はてなキーワード: もっととは
それに気づいた時、とても悲しかった。私に愛はない。最低だ。
私はA×Bというカップリングが好きだ。
無意識のうちに2人のイラストを描いていた。最初は本当に自己満足だったから、誰にも見せることはしなかった。
それでも何枚も描いていくうちに誰かと共有したくなった。そのcpはいわゆるマイナーというやつで、供給があまりにも少ないのだ。私が投稿することで、少しでもこのcpが増えたらいい。そんな気持ちだった。
イラストをアップしたおかげでTwitterでは同じくA×Bが好きな人と繋がれた。すごく人数が少ないし、なかなか浮上しない人ばかりだから狭くて浅い人間関係だったけれど、少しでもA×Bの話ができて楽しかった。
そんな平穏で楽しい日々が終わり始めたのはB単体絵を描いて載せてしまった時からだ。
その絵は多くの反応をもらえてしまった。というのも、そのジャンルの王道cpの1つがC×Bで、その住民たちが反応してくれたのだ。
一度いいねをたくさん貰うことで私は変わった。
C×Bにさほど興味はなかったけど、C×Bの人と繋がれば自分の作品をもっと見てもらえるという思惑でC×B好きと繋がり始めた。そう、私はただただ反応を求める人になった。自分の絵にいいねがつくかどうかの判断でしか行動しなくなったのだ。
そのジャンルの二次創作の傾向を調べ、見たくもないcpも隅々まで読み倒し、それをA×Bに落とし込み描いた。もちろん流行りの絵柄なんかも研究しできる限り取り入れた。
そしたら比べ物にならないくらい反応がもらえた。それが嬉しくて何作品も描いた。A×Bが好きと言ってくれる人も増えて、なんて幸せなんだ!と思っていた。
でも、反応が増えるほどC×Bとの差にストレスを感じるようになった。というか、C×Bを描いてる絵師と自分との差だ。自分と同じくらいの画力なのにC×Bを描いているというだけで自分より反応をもらえてるαさんが憎くてしょうがなかった。
特に私がA×Bで描いたイラストを、そのままC×Bに置き換えただけの絵をαさんが投稿した時ははらわたが煮え繰り返るようだった。無意識かわざとかたまたまかは知らない。パクリですよね?とも言えない。二次創作の世界なんてそんなもんだろうし、A×Bを描くためにほかのcpを読みまくって参考にした私が言えることじゃない。
フラストレーションは余計に溜まっていき、私はより一般受けしそうな作品を描いた。ついにαさんのフォロワー数も最大いいね数も抜かした時、勝った!と思った。
でも同時にそこはかとない虚しさを覚えた。
A×Bに対する愛がひとつも残ってないことにようやく気づいたからだ。罪悪感で苦しくて涙が出た。
いつのまに最初に繋がっていたA×Bが好きな相互さんは垢消ししてたり放置垢になってたりした。
そして私の寂しいA×B人生に終止符を打つかのように、C×Bの中でも大手の5万桁フォロワーを持つ絵師が「A×Bって苦手なんですよね」と呟いた。
甘よくばその5万桁絵師と繋がりたいと思っていた私は崖から突き落とされた気分だった。おもしろいことに、その発言と同時にドッとフォロワーが減ったのも笑えた。さすが5万桁絵師。私もあなたのようになりたかった。
とりあえず私はTwitterをやめて、原作を何度も読み返し、最初の頃の気持ちを思い出そうと思う。
でもそしたらまた漫画を描いてしまうだろう。自分が何より好きなAとBの愛の物語を、やっぱり描きたいのだ。
もし描いた時、その時は同じことを繰り返さないよう気をつけていきたい。
何も残せる気がしない。残す相手もいない。
『遺伝子』という言葉があるが、子に伝え遺すことのない俺の遺伝子は最早遺伝子ではないのだろうな。
一度転んだら、すぐに起き上がれない限りもう無理なんだろうな。
あの時倒れていなければ、何かになれたのかな?
