感情的インパクトを最大化するようストーリーを構築するのは当たり前

偉い人からの期待がないと生きられない体になってしまった

親や教師(親も教師)、上司といった偉い人の期待に応えることが当然だと思っていた。

小学校時代は「教師の息子だからアニメ漫画を見ない」という周囲の期待に応え、それらを見ないように心がけていた。

とはいえおジャ魔女どれみ』とか『ひみつのアッコちゃん』とかを親に隠れてみていたりもした(妹尾あいこ萌えていた)が、少なくともアニメ漫画を見ていることは公言しなかった。

中学時代は「地域で一番の進学校の特進クラスに行く」、高校時代は「国公立大学に現役かつ一般入試で行く」という親や教師の期待に応えるため血反吐吐いて勉強してきた。

高校1年の頃から平日1日6時間休日1日14時間勉強していたこともあった。教養をつけるため、小遣いで日経新聞を買って読んだり図書館に所蔵された難しい評論を読み漁ったりしていた。NEWS23WBSも毎晩見ていた。

中学時代しかった人(高校は別)とも「バカが移るから接触するんではない」と親から言われ、電車の中で話しかけられても無視して難しい本や日経新聞を読んでいた。

んで期待通り進学校の特進クラスには入れたし、某公立大学偏差値的には関西学院大学立命館大と同じぐらい)に一般入試(前期)でトップ合格した。もちろん現役で、である

でも本当は自宅から一番近い高校普通科まったり過ごしたかった。進学のために早い段階から1日14時間勉強を強いられる環境はまともではない。

大学上智新聞学科同志社メディア学部江戸川大、東情大のようなメディアコミュニケーション関連の私大レベルピンキリだけど)にできれば推薦で進みたかった。

日経新聞を買う金で購買で美味しいものを食べたかった。図書館では難しい論説ではなくラノベを読みたかった。ニュースじゃなくて中高生向けの深夜アニメを見たかった。中学時代同級生とも話したかった。

けどそんなことは口が裂けても言えなかった。反抗なんて怖くてできなかった。そんなことして偉い人から見放されるのが怖かった。

 

大学の頃も親から研究職になれと無言の圧力をかけられ、修士課程に進んだ。研究者になる最低ラインだなと思って修士課程を出た後就職活動を始めた。

早く就職先を決めろ(できればホワイト企業)という両親の期待に応えるため何十社もエントリーした。結果研究職に無事つくことが出来た。

しかしそこは零細シンクタンクで、上司1人に部下は自分だけ(1人「この会社は楽だよ」と言ってきた先輩がいたがすぐ退職)。上司から過大な期待がかけられた。

上司からの過大な期待に応じなきゃと追い詰められ精神状態ボロボロになり精神病になり、終いには自殺未遂を起こし現在休職中。

休職中も「早期復職スキルアップ」という上司の期待に応えなきゃと思い、業務に関する専門書を十万円分ぐらい買い(学術書は高い)、それらを読み漁っていた。

しかし先日「お前には期待していない」ということを上司から言われ目の前が真っ暗になった。そして先週金曜日また自殺未遂をした。

からは「なんで早く回復しないんだ(=早く回復しろ)。遠隔地から来ているんだから交通費もばかにならないんだぞ。俺の手取りいくらか考えたことがあるのか?」みたいな感じでこってり絞られた。

早く回復するという期待に応えるため薬も毎日飲んでいる。規則正しい生活もしている。しかし早く回復するという親の期待に応えられていない。金も底を尽きた。どんどん追い詰められていく。

 

きのう「早く引きこもりから脱する方法」をネットで探していたら、偶然不登校情報を目にした。

曰く「不登校の中には『親からの期待に押しつぶされるパターン』もあります」とのことである

しかしたら自分も「周囲からの期待に押しつぶされてしまったのではないのか」と感じた。

とはいえ周囲の偉い人(=親・教師上司からの期待に応えることこそが自分存在意義である。偉い人間の期待に応えられるなら友達も娯楽もいらないと思っていた。

おかげで友達と呼べる存在は誰一人いない。趣味と呼べる趣味も今はない。

偉い人からの期待に応える以外で存在意義をまるで見いだせない。精神的に病んでしまったのも恐らくは「偉い人間の期待にこたえなければならない」と常時思っていたからではないか

そういったプレッシャーに二十数年晒されていれば、そりゃ精神も病んでしまうよな…と腑に落ちた。

からといって「偉い人間の期待に応える」以外で自分確認する術を持っていない。「偉い人間の期待に応える」ことを最優先にしてきたからだろう。

「偉い人間の期待に応える」という桎梏から解き放たれた時こそ精神病が寛解するときなのだろうが、そういうすべがまるでない身としては一生病人のままではないかと慄然としている。

夜中に耽る妄想と同じ思考回路家族を殺した少年メディアに取り沙汰されていた。

俺はそれが倒錯していると知っていたけど、オンリーワン個性とも思っていた。

何だか、どこにでも同種はいるのだな。この思考回路の唯一性は上書きされて、また同じような妄想に耽る時にはそれが連想されて汚されるのだ。

そう考えると、殺意が消えていく。

あの少年は、俺の業を持ち去ってくれたのかもしれない。

Gl17は新疆ウイグル収容施設レイプ批判していない

Gl17 人権的抑圧があることは長年国際社会非難してる。「人権屋ガー国連ガー左派メディアガー慰安婦像ガー」と、眉唾メディアの一件を盾に "他国人権加害を追求するな" ばかり言い立てる人らは一体何なの。

お前自身批判しないのかww

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.epochtimes.jp/2018/10/37153.html

千田氏の問題提起説明してみる

はじめに

 キズナアイNHKウェブサイトにおいてノーベル賞解説記事に登場しておりましたが、そのことをきっかけに、千田有紀氏などが指摘をし、さまざまな方面から千田議論に対する批判が寄せられ、さらには社会学のものに対する批判もされているところです(これらをキズナアイ論争と呼びます)。

 ですが、そのざまざまな批判を読んでいると、「これって実はコミュニケーション不足で、伝わっていないんじゃない?」と思うことが多くなりました。いろいろあって社会学を学んだ人間として、それはちょっと悲しいなという思いがあったので、千田氏の問題提起ちょっと分かりやすくお伝えできればと思います

筆者の立場

 筆者は、社会学修士号を得ています。今は大学から離れているのですが、離れてそう長くはありません。専門は千田とも重なる領域家族ジェンダー)もありますが、教育メディアでした。

本稿のスタンス

 あくまで、千田問題提起がどのようなものに基づいて行われているのかを解説するもので、その意見妥当性とかは議論しません。私個人としては、千田立場に立てば理解でき一理ある議論ではあるが、だからといって、それは多くの人の理解を得る話法ではないし、その背景事情を一切踏まえていないのは、学術的に一定ポジションにある人のする作法としては疑問を感じているというところです。また、千田学術的貢献はいろいろな批判があるようですが、私は一定程度は評価しています

 なお、アカデミック作法は基本呼び捨てですので、ここでも、基本千田として書かせていただきます

千田氏の問題提起について

 キズナアイ論争のはじまりは、千田投稿記事です。https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/]

 ちなみに、現在10月13日)、追記もなされており、社会学者にはそれなりに分かる文章にはなっているのですが、一般の人はなおのこと分かりづらいことになっています。後に公表された、『「表現の自由」はどのように守られるべきなのか? 再びキズナアイ騒動に寄せて』記事による補足を踏まえて、まず、千田議論の要点をまとめてみましょう。

 (1) キズナアイNHK解説記事において「相づち」をする役割となっている

 (2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 (3) 従ってキズナアイ解説記事における役割は、従来の女性が担ってきた役割を担っていることになる

 (4) そのことは、理系と呼ばれる分野で活躍する女性などに対して、好ましい状況を生むようなものになっていないのではないか

というところに整理できるかと思います

 社会学特にジェンダーフェミニズムを学んだ人だと、この4つの間を頭の中でこうかな?と繋ぐわけですが、普通の人はフェミニズムを体系立って勉強するわけでもないと思うので、「はて?」となるわけです。更にいえば、一つ一つの要点が「え?!」という感じになるかと思います