もちろん走り続けることが出来たとしても、何かになれるとは限らない。
でも、こんな気分になることはなかったんだろうな。
まあ今となってはもう知りようもないけど。
いきなり放り出されて「さあ生きていけ」とかちょっと意味がわからない。
もっとわからないのは、それで成功してる奴がいることだけどね。それとも彼等にはちゃんとしたチュートリアルがあったんだろうか?
もうどうすれば良かったのかも、どうすれば良いのかもわからない。
おやすみ。
え? 1日に3本?
あります。
2021年現在で日本から捨てられた街の増田で1日5本、トリーバーチ増田で1日30本くらいですね。
コミュニティバスでもないのに、平日1日3本の県もあります。私はここには、いったことがありません。(ホテルがないので帰れない)
私の故郷は今は平日1日19本ですが、もちろん昭和期はもっと走ってました。
そうかとおもうと、1日バスが30本以上余裕で走る地方以下田舎以上というのもあるのです。最近この種の地域は増えてきました。単純に人口流入です。
今は、すべての児童が大学進学を叶わなくとも目指すので、みんな怒るようになったのです。
目指していなかった頃は、誰も何も言いませんでした。
私の経験でも、数十年前だから怒っていたのは私一人くらいだったかな。教育後進地域というのがございましてね。そこに住んでる人は、与えられてないので、何も知りません。
大企業だけに優秀な人に遭遇するんだよ。
このひとめっちゃ頭の回転いいな、説明もシャープだなって思う人って理系の確率高い。年齢関係なく。
こんな時すごく自分にがっかりするんだよ。ああ、俺にはこんな頭の回転はないなあって。
もっとしっかり理数と向き合えばよかった。
優秀な人って地頭の良さがベースにあって、そこに努力が乗るんだよね。
自分はそこまで地頭もよくないし、努力もソコソコだった。だからこそMBAに逃げた。
でも研究者にはなれないし、ならない。
やっぱり本質的な頭の良さは手に入らない。
つい数日前、とある理由で8年半推し続けた舞台俳優さん(Aさんとします)のファンを辞めました。
文書の内容的にAさんが誰なのか推測してしまう方もいらっしゃるかと思いますが、ただの私の見解ですので一例として考えていただればと思います。
私とAさんとの出会いは、今から8年半程前の某テニスのミュージカルでした。
当時15歳(中学2年生)の私はほかの俳優さんの追っかけをしていた母親の影響でミュージカルに連れて行ってもらっていました。原作ファンとしても幼いながら再現率に感動し熱中していきました。その時私の推しキャラをしていたのがAさんでした。
その後もAさんは某自転車の舞台や某プリンスの舞台、某刀の舞台などたくさんの作品で活躍されて現在は声優活動などもされています。
もっと推したい、もっとグッズが欲しい、もっと会いたい、日替わりパートを見れない公演のレポが上がるだけでモヤっとする...