 千田議論理解するためには、とりあえず(1)は正しいものとして引き受けておいてください。そこが正しくないとなると、そもそも議論の前提が崩れてしまい、議論そもそも成立しなくなってしまうので、ご理解ください。

千田議論理解するための知識

千田議論理解するためには、いくつかの知識必要となります。一つは、千田の専門でもあるフェミニズム、もう一つは会話分析というものです。順に簡単に紹介しておきましょう。

社会学とは

 社会学は、社会対象とした学問です。といえば、早いのですがそれではよく分かりませんよね。社会学は、社会がどのように成り立っているのか、つまり社会の秩序はどのような形で形成されているのかを探求する学問です。例えば、古典的社会学特に日本戦後社会学では「農村」が特に注目されました。農村における人々のネットワークや、家族の在り方、そういうものに関心を持っているのが社会学です。

フェミニズムってそもそも

 フェミニズムを正確に定義することは困難ですが、フェミニズムを雑にまとめると、「女性地位を向上させようとする取り組みであったりそれを支える理論」というような言い方ができると思います歴史的には大きく2つのターニングポイントがあったとされています。それが「第1波フェミニズム」と「第2波フェミニズム」です。

 第1波フェミニズムは、1900年代ごろ、19世紀から20世紀へ移りゆくタイミングに起こりました。西欧諸国で主に婦人参政権を獲得する運動が中心に展開され、1920年代にはイギリスアメリカで実現をすることとなります。(ちなみに、日本はというと戦後婦人参政権が認められるようになるのですが、新婦協会青鞜社運動は同時代運動です。)

 第2波フェミニズムは、1960年代頃、社会運動が盛んになった時期に、女性らしさへの問い直しが運動として行われます代表例ではキリスト教社会では長らくタブーとされていた中絶合法化が挙げられます。また、この時代には女性が自らの自由に性を語るということが積極的になされるようになります

 いずれにせよ、その理論根底には、女性男性と同等の状況にないという認識に立っているということがあります

 第1波フェミニズムで焦点化されたのは、法律社会制度というものでした。第2波フェミニズムはというと、法的制度平等であっても、職場ではお茶くみに甘んじてしまっているし、男性と同じように性を語ることはできないというような、日常性差別特に焦点を当てていくようになるわけです。

 現代は第2波フェミニズムの延長線上にあります。#Metoo運動を始めとして、第3波フェミニズムがやってきているというような主張も時折みるのですが、第2波フェミニズムより後のフェミニズム運動について、多くの社会学者が納得しているような分類はまだ確立していないのが現状です。

マルクス主義フェミニズム

 上野千鶴子理論などを理解する上で重要キーワードが、マルクス主義フェミニズムです。そういう立場だと、だから上野千鶴子はそういう立場なのね、と理解できます千田議論もとりあえず、マルクス主義フェミニズム解釈すると、理解がしやすくなると思いますので、こちらを説明します。

 (フェミニズムにはさまざまな立場があります。ラディカル・フェミニズムリベラルフェミニズム等です。フェミニズム一枚岩ではないと、理解しておくと良いでしょう。)

 マルクス主義フェミニズムとは、先ほど、フェミニズム女性男性と同等の状況にないという認識に立っていると説明しましたが、そのような社会状況を生み出しているのは、今日資本主義社会システムなのであるといいます。で、これを理解するためには家父長制というキーワード理解しないといけないのですが、本題より長い解説になるので、そこら辺は上野千鶴子の『家父長制と資本制』をとりあえず参照してください。

上野理論を厳密に言うと、上野は、従前のマルクス主義フェミニズム教条的であるということで、それを乗り越える必要があると、主張をしています。)

 シンプルにいってしまますと、そのシステム資本制)の成立と密接に性差別を生む家父長制制度が続くため、性差別再生産(半分マルクス主義用語ではありますが)されていくということになります

会話分析

 会話分析というのは読んで字のごとく、会話を分析するというものです。まずは、社会学会話分析がなぜ重要になってくるのかをエスノメソドロジーというワードを使って説明したいと思いますそもそも社会学社会秩序はいかにして可能かを明らかにする学問です。そこで出てくる問いの一つにこの社会生活を営む人びとがやっていることを、研究者はどのように理解できるのかという問題です。

 この問題に答えたのが、ガーフィンゲルという人です。ガーフィンゲルエスノメソドロジーという手法提唱しました。エスノメソドロジーというのは、日常生活している人々が言動をどのように理解し、成立させているのかを、日常生活している人々の視点に立って記述するという手法です。

 エスノメソドロジーは、私たちの当たり前が、いかに「うまいこと」成立しているのかを見せてくれます。例えば次のような実験は非常に有名です。

A(被験者)「おはよう! 調子はどう?」

B(実験者)「調子ってなんだい?」

A     「いや、元気かどうかってことだよ。」

B     「元気かどうかって? どういうこと?」

こんな調子で話されると、本当に調子おかしくなりそうですが、こういう実験します。ここで浮かび上がってくるのは「調子」という言葉が、体調や近況を意味しており、それをお互い分かっているという「期待」をもって、Aは会話をしているということです。このような形で、秩序が形成されており、それらは記述可能な形で示すことができるとするというのがエスノメソドロジーです。

 会話分析の多くはこのエスノメソドロジーの考え方を踏まえて行われます。つまり、先ほどの会話のスクリプトのようなものを読んで、そのなかで、AとBはどのような「期待」をそれぞれ持っており、そこにどのような秩序があるのか? ということを考えているわけです。

千田議論を振り返ろう

 冒頭で、千田議論を強引に4点にまとめました。ここまでの道具を用意すればある程度説明ができます。それぞれの項目ごとにみていきましょう。

(1) キズナアイが「相づち」をする役割となっている件について

 そもそも実在人物は「先生役」とNHKサイトでも記載がありますように、ここで想定されているのは「先生」と「生徒」というコミュニケーションです。したがって「生徒役」となるキズナアイ基本的に「相づち」をする役割に当然のことながらなるでしょう。そもそも「生徒」の方が詳しいというのなら、「先生」が「生徒」の役割を担うことになるはずですし、「先生」と「生徒」という形で双方「期待」をもっていることは分かります別にこれが、男子生徒であろうと、まあこういう会話になるだろうなという感じではありますよね。

(2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 これは、先ほどのフェミニズム議論が役に立ちますお茶くみとかの補助業務に当たっていたということは、先の説明でもしましたが、今日でも、「相づち」をする役割は、女性となっていることが多いです。例えば、新春の、一体誰がみるのかよく分からない県知事が語る!みたいな番組がありますが、あのとき大抵女性アナウンサーが話を聞いたりしていないでしょうか。このとき女性アナウンサーは、多くは男性である知事に対して、その発言がしやすいようさまざまな配慮をしながら、質問を重ねていきます

 そこでは、主役はあくま知事です。アナウンサーが主役となって、知事いじめていくというような内容になっていないでしょう。これが、でも、田原総一朗との対談だったらどうでしょう。一気に様相が変わってきますよね。また、地元財界知事の対談だったらどうでしょう。そこに「相づち」はあっても、「相づち」をする役割知事の対談者は決して担っていないと思います。会話の主体になっているわけですね。地元財界の人が女性でも、この場合だと「相づち」の役割はまあしないかと。

 ここでポイントになるのは、知事一方的に語るというような形式を取る時には、女性アナウンサーがその役割を担うことになり、他方、双方共にしゃべる場合には、女性活躍機会が途端に減ってしまうというということです。これは、私たちイメージレベルでも大体共通しているのではないでしょうか。(もちろん、個別具体で違う話も多く、徹子の部屋黒柳徹子をどう評価するかは難しいところですが。)

 もちろん、これは、女性知事と同等の立場役割を担っている機会が開かれていないから、そのようにならざるを得ないという側面も当然ありますが、男性アナウンサーがそうそうなっていないということは、一つこのことを証明するものであるとも言えます

(「相づち」をする役割も高度な役割であるということは決して忘れないでください。)