10代はバイトをしながら舞台やイベントへ行って、またバイトの繰り返しでした。
学生の頃友達と遊ぶ暇もなく彼氏が出来ても推し活動のせいで振られたり、自分から邪魔だと言って切って、Aさんに会いに行くことだけが全てでした。
個人のイベントも必ず全通は当たり前で、全配信番組に毎週何通もお便りを送ったり。
そして。
舞台俳優さんのファンなら察していた抱けるかと思いますが某ホストの舞台です。
毎公演がランキングでお金を積んで投票しないと推しがセンターに立てない、神7に入れないという制度です。
私は当時Aさんともう1人(Bさん)2人のホストにハマってしまいました。
10代の頃のバイトなんて社会人のお姉様の稼ぎからしたら少なくて、全額投資したって足しにもなりません。
当時の年齢からすると莫大な資金を手に入れました。必ずvipシートに座り大金で投票権を購入し全部を推しに投資する、それでも足りない時は大声では言えないですが風俗で働いたこともあります。身体を売ってでも彼らを1位にしたかった。
今考えると10代の頃手にしていい額ではなかったです(苦笑)
働きたい時に働いて休みたい時にまとめて休む、昼も気休め程度に働いていますが正社員になる気は全くなくて、給料面からしても時間つぶしとしか思ってないです。
辞めないんじゃないですね、
辞められないんです。
仮眠→昼職→仮眠→夜職→仮眠
このサイクルで、本当に稼げる時に稼ぐスタイルです。
オタクなのはもちろんですが元美容師ってこともあって、お洋服やファッション、美容も趣味です。
推しに会う前は必ずネイルマツエクエステは当たり前、必ずヘアメに行き、1度来た服は絶対に着ませんし勝負のときはハイブランドで固めたりもします。
また推しへのプレゼントも数十万円のものをあげてました(苦笑)
本当にたくさんの出会いがあり
今も仲良くさせて頂いてます。
全て原作の頃から推しのキャラを彼は.5で毎回演じてくださって「私は推すべくして推してる運命の方なんだなぁ」「これからもずっとこんな日々が続いていくんだろうなぁ」と思っていました。
しかしある日急にその時は訪れるのです。
(このことで察されるかと思います)
その記事はもう消されましたが
内容的にはマンションで亡くなった方がいらっしゃった用でその事に関して「匂いがしてまいっちゃうよね( ゚д゚ )」みたいな不適切な表現を沢山されていた感じです。
正直言うと私はもう長年Aさんを見てきているのでちょっと変わった所あるしな...と少し許してしまっていました。
推しかわ可愛い精神でしょうか、良く考えれば有り得ないことなのですが擁護していました。
2つ目はエイプリルフールです。
数年前のエイプリルフールで「一般女性と結婚~...」のようなツイートをされてました。
私も少しモヤモヤしつつも彼の性格を考えて落ち着くことにしました。
まあその後もちょこちょこモヤモヤするような発言をされてましたが、大目に見つつ推しが発言したことなので...と、黙秘してここまで過ごしてきました。
そして3つめ
つい先日の話です。
と呟かれました。
私はこの発言に
もう限界です。
何度我慢すればいいんですか。
私はファンがざわついてるのを見て楽しんでいるようにしかみえないんです。
今回の件にしろ。
そんな私に彼を推す資格はありません。
正直このツイートは鍵垢からの引用リツイートが明らかに沢山あって、裏で叩いてる方も多いのかなと思いました。
彼がショートヘアが好きだから8年半ずっとショートヘアです、伸ばしたことはありません。
服もAさんの好みに合わせて自我を押し殺して買いました。
自分の好みとは真逆のAさんの趣味に合わせて、自分を偽って自分を必死に殺して。
そこまでしてでも大好きだったんです、
Aさんが。
Aさんは私の人生でした。
こんなに大好きでも、辞める時は一瞬。
永遠じゃなかった。
今までありがとうございました、
私へ。
8年半本当に頑張りました。
そして。
5ちゃんねるも、ここも、Twitterも結局は便所の落書きみたいなもんで、ビジネスでやってない限り読むのも書くのも結局は暇つぶしなんだよ