(3) 従来の女性が担ってきた役割キズナアイ

 ここで、議論はもどってきて、キズナアイは「生徒」役ではありますが、「先生」の発言を引き出すという意味で「相づち」をするということで、記事トップにも出てくる主役のはずが、補助的な業務を担わされていることになります。このときキズナアイ女性と見なすと、これまで女性が置かれていた立場女性積極的に前に出られる環境制度上はなっているにもかかわらず、結局はそうはなっていないという状況と重なる部分はあるでしょう。

 再び、徹子の部屋黒柳徹子イメージすると良いかも知れません。徹子の部屋における黒柳徹子は独特の立ち位置で、徹子の部屋を見て黒柳徹子は単に「相づち」をうつ役割だけではない、ということが理解できるでしょう。なんなら、黒柳徹子の方が目立っていたりします。対談の形式が、黒柳徹子お客様を招いて話をしてもらうというホストであるためであり、従属的関係になっていないというところに、このキズナアイ対談と徹子の部屋の決定的違いがあるのだろうと思います

 そうして比べてみると、キズナアイ女性役割再生産するということになったというわけです。これは、性別役割分業を進めていくものであり、女性にとって活躍の機会が減ってしまうというのがフェミニストたちの主張と結びつけて考えることが可能なのです。

(4) 活躍する女性への影響

 この時、女性は従たる役割を担わされるわけで、その期待が持たれます。そうなると、女性は、主たる役割を担える存在なのにもかかわらず、その期待から、従たる役割を担い続けなければならない、そういった状況にはまってしまうのです。そして、そうした悪循環から脱却しなければならない、というのがフェミニズム基本的な主張です。

 このような女性観で考えられると、女性にとって好ましい立場ではないという千田の主張はそう的外れものではないということは理解できるでしょう。

千田氏の議論の失敗

 千田議論をするという状況を作り出したことでは成功していると評価できますが、その議論の中で、自らの論理妥当性を提示し納得してもらえたかというとそうではないと思います。後の対応によるところも多いのですが、それは、実は最初きっかけともなった記事の一番最後文章であると私は考えます

なお10月3日、9時の時点で、スマートフォンから見ると、キズナアイバストショットしか見えない(パソコンでは、へそなどの下半身が見える)。

 この一文が最後にあることで、キズナアイの見た目(容姿)を問題にしたいのか、と思ってしまう人も多いと思います千田氏は、後の議論でも、キズナアイ役割に焦点を当てており、容姿問題にしていないといっているのですが、冒頭の太田氏の議論あいまって、多くの人が混乱したと推察します。そもそもキズナアイってあくまAIであって性別を超越した存在なはずなのに、性別二元論に回収されちゃうのって、なんだかなと。

 さらにいえば、表現問題に回収してしまったのがかなり難しい問題にしています表現問題にすると、結局妥当表現は何かということに行き着き、その線引きは複雑になってしまい、誰も理解できなくなるため、神々の審判でも仰がなければ、なんとも言えないと思います

 まあ、この発言が全てのオチかと思います

本人が個人的に自説を語るのは「自由」の範疇だが、それを公共空間に置いたらどんな意味もつのか、少しは配慮すべきだったのでは?

https://twitter.com/chitaponta/status/1051615591004438529]

職業先駆者になりたい

メディアに取り上げられたりとか流行りだしてからその職業を目指してももう遅くて1番にはなれないもんなぁ。

2018-10-19

コーチングとかセミナーとか

例のパワハラの件はアメブロ界隈にはびこっている怪しげな高額セミナーの辺の匂いを感じる。

たぶんNLP自己啓発界隈のカルチャー最近コーチングとかヒーリングかに流れて、主に自己不全感のある若い女性を相手にした集金機構形成しているような気がするのだが、誰かあの辺のことを整理して解説してくれないだろうか。

YouTube 等のメディアセミナー的なもの親和性があり、ハマる人はどんどん見てしまうという構造はなかなかおもしろいがおそろしい。現代における立派なオカルト文化だという気もする。