それともっと一番多いパターンが、いかにもホモソバカみたいな男たちが出てきて「これだから女はダメ!」とか笑ってると、「男の方がダメダメでしたー!! これからは女の時代ですー!」みたいな展開になったりね。
女の場合はいかにもなクールで天才ですって女に「これだから男はダメなのよ。女の方が有能」みたいなこと言わせて大活躍させるんだよね。
逆にクールな天才男が「これだから女は」みたいなこと言ってると、女のキャラを活躍させて「まあ女も中々だ。認めてやらんでもない。」とか言わせるんだよね、最後に絶対。
特に「そうやって男をバカにするもんじゃない!」なんて怒るキャラがいようものなら、クールな女主人公に完敗して「た、確かに、男より女の方が優秀なのかもしれない……」ってなるんだよね。
発注と検収のいたちごっこみたいな仕事に嫌気が差して、入社して2年目からちびちびと転職活動をしていた。
入社して2年目は転職サイトとか転職エージェントとかを使って、もっと手を動かす仕事が良い!みたいな希望で活動した。
何社か応募したけど、採用どころか面接にすら全然届かない。経験も実績もないから、仕様無いと今になっては思う。
でも数少ない面談した企業の方からは「小さくてもいいからWebサービスを作ってみるといい」とか「うちはRails使うことが多いから、Railsわかる人だと嬉しい」みたいな具体的なアドバイスはもらえた。
ちなみにどことは言わないけど、転職エージェントは「年収が下がっていいならすぐに見つかります!」「正社員じゃなくて派遣から始めるのはどうでしょう!?」とか不穏な誘いが多くてすぐに使うのを辞めた。
3年目はもらったアドバイスに従って、仕事の合間に小さなWebサービスを作ることにした。(Railsは使わなかったけど)
流行りのフロントエンドフレームワークを使って、PaaSで公開。テストも書いて、CI/CDもちゃんと整備した。
フレームワークや言語の学習も含めると半年以上かかったけれど、納得のいくものが出来た。
4年目。業務転換があり、ベンダと要件の狭間でストレスが絶頂になった。
この環境から逃げたい、というひどく後ろ向きな理由で転職活動を再開した。
幸い3年目の成果物がある。Twitterの転職タグとかを使って成果物のURLを貼り付けたりすると、5社くらい話を聞いてくれることになった。
驚いたことに、エンジニア業界では有名な会社とかも声をかけてくれたりして、ちょっと有頂天になったりした。
しかしながら結果は惨敗。オンラインのコーディング試験や技術面接に歯が立たず、ほぼ全てがお祈りとなった。
ある企業の面談では、「希望年収の半分くらいなら」と言われたこともあった。この日のことは、未だに忘れられない。
4年目の惨敗を受けて、5年目はしょぼくれていた。
面接で出来なかった問題こそAtCoderなりアルゴリズム本なりで勉強していたものの、「こんなに勉強しないといけないなら、もう現職でいいかな」という思いが大半を占めていた。
なんとなくはてブの技術エントリを読んだり、Qiitaとか面白そうなチュートリアルを手慰みにして時間を潰していた。
そしてそんな折に、知人経由で大手ITを受けてみないかと声をかけられた。
いやいや無茶でしょう、というような有名企業で、自信を喪失していた自分には恐れ多いとしか言いようがない。
とは言え、落ちるだろうから受けない、というのもあまりに後ろ向きな話。
なので、受けるだけ受けることにした。知人の顔を立てる、というくらいのモチベーションである。
内容の詳細は秘密保持の関係から記載できないけど、3年目のサービス開発で学んだ知識と、惰性で技術エントリを読んでいた経験が活きた。
それなりに回答できて、手応えはあった(現職で得た知識とかももちろんあるけど)
結果は通過。そこからあれよあれよと面接ラッシュで、すったもんだありながらも最後は内定。
待遇も満点ではないけど十分な内容で、迷う余地がなかった。強いて言うなら、休みが減るのがちょっとネックかな。
元増田に言いたいのは、一回動くと何かが変わるよってこと。
私が結果としていい転職ができたのは2年目の活動の際に「Webサービスとか作ってみるといい」ってアドバイスをもらえたのがきっかけだし。