横山由季子「ブロックバスター展は善か、悪か」を批判する

 美術手帖で連載中の「シリーズ:これから美術館を考える」の第6回、横山由季子(金沢21世紀美術館学芸員)による「シリーズ:これからの美術館を考える(6) ブロックバスター展は善か、悪か|MAGAZINE | 美術手帖」。一読して何が言いたいのか理解し難かったが、それもそのはず、書いている本人が考えがまとまらないと言っているのだった。

まとまらない考え、逡巡をそのまま書いてしまいましたが、現状を共有することで、今後の共催展、ブロックバスター展について考えるきっかけになれば幸いです。

https://twitter.com/blanche1002/status/1051094298815430659

 「考えまとめてから話せ、バカ」で済む話ではあるけど、一部好意的に受け止められている様子もあり、少しこだわってみたい。

 まず、かなり気に食わないことの一つに、ブロックバスター展について「善か、悪か」と問うている点がある。「善悪」というのは倫理道徳的価値判断であり、展覧会評価をするにあたってはなじまない言葉である。「是非」でよかったはずだ。にもかかわらず、横山は敢えて「善悪」という強い言葉を用いた。その理由は推測することも可能だが、不要から止めておく。ただ、私自身は「善か、悪か」という問いに答える気にはならないし、また応じて「ブロックバスター展は悪だ」と言っている人がいたら異様だと思う。些末な問題ではある。しかし、筆者の立ち位置や考え方が無意識に出ているように見受けられる所、注意を要する点である

 次。筆者はタイトルで「ブロックバスター展は」と議論対象提示する。そして文中で「ブロックバスター展」の定義を明確に行う。ここまではまったく素晴らしい。だが、なぜか横山は文中でブロックバスター展以外についても語り出してしまう。こんなわずか短い文章にもかかわらず、その対象を固定することすらできない。大丈夫なのか、この人?

 実際に対象になっているのはブロックバスター展と共催展である。前者も後者の一部だが、このうち60~70万人ほどを動員したものを指すと定義している。もちろんそれ以上動員した場合も含まれるのだろう。また、共催展以外でこの規模の動員は不可能と考えられる。すなわち、60万人以上の動員を記録した展覧会ブロックバスター展だと言っていい。明確だ。

共催展のなかでも、とりわけ規模が大きく大量動員が見込まれものは「ブロックバスター展」と呼ばれる。ブロックバスター展の基準について100万人以上の動員としている記述もあるが、近年ではさすがにそこまでの来場者を集めた例はないので、ここでは60〜70万人規模の展覧会ととらえることにしたい。広報会議メディア担当者と話していても、60万人あたりがひとつ分水嶺になっているような感覚がある。

 共催展一般共通するものであるならば、わざわざ分ける必要はない。だが、60万を越える規模になると、単に量の違いではなく、質の差が出るようだ。「60万人あたりがひとつ分水嶺になっているような感覚」というのはそういうことだろう。ならば、「ブロックバスター展」と呼び分けることに意味が出るわけだ。

 しかし、結局筆者が俎上に乗せるのは共催展一般であって、ブロックバスター特有問題についての指摘はわずしかない。筆者は読者にブロックバスター展のみに絞って考えて欲しいのか、それを含めた共催展一般について考えて欲しいのか不明である。というよりも、筆者自身の中で、その程度のことすら整理できていないのではないかと思われる。

 そんな筆者横山が共催展やブロックバスター展の「現状」についてどのように認識しているか批判的に捉えているか文章引用しつつ細かく見ていこう。

ブロックバスター展はその華やかな話題性によって、普段美術館に足を運ばないような人が展覧会を訪れるきっかけをつくり、美術裾野を広げているという側面もある。そのいっぽうで、やはり集客のために打ち出される広報の数々は「イベント」としての側面を強調するものであり、一過性の消費で終わってしまうのではないかという危惧がつきまとう。

 一過性の消費の何が悪いのかさっぱり分からん人生は短い割に、世界はあまりにも豊かだ。誰しもが、美術とがっぷり四つに組んでいる暇があるわけではない。すべてのことに入れ込むことはできないわけだ。学芸員成るほど美術真剣に取り組んでる横山も、例えば音楽とか、芝居とか、映画とか、ほかのジャンルに関しては一過性の消費で済ませていたりするわけでしょ? 美術に対してそういう態度をとる人たちを批判する権利なんかないわな。

そして現場学芸員は、採算性と学術性を両立させるという大きな矛盾に直面することになる。

 ブロックバスター展やそれに準ずる共催展に足を運ぶ人の多くは、作品を見に来ているのね。有名作に心踊り、傑作に胸を打たれに来てる。学術性とか、正直無くても構わないとすら思っている。

最近ではメディア側も展覧会事業にこれまでになく採算性を求める傾向にあり、10万人を動員する小規模の企画を年に何本も実施するよりも、大量動員が見込めるブロックバスター展を1本開いたほうが、労力的にも資金的にも報われるという事情もあるだろう。

 共催展の数を減らして、ブロックバスター展に集約していると読めるけど、事実なのか?

あくまでも組織としては採算性が優先されることになる

 当たり前なのでは。

ここで、そこまでの費用をかけてまで、海外作品を借りてくる必要があるのかという問いが生じるだろう。国内美術館にも豊かなコレクションがあり、それだけでも十分に展覧会は成り立つ。実際に、近年では国内の所蔵品を中心に見ごたえのある展覧会が多く企画されている。

 ブロックバスター展や美術館展など、学術性の低い展覧会批判する人って、だいたい欧米によく行っていて、そこで十分に作品を見ている人なんだよね。だから、そういった展覧会が名作や有名作を持ってきているということ自体意味を見いだせないわけだ。でも例えば、今後10年間、海外所蔵の作品を見ることを一切禁じるって言われたら、我慢できるの? できないでしょ。できないなら「国内美術館にも豊かなコレクションがあり」とか言って欲しくないよね。子供仕事で忙しい人、貧乏人、障害者、老人。誰しもが気軽に海外に行けるわけではない。そういうところにブロックバスター展の意味の一つがあると思うんだよな。弱者に優しいという点を鑑みれば、筆者の問いかけに「ブロックバスター展は善である」と答えることも可能かもしれない。

共催展の広報において差し迫った課題は、いかにして若者展覧会に足を運んでもらうかということである。とりわけブロックバスター展を支えているのは、バブル期以降の大型展に足を運んできた50代以上の世代であり、メディア側も確実な集客を見込んで、この年齢層に的を絞った広報戦略を立てることが多い。しかしながら、このような目先の集客ばかりを求める広報が続くようであれば、美術館展覧会未来はそう長くはないであろう。

 若者じゃないから分からないけど、どっちかというとやはりブロックバスター展の方が若者リーチしていて、それより規模の小さい共催展に問題がある気がするけどなあ。今なら例えばフェルメール展とルーベンス展。

近代美術の延長線上に現代美術位置づけ、両者を結びつける作業は、やはり美術館が担うべきものである。そして、村上隆草間彌生などの知名度と人気を誇るごく一部の作家を除いて、メディア現代美術展に出資することは考えにくい。美術館が主導して近代美術現代美術をつなぐ展覧会企画したり、現代美術一般へと浸透させる持続的なプログラムを行うための体制づくりや予算が求められる。

 これはブロックバスター展や共催展の問題じゃないよね。美術館学芸員が怠けていたからこういう状況になったんじゃないの? 「国内美術館にも豊かなコレクションがあり、それだけでも十分に展覧会は成り立つ」んでしょ。美術館主催粛々とやってればいいのでは。

数十万人の来場者を想定したブロックバスター展の場合、あまり大胆な切り口を提示することは難しく、個展であれば年代主題ごとに画業をたどるようなオーソドックス構成となりがちだ。先行研究調査をふまえた新たな視点を、カタログ論文作品解説のなかで示すことはできても、展覧会構成全体に反映するにはいくつものハードルがある。とりわけオルセー美術館ルーヴル美術館からまとめて作品を借りる場合は、これらの美術館学芸員が監修を務めることが多く、そのことによって企画自由度が低くなるという側面もあるだろう。

 そういう学術性は不要なんだって。単にいい作品を持ってくればいいの。学術性を発揮したいのであれば美術館主催の展示でやればいい。それでは自分能力が十分に生かされないと感じるなら本場の美術館就職してください。あと、日本学芸員よりオルセーやルーヴルの学芸員の方が信用できるから、その場合は口出さなくていいよ。