ベンチャー企業の人から声をかけてもらえたりするくらい頑張ってるなら、胸を借りるくらいの気持ちで話をしてきたらいいんじゃないかな。
人生の分かれ道は意外なところに落ちていたりするよ
新聞を読んでいたら、「ヤングケアラー支援の拡充」という国の施策についての記事が載っていて、私はかつて少しだけ知っていた女の子のことを思い出した。
5年近く前、私は福祉関係の仕事をしていた。専門は障害年金の申請の補助。申請者は診断書の提出以外にも、障害を負うまで、負ってからの経緯を書いた申立書も年金機構に提出するのだが、これを一人ですらすらかける人はあまりいない。なので、ここを補助することが多かった。申立書は書き込みがしっかりしている方が、申請が通る確率が高かった。
自分で言うのも何だが、わたしはこの補助が結構うまかった。子供の頃はどんな子でしたか?学校では何に一番苦労していましたか?先生はこの時なんて言っていました?なんて、とっ散らかりがちな申請者の人生を整理し、じゃあこう書いたらどうですか?だとか、ここはもっと強調しましょうとか、そう言う感じのコメントをつけると、小一時間もあれば書類は出来上がる。手帳の等級に応じたが、まあまあの確率で申請は通った。
ある日、内部疾患を理由に女性が申請にやってきた。病名は覚えていないが、症状は障害者手帳が出るか出ないかギリギリのところで、事実手帳はまだ申請中とのことだった。その場合は申立書でいかに日常生活を送るのが困難かを書いて手帳がないことをカバーする形になる。この女性は病気で一日20分くらいしか座っていられなかったし、病院に行くのも億劫がっていた。当然、書類の作成にも人の何倍も時間がかかった。
ある日、制服姿の高校生の女の子がやってきた。あの申請者の女性の娘だった。彼女は愛想良く
「お母さんの代わりに書類を書きにきました」
と言った。申請書類の代筆はできないが、申立書は代筆可能だったので、私は深く考えず彼女に書いてもらうことにした。
私と彼女は、年齢が10も離れていなかったこともあり、彼女は初めからリラックスした様子だった。彼女は私のことを「お姉さん」と呼んだ。母親の病気の経過について、彼女が全て知っているわけではないこと、また、学校とアルバイトの隙間の時間にしか来れないこともあり、彼女は5、6度に分けて申立書を書きに来たと思う。
複数回やって来るので、私たちは打ち解けた。彼女の丸っこいくせ字で書かれる母親の物語は、なかなかに壮絶だった。
「まあでも、いいお母さんだよ。面白いし。弟もお母さんのこと好きだからね」
「お姉さんは大学行った?」
「うん、まあ行ったね」
「そっかあ。いいなあ、私はお母さんもこんなだし弟も小さいから、大学行けないんだ」
聞くと、彼女は高校2年生だった。近くで話を聞いていたらしく、上司がやって来て彼女に奨学金や生活保護の話をした。彼女はびっくりした顔をして、
「うちは私がアルバイトしてるから、生活保護は貰えないんだと思っていた。それに、生活保護をもらってる人でも大学に行ってもいいの?」
と呟いた。
上司はすぐさまケースワーカーに連絡をして、お母さんからケースワーカーに電話をするように彼女に言いつけた。
「これでお母さんが年金を貰えばうちに余裕も出るし、生活保護を貰っても大学に行っていいなら、私も大学に行けるかもしれない」
彼女は嬉しげだった。
申立書が出来たので、申請書を作成してもらうべく女性本人の方を呼び出した。彼女はめまいがするとこぼしながらも、申請書を書き上げた。
「そういえば、生活保護の申請をして、もらえるようになりました。ありがとうございます。娘も、大学に行きたいって」
「連絡してくれたんですね。生活保護と年金の併給の場合は保護費の調整があるので、年金のことを先に言っておいて下さいね」
「そうなんですか?その話はしていないや」
女性は少し慌てた様子だった。
「そうします。でも、本当によかった。私がこんなだから、娘は学校から帰って家事をして、アルバイトをして、弟の面倒を見て、夜は私のことをお風呂にも入れてくれるんですよ。負担だったと思う」
あの屈託なく笑う18歳の女の子の生活が予想以上にハードで、私は絶句した。
その後、一週間経っても二週間経っても、それどころか一月経ってもあの女性は来なかった。診断書の有効期限が切れそうなので、私は慌ててあの女性の携帯電話に電話をしたが不通だった。
こちらとしても書類が宙ぶらりんになるのは困るので、ケースワーカーに連絡をした。彼はああ、あの人、というと大きくため息をついた。
「逃げちゃったんですよ。もう引っ越したので生活保護はいいです、って電話が来ておしまい。音信不通です」
私がギョッとしていると、彼は良くわかんないですが、と言いながら、
「こういう時ってだいたい男絡みだったりするんですよね。結婚していた時に住んでいたところにいるって話してたから、前の配偶者とよりを戻したのかも」
私は息が詰まって口も聞けなかった。申立書に、彼女は前夫からひどい仕打ちにあったと書いていた。
「娘さんは?娘さんに連絡でもいいんですが」
私の問いに、彼は首を振った。
「娘も一緒ですよ」
彼は本当はこんな話しちゃいけないんですけどね、と呟いて、そのまま自席に戻っていった。
あの頃、私はヤングケアラーなんて言葉は知らなかった。だけどあのアルバイトと家事を懸命にこなす、大学に行くのに憧れていた女の子は、まさにそれだった。もっとどうにかして、彼女を助けられなかっただろうか。彼女にごく普通の女の子としての生活を送らせてあげられなかっただろうか。彼女を大学に通わせてあげることはできなかっただろうか。あの子は今頃、大学を卒業する年だ。
すでに
ホロライブ
の記事掲示板を閉鎖していたホロライブ(カバー株式会社)が更にライバーの掲示板も申し立てをして閉鎖したようだ
男性VTuberグループのホロスターズについても全部閉鎖された
批判的な意見が多かった(人によってはアンチの巣窟にみえただろう)とはいえ
ツイフェミ観察増田のブコメでもスター工作が行われてるようだけど、この分野で必ずといっていいほどトップブコメになるリベ・フェミ系某大手ブクマカのスターが意外に少ないので不思議だ。工作アカウントのスターが付かずにお味方の無条件スターだけ。
あまりに的外れで意味不明なのでこれにスターを付けると工作してることがバレそうで分が悪いという判断か?
そう思ったんだけどもっと単純で、工作完了して勝利した後に来たから大御所すら放置されてたってだけのようだ。
スター工作を受けたブコメを古い方から10個ほど数えたところで工作は終わってる。それ以降のスター省略表記はスター工作指摘ブコメばかりで、これはこれでネトウヨ側もスター工作してるんじゃねえ~?って気もしてきたぞ。
ただ工作の効果はてきめんで、トップブコメ群は工作の前はあまりスターが付いてなかったのに、工作後は工作とは無関係と思われるブクマカ達のスターを集めてるようだ。トップブコメに載ることで加速度的に賛同を得られる。これがはてブの総意を作るってわけ。
よう俺だ!チャレンジした世界線の増田だ!そうだね!どんな環境でも隣の芝は青く見えるもんだよ!増田には二つの選択肢しかないからどちらかで納得するしかないよ!
1.あと30年地方都市のIT市場が今のまま維持されると盲信して労働人形になる
2.日本で階級のポータビリティがまだあるうちに子供が自分以上になれるように東京圏に挑戦する
20代後半でSIerからGitHubやk8sなどは当たり前の環境に転職して5年が経った。増田と違うのは、自分も妻も東京圏に住んでいた者という点にある。後述するがでかい違いとは思う。
生存バイアスな自覚もあるが、個人で技術を詰めていたので適応は早かったし(技術自体というよりは適切な情報ソースをサーベイして自走する能力が一番大事だな)、勉強は無駄にはならんかったよ。
そして、この年代(昭和 60-64 年生まれくらい)はリーマンショックの影響で市場にいる人材が薄いから、良い条件の働き口が割とあると思う。
しぬほど仕事があって、平均45時間は残業して年収700万弱くらいだ、ベース給与はおそらく大して増田と変わんねえ。地方拠点の仕事を作ってあげる仕事もときたまあって実体はわかるが、増田の生活も悪かねえと思うぞ(ただし後述の取り、リスクはあるし増田の大切な人達に跳ね返る可能性もあるだろうな)