オルセー美術館には各所蔵作家の膨大な資料が集められており(ルノワールだけでざっと50箱以上はあり、フランス語だけでなく、英語イタリア語ドイツ語スペイン語、そして日本語や中国語韓国語資料網羅されている)、それを日々リアルタイム更新していくドキュメンタリストたちがいる。学芸員は彼らの協力を得て調査研究に勤しみ、その成果が展覧会に反映される。この蓄積こそが、オルセー美術館の、さらには今日における世界的なフランス近代美術の人気の礎なのである。これは一朝一夕に実現されるものではなく、長期的な視点に基づいた、たゆまぬ歴史化の作業の賜物といえよう。

 日本フランス絵画についてオルセーと張り合う必要なんかないよ。自国美術研究環境が貧弱なこと(いろいろ話を聞くに相応の事実だろう)については悲しむべきことだけど、西洋美術基本的に横のものを縦にしてればいい。もちろん立派な研究をなしとげれば敬意を表するが、俺達のブロックバスター展を研究発表の場として利用してくれるな。

 私はブロックバスター展やそれに準ずる規模の共催展を楽しんでいるのだ。それを学芸員風情の浅薄な考えや安っぽい使命感によってぶち壊さないで欲しい。日本に居ながらにして傑作や有名作を鑑賞することができる。これだけでブロックバスター展は素晴らしいものなんだ。ということを学芸員玄人気取りに理解してもらいたいのだが、なかなか難しいのかもしれない。

anond:20181019165714

社員に対してとんでもない人権侵害かます企業実在する→そのことを知る→企業に対して怒りや軽蔑を抱く」

って流れは完全な勘違いであって

社員に対してとんでもない人権侵害かます企業実在する→『ネットマスコミに取り上げられて大きな問題になる』→そのことを知る→企業に対して怒りや軽蔑を抱く」

一緒じゃね?って思ったけど、確かにメディア問題として扱うかどうか』が結構大きいのは認めざるを得ない。

 

個人的には、人権違反 = NG を一瞬で判断、終了。くらいでいいと思うんだけどな。

「全部人のせいとでも言いたいの?みんな辛いんだよ?逃げじゃん」派

は、親にネグレクトとか暴力とか受けてた人が、子供に同じことしちゃうのと似た心理を感じる。

anond:20181019175157

でも氷河期世代キモくて金のないおっさん雇用問題メディアで取り上げられても知らんぷりするんですよねわかります

パワハラ自殺話題だけどみんな実はそんな悪いことと思ってないだろ

東京で同じくらいやばい会社に勤めてて死にかけてたときがあったけど部外者に身の上を話したときの反応が

「そんな会社上司も異常。速攻で辞めたほうがいい」派と「全部人のせいとでも言いたいの?みんな辛いんだよ?逃げじゃん」派が半々くらいで拮抗してた。

思ったんだけど、

社員に対してとんでもない人権侵害かます企業実在する→そのことを知る→企業に対して怒りや軽蔑を抱く」

って流れは完全な勘違いであって

社員に対してとんでもない人権侵害かます企業実在する→『ネットマスコミに取り上げられて大きな問題になる』→そのことを知る→企業に対して怒りや軽蔑を抱く」

あるいは

社員に対してとんでもない人権侵害かます企業実在する→そのことを知る→『ネットマスコミに取り上げられて大きな問題になる』→企業に対して怒りや軽蔑を抱く」っていうのが実態なんじゃないのか?

要するにメディアに取り上げられるかマスに知れ渡るかして糾弾されないと、加害者に対してとんでもない!という感情を抱けないってこと。

『』の出来事が起こらないと、ブラック企業だろうが別にいいじゃん被害者ぶるなくらいの態度でいる人は多いのでは。

しかもそういうブラックを辞めたら辞めたで問題認定したり汚物視したりしてくるような感じ。

電通事件でも自殺した社員のことをどうせモンスターだったんだろとか切って捨ててる人結構いたなあそういえば。

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