こちとらリモートとフレックスを使って育児家事を効率よくこなしながら、進捗の遅れは寝かしつけのあとにどうにかする日々だ。それでいて一日中車を運転したオフの夜中にコードも書いたり検証したりもすれば、面白そうな技術書や論文を漁りもする。
ここんとこは英語ができなきゃ話にならんくなってきて洋書読んだりもするな(まともな学会・会議の論文は当然英語前提)。オライリーの訳書のラグ2年弱の間に世界が変わっちまう。マジかよって感じ。世界が加速しているのか、日本が遅くなっているのか、はたまた色んな事情で訳書が遅くなっているのか、俺の認知が広がっただけなのか、或いはそれらすべてが原因か。
そんな状況になると外資が競合になってくる境界くらいにいることになるのだが、社会の分断の片鱗を程よく感じられるような位置だ。ここいらになると、周囲にいる人間が国立大学CS修士博士とかが当たり前だ(体感半分くらい。そんでもって残りの半分はいいところのCS学士とか。こんなにCS専攻っていたんだな?)。
そいつらは帰国子女だったり東京圏で中学受験して、英語は堪能、財テクや節税に勤しみ、文化的資本も豊かで楽器を嗜めば運動も習慣化しているような人種だ。加えて技術への情熱が半端ないときている。小さい頃から好きで、仕事というよりは趣味でやっている人だらけでもこの年収とかなもんで、余談だが「スクール卒業リモートワーク年収1000万!」みたいなコピーは儚き虚言だと断言できる。
そしてハイソサエティな人材達が順次GAFA(笑)(大体がeコマーのAなんだが)に転職するようなルートが確立されつつある。日本やべー。(AZ障害を俺達が手先になって謝る状況を脱して謝らせる側に回りたい気持はわからなくもないがな!)
彼等とスタート位置が違うんだからどうしようもないと感じることは多々ある。公立中学校の話なんかすると作り話扱いもされる。そして更に言うと、海の向こうには、彼等も勝てないような人達が大勢いる。大阪なおみ選手のような世界トップランカーにでもならない限りこれが続くんだろうな。
冒頭の話に戻るが、地方出身の学生や中途の話を聞いていて、日本でITエンジニアについてもそうなんだが、子供の教育に関しても東京にいないと話にならんとは感じる。
もう増田ひとりの物語じゃなく、増田と子供の物語という意味で、今から東京で挑戦することは選択肢もなくはないと思うぞ(SAPIXとかに重課金するレベルまでやれとは言わん)。一番のハードルはパートナーのキャリアとは思うから、お互いが納得できるように人生を決めろ(育児丸投げとかありえんからな、ITエンジニアなら冗長化してみせろ)。あと単身赴任は観測する限り破滅への道だ、それだけはやめとけ。
日本はやべーと思うが、それでもまだ欧米よかは格差は少なくて、上へのポータビリティもある。ただ、これからどんどん色々壊れていくだろうから、何かをやるなら早いに越したことはないと思う。おたくらのビジネスモデルはこの先30年持つか、俺は疑問視している。付加価値薄いって気付いてるっしょ。だから俺は転職したよ。
地方ITは特にリモートワークの普及は地獄の窯の蓋みたいなもんで、逆に東京圏のエンジニアに食われるんじゃねえか?北米と違って全都市JSTで高品質な回線が全国に張り巡らされているんで、逆の立場だったら気楽でいられん。効率的なことが禁止された結果甘い汁を吸えている面はあると思っていて、それって焼き畑みたいな最終手段だから、その先はないと思うぞ。
ちなみにだが、この話は俺にもブーメランになってくる話で(時差と日本語の難易度の高さと平均的な語学力の低さで、外資に食い尽くされずに守られてるな東京は)、東京圏でキラキライケイケITエンジニアやっていても選択肢は二つだ。
1.あと 30年東京圏のIT市場が維持されると盲信して労働人形になる
2.階級のポータビリティが踏めるうちに子供が自分以上になれるように海外に挑戦する
ということなんだが、コロナ次第だな。世界の境界でもがきながら、日本の治安と労働法と医療制度や年金制度(老齢年金も悲観するほどではないし障害年金と遺族年金が現状心強すぎる)を最大限利用するのもよし、海外に挑戦するのもよしだが(俺のパ―トナーは配偶者海外帯同休職が一定期間できる)、状況を見極めながら俺の子供が俺以上になれるよう努力するお気持ちだ。東京圏にやってきた爺さんや、俺を大学に出してくれた親父以上のことをやらんとな(俺は所謂ファーストジェネレーションってやつだ)。
自分の物語をほどほどに、子供達がワンチャン自分以上になってくれればそれでよくね?と思いつつある。子供にアメリカ国籍選択できるようにしてあげられればよかったんだがそこまではできなかった。あとやってあげられることは、ワンチャン帰国子女にしてあげられるかくらいだ。
最後に。仮に俺達が無駄なことをやって虚無しか生まずにこれから30年過ごすとだな、子供達が過ごす未来がやべーんだわ。俺達が楽するほど、子供達が楽できなくなる可能性が高くなる。増田、わかるか?俺達が自己実現して目指す理想郷は、子供達に良い未来を作る。もっと効率的なことをやって、空いた時間で今困っている人達の働き口や、未来の子供達の食い扶持を作るような成果を出せ。もしも、無駄なことをやって、虚無を生んで、その割に好待遇を得ている状況という自覚がもしあったら(実際そうなのかは俺が決めることじゃない。案外いいことやってるかもしれんよな。)、それには抗ってくれ。
最近、飯がまずい
外食で美味しいと評判の所でも
体調が悪い時でも美味しいと思っていた
美味しいちゃ美味しいんだけど
『いやーもっと美味しくなかった?』と疑問が
出てくる
だからって食べる量が減るとか痩せてきたとか
全くないんだけど
なんか心から食べたい!のがない
惰性で食べている
食べるけども
美味しい!!って感覚がない
逆にそういう考え方を一瞬でも正しいと思っちゃう頭の人には病院の受診をすすめたくなってしまう。
いいですか、どうして本を読むだけで、その読み方が正確になっていくというんですか。
読むのが早くはなるかもしれません。
しかしそれは自分なりの読み方に慣れていっているだけではないですか。
下手に読み慣れた気になってるのだから、むしろ早とちりしやすくなるかもしれない。
ようするに、本を読むのと同時にその読み方が正しいかをフィードバックする手段がないとだめなんですよ。
自分自身だけで自分の読み方が正しかったかということは反省しようがないのですから。
あなたは数学の参考書とか解いた後に自分の中で合ってるかどうかを判断していたんですか。
解答を見ますよね。
そうして単に正しい答えを得るだけでなく、解き方も矯正、洗練されていく。
文章読解も同じですよね。
でも、子供の頃なら教師がそのフィードバックの役目を果たしうるのでしょうが
子供時代までの読解力が十分に発達するなんて幸せなことでしょう。
でも大人になったら先生とかいないし、本の読み方を教えてくれる本とかないじゃないですか。
もちろん「本の読み方」と説くハウツー本ならあるでしょうけど、しかしそれ自体が本なのですよ。
本で本の読み方を教えようとすること自体矛盾もいいところなんですよ。
ハウツー本みたいに一般論を説く「本」があるだけではその矛盾は克服しようがない。
その一般論を論理的に読みこなすだけの力がなければ早くも希望がなくなってしまうのだから。
せめて、個々の新書、評論とかに対して、その読み方を解説する小冊子が発行されるようになればいいですけどね。
「超訳」とか「~を読む」みたいな類の本があらゆる本において出されるといい。
そういう環境のもとで多読とフィードバックを重ねることで、はじめて読解力が上がっていくと思います。
そうじゃないかぎりは自分の今の読解力でただ単にたくさん本を読む「作業」のようなものにしかならないでしょう。
先日、こういう話を知人にしたら
「小説とか好きなふうに読むから楽しいんじゃん。僕は本を読むのは好きだけど学校の国語は嫌いだったな」
とか言われたが、まさしくとんちんかんです。
小説に限定しない話をしているのに、常に小説を読むときの「好きなふうに読む」ような態度だからこそ、
人の話にまともな受け答えをすることすらできないでいるのでしょう。